第四十八回

賢くない嫁が婿や婿を殴ること

子をかばう母が蹴られ殴られること

 

春の山[1]には(つるぎ)有り

秋の水[2]には槍潜む

孫権の妹でなけりや

閔損[3]の母親のやう

良き連れ合ひと嘘つくも

ただの淫らな夫婦(めをと)

怒れば龐涓と孫臏[4]

喜びや梁鴻と孟光[5]

母の教へに従へば

夫の権威を貶めず

欠点を庇ふ人がありや

ますます不従順となる

 さて、薛素姐が狄家に嫁入りしてからというもの、光陰は矢のごとく、日月は日のごとく、あっという間に二か月がたちました。この六十日の間、彼女は夫をぶったり、罵ったり、舅に逆らったりしました。狄賓梁夫婦は、一つには一人の息子のただ一人の嫁なので、あらゆることを我慢していたため、二つには人々に笑われるのを恐れたため、『歯を折られたら、腹に飲み込む』[6]ことにしていたのでした。さらに、尼の李白雲が前世の事情を話していましたので、天を恨んだり、人を咎めたりはせずに、我慢していたのでした。

 狄賓梁の家の作男李九強は、蔵から稲を出し、干していました。彼は長いこと家で仕事をしていましたので、すべてを彼に任せ、あまり用心をしませんでした。それに、その年は、楊春から二十両の銀子を手に入れて土地を買ったため、大樹に寄り掛かり、決して霜がつかないようなものでした。耕作や種蒔きは、すべて狄家の力で、収穫した穀物は、春、秋に人に貸し与え、利潤が利潤を生み、金持ちになりました。人間は、金持ちになれば、道義をわきまえるようになるはずですが、小人は、金をもてばもつほど欲張りになり、あれこれ盗みをするのでした。彼は、稲を計るときになりますと、狄賓梁が前にいませんでしたので、二袋を盗み、塩を売る陳柳の家に預けました。陳柳が善人であれば、拒絶して、預からなかったでしょう。あるいは、彼に全部返すか、半分だけ預かるかしたでしょう。ところが、陳柳は李九強よりも十倍凶暴で、貪欲でした。李九強は、稲を計りおえますと、蔵の入り口に鍵を掛け、鍵を返し、陳柳の家に稲を取りにきました。

陳柳「李さん、何をしにきたんだい」

李九強「稲を取りにきたんだよ」

陳柳「何の稲をもっていくんだ。あんたはいつ水田を買って稲を収穫したんだ」

李九強「俺は水田はないが、主人が俺に給料をくれたんだ」

陳柳「あんたの給料はあんたの家におけばいいじゃないか。俺の家に預けてどうするんだ。来歴不明にしていてはだめだ。事がばれたら、俺は家に住めなくなってしまうからな。稲は俺が受け取ろう。俺はあんたにあげるべきかどうか、狄さんに尋ねにいこう」

李九強「陳柳、あんたは人に合わす顔があるのかい。何銭の値打ちがあるものでもないのに、どうして後ろ暗いことをするんだい」

陳柳「俺はごまかしてなどいないよ。俺が狄さんに尋ねて、あの人があんたに与えるべきだと言ったら、あんたにあげることにしよう。俺はあんたの物なんて欲しくねえからな」

李九強「ろくでもないことを言いやがって。仕方がない。何を尋ねるっていうんだ。袋を俺に返してくれ」

陳柳「狄さんのために食糧を担いでいるわけでもないのに、俺の家に袋があるはずないだろう。あったとしても、狄さんには渡すが、あんたにはやらないよ」

李九強「なんだと。お前は鉄の箍子を頭に嵌められたのか。[7]

李九強は、胸一杯に恨みを抱いて去っていきました。陳柳も、ほかの家の部屋をさがして、引っ越してしまいました。

 李九強はしばしば復讐をしようとしましたが、機会がありませんでした。陳柳は塩の密売を派手に行っていました。密造者は見回りの民壮とぐるになり、年がら年中巡役に貢ぎ物を送って「臣」と称していました。ですから、塩の密売者はあちこちに横行し、塩法[8]は効き目がありませんでした。

 ある日、繍江県の典史は塩院が省城にやってくるため、捜査から戻ってきました。彼は馬に跨がり、狄家の旅館にやってきて泊まることにしました。彼は馬からおりますと、食事をとろうとしました。そして、中に入り、母屋に腰を掛けました。狄賓梁は本県の知事だと思い、すぐに鶏を殺し、食事を準備し、李九強、狄周を付き添わせました。手下が言いました。

「典史は捕らえた塩の密売人の数が足りなかったから、塩院から十回の板打ちをくらってしまったよ。まったく運が悪いな」

 李九強は陳柳が晩にたくさんの私塩を買って家に隠し、まだ売り出していないことを聞き、復讐しようとしていました。そこで、仕事の合間に、言いました。

「典史さまは塩の密売者をあまり摘発されないので、ひどい目にあって戻ってこられたそうですね。繍江県は何もないところですが、密売は、毎月四件どころか、四十件も起こります。この明水の地方で捕縛される人だけでもたくさんいます」

典史「わしはしっかり彼らを捕まえている。彼らは取り締まりが厳しいので、私塩を土地に入れることができないといっている。だが、昨日の取り調べでは、塩院に十回の板打ちにされてしまった」

李九強「私は典史さまが捕縛を行わず、人が売るに任せているということを聞いたことがあります」

典史「お前はわしを気違いだと思っているのか。わしは巡塩官[9]なのだから、塩の密売者を捕まえないはずがないだろう」

李九強「典史さま、捕縛を行われるのでしたら、目の前に塩の密売者の親分がいますよ。そいつを捕縛されてはいかがですか」

典史「そいつが塩を売っているのなら、掴まえるだろう。しかし、連春元の家は大きいから入りにくい。あの人の家以外は、どんなに金持ちでも、恐くないのだがな。今は火で自分の体を焼かれているようなありさまだから、人に構うわけにはいかない。何者なのかいってくれ。人に捕縛をさせるから」

李九強「下役がそいつを捕らえることはできません。みんなそいつの仲間なので、だれも捕らえようとはしないのです。典史さま、ご自身で行かれて門番をおとなしくさせれば、そいつはすぐに掴まるでしょう」

典史「塩を見付けださなければならんな」

李九強「ええ。塩を見付け出すことができなければ、まずいですよ」

典史「すぐにいきましょう。戻ってきたら食事をとりましょう」

馬に乗り、たくさんの人を従え、地方、郷約を呼びました。そして、李九強が道案内をし、陳柳の家の入り口に行きました。人に入り口を塞がせますと、典史が人をつれて中に入りました。くわしく捜索をしますと、二つの大きな甕、二つの筵の籠、さらに二つの袋、大きな甕、小さな壺の中はすべて塩でした。

 典史は郷約、地方に命じて秤をとってこさせますと、一つ一つ塩をはかりとり、数を記し、封を張りました。そして、陳柳に鎖を掛け、地方、郷約につれていき、彼が共謀して隠し立てをしたといい、文書を作り、塩院に申告しました。人々は大慌てし、賄賂を贈って揉み消そうとしました。二人の郷約はそれぞれ四両の銀子、地方は二両の銀子を送り、叩頭しました。そこで、事件を沙汰やみにし、陳柳を釈放しました。陳柳からは二両の銀子を脅し取り、十回板打ちにして、釈放しました。

 陳柳は李九強が彼に危害を加えたことを知りますと、地方、郷約を集めました。人々はすべて李九強の敵となりました。李九強は衆寡敵せずということが分かっていましたので、数畝の土地を元の値段でほかの人に売り、食糧を売りました。そして、腰には銀子、火種を持ち、女房を引き連れ、三更に起き、陳柳の家にいき、家に火を放ち、女房を連れて煙のように去ってしまいました。陳柳の家の火は風に煽られ、すっかり焼けてしまいました。人々は李九強が放火したのではないかと疑いましたが、李九強が去ってしまったので、どうしようもなく、繍江県に訴状を提出し、李九強を告訴し、令状を出して捕縛を行うことにしました。

 さいわい狄賓梁は性格がとても良かったため、荘園の人々は彼に心服しており、息子も秀才でしたから、だれも彼が李九強の主人だといったり、彼に小言をいったりはしませんでした。しかし、やはり事件の関わり合いになるのは免れず、すくなからぬ影響を受けました。

 薛教授はこのことを聞きますと、わざわざ狄家に様子を見にきました。狄賓梁は茶を勧め、薛教授は奥にいき、素姐に会いました。狄賓梁は人に料理と酒を温めさせ、薛教授を引き止め、食事をとらせようとしました。狄周の女房は人を連れて台所で準備をし、鶏を盛りました。さらに蓮を炒めようとし、二つのものを出しました。ところが、蓮を盛りおわりますと、碗にあった鶏の半分がなくなっておりましたので、慌てて言いました。

「だれが半分食べたのだろう。誰が見ても、これはつまみ食いだ。どうしたらいいだろう。ここにきたのは小玉蘭だけだ。まさかあの娘が盗んだんじゃないだろうね」

ぶつぶつ言っておりますと、素姐が台所の窓の下を通り掛かりました。彼女は小玉蘭が鶏を盗んで食べたといっているのを聞きますと、首から顔まで真っ赤にして小玉蘭を家につれていき、衣装をすっかり剥ぎ取り、鞭を持ち、春牛をぶつときのように打ちました。小玉蘭は叫びました。

狄夫人「薛さんが表にいらっしゃるのに、家で小間使いが叫んでいるとは、どういうわけだい」

狄周の女房を呼び

「奥に様子をみにいっておくれ。あんなにぶったのだから、あの娘を許しておあげなさい」

 狄周の女房は前に進みでると、尋ねました。

「どうしたのですか。そんなに腹を立てられるなんて」

素姐「『どうしたのですか』だって。ろくでなしで、意気地なしの、盗み食いをする小間使いを連れてきたばっかりに、淫婦、私娼どもに減らず口を叩かれてしまったんだよ。こいつをぶち殺し、私娼どもにこいつの命の償いをさせることにしよう」

狄周の女房「奥さま、あなたはまったく馬鹿ですよ。台所に鶏が盛られていましたが、私が戻ってきますと半分なくなっていたのです。私はいいました。『小玉蘭以外は来なかった。彼女が盗んだんじゃないでしょうか。』。私が余計なことをいっただけで、誰も次の言葉をいいませんでした。奥さまはあの娘を許すようにとおっしゃっていますよ」

素姐はそれにも構わず、ますます激しくぶち始めました。そして、手で小間使いをぶちながら、口で罵って

「淫婦めが。目くらの淫婦めが。目の上の毛を引っ張ってよく見てみろ、私の小間使いが盗み食いをしただって。お節介の淫婦め。減らず口を叩く淫婦め。私が小間使いをぶつのにおまえまで干渉するのかえ」

ぶったり罵ったりするのをやめませんでした。

狄周の女房「ぶってはいけません。話をすればするほどいい気になられて」

小間使いはますます叫びました。

 狄夫人は前に進みでると、いいました。

「素姐、そんなことをしては駄目だよ。小間使いは悪いことをしていても、もうこんなにぶたれたのだ。私が許してやれといっているのに、ますます激しくぶったりして。おまえの二人のお父さんが表に座っているというのに、みっともないじゃないか」

素姐は両眉を逆立て、両目をむいていいました。

「馬鹿なことをおっしゃらないでください。小間使いをほったらかしにして撮み食いをさせるのが、いいはずがないでしょう。曹州の兵備だって、こんなに緩やかではありませんよ。ぶち殺したら、私は彼女のために命で償いをするまです。あなたとは関係ありませんよ」

狄夫人「素姐、酔ったのかい。私はおまえの姑だよ。おまえは姑に向かってそんなことを言うのかい」

素姐「あなたを姑と認めれば、私は何も言いません。しかし私はあなたを姑と認めていませんから、もっとひどいことを言ってやりますよ」

狄夫人は、いいました。

「前世で何かあったのだ。これは今までの報いなのだ」

素姐「『前世、前世』とおっしゃいますが、私は生まれ変わったらあなたとは会いたくないと思っていますよ」

相変わらず小間使いをぶつのをやめませんでした。

 狄夫人「狄周、表にいって薛様に言っておくれ。『素姐が小玉蘭をぶち殺そうとしています、うちの女主人は説得することができませんから、薛さまが中に入ってお叱りになってください』とね」

薛教授「さっきから人の叫び声が聞こえていたが、娘が小間使いをぶっていたのか」

狄希陳に向かっていいました。

「狄希陳さん、あなたは奥へ行って、娘にぶたないようにいってください」

狄希陳は怖じ気付き、後退りし、中に入ろうとしませんでした。狄賓梁は笑って

「どうか中に入って御覧になってください。息子も中に入って娘さんを怒らせるのが怖いのです」

 薛教授が奥に行きますと、素姐は小間使いをぶっていました。薛教授が見てみますと、小間使いは体中から血を流し、虫の息でした。薛教授は何度も「やめろ」と叫びましたが、素姐は承知しようとしませんでした。薛教授は小間使いを引っ張りましたが、小間使いの手足は縛られていました。薛教授が引っ張っても、素姐はまだぶっていました。薛教授の体にまで数回手を振るいました。薛教授は怒りました。

「何て躾がなっていないのだろう。姑が上座におり、夫が下座におり、自分の父親が傍らにいるのに、このように勝手なことをするとは」

狄周に向かっていいました。

「執事殿、この小間使いを私の家に送ってください。ぶたれてまずいことになっています。どうしてこんなことになったのですか」

狄周の女房は走ってきて、いいました。

「薛さまをお引き止めして、食事を召し上がっていただいていますが、碗に盛った鶏が、戻ってきたら半分なくなっていました。私は言いました。『小玉蘭以外は誰もきていないから、あの女が盗んだのではないだろうね』言ったのはこの一言だけで、他には何も言っておりません。誓いを立てても宜しいです」

狄夫人が宥めたこと、素姐がぶって罵ったことを、くわしく話しました。薛教授は顔を真っ赤にして言いました。

「素姐、こんなことをしてはいかん。何て物分かりが悪いのだ。父さんたちの面子を潰す積もりか」

素姐「嫁にいった娘、売られた土地は、あなたがたとは関係ありません。いずれにしても小間使いは、あなたがたが連れていってください。あなたが尻を下ろし、歯をむき出しにして食事をしたりしなければ、鶏がなくなって、このような災いが起こることもなかったのです」

薛教授「何が災いだ」

長嘆息すると、外に行ってしまいました。庁房に行きますと、狄賓梁は彼をさらに引き止めようとしました。しかし、彼が座ろうとしませんでしたので、表門から送り出しました。

 狄賓梁と狄希陳は一緒に奥に戻りました。

狄賓梁「小間使いは善悪を弁えていないから、構っても仕方ない。薛さんは気落ちされて、引き止めたのに、行ってしまった」

狄夫人「小間使いを一二千回鞭でぶつなんて、まるで気違いですよ。あの娘は下女が話をすれば、下女を罵り、姑が話をすれば、姑を罵りました。薛さんは気落ちされていましたが、娘にひどいことを言われたのです。私たちはどうして、あの人に腹を立てられなければならないのでしょう」

 狄希陳はしばらくぐずぐずした後、部屋に入りました。

素姐「心臓発作を起こして、転んで足を折って、入ってくることができなくなったものとばかり思っていたよ。あんたが入ってくるなんてね。あの老いぼれの恥知らずがただ飯を食べていたが、この私があいつを引き留めて食事をとらせろなどと言ったかい。私の小間使いがつまみ食いをしたなどとでたらめをいって」

狄希陳「お義父さまはただ飯食いの恥知らずではないよ。明日、巧妹妹は嫁に行くが、親父もついていき、ただ飯を食うんだから。狄周の女房は小玉蘭が鶏を食べたのを見ていたわけではないんだ。ちょっといっただけだよ。大した事件でもないのに、こんなに騒ぐなんて」

素姐「何をぬかすんだい。どこの馬の骨とも知れない女から生まれた恥知らずめ。私のようないい家の娘は恥を知っているから、撮み食いをしたりはしないんだよ」

狄希陳「何だって。だれがどこの馬の骨とも知れない女から生まれただって。僕は龍の奴が靴をつっかけ、二本の太腿をだらしなくしているのを見たが、あいつだってどこの馬の骨とも知れないじゃないか。お義母さんの素性は知らないが、龍という奴の素性は、おかしくて前歯が抜け落ちてしまうほどひどいものだぞ」

素姐「『龍という奴』がどうしたって。あんたのお袋より十万八千倍すぐれているよ。あんたのお袋はちょっとした金で人を服従させただけじゃないか」

狄希陳「お袋が金をもっていないときに、龍の奴がお袋のためにおまるを捧げ持ち、奴隷になるといったとしても、お断りするよ、下賤な奴は嫌だからな」

素姐「それなら、あんたのお母さんが龍さんのために例のところや尻を嘗めてください」

狄希陳「おまえの親父は小玉蘭の尻を嘗めるがいいさ。おまえのお袋は僕の奴隷の女房の例のところを嘗めるがいい」

 素姐は狄希陳の顔にびんたをくらわせました。美しくてか弱い美人なのに、手は木のようでした。狄希陳は顔の半分が猿の尻のように真っ赤になり、発酵した小麦粉の饃饃のように膨れました。狄希陳は慌てて、玉蘭の鞭を手にとって彼女をぶとうとしましたが、ぶつことはできませんでした。彼女は鞭を奪い、狄希陳を地面に倒し、頭の上に腰掛け、ぶちました。狄希陳は「助けてくれ」と叫びました。

 狄賓梁夫婦は、二人の罵り合う言葉を一句一句はっきりと聞いていました、狄夫人は腹を立てて篩のように震えました。

狄賓梁「あいつに構ってどうするんだ。わしらは聞こえない振りをしているまでだ。おまえが出ていったってどうにもならん。おまえは李さんの話しを忘れたのか」

狄夫人「我慢できません。李さんは小陳哥は彼女の仇なのだといいましたが、私たちまであの女の敵というわけでもありますまい」

狄賓梁「馬鹿だな。わしらは小陳哥の両親で、息子はあの女の敵だから、わしらはあの女の敵なのだよ。天があの女を遣わしてわしらをひどい目に遭わせているのだ。わしの言うことを聴いて、あの女と張り合ってはいかん」

狄夫人は我慢しました。やがて、狄希陳が父母に助けを求めますと、狄夫人は部屋に駆け込みました。素姐は狄希陳の頭の上に座り、鷹が惨めな雀を捕らえたときのように、鞭を雨のように振るっていました。狄夫人は素姐を推しのけると、鞭を奪い、顔目掛けて何回か振るいました。彼女は反抗しました。狄夫人は狄希陳がやられていたときのように素姐の頭に腰掛け、四五十回鞭でぶちました。すると、素姐はありとあらゆる罵声を浴びせました[10]。狄賓梁は夫人にひたすらつんぼの振りをさせました。

 午後になりますと、狄希陳はもう部屋で眠ろうとはせず、彼の母親のいる表の間で眠りました。二更頃になりますと、狄賓梁が目を覚まして、言いました。

「早く起きるんだ。火事だぞ」

狄賓梁は目を見張って窓が真っ赤になっているのを見ますと、部屋の入り口を開けようとしましたが、入り口に鍵が掛けられていました。何度押しても開きませんでしたので、後ろの壁の吊り窓を開くしかありませんでした。表に行きますと、窓の前と入り口の前に火のついた高梁殻が立ててあり、もう少しで家に火が着くところでした。素姐は、狄夫人にぶたれ、狄希陳を心ゆくまでぶつことができなかったことを恨み、火を放って彼らを焼き殺そうとしたのでした。

 狄賓梁は、その晩のうちに狄周を遣わして薛教授を呼びました。

薛教授「娘は生きているときはあなたの家の人で、死ねばあなたの家の幽霊になります。私にはあのような娘はいませんでした。私はあわす顔がありません。私はこれから、私の家にもあの娘を入らせないようにしようと思います」

狄周は報告をしました。狄賓梁は長嘆息し、人が高梁殻を運び、水を撒き、がやがやと騒いでいるのを見ながら、眠ろうとしませんでした。

 薛教授は、彼の娘が婿をぶち、火を放ったことを知ると、腹を立てて動くことができませんでした。

薛夫人「あの娘を叱ってはいかがですか。自分の家の娘なのですから、いかようにもできますよ。あの子を呼んで、ゆっくりと説教をするのです。あの子を本当に捨てられたわけではないでしょう」

薛教授「あの娘のことは言うな。あの娘は死んだと思えばいい」

薛夫人は薛教授がいいというのを待たずに、薛三省の女房に素姐を迎えにいかせました。狄夫人は狄希陳のあわせを脱がせますと、薛三省の女房を呼び

「うちの息子の背中を見てください」

狄希陳の背中は胡瓜、茄子のように、青赤緑になっており、とても哀れな有様でした。薛三省の女房は中に入って素姐に会い、彼女を連れかえるから、髪を梳くようにといい、台所にきて、彼女のために水を汲みました。狄周の女房は一部始終をくわしく告げました。素姐が髪を梳き、衣服を着けおわりますと、薛三省の女房は尋ねました。

「狄さん、素姐さまは実家にいかれますが、何日泊まることにいたしましょうか」

狄夫人「あんな娘はいりませんよ。とにかく実家に泊まらせ、あの娘の気が鎮まったら迎えに行き、呼び戻すことにしましょう」

薛三省の女房「狄さんが日を決め、素姐さまを帰らせてください。話しが曖昧では落ち着いて泊まることができません。素姐さまは、数日、実家にいっていればいいのですか」

狄夫人「それならはっきりいいましょう。私たちの娘はあんなではありませんよ。あのようなことをしたら、私は昼間時間がなければ真夜中に、あの娘を焼いて食ってやりますよ[11]

素姐「あれまあ、私はあなたを殴ってやりたくて仕方ないよ」

狄夫人「四の五のいうんじゃないよ。行きたいなら、尻をすぼめてはやくお行き」

 素姐は拝礼も行わずに、家に行きました。家に入りますと、薛教授は部屋の中に腰を掛けており、

に構おうとしませんでした。薛夫人は迎えに出てきていいました。

「どうしたんだい。気が違ったのかい。私たちの体裁も考えておくれ」

素姐「私があの人をどうしたというのですか。私はあの人を氏素性のしれない女房が産んだ奴めと罵りましたが、どうということもありませんよ。あの人の何を傷付けたというのですか。あの人は『龍の奴』のことをあれこれ話しました。私がさらに罵りますと、あの人は鞭を手にとって私をぶちました。私はあの人をぶちませんでしたが、あの人が怖かったわけではありませんよ」

薛夫人「おまえはいつも目を血走らせていて、まるで中国人ではないかのようだ。姑を罵ってはいけないし、婿はぶってはいけないのだ。これは凌遅の罪になるのだよ」

素姐「ふん。皇帝と喧嘩して、体中を切り刻まれたって屁の河童ですよ」

 龍氏は脇にいましたが、怒って顔を真っ赤にして、言いました。

「娘は悪くありませんよ。狄希陳があれこれ龍家の悪口を言ったのですから、あの子が怒らない筈がないでしょう。あの家の娘が私たちの家に来たら、私も小冬哥に相の奴を罵らせることにしましょう」

薛夫人「おまえの頭がよかったから、娘も立派に育ったのだね。おまえの娘が先に姑を罵ったから、狄希陳さんは龍家のことを罵ったんだよ。あの人は私と主人を罵らなかったが、これはあの人が事を弁えていたからだよ」

龍氏「娘は何も分からず、罵っただけです。それに言い返すのが許されるのですか。誰でも私が龍という名字であることを知っています。小巧姐が嫁にきたら、私は小冬哥に一日三回相家のことを罵らせましょう。小冬哥が従わなければ、小巧姐を鞭でぶちましょう」

薛夫人「何て立派なんだろう。いい教育をするものだね。私が死んだら、小巧姐をぶつことができるだろうが、私の目が黒いうちは、ぶつことはできないからね」

龍氏「私でだめなら、小冬哥にぶたせますよ」

龍氏は「揚子江の真ん中で水を汲む」ように、自分が危険だというのに他人のことを考えていました[12]。薛教授は熊のように部屋の中から走り出てきますと、何も言わずに、龍氏の顔にしこたまびんたを食らわせました。竹を割るときのような音がしました。薛教授は龍氏の足を二回蹴り、のけぞらせると、さらに体を蹴りました。

薛夫人「いい年をして、いつから乱暴をされるようになったのです」

薛教授「わしは毎日気絶しそうなほど腹が立っているのだ。あの娘がどうしてあんなに変わってしまったのかと思っていたが、実はこいつが悪い仕付けをしていたのだ。娘はこの女に殺されたも同じことだ。素姐が婿をぶって凌遅に処され、外で体を切り刻まれたら、わしは家でおまえを切り刻んでやる」

 龍氏は泣き叫びました。

薛夫人「おまえは話をしなければ分からないのだね。娘を教育せず、事件を引き起こしたくせに、人にぶたれたのを恨んで、自分は反省しないのかえ」

龍氏は自分の家の門に閂を掛け、泣きながら、罵っていいました。

「ろくでなし。悪党。昔は私をぶたなかったくせに、私が子供を産んでからぶつなんてね。私はあんたの家で暮らしてもつまらないよ。ろくでなしめ。お天道さまがあのろくでなしを殺したときに、私が涙を流せば、両目が落ちてしまうことだろうよ。これからはあんたのために仕事をしてやらないからね。あんたの家の米を捨てたり、小麦を撒いたりしてやるよ。あんたの家をめちゃくちゃにしてやらなかったら、私は龍家の娘ではないだろうよ」

薛教授はさらに部屋の中から出ていって、入り口を蹴ろうとしました。薛夫人は両手で引き止めると、言いました。

「争ってどうなさいます」

さらに言いました。

「私はおまえに善意をもって説教をしているのだよ。人に顔を殴られないようにするのが、まともな人間というものだ。人が手を振り上げれば、もう手遅れだし、平手と足を振り下ろされれば、さらにみっともないことになるよ」

龍氏はようやくおとなしくなり、だんだんと騒ぐのをやめました。

 素姐は家に数日とどまりましたが、薛教授は彼女と話さず、相手にもしませんでした。しかし、薛夫人は、朝も昼も、寝ても覚めても、何度も説教し、あれこれ宥めました。しかし、心臓を取り替えられてしまった獣に向かって説教するのは、牛に向かって琴を弾くようなもので、宮、商、角、徴、羽[13]を理解してもらうことができませんでした。母親が口を酸っぱくして話しをしても、素姐の耳には少しも入っていきませんでした。半月たちましたが、狄家からはだれも彼女を迎えにきませんでした。

 薛夫人は、吉日を選び、食盒を準備し、自ら素姐を送ってきました。薛夫人は、狄夫人に会いますと、さんざんお詫びを言いましたので、狄夫人はかえって嬉しくなってしまうほどでした。薛夫人は、素姐を姑に叩頭させようとしましたが、彼女は油条のように体を真っ直ぐにして、叩頭しようともしませんでした。

狄夫人「薛さん、腹を立てないでください。嫁は姑がどういうものか知らないのです、まったく野蛮人ですよ」

薛夫人は彼女が首を真っ直ぐにしているのをみますと、言いました。

「仕方がない、仕方がない、家にお行き。お父さんはもう心がすっかり冷えきってしまっているし、二人の弟は歯がみをして歯が痛くなるほどおまえを恨んでいるよ。おまえが心を改めなければ、私だって今日から縁を切るしかないよ」

 薛夫人は茶を飲み、少し無駄話しをすると、出発しようとしました。狄夫人は何度も引き止めました。

薛夫人「わたしの心を推し量ってください。あなたにご馳走していただくわけには参りません。寛大に許していただいても、私は恥ずかしい気が致しますから」

狄夫人「何をおっしゃいます、子供たちのために腹を立てて、老人たちが交際を絶つというわけでもないでしょう」

薛夫人「私はこの半月の間、昼間はずっとあの娘に説教をし、少しはましになるだろうと思っていました。ところが、あの娘はまだこのように強情です。ご迷惑をお掛けしますが、どうか我慢されてください」

狄夫人は巧姐を薛夫人に会わせました。お金[14]を与えますと、巧姐はお礼を言いました。薛夫人はさらに狄希陳を呼んで会い、書房に行きました。薛夫人は別れを告げて帰りました。狄夫人は送られてきた二つの盒子を少しも受け取らず、すべて返しました。盒子を送ってきた人は何度も断りました。

狄夫人「素晴らしい嫁の面子を立てて、食べ物を頂かないことに致します」

盒子を担いで帰るしかありませんでした。それから素姐もまったく部屋を出ず、姑も彼女の部屋にはまったく行きませんでした。

 小玉蘭は、ぶたれて傷ができ、全身から膿を流し、動くことができず、薛家で療養をすることになりました。お茶やご飯を出すのは、狄周の女房の仕事になりました。薛教授は、薛三省、薛三槐らの女房が素姐に会いにくるのを許さず、節句になっても、彼女を迎えにきませんでした。狄希陳は、軽いときは罵られ、ひどいときは殴られ、全身が赤くなければ、顔が紫になっているという有様でした。狄賓梁夫婦は悲しみましたが、彼本人は我慢するばかりでした。薛如卞、薛如兼は、狄希陳と同窓生のよしみがありましたが、素姐が凶暴でしたので、奥にいって彼女に会おうとはしませんでした。人々は、彼女のことを臭い糞のように扱いましたが、彼女は意に介さず、反抗は日に日に激しくなりました。その後、さらにたくさんの事件が起こったのですが、とりあえずお話しをお聞きください。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1] 女性の美しい眉をいう。

[2] 女性の美しい眼をいう。

[3]孔子の弟子閔子騫のこと。継母に苛められていたことで有名。その物語は『蘆花記』として戯曲化された。

[4]龐涓は魏、孫臏は斉の軍師で敵同士。

[5] ともに後漢の人。仲の良い夫婦として有名。『後漢書』逸民伝「梁鴻、宇伯鸞、扶風平陵人也同県孟氏有女、状肥醜而黒、力挙石臼、択対不嫁、輩年二十一父母問其故、女曰、欲得賢如梁伯鸞者、鴻聞而聘之、及嫁、始以装飾入門、七日而鴻不問、乃更椎髻著布衣、操作而前鴻大喜曰、此真梁鴻妻也。能奉我矣、字之曰徳曜、名孟光」。

[6] 「身から出た錆と思って我慢する」の意。

[7]原文「你就使鉄箍子箍着頭」。箍子は束髪具。「鉄箍子箍着頭」は「一毛不抜」と続き、「一本の毛も抜けない」「大変けちである」という意味になる。

[8]塩の密売を禁じる法律。

[9]巡塩御史。製塩場を巡行監督することを司る。

[10]原文「七十三八十四無般不罵」。七十三、八十四は中国では厄年とされる。「七十三八十四」はそれにちなんで、ろくでもないことをあれやこれやということ。

[11]原文「黄泥呼吃了他」。黄粛秋の注によれば、第四十四回の「長鍋呼吃了他」と同じ、「長鍋」は煮ることをさし、「黄泥」は焼くことをさしているというが、未詳。

[12]原文「龍氏正在揚子江心打立水、緊溜子裏為着人」。「打立水」は、「打水」と同じと思われる。とりあえず「水を汲む」と訳す。表面上の意味は「龍氏は揚子江の真ん中で水を汲み、急流で人のためになることをしていた」ということだが、「緊溜子」は「急流」という意味のほかに「危険な場所」という意味があるため、裏の意味は訳文の通りとなる。

[13]五音。ここでは琴の音をさす。

[14]原文「拝銭」。拝礼を受けたときに与えるお金。

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