第十回

金を頼りにして監生が賄賂をおくること

威張り散らして県知事が賄賂をうけること

 

官には三つの美徳あり

第一の美徳は清廉なることぞ

四知[1]を慎み守るなら

初めて君子なりといふべし

法を枉げ賄賂を受けて

恥を弁へぬことをせり

人の謗りを顧みず

天理をなみする行ひす

正しき議論を引き倒し

口論し、事物を損ふ

人を侮るやうならば

読書人とはいへはせず

着ているものとかぶりもの

書香は糞の匂ひに変ず

人民の怨みは骨身に染みとほり

神霊の怒りは心頭に達せん

悪行が満ちたれば

死ぬるは必定

民を侮り

悪しきこと、し放題

武器の力で人を抑へて乱暴し

窃盗と詐欺をする

権勢と財産を頼りにし

我儘、邪悪、傲慢で

すべての悪がみな揃ひ

すべての罪を備へたり

愛妾はのさばりて

妻を追ひ詰め首吊らす

法に触れ

裏工作

役所に賄賂を送りこみ

役人に不正をなさしむ

粗くはあらず、天の網

下役はよく記録せり

明らかな報いがあらば

人々は痛快な気持ちとならん

 さて、計家には、計三がおりました。彼は、財をむさぼり、悪いことをする小人で、計老人の祖父の世代にあたりました。計家一族の人々は、彼を憎んでいましたが、彼を恐れてもいました。晁大舎は、計老人が告訴をし、訴状が受理されたのをみますと、計三をつかって争いをしずめようと思いました。その日、明りをつけてから、晁大舎は、二十両の銀子を包み、晁住の袖に入れ、計三の家に行かせ、彼に和解をおこなってほしい、計老人にも百両の銀子を渡し、昔の嫁入り道具の代金とし、それ以外に、計巴拉に二十両を与え、嫁入り道具につけた土地と、晁老人が売った二十畝をすべてうけもどして返還しよう、と言いました。ところが、計三は、このときはとても気概があり、こう言いました。

「和解したければ、自分で計老人にいってくれ。わしは銀子を見れば、血を見た青蠅のようになるが、孫の世代の娘を裏切って得た金を使うわけにはいかん。わしは悪人は怖くないが、非業の死をとげた幽霊は怖いのでな」

少し話しをしますと、悠然と中に入ってゆきました。

 晁住は、戻って報告をしました。晁大舎は、事が収まらないのをみますと、父母をだますことはできないと思い、李成名を遣わし、昼夜兼行で通州にゆかせ、晁老人に、朝に手紙を送り、救ってもらいたい、裁判に負ければ、格好が悪いことになる、と報告しました。そして、招待状をおくり、きちんとした酒席を設け、二人の下役を呼び、酒をのませ、それぞれに四十両の銀子をおくりました。馬に乗ってついてきた小者には、それぞれ一両を与え、二人の付き人には、それぞれ五両を与えました。買収された人々は、晁大舎と同じ考えになり、とりあえず訴状の提出はしないことを約束しましたので、あとは通州からの手紙がくるのを待つばかりでした。

 七月二日になりますと、晁老人は手紙を書き、晁鳳にたくさんの銀子をもたせ、李成名とともに戻ってきて、賄賂を贈りました。翌朝、県庁にゆき、陰陽師を訪ねました。その陰陽師は、人命事件でとりなしをしてもらいたいという手紙であることを知りますと、わざと文句をつけ、六両もの銀子を要求し、彼のために手紙を届けてやりました。県知事は、手紙を開いてみてみますと、雷のように激怒し、手紙をおくった陰陽師を中に入れ、十五回、厳しく棒打ちにしました。さらに、派遣された下役をよびました。伍小川、邵次湖は、よい知らせではないと思いましたので、自分ではゆこうとせず、二人の下役に報告をさせました。県知事は有無をいわせず、すぐに夾棍にかけようとし、こういいました。

「人命事件は重大なことなのに、令状を出して二十日もたつのに、人を捕らえようとせず、凶悪犯にあれこれ工作させるとはな。奴らからどれだけもらって、小細工をしたのだ」

二人の下役は、頑強に口答えし、嘘を言いました。

「晁監生は、計都父子が一族の人を集めてやってきたので、ぶたれて重傷を負い、今でも床から起き上がることができません。それに、告訴をした女も、多くは偽名で、証人の禹承先も、屯院に勤務しにいってしまいましたので、文書を提出するのが遅れたのです。賄賂を受け、手を緩めているなど、とんでもございません」

知事「とりあえずこの二人を夾棍にかけるのは許そう。明日までに文書を提出させ、審判を受けさせるようにしよう。故意に命令にそむけば、ぶち殺すからな」

まさに

手を放すべきときに手を放し

許すべきとき人を許せり

 伍小川ら二人は、飛ぶように晁大舎に会いにきました。晁大舎は、すでに陰陽師がぶたれ、さらに派遣されてきた下役がぶたれそうになっていることを知っていました。どうしたらよいか分からないでいますと、ちょうど二人の腹心の下役がきていいました。

「晁さん、話しをきかれましたか。あなたから数両の銀子を頂き、一生懸命やっていました。しかし、先ほど、さんざん夾棍に掛けられ、あの銀子を使った人も逃げてしまいました。はやく手だてを講じてください、そうしなければ、敗訴してしまいますよ」

晁大舎「人が首を吊って死に、納棺してしまったのだから、重要な事実は何も明らかにはならないだろう。それに、現職の役人の家に、少しも手心を加えてくれないということはあるまい」

邵次湖「もちろん面子はたててくれますよ。そうでなければ、先ほど、あの陰陽師は、たっぷり十五回の棒打ちになっていましたよ」

晁大舎「そうか、しかしどうしたものだろう」

伍小川「われわれ二人がいれば、あの人はいかなるものでも受け取ります」

晁大舎「大体どのくらい必要だろう」

伍小川「千両はかかりませんが、少なければあの人を掴まえることはできません」

相談し、上下の役所に送る費用について話しますと、全部で七百両ということでした。二人の下役は去ってゆき、晩に報告をすることを約束しました。二人は一緒に伍小川の家にゆき、紙にこう書きました。

快手伍聖道、邵強仁が、叩頭して知事さまにご報告申し上げます。監生晁源らの犯人は、すべて捕らえられ、現在、審理を受けております。

上に七月と書き、下には日付を書き、真ん中の朱書きをする場所に、小さく「五百」の二字を書きました。これは、武城県が賄賂を贈るときの暗号でした。役人は、賄賂を受け入れるときは、「五百」の二字の上に、朱筆で日付を書き、送付するのでした。賄賂を贈る人は、巧妙な方法を使い、人も幽霊も気付かぬうちに、内部に金を渡すのでした。一方、役人は、少ないのが嫌な場合は、紙を捨ててしまうのでした。そして、仲介をする者は、その意向を理解しますと、あらためて幾ら送るかを考えるのでした。

 その日、二人の下男は帖子を出し、その五百の上に日付をつけ、横に一行の赤い字を書きました。

すみやかに葉金六十両を用意しろ。聖像を修理するのに用いる。即日金を送るように。

二人は、晁大舎にそれを見せ、晁大舎は承諾し、人をあちこちの質屋、両替商に遣わし、手分けして、純度が高い金銀を探し、一分も欠かすことなく、二人に渡しました。二百両の銀子を使い、送付をした執事に五十両、二人の下役にはそれぞれ十両、さらに馬に乗ってついてきた二人の者には、それぞれ一両与えました。そのほか、二人の下役にも、均等に金を与えました。

 翌朝、犯人たちを拘束し、すぐに投文牌を出しました。まず犯人晁源らがやってきました。彼らは二回棒で打たれ、県庁にゆき、待機していました。晁大舎は、さらに一二十吊の銅銭をもち、伍小川ら二人に、上下の役所に送る金を託しました。計家は原告でしたので、つかった金額は多くありませんでした。しかし、晁大舎は、内外に金をばらまいていましたので、役所の人々は、彼を犯人扱いせず、あたかも郷紳が県知事に会いにゆくときのように、寅賓館に招じ入れ、高い背もたれのついた椅子に座らせ、小者が扇であおぎ、たくさんの下男に前後を守らせました。二人下役は、女たちを、寅賓館、請益堂に招じ入れ、裏の亭に腰掛けさせました。招房[2]はたえず行き来して西瓜をだし、刑房[3]が菓子をだし、寅賓館の見張りの老人は茶を運び、まことに応対に暇がありませんでした。

 しばらく待機しますと、県知事が出勤しました。門番が出勤をつげる太鼓をたたき、儀門をあけました。晁源らは、二門で、投文牌に向かって跪いていました。牌の一番最初には、禹承先の名が書かれていました。下役は、跪いて報告しました。

「彼は屯院の書吏ですが、仕事にいっております」

さらに高氏を呼びました。高氏は、

野菜[4]の髪を振り乱し

冬瓜に似た顔の皺

夏布の青裙を穿き

着くるは手織りの青上着

首帕は髪の毛を覆ひ

靴下は籠半分の脚を隠せり

荒々しく月台に跪き

よく通る声で説くのは天の(みち)

欲深き県知事が利に目をくらまされずんば

悪監生の犯しし罪を悟るべし

県知事「高氏、本当のことを言うのだ。もしも一方に味方するなら、わしは容赦なく拶子に掛けるぞ」

高氏「この知事さまは、本当に馬鹿な方ですね。私は由緒正しい家の女なのに、何で私を拶子に掛けられるのですか」

知事「役人は、拶子に掛けたい者を拶子に掛けるのだ。おまえに由緒があろうがなかろうが関係ない」

高氏「そんなこともないでしょう、八人の金剛でも『礼』の一字は動かせませんよ」

知事「それはそうだ。おまえが本当のことを言えば、拶子にかけたりはしないぞ。計氏はどのように首を吊ったのだ。言うのだ」

高氏「それは存じません。彼女がわめいたので、私が宥めたことはありますが」

知事「わめいていたことをくわしく話せ」

高氏「わたしは、晁家と向かいに住んでおります。あの方は郷紳ですので、誰もあの方とつきあいはありませんでした。また、昔から、あの方の家にいったこともありませんでした。しかし、前年の十一月、計氏があの方の家の表門にきて、晁大舎が狩りにゆくのをみていたので、彼女を見たことがあるのです。彼女は街の幾人かの女たちと、しばらく話しをし、やがてみんなは去ってゆきました。昨日の六月六日、わたしは家でズボンを履き、手に幾つかの繭をもちながら、街でわいわいがやがやとわめいているのを聞きました。わたしは、子供たちに、どうしたのだと聞きました。子供たちはいいました。『向かいの晁さまの奥さんが家で喧嘩し、表門にきてわめいているのです。わいわいがやがやしているのは、道を歩いて立って見ている人々です』。わたしは、本当に恥ずかしいことだと思いました。このような郷紳の家の若い嫁が、人に笑われるのを考えないなど、とんでもないことです。心の中で、出ていってみようとしましたが、手を使っていましたので、出てゆくことができませんでした。しばらく待ちますと、隣の禹明吾が、私の家にきて言いました。『向かいの晁さんの家で喧嘩だ。奥さんが通りに走ってゆき、わめいていて、みっともない。われわれ男たちは、進みでてなだめることはできないから、高さん、あんたがなだめにいってくれ。ほかの人ではなだめることはできないよ』」

 高氏は、ここまで話しますと、急にこう言いました。

「夏布のズボンで、長話をしますと、膝が辛くなりますから、立って話しをいたしましょう」

知事「まあいいだろう、立ち上がり、脇に立って話せ」

高氏は続けていいました。

「わたしは見物にゆきたいと思っていましたが、両手で仕事をしていました。私は声を挙げ、スカートを手にとり、穿きながら外へ走ってゆきました。街に集まっていた人々は、まるで封印のようで、通り抜けることができませんでした。手で押したり突いたりながら、彼の家にゆきますと、計氏が表門にいて、手に刀をもち、馬鹿、淫婦と刺し違えようとしていました」

知事「彼女は誰のことを馬鹿、淫婦と罵っていたのだ」

高氏「馬鹿とは晁さまで、淫婦は小珍哥です」

知事「小珍哥とはどのような者だ」

高氏「晁さまが娶られた歌い女です」

知事「どこで歌をうたっていたのだ」

高氏「知事さま、また仰るのですか。あなたは彼女と酒を飲んだことがありませんか。彼女が劇を演じるのを御覧になったことがないのですか」

知事「馬鹿なことをいうな。もう一度いうのだ。彼女は罵っていたとき、どんな様子だったのだ」

高氏「わたしは前にゆきますと、こういいました。『晁の奥さん、女というものは一段高く構えなければ、いうことに説得力がなく、夫を従わせることはできませんよ。街に走りでるなど、女のすることですか。はやく中に入ってください。話しがあるなら家でしましょう』。彼女は私にむかって訴えようとしました。私はいいました。『ここでお話を聞くことはできません。あなたの家で話しをしてください』。彼女はさらにいいました。『淫婦に唆され、私を離婚しようとするなんてどういうことでしょう』。私は彼女にいいました。『はやく中に入りましょう。この通りで大騒ぎをしても、離婚することはできるのですよ』。そして、彼女を押しながら中に入りました」

知事「そのとき小珍哥はどこにいたのだ」

高氏「計氏が猛り狂っていましたので、小珍哥はおろか、小假哥だって隠れてしまっていましたよ[5]

知事「そのとき晁源はどこにいたのだ」

高氏「晁さまは門番に『女房を抑えてくれ。通りへゆかせてはいかんぞ』と仰いましたが、ほかには何もいわれませんでした」

知事「それならば、計氏が表門で罵ったとき、晁源は門の後ろに隠れ、珍哥も姿を見せず、彼女を恐れていたというわけだな。ほかにどんな不満があって、首を吊ったのだ」

高氏「あなたは馬鹿な方ですね。誰かがあなたのことを貪欲で、残酷だと嘘をいったら、あなたは腹を立るでしょう。あなたが腹を立てれば、あなたの悪口をいった人があなたと顔を合わせようとするわけがないでしょう」

知事は笑いますと

「馬鹿なことをいうな。お前は、あの女と一緒に、中に入ったのだろう」

高氏「私はあの人を中に入れました。私は、そのとき初めてあの人の家にゆきました。あの人は私を座らせました。私はこういいました。『どんな不平があるのか、私にくわしく話し、お怒りを鎮められてください』。あの人は、一人は、髪のある尼で海会という、もともとは彼女の親戚の家の小間使いで、後に出家したのだといいました。もう一人は、景州からきた尼で、姓を郭といい、朝に彼女の家にきて、昼までいて、珍哥の家の入り口を通ったのだといいました」

知事「珍哥は、計氏と一緒に住んでいたのではないのか」

高氏「そのようなことはございません、一つの飼い葉桶に二頭の雄驢馬を繋げますか。珍哥は表に住み、計氏は裏の屋敷に住んでいたのです」

知事「晁源は誰と住んでいたのだ」

高氏「両方に泊まればよかったのですが、あの方はまったく裏にはゆかず、表で珍哥と過ごしていたのです」

知事「珍哥の家の入り口を通ったときは、どんな様子だったか話してくれ」

高氏は続けて言いました。

「珍哥はそれを見ますと、大騒ぎをしました。海会のことを道士、郭姑子のことを和尚といい、晁さまの奥さんが真っ昼間に、人目をはばからず間男をしているなどと、でたらめを言うのをやめませんでした。晁さまがしっかりとした考えをもっていれば、聞こうとしなかったでしょう。しかし、あの方はそれを聞くや否や、すぐに腹を立て、彼女の父親と兄を呼び、彼女を離縁しようとしました。一人娘について、ほかのことででたらめをいうならともかく、間男をしたなどというのは大変なことですから、腹が立って当たり前です」

知事「道士、和尚が尼に変装していたということも、ありうるだろう」

高氏「知事さま、とんでもないことを仰らないでください。あの有髪の尼は、もともと劉遊撃の家の小間使いで、名を小青梅といいました。景州からきた郭姑子は、この城内では大きな家にも小さな家にも、どこにでもいっています。彼女はわたしたちの家にもきたことがございます」

知事「彼はわしの家にきたことはないぞ」

さらに尋ねました。

「計氏は一体いつ首を吊ったのだ」

高氏「私はあの方を宥めましたが、あの方がどのように首を吊ったかは存じません」

知事「計氏は、お前に自殺したいといったことはなかったのか」

高氏「いいませんでした。ただ、晁大舎、珍哥と刺し違えたいといっていました」

 知事「分かった。向こうへゆくがよい」

すぐに人々を出てこさせ、叫びました。

「海会」

さらに郭姑子をよび、尋ねました。

「おまえはどこの者だ」

「景州のものです」

「ここに何をしにきたのだ」

「景州の高尚書の奥さまが、蒋皇親の蒋奥さまの家で夏をすごすようにという手紙をくださったのです。秋になったら泰山にゆき、お参りをしようと思っていました」

知事「おまえは太っているくせに、どうして胸に乳房がないのだ」

郭姑子が、手で衫の中から胸当てを下に引きますと、急に音がし、盆のように大きな乳房が、衫の上に高々と飛び出しました。海会も胸当てを解き、乳房を露にして知事に見せようとしました。

知事「その必要はない。青梅のことは、わしはかねてから聞いている。郭姑子、おまえは蒋太太のもとに身を寄せたのだから、おまえは蒋家にじっとしていればよかったのに、よその人の家にゆき、厄介事を起こした。この二人は、それぞれ一回拶に掛け、百回ぶてばよいだろう。わしは、とりあえずお前を許し、お前を罪に問うのはやめ、それぞれ罰穀二十石とする」

二人の尼「私たちは、托鉢をしても腹を満たすことができませんのに、二十石を手に入れることなど、できるはずがございません。骨を削っても、二十石を納めることはできません」

知事「馬鹿者め。おまえをずいぶん大目にみてやったのだぞ。事情を話し、家々を托鉢して回れば、どれだけ稼げるかわからんぞ」

ことわざに「神さまに力がなくても、話しには力がある」と申しますが、二人の尼は結局承諾しました。

 知事はさらに叫びました。

「晁源、おまえは役人の子弟で、国子監生のくせに、おとなしく過ごそうとせず、娼婦を娶り、正妻を縊死させるとはけしからん。くわしく追及が行われれば、おまえたち二人は命の償いをしなければならなくなるぞ」

晁源「わたくしの妻は、この県の城内では、もっとも不従順な女でした。彼女の父兄も善良ではなく、毎日彼女をけしかけました。わたしはあの女を虐待したりはしておりません」

知事「おまえが娼婦を娶ったとき、計氏はおまえの邪魔をしなかった。彼女が不従順なはずがあるまい。おまえたち二人のいうことをきいてみると、どちらもしていたことに欠点がある。おまえを除名することを許し、罰金百両で、孔子廟を修理させることにする。珍哥は、出廷を免除し、罰金三十両で、救済することにする」

 さらに、小梅紅、小杏花、小花青、小桃紅、小夏景と趙氏、楊氏を呼びますと、尋ねました。

「この二人の女は、晁源の何なのだ」

趙氏「私たち二人は執事の妻です」

知事「おまえたち七人は許すことはできん。おまえたちはどこにいたのだ。女主人が縊死したのに、救わなかったのか。七つの拶子をもってきて、一斉に仕置きしろ」

p隷は叫びますと、七つの拶子を上座にもってきて、乱暴に小間使いたちの手を引っ張り、拶子にかけました。七人の女たちはおびえ、幽霊か狼のように叫びました。

知事「とりあえずすべてを許し、罰金五両で、救済することにする」

 さらに、計都、計巴拉を呼びました。

知事「おまえたち二人は、まったく憎らしい奴だ。娘が人の家にいたのに、彼女をきちんと教育せず、唆して大騒ぎさせるとは、どういうことだ。よその家で妾や娼婦を娶るのは、よくあることだ。正妻が刀をもち、通りの真ん中で大騒ぎすることはない。おまえが、娘に人を脅し、物を盗み、おまえたちに与えるように唆したことは明らかだ。娘が死んだ場合は、おまえは、これさいわいと、財産をだましとろうとしたのだろう」

そういいながら、簽筒から簽をとろうとしました。

計老人「本当のことをお調べになるべきです。晁源のいうことだけをきき、大勢の人の意見を聞かないということはありますまい。晁源の家は郷紳です。私は不才ではありますが、やはり郷紳の息子で、城内の大小の郷紳は、すべて私の親戚です。一人の娘が、よその家に嫁にゆくときは、彼女が夫に寄り添い、舅、姑に喜ばれ、夫妻が仲良くし、永久に楽しく暮らすことだけを望み、不従順なるようにと唆したりはしていません。妾や娼婦を娶ることがないとはいっておりません。しかし、上下の身分、正妻、妾の区別はあります。大小を取り違え、冠と履き物を逆に履くことはありますまい。あの妾は、分にすぎた真珠や錦を纏い、贅沢な食事をしていました。正妻は、寂しい部屋にとじこめられ、衣服も食事も与えられず、正月だというのに、饅頭の皮すら与えられず、死人同然の扱いを受けていました。しかし、彼らは、それでも手を緩めようとせず、どうしても娘をなきものにしようとし、あの娼婦のでたらめをきき、和尚、道士と密通したといいました。間男をしたといわれては、女は我慢できるものではありません。ここに二人の尼がおりますが、知事さま、彼女たちを検分されてください。和尚、道士であれば、娘を処罰するべきですが、死んでいますから、わたしを処罰してください。わたしは死んでもかまいません。しかし、検分の結果、和尚、道士でなければ、娼婦が舌先三寸で人を殺したことになります。これは謀殺をしたも同じことです。知事さまはあの女を、訴訟の場にもよばれませんでしたが、あの女は良家の婦女ではないのですから、体面を失うわけでもございますまい」

知事「おまえは、寂しい部屋に閉じ込められたというが、何の証拠があるのだ。彼女に衣食を与えなかったというが、おまえの娘は、ここ数年どのように過ごしていたのだ」

計老人「彼は六千両の銀子で、新しく姫尚書の邸宅を買いました。そこには八つの棟があり、彼は娼婦と第二の棟に住みました。計氏は二人の小間使い、一人の老婆とともに、第七の棟に住んでいました。そこには二つの空き部屋があるばかり、もしも井戸がなければ、水も飲むことができなかったでしょう。計氏が嫁にゆくとき、私がつけてやったささやかな持参金は、六百数両を下りませんでした。彼女は母親がありませんでしたので、さらに一頃の土地を加えました。ここ数年、計氏が着ていたのは、持参した衣装、食べていたのは、この一頃の土地からとれたものでした。さらに、晁郷紳が上京し、廷試を受けるとき、二十畝を売りました」

知事「乞食がでたらめばかりいいおって」

計老人はいいました。

「知事さま、目の前のことばかりみないでください。わたしは富貴だったのが貧乏に、彼は、貧乏だったのが富貴になったのです。わたしは乞食ではありません」

 高四嫂は、東の離れたところに立っていましたが、進みでますと、言いました。

「この人が話しているのは本当のことです。この人は貧しくなったとはいえ、家柄はいいのです。わが城内の人々は、誰でも計会元のことをしっています」

知事「憎たらしい奴め。追い出せ。追い出せ」

p隷は板子をもち、外においだそうとしました。

高氏「出てゆけばいいのでしょう。腹が立って、誰もここにいたいとは思いませんよ。あなたは逮捕状を出して私を呼んだのに、私を追い出すのですね。殺されておしまいなさい。首を切られておしまいなさい」

低い声でぶつぶついい、歩きながら罵って出てゆきました。

 知事はさらに続けて言いました。

「計都、計巴拉は、ぶつことと罪に問うことを免じ、それぞれ大紙四刀[6]の罰とする」

 皆さん、お聞きください。大紙とは何でしょうか。それは、赤い模様のついた毛辺紙[7]のことなのです。しかし、罰紙とはいうものの、実は罰金のことなのです。これは習慣になっているのですが、紙一刀とは罰金六両のことなのでした。計老人、計巴拉父子二人は、六八四十八、全部で四十八両の銀子を納めなければならず、庫役人は二割五分の賄賂をとりますから、さらに十両以上加えなければならないのでした。しかし、計老人は落ち着いて、言いました。

「その罰紙は誰が納めるのでしょうか」

知事「おまえが自分で納めるのだ」

計老人「この八刀の紙は、六十両の銀では買うことはできません。肉を削られても、たぶん六十両の重さはないでしょう[8]。あの二人の尼は人の家に托鉢をしにゆくことができますが、私は托鉢をしにゆくことはできません」

知事は眉をしかめて、言いました。

「晁源を呼べ。彼の一頃の土地は、もともとこの男の娘の持参したものだ。この男の娘が死んだのだから、土地は返すべきだ。土地を売って罰金を納めさせろ」

晁源「こいつのでたらめを信じられてはなりません。こいつは貧しくなって食事もとることができないのですよ。一頃の土地を娘に持参させることなどできるはずがありません。計氏が耕していた一頃の土地は、もともと私の土地だったのです」

計老人「お前がいつ持っていたものなのだ。幾らで買ったものなのだ。もともとの所有者は誰なのだ。証文はどこにあるのだ。誰の名が書いてあるのだ」

そう言われますと、晁源は黙ってしまい、強弁することができなくなりました。

知事「愚か者め。売った二十畝は仕方がない。今ある八十畝をすぐに売り払え」

閉廷を命じ、一群の犯人を退去させました。審理は良かったという者もあり、あれこれ恨み言をいう者もあり、呪い罵る者もありましたが、これはありふれたことですので、お話しする必要はございますまい。

 直堂はすぐに一枚の告示を書きました。

「晁源らの人命事件は結審し、罰紙を命ずる」

直堂は、さらに一枚の令状を書きました。

武城県で妾が正妻を死に追いやったことについて。内容は以下の通り、

晁源には孔子廟を修理する百両の罰金を命じる。海会は罰穀二十石、罰金十両を命じる。郭姑子は罰穀二十石、罰金十両を命じる。小梅紅、小杏花、小柳青、小桃紅、小夏景、趙氏、楊氏は、それぞれ罰金五両、全部で三十五両で救済する。珍哥は、罰金二十両で飢饉の救済に備える。計都は大紙四刀[9]の罰を与え、一刀の罰金額は六両とする。計巴拉は、大紙四刀の罰を与え、一刀の罰金額は六両とする。以上紙八刀は、全部で銀四十八両である。高氏は罰穀十石、罰金五両とし、晁源に要求することにする。さらに晁源に土地八十畝を返し、計都に返還させる。計氏は晁源に葬儀を行わせる。七月九日。伍聖道、邵強仁を派遣する。本月十一日までに納付せよ。

ふたたび二人の下役を遣わし、令状をもたせ、文書を作るように厳しく催促しました。

 知事は、さらに一枚の紙をとりますと、幾つかの調書をかきました。

調べによれば、晁源は幼いとき計氏を妻に娶ったが、さらに娼婦珍哥を買い、妾とした。妻が嫉妬を起こし、争いが起こるのは当然である。ところが、晁源は調停をせず、妾は生き残り、妻が死ぬことになった。小梅紅らは、女主人の死を座視して救わず、郭姑子らは、人の家に入って騒ぎを起こし、計都、計巴拉は、その子女を戒めることができず、自殺を引き起こし、高氏は婦人の分に安んじず、証人となることを求めた。以上の者は、法によってすべて罪に問うべきであるが、飢饉の年で物が不足していることを考慮し、とりあえず懲罰を行わず、追及をすべて免じ、文書を保存することにする。

下役は、文書を畳みますと、印を押し、棚に置きました。

 さて、晁源は、裁判を結審してから、天が王家の長男坊だとしますと、彼は王家の次男坊のような有様となり、傲慢な性格を、ふたたび逞しくしました[10]。県庁から戻りますと、珍哥を向かいから家に迎えました。禹明吾は役所にゆくのが嫌で、屯院に出勤したと嘘をつき、家におりましたが、自ら珍哥を家に送りました。晁大舎は、出てきてますと、禹明吾に、珍哥を接待してもらったことへのお礼を言いました。禹明吾は、晁大舎に、礼をいいませんでした。裁判のことを話しますと、秋の収穫の後、計氏のために葬式を出すことにしました。

 翌日になりますと、二人の使いが晁家にやってきました。晁大舎は、とても感謝し、彼らの指示で、有利に裁判をすすめることができたので、とても有り難かったと言いました。そして、彼らを立派な料理でもてなし、十一日に県の庫にいって罰金を納めること、自分の百両はもちろん、珍哥の三十両、小桃紅ら七人の三十五両、高氏の五両も、すべて代わりに納めることを約束しました。

晁大舎「他のことはいいのですが、高氏の五両の銀子の件は、とても腹が立ちます。あいつは、計氏のために、真実を話そうとし、裁判が終わる間際には、計老人の肩をもとうともしました。知事さまがあいつを追い出さなければ、さらにどれだけのことを言っていたか分かりません」

下役「私が令状をもち、あの女の家に行き、脅しつけることにしましょう」

晁大舎「あんな雌虎を怒らせても仕方ないでしょう。知事さまさえも少しあの女に怯えていたじゃありませんか。他の女だったら、知事さまはひどい目にあわすことができるのですがね」

下役「晁さん、あなたの言うとおりです。知事さまも、あの女が手強いと思ったので、若さまに彼女のために、穀物を納めるように命じたのです」

 下役はさらに尋ねました。

「八十畝の土地は、いつあいつらに返すのです。あいつらは土地を売り、紙代を納めるはずですが」

晁大舎「土地をあいつらにやるには、まだ早すぎます。あいつらは土地を手にいれれば、半額で売り、紙代を納めるでしょう。お二方は、あいつらに厳しく催促をし、圧力を掛け、われわれの怒りを晴らしてください」

下役「しかし、土地を彼らに返し、受け取り状を手に入れなければ、復命することができません」

晁大舎「たった十数日のことです。彼らに半年や十か月間圧力を掛けるわけにもゆきますまい」

そう言いながら、別れました。

 物事というものは、とことんまでするべきではなく、少し余裕を残しておかなければならないものです。人を追い払うときは、相手に進む小道を残してやり、彼が走り去っていったら、追い払うのをやめるべきなのです。表を厳重に塞いだ上に、裏からさらに追い詰めれば、人はもちろん、犬であっても最後の手段をとるものです。数畝の土地を、早めに計老人に返し、彼らに罰金を納めさせるべきでした。二人の下役が、計老人をあまり困らせようとしなければ、計老人は『怒りとともにやってきて、怒りがつきて帰る』ということになり、我慢することも承知したでしょう。しかし、とことんまで人を追い詰めようとすれば、以下のようなことになるものです。

勝敗は予想しがたし

巻き返し、あるやも知れず

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]天知る地知る我知る汝知る。後漢の楊震が王密からひそかに賄賂を贈られたとき、「暮夜知る者無し」(真夜中でだれも気が付きません。といわれたが、「天知る地知る我知る汝知る」天が知っているし地が知っているし私が知っているしあなたが知っている。といって受けなかった故事に因む言葉。『後漢書』楊震伝参照。

[2]接待係。

[3]地方官庁で、刑事を司る部署、またはそこに勤める人。

[4]原文「合菜」。未詳。

[5]原文「什麼小珍哥哩、就是小假哥也躱了」。「珍」は、「假」の反義語である「真」と同音。これと引っかけた洒落。

[6]刀は紙を数える量詞、百枚をいう。

[7]竹の繊維から作った紙。

[8]原文「就是剮了肉、只怕也還没有六十両重哩」。剮は肉をそぎとる刑罰。この句の含意は未詳。六十両払うくらいなら、剮の刑になった方がましだという意か。

[9]「刀」は紙の単位。一刀は百枚。

[10]原文「除了天是王大、他那做王二的傲性、依然又是万丈高了」。「天の下には怖いものがなくなりましたので」の意。

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