第十六回

正しい男が一生を全うすること

賢い母親が家の没落を悟ること

 

天地には善き気あり、

善き気は男女に与へらる。

男は正義を行ひて、

女は仁徳 施せり。

書物、絵画は、

教へを垂るるには十分。

穆生[1]は先を見て、

厳母[2]は息子が死ぬるを予知せり。

聖人の見識に、

君子の洞察。

閨媛の深謀遠慮、

美しき行為は同じ。

良き出会ひなどありはせず、

友人を信じたはずが騙されり。

牛馬は怒鳴れば服従し、

物分かりよし。

嘆かはしきは物の分からぬ馬鹿男、

親しき友は避けんとす。

母は心を悲しまするも、

相も変はらず耳が聞こえぬ振りをせり。

母は子を可愛く思ふも助け得ず、

ただただ心が落ち着かず。 《風流子》

 香岩寺の住職は、吉日を選び、梁、胡二人の髪を剃ってやりました。梁生は、片雲、胡旦は無翳という法名をもらいました。二人は住職の弟子になり、仕事を与えられ、住職ととても仲良くしました。

 さて、邢皋門のことをお話し致しましょう。彼は、河南淅川県の人で、若いときから学校に入り、初めは歳考[3]で増生[4]になり、二度目は、科考[5]で廩生になりました。彼は、八股文は、あまり熱心に勉強せず、適当にごまかしていただけでした。そして、時間を典籍、子史以外の本に多く用いました。ですから、あらゆることに通じており、『四書』などの経書、数編の陳腐な時文[6]だけにしがみつき、そのほかには何も知らない明き目くらとはわけが違いました。しかし、参政[7]の息子とはいえ、彼の父親は、清廉な役人でしたし、死んでから長いことたっていましたので、家も質素でした。彼は、才能があるという名声を得ていましたし、空や海のように広い心、洒脱な性格をもっていましたから、挙人、進士に合格するのは簡単だと考えました。彼は、以前、受験のため省城に行ったとき、開封城外に着き、黄河を渡ろうとしました。彼が到着する前、船には、たくさんの人がおりました。やがて、道士の姿をした者が、受験をする秀才とともに、船に上がってきました。道士は、船の上のたくさんの人々を、ちらりと見ますと、一緒にやってきた秀才を引っ張り、言いました。

「この船の上では、人が混み合っています。人がすいてから乗ることにしましょう」

ふたたび岸に上がりました。秀才が道士に事情を尋ねますと、道士は、返事をしました。

「船に乗っている人々の鼻の下には、黒い気がありますから、まもなく災難が起こるでしょう」

言い終わらないうちに、邢皋門が先を歩き、一人の小者が荷物を担ぎながらやってきて、船に乗りました。道士は、邢皋門が船に乗ったのを見ますと、秀才を引っ張り、

「とても貴い方が乗っておられますから、川を渡っても構わないでしょう」

その頃は、秋の増水の時期で、天気もあまり晴れてはおらず、半分もいかないうちに、天を覆わんばかりの旋風が、水面を吹いて船にぶつかり、船頭、水夫は、手足をじたばたさせました。すると、空中で叫ぶ声がしました。

「尚書が船にいるから、邪魔をしてはならぬ」

すると、旋風は瞬く間に去っていきました。程なく、船は、川を渡りきりました。船にいた人々は、大半は受験をする秀才でしたので、空中からの言葉を聞きますと、漢の高祖が壇を築き、将軍を任命したときのように、みんな将軍になれるのだと思いましたが、将軍になれるのは、韓信だけだということは知りませんでした[8]。人々は、岸に上がりますと、道士は、邢皋門だけに礼を述べ、本籍、姓名を尋ねました。そして、別れるときに、言いました。

「どうかお気を付けてください。空中の神の言葉は、まさにあなたのことを言ったもので、十五年たてば言った通りになるでしょう。楚の地で、小さな挫折がありますが、気にされることはありません。これは途中の挫折なのです。そのほかは、すべて順調で、すぐに八座[9]になられるでしょう」

邢皋門は、恭しく礼を言って別れました。後に、果たして湖広の巡撫になり、つまらないことで弾劾されはしたものの、まもなく侍郎に起用され、戸部尚書に昇任しました。これは、後のお話ですから、くわしくお話しする必要はございますまい。彼は、試験にすぐに合格することを願っていました。一次試験には合格し、二次試験にも合格しました。ところが、三次試験では策の問題で落ちてしまいました。謄録所[10]が答案を送り、監臨[11]が掲示を出しました。房考[12]は邢皋門が三次試験に合格していませんでしたので、焦って地団駄を踏みました。邢皋門は、副榜[13]にしか合格しませんでしたが、十五年間は合格することができないと道士が言っていたことを覚えていましたので、何とも思わないことにし、今まで通り、さばさばとした気持ちでいました。

 陸節推という人がいました。彼の父親は、邢皋門の父親と同門の年友[14]で、最も仲良くしていました。そして、その年伯[15]は、まだ生きていました。陸節推は上京し、兵科給事に選ばれました。彼は邢皋門と年家兄弟でしたので、彼が質素な暮らしをしていることを聞きますと、彼を都に招き、勉強の資金を稼げる職に就け、生活の心配をなくし、勉強をさせようと考え、淅川県[16]に人を遣わし、彼を呼びました。邢皋門も、帝王の都に遊ばなければ、見聞は広くはならないと思っていましたので、荷物を纏め、来た人とともに旅に出ました。半月もしないうちに、陸給事の役所に着きました。陸給事は、彼と会いますと、とても喜びました。三か月滞在し、たくさんの名士にも会い、香山[17]、碧雲[18]など、各地の名山に旅し、たくさんの変わったものを見、たくさんの変わった話を聞き、たくさんの変わった書を読み、心はとても愉快で、

「旅行をした甲斐があった」

と言いました。

 まもなく、陸給諫は京営を管轄し、とても羽振りがよくなりました。陸給諫は、彼が頼みごとをする様子がなく、さらに、彼が帰ろうとしているのを見ますと、言いました。

「お父上が役人をされたときに稼いだお金が少ないため、あなたが生活のことで煩わされ、出世が遅れるのではないかと心配だったので、わざわざあなたをお呼びしたのです。何かするべきことがあれば、力をお貸しし、あなたのお勉強をお助け致します。それに、今、京営には、仕事のあてもあります。できましたら、どうかおっしゃってください」

 邢皋門「なさるべきことは、なさるべきで、私から申し上げるまでもないことです。しかし、するべきでないことは、してはいけませんし、私から申し上げることもできません。あなたの将来を台無しにし、私の品性を損なうことになりますから。それに、財産は、運命で定められているものです。無理に求めることはできません。長い間にたくさんのお金を頂きましたが、私は身の外の余計な物は、必要ないのです」

陸給諫「あなたの高潔さは、本当に尊敬すべきです。しかし、生活の道を立て、初めて勉強をすることができるのです」

邢皋門「まだ食べるものがなくなるまでにはなっておりません」

 さらに、数日が過ぎますと、晁老人が、華亭知県に選ばれました。陸給諫は、知県に会い、晁老人も、陸給諫が中央の要人でしたので尊敬し、とても親しく交際しました。ある日、晁老人を私邸に引き止め、酒を飲みましたが、席には、邢皋門が付き添っていました。邢皋門は、澄んだ美酒のようなもので、生の葱を食べ、焼酎を飲むような乞食には、彼の良さが分かりませんでしたが、少し身分のある人なら、口をつけただけで、すぐに酔ってしまうのでした。晁老人は、見る目がなく、人の善し悪しはあまり分かりませんでしたが、銀を腰に帯びていたお陰で、生の葱を酒のつまみにする乞食とはすこし違っておりましたので、心の中で邢皋門のことを幾分尊敬しました。

 ある日、晁老人は陸給諫と相談し、家庭教師を招こうとしました。

陸給諫「家庭教師を推薦するのは難しいことです。善し悪しにこだわらなければ、掃いて捨てるほどいます。しかし、才能と徳行がある人を選ぼうと思いますと、両方を兼ね備えた人はなかなかいないものです。また、才能、徳行がともに優れていても、堅苦しい人とは、うち解けることができないでしょう。しかし、一人完璧な人物がいます。先日会った邢皋門です。彼は才能、徳行が完璧であるばかりでなく、義気を重んじる人で、性格は開けっ広げで、とてもいい人です。あのような人を選ぶことができれば、とても良いことです」

晁老人「お力になって頂けないでしょうか」

陸給諫「私が彼を訪ねてから、ふたたびご報告致しましょう」

晁老人を送りだし、邢皋門の書房に行きますと、彼は、テーブルの上に『十七史』を広げ、小皿に花笋の干物を置き、鷹の爪と干し蝦、一碗の酒を手にとり、本を読みながら、酒をあおっておりました。陸給諫は、腰を掛けると、ゆっくりと、晁老人が家庭教師を招こうとしていることを話しました。邢皋門は、しばらく唸っていましたが、返事をしました。

「いいでしょう。私はご尊宅のある場所が気に入っています。ここの文物、山水は天下一で、毎日心を楽しませることができます。もしも一日中わが故郷でじっとしていたら、まさに、井戸の中から天を見るようなものでしたろう。このあと、南方に行き、地方を旅し、見聞を広めるのも、結構なことです。それに、教師をし、報酬を得るのは、読書人のつとめです。与えるものは、損をするわけではありませんし、受けるものは、廉潔を損なうわけではありません。これは、自分にとっても他人にとってもいいことです。しかし、あの人が本心から呼ぼうとしているかどうかは分かりません。あの人が本気でなければ、決してあの人に礼儀正しくお願いしてはいけません」

 陸給諫「あの人はお願いすることを遠慮しているのです。もし承諾していただければ、あの人にとっては望外の幸せです。私があの人に礼儀正しくお願いしたりする必要はありません」

 夕方、晁老人は、手紙を送り、結果を聞こうとしました。陸給諫は、晁老人の手紙を、邢皋門に見せ、給料の額を相談し、手紙を返そうとしました。

邢皋門「資本金を使って商売をするのではありませんから、値段を交渉するわけにはいきません。とにかく、あの方のおっしゃる通りにするまでです。そんなことは返事の手紙に書く必要もありません」

 陸給諫は、承諾の手紙を書きました。翌朝、晁老人は、自らやってきて、挨拶状をさしだし、招待状を送り、宿屋に二席の酒宴を設け、役者を呼び、六両の金[19]、二十四両のお祝儀を出し、先生を招きました。邢皋門は、すぐに陸給諫と別れ、先に一人で故郷に帰り、家を片付け、故郷から華亭に行きたいといいました。そこで、長距離用の騾馬を雇うことにしました。晁老人は、さらに八両の旅費を送り、二人の男に、故郷まで付き添うように、その後も、任地にまで付き添うようにと命じました。陸給諫は、百両の銀子、二十両の餞別を送り、さらに、一人の男を付き添わせました。晁老人が着任した日、邢皋門は、夕方に華亭に着き、普段着で役所に入りました。

 晁老人は、勉強を教えていた老歳貢で、「詩に云わく子曰く」をすててから、それほど時間がたっていませんでした。紗帽を被り、円袖を着、p靴を穿き、役所を歩き、六房の快手、p隷と面会し、たくさんの人民、兵士を見、話をし、仕事をしましたが、やはり「田舎の爺さんが祭文を読むのは、難しい」という有様でした。しかし、邢皋門は、もともと坊ちゃんで、役所の様子を見ていましたし、後に尚書にまでなった人でしたから、見識、才能は、他人とは違っていました。晁老人は、一日二回役所に出勤したり、上司を送迎したり、各院で試験をするときは、他の人に代わりをしてもらうことはできず、自分で出ていくしかありませんでした。しかし、これらを除いた、あらゆる役回りは、すべて邢皋門が演じました。彼は、こそこそしたところがなく、下男たちと悪巧みをしようともしませんでしたし、伝桶の脇へ行き、外部の人と話をすることもありませんでした。外部の人々も、役所に邢相公がいることは知りませんでした。邢皋門は、このように品格がありましたので、晁老人は、「(もつ)て服せざること無し」[20]とはどういうことなのかは分かりませんでしたが、上辺は敬意を払わざるを得ませんでした。

 ここで、とてもおかしなお話があります。晁夫人は、田舎に住んでいる先祖代々の有力者の娘でした。ところが、彼女の父親は、秀才を呼び、息子に勉強を教えたのですが、先生、師匠の何たるかが分からず、ほかの職人と同じように「学匠」といっていました。ある日、脱穀場で、麦を干していますと、急に雷雲が沸き起こりました。ちょうど家を建てていましたので、左官屋、大工、煉瓦屋、鋸屋、銅匠、鉄匠は、仕事をやめ、箒、木惑[21]を持ち、常雇いの作男、小作人を助け、干されていた麦を片付けました。さいわい、麦を片付け終わりますと、すぐに大雨が降ってきました。村の老人は言いました。

「今日は、たくさんの職人たちが、力を貸してくれたおかげで、麦が濡れなくてすんだ」

そして、一人一人数えてみますと、職人はみんな来ていましたが、「学匠」だけは、手伝いに来ていませんでした。またある日、二人の親戚と酒を飲んでいたとき、小者に言いました。

「あの学匠を呼んできて、ここで酒を飲ませれば、食事を作らなくてすむ」

小者は、書堂に歩いていきますと、叫びました。

「学匠さま、あなたが表へ行かれ、みんなで食事をされれば、食事を作らなくてすみます」

 先生は糞味噌に罵り、すぐに書籍箱をまとめると、去ってしまいました。

 晁夫人は、このような家に生まれたものの、先祖代々の有力者家庭教師を敬うことをわきまえていました。一日三度の食事、一年四季の衣装、あらゆることを欠かすことがありませんでした。もしもおもてにいる晁老人に先生の世話を任せていれば、きっとたくさんの粗相があったことでしょう。邢皋門は、晁老人には二分しか感謝していませんでしたが、夫人には、八分感謝していました。ですから、あらゆる事に、本当に誠意と力を尽くし、心を尽くさないことはありませんでした。後に、邢皋門は、晁源に従い、華亭に行くことになりました。晁源は、邢皋門に対し、勝手な振る舞いをすることはあまりありませんでしたが、蔡疙瘩[22]、潘公子[23]、伯顔大官人のような俗気には、我慢できないものがありました。さいわい、邢皋門は、嫌な奴に対処する良策をしっていました。晁源が前を飛び跳ねていますと、彼は、晁源がいないかのように考えるのでした。晁源が背を向けて去っていっても、彼は晁源がいついなくなったのかも知りませんでした。晁源が東南と言いますと、邢皋門は、心の中で、西南のことを考えました。ですから、邢皋門は、少しも彼を嫌うことはありませんでした。しかし、晁源は、父母がどうして邢皋門をこのように尊敬しているのかと訝かりました。さらに、邢皋門が何くれとなく御機嫌とりすることを望みましたが、彼は悠然として、まったく相手にしませんでした。晁源と同じようにでたらめなことをする人間であれば、友人にもなっていたでしょうが、邢皋門は、温厚で礼儀正しく、勝手なことを言ったり、したりはしない人でした。晁源は、腹立たしく思い、だんだんと文句を言うようになりました。しかし、邢皋門は、晁源の父母の面子を立て、晁源と喧嘩をしませんでした。後に、晁老人について通州へやってきますと、晁源が自分の妻を棄て、娼婦上がりの妾と任地にきていましたので、晁源が単にでたらめな人間であるに止まらず、不道徳な人であることが分かりました。さらに、晁源が梁生、胡旦と、義兄弟の契りを結んだことを知りましたが、これも向上心のない、恥知らずな行為だとおもいました。さらに、晁源が、珍哥の話を信じ、正妻を追い詰め、殺したことを知りましたが、これも残忍で倫理を損なうことだとおもいました。さらに、胡旦、梁生の荷物、銀子をすっかり奪い、計略を用い、追い出したことを知りましたが、これも、東郭先生を食べた狼のようなものだとおもいました。

「彼を産んだ母でさえも自殺をしようとし、彼に会うのをいさぎよしとしないのだから、私がここにとどまっていられるはずがあろうか。このように薄情であれば、災いがじきにやってくるだろう。私は、彼と安楽をともにしているが、艱難をともにすることなどできようか。今すぐ離れるべきだ」

家に戻り、受験をすると嘘を言い、晁老人に別れを告げ、出発しようとしました。晁老人は、試験にはまだ早いと思いましたが、一騎当千の息子がいれば、邢皋門は必要ないと思いました。晁源も父親を一生懸命に唆し、日を選び、長距離用の馬を準備し、送別の準備をする人と実際に送別をする人を決め、あらかじめ酒宴を設け、送別をし、礼を尽くしました。

 邢皋門が去ってから、晁大舎は、邢皋門の役所に住み、代わりに仕事をし始めました。しかし、自分で考えなければなりませんでしたし、責任は負いきれるものではありませんでしたので、しばらくしますと、乱れた麻のような有様になってしまいました。彼は、張三の訴状を、李四の上申書に貼りつけたり、徒刑の条文を引くべきところで、斬罪の条文を引いたり、上司が参政の肩書きなのに、僉事と称したりしました。肩書きの脇には、小さな字で、「何日に二級降格されたのか」と書かれていました。一人の上司が父親を亡くしますと、炊臼の変[24]にあわれたそうでと手紙を出しました。上司は、手紙を返し、言いました。

「私の積み重ねた罪が、述べ尽くせぬほど多いため、父に災いが及んでしまいました。妻はさいわい健康で、私とともに喪に服しています。お悔やみをしていただく必要はございません」

晁大舎は、手紙を見ますと、強情を張って言いました。

「このような故事があります。ある人が臼でご飯を炊く夢を見たところ、夢占いをする者は『それは父親を失うということです』[25]といいました。上司は、この故事を知らず、わたしを非難しています」

晁老人も、息子に故事を調べさせようとは思わず、上司には教養がないと言いました。晁源は、邢皋門が去って一か月足らずの間に、このようなたくさんの醜態をさらし、さらに多くのみっともないことを起こしました。

 晁夫人も、しばしば彼女の舅が彼女を引っ張って泣くのを夢に見ました。さらに、計氏が、首に赤い帯を引き摺りながら、晁源と殴りあっている夢を見ました。また、赤い袍に金の頭巾をかぶった神が、役所の中庁に座っている夢を見ました。脇にはたくさんの判官、鬼卒がおりました。晁源は下座に跪きましたが、何を言っているのかは聞き取れませんでした。晁源は下座で何度か叩頭をし、判官は帳簿にたくさんの字を書き、何度か同じことをしていました。神が去るとき、鬼卒は小さな赤い旗を、晁源の頭に挿し、さらに小さな黄色い旗を、自分の窓の前に挿しました。

 晁夫人は、救われてから、悪夢を見、寝返りをうち、心が落ち着きませんでした。それに、邢皋門は去ってしまい、晁源はとてもずる賢く、晁老人も決して正しい者を助けようとしませんでしたので、とても辛い思いをしていました。ある日、晁書を目の前に呼び、言いました。

「この城外の香岩寺は、太后さまが建てたものだから、中にはきっと高僧がいるはずだ。十両の銀子をもっていき、住職をたずね、二人の行いの正しい僧を推薦させ、一千巻の『観世音菩薩経』をあげるように頼んでおくれ。この銀子は、師傅の読経代にしよう。よみおわったら、さらにお金を送り、法事を終えることにしよう。仕事をきちんと終えたら報告をしておくれ」

 晁書は、命を受けますと、自分の家に帰り、新しい衣裳、帽子に着替え、さらに、三両の銀子を袖に入れ、役所の騾馬に乗り、下役をつき従え、香岩寺に行きました。住職の方丈に着きますと、胡旦がいいました。彼は紗の飾り紐のついた瓢帽[26]をかぶり、栗色の道袍を着、靴と清潔な靴下を履き、たくさんの花弁のある蓮の花を二つ持ち、仏前に供物を捧げていました。晁書は、胡旦が禿頭だったので、気がつきませんでした。しかし、胡旦は、晁書にはっきりと気が付きました。そして、お互いにとても驚き、やってきた事情を話しました。ちょうど住職は、誕生祝いをしにいっており、寺にはいませんでした。梁生もすぐに出てきて、きちんとした精進料理を準備し、晁書をもてなしました。そして、晁大舎に銀子を貸すように頼まれ、三十両を残そうとしたものの、晁大舎は、梁生たちがそれを持っているのを許さず、すっかり金をまきあげてしまったことを話しました。そして、次の日、晁大舎が知らせを見たことを話し、

「あの人は我々二人をすぐに追い出しました。一分の銀子も、一着の衣装も持ってくることはできませんでした。我々は、大奥さまにお別れがしたかったのに、やはり承知しませんでした。二人の下役は、我々を寺に送ると言っていましたが、石橋に着くと、一人は手洗いに行くと嘘を言い、一人は馬を呼んでくると嘘を言い、我々を橋の上においてきぼりにし、去ってしまいました。我々は、自分で寺に行くしかありませんでした。長老は私たちを引き止めてくれました。若さまは、人を遣わし、面倒をみると言っていましたが、三四日とどまっても、誰も様子を見にきてくれませんでした。私たちは手紙を書き、長老は男を役所に遣わしましたが、若さまは、手紙も受けとらず、伝桶の脇に歩いていき、ごろつきがどうのこうのと言い、罵ってやめず、さらに、手紙を送ってきた男を捕らえようとしました。そして、二人の地方を遣わし、我々二人を、すぐに追い払おうとしました。もしも我々が手元に五両の銀子をもっていれば、旅費にし、南へ帰っていましたが、一分の金もなかったため、出発することができませんでした。仕方なく実情を長老に告げますと、長老はこういいました。『おまえたち二人は、一分の旅費もなく、さらに事件の関係者だから、出ていけば、必ず捕まってしまうだろう。とりあえず頭を丸め、赦免状が出てから考えることにしよう』。ですから、私たちは、とりあえずここにいるのです。若さまがこのような狡い計略を用いたのは、まあいいのですが、大奥さまは良い方なのに、彼がこのようなことをするのを承知されたとは。それに、あなたと鳳兄さんは、私たちとは仲間なのに、少しも知らせてくれませんでした。私たちが出てきたとき、あなたがた二人は、わざと遠くに隠れていたのでしょう」

 晁書は、話を聞きますと、しばらく呆気にとられてから、言いました。

「あなた方が話して下さらなければ、大奥さまはもちろん、我々でさえ少しも気が付きませんでした。すべては、曲九州、李成名たちがしたことです。晁大舎さまは、あなたたちが発たれる前、私と晁鳳を呼びました。そして、告発状を書くから、あなた方を告発しにいけ、百両の銀子の褒美がもらえるぞといいました。我々が断りますと、あの方は、私たちに唾を吐きかけ、後ろ手を組み、しばらく行ったり来たりしていました。そのときに、この無慈悲な計略を考え付いたのでしょう。大奥さまが彼らに従って、このようなことをしたとおっしゃいましたが、大奥さまはご存じありませんでした。晁大舎さまは、外で厳しく捕縛が行われている、あなたと関わりになったら、九族を十回滅ぼされるだろうと言いました。あなた方を外に送りだそうとしますと、大奥さまは、何度も反対され、あの人を叱りました。あの人は、大奥さまには内緒で、あなた方を追い出したのです。あの日は、私たちさえそのことを知りませんでした。朝食を食べさせてから、ようやくあなた方が出ていかれたことを知りました。後に、大奥さまは、その事を知られ、腹を立て、二日間食事をとられず、大泣きし、縄で首を吊ろうとさえましたが、さいわい助けられました」

梁、胡の二人はびっくりし、

「どうして我々のために首を括ろうとされたのですか」

晁書「あなた方のためではないのです。大奥さまは、息子は命を縮めるような悪辣なことをしているから、長生きするはずがない、息子が生きている間に、正式な埋葬場所まで送ってもらえば、彼の後に死んで、他人から独り者とみなされなくてすむからいい、とおっしゃっていました。大奥さまは、あなた方の銀子、衣装がすっかり奪われたことを知りません。あなたの銀子は、全部で幾らあったのですか」

胡旦「我々二人、合わせて全部で六百三十両です。あのとき、私たちは、三十両の端数を残そうとしましたが、あの人は、私たちが残すのをゆるさず、青い布の風呂敷を使い、空色の鸞帯で縛り、李成名に担いでいかせました。我々二人の四つの鞄の中には、衣装以外に、金、真珠などの貴重品がたくさんありました。それらはほぼ七八百両の価値がありました。戻って、大旦那さま、大奥さまに、私たちのことを話されてください。あの鞄を残し、銀子を我々に返してくだされば結構です」

晁書「あなたたちのことは、大旦那さまには絶対に話しません。晁大舎さまがおならをしても、大旦那さまは、そこに金木犀が咲いているとしか思われないのです。しかし、こっそり大奥さまに話せば、大奥さまは、手を打ってくださるでしょう。この読経代は、手元におかれてください。長老さまが戻られたら、お経を早くよみおわらせましょう。よみおわったら、私がでてきて報告をしましょう」

 晁書は、精進料理を食べ終えますと、ふたたび馬に乗り、役所に報告をしました。だれも目の前にいないのを見ますと、晁書は、寺の中で、梁生、胡旦に会ったことを、最初から終わりまで、晁夫人にくわしく話しました。晁夫人は、それを聞きますと、まるで、頭から桶に入った氷水を掛けられたように感じ、さらにこう思いました。

「このような無慈悲なことは、飛天夜叉か狼、虎、人間だったら血も涙もない強盗でなければできないことだ。あの子がこのようなことをしていたとは。梁、胡の二人は、追い出されたことに腹を立て、わざとあの子の悪口を言っているのかもしれない。彼らが身一つで、鞄を持っていかなかったのは、間違いないことだ。彼らは李成名が銀子を取り扱っていたと言っているから、李成名を呼び、こっそり尋ねてみよう」

さらにこうも考えました。

「李成名は、あの子の仲間だから、事情を話そうとはしないだろう。秘密を漏らし、あの子が秘密を漏らした人を追及したら、梁、胡の二人はここにとどまることはできなくなってしまうだろうし、晁書の命も危なくなるだろう」

とてもじっとしていられませんでした。

 その日、晁源は、昼食をとっていませんでした。そして、体の調子が良くないと言い、床で眠っていました。晁夫人は、気持ちが塞ぎ、彼に会いに行きますと、晁源は震えていました。晁夫人は、しばらく様子を見ますと、言いました。

「衣装をもってきて、お前に被せてあげよう」

すると、あわせの布団が一枚、足元の鞄の上にありました。晁夫人は、そのあわせの布団を取ろうとしますと、青い包みがのっかっており、とても重かったので、動かすことができませんでした。包みは、空色の鸞帯で、井の字型に、しっかりと縛られていました。晁夫人は、ようやく晁書の話は本当だったのだと思いました。晁夫人は、息子が本当に晁書がいっていたようなことをしたのだと思い、彼が病気になったのを見ますと、報いがこんなに早く来たのかと考え、大慌てで、晁老人に知らせ、二人の衣装を返そうとしました。しかし、晁老人という人は、夫人の善良な言葉を、耳元の風のように考え、息子のすることには、何でも恭しく従い、少しも背くことはありませんでした。

「銀子、衣装をとっても奴らは損はしないぞ。人を遣わし、彼らを追い出したり、廠衛に告発したりすれば、わしが彼らを葬り去ったことになってしまうがな。まあいいだろう。わしはここ数年で、十分に私腹を肥やした。奴らのものなど持っていても仕方がない。彼らに借りを返し、人々から後ろ指をさされないようにすることにしよう」

翌日、晁書を遣わし、二百両の銀子を袖に入れ、香岩寺に行きますと、長老はまだ戻っていませんでした。

 晁書は、夫人の命に従い、こう言いました。

「大奥さまは何もご存じありませんでした。大奥さまは、銀子を金額通りお返ししよう、一分も少なくしたりはしないとおっしゃっていました。まず二百両を、あなたがたにお渡ししますから、お納めください。ほかの物は、私が追って運んで参ります。鞄は、機会があれば、お返ししましょう。機会がなければ、仕方ありませんが。今、晁大舎さまに催促すれば、あの人は、さらに悪い計略を考え、あなた方に害を加えることでしょう。どうか大奥さまの顔を立て、陰で晁大舎さまを呪ったりしないでください」

梁生たち二人「阿弥陀仏、何をおっしゃいます。あの人がどんなに悪辣でも、我々は、あの人を呪ったりは致しません。私たちは、大奥さまのために念仏をあげ、幸福を祈ることはあっても、あの人を呪う筋はありません」

さらに、晁書を引き止め、精進料理を食べ、役所に戻り、夫人に報告をしました。夫人は、ようやく少し愉快になりました。

 さらに、一日たちますと、住職が、ようやく都から戻ってきて、梁生、胡旦に会い

「二人ともおめでとう、恩赦をまつ必要はないぞ。わしはもう廠衛の孫さまに会い、おまえたち二人を捕らえるための批語を抑え、呼び出しを免除した。おまえたち二人が外に出ていっても、誰もおまえたちを追い掛けたりはしないだろう」

胡旦たち二人は、何度も長老に感謝し、さらに、晁夫人が『観音経』をよもうとしていたこと、晁書に会って前後の事情を告げたこと、老夫人が金額通り銀子を返したこと、まず二百両を出してきたことを、根元から枝先まで、すべて長老に話しました。

長老「不思議なこともあるものだ。あのような賢い母親が、あのような悪者を生むとはな」

たいへん感嘆しました。梁、胡の二人は、すぐに晁夫人のために位牌を立て[27]、自分の住んでいる棟の明間の小さな仏龕の脇にまつり、朝晩香を焚き、彼女の長寿と幸福を祈りました。長老も、人を呼び、綺麗に祭祀の場をととのえ、戒律を守り、生臭物や酒に手を触れない禅僧を呼び、吉日を選び、救苦救難大慈大悲の観世音菩薩のお経を唱えました。

 一二日たちますと、晁夫人は、晁書を遣わし、四つの盒子に入れた茶餅、四つの盒子にいれた点心、二斤の天池茶[28]を寺に送り、経をあげている僧をもてなしました。長老は、晁書とは初対面でしたが、慣例通りにもてなしたことはお話しいたしません。晁書は、さらに、袖から二百三十両の銀子を出し、二人の寝室に行きますと、きちんと渡しました。お経は七月一日によみおえることにしました。晁書がさらにたくさんの供物、僧へのお布施の品を運び、寺に出向いたことは、くわしくはお話し致しません。晁書は、さらに、胡旦、梁生の六百三十両の銀子をすべて返しました。晁書が去るとき、梁生、胡旦は、それぞれ鍵を二つ持ってきました、梁生の鍵には、伽南香[29]の牌が、胡旦の鍵には、二両の重さの、金の寿の字が書かれた銭が縛ってありました。

「これは我々の箱の鍵です。機会があったら、大奥さまにお渡しください。折りをみて、大奥さまに開けていただければ、我々が嘘をついていないことがお分かりになります。とりあえず、我々が銀子を受け取った証拠と致しましょう。さらに、大奥さまに『長老が廠衛の孫さまに話しをし、我々を捕縛するための批語をおさえていただきましたから、大奥さまは心配されることはありません』と報告してください」

何度も礼を言い、晁書を送って家に返しました。まさに、

人間は大海の浮草なれど、

いづれの場所でも出会ふもの。

さらに次回を御覧ください。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

中国文学

トップページ

 



[1]漢代、楚の穆生が、楚の元王から、酒を嗜まないにも関わらず宴席で必ず酒を備えられていたが、次の王の代になり、酒を備えられなくなると、待遇が良くなくなることを見越して王のもとを去ったという故事をふまえる。『漢書』楚元王伝』「初元王敬礼申公等、穆生不耆酒、元王毎置酒常為穆生設醴、及王戊即位、常設後忘設焉。穆生退曰、可以逝矣」。

[2]漢代の酷吏厳延年の母が、息子が刑死することを予知し、彼のもとを去った故事をふまえる。『漢書』厳延年伝「初延年母従東海来…到雒陽適見報囚…母大驚…謂延年、天道神明、人不可独殺。我不意当老見壮子被刑戮也。行矣。去女東帰、埽除墓地耳。遂去帰」。

[3]学校が生員に対して行う試験。生員たちがきちんと勉強をしているかを見る。

[4]増広生員のこと。生員のうち給費生である廩生につぐ者。

[5]学校が生員に対して行う試験。生員たちに郷試を受ける学力があるかどうかを見る。

[6]八股文。明清時に、科挙の答案を作成する際に用いられた一文体。八つの対偶から構成されている。

[7]清初、六部の長官をいった。

[8]漢の高祖は韓信を部下にしたとき、壇を築いて招いた。『史記』淮陰侯伝「蕭何言于上、以信為大将、於是王欲召信拝之。何曰『王素慢無礼、今拝大将、如呼小児耳。此乃臣所以去也。王必欲拝之、択良日、斎戒設壇場、具礼乃可耳』王許之」。ここでは邢皋門を韓信に譬えている。

[9]六部の尚書と左右の僕射をいうが、高官の代名詞として使われる。

[10]受験生の答案を謄写する場所。

[11]監臨官。試験場を監督する官。督撫がこれに当たる。『清国行政法汎論』巡撫「監臨郷試、毎三歳行郷試於各省、該省巡撫、為監臨官有保持試場秩序之職権」。

[12]明、清時代、郷試会試の試験官のうち、答案の閲読をするものをいう。同考官とも。試験官の最高責任者である主考官に、優秀な答案を推薦する役目を負う。なお、合格者は主考官によって決定される。『六部成語』礼部・房考・注解「即同考官也。例派十八員各居房分巻評閲、故有此称」。

[13]明、清の制度で、郷試に合格しても挙人の定員に制限があるため、挙人の資格を与えられないもの。

[14]同年に同じ。同じ年に科挙に合格した者。ここでは陸節推の父親を指す。

[15]父親と同じ年に科挙に合格した者。

[16]河南省南陽府。

[17]北京市西北郊にある香山寺のこと。

[18]北京市西北郊にある碧雲寺のこと。

[19]原文「折席」。宴会の代わりに出す金。

[20] 『詩』大雅・文王有声。

[21]先が叉状になった農具。穀物を放りあげて実と殻を分ける。

[22]雑劇『魯智深喜賞黄花峪』に登場する蔡衙内のこと。劉敬甫の妻に横恋慕するが、梁山泊の英雄たちによって斬首される悪役。

[23] 『蘇英皇后鸚鵡記』と関係があると思われるが未詳。

[24]妻の死をいう。ある人が臼でご飯を炊く夢を見たのを占ってもらったところ、妻が死んだということだと告げられたという話は、『酉陽雑俎』に見える。「江淮王生善卜、有賈客張瞻将帰、夢炊臼、問王生、王生曰『君帰不見妻矣。臼中炊、固無釜也』賈客至家、妻卒已数月」。

[25]原文「是無父也」。上の注に引いた『酉陽雑俎』の中の「無釜也」を「無父也」と読み間違えたもの。「釜」と「父」は同音。

[26]毘盧瓢帽とも。(図:『清俗紀聞』)

[27]原文「生位」。生きている人を祀るための位牌。

[28]緑茶の一種。明屠龍『考槃余事』天池「青翠芳馨、瞰之賞心、嗅亦消渇、誠可称仙品。諸山之茶尤当退舎」。士人ばれた。明許次紓『茶疏』産茶「士人皆貴天池、天池産者、飲之略多令人脹満。自余始下其品、向多非之。近来賞奇者、始信余言矣」。

[29]沈香。

inserted by FC2 system