第四十九回

若い秀才が結婚をしたのに母を慕うこと

老夫人が飴を口に含んで孫を可愛がること

 

ただ和気のみが家に良し

和やかならば福来たる

母は優しく子は素直

あらゆる幸が備はりて

あらゆる事がうまくゆき

あれこれすべて縁起良し

正しき家にまことに優れた男の子

名のある家に()にも賢き女の子

言ふなかれ『大いなる幸は並んで来ぬ』ものと

美しき花の娘に

麒麟の息子が生まれなば

堂上に母健やかに暮らすらむ  《天仙子》

 さて、晁梁は学校に入り、魏三と裁判をし、さらに一年が経ち、すでに十七歳になりました。晁夫人は正月一日の子の刻を選び、彼の舅の姜副使を呼び、彼のために冠礼を行い、二月二日を選んで結納品を贈り、四月十五日の子の刻に彼のために結婚式を出しました。このようなこまごまとしたことはくわしくお話しする必要はございますまい。

 さて、晁梁は生まれてからというもの、乳母に面倒をみてもらっておりましたが、いつも晁夫人が付き添っていました。二つの奥の間[1]のうち、沈春鶯と二人の小間使いは奥の奥の間[2]に住んでいました。表に近い奥の間[3]には乳母と晁梁が寝られるようにし、窓辺の炕の上で、晁夫人は一人で眠りました。晁梁は乳母の乳を飲みましたが、一晩のうち大半は晁夫人が彼を抱いて眠りました。晩に乳母を先に眠らせ、布団を暖め、晁梁を晁夫人の布団から抱いていきました。朝、乳母が起きますと、晁梁を晁夫人の布団に送り、乳母に髪梳きと洗顔をするように命じました。乳母が勤めをやめますと、晁梁は少しも腹を立てず、晁夫人と一緒に眠りました。彼が十三四になりますと、晁夫人は身動きがとれないのを嫌がって足元で寝かせましたが、やはり同じ布団でした。学生になり、秀才になっても、午後には晁夫人について炕の上で勉強をし、まるで明りと影のようでした。乳母が去ってからというもの、沈春鶯は表の間の炕の上に移り、晁夫人とともに付き添いました。

 晁梁は結納品を贈って嫁を娶ることになったといわれますと、とても喜びました。晁夫人は大工を呼んで母屋を造り、窓を洗い、四角い煉瓦を床に敷き、壁を表装し、天井に紙を貼り、綺麗に片付けをし、晁梁の結婚式のときの洞房にしようとしました。

晁梁「僕たちは表に住んでいたのに、奥に移ってどうするのですか」

晁夫人「新婦が家にきたのに、もとの家に住むのかえ。おまえの舅の家からきた結納品を置かなければならないのだよ」

話しをしますと、彼もあまり争いませんでした。四月十三日に姜家から鋪床[4]をしにやってきました。衣服、装身具、食器、寝床の帳の鮮やかな様は、くだくだしく申し上げる必要はございますまい。晩には、新しい床に誰もいないのを忌み、木綿布の袋を寝床に置きました。十五日に姜小姐を娶りました。晁梁は晁夫人の指示を聞きながら、天地を拝し、酒を飲み、床公、床母を拝し、坐帳[5]、牽紅[6]は、慣習に従いました。挨拶[7]から戻ってきますと、姜家では三回ご飯を送りました。

 日が暮れますと、晁梁は、晁夫人に向かって言いました。

「もう暗くなりますが、部屋にはたくさんの物が置かれています。僕たちはどこに寝床をしつらえればいいのでしょう」

晁夫人「何の寝床をしつらえるんだい。小間使いを表で眠らせ、おまえたちが入り口を閉じればいいんだよ」

晁梁「僕と母さんの寝床、沈姐の寝床は、どこにしつらえるのですか」

晁夫人「私と沈姐は炕の上で眠るから、寝床をしつらえたりはしないよ」

晁梁「母さんは、新郎新婦は新しい部屋に住むべきだといっていたのに、どうして来られないのですか」

晁夫人「おまえと嫁が新郎新婦なのだよ。私は新婦でも何でもないよ」

晁梁はまだ母親の話が理解できず、彼の嫁を新しい部屋で眠らせようと考えていました。午後になりますと、彼はまだ晁夫人の炕の上でぶらぶらしていました。

晁夫人「遅くなったから、私たちは眠るよ。小和尚、おまえも自分の部屋にお行き」

晁梁はそれでも服を脱ぎ、網巾をとり、炕に上がろうとしました。

晁夫人「おまえは自分の部屋にお行き。何の積もりなんだい」

晁梁「母さんこそ何の積もりですか。私をあの部屋に行かせるのですか」

晁夫人「馬鹿な子だね。これからは嫁の部屋に行ってお眠り。今日からは私のところで寝るのは許さないよ」

晁梁「本当ですか」

晁夫人「馬鹿だね。本当でなければ、おまえを騙しているということかい」

晁梁「僕は嫌ですよ。毎日嫁をとるとおっしゃっていましたが、実は僕をだまして母さんから離れさせる積もりだったのですね。承服できません。これは僕を騙したということです」

炕に上がって掛け蒲団の中に潜り込みました。

晁夫人「まったくろくでもない子だね。やめておくれ。起きて奥へお行き」

晁梁は、晁夫人にきつく催促されますと、目を何度か擦り、わあと泣き、頭を晁夫人の懐におしつけ、立ち上がろうとしませんでした。晁夫人は口では『ろくでもない子だね』といいながら、目からは思わずぽろぽろと涙を流しました。春鶯は、それを見ますと、最初は笑っていましたが、やがてしくしくと泣きだしました。

 晁鳳の女房が宿直をするために部屋にやってきました。晁鳳の女房は言いました。

「どうしたものでしょう。何でしたら、とりあえず炕の上で眠っていただきましょうか」

晁夫人「お黙り。縁起のいいことをしなければいけないよ。いい子だから、お母さんの言うことを聞いて、嫁のところへいって寝ておくれ。明日の朝になったらお母さんに会いにおいで」

晁梁はそれをききますと、ますます悲しくなりました。

晁夫人「まったくとんでもない子だね、何の積もりなんだい」

晁梁「母さんと寝たいのですよ」

晁夫人「おまえが私と寝たら、おまえの嫁はどうなるんだい」

晁梁「僕の嫁は沈姐と眠らせ、僕は母さんと眠ることにします」

晁夫人「まったくとんでもないね。どうして秀才になれたんだろう。嫁をとったのに母親と眠る男がどこにいるものかい」

晁梁「もしも沈姐といっしょにあの部屋に行かなければ、僕は母さんと大きな寝床の上で、僕の嫁と僕の姉さんは窓べの炕の上で寝ることにしましょう」

晁夫人「いい子だから、癇癪をおこしては駄目だよ。部屋で眠り、明日の朝に母さんに会うことにおし」

 晁梁はうろうろし、晁夫人は焦り、春鶯と晁鳳の女房は笑いました。

晁夫人「大事な儀式なのだよ。今年十七歳になり、学校に入り、頭巾を被ったというのに、まだ子供だというのかい。母さんの話も聞かないつもりかえ。もうすぐ試験があるのだろう。省城にいって試験場に入り、都で会試を受けるときも、母さんを付き添わせる積もりかい。おまえが役人になったら、母さんと出勤する積もりかえ。もう三更だ。私は疲れたよ。おまえは急いで部屋にお入り。居眠りをする間もなく夜が明けてしまうよ。立っておくれ。おまえを部屋に送っていこう」

晁梁の手を引っ張って外に出ようとしますと、晁梁はもがいて奥に行こうとしました。

晁夫人「まったく親孝行な子だね。たった一人の母さんを転ばせるつもりかえ」

その時のありさまは、まるで学校から逃げた書生が学校に行こうとしないかのようでした。しかし、晁夫人が彼を引っ張って外に出しますと、晁梁は目を擦り、涙を拭きながらいってしまいました。晁夫人は彼を送り、彼に入り口を閉じさせ、その後で自ら部屋に戻りました。晁夫人は彼を送り、入り口に鍵を掛けさせ、その後で自ら部屋に戻りました。晁夫人は彼を去らせたものの、心の中では別れるのが辛い気分でした。しかし、晁梁は自分の部屋で眠ろうとはせず、しばらく泣きました。晁夫人は目を閉じませんでした。夜明けの鐘が鳴りますと、晁梁は外から部屋に戻ってきて入り口を叩きました。晁夫人は人に命じて彼のために入り口を開けさせました。

晁夫人「こんな朝に何の積もりだい。私のところでもう少しお眠り」

晁梁はぐうぐうと日が高く上るまで眠り、姜家が朝食を送ってきますと、ようやく起き上がりました。

 晁夫人は姜夫人に晁梁が夜に駄々をこねたことを告げました。姜夫人は、結構なことだ、無邪気なことだといいました。晩になっても、晁梁は駄々をこね、行こうとしませんでした。晁夫人は何度も彼をすかして去らせました。それから毎日、三四更に部屋を出、五更にならないうちに晁夫人の部屋に戻ってきて眠るのが習慣となりました。晁夫人は心の中では晁梁が愛しくてたまりませんでしたので、いいました。

「私の話をお聞き。遅くいって早く戻ってきてはいけないよ。対月[8]をすぎたら、この奥の間を整理してやろう。嫁と一緒に住むのだ。私とおまえの姉さんはこの表の間でおまえを見守っていることにしよう」

晁梁は喜んで口を閉じることができないほどでした。一か月もたたないうちに、彼は晁夫人に催促して奥の間の天井を表装し、緑の紗を窓に貼り、万字の籐の筵がしかれた涼床[9]、天藍の水紗[10]の帳を買い、対月を過ぎたら住もうとしました。春鶯はいいました。

「奥さまは不便なのを嫌がって来ようとしないでしょう」

晁夫人「そんなことに構うことはない。あの人が私たちに部屋を整理しろといったから、整理したまでだ。あの人がこようとしないのなら、何も文句は言えないはずだ」

ところが、彼の女房は部屋が整理されたことを知りますと、喜んでいいました。

「七八十歳の母親を部屋に置き去りにして、一人で住んでいても心が落ち着かないだろう。朝晩つきそっていた方がいい」

 五月十五日になりますと、姜小姐は実家に帰りました。彼女は三四日泊まっただけで戻ってきますと、晁梁とともに奥の間に移りました。そして、朝も午後も、晁夫人のところでしばらく眠り、晩にも数回、嫁とともに晁夫人の炕の前にいきました。上辺はまるで二人の乳飲み子のようでしたが、裏ではどれだけ例のことことをしていたか知れません。姜小姐はだんだんと疲れて目がしょぼしょぼし、手足がだるくなり、悪心、空嘔をし、食欲がなくなり、酸っぱい物を欲しがるようになりました。晁夫人はおめでたがあることを知りますと、静業庵の陳姑子を呼んで五千巻の『白衣観音経』を唱えさせました。さらに白衣大士に願を懸けました。光陰は矢のごとく、あっという間に翌年の四月十五日の辰の刻になりました。昨年の結婚の日からちょうど一年目に、白くて太った元気のいい赤ん坊が生まれました。晁夫人は喜んで部屋の中をぐるぐる回り、姜夫人もとても喜びました。

 晁夫人は徐婆さんに一両の銀、一匹の赤い潞紬[11]を与えました。姜夫人も一匹の赤い劉絹[12]、一両の銀を与えました。ところが、徐婆さんは浮かぬ顔でした。婆さんは酒を注いでやっても、あまりたくさん飲まずに、別れて帰ろうとしました。十七日の朝に洗三をしにきてくれといいますと、婆さんはいいました。

「昔、私の姑が若さまをとりあげにまいりました。最初の日、晁奶奶は二両の銀、一匹の赤い緞子、さらに一両の銀花をくださいました。私が十七日に若さまの洗三をするときは、晁奶奶、姑にくださった額のご褒美をくださいまし」

晁夫人「十七八年前のことです。あなたはまだ覚えてらっしゃったのですね。私は忘れてしまっていました」

春鶯「私はまだ覚えています。あなたが話したことは少しも間違いがありません。しかし、あのとき姜さまのお祝儀がなかったことを覚えてらっしゃらないのですか」

徐婆さん「あなたは私にこれ以上贈り物を受けるなとおっしゃるのですか」

晁夫人「お易いことです。姜さんに外孫が生まれ、私に孫が生まれたのは有り難いことです。たとえ損をしようとも、贈り物をしてあなたを喜ばせてあげましょう」

徐婆さんはようやく機嫌を良くして、去っていきました。

 あっという間に十七日になりました。三朝[13]の間、姜夫人は、下男の姜朝の娘を連れてきて、赤ん坊に初めて乳を飲ませました。徐婆さんもやってきました。姜、晁の親戚は、粥用の米を持ってきましたが、まるで流れる水のようでした。晁夫人はたくさんの料理人を呼び、酒席を設けて内外の友人をもてなしました。さらに、各荘園に行き、饅頭三石を蒸しました。それぞれ小麦粉半斤を用い、和尚や道士などの人々に施しました。徐婆さんは赤ん坊の洗三[14]をし、女たちはそれぞれ盆にお祝儀を入れました。そのことはくわしくお話し致しません。晁梁が生まれたときの旧例に従い、徐婆さんに五両の銀子を与え、盆の中に二両の銀、三銭の金を入れました。姜夫人は盆の中に一両の銀を置きました。二人の叔母はそれぞれ五銭を入れました。最後に姜夫人がさらに二両の銀、二つの頭機[15]の首帕を、二人のおばはふたたびそれぞれ五銭の銀子を与えました。徐婆さんは息子を抱き、姜副使と姜大舅、姜二舅を招き入れ、外甥を見せました。姜副使の父子三人はとても喜びました。姜副使はさらに銀一両を与え、二人のおばはそれぞれ五銭の銀子を与えました。徐婆さんが赤ん坊を抱いて去っていきますと、姜副使は晁夫人を呼んでお祝いを言いました。晁夫人は座席を設け、茶を出し、姜副使に赤ん坊を命名するように頼みました。姜副使は「全哥」と命名し、晁夫人は礼を言いました。茶を飲みますと、晁梁は姜副使を前庁に案内し、座らせました。姜副使は『馮商四徳記』を選びました。

 一人の道士が斎食をいただきますと、いいました。

「施主さまの手厚い斎食を受け、お礼の言葉もございません。良い処方箋をお送り致しましょう。赤ちゃんの切り取られた臍の緒を、新しい瓦二片と混ぜるのです。炭火で焼くときはすべて炭化させないように[16]します。綺麗な朱砂を加え、研いで細かい粉末にし、川芎、当帰、甘草それぞれ一銭を、煎じて濃い汁にし、薬の粉末を次々に乳に混ぜます。子供が飲むときは、すべて飲ませます。とても臭くて濃い大便が出、全身には赤い斑点ができます。しかし、こうすれば、一生痘疹ができず、出たとしてもとても軽いのです」

晁夫人は彼女に言われたとおり、臍の緒を捏ねて焼きました。三分五厘の重さのものに、一分七厘の朱砂を加え、彼に食べさせました。果たして道士のいった通り、体中に赤い点ができました。後に小全哥は三つのできものができましたが、これは後でお話しいたします。

 晁、姜の二夫人は、媒婆をあちこちに遣わし、乳母を探しましたが、すぐには手に入れることができませんでした。姜小姐も息子の面倒を見ることができませんでした。毎日姜朝の女房が付き添っていたものの、やはり役には立ちませんでした。やがて、媒婆の張さんが女を連れてきました。ほぼ二十数歳、黄色味掛かった白い綺麗な顔で、出っ張った目をしていました。顔はあまり醜くありませんでしたが、少し凶悪な相がありました。胸には二つのふっくらした乳房がついていました。身に着けた服はあまりぼろぼろになっていませんでした。小さな纒足で、懐には三四か月になる女の子を抱いていました。彼女は夫は髷結い、髪梳きをしていた、彼女と姑が喧嘩をしたので、姑を別のところに住まわせようとしたが、夫が承知しようとしなかったので、息子を捨て、よその家の乳母になった、五年契約にしてもいい、姑が死んだら帰りたいから、と言いました。晁夫人は質問もせずに、彼女を去らせました。

 張さんは家から帰ってくるといいました。

「晁さまは乳母を一生懸命さがしてらっしゃいますが、あんないい人はほかにおりませんよ。年も若いですし、いい乳をしておりますし、あまり醜くもありませんから、乳を飲んだ子も美しくなるでしょうに。ご隠居さまは、あの人の何が気に入らなくて、追い払われたのですか」

晁夫人「姑から逃げるような女が、まともな人間といえるかえ。息子にあの女の乳を飲ませるだって。あの女はもういいから、早く他の人を探しておくれ。お礼はたくさん出そう」

張さんはいってしまいました。

 翌日になりますと、姜副使は、人に二人の乳母を連れてこさせ、晁夫人に会わせました。一人は、

道士のもとからやつてきて

白粉は洗はずに

緑の鬢はまだ茶色

顎は尖つて 頬は窪んで 鼻はぺちやんこ

どこの美女かと尋ぬれば

家は南の丘にあり

母は隣の村におり

故郷(ふるさと)を夫は長く離れたりとぞ。

もう一人は、

瓜実顔に白粉(こな)を塗り

腰には排草香[17]を掛け

胸には洛酥茄[18]を垂らし

首の周りに袋さぐ

黛より濃き春の山

大きくはなき蓮の花

薄情な夫はよそに長居して

凶作の年を過ぐすに術もなし

 晁夫人がみてみますと、色黒の乳母の顔はあまり白くはありませんでしたが、かといって烏木のようでもありませんでした。髪の毛は黒く、顔は凹み、両頬は窪み、鼻ぺちゃで、足は大きな山出しでした。彼女の夫は、薪を伐って生活をしていたが、崖から落ちて足を傷付け、仕事をすることができなくなった、息子をおいてでもお金を稼ぎ、夫の世話をしたい、とのことでした。色白の者は顔があまり黒くありませんでしたが、霜や雪のようというわけでもありませんでした。彼女は白い毛の混じった両の鬢、焼餅のような顔、箒のような眉、竹の節のような鼻をし、かかとを踏みつぶして靴を履いていました。罪人の妻で、夫が徒刑に処されてから、生活をすることができず、乳母のような商売をしているとのことでした。

 晁夫人は口では話をしませんでしたが、心の中では樵の女房に注意していました。しかし、彼女の良し悪しは分かりませんでした、彼女たちにそれぞれ乳を搾らせ、茶碗にいれ、暖め[19]たところ、色白で綺麗な乳母の乳は、嗅いでみますと生臭みがあり、油気のないスープのようでした。色黒の乳母の乳は、嗅いでみますとよい香りがし、豆腐の塊のようになり、とてもたくさんありました。晁夫人はすでに七八割り考えを決めました。さらに、彼女たちに息子を抱いてこさせ、見てみますと、実は女の子で、二か月になったばかり、青黒い頭皮、真っ白な顔、真っ赤な唇をしていて、母親のように綺麗ではありませんでした。晁夫人はそれを見ると、尋ねました。

「乳母になるのなら、この子はどうするのだ」

乳母はいいました。

「ご隠居さまが私を雇ってくださるのでしたら、この子はよその家を探して養わせてください」

晁夫人はさらに尋ねました。

「もしもだれも欲しがらなかったら、どうするんだい」

乳母はいいました。

「欲しがらなかったら、捨てるしかありません」

晁夫人はそれを聞きますと、とてもかわいそうに思いました。晁鳳夫婦は四十二三歳でしたが、子供がありませんでした。妊娠七か月で、女の子を流産したのでした。

晁夫人「晁さん、この子を養ってやりなさい」

晁鳳の女房「二か月の子供は、物を食べることができないのに、私がこの子に何を食べさせるというのですか」

晁夫人「おまえは流産をしたが、七か月だったのだから、この子に数日乳を含ませれば、乳が出るかもしれないよ」

晁鳳の女房「ご隠居さまがあの人を雇われるのでしたら、晁鳳と相談をしてみましょう」

 晁夫人は色白できれいな乳母に一銭の銀子を与え、まず彼女を去らせました。

春鶯「色白な方は、顔は醜くありませんし、足も大きくありませんから、靴を履くのにも節約になります、ご隠居さまはあの人をとらず、醜い方をとられたのですか」

晁夫人「私もそう思っていた。しかし、徒刑囚の女房だし、身繕いがだらしない。それに、顔中に白粉を塗りたくり、顔には鼻をつくほど綿花油を塗り、目配せをしたりしている。私はあの女は気に入らないよ。もう一人は少し色黒だが、あまり醜くもない。いずれにしても子供が相手なのだから、きれいな乳母を選んでも意味がないよ。ごらん。あの女が乳を与えた子はあの女には少しも似ていないよ」

 晁夫人は尋ねました。

「おまえの夫は何という名字で、どういう名前なのだい」

「夫は呉という姓で、呉学顔ともうします」

晁夫人「足を怪我したのなら、いっそのことおまえを数両の銀子で売ったらいいのに」

「もちろん私を売ろうとしました。しかし、私はこういったのです。『私がいい顔をしているとお思いですか。私を二両の銀子で売ったって、何日食べていけるというのですか。息子と別れ、よそさまの乳母になり、金を稼ぎ、母と息子の二人で暮らす方がましですわ』」

晁夫人は尋ねました。

「まだ姑はいるかい」

「もちろんおります。今年五十九歳になります」

晁夫人は尋ねました。

「おまえが乳母になっても、月給は幾らもあるはずがないから、夫婦で暮らすがいい」

「夫は筵を編むことができ、敷物や、笊[20]を編むこともできます」

晁夫人は尋ねました。

「筵を編むことができ、笊を編むことができても、足を怪我しているなら、どうやって売りにいくんだい」

「夫は脚がよいときも、自分で売りにはいかず、私たちの姑が市場に売りにいっていました。私たちの姑はとても丈夫なのです」

 晁夫人はそれを聞きますと、いいました。

「とりあえず二日泊まって契約書をかいておくれ。仲介者は何という名字ですか」

媒婆「私は魏という名字です。ここの沈奶奶の縁談は私の姑がまとめたのです」

晁夫人「ああ。魏さんのお嫁さんですか。いつからお姑さんの仕事を継いだのですか」

「仕事をはじめて二三か月になったばかりです。ほかのお宅へはあまりうかがっておりません。姜さまの家には足しげく通っておりますが」

晁夫人は尋ねました。

「お姑さんはまだ少しは目が見えますか」

「少し見えればまだいい方です。普段は見ることができません。去年は太陽が赤いのが分かりましたが、今年は太陽も見えなくなってしまい、動くときは人に引っ張ってもらっています。さいわい、上の娘が今年十二歳になり、家でおとなしくご隠居さまに付き添っております」

晁夫人「私はあの人を懐かしく思っているのですが、まったく音信がないのですよ」

「どうりで姑がご隠居さまを恋しがっていたわけですね。あのご隠居さまは本当にいい方だともうしておりましたよ」

晁夫人は笑って

「あなたのお姑さんは魏さんですが、年をとってもいません。どう呼んだらいいでしょう。あなたを小老魏と呼ぶことにしましょう」

「私たちの姑が老魏ですから、わたしは小魏です」

 晁夫人はさらに尋ねました。

「鄒さんは今でもお元気ですか。あの人もしばらくここに来ませんが」

小魏は返事をしました。

「姑は鄒さんがいなければ、あのように目が悪くはなりませんでした。何もかもあの人のせいです。まったく腹が立ちます。人が脇から宥めても、あの人は聞こうとしませんでした」

晁夫人は尋ねました。

「どうしてあの人に腹を立てたのですか」

小魏「私の姑が縁談を持ち掛け、よそさまが結納品を贈って嫁を娶りますと、あの人はいつも私の姑に内緒で利益を独り占めしてしまうのです。姑はあの人に、私を相棒にするように頼みましたが、あの人はさんざん理由を付けて、承知しようとしませんでした。去年、鍋市の周さまの娘さんがお嫁にいかれたとき、礼物を送り、舗床をしました。周さまはおっしゃいました。『老魏は目が見えないが、仲立ちはあなたがた二人がしたのです。老魏に礼物と布をあげるべきです。鄒さん、もっていってあげてください。もっていったあとで、検査をしますからね』。ところが、あの人は一生懸命隠し、少しも与えようとしませんでした。私が周さまの家にいきますと、周さまは私に尋ねられました。私はいいました。『お金や布など送られてきていません』。周さまはひどく腹を立てられました。周の奥さまはおっしゃいました。『何て憎たらしいんだろう。あの人を呼んできて、責め立てることにしよう』。私は『呼んでこられるのなら、私がここにいる間に呼ばれてください。私が目の前にいなければ、あの人は送ったと言い、さらに、心にもない誓いを立てるでしょう。あの人には少しも良心がございませんからね』。周さまはおっしゃいました。『あなたのいう通りです』。人にあの人を呼んでこさせ、外から『長さ三丈幅八尺』のものをもってきました。あの人が入ってきますと、私はいいました。『周さん、あの人に尋ねてください。あの人がどういうかみてみましょう。私はとりあえず隠れています』。あの人は中に入ってきますと、床に這いつくばって周さまに叩頭し、尋ねました。『ご隠居さま、お呼びでしょうか。』。周さまはおっしゃいました。『あなたに質問があります。魏さんの布と銅銭を届けてもらいましたが、あの人に渡したのですか。』。あの人は顔の皮を厚くして『ご隠居さま。ご隠居さまがあの人を忘れられず、私にあの人の物を届けさせたのですから、あの人の物を騙しとったりはいたしません。すぐにあの人に渡しました。あの人は目が見えないので、ご隠居さまにお礼を言いにいくことができないといっておりました。あの人からの言伝を、ご隠居さまに報告をいたしました。お忘れになったわけでもございませんでしょう』。周さまはおっしゃいました。『じゃあどうしてあの人が嫁をつかわして贈り物を要求しているのですか。』。あの人はいいました。『あの人にあげてありますのに、何で欲しがりにきたのでしょう。』。周さま『あの人にあげたとき、あの人の嫁は見ていましたか。』。あの人はいいました。『ええ。老魏は炕の上に腰を掛け、彼女の嫁は竈の中で豆腐を焼いていました。私が、周さまの娘さんが結婚されました、これは周さまからあなたへの二匹の布、二封の銅銭で、全部で一千二百文ありますといいますと、親子二人はとても喜びました。嫁はさらに、周さまは本当に良い方です。どなたもこのような長い衣服用の布を下さりはしませんよといい、老魏も、鄒さんにお礼をいっておくれ、といいました。さらに私に二碗の豆腐を食べさせました。私はあの人に品物をあげなかったなどというとは、本当に良心のない、罪作りなことですよ』話をしていますと、私は前に歩み出て、いいました。『おや。鄒さん、汗病[21]に罹って、でたらめをおっしゃって。どうして嘘をおっしゃるのですか。あなたがくれたのはどんな布ですか。黒いものですか、青いものですか。何が千二百文ですか。』。あの人は私に誓いを立てようとしました。『私があなたの豆腐を食べていないのなら、この喉にお碗大の腫れ物ができることでしょう。しかし、あなたが私に豆腐を食べさせていなければ、あなたの口にお碗大の出来物ができるでしょう』。私はいいました。『あなたが豆腐を食べていないとはいっていません。だけど、あなたは布や銅銭をくれなかったじゃありませんか。』。あの人はいいました。『よくもおっしゃいますね。私が布と銅銭をあなたにあげていないのに、どうして私に豆腐を食べさせてくれたのですか。』。私『私が麦を混ぜると、あなたは丸々三四杯むしゃむしゃと食べました。しかし布と銅銭はくれませんでした。先日、西門里の王奶奶の家で焼酎、臘肉とちまきを送られましたが、あなたは布と銅銭を持っていかず、食べてしまいました。あなたは悪者です。周さまからの贈り物を、半分くすねたのですからね。私に半分をください。私はめくらの姑をあなたの家に担いでいき、あなたにねだることができますよ』。あの人はいいました。『担いで来られたらどうですか。あの人に麺を食べさせてあげましょう』。私はいいました。『どんな麺ですか。不見麺でしょう。[22] 』。周さまは笑ったり、怒ったりして、言いました。『銅銭は使ってしまっても、布はまだあるでしょう。はやく持ってきてください。私は銅銭を付け足して老魏に与えることにしましょう。これからもあなたが家にくるのは許しましょう。しかし、このようにろくでもないことをしたら、礼物を送るときに、やってくることは許しませんよ』。あの人はようやく二匹の青い布をくれ、周さまは千二百銭を添え、持っていって姑に渡すように命じました」

 晁夫人「何て憎たらしいのでしょう。あなたが周さんに会わなければ、その品物は騙しとられていたことでしょう。みんな台所へ食事をとりにおいき。二十四日が吉日だから、契約書をかきにきておくれ。誰に書かせたらいいだろう。小魏は夫が歩くことができないといっていたから、あの人の姑を来させることにしよう」

 二日が過ぎ、二十四日になりますと、朝食の後、小魏が呉婆子を連れてやってきて、晁夫人に叩頭しました。晁夫人が見てみますと

黄でも白でもなき髪に

大きくも小さくもなき瘤があり

髷をつけ

穿く長靴は男物

大きな拳は酢の盆で

太き(かいな)(みそ)の甕

身には数本青き筋

胸に一対黒き乳房(ちち)

古の佘太君[23]の先鋒か

最近の秦良玉[24]の上将か

 晁夫人は、小魏に給料、衣服の交渉をさせました。

呉婆子「何も申し上げることはございません。晁さまは女菩薩で、人をどれだけ救われたかわかりません、まして私が坊っちゃまの面倒をみるとなればなおさらのことでしょう。言えとおっしゃられても、幾らとは申し上げられません。ご隠居さまから少しご褒美をいただければ、それだけで、身に余る幸せです」

晁夫人「そんなことをおっしゃらないでください。万事最初が悪くて後が良ければよく、最初が良くて後が悪いのはよくありません。はっきりと交渉をし、契約書を作ることにしましょう。あなたに褒美を上げることができるのは身に余る幸せです。はっきりとおっしゃってくださらなければ、一千一万でも差し上げましょう」

呉婆子はいいました。

「おっしゃることはご尤もです。どうか金額をお決めください」

晁夫人「毎年三両六銭の銀子、三つの季節に衣服を差し上げましょう。息子の誕生日、春夏秋冬の節句には、さらにお祝儀を差し上げましょう。仕事が終われば、衣装、かんざし、耳輪を作り、箪笥を買い、布団を作り、あなたを送り出しましょう。たったこれだけでお粗末ですが」

呉婆子は言いました。

「ご隠居さま、これ以上何を望みましょう。もう十分でございます。私にはすぎたものです」

晁夫人は五十銭を与え、晁書に人を探して契約書を作るように命じました。晁夫人はそれを受け取りますと、人々に酒とご飯を出しました。そして、まず九銭の銀子を払い、小魏に三百銭を与えました。呉婆子は何度も礼を言い、自分の女の子を抱きますと、養う人を探しにいこうとしました。

 晁夫人は、晁鳳の女房に尋ねました。

「晁鳳と相談をしたかい」

「ここ二日間乳を含ませていますが、とてもよく乳が出ます」

晁鳳「しかし、苦労してこの子を育て上げても、呉婆子に連れ帰られてしまっては、烏に卵をもっていかれるようで、寂しい限りです」

呉婆子「何をおっしゃいます。この子は男の子ではありませんよ。たとえどんなに良くしていただいたとしても、私はこの子を連れ帰り、良い暮らしをさせ、良い家に嫁がせますからね」

晁夫人「心配ありません。このような元気な子と別れる気にはなれませんが、たとえこの人が連れ帰っても、あなた方はこの子の育ての親なのですから、子供もあなた方を忘れることはできないでしょう」

呉婆子「阿弥陀仏。千年生きられ、天国に昇られるご隠居さま。私の住んでいる山には香がございませんから、朝昼ご隠居さまのために松、檜の升を焼き、念仏を唱えることにいたしましょう。さらに、ご隠居さまに申し上げることがございます。私に奥さまの世話をさせていただけませんか。衣装に糊をつけたり、靴底を入れたりいたします。お子さんの衣装は、すべて私がお作りいたしましょう」

晁夫人「あなたは私に身売りしたわけではないでしょう。遠慮もなくつまらないことに指図したり、口出しをしたりしてはいけませんよ。たとえそれが一日一回だとしてもね」

呉婆子はとても喜んで去っていきました。

 呉奶子は醜い女でしたが、小全哥は乳を飲み、白く太り、美しくなりました。彼女は子供を可愛がり、よく働きました。ほかの女のように、子供を見てばかりいて、早く寝て、遅く起き、飯がくれば口を開き、箸がくれば手を伸ばすような怠け者ではありませんでした。彼女は小全哥に乳を与えたばかりでなく、雇われた下女の代わりに仕事をしました。台所の中でご飯を作ったり、餅をのしたり、臼を挽いたり、衣服を作ったりするのは、たやすいことでしたが、最も立派なのは、おしゃべりをしたり、群れを作って、食べ物を盗んだりしないことでした。しかし、彼女は人々とは気が合わず、下女、下男たちは彼女を嫌いました。また、話してもうち解けず、晁夫人にさえも盾突くことがありました。後に、晁夫人は、彼女の姑の老呉に、城内で仕事をさせました。彼女の夫の呉学顔は、びっこでしたが、動くことができましたので、城外で筵を織らせ、荘園の番をさせました。彼は、性格が正直で、天真爛漫で、本当に女房とそっくりでした。後に小全哥が五歳になりますと、晁夫人は彼を呉学顔を同じところに送りましたが、家の中にとどまる日が多く、荘園に住む日は多くありませんでした。

 雍山荘の執事の季春江が危篤になりますと、晁夫人は、自ら荘園に彼を見舞いにいきました。彼は荘園のことをくわしく晁夫人に語り、彼の息子が賭博をして酒を飲み、最近さらに妾を囲ったので、仕事を彼に託すことはできないと言いました。そして、一生懸命推薦をしました。

「呉学顔は善人ですから、彼に雍山の荘園を管理させれば、他人とぐるになって悪事をすることはないでしょう」

晁夫人は彼に季春江の仕事を与えましたが、すべて任に適っていました。季春江は八か月病んで死にましたが、呉学顔が推薦人の言葉に反することがなかったので、病気の間もとても喜びました。以上は晁夫人に慶事があり、善人がやってきて、悪人は退いたというお話でした。晁夫人は女でしたが、二人の乳母の中から醜い女を選んだのは、人を見る目があったというものでした。後にさらに事件が起こったのですが、さらに次回を御覧ください。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]原文「裏間」。中国家屋で、屋外への出口のない部屋をいう。

[2]原文「重裏間」。未詳。とりあえずこのように訳す。

[3]原文「外層裏間」。未詳。とりあえずこのように訳す。

[4]結婚の一日前に、父、母、夫、息子、娘が全部生きている婦人を呼んで、布団を敷かせること。

[5]坐福ともいう。新郎新婦が洞房の炕に腰掛け、新郎が自分の左の襟を新婦の右の襟に当てる儀式。男子の女子に対する優位を示す儀礼とされる。

[6]夫婦固めの杯を飲む合巹の儀式のとき、二つの杯を赤い紐で結ぶことをさすと思われるが未詳。

[7]原文「拝門」。結婚後、夫婦が初めて里方へ挨拶に行くこと。

[8]結婚して一ヶ月後、新婦が里に帰り何日間か泊まること。

[9]原文「万字藤簟涼牀」。「万字藤簟」は籐で編んだ筵で、卍模様がついているものであろう。涼牀は納涼用竹製寝台。

[10]未詳。冰紗の誤りか。冰紗については第三十六回の注を参照。

[11]山西省潞安府に産する紬。庶民の衣裳に用いた。清葉夢珠『閲世編』巻八「其便服則惟有潞紬、甌紬、綾地。」。

[12]絹の一種と思われるが未詳。

[13]新生児出生後の三日間。

[14]新生児出生後三日目に新生児を入浴させる儀式。

[15]機械で織られた織物の一種と思われるが未詳。

[16]原文「鍛練存性」。存性は外丹術の用語で、物を炭化させるとき、薬の性質を保つようにすることをいう。

[17]排草ともいう。広東省に産し、麝香のような香りがあるという。宋范成大『桂海虞衡志』志香「排草出日南、状如白茅、香芬烈如麝香。人亦用以合香、諸草香無及之者。」。

[18]茄は茄袋、荷包ともいい、巾着のこと。洛酥は未詳だが、おそらくは酪蘇(茄子)のことで、「洛酥茄」は、茄子の形をした巾着、あるいは茄子の紋様を刺繍した巾着と思われる。

[19]原文「重湯頓過」。器に物を入れ、外側に水を張って温めること。

[20]原文「囤」。割竹などで作った、植木鉢のような形をした穀物入れ。

[21]汗邪、汗憋と同義。熱を出して発汗し、うなされる病症をいう。

[22] 「不見面(顔を合わせない)」と掛けた洒落。「麺」と「面」は同音。

[23] 『楊家府通俗演義』などに登場する人物。主人公楊敬業の妻で、女丈夫。

[24]明代、天啓、崇禎の人。忠州の出身で、石宣撫使馬千乘に嫁ぎ、夫の死後、職務を代行。『明史』卷二百七十に伝がある。

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