第四十七回

牛小屋で子牛に会い銭を脅しとること

明察をして悪人をやっつけ悪を除くこと

 

九疑の山[1]は険しきも

人はそれより陰険ぞ

心は狭く、あらゆる場所に落とし穴

剣の心に矛の舌

ただ一言が災ひし

家を滅ぼす恐れあり

神を騙すは難きこと

天は何でもお見通し

明察をするお上は稲妻にも勝り

雷が空に響けば悪夢より覚む

正しき人が証しとなれば

妖狐は肝を潰すべし  《蘇幕遮》

 さて、ごろつきの魏三が騒ぎを起こし、谷知事がいい加減な判決を下しますと、晁思才、晁無晏は争いを起こすことを計画し、晁梁自身も疑いの心を抱きました。晁夫人と春鶯は腹を立て、泣くばかりでした。このようなごろつきが、栄えてよい生活をするのは、天に目がないということではありませんか。晁夫人は腹を立て、徐宗師が夏津[2]を巡察するときに、自ら書状を提出して不平を訴え、判断を求めにいこうとしました。折しも邢侍郎がこの地を通るため、人々は数日慌ただしくしていました。邢侍郎は城内で挨拶をし、急いで酒宴に赴いてから、船に乗り、晁郷紳の墓に祭祀を行いにいこうとしていました。そして、祭祀が終わってから夜に船で出発するつもりでした。墓に着きますと、武城県の役人たちが面会に訪れ、やがて去っていきました。しかし、姜副使だけは、小屋掛けに入り、衣服を替え、祭祀を行いました。祭祀が終わりますと、荘園に案内し、酒宴を開きました。姜副使は、魏三が告訴をしたこと、県知事がまったく事情を調べず、判決文を書き、母を一生養わせ、姓を変えるように命じたことをくわしく話しました。

邢侍郎「これにはかならず事情があるはずだ。そうでなければあのごろつきがこのような厄介事を起こすはずがない」

姜副使は、晁知州が死んだ後、一族が略奪をしたこと、徐知事が産婆に検分をさせたこと、吉報が届くと命名をしたことの一部始終を細かく話しました。

邢侍郎「県知事はとても綿密に事を運んだのに、後からこのような根拠のないことをいう者が現れるとは」

姜副使「徐知事さまは今は省の学道をしています」

邢侍郎「そうですか。ご健在なら、とても確かな証人になります」

姜副使「本当です。ですから晁夫人は告訴をしようとしたのです。そうでもしなければ、疑いを残すことになり、とてもまずいことになります。魏三の訴状には、彼が貧乏のために子を売ったと書いてありました。さらに、子を売ったときの銀三両が今でも証拠として残っていると書いてあります。婿は十二月十六日子の刻の生まれです。夜明けに県庁にいき、徐知事に知らせたのです。ちょうど十六日の朝、徐知事は儒学の棟上げ式から戻ってきて、まだ礼服を着ていましたので、こう言われました。『この子は運がいい。わしは礼服を着ているときにあなたがたの吉報を受けた。わしは棟上げ式から帰ってきっところだから、晁梁と名を付けよう』。今ごろつきは聞きまちがえて、十六日酉の刻と言っています。このような矛盾があるのに、県知事はまったく追及せず、ごろつきの言葉だけを信じているのです」

 晁鳳「旦那さまの両手には天関紋[3]があり、紋の中には長い毛が生えていましたが、邢さまは覚えておいでですか」

邢侍郎「覚えているとも。わしはそのことをいつも人に話していたのだからな」

晁鳳「坊ちゃんの両手は旦那さまと同じです。坊ちゃん、手を伸ばして邢さまに見せてください」

晁梁は掌を開きました。

邢侍郎「おかしなことだ。まったく瓜二つだ」

晁鳳はさらに言いました。

「梁生の顔を、邢さまは覚えておられますか」

侍郎「覚えているとも」

晁鳳「坊ちゃんの顔は、邢さまは誰に似ていると思われますか」

邢侍郎「おまえは誰に似ていると思うのだ」

晁鳳「他の人は梁生を見たことはありませんが、邢さまは御覧になったことがあります。梁生の顔ではありませんか」

邢侍郎「わしは昨日会ったときに、梁生と同じ顔だと思った。なぜそうなのだろう」

晁鳳「梁生の生まれ変わりなのです」

邢侍郎「それは珍しいことだ。わしにくわしく話してくれ」

 晁鳳は邢侍郎が去った後、晁源が瘧になったこと、幽霊に会ったこと、ご隠居さまが晁書を香岩寺に遣わし、僧を呼び、祈願をしようとして、寺で出家した梁生、胡旦に会ったこと、晁源が彼らの荷物を手元に置き、銀子を騙しとったこと、晁夫人が晁源のために梁生、胡旦の六百三十両の銀を返したこと、梁生、胡旦がしばしば山東に様子を見にきて、梁生がご隠居さまの子に生まれ変わる願を懸けたこと、十二月十六日夜の子の刻になると、彼が座化したこと、ご隠居さまが梁生が部屋に入ってきて叩頭をする夢を見、ご隠居さまが独りぼっちになるから、お仕えしたいといわれたこと、ご隠居さまが目を覚まし、沈ねえさんが出産したのは、子の刻だったこと、ご隠居さまが夢に梁和尚を見たから、「晁梁」と名付けようと言っていたが、知事さまもその名をつけたことを話しました。さらにこう言いました。

「梁和尚は今は埋葬されておりません。遺骸は彼自身が埋葬することになっています。勅を奉じて墓を建てましたので、とても立派です。明日、邢さまは船で去っていかれますが、御覧になりませんか。胡和尚は邢さまの船が来たことを知れば、迎えにくることでしょう」

邢侍郎は溜め息をついて、言いました。

「県知事が私を送りにくるのであれば、このことを裁いてもらい、後日の争いをなくすことにしよう」

 姜副使「谷知事は性格がとても偏っています。先生がここに来られれば、あの人はきっと先生に誰かが告げ口をしたと思うことでしょう。先生がそのことを話されなければまだいいのですが、老先生が話しをされれば、事態がどうなるか分かりません」

邢侍郎「晁夫人はすでに学道に訴状を提出しています。学道が私のところに礼物を送ってきていますから、返事の手紙にそのことを書くことにしましょう」

姜副使「雲が晴れて太陽が現れたときのような気分です。叩頭して感謝致します」

姜副使は叩頭して礼を言おうとしましたが、邢侍郎は引き止めました。

 邢侍郎が船に乗ろうとしますと、晁夫人が出てきて何度も礼を言いました。邢侍郎は、都からは遠くないから、厄介事があれば、面倒をみようといいました。さらに

「悪者が誣告をすれば、私は学道に手紙を送りますが、ご隠居さまの訴状は絶対になくてはなりませんから、すぐに提出されるべきです」

晁夫人「山の中の寒村で、何もおもてなしするものはありませんが、息子を船に行かせ、一両の餞別を贈ればいいでしょう。息子は、一歩も私から離れようとせず、この間、府学で二回試験があったとき、私はついていきましたが、まるで乳飲み子のようでした」

邢侍郎「赤子のように天真爛漫なのですよ。送られる必要はありません。ここでお別れすることにしましょう」

 邢侍郎は、轎で船の所へ行き、三回爆竹、太鼓を慣らしてから出発しました。晁鳳、晁書、晁鸞の三人は、船まで送り、叩頭して帰りました。数里進みますと、県知事が送別をしたいと言ってきました。邢侍郎は船を相見え、茶を出しました。谷知事は、邢侍郎が晁家の味方をするだろうと思い、心の中で考えました。

「邢侍郎が話さなければそれまでだが、話したら、しっかりと供述を覆し、晁梁をすぐに返させる判決を下さなければなるまい」

しかし、姜副使が邢侍郎に言い含めていたため、邢侍郎は何も言わず、一言こう言いました。

「晁老先生が生きていた頃は、おもてなしを受け、とても良くしていただきました。この地に来たとき、あの方のお墓に供物を供えましたが、息子さんが生まれていたので、悲しみと喜びが入り交じった気分でした。あの方の家のことは、どうか宜しくお取り計らいください」

谷知事「はい。謹んで承りました」

邢侍郎はほかには何も言わずに去っていきました。谷県知事は左右の者たちに言いました。

「晁家のいいように取り計らうことにしよう。わしは邢さまがきっと晁家の話しをすると思っていたが、一字も口にしなかったからな」

県知事は船に乗って帰りました。邢侍郎は魏三が嘘をついたこと、自分が晁家と付き合っていること、晁夫人が自ら役所に赴いて告訴をしたことを、くわしく学道への返事に書きました。徐宗師は手紙を開いてそれを見ますと、とてもびっくりしました。

 二日後、一人の男が入り口に跪き、訴状を提出しました。徐宗師は彼を呼び入れました。学台の役所の入り口に着きますと、徐宗師は尋ねました。

「おまえは晁郷紳の下男の晁鳳か。何を告訴するのだ」

晁鳳「冤罪の件です。訴状をご覧になればお分かりになります」

書状にはこう書いてありました。

誥封宜人で、北直隷通州知州晁思孝の妻の鄭氏は、ごろつきが私の息子を彼の子と偽り、私の財産を脅しとろうとしている件について告訴致します。

私の夫が景泰二年三月二十一日に病死したとき、妾の沈氏は妊娠五か月でした。一族が家財を掠奪したため、知府さまが自ら家に来られ、産婆の徐氏を呼び、一族の女たちとともに、沈氏の妊娠が本当であることを確かめ、徐氏に取り上げをするように命じられました。生まれますと、すぐに報告をし、名前を賜りました。私は先祖とともに家を絶やさなかったことに感謝しました。天のご恩には名状しがたいものがありました。今回、ごろつきの魏三が急に家にきて、晁梁が彼の実の子である、景泰三年十二月十六日酉の刻に、貧乏で生活が苦しいために、銀三両を授け、出産のときに売った、送った銀子と徐氏が証拠である、県庁に告訴する、と言いました。県知事は本当だと信じ、晁梁に、私を死ぬまで養ってから、姓を変えて魏家に戻るように、晁梁の子供に晁家の祭祀を行わせるようにという判決を下しました。このような、真実を偽り、一族の争いを引き起こし、母子を離散させ、家を絶やし、先祖の祭りを絶やすことへの恨みは、名状し難いものがありますので、詳しい調査をされることを伏してお願い申し上げます。晁梁は十六日の子の刻に生まれました。知府さまが棟上げ式から県庁に戻られたときは、ちょうど卯の刻で、私は人を遣わして報告をいたしました。魏三は子供が生まれたのは十六日の酉の刻だと言っていますが、時間がまったくずれています。貧乏のために子を売ると言っていますが、銀三両を十六年の長きにわたってとっておくことがあるでしょうか。何もかも真実に反し、矛盾しています。どうか学台さまには僅かな時間を割かれ、魏三と徐氏を捕らえて審問を行い、真実を明らかにして頂きますよう、ここに上申致します。

 宗師は書状を見ますと、尋ねました。

「おまえの女主人はどこにいるのだ」

晁鳳「門の外におります」

宗師「宿屋に戻るがよい。調査を行うことにするから」

晁夫人と晁梁は、宿屋に戻りました。

 徐宗師は、翌朝逮捕状を出し、魏三、徐氏、晁思才、晁無晏を掴まえ、翌日に審理を行うことにしました。そして、朱で「一日遅れれば、県三十回板打ちにして免職とする」という批語をつけました。

晁夫人は晁書を家に行かせ、徐産婆の馬の世話をさせました。学道の文書は県に下され、谷知事は歯がみをして腹を立て、彼のために令状を出し、人を掴まえました。魏三は県知事がすでに裁きを下していることを頼りにして、気に留めませんでした。晁思才、晁無晏の二人は、徐宗師から厳しい罰を受けたことがありましたので、とても恐ろしいと思い、顔を見合わせて、いいました。

「こりゃ大変だ。俺たち二人は関係がないのに、告訴されてしまったぞ。これは冤罪ではないか」

晁無晏「きっとあんたが先日裁判に陪席していたとき話したことが、宗師の耳に入ったから、俺たちが告訴されたんだろう」

晁思才「無晏よ、おまえだって話をしていたじゃないか。わしだけが話しをしたわけではないぞ」

晁無晏「そうだな、俺が何も言わなければ、あの人は俺を告訴しなかったな」

使いは人々を掴まえ、署名をさせました。人々は使いへの礼物を送り、昼夜兼行で夏津に戻り、翌朝文書を提出しました。晩の法廷で審問が行われることになり、それぞれ宿屋に戻りました。

 さて武城県の任直は、数匹の廠綢[4]を街で売り、晁鳳に出くわすと、尋ねました。

「ここで何をしているのですか」

晁鳳は魏三に息子のことを細かく報告しました。任直は尋ねました。

「その若さまは、今年十幾つになりますか」

晁鳳「十六歳になります」

任直は指を折って計算し、いいました。

「景泰三年の生まれですか。何月ですか」

晁鳳「十二月十六日子の刻です」

任直はさらにうなって、尋ねました。

「魏三ですって。先ほど審問を受けた魏三のことですか」

晁鳳「そうです」

任直「あの人は今県庁の入り口で酒を売っており、食糧店を開いていますね」

晁鳳「そうです」

任直「あの人はきっと人に唆されたのでしょう。そうでなければ、金を脅し取ろうとしているのでしょう。私は絹を売りに行きます。晩の法廷では、あなたに付き添いましょう。しっかり審問が行われればそれでよし。しっかり審問が行われなければ、私があのごろつきを殺してやりますよ」

晁鳳「ここで何をしているのですか」

任直「私は家で何もしていません。数匹の絹を売りにきたのですが、さっぱり売れません。腹が立ったので、帰ろうと思っていたところです」

晁鳳「晩に仕事がなく、我々についてきてくれるのなら結構なことだ。わしは待っているぞ」

晁鳳は任直に別れ、宿屋に戻り、ご飯を食べ、審問が行われるのを待ちました。

 徐宗師は、爆竹を鳴らし、門を開け、審理を受ける人々を呼び入れました。最初に徐氏が入ってきますと、尋ねました。

「むかし晁家の大勢の女性の立会いの下で沈氏の検分をしたとき、おまえは妊娠しているといっていた。妊娠五か月で、男の子だともいっていた。おまえはそう言っていたのに、どうして今回このようなことが起こったのだ」

徐氏「あの年の十二月一日、晁さまは私を呼ばれました。あの方は私が遠くへいって、見付からなくなるのを恐れ、昼も夜も外に出しませんでした。毎日待っていましたが、変化はありませんでした。十五日の飯時になって、ようやく陣痛が始まりました。晁さまは瞽女を呼び、八字を記録させようとしましたが、十五日の二更になっても生まれませんでした。晁さまは居眠りをされ、私がまだ早いでしょうと言いますと、私に枕をもってこさせました。私はいいました。

「ご隠居さま、この暖かい炕の上でお休みになって、待たれてください』。三更になりますと、晁さまは寝言をいわれ、目を覚まして、いいました。『梁和尚はどこにいった。』。私はいいました。『梁和尚などおりませんが』。晁さまはいわれました。『私はこの目で梁和尚が私の部屋に入ってきて私に叩頭するのを見たのだよ。あの人は『ご隠居さまにお仕えするものがいないので、私がご隠居さまにお仕えしにきました』といったので、私は『おまえは出家した人なのだから、私の寝室に入るのはよくないよ』といった。すると、あの人は奥の間にいってしまった』。晁さまが話していますと、奥の間で子供の泣き声がしました。私が取り上げてみますと、男の子でしたのでいいました。『ご隠居さま、おめでとうございます、若さまです』。瞽女が八字を刻んだときは、ちょうど子の刻でした。十六日の朝、晁さまは私に知事さまに知らせるように命じ、知事さまは『晁梁』と名付けました。晁さまは『私は夢に梁和尚を見たから、この子を『晁梁』と呼ぼうと思っていたが、どうして知事さまはこの名を付けたのだろう』とおっしゃいました」

 徐宗師「夢の中で梁和尚は何と言っていたのだ」

徐氏「梁和尚は晁さまの家の門僧で、通州香岩寺で出家しました。殺された晁源は、梁和尚から六百両以上の銀子をだましとりましたが、晁夫人はそれを知ると、晁源にかわって和尚に銀子を返し、後に晁源の手元から銀子を出させようとしました。晁夫人は受けとろうともされず、寺にお布施をし、穀物を買い、いつも同じ値段で米を売り買いし、今では十万以上になりました。梁和尚は晁家に息子として生まれ変わり、晁さまの恩に報いたいという願を掛けました。梁和尚は十二月十六日の子の刻に座化し、こちらでは十二月十六日子の刻にお子さんが生まれたのです。勅命がくだされ、梁和尚のために塔が建てられ、寺院が修理され、司礼監が自ら祭祀を行いました。梁和尚の遺骸はまだ埋葬されておらず、あの人自身があの人を葬るという遺言が残されています。この事件に関しては以上のような証拠があります。魏三は彼の子が、十二月十六日酉の刻産まれで、晁さまが私に三両の銀子をもたせ、あの人の息子を買ってこさせたといっています。私は『あの人と会ったことがあるなら、両目が見えなくなることでしょう。あの人の家にいったとしたら、両足が折れてしまうことでしょう』といいました。県知事は私が誓いを立てたことを咎められました」

 宗師「さがれ」

魏三を呼びました。宗師は彼を見ますと、いいました。

「おまえは晁梁がおまえの息子だというが、あの子はおまえに似ていないぞ」

魏三「知事さまは『家が違えば雰囲気も違ってくる。食べ物が違えば体格も違ってくる』とおっしゃられたではありませんか。あの人が住んでいるのはどんな家ですか。食べているのはどんな物ですか。着ているのはどんな服ですか。私に似るはずがありません。もしもあの子が私と一緒に貧しい暮らしをしていれば、きっと私に似ていたことでしょう」

 宗師「おまえは何が証拠だというのだ」

魏三「銀子を私にわたし、息子を抱いていったのは、徐氏です。徐氏が生き証人です。さらに銀子が証拠になります」

宗師「あの人はどうしておまえにあの子を買うように頼んだのだ。おまえはどうしてあの人に売ろうと思ったのだ」

魏三「あの人の家の大旦那さまが亡くなり、晁源さんは人に殺され、一族があの人の財産を奪ったのです。これらはすべて知事さまが審理されたことです。あの人は小間使いに懐妊を装わせ、新しく産まれた子供を探し、晁思孝の実子ということにし、一族をだまそうとしたのです。徐氏とは普段から知り合いで、彼女は女房が懐妊しているのを見ていました。あの人はいいました。『あんたは貧しいから、子供を養っても、足手纏いになり、ご飯を食べさせることができないだろう。良い親を探してやり、あなたのかわりに養ってもらおう。何年たったって、あんたの息子には違いないよ。先方に三両の銀子を払わせれば、商売の資本にすることができるよ』。私はとても貧乏でしたので、承諾しました。生み月になりますと、徐氏は昼も夜も付き添い、十二月十六日の酉の刻、男の子が生まれました。徐氏は布で包み、懐に入れると、臍の緒も切らずに、抱いていってしまいました。

 宗師は尋ねました。

「おまえの息子の体には何かしるしがあったか」

魏三「灯点し頃で、急いでいましたので、しるしは目に入りませんでした」

宗師「十二月の酉の刻ならまだ日が出ていて明るい頃だ、しるしを見なかったはずがあるまい」

魏三「十二月は昼が短いですから、太陽は出ていませんでした」

宗師「三両の銀子はいつおまえに渡されたのだ」

魏三はしばらく唸ると、言いました。

「徐氏が息子を抱いて戻ってきて、私に三両の銀子をくれたのです」

宗師「おまえに銀子を渡したのはいつだ」

魏三「起鼓の頃でした」

宗師「おまえの銀子はどこにあるのだ」

彼は腰の腹掛けの中から一封の銀を取り出しました。宗師は尋ねました。

「これは徐氏がおまえに渡した銀子なのか」

魏三「そうです。開いてもいませんし、手を振れてもおりません」

宗師は尋ねました。

「どうして手を振れなかったのだ」

魏三「私は後に争おうと思っていたので、元の銀子をとっておき、証拠にしようとしたのです」

 宗師は笑って、いいました。

「このごろつきめ。わしの前で嘘を言いおって。夾棍をもってきて挟め」

魏三「宗師さま、県知事さまはとても公平に裁判をされ、徐氏と晁梁も少しも余計なことをいいませんでした。そして、晁梁が養母が死ぬまで面倒をみれば、姓を変えて元の家に戻るのを許すという判決を下し、晁家には晁梁の息子をおき、晁家の祭祀を行わせることにしました。宗師様が私にあの子を与えてくだされば、それは宗師様のご恩というものです。もしも私にくださらなければ、私は息子を返していただけなかったというだけのことです。まさか私を夾棍にかけるのではないでしょうね」

宗師「はやく夾棍に掛けるがよい」

十二人のp隷が両脇から集まってきて、三十回狼頭[5]で叩きました。

 すると、一人の男が表門の外に跪きました。宗師はそれを見ますと、彼を中に入らせました。男は任直でした。宗師は尋ねました。

「おまえは何者だ。どうして入り口に跪いていたのだ」

任直「私は武城の者で、以前郷約をしておりました。今回、数匹の廠紬を買い、学台様のお役所に売りにきたところ、裁判に出食わしました。偶然立ち止まりますと、学台様が魏三を夾棍に掛けてらっしゃいましたので、学台様が何もかもお見通しであることを知りました。しかし、魏三を論破することができなければ、学台様が去られた後、彼は県庁の判決をよりどころにし、事件は解決されなくなってしまいます。学台様、景泰三年に彼がどこにいたのか、景泰三年十二月に妻がいたのかを尋ねられ、彼に返答をさせてください。そうすれば、私は奴と争いますから」

魏三は夾棍を嵌められると、叩頭して、言いました。

「私は死刑になって当然です」

任直「おまえは景泰元年十月に韓公子の銀子を奪い、黄山館駅に三年の徒刑に処され、景泰四年十一月に武城に戻り、景泰六年正月に劉遊撃の下女を娶った。景泰三年十二月十六日酉の刻、徐氏が子供を抱いていったというが、おまえは夢でもみていたのか」

 宗師はとてもびっくりして、尋ねました。

「魏三、どうなのだ」

彼はひたすら叩頭して、言いました。

「何も申し上げることはございません。私は『満腹して箸を弄』[6]んだのです。根拠もないのに催促をしたのです」

宗師「おまえは人に唆されてこのようなことをしたに違いない。本当のことを言え。どうしてそのようなことを考えたのだ」

彼はひたすら叩頭し、本当のことを言おうとしませんでした。宗師はさらに五十回ぶちました。彼は初めて

「宗師さま、夾棍を緩めてください。本当のことを申し上げますから」

宗師「夾棍を緩めてやるから、本当のことを言え。嘘をついたら、また夾棍に掛け、ぶち殺してやるぞ」

夾棍を緩めさせました。

 魏三はいいました。

「あの日は新しい秀才の入学の日でしたので、人々は県庁にいき、簪花礼[7]が行われるのを待っていました。晁梁の一族晁無晏、晁思才は、私の酒屋で酒を飲みました。晁思才はいいました。『あの子のために満月のお祝いをし、土地を分け与えてもらったが、あっという間に十六歳になり、学校に入った。時がたつのはとても早いものだ』。晁無晏はいいました。『徐知事はあの子が運がよいといっていたが、本当かどうかは分からないぞ』。晁思才はいいました。『我々はいつかあの子の運勢を占ってやろう、少しでも良い運勢なら、我々にとって誉れだからな』。晁無晏はいいました。『あの子がいつ生まれたのか覚えていませんが』。晁思才はいいました。『わしは覚えているぞ。景泰三年十二月十六日酉の刻の生まれだ』。晁無晏はいいました。『三奶奶が生きている間に学校に入ったのは運がよいことだ。三奶奶が亡くなり、あの子が無衣無冠であれば、私は黙ってはいないだろう。今回、学校に入り、そのような事はできなくなった。さらにあのような舅ができたので、ますます文句を言うことができなくなってしまいました』。晁思才はいいました。『あの子が学校に入らなかったときに、文句を言っても無駄だ。徐知事さまがあの子のためにした裁きは、とても厳しいものだった。あの子に文句を言うなんてとんでもない』。

晁無晏「それなら、沈氏はあのとき本当は妊娠していなかった、よその子供を抱いていって養ったのだ、と言い、騒ぎ立てれば、財産の半分は我々のものになるでしょう』。私はそれを盗み聞きしたので、あの人は十六歳で、十二月十六日酉の刻の生れだと記憶しているのです。私はさらに尋ねました。『あの子は李婆さんが取り上げたのか。李婆さんは私の親戚ですが』晁思才はいいました。『とんでもない。街の徐婆さんが取り上げたんだ』。私はそのことを知ると、こう考えました。『女は度胸がないものだ。あの女の家にいって話をすれば、あの女は一族の人々に知られるのを恐れ、俺たちに百十両の銀子をわたし、買収するだろう』。こうしてでたらめは現実となってしまいました。私は暮らしもまずまずだったのに、このようなろくでもないことをしてしまったのです。どうか私めをお許しください」

 宗師「こいつめ。わしが真実を調べあげなければ、一つの家の祭祀が断たれていたことだろう」

夾棍をおき、六本の簽を抜き取り、三十回大板でぶちました。さらに、晁無晏を呼び出しました。晁無晏は下座に跪いていましたので、魏三や宗師が話していることは聞こえませんでした。宗師は四本の簽が抜き、晁無晏を引き立ててぶたせました。晁無晏は一生懸命弁明しました。

宗師「おまえが魏三の酒屋で悪いことを言ったのでぶつことにするのだ」

ぶち終わりますと、宗師は任直にむかって言いました。

「おまえと魏三は敵同士か」

任直「恨みはありません」

宗師はさらに尋ねました。

「おまえは晁家と親戚か」

任直「親戚でもありません。晁夫人のご恩を受けたので、このことを不満に思い、出てきて証人になったのです」

宗師彼「おまえは先年、傅恵、武義にぶたれただろう。学田を買ったのは、おまえか」

任直は叩頭していいました。

「私です。約正は靳時韶でした」

宗師「髭や髪の毛がすっかり白くなっていたので、わしはおまえのことが分からなかった。晁思才、さがれ。刑庁で待機するのだ。徐氏も帰ってよいぞ」

任直「私は」

宗師「おまえは刑庁にいかなければならん」

 翌日、宗師は、自分で供述の審理を行い、批語をつけ、刑庁に送り、供述書を作って処分を行わせることにしました。刑庁の役人は、上官の批語を得たら、厳しい期限を設け、州県に人を護送し、自ら審理、裁判をし、審問をすすめなければなりません。州県に命令を下したり、他の人に審問を委ねたりしてはいけないのでした。自分の考え通りの審査がなされなかったのに、上申書が受理されれば、自分が嫌な思いをするものです。また、却下されてふたたび審問が行われることになれば、お互いの体面に傷がつくものです。魏三の件は、徐宗師がきちんと尋問をし、任直が魏三を論破しましたので、魏三はそれ以上逃げることができないはずでした。それに、徐宗師自らが書いた調書は、とても詳しいものでしたから、これが刑庁に送られれば、自供をし、供述書をかき、評語を加えただけで、魏三は徒刑、晁無晏は杖刑になり、人々とともに護送され、駅に流刑となることははっきりしていたはずです。ところが、刑庁は普段から少しも仕事をしようとはせず、針の穴のように小さなことでも州県に押し付けていたため、魏三の件を武城県知事に処理させました。

 谷知事は、徐宗師が彼の判決を覆し、任直が事実を証しても、晁梁と任直を執拗に苛めようとし、刑庁の令状を見ても、相手にせず、何も言わず、魏三を監獄に入れもしませんでした。下役は言上しました。

「学道さまが裁かれた罪人ですから、やはり監獄に送るべきです」

谷知事は白目を剥いて、下役に言いました。

「彼にどんな罪があって、監獄に送らなければならないのだ」

簽を抜いて下役をぶとうとしました。下役が何度も言上しますと、下役に彼を保釈するように命じました。徐宗師は、何日も供述書が作られてきませんでしたので、督促状を刑庁に送りました。刑庁はふたたび武城県に令状を送りました。やがて、学道が一日に一回催促をするようになりましたので、刑庁は焦って魂が抜け出んばかりでしたが、谷知事は馬耳東風と聞き流しました。学道はふたたび令状を送り、人を引き渡すことだけを求め、供述書を作ることは求めないことにしました。刑庁はますます慌て、数人の捕り手に令状を持たせ、魏三を刑庁に連れていき、徹夜で調書を作り、翌朝に護送しました。徐宗師は刑庁の調書を引き裂くと、公文書袋にいれ、

「却下」と書き、すぐに使いを帰らせました。ちょうど済南府の祖刑庁が会いにきていました。徐宗師は、自分が書いた調書を、犯人とともに送ってきて、翌日に報告するように要求しました。

 祖刑庁は、ある郷紳の庭園の酒席に赴いていました。宴会が始まる前に、文書を開けて見てみますと、東昌の刑庁が審問を行わないので、宗師が咎めていることがわかりました。さらに、宗師が書いた調書の内容がとてもくわしく、決着を付けるのが難しい事件ではありませんでしたので、郷紳の亭を借りて、執務所を設け、硯を置き、人々を呼び、まず晁梁を呼び、幾つか質問をし、さらに任直を呼び、幾つか質問をし、調書に署名をさせました。魏三は、贖罪ができずに徒刑になり、晁無晏は金を払って杖刑の回数を減らしてもらい、他の人は自供を免れ、翌朝、護送されて取り調べを受けるのを待つことになりました。調書を公館の書吏に届け、原稿を書かせ、酒席に送りました。酒席に原稿が提出されますと、刑庁は劇の上演をやめさせ、筆と硯を借り、調書を書き改め、評語をつけました。

魏三のずるがしこさは幽鬼にも勝り、毒蛇をも凌ぐものである。人の財産を脅しとり、郷紳の家の一人息子を自分の子だと偽り、生まれた時間が間違っていることに追及が及ぶと、もともと言っていることがでたらめであったため、弁明のしようがなくなってしまった。晁梁が生まれたときは、彼はほかの罪で徒刑に処されていた。独身で、妻を娶っていなかったのだから、子が生まれるはずがない。任直の証言は確実である。駅に送り、辺地で労働をさせるべきである。晁無晏は一族を破滅させる悪人である。悪巧みをし、他人に盗み聞きされ、災いを招いたのだから、杖刑にするべきである。

 刑庁は、原稿を公館に持っていき、人を呼んで明かりの下で文を書かせ、点検をしました。祖刑庁が帰りますと、書吏は文を提出しました。

 翌日、犯人たちは護送されました。たいへん迅速でしたので、徐宗師は喜びましたし、調書の評語もとても良く書けていました。徐宗師は晩の法廷で、魏三の足をさらに三十回大板打ちにし、夏津県に送り、とりあえず監獄に入れ、武城県の護送官に期日が来たら界河駅[8]に送るように命じ、三年の徒刑にすることにしました。護送官が来る前に、魏三が獄中で死んだ知らせが届きました。谷知事はとても残念に思いました。ところが、晁梁と任直は、善人でしたので、天に助けられました。谷知事は南京刑部主事に昇任したという知らせを受け、一つには離任のために忙しかったから、二つには心が愉快でなかったため、事件を放っておくしかありませんでした。離任して兗州を通ったとき、徐宗師が兗州に来ていましたので、謁見をしますと、徐宗師は彼を食事に引き止めました。谷知事は晁梁が魏三の息子であって、魏三は嘘を言っているのではないということを、諄々と語りました。

徐宗師「晁梁が生まれたとき、魏三はまだ妻を娶っていませんでした。魏三が妻を娶ったときは、晁梁はすでに三歳でした」

谷知事は顔を赤らめて黙ってしまいました。役人たるものは、万事慎重にしなければならず、勝手なことをしてはいけないのです。谷知事は魏三と親戚だったわけでもないのに、事実を調べて判断をせず、偏った判断をしました。そして、間違いを認めずに覆い隠そうとし、危うく晁家を絶やすところでした。救われたことについては、徐宗師に感謝した方がいいでしょう。しかし、彼が心の中でどう考えていたかは分かりません。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]湖南省寧遠県にある山。

[2]山東省東昌府。

[3]手の紋様の一つと思われるが未詳。『古今図書集成』博物彙編・芸術典巻六四〇に引く『神相全編』には、七十二種の掌紋を載せるが、その中に天関紋はない。

[4]工廠で生産された紬の一種と思われるが未詳。

[5]榔頭ともいう。棍棒の一種。

[6]原文「飯飽弄箸」。「余計なことをする」の意。

[7]生員に金花という帽飾をつける儀式。

[8]山東省兗州府鄒県の地名。

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