第六十三回

智姐が他人の手を借りて恨みに報いること

如卞が鷹を使ってあばずれ女を懲らしめること

 

この世の中は広けれど

敵とはすぐに出遭ふもの

嫌な思ひをしたならば、仕返しするは当たり前

軹里の男[1]が来た日には

堅き剣を貸し与へ

胸の恨みを濯ぐべし

いい気になつてゐるときに

不吉な星は輝きて

さんざん刑具に掛けられて、さらに罰をば施さる

さいはひ脇にゐた人が代はりに謀りごとを立て

牢を出づるを得しかども

繍房(ねや)にハイタカ飛びきたる  《錦纏道》

 狄希陳は、智姐の母親の林嫂子にしこたまぶたれ、最初の日は起き上がれませんでした。二三日目になりますと、傷を負ったところが腫れだし、とても痛く、動くことができなくなりました。素姐はとても愉快になり、言いました。

「あいつは、口やかましく他人の女房のことをあれこれ言ってばかりいたから、林嫂子のような人に出食わして教育を受けたのは結構なことだ。相于廷は、口に任せて私の悪口を言ってばかりいるが、いつかは私があいつを騙し、同じような目に遭わせ、積もる恨みを晴らしてやろう」

そこで、狄希陳が床に就いても、見舞いをしなかったばかりでなく、しばしばぶったり罵ったりしました。智姐も張茂実にぼろぼろに殴られ、床から起き上がることができませんでした。さいわい、張茂実が何度も過ちを認め、すぐに謝り、念入りに世話をしたため、じっくり養生をすることができました。智姐は三分は夫に、十二分は狄希陳のいたずらに腹を立てており、粉々に切り刻まれてしまえと、さんざん呪い罵り、お茶やご飯を口にいれる暇もないほど、夢の中でさえも喋り続けました。狄希陳は、呪いのため、全身の肉が痙攣し、一日中心臓がどきどきし、顔は熱く、耳は赤くなり、絶えずくしゃみをしましたが、智姐が呪っているのだとは知りませんでした。暫くしますと、智姐は夫が後悔をし、謝罪したので、怒りを解きました。世の人は四句の即興詩を作り、うまいことをいっております。

夫妻(めをと)の恨みは宵越さず

そのわけは股座(またぐら)にある金剛鑽

身に乗り三度(みたび)突きたれば

恨みは半ば消えぬべし

ですから、夫妻は今まで通り仲睦まじくしました。狄希陳も暫くしますと快復し、張茂実夫婦と今まで通り仲良くしました。

 さて、張茂実は、勉強がものになりませんでしたので、元手を集め、商売をしようとしました。彼には宋明吾という親戚がいました。宋は筆[2]売りの宋結巴の息子でした。彼は貧しくて暮らしていけず、女房は人に売られて妾になりました。女房を買った男は、姓を孟、号を趙吾といい、隣の新泰県[3]の人で、金で指揮使に昇任しました。宋明吾は、孟指揮を脅そうとし、女房が娶られていき、晩に孟指揮が結婚式を挙げようとしますと、孟指揮の家の表門に馬で乗りつけ、乱暴に罵りました。孟指揮が見識のある人であったら、金を払ってこのような男の妻を妾にするはずはありませんでした。彼はしっかりした考えのない人間でしたが、宋明吾が罵りにきたとき、数両の結納品を捨て、女房をただで連れ帰らせれば、災いをなくすことができたでしょう。ところが、宋明吾の仲間たちが、脅したり宥めたりして間を取り持ち、わざと仲直りさせましたので、さらに宋明吾に四両の銀子を与えることになりました。そして、十六日は役所が訴えを聴く日でしたので、二晩寝ただけで、巡道のもとに訴状を提出され、孟指揮が良家の婦女を姦淫したと言われてしまいました。巡道は訴状を受理し、県庁に命令を下しました。県知事は了解し、事実を調べ、宋明吾を呼び戻して徒刑に処し、護送してふたたび審理を行いました。

 孟指揮には不幸が、宋明吾には悪運が到来しました。孟趙吾は自分が指揮で、はっきりと自供をすれば罰せられないと思っていましたから、薄絹の帽子を被り、屯絹の擺衣[4]、黒い靴をつけました。巡道は若い進士で、散館[5]によって給事中から地方官になった人で、権力があり、怒りっぽい性格で、このような装いを見ますと、怒髪冠をつき、衣裳をひきちぎらせ、靴と帽子をはぎ取り、真っ黒な髭をすっかり毟り取り、奸淫してから結婚をした罪に問いました。そして、女房を送り返す判決を下し、さらに三十両の金を宋明吾へ払うように命じ、指揮を免職にし、四十回の大板打ちにし、あっという間に、孟趙吾の身は破滅、一家離散、残ったのは命だけという有様になりました。

 宋明吾は、女房を他人と数日寝かせただけで、三十八両の銀子を手に入れ、元通り、人を破滅させる淫婦を手に入れました。そして、判決で得た銀子をもち、南京にいき、幾つかの漆塗りの盒子、台盤[6]、銅鏡、鉄鎖、細紐、絹帯、徽扇[7]、蘇壺[8]、相思套[9]、角先生[10]の類いを買い、露店を出し、家賃をとられない城門に並べました。このような南京の雑貨は、もともと定価のないもので、二倍で売ることもでき、物の分からない人に出会えば、三倍になることもありました。それに、彼の財運が盛んでしたので、数年足らずで、西の門の内側に南京の物を売る大きな店を開き、金を稼ぎ、土地家屋を買い、とても豊かになりました。

 張茂実は、毎日、鎮で何もせずに腰を掛け、様々な品物の売れ行きを見て、自分も商売をしようと思いました。数百両の銀子を集め、一人で南京に行き、戻ってきてから店を開き、商売をしたことは、くわしく申し上げる必要はございますまい。

 さて、南京顧家の、十字縫いの刺繍の色はとても鮮やか、縫い取りはとても緻密で、他の人が売るものよりとても見栄えがいいのでした。張茂実は、目の利く店の主人に、特に鮮やかな裙衫を買うように頼み、家に持ち帰って妻への土産にし、腕のいい裁縫師に美しい服を作らせました。翌年の元宵節に、智姐は気に入った衣裳を着け、蓮華庵にお参りしました。素姐も庵にやってきました。二人はすぐ隣の女同士、親友同士の妻でもあったので、お互いよく知っており、喜んで相見えました。住持の白姑子は、二人に茶を飲ませました。

 素姐は、智姐の顧繍の衫と裙を見ますと、とても羨みました。智姐は、昨年、狄希陳の悪戯で、ぶたれたことを思い出し、恨みを抱いていましたが、報復のしようがありませんでした。彼女は眉をしかめ、計略を思いつくと、言いました。

「狄さん、あなたの衫裙はできていないのですか。どうしてまだ着ていないのですか」

素姐「これは、きっと張兄さんが自分で南京にいって作ったものでしょう。私はこのような服は作れません」

智姐「私は普段外には出ませんから、このような綺麗な服があることを知りませんでした。狄希陳さんは南京に最近はやりの顧繍があると言われ、八両の銀子をくださいましたので、主人はあの方のために、これと同じ模様で、同じ色のものを一揃いもってきたのです。主人は家に着くと、二揃いの衫裙をどちらも狄希陳さんに届けて検分させました。これは狄希陳さんが選ばなかった方のものです。狄さん、どうしてないなどとおっしゃるのですか」

素姐はそれを聞きますと、「怒りは心臓に生じ、憎しみは肝に生じる」という有様になり、長居はせず、智姐に別れを告げ、家に帰りました。智姐は、彼女が計略に嵌まったと思い、白姑子に別れを告げて帰り、後は「目に見えるのは凱旋旗、耳に聞くのはよき知らせ」となるのを待つばかりでした。

 さて、素姐は家に戻りますと、小玉蘭に命じて、狄希陳をあちこち探させましたが、捜し出せませんでした。素姐は一人で彼の書房に行き、箱や箪笥をひっくりかえし、あらゆるところを探しましたが、衣裳を探し出すことはできませんでした。そこで、数封の湖筆で、靴に下絵をかきました。さらに、大部の『太平広記』を数冊持ってきて、針を刺すのに使うことにしました。部屋の中で、あらゆる拷問機具を探し、ひたすらかわいそうな陳哥が来るのを待ち、あれこれ問い質そうとしました。狄希陳が、外から帰りますと、全身が震え、両目がいったりきたりしました。表門に入りますと、空を飛ぶ黒い嘴をした烏が、何回か鳴き、大量の糞を頭におとしましたので、頭巾がびしょ濡れになりました。自分の屋敷に入りますと、蜘蛛の大きな網が、顔にかかりましたので、不幸が近付いていることが分かりました。部屋に入りますと、そこには閻魔のような女が、手ぐすねをひいて待ちかまえていました。狄希陳は、女房が恐ろしい顔をしているのを見ますと、すっかりたまげてしまいました。素姐は言いました。

「あなたが南京から持ってきた顧繍の衣裳は、どこにおいてあるのですか。私にくれずに、誰にあげたのですか。早く持ってきてください。孫行者がうまいことをいっています。『少しでも『嫌だ』といったら、おまえを血膿だらけにしてやるぞ』[11]とね」

 狄希陳は、金持ちの家で生まれ育ったとはいえ、田舎の百姓にすぎませんでした。彼は、銀子、銅銭以外のもの、たとえば顧繍とは何かということはほとんど分からず、喋るさまはまるで首を絞められた家鴨のようでした。素姐は、狄希陳の肩を二三回棍棒でぶちますと、罵りました。

「はやくおくれ。まだ馬鹿になったふりをする積もりかい」

狄希陳「顧繍とは何だい。一体どんなものなんだ。くわしく話してくれ。僕は筋道立てて考えるから。理由もなく怒っても、僕は何で怒っているのか分からないよ」

素姐はさらに怒り、罵りました。

「事情をよく知っているくせに、私に事情を話させるんだね。あの八両の銀子は誰にやったんだい。だれに頼んで買ってこさせたんだい。二揃いのうちどっちを選んだい。どこかに置いてあるにしても、母さんにやったのかい。それとも、あんたの婆さんにやったのかい。父方のおばさん、妹、姉、母方のおばさん、年長の女たちにあげたのかい。どこにあるのか言っておくれ。秦檜みたいな奴だね。私のものはなくてもいいというのかい。言わなければ、鉄の毛抜きであんたを抓ってやるよ。一日持ってこなければ、一日監禁してやるからね。あんたのおばさんもすぐには来れないから、だれも助けてはくれないよ」

狄希陳「どうか、僕を哀れと思われてください。はっきりとおっしゃって下されば、その通りに買ってさしあげましょう」

素姐「南京からもってきたもとの品物がほしいんだよ。ほかに買う必要はないよ」

そして、書房から持ってきた湖筆の中から、五本の太い管の物を選び、火箸を真っ赤に焼き、上下に穴を開け、縄を通して拶指[12]を作り、狄希陳の両手を締め上げ、自白をさせようとしましたので、狄希陳は大声で叫びました。素姐は、さらに界尺[13]で、拶子を両側から叩きはじめました。

狄希陳「買ってきたとも。ずっと同じ場所に置いてあるよ。釈放してくれ。自分でとってくるから」

素姐「私を騙しているんだろう。どこにあるかお言い。玉蘭にとりにいかせるから。あったら、あんたを釈放してやるよ。嘘をついたら、また拷問してやるからね」

 狄希陳はもともと顧繍などは買っていなかったのですから、話すことはできませんでした。かわいそうに、あらゆる拷問を受けても、自供をすることができず、晩には前の日と同じように監禁され、朝晩腰掛けに縛られました。これは匣床[14]の代わりでした。正月中旬で、まだ七九[15]の時期でしたので、寒いのはいうまでもありませんでした。前回は彼に死なない程度に食べるものを与えましたが、今回は食事すら出しませんでした。狄員外はあたふたと慌て、表でわめきましたが、彼女は聞こえないふりをしました。あばずれ女の部屋には、入っていくわけにもいきませんでした。調羮は彼女に屈服させられていましたので、彼女を見ただけで尻尾を巻いて逃げてしまいました。素姐はとても凶暴で、一日一回催促をし、完膚なきまでに叩きのめしました。狄員外は慌て、薛夫人に救援を頼みにいくしかありませんでした。薛夫人は、それを聞くとびっくりしましたが、まさかそんなことはあるまいと思い、自ら狄家に様子を見にきました。彼の部屋に入りますと、狄希陳は髪をぼさぼさ、顔を垢だらけにし、まるで死刑囚のようなありさまでした。薛夫人はそれを見るととてもかわいそうになり、急いで狄希陳を外に出しました。ところが、この監禁場所は、虎頭門[16]などはなかったものの、虎頭門よりもさらに厳重で、素姐の許しを得なければ、一歩も中に入ることはできませんでした。

 薛夫人が健康で、薛教授も生きていた頃は、素姐も少しはおとなしくしていました。しかし、今では、薛夫人は老いぼれて、話しをすることもできなくなり、薛教授も亡くなり、龍氏は薛教授がいなくなったので、娘にいい加減な教育をしましたので、素姐は翼の生えた虎のような有様になっていました。彼女は、薛夫人のとりなしなど聞こうとしないばかりか、薛夫人に食ってかかりました。

「よその家の夫婦のことに、姑が構う必要はありません。こんなにこの男をかばうのだったら、最初からこの男に嫁げばよかったのです」

薛夫人は怒って気を失い、腹を立てて家に帰り、薛如卞兄弟と龍氏の三人に、素姐の悪行を告げました。薛如卞と薛如兼は、ひたすらうなだれて返事をしませんでした。龍氏だけは大声で言いました。

「彼ら若夫婦の喧嘩に、構われるべきではないのです。十両ほどの銀子で衣裳を買ってきて、嫁に与えず、他の人に与えたのですから、嫁がぶつのは当然じゃありませんか」

薛夫人は、龍氏をじろりと見ましたが、相手にしようとはしませんでした。

 さて、薛如卞はうなだれて、彼の家の入り口をたえずいったりきたりし、心の中で何かを考えているかのようでした。実は、素姐は小さいときからハイタカが嫌いで、歩くときはいつも、頭の上にハイタカが飛んでいないのを見てから、歩くのでした。歩いているときに、急にハイタカが飛んでこようものなら、両目が急に痛み、体中が痺れ、数日間ひどい病気になるのでした。そこで、薛如卞は、ひそかにとても大きなハイタカを買い、狄家に持っていき、狄周の嫁に渡し、素姐と玉蘭が部屋にいないときに、ハイタカを彼女の部屋の中に放とうとしました。狄周の女房は、素姐を嫌っていましたので、ハイタカを隠しました。調羮にも話しをしましたが、彼女は薛如卞が何をする積もりなのかは分かりませんでした。

 暫くしますと、素姐は、落とし紙を持って便所についてくるよう玉蘭に命じました。狄周の女房は、急いでハイタカを服で隠し、素姐の家の入り口に行きますと、入り口は閉まっていました。狄周の女房は、部屋の入り口を少し推しあけ、服で隠していたハイタカを、隙間から部屋に入れ、入り口を元通り固く閉じました。まったくだれにも気付かれませんでした。まもなく、素姐は用足しから戻ってきました。小玉蘭が入り口を開けて中に入りますと、箕ほどの大きさのハイタカが部屋の中を飛び回っておりました。玉蘭は「ああっ」と叫びました。素姐も中に入りますと、ハイタカは素姐の顔にぶつかり、門から飛び出していきました。素姐はびっくりし、ばったりと地面に倒れ、魂は消し飛び、すっかり意識を失ってしまいました。

 玉蘭が叫びますと、狄周の女房と調羮は慌てて走ってきて、素姐が顔を青くして地面に倒れ、声も出せないのを見ますと、どうしたのかと尋ねました。

玉蘭「私が素姐さまと一緒に便所から戻りますと、ハイタカが部屋の中を飛び回っておりました。素姐さまはびっくりして叫ばれました。素姐さまが中に入ろうとなさいますと、ハイタカは素姐さまの顔を翼ではたき、飛び出していってしまいました」

狄周の女房「ハイタカは入り口が開いており、部屋には人がいないのをみて、中に入り、盗み食いしようとしたのだろう。何も怖いことはないのに、こんなに驚くなんて」

玉蘭「入り口は開いておらず、ぴったりと閉められておりました」

狄周の女房「おまえが戻ってきたときに、入り口はきちんとしまっていたのかい」

玉蘭「もちろん閉まっていましたとも」

狄周の女房と調羮「それはおかしい。小雀なら、窓の格子や敷居の下から、中に入ることができるだろうが、ハイタカは鵝鳥よりも大きいのに、一体どこから中に入ったのだろう。しかし、ただのハイタカを、どうして恐れるんだい」

玉蘭「素姐さまはハイタカをとても怖がり、見ただけで、目が数日痛み、体の具合が悪くなるのです」

騒いでいますと、素姐はようやく意識を取り戻しました。狄周の女房は、素姐を寝かせましたが、頭と目が痛み、体は麻痺していました。このような大騒ぎになっても、狄希陳は、寝床の脇の監禁場所に座ったまま、声もたてることができず、覗き込むこともできませんでした。

 翌日、素姐の病気はますます重くなりました。彼女は寝室の中から、普段から恐れていたハイタカが飛び出してきたので、とても恐ろしく思いました。狄家は人に命じて薛夫人を呼び、素姐の見舞いをさせることにしました。

薛夫人「あの娘は私に盾突いたのに、私に尋ねていけというのかい。あの娘が病気でも、私は二度とあの家にはいかないよ」

龍氏「奥さまがいかれないのなら、私が会いにいきましょう」

薛夫人「妾がいくのかい。馬鹿にされるのが怖くなければ、どうぞ行っておくれ。私はおまえには構わないよ」

「どうしてですか。正妻の頭に角があり、おなかの下に鱗があるわけでもありますまい。妾の例のところだって、正妻の例のところと同じですよ。口を開けば妾だの正妻だのとおっしゃって。私をいかせないのなら、仕方ありません。あの娘の兄弟を見舞いに行かせましょう」

人に命じて薛如卞三兄弟を来させ、彼らに素姐の様子を見に行くようにいいました。

薛如卞「賢い姉さんで、舅姑に愛され、夫に尊敬されていれば、私たち兄弟があそこへいっても、人々はみな喜び、私たちも光栄な思いをすることができます。しかし、姉さんは、今、夫を部屋に監禁し、舅に辛い思いをさせていますから、恥ずかしくて行くことはできません」

薛夫人「おまえたち若者は、厚い面の皮をしているくせに、何を恐れているんだい。あの子の様子を見においき」

 薛如卞が母親の命令に従い、素姐の部屋に行きますと、素姐は気息奄々として、病の床に就いていました。薛如卞は素姐に尋ねました。

「姉さんはどうして病気になられたのですか」

素姐はハイタカが部屋から飛び出してきて、翼で顔をはたいたことを話しました。薛如卞はとても不思議がり、

「どうしてそんな事があったのでしょう」

そして、深く溜め息をつき、涙を流し、彼女の心を動かしてやろうと考えました。彼は、計略を思い付き、父親のことを考え、心を悲しくさせました。素姐は尋ねました。

「ハイタカが部屋に飛び込んだことを聞いて、そんなに悲しそうにするとは、どういうことだい」

薛如卞「とくに訳はありません」

そう言いながら、目にはまだ涙を流していました。

素姐「何か事情があるに違いない。とにかく話しておくれ」

 薛如卞は喋ろうとしませんでしたが、薛素姐はしきりに促しました。

薛如卞「私は姉さんにお話しするに忍びません。しかし、古典には『ハイタカが部屋に入るのは、母親が家の外の幽霊をつれてきて、人の魂を奪おうとするもので、一か月足らずで死ぬ』とあります。私は悲しみに堪えられず、悲しんでいるのです」

素姐は恐ろしくなって言いました。

「助かる見込みはないのかい」

薛如卞「その書物には、たくさんのことが書かれていますが、張良娣[17]という、唐の粛宗の皇后だけは、ハイタカが宮殿に飛び込んできたときに、欽天監に吉凶を占わせたところ、欽天監は『これは先帝陛下と皇太后さまが、皇后様が陛下を虐待し、先祖に対して孝行をしていないため、鷹の神を連れてきて、皇后陛下の魂をとりにきたのです』という上奏をしました。張皇后はとても後悔し、以前の罪悪を反省し、宮中の仏閣の前の観音さまの足元で懺悔をし、二度と夫を虐待しようとはせず、一万巻の『薬師経』を唱えました。その晩、夫を虐待し、不孝な行いをした大罪は、絶対に許すことはできない、とりあえず後悔したことを考慮し、鷹の神を帰らせ、十年命を延ばし、その後で李顕忠[18]を遣わし、おまえを殺すことにする、という夢を見ました。この張皇后は、さらに十年生きましたが、それ以上は生きられませんでした」

素姐「おまえの義兄さんを、私はやや厳しくしつけたが、ひどいことはしていないよ。舅姑も、私は何回か罵ったことがあるが、手を下したことはない。姑が私を鞭でぶったときも、私はあの人を呪っただけで、仕返しをする勇気はなかった。私のような嫁はまだいい方だよ。悪いことをしているなどということはないよ」

薛如卞「神さまははっきり見ておられますが、私たちは自分でしていることに気が付かないのです。姉さん、早く懺悔し、悔い改めるべきです。私たち兄弟四人は、姉さんに何かあったら、辛くてたまりません」

素姐「舅は私を恐れているから、私はあの人と対等に渡り合えるよ。姑も死んでしまい、ますます楽になった。しかし、お前の義兄さんには、どういうわけか、腹が立つのだよ」

薛如卞はわざと言いました。

「義兄さんは人でなしです。構われてどうされます。ハイタカが寝室に飛び込むことについては、私とあの人は書房で本を読んだことがあります。あの人はとても縁起の悪いことであることを知っています。あの人が人間なら、すぐに祈祷をするべきです。それなのに、姉さんが病気でも、見舞いにこず、どうしてほかのところへ遊びにいったのでしょう。これでも人間でしょうか。姉さんはあんな人と争われたりすることはありません」

素姐「あいつはよそに遊びにいったりはしていないよ。私はあいつを監禁しているんだよ」

薛如卞「どのように監禁しているのですか。どこに監禁しているのですか」

素姐「私の寝床の下の帳の中に監禁しているんだよ」

薛如卞「でたらめをいって。私が見てみましょう」

帳を開けてみますと、狄希陳が髪をぼさぼさに、顔を垢だらけにして、まるで死刑囚のように、床に腰を掛けていました。

 薛如卞はそれを見ますと、言いました。

「ああ。義兄さんだ。どうされたのですか」

彼に出てくるように言いましたが、彼はどうしても動こうとせず、ひたすら素姐の方を指差しました。薛如卞は素姐に尋ねました。

「これはどういう事ですか」

素姐「これは私がこいつを監禁している牢だよ。まあいいだろう。神さまがあんたを守っているのだから、出ておいで」

狄希陳は、命令を受けますと、ようやく床の下から、カーテンを開けて出てきて、明るい所へ行きました。薛如卞は、それを見ますととても悲しくなりました。そして、狄希陳の両目が真っ赤になっているのを見ますと、尋ねました。

「目の病気ですか」

狄希陳は返事をすることができませんでした。

素姐「私が煙で燻したんだよ」

薛如卞は尋ねました。

「夜は出てきて眠られたのですか」

素姐「監獄の囚人が家にいって眠ったりするかい。私は毎晩この人を箱で寝かせていたんだよ」

薛如卞は尋ねました。

「箱はどちらにあるのですか」

素姐「この中庭の板の腰掛けに、この人を仰向けにし、後ろ手に縛り、さらに三本の縄できつく縛ったのだよ。この人は動くことができなかったよ」

薛如卞は尋ねました。

「どうやって食事をしたのですか」

素姐「毎日二碗のご飯を食べさせ、死なないようにさせていたのだよ」

薛如卞は尋ねました。

「どうやって用足しをしたのでしょうか」

素姐「壊れたお盆を渡し、小玉蘭に捧げ持たせていたのだよ」

薛如卞は尋ねました。

「何日監禁したのですか」

素姐「十数日になるだろう」

薛如卞はさらに尋ねました。

「狄おじさんはやってこられなかったのですか」

素姐「あの人は悲しむだけで、私のところにやってくる勇気はなかったよ」

 薛如卞は、狄希陳がこのような苦しみを受けていたことを知りますと、思わず本当に泣いて、

「姉さん、お怒りにならないでください。あなたがこのように凶暴なので、天地や鬼神が激怒され、鷹の神を遣わして、あなたを捕らえようとしたのです。絶対に懺悔をすることはできません。姉さんともまもなくお別れです。ああ悲しい」

素姐「おまえ。私とおまえは同じ親から生まれたのだから、どうか私を救っておくれ。私はこれから、舅を罵らず、二度と主人を虐待しないから、私のために懺悔しておくれ」

薛如卞「三官廟の陳道士を呼び、姉さんのために『薬師経』をよませ、何度も祈祷をし、狄希陳さんにも、姉さんのために許しを請うように頼みましょう」

素姐「三官廟の陳道士は男だから、私一人で懺悔をしにいくわけにはいかないよ。蓮華庵の白姑子を呼んでこよう。尼にお経を読んでもらえばいいだろう」

薛如卞「姉さん、他の人に頼んで、あの人に話しをさせましょう、私は白姑子と仲が良くありません。正月に、私があの人の庵にいきますと、あの人は私を外に追いだし、しこたま罵りましたから、今に至るまで、あの人とは、一言も話したことがありません」

素姐「行かないのかい。仕方ない。薛三省の女房に、あの人を呼びにいかせよう。家にいったらあの人をよんできておくれ」

小玉蘭に水を汲んでこさせ、狄希陳に顔を洗わせました。狄希陳は髪梳きをし、頭巾を被り、道袍をつけ、綺麗に装い、改めて薛如卞に揖をしました。

 素姐は、さらに、狄希陳がこっそり人を南京に遣わし、顧繍の衣装を買ってきたが、家に持ってこず、だれかに与えてしまったということを話しました。

「私はあのような綺麗な服を着ようとは思わないが、あいつが人でなしだから、しつけをしてやったんだよ。ところが、神さまは贔屓をされ、私が悪いとおっしゃった。十数両の銀子を使い、自分の嫁に着せず、妓女にやったりしたら、私のように怒りっぽくない他の人でも、やはり何回かぶっていただろうよ」

薛如卞は狄希陳を救うため、素姐に心にもない嘘の話しをしました。調羮と狄周の女房は、薛如卞がハイタカを中に入れさせたのには、実はこうした事情があったのだということを悟りました。そして、素姐が狄希陳を釈放し、尼を呼んできてお経をあげ、懺悔をするのを見ますと、狄員外に知らせました。狄員外は感謝感激し、料理人に、食器を用意し、薛如卞をひきとめ、酒とご飯でもてなすように命じ、素姐の寝床のところまで運びました。狄希陳は主席で陪席しました。

 狄希陳は、素姐が少し優しい態度を示しますと、安禄山が楊貴妃の宮殿で入浴をしたときのように光栄に思い、恨みごとを言わなかったばかりでなく、悲しげな様子もみせませんでした。これは前世の報いとして受けるべき災いなのでした。薛如卞は口では何も言いませんでしたが、心の中でこう思いました。

「男のくせに、ここまで意気地がないとは、まったく恥ずかしい、死んだ犬のように無気力な人だ。女房に苛められるのも尤もなことだ」

かえって狄希陳のことが心配になり、無理に酒とご飯を食べますと、素姐に別れを告げました。狄希陳は薛如卞を送り出し、薛如卞は狄員外に面会を請い、狄員外は薛如卞に何度も礼を言いました。狄希陳に会いますと、狄員外は新しく命を与えられたかのように喜びましたが、狄希陳はまったく意に介しませんでした。薛如卞はふたたび客間に行き、しばらく腰を掛け、茶を差し出しました。やがて、狄員外は別れを告げ、家に帰りました。果たして、薛三省の女房を呼んできて、素姐は蓮華庵にいき、白師傅を家に呼んできて、大事なことを彼と相談しようとしました。薛三省の女房は、すぐに蓮華庵に行きましたが、白姑子は家におらず、楊郷紳の家に法話をしにいってしまっていました。

 薛三省の女房は、家にきて報告をしました。素姐は白姑子がこないのを見ますと、腹を立て、薛三省の女房は役立たずだ、楊家にいって白姑子を呼ぶべきだといい、狄希陳に頼みにいくように命じました。

狄希陳「あの人は楊家の奥で法話をしているから、僕が中に入ることはできないよ。僕はあの人の家とあまり親しくないし、もう日も暮れるから、あの人が晩に庵に戻ってきたときに、一人であの人を呼びにいくことにするよ」

素姐は激怒し、ばっと起き上がり、狄希陳の首を掴みますと、床の下の監禁場所に押し込んで、罵りました。

「おまえのような能なしは必要ない。今まで通りそこに座って、私が腹を立てないようにしておくれ」

薛三省の女房「素姐さま。おやめください。尼を呼び、お経をあげさせようとしたのは、何のためだったのです。それなのに、そんなに腹を立てられるとは」

素姐はそれを聞きますと、怒りはだんだんと消え、狄希陳を監禁するのをやめました。日暮れ時が近付いておりましたので、薛三省の女房は、蓮華庵に白尼姑を呼びにいきました。来たか来なかったか、どのようにお経をあげ、どのように懺悔したか、素姐が改心したか否かは、すべて次回でお話しすると致しましょう。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]原文「軹里人」。軹は戦国時代魏の邑で、ここの出身者としては郭解が名高い。郭解は侠客で、人々に代わって仇討ちをしたことで有名。ここでは、郭解を、狄希陳に代わって素姐に仇討ちした薛如卞にたとえている。

[2]原文「水筆」。書画両用の筆。

[3]山東省済府泰安州の県名。

[4]擺はに同じ。図:周汛等著『中国歴代婦女妝飾』

[5]清朝、進士が庶常官での三年の学習の後、試験の結果によって、各部あるいは各州県の官吏を命じられること。

[6]食物を盛ったお盆を置く台。

[7]徽州に産する扇と思われる。明陸嘘雲『世事通考』に「徽扇」がみえる。

[8]蘇州産の壺と思われるが未詳。

[9]相思套とも。性的遊具の一つ。棘のような出っ張りがついていて、女性器を刺激する。『金瓶小札』「不僅為避毒之生、高棱肉刺、兼為媚内。一経御後、婦女莫不相思歓絶。故名」。

[10]角帽、触器とも。張形のこと。

[11] 『西遊記』の中で、孫悟空がこのような台詞を吐くのであろうが、具体的にどこにこの台詞が見られるかは未詳。

[12]拶子に同じ。指と指の間に挟んで締め付ける拷問器具。

[13]戒尺に同じ。懲罰用の物差し。

[14] [木匣]に同じ。鎖がついており、首、手足、胸、腹を鎖で固定する刑具。形は檻状で、針がついており、体を動かすと傷が付く仕組みになっている。呂坤『風憲約』獄政に、形状に関する詳しい記述がある。

[15]冬至から六三日目をいう。

[16]清代、役所の門前に懸けられた虎の頭の形をした木牌。ここでは、素姐の部屋が役所より厳重に守られていたことをいう。

[17]唐の粛宗の廃后。

[18]宋、青澗の人。金軍を破って河南を回復した。『宋史』巻三百六十七に伝がある。ここでは、唐代の話をしているのに、宋代の人がでてきて、話が嘘だということが露呈しているのに、素姐が気付いていないところが面白い。

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