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神奴児大鬧開封府

無名氏


第一折

(冲末が李徳義に扮し、搽旦の王臘梅とともに登場)(李徳義)わたしは汴梁の人、五人家族だ。兄は李徳仁、わたしは李徳義、姉は陳氏、女房は王氏、字は臘梅という。わたしには倅はないが、兄には子があり、神奴児という。われら両家はあの子供だけが頼りだ。財産は、みな兄さんと義姉さんが管理している。かれらはとても気を使っている。わたしと二嫂は何もしないで衣食を享受し、とても楽しい。

(搽旦)李二どの、今、お義兄さま、お義姉さまが言っていました。あなたは毎日お酒を貪り、家事をしないと。わたしたち二人がへそくりを貯めているとも言っていました。あなたは外にいることが多く、家にいることは少ないですが、厨房の仕事はすべてわたしがしているのです。お義姉さまは家も出ず、とても気儘にしています。わたしたち二人が着ているのは旧い衣ですが、かれらは良い綾羅絹帛を、すべて持ち出し、衣服を作って着ています。わたしの言うことに従って、財産を分け、二人して別居すれば、まことに楽しゅうございましょう。

(李徳義)二嫂よ、おまえはかたくなにわたしに分家することを求めているが、われらは義門[1]を勅賜せられた李家、三代分家していないのだから、どうして兄さんに話せよう。二嫂よ、もう一度考えろ。

(搽旦)このような酷い目には耐えられませぬ。李二どの、もう何碗かお酒を飲んで、酔った振りをし、あちらに行ったらわたしの言った通りにし、どうしても財産を分けようとなさればよいのでございます。

(李徳義)財産を分けたいのなら、仕方ない。あちらに行ったらおまえの言ったとおりにしよう。いっしょに兄さんに会いにゆこう。(ともに退場)

(正末が李徳仁に扮して大旦の陳氏とともに登場)

(正末)わたしは姓は李、名は徳仁、女房は陳氏といい、一子を生んだ。倅が生まれたのは、賽神[2]の日だったので、神奴児と呼びなされ、今年で十歳になっている。わたしの弟李徳義は、王氏を娶っているのだが、弟の嫁は少々愚かだ。かれは嫂と仲が悪く、いつも喧嘩している。祖父以来、わが家は三代分家せず、義門を勅賜せられた李家だぞ。妻よ、弟の嫁は強情だが、すこし譲って、両親の顔を立てよ[3]

(大旦)仰る通りにございます。あのひとと争ったりはいたしません。

(正末が唱う)

【仙呂】【点絳唇】わたしは幼きときから正直。浪費せず、商ひをしぞ学びたる。諍ひのなきことさへ得なば、黄金(こがね)は貴しとな言ひそ[4]

【混江龍】思へば半世人となれども、今、金持ちは誰かはあへて愚鈍をほしいままにせん[5]。昨日は(まよね)は清く(まなこ)は秀でたりしかど、本日は腰を屈して頭を低くす。窓外の日光は弾指に過ぎて、席前の花影は座間[6]に移りたり。

(言う)妻よ、今になってもどうして倅が勉強から戻ってこぬのだ。

(大旦)倅はそろそろやってきましょう。

(子役が登場)わたしは神奴児。勉強を終え、家へ食事をしにゆこう。母さん、ただいま。(子役が哭き、見える)

(大旦)倅や、お帰り。なぜ哭くのだえ。

(子役)母さん、仲間の生徒たちはわたしが綺麗な襖を着ていないことを嘲るのです。

(正末が唱う)見れば倅はすね、むずかりて、騒ぎ立て、眼を細め、むせび泣き、いたく悲しむ。わたしは手巾で頬の涙を拭いてやりたり。怒るなかれ。そのやうに足踏みし、推すなかれ。

(言う)妻よ、色つきの緞子を選び、倅に綺麗な服を作ってやれ。

(李徳義が搽旦とともに登場)(李徳義)兄さんの家の入り口に到着だ。二嫂、われらは乳、腹を共にした実の兄弟。今から行っても、どうして言い出すことができよう。

(搽旦)李二どの、ひたすら酔った振りをして、わたしに従えばよいのです。行きましょう。(ともに見える)

(李徳義)兄さん、ごきげんよう。義姉さん、ごきげんよう。

(正末)ああ、弟が来た。酔っているのではないか。

(李徳義)兄さん、この女はわたしが挨拶したというのに、どうしてわたしに挨拶を返さないのでございましょう。とても愚かにございます。

(大旦)叔父さんに挨拶を返しましたよ。

(搽旦)わたしがあなたに拝礼をしたのであれば、あなたはわたしに挨拶を返さなくてもよいでしょう。李二はあなたの義弟ですから、義姉さんはお義父さま、お義母さまの顔を立て、李二に挨拶をお返しになるべきでしょう。李二どの、まだ騒ぎ立てないのですか。

(李徳義が子役を打つ)この馬鹿野郎、どうしておれに挨拶しない。

(正末)弟よ、義姉さんが悪かった。わたしの顔を立ててくれ。(唱う)

【油葫蘆】酒の後、わざとわれらのところに来たり。弟よ、おまへは言ひがかりをつけり。

(二末)兄さん、わたしの心の中の怒りを、ご存じですか。

(正末が唱う)弟よ、おまへの心の中の怒りをわたしは知らず。

(二末)つつしんで兄さんを訪ねてきたのに、このような酷い目に遭いましょうとは。

(正末が唱う)おまへは兄を訪ぬれど、飲みたればぐでぐでに酔ひ、おまへは義姉(あね)に見ゆれど、ひたすらぷんぷん怒りたり。

(搽旦が唆す)李二どの、来てください。お話ししましょう。今あなたのお兄さんは、やはりひたすらお義姉さんに味方しています。あなたはわたしに従って、財産分けをしてください。

(正末が唱う)ひたすらに喚けるは、なにゆゑぞ。女房よ、おまへはかれに会ひたれば、さきに挨拶すべきなり。

(言う)弟よ、義姉さんが悪かった。

(唱う)今日、義姉さんは挨拶を返すのが遅かりき。

(搽旦)李二どの、いつまで言わないおつもりですか。

(李徳義)二嫂よ、おまえはかたくなに分家しようとしているが、わたしは兄とは同じ母から生まれた実の兄弟だから、どうして言い出すことができよう。

(搽旦が怒る)まだ言わないかえ。

(李徳義)おまえはどうして怒っているのだ。わたしはおまえに従おう。(李徳義が大末に会う)兄さん、「古米のご飯はいくら捏ねても団子とならぬ」ともうします。わたしたちはいっしょに住むのは難しゅうございます。このように言い争うなら、財産を分けた方が宜しいでしょう。

(正末)弟よ、おまえは間違っている。義姉さんが悪いにしても、わたしもいるのだ。(唱う)

【天下楽】(よろづ)の事があらんとも、わたしの顔を立つべきぞ。おまへはよく知る、誰かがおまへを馬鹿にせば、わたしがかれに見ゆるときに、怒りが胸に起こらんことを。

(搽旦)李二どの、今日はいずれにしても財産を分けましょう。

(李徳義)兄さん、あなたは義姉さんに味方して、兄弟の誼はすこしもございません。愚かな義姉さんだけといっしょにお住みください。財産をお分けください。

(正末)弟よ、さきほど入ってきたときは、義姉さんが挨拶を返さないと言っていたのに、今は財産を分けようとするのか。

(唱う)盆を砕けば盆のみを論ずべきなり。話を逸らすことなかれ[7]

(大旦)義弟(おとうと)義妹(いもうと)が財産を分けようとするのなら、かれらに従い分けましょう。

(正末)黙れ。

(唱う)おまへも風に向かひつつ箕を簸るや[8]

(搽旦)李二どの、いずれにしても今日財産を分けましょう。

(正末)弟よ、財産を分けるなら、父母(ちちはは)の遺言に背いてしまうではないか。財産は断じて分けることはできない。

(搽旦)李二どの、信じてはなりませぬ。いずれにしても今日財産を分けましょう。

(正末が唱う)

【那令】兄はおまへに勧めてん。あれやこれやと怒るなかれ。妻よ、おまへは近う寄れ。あれやこれやと推すなかれ。倅はこちらで遊ぶべし。あれやこれやと哭くなかれ。

(言う)李大員外、二員外、

(唱う)われらはまさに同じ手足(はらから)、なんぢらはまさに義理の姉妹ぞ。なにゆゑぞ話が合はざる。

(搽旦)お義兄さま、わたしがかように酷い目に遭っているのを、あなたはご存じないのです。

(正末が唱う)

【鵲踏枝】夫は尊卑を弁へず、嫁は愚かし。かれら二人は上になり下になり、くどくどと、言ひ争へり。

(搽旦が叫ぶ)ああ、わたしたち二人を馬鹿にしている。

(正末)黙れ。

(唱う)「趙礼が肥を譲る[9]」とはいへず、おまへは「家に賢妻があり」とはいへず。

(言う)弟よ、あらゆることで兄の顔を立てろ。(唱う)

【寄生草】わたしはおまへと実の兄弟、結義せしものにもあらず。おまへは今日は相識にあらざるものとことさらに相識となり、親戚にあらざるものと結托し親戚となる。弟よ、なにゆゑぞおまへの兄に譲ることをまつたく知らざる。

(搽旦)わたしたちは喋っていないのに、あのひとはあれこれと言っています。李二どの、まだあのひとを打たないのですか。

(正末が唱う)このやうに腕を捲りて拳を出すはなにゆゑぞ。むざむざと隣人たちに嘲笑せられ、物議を醸せり。

(搽旦)李二どの、あのひとはかたくなに財産を分けようとしません。あのひとに片方を棄て、片方を取るようにさせましょう。

(李徳義)片方を棄て、片方を取るとはどういうことだ。

(搽旦)あのひとは三代財産を分けていないと言い、両親の遺言に背くのを恐れています。分けないならばそれも宜しゅうございましょう。義姉さんがあなたがた兄弟を唆し、不和にしているのですから、あなたが今から義兄さんに義姉さんを離縁させれば、わたしは財産を分けませぬ。これが棄てる片方を棄て、片方を取るということでございます。

(李徳義)義姉さんは兄さんの幼なじみの夫婦で、罪もない。どうして離縁させられよう。

(搽旦が李徳義を打つ)考えがあるのだから、とにかくわたしに従うのだよ。

(李徳義)仕方ない。おまえに従うことにしよう。兄さん、実を申せば、財産を三代分けなかったのは、父母の遺言によることですから、われらはあえて背きませぬ。それも宜しゅうございましょう。われわれの家が不和なのは、ひとえに義姉さんが愚かだからです。今から義姉さんを離縁なされば、財産を分けませぬが、義姉さんを捨てられないなら、財産を分けましょう。兄さん、あなたのお考えはいかがでしょうか。

(正末)弟よ、われらは義門を勅賜せられた李家、三代の間、財産を分けてはおらぬ。おまえはわたしが義姉さんを離縁するのを求めているが、容易いことだ。ただ、いかんせん紙、墨、筆、硯がまったくないのだ。

(李徳義)二嫂、兄は紙、筆がないと言っている。

(搽旦)こちらには靴の型紙、模様を描く筆があり、すべて用意しましたよ。

(李徳義)兄さん。紙、墨、筆、硯はみなございました。

(正末)弟よ、吉日を選んで義姉さんを離縁しよう。

(搽旦)子丑寅卯、今日はまさに良うございます。今日こそは大吉日でございます。書きましょう。書きましょう。

(正末)持ってきてくれ。持ってきてくれ。妻よ、おまえにはひどく迷惑している。

(大旦)員外さま、わたしは罪もございませんのに、どうして離縁なさるのですか。

(李徳義)兄さん、お書きになればよいのです。これ以上、考えを改められてはなりませぬ。

(正末が唱う)

【後庭花】おまへの兄は変心はせず。わたしはこちらで書かんとすれど、何を書くべき。

(李徳義)兄弟の誼がないなら、この女を留めてください。

(正末が唱う)よしやかれ[10]との恩愛があらんとも、いかでかはわれら兄弟(いろせ)が二つ所に分かるべき。

(搽旦)李二どの、義兄さんは口は殊勝なことを言っていますが、手は去り状を書こうとはしていませんよ。

(李徳義)兄さん、勿体ぶらずに、去り状を書かれませ。

(正末が唱う)弟よ、遅きことをな厭ひそね。とりいそぎ墨をすれかし。手に紙と筆を捧げて、かれをすぐさま離縁せん。あらためて媒酌を立て、また一人年若きものを捜さん。

(李徳義)兄さん。義姉さんを捨てられないなら、わたしを離縁してください。

(正末が唱う)

【柳葉児】いづくにかさらに一人の同胞の弟を求むべき。「嫁とは塀の泥」なれど[11]、百歩従ひなほ徘徊の意ありと言はずや[12]

(大旦)員外さま、わたしたちは幼なじみの夫婦ですのに、どうして離縁なさるのでしょう。

(正末が唱う)わたしはかれの考へに従ひて、いそいで離縁すべきなり。妻よ、おまへは幼なじみの夫婦なることをな言ひそ。

(言う)弟よ、両親が遺した言葉をおまえは聴かず、今日は財産を分けようとしている。死んで九泉(よみじ)に行ったとき、どの面さげて亡き両親の顔を見るのだ。ほんとうにひどく腹立たしいわい。

(正末が怒って倒れる)

(大旦が哭く)員外さま、お気を確かに。お気を確かに。

(李徳義)兄さん、お気を確かに。どうしたらよいだろう。

(正末が目覚める)(唱う)

【賺煞尾】おまへはつねに訴訟せんとする心を持ちて、人をば訴へんとする(こころ)を備へり。おまへの訴状は水を注げる瓶のやう[13]、われわれ実の兄弟を五眼の鶏と見なしたり[14]

(搽旦)わたしたちがあなたを馬鹿にしているのなら、頭の上には天があります[15]

(正末が唱う)おまへとて良き家柄と祖先の遺産を思ふべきなり。本日は誰がために諍へる。「湛湛たる青天は欺くべからず」と言はずや。おまへはさやうにみづからを欺きて、かやうに怒り逆らへり、

(言う)人の世の私語(ささめごと)、天は聞くこと雷のごと、報いがなしと言ふなかれ。

(唱う)遅速の違ひのあるのみならん。(憤死して退場)

(大旦)員外さまがひどく怒るとは思わなかった。員外さま、あなたのせいでとても悲しゅうございます。(子役とともに哭き、退場)

(李徳義)兄さんが一気に憤死してしまうとは思わなかった。わたし一人は置き去りにされ、どうしたらよいだろう。

(搽旦)李二どの、哭いてはなりませぬ。義兄さんはすでに亡くなりました。義姉さんには、神奴児を連れて別居し、操を守ってもらいましょう。莫大な財産は、すべてわたしたち二人のものです。

(李徳義)その通りだな。二嫂よ、兄さんは亡くなったから、埋葬すれば、財産はすべてわたしのものになるのだな。二嫂よ、今日はおまえの願いが叶ったな。

(詩)無理に別居し事は公正ならざれば、兄弟(いろせ)の誼は空しくなりぬ。憐れや兄は今日喪ぶれば、南柯の夢にてまた逢ふほかなし。(退場)

 

楔子

(大旦が子役を連れて登場、詩)天下の人の悲しみは、すべてわが胸にしぞ在る。

員外さまが亡くなってから、はやくも断七[16]。家にはとりたてて頼りになる人がなく、一人のじいやがいるばかり、内外の仕事は、多くはかれがしてくれている。わたしは神奴児だけが頼りだ。倅や、門前へ遊びにいってはならないよ。

(子役)母さん、街へ遊びにゆきたいのです。

(大旦)倅や、おまえを連れてゆく人がいないよ。

(子役)じいやに命じてわたしを連れてゆかせてください。

(大旦)じいやを呼んできておくれ。

(子役)じいや、母さんが呼んでいるよ。

(正末がじいやに扮して登場)老いぼれは李員外さまのじいやだ。老員外さまが亡くなった後、奥さまは神奴児さまといっしょに別居していらっしゃる。老いぼれが年老いて、辛い仕事ができないために、わたしに命じて毎日神奴児坊ちゃまを世話させている。奥さまが呼ばれていたが、何事だろうか、行かねばならぬ。(見える)奥さま、老いぼれを呼ばれましたは何事にございましょう。

(大旦)じいや。倅が街へ遊びにゆこうとしているから、連れてゆき、連れてきてくれ。

(正末)奥さま、ご安心ください。老いぼれは手ずから坊ちゃまをお連れしてゆき、手ずから坊ちゃまをお連れしてまいりましょう。

(大旦)じいや、気を付けて、わたしを心配させないように。(退場)

(正末)坊ちゃま。老いぼれといっしょに大通りへ散歩しにゆきましょう。(子役とともに遊ぶ)坊ちゃまは十分お遊びになりました。奥さまがお家で待ち望んでらっしゃいましょう。ごいっしょに家に帰ってゆきましょう。

(子役が哭く)じいや。傀儡(くぐつ)が欲しいよ。

(正末)坊ちゃま、お哭きにならないでください。わたしが買ってまいりましょう。坊ちゃま、この橋のたもとで立っていてください。買いにいってさしあげましょう。(唱う)

【仙呂】【賞花時】傀儡(くぐつ)をいそいで買ひにゆかばや。坊ちやま、あなたはみだりに動きたまふなかれ。街を回りて、あなたの母御が心配しつつ待つことのなきやうに、大股で行き、買ひきたりたり。(退場)

(李徳義が酔って登場)兄弟たちよ、咎めるな。日を改めて返しの宴を設けよう。(子役が叫ぶ)叔父さんだ。叔父さんだ。

(李徳義)誰が呼んでいるのだ。

(子役)叔父さん、神奴児が呼んでいるのです。

(李徳義)神奴児だ。こちらで何をしているのだ。

(子役)じいやに連れてこられたのです。わたしが傀儡(くぐつ)を求めると、買いにいってくれました。こちらで待っているのです。

(李徳義)あのじじいめ、われら両家は、神奴児一人が頼りなのだ。馬が来て坊やを踏んだら、どうするつもりだ。坊や、いっしょに家へ行こう。

(子役)行きません。おばさんが恐いですから。

(李徳義)大丈夫だ。わたしがいるから。いっしょに家へ行こう。(李徳義が子役を抱く)

(浄が何正に扮して突然登場、李徳義にぶつかる)おにいさん、失礼。わたしが悪かった。

(李徳義が罵る)馬鹿野郎、おまえは目くらか。わたしにぶつかったのは大したことではないが、われら両家は神奴児だけを頼りにしており、珍珠と同じものなのだ。もしものことがあったらどうする。おまえは雑役夫だな。おいおまえ、知らぬだろうが、わたしは義門のある李家のもの、わたしは李二員外なのだ。わたしが住んでいる場所を知っているか。州橋を下り、南へ行くと、紅漆塗りの板搭[17]と高い槐の樹がある場所がわたしの家だ。

(何正)私用のためににわかにやってきたのではない。わたしは包待制大人を迎えにゆくのだ。

(李徳義)包待制はわたしをどうすることもできまい。

(何正)黙れ。馬鹿野郎、不意におまえにぶつかったから、詫びを言い、頭を下げたが、わたしを馬丁と罵って、わたしの父母[18]を謗ったな。包待制大人を迎えにゆくのだと言うと、包待制はわたしをどうすることもできまいと言ったな。倅よ[19]、おまえは李二員外で、この子供は神奴児なのだな。おまえが住んでいる場所は、州橋を下り、南へ行った、紅漆塗りの板搭と高い槐の樹がある場所だな。おまえはいつも良い所を踏んで歩けよ。罪を犯してわたしの役所に来たときは、誰が当直であろうと、馬糞で杖を汚し、おまえの皮をすぐ剥いでやる。李二よ、おれたち二人は軸が触れないようにしようぜ[20]。(退場)

(李徳義が子役を抱く)坊や、おまえを抱いて家へ行こう。(退場)

 

第二折

(搽旦が登場)わたしは李二嫂。義兄が死んだ後、嫂は神奴児を連れて別居している。今、神奴児がいることだけが気に入らない。わたしは一心にあの子供を殺そうとしている。そうすれば財産はすべてわたしたち二人のものだ。

(李徳義が子役を抱いて登場、酔っている)二嫂、開けてくれ。

(搽旦)李二どのが戻ってきた。この門を開けるとしよう。

(李徳義)二嫂、わたしは酔ったぞ。神奴児を抱いてきたから、よく面倒をみるのだぞ。良い果物、良い焼餅(シャオピン)を買って食べさせ、驚かすなよ。ひとまず休むぞ。(李徳義が眠る)

(搽旦)李二どの、また酔われましたね。かしこまりました。お休みください。わたしは今からするべきことをするとしよう。このひとが寝ているうちに、子供を絞め殺すとしよう。このひとが目醒めた時は、おのずから考えがある。(縄を持ち、子役を縊る)黄泉に行き鬼となれ、怨むでないよ。

(子役が慌てて、哭く)おばさん、わたしはあなたと昔日の怨みはなく、近日の仇もございません。おばさん、あなたはほんとうに凶悪です。どうして絞め殺すのでしょう。

(搽旦が子役を絞め殺す)この子供を絞め殺した。李二どのは目覚めたら何と言うか。

(李徳義が目醒める)うまい酒だった。酔うには酔ったが、意識ははっきりしていたぞ。神奴児を抱いて家に来たのを憶えているが、なぜいないのだ。二嫂よ、神奴児はどこにいる。

(搽旦)神奴児はあちらで眠っていますから、見にゆかれませ。

(李徳義が子役を見る)愚かな女め、どうして坊やを冷たい(ゆか)で眠らせている。この(とこ)で眠らせればよいではないか。この女め、なぜこのように愚かなのだ。(立ち上がって見る)坊や、起きあがり牀で眠ろう。(また見る)ああ。二嫂よ、おまえはほんとうに凶悪だ。二つの家は神奴児一人が頼りなのに、なぜ絞め殺した。義姉さんが神奴児を求めたら、どう返事する。訴訟をせねばならぬわい。いっしょに訴訟しにゆこう。

(搽旦)ぺっ。あなたが抱いてきて、わたしに絞め殺させたのですよ。あなたは夫で、あなたが命令した事に、従わぬわけにはまいりませぬ。いっしょに訴訟しにいって、あちらに行ってあなたが一句仰れば、わたしは二句言い、二句仰れば、わたしは十句言いましょう。わたしはかならずあなたに罪を押しつけますよ。いっしょに訴訟しにゆきましょう。

(李徳義)わたしに罪を押しつけている。どうしたらよいだろう。

(搽旦)容易いことです。あなたが抱いてきたことを、ほかの人は知りません。いっしょにこの子を溝に埋めましょう。

(李徳義)溝に埋めても、顕れ出てくることだろう。

(搽旦)石板を被せ、さらに土を敷き、ちょっと踏めば、誰にも分かりませぬ。(子役を埋める)いささかの土を敷き、いささかの水を掛ける。ああ。まるまる一日苦労して、ほんとうにさっぱりした。あなたがいなければ、この計略は立てられなかったことでしょう。

(李徳義)二嫂、おまえはほんとうに凶悪だ。義姉さんが来たときは、自分でごまかせ。

(搽旦)今、神奴児は絞め殺されて、財産はすべてわたしのものだ。ああ。わたしが一片の良心を持っているため、天もわたしにご飯を半碗食べさせてくださるでしょう[21]。(ともに退場)

(正末が登場)老いぼれは傀儡(くぐつ)を買って戻ってきたが、坊ちゃまがいらっしゃらない。どちらへ行かれたのだろう。奥さまに尋ねられたら、何と申しあげよう。探しにゆこう。神奴児坊ちゃま、どちらへ行かれたのですか。(唱う)

【南呂】【一枝花】たちまちわたしは心が砕け、にはかに憂へて病となりぬ。幾つもの街を走れば、二本の(あし)は折らるるがごとくに痛めり。胆は戦き、心は驚き、あたふたとむなしく悲しむ、ああ、小冤家(ぼつちやま)はいかがせしにや。さきほどは手を執りて通りを散歩したりしに、

(言う)坊ちゃまが傀儡(くぐつ)をお求めだったから、買いにいったが、

(唱う)なにゆゑぞ戻りきたれば影の見えざる。

【梁州第七】大通りにて驢馬などに逢ひしにや。裏町で車などにぶつかりしにや。わが忠言を聴きたまふ心なし。わたしはあなたを引き連れて、ともに坐し、ともに歩めり。目のやうに大事にし、命のやうに大切にせり。かのひとが行きても坐しても笑顔を作りて迎へたり、飛ばんとすれど、わが脇に翼のなきぞ恨めしき。わたしは来たり行つたりし、脚は梭を飛ばすかのやう。わたしは行きつ戻りつし、身は(へい)を返すがごとし。ああ、ああ。わたしはまことにあたふたとして手は鈴を振るにぞ似たる。

(言う)坊ちゃまは待ちきれず、家に戻ってゆかれたのだろう。ひとまず家に見にゆこう。

(大旦が登場)じいや、お帰り。

(正末が慌てる)

(唱う)わたしを一声呼ぶを聴きたり。水を掛けられたるごとく、おぼえず総身は冷たくなりぬ。悔いんとすれどもはや手遅れ。

(大旦)神奴児はどちらにいるかえ。

(正末が唱う)奥さまに申しあぐべし、慌てたまふな、しばし落ち着きたまへかし、

(大旦が哭く)

(正末が唱う)両の涙を傾くるかのごとくしたまふことなかれ。

(大旦)じいや、なぜ神奴児がいないのだえ。

(正末)奥さま、言うには言いますが、どうか悲しまれないでください。坊ちゃまと街を散歩していましたところ、坊ちゃまが傀儡(くぐつ)をご所望でしたので、老いぼれはこちらでお待ちくださいと言いました。老いぼれは傀儡(くぐつ)を買いにいったのですが、いそいで戻ってきたときは、坊ちゃまがいなくなっていたのです。

(大旦)倅がいなくなっていたとは。どうしよう。

(正末)奥さま、悲しまれますな。ごいっしょに坊ちゃまを捜しにゆきましょう。時間も早うございます。門を閉め、捜しにゆきましょう。(唱う)

【四塊玉】廂長[22]に告げ、坊正[23]に報せ、物と人とが(さは)にある臥牛城[24]をば覆し得ぬことぞ恨めしき、

(叫ぶ)表通りや裏通りの、張三、李四、趙大、王二。

(唱う)見たのなら姓名を告げよかし。坊ちやまが見えずなりなば、いかにすべけん。

(言う)二つの家は坊ちゃま一人が頼りなのです。

(唱う)愚かな爺よ[25]、坊ちやまのため、命を償はずばならず。

(大旦)じいや、われら両家は倅一人が頼りなのに、どうしたらよいだろう。

(正末)奥さま、街にはいらっしゃいませぬ。仲間の子たちが坊ちゃまを家に送ってきてくれるかもしれません。(ともに戻る)

(大旦)この門を開け、灯を点そう。じいや、尋ねるが、おまえは倅をぶっただろう。倅は恐れておまえを避けているために、捜しても見えぬのだろう。

(正末)奥さま、ご安心ください。老いぼれが入り口で坊ちゃまをお世話しているときは、(唱う)

【隔尾】懐にお守りし、心肝のやうに敬ひ、眼で番し、手に捧ぐるがごとくせり。

(言う)神奴児坊ちゃま、

(唱う)二千たび神奴児さまと叫べども、叫べども応へたまはず。あなたのために走ればわたしの(あし)は折れ、奥さまは哭けば両眼を破りたまへり。わたしはこちらで静かに坐して夜明けまで、坊ちやまを待ちたてまつらん。

(正末が眠る)

(子役が魂子に扮して登場)わたしは神奴児。じいやはわたしを連れて通りで遊んでいたが、わたしが傀儡(くぐつ)を求めると、買いにいってくれた。わたしは州橋の上でじいやを待っていた。ところが叔父さんに遇い、家に抱いてゆかれた。おばさんは縄でわたしを絞め殺し、溝に埋め、石板を被せた。じいやは知らないだろうから、夢枕に立ちにゆこう。着いたぞ。じいや、開けておくれ。開けておくれ。

(正末)ああ。坊ちゃまがいらっしゃった。坊ちゃまが家にいらっしゃいました。(唱う)

【牧羊関】歩けば疲れたまふらん、さらに布団の冷たきを嫌ひたまふらん。あなたのために火を起こし、残灯を消す。喉が渇けば柿、梨があり、お腹が空けば軟らかき肉薄餅[26]あり。あなたを三千遍捜し、二千声叫びたりにき。などてかやうにぼんやりと灯の前に立ちたまひたる。

(言う)坊ちゃま、お帰りなさいまし。

(唱う)なにゆゑぞ小声にて(かど)()で聴きたまひたる。

(言う)神奴児坊ちゃま、お入りください。老いぼれが悪うございました。

(子役が哭く)

(正末が唱う)

【罵玉郎】わたしはこちらであはてて手を執り、幾たびも宥めたれども[27]

(子役が哭く)

(正末が唱う)かれはあちらでますますすねてむづかれり。ひたすらに啼きわめき、人を困らす。ああ、この餓鬼め、この世にかやうにわがままな者はなからん。

【感皇恩】ああ、かれはあちらにて声を呑み、側に立ち、脇を歩めり。ひたすらに哭き、悲しみて、たえず涙を浮かべたり。そのかみは羊のやうに温和なりしに、まことに遊べる馬のごとくに機敏なり。

(子役が哭く)じいや、何をぶつぶつ言っているんだ。

(正末が唱う)わたしがぶつぶつ言へりと仰る。かれはあちらでむづかりて、聞き分けなくせり。

(言う)坊ちゃま、誰があなたを苛めたのですか。

(子役)じいや、おまえはわたしのために傀儡(くぐつ)を買いにいってくれたが、わたしは州橋の上でおまえを待っていたのだよ。叔父さんに遇い、抱かれて家へ行ったのだ。おばさんは縄でわたしを絞め殺し、溝に埋め、石板を被せたのだ。じいや。わたしに味方してくれ。

(正末が驚く)(唱う)

【采茶歌】実情を語るを聴けば、怯えてわたしの魂霊(たま)は消えたり。ああ。慌ててわたしはぶるぶるとして、にはかに敷居に入らんとはせず。わが睡眼の朦朧たるは呼び覚まされて、ただ見るはかのものの左に来、右に行きして停まることなき。

(子役が正末を推す)じいや。夢の中だと思わないでおくれ。(退場)

(正末が醒める)ほんとうにひどく驚いた。夢だったのか。奥さま。坊ちゃまがいらっしゃいました。

(大旦)坊やが来ただって。坊やはどこにいるのだえ。

(正末)老いぼれは申すには申しますが、奥さま、お悲しみになりませぬよう。老いぼれは入り口に居ましたときに、体が疲れ、思わず眠りましたところ、神奴児坊ちゃまを夢に見たのでございます。叔父さんに抱かれて家に行き、李二嫂に絞め殺された、溝の石板の下に埋められていると仰っていました。坊ちゃまはほんとうに死んで苦しいと仰っていました。

(大旦が哭いて倒れる)

(正末が大旦を扶ける)奥さま、しっかりなさいまし。夜が明けましたから、李二さまの家へ探しにゆきましょう。

(大旦が目醒める)ああ。神奴児や、ほんとうにとても悲しい。

(正末が唱う)

【黄鍾尾】わたしはこちらで抜き足差し足、(はな)(こみち)に臨みたり。わたしはあなたと大股で衣を掲げ、小さき亭に近づけり。子供の世になきことを悟れば[28]、おぼえず悲しみ哽びたり。空は寒く、風は冷たく、夜は迢迢、星は耿耿、たちまち陰り、たちまち晴れたり。わたしは思へり、神奴児さまは曲檻をそぞろに歩きたまへりと、

(言う)坊ちゃまがいらっしゃった。

(唱う)ああ。これはそも月影の雲を破りて花影を弄びたりしなり。(ともに退場)

 

第三折

(李徳義が搽旦とともに登場)(李徳義)わたしは李二。二嫂よ、おまえはほんとうに残酷だ。おまえはわたしを唆し、財産を分けさせようとし、わたしの兄を憤死させたな。一切の財産は、すべて手に入れたのに、おまえはそれでも飽き足らず、神奴児を絞め殺したな。坊や、とても悲しい。義姉さんが捜しにきたら、すべておまえ[29]が責任をとれ。

(搽旦)構いませぬ。来た時はおのずと考えがございます。この門を閉じるとしましょう。

(正末が大旦とともに登場、大旦)じいや。いっしょに神奴児を捜しにゆこう。

(正末)奥さま、ご安心ください。わたしは李二夫婦を許しませぬ。(唱う)

【中呂】【粉蝶児】こいつらは風俗を損なひて、われら一家をかき乱し、暮らし難くぞせしめたる。かの吃敲才(わるもの)はあれこれと謀りごとせり。かの長き舌の妻[30]、人を殺しし(わるもの)を、いかで許さん。かれと衣を結びつけ、大きな役所を選んでかれを告げにゆかばや。

【酔春風】かれはわたしに殺人の怨みがあれば、わたしはかれをただではすまさじ。

(正末が不平を鳴らす)

(大旦)とりあえず叫んではなりませぬ。叫んではなりませぬ。

(正末が唱う)わたしは必死につづけて二声三声叫べり。奥さま、この口をな(ふさ)ぎたまひそ、な(ふさ)ぎたまひそ。よしやあなたの弁舌が蘇秦に勝り、口は陸賈に勝るとも、あなたはいかで弁ずべき。

(言う)開けてくれ。開けてくれ。

(李徳義が慌てる)二嫂、ほんとうに門で叫んでいるぞ。どうしよう。(門を開ける)この門を開けるとしよう。

(正末が引く)おまえは財産を強奪し、坊ちゃまを絞め殺したな。ただではすまさぬ。

(李徳義が背を向ける)どうしたらよいだろう。どのようにかれをごまかそう。

(搽旦)お義姉さま、わが家にいらっしゃったのは、いかなるご用にございましょう。

(大旦)神奴児を捜しにきました。叔父さんが抱いてきてあなたの家にいるというから。

(搽旦)誰もあなたの神奴児が来るのを見てはいませんよ。神奴児がうちに来てどうするのです。

(正末)神奴児さまはおまえの家にいらっしゃる。

(李徳義)このじじいめ、神奴児がどうしてうちにやってくるのだ。

(大旦)叔父さんが倅を抱いて家に来たのです。

(李徳義)あの子を抱いたことなどない。いっしょにご近所に尋ねにゆこう。どなたか御覧になりましたか。

(正末が唱う)

【紅繍鞋】むりにもがいて通りに行きて怒鳴るべからず。神奴児の屍骸(むくろ)は溝に埋められたり、

(搽旦が慌てる)誰がおまえに溝に埋めてあると言ったのだ。今どこにいる。どこにいる。

(正末が唱う)わたしは夢の手本に従ひ、葫蘆を描きしのみなるに[31]、かれはなどたちまち慌て、一言一言つよくごまかす。あなたはまさに「(わるもの)は胆がびくびく[32]」したるらん。

(李徳義)神奴児はほんとうにうちにはいない。

(大旦)叔父さん。あなたが息子を抱いてきたのでございましょう。

(李徳義)わたしが抱いてきただって。誰が証人だ。自分で探しにゆけ。

(正末)騒がれますな。わたしは自分で探しにゆくといたしましょう。(唱う)

【迎仙客】雨などは降らざるに、などかくも泥の湿れる。

(搽旦)汚水を撒いたのだ。

(正末が唱う)あなたは言へり、水、(すな)(なんぴと)か土を混ぜたる[33]

(搽旦)こちらが凹んでいたために、ごみを掃いて埋め、さらに水を撒いたのだ。うちのことに、構うことはないだろう。

(正末が唱う)この石板はなど剥がされたる。

(搽旦)「晴れたるときに水路を開けば、雨の降るとき泥を踏むことはなからん[34]」。わたしは溝を掘ったのだ。溝を掘ったのだ。

(正末が唱う)この溝はなど詰まりたる。

(搽旦)雨がはげしく降ったのだから、水が溢れぬはずがあろうか。神奴児はどこにいるかえ。自分でお捜し。

(正末が唱う)わたしに催促すべからず、あなたとともにゆるゆると捜しにゆかん。

(言う)奥さま、このひとはわざと屍骸を隠したのです。

(搽旦)李二どの、いらっしゃってください。この女は年若く、空房を守れないため、こっそりと間男に子供を殺させ、ことさらにわたしたちのもとに来て罪を被せているのです。官休にするか私休にするか尋ねてください。

(李徳義)その通りだな。義姉さん、官休[35]にしますか私休[36]にしますか。

(大旦)何が官休、何が私休なのですか。

(李徳義)官休なら、わたしは役所に告げにゆきます。さまざまな取り調べを受け、吊られ、殴られ、縛られ、掻かれることでしょう。あなたは理由なく姦通し、わたしの兄を憤死させ、甥を謀殺したのですから、かならず自白するでしょう。私休なら、嫁入り道具はすべて残させ、身一つで出てゆかせ、ほかの人と再婚するのに任せましょう。これがすなわち私休です。

(大旦)わたしは疚しいことはなく、恐れることはありません。あなたと訴訟しにゆきましょう。

(正末)あなたと訴訟しにゆきましょう。(ともに退場)

(浄が孤に扮し、張千を連れて登場)(孤の詩)お役人は清きこと水に似たれど、令史は白きこと(こむぎこ)に似る。水、(こむぎこ)を一捏ねすれば、一面がどろどろとなる[37]

わたしはこの地の県知事だ。本日は登庁し、朝の仕事をしているところだ。張千よ、目安箱を持て。訴訟を受理しろ。

(李徳義、搽旦が大旦、正末とつかみ合いながらともに登場)

(李徳義が叫ぶ)訴え事にございます。

(張千)連れてまいれ。

(衆が見えて跪く)

(孤)おまえたちは何を訴える。

(李徳義)知事さま、憐れと思し召されませ。こちらはわたしの嫂ですが、間男があり、この爺さんはすべて事情を知っていました。わが兄を憤死させ、わたしの甥を殺したのは、いずれもこの女でございます。どうか大人、わたしにお味方してください。

(孤)人命事件を、わたしがどうして裁けよう。張千、令史を呼んできてくれ。

(張千)令史さま。知事さまがお呼びです。

(丑が令史に扮して登場、詩)生まれつき清廉にして有能なれど、蕭何の律令(のり)に精しくはなし[38]。上司が来りて裁くを聴けば、たちまち怯えて肚は痛めり。

わたしは姓は宋、名は了人、字は贓皮、この役所で令史をしている。どうして令史というのだとお思いになる。お役人はお金が欲しいときに、民草たちに働いてもらうが、令史はお金が欲しいときに、お役人に働いてもらう。そのため令史ともうすのだ[39]。個室で居眠りしていると、張千が呼びにきたが、何事だろうか。(張千に会う)張千よ、わたしを呼んでいかがしたのだ。

(張千)知事さまがあなたを呼んで裁判なさるのでございます。

(令史)訴えをするものがいるが、裁けないので、わたしをお呼びなのだろう。知事さまに会いにゆこう。張千、取り次げ。令史が参りましたと。

(張千が報せる)知事さま。令史が参りました。

(孤)通せ。

(張千)どうぞ。

(令史が見える)知事さまがわたしをお呼びになったのは何故でございましょう。

(孤が見る令史が跪く)令史よ、用事がなければ呼びはせぬ。人命事件を告げるものがいるのだが、わたしは裁けぬ。わたしのために裁いてみてくれ。

(令史)立たれませ。よその者が見ましたらみっとものうございます。おいおまえたち、だれが原告だ。

(李徳義)わたしは李二、原告でございます。

(令史が李二を見る)ああ、こいつめ。どこかで見たことがあるぞ。ああ、ああ、ああ、いつか街を巡回していて、かれの家の入り口に行ったとき、腰掛けにちょっと坐らせてくれと頼んだが、かれは持ち出してこなかった。わたしの息子よ[40]、今日はわが役所に来たな。張千よ、捕らえてきてくれ。

(張千)かしこまりました。

(李徳義が銀子を渡し、指を伸ばす[41]

(令史が見る)おまえの二つの指は不自由なのか。よくもまあ[42]。晩に送ってこい。おまえたちは、どちらが原告で、どちらが被告だ。おいおまえ、おまえはどこの人間で、姓名は何という。何を訴える。正直に言え。真のことを申せばよいが、嘘を申せば、じっくり打つぞ。

(李徳義)知事さま、憐れと思し召されませ。こちらはわたしの嫂ですが、間男があり、この爺さんはすべて事情を知っていました。わが兄を憤死させ、わたしの甥を殺したのは、いずれもこの女でございます。どうか大人、わたしにお味方してください。

(令史)これは人命事件だな。この女は、良くない人間のようだ。張千、その女を連れてこい。おい女、どうして夫を憤死させ、実の子を絞め殺した。正直に言え。

(大旦)わたしは夫を憤死させたり、実の子を絞め殺したりはしておりませぬ。

(令史)打たねば自白せぬのだな。張千、じっくり打ってくれ。

(張千)白状しろ。(打つ)

(令史)この女をあちらに連れてゆき、あの爺さんを連れてくるのだ。

(張千)かしこまりました。

(令史)おい爺さん、あの女がどうして夫を憤死させ、実の子を絞め殺したのか、正直に言え。

(正末)知事さま、憐れと思し召されませ。奥さまに間男はございませぬ。

(令史)二人の仲を取り持ったのは、おまえのようだな。張千よ、打ってくれ。

(張千が打つ)はやく白状しろ。(打つ)

(令史)おい爺さん、尋ねるが、あいつの夫は亡くなってどのくらいになる。

(正末)知事さま、老いぼれがゆっくりと話すのをお聴きください。(唱う)

【石榴花】わが兄は死し尽七[43]になりぬれど、喪はいまだ明くることなし、

(令史)この女にはきっと間男がいるのだろう。

(正末が唱う)奥さまは頼る人なく、今は喪に服したまへり。

(令史)なぜ実の子を絞め殺した。

(正末が唱う)あの日には、坊ちやまはだだをこね、哭きたまひたり、

(令史)あの子供が哭いたのは、いったいなぜだ。

(正末が唱う)大通りへと遊びにゆかんとしたまひしなり、

(令史)誰がかれを連れていった。

(正末が唱う)老いぼれのみが歩歩従ひき。

(令史)どこへ連れていった。

(正末)坊ちゃまが傀儡(くぐつ)をお求めだったので、老いぼれはわたしが買いにゆきますと言いました。

(唱う)戻りきたればどうしても見あたらざりき、

(令史)どこを捜したのだ。

(正末が唱う)前の街、裏の巷の両方を繞り、捜しき。

(令史)おまえは人に尋ねたか。

(正末が唱う)このひとや、あのひとに出くはせば、幾たびも問ひたりき、神奴児を見しやいなやと。

(令史)ほかにはどこへ捜しにいった。

(正末が唱う)

【闘鵪鶉】かの土市[44]の街頭を繞りたり、

(令史)いつまで捜した。

(正末が唱う)日が暮るるまで歩きたり。

(令史)いつ家に戻っていった。

(正末が唱う)老いぼれが帰らんとせし時はやうやくに初更を過ぎたり、着きし時にはあたかも二鼓になりたりき。

(言う)その時に朦朧として眠ったところ、神奴児さまが夢に現れ、こう言いました。

(唱う)かれは言ひたり、おばさんは咽喉をばきつく押さへつけ、かれを縊りて死なしめたりと。憐れむべし、父たるものの命の黄泉(よみぢ)に埋もれて、子たるものも身は冥府へと帰したるは。

(令史)李二はこの女が実の子を絞め殺したと訴えている。

(正末が唱う)

【上小楼】李二も生来凶悪なれば、心に嫉妬(ねたみ)を生じたるなり。わが家のかくも大いなる房屋と、かくも豊かな財産は、神奴児のみを頼りとしたり[45]

(令史)李二にはどんな子供がいるのだ。

(正末が唱う)李二には男児も、女児もなく、一夫と一婦たるのみぞ。誰をして門戸(いへ)をば守らしむべけん。

(令史)夫を憤死させ、実の子を絞め殺したようだな。神奴児が実の子でないために、絞め殺したのは明らかだ。もしや義子ではあるまいか。

(正末が唱う)

【幺篇】子たるものは義子ならず、母たるものも義母ならず。思へばかれは苦きを呑みこみ甘きを吐きだし[46]、乾きに寄らしめ湿りに就きて[47]、いかにして育て上げしか。十月(とつき)身ごもり、育て上げ、人となししはもちろんのこと、三年(みとせ)乳もて(はぐく)みしことのみにても、いかでかはむざむざとかれら母子(おやこ)腸肚(こころ)を断つべき。

(令史)おい女、幼いときから夫婦なら、どうして夫を憤死させ、実の子を謀殺し、間男とともに財産を狙ったのだ。自白せぬなら、許さぬぞ。ありていに白状するのだ。

(大旦)訴え事にございます。

(正末が唱う)

【十二月】奥さまは幼きときより員外さまの嫁となり、門閭(いへ)を切り盛りしたまひたりき。あなたは言へり、かれは身内を殺せりと。あなたは言へり、かれは財貨を盗めりと。この裁判は誰の差し金、すべては二嫂のでつち上げなり。

(令史)間男がいるなら、すみやかに指摘するのだ。

(正末が唱う)

【堯民歌】ああ。かれは良き人ぞ[48]。いはれなく間男のことを指摘せり、

(令史)いずれにしてもこの件をはっきり裁こう。

(正末が唱う)ああ、水晶塔[49]の役人のあなたはひどく愚かなり。文書をでつちあげんとし、実と虚をまったく問はず。

(令史)はやく白状しろ。

(正末が唱う)ひたすらあなたに白状いたさん。令史どの、みづから考へたまへかし。そも、奥さまがそのやうにせしや否やを。

(令史)わたしの役人ぶりがずっと清廉で、人民の財貨を受けていないことは、すべての人が知っている。

(正末が唱う)

孩児】あなたが平生正直で私心なきことなどはあるべうもなし。わたしは思へり、あなたは麺をかき混ぜた盆の糊[50]。お(あし)がなくばなどかあなたの登聞鼓[51]をば叩き得ん。お役所の党太尉さまが(かりがね)を察することはあらんとも[52]、昌平県の狄梁公さまのごとくに虎をば裁くことはなからん[53]。一人一人はみな声を呑み、牢獄に入り、われらの怨みは海に似て、炉のごときお上の法にいかで耐ふべき。

(令史)これは人命事件だ。あいつと話すことはない。打たねば白状せぬだろう。張千、あのあばずれを打て。

(張千が打つ)白状しろ。白状しろ。

(大旦)事件を起こしていないのですから、白状することはできませぬ。

(令史)こいつは強情で、殴らなければ自白せぬ。張千、じっくり打て。

(張千が打つ)白状しろ。白状しろ。

(令史)おい女、白状するか。

(大旦)わたしは良家の娘、良家の妻で、このような拷問に耐えられないから、でたらめの自白をしよう。わたしには間男がございます。夫を憤死させ、倅を殺したのは、すべてわたしでございます。

(令史)白状するなら、辱めぬぞ。書き判したら、張千よ、長枷[54]を持ってきて、長枷に掛けて、死囚牢へと下すのだ。

(大旦)ああ、誰に味方してもらったものか。

(正末)奥さま、とても悲しいことです。叔父さんは財産を目当てにし、おばさんは甥を絞め殺し、役人は愚かで、令史は賄賂を貪っていますから、包待制大人が着任なさるのを待ちましょう。(唱う)

【煞尾】わたしは紙に罪状を逐一書けば、胸には重き苦しみをしぞ抱きたる。包龍図さまが南衙府[55]に来たまはば、懸命に馬頭に縋り、一気に二千の不平を鳴らさん。(退場)

(大旦)ああ、誰がわたしに味方してくれようか。(退場)

(令史)李二よ、おまえは原告だから、出ていって待機しろ。

(李徳義)かしこまりました。(搽旦とともに退場)

(令史)張千よ、わたしを一日世話してくれて、ご苦労だった。食事していないだろう。張千よ、おまえはひとりで食事しにゆけ。新任のお役人が着任するから、わたしは迎えにゆくとしよう。(退場)

(孤)ああ、一日裁判し、飯も食っていないわい。令史と張千は行ってしまった。わたしに一人で卓を持ち上げさせても良いのか。仕方ない。わたしは自分でこの卓を運ぶとしよう。(卓を運び、退場)

 

第四折

(令史が張千とともに登場)わたしは宋了人。こたび新任のお役人が着任したが、多くの文書が整理されていないから、今日はこちらで文書を整理しているところだ。張千、関わりのない者たちを、来させるな。わたしを邪魔しにくる者がいたときは、わたしはおまえを許さぬからな。

(李徳義が登場)わたしは李二。聞けば包待制大人が着任したが、文書が揃っていないとか。今から令史に会いにゆこう。はやくも着いた。張千さん、令史さまはどちらにいらっしゃる。

(張千)司房で文書を整理していらっしゃる。関わりのない者たちは、行かせぬぞ。

(李徳義が張千を押しのけて、見える)令史さま、わたしの事件は終わってはおりませぬ。憐れと思し召されませ。

(令史が口を尖らせる)

(張千が李徳義を引く)令史さまが文書を整理してらっしゃると言ったろう。出てゆけ。出てゆけ。

(李徳義が出る)張千さん、どうか便宜を図ってください。わたしは令史さまに会い、一言申しあげるのでございます。(令史に見える)令史さま、たくさんの銀子はございませんが、五両だけ知事さまにお送りするので、お酒を買ってお飲みください。

(令史)張千、お茶を持ってきて二哥に飲ませろ。この事はすべてわたしが引き受けた。二哥よ、おまえは行くがよい。

(李徳義)すべて令史さまにお任せしました。わたしは家に行きましょう。(退場)

(令史)張千よ、文書を運べ。わたしといっしょに新任のお役人を迎えにゆこう。(ともに退場)

(正末が包待制に扮し、張千を連れて登場)老いぼれは包拯。西延辺で軍を労い、戻ってきた。汴梁城に到着したぞ。張千よ、儀仗を並べ、ゆっくりと行け。

(張千)かしこまりました。(怒鳴る)

(正末が唱う)

【双調】【新水令】西延に行き、勅を奉じて三軍を労ひしばかりなり。戻りくるときいかでかは労苦を辞せん。駅馬(はゆま)に乗りて、儀門[56]に到れり。遠路(ながたび)の風塵は避け得ざるものなれば、南衙をさしていそぎ進めり。

(神奴児が魂子に扮して登場、馬前で路を遮り、旋回する)

(正末)ほんとうに激しい風だ。ほかの人には見えず、老いぼれだけには見えるのだが、馬前には非業の死を遂げた幽霊がいる。おい幽霊、おまえにはどのような怨みに思う事がある。老いぼれといっしょに開封府庁へゆこう。

(魂子が旋回して退場)

(張千が参謁するため登場)(じゃ)[57]、役所に在りては人馬の平安ならんことを。文書を運べ。

(正末が登場)老いぼれは登庁し、朝の仕事をするとしよう。張千、適当な当直の下役を呼んでこい。

(張千)当直の下役はどこにいる。

(令史が登場)来たぞ。おまえたちは司房[58]に隠れていろ。(ひろま)で呼んでいるから、わたしは応対しにゆこう。(見える)わたしどもは当直の下役でございます。

(正末)おい下役、何か署名するべき文書があったら、持ってきてわたしに見せろ。

(令史)かしこまりました。(令史が文書を渡す)文書はこちらにございます。

(正末)これは何の文書だ。

(令史)城内の李阿陳が、姦通し、夫を憤死させ、実の子を絞め殺したのでございます。前任官が判決をしていますから、大人は「斬」と書かれて、連れ出してゆき、殺しませ。

(正末)関係者たちはみないるか。

(令史)みなおります。

(正末)すべて役所に呼んできてくれ。

(令史)張千、李阿陳たちをみな連れてこい。

(張千が李徳義、大旦を捕らえて登場)面を上げよ。

(令史)大人。李阿陳たちでございます。

(正末)おいおまえ、訴えを言え。

(李徳義)わが兄は李徳仁、わたしは李徳義にございます。義姉には間男がおり、わが兄を憤死させ、甥を殺しました。大人、わたしたちにお味方してください。

(正末)誰が李阿陳だ。

(大旦)わたしでございます。

(正末)おい李阿陳、尋ねるが、(唱う)

【慶東原】なが財産を奪ひしは誰が企てなる。

(大旦)義弟でございます。

(正末)李徳義よ、おまえは聴いたか。

(唱う)夫を憤死せしめしは誰そ。

(大旦)やはり義弟でございます。

(正末)李徳義よ、おまえは聴いたか。

(唱う)実兄を憤死せしめしは、ひとへにおまへが逆らへばなり。

(李徳義)大人、わたしとは関わりはございません。すべてわたしの嫂が悪いのでございます。六親と不和であり、わたしの兄を憤死させ、子を絞め殺しましたのは、みなかれなのでございます。

(正末が唱う)おまへはかれが六親と不和なりと言ふ。

(李徳義)大人がお信じにならないのなら、隣近所にお尋ねになればよいでしょう。

(正末が唱う)黙れ。隣近所に問ふを須ゐず。

(言う)李徳義よ、自白せぬなら、

(唱う)ひとしきり打たばおまへはかならず死ぬべし。

(言う)おい李徳義。

(唱う)おまへの訴へごとを尋ねん。委細を隠すことなかれ。

(言う)この訴状にはじいやのことが書かれているが、なぜおらぬのだ。

(令史)じいやは牢に下されておりまする。

(正末)いかなる罪で、死囚牢に下されている。引き出してこい。

(張千)じいやは死んでしまいました。

(正末)なぜ死んだ。

(令史)じいやは大剌[59]ができて死にました。

(正末が唱う)

【攪筝琶】頭を()てるおまへの(つゑ)が、罪なき人を不当に打ち殺したるなり。今、骨を曝されて屍を停むるは、いかなる罪を自白せしためならん。弟は嫂にいはれなく難癖をつけ、令史らがお金をいたく愛すれば、いささかの金銀をこつそりと掴ませたりけん。正しき眼もて原告人を見ることは望むかたなし[60]。わたしはおまへを根掘り葉掘りし調ぶべし。

(言う)この事件には、きっと隠れた事情があろう。おい李徳義、おまえの甥はどこへ行った。

(李徳義)義姉が間男とともに殺したのでございます。

(正末)おい李阿陳、おまえの訴えごとを言え。

(大旦)大人、どうか雷霆のお怒りをお鎮めになり、虎狼の威をお収めください。わたしは李大と幼なじみの夫婦でございました。むかし李二が財産を分けようとしたときに、李大は言いました。われらは義門を勅賜せられた李家、三代分家していない、おまえはどうして分家しようとするのだと。怒りのために夫は死んでしまいました。神奴児は、街へ遊びにゆこうとし、じいやは倅を引きながら州橋の近くへと行きました。倅が傀儡(くぐつ)を求めましたので、じいやは買いにゆきました。ところが李二が倅に出くわし、家に抱いてゆき、おばさんが倅を絞め殺したのです。わたしがじいやと探しにゆくと、おばさんはわたしに間男がおり、倅を殺したと言いました。弁明もままならぬまま、役所へと引いてゆかれて、さまざまな取り調べを受け、吊られ、殴られ、縛られ、掻かれ、不当に打たれて白状したのでございます。今日は大人にお会いして、雲が払われ、日が現れて、曇った鏡がふたたび明るくなったかのよう。溪澗(たにがわ)の水ほど軟らかいものはございませぬが、平らでなければやはり大きな音をたてます[61]。大人は万古にわたり軒轅の鏡[62]を胸に抱かれて、わたしの怨みに思う(こころ)をご照察くださいますよう。

(正末)おい下役、この女の訴えごとは、なぜこの書状と違っている。

(令史)大人、このものは掲帖[63]を真似しているのでございます。かれの言葉を聴かれてはなりませぬ。この女は間男を持ち、実の子を絞め殺したのでございます。すべてはかれがしたことなのでございます。

(正末)おい李阿陳、さらにおまえに尋ねよう。(唱う)

【雁児落】おまへは李員外が娶りし後婚(のちぞひ)なるにや。

(大旦)わたしたちは幼なじみの夫婦でございます。舅姑の喪に服し、夫を埋葬し、毎日お茶とお酒を墳に供えているのでございます。わが家は義門を勅賜せられた李家、家門を辱めたりはしませぬ。大人、憐れと思し召されませ。

(正末が唱う)かれは言ひたり、幼なじみで秦晋(めをと)となりしと。かれは舅姑の喪に服し、夫を埋葬せしばかりなり。

【得勝令】毎日お茶とお酒を供へ、新しき(つか)に詣でり。などてかは淫欲を貪りて家門を辱むることあらん。おまへ[64]は言へり、かれ[65]が倅を殺しきと。わたしは思へり、かれはまさしく実の母。思へばかれは子を産むために、十月身ごもり、育て上げ、人となさしめ、三年乳もて(はぐく)みし恩もあるなり。

(言う)李阿陳の訴えごとは、この書状とは違っている。そこにはきっと隠れた事情があるのだろう。老いぼれはどうして裁くことができよう。証人がありさえすれば、良いのだが。

(何正が登場、正末に見えて跪く)(じゃ)。わたしは何正にございます。

(正末)何正か。どうしたのだ。話せ。

(何正)わたしは姓は何、名は正といい、役所の給仕でございます。大人がわたしを呼んでらっしゃると思いましたのでございます。

(正末)老いぼれめ。かれは役所の給仕だが、老いぼれで年をとり、耳が遠い。おまえとは関わりないから、行け。

(何正が退場)(李徳義を目にし、じっと見る)どこかでこいつを見たことがある。ああ、李二員外だな。

(何正が打つ)はやく白状しろ。はやく白状しろ。

(正末)何正よ、どうして李徳義をそのように打つ。

(何正)大人は裁判なさり、わたくしどもは給仕でございますが、「官は威あらず牙爪は威あり[66]」と申します。

(正末)こいつめ勝手なことを言いおって。下がれ。

(何正がまた李徳義を打つ)

(正末)あの何正めは、ほんとうに無礼だな。(唱う)

【沈酔東風】原告人には十分に問ひ、被告人には九分(くぶ)親しうす。李阿陳を哀れみて、李二にはあれこれ仇を施す。かならずや事情があらん。二度三度かれを見たれば(こころ)を喪ひたるに似て[67]、はや言ひ難し、肋に柴を挿したれば穏やかなりと[68]

(言う)張千よ、何正を下がらせよ。

(張千)かしこまりました。(張千が何正を捕らえる)

(正末)なぜ李徳義を掴んで殴った。役人でありながら私怨に報いたのであろう。真を申せば万事何事もないが、嘘を申せば、銅の押し切りでまずはおまえのそ首を切るぞ。

(何正)大人、お怒りをお鎮めになり、はじめからおわりまでゆっくりと申しあげるのをお聴きください。むかし大人は西延辺へ軍を労いにゆかれました。わたしは大人がご帰還なさることを聴き、いそいで府庁を離れ、いそいで役所を出[69]、大人をはるばる迎えにゆきました。州橋の近くに来たとき、酒を帯び、慌てていたため、不意にかれにぶつかったのでございます。かれは懐に神奴児という子供を抱いておりました。わたしは詫びを言い、頭を下げましたが、かれは怒り、罵りつづけ、父母[70]を侮辱しました。わたしはかれを脅かしました。わたしは私用でにわかにやってきたのではない、包待制大人を迎えにゆくのだと。かれは言いました。包待制がどうしたと。

(李徳義が恐れる)

(何正)わが子よ[71]、おまえの一言はひとまず許そう。大人が登庁し、わたしに下がれと命ぜられたが、こいつに会うとは思わなかった。「仇同士が会うときは、とりわけ眼がよく見える」とはよく言ったもの。(ひろま)の前で掴んで殴ったのは、州橋の近くで罵られた恨みに報いるためで、とりたてて他意はない。

(詩)明鏡を高々と抬げたまへる包さまは、行ひを傷なふ言葉の多きわたしと関はりはなし[72]。李二が神奴を抱きしめたるを見しものは、わたし何正でござゐます。

(正末)おい李二。神奴児を連れてどこへ行った。

(李徳義)わたしは家に抱いてゆき、妻の王氏に渡したり。

(正末)尋ねるが、おまえは女を娶ったが、幼なじみの夫婦か、それとも再婚か。

(李徳義)再婚でございます。

(正末)何正よ、その女を連れてきてくれ。

(何正)かしこまりました。

(李徳義)わたしの家をご存じですか。

(何正)おまえは言わなかったか。「州橋を下り、南へ行くと、紅漆塗りの板搭と高い槐の樹がある場所がわたしの家だ」と。(退場)

(搽旦が登場)わたしは李二の女房だ。家で静座していると、眼がすこし震えるが、誰が来るやら。

(何正が登場)李家の入り口に到着だ。

(搽旦に見える)おい女、大人が役所でお呼びだ。

(搽旦)わたしはあなたを恐れませんよ。いっしょに大人に会いにゆきましょう。(ともに正末に見える)

(何正)面を上げよ。

(正末)おい女、おまえは罪を認めるか。

(搽旦)大人さま。子供が罪を犯したときは、家長が罪を受けるもの[73]、わたしとは関わりはございませぬ。

(正末)この女の言うことも尤もだ。子供が罪を犯したときは、家長が罪を受けるもの。おまえは出てゆけ。

(搽旦が門を出てあくびし、眠る)

(神奴児が魂子に扮して搽旦を打つ)売女め、どうして話をせぬのだ。

(搽旦が慌てる)義兄を憤死させたのもわたしです。財産をごまかしたのもわたしです。甥を絞め殺したのもわたしです。わたしです。みなわたしです。

(何正)おやおや。

(正末)何正よ。

(何正)はい。

(正末)なぜこのように大騒ぎする。

(何正)大人、あの女は役所を出ますと、手を掴み、言いました。「義兄を憤死させたのもわたしです。財産をごまかしたのもわたしです。甥を絞め殺したのもわたしです。わたしです。わたしです。みなわたしです」と。

(正末)捕らえてきてくれ。

(何正が搽旦を捕らえ、見える)

(正末)おい女、訴えごとを言え。

(搽旦)訴えごとなどございません。子供が罪を犯したときは、家長が罪を受けるもの、わたしとは関わりはございませぬ。

(正末)訴えごとがないのなら、おまえとは関わりはない。出てゆけ。

(搽旦が門を出てあくびし、眠る)

(魂子が打つ)

(搽旦が白状する)

(何正が捕らえて正末に見えさせる)(このようなことを三たびする)

(正末)何正よ、おまえは老いぼれを弄ぶのか。正直に言え。真を申せばそれでよし、嘘を申せば、おまえを許しはせぬからな。

(何正)まことにおかしい。(考える)ああ、分かったぞ。(唱う)

【甜水令】わたしはまことに悲しみ、焦り、怒りしも、すべて笑まひに変はりたり。こちらで霜毫(ふで)をみづから挙げて、牒文[74]を書き、印章を押し、役所の外に持ちゆきて火もて焼くべし。

(言う)大きな家にも小さな家にも、門神戸尉[75]がおわします。何正よ、この牒文を、役所の外で焼け。

(何正が受け取る)かしこまりました。

(正末の詩)老いぼれは心の中でひとり考ふ。金銭銀紙をすみやかに調へよかし。邪魔外道をば遮りて、非業に死にし怨霊のみを来らしむべし。(唱う)

【折桂令】開封府庁の戸尉門神に言ひ含むべし。外道と邪魔を遮りて、非業に死にし怨霊を来らしむべし。

(何正)紙を焼くと、一陣の大風だ。(魂子を門に入れる)

(正末)ほかの人には見えないが、老いぼれだけには見えるのだ。

(唱う)一陣の旋風が渦を巻き、ひゆるひゆると階を繞りたり。

(言う)おい幽霊、どのような怨みに思う事がある。おまえが言えば、わたしはおまえに味方しようぞ。

(魂子が訴える)大人、どうかお怒りをお鎮めになり、じっくり事情を申しあげるのをお聴きください。わたしの母とおばさんは不和だったため、分家したのでございます。むかしわたしは学校から家に戻ると、街を見ようとしたのです。じいやはわたしを連れて門を出、大きな十字路に行きました。わたしが傀儡(くぐつ)売りが来るのを見ておりますと、じいやは買いにいってあげましょうと言いました。じいやを待っても戻ってこなかったのですが、実の叔父に出くわしました。叔父がわたしをかれの家へと連れてゆきますと、おばは嫉妬の心を生じ、麻縄で頚を締め、わたしはたちまち死んだのでございます。魂はゆらゆらとして、毎日号泣痛哭していたのでございます。今まさに清廉で私心のない待制さまにお会いしました。身を寄せる場所のない、非業に死んだ神奴児(わたくし)にお味方してくださいますように。

(正末)ああ、ほんとうに可哀想だ。

(唱う)かれ[76]は兄とはいささかの誼もなければ、荒村で一人の子供に非業の死をば遂げしめき。頑民は、銭神を弄びたりしかば[77]、仕置場で首を斬るべし。掲示も出して多くの人に知らすべし。

【収江南】ああ。なにゆゑぞ逆風に火を点けておのが身を焼く。よしみづからの骨肉を思はざらんとも、(かうべ)を挙ぐれば三尺に神のましますことを知るべし。本日は南衙に来りて審問し、一輪の明鏡のごと塵を容れざることを示せり。

(言う)おまえたちはわたしの裁きを聴け。この地の官吏は、法律を知らず、罪のない人をまちがって取り調べたから、それぞれ杖百とし、ながく任用せぬこととする。王臘梅は人倫を顧みず、甥を絞め殺したので、仕置場で処刑する。李徳義は家を正しく治めず、事情を知りながら自首しなかったので、杖八十とする。何正は路で不正を目にすると、刀を抜いて助けたので[78]、花銀十両を褒美としよう。すべての財産を、李阿陳にやり、ながく管理させよう。黄籙大醮[79]を設け、神奴児を済度して昇天させよう。

(詞)家を乱せるあばずれは心が愚かなりしため、別居して上祖を滅ぼさんとせり[80]。包龍図さまが容赦なく裁判することなかりせば、などてかは神奴児大鬧開封府をば終はらしむべき。

 

題目 包龍図単見黒旋風

正名 神奴児大鬧開封府

 

最終更新日:2011124

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[1]義行を表彰するための門。

[2]農家で取り入れがすんでから供物を供えて神を祭ること。

[3]原文「大嫂、俺兄弟媳婦口強、你譲他些児、看俺父母的面皮」。義妹に譲ることがどうして義父母の顔を立てることになるのかが未詳。嫁同士が不和にしているのは外聞が悪いからか。

[4]原文「但能勾無是無非、便休説黄金貴」。「休道黄金貴、安楽最値銭」という諺があり、それを踏まえた句。

[5]原文「如今這有銭的誰肯使呆痴」。未詳。とりあえずこう訳す。

[6]わずかな時間。

[7]原文「纏麻頭続麻尾」。未詳。とりあえずこう訳す。

[8]原文「連你也迎風児簸簸箕」。迎風児簸簸箕」は人の言いなりになったり、付和雷同したりすることの喩え。

[9]後漢の趙礼が兄の趙孝や母とともに馬武に捕らえられ、食われそうになったとき、お互いを助けようとして、自分が肥えていると言い合った故事が『後漢書』趙孝伝に見える。元雑劇にも『趙礼譲肥』あり。

[10]妻をさす。

[11]原文「媳婦児是牆上泥皮」。諺。妻は塀の上塗りの泥のように、いつでも変えられるということ。

[12]原文「可不説相随百歩尚有徘徊意」。相随百歩尚有徘徊意」は基づくところがあると思われるが未詳。

[13]原文「則你那状本児如瓶注水」。「状本児」が未詳。「如瓶注水」が何を喩えているのかも未詳。とりあえずこう訳す。

[14]原文「俺親弟兄看成做了五眼鶏」。「五眼鶏」は「烏眼鶏」とも。黒い目の鶏で、好戦的であるとされる。ひどく憎しみあっている者同士の喩え。

[15]わたしたちがあなたを馬鹿にしているのなら、天が罰を下しますよという語気。

[16]四十九日。

[17]戸板。板答、板踏、板闥とも。

[18]父母官のこと。地方官。

[19]原文「児也」。相手を自分より一世代下のものとして馬鹿にしたもの。

[20]原文「咱両个休軸頭児厮抹着」。軸頭児厮抹」は、狭い場所で出逢ってすれ違うこと。車軸がぶつかり合うことを人がぶつかり合うことに喩えたもの。

[21]原文「我有這一片好心、天也与我半碗児飯吃」。悪漢が人を殺した後に発する元曲の常套句。『盆児鬼』『後庭花』『朱砂担』などに用例が見られる。

[22]廂官。廂は城璧に近接した地区。廂官はその地域の人民の訴訟を司った官吏。

[23]街坊を管理する小吏。

[24]汴京城の別称。

[25]自分で自分に呼びかけている。

[26]餅食の一種。明宋『宋氏養生部』薄餅「一用麺漸入水、旋調稠韌.熱鍋少滑以油、澆麺為薄餅、用熟腌肥猪肉、肥鶏鴨肉切条膾、及青蒜、白蘿卜、胡蘿卜、胡荽、醤瓜荽、茄、瓠切条同卷之。一用生熟水和麺条開薄、熟。即以冷水淋過卷之。有以[艸敕]同用。凡用生熟水、七分沸湯、三分冷水」。

[27]原文「我這里連忙把手多多定」。多多定」がまったく未詳。とりあえずこう訳す。

[28]原文「見孩児、世不曾」。「世不曾」が未詳。とりあえずこう訳す。

[29]王臘梅をさす。

[30]原文「則他那長舌妻」。「長舌」は多弁で諍いを引き起こすこと。『詩経』瞻卬「婦有長舌」箋「長舌、喩多言語」。

[31]原文「孩児也向那梦児里依本画葫芦」。依本画葫芦」は「依様画葫芦」とも。手本どおりにまねること。

[32]原文「賊児胆底虚」。悪いことをした者がびくびくしていることをいう常套句。

[33]原文「你道是水沙児誰人上土」。未詳。とりあえずこう訳す。

[34]原文「天睛開水道、下雨不」。当時の諺であろうが未詳。備えあれば患えなしということか。

[35]表沙汰。

[36]示談。

[37]原文「官人清似水、外郎白似麺。水麺打一和、糊涂做一片」。役人が清廉でも下役がいるとその清らかさも曇らされるという趣旨であろう。「外郎白似麺」の「白」は「官人清似水」の「清」と対にするための措辞で、実際上の意味はなく、「外郎白似麺」で言いたいことは「外郎似麺」ということであろう。『遇上皇』にも用例あり。

[38]原文「蕭何律令不曾精」。蕭何が律九章を作ったことが『漢書』に見える。『漢書』刑法志「於是相國蕭何攈摭秦法、取其宜於時者、作律九章」。また『蒙求』の標題に「蕭何定律」がある。

[39]原文「只因官人要銭、得百姓們的使、外郎要銭、得官人的使、因此喚做令史」。このくだり、まったく未詳。とりあえずこう訳す。

[40]原文「我児也」。相手を自分より一世代下のものとして馬鹿にしたもの。

[41]原文「李徳義過銀子、舒指頭科」。過銀子」が未詳。とりあえずこう訳す。「舒指頭」、なぜこのような動作をするのかが分からない。渡した銀子と同じものをあとで伸ばした指の数だけ届けるということか。とりあえずそう解す。

[42]原文「你那両个指頭瘸。可又来」。「你那両个指頭瘸」、李徳義が提示した数よりもさらに二つ多い銀子を持ってこいといっているものと解す。「可又来」はよくもまあそんな少ない数の銀子を賄賂にするものだなという趣旨に解す。

[43]四十九日。

[44]開封の繁華街。『東京夢華録』潘楼東街巷「潘樓東去十字街、謂之土市子、又謂之竹竿市」。

[45]原文「俺家里偌大的房屋、許富的家私、則覷着神奴」。わが家の財産を当主として守ってゆくのは神奴児だけだということ

[46]原文「想着他咽苦吐甘」。咽苦吐甘」は子育ての苦しみをいう元曲の常套句。自分はまずいものを食べ、子にうまいものを与えるということであろう。

[47]原文「偎干就湿」。これも子育ての苦しみをいう元曲の常套句。『漢語大詞典』は、子供が小便をすると母親は濡れた処で寝、子供を乾いたところに寝かせることだという。

[48]これは皮肉。

[49]見かけは聡明だが、頭は硬い人をいう。

[50]原文「我道您純麺攪則是一盆糊」。一盆糊」は明察力のないことの喩え。

[51]冤罪を訴える時に鳴らす太鼓。宋の景文四年に登聞鼓院が置かれた。

[52]原文「便做道受官庁党太尉能察雁」。典故がありそうだが未詳。「受官庁」は役所のこと。王学奇主編『元曲選校注』は宋の党進のことという。『陳摶高臥』第二折に「大尉党進」という言葉が出てくる。また、『合同文字』第四折に党太尉という言葉が出てきて、愚かな役人のたとえとして用いられている。

[53]『帝京景物略』巻八・狄梁公祠「過沙河二十里、至新井庵。松有林、声能鼓、能涛、影能陰畝。西数里、有台曰景梁台。土人立以思狄梁公也。柳林如新井庵松、照行人衣、白者皆碧。柳株株皆蝉、噪声争夕、無復断続、行其下、語不得聞。又五里、始梁公祠。祠自唐、草間不全碑碣、猶唐也。元大徳間、重建之。我正統間、重修之。其碑云、梁公為昌平県令、有媼、子死于虎。媼訴、公為文檄神、翌日虎伏階下、公肆告于衆、殺之。土人思公徳、立祠也」。

[54]大きな枷。

[55]開封府役所をいう。

[56]官衙の門をいう。

[57]挨拶の言葉。

[58]地方官署で自供をとったり案巻を管理する部門。刑房。中央官庁の刑部に相当。

[59]結節の一種であろうがまったく未詳。

[60]主語は「令史ら」。

[61]原文「柔軟莫過溪澗水、不平地上也高声」。諺。弱いものでも不平があれば声高になるということ。

[62]『述異記』「饒州俗傳軒轅氏鑄鏡于湖邊」。

[63]公告。

[64]令史をさす。

[65]陳氏をさす。

[66]諺。役人は恐くなくても、下役は恐いものだということ。『虎頭牌』にも用例あり。

[67]原文「我見他両次三番如喪神」。「喪神」は普通はぼうっとすることだが、ここでは文脈に合わない。ここでは気がふれたような感じではないか。

[68]原文「早難道肋底下插柴自穏」。肋底下插柴自穏」は肋骨の処に薪をさして痛みに耐えること。穏忍自重することをいう常套句。『凍蘇秦』第四折【川撥棹】に「脇肋底下插柴自穏」とも。

[69]原文「忙离府地、急出衙門」。二句で「急いで府役所を出た」ということを言っているのであろう。

[70]前注参照。

[71]相手を自分より一世代下のものとして馬鹿にしたもの。

[72]原文「包爺爺高抬明鏡、非干我言多傷行」。「言多傷行」はみずからの品格を傷うような言葉使いをすることが多いことであろう。

[73]原文「小児犯罪、罪坐家長」。基づくところがありそうだが未詳。また、この状況でなぜこうした言葉が発せられるのか未詳。

[74]神への願文。

[75]どちらも門を守る神だが門神は門の左、戸尉は門の右を守護する。『月令広義』「道家謂門神、左曰門丞、右曰戸尉」。門神戸尉の写真

[76]王臘梅をさしていると解す。

[77]原文「叵奈頑民、簸弄銭神」。頑民」は王臘梅をさしていると解す。「簸弄銭神」は未詳。王臘梅が神奴児を殺して義兄の財産を横取りしようとしたことをさすか。

[78]原文「何正路見不平、拔刀相助」。路見不平、拔刀相助」は義侠心のある振る舞いをすることをいう常套句。

[79]黄籙斎。道教で死者を追善する儀式。胡孚琛主編『中華道教大辞典』五百十二頁参照。

[80]原文「則為這攪家溌婦心愚魯、故要分居滅上祖」。滅上祖」は先祖代々の血筋を絶やすことであろう。

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