第五十六回

狄員外が妾をとって料理人の代わりにすること

薛素姐が夫を殴って腹を立てること

 

どこにでもいる妬婦(やきもちや)

猛々しさは吼ゆる獅子

尿瓶を壊し、花千切り

比ぶものなき物凄さ

女の寵を争ふは

当然理解できること

ところがいともをかしきは妬いて舅の部屋にゆき

男子()ができて財産を分かつを恐れ、いとも激しく罵れること  《虞美人》

 狄員外は、狄希陳につきそい、国子監での勉強が終わりますと、吉日を選び、出発しました。童七は、あらかじめ酒席を設け、送別をし、調羮を借りて料理を作りました。狄員外は、今までの家賃を逐一清算し、使った家具、借りたものは、すべて返しました。自分が買い足して余った石炭や米は、すべて童奶奶に使わせました。童七は返礼に三両の餞別、二匹の京緑布、一封の沈速香*[1]、二百個のサイカチの石鹸、四斤の福建の飴を贈りました。狄員外は、それらの餞別をすべて返し、四種類の礼物だけを受け取りました。狄員外は、さらに玉児に二銭の銀子、一本の中ぐらいの大きさの手巾を与えました。狄希陳は、こっそり寄姐に一対の玉の瓶花、二つの絹の汗巾を贈りました。寄姐は狄希陳に一本の燻銀の骨董のかんざしを贈りました。童奶奶は、狄周に三銭の銀子を与え、調羮に一双の赤い緞子の半ズボン、三尺の黒い木綿の靴の甲を与えました。

 狄員外は、四頭の長距離用の騾馬を雇いました。太平の時代でしたので、北京から繍江県の明水鎮までの九百八十里の道の騾馬代は、一頭につき、たったの八銭でした。旅路の食事、昼間のご飯は、きちんと食べさせましたが、たったの一分の銀で満腹することができ、晩はどんなに高くても二分でした。夜には泊まり、朝には出発し、少しも滞りがありませんでした。短距離用の驢馬ならば、日の長い時期ですと、多くても六日弱で到着しました。長距離用の驢馬ですと、十日で家に到着しました。

 狄員外と狄希陳が先を行き、調羮は後から従いました。中門をくぐりますと、狄夫人の姿は見えず、狄周の女房が迎えに出てきました。狄員外父子は尋ねました。

「母さんはどうした」

狄周の女房は返事をしました。

「部屋にいらっしゃいます」

狄員外は心の中で思いました。

「まずい。調羮のことを知られたのだ」

そして、尋ねました。

「どうして部屋の中にいるんだ。体の調子が悪いのか」

そう言いながらすぐに中に入りますと、狄夫人は髪も梳かさず、掛け蒲団にくるまって寝床の上に腰掛けながら、いいました。

「来られましたか。待ち侘びていましたよ。寒くありませんでしたか」

狄員外は寝床に向かって揖を、狄希陳は叩頭をし、その後で調羮が叩頭をしました。

狄員外「これはわしらが買った料理人で、調羮というのだ」

狄夫人は少し顔を曇らせましたが、すぐに喜びました。狄員外は尋ねました。

「どうして体の調子が悪いのだ。いつから床に就いているのだ」

狄夫人「体の調子は悪くありません。こちらの腕と足が動かないのです」

狄員外「ひどい目にあったのだな。どうして早くしらせてくれなかったのだ。都には名医がいる。処方箋を求めたり、呼んできたりすることができたのに。どうしたものだろう」

狄夫人「慌てることはありません。少したてば良くなりますよ」

狄員外は寝床の脇に腰を掛け、家の細々したことを話しました。狄希陳は自分の屋敷に行きますと、入り口には鍵が掛かっており、素姐が実家にかえったことを知りました。そこへ、狄周の女房がやってきましたので、狄希陳は尋ねました。

「女房はいつ家にいったのだ」

狄周の女房「あなたが出発された日に家に行かれました。今まで九か月以上の間、一晩と半日、ここにきて泊まっただけです。お母さまがお怒りのあまり体が麻痺されてからは、二度と来ようとしません」

狄希陳は何度も地団太を踏み、二声「神さま」と叫びますと、ふたたび狄夫婦の部屋に行きました。

 狄周は荷物を受け取り、部屋に入り、女主人に叩頭しました。狄夫人は尋ねました。

「尤厨子はどうしていなくなってしまったんだい」

父子二人は、九月九日に雹が降ったときに、雷に打たれたことを、話しました。狄夫人はとてもびっくりして、いいました。

「神さま、小人たちは善悪など弁えておりませんのに、彼らと争われるなんて。大した人間でもないのですから、打ち殺されるべきではありません。尤厨子にご飯を作らせればいいのに、女を買うのはどうしてだろうと思ったのですが。こんな奇妙なことがあったのですか。雷に撃たれた体には字が書かれているものですが、あの男の体には字が書かれていましたか」

狄員外「八つの赤い字が書かれていたよ。陳児、母さんに読んであげてくれ」

狄希陳「尤厨子の字は『主人を欺き人を苛め、穀物を粗末にした』。狄周の字は『悪人を助け庇った』でした」

狄夫人は驚いて尋ねました。

「どうして狄周の体に文字が書かれていたのだい」

狄員外「狄周も雷に打たれて気を失ったが、意識を取り戻したのだ。尤厨子は中庭で雷に打たれ、狄周は台所の中で打たれたのだ」

狄夫人「その字を読んで聞かせておくれ」

狄希陳「『主人を欺き人を苛め』とあるのは、あの男が主人を騙し、他の人のことを眼中にいれなかったことをいっています。『穀物を粗末にした』とあるのは、彼が物を大切にせず、米や小麦を捨てていたことをいっています。狄周の字は、彼が尤厨子が悪いことをするのを助け、彼とぐるになり、彼をかばったことをいっています」

狄夫人「神さまはすぐ近くで見ているのだね。本当に恐ろしいことだよ」

狄員外と狄希陳が家に戻ったことは、もうお話しいたしません。

 さて、狄希陳が上京してからというもの、薛夫人は素姐が家で姑と喧嘩をするのを恐れ、彼女を家に引き取りました。薛教授は彼女が言うことを聞かないので、あまり彼女が好きではありませんでした。彼女は、夢の中で心臓を取り替えられてからというもの、自分の家で、父母といる時でさえ、娘だったときよりもずっと強情になり、まったく人が違ってしまいました。そして、鶏卵を食べ、焼酎を飲み、若く美しい女らしさがまったくなくなってしまいました。

 明水鎮の東に、三官大帝[2]の廟がありました。以前は、上、中、下三元の日になりますと、各荘園の男が祭礼をし、胙を貰っているだけのところでした。しかし、最近になりますと、侯老道、張老道という、邪説で人を欺く二人の女が住むようになりました。この二人の悪者は、もっぱらよその家の女を騙してお参りをさせ、精進物を食べさせたり、念仏をあげさせたりし、仏さまをだしにして、着る物、食べる物をもらい、すきをみては不正なことをしさえもしました。真面目な婦人たちは、彼らが家にくることを禁じ、彼らもどうすることもできませんでした。しかし、そのほかの愚かな女たちは、姑をだまし、夫に背き、食糧を盗んでは、お齋食にしたり、装身具を盗んでは、お布施にしたりしました。侯老道、張老道は、愚かな女たちを騙し、たくさんの人々を集め、親子の契りや姉妹の契りを結び、村中が狂ったようになりました。七月十五日の中元節は、地官大帝の誕生日でしたが、老侯、老張は人々の布施を集め、余分なものを着服し、三官廟で、三昼夜の盂蘭盆会を行いました。十五日の晩には、白雲湖に一千の灯籠を流しました。同じ村の女をそそのかし、人前に顔を出させたばかりでなく、一二十里離れた隣の村からも、男女が連れ立って盛大な盂蘭盆会を見にくるようにしました。

 素姐が実家にいるときは、侯道、張道は、頑固な薛教授を恐れ、彼女を訪ねていこうとはしませんでした。しかし、素姐は二人の道姑を尋ねようとし、一生懸命薛夫人にまとわりつき、三官廟に縁日を見にいこうとしたり、白雲湖に灯籠流しを見にいこうとしたりしました。

薛夫人「縁日に出掛けるような女たちは、部屋にじっとしているまともな女たちとは違う。それにおまえは若い娘なのだから、軽々しく行くべきではないよ」

素姐「お母さまがついていかれれば、心配がないでしょう」

薛夫人「私は七八十歳の年寄りだよ。恥ずかしいから、行かないよ。今度おまえの姑に会ったときに、『あれまあ。娘さんを家に連れ帰ったのは廟に参拝するためだったのですか。』と言われるだろうからね。おまえの姑だったら、そのようなことを言い兼ねないよ」

素姐「お母さまが私と一緒に行かなければ、仕方がありません。私は一人でお父さまに話をしにいきましょう」

薛夫人「おまえが話しをしにいっても、いかせてくれるかどうかね。父さんがおまえを行かせても、私があの人に年をとって惚けたのかいと説教をし、おまえが行くことを許さないからね」

素姐は、驢馬を繋ぐことができるほど口を捲りあげました。龍さんはいいました。

「何も心配はいりません。この娘はとても気がふさいでいるのですから、外に出して気晴らしをさせてください。姑の家では自由に振る舞うことができなかったのです、実家にいっても彼女に身動きをさせなければ、気が滅入ってしまいますよ。たくさんの女たちの中には、郷紳の奥さまや、役人の娘がどれだけいるか分かりません。いっても問題はありませんから、あの人に話しをしにいきましょう」

薛夫人「それはいい。あなたが話をすれば、あの人はこの娘をいかせるかもしれませんよ」

龍氏は小玉蘭を呼び

「旦那さまを呼んできておくれ」

玉蘭は出ていくと言いました。

「奥で旦那さまを呼んでおられます」

薛教授は、薛夫人に何か大事な話しがあるのだと思い、急いで中に入ってきますと、薛夫人に尋ねました。

「何の話だ」

薛夫人「私はお呼びしておりません。誰があなたを呼びにいったのですか」

玉蘭「龍さまが旦那さまとお話しをしたいとおっしゃっています」

薛夫人は何の話をするのか分かっていましたが、口では黙っていました。

薛教授「あいつは何を話す積もりなんだ。ろくなことは話さんだろうな」

薛夫人「いい話しをするといっていましたから、奥へいかれてください」

薛教授が奥にいきますと、龍氏は悠然と厨房から出てきて、満面に笑みを浮かべながら言いました。

「お話しがございます。素姐はここ数日まったくご飯を食べておりません。人にあの娘の様子を見にいかせても結構です。あの娘はひどく気が塞ぐと言い、三官廟に法事を見にいこうとしています。行かせてやってください」

薛教授「わしの女房はきっと行かないだろう。だれをあれと一緒に行かせるのだ」

龍氏「二人の嫁を一緒に行かせましょう。安心できなければ、私があの娘と一緒に行っても宜しいです」

薛教授「おまえがあれと行ったほうがいいだろう」

龍氏は喜んで心の中で思わず耳を掻き、頬を掻きました。素姐も裏門の外でそれを聞き、とても喜びました。薛教授は龍氏にいいました。

「おい、顔の上の灰はふかないのか」

龍氏は袖で顔を擦りました。

薛教授「こっちへおいで。わしがふいてやろう」

龍氏は得意になって頭を何回か振りますと、顔をあげて進みでて、灰をふいてもらおうとしました。すると、薛教授は力を込め、顔目掛けてばちんとびんたをくらわせ、続けてさらに二回殴り、罵りました。

「このろくでなしが。おまえがたきつけたのだろう。若い娘を唆して廟にお参りをさせるとはな。おまえがあいつと一緒にいくがいい」

龍氏「行かせなければいいじゃありませんか。私をぶってどうなさいます。奥さまがあなたと話すようにとおっしゃったので、あなたに話をしたのですよ」

薛教授「減らず口をたたきおって。いうべきことを、わしの女房が話さずに、おまえに話しにこさせるはずがない」

 薛夫人は奥で騒いでいるのを聞きますと、奥へ歩いていきました。

薛教授「このろくでなしは、小素姐と廟へお祭りを見にいこうとし、わしのところに話しをしにこさせたのはおまえだと言ったぞ」

薛夫人「あなたと話しをするように言いました。素姐は私に、廟にいきたいと言いましたが、私は許しませんでした。すると、素姐は自分であなたに話しをしにいこうとしました。私は言いました。おまえのお父さんが年をとって惚けていたら、おまえが行くのを許すだろうが、私はおまえが行くのを許さないからね。』この人は言いました。『行っても問題はありません。私があの人に話しをしにいきましょう』。私は言いました。『それは結構。あなたが話せば、あの人はこの子を行かせるかもしれませんよ』。この人は、小玉蘭にあなたを呼びにいかせました。この人の言うことを聴くか聴かないかすればそれで宜しいのに、ぶってどうなさるのですか。この人はいい年をしているのに、あの娘のせいで、ぶたれてしまいました。あなたのように、少しも道理を弁えず、人の表情も読めない女房などみたこともありませんよ。つっ立ってないでさっさと奥へ行っておしまいなさい」

素姐は龍氏がぶたれたのを見ますと、廟に行くことができないことを知り、眉をしかめましたが、計略を思い付きますと、言いました。

「お父さまが私を嫌われるのでしたら、私も家にいるのは面目ありません、戻って姑に会いにいきます」

薛夫人「聞かれましたか。この娘は姑のことを思っているわけではありませんよ。そうに決まっているじゃありませんか。狄家に行ったらどんな悪さをしようとしているか知れたものではありませんよ。この娘を狄家に行かせてはなりません」

薛教授「この娘が立派なことを言った以上、邪魔をするわけにはいかん。姑に付き従って廟に行きたいだけだろう。この娘を狄家に行かせようが行かせまいが、わしらは構わんぞ」

薛三省の女房に命じて家に送らせました。素姐はむかっ腹を立てながら二回叩頭し、自分の部屋に戻ってきて、晩ご飯を食べ、一晩眠りました。

 翌日は七月十五日でした。素姐は髪梳きと洗顔を終えますと、朝食を食べ、とてもしゃれた装いをしました。そして、玉蘭を付き従え、歩きながら、玉蘭を遣わし、狄婆子に話しをしました。

「素姐さまが三官廟にお祭りを見にいこうとされています」

狄夫人「若い女が、そんなことをしていい筈がない。行っては駄目だよ」

素姐はまったく気に留めず、玉蘭と一緒に出ていってしまいました。狄周の女房に命じて彼女を引き止めようとしましたが、素姐は戻ってこようとしなかったばかりか、こう言いました。

「あの女が減らず口をたたかないようにさせておくれ。私生児を生んだりはしないからさ」

狄周の女房は戻ってきて話しをしました、狄夫人は怒りのあまり気を失っていました。彼女は廟に行って侯、張の二人の道士を訪ね、布施を贈り、棒きれのように痩せた女房たちの群れに混じり、春凳[3]に腰を掛け、条卓[4]に寄り掛かり、麻花、[食散]枝、巻煎[5]、饅頭を食べ、川芎茶を飲み、取り止めのない話しをしました。大勢の醜い女房たちの群れの中に、一人の美しい女がおりましたので、人々は蟻か羊のように集まってきました。彼女は傍らに人がいないかのように振る舞い、午後になりますと、さらに女房たちを従え、たくさんの和尚と道士の先導で、太鼓やはちを響かせ、湖に灯籠を見に行き、二更になると、実家に戻り、言いました。

「あなた方が行くのを許して下さらなかったので、何とか一人でいってきましたよ」

 狄夫人、薛教授は腹を立てて卒倒し、両家ではそれぞれ大騒ぎになり、薬を飲ませましたが、左側の手足が麻痺していました。薛教授と狄夫人は、どちらも七月十五日の真夜中から病気になり、床から起き上がれなくなってしまいました。姑が怒りのあまり体が動かなくなってしまったので、素姐は家に帰って姑に会おうとはしませんでした。薛夫人と二人の執事の女房だけがしばしばお見舞いにきました。狄希陳が都から家に戻りますと、薛夫人は、薛三省の女房に命じて素姐を送ってこさせ、狄員外と狄婆子に会うように勧めました。しかし、素姐は安否を尋ねもせず、家のことは少しも話さず、自分の部屋に戻りました。狄希陳は、まるで磁石に針が引き寄せられるかのように、一緒に部屋の中に行きました。久し振りに会ったので、狄希陳は恋しくてたまりませんでした。しかし、素姐は今までのように厳しくはなかったものの、少しも穏やかな様子をみせませんでした。狄希陳は、都から買ってきたワンピースや刺繍のついた袷、烏綾の首帕、蒙紗[6]の膝褲、玉結、玉花、真珠、宝石、扣繍をほどこした皮金[7]、都の針や鋏を、素姐の前に並べて捧げました。素姐はすべてを受け取りましたが、何のお言葉も発しませんでした。しかし、その晩は狄希陳を追い出すこともせず、部屋に入れて眠らせました。狄希陳は、それでも、母親が何で病気になったのか尋ねる勇気はありませんでした。

 薛教授は、床から起き上がれなくなりましたが、薛夫人は頭巾を被っていない男のような人でしたし、薛如卞は若いのに老成していました。嫁の連氏もとても従順でしたし、龍氏もそれほど勝手なことはしませんでした。薛三省、薛三槐も良心をもっておりましたし、木綿屋の人々もすべて正直でした。ですから、薛教授はあまり苦しみを感じませんでした。しかし、狄員外は農民で、親戚もこれといった職業にはついておらず、隣の宿屋も規模の小さいものにすぎませんでした。狄希陳は世間知らずの愚かな少年で、家の切り盛り、客の接待、田の耕作、家事はすべて狄夫人に任せていましたし、狄員外は上八洞の純陽仙子[8]のような人でした。狄夫人が寝床に横になり、動くことができなくなりますと、狄家はまるで天が崩れたかのような有様でした。

 狄周は尤厨子の相棒、雷に打たれた男で、忠実な人間ではありませんでした。彼の女房は、万事彼に従っていました。「妻を知りたければ夫を見よ」と申しますが、狄周の未亡人[9]がいい女であろうはずがありませんでした。気性の激しい女主人がいる間は、彼女は勝手なことをしようとはしませんでした。しかし、今では女主人が動けなくなったので、彼女は何者も恐れませんでした。さいわい調羮は、都の女性とはまったく違い、第一に口卑しくなく、第二に盗みをせず、第三に淫乱でなく、第四に物を大切にし、第五に女主人に従順で、第六にお喋りでなく、第七に外部に情報を漏らしたりせず、第八に権力をかさにきて奢ることがなく、第九に怠け者でなく、第十に無能ではありませんでした。彼女が初めてきたとき、狄夫人は少し焼き餅をやきました。狄夫人は無理に我慢していたとはいえ、心の中では調羹を不愉快に思っていました。しかし、こっそり狄希陳に尋ねてみますと、狄員外が調羹と少しも関係を持っていないことが分かりました。また、童奶奶からたくさんのいい話しを聞きましたし、調羹から上に述べた十の長所を施してもらうこともできました。狄婆子が病気になった当初は、面倒をみるのは、巧姐の役目でしたが、調羮がきてからは、彼女が巧姐にかわって半分の仕事をしました。人々の食事を作る以外に、狄夫人のお茶も、すべて調羮が面倒をみました。狄夫人はわざと彼女を試し、銀子と銅銭を彼女に預け、十日半月たってから、精算してみましたが、一分一文の間違いもありませんでした。わざと彼女のあら捜しをし、糞味噌に罵っても、彼女は少しも腹を立てませんでした。寒い夜や深夜、真夜中に伺候させますと、夜中に起き、一二回明りを点け、用足しをするときは、介添えをしたり、茶を沸かし、薬を煎じたりするときは、巧姐と争って進み出て、少しも恨み言をいいませんでした。狄夫人は、一日ならずしばしば彼女の本心を試し、狄員外に彼女を妾にさせようとしました。狄員外は少し遠慮した後、再拝して命に従いました。狄夫人は人に命じて奥の間に寝室を準備させ、炭火を起こし、を暖めさせ、寝具を作り、赤い絹の袷のズボンと真紅の上着を作り、吉日を選び、髷を結い、結婚式を行いました。

 狄希陳は何ごともなかったかのように相手にしませんでしたが、素姐だけは顔色を変え、腹を立てていいました。

「恥知らずの老いぼれめ。髪の毛がすっかり白くなったくせに、このような嫌らしいことをするとは。女を買い、親子二人で例のことをし、数か月たったら、今度は自分が独り占めにして妾にしてしまったよ。子供が生まれたって、だれの子だかわかりゃしないよ。私たちの子ならば、私たちの財産を分けても、まだ許せるし、恥知らずの老いぼれも偉そうなことが言えるだろうが、生まれてくるのはたぶん狄周の子だろうよ」

これらの話しは、すべて狄員外の耳に入りましたが、狄員外は狄夫人が腹を立てるのを恐れ、彼女に知らせませんでした。有り難いことに、調羮は大人の度量をもっていましたので、馬耳東風と聞き流しました。狄周の女房がわざと話しを伝えて彼女を怒らせようとしますと、彼女はいいました。

「勝手にさせておきましょう。好きなだけ言わせておけばよいのです。あの人に構ってどうなさるのですか。生まれてくるのは男か女かも分かりません。子供が生まれてからよくみてみればいいでしょう」

 素姐は、調羮が男の子を生めば、自分の財産が奪われてしまうだろうと心配しました。そして、舅が寝ているすきに、こっそり刀で例のところを切ってしまおう、彼の性欲をたち、子供を産ませないようにすれば、財産が奪われることはないし、宦官になって、金を稼いできてもらうことができる、と昼も夜も考えました。さいわい天は彼女の願いを適えず、狄員外にはその都度救いが現れたため、手を下すことができませんでした。素姐は、あらゆる策を巡らし、調羮をやっつけようともしました。狄員外は家の恥が外に広まるのを恐れ、何もかも子供のためと考え、怒りを抑えました。

 狄夫人は平素から気性が激しく、釘や鉄を断ちきるほどきっぱりとしていましたが、病気で動くことができなくなってからは、大小便をするときも、人の介添えがなくてはいけない有様になってしまいました。狄員外が帰ってくる前は、小間使いは役に立ちませんでした。巧姐もまだ大人ではありませんでしたし、狄周の女房には、不満がありましたし、彼女を避ける必要もありました。彼女が夫に悪い噂を流す恐れがあるからでした。嫁の素姐はまったく論外でしたので、とても苦しい思いをしました。しかし、調羮が家にきてから、一切の世話は彼女にしてもらいました。彼女は五更に起き、真夜中に眠り、女主人のために髪を梳き、足をくるみ、顔を洗い、服を着せ、茶を差し出し、ご飯を運ぶときは、少しも恨み言をいわず、こう言いました。

「お母さま、お母さまは、半分の手足が動かなくなっただけのことです。私は向かいの明間に、酔翁の椅子を置き、上に厚く敷物を敷きましょう」

そして、毎日女主人の髪をきれいに梳かし、洗顔をしてやり、服を着せてあげました。彼女は体が大きく、力もありました。朝も午後も、楽々とまるで子供を世話するときのようでした。三度の食事のときは、テーブルを椅子の前によせ、普段と同じように、狄員外、狄希陳と一緒に食べました。家の外の仕事を、狄夫人は指図することも、見ることもできましたので、鬱憤もかなり取り除かれ、食も進みました。

狄夫人「有り難い。この人を探してくれて本当にありがとう。これであと数年生きることができるよ。このように思いやりのある人でなかったなら、私は追い詰められて死んでいただろうよ」

 さらに、暫くしますと、狄夫人は、調羮が誠実で頼りになるので、部屋の中の箪笥の鍵をすべて彼女に管理させました。彼女は、女主人のように、何でもきちんとこなすわけではありませんでしたが、それほどめちゃくちゃでもありませんでした。彼女は、何をするときも、まず女主人のところにいきました。そして、命令を受けますと、その通りに仕事をしました。仕事はなかなかきちんとしていました。それに、薛如兼は、新年を過ぎますと、巧姐と同じ十六歳になりました。薛夫人は、巧姐が素姐のようになってはよくないと思っていました。一方、狄夫人は、病気になっていました。片方の家は嫁をとりたくてたまらず、片方の家は娘を片づけたくてたまりませんでした。狄夫人は一人では何もできませんでしたので、すべてを調羮に任せていました。

 家にこのように役に立つ人がいたため、狄夫人はあまり苦しみを感じませんでしたし、狄員外もあまり苛々することはありませんでした。しかし、素姐は怒って腹を太鼓のように膨らまし、毎日、調羹のことを下司女、あばずれ淫婦と言い、さらにこう言いました。

「あいつはうちの財産を全部盗み、間男にやってしまうだろうよ」

さらに言いました。

「お父さまはあいつを可愛がって勝手なことをさせ、ろくでなしの姑はあいつのせいで腹を立てて体が麻痺してしまったから、あいつは私にとっては永遠の敵だ。ぶち殺すか、薬で殺すかしてやろう」

さらにこう言いました。

「あいつは病気の姑を唆し、家財をすべてあの若い淫婦にやってしまった。これから世話をしたり葬式を出したりするときは、あの売女とすべて均等に金を出さなければいけないよ。少しでも偏りがあったら、私だって承知しないよ」

巧姐に八歩[10]の大きな寝床を作り、蒔絵の衣装箪笥、花模様を彫刻した引き出し付きのテーブル、自分の古い嫁入り道具を、無理やり巧姐の新しいものと取り替えてしまいました。狄員外は夫人に内緒で、巧姐のために新らしいものを作るしかありませんでした。しかし、大きな寝床は、新しく買うことができませんでしたので、二十両の銀子を払い、素姐から取り戻しました。

 ある日、調羮は、部屋で狄員外と相談をし、素姐が巧姐と嫁入り道具を交換してしまったことを話し、

「今、装身具、衣装を作っても、あの方がすべて奪っていってしまうでしょう。一つには新しく作ることはできませんし、二つには期日が迫っていますから、こっそりお母さんに話しをするか、相家のおじさんか崔おばさんのところに、きちんと買うように頼まれるのがいいでしょう。鋪床の吉日になったら、奥に持っていかず、表に並べることにしましょう」

狄員外「それもいいだろう。でなければ、ひどい目に遭うからな」

ところが、窓の外には人がいるもので、すべては素姐に聞かれてしまっていました。彼女は、すぐに、窓の外で腹を立てて、罵りました。

「口の減らない淫婦めが。汚らわしい私娼めが。どこの馬の骨ともしれない汚らわしい女め。『雉が毛皮の帽子を被って鷹になる[11]』とはこのことだよ。私が家具を交換したことが、あの糞ったれ女と何の関係があるというんだい。おまえはほかのところに持っていって鋪床[12]をするように唆したが、相家へもっていったって、駱駝の家へもっていったって[13]、私はすぐに走っていき、うばいとってやる。私は片方の目を見張り、片方の目を閉じ、おまえがいくのを許してやったというのに、私を訪ねてくるなんてね。私は老いぼれの顔に免じて、老いぼれが死んでから、この淫婦を売ることにするよ。そうでなければ、すぐに乞食を呼んできて、こいつをくれてやるよ」

 狄員外と狄夫人は、一人は腹を立てて話しができず、一人は腹を立てて顔をあげることができませんでした。調羮は笑って言いました。

「大したことはありません。腹を立ててどうなさいます。。気違いに構ってどうなさるのです。お二人が生きていれば、あの人は嫁入り道具を交換するというでしょうが、あなたがたが腹を立てて死んでしまわれたら、交換もしなくなってしまうでしょう」

狄夫人は、調羮の話を聞きますと、怒りはすっかり消えました。素姐は、窓の外に立ちながら、あれこれ罵りましたが、足が痛くなったので、自分の部屋に戻り、椅子に腰掛け、こまごまと文句を言いました。

 さて、狄希陳は、まったく人の表情が読めず、災いを避けることのできない馬鹿者でした。虎のような女房が、尾を振りまわし、爪を剥きだしにして襲いかかってくるときは、自分が身を隠していても見付けられることを心配しなければならないというのに、彼は一人で素姐を訪ねてきました。狄希陳が片足を中に入れますと、素姐は立上がり、さっと顔にびんたを食らわせました。表にいた人々は、雷が鳴ったのかと思いました。素姐は罵りました。

「この雑種。本当のことをお言い。あんたは拾われたのか買われたのか。作男や短工から手に入れたのか。本当のことをいえば、我慢してやるが、そうでなければ、承知しないからね」

狄希陳は痛みを堪え、目を擦りながら、奥の壁に追い詰められました。素姐に罵られても、一言も喋ることができませんでした。素姐は、さらに、続けざまに二回びんたを食らわせますと、罵りました。

「この間抜け。火口(ほくち)[14] で喉を塞がれたのかい。尋ねても喋らないなんて。あんたが実の子なら、あんたの親はあんたが息子で、私が嫁だと考えるだろう。ところが、財産をあんたにやらず、淫婦に渡して管理させ、嫁入り道具を持たせるとはどういうことだい。あんたが実の子でないのはまだいいが、良家の娘を騙して女房にするとはどういうことだい。薛家は、何もあんたに悪いことはしていない。あんたが私を娶る前に、私の弟はあんたを秀才にしてやったんだ。あんたは頭巾を被り、藍衫を着、偉そうにしているが、この名誉はどこからきたのかよく考えるべきだよ。恩に仇で報いておきながら、私が嫁入り道具を交換したのは、間違っているというのかえ。秀才の肩書きを得るには、二百両の銀子が必要だというよ。雑種め。私に二百両よこすようあんたの親父に頼めばよし。それが嫌なら、巧姐の嫁入り道具と同じ嫁入り道具を私におくれ。それでも嫌なら、うちの小再冬を秀才にすれば、おとなしくしてやるよ」

狄希陳はぐずぐずしながら表に行きました。

素姐「雑種め。どこへいく積もりだ」

狄希陳は目を擦りながら

「父さんに、おまえに銀子をあげるように頼みにいくんだ」

素姐「立っていておくれ。怒りがまだおさまらないよ。私の怒りが静まったら、二百両の銀子を私の前に持ってきておくれ。少しでも欠けていたら、あんたと一緒に学道の前にいき、話をすることにするからね」

 さて、素姐の言葉は、こそこそと喋ったわけでもありませんでしたので、すべて狄員外夫婦の耳に入りました。話の内容は、泥や木で作られた人形でも反応するようなものでした。しかし、狄員外夫婦は、体裁を大事にしようとする人たちでしたので、怒りがあっても我慢をし、外に広めようとはしませんでした。やがて、狄老人が病気になりますと、狄夫人は、ますます災いを受けるようになりました。後にどうなりましたか。さらに次回をお聞きください。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]沈香、速香を混ぜ合わせた香。

[2]三官大帝、三元大帝ともいう。天官、地官、水官のこと。

[3]二人がいっしょに腰掛けられる背もたれのない腰掛け。

[4]長さ、巾の比率が三対一以上のテーブル。長卓ともいう。

[5]卵で作った薄皮に、調味料を加えた肉を包み、ラード、砂糖、甘味噌などとともに焼いた食品。清朱彝尊『食憲鴻秘』巻煎「将蛋攤皮、以碎肉加料巻好、仍用蛋糊口。猪油、白糖、甜醤和焼。切片用」。

[6]紗の一種と思われるが未詳。

[7]皮金繍のこと。影金ともいい、羊皮、薄紙に張り付けた金箔を様々な模様に切り、衣服に縫いつけ、その上から刺繍を施し、糸の隙間から、下の金の模様が見えるようにしたものという。

[8]純陽仙子とは、呂純陽すなわち呂洞賓のこと。ここでは狄員外が仙人のように俗事に関わらない人だったということをいっている。

[9]原文「刑于」。『詩』大雅・思斉「刑于寡妻、至于兄弟。以御于家邦」にちなむ言葉で、未亡人を表す洒落言葉。

[10]歩は長さの単位で五尺に相当。

[11]原文「野鶏戴皮帽児充鷹」。身分の卑しい者がめかし込んで偉そうにふるまうこと。なお、「野鶏」には「私娼」という意味もある。

[12]嫁迎えの前日、女方の人が男方へ赴き、寝室を整えること。『明史』礼志九「(庶人婚禮)親迎前一日、女氏使人陳設於婿之寝室、俗謂之鋪房」。

[13]原文「你就拿到甚麼相家、駱駝家」。「相」は「象」と同音。「相」を「象」と引っかけ、「象の家につれていこうが、駱駝の家にもっていこうが」としゃれ込んだもの。

[14]原文「檾疙瘩」。イチビを焼いて作る。

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