第五回

知県が賄賂を贈り知州に任命されること

役者が権力者を頼り吏部にゆくこと

 

儒者の家なれど書物の香りなし、

公然と威張り金銭頼りにす。

乞食が丘に登るのは[1]

優孟*[2]が舞台に登るやうなもの。

厳しき徴税、虎に似て、

激しき追徴、狼に似る。

目の前の戒めの石[3]を顧みず、

読みし後、大事な書物を忘れさる。

今すぐに家の富むことのみ求め、

残さるる子の災を考へず。

曲直を弁へず、出鱈目な計画を立て、

善悪を履き違へ、狡猾な計略を巡らせり。

天の(みち)では食つてはゆけず、

善き心では衣服は作れず。

景監[4]を尋ぬとも(なんぴと)も笑ふことなく、

とりあへず俳優に後ろ盾をぞ頼みたる。

 九日の朝になりますと、小珍哥は頭痛も熱もなくなり、腹の腫れも治まり、悪露も出ず、食事をしても口が苦くならず、九割り方よくなりました。しかし、欲情をほしいままにし、たくさんの血を失っていたため、体がひどく弱っていました。晁大舎はさらに一両の薬代を包み、陶器の甕に入れた美酒、五斗の米を運ばせ、李成名に蕭北川の家へ薬を取りにいくように命じました。蕭北川は銀子、米をみると、喜びましたが、まあ大したことはないと思いました。しかし、陶器の甕の酒を見ますと、晁大舎が珍哥が病の床から立ち上がるのを見たときのように、李成名に向かってさんざん礼を言い、一生懸命に李成名を引きとめ、酒とご飯を食べさせようとし、たっぷり一銭の銀子を包んで彼に与え、二服の薬を調合すると、彼に渡し、帰らせました。

 翌十日の朝、七八人の騾馬引きが、二十四頭の騾馬を駆り、晁家の入り口にやってきました。門番は言いました。

「家に病人がいるから、今日は出発することはできなくなった」

人足たちは言いました。

「この騾馬は一日仕事がなければ、草代を無駄食いしますが、そのお金はだれが払ってくださるのですか」

下男が奥に伝えますと、

晁大舎「女房が病気だから、今日は出発できないんだ。二月過ぎに、ほかに吉日を選んで出発するつもりだ。彼らが待ってくれるのなら、彼らに待たせることにするが、待とうとしないのなら、手付け金を渡し、彼らをほかの所へ行かせ、仕事を探させ、俺たちが出掛けるときになったら、他の人足たちを雇うことにしよう」

下男がそのことを外に伝えますと、騾馬引きたちはわめきました。

「春は稼ぎ時で、たくさんの人が騾馬を雇いにきたのに、あんたの家で予約をしていたから、全部断ってしまったんだ。商売がおじゃんになったうえに、騾馬は一日無駄にまぐさを食べた。この前払ってもらった三両の銀子では、二三日のまぐさ代にも足りないぞ。そのほかのおじゃんになった日の分も、弁償してもらいたいものだな」

一方は手付金の返還を要求し、一方は返すまいとし、双方が言い争いました。結局、禹明吾がやってきて、仲裁をし、三両の手付け金を、数日間のまぐさ代とすることにし、後日ふたたび騾馬を雇う場合も、この三両の銀子は費用に含めないことにしました。さらに、家で大きな瓶に入れた酒を温め、人足たちに飲ませ、脅したりすかしたりして彼らを追い払いました。

 さて、晁知県は華亭県にいるときは、全身全霊を、まずは数人の郷紳のために、次に上司のために捧げました。しかし、秀才や人民には、前世からの恨みがあったように応対しました。晁知県には後ろ盾があっため、下々の者は、彼を恨んでも、どうすることもできませんでした。政治は賄賂によって行われるものです。彼は、去年の六月に、三年の任期が満了しますと、十月に勅命を受け、各役所[5]に復命をしますと、必ず推薦を受けました。九月に、蘇州の劇団が、郷紳の趙侍御の手紙をもち、晁知県の所へやってきて、劇を見てくれるように頼みました。晁知県は手紙を読みますと、彼らを寺に送って休ませ、下役に命じ、彼らに食事の面倒を代わる代わるみさせました。二日休ませますと、毎日酒を並べ、郷紳をもてなし、挙人を呼び、監生を呼び、新しくやってきた役者を見せました。さらに、大きな寺の中に高い舞台をしつらえ、『木蓮救母記』を演じ、人民たちに見せました。劇は、半月上演され、ようやく終わりました。呼ばれた郷紳、挙人、監生たちは、順繰りにそれぞれお返しの宴席を設けましたが、そのたびに、これらの役者が劇を演じました。上演が終わりますと、郷紳たちは、示し合わせて十両、挙人たちは八両、監生たちは三十両を払いました。そのほかの金持ちたちは、五百両を出しあいました。六房の下役は、二百両出し合いましたので、たっぷり二千両以上が集まりました。

 十月一日は、晁夫人の誕生日でした。役者たちは、箱を担ぎ、役所に呼ばれますと、扮装をし、誕生祝いをしました。彼らは、晁知県に会うと、何度もお礼を言い、立ち止まり、よその土地の様子を尋ねました。ほかの者たちは、だんだんと離れてゆき、胡旦と梁生だけが残り、話をしました。彼らが、晁知県は任期満了し、もうすぐ昇進されるでしょうと言いますと、

晁知県「今の世の中は、つてが少ないと、龔遂、黄覇[6]のように公正でも、吏部はただでは昇進させてくれないだろう。天子さまの法律は、厳しくなる一方だし、吏部は、ますます厳しく金を要求してくる。今回、有り難いことに、華亭県を手に入れたから、損をすることもないだろう、一日知県を勤めれば、一日分のうま味があるからな。昇進が遅いか早いかは吏部にまかせるまでだ」

梁生「そのようにお考えになってはいけません。いい県であるからこそ、あらかじめ準備をしなければいけないのです。今回、旦那さまは、任期満了されましたが、吏部にいって頼まれなければ、他人が計略を用い、県知事の位を得てしまい、旦那さまは、遠い府の同知[7]や、辺鄙な良くない州に推薦され、大失敗をしてしまいます。知事さまがつてを頼られるのでしたら、我々にはとてもいいつてがあります。あまり金も使わずに、旦那さまの思い通りになることは請け合いです。今回、私たちは、旦那さまの厚いご恩を受けましたから、この機会にご恩返しを致しましょう」

晁知県は喜んで

「おまえたちには一体どんなつてがあるのだ」

梁生「旦那さまがその気であれば、二人の頼りになる腹心をお遣わしください。私たち二人のうち、どちらがかが、彼らと一緒に行くことにすれば、事は袋の中から物を取り出すようにうまくゆきます。来年の二月には旦那さまに、よい知らせをお届けすることができるでしょう」

晁知県「とりあえず、妻の誕生日を過ごし、明日相談することにしよう。おまえのいうことは至極尤もだ。良くない職に推薦されたら、どうしようもないことになってしまうからな」

 翌日になりますと、胡旦、梁生は近くの静かな書斎に呼ばれました。

梁生「都で要路にある方々には、私たちのことを気に入ってくださる方がたくさんいます。吏部の司官[8]たちも、私たちの知り合いです。彼らはすべて役に立ちます。それでも頼りないと思われるのであれば、大砲のように頼りになるところがあり、さらに事は早くすみます。私に自由に仕事をさせて下さりさえすれば、事が成功することは請け合いです。どのように事を成功させるかということには、構われる必要はありません。私たちについてくる二人の人間には、宿屋で荷物を見張らせればよろしいです。彼らがよけいなことに干渉し、私たちの行動を抑えるようなことがあってはなりません」

晁知県は笑いながら尋ねました。

「とにかくそのつてが誰なのかいってくれ」

梁生「司礼官[9]の王さまなら、確実です」

晁知県は驚いて尋ねました。

「わしには金はあまりないし、官位も大したことはないから、王さまの所へいって、仕事をしていただくことはできないだろう」

梁生「それだからこそ、私たちに自由を与えていただきたい、一緒に行く人には行動を抑えていただきたくないと申し上げているのです。旦那さまは、とにかく私たちの申し上げた通りになされば宜しいのです」

晁知県「だいたいどれだけの品物が必要だろう」

梁生「旦那さまがどこの役所に昇進するか考えをお決めになれば、どれだけの品物を送るか考えることができます」

晁知県「わしは、ここ数年役人をしたが評判はよく、四五回保薦[10]を受けたこともある。任期満了したばかりで、第一に行取[11]を望んでいるが、これはかなり難しいだろう。その次は、六部の属官だが、これは楽になれるだろう。しかし、今は天子さまが英明なので、司官[12]の仕事は大変だし、吏部、礼部以外、ほかの兵部、刑部などの四部の役人になるのも大変だ。まず兵部だが、也先がしばしば辺境を侵し、しばしば関所を突破しているので、最も責任が重いものだ。その次は刑部だが、今は大獄がしきりに起こり、司官は忙しくしており、人民に訴えられて官位を奪われたり、廷杖に処せられたりもするから、これも元手を損するところであることは、いうまでもない。そのほか戸、工の二部も、最近の仕事は大変で、利益もあるが損失もあり、我々運のない者が担当することはできないものだ。部の属官がだめなら府の同知だが、この人間関係の煩わしい役所は、うま味がないし、馬鹿にされるから、なるのは嫌だ。だが、知州に転職すれば、主任官だから、あらゆることが自由にできるだろう」

梁生「旦那さまの仰ることは至極ご尤もです。しかし、どこの知州になられたいのですか」

晁知県「遠いところには行くことはできない。第一に、我々北方人は故郷を離れることができないからだ。第二に、わしも年をとったからだ。太倉、高郵、南通州はいい場所で、近いが、土地がとても広いし、わしも年をとったので、仕事をする元気がない。それに、聞くところによれば、この地方では、銭糧の脱税が多く、知州はしばしば弾劾されたり、罰せられたりし、任期を満了することができないということだ。太倉、高郵、南通州が駄目なら、次は北直隷で、その次が河南だが、どちらもわが山東からはあまり遠くない所だ。北通州ならさらにいい。北京からはたったの四十里で、わが山東からは運河が通じている。それに北通州の知州は、都の官ということにもなるから、覃恩[13]をこうむり、任期満了することもできるだろう。もう一度都へいってみてくれ。この職を得ることができれば、結構なことだ」

 十二月十六日の吉時に、胡旦と下男の晁書、晁鳳が千両の銀子と、二百両の旅費を持ち、山東の長距離用の騾馬を雇い、陸路を通り、元宵節の前に、都に行き、仕事をすることを相談して決めました。胡旦は心の中で思いました。

「晁さまのご恩を受けたため、あの方にご恩返しをするわけだが、やはり幾らかは利益があったほうがいい。ただで苦労をするわけにもゆくまい。要領悪く仕事をしたら、千両の銀子など、正規の費用にも足りないだろう。しかし、梁生が直接会って話をしてくれたおかげで、自由に仕事をすることができる。俺が都に着いたら、臨機応変にふるまえばいいだろう」

風雨に晒され、野宿をし、二十八日間、旅をしました。正月の十四日に、順城門[14]に入り、河漕[15]の脇の小さな庵に泊まり、荷物を落ち着けました。

 司礼官太監の王振は、もともと文安県[16]の儒学の訓導をしていましたが、三年の任期満了のとき、功績がなかったため、永楽帝によって宮刑に処せられ、後宮に入り、女官の教育をしていました。彼は、正統帝のもとで、司礼監秉筆太監[17]となり、正統帝と同じくらいの権勢をもち、宰相でさえも、彼に「門下」「晩生」と書いた帖子を送り、六部の九卿[18]は、彼に会うときは、跪いていました。彼が都を出、辺境を巡察すると、総督、巡撫は、鎧を着け、武器を執り、道端で送迎しました。宿泊する場所では、巡撫、総督は、普段着に着替え、台所に入り、竈の番をしました。彼が教官だったときに、二人の劇団員が、毎日彼に侍っていました。王振が権勢を得ると、この二人は、官職を辞め、王振の下に身を寄せて、長隨[19]となりました。彼らは、後に太師[20]を兼ね、宮廷の芸人たちを教育しました。王振は、とても彼らを気に入りました。やがて、彼らは錦衣衛[21]都指揮[22]の肩書きを持つに至り、家の金銀財宝も糞土のように多くなりました。この二人は、どちらも下賤な者で、一人は姓を蘇といい、胡旦の外祖父、もう一人は姓を劉といい、梁生の母親の兄弟でした。

 その日の晩、胡旦は、持ってきた一籠の素火腿[23]、一籠の干した花笋[24]、一籠の虎丘茶[25]、一籠の白い魚の干物を担がせて、外祖父の家に行きました。門番が報告をしますと、蘇都督は、胡旦を中に招じ入れ、会見し、とても喜びました。胡旦の実の外祖母は、とうに亡くなっており、部屋には、三四人の若い妾がいるだけでしたが、みんな出てきて、胡旦に会いました。胡旦が、晁知県が昇進を求めていることをくわしく話しますと、蘇錦衣はうなずきました。そして、食事を並べながら、書斎を片付けさせ、胡旦を泊めました。胡旦は晁書、晁鳳が宿屋におり、一千両の銀子も彼一人のものではありませんでしたので、別れを告げ、庵にゆき、一緒に泊まろうとしました。

蘇錦衣「外孫が外祖父の家に泊まらず、廟に泊まるのは、とんでもないことだから、彼ら二人を家に移し、一緒に泊まらせることにしよう」

胡旦は食事をとると、灯点し頃が近付いていましたので、二人の従者を引き連れ、一緒に庵に行き、荷物を運びました。晁書たち二人は言いました。

「この庵はなかなか綺麗で、台所、竈もありますから、ここにとまっていても構いません。ご親戚の家に泊まりにゆかれてください。私たちはここにいた方が、かえって便利です」

二人の従者は、承知しようとせず、荷物を纏めながら、二頭の馬を呼び、荷物を乗せ、付き添って先を進みました。晁書ら二人は、一千両の銀子が中に入っていましたので、一生懸命に追い掛けました。

胡旦「彼を先に行かせても構わないから、ゆっくりゆこう」

 正月十四日は、試灯[26]のときでしたし、太平の時代でもありましたので、まさに満月にならんとする明月が一輪、澄んだ光を放っていました。三人は、それを見ながら歩きました。晁書、晁鳳は、胡旦の外祖父は都の普通の家にすぎないだろうと思っていましたが、入り口に着きますと、三間の高々とした門楼の真ん中に、大きな二つの黒漆の塗られた表門があり、右側の門扉には「錦衣衛南堂」と印刷された花紅紙[27]の封印が、両側の桃符には朱砂の赤紙の対聯が貼られ「君主の恩徳は海よりも深く、臣下の節義は山よりも重い」と書かれていました。門の前の柱には、さらに一枚の紙が貼られており、「告示、付近の兵士と人民が、ここに腰掛けたり、横になったり、騒いだり、かるた遊びをしたり、賭博をしたりすることを禁じる。違反すれば捕縛して取り調べる」と書かれていました。晁書ら二人は、頭の中で思いました。

「どうして我々をこんなところに連れてきたのだろう」

さらに思いました。

「彼の外祖父は、きっとこの屋敷の書吏か長班[28]で、家族がこの屋敷に住んでいるのだろう」

しかし、門のところにいたたくさんの人々は、彼ら三人がやってきたのを遠くから見ると、すぐに立ち上がり、手を垂らし、入り口の階段の下にゆき、待機し、胡旦に会うと、言いました。

「若さま、ずいぶん遅かったですね。荷物はとっくに届いていますよ。旦那さまは待ちくたびれてらっしゃいます」

 表門に入りますと、晁書は胡旦の耳元でこっそり尋ねました。

「ここはどなたの家ですか。我々が簡単に入ることができるのですか」

胡旦「ここは私の外祖父の家ですよ」

晁鳳はさらにこっそり尋ねました。

「あなたのおじいさまはどのような方なのですか。どうしてこのように大きな家に住み、門にあんなにたくさんの人が伺候しているのですか」

胡旦「私の外祖父はしがない錦衣衛の都督ですが、南鎮撫司[29]の仕事をしているため、数人が伺候しているのです」

話しをしながら、儀門[30]に入りました。宿直は、晁書、晁鳳を西の書斎に送り、泊めました。書斎の中には、お話ししきれないほどたくさんの明りがきちんと揃えられていました。

 茶を飲みますと、晁書、晁鳳は顔を見合わせて言いました。

「ここにきた以上、蘇さまに侍ってお目にかかり、ご馳走になることにしましょう」

胡旦は人に取り次ぎをさせました。暫くすると出てきて、報告をしました。

「今日は遅くなったので、明日の朝に出てきて、お会いすると言っておられます。お二人が食事をとられるときには、宿直を付き添わせます。それから、胡さまを奥に呼んでおられます」

胡旦「お二人はごゆっくりなさってください。私は奥へ行きます」

晁書たち二人は思いました。

「女形の役者だとばかり思っていたが、あの人がこのような家柄だったとは知らなかった。毎日あの人を小胡児と呼んで、馬鹿にしていたが、あの人は、少しも怒りの表情を表わさなかったからな」

人々は食事をとると、休みました。

 翌朝、朝食をとると、胡旦は仏頭青[31]の秋羅の袷の道袍に着替え、黒い毛織りの方巾、黒貂の帽套、赤い靴に綸子の靴下をつけ、書斎に入りました。晁書ら二人は、すぐには胡旦であることに気が付きませんでした。二人は進み出て呼び掛け、礼を言いました。

「ご馳走になり、申しわけございませんでした」

胡旦は、行李を開け、梁生から彼のおじへの手紙、もってきた贈り物をとりだしました。胡旦も劉錦衣に送る筍、魚の干物などをもっており、蘇家の使用人とともに、劉錦衣の家にゆこうと思っていたので、晁書を誘い、一緒にゆこうとしました。晁書は、劉錦衣の家は普通の家だろうと思い、梁生からおじが都におり、そこへ行けば、必ずもてなしてくれるだろうと聞かされていましたので、一緒にゆこうとしました。入り口に着くと、そのよう子は蘇家と同じでした。蘇家の人々は、二門につくと、少し話をしました。胡旦も人が取り次ぎをするのを待たずに、悠然と中に入りました。胡旦が振り向くと、晁書たちは足をすくめ、中に入っていませんでした。胡旦は立ち止まってすすめました。

「お二人とも広間に入り、お掛けになってください」

晁書「とりあえず入らないことに致します。近くに提灯がたくさん出ていますから、とりあえずそこへいってから、蘇家へゆき、待っていることに致します」

そう言いながら、去ってゆきました。

 実は、劉錦衣は、蘇錦衣の妻方の甥で、胡旦のおじ、梁生とはいとこでしたから、親しい付き合いをしていたのでした。役所に赴き、話しをするときは、すべて梁生が口をききました。梁生は、本当は自分が都に行こうとしていたのですが、生がいなくなれば、劇ができなくなるだろうと思いました。胡旦は正旦でしたが、旦に扮する人は他にもいましたので、胡旦を都に来させたのでした。いずれにしても、王振門下のこの二人の腹心は、胡旦の親戚でしたから、失敗することなどあろうはずがありませんでした。その日、劉錦衣は家にはいませんでした。胡旦が中に入り、おばに会いますと、おばは彼を引きとめ、食事をしました。劉錦衣は家に戻ると、胡旦は彼に会い、都にきた理由について話しました。

 胡旦は別れますと、蘇家にやってきて、晩に提灯を見ながら酒宴をしました。すると、晁書ら二人が戻ってきて、蘇錦衣に会おうとしました。

錦衣「彼を呼んできてくれ」

蘇錦衣は方巾、姑絨[32]の道袍、毛氈の靴という、重々しいいでたちをし、敷居の中で下を向いて立っていました。晁書は思わず広間の台の下に跪き、四回叩頭し、跪き、申し上げました。

「胡さまは一緒に都に入るということだけ話され、旦那さまのお屋敷にゆくということは話されませんでしたので、主人も礼物を準備したり、手紙を書いたりは致しませんでした。旦那さま、どうかお許しください」

蘇錦衣「旅の間、おいがずっとお二人に世話していただきましたのに、家の中でのおもてなしが行き届きませんでした、怠慢をお咎めになりませぬよう。都には遊ぶ場所がたくさんありますので、退屈でしたら、外に遊びにゆかれてください。お二人は今はとりあえず書斎に行かれ、提灯を御覧になってください」

さらに、宿直にたくさんの花火を持ってきて、晁書が酒を飲むのに付き添うように命じました。

 十六日の朝食の後、劉錦衣は蘇家にやってきて、胡旦に返礼をしました。蘇錦衣は元宵節の休暇で、暇でしたので、劉錦衣を引き止め、提灯を見ながら節句をすごしましたが、とても賑やかでした。席上、晁知県が二人に引き抜かれて、北通州の知州になることを望んでいるという話しになりました。

劉錦衣「彼はどれだけの品物を持ってきたのだ」

胡旦「たったの千両です」

劉錦衣「通州知事は五千両の職だ。さらに一千両持ってこさせれば、二人の甥の顔に免じて、三千両をおまけしてやろう。それで駄目なら、彼らを別の所へゆかせ、工作させるがいい」

そう言いますと、もう話しをしませんでした。

 十数日が過ぎ、晁書は胡旦に会いましたが、もう彼を小胡(胡ちゃん)と呼ぼうとはせず、何度も彼を胡相公(胡の若さま)と呼び、彼に会うととても尊敬して、尋ねました。

「胡相公、私どもがこちらへきてから半月間、何の音沙汰もなく、銀子も使われないのは、どういうことでしょうか」

胡旦「二月半ば過ぎにに推陞[33]がありますが、今は何も動きがないからです。とりあえず楽しく遊ばれてください。部屋代を出される必要はありませんし、食事代もいりません。ご主人もいらっしゃらないのですから、気楽なものでしょう」

晁鳳「何の理由もなく蘇さまにご馳走になっては、心が落ち着きません」

胡旦「いいのですよ。一二年食事をしてゆかれても構いません」

 二月十日になりますと、晩に、劉錦衣が蘇家にやってきて、彼を奥の書斎に招き、もてなしました。胡旦はそこにはいませんでした。劉錦衣はいいました。

「胡家の甥っこのことですが、おじさんはあれにどんなことをしてやったらいいと思われますか」

蘇錦衣「あれは一千両を持ってきて、通州の良いポストを求めているが、この仕事はできん」

劉錦衣「胡家の甥っこの顔を立ててやらなければなりません。我々老人二人は、彼らのために、極力仕事をしてやるべきです。彼にさらに一千両出させ、さらに半分以上をおまけしてやるべきです。この二千両を、我々老人二人で分け、梁家、胡家の二人の甥っこの面子をたててやりましょう。我々外祖父やおじは、彼ら二人にあの商売をやめさせ、彼らを都に呼び、役人になるのを助けてやりましょう。州県の佐貳に選んでやれば、地位が低いとはいえ、舞台の上の偽の役人よりはずっとましでしょう」

蘇錦衣「それなら、十三日が老公[34]に誕生祝いをする日だから、我々二人であの人に話しをすれば、うまくゆくだろう」

劉錦衣「しかし、晁知県を訪問し、一千両を払えといっても、出してくれるかどうかは分かりませんし、いつもってくるかもわかりません」

蘇錦衣「それは大したことではない。人は木や石ではないのだ。四五千両の職に、二千両の銀子しか要求しないのだから、あの人が金を出さないなどということはない。とにかくあの人に分からせることが必要だ、晁知県の家の下男を呼び、あの人に会ってきちんと話しをすることにしよう」

劉錦衣を酒とご飯でもてなし、十三日、王振の誕生祝いをするときに、暇を見て晁知県のために口利きをすることにしました。

 翌日、蘇錦衣は、役所から戻りますと、広間に行き、冠と服を脱ぎ、普段着に着替え、晁書たちを目の前に呼びました。晁書たちが叩頭をし、手を下ろし、傍らに立ちますと、

蘇錦衣「お二人とも何もすることがなく、ご退屈でしょう。しかし、何もおもてなしするものがございません。あなたがたが欲しがっておられる職は、他の人なら五六千両でも手にいれることができないものです。あなた方が千両の銀子をもってこられても、仕事をすることはできません。今、私は錦衣衛の劉さんとともに、先方と銀二千両で話しをまとめましたが、これは他の人と比べて、三分の二をおまけしたことになります」

晁鳳は、もともと役所の下役になろうとしていた人で、頭が良かったので、すぐに言いました。

「私どもがきた時、主人も、もともとこの職を指定する積もりはなかったと申しておりました。この職を手に入れるとなれば、わずかな金額では足りないでしょう。今、旦那さまは、二千両で話しをまとめられましたが、これはとても安いものです。何はともあれ、主人がきましたら、旦那さまと劉さまに、ご恩返しを致しましょう。今は、あるものをとりあえず先方に渡されてください。私たちは、一人を先に帰らせ、金を持ってこさせ、不足を補いましょう。きた人間は多くありませんでしたし、節句も近付き、道路も歩きにくくなっておりましたので、たくさんの物をもってくるわけにはゆかなかったのです」

蘇錦衣「銀子は、取りにゆかれる必要はありません、多かろうが少なかろうが、私が付け足しをすることができます。ここ数日で、報せがあるでしょう。しかし一つ、今の通州の知事は、昨日人に調べさせたところ、三年の任期が満了していませんので、彼を離任させることはできません。これは厄介なことです」

晁書たちは、書斎に走ってゆき、もってきた一千両の銀二十封を、一つ一つ蘇錦衣に与え、部屋に戻りました。

 十三日、王振の誕生日になりますと、蘇、劉の二錦衣は、それぞれ幾つかの珍しい品物を用意し、誘い合わせ、一緒にお祝いに行きました。門は人々でごった返していましたが、これらは三閣[35]、六部五府[36]、大小九卿[37]、内府二十四監[38]の官員が、誕生祝いをしにきたものでした。蘇、劉の二人も、遠い道を、先払いしながら、入り口につきました。見回りの者は、数本の藤の枝で、ごった返している人々を極力遠ざけ、蘇、劉の二人を表門にゆかせました。蘇、劉の二人が馬からおりますと、門番は取り次ぎせずに、門を開け、二人は真紅の縮緬で作った麒麟の補服、真っ白で幅の広い、模様を彫刻した玉の帯をつけ、牌繐[39]、印綬を引き摺りながら、悠然と中にはいり、奥の王振のいる部屋に着きました。従者が報告しました。

「蘇執事と劉執事が参りました」

王振は、

「彼らをここへ呼んでくれ」

と言うと、言いました。

「おまえたちは赤い服を着ているが、わしに叩頭をしにきたのだろう。暇をみて、叩頭を終えたら、服を脱ぎ、手伝いをしてくれ」

蘇、劉の二人は、寝室に跪き、続け様に八回叩頭し、

「殿さま(王振のこと)が九千歳まで生きられ、いつもご無事でありますように」

と唱え、立ち上がっても揖[40]をしようとせず、歩いてゆき、誕生祝いの礼物を、自ら捧げもち、王振の前に持ってゆきました。

 蘇錦衣の羊脂玉[41]の盆には、古色蒼然たる小さな桃の木があり、十数の花が咲き、まるで本物のようでしたが、よく見てみますと、赤い宝石で作ったものでした。劉錦衣のものも、同じ玉の盆でしたが、こちらは梅の花で、開いている梅の花は、指先ほどの大きさの胡珠[42]で作ったものでした。王振はそれを見ますと、大変喜び、

「おまえたち二人は、本当に有能だ。どこからこんな物を探し求めて、わしに贈ってくれるのだ」

そして、侍従に言い付けました。

「きちんと保管してくれ。覆いを持ってきて被せ、埃にさらさないようにしてくれ。陛下の誕生日になったら、差し上げることにしよう」

蘇、劉の二人を見て言いました。

「叩頭も終わり、礼物ももらったから、赤い袍を脱ぎ、みんなで仕事をしてくれ」

蘇、劉の二人は、自分の詰め所にゆきますと、衣服を脱ぎ、小帽[43]、上下の普段着に着換え、人が広間を掃除し、絵や提灯を掛け、毛氈を敷き、飾り付けをし、帳を掛け、木綿の小屋掛けを組み立て、銅鑼や太鼓の木組みを担ぎ、テーブルを並べ、椅子を整え、テーブル掛けを縛り、敷物を置くのを見ていました。まったく何の疎漏もありませんでした。王振は、朝食をとりますと、母屋にあらわれました。文武百官は、順番に誕生祝いをし、次々に宴席に赴きました。蘇、劉の二人も屋敷を出ず、四更まで忙しくし、それぞれ詰め所で眠りました。

 翌朝起きますと、人々が装飾品を片付けるのを見ました。すると、王振が朝食をとりおえ、普段着で、表の広間に様子を見にきました。蘇、劉の二人は、地面にひれふし、四回叩頭して

「殿さまは、昨日、客の相手をされ、お疲れになりませんでしたか」

王振「やはり疲れたよ」

無駄話しをしながら、片付けを眺めました。二人は、王振が中に入ろうとしているのを見ますと、上座へいって跪かず、脇に立っていました。蘇錦衣が先に口を開きました。

「私ども二人は、松江府華亭県に、小さな荘園をもっております。華亭県知県の晁思孝さんは、殿さまの面子を立て、私たち二人に大変良くしてくれました。晁思孝さんは今では四年の任期が満了し、昇任することを望み、殿さまに吏部へ手紙を送っていただきたいといっております」

王振「その男はどこに昇任したいと思っているのだ」

二人「通州知州に昇任し、殿さまの近くを守り、近いうちに、殿さまに贈り物を差し上げたいと申しております。さらに、殿さまに、義父となっていただきたいと申しております」

王振「このような小さなことは、本来なら吏部に言えばいいことだ。それなのに、わしに手紙を書かせようとするとはな。まあいいだろう、「知生」[44]の単帖を使い、おまえたちが好きなように話しをしてくれ。義子にするという話しは無視することにしよう。わしはこのような馬鹿な息子はほしくはない。『女房が軍に入っても数のうちに入らない』というからな。その男が我々の名義を使うのはよくないことだ」

二人は跪き、礼を言い、書斎から「知生」の赤い単帖をもらい、書斎を管理している長隨に「禁闥近臣(宮中の近臣)」の印を使い、名前の印を押すように頼みました。二人は、すぐに肉体労働用の下男を遣わし、王振の帖子をもたせ、吏部の役所にある私宅にゆき、くわしく話しをさせました。吏部は謹んでこれを受け取り、例の通州知州が任期満了するのを待たずに、臨洮府[45]の同知に昇格させ、晁知県を通州の知州に推薦しました。灯明に火がつくときでも、これほど早くはなかったでしょう。

 晁書ら二人はとても喜び、蘇錦衣に叩頭し、礼を言い、蘇家のだれかの引率で、劉錦衣の家に、叩頭の礼をしにゆきたいと言いました。行李を纏めると、劉錦衣から梁生への返事の手紙を受け取りました。胡旦は蘇錦衣に引き止められ、晁書たちと一緒に帰ることができませんでしたので、経緯をくわしく記した報告書をかき、晁知県に、すぐに赴任するように、西方の関所では、也先がしばしば反乱を起こしているから、通州は重要な場所であると言いました。さらに、彼の外祖父が付け足した千両の銀子を梁生に渡し、自分で都に持ってゆかせました。晁書ら二人はまさに、

鞭を振り、金の鐙を響かせて、

ともに凱歌をうたひて帰る。

さらに次回をお聞きください。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]原文「雖是乞夫明入壟」。「壟」は高い岡のこと。「入壟」は『孟子』公孫丑下にみえる、賎人が高い岡に登って商売をし、利益を得たという故事を典故にしていると思われる。句全体は、貧乏な秀才だった晁思孝が、華亭県の知県を経て、豊かな北通州の知州になったことを指していると思われる。『孟子』公孫丑下「古之為市者、以其所有、易其所無者、有司者治之耳、有賤丈夫焉、必求龍断登之、以左右望而罔市利、人皆以為賤」。

[2]原文は、「勝如優孟暗登場」。優孟は春秋、楚の名優。楚の荘王に仕えた。孫叔敖の死後、その子が貧困であったので、優孟は孫叔敖の衣冠をつけ、歌を作って荘王を感動させ、叔敖の子に封を得させた。これにちなみ、「優孟衣冠」といえば、外形だけ似てその実の異なる喩。「勝如優孟暗登場」の句は、晁思孝が実力がないのに良い官職に就いていることをたとえていると思われる。

[3]地方官の役所におかれた、官吏の戒めを刻んだ石碑。

[4]景監は秦の孝公の寵臣。商鞅が秦にいったとき、取り次ぎをしたことで有名。『史記』商君伝「公孫鞅聞秦孝公下令国中求賢者、迺遂西入秦。因孝公寵臣景監以求見孝公」。ここでは、王振を喩えている。

[5]総督、巡撫、布政使、按察使が道、府、州、県知事の推薦を司る。

[6]前漢の有名な循吏。ともに『漢書』巻八十九に伝がある。

[7]府、州の役人。督糧、捕盗その他を司る。

[8]郎中、員外郎、主事などの総称。

[9]宮中の儀礼を司る官。宦官を以てこれにあてる。

[10]地方官を中央官にするように保証、推薦すること。

[11]明清時代、地方官が推薦を受け中央官になること。

[12]清代、六部の郎中員外郎、及び主事をいう。

[13]朝廷で祝いごとがあるときに官吏が昇進したり賞を受けたりすること。

[14]順承門とも。現在の宣武門。

[15]清代、河道総督と漕運総督の併称。ここでは、彼らの役所。

[16]直隷の県名

[17]明代、天子の傍らにあって勅諭の下書きをした宦官。内閣にまさる権力をもった。清趙翼『簷曝雑記』「永楽中、遂有内閣之設、批答本章、撰擬諭旨漸復中書省之旧、其後天子与閣臣不常見、有所諭、則命内監先写事目、付閣撰文。於是、宮内有所謂秉筆太監者。其権遂在内閣之上。与唐之枢密院無異矣」。正四品官。『明史』職官三・宦官「宦官。十二監。毎監各太監一員、正四品、左、右少監各一員、從四品、左、右監丞各一員、正五品、典簿一員、正六品、長隨、奉御無定員、從六品。此洪武舊制也。後漸更革、詳見各條下。司禮監、提督太監一員、掌印太監一員、秉筆太監、隨堂太監、書籍名畫等庫掌司、内書堂掌司、六科廊掌司、典簿無定員。提督掌督理皇城内一應儀禮刑名、及ツ束長隨、當差、聽事各役、關防門禁、催督光祿供應等事。掌印掌理内外章奏及御前勘合。秉筆、隨堂掌章奏文書、照閣票批・。掌司各掌所司。典簿典記奏章及諸出納號簿」。

[18]明代は六部の尚書と都察院都御史、通政司使、大理寺卿をいう。

[19]役所で使われている下僕。

[20]楽官の長。

[21]近衛軍。

[22]禁衛の官。

[23] ハムに似せて作った精進料理。

[24]筍の一種と思われるが未詳。「干笋」という食品はある。蕭帆主編『中国烹飪辞典』百七十六頁参照。筍の発酵食品で、料理の素材。

[25]蘇州虎丘寺の水で沸かした茶。

[26]元宵節の前の日。

[27]赤い模様付きの紙。

[28]中央官の下男。

[29]官署名。元代、万戸府及び諸衛都指揮使司に皆鎮撫司を設け、鎮撫の官を置き、明もそれを踏襲、錦衣街鎮撫司が尤も有名で、衛中の刑事を処理し、南鎮撫司とよばれた。

[30]正門から二番目の門。

[31]群青色。

[32]姑姑絨ともいう。羊毛の織物。劉廷璣『在園雑志』巻一「陝西以羊絨織成者謂之姑絨、制綿衣取其暖也」。

[33]官吏が任期満了になる前に昇進させること。

[34] 「老公」は宦官に対する敬称。ここでは王振のこと。

[35]秘書郎。内外三閣の経書を司るからこういう。陸機『謝平原内史表』「身登三閣、宦成両宮」〔注〕「向曰、三閣、謂秘書郎掌内外三閣経書也」。

[36]太傅、大尉、司徒、司空、大将軍。

[37]清代、太子太師、太子太傅、太子太保、六部尚書を大九卿、太常寺卿、太僕寺卿、大理寺卿、鴻臚寺卿、光禄寺卿、通政使、国子監祭酒、翰林院掌院学師、都察左都御史を小九卿といった。

[38]内府は宮中にあった倉庫。太監とよばれる宦官が管理した。倉庫の名は以下の通り。供用庫、司鑰庫、内承運庫、甲字、乙字、丙字、丁字、戊字、承運、廣盈、廣惠、贓罰、御酒房、御藥房、御茶房、牲口房、刻漏房、更鼓房、甜食房、彈子房、靈臺、絛作、盔甲廠、安民廠。

[39]繐は穂の誤字であろう。牌は牌子のことで、香嚢などの房(穂子)につける、糸を結んで作った装飾物という。周汛『中国衣冠服飾大辞典』「穿綴在荷包、搭連、香袋等腰牌穂子上的絲編装飾物。編織技法甚多、形成各異、簡単者只是一个結子、高級者則編成各種形状、有『算盤疙瘩』、『盤長牌子』、『蝴蝶牌子』諸名目、盛行于明清時期」。

[40]同輩間の礼。

[41]白玉の一種。明宋応星『天工開物』珠玉「朝鮮西北大尉山、有千年璞、中蔵羊脂玉、与葱嶺美者無殊異」。

[42]西方に産する宝石。

[43]瓜皮帽、六合一統帽、六合巾とも。六片の羅帛をつなぎ合わせて作った帽子。明の太祖が作ったとされる。『棗林雑俎』「清時小帽、俗呼瓜皮帽、不知其来已久矣。瓜皮帽或即六合巾、明太祖所成、在四方平定巾之前」。

[44]一般人民の県知事に対する自称。

[45]甘粛省蘭州府。

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