第六回

小珍哥が寓処で下男と密通すること

晁大舎が都に行って国子監生となること

 

富んだとて棄ててはならぬ古女房

貧しさと苦しみにともに耐へたるものなれば

蜚翠、真珠はいらぬもの

並みの食事に満足し

粗布の服で寒さは避けられん

美女を欲することなかれ

密通を防ぐに心を砕くべし

すきあらば、勝手に男につかんとし

元に戻らんとはせずに

天に貼りつき、飛ぶのみぞ  《臨江仙》

 

愚かなる人は、(きぎす)を好むなり

(きぎす)の羽は麗しかれど

すきを見て飛び立たんとし

餌をやるとも飽くことぞなき

(とり)はみすぼらしきものなれど

死ぬるまで飼い主の下にをり

夜もすがら眠らんとせず

五更には、夜の明けたるを報すなり

 

雉の羽は麗しく鮮やかにして花のごときも

昔より、美貌は家を傾くるもの

(くだかけ)は、夜明けを告げて早起きし

奥の間にじつと坐し、ひたすら麻を紡ぐなり。

 晁書ら二人は、吉報を得ますと、荷物を纏め、もってきた二百両の旅費の中から五十両を残し、胡旦に与え、都での費用にさせ、蘇錦衣に別れを告げ、長距離用の騾馬を雇い、一緒に南へ帰ってゆきました。

 さて、二月十九日は、白衣菩薩[1]の誕生日でした。珍哥は、療養をし、だんだんと良くなりましたので、二つの靴を作り、香、蝋燭、紙馬[2]を買い、晁住の女房を廟にお参りに行かせました。門を出ようとしますと、外で騒ぐ声がしました。晁大舎は、髪を梳いていましたので、珍哥と一緒にびっくりしました。下男が報告しました。

「昔、吉報を届けた七八人の男が、旦那さまが北通州の知州になられたことを知らせにまいりました」

晁大舎は大変喜び、こう思いました。

「どうりでお祖父さまが二回夢にあらわれて、俺に北の両親の所へ行くようにと言っていたわけだ。俺は両親が今南にいるのに、どうして北へ行くのだろうと思っていたが、お祖父さまはあらかじめご存じだったのだ」

晁大舎は、外に出ますと、吉報を届けた人々に会い、人を店に遣わし、大きな桃紅[3]の布[4]八疋を買わせ、人々に赤い布を掛けてやり、東の屋敷の書斎に送り、休ませました。翌日、酒を並べ、もてなしをし、百両のお祝儀を包みました。人々が、少ないのを嫌がりましたので、さらに五十両を増やしますと、喜んで散ってゆきました。親戚、友人たちは、ひきもきらず、みんなお祝いを言いにきました。しかし、晁大舎は、表門の外までは送りにゆこうとしませんでした。

 さて、晁知県に話しを移しましょう。晁書ら二人が家につく十日前に、吉報を届ける者は家についていました。晁知県は、印刷された報せを見ますと、吉報を届けた者たちを、寺に送って休ませ、彼らが満足するように金を払いました。そして、上申書を準備し、職務引き継ぎのための帳簿を作り、巡撫、道台[5]に別れを告げ、二隻の官座船[6]を雇い、四月一日を選んで離任し、故郷にはよらず、まっすぐ通州に赴任しました。また、一千両を量りとり、梁生に渡し、梁生に劇団の人々への別れを告げさせ、一緒に船に乗り、都に入りました。

 晁知県が出発する日は、数人の郷紳、挙人が餞別をし、見送りましたが、なかなか礼儀に適ったものでした。華亭県の教諭、訓導、秀才、四方の人民は、晁大尹を蛇蠍のように憎んでおり、厄払い[7]をしたくてたまりませんでした。両学[8]も、何の帳詞[9]も作りませんでした。人民たちも記念のために靴を脱がせる[10]仕来たりのことを口にしませんでした。郷紳たちは言いました。

「晁知事は、自分が士人、人民に冷酷に振る舞ったことはないと言い、物の分からない人々は、華亭の風俗が純朴でないと言っている。我々は帳詞を作り、各家の子弟を冒頭にし、学生一同の名前を書き、教官に送って頂くようにお願いしよう。さらに、飾り付けをした亭を準備し、二足の靴を求め、我々の佃戸[11]、荘客[12]たちに、人民の服装をさせ、彼のために靴を脱がせてやることにしよう」

計画を立て、その日が来ますと、船に乗せました。県の士人や農民には、三牲を買ってお礼参りするものもあり、金を出し合い、お祝いの法要をするものもあり、白い紙を燃やすものもあり、厄払いをするものもあり、ひたすら念仏を唱えるものもあり、念仏を唱えながら呪い、罵るものもおりました。

 晁大尹は華亭を去りました。その有様は、大変堂々としており、旅路は順風満帆でした。五月の端午の前に、済寧[13]に着きますと、早朝に船を泊め、岸に上がり、二三十斤の臙脂を買い、任地へ持っていって贈り物にしようとしました。さらに、人を遣わし、まず家に報せを送りました。

 その晩、晁大尹が眠りますと、彼の父親が、船倉に入ってきて、言いました。

「源児は、最近、理由もなく娼婦を連れて狩りをしたり、狐の妖怪を射殺(いころ)したり、悪いことばかりしている。彼女に二回復讐されたが、わしが救ってやったので、死ぬことはなかった。しかし、おまえたち父子の運気は衰えているので、彼女の手から逃れることはできない。おまえがあれを連れて、一緒に赴任すれば、一つには狐の妖怪から遠ざかることができるし、二つには陛下の都があるところだから、妖怪もついてこようとはしないだろう」

晁大尹は目を覚ましますと、夫人を呼び起こしました。

夫人「私は、お義父さまと話しをしていましたのに、どうして呼び起こされるのです」

二人は、夢の中のことを話しましたが、まったく同じでしたので、とてもびっくりしました。朝に手紙を書き、大舎に送り、その中で「武城は運河沿いだが、わしが長旅から急に戻れば、親戚、友人がやってきて、引き止められ、面倒なので、故郷には行かず、道すがら墓へ行き、先祖を祭り、焚黄をし[14]、それが終わったら、船に戻ることにする」。さらに「お祖父さまが夢に現れたが、とても奇妙なことに、母さんも同じ夢を見た。すぐに荷物を纏め、妻の計氏とともに任地にくれば、ついでに試験を受けることもできる。ぐずぐずしてはいかん」

 ところが、晁大舎は計氏を捨て、八百両で珍哥を娶ったことを隠していましたので、二人の年老いた愚か者は、何も知りませんでした。常に下男が行き来していましたが、下男は、老主人に仕える日数は短く、若主人に仕える日数は長かったため、話しをしようとしませんでした。しかし、今回、手紙に、計氏と一緒に任地にくるように書いてありましたので、ごまかすことはできなくなりました。晁大舎は、すぐに布団を準備し、八人の轎かきを雇い、以前都で買った大轎[15]に乗り、『金剛経』をもち、六七人の下男を従え、運河を通って迎えにゆきました。二三日進みますと、船がやってくるのが見えましたので、父母に会い、家や故郷のことを話しました。さらに、計氏が流産して、旅をすることができないから、今は一緒に行くことはできない、父母を先に行かせ、計氏が休養してから、あらためて行っても遅くはないと言いました。

 晁大舎と父母は、船で数日間旅をし、武城に着き、道祖神を祭り、焚黄をおえました。晁大尹は雍山荘が人に放火されて丸焼けになり、たくさんの穀物もなくなってしまったことを知りますと、溜め息をつき、船を北へ向かわせました。晁大舎は、さらに二駅送り、計氏が少しでも旅立つ気配を見せれば、船に乗るか、陸路を通るかして、任地に赴くことを約束しましたが、その話しはさておきます。

 晁大舎は家に戻りますと、珍哥に言いました。

「お父さま、お母さまはおまえを娶ったことを聞かれると、とても喜ばれ、すぐにおまえを船に乗せ、一緒に任地へ行かせようと仰った。俺はおまえが流産をして立ち上がれないから、遅れてゆくしかないといった。おまえがよくなったら、俺たちもゆくことにしよう」

五月の終わりになり、三伏[16]を過ぎますと、晁大舎は、七月七日に、陸路で旅を始めることにしました。騾馬、轎かきを雇い、荷物をきちんと準備しますと、後は出発の日を待つばかりでした。

 五日の午後に、計氏は、四五人の下女を連れ、表の広間の中にやってきて、舅に買ってもらった、轎囲[17]、手すりのついた轎を自分の家の奥に運びますと、こう言いました。

「これは、舅が私に買ってくれたもので、卑しい奴が乗ることができるものではない。誰かが話しをしに出てこようものなら、轎を粉々に砕き、命だって捨ててやるよ」

下男は晁大舎に報せました。珍哥は怒って目を剥き、口を開け、声を出すことができませんでした。

晁大舎「みっともない奴だ。この轎がなくても、俺たちはゆくことができるのにな。俺はこれより一万倍もいい物をもう一台買ってやろう」

そして、二十八両の銀子を使い、郷紳の家から大轎一式を買って戻ってきました。珍哥は喜びました。晁大舎は、下女を遣わし、計氏に話させました。

「先ほど、五十両の銀子で、轎を買ってまいりましたが、とても綺麗でしたので、お見せ致しましょう」

計氏は、下女の顔に、べっとりとした唾をいきなり吐き掛けますと、

「減らず口ばかり叩いて。おまえが五千両で轎を買っても、私には関係ないよ。おまえが私のぼろい轎に手を触れない限り、たとえ五万両の轎を買ったって、私とは関係ないよ」

下女は唾を吐き掛けられますと、風のように逃げてゆきました。

 七日になりますと、準備を整え、留守番役に仕事を託し、人々は北に向かって出発しました。朝には歩き、晩には泊まり、北京に着きました。ところが、晁大舎は、珍哥をすぐに父の任地に行かせようとはしませんでした。そして、うまいことをいい、父母を騙し、承知させてから、珍哥を父母の家に入れようと考え、沙窩門[18]内に、毎月三両の銀子で、大きくも小さくもない家を借り、食器、炭、米など一切の物を買い、珍哥を泊まらせました。一緒に行った下女を都に残し、さらに、晁住ら二人をとどめ、珍哥の世話をさせました。晁大舎自身は、さらに二日とどまり、数人の下男を従え、通州の任地に行きますと、計氏が流産し、病気は一向に良くならず、父母が待ち焦がれているだろうと思ったので、自分が先に来た、と言いました。晁夫人はひどく残念がり、

「家は運河に面しているのだから、船に乗れば役所に着くのに、どうしてあの人を連れてこず、家においてきたんだい。だれがあの人の身近にいて、世話をしているんだい。。おまえもひどいことをするものだね。それに、都には、いいお医者さまもいるから、治療することもできるというのに」

晁夫人は、息子に文句を言ってやめず、さらに、人を帰らせ、計家に娘を送るように頼ませようとしました。晁大舎は、とりあえずごまかしました。

 七月二十四日になりますと、

晁大舎「明日二十五日は、城隍廟の縁日です。私は廟に行き、品物を買い、いろいろな所も見てみたいので、数日泊まってから、戻ってまいります」

晁老人は承知し、彼に六七十両の銀子を与え、二人の捕り手の下役を従わせました。

晁大舎「こんなたくさんの下男がいるのですから、捕り手の下役など必要ありません」

八名の男を選び、轎に乗り、沙窩門の珍哥の家に入り、泊まりますと、珍哥に向かって

「おまえは役所にゆかなくてよかったよ。役所はとても狭く、尻も動かすことができないし、糞と小便をするところもない。俺たちは、広い家に住み慣れているから、あんなこおろぎ箱では、二日たらずで気が塞いでしまうよ。一緒に都に入らないのは正解だったよ。もしも中に入ったら、役所の規則で、出てくることができなくなってしまうから、おまえも難儀していただろう」

珍哥はだまされました。二十五日になりますと、晁大舎は肘掛けにあった銀子を持って廟に行き、どうでもいいものを幾つか買いました。そして、都の家に戻り、七八日泊まりますと、珍哥に別れ、通州に帰りました。

 さて、晁住は、子供のときから下男をしていたわけではなく、門番や兵隊になったりしたことがありました。彼は、年は二十四五、赤黒い顔のがっしりした若者で、晁老人が役人に選任された後に、友人からもらったものでした。晁大舎は賢い彼を気に入り、あらゆることを彼に任せました。役者の予約、銀子、銅銭の出納、礼物の管理などは、彼がとりしきっていました。珍哥が役者をしていたころ、晁住は、一日中、彼女とおしゃべりをしていました。彼女を買うときは、値段を交渉したり、上前をはねたりしました。二人は莫逆の友とでもいうべきものでした。ところが、馬鹿な旦那さまは、よりによってその彼に、都で女たちの番をさせたのでした。晁住の女房も、珍哥と『同じ鼻の穴から息を出している』かと思うほど、意気投合していました。晁住夫婦は、だんだんと不相応に派手な衣服、靴、靴下をつけるようになり、閨房の中では、口では言えないような様々なことが行われるようになりました。しかし、馬鹿旦那さまは、まるでつんぼか目くらのような有様でしたので、あまり旦那さまを憚る必要もありませんでした。しかし、側にいる人々の噂は、匙でも箸でも掬えないような有様[19]になりました。晁住は、晁旦那さまの厚い恩を受け、恩返しをしないわけにはゆきませんでしたので、一生懸命金を稼ぎ、翠緑鸚鵡色の万字頭巾[20]を買いましたが、あまり綺麗ではないだろうと思いました。さらに、金箔胡同[21]へ行き、金を買い、東江米巷の金細工店に送り、転枝蓮を描きましたが[22]、大変綺麗なものでしたので、晁旦那さまに被ってもらうことにしました。晁旦那さまは、このようなよい頭巾をかぶることができたのですから、それで満足するべきでした。しかし、彼は晁住の善意を無にし、さらに上舎頭巾[23]というものをかぶろうとし、彼の父親に、文書の下書きをかき、上申書を作り、事例を援用して国子監に入りたいと言いました。彼の願い通りに、礼部は事例を援用し、上申書を送り、あれこれ手を回し、附学[24]の生員の肩書きを手に入れました。さらに、中央官の事例を援用し、二三十両をおまけしてもらい、三百両たらずの費用を納めおわりました。同郷の中央官の保証書をもらいますと、原籍地にゆき、調査をする必要もありませんでしたので、吉日を選び、国子監に入り、司業祭酒[25]に会い、座席を与えられ、典簿[26]、助教[27]などの役人に挨拶をし、毎日行列をつくり、お揃いの儒巾をつけ、挙人の円領[28]を着、一丈の長さの紺色の帯紐を結び、白い底の黒靴を履き、行列に交じり、堂に上って、名簿に署名をしました。まさに、

普段から勉強はせず

「之」の字「乎」の字も知りはせず

青袍を着てゆつくりと学校に()りたれば

己を恥づかしく思ふ

大成殿に入りたれば

孔子、孟子も逃げてゆく

進み出で「何者ぞ。なにゆゑここに来たるや」と問はんともせず  《卜算子》

 晁大舎は、毎日国子監で勉強するという名目で、都にとどまっていましたが、一切の生活費は、三日にあげず通州から送られてきました。彼は、国子監の前に住んでいる私娼と付き合い、彼女に金をやり、仲良くし、国子監で宿直していると嘘をつき、数晩宿屋に戻りませんでした。珍哥はあまり寂しくはありませんでしたので、彼が国子監に泊まることを喜びました。むしろ、彼女の方が家で『国子監に泊まって』おりましたので[29]、彼のすることに決して構おうとはしませんでした。

 十二月二十日の後までとどまりますと、晁老人は、人を遣わし、こう言いました。

「子供が勉強をするときでも、先生は休みをとらせるものだ。正月がきたというのに、都で何をしているのだ」

晁大舎「先に帰って、お父さまに伝えてくれ。俺は二十五日の縁日に行き、品物を買ってから帰りますとな」

使いは去ってゆきました。その後は、珍哥に、しっかり正月用品を買い、頭のてっぺんから爪先、口の中から腹の中まで、すべての物を揃えてやりました。さらに、廟にゆき、珍哥に四両の真っ白な大真珠、幾つかの玉花[30]、玉結[31]の類い、幾つかの刺繍をした衣裳、一匹の真紅の万寿宮錦[32]を買ってやりました。

 その日、廟では、二つの奇妙な生きた宝物が売られており、たくさんの人が取り囲んで見ていましたが、だれも値段を言い出そうとはしませんでした。晁大舎は、人に命じ、大勢の人々を遠ざけ、中に入り、見てみますと、金の漆の大きな四角い籠があり、籠の内側の隅には、小さな朱漆のテーブルが置かれていました。その上には、緑色の紙に金泥でかかれた。『般若心経』、周辺を仮縫いした、真ん中の黒い、穂綿の敷物があり、敷物には、真紅色をした、毛の長い、太った獅子猫[33]が座っていました。その猫は、腹一杯食べ、目を閉じ、経に向かって、眠りながら鼾をかいていました。猫売りの男は言いました。

「この猫は天竺国の如来菩薩の家のものでしたが、仏の戒めを守らず、瑠璃灯の油を盗んだ鼠を噛み殺してしまいました。如来はお怒りになり、この猫を殺し、鼠の命の償いをさせようとしましたが、有り難いことに八金剛[34]、四菩薩[35]と十八羅漢[36]がこの猫のために許しを請うたため、命を許し、西洋国の朝貢する人々に連れられて中国にゆき、凡人に養われるという罰を与え、五十年したら元に戻ることができることにしたのです。よくお聞きください、この猫は鼾をかいているのではなく、『観自在菩薩』と念仏を唱え続けているのです。この猫は、観音大士は苦難を救うお方です、観音老母に救われ、西の国に帰りたい、といっているのです」

晁大舎が耳をそばだてて聞いてみますと、本当に経をよんでいるようでしたので

「本当におかしなことだ。この体中に生えた真紅の長い毛だけでも珍しいのに、経をよむこともできるとは。しかし、西の国からきた人は、今どこにいるのだ。俺たちもその人に会って、詳しいことを聞きたいものだ」

猫売りは言いました。

「その西方人が貢ぎ物を納めおえますと、私はこの猫が売りに出される前に、二百五十両の銀子を与えて買い占め、その人を送り返したのです」

 晁大舎はびっくりして

「どうしてそんなにたくさんの銀子を求めたのだ。一体どんなよいところがあるのだ」

男「旦那さま、何を仰います。この猫によいところがなければ、私は三四十銭で、とても良い猫を飼い、二三百両の銀子でこの猫を買ったりは致しません。この猫は鼠を追い払うのです。この猫がいる周囲十里以内では、鼠が遠くに避け、鼠のかけらすら見付からないのです。猫いらずを売る人々は、焦ってひたすら飛び跳ね、腹を空かせ、口は臭く、歯は黄色くなってしまっています。これは珍しいことではありません。この仏の猫を飼えば、たくさんの天神、天将が守ってくださいます。妖精や怪物、年を経た狐や猿も、この猫の匂いを嗅いだだけで、即死してしまいます。あの張天師でさえも、腹を立てるしかありません。昨日、翰林院の入り口の家の娘が、狐にとりつかれて死にそうになりましたので、天壇の二人の有名な法師を呼び、狐を捕らえにゆかせましたが、もう少しで狐の精にひどい殺され方をするところでした。後に、張天師が手ずから書かれた護符を貼りますと、真夜中になって、その護符がしゅるしゅると奇妙な音をたてましたので、狐の精が天師の護符に掴まえられたのだと思われました。ところが、そうではなく、護符が動いていたのでした。人が見にゆきますと、護符は人の言葉で『あの狐の精が家の門の外に腰掛けているせいで、わしは小便をしたくてたまらないのに、出てゆくことができないのだ』と言いました。二日目の朝、私はこの猫を連れて市場にゆき、翰林院の入り口を通り過ぎますと、大勢の人々が丸くなって話をしていました。彼らは私を立ち止まらせ、このことを話しました。すると、その狐の精はこの猫が外にいることに気付かずに、出てきて、この猫を見ますと、『きゃあ』と叫び、正体を現わし、その場で死んでしまいました。その家では私を家に呼び、立派な酒席に招き、五両の銀子の謝礼をくれました、私は狐の皮を剥ぎ、なめし、襟巻を作りました。私が被っているのがそれです」

 人々は彼が長話をするのをじっと聞いていました。一人の男がいいました。

「それは冗談だろう。張天師の護符に利き目がないことを茶化しているのだ」

猫売りは顔を強張らせると

「何が冗談なものですか。今、翰林院の向かいに住んでいるのは、翰林院の書記の家です。彼らが証人になってくれますよ」

晁大舎は厄除け、狐の精が恐れたという話を聞くと、猫を買いたいと思い、尋ねました。

「長話は無用だ、真でも嘘でもいいのだ。本当は幾ら払えばいいのかいってくれ。買ってやるから」

「旦那さま、何を仰います。わたしは正直な値段を申し上げているというのに、ひどいことをいわれて。それでは、私は涼姜[37]を売ることになりますよ。正月がきたら、人にたくさんの金を返さなければなりません。すべてはこの猫に掛かっています。先日、この猫を飼ったときも、私は二百五十両の銀子をすべて出したわけではありません。人に頼んで、利息付きで金を借り、半分を付け足して、ようやく買ったのです。この品物がすぐに売れなければ、人がやってきて金を請求しますから、だいたい三四個の銀で手放すことに致しましょう。本来なら三百両欲しいのですが、旦那さまには十両おまけして、二百九十にしておきましょう」

晁大舎「馬鹿言うな。お話しにならん。おまえにぴかぴかの細絲[38]二十九両をやり、天秤で計ってやろう、売るか売らないかは、おまえの勝手だ」

男「言ってくださいますね。蘇州からこられたのに、半分に値切られるのならまだしも、十分の一に値切られるとは」

晁大舎「さらに三両付け足し、全部で三十二両にしたら、売ってくれるか」

男「この正月はとにかく逼迫していて、使う金がないのです。正月をのりきるために、この猫をとっておき、よそ様のために厄払いをすることにしましょう。その方が、たくさんの金を稼ぐことができますからね」

 晁大舎は「厄払い」という言葉を聞きますと、その場を去ることができなくなりました。そして、三十五、三十八、四十、四十五と増やしましたが、男は売ろうとしませんでした。男の仲間たちは、晁大舎が腹を立てるのを恐れていましたし、周りにいる人々が自分たちを助けてくれず、商談が成立しなくなることが怖くもありましたので、あれこれ手を尽くして話しをまとめ、五十両の銀子で、売ることにしました。晁大舎は、肘掛けから、大きな銀塊を一つ取りだし、男に与えました。

男「この銀は一錠の元宝ですが、五十両に足るかどうかは分かりません。どこかで計ってもらいましょう」

仲介人「おまえは見る目がないな。誠実な旦那さまが、おまえを騙すはずがないだろう。−一二両足りなかったとしても、損したことにはならないよ」

一方は猫を手にとり、一方は銀子を手にし、喜んで別れました。男は別れるときに、地面に這いつくばり、猫に二回叩頭すると、言いました。

「仏様。生活が行き詰まっていなければ、あなたを手放しは致しませんでした」

 晁大舎がいこうとしますと、鸚哥を売っている男が叫びました。

「わたしの鸚哥を御覧ください。わたしも正月が近いので困っており、人からの借金を払おうとしているのです」

晁大舎は、立ち止まってちらりと見ると、言いました。

「俺の家にはたくさんいるから、買わないよ」

男「鸚哥よ、旦那さまはおまえを買ってくれないぞ。自分で旦那さまに頼んでごらん、俺にはおまえに食わせる豆はないから」

すると、その鸚哥は羽をひろげ、

「旦那さまが買ってくださらなければ、どなたも買ってくださいません」

まるで人間が喋っているかのようでした。晁大舎は、喜んで耳をつまみ、頬を掻き

「『二つの都に行かなければ目くらも同然』とはこのことだ。この世にこんな珍しいものがあるとは」

晁大舎は尋ねました。

「どれだけ欲しいんだ」

男「これはあの厄払いをできる猫ほど値段は張らず、調教の手間賃だけいただければ結構です。お金持ちの方々が買って帰られ、伝言をする小間使いや小者の代わりにされるだけですから、幾らも頂きたいとは申しません。旦那さまが気に入られたのでしたら、数両多めに、あまり気に入られていなければ、数両少なめにしてくだされば結構です。わたしは都で鸚哥の調教をしている者で、たったの六か月で一群れを調教し、三四羽を持ってきたのです。旦那さまは私に三十両の銀子をくださり、家に持ってゆき、楽しまれてください」

晁大舎「十二両やろう」

その男は売ろうとしませんでした。晁大舎が去ろうとしますと、男は緑豆を取り出し、

「旦那さまがいってしまわれて、おまえを買わなければ、おまえは飢え死にするだけだ」

鸚哥は羽を広げ、何度も叫びました。

「旦那さまが買われなければ、どなたも買ってくれません。旦那さまが買われなければ、どなたも買ってくれません」

晁大舎は振り向くと言いました。

「たしかに不思議だ。二両ふやせば、損はないだろう」

肘掛けを開きながら、十両を一封、五両を一封取り出し、男に渡しました。男は銀を手にとり、包みを開けて見てみますと、いいました。

「十五両は、少なすぎはしませんか。仕方ありません。旦那さまも我慢ができないようですから、お売り致しましょう」

 金の受け渡しをしますと、晁大舎は馬に乗り、下男たちは驢馬を雇い、あっという間に宿屋にゆき、まるで外国人が貢ぎ物を捧げるときのように、猫と鸚哥を珍哥の前に持ってゆきました。ところが、珍哥はわざと目もくれない素振りをしてみせました。そして、買った服、錦、緞子と真珠、玉花などを取り出しますと、手にとってしきりに弄びました。

晁大舎「田舎者め。二つの生きた宝物を見ずに、二つの真珠を弄んでいるとは」

珍哥「ろくでもない獅子猫と鸚哥が、生きた宝物ですって。それはとんでもない宝物ですよ」

晁大舎「馬鹿者め。おまえの家に、こんな大きな獅子猫と、こんなによく話せる鸚哥がいるというのか」

珍哥「おやおや。何を仰るのです」

晁大舎「口答えばかりしているな。ほかの物はともかく、世の中にこんなに大きな獅子猫がいるものか。これは十五六斤の重さがあるじゃないか」

珍哥「何もご存じないのですね。北京城には、犬より大きな猫や、猫より小さな犬は、どれだけいるか分かりませんよ」

晁大舎「俺たちの故郷には鸚哥がたくさんいるが、こんなに話をすることができるものはいないだろう」

珍哥「どうして今は喋らないのですか」

晁大舎「鸚哥、話をして聞かせてやれば、おまえに豆を食わせてやるぞ」

すると、鸚哥は

「旦那さまが買われなければ、どなたも買ってはくれません」

と言いました。

珍哥「喋るというのは本当ですね」

そして、言いました。

「鸚哥、ほかのことを喋ったら、おまえに豆を食べさせてあげるよ」

その鸚哥はふたたび言いました。

「旦那さまが買ってくださらなければ、どなたも買ってはくれません」

珍哥は晁大舎を見ながら大笑いして

「お馬鹿さん。だまされたのですよ。この鸚哥に別のことを言わせることはできないのですか」

 晁大舎は

「鸚哥、猫がきたぞ」

と何度も叫びました。しかし、鸚哥はやはり何度も「旦那さまが買ってくださらなければ、どなたも買ってはくれません」と言うだけでした。珍哥は、晁大舎を見ると、言いました。

「お馬鹿さん。こんなまぬけを買ってどうするんです。数銭の銀子を残しておいて、正月に瓜子児を買ってかじったほうがよかったのに。目くらが金を落としたとはこのことですわ」

晁大舎「数銭の銀子だって。これは十五両の銀子で買ったんだぞ」

珍哥はくすっと笑って

「十五両の銀子があれば、少なくとも四十羽は買えますよ」

晁住に尋ねました。

「本当は何銭使ったんだい」

晁住「本当に十五両です。一分も間違いはございません」

珍哥「ぺっ。ば…」

口を噤んで罵るのをやめ、さらに尋ねました。

「この猫は何銭の銀子で買ったのですか」

晁住「一錠の元宝で買ったのです」

珍哥「何を嘘をついているんだい」

晁住「この猫は騙されたということもないでしょう。私たちのところの猫には赤いのはいませんし、お経をよむことができるものもいません」

珍哥「赤いですって。ほかにも緑、青、黒、紫のがいますよ。いずれも顔料で染めたものです。生まれつきのものがあるはずがないでしょう」

 晁大舎「お利口さん。何も知らないくせに、口答えをするなよ。手に唾をつけて、捩じって、色が落ちるかどうかみてみるがいい」

珍哥「茜の色がおちるものですか。絨毯、褐子[39]、紐の色が落ちるわけがないでしょう」

晁大舎「でたらめをいって。生きているものに、どうやって赤く色をつけるんだ」

珍哥「よその爺さんが髭を黒く染めるときも、死んでから初めて黒く染めたわけではないでしょう。私の家の白い獅子猫を御覧になったでしょう。あれはもともと赤猫で、これよりも鮮やかな赤色をしていましたよ」

晁大舎「どうして今は白くなってしまったんだ」

珍哥「春になり、毛が抜けて白くなってしまったのですよ」

 晁大舎はしばらくぼうっとしてから、晁住に向かって言いました。

「あんな奴に騙されては駄目じゃないか」

さらに

「しかし、お経を読むことができるのは、面白いだろう」

珍哥「その猫にお経をよませてみてください」

晁大舎が猫の首の下を何回か掻きますと、猫は目を細め、鼾をかき始めました。晁大舎は喜んで

「聞いてみろ。聞いてみろ。本当に唱えているぞ。『観自在菩薩、観自在菩薩』とな」

珍哥「面白くも何ともありませんよ。こんなお経は、どこの家の猫だってよめますよ。−おまえ、うちの小玳瑁をつれてきておくれ」

下女は玳瑁猫[40]を捧げ持ってきました。珍哥が猫を胸に抱き、首の下を何度か掻いてやりますと、その玳瑁猫も目を細め、やはり「観自在菩薩」といい始めました。

珍哥「お聞きください。あなたの猫が五十両なら、私のこの小玳瑁は六十両ですよ。猫はみんなこのように鼾をかき、お経を唱えるのですよ。北京城に馬鹿息子たちがいなければ、ならず者は飢え死にすることでしょうね」

晁大舎は息が詰まり、晁住もしょんぼりして去ってゆきました。

 晁大舎「いずれにしても俺たちの金を使ったわけではなく、親父の金を使ったのだし、この猫は鼠よけにできるというから、普通の猫として飼い、鼠を捕らせることにしよう」

下女に命じ、緑豆をとらせ、鸚哥の罐におきました。鸚哥は下女が豆をとるのを見ますと、飛びながら何度も「旦那さまが買ってくださらなければ、どなたも買ってはくれません」と叫びました。

珍哥「いい鸚哥ですこと。よく話しをして」

さらに、小間使いに命じ、猫の籠の中の赤漆の几、卓と金泥の『心経』を取り出し、混ぜご飯を作り、籠の中に入れました。猫は食べずに、半分を残しました。まさに、

欲深男が良き子を得なば

悪銭の身に付かぬこともなからん

 さらに次回をお聞きください。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

中国文学

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[1]白衣観音。大白衣、白処観音ともいう。

[2]神像を印刷した紙。寺観で燃やす。

[3]紅花で染めた色。蓮紅より淡く銀紅より濃い。

[4]原文「揀布」未詳。「練布」の誤りか。「練」は染色前に布を漂白すること。

[5]道員ともいう。布政司、按察司の管轄区域の事務を司った。布政司の佐官である左右参政、参議は各道の銭穀をつかさどり、分守道と、按察司の佐官である副使、僉事は各道の刑名をつかさどり、分巡道と呼ばれた。

[6]役所の船。官船とも座船ともいう。

[7]原文「打醋壜」。十二月二十八、九日に、河原から丸石を一つから三つ拾って家に戻り、洗い清める。除夜に石をかまどで熱し、取り出して、檜の葉を盛った鉄の桶の中にいれ、酢、食用油、水などを入れ、煙を出す。一家の主が線香、黄表紙に火を点し、桶を持って各部屋と家畜小屋を回り、歩きながら汚れを払い、おめでたいことがあるように祈る。それが終わると、桶を持って門の外か十字路に行き、中に入れたものを捨てる。

[8]教諭と訓導。

[9]幛詞ともいう。お祝いの衝立に書く祝辞。

[10]原文「脱靴遺愛」。「脱靴」は、『旧唐書、崔戎伝』にある、崔戎が州知事を離任する際、州の人民が彼を行かせまいとして靴を脱がせようとした故事に基づく言葉。「戎去華州刺史、将行、州人恋惜、至有解靴脱鐙者」。

[11]小作人。

[12]小作人のうち、耕作以外に、労役、治安維持などに従事するもの。

[13]山東省兗州府。

[14]朝廷から官吏に任命されたものが、黄色い紙で報告文を一通書き、家廟で焼き、先祖に報告すること。

[15]四人から八人で担ぐ轎。

[16]夏至から三番目の庚の日から十日間を初伏、四番目の庚の日から十日間を中伏、立秋後始めの庚の日から十日間を末伏、あわせて三服という。

[17]轎の周りの覆い。

[18]現在の北京に沙窩門という城門はない。未詳。

[19]原文「説得匙箸都撈不起来的」。「とても多い」ということ。

[20]卍字頂巾ともいう。男子が閑居するときにかぶる頭巾で、上が広く下が狭い。

[21]所在地未詳。

[22]原文「銷得転枝蓮」。「銷」は金を粉末にして顔料を作り、衣服に絵をつけること。「転枝蓮」は茎の曲がった蓮の花を象った紋様と思われるが未詳。

[23]上舎は国子監生のことをいうが、上舎頭巾については未詳。国子監生がかぶっているような頭巾をいうか?

[24]初めて生員となり、歳試を受けないもの。

[25]国子監の総長。

[26]国子監の文書官。

[27]教授の次官。

[28]丸襟の服。明代、官吏が着用した。清葉夢珠『閲世編』巻八「如前朝職官公服、則烏紗帽、圓領袍、腰帯、p靴」。

[29]原文「他却在家里『宿監』」「宿監」は「宿姦:姦通をする」と音が同じ。

[30]玉のかんざし。

[31]簪の端から垂れ下がっている真珠。明顧起元『客座贅語』服飾「長摘而首圜式方、雑爵華為飾、金銀、玉、玳瑁、瑪瑙、琥珀皆可為之、曰簪。其端垂珠若華者、曰結子」。

[32] 「萬壽」の模様を織り上げた錦。

[33]毛が長く白い愛玩用の猫。ペルシャ猫か。『咸淳臨安志』「都人畜猫、長毛白色者名獅猫、蓋不捕之猫、徒以観美、特見貴愛」。

[34]八大明王のこと。降三世、大威徳、大笑、大輪、馬頭、無能勝、不動尊、歩擲金剛明王をさす。

[35]四大菩薩のこと。弥勒、文殊、観音、普賢。

[36]賓度羅跋囉惰闍、迦諾迦跋蹉、迦諾迦跋釐惰闍、蘇頻陀、諾距羅、跋陀羅、迦理迦、伐闍羅弗多羅、戍博迦、半托迦、囉怙羅、那伽犀那、因掲陀、伐那婆斯、阿氏多、注荼半托迦、慶友、賓頭盧尊者をさす。

[37] 高良姜のこと。健胃剤。「涼姜」が「涼僵(にっちもさっちもゆかなくなる)」と同音であることと引っかけた洒落。言いたいことは、「わたしはにっちもさっちもゆかなくなってしまいます」ということ。「涼僵」という言葉については許宝華等主編『漢語方言大詞典』五千八十六頁参照。

[38]良質の銀。

[39]原文「羯子」。「羯」は「褐」の誤りであろう。「褐」は羊毛から作られる粗い織物で、絨毯などに用いる。

[40]三毛猫のこと。『相猫経』「一種三色猫、蓋兼黄白黒、又名玳瑁斑」。

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