第九回

計氏が恨みをのんで首を吊ること

計老人が恨みに報いようとして厳しい訴状を出すこと

 

国と家、うち滅ぼすは別の人、

家は妾が、国は宦官が滅ぼす。

新参者は、計略をもて、古参の者を遠ざけて、

片言で親しき者を隔つるものぞ。

賢き者は悪人に、

偽物は本物となり、

忠良な親戚は塵のごとくに扱はれ、

殺されば後悔すともはや遅く、

人からさんざん笑はるるのみ。

 高四嫂は、計氏を宥め、奥に入らせ、甘い言葉と厳しい言葉で、計氏を宥め、街に出て、大騒ぎをしないようにさせました。晁大舎は、心の中では、出てきたのが和尚ではなかったこと、小珍哥が実際に見ていないのに、でたらめを言ったことは、はっきり分かっていました。しかし、珍哥と言い争う勇気がありませんでしたし、計氏が臆病になっていると思っていましたので、このすきに乗じて、計氏を押さえつけ、離婚し、家から離れさせ、珍哥が腹を立てないようにし、珍哥をすっきりさせ、彼女が正しいことをするようにしようと思いました。ところが、計老人父子は、話をしても、ひるみませんでした。計氏は、血の気の多い女でしたし、このような不当な扱いには、我慢できませんでした。ですから、晁大舎は「(はんだ)でできた槍で石を切る−半分の刃が捲れる[1]」という有様になってしまいました。

 計氏は、引きさがろうとはせず、珍哥を切り刻んで挽き肉にし、晁大舎と命がけで闘おうとしました。さらにこう考えました。

「私は体も小さいし、力もない女で、手を下す力もない。たとえ志を遂げたとしても、女が夫を殺すのは、良いことではない。それに、万一あいつを殺しても、自分が死にそこねて、人の手に落ちれば、堪え難い苦しみをうけることになる。しかし、この道士、和尚を間男にしたという汚名には、我慢できない」

あれこれ思案し、

「奴らを殺して自分も死ぬということはできない。無理にここで生きても、まったく意味はない。たとえ舅姑が戻ってくるのを待っても、舅姑は私の災難を救ってはくれないだろう。いずれにしても、死ねば気が晴れるというものだ」

九分九厘決意を固めました。

 折しも、計老人たち二人は、まず表に行きますと、晁大舎に伝えました。

「離婚書は書かれましたか。娘を連れて帰りますが」

晁大舎は、気分がむしゃくしゃして、病気で床に就いている、体が良くなったらまた相談しようと嘘を言いました。

計老人「早く決断しなければ、和尚、道士ばかりでなく、妓夫、役者もやってくるでしょうよ」

話をしながら、計氏のいる奥へ行きました。計氏は尋ねました。

「昨日、高四嫂は、私がわめいていたときに、お父さまとお兄さまが、まだ向かいにいて、禹明吾と話しをしていたと言っていました」

計老人「禹明吾と話をしていたちょうどそのときに、おまえは外に出ていたのだな」

計氏「禹明吾は何を話したのですか」

計老人「海姑子と郭姑子が、おまえのところから出ていったときに、客を送っていた禹明吾に出食わしたというのだ。禹明吾はさらに『このような強い陽射しのもとで、お二人は熱くないのですか。』といい、二人を家に招き、二人は涼んでから帰ったというのだ。おまえたちがここで騒いでいたとき、あの二人の尼たちは、ちょうど禹明吾の家で食事をとっていたということだ」

 計氏は、家の中から、風呂敷包みを取り出し、開けてみますと、テーブルに置き、言いました。

「これは五十両の銀子、これは二両の葉子金、これは二両の真珠です。すべて昨日私の姑が私に送ってきたものです。お父さまは、家に持ち帰り、私が家に着いたら、私にお渡しください。この三十両の細かい銀子は、私がここ数年間でためたものです。これは袋に入りきらない装身具です。二つの腕輪と二つの真珠の頭箍[2]、それに、金の排環[3]です。兄さんが家に持っていき、とっておかれてください。この青い緞子は、はやく裁縫師に頼み、私の広袖の衫を作らせてください。このトキ色の絹は、裁縫師に頼み、私の中ぐらいの大きさの袷にし、残りのものは、義姉さんに頼み、綿の小さな衣裳を作り、この二斤の絲綿[4]をお入れください。残りの物は、兄さんが、私のためにとっておかれてください。品物は、明日の昼までに私にお送りください。私は片付けをしてから、家にまいります」

計老人「土用の時期に、冬物の衣裳を作ってどうするのだ」

計氏「苛々しますね。私に構わないでください。私はすぐに衣裳を作って家に戻ります。あなたがた親子が、私の物を質入れして金にしたら、私は告訴をするまでです。他のこまごましたものは、箪笥に片付けますから、明日、人に運んでいかせてください。衣裳を作るのが大事ですから、あなた方を引き止めて食事はさせません」

計老人父子を追いだし、部屋で片付けをし、まるで本当に帰るかのようでした。さらに、たくさんの衣裳を出し、一つ一つ仕えていた下女に分けました。

下女「必要もないのに、品物をすべて分けてしまわれるなんて。旦那さまは離婚したいとおっしゃいましたが、口で言っただけにすぎませんよ。大旦那さま、大奥さまは、仲人を立て、正式な儀式をし、旦那さまのために、正妻を娶られたのです。上の大旦那さま、大奥さまがいらっしゃらないのに、離婚するわけにはいきませんよ。大旦那さまが離婚させるといっても、奥さまだって帰られるわけにはいかないでしょう」

計氏「それなら、人が棍棒を使って追い出しても、人様の家に居座れというのかえ」

下女「誰も追い出そうとはしませんよ」

計氏は、さらに小間使いを呼び、床の下から、こまごまとした銅銭を引き出させ、これまたすべて仕えていた女たちに分け、言いました。

「おまえたちへの記念品にしよう」

下女たち「帰られるとしても、この門には鍵を掛けられた方がよろしいでしょう。私たちは、一緒に行って、奥さまにお仕えいたします。まさかまた水商売の女をここに住まわせるわけでもありますまい」

計氏「私はおまえたちを連れていかないよ。おまえたちももちろん行くことはできないよ」

話をしていますと、人々は、みんな泣き出しました。

 時間は、辰の刻前後でした、荘園の薪は、待てども送られてきませんでしたので、まだ朝食を作っていませんでした。すると、計氏は、新しい轎を、自ら幾つかに砕き、鍋に火を着け、飯を作りました。さらに、轎の棒を、火ですっかり焼きました。

下女「惜しいですね。あの古い轎を焼き、この新しい轎に乗られれば、宜しかったのに」

計氏「私は離婚され、晁家の人間ではないから、晁家の轎に乗るわけにはいかないのだよ」

晁大舎は、計氏が片付けをし、実家に帰ろうとしていることを聞きますと、うまくいったと思いました。しかし、彼女がいつ帰るのかは、分かりませんでした。

 六月八日の昼になりますと、計老人父子は、果たして衣裳を作り、一つ一つ揃えて、風呂敷で包み、計氏に送りました。さらに、数人を呼んできて、計氏の箱をかつがせました。計氏は、四つの大風呂敷を脇に挾んできて、持ち帰らせることにし、こう言いました。

「ぼろぼろの箪笥は、数文の値打ちもありませんが、街の人々が見たら、お父さまがあいつの物を盗んだと言うでしょう。あいつの物など有り難くもありません」

計老人「おまえの言うことはまったく尤もだ」

計氏「まだ片付けをおえていませんが、明日帰ることになるでしょう。明朝はとりあえず来ず、私が人を遣わし、お呼びしてから、迎えにこられください。暑いので、すぐに私を部屋に入れてください。私が部屋に入ってから、また話しをされても遅くはないでしょう。昨日持っていったものは、必要でしたらお使いください、そうすれば、私を他の人に売る必要はありませんから」

計老人「話から察するに、おまえは早まった考えを起こしているのではあるまいな。もしそのようなことをすれば、あいつは財産もあり、権力もあるから、わしはあいつと争えるはずがないし、たとえ争うことができたとしても、あいつは決して命の償いはしないだろう。どうかわしの言った通りにしてくれ」

さらに何度も宥めて、去っていきました。計氏は、轎を薪にして燃やし、昼食を食べました。

 夕方に、計氏は入浴をし、盤香を焚き、大声で泣きました。人々は、片付けをし、眠りました。仕えていた下女は、死んだ豚のように眠りました。計氏は起き上がりますと、ふたたび冷水で顔を洗い、きちんと髪を梳かし、幾らもない簪、耳輪、指輪を着け、足にきつく布を巻きました。下には、新しく作った銀紅の木綿のズボン、二着の白い刺繍のある綸子の裙を穿き、肌には月白の綸子の腹掛け、天藍の短い綿入れ、銀紅の絹の袷、月白の緞子の衫を着け、上着には新しく作った天藍の広袖の衫を着け、上下のすべての衣裳、履物を、糸でしっかりと縫いました。そして、口には、金の塊、銀の塊を含み、一本の桃紅の鸞帯を手にとり、こっそりと門を開け、晁大舎の中門に行き、門の横木で首を吊りました。二杯分の茶を沸かす間もありませんでした。

(くう)を踏む音が聞こえて

塀のあちらに秋千(ぶらんこ)の影

 計氏が外で自殺をしたとき、晁大舎は、ちょうど枕辺で、珍哥と相談をしていました。

「天はあの女を許さないだろう。俺は離婚しないといったのに、あの女は、自分が面目ないものだから、実家に帰って住もうとしたのだ。あの女が去ったら、奥の家に、裏門を通じさせ、人に貸して住まわせよう。一つには、毎月少なくとも三四両の家賃がとれるから、二つには安全でもあるからだ」

 二人は、互いに語り合い、とても愉快に話しをしましたが、夜明けになりますと、小間使いを起こし、門を開けさせ、下男下女を家に入れ、食事を作らせようとしました。小間使いは、門を開けますと、大声で叫び、地面に倒れ、声を出すことができなくなってしまいましました。

晁大舎「小夏景、何で大声で叫んだんだ」

何度も尋ねましたが、小間使いは、あたふたと走ってきて言いました。

「私が門を開けますと、下女があの門の横木にぶら下がっているようでした」

晁大舎「おまえは誰だか分からなかったのか」

小間使い「私はそれを見てびっくりしてしまいましたので、誰だかは分かりませんでした」

晁大舎「その下女は今どこにいる」

小間使い「今もまだ門のところいて、去っておりません」

晁大舎は、がばっと起き上がりますと、ズボンを手にとり、靴を突っ掛け、外に走り出て、言いました。

「まずい。奥の計氏が首を吊ったんだ」

前にきて見てみますと、考えていたことに少しも間違いはありませんでした、手で口を触ってみますと、口は氷のように冷たく、僅かな息もしていませんでした。

 晁大舎は、手足をばたつかせ、急いで下男たちを呼び起こし、計氏をおろし、奥へ送り、安置しようとしました。数人掛りで、おろそうとしますと、下男の李成名が言いました。

「おろしてはなりません。計老人父子を見にこさせてから、死体をおろしましょう。ただの首吊りですが、おろして置いておけば、昨日元気だった人が、どうして今朝に死んだのかということになります。私たちが謀殺したのだと言われれば、言い訳ができません。はやく人を遣わし、計爺さんと計さんを呼んできてください。それから、珍哥さまの隠れる場所を探してください。家にいさせてはなりません。その女の家の女たちが珍哥さまを捜したら、ひどいことになります」

そのとき、小珍哥は、普段の威風はどこへやら、頭を梳かし、かもじを入れ、普通の新しくも古くもない生紗の衫を穿きますと、古い月白の薄絹の裙、二つの古い靴を引き摺っていました。二人の下女は、禹明吾の家の門を叩いて開け、珍哥を中に入れました。

 計老人は、四更まで眠りましたが、胸がどきどきして眠れず、五更過ぎ近くになって眠りました。すると、計氏が、作ったばかりの衣裳を着け、首に一本の赤い帯を巻き付け、目の前に歩いてきて、言いました。

「お父さま、参りました。あの淫婦を許されてはなりません」

計老人は、びっくりして全身に冷や汗を掻きました。目を覚ましますと、計大官が計老人の窓の下に走ってきて、言いました。

「お父さま、早く起きられてください。妹はきっと死んだのです。見た夢が良くありませんでした」

話してみますと、計老人の夢と少しも違いがありませんでした。父子二人は、何度か叫びました。頭を梳かしていますと、晁家の下男が、外で門を叩いて、言いました。

「娘さんが家で卒倒されましたので、旦那さまとお兄さまは、速く行かれてください」

計老人「先ほど娘が天藍の広袖の衫を着、首に一本の赤い帯を着けて、うちにやってきた。すぐに行くぞ」

急いで頭を梳かし、計大官とともに、二歩を一歩にして晁家にいきますと、計氏は晁大舎の家の門にぶらさがっておりました。父子は、喉を振り絞り、大声で叫びました。計老人は、晁大舎を掴まえ、頭突きを食らわせました。晁大舎は、そのときは元気はなく、ただただ叩頭して謝り、何度も、鋭い刀でも切ることができない親戚なのだから、どうか親父の顔を立ててくださいと言いました。計老人は、さらに中に入りましたが、珍哥が見つかりませんでしたので、とても腹を立てました。

 この時、晁大舎は鼻水のようになっておりましたし、狼か虎のような下男、妖女のような下女たちも、進み出て動き回ろうとはしませんでした。

計大官「お父さま、はやく考えを決められてください。もう妹は死んでしまったのです。はやく考えを決められて下さい。ぐずぐずしていれば、親戚の仲を傷付けることにもなります。妹の夫のことは、お考えにならなくてもよろしいですが、晁の大旦那さまと大奥さまの顔は立てられるべきです。そんなことばかりなさって、どうなさるお積もりですか。こんな暑い時に、ずっとぶら下げておくのですか」

計老人は、計氏が、気候が暑いので、すぐに家に入れてください、家に入ってから話をされても遅くはないでしょう、と言い含めていたことを思いだしました。また、息子の話しに裏があることが分かりましたので[5]、息子のいう通りにし、口をつぐみ、罵るのをやめ、手をおさめ、腹を立てるのをやめました。

 計大官「他の人を出てこさせるべきではありません。晁大舎さん、あなたが抱いていてください。私が上に上がり、縄を解き、置くところを準備します」

晁大舎「どこに置くべきでしょう。何でしたら、彼女が住んでいた明間に置きましょうか」

計大官「晁大舎さん、何をおっしゃいます。長男は偉いのでしょう。長男の嫁を、奥に安置したら、明日、出棺するときに、運びにくいでしょう。正房を開け、はやく掃除をして泊床[6]を置いてください。すぐに下女たちに死体を担がせてください」

そして、正房の明間に運び、きちんと安置しました。

計大官「お宅には、板がありますか」

晁大舎「買った物が幾つかありますが、使うことはできないでしょう」

計大官「自分でお考えになってください。何とか使い物になれば、使ってもいいでしょう。もしも夫妻の情がおありなら、人に買いにいかせてください」

晁大舎「お義兄さまにお願いします。人を南関の魏家にいかせ、良い物を選ばれるべきです」

話をしていますと、大工が事情を知り、やってきて、一緒に板屋にいきますと、八十両のもの、百七十両のもの、三百両のものがありました。

計大官「うちの妹は、貧乏人の家の娘ですが、金持ちの家の女房でしたから、良い板がいいでしょう」

二百二十両に値切りました。八人の大工は、三十両をとり、さらに、計大官と三十両の謝礼を払う話しをまとめ、板屋は、百六十両を手にしました。十人ほどを雇い、板を持ち上げ、担ぎました。家に着きますと、数人掛りで、棺を作り始めました。晁大舎は、計大官が物わかりがよかったので、計大官を頼りにし、板代として二百二十両はもちろんのこと、一千両でも出そうとしました。午後に作り終わりますと、中に瀝青をかけました。実は非業の死をとげた死体は腐らないもので、晩まで置いておいたものの、少しも変化しませんでした。首吊りをして死んだといっても、舌は出ておらず、目も飛び出しておらず、むしろ、生きていたときと比べて殺気がなくなり、穏やかな顔になっておりました。計老人は、遊び好きで財産を失いましたが、もとは旧家でしたし、三四人の実の甥も、科挙に合格した秀才で、一族の中にも、大勢の立派な家があり、この時、計家の親戚、姻戚の男女は、二百数人を下りませんでした。彼らは、みな計氏の入棺を見にきました。棺は正房の明間に置かれ、白い綸子の帳を掛けられ、香机とテーブル掛けが準備されました。

 すべてが整いますと、計大官は、跪いて計家の本族に礼を述べ、立ち上がり、言いました。

「妹はもう家に入ったから、一暴れすることにしよう」

外の男たちは、晁大舎を引っ張り、掴んだり、引っ張ったり、テーブル、椅子を叩いたり、戸、窓を壊したり、酒、酢、米、小麦を、気の済むまで踏み付けたりしました。女たちは、棒で叩いたり、鞭でぶったりし、家の前後、床の下、薪の束の上から、珍哥を探しだしてぶとうとしましたが、見付かりませんでしたので、彼女の寝室をすっかり壊し、晁大舎を計家の人々の前に跪かせ、罪を認め、許しを請う文書を書かせました。そこには、こう書かれていました。

罪を認める文を書いた晁源は、娼婦珍哥を娶って妾とし、珍哥の讒言を聞き、常に正妻の計氏を苛め、衣食を与えず、奥の部屋に幽閉し、しばしば殴り、辱めました。本月六日、計氏が海姑子、郭姑子を家に迎えたところ、珍哥は計氏が道士、和尚と密通したと嘘を言い、晁源に、計氏を殴打し、離婚するように唆しました。計氏は辱めに耐えられず、本日夜、いつかは分かりませんが、赤い鸞帯を使い、珍哥の家の入り口で、首を吊りました。岳父は、親戚の面子を重んじ、役所に告訴をするのをやめました。晁源は、礼式に合わせて葬式を行い、いい加減なことはしまいと思います。

六月八日、晁源自ら記す。

 文書を人々に見せますと、計老人に渡し、受け取らせました。

計大官「とりあえずあの人を帰らせましょう。あの人に妹を送ってもらう必要はない。我々は、あとでゆっくり決着をつけることにしましょう」

酒を並べ、向かいの禹明吾を付き添わせました。

禹明吾「計さん、私の話しをお聴きください。娘さんは、本当に苦しい死に方をされました。晁さんは正しくありません。しかし、娘さんは、もう亡くなり、娘さんは、晁さんの家の墓に埋められなければなりません。それに、あなたがたと晁の大旦那さまは、初めは親家同士で、兄や弟よりも親しくしていました。どうか大旦那さまの顔に免じて、晁さんにありとあらゆる儀式をさせ、娘さんのためにきちんとした葬式を出させ、以後ぶったり叩いたりするようなことはなさらないでください」

計老人「禹さん、あいつのことなどお話にならないでください。あんな冷酷な奴は、世の中にそうはいませんよ。あいつが貧しい秀才だったとき、わたしは金持ちの坊っちゃんでした。縁結びをする前に、あいつにした援助については、私たちは何も申しません。しかし、後に親戚となり、あいつが役人になるまでの数年間、あいつは私たちの米を食べ、私たちの綿花を着、酒を造るときは、私たちの黄米[7]を使い、正月に饅頭を蒸し、餃子を包むときには、私たちの小麦を使い、家を修理するときは私たちの稲を使いました。そして、毎年の礼物を送るのが、仕来たりになっていました。あいつが貢生になり、娘を家に娶ったとき、私たちは没落していたとはいえ、一生懸命に金を払い、五六百両を下らない嫁入道具を用意しました。私は、四頃の土地が残っていただけでしたが、娘が母親を亡くし、あいつが物を用意することができないのを心配し、さらに一頃の土地を娘に与えたのです。後に、あいつが都にいき、廷試を受けたときも、旅費がなかったので、私はとても貧しかったのに、亡母の真珠の冠を三十八両の銀子にかえ、一分も残さず、すべてあいつに送ったのです。あいつはさらに娘の土地を二十畝売り、さらに四十両を手に入れました。貢生になることができ、国子監で選任を待っている一年近くの間、あいつの家は、娘の一頃の土地の上がりで生活していました。ところが、今回、郷紳になり、無数の金ができますと、軽薄な若者は、嫁が醜く、彼の大きな家にあわないのを嫌がりました。軽薄な年寄りは、わが家が貧しく、郷紳の名を汚し、新しい親戚たちと並んで腰を掛けることができなくなることを嫌がりました。華亭にきてから、五年ほどになりますが、あいつは、指四本分の大きさの帖子、一分の銀子の礼物をもって、私を訪ねてくることすらありませんでしたよ」

禹明吾「晁老人はそのようなご性格なのですか」

計老人「禹さん、娘が死んだから、あいつに関するでたらめを申し上げているわけではございませんよ。私は親戚たちと、あいつの家の執事たちの前で話をしているのですよ。『人に無実の罪を着せる奴は、家を切り盛りすることはできない』といいます。彼ら父子は私にだけ冷酷なのではありません。彼らは、恩義を受けていようがいまいが、われわれ城内の古い親戚たちを相手にしません。袁万里が家を建てたときのことです。彼は郷紳ですから、木が買えないということはありませんでした。ところがあいつは、袁万里にお世辞を言い、二十本の大きな松の梁を送ろうとしたのです。袁万里が受け取らないと、あいつは何度も袁万里に頼みました。袁万里は『あなたが私のお金を受け取られるなら、あなたの木を受け取りましょう。あなたがお金を受け取ろうとされなければ、私もこの木を受け取ることはできません』といい、四十両の銀子を送り、晁大舎は、それを受け取りました。相場でいえば、この木は平均で一本五六両でした。ところが、先日、袁万里が死にますと、あいつは木の代金二百両、三百両を払うべきだといい、袁万里の夫人と七八歳の息子、執事まで、告訴したのです。これは人間のすることではありません。禹さん、ご存じでしょう」

禹明吾「それは晁大舎さんにとって不名誉な話であることはいうまでもなく、旦那さまにとっても不名誉なことです。これは晁思孝さんが知らないところで、晁大舎さんがしたことです」

計老人「晁思孝が知らなかったのなら、いいでしょう。もう一つ、晁思孝が知っていることをお話ししましょう。以前、あの人は辛翰林に失礼なことをしました。辛翰林のために人夫、車馬を支給せず、彼の龍節[8]さえもなくしてしまったのです。辛翰林は、復命しますと、弾劾状を送ろうとしましたが、ちょうどあの人の快手が都におり、尋ねたところ、七八百両の銀子を払えば、事が収まるということになりました。当時、わが県の鄭伯龍が、都で兵馬をしており、快手と相談しました。鄭伯龍は『調査をしてくれてありがとう。この件は、弾劾状が上呈されれば、大変なことになる。龍節を水におとしたのは、ただではすまされないぞ。銀子が必要なら、われわれが集めることにしよう』といいました。鄭伯龍は、自分が手元にもっていた銀子、銀の酒器、装身具、妻と嫁の珠箍[9]を、すべて集め、八百両の銀子を作り、事態を収めました。後に、細かい銀子を返しましたが、あの人は、一厘一分の利益も受けとりませんでした。後に、鄭伯龍は昇任し、あの人から八百両の銀子を借り、二枚の四百両の証文を書きました。ところが、あの人は証文をだましとり、銀子は与えませんでした。一年後、晁大舎は証文を手にあの人に銀子を請求し、鄭伯龍が関帝廟で起請文を書き、誓いを立てますと、ようやく手を引きました。都の物は、何でも値が張ります。ここ数年、遣いで都にいく者は、五六人、七八人いましたが、すべて鄭伯龍の家でもてなされ、二三か月も滞在しています。晁大舎も、二三回いき、鄭伯龍の家で休み、毎日四皿八碗のもてなしを受けています。そして、何かを買おうとしますと、指四本分の大きさの帖子を彼に与え、買ってもらうのです。昨日、鄭伯龍が家に戻りますと、晁大舎は、拝すらせず、喉の渇いた鄭伯龍に、水すら与えませんでした。晁大舎は、以前、都で監生をしていたころ、傷寒になりました。わが県の黄明庵は、他の人が晁大舎の世話をしないことを心配し、まるで自分の息子のように、四十日間、昼夜彼の世話をしました。近頃、黄明庵が通州へ会いにいきますと、晁大舎は気前よく二両の銀を送り、引き止めて一回食事を食べさせ、追い出しました。黄明庵は、怒って病気になってしまいました」

訴えてやめませんでした。人々は、立ち上がって去っていきました。

 晁大舎は、計家の人たちに掴まれてぶたれ、かなりひどい目にあっていましたので、立ち上がることができず、事をおおっぴらにすることもしませんでした。珍哥は、禹明吾の家に隠れ、朝晩外に出ようとせず、計家の人に取り囲まれ、ぶたれることを恐れましたが、さいわい禹明吾とは、古馴染みでしたので、あまり寂しくはありませんでした。禹明吾の娘も、荘園に稲刈りを見にいきましたので、禹明吾は珍哥を余計者扱いしませんでした。

 計老人と一族は、告訴について、相談をしました。

一族の人「あなたの気持ち次第です。あいつらに勝つことができると思われるなら、告訴状を出されるといいでしょう。あいつらに勝つことができないと思われるなら、先ほどの話しに従い、人に跪いておしまいということにしましょう。冬ならば、死体を納棺せず、あいつらとゆっくり話しをすることもできますが、今は何月ですか。とにかく納棺しましょう。納棺したら、証拠はなくなってしまいますがね」

数人の秀才が言いました。

「何を言っているんだ。あいつがわが計家を人間扱いせず、惨たらしく人を追い詰めて殺したのに、誰も文句を言わなければ、人様から大笑いさてしまうぞ。われわれも娘を嫁に出している。はったりをかけなければ、よその奴らから苛められてしまう。あれこれ迷うのはやめて、明日、訴状を送ろう。あいつが書いた文書が自供書になる」

計老人「訴状はどこに送ればいいのでしょう」

秀才「人命事件は、県がとりあつかうから、県に送ろう。いっそのこと珍哥がおいつめて首を吊らせたといおう。打ち殺されたといってはだめだ。審問で嘘だとばれたら、まずいからな」

相談しますと、人々は別れました。

 計老人父子は家にもいかず、県庁の入り口にいきますと、訴状を書く孫野鶏を探し、二銭の銀子を与え、訴状を書くように頼みました。

原告計都、年は五十九歳、本県出身。

妾が正妻を死においやった件につき、告訴致します。

都の娘計氏は、幼いときから晁源の妻となり、以前は仲睦まじくしておりました。ところが、晁源は、百万の富を得、監生になりますと、急に都の娘の、家が貧しく、顔が醜いのを嫌い、銀八百両を用い、別に女劇団の正旦の珍哥を妾にし、都の娘を、寂しい部屋に幽閉し、衣食をたち、しばしば理由をつけては殴打しました。今月六日に、たまたま尼海会、郭氏が家に入りますと、珍哥は、都の娘が僧、道士と姦通したと嘘をいい、晁源に都の娘をぶって離婚するように唆したため、娘は、珍哥の家の門で、首を吊りました。娘が、罪もないのに、不当な死に方をしたのを悲しみ、冤罪を訴え、上告いたします。被告は晁源、珍哥、小梅紅、小杏花、小柳青、小桃紅、小夏景、趙氏、楊氏。証人は海会、郭姑子、禹承先、高氏です。

 六月十日、武城県知事が審理を行うのをまち、投文牌[10]を持ち出し、計老人は牌を抱きかかえ、一緒に中に入り、訴状を届けました。名を呼ばれますと、外に送られ、牌を見ながら待機しました。十一日、訴状は認められ、二人の快手が遣わされました。一人は伍小川、もう一人は邵次湖で、罪人たちを召喚しました。二人の下役は、まず計老人父子に会い、晁家に行きました。門番は、県庁の使者を見ますと、傲慢な態度をとるわけにいかず、広間に招じ入れ、腰掛けさせ、晁大舎に知らせました。晁大舎は、痛みを堪えながら、服喪用の頭巾をかぶり、白の生羅[11]の道袍をつけ、出てきて会いました。使者が令状を出してみせますと、晁大舎は、お相伴をし、酒と飯でもてなし、すぐに前後の事情を告げました。

使者「首を吊ったのは事実ですが、それはどうでもいいことです。命の償いができるわけでもございませんからね。しかし、旦那さまは正しい行いをされておらず、あらゆる判決は、知事さまによって決められます。晁さん、ご自分で手を打たれてください。明日にも、訴状を出されるべきでしょうよ」

別れを告げて去ろうとしました。晁大舎は、二両の銀を取り出し、

「他にもいかれる所がおありでしょう。とりあえず驢馬代にされてください。明日、訴状を送るときは、また贈り物をし、あらためて相談をいたしましょう」

使者は遠慮しましたが、彼の馬に乗ってきた従者を呼び、銀を受け取らせ、別れました。そして、すぐに禹明吾を呼び、相談をし、人を県庁の入り口の前にいかせ、訴状を書く宋欽吾を呼んでこさせ、彼に事情を話し、五銭の銀子を送り、引き止め、酒と飯を出しました。宋欽五はこう書きました。

訴状

監生晁源が、現任の直隷通州の知州晁思孝の子で、人命事件に託つけて財産を得ようとしている件について告訴致します。

私は、不幸にも、凶悪な計都の娘を妻にしました。その女は賢くなく、親不孝をし、倫理に背いた行いは、数えきれるものではございません。昨日、小さなことで腹を立て、手に鋭い刃を持ち、私を殺そうとしました。そして、私が隠れていたため、大通りに出て大騒ぎをしました。禹承先、高氏らが彼女を宥めました。彼女は、自分でも分が悪いことを悟り、面目を失って首を吊りました。計都は、どら息子の計巴拉と、一族二百余人を連れ、家におしかけ、わたくしを死ぬほど殴打しました。戸、窓、器物は、すっかり打ち壊され、装身具、衣服はすっかり持ち去られました。彼らは、さらに、財産を脅しとろうとし、誣告をし、冤罪を訴えました。被告は、計都、計巴拉、李氏、一族のならず者二百余人。証人は禹承先、高氏です。

 十二日に、訴状は、武城県に送られ、受理され、令状に署名がなされ、下役に渡され、召喚が行われました。晁源は、金も権勢もありましたが、あまり味方はありませんでした。彼が平素親しくしている人々も、老成して見識のある人ではなく、俄か成金、うぶな若者[12]ばかりでした。他にもたくさんの友人がいましたが、彼ら父子が薄情で傲慢なのに我慢できませんでしたので、彼の面倒をみようとはしませんでした。まさに「親戚にもそっぽをむかれる」[13]有様でした。計老人は貧乏でしたが、一族の中には立派な人もおり、先日、納棺のときに、招かれないのに来た男女だけでも二百数人を下りませんでした。晁大舎はとても焦りました。ところが、諺はうまいことを申しております。「世の中の裁判をひっくり返すには、臼のように大きな銀子が必要だ。天を恐れても何にもならぬ」と。とはいっても、人の心はそうでも、天理はそうではないはずです。とりあえずどのような結果になったのかをごらんください。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1] 「相手をどうすることもできない」の意。

[2]女性用の鬢覆い。紗、羅、綾、緞などの絹織物で作る。

[3]排鐶とも。明陸嘘雲『世事通攷』は「首飾類」に「排鐶」を載せるが、具体的にどのようなものなのかは未詳。

[4]蚕の繭の表面の糸から作る綿状のもの。保温性に優れ、布団に入れる。

[5]原文「暁得児子是『大軸子裹小軸子、画裏有画』」。「画裏有画」は「話裏有話(話の中に話がある−話しに裏がある)」と同音。

[6]死体を安置するベッド。二つの踏み台の間に板を渡したもの。

[7] モチアワ。

[8]天子の命を奉じた使者が持つ符節。(図:『三才図会』)

[9]真珠、宝石で作った鬢覆い。

[10]役所にある、訴状を提出する場所を示す立て札。清黄六鴻『福恵全書』莅位・堂規式「次擡投文牌、用長卓一張、把堂p隷擡置堂階上、投文人等由東角門進、親自跪投卓上、仍退立東階下聴候」。

[11]生糸で織った羅。夏用の普段着に用いる。明劉若愚『酌中志』巻十九「凡近御之人、概得穿白色生紗、生羅、細葛、及白綾、絲紬、領袖襟縫公然顕露、不忌憚也」清葉夢珠『閲世編』巻八「花雲素緞、向来有之、宜于公服。其便服……夏惟有生紗、硬紗、生羅、杭羅而已」

[12]原文「初生犢児」。「生まれたばかりの子牛」の意。「初生之犢不怕虎」(生まれたばかりの子牛は虎を恐れない)という諺があり、特に、世間知らずの若者をいう。

[13]原文「親戚畔之」。『孟子』公孫丑下に典故のある言葉。

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