第六十二回

狄希陳が嘘を言ってひどい目に遭うこと

張茂実が嘘を信じて女を殴ること

 

群れふざくるは悪しきこと

嘘偽りに殺意を抱く

でたらめを言ひ、勝たんとすれば

麗しき姿を損なふ夫、妻

話が耳に入りなばじつくり思ひを凝らすべし

幾たびも心を静め 理に従ひて考へよかし

心が焦れば粗忽となりて

大禍事(おおまがごと)を作り出し 後悔すともはや遅し  《定風波》

 この世の猛獣は、かれらを抑えるものがなければ、人間を追い詰め、世の中はとんでもない有様になってしまいます。虎や豹よりも凶悪な動物はいませんが、天は六駮[1]をうみました。六駁は大きくはなく、顔も凶悪ではありません。しかし、虎や豹は、尾を振り回して威張っていても、六駁の声を聞きますと、びっくりして地に伏し、頭を垂れ、目を閉じ、耳をぴったりとくっつけ、蹄をよせ、六駁に胸を割かれ、心臓、肝臓を取り出され、食べられてしまうのです。龍、蛇、蛟、大蛤は、ちょっと体を動かせば、数千百頃の陸地が、すぐに川や湖になってしまい、数千百万の人々を、魚や鼈の餌食にしてしまいます。しかし、彼らは一寸ほどの長さの百足を見ますと、ミミズが鶏の群れを見たときのような有様になってしまいます。象は山のように大きな凶悪な動物ですが、気に入らない人に出食わしますと、鼻をのばして巻き取り、上に投げ、肉味噌にしてしまいます。ところが、小さな鼠は、象をやっつけることができます。鼠は鼻の穴の中から脳の中に入り、象の脳髄をかじるのです。そこで、象は、地面に小さな穴があるときは、足で穴を踏み付け、少しも動こうとしません。蠍は最も毒の強いものですが、ヤモリが蠍の身の周りを歩きますと、隅っこにいき、すぐに引き下がり、瞬く間に乾いて、抜け殻になってしまいます。鉄のように堅い磁石も、米粒ほどの大きさの金剛鑽[2]によって、するすると穴を開けられてしまいます。世の中の、天地を恐れない男は、朝廷の法を頭の奥に忘れ、父母の恩を空の果てに忘れ、正しい議論を耳元の風のように考え、雷や鬼神を無用のものと思っていますが、愚かな女だけは、彼らを押さえつけ、服従させ、迎合させ、あらゆる事に従わせることができます。幾つかの証拠を指摘しようとしても、遺漏が多く、多くを話し尽くすことはできませんが、とりあえず一二のお話しをすることに致しましょう。

 漢の高祖は皇帝さま、英雄豪傑で、芒碭山中では、『白帝子』さえも胴切りにしました[3]。しかし、女房の呂雉[4]は、強い神通力を持っておりました。彼女の手の中にあっては、漢の高祖は、まるで如来の掌の中の斉天大聖[5]のようで、とんぼ返りをすることもできませんでした。このような皇帝は、掃いて捨てるほどおり、漢の高祖一人にとどまりません。

 わが王朝の戚太師[6]は、南方の倭寇や北方の敵を、その姿を見せるだけで恐れさせ、彼らが数千数万で辺境に侵入しても、戚太師の大砲の音を聞き、遠くで戚太師の旗印が風にはためいているのを見ますと、こそこそと逃げ、遠くへ逃げてしまうのでした。彼こそは、人を殺しても瞬きもしない悪人でした。それなのに、どうして言うことが平凡で、風采の揚がらない奥方さまを見ただけで肝を潰してしまったのでしょうか。このような大将軍も、戚太師一人にとどまりません。

 高穀[7]という若者が省城へ試験を受けにいき、ある村を通り掛かりました。時間はすでに遅かったため、宿屋を探そうとしましたが、どこにも見当たりませんでした。村中の男女があたふたとしておりましたので、理由を尋ねますと、彼らはいいました。

「この村に烏大王[8]廟があります。烏大王廟はとても霊験あらたかで、毎年今月の今日になりますと、村中の人に美しい顔をした娘を一人選び、とても綺麗に装わせ、笙、簫、花嫁轎、赤い絹物とともに、廟に送り、烏大王の妻とするのです。今は、烏大王の結婚の吉日で、村中の人は、男も女も、みんな廟にいってお供えをしますから、お客さまをお泊めする時間がないのです」

若さまはそれを聞きますと、言いました。

「私が廟にいってみてみましょう」

荷物を担ぎ、廟に入りますと、廟には明りが皓々と点り、酒宴が張られ、十六七歳の美人が、待機していました。ほぼ一更になり、烏大王がやってくる時間が近付きますと、人々はだんだんと身を隠しました。高相公は一人で回廊に入って眠り、烏大王とやらがくるのを見ることにしました。

 間もなく、太鼓が三鼓を知らせますと、さらさらと鳴る風の音が、遠くから近くへ、廟に近づいてきました。前にはたくさんの儀仗隊がおり、たくさんの松明や提灯もありました。後ろには烏大王がいました。彼は八人がきの轎に腰掛け、赤い袍と玉の帯を着け、金の頭巾を頂いており、中門から中に入りますと、大声でいいました。

「どうして廟の中で生きた人間の気配がするのだ。きっと密偵が潜んでいるのだろう。よく点検してくれ」

すると、一匹の魔物が、回廊に入り込んできました。そして、すぐに外に引っ込むと、報告しました。

「若者が中におります」

烏大王は相手にせず、お堂にいきました。高相公もお堂に入り、言いました。

「私は貧乏書生で、受験のため省城に赴く途中、ここを通り掛かりました。大王様が今晩結婚されることを知り、賓相の務めを果たし、結婚式を行おうと思いました」

烏大王は喜び、

「文人ならば、儀式を行ってもらうことにしよう」

高相公は、合巹、牽紅、撒帳の儀式を、雅やかに執り行いました。

 儀式が終わりますと、烏大王と新しい夫人は、順番に腰を掛け、高相公に隅に座って杯を捧げもつように命じました。ほろ酔い加減になりますと、高相公は言いました。

「私は鹿の干し肉を持ってきました。酒のつまみにすることができます。大王様に差し上げようと思います」

烏大王は、喜んで承知しました。高相公は、廊下から鹿の干し肉を取り出し、匕首を持ちますと、酒席でてきぱきと、鹿の干し肉を切り、烏大王と一緒に切りながら食べました。高相公はしばらく注意し、じっと見ていましたが、烏大王が干し肉を手にとったとき、匕首を烏大王の手目掛けて思いきり刺しました。匕首はちょうど右手に当たりました。烏大王は、わあと一声叫ぶと、一陣の突風とともに、どこかへ行ってしまいました。

 高相公は、烏大王と妖怪たちの姿がまったく見えなくなったのを見ますと、明りをかきたて、残った酒や料理を暖め、むしゃむしゃと食べながら、例の女の来歴を尋ねました。彼女は自分は隣の村の農民だ、一つには彼女が烏大王の夫人になる番がまわってきたから、二つには継母が人々の六十両の結納金を得るため、彼女を売ろうとしたから、このような目に遭ったのだと言い、

「今回、お若い方に命を救っていただきました。本当に新しく命を与えられたようなもので、感謝にたえません」

 高相公は、五更が終わる頃まで酒を飲みました。すると、村中の男女が、香、蝋燭、紙馬を捧げもちながら、烏大王の新婚を祝いにきました。お堂に入りますと、烏大王などはおらず、烏大王の夫人が上座に、高相公が脇に座っていました。新婦の父母親戚たちも、烏大王の行方を尋ねました。新婦はくわしく夜のことを人々に告げました。人々は恨み言をいいました。

「烏大王は、私たちの村の福の神で、わが村の風雨の順調、国家と人民の安泰を守っていたのに、どうして私たちの神さまを殺されたのですか」

新婦の父母も恨み言をいいました。

「娘はすでに烏大王に嫁いだのですから、烏大王は私たちの婿だというのに、どうして殺してしまったのですか。それに、六十両の結納品は、すでに大半を使ってしまいましたから、弁償のしようがありません」

 人々は高相公を殴ろうとしました。高相公はいいました。

「愚かな人たちだ。私はあなた方とは話しはしない。あなたがたは私をぶちにきたが、考えてもみるがいい。あの烏大王を、あなた方は虎のように恐れ、一年に一人、自分たちの娘を送っていた。私は、その烏大王さえも殺し、彼が娘を連れていくことすらできないようにしたのだから、あなたがたなど怖くはない。さっさと矛を収め、私を怒らせないでください。この血の跡をつけて烏大王を探し、あいつが死んでいるかどうか確かめましょう。死んでいればよし、死んでいなければ、いっそのことあいつを始末してやりましょう」

中に物の分かった老人が幾人かおり、こういいました。

「烏大王が我々の幾つかの村から、毎年順番に女を一人要求して、十数年になります。まともな神ではなく、きっと妖怪でしょう。しかし、私たちは彼らをどうすることもできず、彼に我慢するしかありませんでした。今回、この方に害を除いていただいたのに、あなたがたは感謝しようとせず、無礼なことをするとは、どういうことですか。それに、この血の跡を見ると、重傷を負ったようです。すぐに武器を持ち、この若い方にしたがい、血の跡をつければ、彼のいる場所に辿り着くことができるでしょう」

 新婦の父親は、郎徳新、母親は暴氏といい、どちらもこう言いました。

「烏大王を探されるのなら、娘と一緒にいってください。烏大王がまだ生きていたら、娘を彼に送ることにしましょう。六十両の結納金に関しては、何もおっしゃらないでください。烏大王が死んでいれば、私は他の男に娘を嫁がせます。結納品を貰ったら、多かろうと少なかろうと、あなた方が持っていくに任せましょう。どうかお金を弁償しろなどとおっしゃらないでください」

老人たちは、任通、曽学礼、倪于仕といいましたが、みんな新婦の両親のことをよくないと言い、こういいました。

「六十両の銀子を手に入れ、娘を売るとは、人でなしめ。娘が烏大王に連れ去られなかったのだから、大喜びするべきなのに、一生懸命娘を妖怪のもとに送り込もうとするとはな。おまえは郎徳新などではなく、まさに『狼的心』だ[9]。この婆さんはとてもおかしな奴だ。人の世の母親は、必ず娘を可愛がるものなのに、この婆さんは冷酷で、娘を売ることをひたすら夫に唆した。一体どういう考えなのだろう」

新婦の郎氏は泣きながら、人々にむかっていいました。

「この人が私の実の母親であれば、あなた方がこの人に六百両、六千両をあげても、私を妖怪に売ろうとはしなかったでしょう。しかし、この人は私の継母で、私を殺し、嫁入り道具を省きたくてたまらなかったのです。この人が私を妖怪に売ることを勧めないはずがありません」

人々「そうだったのか。『継母がいれば継父がいる』とはまさにこのことだ」

任通らがいいました。

「おまえの娘はお前たちについていく必要はない。六十両の銀子は好きなように使うがよい。この娘は、我々の手で、安住できるようにしてやろう。とにかくおまえたちとは縁を絶たせるから、これ以上よけいなことに関わってはいけないぞ。今は大事な仕事が先だ。大王を探しにいってから、またよく考えることにしよう」

 千数人を下らない人々が、長い槍や鞘のない刀、ぼろぼろの弓矢、短い棍棒に長い鎌、両刃の斧を持ちました。高相公は荷物を預け、手にあいくちを持ちました。二十数里を歩き、山に辿り着きますと、深い洞窟の中に、とても大きな雄豚が眠っていました。豚はぐうぐうと鼾をかいていましたが、人々が追い掛けてきたのを見ますと、力を振り絞って飛び出してきました。しかし、重傷を負っていたので、力が足りず、人々に刺されたり、切られたりして、あっという間に地面に倒れてしまいました。人々が洞窟に入って探しますと、人骨が山のようになり、髑髏が積み重なっていました。毎年さらっていった夫人たちの姿は見えませんでした。赤い袍は紅草(イヌタデ)で作った蓑、金の頭巾は黄色の葉で作ったクマザサの帽子、白玉帯は白草(ヤマカガミ)で作った荒縄でした。

 人々は火を放ち、妖怪の洞窟を燃やし、死んだ烏大王を、八人で村に担いでいき、担ぎ棒で計ってみますと、優に三百六十斤ありました。皮を剥ぎ、肉をくたくたに煮、金を集め、たくさんの酒を買い、饅頭を作り、高相公を首座に据えました。倪于志がまず口を開きました。

「郎徳新が銀子をうけとりましたから、この娘は郎という名字ではなく、猪という名字になっていました[10]。しかし、高さんが豚から奪い返したのですから、この娘は猪ではなく、高という名字になりました。我々みんなが媒酌人になり、高さんの妾にしてはどうでしょう」

人々はいいました。

「とてもいいことだ」

郎氏はすぐに平伏して拝礼を行い、いいました。

「若さまに引き取っていただければ、感謝は尽きません」

高相公「私はとても貧しく、妻がいませんのに、どうして妾をとる話しをされるのですか。私はたまたま人を救っただけですから、気にされることはありません」

人々は何度も勧めました、娘はどうしても家に帰ろうとしませんでしたが、高相公は彼女を連れていくわけにはいきませんでした。そこで、倪于志の家にやもめの母親がおりましたので、郎氏を倪于志の家に預けました。高相公は試験に合格して戻りますと、郎氏を連れ帰り、夫婦になりました。

 ところが、郎氏は、烏大王に会ったときは、驚いて肝を潰していたくせに、高相公を見ますと、小鬼をおさえつける閻魔のようになりました。高相公はといえば、烏大王にあったときは、一刀の下に彼を刺し殺したのに、烏大王に押さえ付けられていた人の前では、全身をぶるぶる震わせ、びっくりして小便が出ず、酢が出る有様になってしまいました。後に銑鉄を食らうような陳循閣老[11]に会って、夫人を教育してもらわなければ、高相公の血脈は絶えるところだったでしょう。恐妻家の若者は、すべてこのような有様で、高相公一人がこうであるというわけではありません。貴い人から卑しい人、年をとった人から若い人まで、世の中の盗賊や流れ者たちは、女房にだけは屈服させられてしまうものなのです。

 さて、狄希陳は、狡猾かつ強情、頑固かつ軽薄な性格でした。女房という金箍を嵌められていなければ、孫行者以上に悪さをしていたでしょう。少しも時間をあたえず、彼を抑えつけたとしても、彼は何とか時間を探し、楽しみを求め、人をなぶり、よからぬ気持ちを抱き、あらゆる悪さをしていたでしょう。若い学生だった頃、彼は先生に悪戯をし、便所に転げ落としていました。この昔からの性格は、変えるわけにはいきませんでした。年をとってきますと、計略を設けて先生を騙し、何でもするようになりました。秀才になりますと、学官とともに五里鋪[12]に出て宗師を迎えることになりました。大きな寺で待機しているとき、彼は教官の馬をこっそりと高い鐘楼の上にひいていきました。宗師が近付きますと、教官は馬に乗って迎えようと思い、馬を探しましたが、見付かりませんでした。門斗[13]が鐘楼の上まで探しに行きますと、馬はちょうどそこに立っていました。ところが、馬が楼に上がるのは簡単なのですが、楼から降りるのは難しいものです。大変な手間を掛け、たくさんの人を雇い、馬の足を縛り、担ぎ下ろしました。馬は縛られて四つ脚が麻痺し、すぐには動くことができず、宗師がすぐ近くにきていましたが、教官は数里の道を歩かなければなりませんでした。馬を引いていった人は見付からず、狄希陳の仕業であることは知れませんでした。

 ある日、学校にいきますと、一人の男が籠いっぱいの鶏卵を持っているのに出食わしました。狄希陳は彼を呼び止め、値段を交渉しましたが、卵を置く場所がありませんでした。彼は卵売りに、二本の手で輪を作り、上馬石に置くように言い、鶏卵を籠の中から一つ一つ男が手で作った輪の中に入れ、こう言いました。

「ここで少し待っていてください。中に行って卵を入れる籠を持ってきます。それから金を持ってきてあなたに払いましょう」

彼は東の学校の入り口から中に入り、西側の櫺星門から出、家に帰りました。卵売りはしゃがんだまま、座ることも、立つことも、手を動かすこともできませんでした。子供達は我先に卵を奪っては、飛ぶように逃げていきました。乞食まで奪いにきましたが、善人がきたおかげで、初めて籠に入れてもらうことができました。

 城内にとても大きな橋がありました。そこへ、初老の男が、黄色く臭い糞を担いで、通り掛かりました。彼は進み出て、片手で糞担ぎの男をひっ掴まえ、糞桶を置かせますと、いいました。

「あんたも年だから、重い荷物を担いで、きつい橋を渡ることはできまい。天秤棒をはずせば、僕が荷物を片方ずつ担いであげよう」

男はいいました。

「若さまは本当に良い心を持ったお方です。私はとても辛いのですが。この橋は普段から歩いておりますので、ご心配頂く必要はございません」

狄希陳「会わなければそれまでだが、会った以上は、かわいそうでたまらないのだ。思いを遂げることができなければ、眠ることができないよ。『老人をいたわれ』[14]というから、担いであげよう。何も差し障りはないよ」

男がいいといっているのに、天秤棒を引っぱり出して、籠に置きました。男は仕方なく彼とともに籠を担ぎ、橋を渡りました。ところが、彼は

「ここで少し待っていてください。ちょっと用事をしてからすぐにきます」

といいますと、そのままいってしまいました。男はしばらく待ちましたが、狄希陳がやってきませんでした。二つの大きな糞籠は、一つは橋の南に、もう一つは橋の北にあるというありさまになりました、このような臭い品物を担ごうとするものはだれもおりませんでしたので、仕方なく七八里の道を戻り、女房に片方の籠を担がせて、家に戻りました。

 夏、歩き疲れた男が、門口の木の下で眠っていました。狄希陳は、その男がぐっすり眠っているのを見ますと、小さな棒にべっとりと人糞を塗り、鼻に突っ込みました。男は糞の匂いで夢から覚め、辺りを見回し、あちこちの匂いを嗅ぎました。嗅げば嗅ぐほど臭くなりましたが、人糞が鼻の中に入っているとは知りませんでした。

 学校の先生は鼻の先におできができ、腫れて痛くてたまりませんでした。彼はそれを見ると言いました。

「鼻のおできには、ある薬草を搗き砕いて塗れば、すぐに効果が現れますが、どうして治療をされないのですか」

先生「何という薬だ。人に探させよう」

彼はいいました。

「私の家にたくさんありますので、私がすぐに調合してお送りしましょう」

家に帰りますと、鳳仙花を−赤いものは疑われる恐れがあるので、わざと白いものをさがし、明礬を中に入れ−つき砕いて鼻に塗らせました。むかし程楽宇に悪戯をしたときのように、先生の鼻は紫色に腫れ、鼻ではなく、下半身についている一物のようになりました。先生は、鳳仙花で騙されたことに気付き、小遣いを遣わして彼にいいました。

「狄さんがくださった塗り薬をつけたら、とてもすっとしました。腫れも十分の七ひき、痛みも止まりました。もう少し頂いて、きれいさっぱり出来物を治し、酒席を設け、若さまにお礼をすることに致しましょう」

狄希陳は返事をし、手で鳳仙花を搗きながら、心の中で考えました。

「人々は、鳳仙花は、赤いものでも白いものでも、赤く染めることができるといっているが、でたらめだったのか」

搗きおわりますと、小遣いに渡しました。翌日、先生は小遣いを遣わしていいました。

「二回薬を塗ったところ、全治しました。先生は感謝し、ささやかな酒席を準備し、若さまを呼んでおります」

狄希陳は心の中でこう思いました。

「あの人に悪戯することはできなかったが、酒席に招かれたし、このような薬効を知ることができたのだから、苦労も無駄ではなかったというものだ」

小遣いが「来てください」と言いますと、狄希陳はすぐに「いきましょう」という返事をしました。新しい服に着替え、小遣いに従って進みました。明倫堂に着くと、小遣いがいいました。

「若さまはここで少しお待ちになってください。幕僚を呼んできますから」

 小遣いが出ていきますと、二三人の小遣いが入ってきて、儀門の二つの角門を固く閉じました。狄希陳も少し訝しく思って、尋ねました。

「真っ昼間に門を閉めてどうするんだ」

門番「先生の酒席をほかの人が見、客がきますと、『和尚が多ければ粥は薄くなる』ということになり、若さまは十分に食べることができなくなってしまうからです」

話をしていますと、先生が奥から出てきました。狄希陳は先生の顔の鼻が真っ赤になっているのを見ますと、今回は先生を騙すことができず、まずいことになったのだということに気が付きました。

先生「この畜生めが。先生に悪戯をしていいと思っているのか。おまえが鳳仙花でわしの鼻を染めたせいで、わしは外に出て人に会うことができなくなってしまったぞ。わしの出世を台無しにしおって。おまえを殺してやる」

小遣いに腰掛けを運んでこさせ、腰掛けの上に押さえ付けました。その頃は初秋でしたので、狄希陳はまだ夏用のズボンを穿いていました。二十五回孟宗竹の大板でぶちましたが、裸の尻をぶっているも同じことでした。打ち終わりますと、書吏に、文書を作って学道に報告をするように言いつけました。狄希陳は怖くなり、しきりに許しを請いましたが、先生はどうしても承知しませんでした。狄員外がとても手厚い礼物をととのえ、跪いて頼みますと、ようやく咎めるのをやめました。先生は鼻を石鹸で洗いましたが、石鹸が磨り減るだけでした。そこで、さらに二か月以上の休暇をとり、外に出ようとはしませんでした。狄希陳は、このようなひどい目にあったのですから、人に悪戯をする性格を改めればよかったのですが、性格をかえるのは難しいことでした。「外甥が明かりを灯す−おじさんが照らされる」[15]とはまさにこのことでした。

 さて、狄希陳の一人の同窓生に、張茂実というものがおり、普段から狄希陳と冗談を言いあっていました。張茂実の妻と狄希陳には、舅がおらず、姑がいるだけでした。張茂実の女房は智姐といい、狄希陳は小さいときから顔を合わせていました。張茂実が智姐を娶る前、狄希陳はいつも張茂実と冗談を言い合い、智姐といかがわしいことをしているといいました。これはおふざけでしたが、張茂実は半分は本気にしていました。しかし、智姐がやってきますと、結婚式の夜に、処女であることが分かりましたので、張茂実は疑いを解きました。

 ある日、晩に大雨が降り、朝に門を開けますと、智姐の母親が表門で、人々が溝さらいをしているのを見ていました。狄希陳も自分の家の入り口に立ち、智姐の母親に向かって話しをし、晩の大雨のことを話しあいました。智姐の母親はいいました。

「午後は晴れていたのに、真夜中、大雨が急に降ってきました。家中で雨漏りがし、床には水が入り込んできました。娘を家に迎えても、雨漏りで眠る場所もなかったので、テーブルの上で眠るしかありませんでした。彼女の上には傘をさし、真夜中過ぎに、送り返しました」

狄希陳はそれを聞きました。「波風が起こるときは、きっかけがある」ものです。空が晴れると、狄希陳は中庭にいき、ばったりと張茂実に出くわし、声を掛け合い、こんなにわか雨になってしまって、と言いました。狄希陳はすぐに返事をしました。

「本当にね。俺は君の奥さんと寝たが、例の事をし終えないうちに、天井から雨が漏りはじめ、床の水が寝床の下まで流れてきた。君のお姑さんは僕たちのためにテーブルを置き、傘をさしてくれたので、とりあえず真夜中まで眠り、奥さんを送り出したんだ」

張茂実は、

「女房は昨日実家から迎えがきて、今朝送り返されてきた。狄希陳はそれを見て、わざと冗談を言っているのだろう」

と考え、心にもとめませんでした。家に戻りますと、智姐は口を開けてあくびをしていました、

張茂実「晩に寝なかったんじゃないだろうな。そんなにうとうと眠そうにしているなんて」

智姐「眠っていませんよ。上は雨漏り、下は床いっぱいに水がきたので、母はテーブルを置きました。雨傘をさし、真夜中まで蹲踞したまま、眠ることができなかったのですよ」

 張茂実は間抜けな男でした。彼は女房がこのような人間であるかどうかを少し考え、詳細を尋ねてから、暴力を振るえばよかったのです。しかし、愚かな彼は、事情が分からず、上は雨漏り、下は水、テーブルに傘という言葉が、狄希陳のでたらめと合っていたので、有無をいわさず、引き倒し、殴ったり蹴ったりし、何度も白状しろと言いました。

 智姐は小さいときから甘やかされており、張茂実に嫁ぎ、劉瑾の帽子飾り[16]のような待遇を受けていたのに、急に、このようなにひどい目に遭ってしまいました、張茂実は本当に女房を寝取られたと思い、人命事件を起こさんばかりでした。張茂実の母親は言いました。

「『泥棒を捕まえるときは盗品も押さえろ。姦通は両方を捕らえろ』というよ。間男を掴まえていないのに、嫁を殺したら、命の償いをしなければならないよ」

張茂実は狄希陳と智姐のことを告げ、智姐は初めて殴られたわけがわかりました。張茂実の母親はいいました。

「しっかりした証拠があるのだったら、なおさらぶってはいけないよ。おまえの姑を呼んできて、慎重に尋ねれば、この人は何も言うことができないだろうよ」

 張茂実はようやく手を振るうのをやめ、智姐の母親を呼んできました。門に入ると、智姐は三分は人、七分は幽霊のような姿で、天よ神よと叫びだしました。張茂実は罵りました。

「老いぼれの恥知らずめ。老いぼれのすべため。娘に間男をさせ、金を稼がせるとはな。家を建て、寝床をしつらえ、傘をさしかけ、テーブルを置いてまでして、客をとろうとするとはどういうことだ。男はたくさんいるのに、どうしてよりによって俺の同窓生を客にとったんだ」

姑は張茂実の顔目掛けてぺっと唾を吐き掛けますと

「これは狄家の希陳のでたらめに違いないよ。私は、今朝、みんなが溝をさらっているのを見ていた。あいつは自分の家の入り口に立っていたので、私はあいつに話をしたんだ。あいつは私が話したことをもとに、このような事件を起こしたんだよ。ちょっと待っていておくれ。私はあのくたばりぞこないと決着をつけてから、あんたと話しをすることにしよう。あんたみたいなろくでなしの命など、私の娘の命ほどの値打ちもないからね」

彼女は急いで家に戻り、大きくも小さくもない、堅くて丈夫な楡の棍棒を手にとりますと、人のために土地の売買をしたいから、狄希陳に文書を見にきてもらいたいと頼みました。狄希陳は普段から通い慣れていましたので、まったく怪しいとは思いませんでした。

 智姐の母親は、狄希陳を中に招き入れますと、中門に鍵を掛け、女を潜ませました。棒の音が響きますと、隠れていた女たちは、一斉に出てきて、尋問をしながら、ぶちました。狄希陳は自分が悪いことを知っていましたから、すぐに許しを請い、こてんぱんに殴られた挙げ句、釈放されて家に帰りました。狄員外が事情を尋ねますと、彼は答えました。

「同窓の張茂実にちょっと冗談をいったら、あの人は自分の婿をかばったのです。僕は騙されて家に連れていかれ、大勢の女たちに、こてんぱんにぶたれてしまったのです」

狄員外は息子を溺愛していましたが、こう思いました。

「きっと事情があるに違いない。わしみずから家にいって事情を尋ねてみよう」

入り口に着きますと、張茂実の姑が怒り狂いながら出てきて、婿の家にいって殴りあいをするといいました。彼女は狄員外を見ると立ち止まり、くわしく事情を告げました。狄員外はひたすら許しを請い、悪者をかばおうとはしませんでした。

 さて、智姐の母親は、身を翻して張家に走っていきますと、頭を殴り、顔を引っ掻き、張茂実を狄家に連れていき、闘おうとしました。張茂実の母親は物分かりがよかったので、息子が悪いといい、嫁の母親に何度も詫びを言いました。智姐の母親も怒りをおさめ、張茂実とともに狄家にやってきました。狄員外は張茂実が殴りにくるのを恐れ、狄希陳を隠して外に出さず、ひたすら自らの非を認めました。

張茂実「私は狄さんと仲の良い同窓で、よく冗談をいっていましたが、あの人はいかにも尤もらしくした話しと、女房が何気なくした話は、まったく同じものでした。狄希陳さんを呼んできてください。私の姑の立ち会いで、あの人に何かはなしをさせてみることにしましょう」

 狄員外は狄希陳を呼びだしました。狄希陳は、智姐の母親にぶたれ、鼻は青くなり、目は腫れ、手は折れ、足はびっこになり、奥からよろよろと歩いてきました。そして、張茂実を見ると、罵りました。

「僕に償いをしてくれ。君が歯をむきだしにしてさんざん冗談をいっていたから、僕も君に冗談を言ったんだ。僕を騙して殴られるような目に遭わせやがって。君は人でなしだ」

張茂実「僕が君をだましただって。君は僕をだまして女房をぶち殺させようとしただろう。女房は死んでいたかも知れないんだぞ」

狄員外「この畜生め。冗談をいうときは、程々にすればいいのだ。こんなことをしていいはずがないぞ。おまえが尤もらしい話をし、張大嫂が何気なく喋った言葉がおまえの話とぴったりだったのだから、張さんが疑いを抱かれたのも尤もというものだ。しかし、張さんもくわしく調べられるべきで、軽率に乱暴をするべきではありませんでした。とにかく、林嫂子には何度もお詫びします。どうか娘さんを宥め、怒らないようにさせてください。希陳もこんなにぶたれたのですから、娘さんの恨みも報われたでしょう。私がここにいる間に、張さん、こちらにきて、お姑さんに詫びを入れてください。みんなが元通り仲直りし、しこりが残らないようにしましょう」

 張茂実は彼の姑に叩頭をしました。ところが、姑はまあよかったのですが、智姐は大声で泣きわめき、首を吊るだの首を切るだのといい、ご飯も食べませんでした。彼女は、自分の母親や姑に何度も宥められ、張茂実たち三人に昼夜番をさせ、彼らを二十日以上も困らせましたが、だんだんと態度を改めました。張茂実は宴席を設け、彼の姑と嫁に酒をつぎ、詫びを言いました。さいわい、智姐がぶたれた日に、張茂実の母親はひたすら息子が軽率でだったと言い、事を荒立てるようなことはしていなかったため、智姐も我慢することができました。しかし、彼女をひどい目に遭わせた狄希陳には、その後報復したのでしょうか。とりあえず次回の結果を御覧ください。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]猛獣を食うとされる動物。『北斉書』循吏伝、張華原「先是州境数有猛獣為暴、自華原臨州、忽有六駮食之、咸以化感所致」。馬に似ているという。『爾雅、釈畜』「駮、如馬、倨牙、食虎豹」。(図:『三才図会』)

[2] ダイヤモンドの粉末。

[3]高祖が白帝の子である大蛇を斬った話は『史記』高祖本紀に見えるが、斬った場所は芒碭山ではなく、豊西沢である。「到豊西沢中止飲。夜乃解縦所送徒曰、公等皆去。吾亦従此逝矣。徒中壮士願従者十四人。高祖被酒、夜徑沢中、令一人行前。行前者還報曰、前有大蛇当徑。願還。高祖酔曰、壮士行、何畏。乃前抜剣撃斬蛇。蛇遂分為両。徑開。行数里酔、因臥。後人来至蛇所有。一老嫗夜哭。人問何哭。嫗曰、人殺吾子。故哭之。人曰、嫗子何為見殺。嫗曰、吾子白帝子也。化為蛇当道、今為赤帝子斬之」。

[4]漢の高祖の妻呂后のこと。

[5]孫悟空のこと。

[6]戚継光。(?〜一五八七)明代の武将。張居正のもとで、倭寇の侵入を防いだ。

[7]字は世用、揚州興化の人。永楽十三年の進士。謹身殿大学士となる。

[8]未詳。烏は黒の意。

[9] 「郎徳新」láng dé xīn「狼的心」láng de xīnは中国語では同音。

[10]「猪」は中国語で豚の意。

[11] (一三八五〜一四六二)。泰和の人。永楽十三年の進士。華蓋殿大学士となる。閣老は大学士の意。

[12]山東省兗州府北西部、寿張県と陽谷県の間にある運河沿いの地名と思われる。四庫全書『山東通志』巻十九、浅舗、寿東汛「兼管東阿県河道。南自沙湾舗、寿張県界起、北至五里舗陽谷県界止。計長一十五里」。

[13]儒学校の雑役夫。

[14]原文「老者安之」。『論語』公冶長。

[15]原文「外甥点灯−還是照舅」。「照舅」は「照旧(相変わらずである)」と同音。それと引っかけた洒落。

[16]原文「帽頂」。帽子のてっぺんにつける宝石の飾り。図:上海市戯曲学校中国服装史研究組編著『中国歴代服飾』

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