第三十回

計氏が岳母に頼んで救いを求めること

宝光が幽霊に会って仇に報いること

 

死を求むるは易きこと

傷寒を病むことはなし

楽しみを求むれば命を損なひ

沈み溺るる酒の池

食事をとるを遅らせり

おまけに急に腹を立て

策略がいと多ければ

安らかに眠ることなし

病めば治らず

死ぬれば帰らず

寝床で見るは黄泉の夢

限りある時

延ばす術なし

荒馬に乗り

毒を呷りて

ぶらんこをこぐ[1]  《行香子》

 さて、晁源の女房の計氏が首吊りしてから、十二年がたちました。実は自殺した者は、死ぬとすぐに生まれ変わることができるものです。河に身を投げたり、井戸に飛び込んだり、毒を飲んだり、首を吊ったりするのには違いがあるのです。忠臣などは、賊に城を囲まれ、援軍がやってこなければ、あっという間に城が陥落し、賊に捕らえられ、投降を迫られますが、従おうとせず、川に身を投げたり、井戸に飛び込んだり、首を吊ったり、首を切ったりします。このような男子は、生まれ変わるばかりでなく、神になることができます。

 伍子胥は牛の皮に包まれ、長江に投げ込まれて死にました。屈原も自ら川に身投げして溺れ死にました。一人は江神となり、一人は河伯となりました。于忠粛と岳鵬挙[2]はどちらも人に首を切られました。一人は城隍神になり、もう一人は伽藍菩薩になりました。文文山[3]丞相は、元朝が彼を宰相にしようとしましたが、屈しようとせず、楼に住み、飲食、用便のときすら楼からはおりず、ひたすら殺せと叫びました。元朝は結局彼を屈服させることはできませんでした。そして彼の意思に従い、縛って市場に行かせ、殺しました。死後、彼は神となり、山東布政司の土地神になりました。ある年、方伯がなかなか昇進できず、息子の目に瘤ができましたので、暇をとって帰ろうとしました。そして、方術師を呼び、神降ろしを行わせることにし、護符を燃やし、祭壇に神を呼んだところ、方術師は「山東布政司の土地神宋丞相文天祥」と書きました。たくさんの履歴を書きましたが、あまり史書と掛け離れていませんでした。そして、方伯に暇を取る必要はない、一か月以内の間に、巡撫に転任するだろうと言いました。さらに目の瘤を治す処方を書きました。果たして数日足らずで、山東巡撫は南京兵部尚書に昇任し、方伯は巡撫の地位に着きました。彼の処方に従って湯薬を作り、目を洗いますと、二日足らずで、目の瘤はすっかりよくなりました。ほかにも、張巡、許遠[4]は自ら首を切って、神となりました。また、関帝さまのことは、みなさんがよくご存じですので、くだくだしくお話しする必要はありますまい。

 婦人は、節を守ることが大切で、生命は重要ではありません。彼らは人の手に落ち、体を汚されることだけを心配し、首を切ったり、首を吊ったり、崖から身を投げたり、井戸に飛び込んだりして、名誉を保ち、節を全うするのです。岳家の銀瓶小姐[5]は、父と兄を姦賊の秦檜に殺されましたが、家族に災いが及ぶのを恐れ、井戸に身を投げて死にました。そのとき小姐は僅か十三歳でした。上帝は彼女の節と孝を哀れみ、青城山主[6]の夫人に封じました。夏候氏は、曹文叔[7]の妻でしたが、結婚してから二年足らずで、曹文叔が病気になって死にました。夏候氏の実の叔父は彼女が年少で、息子もありませんでしたので、喪が明けたら、彼女をよそへ嫁にいかせようとしました。彼女は一昼夜泣き、布団を被って眠りましたが、起き出してきませんでしたので、布団を捲ってみてみますと、刀で自分を刺していました。上帝は彼女を礼宗夫人に封じ、天仙聖母とともに泰山を治めさせました。臨海県[8]の人王貞の妻[9]は、賊によって捕らえられ、青風嶺[10]を通ったとき、すきに乗じて崖から身を投げて死にましたが、上帝は彼女を青風山夫人に封じました。

 このような男まさりの女性は、非業の死を遂げても、その優れた気はまっとうな死に方をした女性とは違うものです。天は彼らの品行を重んじますので、彼らは閻魔王のところに行っても人の世に生まれ変わることはなく、俗世から抜け出て、仏や神になるのです。これは、朝廷が破格に人を用いたため、科挙で進士に合格しなくても、給事中になれるようなもの、中書、行人、評事、博士や、地方の推官、同知になったり、中央に残って試験を受けたりしなくても、よい文章を書くことができるというだけで、四衙門[11]の高い職に任命されるようなものです。

 ろくでもないならず者、悪人は、死ぬ振りをして人を脅します。しかし、彼らは脅迫する積もりでも、鬼神はそれを許さず、本当に彼らを殺してしまうことがあります。首を切る振りをしたのに、本当に切って死んでしまったり。首を吊る振りをしたつもりが、本当に縊死してしまったり、川や井戸に飛び込み、人に救われることを望んでいたのに、救ってもらえず、水を飲んでしまい、助からなくなってしまったりするというのがそれです。気の荒い妻や妾、反抗的な嫁や兄嫁は、姑と喧嘩をしたり、夫と反目したり、兄嫁たちと口喧嘩したり、おばたちと争ったりし、息子を贔屓しているとか、デマを流したという理由で、街で喧嘩し、隣近所との関係が悪くなるのです。死のうとする振りをする者は、人々を恐れさせ、彼女を怒らせないようにしようと考えています。彼女はありとあらゆる悪事をし、女王蜂のいない蜜蜂、猫におさえつけられていない鼠のようにふるまおうとしているのです。本当に死のうとする者も、強い父兄や兄弟が、彼女の死を口実にして、夫の家具を損ない、家を壊し、検屍場で相手を錐で突き刺し[12]、裁判を起こして夫の財産を磨り減らすことができればいいと思っているのです。このような考えを抱くものですから、鬼神の怒りに触れるのです。このような死に方をした者の魂は、人に生まれ変わることは許されず、常に幽霊になるのです。首吊りをした者は、首に命を奪った縄を引き摺り、自刎した者は血糊のついた頭をだらりとさせ、崖から身投げた者はめちゃくちゃになった体をひきずり、川、井戸に飛び込んだ者は甕のように大きな腹をして動くことができず、冥途で天の日を見ることができないのです。そして、身代わりがあって初めて生まれかわることが許されるのです。しかし、よいものに生まれ変わることができるかは分かりません。そして、身代わりがいなければ、一生世の中に出てくることはできないのです。

 さて、計氏は、晁源によって遺棄され、我慢することができませんでした。しかし、よその家の寡婦は、夫がいなくなっても、死ななければならないわけではありません。しかし、彼女も晁源が死んで寡婦になったかのように考えました。寡婦は、頼りにする人がなく、薪、米がなくても、節を守らなければなりません。計氏は、食事にも衣服にも事欠かず、姑が戻ってくれば、頼ることができました。人が故郷に戻るときは、姑が人に命じて銀子を送らせました。貴金属を預け、装身具を与え、嫁を可愛がっているように見えました。小珍哥と晁源が和尚、道士と姦通したと言い、離婚書を書こうとしますと、街に出て人々に向かってさんざん罵りました。とてもはっきりと話をしたので、人々は珍哥の悪巧みに気が付き、晁源が薄情だと言いました。晁源も自分が正しくないことを知っていましたから、門の後ろで死んだ鼈のように首を竦めていました。珍哥はへたりこみ、鉄の桶のように門を押さえていましたので。死なずにすみました。計氏は珍哥が命の償いをすることだけを考え、自分が先に自殺をしようとしました。李僉憲、褚四府のような公平な良い役人がおらず、武城県の胡知事に頼っていれば、命の償いをする人がいなかったばかりでなく、板子で計氏の父、兄の尻がぶたれるということになっていたでしょう。珍哥は罰を受けたとはいえ、監獄で楽な思いをしており、彼女にひどいことをする人はいませんでした。しかし、計氏は冥途に漂い、生まれ変わることができませんでした。晁源は生前、やりたい放題、悪いことをしていました。このような主人には、必ず補佐する者がいるものです。このような主人、下男がいれば、位牌堂、御霊屋は悪神の住家となり、不吉がもたらされ、変わったことが起こるものです。幽霊が家にいますと、草、木にとりつき、騒ぎを起こし、彼を身代わりにし、生まれ変わるのです。しかし、今では、晁夫人が家事を切り盛りしていました。若主人は子供ではありましたが、高僧の生まれ変わりでもありました。昔身を寄せてきた狐や犬のような悪党たちは、自分から去っていき、家賃を奪って逃げる者には、高升、曲進才、董重のように秀才をぶって追い出されたもの、晁夫人が家に送り返したものなどがありました。残った数人はすべて決まりを守る人々でした。数人の小間使い、下女は晁夫人の側近でした。晁夫人は春鶯のことを自分の実の娘のように思っていました。計氏の身代わりになるものはいませんでした。それに家の六神[13]が吉星に姿を変えて輝いていましたので、家は鉄の桶のように守られ、計氏の幽霊は、いつまでたっても浮かばれることがありませんでした。そこで、仕方なく、姑の夢に現れ、法事を施し、仏によって済度されることを求めることにしました。

 ある晩、晁夫人が眠りますと、夢に計氏が現れ、天藍の緞子の大きな袖の衫、白いうすぎぬの連裙、赤い帯を着け、晁夫人に向かって八拝し、家が懐かしくてたまらない、晁夫人に彼女を送り返すようにと言いました。晁夫人は目を覚ましますと、ただの夢だと思い、忘れてしまいました。数日が過ぎて、また夢に計氏があの衣装を着て現れ、十二年家に行くことができない、身代わりを待っていることはできない、晁夫人に彼女を済度してもらいたいと言いました。

晁夫人「彼女が死んで十二年になる。私は通州にいたとき、香岩寺の長老に頼んで高僧を選び、彼女のために一千巻の苦難を救う『観世音経』を唱えてやった。彼女が生まれ変わらずに、まだ家にいるはずがない。六月八日は彼女の命日だから、私が彼女の墓にいき、彼女に頼み、様子を見ることにしよう」

 命日になりますと、晁夫人は供物を買わせ、自らは轎に乗り、下男、下女を従え、墓に行き、紙銭を燃やしました。晁夫人は泣きながら言いました。

「おまえは二回夢に現れたが、私は愚鈍で、物を考えることができないから、おまえが何をしようとしているかも分からない。おまえは生まれ変わらずに、家にいるが、何をするつもりなのだえ。今晩、おまえがはっきり夢に現れてくれれば、私はおまえのいう通りにし、今までのように曖昧なことはしない。だから、おまえの命日に、わざわざ紙銭を燃やしにきたのだよ」

晁夫人が紙銭を燃やし、酒を供えますと、旋風が晁夫人にまとわりついて離れませんでした。

 晁夫人は家に戻りますと、晩に計氏の夢を見ました。彼女は先日の衣装を着、晁夫人が彼女の墓に行って紙銭を燃やしたことに対して感謝し、彼女が十二年間、いつも門楼の下で待ち構えていたのだと言いました」

「身代わりを探しましたが、出入りする人々はとても元気だったので、彼らに近付くことができませんでした。少し弱っている者は、宅神が守り、手を振れさせませんでした。私は宅神に恨みを訴え、私の身代わりを探し、世の中に出ることができるようにしてくれと頼みました。彼は言いました。『身代わりを探す必要はありません。お姑さんに頼めばいいのです。お姑さんは通州の香岩寺で一千巻の『救苦観音経』をよまれたことがあります。これはあなたと狐の精のためによんだものですが、はっきりとは言いませんでした。仏さまに願文は届けていないので、一千巻の経文はよんだ意味がない状態になっています。『金剛経』、『蓮華経』なら、さらに二千五百巻が必要で、あなたがよまれるべき五百巻『観音経』と合わせて、全部で三千巻です。読み終わったら、あなたは生まれ変わることができます』」

言い終わると、何度も礼を言いました。晁夫人は泣きながら目を覚ましました。夢のことははっきりと覚えていました。そして、小間使いに向かって話をし、夜明けになりますと、六月十三日に、真空寺の智虚長老に、二十四人の徳行のある僧を選ばせ、三昼夜の法事を行い、ほかの経は用いず、『金剛法華経』二千巻、『観音経』五百巻だけをよみ、通州でよんだ一千巻、三部の真経とあわせて三千巻で、自ら首を吊って死んだ息子の嫁の計氏を済度することにしました。そして、まず二両の銀子を送り、晁書を遣わしました。

 晁書は智虚和尚に会いますと、報告しました。

「銀子は送りました。あちらで法事を行います。生まれたときの八字と、亡くなった日と、法事をとりしきる人の名を、むこうが疏に字を書き入れます」

晁夫人「私はぼんやりしていて、その事にまったく気が付かなかった。私は彼女の誕生日が二月十一日だということを覚えているだけで、時間がいつかははっきりと覚えていない。計三のお父さんを呼んできて尋ねなければならない。法事をとりしきるのは二叔だ。寺の中で法事をするにしても、私たちは三人の料理人を遣わしてお斎食を作らせましょう」

晁書「大奥さま自らあちらへ行かれ、ご自分で様子を御覧にならないのですか」

晁夫人「役に立たない人だね。私に寺へ行けだって。おまえが二叔と計さんと一緒に行っておくれ」

 晁書は計巴拉を呼んできて、会いました。晁夫人は言いました。

「妹さんはまだ生まれ変わっていません。何度も夢に現れて、済度してくれと言われたので、この十三日に三昼夜の法事を催すことを約束しました。しかし、私は妹さんが生まれた時間を忘れてしまいました」

計巴拉「二月十一日の卯の刻の生まれです」

晁夫人「当日は、小和尚を連れて寺に行ってください。あの子が法事をとりしきります。あの子には話をしておきます。帖子は書かれなくて結構です」

計巴拉は尋ねました。

「どこでお経をよむのですか。家にはいないのですか」

晁夫人「法事を行う時間は長く、家では不都合ですから、寺でやらせましょう」

計巴拉は、昼ご飯を食べ、晁夫人に別れていってしまいました。晁夫人は目録を書き、野菜を買いにゆかせ、粉をひき、饃饃を蒸し、十三日の法事に控えさせました。

 計巴拉は十三日の夜明けになりますと、息子の小閏哥を連れてきて小和尚につかせました。晁夫人は人を書房の師匠のところに行かせ、小和尚に三日の休みをとらせました。そして、上等の葛布の道袍、涼鞋[14]、暑韈[15]を着け、晁宝、李成名を付き添わせ、計巴拉、小閏哥らと三人で真空寺に行かせました。和尚たちが揃いますと、みな袈裟を着、祭壇に上ろうとしました。三人の施主がやってきて、香を摘み、僧たちと会い、挨拶しました。和尚たちは祭壇に上り、祈祷文を唱え、楽器を演奏し、六卓の果物、茶餅を並べ、和尚を呼び、茶を飲み、疏を書きました。そこにはこう書かれていました。

南贍部洲大明国山東布政司東昌府武城県真空寺秉教法事沙門[16]

思うに人生は夢、火花、時間は水泡、鏡に映った花のようなものであります。寿命が長くないことを夭折ともうします。本県富有村無憂里晁家の計氏は、永楽二十一年二月十一日卯の刻に生まれ、享年は二十九歳でありました。彼女は妾から姦通したといわれ、不平の気持ちを抱き、夫が離婚しようとするのに憤り、自殺を図り、景泰三年六月八日、自ら首をくくって死にました。彼女は冥途に沈んだまま、人の世に現れることはなく、現世を離れ、冥界にとどまっているに相違ございません。実兄の計奇策によれば、夫の家の弟晁梁、甥計書香は、本寺の禅僧二十四を呼び、三昼夜にわたって済度のための法事を行い、『法華金剛経』各一千巻をよみあげるとのことであります。また、『観音救苦経』は、景泰三年九月二十八日、通州香岩寺で、それぞれ五百巻、合計一千巻をよみあげました。力を合わせて誠意を捧げ、大いなる慈悲を求めます。鬼門関[17]にある者を救い、慈悲の心を持ってお迎えください。彼らを仏子国に迎え、帰依させてください。永遠に餓鬼道の束縛から離れさせ、人の世の楽しみをすぐに得られるようにしてください。

        以上、記された通りに仏事を執り行ないます。

 計巴拉、小和尚は晁書、晁宝、李成名ら五人とともに輪番で見張りをしました。和尚たちはとても真面目にお経をよみました。一日三回斎食を出し、二回茶餅を出しました。親戚には茶を注いでやる者もありましたので、和尚たちはもてなされておならはするは小便は漏らすはで、とても喜びました。三日目の午後になりますと、三つのお経を読み終わりました。そこで、新しい手巾、櫛、箕、箒を準備し、破獄[18]のために用いました。さらに金橋、銀橋を組み立てなければならないといい[19]、一匹の黄色い絹、一匹の白い絹をもらいました。また、撇鈸[20]をしたいといい、六尺の新しい布をもらい、さらに三日してから三つの供物皿をもらい、五斗の米、小麦を蒸し、大々的に施しをする準備をしました。この半日は人々がごった返し、寺中の人々が法事を行うのを見守りました。

 ところが、このような最上の法事が、九分九厘終わったとき、事件が起こりました。祭壇に上り、施しを行っていた和尚は、法名を宝光といい、北京の龍福寺の住持でした。姚広孝のもとで小坊主をしていたときは、とても従順で、姚少師に大変気に入られていました。少師は有名な先生を呼び、彼に儒教、仏教、道教の書を教えました。宝光は前世では学者で、この世に生まれ変わって僧になった人でしたから、『三墳五典』[21]、内外の典章など、目を通したものは、何でも理解しました。ところが、才気というものは徳のある人が担うべきもので、徳がない人にとっては、『才』の字は貝偏の『財』の字と同じで、害になるものなのです。宝光は自分の才能に頼り、さらに姚少師の権勢を拠り所とし、翰林学士、科道[22]、皇族、元勲のことなど歯牙にも掛けませんでした。さらに、自分が和尚であることを忘れ、たくさんの珍味を食べ、錦、刺繍、綸子、薄絹を着、妾を蓄え、淫乱に耽り、戒律、法律を恐れないようになりました。姚少師は、宝光がいい死に方はしないことは分かっていましたが、ひたすら溺愛し、説教しようとはしませんでした。今を時めく大官たちは宝光の無礼に、歯がみをし、心を痛ませましたが、姚少師の面子を立てて、手を下すことができませんでした。後に、姚少師が死んでも、宝光の習癖は、急には改まりませんでしたので、科道は宝光が数年来してきた悪行と、妻を娶り妾を蓄え、仏いる場所を汚したことを、弾劾文にして上奏し、すぐに盛り場で処刑し、見せしめにするべきだと言いました。上申書が提出されますと、仁宗皇帝[23]は言いました。

「この男は、ただの和尚にすぎないのに、彼が悪事をしているときは、役所は口を閉じて何も言わず、姚少師が死んでから初めて攻撃をするとはな。科道の威信はどこにあるのだ。宝光のことは深く追及せず、職を削り、度牒を取り上げ、原籍に送り返し、還俗して庶民にし、妻妾と結婚させることにしよう」

役人たちは、宝光を殺すことを望んでいたのですが、天子様によって許されてしまいましたので、手を下すことができなくなってしまいました。

 宝光は赦免の詔を得ますと、妻妾を引き連れ、貴金属を包み、頭巾を被り、騾馬や車に荷物を載せ、張家湾から船に乗り、常州府の原籍に戻り、長者になりました。旅は神仙になったとき以上に愉快なものでした。ところが、天は彼を許さず、船が宿遷[24]を過ぎ、黄河に入りますと、急に大風が吹いてきて、船頭は持ち堪えることができず、あっというまに船ばたが船底になってしまいました。宝光は掬い上げられましたが、妻妾、財産は、半分も残りませんでした。宝光は腹の水を吐きました。辺りに人家はなく、前半生の富貴は、春の夢となってしまいました。衣装はすっかり湿り、頭を垂れて元気もなく、四五里の道を進みますと、竜王廟がありました。住持の和尚は衣装を乾かし、ご飯を運んできて彼に食べさせました。災難から逃れたばかりでしたが、まるで夢を見ているかのようで、晩に廟で眠りました。すると、夢に師匠の姚少師が現れ、彼に言いました。

「わしは、おまえの体を損なう財産と女色を、葬り去ってやったが、文才だけは残っているから、いずれ身を滅ぼす剣となるだろう。筆をわしに渡し、今まで通り僧になれば、数年間命を長らえることができるだろう」

宝光は口から一本の筆を取りだしました。筆は鮮やかな五色で、光沢がありました。姚少師はそれを袖に納めました。

 宝光は目を覚ましますと、夢でしたので、こう思いました。

「師匠は私をふたたび和尚になるようにと仰った。今は独りぼっちで、金もまったくなくなったから、和尚にならないわけにはゆくまい」

寝返りをうちながら、眠ることができませんでした。そして、心の中で焦って言いました。

「何て悲しいのだろう。なんだか死にそうな気分だ。ぐっすり眠ったら、楽になるだろうに。今は目が覚め、一万本の矢が心臓につきささっているかのようだが、どうしたら憂えを晴らすことができるだろう。詩を一首作り、余計なことを考えなければ、きっと眠ることができるだろう」

そこで、排律を作って、今までの人生を書きつくそうと思い、あれこれ考えましたが、一字も考えつくことはできませんでした。一句を捻りだしましたが、臭気が人を突くような言葉ばかりでしたので、こう考えました。

「昔はすぐにたくさんの言葉を文章にすることができたが、今は一句も口から出すことができない。排律ができないなら、律詩を作ろう」

しかし、あれこれ推敲したものの、一句も考えつくことができませんでした。五言を七言に変え、七言を五言に減らしましたが、一句作ることができても、対句を作ることができませんでした。そこで、更にこう考えました。

「律詩ができないのなら、絶句を詠み、悲しみをあらわすことにしよう」

ところが、絶句も思い付きませんでした。姚少師に筆を取られてしまったため、こうなってしまったとは思いもよりませんでした。江淹の才が尽きた話[25]は、でたらめではなかったのです。彼はさらに考えました。

「南方の人間は薄情だから、俺が落魄れて帰れば、傲慢で怠け者という評判がある俺を、どこの寺も泊めてはくれないだろう。それに、俺だって彼らに合わす顔がない。また北に帰った方がいいだろう。身を落ち着ける静かな寺があれば、とりあえずそこで過ごすことにしよう」

川岸に沿って、寺があれば斎食を求め、廟があれば泊まらせてもらいました。一か月ばかり旅をして、武城県の真空寺に着きました。

 真空寺は、有名な霊場で、運河の岸に建てられていました。行き来する人々のお布施で、百十人あまりの僧侶を養っていました。宝光は寺に入りますと、智虚長老に会い、部屋を分けて、泊めてもらいました。彼は筆をなくしていましたが、いい暮らしをしていたことがありましたし、南方の僧でもありましたので、真空寺の僧よりは十万八千倍も優れており、祈祷文、告示が必要なときは、いつもそれを考え、清書しました。文章は筋が通っており、普段のようにでたらめなことは書きませんでした。法事、破獄、放[食斛][26] は、すべて彼が主催しました。ある日、彼は施しを終えると、急にげっそりと痩せ、何かに取り憑かれたかのように話をしはじめました。そして、自分は恵達といい、虎邱寺の和尚だ、都に旅をして龍福寺にいたとき、赤い瑪瑙の百八粒の数珠を、宝光にねだられたが、祖師から伝えられたものだったので、与えなかった、寺にいにくくなったので、白塔寺に移ると、宝光は恵達は妖僧で、都に潜伏し、妖術で人々を惑わしていると誣告し、彼を拷問死させ、彼の瑪瑙の数珠を手に入れた、彼を十数年探していたが、ここに施しをもらいにきて、会うことができた、と言いました。宝光は自分で拳骨を作りますと、目をぶち、鼻を殴り、あっという間に七つの穴から血を流しました。和尚たちが跪いて祈り、願を懸けますと、彼は言いました。

「人を殺したものは死刑になる。命は命で償うものだ、これ以上言うことはない」

あっというまに宝光は昇天してしまい、いとも立派な法事は、一人の悪和尚によって台無しにされてしまったのでした。

 晁書はまず小和尚に従って家に戻り、晁夫人に話をしました。しばらくしますと、晁宝と李成名が入り用な家具を準備させて家にやってきました、計巴拉も晁夫人が彼の妹を済度してくれたことへの礼を言いにきました。彼を引き止めて食事をとらせようとしましたが、彼はとどまろうとはしませんでした。晁夫人は大きな盒子に入った麻花[27][食散][28]、さらに大きな盒子に入った点心を準備させ、人を付き添わせて潤哥の家に行かせ、彼につまみを食べさせ、人々を帰らせました。

 晁夫人は春鶯にむかって言いました。

「私は盛大な儀式を行ったが、済度されたかどうかも分からない。彼女の霊が、夢に現れ、私に知らせてくれればいいのだが」

晁書の女房「あの方は様々な霊力を現しておられますから、きっと夢に現れて大奥さまに知らせることでしょう」

六月十五日の午後でした。

晁夫人「私たちは早めに寝ましょう。この人たちもここ数昼夜働いて、みんな疲れたでしょう」

さらに小和尚に言いました。

「あなたは明日遅くまで寝ていなさい。家で一日休み、後日書斎にお行きなさい」

それぞれ片付けをして眠りました。

 晁夫人は晩に計氏を見ました。彼女は、例の衣装を着け、綺麗ななりをしていました。首には赤い帯がなくなっており、晁夫人に叩頭しますと、自分は前世では狐だったが、よその家の小間使いに生まれ変わった、残り物の茶、ご飯を粗末にせず、テーブルの上と床に落ちていた、ご飯粒と餅のかけらを口に入れて食べたため、一級上がり、正式な女房になった、しかし、性格が悪く、夫を苛めたので、狐に生まれ変わることになった、三千巻のお経をよんだら、ふたたび女に生まれ変わり、北京の平子門里で、燻銀職人の童七の家の娘になり、十八歳になったら、晁源の妾となるのだ、と言いました。

晁夫人「三昼夜法事を行ったが、あなたを男に生まれ変わらせることができなかった。その上、妾になってしまうとはね。もうすぐ生まれ変わるのなら、あなたのために数巻のお経をよみ、必ず富貴な男子にしてやりましょう」

計氏「女に生まれ変わりましたが、これ以上は無理です。お経をよんで、いいところに行けるのなら、お金がある人は数千数百の僧を招き、数千万巻のお経を唱え、どんなものにでも生まれ変わることができます。これでは善悪などはなくなってしまいます」

 晁夫人はさらに尋ねました。

「どうして晁源の妾になろうとするのかえ」

計氏「私があいつの妾にならなければ、復讐することができないからです」

晁夫人「おまえはどうしてあの子の妻にならず、妾になって仇討ちしようとするのだえ」

計氏「あいつに射殺(いころ)された狐の精があの人の妻になるのです」

晁夫人は尋ねました。

「あの子に射殺(いころ)された狐の精が、どうしてあの子の妻になるのだえ」

計氏「妻と妾が揃って、復讐することができるのです。あいつは逃げることも隠れることもできず、話をすることもできず、泣くことも笑うこともできず、起訴することも裁判することもできません。昼も夜も、色道の苦しみを受けさせれば、仇に報いることができるのです。あいつの歯をへし折って、飲み込ませてやりますよ[29]

晁夫人は夢の中で考えました。

「可愛そうな息子や。死んだのならまだしも、生まれ変わって二人の女にひどい目にあわされるなんて」

泣きながら、夢の中から目を覚ましました。春鶯と小間使いも目を覚ましました。

 晁夫人は逐一話をし、不愉快そうにしていました。朝に髪梳きをしていますと、計巴拉がやってきて、晁夫人に会い、尋ねました。

「大奥さまは真夜中には何も夢を見られませんでしたか」

晁夫人「とても変な夢を見たのだよ」

計巴拉「夢で私の妹をご覧になりませんでしたか」

晁夫人「見ました。何かおかしなことがあったのですか」

計巴拉「妹は北京の平子門の童七の家に生まれ変わると言っていませんでしたか」

晁夫人「それはおかしい、あなたも夢を見たのですか」

計巴拉は見た夢についてくわしく話しましたが、晁夫人が見た夢と少しも違いませんでした。人々はとても訝かりました。計巴拉は、さらに、彼の父に代わって、晁夫人に話しをしました。娘にかわって感謝しているが、自分で礼を言いにくることができないとのことでした。晁夫人は尋ねました。

「お父さまのご加減は最近良くなられましたか」

計巴拉「まったく良くありません。以前は動くことができましたが、今は床からおりることもできません。昨日は真夜中に私の妹を見、目を覚ましてからしばらく泣き、ますます動くことができなくなりました。どうやら迎えが近いようです」

晁夫人「今日はとても暑いですから、準備をし、お父さまのために厄払い[30]をされるべきです」

計巴拉「棺を探しているのですが、大事なときだというのに金がないのです」

晁夫人「私たちの家には、妹さんの夫が質種にとった棺が幾つかあります。気に入られれば、一つ持ってゆかれて準備をなさるとよろしいでしょう」

計巴拉「それはありがたい。銀子を揃えてから、また来て大奥さまとお話を致しましょう」

晁夫人「何を仰います。銀子があれば、それでいいですが、銀子がなければ、気候も暑いですから、間に合わないでしょうよ」

 計巴拉は何度も礼を言い、ひたすら申し訳ありませんと言いました。

晁夫人「あなたは今お金を持っていませんが、私たちは棺を持っていますから、何もきまりが悪いことはありません。銀子をお持ちならば、三百両でも二百両でもほかのところに買いにゆかれてください。私もこのような汚らしい棺であなたをけがすわけには参りませんが、どうか我慢してお使いください」

計巴拉「棺はすべて見ました。どれも似たり寄ったりです。金があったとしても、十両ほどの銀子で棺を買うことしかできません。このような棺は、私は買うことはできません。大奥さまのご厚意とあれば、どれか一つを担がせてくることにしましょう」

晁夫人「棺を作るのでしたら、ご自分で御覧になれば宜しいでしょう」

人に黄暦を持ってこさせてそれを見ますと、言いました。

「今日は最良の黄道の日ですから、ここにいる間に、どれかを選んで運んでゆかせればいいでしょう」

晁夫人は晁鳳に命じて計巴拉とともに蔵を開かせました。計巴拉は計氏が死んだとき、これらの棺を見たことがあり、善し悪しをよく覚えていましたので、中に入り、棺を選び、十数人を雇い、担いでゆきました。計巴拉は中に入り、晁夫人に叩頭し、礼を言って帰りました。

 晁鳳「大旦那さまは、生前、あの棺は二十一両の銀子を貸したときの質種で、銀四五十両の価値があると言っていました。最近、晁住が城外からやってきたときもしばらくそのことを話していました。それを簡単に計巴拉に与えてしまわれるなんて」

晁夫人「勝手にあげたわけではないよ。大旦那さまが都へ任命を受けにゆかれたとき、計氏は母親の真珠の冠を銀十八両で売り、一分も手元に残さず、すべて大旦那さまに使わせた。私はその心に感激して、恩返ししようと思ったのだよ」

晁宝「ここ数年間、大旦那さまは役人をなさってらっしゃったのですから、計氏に金を返されたことでしょう」

晁夫人「知らないね。何もお礼はしていないよ。だが、数年間、計氏はそのことを一言も口にしなかった。これでは、私たちは小人ということになってしまうよ」

晁宝「それならば、私たちにも少し礼を欠いたところがあるというわけですね」

晁夫人「少し悪いところがあるが、まあ仕方ないだろう」

 計老人は、棺を手に入れ、葬式で使ったばかりでなく、枕の上で、晁夫人に数千数万回阿弥陀仏と唱えました。まさに、

裏切り男は犬か豚

恩を知る女は英雄(ますらを)にも勝る

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1] この三句、原文は「還騎劣馬、服毒薬、打秋千」。「打秋千」は「ブランコをこぐ」という意味だが、ここではもちろん、首吊り自殺の隠喩であろう。「還騎劣馬」は、自殺の隠喩に違いないと思われるが、どのような自殺を指しているかは未詳。

[2]北宋の将軍岳飛の字。

[3]南宋の忠臣文天祥。

[4] ともに唐代の人。安史の乱の際、睢陽で安禄山と戦い、殺された。彼らが自刎したというのは史実ではない。彼らの忠義は、後世、娩茂良撰『双忠記』などとして戯曲化された。

[5]岳飛の娘。 安嬢のこと。宋王逢『銀瓶娘子辞』序に見える。

[6]青城山は四川省灌県にある山の名。後漢末に張道陵が壇を築いて伝道をしたといわれ、道観が多い。

[7]曹文叔は魏の皇族曹爽の従弟。夏侯氏は夏侯文寧の娘。『醒世姻縁伝』に引く話は、『三国志、魏書』注に見える。『三國志、魏書、曹真伝』〔注〕「皇甫謐『列女傳』曰:爽從弟文叔、妻譙郡夏侯文寧之女、名令女。文叔早死、服闋、自以年少無子、恐家必嫁己、乃斷髮以為信。其後、家果欲嫁之、令女聞、即復以刀截兩耳、居止常依爽。及爽被誅、曹氏盡死。令女叔父上書與曹氏絶婚、彊迎令女歸。時文寧為梁相、憐其少、執義、又曹氏無遺類、冀其意沮、迺微使人諷之。令女歎且泣曰:「吾亦惟之、許之是也。」家以為信、防之少懈。令女於是竊入寢室、以刀斷鼻、蒙被而臥。其母呼與語、不應、發被視之、血流滿牀席。舉家驚惶、奔往視之、莫不酸鼻。或謂之曰:「人生世間、如輕塵棲弱草耳、何至辛苦迺爾。且夫家夷滅已盡、守此欲誰為哉。」令女曰:「聞仁者不以盛衰改節、義者不以存亡易心、曹氏前盛之時、尚欲保終、況今衰亡、何忍棄之。禽獸之行、吾豈為乎。」司馬宣王聞而嘉之、聽使乞子字養、為曹氏後、名顯于世。」。

[8]浙江省台州府。

[9]宋代の列女。元軍の侵攻に際し、捕らえられたが、投身して死す。『宋史』巻四百六十に伝がある。「王貞婦、夫家臨海人也。コ祐二年冬、大元兵入浙東、婦與其舅、姑、夫皆被執。既而舅、姑與夫皆死、主將見婦皙美、欲内之、婦號慟欲自殺、為奪挽不得死。夜令俘囚婦人雜守之。婦乃陽謂主將曰『若以吾為妻妾者、欲令終身善事主君也。吾舅、姑與夫死、而我不為之衰、是不天也。不天之人、若將焉用之。願請為服期、即惟命。苟不聽我、我終死耳、不能為若妻也』主將恐其誠死、許之、然防守益嚴。明年春、師還、挈行至嵊青楓嶺下、臨絶壑、婦待守者少懈、囓指出血書字山石上、南望慟哭、自投崖下而死。後其血皆漬入石間、尽化為石、天且陰雨、即墳起如始書時。至治中朝廷旌之曰貞婦、郡守立石祠嶺上、易名曰清風嶺。」。

[10]浙江省紹興府嵊山にある嶺。もと青楓嶺といったが、王貞の妻が自殺したあと、清風嶺と改められたという。『醒世姻縁伝』で青風嶺とする根拠は未詳。

[11]明代、吏部、翰林院、六科給事中と各道監察御史をさす。

[12]原文「尸場中好錘子扎他。」。とりあえずこのように訳す。

[13]青龍、白虎、朱雀、玄武、勾陳、螣蛇の総称。

[14]夏用靴。蒲、棕櫚、麻などで作る。

[15]夏用靴下。綿、麻で作る。

[16]秉教法事沙門は、儀式を執り行う和尚。

[17]生者と亡者の世界の境。

[18]地獄にいる人々を救うこと。

[19]原文「要搭金橋銀橋」。仏事の際の装飾をいうと思われるが未詳。黄色の布、白色の布を金の橋、銀の橋に見立てるものか。なお、許宝嘉、宮田一郎主編『漢語方言大詞典』によれば、山西方言に「金橋銀橋」という言葉があるというが、これは、結婚の際に用いられる、新郎新婦が通る「橋」で、テーブルと腰掛けで代用するという。『醒世姻縁伝』の金橋銀橋とは別物と思われる。

[20]未詳。鈸はシンバルのこと。

[21]古の典籍をいう。具体的内容については諸説ある。孔安国の『尚書序』には、「三墳」とは「伏羲、神農、黄帝の書。」、「五典」とは「少昊、顓頇、高辛、唐虞の書。」とある。

[22]第十二回の注参照。

[23]明の第四世。洪煕帝のこと。

[24]江蘇省徐州府。

[25] 『南史、江淹伝』に見える故事で、梁の江淹が、夢の中で郭璞に五色の筆を返したところ、文才を失ったという。「(江淹)又嘗宿於冶亭、夢一丈夫自称郭璞、謂日、吾有筆、在卿処多年、可以見還、淹乃探懐中、得五色筆一以授之。爾後為詩、絶無美句、時人謂之才尽。」。

[26]食物や紙銭を供えること。

[27]小麦粉のねじり棒を油で揚げた菓子。味は甘い。

[28]小麦粉をあげた主食の一つ。細長い幾本もの棒が交差しあっている形をしている。 (写真を見る)

[29] あいつに自業自得の思いをさせてやりますよ。

[30]原文「沖喜」。重病人に対して行う厄払い。

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