第五十一回

程犯人が網を逃れること

施囚婦が網に掛かること

 

天地は広く

世界は涯なし

大いなる天地(あめつち)は万物を包み込み

運命を決め

悪人を逃すことなし

人を殺せば露見して

女を漁れば災禍あり

すべては天のお定めぞ

様々な異なる罪を犯すとも

行き着く先はみな同じ  《南柯子》

 さて、武城県には、一人の男がおりました。彼は、姓を程、名を謨といい、排行は三番目、もともとは城内の人でした。彼には兄弟が六人いましたが、長男、次男はすでに亡くなっており、兄弟が四人しか残っていませんでした。程謨だけは体が八尺あり、顔は大きく、体は太っていました。彼は網巾を洗ったり、修理をしたりするのを生業にしていました。彼はこそ泥稼業もしていましたが、たいへん義気がありました。彼はよそさまの物を盗むことはあっても、人を騙しはしませんでした。彼を可愛がってくれる人がいれば、その人とは争いませんでした。人々は彼が凶悪であることを恐れ、彼を怒らせようとはしませんでした。彼は、たくさんの酒や肉を、金があればすぐに買い、金がなければつけ買いをし、買うことができなければ、ひたすら飢えに耐えました。隣人たちのうち、金持ちは彼が好きでしたが、貧乏人は彼を憎んでいました。

 すぐ隣に、劉恭という料理人がおりました。彼も八尺の体をしていましたが、あまり太っておらず、顔中に白い髭を生やしていました。彼には三人の息子がおり、長男を劉智海、次男を劉智江、三男を劉智河といいました。劉恭はもともと悪者でしたが、三人の子供がいるのを頼りにして、金持ちを妬み、貧乏人を馬鹿にし、他人を罵り、悪口を言い、人の財産に関してでたらめをいっては事件を引き起こしていました。彼は他人のことなど眼中におかず、することもとても汚いのでした。彼に悪さをされた人々は、ほかの料理人を呼びましたが、その料理人たちは行こうとはしませんでした。なぜなら、劉恭から、自分のお得意さまを奪ったといわれ、彼の息子に殴られるからでした。最も憎むべきは、劉恭が、人のために仕事をし、料理を出しますと、宴席で、賓客とともに、必ず上座に着くことでした。蔡逢春は、試験に合格しますと、大勢の郷紳や挙人たちを呼び、酒を飲みました。その時、劉恭は、被りものもつけず、網巾をのせ、小さなチョッキをきただけで、席の前に行き、上座に向かって、ちょっと拱手をしただけで、こういいました。

「皆さん。料理の出来栄えはいかがですか。もっとお食べになりますか」

人々はとても驚き訝かりました。その中に孟郷紳がおりました。彼は、たいへん粋な性格で、劉恭の振る舞いを見ますと、尋ねました。

「料理長さんですか。料理はとてもうまくできています。腰掛けて三杯お飲みになってはいかがですか」

劉恭「宜しいのですか」

孟郷紳「何も問題はありません。私たちは村の仲間ですから、心配されることはありません」

すると、劉恭は自分で椅子を持ってきて、腰を掛けました。人々はびっくりしました。

孟郷紳「執事殿、箸を料理長にお渡しください」

劉恭は平然として食べました。蔡挙人は腹を立て、歯が痛くなってしまいました。客は酒席から退くと、武城県に手紙を送りました。劉恭は二十回の大板打ちになり、十字路で、大きな枷に、二十日掛けられました。それからというもの、宴席での彼の恒例の振る舞いは、廃れてしまいました。

 彼の息子たちは、ほかの場所に住んでおりました。彼と女房は、道の東側にある、西向きの入口の部屋に住み、程謨とは隣同士でした。女房は、劉恭と瓜二つでした。二人はやたらと偉そうにし、街の人々を、大きな家だろうが小さな家だろうが、彼らの子や孫のようなものと見做しました。そして、家の前の塀の下を綺麗に掃除し、毎日夕方になりますと、小さなテーブル、二つの腰掛けを、上座と下座に置き、二皿の料理、二碗の料理、緑豆の粥、真っ白な麺餅を、二双の烏木[1]の箸を使いながら、夫婦さし向かいで食べました。晩には、二皿の料理をだし、肉、魚、鴨の卵、焼酎を、二人向かい合って口にするのを習慣にしました。夏の服は、今まで通りでしたが、冬になると、毛糸の帽子、狐の皮の帽套、黒い布、青い布を継ぎ合わせた綿入れの道袍、一双の黒い靴を着けました。人に会いますと、得意気に、揖、拱手をし、まったく同等に振る舞いました。ですから、彼を知っている者、彼を見た者で、彼を憎まない者はいませんでした。

 程謨が良くないことをしますと、劉恭は、人々に彼の悪口を言いました。人々は、何も見ていませんでしたし、もともと程謨と付き合いがありませんでした。また、泥棒にあっても、程謨のことを疑っていませんでした。ところが、劉恭は大勢の人々に向かって、程謨が盗んだに違いないと言いました。程謨は、食べるものがなくなりますと、米、小麦をつけ買いしようとしましたが、劉恭でなければ、彼の女房が−彼ら夫婦に見付からないときはいいのですが、彼らに見付けられますと−あらゆる手段で邪魔をするのでした。

 ある日、米、豆売りがやってきましたので、程謨は彼を呼び止め、値段を交渉し、翌日に金を払うといいました。穀物売りは承知しました。程謨は、奥に升を取りに行きました。劉恭の女房は、食糧売りに向かって、口をひんまげ、目くばせをし、こっそりと言いました。

「あいつは人の物をつけ買いしてばかりいて、金を払おうとしないのです。きつく催促すると、人をぶったりもするのですよ」

程謨は升をとってきますと、米、豆売りは態度を変え、荷物を担ぎ、風のように去っていきました。程謨は、劉恭の女房が米、豆売りを追い払ったことを知ると、恨みを抱きました。

 半日が過ぎ、小麦粉売りがやってきますと、程謨は呼び止めて、つけ買いをしたいと言いました。小麦売りはすぐに承知しました。程謨は部屋に入り、秤をもってきますと、劉恭夫婦が目の前にいないのをさいわい、小麦粉をつけ買いし、飢えを満たそうとしました。ところが、劉恭は部屋の中で、程謨が小麦粉をつけ買いしているのを聞きつけますと、門の外に出、手足を動かしながら悪口を言いました。程謨が秤を取って出てきますと、ちょうどそこには劉恭がおり、小麦売りは荷物を担いで去っていくところでした。程謨が呼びもどそうとしますと、小麦売りは

「元手の少ない商売ですので、つけ買いはなしにしてください」

といいますと、振り返りもせずに去っていきました。

 程謨は劉恭に言いました。

「おまえたち夫婦はまったく憎らしい奴らだ。俺とおまえは前世で恨みはなく、この世でも恨みはなく、壁一つ隔てた隣同士だ。仕事がなく、食事をとることができないときに、僅かな食糧を貸してくれないのは結構だが、俺が一升の米をつけ買いしようとするのを、おまえの女房が邪魔するとはな。半日後、もう一度、人から一斤の小麦粉をつけ買いしようとすれば、今度は馬鹿野郎のおまえに邪魔されるとはな」

 皆さん、お聞きください。皆さんは、劉恭夫婦が、人に非難され、馬鹿と罵られるのを許す人間であると思われますか。彼らはこういいました。

「恥知らずの泥棒め。働いて飯を食うことができるのに、どうして人の物をつけ買いし、金を払わないのだ。勝手なことをいって人を罵り、近所を騒がせるとは。付け売りをさせなかったからといって、俺を罵るとはいい度胸だな。おまえを追いだし、東隣に住むのを許さないことにしてやるぞ」

程謨の怒るまいことか。お盆ほどの大きさのある拳骨を、劉恭の目鼻目掛けて食らわせました。劉恭はあまり体が頑丈ではありませんでしたので、鼻はひん曲り、目は地面に落ち、鮮血が迸りました。劉恭の女房は、進み出て夫を守ろうとしましたが、程謨に蹴られ、一丈あまりも蹴飛ばされ、地面でうんうんと唸りました。程謨は、劉恭を、犬を引きずるときのように、道の西の塀の下に引っ張っていきますと、洗濯棒のような甕のかけらを手にとり、滅多打ちにしました。頭蓋は裂け、骨髄が流れました。街の人々は、程謨を恐れていましたし、二人の悪人のうちの一人はぶち殺され、一人は死刑になるため、街が平和になるといって喜びました。

 程謨は劉恭が死んだのをみますと、人々に向かって言いました。

「皆さん、私は劉恭の命を償います。劉恭は私に命を奪われました。皆さんのためにこの二対の悪人を除きましたが、いかがですか」

人々「怒りにまかせて、このようなことをなさった以上は、安心して裁判をなさってください。旅費、奥さんの生活費は、心配ご無用です。すべて私たちの街で出すことにいたしましょう」

程謨は、地面に平伏し、人々に叩頭をしますと、意気揚々と、地方、総甲とともに去っていってしまいました。人々は、彼が劉恭を殺したのに感謝し、取り調べ、護送をするときに、彼が使う金を集めてやりました。さらに、彼が監獄で食べる物を送ってやりました。彼の女房は醜かったので、人には嫁がず、間男もせず、よその人のために臼をひいて生活をし、貧しく苦しい生活を送りました。程謨は、死罪に問われ、監獄に入れられましたが、牢名主になり、ごろつきをしていたときよりも楽な暮らしをしました。

 一年がたち、巡按が東昌にやってきました。武城県は、監獄の犯人を、東昌に護送し、尋問をすることにしました。ほかの囚人の護送官は、いい人ばかりでしたが、程謨の護送官は張雲、趙禄といい、道すがら、程謨をあらゆる手段で辱め、一日五六回食事をし、酒を見れば飲み、肉を見れば食べる度に、程謨に金を払わせました。晩に泊まるときは、程謨を縛り、足に鎖、手に枷をはめ、緩めようとしませんでした。程謨は言いました。

「私は逆賊でも強盗でもありません。人をぶち殺し、罪に問われているだけです。逃げはいたしません。酒や肉をとり、馬を雇い、宿代を払われるときは、決して金を惜しんだりは致しません。それなのに、どうしてこのように苛められるのですか。私程謨は、『文王に会えば礼儀正しくするが、桀紂に会えば戦争をする』人間ですから、とことんまで苛められてはいけませんよ」

張雲、趙禄は言いました。

「とことんまで苛めたら、どうするつもりだ」

程謨「どうもいたしません。しかし、お二人との間に恨みはないのに、どうして私を苛められるのですか」

張雲は趙禄に言いました。

「あいつと話をするのはやめろ。審問をして戻ってくるとき、復讐することにしよう。『鼻汁が逆さに流れる』とはこのことだぜ。俺たちに説教しやがって」

 東昌に着きますと、按院は、日を定め、審問を行うことにしました。張雲、趙禄は、程謨を、察院の前に連れていき、待機させました。すると、程謨は、人々の前でズボンを脱ぎ、糞をしようとしました。

人々「まったく行儀の悪い奴だ。ここをどこだと思っているんだ。糞をするつもりか。みっともない」

程謨「皆さん御覧ください。私だって人間ですよ。この二人の使いが、人気のないところで用を足すのを許してくれないので、仕方なくこうするのです」

ほかの護送官は、張雲、趙禄が悪いと言いました。

「人命事件の犯人に糞をさせず、ここでさせるとは、どういうことだ」

張雲は、人々が不愉快そうにしているのを見ますと、趙禄とともに、程謨を人気のない場所につれていき、用を足させました。程謨は二人しかいないのを見ますと、張雲にズボンをとるように頼みました。しゃがんで糞をしおわり、張雲にズボンの帯を結ばせているとき、程謨は、枷を張雲の鼻目掛けてぶつけました。張雲は鼻が二寸の深さに切れ、鮮血が流れ、地面に昏倒しました。趙禄が進み出て彼の鉄の鎖を引っ張りますと、程謨は、進み出て、手枷で、趙禄のこめかみを突きました。お碗大の穴ができ、趙禄は地面に昏倒しました。程謨は、牌房の石で枷を壊し、手を抜き、足の鉄の鎖を二つに捩じ切りますと、張雲、趙禄の頭に、枷を力一杯ぶつけました。脳髄が一面に流れました。魂は、はるか鄷都[2]へといってしまいました。程謨は、壊した手錠、足枷を武器にし、大股に歩きながら、城を出ました。

 ある人が、二人の下役が打ち殺され、長い首枷が脇に捨てられているのを見ますと、武城知県に知らせました。下役は検分をし、程謨が逃げたことを知りますと、あちこちに人を遣わしましたが、程謨の姿はありませんでした。按院に報告が行われますと、期限を設けて、下役の比較が行なわれ、とても厳しい捜査が行われました。

 程謨の女房が刑房の書吏張瑞鳳の家で臼をひいている、彼女が事情を知っているかもしれないという者がありました。そこで、三四人の役人が、捜査にいきました。張瑞鳳の家が、程謨の女房を出し、ぼろぼろの服を着た彼女を人々が見れば、事はそれで収まったはずです。ところが、天は巧みに人を弄ぶものです。張瑞風の家では、どうしても程謨の女房が中にいるとは言いませんでしたので、下役たちは、ますます疑いました。さらに、張瑞風は、役所では、渾名を「南京虫」といい、人々は彼に腹を立てていました。人々は声を揃えていいました。

「上官の令状を奉じているのだから、奴を恐れることはない。奴の家を捜索しよう」

しかし、程謨の女房はみつからず、三十歳足らずの婦人がみつかりました。それは、女囚牢で焼け死んだ小珍哥でした。人々はそれを見ますと、互いに顔を見合わせ、こう言いました。

「晁源の妾の小珍哥ではないか。まさか幽霊ではあるまいな」

小珍哥は、部屋に入り、出てこようとしませんでした。人々は、部屋の入り口を取り囲み、言いました。

「さっき入っていった女は、よく知っていますから、会わせてください」

張瑞風の女房は、簾の中で言いました。

「あれはうちの妾で、臨清で娶ったものです。若い娘を、あなた方のような男に見せるわけにはいきません。程謨を掴まえにきたみなさんに、うちの妾をお見せするはずがないでしょう」

人々「話をしているのは張の奥さんですね。私がさっき見たあの女は、監獄にいた晁監生の女房です。みんなはっきり見ています。あの女を呼んできて、じっくり見せてください。人違いならば、張さんが帰ってきたら、叩頭して謝りましょう。許して下さらなければ、知事さまに報告していただき、罪を受けましょう。しかし、どうしてもあの女を出さず、私たちをこのままにしておくというのであれば、知事さまに報告をし、あの女を捕まえることにしますよ」

張瑞風の女房「小珍哥は死んで八九年になります。あの人がふたたび現れるはずがありません。まったくとんでもないですね。主人が家にいないのをさいわい、女房を見ようとするなんて」

人々「これはまずい。勝手に捜索をすることはできないな。人を一人遣わし、知事さまに報告をすることにしよう」

 そこで、姓を于、名を桂という下役が、県庁にいき、報告をしました。

「程謨の女房が、刑房の書吏の張寿山の家で働いていることを聞き、そこへいきましたが、張書吏は家にいませんでした。彼の女房は、程謨の女房はいないと返答しました。私たちは張寿山の家の中にいき、捜索をしましたが、程謨を見付け出すことはできませんでした。ところが、一人の女房がおりました。彼女は監獄で焼け死んだ施氏のようでした。見ようとしますと、その女は部屋の中に入り、どうしても出てこようとしませんでした。張書吏の女房は、主人が家にいないのに乗じて、私たちが女房を見ようとしているといいました」

県知事は尋ねました。

「施氏とは何者だ」

于桂「施氏は娼婦で、名を小珍哥といいます。身請けされ、晁郷紳の息子の晁監生に嫁ぎましたが、晁監生の正妻が和尚や道士と密通したといい、追い詰めて首を吊らせ、絞首刑に問われました。九年前、女囚牢で失火があり、焼死したということでしたが、先ほど見た女はあの女そっくりでした。私たちのうち一人が見間違えたということならあるでしょうが、私たち四五人の目がかすんでしまったということはないでしょう」

県知事「あのとき焼死した者の死体はあるか」

于桂「ございます」

県知事「死体は、何日間放置された後、引き取られていったのだ。恐らく死体がはやく引き取られたので、外へいってから生き返ったのだろう」

于桂「あの死体が生きていたはずはございません。焼けてすべて灰になっていました」

県知事は尋ねました。

「死体は、その後どうなったのだ」

于桂「晁郷紳の家で引き取り、埋葬しました」

県知事「晁郷紳の家では、死体が焼けていたので、見分けが付かなかったのだ。張寿山を呼んできてくれ」

「今日は来ておりません」

県知事は、二人の捕り手を遣わし、中庭の娼婦の家から、張寿山を探してきました。捕り手は県知事が張寿山だけを呼んでいるのだと思い、珍哥の件で呼んでいるとは思いませんでした。張瑞風がやってきますと、県知事は尋ねました。

「晁監生の妾の小珍哥は、焼死したということだったのに、どうしておまえの家にいるのだ」

張瑞風は顔色を変え、しどろもどろになり、左右を見回しますと、こういいました。

「小珍哥は焼死してから九年以上になります。幽霊が私の家にいるわけもございますまい」

県知事「こいつめ。口答えをするのはやめるのだ」

于桂に命じて、張寿山を掴まえ、傍らに跪かせ、待機させました。

 まもなく、珍哥が捕らえられてきました。県知事は尋ねました。

「これは小珍哥か」

小珍哥は返答をせず、張寿山を見ました。

張寿山「これは私が臨清で娶った妾で、姓を李ともうします。小珍哥ではございません。女は顔が似ているものが多いもの。本当に小珍哥だとしても、九年経っているのですから、顔が変わっていないはずがないでしょう。このように少しも変わっていないはずはございますまい」

于桂たちは言いました。

「少し顔が老けましたが、あまり変わっていません」

県知事は、夾棍を持ってきて、珍哥を挟みました。

珍哥「私を挟んでどうするのです。お話し致しましょう。あの年に焼死したのは私ではなく、ほかの女です。私は失火に乗じて、外に出たのです」

県知事「どうして外に出ることができたのだ」

珍哥は、張瑞風を指差していいました。

「この男にお尋ねください」

県知事は見識のある人でしたので、珍哥の自供を真実であると考えれば、彼女に騙されるかもしれないと考え、張瑞風の尋問を行いました。ところが、彼は言い逃れをして真実を語りませんでした。そこで、夾棍に掛けますと、

「九年前、季典史、名は季逢春という男が、毎日監獄にきました。彼は珍哥が綺麗なのを見ますと、家庭教師の沈相公を監獄に入れ、小珍哥と寝かせました。さらに、下男の女房を監獄にいかせ、世話をさせました。ある日、女囚牢で失火があり、下男の女房が焼死しました。消火をする人々がごった返している中、季典史はすきを見て珍哥を逃がしました。焼死した下男の女房は、小珍哥として埋葬されました。後に、季典史は家に帰りましたが、小珍哥は彼のところに行こうとせず、私の家にとどまりました。これは本当のことです」

小珍哥は、張瑞風が言った通りのことを供述し、まったく供述を覆しませんでした。

 県知事は、自供に基づき、上官に報告をし、文書を季典史の原籍である陝西宝鶏県に送り、季典史と沈相公、焼死した女房のもとの夫を捕えようとしました。季典史は家がとても貧しく、年をとっており、沈相公、下女の夫などはどこにもいませんでした。役所は、季典史を山東に護送しました。季典史は、一生懸命弁明をし、たくさんの尋問を受けましたが、後に、府軍の同知が尋問をし、本当のことを聞きだし、季典史の無実の罪を晴らしました。張瑞風は、珍哥が監獄に入ってからというもの、刑房の書吏であるのを利用して、美しい珍哥をものにしようと思いました。しかし、晁源が生きており、彼のことが怖かったため、手を下すことができませんでした。また、晁源から手厚い贈り物を受けていたため、裏切るわけにもいきませんでした。ところが、晁源が死にますと、晁源の下男の張寿山がしばしば監獄に入り、珍哥と姦通しました。張瑞風は、張寿山を脅して殴打し、珍哥を辱め、珍哥は張瑞風と姦通し、仲良くなりました。珍哥が監獄におり、晁源が生きていたときは、二人の小間使いと晁住の女房が彼女に仕えていました。しかし、晁源が死にますと、晁源の母晁宜人は、小間使いの女房を監獄から出させました。張瑞風は、すぐに易占いの程捉鼈の女房を買い、珍哥の世話をさせ、監獄の中の獄卒劉思長、呉季、何鯨を買収し、程捉鼈の女房を騙して酒に酔わせ、珍哥の炕の上で熟睡させ、火を放ち、彼女を獄中で焼死させたのでした。珍哥は帽子を被り、馬に乗り、靴を履き、張瑞風は三人の獄卒とともに、珍哥を助け、消火に乗じて外に出、張瑞風の家に隠れました。張瑞風は、人の目を欺こうと思い、臨清に行き、妾を娶ったと言いました。珍哥は焼死し、遺族が死体を受け取って埋葬したと報告しました。しかし、天網恢恢疏にして漏らさず、捕らえられ、上官に報告されることになったのでした。

 季典史は裁判が終わりますと、老齢で、旅費も、仕える人もなく、衣食も不足していたため、病気になって死にました。しかし、有り難いことに、古馴染みの下役数人が、数両の銀子を集め、彼をきちんと納棺し、棺を故郷に送りました。張瑞風は斬罪、三人の獄卒は徒刑に処され、程捉鼈は事情を知りながら報告をしなかったため、絞首刑に問われ、県から府、府から道に護送されました。張瑞風と珍哥は、それぞれ六十回の板打ち、程捉鼈と三人の獄卒は、それぞれ四十回の板打ちになりました。二日たちますと、張瑞風は、心臓を痛めて死んでしまいました。さらに、一日たちますと、程捉鼈も死んでしまいました。珍哥はぶたれますと虫の息となり、助かる見込みはありませんでしたが、一か月経ちますと、元通りになりました。

 晁夫人は、事情を聞きますと、とても驚きました。珍哥の面倒をみにいく人は誰もいませんでした。ある人が、晁夫人に、程捉鼈の女房を掘り返すようにいいますと、

晁夫人「よく義塚や棺を贈る人がいるが、すでに埋めたのだし、自分の土地でもないのだから、掘り返すわけにはいくまい」

 珍哥の事件の噂は広まり、山東中の奇聞となりました。珍哥は監獄に入りましたが、晁家からの仕送りはなくなり、張瑞風はぶち殺されたため、囚人の食糧を貰い、命をつなぐことになりました。衣服はぼろぼろになり、顔は痩せ細りました。八百両の銀子で買われた美人は、普通の囚人のように汚らしくなりました。

 翌年、按院が武城県にやってきますと、文書で報告が行われ、彼女は護送されました。珍哥の身の回りには一文もなく、以前のような、人から愛されるような美しさもなかったため、途中の食事代、馬代をたくさん負担しなければなりませんでした。取り調べを受けたり、記録をとられたりするときは必ずぶたれ、ぶたれれば静養することはできませんでした。主人の力をたのみ、龍や虎のように正妻を苛めていた心は、すっかり消え失せてしまいました。彼女は、一人の獄卒に、晁家に行き、晁鳳を尋ねるように頼みました。そして、晁夫人が晁源の面子を立て、取り調べをうけたり記録をとられたりするとき、守ってくれるよう、晁鳳に話しをしてもらおうとしました。

晁夫人「あのろくでなしは、とっくに神さまに殺されたものと思っていました。またこの世に現れてくるとは思いませんでした。あのろくでなしを家に招き寄せはしません。もうあの女のために葬式を出し、埋葬をしたのです。この世に現れてどうするつもりなのでしょう。だれもあの女の面倒はみません。晁鳳、家賃をとりたて、二両の銀子を集め、あの女に送るのだよ。往復の旅費をもたせておやり。それから、あの女に尋ねておくれ。『これからはいい暮らしをすることはできませんよ。これ以上生きてどうなさるのです。ご隠居さまがいる間は、あなたを埋葬する人はいるでしょうが、ご隠居さまが亡くなれば、だれもあなたを構ってはくれないでしょう。今回取り調べを受け、記録をとられれば、四五十回の板打ちになりますが、それでも生きていたいのですか。』とね」

 晁鳳は、家に泊まっている人を訪ね、二両の銀子を請求しますと、監獄に行き、珍哥に会いました。彼女は、新しくも古くもない青い布のズボン、まるで地面のような色の、白い布の膝褲、二本の泥だらけの纏足布、黒い布の靴を履いていました。上には青い接ぎの入った小さな布の衫を着け、痩せた顔をし、髪の毛をざんばらにし、晁鳳に会うと、さんざん泣きながら、こう言いました。

「もう駄目です。亡くなった旦那さまの顔を立ててください。私をまったく構ってくださらないなんて、ご隠居さまは何てひどい方でしょう」

晁鳳「ご隠居さまを咎めてはいけません。ご隠居さまのために何もいいことをしていないのに、ご隠居さまに世話してもらおうと思われるのですか。あなたが焼死したといわれたとき、ご隠居さまは杉の棺、墓地を買い、和尚を呼び、お経をあげ、晁梁さまは喪に服し、法事を行ったのですよ。あなたのことを赤の他人だとは考えませんでしたよ。それに、後からこうして現れてくるなんてね。この二両の銀子は、ご隠居さまがあなたに往復の旅費として下さったものです。ご隠居さまは、これからはいい暮らしはできないから、自分やりくりをしておくれとおっしゃっていましたよ」

珍哥は銀子を受けとると、泣くばかりでした。そして、さらに尋ねました。

「張寿山はどこにいるのですか」

晁鳳「あの人は墓の脇の屋敷を管理していますよ。食事をして肥え太っていますよ」

珍哥は泣きながら罵りました。

「わたしはあの馬鹿には会いたくありません。事ここに至っては、私も隠しは致しません。旦那さまが生きていたとき、あの男と仲良くしていましたが、今では何の愛情もなくなってしまいました。少しも姿を現さなくなってしまいましたが、疫病をうつされるのを恐れているのでしょうか」

晁鳳「あの人を咎めてはいけません。災いが起こったとき、ご隠居さまはこうおっしゃいました。あの男がふたたびこの監獄にきたら、ご隠居さまはあの男の足をへし折ってやると」

珍哥「あの男はご隠居さまのいうことなどききませんよ。ご隠居さまは毎日あの男を見張るつもりですか。ご隠居さまに報告してください。私はご隠居さまのご恩に報いることはできません、明日は護送されなくても、明後日にはきっと護送されることでしょう、取り調べを受け、殺されないで戻ってこれたら、寒くなってきましたので、必ず私の衣装を準備して下さるようにお願い致します、いずれにしても旦那さまの面子を立ててくださいとね」

晁鳳は長嘆息して、

「あなたも旦那さまの面子を立てられることです」

珍哥「もちろん旦那さまの面子を立てていますよ」

晁鳳「あなたは監獄にいるときから旦那さまの面子を立てず、監獄で間男をし、このような事件を起こしました。また、張寿山と姦通したと自分の口からも言いました。それでも面子を立てたというのですか」

珍哥「それは問題ありません。どこの家でも歌い女を娶ればかならず間男をするものです」

 晁鳳は家にいき、話しをすべて報告しました。翌日、武城県は監獄の囚人を一人一人護送しました。小珍哥は、二両の銀子、身につける宝を手に入れたため、ひどい目にあわされることなく東昌に行き、按院の取り調べを受けることになりました。護送官は彼女のために取り計らいをし、推官のp隷に銀子を与え、ぶつ時は、情実を加えさせました。ところが、按院は珍哥を取り調べるときになりますと、二つの目を見張り、両の眉を逆立て、茶色い髭を震わせ、机を何回か叩いて、叫びました。

「この世の中にどうしてこんな妖物がいるのだ。生かしておくわけにはいかん」

八本の簽を抜き取り、丹墀に連れていき、鴛鴦の大板[3]で四十回ぶちますと、皮は破け、肉は綻び、鮮血が溢れ出、息も絶え絶えになりました。背負って外に出し、膏薬を貼り、人夫を雇い、戸板で彼女を担いで帰らせました。県から五里のところで、珍哥は心臓をやられ、意識を失い、あっという間に死んでしまいました。使いが県知事に報告をしますと、下役が遣わされて検分をし、返書を受け取り、埋葬を行いました。晁夫人はそれを聞きますと、晁鳳、晁書を遣わし、死骸を真空寺に担いでいかせ、僧房を借り、衣裳を作り、棺を買い、念仏を唱え、程捉鼈の女房の傍らに埋めてやりました。

 さて、珍哥は、晁源によって買われ、十四年にわたって悪事をした揚げ句、ようやく息の根を断たれました。このことから、娼婦は娶るべきものではない、娶れば財産を奪われ、名声を損なわれ、多大の害がもたらされる、ということが分かります。彼女は、晁源が死んでしまったことを知るや、監視の厳しい場所に送られていたにもかかわらず、例のことをし、あらゆる悪さをしました。天帝が彼女を捕らえなければ、どれだけけしからん事をしでかしていたか分かりません。まさに、

醜きものは家宝なり

美しきものは災の種

娼婦を娶らば

必ずや妓夫となるべし

晁源と珍哥の物語は、これでおしまいで、後にはもう話しはございません。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]黒檀。海南島で産し、箸に用いる。清李調元『南越筆記』烏木「烏木、瓊州諸島所産、土人折為箸、行用甚広」。

[2]羅鄷山のこと。道教で鬼神のすみかとされ、地獄のこと。

[3] 第十二回注参照。

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