第三十九回

天が悪い秀才の魂を奪うこと

不孝な息子が親に報いること

 

並外れたる凶暴さ

残酷なことし放題

心は狩りする鷹のやう

よく考へず話しをし

強きを恃み、弱きを挫く

災ひは天の作りしものならず[1]

乱暴に振る舞はば良心は損なはれ

病となるも薬なし

立派な子供が生まるとも

それは間違ひたる果報  《酔落魄》

 お祝いの翌朝、狄希陳は衣巾を着けますと、まずは程先生、次に連春元、その次に相于廷、その次に汪為露、その次に薛教授の家に行き、その後、親戚、友人、隣近所を訪ね、帖子を渡しました。汪為露も三分の銀子で小さな掛け軸を買い、四句の詩を書き、狄家に送り、お祝いをしました。その詩は、

若き才子は三度の試験で第一位

県試、府試、院試で六つの答案を書く

汪生がきちんと教育することなくば

いかにして泮池の脇に行くを得ん[2]

 狄員外は掛け軸を受け取りますと、やってきた人に二十文を褒美として与えました。狄員外は軸を客間に掛けましたが、やってきた賓客たちはそれを見ますと、みんな嘲笑しました。しかし、鎮の人々はまるで李太白の唐詩のようにそれを唱えました。

 さて、汪為露は、他人が例のことをする音を聞いたり、他人の敷地をだましとろうとしたり、偽の文書を作って宗挙人に迷惑を掛け、河南に避難させたり、程楽宇を殴ったりしましたが、こうした数多の善行によって、人々から虎のように恐れられていたため、長い間、弟子が一人もいませんでした。明水鎮は以前のように素朴ではありませんでしたが、その遺風は尽きていませんでした。人々も公正に善悪を判断することができましたので、汪為露が遠くからやってきますと、大人たちは隠れ、彼に出くわしたときは、顔を背け、揖もしませんでした。頑是ない子供たちは、彼を見ますと囃し立てました。

「例のことをする音をきいた奴がきたぞ」

彼は立ち止まって子供の親たちと争おうとしましたが、相手が多くて勝つことができませんでしたので、自分でもつまらないことをしたと思いました。しかも、正妻が死んだため、家を切り盛りする女性がいなくなってしまいました。失ったものは取りかえさなければなりませんでしたので、媒婆を呼び、後妻をとることにしました。

 郷約の魏才の娘は、十六歳になったばかりで、婚約しようとしていました。魏才は汪為露が土地と学校のボスで、何貫かの銅銭をもっていたたため、娘を彼と婚約させ、彼の財産と権勢を借りて郷約になり、人々を脅迫しようと考えていました。媒婆が縁談を持ち掛けますと、魏才は二つ返事で承諾し、難色を示そうとはしませんでした。そこで、吉日を選び、彼女を家に娶りました。女は、魚が沈み雁が落ちるというほどの美人ではありませんでしたが、なかなか綺麗な顔をしていました。汪為露はこのような若い妻を手に入れますと、まるで猿のようになり、両目は深い穴のように落ち窪み、精液が涸れ果て、頬骨の上に黒い皮が被さっているだけという有様になり、ごほごほと咳をしました。そして、新妻から年寄りであることを嫌われるのを恐れ、鬢に白い毛があったり、口に白い髭があったりしますと、毛抜きを手に、白い物を選んで一本一本抜きました。何度も引き抜いているうちに、まるで鄭州[3]、雄県[4]、献県[5]、阜城[6]や都で馬の手綱をとったり、物乞いをしたりしている宦官のようになってしまいました[7]。人々は汪為露のお迎えが近いことを知り、それを待ち望みました。そして、彼が死んだら、村中が平和になると考えました。しかし、汪為露自身はそのことに気付かず、普段よりも悪いことをしました。そして、程楽宇の四人の弟子がみな学校に入り、程楽宇が数十両の謝礼を貰ったのを見ますと、心臓を蛆虫に掻き乱されているかのように、腹が立ってたまらず、あの手この手で争いを起こそうとしました。そして、狄希陳が学校に入れたのはすべて彼のお陰だ、狄賓梁はまず彼の家に来て叩頭して礼をいうべきだといいました。さらに、狄希陳が彼の家に先に来ず、まず程英才の家に、次に連挙人の家に行ったことに腹を立て、さんざん文句をいいました。さらに、謝礼が良ければいいが、謝礼がこれ以上少なければ、まず狄希陳をぶち、次に狄賓梁と程楽宇をぶち、さらに薛如卞、薛如兼もぶち、学道には彼らが本籍地を偽っていることを責めてもらおうと思いました。そして、そのことをそれぞれの家に知らせました。

 狄員外と薛教授は、おとなしい人でしたので、少し恐ろしく思いました。連趙完はそれを聞きますと、人に言いました。

「汪澄宇にくれぐれも宜しく伝えてくれ。あいつは薛如卞さんが我々の婿であることを知っているのか。何の借りがあって、薛如卞さんをぶとうとするんだ。あいつがぶつつもりなら−親父は挙人だから秀才をぶつわけにはいかないが−僕は汪澄宇をぶつことができるぞ。秀才が秀才をぶつのは問題ないからな。あいつが弟子を集めて事を構えようとするなら、わしも親戚を集めて争うことにしよう。汪澄宇に、薛如卞兄弟を許したほうが身のためだぞと伝えてくれ」

男がその言葉を汪為露に伝えますと、彼は弱きを挫き強きを恐れる人でしたから、それ以上薛の字を口にしなくなり、程楽宇、狄賓梁にだけ文句を言いました。

 狄賓梁は従順な人、汪為露は悪者でした。狄賓梁は彼と張り合おうとはせず、八種類の生臭物の礼物、一匹の紗、一匹の羅、一対の雲履[8]、一双のネルの靴下、四本の餘東[9]の手巾、四つの川扇[10]、五両の紋銀をととのえ、礼状を書きました。そして、息子に衣巾を着けさせ、自ら彼とともに礼物をもっていきました。ところが、帖子を届けますと、汪為露は家の中から大声で罵り、こういいました。

「泥棒め。ごろつき野郎め。あいつは勉強の何たるかが分かっておらん。あいつに尋ねてみろ。あいつの三代以内の先祖に秀才になった者がいるかとな。わしが丁寧に教育したお陰で、あいつは乳臭さがすっかり抜け、文章の書き方を覚えたのだ。おまえは学校に入ったときにわしに謝礼を払いたくなかったものだから、わざと程英才を呼んで勉強を教えさせ、学校に入れたのはわしのお陰ではないと言おうとしたのだろう。こんな物を持ってきても、わしの小者への謝礼にも足らんわい」

帖子を門の外に捨てさせ、門に鍵を掛け、奥にいってしまいました。

狄員外「息子が学校に入ったのは名誉なことだというのに、かくまでも辱められるとは」

地面に落ちた帖子を拾い上げさせ、礼物を担いで帰りますと、言いました。

「礼物も帖子も送ったのだから、何の罪もないだろう。あとは放っておこう」

吉日を選び、招待状を出し、程楽宇、連春元、連趙完の三人を主賓として呼びました。さらに薛教授、相于廷も招き、陪席させました。酒席は六つ設けられ、楽人が笛、太鼓の演奏をしました。三人に同じもてなしをし、とても素晴らしいものでした。

 汪為露が程楽宇を殴って役所の厄介になっていなければ、狄賓梁は二人の先生を同時に招いていたことでしょう。しかし、二人の先生はいがみ合っていましたから、同時に招いていいわけがありませんでした。そこで、狄賓梁は二人の先生を別々に呼ぶことを考えました。彼は汪為露は来たくてうずうずしていることだろうと思い、まず汪為露に礼物を送り、招待しようと考えたのですが、思いがけず、先日のようなつまらない目に遭ってしまったのでした。汪為露は、その日、酒席で程楽宇が手厚くもてなされたことを知りますと、苜蓿[11]を食べた牛のように、何度も狄家にいき、門の前で叫び罵ろうとしました。しかし、『悪人はそれよりひどい悪人を恐れる』ものです。席上には彼の妻方の甥の連趙完がいました。汪為露は体中に怒りを漲らせていたものの、連趙完はくみしにくいと考えました。そして、程英才が家に帰るときに道でぶとうとも思いました。さらに、こうも考えました。

「この前、程英才をぶったとき、連趙完は彼の姑夫をぶったから、味噌の塊のようにしてやると言っていた。県知事があいつをきちんと処罰してくれなければ、きっとは仇討ちをするだろう」

ですから、腹を立てたものの、手を出そうとはしなかったのでした。翌日まで腹を立て、さらに、狄員外が靴、靴下、扇、手巾など四つの贈り物、二十両の書儀[12]を調え、酒宴を設けたことを聞きました。連春元、連趙完も、同じものを、みずから家に送ったとのことでした。程楽宇はすべて受け取り、家で酒席を準備してもてなし、礼物を送ってきた使いに手厚い褒美をとらせました。しかし、連春元父子の礼物は少しも受けとらず、何度も遠慮をし、ひたすら断りました。後に薛、相両家も狄家にならって程楽宇にお礼をしました。礼物はあまり粗末なものではありませんでした。汪為露はそれをみると激怒し、狄賓梁に、程英才と同額のお礼をしろ、少しでも少なくすることは許さない、酒を振る舞う必要はないが、かわりに銀二両を払い、両者にいい思いをさせろと伝えました。

狄員外「礼物をもって彼の家に行き、罵られるわけにはいかない。礼物は送ることはできない」

 使いは汪為露に報告をしました。しばらく待ちましたが、狄家の動きがなかったので、人を遣わし、催促させました。何度も催促をしましたが相手にされませんでしたので、程楽宇の半額のお礼を要求しようとしました。数日たちましたが、返事がなかったので、息子の小献宝を遣わし、狄希陳を呼び、話をしようとしました。狄員外は汪為露が息子に難癖をつけることを恐れ、息子をいかせませんでした。汪為露はどうしようもなく、人に話しをさせ、先日送った礼物に付け足しをしろといいました。

狄員外「あの礼物はもうなくなってしまいました。四種類の生臭物は、長持ちするものではありません。四種類の果物[13]をお宅に持っていきましたが、汪先生は受け取らないとおっしゃいましたので、拾い物と考え、みんなで食べてしまいました。生地、靴、靴下は程先生にお送り致しました。先生は少しも遠慮しようとせず、すぐに受け取られました。五両の銀子は、『ごろつき』、『下郎』の手に戻ってきましたが、『冷たい手で熱い饅頭を持つ』[14]ようなもので、手元においておくわけにいきませんでした。汪さまにくれぐれも宜しくお伝えください、もう少し待つようにおっしゃってください、息子がまた試験に合格したら、宗の坊っちゃんのようにお礼をさせますから」

 男は一つ一つ報告しました。彼は生臭物の礼物は送らなくていい、紗羅などのものと五両の折儀だけを送れば、言い争いはなくなると言いました。

狄員外「今はちょうど手元不如意ですから、豊年になったら付け足しをすることにしましょう」

男「あなたは礼物を送るつもりもないのに、私をだまして行ったり来たりさせて」

狄員外「あなたの想像されている通りです。九割り方送ることはないでしょう」

その男は汪為露に拒絶の返事を送りました。汪為露は腹を立て、後悔し、晩には例のお勤めをしたため、ますます痩せ衰えました。しかも、ひどく腹を立てていましたので肝火[15]が盛んになり、日一日と悪くなり、大勢の人に罵られ、肉親には背かれるという有様になりました。宗師は省で試験をおえますと、青州に行こうとし、繍江を通りました。すると、汪為露は上申書を作り、袖に入れ、人々とともに宗師を迎え、察院に入り、揖をしました。生員たちはお辞儀をすると去っていこうとしましたが、彼は跪き、上申書を取りだしました。そこにはこう書いてありました。

繍江県の儒学増広生汪為露が、弟子が師を殴打したことを告訴致します。

弟子の狄希陳は、幼い頃から勉強をしておりました。わたくしは一生懸命教育し、学業を成就させ、第七位で合格させ、府学に入らせました。ところが、希陳は恩に報いようと思わず、金持ちで仁徳のない父親の狄宗禹を頼りにして、一文の謝礼もしませんでした。私は筋道立てて話しをいたしましたが、父子は師弟の義理を問題にせず、わたくしの鬢、髭を抜きました、郷約が証人になります。弟子を立派な器に育て上げれば、一生頼りにすることができるというのに、羿を殺した逢蒙のような行いをするとは、恐るべきことです。どうか宗師さまの法によるお裁きをお願いいたします。

以上、上呈させていただきます。

 宗師は上申書を見ますと、言いました。

「教師への謝礼は、その家の財力に相応しいものでなければならない。彼が金を払うことができないなら、それは仕方のないことだ。おまえは謝礼の量をあらそい、上申書まで提出したが、これは正しいやり方ではないぞ」

汪為露「謝礼を目当てにしているのではございません。謝礼のあるなしを気にしてはおりません。彼は私のもとで十年間勉強をし、学校に入ったのに、私に一回も拝礼をしないのです。そして、たまたま道で会ったときに、ちょっと説教をしたところ、父子して進み出て一斉に暴力を振るい、私の両鬢をすっかり毟り、長い髭を抜き取ってしまいました。街でぶたれるのは、我慢できないことです。まして弟子が師匠をぶったとあってはなおさらのことです。宗師さまには名教を護持されるようお願いいたします」

宗師は尋ねました。

「おまえの鬢と髭はすべて彼らが抜き取ったのか」

「すべて彼らに抜き取られたのです」

宗師「いつ抜き取られたのだ」

「今月の十四日に抜かれました」

宗師「省城で面会[16]をした時、おまえの鬢と髭はすでになくなっていた。十四日に抜かれたとはどういうことだ」

「宗師さまの記憶違いです、それは私ではありません。長い二つの鬢に、黒くて長い髭を生やしていたのが、私です」

宗師「わしはおまえの顔を覚えているぞ。わしはあの時『あの男は髭、鬢がないが、きっと梅毒に違いない』と思い、質問しようとしたが、考えを変えてやめたのだ。おまえの顔は、はっきりと覚えておる。去れ。県に調査をさせることにしよう」

汪為露はいいました。

「どうか学校に命令を下されるようお願いします。県知事は私がご機嫌とりが下手なので、私のことをとても嫌っています。そして、狄家は金持ちで、普段から役所ととても仲良くしているのです」

宗師「提調官[17]のくせに、勝手なことをいうとは、憎たらしいことだ。はやく追い出せ」

生員たちは脇から見ていましたが、唾を吐き掛け、仲間に害を与える畜生を溺れ死にさせたくてたまりませんでした。

 そこへ県知事、教官が入ってきました。門が閉じられ、まず県知事に茶が出されました。宗師は尋ねました。

「秀才の汪為露は、どのような人物ですか」

県知事は返事をしました。

「普段からあまり品行方正ではなく、とても訴訟好きで、さらに強引な性格です」

宗師は尋ねました。

「どうして髭がなくなってしまったのですか」

県知事「どういう訳か分かりませんが、かなり前から抜けております」

宗師「そうではないでしょう。十四日に人に抜かれたといっていましたが」

県知事「私が着任したとき、彼には髭、鬢がありませんでしたから、最近抜いたものではありません」

宗師は尋ねました。

「この間面会をしたとき、髭、鬢がありませんでしたか」

県知事「前からありませんでした」

宗師「あの男は先ほど上申書を提出し、狄希陳はあの男の下で十年間勉強をし、最近学校に入ったが、あの男に感謝しなかったばかりでなく、拝礼も行わなかったといっていました。そして、たまたま道で会ったときに、狄希陳を責めたところ、彼ら父子に両鬢と髭をぬき取られてしまった、といっていました。私は先日面接をおこなったから、あの男の顔はよく覚えており、暗闇の中で触っただけでも、見分けがつくほどです。それなのに、あの男は私が人違いをしているといっています。あの男は自分が長い鬢で、黒い美しい髭を生やしていたといっています。あの訴状は受理して、調査をしてやるしかないでしょう」

 県知事「あの男はむかし勉強を教えていました。狄希陳はあの男について勉強をし、五年勉強をし、本を読みましたが、一字も記憶することができなかったばかりでなく、一字も読むことができなかったため、程英才が呼ばれたのです。すると、汪為露は程英才が彼の家庭教師の口を奪ったといって腹を立て、息子を連れ、さらに二人のごろつきを雇い、道で程英才をつかまえ、殴って重傷を負わせました。彼は最初程英才を告発しましたが、やがて数人の弟子を使って無理に和解しようとしました。しかし、知県も和解することを承認せず、汪為露を処罰しました。宗挙人は彼の門人でしたが、汪為露は訴訟に関与し、彼に訴状を書くように迫りました。そうすることが良いか悪いかにはお構いなしでした。また、銀子を使い、しばしば人をつかわして宗挙人に因縁をつけました。後に宗挙人になりかわって印鑑を刻み、偽の文書を作り、毎日県庁に届けました。知県は宗挙人の人柄を軽蔑し、理に外れたことがあるといい、手紙を届けた者を何度かぶちました。後にそのことは按台さまの耳にも入りました。宗挙人は河南に逃げていき、今に至るまで戻ってきません。汪為露は宗挙人が去るときに知県に挨拶をしたことを知らず、またもや偽の文書をとどけました。調査の結果、文書はすべて汪為露が偽造したものであり、宗挙人は汪為露のことを我慢するしかなかったということが分かりました。汪為露は学校で最もろくでもない人間であるといえましょう」

宗師「彼の上申書、証人を呼び、もしも嘘なら、誣告罪に処することにしましょう」

県知事「彼の上申書は絶対に嘘ではありません。しかし先生が弟子を告訴したり、先生を呼んできて審問して自供をとったりするのは、情の上で問題がありますから、訴状を却下すればいいでしょう」

宗師「あなたのおっしゃることは筋が通っています、科試のとき『素行が悪い』ということを理由に劣等にし、彼の生員の地位を剥奪しましょう、このようなろくでなしを学校においても仕方がありません」

県知事「最近は痩せ衰えて、ただの魂の抜け殻にすぎません」

 県知事は別れを告げて出ていき、さらに門を閉じ、挙人、教官に茶を出しました。宗師はさらに尋ねました。

「汪為露は、学校の秀才か」

教官は答えました。

「そうです」

宗師は尋ねました。

「彼の行いはどうだ」

教官「私は着任して二年になりますが、あの人は春、秋の丁祭のとき、学校にやってきて胙肉を欲しがるだけです。学校にくるのは一年に二回、しかも書吏、門番に要求するだけですから、教官とは会うこともありません。昨日、点呼をおこなって面会をしたとき、はじめて彼のことを知りました」

宗師は尋ねました。

「鬢が濃く長い髭を生やした男か」

教官「鬢はなく、髭もありません、梅毒になって抜け落ちてしまったのでしょう」

宗師は尋ねました。

「そのような者をどうして劣等にしないのだ」

教官「彼は今まで試験でいい成績を取っているので、彼の才能を惜しんでいるのです」

宗師「彼は試験で何等になったのだ」

教官「二等になりました」

宗師「そのような無頼な人物の才能など、惜しむべきではない。合格したりすれば、世に害をもたらすだろう。これは双頭の蛇を殺すようなものだ。彼が過ちを改めれば、とりあえず許すこともできるだろうが」

教官「あの男は頑固ですから、宗師さまの善意を理解できないでしょう」

教官が去りますと、宗師は門を閉じました。

 翌日、宗師は出発する時、上申書に批をつけました。

髭、鬢は梅毒で抜け落ちたものであろう。発落をしたので、顔をよく覚えている。でたらめをいったことは、とりあえず追及しないこととする。上申書は却下する。

上申書を察院の前の照壁に張りました。彼は宗師が訴状を受理して県庁に送ることを約束していたため、外で人々に宗師が次のようなことをいっていたとさんざん嘘をつきました。

「世の中にこのような恩知らずがいるとはな。学校に入るとすぐに、恩師のことを忘れるのだからな。おまえのために県に命令をくだしてやろう。彼がおまえに謝礼を送ったら、許してやることにしよう。謝礼の仕方がなっていなかったら、秀才の資格を奪い、奴の父親を読書人を殴った罪に問うことにしよう」

人に対して得意満面で話しました。上申書を提出する時間で、相于廷、薛如卞、薛如兼が脇で聞いているのにもお構いなしでした。しかし、実際は、宗師はこのようなとんでもないことはまったくいっていませんでした。役所の奥で県知事、教官に茶を出していたのは、沈木匠の息子の沈献古でした。彼は宗師の宿舎の下役になり、茶を出していたのでした。宗師と県知事、教官は、汪為露が話していることを、一句一句聞きました。汪為露は鼻を摘まず、口から出任せを言っていました。県に訴状が受理されれば、裁判に勝とうが負けようが、格好がついていたでしょう。しかし、照壁に批を貼られてしまったのは、恥ずかしいことでした。彼は恥ずかしくもあり腹立たしくもあり、うなだれて、騾馬に乗り、心の中で考えました。

「私的に殴るのもだめだし、役所に訴え出るのもだめだ。五両の銀子、二匹の紗は、返してしまったからふたたび戻ってくることはない。どうしたらいいだろう」

考えれば考えるほど腹立たしく、喉が草で擦られたように痛くなりました。暫くしますと、何回か咳が出て、数碗分の鮮血を吐きました。そして、騾馬の上で眩暈を起こし、地面に転げ落ち、人事不省になりました。騾馬をひいていた小者は、傍らで目を見張りました。さいわい頼りになる人がいましたので、彼を家にいかせ、報せを伝えました。彼の息子は、数百銭を手にして、廟の入り口で人と賭博をしていましたが、父親が鮮血を吐き、地面で気を失っていることを聞いても、気にもとめませんでした。数百銭を出し、隣近所に頼み、汪為露を迎えにいかせ、担いで家に戻らせました。家に戻りますと、顔にはますます血の気がなく、まるで幽霊のようでした。そして、もし自分が死んだら、狄宗禹と程英才の二人を許してはいけない、かならず告訴をするようにとひたすらいいました。小献宝は影でこそこそと、いいました。

「あの狄宗禹と程英才があなたをどうしたのですか。私に告訴をさせるのですか。あなたは秀才ですから、でたらめの訴状を提出しても問題はないでしょう。しかし、わたしがでたらめの告訴状を提出したら、またぶたれて、うんこも出なくなってしまうでしょうよ。狄さんはいい生地と鞋、靴下、金扇に手巾、五両の銀子、二三の食盒を、親子二人で家に届けてくれました。今あなたについて勉強をしている人だって、このようなことはしませんよ。それなのに、あなたはあの人をごろつき、下郎などといい、犬の血を頭に吹き掛けるかのように罵りました。今はそのことが悔やまれてなりません」

 さて、汪為露は病の床につきました。一つには薬を買うのが惜しかったから、二つには小献宝が賭博の金を大事にしていたから、彼のために薬を買うことができませんでした。病人は、日一日と病が重くなりました。

 汪為露はこのような病気になっても、四六時中、狄賓梁、程楽宇の二人を許そうとはせず、夜になるたびに、小献宝に、麻縄で足をくるみ、狄家の入り口に行き、首を吊って、脅迫をするように催促しました。

小献宝「私は元気な若者で、これから先が長いのですから、簡単に首を吊るわけにはいきません」

汪為露は床で腹を立てて、言いました。

「馬鹿者め。だれもおまえに本当に首を吊れとは言ってはおらん。あいつを脅かすのだ。あいつを脅かして、礼物を我々に送らせるのだ。わしはもう病気になって死ぬばかりだ。銀子が手に入っても、持っていくこともできん。いずれにしてもおまえが使うのだぞ」

小献宝「命があってこそ銀子を使うことができます。だれも救いにこなかったら、縄にぶら下がって死んで、元も子もなくなって、銀子を使うことなどできなくなってしまいます」

汪為露「おまえが行こうとしないなら、人を雇ってわしを彼の家に担いでいき、あいつにわしの葬式を出させよう。何が何でもいってやるぞ」

小献宝「行きたければ自分で行かれてください。あなたを担いでいくわけにはいきません。県庁に貼られている告示を見ていないのですか。死体を担いでいって人を脅迫した者は、遺族全員が四十回の板打ちになります。わたしが板子で尻を打たれてどうするのですか」

 重病で危篤の人は眠ることはできないものです。寝返りを打っても、小献宝は少しも姿を見せませんでした。魏氏はいましたが、人間があまりできていませんでしたので、恨み言をいいました。彼女は娘だった頃、早く病人を死なせたい時は、おたまを鍋の下で焼くといいということを聞いたことがありました。そこで、おたまを探し、柄をとり、飯を作るときに、こっそり火にくべて焼きましたが、あまり効果はありませんでした。汪為露は苦しがるだけで、すぐには死にませんでした。汪為露が気息奄々として死にそうになりますと、魏氏は小献宝とともに、棺槨を準備することについて相談しました。小献宝は金をすったため、泥棒のように慌てていました。魏氏は小献宝をたずね、棺槨の準備について相談しました。小献宝は焦っている時に、この話を聞きますと、ますます慌てて、いいました。

「だれだって病気にかかるものだ。すぐに死ぬ病気などあるはずがない。大騒ぎをして人を捜しにきて、びっくりするじゃないか」

しかし、考えを変えました。

「俺は賭博に負け、金がない。親父のために葬式をするといい、その銀子を借りて元手にし、金を稼いで戻れば、一挙両得じゃないか」

そこで、いいました。

「ご心配もご尤もです。どうやらお迎えが近いようですからね。しかし、私は勝手なことはできません。親父の葬式の準備をする気にはどうしてもなれないのです」

魏氏「誰もあの人が死ぬのを望んでなどいないよ。ただ、あの人のために悪魔払いをすればよくなるかもしれないよ[18]。まずは数匹の木綿布を買い、経帷子を作り、材木を買うことにしよう。そのほかのものは死んでから買っても遅くはない。だいたいどれだけの銀子が必要なんだい」

小献宝「布は定価が決まっている物ですが、板には定価はありません。金持ちの家では数千両、数百両のものを買います。どんなものを買ったらいいか考えてください」

魏氏「手元に銀子がないのだよ。一封の銀子はあるが、どれだけあるかは分からない。あの人に一声掛けてから、もってきて使うことにしよう」

小献宝「あんなに重い病気なのに、声を掛けてどうするのですか。死んだら、尋ねる必要はありません。良くなれば、木綿布は家で使うことができます。材木を買えば、金を稼ぐ事ができます。元手をすることはありません。売ればあの人に金を返すこともできます」

 魏氏は部屋に入り、銀の封を取り出して開きますと、二十二両の銀子しかありませんでした。

小献宝「それでは何にもなりませんよ。親父がたくさんの金を稼いでくれたのに、四五十両足らずの棺に入れるわけにもいきますまい。これで木綿布を買ったら、柳の木の薄い棺しか買えませんよ」

魏氏「あの人がどれだけ持っているか知らないが、私の手元に金はないんだ。あの人はこの銀子の包みしか私に渡さなかったんだよ。私は封に手もふれていないから、どれだけあるかも知らないんだよ」

小献宝「ほかの金のことは分かりませんが、半年前、李指揮から七十両を手にいれたはずです。私は知っていますよ。あの金はどこにいったのですか」

魏氏「見たこともないね。七十両、八十両のことなど知らないよ。あの人の意識が戻ったら、尋ねてみよう」

小献宝「二十両の銀子で、まず木綿布を買い、衣装を作り、残りの金で棺を予約し、死んだらお金を払えばいい」

魏氏「それもそうだ。魏運に手伝いをさせよう。おまえ一人では忙しくて大変だろうからね」

小献宝は銀子をどさりと魏氏の前におきますと、言いました。

「叔父さんに一人で買ってもらいましょう。私のようなろくでなしは、銀子を奪って逃げてしまうでしょうからね」

 魏氏は彼が怒っているのをみますと、すぐに言うことをかえ、言いました。

「おまえが銀子を奪うのを恐れている訳がないだろう。おまえ一人だけでは、一か所の仕事しかできないから、あの人を使い走りさせるのだよ。おまえを監視させる訳ではないよ。おまえが銀子を奪って逃げれば、十人の魏運だっておまえを阻むことはできないだろう。病人が息を引き取れば、何でもおまえに任せることになるから、このくらいの金はおまえに預けることにするよ。私の体さえもおまえに預けなければならないんだからね」

慰められますと、小献宝は怒りを喜びにかえ、銀子を持っていってしまいました。

 魏氏は彼が木綿の布を買ってきたら、吉日に鋏を入れようと思っていました。しかし、一日たっても、二日たっても、彼は姿を見せませんでした。先日、魏運のことを口にし、つまらないことになりましたので、魏運に彼を捜させるわけにもゆかず、馬鹿な顔をしながら待ちました。閻魔さまはあまり容赦することもなく、牛頭馬面を遣わしました。急脚[19]、無常[20]は模様の枠の印刷された帖子を手にとり、彼を冥土に招き、『白玉楼記』を作るように頼みました[21]。彼も待つことができず、別れを告げると遥か彼方に去っていってしまいました。魏氏は死ぬほど大慌てしましたが、小献宝を掴まえることはできませんでした。夕方まで捜しましたが、姿は見えませんでした。数匹の布をつけ買いし、裁縫を呼び、急いで衣装を作らせ、あちこちに棗の板を捜しにいかせ、人を雇い、家に運ばせ、大工に棺を作らせました。

 汪為露は一生悪いことをし、財産に関して悪いことをしましたので、献宝のために牛や馬になるしかなかったのでした。しかし、牛や馬の主人がここまで残酷だったとは思いもよらぬことでした。まさに、

悪人が世を惑わすは憎きこと

不孝な者が道に背くは傷むべし

 次回でさらにお話しがございます。

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]原文「果然汀貫非天作」。「災いは自分が作ったものである」の意。「天作孽、猶可違。自作孽、不可活」という諺をふまえる。

[2]泮池、泮水は、半円形をした池のこと。古代、学宮の前に設けられたという。この句の意味は「どうして学校にはいることができようか」の意。

[3]河南省開封府の州名。

[4]河北省保定府の県名。

[5]河北省河間府の県名。

[6]河北省河間府の県名。

[7]皇荘で馬の世話をする宦官をさすものと思われる。皇荘は、明の皇室の荘園。宦官劉瑾の奏請により、河北省(畿内)に特に多く置かれた。『明史』宦官一・劉瑾「劉瑾、興平人。…又奏置皇荘、漸増至三百余所、畿内大擾」。なお、『醒世姻縁伝』本文に挙げられている州県のうち、雄県に関しては、皇荘があった旨、『明史』に記載がある。『明史』食貨一・田制・荘田「又定制、献地王府者戍辺。奉御趙瑄献雄県地為皇荘」。

[8]雲状の飾りのついた靴。道士、僧侶がよく用いた。

[9]江蘇省通州南直隷州の地名。手巾はここの名産。芙蓉の皮と苧を混ぜて織り、芙蓉手巾といわれるという。光緒元年『通州直隷州志』巻四・民賦志・物産・芙蓉手巾「出余東。以芙蓉皮及苧合績而成」。

[10]蜀扇ともいう。四川省産の扇。精巧で華麗なことで知られる。『万暦野獲編、四川貢扇』「其精雅則宜士人、其華燦則宜艶女」。

[11] ウマゴヤシ。

[12]旧時、礼物に添えた礼状。

[13]原文「果品」。干したものも水気のあるものも含む。

[14]原文「冷手抓着熱饅頭」。

[15] 「火」は漢方の用語。炎症、腫れ、いらだちなどの症状を起こす原因をいう。「肝火」は肝臓の「火」。

[16]原文「発落」。院試の合格者を宿泊所に学政官が召集し、面会すること。

[17]調停に当たる役人。

[18]生前から棺や墓などを用意するのはおめでたいこととされるのだと思われるが未詳。

[19]急脚鬼のこと。人の命を取りにくる冥土の使い。

[20]地獄の使者の一つ。魯迅『朝花夕拾』無常に図がある。

[21]唐の詩人李賀が死ぬとき、夢に天使が現れ、君が上帝の白玉楼の記を作ることになったと告げたという『唐詩紀事』の故事をふまえる。ここでは汪為露の死が近づいていることをいう。

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