第三十七回

連春元が文章を評して婿を選ぶこと

孫蘭姫が美男を愛して男を招くこと

 

愚夫の結婚 金目当て

家畜、穀物を数へたり

おしやつんぼやびつこでも

目当ては衣装と装身具

豪傑は人を見るとき顔を見て

英雄は文を用ゐて世を論ず

水商売の女さへ

美男選びを知つてゐる。

 子弟には上智と下愚の者がいるものですが、その差は習慣に由来していることが多いのです。彼らが親しんでいる者が善人なら、目、耳で聞くのは良いことばかりです。子弟は花火のようなもので、人が彼らの導火線に火をつけなければ、爆発することはできないのです。例えば新城県の金持ちは、以前は、子供を産むと、必ず乳母を雇って養っていました。金持ちの家の大きな屋敷は、海のようなものです。乳母は赤ん坊を抱きながら、外に出ていくことはできませんでした。赤ん坊は五六歳になりますと、家塾に送られました。家の中の門を通って家塾に通いました。そして、童生の試験を受けるときになりますと、初めて街に出、驢馬、馬、牛、羊などの何だか分からないものを見るのでした。このような教育をすれば、試験のたびごとに挙人、進士が四五人合格するはずです。それに、生まれてきた子弟たちは、街の気が少しも身に染み付いていません。ですから、誠実で善良で、傲慢さはまったくありません。しかし、長いこと金持ちの生活を送りますと、純朴な気が家になくなってしまいます。父兄は厳しい教育をせず、子弟も拘束に従おうとはしなくなりますので、読書人の香りが絶えていないとはいえ、以前のように連続して一位合格するというわけにはいかなくなるのです。大司馬などになりますと、十一歳の息子のことを錦の衣を着ることになる人[1]だといいます。そして、彼のために小さな暖轎を作ってやり、八人の轎かきを選びます。小さな黄色い傘を作り、終日彼らに轎を担がせ、街に行かせ、府、県庁に挨拶をさせるのです。このように子供を俗世に触れさせてしまっては、彼の勉強しようという気を養い、彼を先代のような品格のある人にするのは、不可能というものです。

 狄希陳は勉強はできず、心は野生の猿、鹿と同じでした。彼は汪為露のような無頼な先生に就き、出藍の誉れのあるたくさんの仲間を見ていました。母親は幾らかのしつけをしましたが、父親は溺愛していました。大人になってから、先生が程楽宇に変わったことはさいわいでした。一つには、程楽宇の性格は汪為露ほどいい加減ではなく、きちんと教えることができたから、二つには、彼は狄賓梁夫婦のもてなしを有り難く思っていましたので、一生懸命に教育せざるを得なかったからでした。鉄の杵は針に磨き上げられ、『四書』のたくさんの字を覚えました。「雨過ぎて山翠を増す」という問題を出しますと、彼も「風来たりて水花を()す」という対句を作ることができました。「子南子に(まみ)ゆ、子路悦ばず」[2]の問題を出しますと、彼も「聖人すら少艾を慕う、賢者之を戒むるは色に在り」[3]という破題を書くことができました。人の手紙の見本を見ますと、書式に従って父親のために挨拶状、招待状を書くことができました。しかし、彼には間が抜けたところがあり、「窓禽[4]四翼」を送る人がいますと、彼はその人の家の礼帖を見て、窓禽とは鶏ではないと思い、礼物を送ってきた使いにどんな鳥なのかと尋ねたり、四翼とは二羽のことではない、二対のことだと言い張ったりしました。このようなことは一回にとどまりませんでした。

 狄賓梁は息子が学問に長じているのをみますと、とても喜びました。彼の母親も狄賓梁が教師を選び息子を教育したおかげで、勉強が進歩したと言いました。提学道は歳貢に文書を送りました。各州県は告示を出し、童生を試験することにしました。狄賓梁も息子に試験を受けさせようとしました。

程英才「あの子はまだ知恵がついておらず、文章を書くことができません。試験を受けることはできません。おとなしい県知事であればいいのですが、切れ者の官吏が答案を張り出し、先生を告発し、追及したら、大変なことになります」

狄賓梁「薛家の義弟、相家の従弟は、彼より二歳若いのに、もう試験を受けるのです。息子だけが家にじっとしているのは、恥ずかしいことです。何がなんでも、彼をいかせることにしましょう」

程楽宇は「とりあえず、もう一度相談を致しましょう」と言いますと、狄賓梁と別れました。

 薛如卞と相于廷はいいました。

「僕たちは一緒に勉強をしていたのだから、一緒に受験しにいくべきです。狄希陳さんだけが家にとどまるのは、みっともないでしょう。府県の試験も、番号は割り振られますが、座席は自由ですから、私たち二人が狄希陳さんの答案を書くことにすれば、張り紙を出されて先生が告発されるようなことにもならないでしょう。また先生と相談してみましょう」

程楽宇に報告しました。

程楽宇「それはなかなかいい。しかし、今回の試験では、わしらはおまえたちが学校に入ることを望んでいるのだから、自分の答案を書くことをおろそかにしてはならんぞ」

薛如卞「時間はたっぷりありますから、答案を三つ書くこともできますよ。二人であの人のために答案を作るのは、難しいことではありません」

程楽宇は承知し、願書を提出し、県の試験をじっと待ちました。

 薛如卞が籍を入れて間もない頃、一部の童生たちは、彼が本籍地を偽っているといって責めようとし、大騒ぎしました。程楽宇の義兄の連挙人は、連才といいました。彼は程楽宇の書房に行ったとき、薛如卞が美貌で聡明なのを見ますと、彼のことをとても気に入りました。そして、家に彼より二歳年下の娘がおりましたので、彼女を薛如卞の妻にすることを約束していました。しかし、薛如卞が故郷に帰ることを恐れていましたので、話を持ち出しませんでした。そして、こっそり程楽宇に何回か話しをしました。連春元の息子連城璧は、県学の廩生でした。程楽宇は弟子たちを彼に預けました。連城璧は薛如卞が本籍地を偽っていることを責められているのを見ますと、面と向かって拒むわけにはいかず、家に戻って彼の父親の連才と相談しました。連春元は考えました。

「あの人の保証人になるのは構わない。あの人はすでに籍を入れて仕事をしている。赤暦[5]にはあの人の父親が紬、穀物店を開いていることが記されているから、人々がどういおうと恐れることなどない。宗師に話をしても、心配はない。わしはお前の妹をあの人と婚約させようと思っていたから、あの人が故郷に戻ってしまうことが心配だった。あの人がここで学校に入れば、戻っていくわけはあるまいし、婿にまねくことができれば、家の誉れというものだ。何なら、婚約をしてから、役所に出頭してもいいだろう」

人を遣わし、程楽宇の家に行かせ、相談しました。程楽宇は賛成しました。連春元の夫人は自分の目で見るのがいいといいました。

程楽宇「それは簡単なことです。保証書を甥に渡すようあの人にいいましょう。あなたはそれを御覧になればいいのです」

程楽宇は書房に戻りますと、薛如卞を呼び、言いました。

「世間で本籍地を偽ったといって責めていたので、連趙完は保証人になろうとしなかったが、わしは何度も頼んだ。おまえはこの保証書をあの人の家に送ればいい」

 薛如卞は保証書をもち、連家にいきました。門番が報告をしますと、奥の書房にお呼びがかかりました。中門を入りますと、彼も連春元夫婦を避けようとはせず、揖をしました。連夫人はわざと尋ねました。

「どちらのお子さんですか」

連春元は「薛家のお子さんだ。程さんについて勉強をし、受験しようとしているのだ」と言いますと、薛如卞を座らせ、茶を飲ませました。彼は二本の真っ白な長い手をしており、声は穏やか、顔は整い、歯は白く、唇は赤く、髪は額に掛かったばかりでした。そして、紫花布の広袖の道袍、赤い靴に綺麗な靴下を着けていました。連趙完が出てきますと、薛如卞は保証書を置きました。連春元は書房に入り、詩を書いた扇、箱に入った香墨[6]を手にとりますと、彼に与えました。彼は揖をして礼を言い、とても礼儀正しくしました。連夫人はとても喜び、程楽宇に媒酌を頼みました。薛教授がとても喜び、吉日を選んだことは、くだくだしく述べる必要はございますまい。

 薛如卞がしっかりとした保証書を手にいれますと、万年老童生たちは、彼を責める訳にいかなくなりました。県知事は点呼を終え、中に入りました。四人は同じ場所に座りました。問題が出ますと、『論語』の問題は、「従者これを見る」[7]。『孟子』の問題は、「中庭に相泣き、良人未だ之を知らざるなり、施施として外より来たる」[8]でした。薛如卞はまず狄希陳のために最初の文章を作り、相于廷もまず狄希陳のために二篇を作ってから、自分の文章を作りました。薛如兼は十二歳になったばかりでしたので、何もかもお構いなく、筆を手にとるとさらさらと書きました。そして、ご飯を食べるほどの時間で、草稿を書き終わり、書き写そうとしました。

薛如卞「まだ早いから、慌てる必要はない。お前に見せてやるから、それから書き写しても遅くはない」

彼は待とうとしませんでした。すぐに、謄本を作り終わりますと、ちょうど巳牌の時刻でした。そこで、真っ先に答案を提出しました。県知事は利発そうな子供だと思い、答案を開いてみますと、答案いっぱいに字が書かれていました。答案を提出し、県知事に面接試験をするようにもとめたのは彼が初めてでした。県知事は彼の答案を見ますと、笑いながら

「おまえは今年幾つになった」

返事「十二歳になりました」

県知事は笑って

「おまえの文章はまだ未熟だから、家に戻ってじっくり勉強をするがよい。十四歳になって受験をしたら、わしはおまえを合格させてやろう」

薛如兼はなかなか立ち去ろうとしませんでした。

県知事「対句の問題を出しておまえを試すことにしよう。『大器は晩成を貴ぶ』はどうだ」

彼は「長才は短馭に屈す」[9]という対句を作りました。県知事は笑って

「おまえの対句はなかなかいいものだ。合格させてやろう。もとの席で待っておれ、さらに幾人か答案を提出したら、おまえを退出させることにしよう」

しばらく待ちますと、狄希陳も答案を書き終わり、提出し、面接を受けました。彼は少年ではありませんでしたが、まだ綺麗でした。『論語』の破題は「従う者これが為に将命するは、その誠を鑑みるのみ」[10]、『孟子』の破題は「斉婦その夫を醜とし、斉人は自らを醜とせず」[11]でした。県知事は第二の破題に圏点をつけ、以下の文字にはただの点を付けました。答案には「可」の字をつけました。さらに、二三十人が答案を提出するのを待って、狄希陳と薛如兼は、真っ先に退出しました。みんな県知事の面接試験に合格していましたので、喜んで飛び跳ねながら家に帰りました。

 薛如卞は相于廷が答案を書き終えますと、答案を提出しにいきましたが、どちらも十四歳になったばかり、髪を伸ばし始めたばかりでした。見目麗しい二人の学生は、跪いて県知事に面接試験をするように頼みました。県知事は二つの答案を見ますと、たくさんの圏点をつけ、答案に大きな圏点をつけ、尋ねました。

「二人は何歳になったのだ」

「十四歳になりました」

「先生は誰だ」

「程英才です」

「おまえたち二人は同窓か」

「はい」

県知事「はやく家に戻って勉強するのだ。今回は合格だ」

二人は県知事に礼を言いました。退出用の牌をもらい、外に出ました。それぞれの家の父兄が迎えますと、県知事の面接試験で合格したといいました。まだ時間がかなり早かったので、程楽宇は彼らにご飯を食べさせました。試験の文章を書かせますと、勉強部屋で書いているものよりもずっと美しいものでした。

 程楽宇は答案を連春元父子に見せ、褒めたたえました。人々は二人の文章を評価しました。程楽宇は連趙完にいいました。

「薛如卞は十位以内、相于廷は十位以下でしょう」

連春元「この二人はどちらも十位以内でしょう。相于廷は上位で、薛如卞は下位でしょう」

程楽宇はさらに狄希陳の文章を彼に書き写させ、連春元に見せました。

連春元「この答案も遠からず合格だ。最初の一篇は必ず合格し、第二篇は二十位以内にはなるだろう」

程楽宇は笑いました。

「最初の一篇は薛如卞が作ったもので、第二篇は相于廷が作ったものです」

 十数日後、県庁で合格発表があり、全部で二百十二名が合格しました。相于廷は第四位、薛如卞は第九位で、どちらも覆試[12]を受けることになりました。狄希陳は第二十一位、薛如兼は第百九十位でした。四人はすべて合格しました。それぞれの家ではとても喜びました。連春元は自分が文章を見る目があったことを自慢し、程楽宇に会いますと、いいました。

「薛如卞と相于廷はかならず上位で合格するでしょう」

連夫人はいいました。

「薛如卞さんが合格しても、程さんへの謝礼がなくなってしまいます。姪の婿からお礼を受けるわけにはいかないでしょう」

連春元「婿が学校に入ったら、程さんにはさらにお礼をしなければならん」

程楽宇「それだけではいけません。媒酌の謝礼もいただきますよ」

 数日もたたないうちに、県庁では帳簿を作り、府学で試験をしようとしました。四人はみな年が若く、知識がありませんでしたので、いきなり府城にいくのは、安心できませんでした。そこで、程先生に彼らをつれていくように頼みました。米、小麦、食物はすべて狄員外が買いました。済南府東門里鵲花橋の東に、連春元の親戚の家があり、そこを宿屋にしました。師弟五人のほかに、狄周、薛三槐、相家の小者随童がおり、連家は下男畢進を選んで薛如卞につけ、料理人の尤聡もくわえて、全部で十人の一行でした。朝に狄家で朝食をとり、各家の父兄と連春元父子は狄家にいき、見送りをしました。狄希陳は彼の母親に銀子がほしいといい、府に物を買いに行きました。母親は彼に四両の銀子を与えましたが、彼は少ないのを嫌がり、腹を立て、さらに父親に金をねだりました。父親はさらに彼に六両を与え、紙、筆、墨を買う以外には、みだりに使わないようにといいました。

 明水から府までは百里足らずで、朝に出発すれば晩に着くことができました。翌日、礼房は文書を提出しました。試験まではまだ間がありましたので、程先生は彼らを宿屋で勉強させました。若者たちは、よその州県の、城外生まれでしたので、省城にきますと、まるで天に登ったかのような気がして、じっとしていることができませんでした。

先生「おまえたちの体を束縛しても、心は外に走っていってしまうだろう。自由によそを歩き、文章を書く意欲を盛んにするのだ。事件を起こさず、でたらめなところにいかなければいい」

四人はこの赦免状を得ますと、「海は広く魚は躍り、空は鳥が自由に飛ぶ」という有様になりました。鵲花橋[13]から出発して、黒虎廟[14]の貢院にいき、畢進が案内をしてあちこちを見物しました。さらに府学にいって鉄牛山[15]を見、守道の門前から四牌房坊[16]の布政司に行きました。布政司大街の書店で書物を見、西門を出て、趵突泉でしばらく遊んでから、帰りました。

 狄希陳は趵突泉の西の花園を歩いているとき、ズボンを開いて小便をしました。ところが亭の欄干に十六七歳の娘が立っていました。彼女はとても美しい姿をしており、着ているものも綺麗でした。狄希陳が小便をしているのを見ますと、その娘は庭の中に向かっていいました。

「母さん、来てください。どこかの学生が私にむかって小便をしています」

すると中から初老の女が出てきていいました。

「お若い方。よその家の娘がここにいるのに、へのこを引っ張り出して小便をされるなんて」

狄希陳はびっくりして、小便もし終わっていないのに、半分は我慢して、ズボンを引き上げて逃げ、恥ずかしくて顔を赤くし、薛如卞たちに追い付くといいました。

「君達が僕を待たなかったものだから、もう少しでひどい目に遭うところだった。大きな髷を結った娘が西の亭にいた。僕は彼女に気が付かず、彼女にむかって小便をし、彼女の母親に怒られた。彼女に何回かぶたれても、役所に訴えるわけにもいかないよ」

人々は尋ねました。

「何歳ぐらいの娘がいたんだ」

狄希陳「頭を結っていて、とても綺麗だった。着ているものもとても綺麗だった」

 畢進「この土地のどこの家にそんな綺麗な娘がいるのでしょう。戻って見てみましょう」

畢進は走っていきましたが、しばらくすると、戻ってきていいました。

「二人の妓女です」

薛如卞「妓女も人に腹を立てるのかい」

狄希陳「馬鹿なことを。どこにそんな妓女がいるものか。頭を包み、髷を結い、耳輪を着けていたぞ。ちゃんとした家の娘だよ」

畢進は尋ねました。

「狄さま、御覧になったのは蜜合[17]の薄絹を着けている娘ですか」

狄希陳「そうだ」

畢進「あれはまちがいなく妓女です」

狄希陳「戻って本当に妓女かどうか見てみよう」

 学生たちは歩いていき、足を引っ込め、中を覗きました。初老の女はいいました。

「娘にむかって小便をしたのはまだいいのですが、また戻ってこられるなんて。中に入って茶を飲まれてください」

 学生たちは中に入ろうとしましたが、一方では恥ずかしくて入る気がしませんでした。中に入るまいとしますと、彼女たちから離れるに忍びませんでした。互いに譲り合って、ぐずぐずしていますと、娘が前にきて、急に狄希陳の手を引っ張り、いいました。

「私にむかって小便をされましたが、構いません。また会いにこられるなんて」

家にむかって引っ張りました。狄希陳は外に抜け出ようとし、薛如卞、相于廷はびっくりして叫び、人を来させました。畢進は笑いました。

「あの女は狄さんと遊ぶのですよ。中に入って涼んでいくことにしましょう」

家の中の腰掛けに座り、茶を運んできて飲ませ、さらに瓜を切りました。食べる者もあり、食べない者もありました。娘は瓜を狄希陳の口にいれると、いいました。

「小便をしたのをとがめられて、びっくりなさいましたか。まだ髪の毛を結っていない若い方だったのですね。ずいぶんびっくりさせてしまいました」

みんなでしばらく遊んでから、その場を去りました。娘も門を出ました、さらに狄希陳に向かって

「ねえ。小便がしたくなったら、ここにきてしてください。私は怒りませんから」

江家池[18]に行き、涼粉[19]、焼餅を食べ、西門をくぐり、宿屋に戻りました。途中、薛如兼に妓女の家へいったことを先生にいわないでくれといいました。

 程楽宇は彼らを見ると、尋ねました。

「どこから戻ってきたのだ」

「趵突泉に行き、さらに江家池にいき、涼粉、焼餅を食べました」

狄周は程楽宇が涼粉、焼餅の話をきいて、ごくりと唾を飲んでいるのを見ますと、盒子を借り、『赤壁賦』の大きな磁器のお碗を持ち[20]、自分で江家池に行き、二碗の涼粉、十個の焼餅を買い、宿屋にもっていきました。そして、四つの小皿の料理を頼み、程楽宇の昼食にしました。程楽宇は狄周の気がきくのでとても喜びました。四人の学生も昼食をとり、半日勉強をしました。

 翌日、ふたたび先生に報告し、千仏寺[21]に行こうとしました。南門を出て、焼餅をつまみ、宿屋から塩漬け肉、ニンニクの茎をもっていきました。まず分院にいき、しばらく休みました。山に行きますと、空気の綺麗な山頂で、もっていった焼餅と臘肉を食べました。正午を過ぎますと、山を下りました。さらにしばらく遊んだ後、王府の入り口から宿屋に戻りました。ご飯を食べますと、日が暮れてきました。

 翌朝、先生から暇をもらい、湖にいこうとしました、狄周に命じて周五葷の店で十五の攅盒を買わせ、自分で酒を持っていきました。畢進に先に船を予約させ、学道の入り口で船に乗り、湖で遊びました。北極廟[22]で半日遊び、船に乗り、学道の前の五葷舗[23]で焼餅をつまみ、米の粥、粉皮、合菜、胡瓜と麸のあえものを、腹一杯食べ、西湖にいこうとしました。二隻の船が先にきており、湖を遊覧していました、船の上にいるのは童生ばかりでした。船の上には妓女が呼ばれており、中に蜜合[24]の羅衫を着た娘が、翠藍の小さな衫、白い紗の連裙に着替えていました。船が狄希陳の船と擦れ違いますと、娘は狄希陳の体をちょっとつねって、笑いながら

「また私の家で小便をされてはいかがですか」

狄希陳は恥ずかしくて声を出すことができませんでした。しかし娘は彼女の船の上の人に話をしました。人々は笑いました。午後、学道の入り口で船から降りるとき、ちょうど一緒に岸に上がりました。別れた後、お互い恋しく思いました。もともと狄希陳は彼女の家で茶を飲んで戻ってきてからというもの、心の中でとても恋しく思っていました。しかし、一つには恥ずかしかしくもありましたし、二つには自分がこっそり行ったことを、先生に見つかってしまうのが恐ろしくもありました。心の中であれこれ考え、悩みましたが、よい考えを思い付くことができませんでした。思いました。

「ほかに方法はない、無理にでも会いに行くしかない」

 翌日、人々は雑貨屋を冷やかしにいきました。狄希陳は人込みの中を一人で引き返し、小便をした場所に走っていきますと、門の前で一人の男が馬をひいて待っていました。

狄希陳「ああ。入り口に馬がいるから、きっと中に人がいるはずだ。僕が入っていくわけにはいかない。それに、城内にはたくさんの親戚がいる。万一中にいるのが知り合いだったら、体裁が悪い」

門の前を走馬燈のように行ったり来たりしました。そこへ、野菜売りが掛け声をかけながら通り掛かりました。小間使いが出てきて野菜を買いました。狄希陳は先日茶を運んできた小間使いであることに気が付きました。小間使いは、狄希陳を見ますと笑い、野菜を買って中に入りました。

 まもなく、例の娘が手で髪の毛をひっぱり、頭に帯を結び、身に小さな生紗の大襟の褂子を着け、下には月白の秋羅褲、白地に模様のある膝褲、高底の小さな赤い靴をつけて、走ってきました。そして、狄希陳が覗いているのをみますと、狄希陳に手招きをし、いいました。

「あなたは本当に可愛いわ」

片手で髪を束ね、片手で狄希陳を寝室に引っ張っていきますと、言いました。

「床に座っていてください、私は髪を梳きますから」

狄希陳「君は僕の名字が分かるかい」

娘「あなたは狄家の馬鹿坊っちゃんでしょう」

狄希陳「不思議だな。どうして僕が狄という名字だということを知っているの」

娘「私は神仙ですから、あなたの心の中がすっかり分かっているのです。名字ぐらい当てられますとも」

狄希陳「君は僕が何をしようと考えているか分かるかい」

娘「悪いことをしたいが度胸がない、と思っているのでしょう」

狄希陳は黙って笑っていました。娘はいいました。

「あなたも私の名字が分かりますか」

狄希陳は少し考えました。すると、彼女の部屋に貼られている絵に、「孫蘭姫のために描く」と書かれているのが目に入りました。そこで、こう考えました。

「孫蘭姫というのが彼女に違いない」

いいました。

「僕に分からないはずがないだろう。だけどいわないよ」

娘「どうしてですか。おっしゃってくださいな」

二人は冗談を言い合いました。娘は髪を梳かしおわりますと、盆で手を洗い、手巾で拭きました。そして、狄希陳の前に歩いていきますと、狄希陳を胸に抱いて尋ねました。

「おっしゃってください」

狄希陳は急いで答えました。

「いうよ、いうよ。君は孫蘭姫だろう」

娘はさらに尋ねました。

「どうして分かったのですか」

狄希陳「あの絵に書いてあるじゃないか」

二人はあれこれ話をしました。すると、外で馬を引いている者が言いました。

「髪はもう梳かしましたか。長いこと待ちましたから、行くことにしましょう」

娘「大変だわ。早く、早く。母さんが呼んでいます。わたしは行かなければなりません」

部屋の入り口に鍵を掛け、狄希陳と対戦しようとしました。娘は勇猛果敢な名将ではありませんでしたが、戦いをしたことはありました。しかし、狄希陳はまだ斉東[25]の甥っ子で、鎧を着て馬に乗る前から、すぐに「おじさん[26]」と叫びました。そして、ちょっと対戦しただけで、負けて逃げました。娘は笑って

「お兄さん、とりあえず許してあげましょう、後日胆を据えてこられてください」

さらに接吻をすると、言いました。

「兄さん。あなたを男にしてあげたのですから、私のことを忘れないでくださいね」

娘は彼を引き止め、食事をとらせようとしました。外で馬を引く者がまた催促しにきました。二人は二杯酒を飲みました。孫蘭姫は狄希陳を送り出しました。彼は馬に乗り、城内に入りました。狄希陳が先をいきますと、彼女は馬に乗って後からゆっくりついてきました。二人とも同じ道でした。女は狄希陳が中に入っていくのを見て、彼の宿屋を知りました。

 狄希陳が家に着きますと、仲間たちはまだ戻っていませんでした。程楽宇は尋ねました。

「三人はどうした」

狄希陳は仲間三人がまだ帰っていないことを知り、とてもうまくいったと思い、

「布政司街にいきましたが、人込みで別れてしまい、彼らを見失ってしまいました。書店でしばらく本を見ていましたが、彼らが戻ってこなかったので、帰ってきたのです」といって、先生をだましました。それからというもの、暇をみつけては例のところへ、五六回いきました。

 府知事が繍江県出身者を試験することになりました。四人は外できちんと相談をし、ふたたび隣同士になりました。薛如卞は薛如兼、相于廷は狄希陳の面倒をみることにしました。

程楽宇「おまえたち二人は自分のことを考えればいい。自分の答案を書くのを遅らせてはいけないぞ。彼ら二人は程々にできればいいのだ。試験を受け、合格することができず、先生が告発されたり、代筆の件を追及されたりしたら、ただでは済まされないからな」

その日、済南府知事は貢院で試験を行いましたが、『論語』の問題は「文は(ここ)にあらずや」[27]、『孟子』の問題は「王王政を行わんと欲せば、則ちこれを(こぼ)つことなかれ」[28]でした。

相于廷「一つの問題で二篇を作り、二人の趣旨が違っていればよい」

彼は「文は茲にあらずや」とは、夫子が自らを信じていたのではなく、夫子が自らを疑っていたのであると書きました。破題は「文其の変に(あた)るや、聖人もまた自ら疑うなり」でした。第二の問題は、斉王が王政を行うことをいったものではなく、彼に周の天子の政治を補佐させ、明堂を残して天子に返すべきことを言ったものだと述べました。破題は「王政(たす)くべくんば、王迹正に存すべきなり」[29]でした。彼らは偏鋒[30]の文章をすぐに二篇書き、狄希陳に書き写させてから、ゆっくりと自分の答案を推敲しました。薛如卞は自分の文章を書き終えてから、薛如兼の文章を添削してやりました。

 狄希陳は早々と答案を提出し、真っ先に外に出ました。家の人々は誰も迎えにきていませんでした。彼は誰もいないのを見ますと、うまくいったと思い、兎のように孫蘭姫の家に入りました。ちょうど孫蘭姫は家にいました。そして、すぐにご飯を作って彼に食べさせ、部屋に行きますと、彼と少し例のことをし、言いました。

「今日試験がおわったから、明日は家に戻らなければならないんだ」

二人は別れるのが辛くてたまりませんでした。聞くところによれば、繍江県の試験合格者は省城に送られるとのことでした。縁が切れていなければ、府の試験に合格し、院試を受けますので、長いこと一緒になることができるのでした。しかし、縁があるかどうかは分かりませんでした。狄希陳は先生に見つかるのを恐れ、孫蘭姫と別れて宿に戻りました。そして、晩に人を遣わして彼女に贈り物をしました。「涙の目が涙の目を見る、断腸の人が断腸の人を送る」とはまさにこのことでした。

 宿屋に戻り、ふたたび先生をごまかしますと、試験の文章を書きました。程楽宇は、薛如卞、相于廷の文章を見ますと、十位以内に入るだろうといいました。狄希陳の文章を見ますと、笑って

「これは本の趣旨とは違うから、きっと不合格だろう」

さらに、薛如兼の文章を見ますと

「面接試験を受けたか」

「役所に役人がいなかったので、面接試験はありませんでした」

程楽宇「面と向かって答案を渡せば、子供であるのを見て、合格させてくれただろうに、惜しいことだ」

食事をとらせますと、家から馬が迎えにきました。

 人々は府城に二十数日とどまっていましたので、家に帰ると聞くと、とても喜びました。しかし、狄希陳だけは、家に帰ると聞いても、魂が抜けたようでした。彼は明りの下で二両の銀子をはかりとり、自分の古い汗巾で包み、床に置きました。そして、五更に起きますと、こっそりと銀子をもちました。そして、通りに大便をしにいくと嘘をつき、西門に走っていきました。ちょうど城門が開いたところでしたので、急いで例の娘の家に行きました。残念なことに、娘は、夕方に、人に迎えられて城内に入っており、家にはいませんでした。彼はうなだれて汗巾の銀子を彼女の母親に渡しました。母親は彼を引き止めて食事をとらせようとしましたが、彼はとどまろうとせず、身を翻して走って戻っていきました。貢院の入り口に着きますと、孫蘭姫に会いました、彼女は馬に乗っていました。男が馬を引っ張って、彼女を送り返すところでした。彼女は狄希陳が家から空しく戻ってきたことを知ると、とても辛く思いました。大通りでは、何もすることはできませんでした。馬からおり、顔を見合わせて立ち、手を引いて、話しをし、悲しみの涙を流しました。孫蘭姫は、頭から一本の金の耳掻きを抜いて彼に与えますと、狄希陳はようやく孫蘭姫を馬に乗せました。

 狄希陳はますます辛くなり、宿屋に戻りますと、人々は起きて髪梳き、洗顔をしていました。狄周は狄希陳の荷物を纏めおえており、彼が戻ってくるのを待っていました。彼は言いました。

「郡王が宮中に入るのに出食わしたので、立ってしばらく見ていたんだ。後からまだ人がくると思ったが、通り過ぎたのは彼一人だった。僕は長いこと待ってしまったよ」

人々は食事を食べ終わりますと、馬に鞍をつけ、借りた物を渡し、家の番人に三銭の銀子を褒美として与えました。人々は東門を出て、東に進みました、これぞ、

鞭を振り、金の鐙を響かせて

凱歌をうたひ、帰りゆく

思ひを秘めた人だけは

頬に涙し、振り返る

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]原文「該襲錦衣的人」。

[2] 『論語』雍也。南子は春秋、衛の霊公の夫人。宋の子朝との不倫で名高い。

[3] 「聖人すら若く美しいものを慕った、賢人はよくよく色を慎まなければならない」。

[4]鶏のこと。晋の宋処宗が鶏を愛し、籠を窓に掛けていた故事にちなむ。『太平御覧』巻九一八引『幽明録』「晋兗州刺史沛国宋処宗、嘗買得一長鳴鶏。愛養甚至。栖籠著窓間。鶏遂作人語、与宋談語。極有言致、終日不輟。処宗因此言功大進」。

[5]州県の銭糧を調査、計算した帳簿。

[6]香を混ぜ合わせた墨。脳麝、蘭麝などを墨に混ぜることは唐代より行われた。明麻三衡『墨志』「『五雑俎』云『用珠自李廷珪始、用脳麝金泥自張遇始』然李白詩曰『蘭麝凝珍墨』則唐時製墨已用麝、不始自宋人也」。

[7] 『論語』八佾。

[8] 『孟子』離婁下。

[9] 「優れた才の持ち主は、下らぬ人物に使われると不満な思いをする」。

[10] 「従者が彼を孔子に取り次いだのは、彼が誠実だと思ったからである」。

[11] 「斉の女は夫を醜悪であるとしたが、夫は自分のことを醜悪とは思っていなかった」。

[12]二次試験。

[13]大明湖の南にある湖。もとは百花橋といった。宣統三年『山東通志』彊域志、古蹟一、済南府「鵲花橋在大明湖南。古名百花橋。元易今名。遂以百花名南橋」。

[14]済南府には、城の東南と、鵲華僑の西の二箇所に黒虎廟があるというが、『醒世姻縁伝』の黒虎廟は後者であろう。宣統三年『山東通志』彊域志、建置、済南府「黒虎廟一在城東南、城濠上懸崖有泉匯為池、廟翼其上、一在鵲華橋西」。

[15]府学の入口の東にある地名で、鉄牛が出土したためこの名があるが、実際は山ではないという。『済南府志(道光二十年)』巻五「山水」「鉄牛山在城中府学門左。通志云平地湧出一鉄牛、掘之愈深、則牛亦随深而隠、填之則仍出土面、故名鉄牛山而実非山也」

[16]四牌房坊。未詳。

[17]赤みがかった薄黄色。

[18]済南城西門外にある地名。江家池街。『山東通志』彊域志三、山川、済南府、歴城県「江家池在五龍潭前」。

[19]緑豆で作ったところてん。

[20]黄粛秋は蘇東坡が赤壁に遊んでいる図を描いた碗と注するが、未詳。

[21]済南府城南の歴山にある寺。『山東通志』雑志十二、寺観、済南府「千仏寺在府城南歴山、有所鐫仏像」。

[22]北極星をまつる廟。

[23]五葷は五辛ともいい、葱、大蒜、韮、蓼、芥子のこと。五葷舗はこれを用いて調理したものを出す店。

[24]蜜合は密合に同じ。黄と白の中間色。清李斗『揚州画舫録』「浅黄白色曰密合」。

[25]斉東は済南東部の呼称。ここでは狄希陳の故郷明水鎮をさす。

[26]原文「舅舅(jiùjiu)」。「救救」(助けてくれ)と同音。

[27] 「周の文化はわしの身に伝わっているぞ」。『論語』子罕に見える孔子の言葉。孔子が匡の地で暴漢に包囲されたときにいった言葉。

[28] 「王様が政治を行おうとされるのなら、それを壊してはいけません」。『孟子』梁恵王下に見える孟子の言葉。斉の宣王が、泰山の麓にあった明堂を壊そうとした際の発言。明堂は、周の天子が東巡した際、諸侯を参朝した場所。

[29] 「周王の政治を助けようというのなら、周王にまつわる遺跡は残すべきである」。

[30]科挙では、与えられた経書の一節に関する解釈を述べるが、その際、朱子の注に添った解釈をするものを中鋒、そうでないものを偏鋒といった。啓功『説八股』百四十五頁参照。

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