第十一回

計氏が珍哥に憑いて話しをすること

酷吏が幽霊を見て腫物を生じること

 

人の世に鬼神はなしと言ふなかれ

昔より鬼神は人の世におはす

鬼神は中空にはをらず

体の中を動くもの

良心は鬼神とともに盛衰し

鬼神が動かば心は朽ちん

自分の心を信じなば

鬼神は来ざるも

胆がびくびくしてゐれば

おのづと醜くなる心

鬼神がきては邪魔をする

鬼神はおのが心なり

災は天の下ししものならず

善行を積めば(さいはひ)数多く

悪行を積めば災訪れん

鬼神が首打ち

手を引きたれば

ぬれぎぬはいづれの方へ訴へん

こころみに問ふ世の人に

応報を恐るるや恐れざるやと

 珍哥は、禹明吾の家で一か月以上隠れてから、家に戻り、裁判に勝ったことを知りました。計氏は、生前、周の天子の生まれ変わりのように、強い諸侯をおさえつけていました。しかし、計氏が死にますと、珍哥は女王蜂がいなくなった蜜蜂のように、家で勝手放題のことをし、下男、下女を罵り、小間使いをぶちました。彼女を売ったやり手婆あは、親戚として行き来し、人々は彼女のことを「奥さま」と呼びました。晁大舎が、ちょっとでも彼女を怒らせますと、彼女は大騒ぎをしてやめませんでしたが、それは、計氏が夫を苛めていたときのやり方の十倍、晁大舎が計氏を恐れていたときよりもさらにひどいものでした。以前、計氏と姑が、すぐ隣の娘娘廟に焼香にいこうと相談したときは、晁大舎も文句を言い、彼女を引き止める勇気がありました。しかし、今では珍哥は湖で遊ぼうと思えば、仲間とともに湖に遊びにいき、万仙山[1]で遊ぼうと思えば、集まって万仙山に行きました。十王殿に行きたいときに、晁大舎の大轎に乗っていっても、誰も阻む者はありませんでした。また、しばしばやり手婆あの家に行き来しました。

 折しも、晁家の親戚の孔挙人の家で、葬儀がありました。晁家では、計氏が亡くなっていましたので、妻が弔問にいくことはありませんでした。しかし、珍哥だけは、たくさんの真珠、蜚翠の装身具、錦、刺繍の衣装を持ちながら、それを見せびらかす機会がありませんでしたので、盛装をし、孔家に弔問をしにいこうとしました。晁大舎は、一も二もなく言われた通りにし、大きな轎を準備し、二人の小間使い、二人の下男の女房をつけました。珍哥は、きちんと装いをし、先払いとしんがりをつけ、孔家の二門に着き、轎から降りました。門番が二回太鼓を叩きますと、孔挙人の女房があたふたと迎えに出てきましたが、珍哥であることを知りますと、脚を引っ込めて、進み出ようとしませんでした。珍哥が目の前に歩いてきて、霊前にいって挨拶をしますと、孔挙人の女房は、冷淡に礼をいい、嫌々席を勧め、茶を飲みました。

孔挙人の女房「晁さんの奥さまがこられたと知らせがありましたが、私は『晁さんは後妻をとっていないのだから、晁さんの奥さまなどいるはずがない』と訝しく思いました。実はあなただったのですね。正妻になられたわけではないでしょう。ほかにきちんとした奥さんを娶られれば、晁さんの家も和気藹々としたものになったでしょうにね」

 話をしていますと、またも二回太鼓が鳴り、客が弔問にきたという報せがありました。孔挙人の女房は言いつけました。

「よく確かめておくれ。また。『晁さんの奥さま』がくると困りますからね」

孔挙人の女房は、そう言いながらも、飛ぶように迎えにいき、客がお悔やみを言いますと、恭しく礼を言いました。珍哥への応対とは違っていました。孔挙人の女房は、客を中に招じ入れ、茶を出しました。客は、蕭郷紳の夫人と嫁でした、着ているものは、珍哥とはずいぶん違い、従っているものも少ししかいませんでした。彼らは、珍哥に会うと、互いに何回か拝礼をし、孔挙人の女房に尋ねました。

「この方はどこのご親戚ですか。見覚えはあるのですが、すぐには思い出せませんが」

孔挙人の女房「知り合いじゃありませんか。晁さんのお妾さんですよ」

蕭夫人「あっ、綺麗になられたので、私には分かりませんでした」

蕭夫人は老成しており、孔挙人の女房のように若くて軽薄ではありませんでしたので、ふたたび珍哥に拝礼をして、いいました。

「本当におめでとうございます」

 席を譲りますと、珍哥は顔を、三月の花園のように、青くしたり、紫にしたり、緑にしたり、赤くしたりし、別れて立ち上がろうとしました。

蕭夫人「腹を立ててらっしゃるのではありませんか。どうしてすぐに帰ろうとされるのですか」

珍哥「家の仕事が忙しいので、日を改めてまたお会い致します」

孔挙人の女房は、彼女を外まで送ろうともしませんでした。しかし、蕭夫人は言いました。

「人に外まで送らせましょう」

孔挙人の女房は言いました。

「家に客がいますので、わたしはお送り致しません」

さらに、手伝いの婆さんを呼んで、言い付けました。

「晁さんの奥さんを送りにいっておくれ」

珍哥は外に出ました。

蕭夫人「以前よりも綺麗になっていたので、あの人とは気が付きませんでした。きっと正妻になったのでしょう」

孔挙人の女房「晁さんはまともではありませんね。おとなしくほかに正妻を娶り、その人を来させて、家事を切り盛りさせ、あの女には家で劇を演じさせていればいいのです。あの女を出てこさせても何にもなりませんよ。絶対にあの女の相手などできませんよ。私はいずれあの歌い女と決着をつけます。『晁さんの奥さんがこられました』という声が聞こえたので、私は晁さんがいつ後妻をとったのかと思い、慌てて外に走っていきました。しかし、会ってみるとあの女でしたので、あまり構ってやらなかったのです」

蕭夫人「大きな轎に乗り、たくさんの人を従えていたので、誰だか分かりませんでした。私たちのところに人がきたら、彼らの身分には構わず、同じように彼らをもてなすべきです。これは我が家の老人たちのためで、あの女のためではないのです」

 さて、珍哥は、神仙のように着飾り、孔家の人々にもてなされることを望んでいましたが、冷淡な態度をとられましたので、例のところを窄めて家に戻ってきました。彼女は虎のような顔を黄色くし、口を尖らせ、まるで計家の遺族のようでした。そして、髪飾りを掴んで抜き、衣裳を脱ぎますと、長く短く溜め息をついて、ぷんぷんしていました。晁大舎は理由が分かりませんでしたので、身を低くして尋ねますと、

珍哥「私は体の具合がよくなかったというのに、彼らは『どうして来た。』『どうして来た。』とうるさく訊くのをやめませんでした。妾は身分が低いですから、昔の商売をしていた方が気分がいいですわ」

ぷんぷんしながら、「豆を抱えて鍋を探」していました[2]。李成名の女房は、珍哥の顔色がよめず、晁住の女房を呼び、米を量りとり、昼飯を作るように言いました。晁住の女房は劉六、劉七が離縁した女房でしたから[3]、珍哥を刺激するようなことはしたくはありませんでした。晁住の女房は言いました。

「私にばかり指図しないで、あんたがいけばいいじゃないか」

李成名の女房は、運悪く、晁住の女房に騙され、箕と升を持ちながら、目の前に歩いていきますと、言いました。

珍ねえさん、昼ご飯を作って差し上げましょう」

珍哥は、両目を見張り、両眉を逆立て、一万句の罵りを一句にし、李成名の女房を膿にしても飽き足りないほどの剣幕で罵りました。

「臭い私娼、淫婦、尻軽女、一万人と関係を持つ売女、驢馬が何をぬかすんだい。何が『珍ねえさん』『假ねえさん』だ。呼ぶなら、『奥さま』と呼べ。呼ばないなら、おまえの汚らしい例のところを閉じて、遠ざかれ。何が『珍ねえさん』だ。泥棒女め。おまえの家に数人の珍ねえさんがいるのか。あのいまいましい私娼が生きていたときなら、そういったってかまわないが、あいつが死んだというのに、まだ珍ねえさん、珍ねえさんというとはね。奴隷さえ私を人間扱いしないのだから、他人が私を卑しめるのは当然だね。馬鹿め。あの死体をさっさと片付けておくれ。奴隷たちに私を侮辱させたって、おほかに女房を探すことはできないよ。孔家のあの口の減らない私娼はまったく腹立たしいよ。大騒ぎをしておまえの九代前の先祖まで天に昇ることができなくしてやる。おまえがほかに正妻を私の上に娶ったときはもちろん、おまえが妾を私の下に娶ったときも私は承知しない。これからは、おまえが他人に私のことを珍ねえさんと呼ばせるのは許さないよ。私はあのいまいましい私娼が母屋にとどまっているのも許さないよ。すぐに奥の廂房に移しておくれ。それから、あの白い綸子の帳を持ってきておくれ、靴布にして使うことにするから」

人に計氏の棺を移させました。

 晁大舎「とにかく落ち着いてくれ。事件はまだ終わっていないんだ。計爺さん父子は、味噌の塊が匂いを放つときのように噂を広め、巡撫、道台に告訴をするといっている。あいつらが訴状を提出するのは、俺は怖くないが、あいつらが巡撫、道台に訴状を出すことだけは怖い。あいつらがもしもおまえにひどいことをすれば、俺たちは金を使っても事を抑えることはできなくなる。包丞相[4]に処罰されるのを待つようなものだ」

珍哥「とんでもないことをおっしゃらないで下さい。私はあの私娼を打ち殺していません。あの私娼の墓をあばき、死体をひっくりかえして骨を検査し、傷があれば、あいつのために命の償いをしましょう。しかし、傷がなければ、私はあの私娼の骨を灰にして撒いてしまいましょう」

さらに、自分の口にしこたまびんたをくらわしますと、声を変えて言いました。

「卑しい淫婦め。おまえは誰の棺を移動するのだ。おまえは誰の骨を焼いて灰にして撒こうとしているのだ。悪い淫婦め。おまえの災いはすぐそこに近付いているぞ。これは自業自得というものだ。私はゆっくりまつことにするぞ。馬鹿淫婦め。おまえは私の棺を移し、わたしの骨を焼き、わたしの帳を靴布にして使おうというのか」

さらに、パンパンとびんたを食らわせますと、頬は紫色に腫れ上がってきました。

 晁住の女房「大変です。奥さまが乗り移られたのです。これは、珍哥さまの声ではなく、奥さまの声ではありませんか。みんな跪いておくれ」

珍哥「あの女は、おまえたちに珍ねえさんといわれるのを怒っているが、おまえたちはあの女を珍ねえさんと呼べばいいのだ。淫婦め、彼らに跪け。わたしのために五十回びんたをくらわすのだ。数えながらぶつがいい」

珍哥は、果たして下座に歩いていきますと、背筋を伸ばして跪き、自分で「一、二、三、四、五、六」と数えながら、自分で両頬を二十五回ぶち、両頬は、猿の尻のように、すっかり赤くなってしまいました。

 珍哥は、さらに言いました。

「淫婦めの毛を引っ張れ」

果たして、自分の髪の毛を、両手で鷲掴みにして引っ張りました。小間使い、下女たちは、地面に跪き、彼女のために叩頭して拝礼をし、ひたすら許しを請いました。

珍哥「悪い下女どもめ。『晏公老児が西洋に下る−自分の身は保てない』[5]というのに、他人のために許しを請うのか」

小間使い、下女たちは、ぽんぽんと音が響くほど叩頭して、祈りました。

「計氏さま、あなたは生きていたときは人だったのですから、人の心の中のことは、ご存じなかったかもしれません。しかし今では、亡くなって神となられたのですから、人の心の中に良心があるかないかはご存じでしょう。計氏さまがいなくなられてから、私たちはあなたのお父さまにひどいことをしてはおらず、誰も悪い心などもってはおりません」

 珍哥「女どもめ。口答えするのはやめろ。どうしてわたしの二人の下女がおまえたちの手に落ちたのだ。おまえたちは温かい麺を作り、火焼[6]をやいて食べていたのに、わたしの小間使いには薄い米の粥を与えただろう。李成名の女房が私の冠を拾い、息子がそれを球にして蹴っているとはどういうことだ。あの淫婦の考えに従い、一口のスープと飯もわたしに供えず、奴隷と主人が心を合わせていたではないか。あの淫婦の衣裳を剥げ」

珍哥は果たして上半身素っ裸になり、真っ白な体、二つの豊満な乳房を露にしました。晁大舎は、脇でそれを見ますと、びっくりして半身不随のようになってしまいました。

 珍哥はさらに言いました。

「泥棒淫婦め。おまえは恥を知る心があるのか。ズボンも剥いでしまえ」

女たちは、慌てて叩頭して祈りました。

「奥さま、このズボンだけは勘弁してください。丸裸で奥さまの前に跪いては、奥さまも見苦しいことでしょう」

晁大舎に向かって

「旦那さま、何を立っておられるのです。はやく来て奥さまに跪き、みんなで祈りましょう」

 珍哥はズボンを脱ごうとしましたが、自分で言いました。

「この淫婦がズボンを脱ぐのだけは許してやろう」

晁大舎はぴんと跪いて言いました。

「私はあの女の嘘を信じましたが、後に真実を知りましたので、何もしませんでした。ところが、あなたは我慢せず、自殺されたのです。私は、二三百両の銀子で板を買い、白い綸子で帳を作り、きちんとあなたのお葬式をだすことにIいたしました」

 珍哥「わたしはおまえが白い綸子で帳を作ったことをありがたく思うぞ。しかし、あの布を靴布にしようとするとは、実に腹立たしいことだ。おまえが家で悪いことをし、あれこれ罵るのはまだいいが、あの女は私娼などといって孔さんを罵っている。おまえはそれを聞いても、腹が立たないのか。おまえは私を殺してもまだ償いをせず、さらに銀子を使ってわたしの父と兄を殺そうとしている。あの日、裁判が行われたとき、袁さんや計会元が値日功曹[7]に頼んで守っていなければ、賄賂を貪る役人によって板子にかけられ、殴り殺されていたぞ」

晁大舎はひたすら叩頭して、言いました。

「神になられたのですから、凡人と争われても仕方ありますまい。どうか退散されてください。わたしはあなたのため二十のお経を読み、さらに二百両の銀子で槨を買い、煉瓦で墓を築き、あなたのお父さんに土地を返しましょう。もしふたたび少しでも悪い心を起こしたら、どうか私に乗り移られてください」

珍哥「私がお前に乗り移ってどうするのだ。おまえの本当の敵が、まもなく訪ねてくるから、おまえは幾らも幸運ではいられないぞ。おまえをひどい目に遭わせてやる」

晁大舎「私はあなたと夫婦で、仲が良かったこともあったのですから、私と争われないでください。あなたが草葉の陰で私を守ってくだされば、私はあなたのために焼香致します」

珍哥「はやく紙銭を焼き、酒を注ぎ、わたしの部屋に送るのだ。この男は、それほど悪い心を持っていないから、私も他人がこの男を処置するのを待つことにし、争わないことにしよう」

たくさんの紙銭を焼き、二つの瓢箪に入った酒を撒き、さらに霊柩の前にいき、香を焚き、紙を焼きました。

 それからは、一日二回、食事を供え、二度と怠ることはありませんでしたので、計氏も計老人父子を、ひどい目に遭わせようとはしませんでした。珍哥は、口を噤み、ばったり床に倒れ、まるで急病になったかのようでした。ぶった顔は温元帥[8]のようでした。彼女は、裸のまま、床に運ばれ、蒲団を掛けられ、死んだように眠りました。灯点し頃になりますと、だんだんと意識が戻りましたが、全身は一月縛られ、数千回ぶたれたように痛み、顔は腫れてひどく痛み、昼間のことは少しも覚えていませんでした。脇にいた人々からくわしく話しを聞き、鏡をもらい、明りのもとで映してみますと、自分でびっくりし、意識を取り戻したとはいえ、少しぼんやりし、体は雲に乗っているかのようでした。下男にこっそりと門を出、楊古月から一服の安神寧志定魂湯[9]を貰ってこさせ、飲みましたが、翌日もひどく心が乱れていました。

 さて、伍小川、邵次湖は、晁大舎たち男女の罰金を、期限通りに回収しました。二人の尼は、県知事の話に従い、家々を托鉢してまわりました。三両出すものもあれば、五両出すものもあるという具合に、大家の奥さまは、布施をしてやめませんでした、十両と二両五銭の割り増し金を払いましたが、二三十両が残りましたので、自分のものにし、知事に感謝しました。しかし、計都父子は、八刀の大紙を課せられ、全部で六十両の銀子がなければならず、たとえ計氏が数両の銀子を払ったとしても、すぐに出して使うことはできませんでした。そこで、晁大舎が土地を返還したらそれを売り、役所に払おうと考えました。ところが晁大舎は、

「知事は土地を返還するようにとの判決を下したが、苗も一緒に返せとはいっていない。今は、土地の大豆、黒豆が収穫されていないから、十月以内に土地を渡しても遅くはないだろう」

と、あれこれ勿体をつけました。

 伍小川ら二人は、晁大舎の請託を受けていましたので、辱め、苛めました。彼らの凶悪さは、千万言をもってしても述べ尽くすことはできませんでした。ある日、ふたたび計家にいきましたが、計都の父子はちょうど不在でしたので、伍小川は、計巴拉の女房を、役人の前に引き出し、罰を与えようとしました。乱暴をしていますと、計巴拉がやってきました。計巴拉はあれこれ頼んで、二人を鎮めました。

計巴拉「晁家は、銀子を完納したことでしょう。しかし、あの二人の尼は、銀子を完納していないはずです。私たち父子だけが金を納めていないというわけではございますまい」

伍小川は怒って、靴下から小さな紙挾みを取りだし、それを拡げ、多くの令状の中から票を取り出しますと、事件関係者と尼二人の名の下には、すべて「支払い済み」の字が書かれており、完納していないのは計都、計巴拉だけでした。伍小川は、それを計巴拉に見せますと、言いました。

「おまえたち父子だけが未払いでなければ、こんなに怒ったりはしない。完済すれば、友人でも親戚でもないがな[10]

そう言いながら、紙挾みを手にとり、靴下の中に入れました。ところが、その紙挾みは、靴下の中に入らずに、地面に落ちました。

 計巴拉は、木綿の袴の帯を解き、腹を凹まし、前に一歩進み出、木綿の袴を落とし、地面の袴を拾う振りをして、紙挾みを袖に収めました。伍小川は、偉そうな態度で、三日に銀子を完納しろ、それ以上遅れれば、必ず役所に報告し、家族を掴まえて罰を与えるぞ、と言いました。計巴拉は、伍小川を送り出しますと、紙挾みを自分の家にもっていきました。開けてみますと、中の令状は百数枚を下らず、人を捕縛するものもあれば、処置をするものもありました。さらに、拝帖があり、表には「晁源らはすべて捕えられ、今審理を受けています」と書いてあり、脇に朱筆で「金箔六十両で聖像を修理させる、即日受領」と書かれていました。

計巴拉「どうして金のことがこの帖子に書いてあるのだろう。そういえば、以前、両替屋で両替をしたとき、晁住がそこで両替をしていたが、あいつは俺が前にきたのを見ると、『戻ってきてから話をするから、おまえが両替をしていいよ』と言っていた。俺が両替屋に『晁住はここで何をしていたんだ。』と言うと、両替屋は『あの人は数両の金子をかえようと思っていたのですが、言い値が正しくないので、またこようと思っていたのです』と言った。俺が『あいつは何で金子を両替していたんだ。』と尋ねると、両替屋は『何に使うかは分かりませんが、城内で金子が必要だ、五六十両で十分だ、すぐに使わなければならないとのことでした』と言っていた。このようなことをしていたとは思わなかった。伍聖道たち二人の犬畜生は、十分俺たちを痛めつけた。今日、この官票を落としたのは、天の計らいというものだ」

さらに思いました。

「伍聖道は、邵強仁よりも、さらに凶悪だ。俺が令状を拾ったことを知り、戻ってきて取り返すことができなければ、必ず強引に捜査をしようとするだろう。あいつは捜査をしたら、俺が令状を奪ったと嘘を言うだろう。これでは、かえってまずいことになる」

辺りを見回し、寝床を持ち上げ、煉瓦を剥がし、穴を掘り、紙挾みを中に入れますと、今まで通り煉瓦を積み、寝床の脚を煉瓦の上に置き、少しも見えないようにしました。

 ちょうど隠し終わると、伍小川と邵次湖さらに二人の下役、伍小川の妻、嫁、嫁にいった二人の娘が、風に煽られた火のように走ってきました。伍小川は、計巴拉の両頬を、気絶するほどぶちますと、言いました。

「おまえは木綿の袴を拾う振りをして、俺の靴下を切り、紙挾みを取っただろう。俺に返せ」

彼の手下の女たちに命じて計巴拉の女房の体、寝室の中を、すっかり検査させました。外では計巴拉の全身を検査しましたが、影も形もありませんでした。

計巴拉「まったくおかしなことですね。令状が見つかれば、私はあなたの目の前で死ぬしかありませんが、捜し出せませんでしたね。こんなたくさんの人々を引き連れて、家の奥といわず表といわず捜索し、女の体を細かく触るなどとんでもないことですぜ」

顔を洗う銅の盆を持ってきますと、街に面した門に外から鍵を掛け、盆を叩き始めて、叫びました。

「快手伍小川が男女を引き連れ、昼間から人の家を捜索しています」

左右の隣人、遠近の人々、道行く人が大勢押し掛けますと、計巴拉は、逐一話をしました。人々は、県庁の馬快は下界におりてきた閻魔のようなものだと言い、口を固く結び、離れていきました。残った数十人弱の人が、計巴拉に門を開けさせ、中に入りますと、果たして十二三人の男女が乱暴に捜索をしていました。人々は、たくさんの人を引き連れ、家の奥といわず表といわず捜索したり、寝室に行って女の体を検査したりするのはよくないと言う勇気はなく、遠回しに伍小川たちを宥めるだけでした。

 伍小川は、表のあちこちを捜索しましたが、床を掘り返すことはできませんでした。女たちは、計巴拉の女房の股上の中、胸の前、腿の中に挟まれている布の中など、あらゆるところを触り、床の裏、席の下、箱の中、箪笥の中、梳匣[11]の中、睡鞋[12]と「陳媽媽」[13]さえひっくりかえしましたが、どこにも紙挾みはありませんでした。そこで、とても面目なくなり、恥ずかしそうに、去っていきました。

計巴拉「あんたは家にきて人を辱めた。あんたは武城の馬快で、知事さまというわけではあるまい。あんたを告訴してやるからな」

伍小川、邵次湖は、自分たちの分が悪いことは分かっていましたが、口ではなお強がりを言い、口答えをしますと、去っていきました。

計巴拉「銀子をすぐに納めなければ、あいつらは納得するまい」

 折しも景泰帝が即位し、厚恩を施され、中央、地方の各官の多くが封贈を受けたため、真珠は薬のように高くなっていました。計氏が引き渡した二本の珠箍を、骨董屋に見積もらせますと、このような品物はとても売れ行きがよかったため、みんな争って買おうとしました。陳古董は、二三十両のもうけを得ましたし、計巴拉も七十六両の銀子を手に入れました。県庁の前の馬快の部屋に行きますと、ひっそりかんとして誰もいませんでした。さらに、倉庫の入り口に行きますと、張庫吏がそこでじっと座って倉の番をしていました。計巴拉が、彼を呼び、罰金を渡したいと言いますと、

張庫吏「下役と一緒に票を持ってきてください。私は票に書かれた金額を受け取り、帳簿に記載し、あなたの票の上の名に『払い済み』の印を押します。今は下役が来ていませんから、お金を受け取ることはできますが、預かり証は出せませんよ」

計巴拉が別れを告げて外に出ますと、その県庁の中もひっそりとしていました。礼房の入り口を通りますと、一人の男が黄色い表紙に書いた公文書をもち、もう片方の手には鍵を持ち、門を開けていました。実は、その男は、計巴拉のいとこの方前山で、礼房の書吏をしていました。彼は計巴拉を房に連れていき、腰掛けさせますと、何をしにきたのかと尋ねました。

 計巴拉「銀子をもって紙代を納めにきたんだよ」

方前山「納めたのではないのですか」

計巴拉「庫吏は下役がいないので、受け取らなかったんだ」

方前山「とりあえず数日待ち、様子をみて納めにこられればいいでしょう。今、知事さまは背中に出来物ができ、病状がとても重いのです。昨日、魯家に行き、外科の名医の晏という人を呼んできましたが、彼は診察をしますと、『天が罪業に報いた瘡』だ、心から祈祷をしない限り、投薬をしても役に立たない、と言い、引き止めたのに、行ってしまいました。外科は、こっそり言いました。『この出来物は、消すことはできず、十日で心肝五臓を腐らせてしまうでしょう』。私は、先ほど、城隍廟にいき、崔道官に願文を書かせ、役所の中に送り、七昼夜『保安祈命』をすることにしました」

計巴拉「少しも知らなかった、いつから病気になったんだ」

方前山「お聞きになっていなかったわけではありますまい。知事さまは、あなた方を審問した裁判の日から、不調を感じ始め、三四日出勤されましたが、四五日前から倒れて動けなくなってしまいました。審問が行われた日、私は、あなたとお父さまが、少なくとも二十五回板子でぶたれると思いました。ところが、知事さまは簽を手に取ったものの、あなたのお父さんが口答えをされても、手をおさめてぶたなかったので、人々はとても訝しく思いました。実は、知事さまが手で簽をとろうとしたとき、赤い袍を着、長い髭をはやした男が、知事さまの手を押さえたのです。そして、知事さまが役所に行くと、赤い袍を着た神さまは、しばしば現れました。豚、羊を供えますと、去りましたが、去るときに知事さまの背中をぶちました。知事さまは、口が苦く、体が熱くなり、背中に、お碗ほどの大きさの腫れができました。その神は、二尺の長い髭があり、左の額の隅に黒子があったということです。これは、下男たちがこっそり知らせてきたことで、内部では人に隠し、外に漏らさないのです」

 計巴拉「それならば、その神は、きっと俺の祖父さんだ。祖父さんは、三つの美しい二尺の髭があり、飄然として神仙のようで、左の額には、銅銭ほどの大きさの黒子があった。だが、祖父さんがどうして現れたのかは分からない。おまえは、あの日、知事が俺たちをぶとうとしたことが、どうして分かったんだい」

方前山「分からないわけがないでしょう。あの日、私が、役所の伝桶[14]のところで、原稿が送られてくるのを待っていますと、一人の執事が、伝桶の脇で、外に顔を出しました。私を誰と勘違いしたのかは分かりませんでしたが、私が前にいきますと、帖子を渡しました。それは、伍小川、邵次湖の上申書で、『晁源ら犯人はすべて揃い、今、審問を受けています』と書かれていました。このような上申書が送られてくるときは、必ず含みがあるものです。私が文書を受け取って、日に照らして見てみますと、朱で書かれた批語の下に、『五百』の字があり、脇には朱筆で、『さらに金箔六十両で聖像を修理すること』と書かれていました。これは、五百両の銀子が少ないのを嫌い、さらに六十両の純金を付け足させるということなのです。晁家がその半日のうちに、城内の金子をすべて買い、大騒ぎしたことはみんなが知っていますよ」

計巴拉「その帖子はどのようなものだったんだ」

方前山「私が出てくると、伍小川に出食わしましたので、奴に渡しました。奴は、晁大舎から手厚い賄賂を受けていましたので、あなた方をぶつといいました。晁大舎は、あの日、p隷にも、たくさんの金を送り、厳重に刑を加えるように頼みました。計さまが守ってくださらなければ、あなた方は殺されるか、皮を剥がれていたことでしょう」

計巴拉「方さん、そのように詳しいことを知っていたのに、どうして俺に知らせを漏らしてくれなかったんだい。準備をすれば、俺たち兄弟も損はしなかったのに」

方前山「計さん、あなたは何も知らなかったとおっしゃっています。あなたは私といういとこがあることも、私が礼房であることも知りませんでした。先ほど私があなたに声を掛けなければ、あなたは私といういとこがいることも知らなかったでしょう。私はあなたを訪ねて報せることはできませんよ」

計巴拉は尋ねました。

「伍小川、邵次湖が、三四日前に、俺の家にきて、乱暴をしたが、どういう理由なのか知らないか」

方前山「あの伍小川、邵次湖は、まだ外を出歩いているのですか。権力者に靡く馬快どもは、今はおとなしく身を隠していますよ。多くの敵が奴らに報復をしようとしていることでしょうからね」

 二人が賑やかに話していますと、役所に、二三枚の、署名のない令状が張り出されました。一つは、工房に、板屋へ行って極上の杉の板を買うことを命じるもの、もう一つは、手織りの白布二百匹、白い梭布二百匹を買うことを命じるもの、もう一つは、白の綸子十匹を買うことを命じるものでした。さらに、礼房にはやく願文を送ってみせるように、明朝法事を行い、初めの日は、知事の親族が法事をとりしきって行香[15]し、二日目は郷紳、挙人、貢生、三日目は学校中の先生、生員、四日目は六房の書吏、五日目はp隷、快手と一切の下役、六日目は城中の各商人、七日目は富裕な人民たちでした。七日の人民たちは二三千人を下らず、捕縛を代行している倉官が[16]、ご丁寧にも、捕衙のp隷、快手を全員遣わし、牌を担ぎ、票を持ち、出てこない者はぶちにいきましたので、ある者は三分、ある者は五分出し、数十両の銀子が集まりました。倉官とp快は、金を分け合い、残りの五六両を道士たちに与え、その日のお布施にしました。

 計巴拉は、家に行き、計老人に、逐一報告をしましたので、計老人は、詳しい事情を知りました。計老人は、計巴拉とともにすぐに紙銭を買い、あつものと飯を買い、彼の父親の計会元がかげで守ってくれたことに、叩頭して感謝しました。伍小川、邵次湖も、それからは二度と乱暴をしにくることはなくなりました。後に、六七十両の紙代は、礼房のいとこのおかげで、無駄になることはありませんでした。

 二三日たちますと、果たして役所から報せがありました。武城県の、善良かつ最も清廉、公正な知事さまは、晏外科がいっていた通り、出来物が鉢ぐらいの大きさ、半尺の深さにまで腫れ、心肝五臓がすべて流れ出てしまったということでした。検死官は内臓を収めようにも収めきれず、羊の皮を剥ぎ、そのまま傷口に貼り、あちこちの皮や肉を丁寧に縫い、何とか棺に入れました。五七を過ぎますと、追善法要を行い、勘合を作り、家族は棺を守って故郷に帰りました。知事の原籍は、直隷薊州でしたが、永安府に行きますと、ちょうど也先(エセン)が正統帝を連行して侵入するのに出食わしてしまい、すべての騾馬、驢馬に積んだ荷物、車が運び、人が担いでいたたくさんの貴重品をひたすら[17]奪い、少しも品物を残しませんでした。さいわい、人々は、すぐに隠れたため、みんな助かり、一人も傷を負いませんでした。また、有り難いことに盧龍[18]の知県は、彼の同郷人でしたので、霊柩を仮埋葬し、家族一人一人を、城下から救い出し、役所に送って住まわせ、也先(エセン)が関所を出ますと、荷物を買い、薊州に帰らせました。まさに、

悪人はおのづと酷き目に遭ひて

こそ泥は大泥棒に物を取られん

天上の計らひは人に勝れり、

人生万事塞翁が馬。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]万仙山。未詳。

[2] 「八つ当たりの相手を探していました」の意。

[3]原文「那晁住娘子是劉六、劉七里革出来的婆娘」。劉六、劉七、斉彦明ともに明代中期の反乱指導者。山東方面で活動した。この句、晁住の女房が盗賊の妻のようにろくでもないということか。『明史』張俊伝「明年三月、劉六、劉七、齊彦名、龐文宣等敗奔登、萊海套」。

[4] 第八回の注参照。

[5]原文「晏公老児下西洋−己身難保」。晏公が誰を指すのかは未詳。

[6]北京の餡餅のこと。小麦の皮に、韮、白菜などを細切れにした餡を詰め、油でお好み焼き状に焼いたもの。

[7]功曹は道教の神の一つ。値年、値月、値日、値時功曹があり、これを四値功曹ともいう。

[8]天界の護法神の一つ。温瓊元帥。顔が黒い。

[9]気付け薬なのだろうが未詳。

[10]原文「完了事、難道就不是朋友、親戚了」。「お前たちとは何の関わりも持たないがな」の意。

[11]髪結い道具を入れる小箱。

[12]就寝の時に用いる靴。底が柔らかく作ってある。顧張思『土風録』巻三「閨閣中臨寝着軟底鞋、曰睡鞋」。

[13]屎瓶。

[14]役所の訴訟受付窓口。

[15]毎月一日、十五日に廟に参拝すること。

[16]倉庫の管理官。

[17]原文「惟精惟一」。出典は『書経』大禹謨。

[18]直隷の県名。

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