第八回

口達者な妾が媚び諂って主人を惑わすこと

愚かな監生が愚かにも妻を離縁すること

 

十四歳で妻となり、

眉を潜めて(しうと)(しうとめ)拝したり。

自分の家は処士なれど、

夫の家も貧乏書生。

今を時めく名門と何も関はりありはせず、

家にさしたる誉れなし。

襦はもちろん玉でなく、

真珠を帯びんとすることもなし。

生贄を手にして廟に参拝し、

匙を手にとり厨房(くりや)へ入れり。

父母は楽しみ、

夫も喜ぶ。

ところが時は移りゆき、

この世の中は変はりたり。

妻は昔の妻なれど、

夫は昔と異なれり。

手に()る金が多ければ愛の心は薄くなり、

寵愛はまるで得られず。

もともと美しくはなきも、

醜くなりしにもあらず。

しかし心は定めなく、

変はりたり。

木が腐りなば虫が()り、

疑はるれば誣告を受けり。

妻は追はれて鳩のごと[1]

雀のやうに駆られたり[2]

天に叫んで長嘆息、

地を叩き、深き溜め息。

もともと佳人は薄命で、

真心の縁をつなぐが世の習ひ。

零れた水は、

永遠(とは)に一緒になれはせず。

青天に尋ねんことは叶はずに、

白日に呼び掛けんにも術はなし。

さはさりながら地獄の鏡は、

陰険な奴を映し出ださん。

 さて、晁住は都に着きますと、あちこちを、夕方まで歩き回って、胡旦に会おうとしました。その頃は、夜回りが大変厳しかったので、晁住は胡旦とともに宿泊しました。王振は考えを決め、正統帝が車に乗って親征することを求めていましたが、文武百官は、馬を引き止めてやめませんでした。天子の車が土木に着きますと、情況は大変緊迫していましたが、急いで城内に入れば、何事もなかったはずでした。しかし、王振の輜重一千余輌が落伍して、追い付けなかったため、正統帝は急いで進むことができませんでした。そこを也先が蜂が群がるように囲み、たくさんの矢を一斉に射ました。しかし、神々のご加護のおかげで、矢は雨のようにとんできたものの、正統帝の目の前に落ち、地面に着き刺さるだけで、わずかな矢さえも正統帝の体には当たりませんでした。也先はとても奇妙に思い、近付いてみてみますと、正統帝が車に乗り、親征していることが分かりました。正統帝は、水を失った神龍のように、取り囲まれてしまいました。車に付き添っていた文武百官もすっかり殺されました。王振と蘇、劉二錦衣も殺されました。人々は王振の一万族を殺そうとしました。胡旦、梁生は、冬眠中の虫のように身を隠しました。

 二人は、五更まで寝てから、目を覚ましました。胡旦は、二つのぼろぼろの着物をき、灰をつけ、顔を黒くしました。晁住は、常に蘇、劉二家にいっていたため、人に悟られないように変装をし、人のいないところへ行き、梁生を見つけますと、晁さまが相談したいことがあるので、迎えにきたと言いました。梁生は、都では隠れ場所がないので、晁旦那の任地にしばらく避難しようと考えていました。晁住がきたのは都合のいいことでした。梁生もぼろぼろの着物と帽子に着替え、細かな貴重品をまとめ、晁住が乗っている騾馬にのせ、城門を出、驢馬を雇い、朝食のときに、通州の任地に行きました。晁老人父子は、梁生、胡旦がぼろぼろの服を着ているのを見ますと、びっくりしました。話しをきいて、ようやくわけが分かりました。書斎にいって髪梳き、洗顔が終わりますと、今まで通り流行の頭巾と衣服に替え、改めて揖をし、食事に付き添いました。華亭のことに話が及びますと、本当は蘇、劉二錦衣に頼みごとをしようとしたが、このような変事が起こってしまったから、ほかに解決策はないだろうかという話しになりました。

梁生「簡単なことです。翰林の徐[革呈]は、今、最も権勢のある宦官で、胡君寵の親友です。胡君寵に丁重な手紙を書いてもらい、旦那さまは礼物を準備し、ご自分で都に入り、彼に頼まれれば、事はうまくすみます」

晁老人父子は、とても喜びました。

 食事を終えると、胡旦は手紙を書き終えました。晁大舎は、それを受け取り、三十両の葉子金[3]、八個の胡珠を準備し、すぐに都に行きました。翌日、徐翰林の私宅の入り口に行き、門番に十両の銀子を与えますと、彼は喜んで、馬が走るときのように、腰掛けを運んできて、晁大舎を中に招き入れました。徐翰林は、胡旦の手紙を開け、晁大舎の金銀財宝を受け取りますと、晁大舎を引き止め、酒を飲ませ、二通の手紙を書きました。一通は江院、もう一通は松江府の刑庁にあてたもので、こう書いてありました。

「宋、曹の二人の罪は逃れることができないが、賄賂はあまりとっていないので、彼らが拷問を受けるのを免れさせることを求める。孫商、晁書は誣告を受けたものだから、公文を発し、審問を行わないようにせよ」

晁大舎に、白綾の条に書かれた字、金箔の扇子、家で刊刻した文集、一匹の梅公布[4]を送り返しました。

 晁大舎が手紙を受けとったのは、三月十二日で、ちょうど明るい月が照っていました。晁大舎は急いで城門を出、三更になる直前に、通州に着き、鍵を求めて城門を開け、役所の中に入りましたが、梁、胡の二人は、すでに寝ており、晁老人の寝室の床の側にいき、腰を掛け、詳しいことを話しました。晁老人は、たくさんの物を失ったことを惜しまず、たくさんの物を拾ったかのように喜びました。

 さて、梁生、胡旦は、権力のある親戚がいたため、晁家の親子は、彼らを貴い賓客としてもてなし、とても恭しくしました。晁老人は、梁生の字を安期と呼び、胡旦の字を君寵と呼びました。そこで、晁大舎と結義して兄弟となり、晁老人は彼らを「甥」と呼びました。下男は、すべて梁さま、胡さまと呼びました。晁夫人と珍哥は、彼らを避けようとしませんでした[5]。ところが、王振と蘇、劉の二錦衣が殺され、これら奸臣の親族が追及されていることを聞きますと、晁老人父子の梁、胡をもてなす態度はすっかり冷淡になりました。徐翰林と知り合いだとはいっても、本当かどうかは分かりませんでした。晁大舎は、徐翰林に会いましたが、すべて胡旦の言った通りでした。梁、胡の二人は、晁老人と話しをしました。錦衣衛の各部署に、たくさんの知り合いがおり、朝廷の顕官にも親戚がいるといいますと、晁老人父子は、梁、胡の二人を、改めて尊重しはじめました。そこで、梁、胡の二人を、とりあえず役所に潜伏させ、都の動きを静観させようと考えました。翌十三日朝、宋其仁、曹希建に六両の旅費を与え、徐翰林への二通の手紙を届けるように命じ、朝食をとらせ、出発させました。

 十五日、役所で酒席を設け、晁大舎のために送別をし、たくさんの贈り物を準備し、家に持ち帰り、田畑を買うことにしました。老夫人は、晁住夫婦を奥へ呼び、こう命じました。

「家に着いたら、計氏に会い、わたしがこう言っていたと伝えてくれ。『晁大舎は、すでに妾をとった。これもよそではよくあることだ。おまえはもっとしっかりするべきだったのだ。強く反対していれば、大舎もどうしようもなく、心の赴くままに、軽々しく彼女に寄り添ったりはしなかったはずだ。妾をとるときも、良家の娘をめとり、色目をつかう、ろくでもない、舞台に上がるような役者の女房をめとることはなかっただろう。しかし、『生の米が蒸した米にな』り、『豆腐が灰の中に落ち』てしまったのだ。おまえは吹くことも、はたくこともできない。お前は自分で自分を慰めるしかない。もう少し心を広くして、つまらないことに腹を立てるのはやめるのだ。とにかく耐えることだ。私が家に着いたら、必ず手を打つことにするから』とね。これは五十両の銀子で、計氏が針や糸を買うために使うお金だ。これは二両の真珠、二両の葉子金、二匹の生紗、一匹の金壇[6]葛布[7]、一匹の天藍の緞子、一匹の水紅[8]の巴家絹[9]、二つの連裙、二斤の綿だが、受け取って、家に着いたら計氏にやっておくれ。私が家についたら、一つ一つ調べるからね。少しでもおかしな所があれば、おまえたち二人をただでは済まさないからね。珍ねえさんにもこのことを言っておくれ」

晁住夫婦は、すぐに返事をしますと、受け取り、去っていきました。

 翌朝、十六日、晁大舎と珍哥は、一緒に帰る侍従の男女とともに、晁老人夫婦に別れを告げ、晁大舎は、さらに邢皋門、袁山人、梁生、胡旦にも別れを告げ、奥の棟に行き、珍哥とともに轎に乗り、人々は四つ脚に乗って去っていきました。晁大舎はまさに、

銀子をおほく身に着けて、

従者は赤き服を着る。

旅装は優美で勇壮で、

揚州が目指す故郷(ふるさと)

しかし、晁老人夫婦を寂しく置いてきぼりにし、辛い思いをさせたのは、あまり立派なことではありませんでした。

 晁大舎は、たくさんの資金を持ち、お気に入りの愛妾を率い、半間の家のように大きな官轎に乗り、狼か虎のような下男、飼い慣らされた鴨のような小間使い、下女を従えました。時は晩春、穏やかな豊年で、道には障害もなく、旅路はとても快適でした。ところが、楽しみが極まると悲しみが生じるように、とても順調なときには苦しみが起こるものです。晁大舎は、七百里以上の道を行き、徳州[10]に着きましたが、まだ昼になっていないのに、東北の空にたくさんの雲が沸き起こり、細かい雨が激しく降りだしましたので、綺麗で広い宿屋を探し、泊まらざるを得なくなりました。昼食をとりますと、雨はますます激しくなりました。昔から「春雨は油よりも貴い」といいますが、この年は油は雨よりも少なく、二日連続で止みませんでした。晁大舎は、人に命じ、おかず、美酒を買わせ、珍哥と遊んで憂さ晴らしをしました。

 晁住の女房は、キツツキ[11]の生まれ変わりで、舌をのばせば、体半分の長さがありました。また呉の国の伯嚭[12]に生まれ変わったこともあり、そのときは慇懃にしてばかりいました。神さまは、彼女の人となりが良くないので、この世の報いとして、彼女を破れた蒸籠にするという罰を与え、蒸気を漏らすことしかできない[13]ようにしました。連日雨が降り、暇でしたので、彼女は晁大舎、珍哥の前でありとあらゆる話しをしました。その上、ひどく口寂しいと思っていたので、晁夫人から言いつかったこと、持ってきた銀子、真珠、絹布のことを、ことごとく珍哥、晁大舎に話しました。晁大舎は、彼女に目配せをし、口を歪めました。しかし、彼女は話しをしているうちに興奮してきて、黙ろうとしませんでした。そして、晁夫人から言い付かったことを、そのまま話をしただけでも、『藪をつついて蛇を出す』というものだというのに、さらによけいなことを付け足して、言いました。

「汚らわしいあばずれめ。たとえ妓夫があの女をおしいただき、街に跪き、ただで送ってきても、家が汚れるというものです。棒で追い出すべきなのに、どうして八百両もの銀子を使わせ、あんな奴を買ったのですか。わたしは何度も彼女を呼び、衣装をはぎ取り、彼女の髪を切り、こっぴどく殴り、乞食にくれてやろうと思いましたよ。しかし、役所ではこのようなことをするわけにもいきませんでした。奥さまが腹を立てることはできませんが、大奥さまが家に帰られたら、ご沙汰があることでしょうよ」

皆さん、考えても御覧になってください。珍哥が役者をして旦に扮していたときは、どんな人でも、彼女の髪の毛を引っ張り、彼女の腕を叩き、彼女の目を伺い、彼女の鼻を齧ったりしていました。彼女は、淫婦、貧乏人と言われたり、尻軽女、下賤な奴と言われたりするのには、慣れていました。しかし、今は凶暴な性格を逞しくしていましたので、このような話には、我慢ができませんでした。彼女はすぐに髷を垂らし、髪の毛をざんばらにし、天よ地よと罵り、転がり、頭をぶつけ、大騒ぎしました。店子の女、隣家の下女たちは、家の門を取り囲み、それを見ました。給仕の小者、急須をさげた酒売りは、立ち止まり、店の裏で聞き耳をたてました。晁大舎、晁住は晁住の女房に恨み言をいいました。晁住の女房はおろおろしていました。

 珍哥は真夜中まで泣き叫び、翌朝雨が止みますと、ひたすら罵りつづけました。一緒に戻っていった下男と下女も計氏に会いにいきました。晁住は、晁夫人が言い含めたことを逐一話し、晁夫人がことづてた品物を一つ一つ渡しました。計氏は姑の安否を尋ね、送られてきたものを見、天地に向かって泣きますと、銀子、金、真珠、絹物を家の中に納めました。

 翌日になりますと、珍哥は、晁住に、計氏に与えた品物を持ってくるように命じました。

晁住「昨日、奥の大奶奶に渡してしまいましたが」

珍哥は晁住に少し文句を言いましたが、本気で喧嘩しようとはせず、ひたすら晁大舎に向かって大声でわめき、猛烈な呪いの言葉を吐きました。晁大舎は、彼女を溺愛していましたが、心の中で一二割りはがっかりしていいました。

「本当に馬鹿な奴だ。俺たちには何でもあるのに、お母さまがわずかな物をあいつにやったのを、惜しがるなんて」

珍哥「私は物が惜しいのではなく、腹を立てているのです。私が四双八拝して叩頭したというのに[14]、お父さま、お母さまは、どうして二人で二両の銀子を出し、あいつにものをくれてやったのですか。あの日は暖かかったのですから、窓に張る囂紗[15]を二匹着て、下男、下女に会っても、格好がついたでしょう。それなのに、物を持ってきて、あの女に渡すなんて。私は一千両、一万両をもっているのですから、品物を取り上げても私の物にするわけではありませんよ。私は金銀、真珠をぶちまけ、絹物を粉々にし、焼いてしまうのですよ」

晁大舎「おまえは肝っ玉の小さい奴だから、母さんがあいつにやった物を、ぶちまけたり、引き裂いたりするといっても、たぶんそんな勇気はないだろう。計爺さん親子は、おとなしい人間ではなく、外でひどい話しをしている。母さんだって、おとなしい性格ではないぞ。母さんはとても俺を可愛がっている。母さんが態度を変えたら、晁住の女房が言っていたようなことをするだろう。おとなしくすればいいものを、頑固な態度ばかりとりやがって」

ちょっとおさえつけますと、珍哥はだんだんとおとなしくなりました。男というものは、身を引き締め、理に従って行動すれば、いかなる悪妻でも彼を恐れるものなのです。珍哥は凶悪な女でしたが、晁大舎が少しまともなことを言いましたので、『壁を隔てて腕捲りをする[16]』のをやめ、手を緩め、拳を下ろして、おとなしく、しおらしくするしかありませんでした。

 さて、武城県には、劉遊撃という人がおりました。劉遊撃の母親は、小青梅という、十六歳の小間使いを使っていましたが、彼女は急に干血癆[17]になりました、この病は、非常に重いもので、十人のうち十一人が死ぬものでした。劉夫人は、一生懸命に彼女を救おうとしました。彼女自身も願を懸け、病気がよくなったら、出家して尼になろうとしました。すると、果たして「薬は不死の病いを癒し、仏は縁ある人を救う」ということがおこりました。通り掛かりの医者が、響環を振りながら、表門で雨を避けていたので、門番が彼と無駄話をしたところ、干血癆の病いは救いようがないという話になりました。医者は言いました。

「この病気には、二つの種類があるのです。体質が虚弱で、気血がひどく損なわれたものならば、幾ら掬っても水のない、枯れた井戸のようなものです。しかし、気が滞り、血脈を防ぎ止めてしまったものならば、通りをよくすれば、良くなります。どちらも治すことができないというわけではありません」

門番は、小青梅の病気について、彼女と相談しました。彼は言いました。

「私がみてみましょう。治すことができれば、私が投薬をしましょう」

門番は、中に入り、劉夫人にそのことを言い、青梅を中門の入り口に行かせ、医者にみせました。医者は立ち、青梅の手を引き出し、脈を診、さらに、青梅が黄色い顔をしているが、幽霊のように痩せてはいないのを見ますと、言いました。

「この病気は、大したことはありません。薬を一服飲まれれば、利き目が現れるでしょう」

劉夫人は門の中で言いました。

「いずれにしても、この娘には父親がないんだ。治すことができたら、私とこの娘で、紫花[18]の梭布[19]の道袍、薄絹の帽子、靴下を作ってあげましょう。連れ合いの方はいらっしゃいますか。もしいらっしゃれば、その方にも梭布の衫、裙を作ってあげましょう。あなた方二人を、義理の父母ということにしましょう」

その医者は、喜んで顔中を綻ばせました。劉夫人は、二百銭を包み、初診料にしました。

医者「この女の子が、私を義理の父にしようとしているのでしたら、礼金は受け取るわけにはまいりません」

劉夫人「大した額ではありません。初診料としてお納めください」。

医者はようやく受け取り、一包みの丸薬を取り出しましたが、緑豆ほどの大きさが七粒ありました。紅花、桃仁を煎じて作った湯薬とともに、食事をするしばらく前にのむというものでした。食事を準備しながら、倒座[20]の小さな広間で、その医者を持てなしました。そして、薬引[21]を煎じながら、青梅に薬を飲ませました。一杯の茶が沸くぐらいの時間待ちますと、青梅の腹がだんだん痛みだし、二回の激痛の後、二三升の真っ黒な臭い水、最後には鮮やかな赤い血が少し出てきました。医者に報せますと、

医者「もうよくなりましたが、冷水、葱、蒜、生物をとられてはいけません。さらに、内科の名医の、元気を補う煎じ薬十服を得ることができれば、元気になられるでしょう」

 それ以降、青梅の顔はだんだんと黄色くなくなり、月のものは多くなり、毎月出てくるようになりました。劉夫人は、服、靴を準備し、青梅を連れてこさせますと、医者を義理の父としました。彼女は、病気がよくなったら尼になるという願をかけていましたので、毎日、劉夫人にくどくどと話しをしました。

劉夫人「尼には簡単にはなれないよ。尼にはなったこともないくせに、尼にどんないいところがあると思っているんだい。尼になってから、嫌になっても、還俗するのは難しいよ。療養して元気になったら、誰かの婿になって過ごすのが、本分に適ったことだよ」。

 劉夫人が言ったのは、とてもまともなことでした。ところが、青梅は、さらに高い見識をもっていたのです。彼女はこう言いました。

「私は毎日鏡を見ていますが、あまり綺麗ではなく、王さまや殿様の子弟の妻になることはできないでしょう。貴いお方の妾になったとしても、夫は愛してくれないでしょうし、正妻も嫉妬することでしょう。まるで孫行者が太行山の底に押さえ付けられていたようなものです。観音菩薩がやってきて、私のために封印を剥がし、私を釈放してくれることはないでしょうし、たとえ自由になっても、『金箍児』によって一生縛られるでしょう。妾になりたいなどとは思いません。次に、娼妓ですが、これはなっても悪くないものです。とても綺麗な服を着、艶やかな装いをし、王公貴族の子弟に媚びを売り、毎日面白く、気に入った人と、長いこと付き合うことができ、気に入らないものは、すぐに別れてしまえばよく[22]、なかなか面白いものです。しかし、悪いこともあります。客をとることができなかったり、客を迎えても彼を引き止めることができなかったりすると、やり手婆あにぶたれます。人の家に行ったとき、何度も身を低くし、奥さま、奥さまといい、こめつきばったのようにぺこぺこしても、喜ばれることはなく、まるで家に入ってきて、彼女の夫を誘っていくかのように思われます。ですから、娼妓もやはりよくないのです。これ以外には、嫁になり、下女となるか、覓漢[23]の嫁になり、小作人となるかしかありません。男は女をしっかりと管理し、一歩も外に出させないでしょう。ほかの男を好きになっても、『大きな象が瓜子を齧る』[24]というものです。それに仕事が大変で、自分の夫を抱きながら、ぐっすり寝ることさえできないでしょう。考えてみますと、尼になる楽しさには及びません。まるで蝙蝠のように、麒麟を見れば、自分は鳥だといい、鳳凰を見れば、自分は獣だといえばよく、六科給事中[25]のように、だれにも管理されません。年が若く、体が大きく、顔が良く、力の強い和尚は、すべて私の新郎で、私のところに出入りします。気に入らない者には、輪番で見張りをさせ、役に立つ者は、引き止めて常に接待をさせるのです。尼になった者がこう言っていました。頭を丸めますと、俗人の男は、よく『尼と一緒にいるのは縁起が悪い』と言います。さらに、禿頭の上を跨ごうとします。しかし、道姑[26]になれば、黒髪を残し、夜には方巾をとり、俗人の若さま、旦那さま、挙人、秀才、外郎、快手など、自由に選ぶことができます。それに、よそさまの家に泊まりにいき、中門に入れば、どんな王妃、腰元頭、女房、娘、邪険な者、凶悪な者、賢明な者、善良な者、嫉妬深い者、やきもち焼きの者にも、とても気に入ってもらえます。彼らは、茶を飲むようにとか、食事をとるようにとか勧め、暖かい浸に座らせようとし、二三日引き止めて帰そうとしません。去るときは、銅銭、銀子を送ったり、服、方巾、靴下を作ったり、幡幢、テーブル掛け、食糧、醤油や酢を喜捨してくれたりします。武城県の典史さまよりも豪勢です。それに、ご婦人方も、贈物を買ったり、道姑を呼んだりするのにかこつけて、常に十数両の銀子をごまかしとっているのです。考えてみますと、道姑以外には、何もなるものはありません。奥さまがどんなに私を引き止められようと、私の考えは決まっています。とにかく道姑になりたいのです。奥さまがどうしても私を道姑にされなければ、私は別のものになるしかありません」

仲間たちは言いました。

「ほかに何になろうというんだね」

青梅「道姑になれなければ、幽霊になるまでです」

人々はあれやこれやと、劉夫人に伝えました。

劉夫人「あの馬鹿娘のいう通り、尼にさせることにしよう。あの娘が和尚、道士と関係を持っているのを見たら、お役所の拶子に掛けて頂き、小便も出ないようにさせてやろう。おまえは、あの娘に、私たちの家に出入りしている尼たちを見せ、誰が和尚を求め、誰が道士を求めているか。指摘させてごらん」

仲間「私たちも奥さまと同じことを彼女にたずねましたが、あの娘は『私たちの家に出入りしている尼たちは、みんな和尚、道士を求めています。そのことは、あなただって指摘できるでしょう』と言っていました」

劉夫人「大変だ。あの娘は頭がおかしくなったよ。仏さまに仕える女たちをけなし始めるなんて。家の仕事は任せられないから、道袍、唐巾[27]を作ってやり、南門の白衣庵に送り、お師匠さまの弟子にすることにしよう」

暦を見てみますと、四月八日が吉日で、洗仏[28]の日でした。劉夫人は、その前の日に、袍、供物を買い、自ら青梅を連れ、轎に乗り、庵に入りました。お師匠さまは、彼女を受け入れ、弟子にしました。上には桂という姓の師兄がおり、海潮といいましたので、青梅は、海会と名付けられました。

 ところが、海会は庵にいきますと、お師匠さまに災いをもたらしました。お師匠さまは、病気になって死んでしまったのでした。海会は、海潮と二人で、寺を守って過ごしました。海会は、師匠を亡くし、尼になる願いを遂げ、今日は尚書の屋敷、明日は宰相の家へと、出たり入ったりしました。大家の奥さま方は、彼女を見ますと、本当に、彼女が考えていた通りの振る舞いをしました。劉家の親戚だけでも、大勢おり、彼らの間を渡り歩いて食事することができました。晁家は新興の家でしたので、行き来したことはいうまでもありませんでした。計氏の実家も、近年没落したとはいえ、やはり由緒のある家でした。諺にも『金持ちが貧乏になっても、三年はいいものが着れる』と申します。彼らは尼が出入りするのを防ぐことができず、海会もしばしば計家にいきました。一年近くたちますと、晁大舎が家にいませんでしたので、計氏の家にいきました。少し頻繁すぎる嫌いはありましたが、衣裳をもらい、おしゃべりをするだけで、分に外れた悪事はしませんでした。奥には、新しく景州[29]からきた、郭という姓の尼がおりました。年は三十数歳で、色白で太っており、綺麗でしたが、人々は、彼女はもと娼婦だと言っていました。彼女は頭が良く、話がうまく、海会の白衣庵に泊まりました。海会と馴染みの奥さま方は、みんな郭尼姑を招きました。海会が計氏の家に行ってばかりいましたので、郭尼姑も計氏ととても話しが合いました。郭尼姑は善人で、やることなすことすべてがよいことでした。しかし、この禿げ女は、あまりにも頭が良すぎました。彼女は、人に会うと色目を使い、臨機応変の態度をとりました。すなわち、人の家に行き、そこの女が悪者であると考えますと、たくさんの巧妙な手を用い、悪の道を歩ませました。その家の女房が真面目であると考えれば、とても誠実にし、河南程氏両夫子[30]のような顔をし、誠心誠意について語り、王道迂闊の話をし、顔淵が見ようとした半章の書について講じるのでした[31]

ですから、邪悪な女房は、彼女を褒めまくり、道理を弁えた真面目な女房も、彼女のことを徳の高い真の尼僧だといい、一二日の間に、仏か祖師のように彼女を扱いました。計氏は、前世で狐の精と仲間だったとはいえ、夫を苛める心しかもっておらず、災いを起こしたり、寵を争ったり、人を惑わしたりすることは、少しもできませんでした。ですから、晁大舎が彼女から離れますと、手をこまねいて、どうすることもできませんでした。郭尼姑が行き来しても、計氏の心に邪念が生じることはありませんでした。

 珍哥は晁住の女房の話を聞きますと、為す術がなくなり、黙ってしまいましたが、相変わらず「豆をもっているときは、炒りたいと思う[32]」というありさまでした。六月六日、珍哥は衣装を干している人を見ていましたが、海会が前、郭尼姑が後ろになり、計氏の後ろから出てきて、外へ歩いていきました。珍哥は、大袈裟に驚き、叫びました。

「立派な郷紳さまのお家だこと。立派な汚れなきお家だこと。立派な家柄の正しい娘さんだこと。真っ昼間に、大きな頭に大きな耳の道士と、白くて太った頑丈そうな和尚が、部屋の中から出てくるなんて。私は家柄は良くないし、役者でもないけれど、間男を養うときぐらいは、ましな男を選びますよ。こんな汚らしい牛の鼻[33]、禿げの驢馬は、一万年夫がいなくても、欲しいとは思いませんよ」

わめくのをやめませんでした。

 晁大舎は、西の涼亭の上で、昼寝をしていましたが、屋敷の中で、わめく声が聞こえましたので、ぼんやりと起き上がりますと、靴をつっかけ、歩いてきて、尋ねました。珍哥は、相変わらず同じことを言い、罵るのをやめず、晁大舎の顔を指差し、妓夫、烏亀(コキュ)などといい、さらに

「おかあさまが家にいらっしゃれば、立派で汚れのないお家の、血筋正しい奥さまを見せてさしあげるのですがね。私がこんなことをしたら、本当に髪を切られ、服を剥がされ、乞食の嫁にさせられ、生きていけなくなってしまいますよ」

晁大舎「本当か。真っ昼間に、和尚、道士がここから堂々と出ていったのか」

珍哥「この無能。馬鹿。私だけが見ていたわけではないのですよ。小間使いや下女たちが、中庭で衣装を干していたのですから、みんな見ているのですよ」

晁大舎は人々に尋ねました。口を閉じて声をたてない者もあれば、

「どうやら道士、和尚が出ていったようです」

いう者もあり、

「道士ではありません。劉遊撃の家の小青梅でした」

という者もありました。

晁大舎「小青梅は道姑ではあるが、男のような姿をしており、まるで道士のようだが、あの和尚は、一体誰なんだ」

「和尚は見知らぬ人でしたが、小青梅と一緒に歩いていましたから、たぶん尼でしょう」

珍哥「ぺっ。あんたの家にだったら、あんな体が大きくて頭のでっかい尼がいるだろうがね」

晁大舎「やめるんだ。小青梅の奴は、よく人の案内人になるんだ。あいつは和尚を引っ張ってきて、尼に変装させ、中に入れたのだ。すぐに門番を呼び、尋ねてみろ」

その日の門の当番は曲九州でしたので、彼に尋ねました。

「一人の道士、一人の和尚が、いつ奥へ入っていったんだ。さっき出ていったが、まったく見なかったのか」

曲九州「道士と和尚ですって。劉奥さまの家の小青梅と尼が、食事時に、奥さまの部屋へ入っていき、先ほど出てきました。道士、和尚なら、入れたりは致しません」

晁大舎「あの道士が小青梅であることは、間違いないが、あの尼は一体誰なんだ。わが城内の禿げ女たちを、おまえはすべて知っているはずだ。さっき出ていったのは一体誰なんだ」

曲九州は少し考えますと

「あの尼は存じません、今まで彼女を見たこともないものですから」

珍哥は、さらに、曲九州を見、唾を吐くと、罵りました。

「そいつを知らないのなら、どうしてそいつが尼だということが分かったんだい。触ってみたのかい」

曲九州「和尚ではございません、白くて綺麗で、太っていましたから」

珍哥「色黒の貧乏書生、乞食などは、必要ないんだよ」

晁大舎は二回とびはねて

「とにかくあの馬鹿者には我慢ならん。はやく計爺さんと息子を呼びにいけ」

 間もなく、計老人親子二人が、計氏が彼らを呼んで話しをしようとしているとだけ言われ、騙されて、やってきました。晁大舎は、広間に入り、腰を掛けました。

計老人「婿どのが家にこられたので、会いにきたくてたまりませんでした。あれはうちにくることができませんから、うちの娘が我々親子を呼んで話しをしようとしているとおっしゃったのでしょう。奥へいきましょう」

晁大舎「娘さんがあなた方を呼んだのではなく、私があなた方を呼んで、お話しをするのです」

計老人は言いました。

「何をお話しになるのですか。娘が間男を作り、婿どのが忘八(コキュ)ということになったのでしょう」

晁大舎「それ以外には、何も申し上げることはございません。千里眼で、すぐお分かりになりましたね」

そして、小青梅が、白くて太った綺麗な和尚を引っ張ってきて、昼ご飯の時に中に入り、お昼に出てきて、みんなに見られたことを話しました。さらに言いました。

「あなたの娘さんは、とにかく素直ではありませんが、これは人の世の妻によくあることですから、私は鼻をつまんで我慢していました。ところが、あなたの娘さんは、このようなことまでしだしました。私は役者を娶りましたが、彼女は、家では正しい行いをし、とても恭しくしています。『大学』の『礼にあらざれば見ず、礼にあらざれば聞かず、礼にあらざれば走らず、礼にあらざれば説かず』で、私を忘八(コキュ)にしたりはしません。あなたの娘さんは、正式な妻なのに、このようなことをするのですね。私は相談するためにあなたを呼んだのです。役所に訴え、あなたに引き渡すのも、こっそり彼女をつれていくのもあなた次第です」

 計老人は落ち着きはらって言いました。

「晁さん、ちょっと待ってください、ひどい話しをしすぎると、取り返しがつかないことになりますよ。小青梅は、今日の朝、景州からきた郭尼子とともに、甥の屋敷から出てきて、東へいきましたが、きっとここにきたのでしょう。あの郭姑子は、油緑[34]机上紗[35]の道袍、藍の[足反][36]を着けていたでしょう。あの郭姑子が、両性で、女のもの以外に、男のものをもっていたというわけでもないでしょう。わが城内の王府の功臣、大郷紳の家には、あの女は必ず出入りしているのです。小青梅が、いつも和尚を引き入れているというわけではないでしょう。話をされた以上は、責任はとってくださいよ。兵を収めるのなら、速く兵を収められるべきです。娘はあなたがされることを邪魔したことはありません。この二三年、あなたに衣装を作らせたことはなく、私たちの家が持参させた土地からとれた食糧を食べています。私と裁判をしたいとおっしゃるなら、あなたと裁判をし、話をすることにしましょう」

計大舅はすぐに言いました

「父さんは物事がよく分っていません。あの男は、良心をまったくなくしてしまっています。あいつはしっかり計画を立てており、もし従わなければ、簡単に妹の命を断ってしまうことでしょう。あの男が離婚するというのなら、離婚をすればいいのです。私たちの家には、妹が食べるご飯があります。家でじっと待てば、晁大舎、晁大娘も、いつかは帰ってくるでしょう、私たちは、教養のある人と話しをし、あの男と口論をするのはやめましょう。あの男と一緒に役所へ行くとおっしゃいますが、今は包丞相[37]のような役人はいませんよ。探馬[38]、快手に頼んで、三百両の銀と晁大舎の手紙を渡せば、嘘は真になることでしょうよ。『親子二人が告訴をする−息子が死ぬ』とはこのことです。これでは自分で自分の首を絞めることになってしまいます。晁さん、どうにでもおっしゃってください。あなたは私たちの娘を離婚したいのでしょうが、離婚書を書かれれば、お宅に上がって片付けをし、妹を家に迎えるのは、難しいことではございません。あなた方郷紳は、口を開けば、役所に行くとおっしゃいますが、あなたはご存じないのですね。私たちやくざな若者が、役所にいくなどという話しを耳にするとびっくりしてしまうということを」

計老人「行こう。奥で娘に話しをきくことにしよう」

一緒に奥へ行きました。

 ところが、表は大騒ぎをしていましたが、奥の計氏はまるで夢を見ているかのようでした。計老人父子が事件について告げますと、計氏は怒って気を失い、口を閉じ、歯を食いしばり、死にそうになりました。しばらくしますと、ようやく口を開いていいました。

「私が和尚と密通していたですって。あいつが役者を娶るのは許されて、私が和尚を養うのを許さないとでもいうのですか。彼女が見たというのなら、その和尚を捕まえるべきではないのですか。どうして和尚を逃がしたのですか。和尚がいなくなった以上、私が和尚と密通したなどとはいえませんし、私が十人の和尚と密通したとしても、ただただ目を剥いて怒っているしかありませんよ。あいつに離婚書を書かせてください。私はすぐに去りましょう。未練がましいことをしていては、いい妻とはいえませんからね。お父さま、お兄さま、とりあえず家に戻られ、明日の朝来られて、話しをお聞きください」

 計老人父子は、外に出ました。表門に着きますと、向かいの禹明吾と、県庁の直堂の楊太玄が、入り口に立っており、すももを買うことについて相談していました。彼らは、計老人を見ると、揖をして言いました。

「計さん、久し振りだね。晁さんに会いにきたのかい」

計老人は腹を立て、息を切らしながら、かくかくしかじか

「今、離婚書を書き、娘を離婚させようとしているんだ。わしらは、これから家に行き、部屋を片付け、娘を家に迎えるのだ」

禹明吾「それは幽霊を見たんだろう。何が道士、和尚だ。俺は、客を送り出してきたとき、海会と郭姑子が表から出てくるのを見たよ。二人は目の前にきたとき、挨拶をして行こうとしたんだ。俺は『あの海会さんには頭の毛があるから、ひどく日に焼かれる心配はありません。しかし、郭さんはつるつる頭ですから、このように陽射しの強いときは、日に焼かれてしまいます。早く家に入り、昼飯を食べ、涼んでおいきなさい』と言ったんだ。今は家で食事をとっている最中だよ。あの晁さんは、他人のでたらめを信じたんだ」

直堂の楊太玄が言いました。

「知事さまは、晁さんを不愉快に思われているようです」

禹明吾「それはどういうことだ」

楊太玄「若さまたちが、学校から国子監に入られるときは、帖子を使うのが習わしです。肩書きのない者が国子監に入るときは、手本を使うのが習わしです。昨日、晁さんは、帖子を使い、知事さまに挨拶をしましたが、知事さまはそれを見ると、ふんと言われ、帖子をテーブルの下に捨て、何も言わず、礼物も少しも受け取られませんでしたよ」

 話しをしていますと、計氏が頭を振り乱し、上に古い天藍の紗の衫、中に小さな黄色い生絹[39]の衫、下に古い白の軟紗[40]の裙を着け、手に一束のぎらぎらとした匕首をもち、中から表門まで届くような高い声で罵りました。

「馬鹿と売女は出てこい。街の人々に話しをしにいこうじゃないか。引っ越してきて日も浅いから、以前のことは、分からないだろうが、馬鹿者が淫婦を連れて任地へ行き、一年近くなる。その間に、私が家で和尚、道士と密通したというが、街の人々の目を欺くことはできないよ。さっき、海姑子、郭姑子と家にやってきたとき、あの女は、私が真っ昼間に道士、和尚と密通したと言い、私の父と兄を呼び、離婚書を書き、私を離婚させようとした。みんな、聞いてください。あの海姑子、郭姑子は、わが城内の、大きな家、小さな家も、どこにでも出入りしています。二人が和尚、道士だったというのですか。私は面子などに構うことはできません。大勢の隣人の方々、行き来する同郷の人々に、はっきりとお話します。私が死んだら、私のあのあの貧乏な父、兄の証人になってください。馬鹿。おまえはどうして道士、和尚が私の部屋から出てくるのを見たのだ。出てきて、街の人たちに、はっきり話しをするがいい。私を殺すとか離縁するとかいうのなら、おまえにだって理由があるのだろう。首を縮めていればいいというわけでもあるまい。私は淫婦などとは刺し違えないよ。私はあんな卑しい女は嫌だからね。だが、おまえにだけはっきり言うよ。命をよこせ」

さらに、通りに走り出ていこうとしました。

 門番の曲九州は、地面に跪き、両手で防ぎ止め、叩頭して引き止めました。珍哥は、中門に、鉄の桶のように鍵を掛け、息をすることもできませんでした。晁大舎は、二門の中に隠れながら、ひたすら叫びました。

「曲九州さん。あいつをおさえて、街に出ないようにさせてくれ」

街を歩いている人々は、郷紳の家の表門の中で、若い女が大騒ぎしているのを見ますと、どこかよその女が、不平があって、やってきて罵っているのだと思いましたが、晁大舎の女房でしたので、大勢で立ち止まりました。

禹明吾「進み出て宥めるわけにもいかないだろう。計老人、計さんが晁さんの奥さんを宥め、奥にいかせるべきです。あなた方二人は、立派な家の方なのに、とてもみっともないですよ」

計老人「二人は不倶戴天の敵同士ですから、娘を宥めることはできません」

 海姑子、郭姑子は、禹明吾の家で食事をし、その理由を聞くと、息を潜め、裏門を出、煙のように去っていきました。禹明吾は、高四嫂の家に走って行き、言いました。

「向かいの晁の奥さんは、家で喧嘩をするならまだしも、大通りに走り出ていて、とてもみっともない。俺たち男も、あの人を宥めるわけにはいかない。高四嫂、やはりあんたが宥めにいってくれ。他の人では説得できないよ」

高四嫂「私は、初めから見にいこうと思っていましたが、二つの繭を紡いでいたため、いくことができなかったのです」

生絹の裙を手にり、穿きますと、外に歩いていき、目の前にきますと、立ちながら二回挨拶をしました。計氏は、怒りながらも、二回挨拶を返しました。

高四嫂「ああ、晁の奥さん、女というものは立派な態度をとらなければ、話に説得力がなくなってしまいます。旦那さまがどんなに悪くても、あなたが家であの方と大喧嘩をしても、誰もあなたには構いませんよ。こんなに広くて大きな屋敷に住んでいる、郷紳の家の娘が、中にいてはわめく声が聞こえないから、大通りに出てわめかれるというわけですか。男の顔には犬の毛がありますから、何も恥をかくことはありませんが、私たち女は、とにかく体面を考えなければいけません。私の話をお聞きください。話があったら家でしましょう。彼ら二人に、あなたへの謝罪をさせましょう。あの人たちがあなたに百回叩頭するようにしてあげましょう。彼らが九十九回しか叩頭していないときに、私が叩頭をやめるのに同意したら、私は高という名字を改めますよ。晁の奥さん、私の話をお聞きください。はやく中に入りましょう。この大通りには、ひっきりなしにお役人が通っています。お役人は、人々が家を取り囲んでいるのを見て、理由をきき、晁さんたち二人が、あなたを苦しめたことは考えず、あなたが街で大騒ぎしていると思うでしょう。彼らは役人同士でかばい合い、あなたが無罪になれば、旦那さまも無罪でしょう。計老人と計兄さんが追及されれば、ますますみっともないことになってしまいますよ」

 計氏は、その話を聞きますと、口では強気なことをいっていましたが、自分が通りに出、大騒ぎしたことは、よくないことであったと悟り、騙された振りをして、高四嫂の話しを聞きながら、奥へいき、高四嫂に向かって、何から何まで一通り話しをしました。

高四嫂「具体的なことは、彼の家に行って、話し合いましょう。善悪をはっきりさせなければいけません」

こっそり計氏の耳元で言いました。

「しかし通りに出て罵っただけでも、離婚することはできるのですよ」

そう言いながら、立ち上がり、さらに二回拝をして、「我慢。我慢」と言い、去っていきました。

 計氏は、その晩は、とりあえず休戦しましたが、さらに翌朝の勝負を御覧ください。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]原文「忍教鳩是逐」。イエバトは陰険で、妻を追い払うといわれる。『埤雅』「鵓鳩陰、則屏逐其婦」を踏まえる。

[2]原文「堪従爵為駆」。「爵」は「雀」に通じる。雀が駆られるという言葉は『爾雅』釈鳥「桑鳲窃脂」の疏に「賈逵云『桑鳲窃脂、為蚕駆雀者也』とある。桑鳲鳥はイカルのこと。

[3]葉金に同じ。金箔のこと。寸金よりも品質がいい薄い金。

[4]眉公布に同じいと思われる。梅と眉は同音。眉公布に関しては第八十四回の注参照。

[5]原文「晁夫人与珍哥都不回避的」。「回避」は女性が自分の親戚でない男子と顔を合わせないこと。

[6]江蘇鎮江府。

[7]葛の繊維で作った布。

[8]濃い桃色。

[9]絹の一種と思われるが未詳。

[10]山東省済南府。

[11]原文「鑿木馬」。「馬」は「鳥」の誤字と思われる。「鑿木鳥」はキツツキのこと。

[12]春秋時代の呉の奸臣。呉王夫差に讒言し、功臣伍子胥を死に追いやった。

[13]原文「只会撒気」。「撒気」は普通「八つ当たりをする」という意味だが、ここでは「気をまき散らす」という文字通りの意味から、「秘密を漏らす」という意味で使っているものと思われる。

[14] 「私は正妻だというのに」の意。

[15]「囂」は呉語で「薄い」という意味。薄い紗。

[16] 「虚勢を張る」の意。

[17]過度の労働により、血液が枯れ、飲食が減り、顔が黒ずむ病気。

[18]江蘇省松江県で産する、紫色の花をつける綿花。それで織った布。明宋応星『天工開物』「凡棉布御寒、貴賤同之。棉花古書名枲麻、周遍天下。種有木棉、草棉両者、花有白、紫二色、種者白居十九、紫居十一」。

[19]家庭産の手織布。

[20]母屋と向かい合った棟。

[21]処方された薬に付加する薬剤。

[22]原文「頭巾吊在水裡、就開了交」。「交」は「膠」と同音で、表面上の意味は「頭巾が水に落ちる−膠がはがれる」だが、「開了交」には「別れる」の意味もあり、青梅が本当にいいたいことは訳文の通り。

[23]常雇いの作男。

[24] 「少しも満たされない」の意。

[25]明代、六部の事務を監察する機関。

[26]女の道士。

[27]紗で作った黒色の帽子。女性もかぶった。『明史』輿服志三「提調女楽、黒漆唐巾、大紅羅銷金花圓領、鍍金花帯、p靴」。

[28]花祭り。灌仏会。

[29]直隷。

[30]宋代の理学者。程、程頤兄弟のこと。

[31]原文「也会講顔淵請目的那半章書」。未詳。

[32]原文「兜着豆子衣服、只是尋鍋要炒」。「心に不満があり、鬱憤を晴らす機会を探している」の意。

[33]道士を罵る言葉。道士の結い上げた髪が牛の鼻に似ているのでいう。

[34]深緑。

[35]機械織りの紗の一種と思われるが未詳。

[36] [足反]子は未詳。趿子の誤りか。趿子は趿鞋、撒鞋、扱鞋に同じく、スリッパ。南方では草、北方では布を用いて作るという。清翟灝『通俗編』巻二十五「『輟耕録』「西浙之人、以草為履而無跟、名曰趿鞋」…此均為南方之趿鞋也。北方所謂趿鞋、則制以布、而多其系」。

[37]包拯のこと。宋代の名裁判官。

[38]偵察をする騎兵。

[39]生糸で織った絹。

[40]柔らかい紗。軟機紗とも。清葉夢珠『閲世編』巻八「其後有軟機紗、番紗、綫紗、永紗、皆因一時好尚、群相和従耳」。

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