第四回

童山人が肩をすぼめて諂い笑いをすること

施珍哥が欲をほしいままにして流産すること

 

字も知らぬのに頭巾を被り

街に出入りし山人[1]気取り

媒酌のようにでまかせ並べ立て

妾のように腰と肘とを折り曲げる

知り合いは有力者だと嘘をつき

親戚は有名人だと嘘を言う

数本の薬綫を礼物に

やすやすと多くの銀子を騙し取る

 さらに、

耳に入れるな房中術

命を賭けるな女には

珍哥の勧めで金使ひ

僅かな金も失へり

 晁大舎は続けざまに二回夢を見て、病気になり、元気がなくなってしまいました。計氏は可愛がられているのをいいことに、夫を尻に敷いておりましたが、それ以外はあまり悪いことはしませんでした。ところが、晁大舎は、富貴になりますと、だんだんと強気になり、計氏を疎んじるようになりました。後に、珍哥がきますと、計氏を糞土のようなものとみなし、ひどい場合は、彼女に居場所を与えませんでした。しかし、夢の中で、祖父にしばしば叱責され、五更に反省してみますと、良心が沸き上がってくるのを抑えることができませんでしたので、最近は、うなだれて元気がありませんでした。十七日は、昼近くまで眠ってから起きあがりました。やっとの思いで髪梳きをしますと、家廟に行き、祈祷文を焼き、神送りをしました。そして、下男に命じて提灯を片付けさせ、珍哥とともに牌遊び、搶満[2]などの賭け事をしました。晁奉山の女房、小間使いの小迎春は、珍哥の後ろで、彼女に入れ知恵をしました。

 午の刻近くに、二人が食事をとり、お碗と杯を片付けていますと、童僕の小典書が入ってきて言いました。

「向かいの禹旦那さまと、方巾をかぶった見知らぬ方が、旦那さまに会いにこられました」

晁大舎「その人にはどこの訛りがある」

典書は返事をしました。

「強い訛りがございますので、どうやら北七県の人のようです」

晁大舎「誰だろう」

珍哥「あなたが昨日食盒を送った星占い師が、お礼を言いにきたのでしょうよ」

晁大舎は笑いながら、小間使いに道袍を持ってこさせますと、身に着けました。

珍哥「網巾をとり、浩然巾[3]を着けられるべきですよ。体の具合がまだあまりよくないので、外出することができかったのだとおっしゃい。髪を梳かし、顔を洗っているのに、家に隠れ、挨拶をしにいかなかったとなれば、先方は腹を立てるでしょうからね」

晁大舎「おまえの言うことは尤もだ」

そこで、網巾をとり、浩然巾をかぶり、狐白[4]の革の袷を着、出ていって接待をしました。中門に行きますと、立ち止まり、小間使いに向かって言いました。

「下女たちに、食盒に入れた果物、野菜を準備するように言ってくれ。客を引き止めなければならないだろうからな。俺が欲しいと言ったときに、捧げもって出てきてくれ」

言いおわって、広間に出ますと、方巾をつけた男がおりました、

真黒な張飛の顔に

真赤な焦賛[5]似の頭

緞子の道袍、油に白粉

ぼろぼろの紅絹の方舄[6]

俗臭紛々

汚き言葉は止めどなし

西風は吹き梧桐落ち

与太者は秋を好めり[7]

 禹明吾「お正月だというのに、外にも出られず、家で花を御覧になっていたのですか」

晁大舎「そうだ。元旦の五更に転んで、ひどい病気になってしまったんだ」

広間の中に招じ入れました。方巾をかぶった男は言いました。

「正月ですから、私がご挨拶を致しましたら、お戻りください[8]。揖をお受けください」

禹明吾が言いました。

「こちらは青州の童さん、号は定宇という方で、絵がお上手です。あなたの名声を聞いて、ご挨拶しにきたのです」

晁大舎「よその府からこられたのですか。私は病気のため髪梳き、洗顔をしておりませんから、揖をお受けするわけには参りません」

童定宇「構いません。私が揖をすることを許していただければ、それで十分です」

晁大舎は承知しませんでした。人々は拱手をしました。禹明吾の家の小者の小二月が、拝匣を捧げ持って歩いてきました。童定宇が拝匣を開け、四つ折りの礼帖を取りだし、開いてみますと

「謹んで白丸子[9]一封、拙い絵二幅、絹の帯二本、春綫[10]四本を、先生に差し上げます。青州の門下晩生童二陳、頓首して拝す」

帖子を開き、晁大舎の手に渡しますと、晁大舎は、帖子を見、脇にいた下男にもっていかせました。

 晁大舎は、童定宇に、ふたたび拱手し、礼を述べ、礼物を受け取るように言いました。双方は腰を掛け、時候の挨拶をしました。

童定宇「わたくしは貧しい者ですが、少しばかり絵を習い、仙術[11]もわきまえておりますので、郷里の老先生と挙人さまは、わたくしのことを気に入ってらっしゃいます。銭吏部、孫都堂、李侍郎と給事中の張念東、翰林学士の祁大復も、わたくしにとりましては、家族、父と子のようなものです。しかし、付き合いが多くなりますと、一人ですべての人々と付き合うわけにはいかなくなります。一つの家に行くと、引き止められ、数日間はよそへ行かせて頂けませんので、すべての家にあがるわけにはいかなくなってしまうのです。そうしますと、皆様はわたくしに恨み言をおっしゃり、おまえは人によって態度を変え、権勢に靡いている、『イエバトが木の茂ったところを選んで飛んでいく』とはまさにこのことだとおっしゃり、わたくしをいじめられるようになりました。ですから、わたくしは、青州府の城門を出ていくこともできず、『井の中の蛙は大海を見ず』という有様になってしまいました。しかし、わたくしと会う人々はみな『武城県の郷紳晁さまの息子さんの晁大舎さまは、賓客をもてなすかのように賢人を敬い、財産を軽んじ、義を尊んでらっしゃる。晁大舎様のところへいけば、衣裳を作ってもらえ、一緒にいれば、お金を分けてもらえる。晁大舎さまは洒脱で、粋な方である』と言っておりました。ですから、わたくしは父母を慕う子供のように、旦那さまの下に行きたくてたまらなくなったのでございます。しかし、わたくしは貧乏暇なしでございますし、偉い方々はわたくしをいかせようとなさいませんでしたので、抜け出すことができませんでした。銭少宰老先生は、今度兵部に選任されましたので、わたくしに一緒に上京してくれと頼みました。ほかの老先生方は、それを聞きますと、わたくしを放そうとしませんでした。そして『あなたが先生についていってしまわれれば、私たちはご飯も喉を通りません。どうしてそのようなひどいことをなさるのですか』と言いました。銭さまは、大勢の郷紳たちがわたくしをひきとめて放さないことを聞かれますと、『彼らは童定宇を気にいっているが、一緒に遊ぼうと思っているだけだ。しかし、わしは童定宇のために一生のことを考えてやっているのだ。見てみるがいい。あの男の顔は、堂々としており、気概にあふれ、才能もある。このような人物をいつまでも山人にしておくのはよくない。彼を出世させるべきだ。わしが兵部に転任するとき、彼をわしにつけ、参将か遊撃将軍か副総兵にしよう。総兵の印綬を受けても大丈夫だろう』とおっしゃいました」

そして、そっと言いました。

「銭少宰さまは、さらに、わたくしがあの方にいろいろなことを教えることを望まれました。ですから、人々はわたくしを自由にしたのです」

 晁大舎は、童定宇が「旦那さま」「わたくし」という言葉ばかり口にし、たくさんの老先生方と交際があるといい、お世辞をいうのを見ますと、下男に命じました。

「奥に酒を準備してくれ」

下男は命を受けますと、去っていきました。

晁大舎「銭先生はもう赴任されたのですか」

童定宇「去年の十二月に上京されました。銭先生と一緒にいってしまっていたら、旦那さまにご挨拶しにくることもありませんでした。今日は、お日様を見たような気が致します」

晁大舎は、お世辞を言われますと、嬉しくなってしまいました。酒が並べられますと、起鼓の後まで食事をし、立ち上がりました。晁大舎は二門まで送り、立ち止まりますと、言いました。

「病気で、外出するわけにはいきませんので、失礼ですが、ここでお別れいたします」

童定宇が別れて門を出ますと、禹家の小者も彼に付き添い、向かいの家に行きました。

 すると、晁大舎は禹明吾を引き止め、言いました。

「しばらく話をしていなかったし、まだ早いから、もう三杯飲んでもらおう」

禹明吾「ご病気がすっかり治ってらっしゃらないのですから、後日ご馳走になりましょう」

二門で立ち止まりました。晁大舎は童定宇の来歴を禹明吾に尋ねました。

禹明吾「私もあの人と長く一緒にいたわけではございません。役者の趙奇元の話しでは、あの人はとてもいい薬綫[12]をもっており、省城や試験場へ行き、宣伝をしたいということでした。あの人と一緒になって日も浅いのですが、あの人が身を落ち着けるところがなかったので、昨日、裏の亭に招いて泊まらせたのです」

晁大舎「あの人は人当たりがよさそうだから、山人でも素人役者でもすることができるだろう。あの人の絵は見たことがないのだが」

禹明吾「あの人は大した絵は描けず、柳の木や杏の花ばかり描いています。しかも、あまりうまくはありません。春綫を売りにきただけでしょう」

晁大舎はさらに尋ねました。

「あの人が僕に挨拶をしにきたのは、どうしてだろう」

禹明吾「簡単なことです。あのような者は、ある場所へ行けば、必ず城内の郷紳が誰か、金持ちは誰か、どこの坊っちゃんが賓客を好むか、どこの坊っちゃんがけち臭いかということを尋ね、立派な家を選んで帖子を送り、僅かばかりの贈り物をするのです。彼らは絶対に損は致しません」

晁大舎「先ほど僕に四つの贈物をくれたが、どんな返礼をしたものだろう」

禹明吾「何本の薬綫をくれたのですか」

晁大舎「はっきり見ていないから、四本だか六本だか分からない」

禹明吾「あの人の綫は一本五分です。一斤の白丸子は、全部で一銭の値段です。二つの帯は、一銭二分です。二幅の絵は、全部で三銭の値段です。全部で六銭ぐらいのものですから、あの人をもてなすのでしたら、全部で一両の銀子を送られれば宜しいでしょう」

晁大舎「僕が見たところでは、あの男は大人物だ。一両の銀子しか与えないのは体裁がわるい」

禹明吾「ご自分でお考えになってください。多くなさりたければそうなさってください。いずれにしてもあなたの面子に関わることですから」

言い終わりますと、二人は別れました。

 晁大舎が家の中に戻りますと、珍哥が尋ねました。

「占い師の占いは当たっていましたか」

晁大舎は笑って

「あの人は俺のために占いはせず、おまえの占いをしたんだ。あの人は、おまえが一更すぎに大負けするといっていたぞ」

すぐに彼が送った礼物を眺め、春綫を取り出しますと、珍哥に向かって

「これはお前のために手に入れたものだ。全部で一年四季分、四本あるぞ」

珍哥は奪って見ようとしました。

晁大舎「一銭のものだから、見ることもあるまい」

すぐに袖の中に入れてしまいますと、言いました。

「茶を持ってきてくれ。飲んだら眠ることにするぞ。鼠の嫁入りを邪魔してはいけないからな」

そう言いながら、茶を飲み、家の中の密室へ行き、山人が贈った綫を処方通りに服用し、戻ってきてしばらく腰を掛けますと、片付けをして眠りました。枕辺でのことはくわしくはお話いたしません。

 翌朝、辰の刻時分、二人は、晴れ晴れとした顔で起き上がりますと、料理人に、酒と料理を準備するように言い付け、昼に禹明吾と童山人を迎暉閣に迎え、酒を飲もうとしました。人を遣わし、通家生[13]の白綾[14]の帖子を向かいの禹家にもっていかせ、禹明吾を呼び、昼食をとることにしました。禹明吾は、童山人を見ますと言いました。

「童さん、あなたの薬はさぞかし効き目があったのでしょうね」

笑いながら、一緒に晁家の大広間へ行きました。西側に入りますと、花園がありました。花園の北には、南向きに楼があり、迎暉閣と呼ばれていました。園内には、さらに草葺きの家や亭があり、とても広い場所でした。しかし、俗な人物の造った庭園は、ろくなものではなく、まるでどこかの田舎のいい加減な骨董屋のようでした。三人は顔を合わせました。晁大舎は、昨日のことを思い出し、とても慇懃にしました。珍哥は、自ら料理人を監督し、酒肴は、昨日よりもさらに豊富でした。童山人は、昨日よりもさらにお世辞を言いました。席上、三人がお互いの考えていることをよく理解していたことは、いうまでもございません。はじめて会ったときは初対面といいますが、二度目にあったときは旧友ということになります。晁大舎も、昨日のように勿体ぶった態度をとらず、童山人も昨日のように媚び諂いませんでした。彼らは、酒を飲みますと、ますます打ち解け、二更になりますと、二門まで送り、別れました。禹明吾は戻ってきますと、こっそり晁大舎の耳元で尋ねました。

「何と言っていましたか」

晁大舎「噂は嘘ではなかった。僕はあの人からもっとたくさんの薬を貰おうと思うよ」

禹明吾「多い少ないに拘らず、全部くれ、くれた数の分だけお返しをするから、と言うことにしましょう」

互いに拱手をして別れました。

 さらに一日たちますと、童山人は「通家門下晩生」と書いた、辞去を告げる帖子を送りました。さらに、一封の春綫を包み、下に「しめて百本」、内側に「長持ちしませんので、すぐにお使いください」と書きました。晁大舎はそれを手にいれますと、返事をしました。

「明日の昼、送別をすることにしよう。二十二日は吉日だから、旅立ちをするにはもってこいだろう」

すぐに人を遣わし、招待状を送りました。さらに、禹明吾に、期日が来たら酒席に陪席するように言いました。

 二十二日の朝、晁大舎が五両の薬代、三両の餞別を包んで、童山人に贈ろうとしますと、珍哥は言いました。

「いつも大きな金勘定はせず、小さな金勘定をなさるのですね。たくさんの郷紳の家を巡っている山人に、少し多めにお金を上げれば、あの人も名を揚げられますよ。五両の薬代は、大したことはございません。三両の銀子など、送るのも恥ずかしいものです」

晁大舎「禹明吾がさらに一両の銀子を贈るように言っていたが、おまえがそういうのなら、倍の額を贈ることにしよう」

珍哥「あの男の言うことをきいてはいけません。自分のことは自分で決められてください。十倍にしても多くはありません。それに、銀子だけでは申し訳ありません。まるで褒美をやっているみたいですからね。私のいう通りに、六両の餞別を包み、一匹の衣服用の紗、靴、綸子の靴下、十の金扇を買われれば、格好がいいというものです」

晁大舎は笑って

「おまえの言う通りにしよう。金持ちなら当然そうするべきだ」

礼帖を書き、人に送らせました。童山人はいたく感激し、禹明吾も大変誇らしく思いました。童山人はふたたびやってきて何度も礼を言い、別れを告げますと、

「先日はお世話になりました。またお目にかかりたく存じます」

と約束しました。

 禹明吾はわざと部屋に残りますと、晁大舎にむかって指を動かし、笑いながら

「小珍哥の入れ知恵ですね。あなたはお大尽さまですが、これほど気前がよくはありませんからね」

晁大舎「あの手の人間は媒婆のようなものだ。僕たちが金をやって喜ばせてやらなければ、あいつらは至る所へいって僕たちの悪口を言うだろうからな」

禹明吾「あいつは二両を贈れば満足したでしょう。あんなに金を贈られることは望んでいませんでしたよ」

晁大舎は、禹明吾を広間に座らせますと、

禹明吾「私は家にいき、あいつと食事をし、出発させましょう」

拱手をしますと、去っていきました。

 晁大舎は、荷物を纏め、轎の帳に油を塗り、箱を載せる棚を作りました。また、駄轎を買い、下女、小間使いたちを乗せよう、都で計氏に買ってやった二級の官轎に、油絹[15]の帳をつけ、珍哥を乗せようと思い、職人に準備をさせました。そして、二月十日に出発することにしました。さらに、二十四頭の長距離用の騾馬を雇い、武城から華亭まで、それぞれ二両五銭ということにし、契約書を書き、三両の手付け金を与えました。また、荘園を見張る下男に、毎日さまざまな仕事を命じました。一緒に行く下男と下女、小間使いたちの服は、狩りの日に作ったものがありましたので、ふたたび作る必要はありませんでした。

 その頃は、正月も終りに近付いていました。そこで、二日の吉日を選び、人を雍山荘に遣わし、『金剛経』を城内に運ばせました。ところが、四日の食事の後、雍山荘の数人の小作人が慌てて走ってきて報告しました。

「昨晩の二更に、どうしたわけか、荘園のあちこちで火が揚がり、広間や楼、草置き場や穀物倉庫が、すっかり焼けてしまいました。天をひっくりかえすような大風が吹いておりましたので、消火することもできませんでした。火は他の家に広がりましたが、すぐに収まり、延焼はいたしませんでした」

晁大舎はそれを聞きますと、『金剛経』が城内に運ばれたため、狐の精が悪さをしたのだということが分かりました。彼は、ああと叫びますと、報告にきた小作人を叱責し、奥に行き、珍哥に知らせました。そして、夢の中での祖父の言葉を思いだし、ますます恐ろしくなりました。

 「幸福は二つ一緒にやってこないが、災いは二つ纏めてやってくる」というのは本当のことです。珍哥は狩りに行く一か月前から、生理がなくなっていました。妊娠五か月だったのでした。童山人が、たくさんの薬綫を贈りますと、彼女は裁縫をしてしまいましたが、本当はしずかに刺繍をするべきだったのです[16]。ところが、彼女は疲れるのをものともしなかったため、五か月の胎児をびっくりさせてしまいました。さらに、荘園で失火が起こったことを聞きますと、ますますびっくりしてしまいました。六日の午後になりますと、腰と腹が少しだるくなり、だんだんと痛みだしました。七日の朝になっても、痛みは止まらず、結局、一人の女の子を流産してしまいました。

 このとき、珍哥はまだ十九歳で、初めての出産でしたので、血が流れて止まらず、気を失ってしまいました。やがて、彼女は意識を取り戻しました。ゆっくり治療をしても構わなかったのですが、晁大舎はそれを見ますと、

「八百両の銀子で買った人に死なれては大変だ」

と言い、火を消すときのように慌てて、楊古月に診察をしてもらおうとしました。楊古月は、名目上は医者でしたが、それは飽くまで名目に過ぎず、『素問』[17]や『難経』[18]などは読んだことはなく、王叔和の『脈訣』[19]も理解できませんでした。ほかの病気なら、傷寒以外は、「目くらの先生が鐘楼に登る−鐘をやたらにつく[20]」ということになっていたでしょう。婦人の出産は、生きるも死ぬも紙一重で、脚が鬼門関[21]を越えてしまえば死に、越えなければ助かるもので、藪医者が治療を試みることは許されないのです。南門の外には、婦人科専門の蕭さんがいたのに、晁大舎は彼を呼ばず、楊古月を呼び、でたらめな治療を行いました。よくお考えになってください。流産で助かるか助からないかは紙一重の差なのですから、楊古月のような太歳を呼ぶべきではなかったのです。楊古月は心の中で思いました。

「大したことはないだろう。流産は生気、血液が弱まっただけのことだ。十全大補湯を一服飲めば、生気、血液が補われ、よくなること請け合いだ。それに俺の運気がいいときだから、どんなにでたらめな治療をしようと、きっとよくなるだろう」

彼はこうも言いました

「俺が医者をして会得することができた治療法は、本当に簡単なものだ。金持ちの子弟を治療するときは、消食[22]、清火[23]を、妾が多い人を治療するときは、どんな病気であれ、十全大補を、貧しい人を治療するときは、開鬱[24]、順気[25]を主にするのだ。このやり方で治療をすれば、間違いはないのだ」

そこで、珍哥の流産を治療するときも、十全大補と帰脾湯[26]に一銭六分の人参を加え、飲ませました。ところが、運命は楊古月に味方しませんでした。珍哥は強壮剤を飲んだため、悪露が出なくなり、頭が痛み、高熱が出、腹が太鼓のように膨れました。絵に描いたような美人は、牛のように喘ぎ、死にそうになり、助かる見込みはなくなってしまいました。

 晁大舎は慌て、岳廟[27]で籤をひいたり、王府の前で演禽[28]の占いをしたり、目くらに占いをさせたり、巫女に神降ろしをさせたり、磕竹[29]を呼んだり、円光[30]を呼んだり、城隍廟[31]で保安経[32]をあげたり、願を懸けたり、念仏をあげたり、三年間北斗星を拝し、五年間単衣を着ることを約束したりしました。さらに、割股[33]して薬を煎じようとするなど、大わらわのありさまでした。さいわい向かいの禹明吾がそれを見て、理由を尋ね、様子を見にやってきました。晁大舎が詳しい事情を話しますと、禹明吾は言いました。

「楊古月は婦人科には通じていません。あなたは南の門内の蕭北川が婦人科専門なのに、彼を呼ばなかったため、事を誤ってしまわれました。すぐに馬を準備し、あの人を運んでください」

禹明吾は、顔を挙げてちらりと見ますと、

「今頃は、酔ってしまっているでしょうがね」

下男の李成名は馬を準備しますと、飛ぶように去っていきました。

 蕭北川が産前産後の治療をしますと、病気は手にとるように治りました。彼が治療を行えば、百人のうち九十九人は助かりました。しかし、彼には一つよくないところがありました。彼は人の家へ行きますと、病気を診る前に、酒を飲もうとし、杯を手にとりますと、脈を診ようとしないのでした。病気が分かりますと、やはり酒を飲もうとし、杯にしがみつき、家に戻って薬の調合をしようともしませんでした。だれも呼びにこない日は、午の刻から未の刻にかけて、看板を外し、店に鍵を掛け、家に戻って独酌し、陳希夷[34]とともに周公がやってくるのを待ちましたので[35]、しばしば仕事に遅れました。このように立派な腕前でしたので、財産を築くことはできませんでした。この日は、未の刻から申の刻になるところでしたが、まだ素面で家におりました。彼の家に行きますと、ぴったりと鍵が掛けられていました。

 李成名は馬から降り、門を石でしばらく叩きますと、一人の禿げた小間使いが出てきて、門を開けました。

李成名「急いで奥へ行き、城内の晁さまの家で、蕭さまに診察をお願いしておりますと言うのだ。馬はここにひいてきてある」

小間使いは言いました。

「駄目ですよ。酔って床に倒れておりますから、今日は診察を希望されても無駄です」

李成名「何を言っているんだ。人が死にそうなのに、そんな呑気な言い方をするのか。まったく頭にくる奴だ」

小間使い「わたくしだって焦っていないわけではございません。ただ、あの人は酔っ払われて泥の塊のように倒れており、たとえ担いでいったとしても、何の役にも立ちません。初めは、叫ぶといい加減に応対をしていましたが、その後は何度叫んでも、まるで死人に呼び掛けているようなありさまです」

李成名「いい娘だから。どうか中に入ってみてくれ。あの人を呼び起こすことができなければ、俺が乗り込み、あの人に頼むことにしよう。それでも駄目なら、俺は四人を雇い、寝床ごとあの人を担いでいこう」

小間使い「少々お待ちください。女主人と話してから、あの人を呼び起こしますから」

小間使いは中に入りますと、蕭北川の女房に話しをしました。女房は、夫のところに行き、彼を二回揺り動かしました。彼が目を開け、ちらりと女房を見ますと、彼女は言いました。

「晁さんがあなたを呼ばれていますよ[36]

蕭北川はうんうんと言いながら、

「『曹操が井戸に落ちる[37]−引き上げてくれる人を探しにきた』だな」

女房は大声で言いました。

「よそ様があなたに診断をしてもらいたいといっているのですよ」

蕭北川はさらに言いました。

「隣の家がおまえに餅をのしてもらいたいといっているのなら、のしにいってやればいいじゃないか[38]

女房「まったく苛々するね。小間使い、出ていって、あの執事さんを中に入れ、様子を見せてあげなさい」

李成名は自ら部屋に入ってきますと、蕭北川の女房に向かって

「家に病人がおり、蕭さまに急いで治療にいっていただきたいのですが、どうしたものでしょうか」

押したり、揺らしたりしましたが、まったく腐った泥のようなありさまでした。

李成名「ゆっくりご主人を呼び起こしてください。私は家に報告をし、家で人々が苛々しないようにしましょう」

すると、蕭北川の女房は、唐詩二句の替え歌を作り、

(かれ)は酔いて眠らんと欲す 君(しばら)く去れ、明朝 意有らば銭を帯びて来たれ」[39]

と言いました。

 晁大舎は、蕭北川が来ることを待ち焦がれていました。李成名は、無駄足を踏んでしまったこと、蕭北川が酔って倒れていることを報告し、さらにこう言いました。

「皆さんが待ち焦がれてらっしゃるのではないかと思い、報告をしに参りました。私はすぐに戻り、あの人が目を覚ますのを待ちます。城門は開けたままにさせ、あの人が目を覚ませば、いつでも来ることができるようにさせましょう」

李成名は馬を換え、飛ぶようにいってしまいました。蕭家に戻り、門を叩き、中に入り、窓格子に馬を繋ぎますと、尋ねました。

「蕭さんはまだ起きられませんか」

女房「今、主人はちょうど周公とかいう人と、あちらで話しております。周公が去れば、主人を呼ぶことができます。客間でお待ちください。お疲れでしたら、奥に床もございます。馬は驢馬の小屋にひいてかれ、草を食べさせてください」

 女房は李成名を中に入らせますと、四つの小皿の上等な料理、一碗の干し隠元、一碗の湯がいた漬け肉[40]、大きな急須に入った熱燗を用意し、昨日門を開けた、禿げの小間使いに料理を運ばせ、李成名に食べさせました。

李成名「蕭さまを家にお招きしないのに、ご馳走になってしまうなんて」

小間使いは、酒の肴をテーブルの上に置きますと、中に入り、さらに小さな火鉢、八個の餅をのせた小皿、二碗のお粥を持ってきました。李成名は独酌をしました。彼は、珍哥の病気のせいで、食事をする暇もありませんでしたので、まるで地獄で仏に会ったような気持ち、漂母にもてなされた韓信[41]のような気持ちになりました。食事を終えますと、禿げた小間使いは皿を片付けました。李成名が驢馬小屋に行き、馬にまぐさを食べさせて戻りますと、禿げた小間使いは、さらに毛氈、羊の皮の敷物、ござ、枕を持ってきました。李成名は、それを床に敷きますと、明かりを吹き消し、服を着たまま眠り、少し居眠りをしてから蕭北川を起こし、一緒に城内に入ろうと思いました。李成名は一日中忙しくし、酒に酔い、食事もたらふくたべましたので、横になるとぐうぐうと眠ってしまいました。周公は、蕭北川に別れを告げましたが、今度は李成名が周公に出食わして、立ち話しをし、いつまでたっても話しは終わりませんでした。

 五更になりますと、蕭北川は、周公を送りだし、目を覚まし、二回あくびをしますと、冷や水を飲もうとしました。女房は、晁家から人が呼びにきたことを話しました。

蕭北川「それなら、夜が明ける前に髪梳き、洗顔をすることにしよう。おまえは二つの急須で酒を温めてくれ。俺はそれを一杯ひっかけてから、起き上がり、そいつと城内へ行き、診察をしてやろう」

女房「よそ様に病人がいて、あなたを待っているなんて、『水星を見る』ようなもの[42]なのに、また酒を飲もうとされるなんて。あなたは一度飲みだすと、いつになってもやめようとなさいません。私の言うことをきいて、髪を梳かず、頭巾を被り、夜が明けないうちに、晁家にいき、脈をとり、薬を調合すれば、彼らの家で何壺か迎え酒をすることができますよ」

蕭北川「おまえが言うことも尤もだ。しかし、迎え酒をしなければ、この二日酔いに堪えることはできないよ」

そう言いながら、起き上がりますと、顔を洗い、頭巾を被り、青彭緞[43]の袷の道袍を着け、出ていって李成名を呼びました。ところが、李成名は、昨日の蕭北川と大差ない有様になっていました。彼は、何回か呼ばれますと、目を覚まし、話しをし、馬に鞍を置き、人に薬箱を担がせ、一緒に屋敷に行き、中に入って報告をしました。

 さて、珍哥は、その晩、腹が太鼓のように膨れ、気がひどく塞ぎ、本当に死にそうになっておりました。晁大舎は、すばしこい猿のように、出たり入ったりして慌てふためき、急いで蕭北川を招じ入れました。蕭北川は、中に入りながら、言いました。

「執事さん、熱燗を暖めて、待っていてください。迎え酒をしなければ、この二日酔いには耐えられません」

下男は返事をしました。

「酒の準備はできております」

蕭北川は、部屋に入り、脈を診ますと、言いました。

「怖がられることはありません。大丈夫です。悪露が滞っているのです。私が酒を飲みおわらないうちに、この方は半分は良くなり、効き目が現れるでしょう」

晁大舎「丁寧に治療をしてくだされば、手厚くお礼を致します」

蕭北川は、広間に戻り、腰を掛け、薬箱を開け、湯薬を摘みますと、奥へ持っていって、水二杯で、八分[44]を煎じるように命じました。さらに、龍眼ほどの大きさの丸薬を一つ取りだし、温かい黄酒で溶きますと、煎じ薬を熱いうちに飲ませるように命じ、薬箱を片付けました。晁大舎が二両の初診料を包みますと、蕭北川は、型通りの遠慮をしてから、受け取りました。晁大舎は、さらに、箱を担いできた人に百文を与え、酒を並べました。蕭北川「旦那さま、奥に入り、病気の方が薬を飲まれるのを御覧になってください。執事さんに酒をついで頂きましょう。ここは旦那さまのお屋敷ですから、旦那さまを騙したりはいたしません[45]

晁大舎「一杯差し上げてから、おっしゃる通りに致しましょう」

晁大舎は最初の杯を渡しますと、一杯だけ付き添いました。蕭北川は、晁大舎が奥にいきますと、言いました。

「執事さん、茶碗を持ってきて、何杯か飲ませてください、こんな小さな杯では気が塞いでしまいます」

 晁大舎は、奥に入りますと尋ねました。

「薬を煎じたか」

下女は返事をしました。

「煎じました」

晁大舎は、銀の匙で丸薬を粉にし、湯薬が煎じられたら注ぎ込むことにしました。すると、珍哥は、顔を紫色に腫れ上がらせ、言いました

「腹が腫れて、布団で頭を覆っていますが、布団の中にも、ひどい臭いがただよってきます。あのろくでなしは、ひどく酒臭く、私は窒息しそうです。最後の息をつくこともできないほどですよ[46]

話しをしていますと、薬が煎じられました。晁大舎は、薬を寝床の前に持っていき、珍哥を助け起こし、枕に寄り掛かり、腰を掛けますと、まず粉にした丸薬をのませ、湯薬で流し込みました。薬を飲み終わりますと、下から続けざまに二発のおならが出、腹の腫れが少しひいたようでした。暫くして、二回のげっぷを出しますと、珍哥はさらに楽になり、息を吹き返しました。

 蕭北川は酒をあおりながら、言いました。

「執事さん、奥へ行き、薬を飲まれたかどうかをお尋ねになってください。薬を飲んで、二三回のおなら、二回のげっぷをすれば、腫れもかなりひくことでしょう」

下男は中に入って尋ねますと、報告しました。

「おっしゃった通りで、今では腹の中が少し楽になりました」

蕭北川は薬箱を開け、ふたたび丸薬を取り出しますと、言いました。

「これを持っていき、温かい酒で溶かし、黒砂糖を黄酒に混ぜたものとともに飲ませてください。私は酒を飲みながら、結果を待つことに致しましょう」

 珍哥は処方通りに薬を飲み、暫くしますと、下がじとじとになりました。触ってみますと、手がどす黒い血だらけになりましたので、急いで蕭北川に話しをしました。蕭北川は、その時、三割り方酔っておりましたので、返事をしました。

「紫色の血が止まると、赤い血が流れます。おまるをもってきて、待っていてください」

珍哥は、その時、腹の腫れもかなり良くなっておりましたが、下が小便をするときのような感じになりましたので、助け起こされますと、おまるの上に座り、血の混じった尿を四五升流しました。介添えされて床にいきますと、しばらく気を失っていましたが、腹の腫れはすっかり消えましたので、粥を食べようと思い、蕭北川にそのことを話しました。このときは、晁大舎も気分が落ち着いていましたので、進み出ますと、蕭北川に向かって言いました。

「北川さん、あなたは太医でもないのに、まったく神業ですね。本当に素晴らしい薬です」

付き添って、何杯か大杯を飲みました。

 食事をとりますと、蕭北川は立ち上がり、別れを告げ、言いました。

「とりあえず一晩眠られ、様子をみてから、薬を取りに来られてください。私が自分で見にくる必要はないでしょう」

そして、李成名に馬をひかせていきました。彼は馬の上で李成名をからかって言いました。

「あなたのお家の八百両の人を治しましたが、半分安くして、四百両でお礼をしてくだされば結構です」

李成名「四百両では少なすぎます。あの珍ねえさんが八百両なら、旦那さまは八千両以上です。珍ねえさんが亡くなれば、旦那さまは生きてはいけませんからね。もっとたくさんのお金が貰えると思います。大旦那さまには八万両以上の値打ちがあります。珍ねえさんが亡くなれば、わたしたちの大旦那さまも生きてはいけません。あなたは私たちの家の一人の人間を生かしたのではなく、私たちの家の人々全員を生かしたのです」

蕭北川はさらに言いました。

「今日はたくさんの品物を頂きましたから、明日薬を取りにこられるときは、もう物を包まれる必要はありません。大きな瓶に入った酒を持ってきて飲ませてください。あなたのお酒はおいしいですからね」

李成名「一瓶はもちろん、十瓶だっていいですよ」

そう言いながら、蕭北川を送り、家に戻りますと、蕭北川が酒をほしがっていることを話しました。しかし、珍哥はまだ立ち上がれず、晁大舎も気が気ではありませんでした。十日に出発することができましたかどうかは、とりあえず次回をお聞きください。

 

最終更新日:2010116

醒世姻縁伝

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[1]山人とは、本来は山野に隠棲するものだが、明末清初においては、ここに登場する童山人のように、金持ちにお世辞をいったり、贈り物をしたりして金品を手に入れる、たかりのことをいった。

[2] 『漢語大詞典』に骨牌賭博の一種というが未詳。

[3]防寒用頭巾。顔や頭部を隠す。孟浩然がつけたといわれるのでこの名がある。網巾をつけていると、髪の毛がきれいになっていることがわかってしまうので、それを隠すために頭巾をかぶった。 (図:周等編著『中国衣冠服飾大辞典』)

[4]狐の脇の下の白い皮。

[5] 『楊家府通俗演義』などの登場人物。顔が赤く、人を食べるのを好んだ。

[6]四角い重ね底の靴。

[7]原文「好逢秋」。「逢秋(fengqiu)」は「秋風(qiufeng)」と同じ。「打秋風」は「たかり」の意。したがって、「好逢秋」は「たかりが好き」の意となる。

[8]原文「請転」。「送る必要はありません、お戻りください」の意。

[9] 『証治准縄』によれば、生半夏七両、生南星二両、生川烏五銭を粉にし、生姜汁と米のペーストを加え、梧桐の実ほどの大きさにしたものという。

[10]媚薬と思われるが未詳。

[11]原文「海上仙方」。「海上」は、東海上にあるといわれる仙人の住む島蓬莱山のこと。

[12]強壮剤に浸した紐。

[13]代々付き合いがあるもの同士をいう。

[14]原文「白銭」、白綾の、字形による誤りと思われる。

[15]油を塗ったような光沢のある絹織物。

[16]裁縫は大っぴらなこと、刺繍は控えめなことを指す。情事を控え目にするべきだったということ。

[17]中国最古の医書とされている『黄帝内経』は、素問篇と霊枢篇に分かれているが、この素問篇を『素問』と称する。

[18]書名。二巻。扁鵲撰と伝える医書。難問を設けて説明しているので難経という。

[19]書名。一巻。六朝の人、高陽生が王叔和に托して撰したものという。医者が脈を見る方法を述べる。

[20] 「あてずっぽうをする」の意。

[21]生者の世界と死者の世界を隔てている関所。

[22]縮砂仁、陳皮、三説、神曲、麦芽を五銭,香附子を一両用いて作る消化剤。『証治准縄』参照。

[23]消炎のこと。

[24]鬱結を除くことと思われるが未詳。

[25]気を調えることと思われるが未詳。

[26]当帰身一銭、人参、白茯苓、白朮、龍眼肉、酸棗仁各二銭、青木香、甘草各五分、遠志一銭を用いて作る薬品。『済生方』参照。

[27]岳飛をまつった廟。

[28]占いの方法の一つ、二十八種の鳥獣を五行と二十八宿に配して占う。禽星、星禽ともいう。

[29]瓢箪型の竹、木片で吉凶を占う占い。俗にという。

[30]鏡や白紙をもって呪文を唱え、子供にそこに現れるものを言わせ、吉凶を占うもの。

[31]城隍神を祀る廟。城隍神は都市の守り神。

[32]病気平癒を願ってあげる道教のお経と思われるが未詳。

[33]自分の体の一部(おもに腿肉、腕の肉)を切り取り、スープにし、重病人に飲ませること。

[34]宋の陳搏のこと。希夷は陳搏の賜号。一度寝ると百日目覚めなかったことで有名。元の馬致遠撰の戯曲に『陳搏高臥』がある。

[35] 『論語』述而篇に見える、孔子が周公旦の夢を見たという話と引っかけた洒落。「後は陳希夷のように眠るばかりだった」の意。

[36]原文「晁宅請」。

[37]原文「曹賊吊在井里」。「晁宅請你Cháo zhái qǐng nǐ」「曹賊井里Cáo zéi jǐng lǐ」、音類似。

[38] 「診断」(原文「看病」kàn bìng)と「餅をのす」(原文「ー餅」gǎn bǐng)は中国語では音が類似。

[39] もとの詩は、李白『山中与幽人対酌』「我酔欲眠卿且去、明朝有意抱琴来」。

[40]原文「暴肉」。「腌肉」は塩や香料に漬け込んだ肉。「暴」はおそらく「爆」の誤り。「爆」は油で炒めること。

[41]漂母は、水の中で綿を打ち、漂白する女。『史記』淮陰侯伝に見える、飢えた韓信が漂母に食事を恵んでもらった物語りをふまえる。

[42] めったにないこと。

[43]緞子の一種と思われるが未詳。

[44]四グラム。

[45]初診料を貰ってそのまま逃げたりはしないということ。

[46]原文「如今還不曾倒下気来哩」。「倒気」は死ぬ直前に呼吸が乱れること。

 

 

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