第十七回

瘧を病んだ男がびくびくして幽霊に会うこと

財を貪る役人が職を免ぜられて故郷に帰ること

 

盗みをするは飢ゑのため、

追ひ剥ぎするは貧苦ゆゑ。

腹一杯で服がありや、

強盗などはしやすまい。

鬼神は憎む恩知らず、

報恩せねば追ひ詰める。

親父の辞職、子の病気、

良心なきがためならん。 《木蘭花》

 さて、晁源は、昼に体が不調になり、昼食もとらずに眠りました。しかし、氷の上に横になっているかのように寒気がし、寒気が治まりますと、熱が出、瘧になってしまいました。それからというもの、一日一回、日が落ちるときになりますと、発作が起こり、翌日の朝食の後になりますと、たくさんの汗が出て、意識が戻り、幽霊を見るようになりました。そこで、一晩中番をするように命じました。母親は、徹夜をして両目が膠鍋、疲労して両鬢が絲窩[1]のようになり、とても焦り、恐れました。その後、晁大舎は、彼に射殺された狐の精が美人に化け、計氏と手をとりながらやってきて、扇で彼を扇ぎ、火で彼を炙り、熱湯を掛けるのを見ました。さらに、彼に殺されたノロジカ、雉、兎も、噛んだり、つついたりしにきましたが、これらのことは、すべて彼自身の口から話されました。彼は、一二日間うわごとを言いました。そして、梁生、胡旦が枷を持ち、たくさんの黒服を着た下役をつれてくるのを見ました。彼らは手に廠衛の牌票をもち、部屋にやってきて、彼らの銀子、荷物を取り出しますと、彼らを一緒に廠衛につれていき、告発しようとしました。彼は真っ裸になり、寝床の下に潜り、筵をもってきてひっかぶりますと、一晩中騒ぎました。

 晁夫人は焦り、天に祈ったり、北斗七星を拝んだり、豚、羊を供えることを約束したり、願を懸けたり、あらゆることをしました。そして、医学[2]の鄭医官を呼び、晁大舎の治療をさせました。ところが、第一日目、医者は、瘧になり、歩くことができなくなりました。門番が、城隍廟の郎道官は、瘧を防ぐとてもいい符水[3]をもっており、本当に効き目があると推薦しました。翌朝、郎道官が呼ばれました。ちょうど鄭医官も、自分で役所にやってきました。人々は、晁大舎の寝室の中に、招じ入れましたが、腰を掛けないうちに、鄭医官は、顎の骨をがちがち鳴らし、全身をぶるぶると震わせはじめました。人々は彼が瘧になったことが分かりましたが、それほど不思議に思いませんでした。一方、郎道官は、護符を書き終わりますと、法衣を着け、左手に雷訣をつまみ、右手に剣を持ち、歩罡踏斗[4]をし、何やら唱えておりました。ところが、どういうわけか、剣を床に放りますと、やぶにらみになり、ぶるぶると震えました。鄭医官は、書房の床の上で眠っていましたが、夕方になりますと、意識が戻りましたので、人に命じて家に送らせました。さらに、和尚が言いました。

「部屋の中を綺麗に片付け、『金剛経』をお奉りすれば、静かになります」

「朱砂で印刷した梵字の『金剛経』がございます。今まで彼が身につけていたもので、ずっと部屋の中にございます」

和尚は、さらに言いました。

「『蓮経』[5]もお奉りすれば、きっと何事もなくなるでしょう」

果たして、弥陀寺から『蓮経』が運ばれてきました。人々は、テーブルを拭き、『蓮経』と、もとからあった。『金剛経』を奉りました。

 ところが、晁源は、今まで通り幽霊を見、少しも効果はありませんでした。これはどういうことなのでしょうか。本当の神や幽霊ならば、お経を見て、避けるのは当然です。仏法を守る神々が、彼らを中に入れないからです。しかし、晁源が見た大勢の幽霊たちは、彼の後ろめたい気持ちから生まれたもので、本当に幽霊が彼を攻撃したのではないのです。例えば梁生、胡旦は、ちゃんと生きていて和尚になったわけですし、晁夫人は彼らに銀子を返したのですから、梁生、胡旦が枷、鎖をつけられ、彼に荷物、銀子を催促しにくるはずがないのです。これは、彼自身の心が落ち着かず、虚火[6]が起こっていたため、お経も何の役にも立たなかったからなのです。ある時、晁源は、梁生、胡旦の命令で、下役が鎖で彼を縛っていくと叫びました。晁夫人は、彼に尋ねました。

「おまえは、あの人たちに銀子、荷物を借りていたのかえ」

晁源は、初めから終わりまで、くわしく話しをしましたが、晁書に話した梁生、胡旦の話しと少しも違いませんでした。

晁夫人「そうだったのか。どうりであの人たちがお前にまとわりつくはずだ。すぐに持ち物を返せば、きっと良くなるだろう」

晁源は、すぐにもってきて、自分で一包みの銀子を、晁夫人の目の前に持っていき、四つの鞄も一か所に運びました。晁夫人は、人に命じ、すべて自分の部屋に持っていかせました。すると、晁源は、彼ら二人と大勢の下役たちがみんなで出ていったと言いました。その後は、梁、胡の二人は、姿も見えなくなりましたが、狐の精と計氏は、今まで通り祟りをしにきました。しかし、晁夫人がさらに願を懸けますと、だんだんと現れなくなりました。

 晁源は、一日一回の瘧はおさまりませんでしたが、幽霊がやってきて祟りをすることはなくなりましたので、良くなったと思いました。晁夫人は、計氏と狐の精のために、祈祷を行おうとしましたが、よその人々に事情を話すことはできず、千巻の『観音解難経』をよむとだけ言いました。さらに、晁書に、十両の銀子を袖にいれ、香岩寺の長老を訪ねるように命じ、経をあげる数人の僧侶を招くことにしました。そして、一つには今生きている人々の平安を守るため、二つには死んだ人が生まれ変われるようにしてやるためだと言いました。さらに、梁生、胡旦の鍵を彼らに返し、鞄は、大奥さまからあずかったから、機会があればあなたがたに渡すといい、彼らを安心させることにしました。箱の中には、大奥さまに見せるべきではない物もあろうかと思われたので、大奥さまは開かずに、封印をした、ともいわせることにしました。晁書は、夫人の命を受けますと、出ていきました。

 さて、片雲、無翳は、真夜中に、金の兜に金の鎧をつけた神将が、手に一本の鉄の棒を提げ、彼ら二人の前にやってくるのを見ました。神将は言いました。

「おまえたちの荷物は、善良なご婦人に渡したぞ。朝に人が知らせにくるから、彼らをもてなすための精進料理を準備しておけ」

目を覚ましますと、夢でした。二人は、それぞれ夢で見たことについて話しましたが、まったく同じ夢でしたので、寺の中の韋駄が現れたのだと思いました。彼らは、早朝に起きますと、長老に話しをしました。

長老「韋駄が現れたのだから、精進料理を準備し、誰がくるか待つことにしよう」

すると、程なく、晁書が方丈にやってきましたので、師弟三人は、互いに顔を見合わせ、びっくりしたり喜んだりしました。晁書は、経をよんでもらうためにやってきたといいました。彼は、さらに片雲の部屋に行き、片雲たちに、荷物のことについて話しました。二人も夢の中のことを告げました。やがて、晁書は、別れを告げ、去ろうとして、言いました。

「若さまはお体が不調ですし、役所で仕事がございますので」

長老「韋駄さまから精進料理を用意するよう命ぜられ、お待ちしていたのです。私がお引き止めしているのではございません」

片雲、無翳は、晁夫人が荷物を差し出した経緯を、晁書の前で長老に知らせました。晁書はとても不思議がり、韋駄殿の前にいきますと、叩頭して感謝しました。

 晁書は、精進料理を食べ終わりますと、家に帰り、夫人に報告をしました。夫人はとても喜び、梁生ら二人のことは忘れてしまいました。しかし、晁大舎は、病気になって一か月以上になるというのに、まったく良くならず、痩せて幽霊のようになりました。晁夫人も疲れて人ではないようになりました。

 さて、晁老人は、邢皋門が去ってからというもの、盲人用の杖のように、晁源を頼りにしましたが、今では、その盲人用の杖さえもなくなってしまいました。六房の書吏は、いい加減に文書を作りましたので、文書を十件上呈しても、九件は却下されました。一件は、はっきりと却下されることはありませんでしたが、すぐに批准されることもありませんでした。上司たちは、まるで臭い糞のように晁老人を憎みました。也先はふたたび先帝を連れ、辺境に侵入し、褒美を脅し取ろうとしました。百万の国費が、北直隷一帯の州県に分け与えられました。それはまぐさを蓄え、征伐に備える際、人民に税金や労役を課したりしないようにするためにとられた、朝廷の深いご恩でした。勅旨を奉じ、通州にも一万余の銀子が割り当てられました。晁老人は、戸房の書吏のお世辞を聞き入れ、国費一万余両をすべて役所に運びこみました。そして、まぐさを倍にして四方の農村に割り当て、次々に催促を行いました。その年は、収穫も良く、人民は今のように貧しくはありませんでしたので、一茎一粒たりとも延納されることはありませんでした。割り当て額以外にも、三四千両の余りがでましたので、国費は懐に入れ、税の余りは売り払い、一千両の銀子を役所中の下役に褒美として分け与えました。さらに、佐領[7]たちには一人あたり百両を贈り、ほかの人々にも金を援助しました。さらに、庫吏[8]のもとからたくさんの銀を取り出して使いましたが、証文は銀子とともにもっていってしまいました。庫吏は手元に証文がなく、検査官がやってきますと、庫吏に土地や家屋を抵当に入れて賠償させましたので、家が潰れる者は、一人にとどまりませんでした。その頃の人民は、とても純朴でしたので、彼がこのように悪辣でも、屁をひりさえもしませんでした。もしも今の人民なら、真っ昼間に告訴をせねば、真夜中にかならず告訴をしていたでしょう。告訴をしなくても、閻魔さまの前に、必ず二つの訴状を提出したでしょう。

 彼は、かように悪い行いをしていましたが、やがて辛閣下がやってきました。辛閣下は、翰林学士でしたが、天子の命により江西にいき、王を封じ、華亭を通ったのでした。ところが、晁老人は、彼の勘合を二日ほったらかしにして、従者たちの接待をせず、餞別すら送りませんでした。辛翰林は、兵房を拘束しましたが[9]、兵房は川岸にいたならず者たちを集め、大騒ぎし、辛翰林の勘合を川に投げ込んでしまいました。辛翰林は、復命したとき、晁老人を弾劾しようとしました。さいわい秘密が漏れ、外に噂がながれました。親戚の鄭伯龍はそれを聞きますと、すぐに八百両の銀子を彼のために立て替え、翰林の座師に頼み、事をうやむやにしたのでした。

 今、辛翰林は、南京の礼部尚書から勅命により入閣し、通州に到着しました。彼は、敵と巡り逢いますと、とても憎たらしく思いました。今回、晁老人は、さんざんご機嫌取りをしました。しかし、辛閣下は、腹に一物ありましたので、少しも礼物を受けとらず、会おうともせず、通州の馬も使わず、自分で人足を雇い、朝に都に入りますと、すぐに同郷の御史に命じ、晁老人の所行を知らせ、勅旨を奉じ、司法官に審問を行わせるように言い含めました。報せを書き写す者たちは、蜂のように報せを持ってきて、すぐに賄賂を贈るようにいい、

「張り紙が出されていませんので、弾劾文に何が書いてあったのかは分かりません」

晁老人は、びっくりして、ひたすら赤黒い、鼻を衝くような臭いの強い尿を垂らしました。人がそれを嗅ぐと、実は垂らしているのは小便ではなく、酢なのでした。晁夫人は、一人息子が息も絶え絶えで病の床に就いているうえに、夫まで牢屋に入れられそうになったので、大風が梁灝[10]の夫人を吹き飛ばしてきたときのように、邢皋門を淅県から運んできてくれれば良いのにと思いました。頼りになる人も、相談をする人もありませんでしたので、こう考えました。

「梁生、胡旦を追い出さず、ここにいさせれば、相談をすることができ、手助けにもなった。今は彼らは頭を剃り、出歩くこともできない、本当にお手上げだ」

晁宝を城内の報房[11]にいかせ、様子を探らせました。どうしたわけか、御史の弾劾状は貼られていませんでしたので、コネを探し、五両の銀子を使い、御史の家にいき、原稿を書き写してきました。原稿に書かれたことを見ますと、どこから聞いたものやら、目で見た以上に詳しいことが書いてありました。晁宝は、弾劾文の原稿を持ち、飛ぶように戻り、晁老人に渡してみせました。

湖広道の観察御史欧陽鳴鳳が、汚職をしている州知事を除き、都の周辺を清らかにする事について。『書経』に、「人民は国の基本であり、基本がしっかりしていれば国は安らかである」[12]とあります。都の周辺千里以内は、宮殿を守り、美食を供える場所で、人民を慰撫しなければなりません。ですから、人民の長たる官は、善良で温和な人であってはじめて、父母の任に恥じないのです。昨今は、醜悪なる外敵が抜扈し、しばしば侵入してまいります。平民は、物を供給するのが難しく、現在ある物資で防御をすることは容易ではありません。あれこれ慰撫しても、野垂れ死にする人々を救うことはできないでしょう。さらに、汚職をする者が、人民の髄を啜り、地の皮を削り、天子さまのお膝元で、さんざん賄賂を貪り、勝手なことをしております。通州の知州晁思孝などは、立派な体格をしておりながら、まったく廉恥の心がありません。彼は、最初に重要な都市を授けられたとき、国を治める道に恥ずべき振る舞いをしていました。さらに、知州になりましたが、人々は、その金臭さを憎みました。公にされていない行いを、徹底的に調べ上げなければなりません。また、明らかになっていて、人々に恨まれていることを、くわしく陛下に申し上げます。側近の者と付き合うのは、禁じられております。ところが、思孝は、宦官の王振を義理の父とし、大きな州、県を容易に手に入れてしまいました。悪人と付き合うのは、恥ずべきことです。思孝は、俳優の梁寿と契りを結び、叔父、甥と呼びあい、まるで親友のようでした。さらに、快手曹銘の仲立ちを利用し、方々と手を結び、大いに賄賂を送りました。平其衡への賄賂は八百、呉兆聖への賄賂は三千、羅経洪への金、真珠は、酒の甕に納め、送った金額は、指を折っても数えることはできないほどでした。晁思孝は、愚かな息子の晁源を盲人用の杖のように頼りにし、あらゆる事を指摘し、不正事件をすべて暴露しました。封祝齢は四十回ぶち、熊起渭は徒刑五年にし、桓之維の田地は、だましとって公物にしました。手にしたうまみは、多くてくわしく指摘できないほどです。告訴状、上申書、一つとして金を搾取するための道具でなかったものはありませんでした。彼は、原告、被告、商人、関係者から、すべて金をとりたてました。そして、仲買人のように、斗、秤に細工を加え、普段の三倍の税を取り立てました。布や麻は、市価は以前よりもさらに安くなっています。軍のまぐさに関しても、陛下は人民に損害を与え、彼らの苦しみを増すことを恐れ、わざわざ国費を畿内に配り、まぐさを公定価格で蓄えさせました。命令が示されれば、恭しくしない者はないものです。ところが、思孝は、配られた公金をすべて懐に入れ、まぐさは、すべて農村に割り当て、正式な額のほかに、さらに三千余りを割り当て、一千俵を下役に与え、彼らの食い扶持にし、一千を節約したと報告をし、名誉を得ました。彼は陛下の金銭を略奪し、憚るところがなく、四方の人民に物を与えることもありませんでした。彼は、ムササビのように能力が乏しく[13]、心は利によって曇らされています。狼のように性格に落ち着きがなく、人に引っ張られています。どうか陛下には、大いに威厳を示され、勅命を司法官に下し、追及をされることをお願い申し上げます。私の言葉に過ちがなければ、法律に従って重罰にし、万民の恨みをすすいでください。法律の威力を明らかにすれば、地方の人民と役人にとって、ともに幸甚であります。

 晁老人は、原稿を見ますと、舌を伸ばしたまま、しばらく引っ込めることができませんでした。晁夫人が尋ねました。

「何と書いてあるのですか」

晁老人は、ひたすら首を振り、真夜中まで考えごとをし、まぐさの銀子を人民に分け与えよう、彼らに自分が徭役を課したり、徴税をしたことはないといってもらい、この件をうやむやにすることができれば、ほかの件もごまかすことができるだろう、と考えました。そして、真夜中に、快手の曹銘を役所に呼びますと、彼と相談をしました。

曹銘「兵士がくれば、将軍が防ぎますし、水がくれば、土で覆うことができます。人民たちは、銀子を受け取っても、今まで通り、私たちのために隠し立てをすることはないでしょう。そして、私腹を肥やすために金を取り立て、事が露見しそうになると、ようやく銀子を配ったというでしょう。これは『赤鼻をした男が酒を飲まない−役に立たない』ということではありませんか。たくさんの銀子を失うだけでもったいないことです」

晁老人「おまえは、どういう考えなのだ」

曹銘「彼の拳骨を使って、彼の目をぶたせるのがいいでしょう。上下の官庁に賄賂を贈っても、銀子がなくなることはないでしょうし、さらにほかの事も、きれいさっぱり水に流すことができるでしょう。銀子を彼に渡しても、事を覆い隠すことはできず、ほかの件に関しても、さらに賄賂を送るため、自分の銀子も使わなければならなくなるでしょう。愚見は、このようなものですが、どう思われますか」

晁老人「おまえの考えは、本当に尤もだ。息子が元気な時でも、おまえの考えには及ぶまい」

計画通りにすることにしました。

 翌日になりますと、司法官の使いが、道台の使いとともに、犯人を捕縛しました。二三人の男が、晁老人をしっかりと護衛し、少しも離れることを許しませんでした。ほかの人々は、弾劾文に記された人々を呼びにいき、どうしても晁源を役所に出そうとしました。使いは、口を開けば、千だの百だのと言い、銀子を脅しとろうとし、五百両をやっても、面子を立てようとはせず、縄や鎖を掛けようとしました。ところが、救いの星が現れました。それは、司礼監の金公、名は英という人でした。彼は、朝廷随一の賢い役人で、通州にやってきて、城郭、まぐさを検分しました。晁老人は、使いに抑えつけられていましたので、迎えに出ていくことができませんでした。彼の長隨は、使いが五百両を脅しとり、さらに侮辱を加えようとしていることを聞きました。金公は、人に命じて言い含めさせました。

「晁知州は、弾劾されはしたが、勅命で免職になったわけではない。さらに廠衛が人を捕縛するわけでもないから、妄りに枷、鎖にかけることはできない。これ以上辱めれば、必ず弾劾して捕縛するぞ」

金公の命令には、雷以上の効果がありました。下役は、金公が不正を行っているとは思わず、金公が晁老人と知り合いであると考え、それからというもの、晁老人に少しもひどいことをしようとしませんでした。金公は、使いを役所に引き止めて休ませ、二三日たってから片付けをし、使いとともに司法官に会い、刑部の監獄に入れ、まず山東道の御史、山東道司主事、大理寺の副官に、裁判を委ねました。

 さて、快手の曹銘は、下役ではありましたが、実は大変な切れ者で、渾名を曹鑽天といいました。都の主だった権力者たちの多くは、彼と交際がありました。さらに有り難かったのは、晁源が病気になり、勝手なことをすることができなくなったお陰で、誰も曹銘の邪魔をしなかったということでした。彼は適当なコネを探し、五六百両の不当利得を得たことを自ら認め、充軍に処せられました。晁老人は「職務怠慢」になり、免職になっただけでした。彼にまぐさを課せられた人民の中には、数人の老成したものがおり、こう主張しました。

「あの人は、たくさんの銀子を騙しとった。しかし、我々は、すでに割り当てを引き受けてしまったから、告発しても、この銀子は、役所に没収されるだけで、我々に戻ってくるわけではない。我々が役所で裁判をしても、いつ結審するかは分からず、農作業を遅らせるだけだ。それに、州知事は、我々が純朴な人民ではないと思うことだろう。みんなで道台に行き、連名の書状を出し、まぐさは公金で買っていただいたものだ、民間に課されたものではないと言おう。今は農繁期だから、都に送られ、審問を受けるのを免れるようにしていただかなければならん」

道庁では書状を認め、上申書を送り、晁老人はついに許されました。これは曹銘のお陰でした。上級官庁では、ふたたび審問が行われましたが、前と同じ草案を提出しますと、裁判官もそれを認めました。欧陽御史は、辛閣下の指示にしたがっただけで、晁老人に恨みはありませんでした。彼は晁老人を弾劾しただけで、任務は終わったと考え、彼を罪に陥れようとはしませんでした。勅旨を奉じ、処置しますと、裁判官の本来の草案に従い、曹銘を遵化[14]の充軍に処しました。この事件では、晁老人は、全部で五千余両を使いましたが、公金は大半が残りました。役所に戻り、晁夫人に会いますと、夫人も喜びました。

 晁源は病気が治り、意識が戻りますと、梁生、胡旦の銀子、鞄のことを尋ねました。人々は、晁源が幽霊を見て、寝床から降り、銀子、鞄を運び、晁夫人が祈祷をして願を懸けたことを、異口同音に、話してきかせました。彼はいいました。

「幽霊に会ったなどということはあるまい。俺は、病気で頭がぼんやりしたのだ。銀子、荷物を奴らに返す必要などない。俺が大変な苦労をして溜めたものを、やすやすと返すわけにはいかん。奴らが錦衣都督であるわけでもあるまい。俺は奴らなど恐くはないぞ。俺が奴らを告発したら、奴らは命も財産もなくなるだろう。あの銀子、荷物は、奴らが死刑を免れるために残していった金で、一万両を使っても構わないのだぞ」

そして、毎日、晁夫人と口喧嘩をしました。

晁夫人「我が家には、財産がたくさんあるし、財産分けをする兄弟が大勢いるわけでもない。妹がいても、彼女はすでに嫁にいってしまっている。私が彼女に財産を与えようとしても、お前はそれを見ることができるだろう。おまえがもし分に安んじ、無駄遣いをしないようにすれば、二三代かけても、使いきることはできないだろう。あんな物を惜しんでどうするのだ。おまえがこれ以上承知しないのなら、私がおまえにかわって、金額通り賠償をしてもいいよ。先日の不吉な出来事を覚えていないのかい。私はびっくりして死にそうになったのだよ」

彼はさらにいいました。

「お母さまのものは私のものですから、私に賠償したことにはなりません。私は彼ら二人の財産が欲しいのです」

晁夫人「彼らの物は返してしまったよ」

晁源は従おうとせず、床の上で転げまわって叫びました。晁夫人は、ただ頷くしかありませんでした。

 夫人が部屋に腰掛けていますと、晁源は、瘧のひどい発作を起こしました。これは、以前よりもさらにひどいものでした。晁源は、ふたたび幽霊を見ました。梁生、胡旦は、枷をもってきて、鞄の中の紫金のかんざし、映紅[15]の網圏[16]がなくなっているといいました。梁生は、鞄から、二つの緬鈴[17]、四つの胡珠[18]がなくなったが、どちらも宮中の物だから、いつかほかの役人がとりにくるだろうと言いました。晁源は、頭からかんざしを抜き、さらに、拝匣をもってきて開け、網圏、緬鈴、胡珠をだし、晁夫人に渡しました。晁夫人は、それを受け取ってみますと、言いました。

「ほかの物はともかく、この二つの物は、何の値打ちもないのに、どうして取りにくるんだい」

見ていますと、緬鈴は、晁夫人の手の中で、ころころ転がり始めました、夫人は、びっくりして床に放りなげ、顔色を変えました。晁老人はそれを拾わせますと、包んで袖に入れました。とても不思議なことに、これらの物のことを誰も知りませんでした。梁生、胡旦も、晁書の前では、少しも話しはしませんでした。人々はこれも韋駄の霊威だろうかと思いました。晁源が自分で鞄を持ってきて、銀子を運んだということは、晁老人は信じていませんでした。しかし、今回のことは、晁老人がその目で見たことでした。晁夫人がさらに、彼のために何度も祈りますと、翌日の五更に、ようやく全身から冷や汗が出て、だんだんと意識が戻りました。晁老人が晁源に起こったことを話しますと、晁源はようやく少し考えを変えました。その後も、五六回の発作を起こしましたが、だんだんと病気は治まりました。

 晁老人は息子がよくなりますと、出発しました。晁源は意識が戻りますと、一生懸命、晁老人につてを探すように唆しました。そして、自ら上申書を提出し、もとの官位に戻そうとしました。晁源は紙と筆を求め、枕辺に置き、父親のために上申書の原稿を作ろうとし、一日頑張りましたが、一字も書くことができず、顔は赤くしり、青くしたりしました。小間使いが部屋に入ってきて、彼に食事をされますかと尋ねますと、彼は怒って、言いました。

「文章を書く気になったばかりなのに、この小間使いに邪魔されてしまったわい」

そして、その小間使いをぶつことができないので、焦って自分の顔をぶちました。晁老人は、息子にでたらめを吹き込まれますと、本当に上申書を提出し、官職に復そうと考えました。

 曹快手は、そのとき保釈されており、財産を売り、不当利得を返しました。晁老人は、彼を役所によび、上申書を提出することについて相談しました。曹銘は、それを聞きますと、驚いて

「旦那さま、何を勝手なことをされているのですか。先日の大事件では、福の神が救ってくださったおかげで、私の苦肉の策も、無駄にはならなかったのです。大旦那さまは家に戻ってくることができただけでも十分ですのに、更にこのような考えを起こされるとは。本当に弁明状が提出されれば、二つの役所は、激しく弾劾を行い、漢鍾離[19]の仙丹でも、救うことはできないでしょう。今、私が家にいるうちに、陸路でも、水路でもよろしいですから、急いで荷物を纏めて出発なさってください。私が去ってから、事件が起これば、誰も事態を収拾をする人がいなくなってしまいますよ」

話しをききますと、晁老人は、とてもがっかりして、曹銘のいったことを晁源に告げました。晁源は、承服しようとはせず、上申書を提出するべきだと言いました。しかし、彼は原稿をうまく書くことはできませんでしたし、ほかにのだれも上申書の原稿を作ることはできませんでした。都で工作をする、頼りになる人もいませんでした。晁住をつれてくれば、頼りにすることができましたが、彼はいませんでした。晁源は後悔して言いました。

「これも運命か」

晁夫人「お二人がいこうとされるのなら、一緒に帰りましょう。上申書を提出し、復職したいと思っているのなら、とりあえず帰るのはやめましょう。私は先に家に戻り、一年したら戻ってきましょう」

 晁老人は、仕方なく出発しようと考えました。荷物は重く、大きく、晁源もまだ床上げしておりませんでしたので、川を通って帰ることにしました。二隻の座船を雇い、荷物を纏め、十一月二十八日を選び、出発しました。その日、曹快手は、狐か犬のような友人を何人か迎え、彩楼[20]を組み立て、果盒を置き、黒い靴を持ち、晁老人のために、脱靴の儀式を行うことにしました。晁老人も面の皮を厚くし、二本の足を伸ばし、彼らに靴を脱がせ、新しい靴に履き替え、足をひっこめました。人々は、四句の彼を称える詩を作りました。

世の中はほんに良いもの わっはっは、

三年間で手に入れた賄賂は十万両以上。

御史台に弾劾されて去るときも、

出発に臨んで靴を脱いでゆく。

 晁夫人は、二日前に、十両の銀子、二匹の改機[21]の味噌色をした幅広紬、二匹の白い京絹[22]を梁生、胡旦に送るよう晁書に命じました。冬の衣装を作ることができるようにするためでした。そして、出発の日には、十数里先まで送ってくれ、彼の鞄などのものを返すから、といいました。片雲、無翳は感激し、晁夫人の位牌に、叩頭し、感謝しました。

 その日、晁夫人の船が張家湾に着きますと、岸にはたくさんの盒子が並べられ、二人の綺麗な小坊主が前に立っていました。彼らは、座船が来たのを見ますと、叫びました。

「船をお泊めください」

晁夫人は、それを見ると、彼らが誰であるかに気づきました。晁宝、晁書も、彼らが梁生、胡旦であることに気づきました。しかし、晁老人、晁源は、彼らが香岩寺で和尚になっていたことを知りませんでした。知っていれば、追い出していたことでしょう。船に使いがきて、梁生、胡旦ら二人が送りにきていると言いました。晁老人、晁源は、びっくりしましたが、すでに目の前に来ていましたので、仕方なく船に乗せました。晁老人父子は、穴があれば中に入りたいほど恥ずかしい気持ちでしたが、梁生、胡旦は、叩頭し、感謝しました。晁源父子があれこれ話しをし、上辺を取り繕うさまは、とてもおかしなものでした。まず瞳が曇っていましたので[23]、人から好意を持たれませんでした。やがて、盒子が船に運ばれてきました。二盒の果餡餅、二盒の蒸酥、二盒の薄脆[24]、二盒の骨牌糕、一盒の燻製豆腐、一盒の甘味噌漬けの瓜と茄子、一盒の五香豆豉、福建の梨干[25]、二つの金華の塩漬けの腿肉、四包みの天津の海産物でした。晁老人父子は、それらを受け取りました。二人は司礼監の金公を訪ね、礼部の度牒を貰い、香岩寺で出家したと言いました。晁老人は驚いて、

「香岩寺は、通州城外にあるのに、どうしてまったく知らせず、役所に来られなかったのですか。昔の友情をお忘れになったのですか」

梁、胡二人「忘れたりは致しません。いつも役所に入り、大旦那さま、大奥さまにお会いしたいと思っておりましたが、地方に邪魔され、中に入れなかったのです」

晁源の顔は、猿の尻のようになりました。

 彼らを引き止め、精進料理を食べさせますと、彼らは、荷物の話しはせず、出発しようとしました。

晁老人「先日は預けられた荷物が見付かりませんでしたが、今日は持って帰られてください」

四つの鞄、一包みの銀子を、元通りに、青い風呂敷できちんと包み、青の帯で井の字にしっかり縛り、金のかんざし、網圏、緬鈴、四粒の胡珠を、紙で包み、すべて運びました。晁夫人もやってきました。梁、胡の二人は、晁老人父子が目の前にいるのを見ますと、この銀子をどう扱っていいか分かりませんでしたが、夫人がすでに返してくれたということもできなかったので、受けとらないわけにもいかず、言いました。

「鞄は頂きましょう。しかし、この銀子は、私たちが旦那さまと若さまに差し上げるために残しておいたものですから、私たちは決してもっていこうとは思いません」

互いにしばらく譲り合いました。

晁夫人「受け取ろうとしないのなら、私たちの銀子ということにし、持っていって、橋を修理するとか、廟を建てるとか、何か善いことをするときに、私たちのために使ってください。そうすれば、私たちに送ってくれたも同然です」

梁、胡の二人は、鞄を受け取りますと、帰ることにしました。晁夫人は、彼らに鞄を開け、検分をするように言いましたが、晁源は鍵がなかったので、中を開けてみたことはないと言いました。二人の物は何も盗まれていませんでしたし、もしも盗まれていれば、韋駄天が催促にくるだけではすまなかったでしょう。

 後に、彼ら二人は、六百三十両の銀子を自分のものにせず、穀物を買い、空き部屋に蓄えておき、春夏に穀物を食べることができない人が出ますと、彼らに与え、秋の収穫のときに、三分の利息を付け、倉庫に戻させました。借りていった人々は、和尚のものであると言い、返済を遅らせようとしませんでした。彼らは、後に十数万以上蓄え、日照りになるたびに、通州の人民は、これに頼って生活し、一人として故郷を離れる人はいませんでした。胡、梁の二人は、後にたくさんの報いと悟りをえましたが、そのことは、後でお話し致しましょう。まさに、

人を屠るも刀を棄てれあ、

あつといふ間に菩薩になれる。

居士は初めの心を変へて、

鉄の鎧を身に着けり。

見よや(ましら)の王様が、

観音の術に嵌まりしを。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

中国文学

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[1]砂糖を使って作る菓子。おそらく綿飴のようなものと思われる。明劉若愚『酌中志』内臣職掌紀略「甜食房、掌房一員、協同内官数十員、経手造辧絲窩、虎眼等糖」。

[2]明代、地方に設けられた医学校。

[3]まじないを施した水。災厄を祓うとされた。

[4]道士が星宿を拝するときに行う動作。罡星斗宿を践んでいるかのようなのでこういう。

[5] 『妙法蓮華経』のこと。

[6]身体虚弱によって焦ったり発熱したりする現象。

[7]清代の官。八旗の官で、旗人三百人ごとに一人を置き、事務を行わせた。明代に時代設定している『醒世姻縁伝』に、このような清代の官が出てくるのは、作者の疎漏といえる。

[8]会計。

[9]人馬を支給するのは兵房の務めだが、それを果たさないため。

[10]明無名氏伝奇『青袍記』の登場人物。彼に救われた呂洞賓が、薛玉梅を風で吹き飛ばしてきて、梁灝にめあわす。

[11]清代、官報の発行官庁。

[12]原文「民為邦本、本固邦寧」。『書経』夏書・五子之歌「民惟邦本、本固邦寧」。

[13]原文「此一官者、鼯技本自不長」。「鼯(むささび)」は、「五技鼠」ともいい、飛ぶ、よじ登る、泳ぐ、穴を掘る、走るという五つの技能を持っているが、どれも優れてはいないとされる。『説文』「鼯、五技鼠也、能飛不能過屋、能縁不能窮木、能游不能渡谷、能穴不能掩身、能走不能先人」。

[14]直隷順天府薊州。

[15]宝石の一種。清趙翼『粤滇雑記』参照。

[16]網巾に同じと思われる。男子の束髪具。

[17]性的遊具。勉鈴ともいう。雲南に産し、龍眼の核ほどの大きさ、熱気を受けると動くという。明謝肇淛『五雑俎』「滇中又有緬鈴、大如龍眼核、得熱気則自動不休」。

[18]西域に産する珠。

[19]八仙の一人。鍾離権。字は子房、号は正陽子。

[20]五色の絹で飾った牌楼。

[21] ジャガード織り。福建に産する。万暦『福州府志』巻三十七「閩緞機故用五層。弘治間有林洪者、工杼軸、謂呉中多重錦、閩織不逮、遂改機為四層、名為改機」。

[22]北京で作られた絹をいうと思われるが未詳。

[23]原文「先是一双眸子眊焉」。『孟子』離婁上「胸中不正、則眸子眊焉」にちなむ言葉。「心根が悪かった」の意

[24] あげおかき。

[25]乾燥梨。

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