第五十七回

孤児が死にそうになったときに恩人に会うこと

悪い老人が神に祈って悪い報いに遭うこと

 

昔より善と悪には報いあり

影の身体(からだ)に沿ふがごと

鬼卒は情け容赦なし

いつの世もぐづぐづとすることはなし

言葉巧みに顔繕へば愚人は機嫌を良くすれど

天は何でもお見通し

ひそかに腹を立てたまふ

人々の悪しき所行を天が知りなば

災が訪れん

神あれば

一族が他の一族をひどき目に遭はせることは許されず

身は滅び、金も消え

女房だけが残されて

妾は逃げてしまふだけ

 さて、晁思才は、晁家で一番の悪人でした。最も憎むべきは、一族の中で死ぬ者がいると、自分の近い親戚か遠い親戚か、その人に子がいるか否かに関わりなく、自分の凶暴さにまかせて、他人の財産を無理に分けようとすることでした。その人がおとなしく彼に分け与えればいいのですが、少しでも抵抗すれば、彼は刀を手にとり、切り殺して一緒に死のうとしました。命を投げだすことを恐れない人に出食わした場合は、さらに妙案がありました。彼は、自分の女房の顔中に、べっとりと蚌粉を塗り、墨で濃い眉毛を描き、赤い土をたっぷりと二つの唇に塗り、身には不釣合な上着、スカートを着けさせ、ぼろぼろの琵琶を背負わせ、自分も妓夫の装いをし、女房を連れて盛り場にいったり来たりし、下手な歌を歌って金を貰いました。そして、自分は晁某の叔父だといったり、祖父だが、生活が苦しいので、女房に頼ってこの仕事をするしかないのだと言いました。一族の人々は、自分たちの面子が潰れることを恐れ、数畝の土地か二間の棟を彼に分け与えるしかありませんでした。後に、晁無晏という悪人も仲間に加わり、それぞれに手下ができました。そして、一族で息子がいない人がいますと、彼が財産分けのことは少しも話していないのに、財産をおさえ、跡取りの話をすることを許さず、二人ですべての財産を手に入れるのでした。ですから、晁思才と晁無晏は、どちらもたくさんの財産を持っていました。彼らは、晁近仁に息子がないが、跡を継ぐべき父の兄弟の孫がいることは分かっていました。晁思才は晁近仁の財産を目当てにし、彼が養子をとるのを許しませんでした。そして、彼の荘園、家屋を晁無晏にすっかりおさえさせ、古女房を強迫して他の人に嫁がせました。晁無晏は晁近仁の家財を手に入れ、有頂天になっているとき、奚篤の女房の郭氏に、財産をすっかり盗まれたばかりか、生命すら奪われてしまいましたが、これぞまさに「カマキリがセミを捕らえようとしているときに、後ろから雀にやられる」というものでした。

 晁思才が少し物の分かった人であれば、このような報いを見て、ろくでもない心をすぐに改め、利益を貪る計画を中止するはずでした。ところが、愚かな彼は、強盗や馬賊のように、『首を切るなら切れ、俺は飽くまで泥棒をする』という有様で、少しも悔い改めることがありませんでした。彼は郭氏を連れ帰ることができず、南方人にぶたれて帰ってきますと、家に行き、晁夫人から送られた大瓶の酒を飲み、炕を暖め、一晩火を焚き、翌朝、晁夫人の家に行き、こう言いました。

「人間というものは、善いことを行い、善人になるべきです。天は必ず見ていますからね。ねえさん、あの晁無晏が、生きている間、どんなよいことをしたかお考えになってください。女房は人に嫁いでいってしまいましたし、家の物は奪われてなくなってしまいましたが、天がご覧になっていて、晁近仁のために報復したことは明らかです。私があのときねえさんの話しを聞いていなければ、あいつに唆され、しっかりした考えを失い、天理を損なっていたことでしょう」

 皆さん、彼のこの言葉が真実であれば、晁思才は善人だといえるでしょう。ところが、彼は口ではこう言ったものの、心では別のことを考えていました。すなわち、郭氏によって質入れされた、晁無晏の城内の家と城外の土地を、半値以下で、請け戻したり売ったりし、さらにたくさんの収入を得ようとしていたのでした。そして、わざとこのような嘘を言い、晁夫人を騙したのでした。ところが、晁夫人は本当だと信じてしまい、返事をしました。

「老七、あなたは年をとっており、経験も豊富です。神さまは最近はますます厳しくなり、何かというと、この世でしたことの報いをこの世で受けさせるのです」

晁思才「小l哥を、頼りになる人が養育し、財産を管理してやれば、小二官の血筋が絶えることはないでしょう。ねえさんはいつも大変ですね」

晁夫人「私は八十近い人間で、小和尚は他の人に面倒をみてもらわなければなりませんから、面倒をみないはずがないでしょう」

晁思才「あれあれ。晁無逸夫婦のことは、ねえさんもご存じでしょう。あの二人は人でなしですよ。あの子が彼らのところに行ったら、一か月足らずで、ぶたれて幽霊のようになってしまい、一か月たてば、死んでしまうことでしょうよ。彼らは、質入れされた数畝の土地、数間の家を、二両の銀子で請け戻して自分のものにしました。晁無晏は無縁仏になってしまうでしょう。仕方なく、私が犠牲になるのです。このような義侠心のあることは、私以外の人はしようとしないでしょうから、やはり私があの子を連れていって面倒をみなければいけません。これは小二官一人のためではありません。わが晁家の人が少ないため、一人の子を養うことができれば私が養ってあげるのです」

晁夫人「あの子を養われるのは結構なことです。あなたには子供もいませんから、あの子を連れ合いにするのはとてもいいことです。晁無逸を呼んできてください。あの人の立ち会いで、子供をあなたに渡しましょう」

晁思才「晁無逸を呼んできたくはありません。彼が私のところにくるべきです。ねえさん、人を遣わして彼を呼んできてください」

晁夫人「そうしましょう」

すぐに晁鸞を遣わしました。

 まもなく、晁無逸が呼ばれてきますと、晁夫人たちは、小l哥の面倒をみることを彼に知らせました。晁無逸は言いました。

「わが一族の何人かは貧乏で、三度の食事もままならないありさまです。あの子を呼んで家に行かせ、何を食べさせてやるか相談なさるべきです」

晁夫人「あの子一人だけですよ。たった五六歳の子供です。城内には家があり、城外には土地がありますから、あなたからただ飯を食べることはありませんよ」

晁無逸「三奶奶、ご存じないのですか。あの子のところには、土地も家もありません。ろくでなしの女房が全部売って、懐に入れていってしまったのです」

晁夫人「あの人は売らずに、半値で質入れしたのです。城外にはまだ質入れされていない三十数畝の土地があります」

晁無逸「あの子が土地をもっていようがいまいが、私はあの子の面倒をみる積もりはありません。晁無晏は善人ではありませんでしたから、息子だっていい人間であるはずがありません。養っても良くなるわけがありません。三奶奶、あなたがあの子を養われてください」

晁夫人「あの子のおじさんのくせに、あの子を養わないで、私に養わせるのかえ」

晁思才「ねえさん、どうです。このような義侠心に富んだことは、やはり私をおいて、誰もすることができません。小l哥、こっちへおいで、一緒にわしの家にいこう」

晁無逸「七爺、この子を養われるのは結構ですが、私たちの立ち会いのもと、この子が大きくなったら、この子の家と土地を、どのように引き渡すかを記した契約書を作るべきです。あやふやにしてはいけませんよ」

晁思才「そうれ。おまえはこの子が僅かな土地も、一間の家ももっていないといって、養おうとしなかったくせに、わしが見兼ねて、この子を連れていこうとすると、この子が土地や家を持っているというんだな」

晁夫人「あるかないかは、すぐに分かるよ。老七、とりあえずこの子を連れていっておくれ。様子を見てから証書を作ればいいでしょう」

小l哥は、晁思才が彼を連れていこうとしていることを聞きますと、晁夫人を引っ張って叫びました。

「老三奶奶にならついていくよ。老七爺の家には行かないよ。あの人は人相が悪いから、怖いんだ」

晁夫人の足を抱きかかえ、どうしてもいこうとしませんでした。

晁夫人「この子をここにしばらく止まらせてから行かせるといい。かわいそうに、この子を見てごらん」

晁思才「子供がここに住むのは構いませんが、この子の土地、家については、早いうちにはっきり話しをするか、契約書を取り交わすかするといいでしょう。子供はわたしが養うといった以上、わたしが保護することにしましょう。それに、わたしは晁一族の族長です。ねえさん、私がいっていることは間違いではないでしょう」

晁夫人「正しいか正しくないかは私はわかりません。あなた方で相談されてください。子供は数日たったら、ゆっくりとあやしていかせることにしましょう」

晁思才、晁無逸の二人を引きとめて食事をとらせました。

 晁思才が家に戻りますと、女房が尋ねました。

「どうでしたか」

晁思才「小l哥はどうしても来ようとせず、老三奶奶の足を抱いて叫んでいた。あいつは俺のことを人相が悪くて怖いといっていたぞ」

女房「あんたみたいなろくでなしは見たことがないよ。あの子を家にこさせたいのなら、目を剥いたりしてはだめだよ。あの子がこなかったら、私たちはどんな名目であの子の財産を引き受けるんだい」

晁思才「家と土地は、もう手に入れてきた。ねえさんと晁無逸は人々を立ち会わせて証文を書けといったが、わしはあいつらには構わず、契約書などは書かなかった」

女房「それは間違っているよ。あんたが子供を養うのなら、あの子の財産を受け継ぐのは、正当なことだが、子供をよその人に養われては、彼の土地を、あなたが手に入れることはできないよ。晁無逸だって口下手な男ではないからね。あんたはあの男のお爺さんの世代にあたるが、理に外れたことはしない方がいいよ」

晁思才「おまえの言う通りだ。二日たったらまたあの子を呼びにいこう。来ればよし、来なければ、入り口を歩き回り、出てきたところを引っ張って走ってくることにしよう」

女房「あの子を甘やかすのはやめましょう。思いきり二回びんたをくらわして、怖がらせてやりましょう」

晁思才は、果たして晁夫人の家に行き、数日間待ちつづけました。

 ある日、小l哥は表に歩いていきますと、晁思才がおりましたので、足をからげて奥へ飛ぶように走っていき、いいました。

「この間目をむいていた悪者がまた来たよ」

晁夫人「目をむいていた人とはだれだい」

l哥「この間僕を連れていこうとした人だよ」

晁夫人「ああ。老七爺かい。あの人がきたのかい。どうしてそんなに怯えているんだね」

l哥「あの人は目を剥いて近付いてきて、僕を引っ張っていこうとしたのです」

晁夫人「これからあの人に会ったら、怖がってはいけないよ、あの人はおまえを養おうとしているのだからね」

l哥「僕は老三奶奶のところにいるよ。あの人に養ってはもらわないよ」

 さらに何日かしますと、一群の、因果を説く和尚たちが、太鼓や鉢を叩きながら通り掛かりました。晁思才は、l哥がかならず見にくると思い、わざと隠れていました。やがて、小l哥が門の外に走り出てきました、彼は小さな両目をきょろきょろさせ、晁思才がいないのを見ると、安心して通りに出、和尚の話を聞こうとしました。晁思才は、後ろからl哥の首を掴みました。l哥が振り向きますと、優しく正しい老七爺でしたので、横になって転げ回り、一緒に行こうとしませんでした。晁思才は乱暴に背中を何度かぶち、髪の毛[1]を掴み、飛ぶように走りました。小l哥はぎゃあぎゃあと叫びましたが、道行く人々は、父親が息子を折檻しているのだと思い、言いました。

「年端のいかない子を、まるで物をぶら下げるように頭を引っ張っているよ」

有無をいわさず、家に引っ張っていき、跪かせました。小l哥は怯えて幽霊のように地面に跪きました。

晁思才「恩知らずの、下賤極まりない餓鬼め。おまえの親父は死に、お袋は人についていってしまったから、見るにみかねて、養ってやろうとしたのに、どうしても来ようとせず、俺の人相が悪いなどと言うとはな。わしがおまえのお袋を惨たらしく殺したとでもいうのか」

女房「ああ。おまえは、本当に善悪の弁えのない、運の悪い馬鹿者だよ。事情もわきまえず、呼んでも来ようとしなかったのはどうしてだい。まあいいだろう。私の顔に免じて、この子を立たせてください。この子がこれ以上善悪を弁えないことをしたら、あなたは存分にぶってください。私は少しも宥めたりはしませんから」

晁思才「老七奶奶が執り成してくたから、とりあえず許してやろう」

l哥は目に一杯涙を溜め、泣き声をあげることもできず、立ち上がってじっとしていました。晁思才の女房が言いました。

「老七爺に叩頭をおし。立ち上がっていってしまう積もりかえ。こっちへきて叩頭をおし」

l哥も、仕方なくやってきますと、晁思才に二回叩頭をしました。晁思才は怒鳴りつけました。

「何だ。老七奶奶には叩頭をしないつもりか」

l哥はさらに跪いて叩頭しました。このときの小l哥の哀れな有様といえば。

甘やかされていた子供、奴隷のように跪く。

晁思才夫婦は、l哥に、昼間は食べ残しのご飯を二碗与え、暖かいかそうでないかには構いませんでした。晩には彼を厨房の炕の上で寝かせ、寝床も掛け蒲団も与えませんでした。六七歳の男の子は、広い地面を掃除させられたり、尿瓶をもたされたり、尿瓶をあけさせられたり、驢馬を引いて城壁に沿って歩かせられたりしました。苛められ、三分は人間、七分は幽霊のようになり、ぶたれたり、罵られたりし、腹の中が怒りで一杯になりました。晁思才は、家と城外の質入れされた土地を質主から請け戻し、質入れされていない土地はすべて人に売り、銀子を着服しました。夫婦は心をあわせて、小l哥を殺し、災いの根を断ち、後から文句を言われないようにしようと考えました。

 さて、晁思才が小l哥を家に連れていったことに、晁夫人はまったく気が付きませんでした。小l哥が家に戻ってこないのを見ますと、人々は彼が和尚たちをみにいったきり戻ってこない、あの和尚はきっと人さらいで、子供が賢いのを見て、さらっていってしまったのだと思いました。そして、晁書、晁鳳、晁奉山、晁鸞さらにたくさんの住み込みの小作人に命じて、あちこちに和尚たちを探しにいかせました。翌日まで探しますと、ようやく見付かりました。そして、彼らに子供を出せと迫り、地方、総甲を呼んで、縄で縛ってもらおうとしました。しかし、晁鳳は少し物の分かった男でしたので、言いました。

「まだ事実を確かめていませんから、慌ててはいけません。あなたがたが因果を説くのをあの子が見ていたことは、みんなが見ていますが、あの子がいなくなったときのことを、あなたがたはきっとご存じでしょう」

和尚たちは言いました。

「子供を見ましたよ。七八歳ぐらいで、対襟の白い木綿の褂子、青い単衣のズボン、白いサンダルを着け、立っていましたが、大きな六十数歳の老人に、首を掴まれ、東に行ってしまいました。子供は叫んで、地面を転げ回りました。すると、その老人は、子供の首根っこを掴み、引っ張っていってしまいました」

人々は尋ねました。

「その老人はどんな顔をしていたのだ。どんな服を着ていたのだ」

和尚たち「白い髭をしており、お下げ髪を結い、痩せて頬骨の出た顔で、両目が飛び出し、片目は見えず、海藍の木綿の掛肩、白いフェルトの帽子、破れた快鞋[2]を履いていました」

晁鳳「どうやら七爺のようだ。あなたがたはここでじっとしていてください。あの人の家へ行ってみますから」

 晁鳳が走っていきますと、晁思才は手に一本の棒を持ち、怒鳴り散らしながら、小l哥が中庭の草を抜くのを見張っていました。

晁鳳「この子をつれていくときに、一声掛けるべきでしょう。私たちはあちこち探し回りましたよ。私が引き止めなければ、地方は因果を説く和尚たちを県庁に連れて行って彼らに子供を出せと要求し、ひどい冤罪事件になっていましたよ」

小l哥は晁鳳を見ますと、晁鳳のところに逃げました。晁思才は小l哥を奪いもどしますと、手に持っていた棒で頭や顔を滅多打ちにしました。小l哥はぶたれて地面に食い込まんばかりでした。晁鳳は棒を奪いますと、言いました。

「年端のいかない子を、こんなに乱暴にぶつなんて。この子をここにおきたいのなら、あやしてやるべきです、ぶってびっくりさせたら、ますますここにいようとしなくなってしまいますよ」

 晁鳳は人々を帰らせ、晁夫人に話をしました。晁思才が小l哥をぶったことを聞きますと、晁夫人は目から涙を流しました。その後半年足らずの間、晁思才夫婦は、代わり番こに子供を苛めたため、子供は死にそうになり、虫の息で、脾臓が腫れてしまいました。

 しかし、人が死ぬか死なないかは、天が決めることで、決して人が決めることではありません。死ぬ運命になければ、思い掛けず、救いの星が現れるものです。小l哥が死にそうになっても、晁思才夫婦は、彼を家の外に追いだし、干してある焼酎の酵母の番をさせました。そこへ、おじさんの相婿の家へ弔問にいった晁梁が帰ってきました。彼は、馬に乗り、晁奉山たち二三人を従えていました。晁梁と晁鳳は、どちらも小l哥に気づきませんでしたが、小l哥は晁梁をみると、叫びました。

「二爺。どこへ行くのですか」

晁梁は馬を止め、見てみますと、いいました。

「おまえは小l哥か。どうしてそんな顔をしているんだ」

小l哥は悲しげに泣きました。晁梁は晁鳳山に五十の銅銭をださせ、小l哥に与え、何かを買って食べることができるようにしてやりました。彼は言いました。

「お金はいりません。僕は心の中で老三奶奶のことを思っているのです。どうしても老三奶奶に会いにいきたいのです」

晁梁「老三奶奶のことを思っていたのか。簡単なことだ、僕についてくるがいい。晁奉山、七爺に話しをしておくれ」

晁奉山「その子と一緒にすぐに行くことにしましょう。あいつに何の話しをするというのですか。あいつがあの子を連れてきたときだって、私たちに一声も掛けませんでしたからね」

晁梁「この子を連れてゆっくり歩けばいい。馬のあとをついてこさせる必要はないぞ。この子にはついていく力がないからな」

 晁梁は家にいきますと、まず晁夫人に話をしました。ほどなく、小l哥は、中に入りましたが、晁夫人を見ると大声で泣きました。晁夫人は思わずびっくりして、言いました。

「おまえ、どうしたんだい」

小l哥はいいました。

「老三奶奶、僕を匿って、二度とよその家に行かせないでください」

晁夫人「おかしな子だね、私はおまえをよそに行かせたりはしていないよ。おまえはどうして通りに出て、あいつに掴まったんだい。おなかが膨れているが病気なのかい」

彼はいいました。

「病気で、おなかが減っているのです」

晁夫人「おなかを触らせておくれ」

晁夫人は彼の腹を触りますと、言いました。

「鬱憤がたまっている。さいわいまだ発病していないから、治療することができるよ」

晁梁の母「私のところには極上の犬の皮の膏薬がありますから、貼ってやれば、きっと良くなるでしょう」

晁夫人は、晁書の女房を呼ぶといいました。

「この子を洗ってきておくれ」

さらに春鶯を呼んで

「ほかにも晁梁が小さい時に穿いていたズボンと木綿の上着がたくさんあるから、探してきて着替えさせておやり」

晁書の女房は小l哥が湯浴みをするのを見守り、髪を梳いてやり、晁梁が着古した黒い木綿の単衣のズボン、大襟の青い木綿の衫に着替えさせてやりました。晁書の女房が、自分の息子の小二がとっておいた靴に履き替えさせてやりますと、小l哥はあっという間に七分は人という有様になりました。晩に彼を厨房の炕の上で寝かせるときは、掛け蒲団、敷き布団を与え、さらに宿直の執事の女房に面倒をみさせました。

 翌日、姜小姐は犬の皮の膏薬を買いにやらせました。姜郷宦は膏薬と丸薬を与えました。丸薬は爛積丸[3]といい、竜宮の神薬で[4]、その処方は

蘆薈[5]一銭五分、天竹黄[6]三銭、穿山甲の粉を黄色く炒ったもの三銭、白砒[7]七分、巴豆霜の油を抜いたもの六銭、硼砂一銭、真番硇[8]を、すべて細かい粉末にする。綺麗な黄臘[9]一両四銭を、溶かして、薬の粉末を臘の中にいれ、掻き混ぜて大きな塊にし、油紙で包む。飲むときは丸薬にし、緑豆ぐらいの大きさ。五つを服用し、焼酎を温めて飲む。葱と韮を入れてはいけない、発物[10]は食べてはいけない。

 晁夫人はそれを見ますと、人に命じて腹を芒硝水[11]で洗わせ、生姜で擦り、その後で膏薬を貼り、毎日爛積丸を服用しました。五日足らずで、腹はだんだんとへこみ、顔色は変わって黒ずみがなくなりました。さらにしばらくたちますと、血色がよくなりましたので、勉強部屋に送って勉強をさせ、十八歳になると、まだ若いのに学校に入り、晁梁に頼って暮らしました。これは後の話ですので、お話しする必要はございますまい。

 さて、その日、晁思才は、小l哥に通りに晒してある酒酵母を見張らせましたが、小l哥は晁梁についていってしまいました。晁思才が外に出ますと、大勢の乞食たちが酵母を食べながら包んでいました。晁思才は腹をたてて息が詰まり、乞食たちを怒鳴ったり殴ったりして追い払い、家に戻り、あちこち小l哥を探しましたが、姿は見えませんでした。

女房「きっとあそこで寝ていて、人に酵母を持っていかれてしまったのでしょう。捜し出したらしこたまあいつをぶって、思い知らせてやりましょう」

夫婦で探しましたが、見付け出せませんでした。

晁思才「ねえさんの家に逃げたに違いない」

女房「あいつは道を知りませんから、絶対に行きませんよ。あいつがねえさんの家にいったとしても、ねえさんはあの子が死にそうで幽霊のようになっているのをみて、きっと家におこうとはしない筈です」

晁思才「あいつは道を知らないから、ねえさんの家に行くことができないだろう。あいつがねえさんの家にたどりつき、ねえさんがあいつを家においたら、薬であいつを片付けてやろう。すぐに殺してしまおう。ぐずぐずしてあいつを生かしておけば、悪口を言われてしまうからな。わしが様子を見にいってみよう」

すぐに晁夫人の家に走っていきました。

 小l哥はすでに洗顔と髪梳きを終え、服と靴を換え、別の姿になっていました。晁思才は、一生懸命彼を連れていこうとして、いいました。

「しつけをして心をひきしめさせ、これ以上勝手なことをしないようにさせましょう」

晁夫人「この子は脾臓が腫れていて、長くは生きられないから、ここに数日とまらせます。本当にかわいそうに」

晁夫人の考えは決まっており、晁思才が何と言おうと、子供を連れ帰らせませんでしたので、彼は家に帰るしかありませんでした。後に、小l哥の病気が良くなり、体も太ったことを聞き出しますと、晁思才は彼を殺そうという気持ちをますます強くし、毎日門の前にきて待ち伏せし、出てきたところを掴まえて帰ろうと考えました。しかし、小l哥は二度と外に出ようとはしませんでした。晁夫人は彼を書房に送り、儀門の中の便門から出入させました。晁思才は焦って目がさらに飛び出し、何度も人に命じて呪いを掛けましたが、効き目はありませんでした。

 六月一日の朝、晁思才は、城隍廟の中で紙銭を燃やし、小l哥が死ねば、豚と羊を捧げましょうと祈祷をしましたが、廟を出て、孔子廟の入り口に行きますと、ばたんと転んで、目を開けたままぽかんとし、口をきくことができなくなってしまいました。知り合いは、彼の女房にそのことを知らせました。女房がやってきたときには、彼は地面に倒れて涎を流していました。女房は彼を助け起こすことができませんでしたので、乞食を一人雇い、犬を引っ張るように、家に背負っていきました。熱湯を飲ませたり、背中を叩いたり、鶏の羽を喉にいれたりましたが回復せず、呉牛[12]が太陽に向かっているときのように喘ぎました。明間に一枚の戸板を置き、三四日寝かせますと、息が絶えてしまいました。

 一人の妾は、人々が騒いでいるすきに、衣裳と、小l哥を売った金を纏めて、煙のように逃げてしまいました。一族の人々は、彼が生前他人の家を絶やして、財産を分けようとしていたことを恨んでいましたが、彼が無頼な年長者でしたので、怒りを口にすることができませんでした。しかし、彼が死んだことを聞きますと、「あいつの家に行って遺産を分けあおうぜ」といいました。そして、男も女も、蜂のように群がり、衣装や食器をすっかり奪いましたので、家には彼の死骸がおかれている一枚の戸板と、六十数歳の女房しか残りませんでした。

 とても暑かったので、死体はみるみる変化しだしました。人々は物を分けあうと、それぞれ去って行きましたが、誰も棺を準備してやりませんでした。女房は家を人に質入れしようとしましたが、人々は彼女に跡取りがないことを知っていましたので、軽々しく寄り付こうとせず、だれも質受けをしにきませんでした。だんだんと街に死体の臭いが広がり、道行く人と近所の人々は、吐き気を催して鼻を摘み、罵りました。後に晁夫人はそのことを聞きますと、晁鳳に命じて三両二銭の銀子を与え、松の板の棺を買い、しっかりと隙間を塞ぎ、人に頼んで納棺をし、六人の和尚を呼び、一日お経をあげ、三日間安置し、一族を呼び、野辺の送りをしてやりました。棺担ぎや墓掘りの費用は、すべて晁夫人が出し、およそ七両の銀子を費やしました。野辺の送りから帰りますと、人々は相談をし、彼の家と土地を分け、もともと晁夫人のものであった五十畝の土地を晁夫人に戻して管理させ、晁思才が自分で買った土地と城内の住宅をすべて売り、皆で均分し、葬式を出し、棺を買った七両の銀子を晁夫人に返すことにしました。

晁夫人「財産分けが終わったら、あの女房はどこに嫁がせましょうか」

人々はいいました。

「老七は生きていたとき、他人の女房を売ってばかりいました。晁近仁の女房も古女房でしたから、あの女もよそに嫁がせることにしましょう。晁近仁の女房を嫁がせたのは晁無晏ですが、実際はすべて晁思才の入れ知恵でした。晁思才の女房には子供がいませんし、親戚もいませんから、土地と家があっても、守ることはできません、老人を探して嫁がせるのがいいでしょう」

晁思才の女房「私は今年六七十歳になり、両の鬢もすっかり白くなってしまいました。どこの家にも葬式を出してくれる人がいるというのに、私をひどい目に遭わせるのですか。あなた方は私の財産を分けたのですから、交替で私の面倒をみるのは当然でしょう」

晁夫人「あんな死にぞこないのお婆さんを、だれも欲しがりはしませんよ。あの人を嫁がせるですって。あなた方はあの人の財産を分けたのですから、交替で世話をするのは当然ですよ」

晁無逸「私たちは僅かな金しかわけあっていません。それなのにあの人を養えというのですか。あの人は晁無晏の全財産を手にいれ、六七歳の子供を、殺そうとまでしたのです。あの人を養うのは簡単なことですが、二碗の薄粥をあの人に食べさせようとする人もいないでしょう。あのような家を乱す悪人は、至る所に告げ口をして騒ぎを起こし、二丈の長さの舌でべらべらと喋りまくりますから、どこの家にもあの人を置くことはできません。三奶奶、あなたはとても善いお方で、人々はあなたのことを仏さまのようだと言っています。あなたほど一族に情け深くして下さる方はいません。あなたはあの人の面倒をみる勇気がありますか。家に賢い妻がいれば、男は不慮の災害に遭わないものです。夫が外で道理に背いたことをしても、女房たるものが朝も昼も彼を戒めれば、聞かないはずがありません。しかし、あの人は、老七が何もしないうちから、さんざん彼を唆したのです。私も善人ではありませんが、さいわいなことに女房が口を酸っぱくして私を戒めてくれました。当時は女房の言葉に我慢できませんでしたが、後から考えてみますと、とても含蓄深いものでした。あの人を養う話しは、ほかの人にされてください。私は絶対に承知しませんからね」

晁夫人は笑って「あなたの奥さんがあなたにあの人を養うように言えば、あなたはきっと耳を貸すでしょう」

晁無逸「筋が通っていればそうしますが、筋が通っていなければ、駄目ですよ」

 後に、晁思才の女房は、身を寄せる場所がなくなりましたが、誰も彼女を面倒をみようとしませんでした。晁夫人は、晁無逸が言っていたことに少しも間違いがなかったと思いました。彼女を家に呼ぶと、数日足らずで正妻と妾が啀み合い、母と子が恨み合い、上下が反目し、家が乱れるのでした。しかし、彼女を寄る辺ない身にさせるのもかわいそうでしたので、雍山荘の見張りの呉学顔に命じて、彼女のために離れを用意し、毎月彼女に一斗五升の米、五升の緑豆、一斗の麦を与え、一か月ごとに支給し、荘園の野菜、作業場にある薪は、好きなように使わせることにしました。呉学顔はすべて言われた通りにし、怠ることはありませんでした。晁夫人は、晁思才の女房に借りがあったものか、彼女を十二年も養うことになりました。晁思才の女房は、雍山荘の人々にも、晁夫人は彼女の土地を五十畝分け与えられたのだから、彼女が今食べているものはすべて彼女自身のものなのだと言いました。後に老衰で天寿を全うしますと、晁梁は母親の命に従って礼儀正しく埋葬を行い、晁思才の墓を開けて合葬しました。

 長い年月を掛け、晁無晏の悪行に終止符が打たれ、晁一族はとても平和になりましたが、その後間もなくして、晁思才が死ぬという慶事があろうとは思いもよりませんでした。

晁家の運に変化あり

天は悪党滅ぼせり

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]原文「頂搭」。子供の頭の剃り残した部分。

[2]薄底靴。色は黒か白。

[3]爛積丸という名の薬品は医書を閲しても見あたらない「竜宮の神薬」といわれる所以であろう。

[4]原文「海蔵裏辺的神方」。「海蔵」は竜宮のこと。

[5] アロエ。俗に象胆といい、苦いという。明李時珍『本草綱目』蘆薈「【蔵器曰】俗呼為象胆、以其味苦如胆也」。

[6] インド産の竹の節の間に生ずる粉。薬用。

[7]亜砒酸。

[8]硇は硇砂のこと。塩化アンモニウム。去痰剤として用いる。真番硇は、本物の外国産の硇砂をいうと思われるが、未詳。

[9]蜜蝋のこと。

[10]海産物など、服薬のときに食べるのを禁じられるもの。

[11]硫酸ナトリウム水。洗剤として用いられる。

[12]呉牛が日月を見ると恐れてあえぐという故事については、第十五回の注を参照。

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