李亜仙花酒曲江池雑劇

石君宝撰

楔子

(外が鄭府尹に扮し、末の鄭元和、張千を連れて登場、詩)幾年か政績ははるかに聞こえ、民謡を採取して、使君[1]に知らせり。雨の後、人々は緑野を耕し、月は明るく、黄昏に吠ゆる犬なし。

わたくしは姓は鄭、名は公弼、滎陽の人。進士となって、政声[2]はひさしく著われ、洛陽府知事の官職を授かった。鄭元和という、一子を生んだが、今年二十一歳になる。幼いときから勉強をさせたため、なかなかに学問がある。来年は春の試験が行なわれ、試験場が開かれるから、受験しにゆかせねばならぬわい。一挙に及第することができるなら、わたしにもさらに名誉を添えるというもの。張千よ、琴剣書箱[3]をととのえて、若さまにお供してゆくがよい。

(張千)かしこまりました。

(鄭府尹)息子よ、今は夏、気概をしめす詩があれば、一首作って、わしに聞かせよ。

(末)父上さま、詩ができました。

(詩)万丈の龍門を一跳びし、青霄に路あらばかならず到らん。行くときは蓮の葉は銭より小さく、戻らんときはかならずや蓮花が落つべし[4]

(鄭府尹)前の二句にはたいへんに気概があるが、後ろの二句はどうということはない。息子よ、むかしから、功名を手にすれば、前途は洋々たるものだが、すべてみずから努力することが必要だ。ひたすらにぐずぐずとして怠けていれば、「一年の春は尽く一年の春」[5]となり、そこには何もけじめがない。息子よ、旅路では気を付けるのだぞ。

(末)父上さま、ご安心くださいまし、本日は父上さまにお別れし、長旅に出なければなりませぬ。(拝礼をして別れ、唱う)

【仙呂賞花時】皇都へ受験に赴かばわが学業は酬はれん、まさに男児の志をば得る秋ならん。金榜[6]に題せられ、鰲頭[7]を占め、万言の策は言ひたる通りとなるべし、状元の名を鳳凰楼に喧伝せしめん。

 

第一折

(浄が外旦とともに登場)わたしは趙大戸という者。人々はわたしが少々お金を持っているのを見、綽名をつけて、趙牛筋とよんでいる。この歌い女は劉桃花、わたしと馴染みだ。今は春、わたしは曲江池にいって、ささやかな酒宴をととのえ、わが姐さんと李亜仙を呼び、いっしょに春の景色を賞でよう。姐さん、呼びにいってください。

(外旦)かしこまりました。(呼ぶ)亜仙姐さん、趙さまが曲江池で、姐さんを呼び、春の景色を賞でようとなさっていますよ。

(正旦が李亜仙に扮し、梅香を連れて登場)わたしは姓は李、字は亜仙、教坊の妓女。結義した妹は劉桃花。本日は曲江池にて、宴席をととのえて、わたしをよんで遊覧をしようとしている。時は三月三日を過ぎて、よい景色。(唱う)

【仙呂点絳唇】朝には雨が郊原(のはら)を過ぎて、はや一片の晴光(せいくわう)[8](たゆた)へり。東風(はるかぜ)はおだやかに、(よろづ)(はな)は妍を争いて、山の色は青螺(せいら)と淡し。

【混江龍】東君[9]は曹゙に堪ふ。春光を買ひ、地に満てる楡銭(ゆせん)[10]を撒けり。見よやかの王孫は蹴鞠して、仕女はぶらんこ。(がせふ)にてふみしだく紅杏の雨、裙は払ひてちらす緑楊の(けむ)。わたしは日ごと席上と尊前にありたれど、今まさに野辺に臨みて、たちまち城のほとりに到り、この景色にぞ、はからずも恋々とせる。

(言う)わたくしにしたがうならば、

(唱う)美しき花はしぼむことなく、明るき月はとこしへに丸かなるべし。

相見える)

(正旦)趙さん、わたしにはなんの取り柄もございませんのに、酒を買い、宴を設けていただきますとは。

(浄)姐さん、さしあげるものはございませんが、子羊を一頭殺し、姐さんを曲江池へとお招きし、思いきり何杯か飲んでいただけば、宜しいのです。

(正旦)趙さん、新鮮な果物を買いにゆかれてくださいまし。

(浄)わかりました、果物を買いにゆきましょう。(退場)

(正旦)妹や、おもうにあなたはわたしをのぞけば、第一第二の妓女であるのに、あの田舎者と馴染みとなるとは。あのひとと何を話しているのです。

(外旦)姐さん、わたくしは「目の見えぬものが(どぶ)を跳ぶ−ひたすらに前を見る」[11]だけなのです。

(正旦)それはよくないでしょう。

(唱う)

【油葫蘆】あなたの体は病み疲れ、生くるは難し、なにゆゑぞ咳の加はる。白粉の骸骨[12]にお願ひせん、野狐涎(やこぜん)[13]を吐きいだすことなかれ。額は破れ、孔のあきたる皮腰綫(かはおび)のやう[14]、胸は瘦せ、骨の欠けたる芭蕉扇のやう。

(言う)妹や、

(唱う)今やかの金持ちの男は野暮で、飲み物を乞ふ崔護は貧乏。かの人は謝家荘にきて桃花の顔を見しことぞなき。何も知らずに柳青(はは)[15]にお金を与へたり。

(言う)妹や、花を見にゆきましょう。

(歩く)妹や、百姓たちも寒食を楽しんでいる。(唱う)

【天下楽】げに三月は清明の麗しき日ぞ。

(言う)妹や、

(唱う)わたくしはなんぢとともに翩翩と、この古墓の前をめぐれり。みよやかの香車宝馬は千万に達したり。すすみつつ、しばらく景色をば賞でて、すすみつつ、しばらく管弦をば聴けり。

(言う)妹や、ごらんなさい。

(唱う)はや酒席よりかくも離れり。

(末が馬に乗り、張千とともに登場)わたしは鄭元和、父上のもとをはなれて、都へとやってきた。試験場は開いていないが、春は麗らか、張千をつれ、ちょっと曲江池へいって、遊覧しよう。はやくもついたぞ。良い景色だなあ。

(詩)家家に火はなきも桃は火を噴き、処処(をちこち)に煙はなきも柳は煙をば吐けり。金勒[16]の馬は芳草の地に嘶きて、玉楼の人は杏花の(そら)に酔ふ。

張千よ、あの二人の婦人をみたか。あの人はとても姿が美しく、可愛らしい。添えれば長すぎ、減らせば短かすぎるだろう[17]脂粉(べにおしろい)をほどこさぬ、生まれながらの姿だが、丹青があっても描けないだろう。美しい娘だなあ。(鞭を墜とす。張千が拾う)若さま、鞭をおとしましたよ。

(末)ほんとうに色っぽく、可愛らしい。(また鞭をおとし、張千が拾う)若さま、また鞭をおとされましたよ。

(末)わかっているよ。美しい娘だなあ。美しい娘だなあ。(また鞭を墜とす、張千が拾う)若さま、また鞭をおとされましたよ。

(末)わかっているよ。

(正旦)あのかたは帽子を被り、衫を着け、絲を垂らして、帯を結んで[18]、ほんとうに綺麗な人だ。(唱う)

【那令】どこの若者、たちまちにでくはして、たちまちにでくはして、お互ひに恋々として、お互ひに恋々として、三たびも鞭を墜とせり。

(言う)妹や、あのかたは遊び人ですか、雛児(ひよっこ)ですか。

(唱う)初めて路の柳に逢ひたる方ならん、初めて塀の花を見て、花と柳に牽かれたる方ならん[19]

【鵲踏枝】塀の花もいと芳しく、路の柳も綿を飛ばさず[20]。飛ぶ蜂はひどく忙しく、啼く(ほととぎす)はひどく恨めり。鳴珂巷(いろまち)の亜仙は慌てて、たちまちにまた涎を垂らせり。

(末)張千よ、こちらは見たから、あちらを見にゆくことにしよう。

(正旦が唱う)

【寄生草】かのひとは花陰を抜け、わたしは柳の径を抜けり。若者はたちまちに春風の(おも)[21]を知り、春風の(おも)のなかばは、桃花の扇に覆はれり。桃花の扇は軽やかに垂楊(しだれやなぎ)(いと)を払へり、垂楊の綫は錦の鴛鴦(をし)を結ばず、錦の鴛鴦(をし)黄金殿[22]に鎖ざされず。

(言う)梅香や、趙さまをよびにいっておくれ。

(浄が登場)姐さん、わたしを呼ばれてどうしたのです。

(正旦)趙さん、あちらに知らないかたがいますが、呼んできて同席させては、いかがでしょう。

(浄)どこですか。(会う)ああ。誰かと思えば、鄭舍[23]さんだったのですか。

(末)趙牛筋さん、おたずねしますが、お二人は、どちらのお家のかたですか。

(浄)姿が美しいほうは、妓女の李亜仙、こちらはかれの妹の劉桃花、わたしのこれです。姐さんが呼んでいますから、何杯か飲みにゆきましょう。

(末)ご馳走になるわけにはゆかない。

(浄)姐さん、呼んできましたよ。

(末があう)

(正旦)おたずねしますが、お郷はどちらにございましょう。ご姓とお名は。

(末)わたくしは姓は鄭、字は元和、滎陽のもの。受験するためこちらに来ました。おたずねしますが、娘さんのご苗字は。

(旦)わたくしは不幸にも、平康におちいった李亜仙という者にございます。

(末)お名前はかねてから承っておりました。このたび一目会うことができるとは、まことに縁があるというもの。

(旦)梅香や、お酒をもってきておくれ。(酒を斟ぐ)解元さま、この杯をのみほされませ。

(浄)姐さん、この酒はわたくしが買ったもの、わたしも一杯のみましょう。

(旦)ああ。趙さんを忘れていました。

(末)わたしたちは結義した兄弟なのです。

(正旦)それならどちらがお兄さんなのでしょう。

(末)わたしが兄です。

(正旦)あなたがお兄さんならば、(唱う)

【酔中天】もしや臨川県へと赴かれたるや[24]

(浄)わたしが弟なのですよ。

(正旦)あなたが弟さんならば、

(唱う)もしや麗春園[25]を買ひしめたりけるや。

(浄)姐さん、わたくしと劉姐さんは、牽牛郎と織女(おりひめ)に似ていませんか。

(正旦が唱う)御身はまことに牽牛の碧天に上られて、不当にもこの清虚殿[26]を踏まれたるなり。われは尋ねん、曲江の水はかの天台よりもいささか遠きか[27]、本日は劉郎[28]と相見えたり。

(言う)妹や、あなたにはお礼をせねばなりません。

(外旦)姐さん、わたしにお礼をするとはどういうことでしょう。

(正旦が唱う)御身の名前によらずんば、かのひとは、桃源にあやまちて入ることぞなかりけん。

(末)牛筋さん、あちらへいって、わたしが亜仙姐さんの家でお金を使いたいのだが、宜しいですかといってくだされ。

(浄)姐さん、元和さんは、姐さんの家に行き、お金を使おうとしていますが、姐さんのお考えはどうですか。

(正旦)趙さん、おっしゃるのならそれで宜しゅうございます。ただ、母は少々恐ろしく、一筋縄ではゆきませぬ。(唱う)

【金盞児】かのひとは、兔を見れば鷹を放ち、羊の骨を呑みこむに、(なまぐ)ささをば厭ふことなし。ひたすらに眼を怒らせて[29]、ともすれば金銭を掴まんとせり。御身の額に痛き箭を中て、腕に拳をお見舞ひすべし。そのときは、明月渡(めいげつと)へと帰るは懶く、載花船(さいくわせん)[30]へと乗るは羞づかし。

(末)そんなに怖いはずはない。多めにお金をあげればそれでよいでしょう。

(正旦が唱う)

【青哥児】わたしの母は、外見はいと優しきも、心の中には、あれやこれやの機略あり。たとひ御身が北斗まで黄金(こがね)を積むとも、かの人は、おのづから巧みなる手管にて弄び、甜き言葉で纏ひつき[31]、巧みなる手段にて人を牽き、偽りの心もて人を苦しめ、轆轤で回し、鋼の錐で穿つべし[32]。楽しみを追ひ、春を買ひ、数年たらずで、御身ははやくも貧しき原憲[33]とぞならん。

(末)わたしはけっしてそのようにならないでしょう。どうか姐さん、わたしとつきあわれてください。有り金すべてをお贈りしても、憂えることはございません。

(正旦が唱う)

【賺煞】そのかみの、わたくしの、迴雪(くわいせつ)の舞へる姿は柳腰[34]、雲を(とど)むる歌声は、桃花の扇に尽きしかど、これよりは、席上と尊前に羞ぢらはん。

(末)わたしの馬で、姐さんをお送りしましょう。お乗りください。(鞭を渡す)

(正旦が唱う)今やすべてがさかさまになり、娘が絲鞭[35]を受け取ることと相成れり。

(末)多めにお金を用意して、お母さんにさしあげれば、きっと許してくださるでしょう。

(正旦が唱う)(えにし)を結ばるるのならば、酒を買ひ、宴を設くる必要はなし。かの守銭奴のやり手婆が許さざらんとも、いかんせん、わたくしは、心が堅く、石をも穿てり。落籍の準備をし、わたくしは御身に正規の料金のみを請求し、無駄金を使ふを省かん。

(末、梅香、張千がいっしょに退場)

(浄)鄭舎さんは姐さんといっしょに行ってしまったぞ。明日はおまえと礼物をもち、かれらのために、お祝いをしにゆくとしよう。(外旦がともに退場)

 

第二折

(鄭府尹が登場)わしは鄭公弼、わたしの元和が上京し、受験してから、知らぬまに、もう二年になった。功名が成るか成らぬかは、おのずと定めがあるものだから、期待はしないが、行って久しくなるというのに、どうして便りを一通もよこさないのだ。わしはまことに心配している。これぞまさしく、千尺の糸はなけれど、二つの地にある人の心を結びたるなり。

(張千が登場)はやくもついたぞ。知事さま、張千が叩頭をいたします。

(鄭府尹)わたしはちょうどこちらでかんがえていたのだ。張千よ、元和は元気か。

(張千)知事さまにお知らせもうしあげまする、若さまは京師にこられたのですが、功名は手に入れてらっしゃいませぬ。妓女李亜仙と馴染みとなられ、お金を使われ、すこしもなくなり、やり手婆に追い出され、よそさまのため、野辺送りをして、挽歌を唱い、とても落ちぶれ、わたくしも食事をもらう場所がないので、まっすぐに知事さまにお知らせにまいったのです。俸給を払われて、若さまをつれもどさせてくださいまし。

(鄭府尹が怒る)ああ、なんと、元和は都でお金をなくし、よそさまのため、野辺送りをして、挽歌を唱っているのだな。まことにはずかしいことだ。張千よ、馬をひけ。わたしはみずからあちらへいってあいつに会おう。(退場)

(正旦が梅香を連れて登場)やり手婆は、実に善くない。元和さまにお金がないのを目にすると、たちまち追い出してしまった。よそさまのやり手婆は恐ろしいが、わたしの母ほど凶悪なものはあるまい。(唱う)

【南呂一枝花】わたしの母は(まなこ)には一対の狡猾さを帯び、心には十分の凶悪さをば隠したり。顔には歹闘毛(たいとうもう)が生え、手には握刀紋(あくたうもん)があり。凶悪さでは世上に並ぶものはなく、魔手を下して節度なし。(まなこ)は鋭く、手は速く、かれの拳が上がりなば、はやくも気をば失はん。あの方は、傷を負はずばかならずや心をば損なはるべし。

【梁州第七】わが母は、人脳を食ふ風流(いろこひ)の太歳にして、人皮を剥げる母親の喪門神なり[36]。油頭粉面、人を敲ける棍棒にして、笑まひのなかの刀もて、皮をそぎ、肉をさき、綿のうちなる針をもて、髓をけづりて[37]、筋をひきぬく。母親は偽りの冷たき心を欲しいままにし、娘のはうはふざけたりまぢめになつたり[38]、たとひ御身が天地に轟く男なりとも、三日五日に満たずして禍に遭ひぬべし。守銭奴のわが母は凶神となり、春を売る娘は死人に伴ひて、有情の男は怨霊となりぬべし。わが母はお金が大事、娘が憎むものには母が近づきて、娘が愛するものには母がしたがはず。母が気に入る男は野暮天ばかりにて、娘が気に入る男には金がなし。

(卜児が登場)鄭元和を追いだしてから、わたしの娘はかれのため、家にいるとき、茶も飲まず、ご飯も食べず、金を稼ごうともしない。今、鄭元和には金がなく、よそさまのため野辺送りして、挽歌を唱って乞食している。今日はある家が葬式を出す。あいつはきっとそちらで歌を唱うだろう。今から娘を呼びだして、看街楼(かんがいろう)[39]で葬式を出すのを見せることにしよう。もしも元和の落魄れた姿をみれば、娘も必死にわたしのためにお金を稼ぐことだろう。娘や、どこだえ。

(正旦があう)

(卜児)娘や、わたしはおまえと看街楼へ気晴らしをしにゆこう。今日、お金持ちが葬式を出すのだが、明器[40]をならべて、まことにきれいだ。わたしはおまえと見てみよう。

(正旦)わたしはもともと行きたくないが、いかんせん、やり手婆がひどくうるさい。どうすることもできないから、ついてゆかなくてはなるまい。いいでしょう、いっしょに見にゆくことにしましょう。(歩く)

(末、浄が挽歌を唱って登場)

【商調尚京馬】わたくしもたちまちに過ちて幽霊に惑はされたり[41]、こは女郎買ひをするものの落ちゆく先ぞ。見識のある兄さんたちは、事情を知りて[42]、かやうにいたく悲しめり。これからは、金銀を多く集めて、食べものを買ふこととせん。

(正旦)やり手婆は、元和さまの落魄れたお姿をわたしが見れば、あのかたを相手にしなくなるものと思っているのだ。やり手婆が話をせねばそれでよし、話したら、口ごたえしてやろう。

(卜児)娘や、あの金のない遊び人が、あちらで柩を迎えて、野辺の送りをしている[43]

(正旦が唱う)

【隔尾】汝は言へり、金のなき遊客があちらで柩を迎へりと、

(言う)まだ冗談を言っていますね。

(唱う)こはかならずや守銭奴のやり手婆の人を葬りたるなるべし。[44]

(卜児)亡くなったのは、女だろうか男だろうか。

(正旦が唱う)亡くなりし人のことをば問ひたまふ必要はなし。

(卜児)何歳だろうか。

(正旦が唱う)おそらく五旬(いそぢ)前ならん。

(卜児)どうして身寄りがいないのだろう。

(正旦が唱う)汝はいへり、なにゆゑぞ六親なきやと。

(卜児)何の病気で死んだのだろう。

(正旦が唱う)ピンはねをして、良心を瞞きて、お金にがめつきためならん。

(卜児)まさにあの鄭元和だよ。どこぞの家で人が亡くなり、鄭元和があちらで泣いているのだろう。

(正旦が唱う)

【牧羊関】諺に言ふ、「街にて人が死にたれば巷も楽しむことなし」と。

(卜児)あいつの着ている服をごらんよ。

(正旦が唱う)あきらかに、かのひとは、身は貧しくとも心は貧しからざらん。

(卜児)ぴったり棺によりそっている。

(正旦)人々はあのひとが鄭府尹さまの息子だといっています。

(唱う)かの人こそは役人の権勢を頼りにしたる男なり。[45]

(卜児)人さまのために鈴を振っているよ。

(正旦が唱う)かの人は鈴を振り、この世にて権力の座にぞある[46]

(卜児)人さまのために挽歌を唱っているよ。

(正旦が唱う)挽歌を唱ふもかの人の運命ならん[47]

(卜児)影神楼(えいしんろう)[48]を担いでいるよ。

(正旦が唱う)かの人は目の前に大漢(おほをとこ)を置き、背後には高門を立てんとす[49]。野辺の送りをするものは、かならずや不孝なる風流種(あそびにん)、挽歌を唱ふは詩賦を吟ずる人ならん。(退場)

(鄭府尹が張千を連れて登場)張千よ、あいつはどこだ。

(張千)この杏花園にいらっしゃいます。(浄に会う)

(鄭府尹)あいつはだれだ。

(張千)この人は若さまをお助けし、お金を使った趙牛筋さま。

(鄭府尹)張千よ、このものを打ってくれ。(末にあう)

(鄭府尹)張千よ、この畜生めを打ってくれ。

(張千)このかたは若さまで、わたくしは泥靴と短い(たび)の下役ですから、なぐるわけにはまいりませぬ。

(鄭府尹が怒る)打とうとせぬなら、板子を持ってまいるのだ。わたしが打とう。(打つ)馬鹿息子めが。

(張千)敷物はもちろんのこと、破れた蓆もございませぬ[50]。(打ち殺す)

(鄭府尹)元和よ。

(張千が鼻をさわる)ああ亡くなってしまわれました。どういたしましょう。

(鄭府尹)張千よ、この馬鹿息子を打ち殺したから、かれの死骸を千人坑にすてるのだ。このわしは先にかえるぞ。

(詩)もともとは、功名を求むるために、上京をせしめしに、かやうに卑しきことをせり。このやうに家門を汚し、はなはだ人を辱しめたり。一生子供のなきはうがよし。(退場)

(浄が報せる)李姐さん、杏花園で、鄭の老旦那さまが鄭の坊ちゃんを打ち殺しました。

(旦が慌てて見にゆく)ああ、元和さま、ほんとうに打ち殺されてしまったのですか。(唱う)

【罵玉郎】殴られて全身は鮮血でべとべととなり。わたしがこちらで顔を見たれば、かの人は生気をばうしなはれたり。轍のなかの雨水が近くにあれば、なみなみと手で掬ひあげ、ゆつくりと口に含みて、そつと顔へと噴きかけり。

【感皇恩】死なれても家のお墓に埋められず、わたしをすてて、いづこにか命を終へしむ。

(叫ぶ)元和さま、起きて下さい。起きて下さい。

(唱う)誰か御身を鶯花を恋ひて、命を軽んじ、風塵に死なしめん。

(末が目覚める)ああ、目覚めることは目覚めたが、このような痛みには耐えられない。

(正旦が唱う)かの人は目覚めりといふ、遊客はかくして息を吹き返したり。

(正末がびっくりしてまた倒れる)

(正旦)元和さま、わたくしはこちらにおります。

(正末が起きあがる)お姐さん、人々が嘲笑し、母御が怒鳴り、父が咎めるのが怖くないのでしょうか。

(正旦が唱う)わたくしは、人が笑ひて、母が怒りて、お父さまが恨まるることをおそれず。

【采茶歌】われは御身がたちまちに死に、荊榛[51]に棄てられて、(かたへ)の人が美しき御身をうばふをさらにおそれり[52]

(末)御身の母御は恐ろしい。

(正旦)母が恐ろしからんとも、

(唱う)わたくしは一たび愁ふるごとに忍べり。

(末)父はわたしをさんざんに打ちました。

(正旦が唱う)お父さまの御身を打ちしは、「一年の春は尽く一年の春」を唱はせぬためなりき。

(卜児が登場)わたしはここまでおいかけてきた。貧乏人め、まだ家へ帰らないのか、はやく家へと帰るがいい。

(正旦)わが母はこの細き杖にすがれど、こは杖にあらずして、(唱う)

【黄鐘煞】ほかならぬ遊客を憂へしめたる太き桑棍(さうこん)[53]。舞ふこと旋旋たる裙をむすべども、裙にはあらず、

(唱う)こは君にまとはりつける、濡れし木綿の猿股ぞ。君を迎ふるさまはまことに殷勤にして、君を追ふさまはまことに凶悪なりき。諺に「母親が慈悲深ければ娘は孝行」なりと申せど、(なれ)が仁ならざればわたくしは不孝するなり。家に到らばかならずや相罵らん。みよわたくしは自殺せんとし、自刎せんとす。役所が知らば、かならず問ふべし。訊問し、拷問すべし。お上には、いかで親しむことを得ん。下役たちには、身を寄することはかなはじ。わたくしは汝をして、哭きながら鎖を帯びて、枷を嵌められしめん。その時は、

(言う)あなたは役所に赴いて、ばたんと腰を掛けるでしょう。人々は「お母さん、あんたはどうして、身寄りのない、老いの身でここにきたのだ」と訊ねるでしょう。お母さんは「これはみな、あの不孝者のあまっちょが、わたくしを窮地へ送ったのです」と答えるでしょう。

(唱う)我は()に金をはらはせ、元手をすらせん。

(卜児が正旦をひいて退場)

(末)やり手婆はまことに凶悪、李亜仙はまことに残忍、わたくしはまことに苦し。今しがた亜仙はこちらで、わたくしに恋恋としていたが、やり手婆にせまられて、いってしまった。わたし一人がのこったが、怪我もしており、どこでご飯をもらって食べたものだろう。(嘆く)

(詩)やり手婆はまことに因業、身寄りなく、貧しきものの、半死の身をば置き去りにせり。じつくりとかんがふれども、生くるすべなし、やはりまた「一年の春は尽く一年の春」をうたふにしかざらん。(退場)

 

第三折

(正旦が梅香を連れて登場)想ふにうちのやり手婆はまことによくない。元和さまが、少々お金を持たれているのを目にするや、みな騙しとり、追い出した。今は晩冬、紛紛とこのような大雪がふっている。元和さま、どこで寒さを忍ばれていらっしゃるやら。

【中呂粉蝶児】月館と風亭は[54]、上にたつやり手婆の正しからざるがため[55]、燕鶯[56]は今や疏遠と相成りて、風月所にてあつさりとして、雨雲郷にてべたべたとすることはなく、煙花寨にて耳根は清浄(しやうじやう)[57]。人がわたしの今世今生を問ひなば、わが鄭元和さまはいかでか悟りを得べけん。[58]

(言う)梅香や、鄭さんをさがしにいっておくれ。

(梅香)寒いのに、どこへさがしにゆかれましょう。

(正旦)この小娘はまことに物分かりが悪し。

(唱う)

【酔春風】わたしがここで温水に瓊花(けいくわ)[59]を浸せば、なほも氷は玉鼎に生じたり。かやうに、風は雪を巻き上げ、やむ時はなく、かのひとは、おそらくは、おそらくは寒からん。葬式を出したる処へ行きて問ひ、喪に服したる処を(おとな)ひ、棺を埋むる処にて様子をば探るべし。

(梅香)さがしにゆけばよろしいのでしょう。

(末、浄が登場、梅が会う)姐さんがちょうどあなたをまっております。家へまいりましょう。

(末があう)姐さん、ひどい雪ですね。ほんとうにひどく寒いなあ。

(正旦)梅香、お酒をもってきて、二人に飲ませてさしあげなさい。

(末、浄が震えながら酒を飲む)

(正旦)趙牛筋さん、とりあえずこちらにいらっしゃってください。あのやり手婆が来たら、咳払いして合図してくださいね。

(浄)わかりました。

(正旦)元和さま、まことに寒うございます。(唱う)

【十二月】乾坤はあまねく冬の寒き夕暮れ、寰宇の内に瓊玉(けいぎよく)[60]をしぞ篩ひたる。大通りには陰風が凛冽として、頭の上には冷気が重く凝りかたまれり。

(言う)まことにわびしや。

(唱う)蕭娘(むすめ)(いのち)をそこなひしこともなく、同姓なれど同名ならず[61]

【堯民歌】(なれ)はもとより酷寒亭に上りたる鄭元和なり、わが母の茅茨火(ばうしくわ)は紙の湯瓶(たうへい)をひどく焼きたり[62]。錦の鴛鴦(をし)をつかまへて、殺して羽を毟らんとして、比目魚を切り、膾にし、なほ腥きを厭ひたり。かれはすなはち天生の、天生の守銭奴ならん。

(末)よそさまはこのように恐ろしくはない。

(正旦が唱う)やり手婆たちはみな伝槽病(でんさうびやう)[63]なり。

(卜児が登場)梅香や、開けておくれ。

(梅香)姐さん、お母さまがこられましたが、どうしたら宜しいでしょう。

(浄が続けざまに咳払いをする)

(正旦が唱う)

【満庭芳】ああ。御身はたちまち驚かん。やり手婆の到れるは、あきらかに遊客の災の星ならん。このたびの言い争ひは、ただでは済まじ。もはやこれまで。好好先生[64]

(会う)ああ、乞食め、どうしてまたきた。

(浄がふたたび咳払いをする)

(卜児)趙牛筋だね。うちは卑田院ではないのに、なぜこの乞食を入れたのだ。

(正旦が唱う)やめよかし、御身がまことに風月所での和姦の罪を捕らへんとせば、これなる『楽章集』を調べて、法により処罰して、大いなる釘をもて枷にとむべし[65]。臨川県の知事[66]にたづねよ、「賢きものは昔から賢きものを惜しむ」といはずや。

(卜児)かれは落魄れ、お金もないのに、どうしてひたすら家に留める。

(正旦)お母さま、もうたくさんです。(唱う)

【耍孩児】黄金(こがね)を北斗の柄杓まで積みたることはなかりしかども、財産は積み重なりたり。御身はひとへに偽りの心にて殷勤にして、かれをだまして(さいふ)をば氷のごとくせしめたり。

(言う)かれにお金があるときは、

(唱う)一家して寄り集まって胸前の肉となし[67]

(言う)かれにお金がないときは

(唱う)たちまちに眼のなかの釘と憎みて、転宅の計画をととのへり。ただ蝿頭の微利のため、わが錦なす前途をば蹴りとばしたり。

(卜児)錦繍の(とばり)、翡翠の(ついたて)は乞食を泊めて眠らせるところかえ。

(正旦が唱う)

【三煞】錦繍の(とばり)翡翠(かはせみ)(ついたて)などをひけらかし、かのひとの瓦罐をば、はや(なれ)臙脂(えんじ)(せい)にて打ち割れり[68]。かのひとは飛ばんとも千重の網を飛び出だし得ず、跳ばんとも万丈の坑を跳び越ゆることはなからん、鄭元和さまはみづからそれを証されり。

(卜児)このあまっちょめ、まだかれをおいださないのか。殴られたいのか。

(正旦が唱う)かのひとを追ひだして、奥の間を離れしむとも、わたくしは哭き、長城を倒すべし。

(浄が咳払いをする)趙牛筋、おまえはお金を持っていたとき、劉桃花の家で使って、わたしのうちでは使わなかった。劉家に帰って乞食をせずに、うちにくるとは、ほんとうに身の振り方をしらないね。

(浄)鄭舍さんもわたくしがあなたの家に世話をしてあげたのですよ。亜仙姐さんはどれだけわたしの酒席で飲んだかしれません。今日は一杯わたくしに飲ませても、それはお布施というものでしょう。お母さん、なぜこのようにすることができるのですか。(卜児が趙を打って退場させる。)(さらに末を打つ。)

(正旦が庇って、唱う)

【二煞】わたしはかれと埋もるる時は一処に埋もれて、生くる時には一処に生くべし。たとひなんぢが大騒ぎして争はんとも、ひたすらともに青冢に帰し、金縷を抛つことを思ひて、紅楼に上り、玉筝(ぎよくそう)[69]を弾かんとはゆめゆめ思はず。わたしは清く正しきを誇るにあらず、ただかれのため、星前月下に、かつてみづから海山の誓ひ[70]を立てたり。

(卜児)結構なことだねえ、謝天香[71]さん。

(正旦が唱う)

【尾煞】わたくしはかの謝天香より名声があり[72]

(卜児)かれは柳耆卿[73]になることができるのか。

(正旦)なぜあの人を嘲笑われる。

(唱う)かのひとは柳耆卿より一斤も一両も軽からず。

(卜児)これはみなわたしが大きな秤ではかったのだよ[74]

(正旦が唱う)母じゃが定盤星(めもり)をむりやりに三割増となすともままよ。[75]

(卜児)われわれ妓館は、着るものや食べるもの、あらゆることにお金がかかる。わたしのためにお金を稼がないならば、どうするつもりだ。

(正旦)元和さまは、たくさんのお金を持ってらっしゃいましたが、みなうちで使い果たされ、落魄れてしまわれました。天を欺き、人に背いて、良心をなみすれば、神明も守ってはくださりますまい。今、お母さまは、お年はすでに六十歳、わたくしの身の回りにある、あらゆるものを計算し、お返しし、二十年間の衣食の費用にあてましょう。落籍したら、元和さまとほかに家を探して住んで、じっくりと経書を勉強させましょう。来年の試験では、かならずや願いをかなえられましょう。

(卜児)何をいうのだ。おまえはまさに若いのに、あの千年(ちとせ)万世(よろづよ)に、出世できない乞食といっしょになるなんて、承知しないよ。おまえはとにかく春を売り、食を求めて、いつもの仕事をすればよいのだ。

(正旦)お母さま、わたくしに従われないのなら、お聞きください

(唱う)わたくしに春を売り、食を求めしめんとせば、ゆつくりとまちたまへかし。(末を扶けて退場。)

(卜児)あのあまっちょめ、鄭元和を扶けていってしまったよ。ああ、あの乞食は体が汚れ、臭いのに、あいつといっしょになりたいとおもうのか。

(詩)あきらかに銅銭を求めんとせず、わけもなくただ悪しき若者を恋ふ。おそらくは、かのものの上手に唱ひたるを愛し、二人して手を携へて卑田に入るべし。(退場)

 

第四折

(鄭府尹が張千を連れて登場)杏園で息子を打ってから、今になるまで行方が知れない。朝、人が報せたが、新しい県知事さまが会いに来るとか。わたしとは姓が同じだ。張千よ、入り口で見張りをしていろ、県知事どのが来られたら、報せるのだぞ。

(張千)かしこまりました。

(末が冠帯の装いで、棍棒を持った従者をつれて登場、詩)独り千言に対するも日はいまだ暮るることなく[76]、洛邑の官となり飛ぶ(かも)を見る[77]。そのむかし佳人の力を得ざらましかば、あやふく窮途の一餓夫となりなまし。

わたくしは鄭元和。さいわいに、李亜仙がわたしを家に引き取って、刻苦勉励するように勧めたために、一挙に名を成すことができ、このたびは洛陽の県知事を授かった。今しがた着任したが、今からこの府の府知事に目通りするとしよう。

(張千が報せ、見える。)

(鄭府尹)わたしの息子の鄭元和でないか。

(末)なぜこのように便宜を得ようと思われるのか。わたしは御身の息子ではございませぬ。部下よ、馬を牽け。わしは帰るぞ。(退場)

(鄭府尹)あきらかに鄭元和と同じ顔だが、かれはそうではないといったぞ。調べることは簡単だ。張千よ、あのものの履歴書を持ってきて見せてくれ。

(張千)こちらです。(みる)

(鄭府尹が笑う)あきらかにわたしの息子の鄭元和だ。

(張千)わたくしもあの県知事は若さまとよくにていたと思います。

(鄭府尹)かれはわたしに杏園で殴られたので、父子の情はすっかり断たれてしまったと考えて、知らん振りしているのだろう。履歴書に「妻李氏」と書かれているが、あの妓女だろう。

(張千)あの妓女は李亜仙ともうしましたから、まさしく李氏でございましょう。

(鄭府尹)思えば元和が目醒めた後に、あの李亜仙が元和をひきとり、勉強をすることを勧めて、功名を成就させたに違いない。李亜仙は賢い娘だ。わしが今からあの嫁に会いにゆき、かれに元和を宥めさせれば、わたしを認めさせるのに、難しいことはあるまい。張千よ、馬をひけ。わたしについて、新しい県知事の私宅へゆくのだ。(退場)

(末が正旦とともに従者、梅香を連れて登場)妻よ、わたしは朽木(きうぼく)死灰(しくわい)[78]であったが、もしもおまえに救われて、助けられねば、こうなることはなかっただろう。

(正旦)元和さま、今日があるとは思いませんでした。(唱う)

【双調新水令】春風は吹き、和やかな気は鳴珂に満ちて、燕鶯の啼き声は、あたかも耳に吹くかのごとし。そのかみは尊前に歌ふこと婉転として、席上に舞ふこと婆娑たり、妙舞清歌は、すべて識りたり。

(末)妻よ、われらは今や睦まじい夫妻となったが、そのかみの苦しみを忘れてはならないぞ。お金を喜捨し、貧民を救うとしよう。大人の乞食に一貫を、子供の乞食に五百文を与えよう。

(正旦)若さま、よいお考えにございます。(唱う)

【沈酔東風】わたくしもまた、幾たびも心の中で、南柯の夢にあらずやと、かんがへり。そのかみは、一文銭を求むる場所もなかりしに、本日は、千鍾の粟を享けども、なほも薄きを厭ひたり。かの人の福分はいかばかりなるべきや。御身は慈悲もて衆生をすくひ念仏し、さしあたり果報をぞ収めんとしたまへる。

(浄が登場)新任の県知事さまが喜捨をするとか、使うお金と、食べるご飯をもらいにゆこう。(会う)

(正旦)誰かと思えば、趙牛筋さんだったのですか。(唱う)

【雁児落】われらは今や財産を持ちたれど、御身はなほも生くるは難し。ああ、卑田院の教頭どの[79]

(言う)御身はわたしをご存知か。

(浄)ご婦人、御身はどなたにございましょう。

(正旦が唱う)わたしはすなはち鳴珂巷(いろまち)賠銭貨(かねくひむし)なり。

(浄)李家の姐さんだったのですか。

(正旦が唱う)

【得勝令】御身は旧き友人の鄭元和さまに会ひにきたるや。

(末が会う)妻よ、このものは何ものだ。

(正旦が唱う)お仲間のお兄さまなり。はからずも御身[80]は地べたで鈴を振り、この役所にて、かれ[81]に挽歌を唱ふを教へり。このやうに野暮なれば、風塵(いろまち)によぎるは楽しからざらん[82]。やめよかし、門前に桃李の多きを恃めるを[83]

(末)趙牛筋はわたしとともに貧窮に耐えていたもの、部下よ、五千銭をかれのため、もってくるのだ。

(浄が跪いて叫ぶ)知事さまとご夫人さまが喜捨をしてくださった。(退場)

(卜児が登場)乞食にござい。乞食にござい。

(正旦)誰かがおもてで騒いでいるが、みてみよう。(会う、唱う)

【川撥棹】階の下でわあわあと、騒げるはなにゆゑぞ。かのものの髪の毛は(いと)の巣のごと、(まなこ)は膠の鍋に似て、口は逆巻く河にぞ似たる。

(言う)誰かと思えば、

(唱う)そもこれは、お腹に蛆の這ひ回る、やり手婆の、瓦罐(ぐわくわん)をすべて打ち割れるなり[84]。(部下が打つ)

(卜児)わたしの瓦罐を打ち割ったのはおまえだよ。

(正旦が唱う)

【七弟兄】わたしを恨み、憎めども、いかでか活くることを得ん。御身は新しきを迎へ、旧きを送り、多くの勝手なることをせしかども、今や落魄れ、救ふすべなし。手をのばし、一文くださりましといひたり。

(言う)以前、わたしが二十年分の生活費用を計算し、さしあげたのに、どうしてこんなに貧乏になったのですか。

(卜児)財産を天火で焼かれてしまったために、貧乏になってしまったのだよ。

(正旦が唱う)

【梅花酒】そもそも火事では、狡賢さも、達者な口も役には立たず、婆さんははやくも悟れり。火はたちまちに来て、着きたれば、地を焼きて眠り、地を炙りて臥し[85]、眼を睜れどもなすすべもなし。お金を求め、毒計は多ければ、天公にむざむざと苦しめられぬ。

(末)思い起こせば、このものは、わたしを追い出したのだから、知らない振りをすべきだが、わが妻が落籍するのを許したは、母子の誼があったというもの、ほかに小さな家を買い、季節ごとに、かれに衣食の費用を与え、一生養うことにしよう。

(卜児)以前わたしにくださった、二十年分の生活費用は、火で丸焼けになりました。もしもまた火事が起これば、やはり安全とはいえません。娘や、わたしは思うが、おまえは今でも若いのだから、以前のようにわたしにお金を稼いでおくれ。

(部下が怒鳴って、退場させる)

(鄭府尹が登場)はやくも私宅の入り口についたわい。張千よ、入っていって夫人にしらせ、わたしがきたともうすのだ。

(張千が報せる)ご夫人にお知らせ申しあげまする。老旦那さまが入り口にいらっしゃいます。

(正旦が慌てて跪いて迎える)老旦那さまが来られることを、知っておりましたから、遠くまでお迎えいたすべきでした。お迎えをしませんでしたが、お咎めになられませぬよう。(唱う)

【收江南】ああ。草堂にたちまち貴人が来らるれば、あわてて迎へ、ぐづぐづとせず。

(鄭府尹)嫁よ、このわしが、そのむかし、杏園で息子を打ったは、かれが立派になるのを望んでいたからだ。こたび息子は役人となったのに、わたしには知らん振り。嫁よ、かれにどういうことなのか尋ねておくれ。

(正旦が唱う)御身ら父子(おやこ)は、いかやうな不和があり、このわれに仲裁せしむる。かならずや、御身ら一家を睦まじく、笑ふこと呵呵たらしめん。

(言う)若さま、なぜ老旦那さまに知らん振りなさるのですか。

(末)父子の愛は、天性から出たものであると聞いている。子が不孝でも、父たるものはその顧の情[86]を失わぬもの。父が不慈でも、子たるものは晨昏の礼[87]を廃しようとはせぬものだ。虎狼がもっとも凶悪なものであるのに、子を食べないのは、性の然からしめることなのだ。挽歌を唱い、野辺の送りをしていた時に、父上に打ち殺されたが、これはもとよりみずから招いた辱めだから、怨みはない。ただ、間違って人を殺して、悔いなくてよいわけがない。また、人に介抱をさせ、生き返るのをのぞむべきだ。たとえ死んでも、衣棺[88]を調え、亡骸を埋葬すべきで、荒野にすてて、晒すにまかせ、すこしも憐れむ心を持たないべきではなかろう。(嘆く)ああ、なんと残忍なこと。わたくしの身は、父上がお産みにったものであるのに、父上はわたくしを殺された。これからは、天地に守られ、妻の余生を頼りにし[89]、父と関わることはなく、父と認めることもあるまい。愛情と恩義はすでに絶たれてしまった。妻よ、もうこれ以上、話さないでくれ。

(正旦)若さまが杏園で打たれた時に、わたくしは死をもってお詫びしようといたしましたが、今まで生き長らえましたのは、若さまが功名を得てらっしゃらなかったからです。このたびは、さいわい一挙に合格し、ご先祖さまを輝かせられ、わたくしも花誥[90]を受けて、夫人県君となることができました。しかしもし世の人々が、鄭元和さまが父上さまに背かれて、天に逆らう罪を犯されたといって、わたくしを咎めましたら、わたくしはどの面下げて、世の中で生きてゆくことができましょう。護身刀で、自殺したほうがようございます。(唱う)

【鴛鴦煞】これからは、並頭の花を甘んじて折り、同心の帯を懸命に切るとせん[91]。人々の取り沙汰は、まことに万古の綱常なり[92]。罪は天へと漲りて、いづれのときにか抜けいづるべき。

(末にむかって拝礼をする)若さま、わたくしは今日、どうして一死を惜しみましょう。人はみな、鄭元和さまが亡くなって、馬鹿な息子となられたのも、李亜仙のせい、生きられて不孝な息子となられたのも、李亜仙のせいだともうすことでしょう。

(唱う)あばずれの煙花(うたひめ)であるわたしのために、お名を汚さば、わたくしは井戸や河へと身を投げん。たとひ一品夫人に封ぜられんとも栄誉にはあらざれば。

(末が慌てて刀を奪い、言う)妻よ、なぜこのようにはやまったことをするのだ。おまえに免じて、父上をみとめよう。

(鄭府尹)こいつめ。

(末が正旦とともに拝礼をする)

(鄭府尹)まずは息子がわたしをみとめ、さらに一人の賢い嫁を得たことを喜ぼう。今すぐに羊を殺し、酒を買い、祝いの宴を設けよう。

(詞)ともにまつたき父子よりも親しきはなく、まどゐする夫妻より睦まじきはなし。鄭元和は風流なる学士にて、李亜仙は絶世の美女。曲池にて、たまたま逢ひて心をば楽しませ、杏園にますます心の堅きを示せり。龍門を跳び、桂枝を折る[93]をはやくも遂げて、『蓮花落』楽府の伝はるをむなしく余せり。

 

最終更新日:20101110

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[1]知事。

[2]政治家としての名声。

[3]旅に出る知識人の必携品。

[4]原文「回來必定蓮花落」。「蓮花落」は表面上の意味のほかに、乞食歌のこともいう。鄭元和が乞食になることを暗示する。

[5] 『蓮花落』の出だしの部分。

[6]科挙の合格掲示板をいう。

[7]本来鰲魚の頭。科挙の首席の座をいう。

[8]晴れた日の光。

[9]春の神をいう。

[10]楡の莢。形が銅銭に似る。この句、春が来て、楡銭が地面にたくさん散っているさまをうたったもの。

[11]原文「我瞎漢跳渠、則是看前面便了」。当時の歇後語と思われるが、「瞎漢跳渠」だとなぜ「則是看前面」なのかは未詳。目が悪い人は視野が狭いということか。「看前面」は「看銭」と引っ掛けてあり、お金のことだけを考えているということ。

[12]原文「粉髏」。妓女のこと。ここでは劉桃花を指す。

[13]人を惑わす言葉をいう。

[14]原文「折倒的額顱破、便似間道皮腰綫」。まったく未詳。とりあえず、こう訳す。「額顱破」とはどういう状態か。梅毒で鼻が欠けた状態のようにも思われるが、この時代の中国に梅毒はないはず。

[15]歇後語。母親のこと。『柳青』という曲牌があることにちなむ。

[16]金の轡。

[17]過不足ない人だということ。

[18]原文「我看那生裹帽穿衫、撒絲繫帶」。「撒絲」が未詳。ただ、前後の脈絡からして、動詞目的語の構造であろう。絹糸のふさ飾りのようなものを垂らしているという趣旨に解す。

[19] 「路の柳」「塀の花」「花と柳」すべて妓女の暗喩。

[20] こちらの「塀の花」「路の柳」は文字通りの意味であろう。「路の柳も綿を飛ばさず」の「綿」は晩春になると飛ぶ柳絮。この二句、春が真っ盛りであることをいう。

[21]美しい顔をいう。

[22] きれいな建物」というぐらいの意味で使っていよう。ここでは文脈上妓館のことであろう。

[23]鄭舎人の略。鄭の坊ちゃん。

[24]原文「莫不是衝倒臨川県」。「衝倒」が未詳。とりあえずこう訳す。双通叔と蘇小卿の恋愛物語に基づく句。双通叔と蘇小卿の恋愛物語は、王実甫『蘇小卿月夜販茶船』、庾吉甫『蘇小卿詩酒麗春園』、紀君祥『信安王断復販茶船』、楊景賢『豫章城人月両団円』などがあるが、いずれも逸している。『永楽大典』戯文十一に収録されている『蘇小卿月夜泛茶船』は、双通叔と廬州麗春園の妓女蘇小卿が恋に落ちるが、蘇小卿の母を買収した茶商馮魁に蘇を奪われる、後に双は臨川県の知事として赴任する際、蘇と金山寺で再会し、夫婦となるというもの。

[25]名妓蘇小卿がいたとされる場所。妓館の代名詞。

[26]月宮をいう。ここでは妓館の暗喩。

[27]原文「我只問曲江裏水比那天臺較遠」。未詳。とりあえずこう訳す。鄭元和が科挙には合格せず、女郎買いをしていることを述べた句か。曲江は曲江亭のことで、唐代、科挙合格者に対する祝賀の宴が開かれたところ。天臺は天臺山のことで、桃源郷があるとされる。ここでは妓館の暗喩となっている。

[28]劉晨のこと。天台山の桃源で仙女に見えた話が『幽明録』に見える。ここでは鄭元和の暗喩。

[29]原文「常則是眼吊兒放下遮他面」。まったく未詳。「放下遮他面」がよくわからない。「放下臉」の意に解す。ただ、「眼吊兒」との関係は未詳。

[30]妓女を乗せた船。

[31]原文「甜唾兒黏連」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[32]原文「轆軸兒盤旋、鋼鑽兒鑽研」。含意未詳だが、いいように人を弄び、傷つけるという方向であろう。

[33]孔子の弟子。貧しかったことで有名。

[34]原文「往常我迴雪態舞按柳腰肢」。「按」が分かりにくいが、「〜によって」という意味で、句全体の趣旨は、細い腰で、翻る雪のように舞ったということであろう。『芸文類聚』巻四十三引『舞賦』「裾似飛鷰、袖如迴雪」。

[35]婚約のしるしとして女の家から男の家へ贈る鞭。

[36] 「太歳」「喪門神」ともに悪神。

[37] 「笑まひのなかの刀−笑裏刀」「綿のうちなる針−綿裏針」ともに陰険な手段の暗喩。「笑裏蔵刀」「綿裏蔵針」は陰険な手段を用いること。

[38]原文「女著些帶耍連真」。まったく未詳。とりあえず、こう訳す。

[39]通りを見ることができるように、家に設置された楼。バルコニーの類。

[40]冥器。紙で作った、死者への供え物。

[41]原文「也則俺一時間錯被鬼昏迷」。「鬼」はやり手婆の暗喩であろう。

[42]原文「那有見識的哥哥毎知了就里」。「有見識的哥哥毎」は自分たち自身をさす。

[43]原文「你看那無錢的子弟、在那里迎喪送殯哩」。「迎喪」は他郷で死んだ人の柩を迎えること。

[44]原文「這須是你愛錢的虔婆送了人」。前の卜児の発言「金のなき遊客があちらで柩を迎へり−無錢的子弟在那里迎喪送殯」と引っ掛けた発言。

[45]原文「他正是倚官挾勢的郎君」。恋人の鄭元和を悪く言っているようだが、実際上の意味はなく、卜児の発言「ぴったり棺によりそっている−他緊靠定那棺函兒哩」に引っ掛けた発言。「靠」と「倚」は同義、「棺」と「官」は同音。

[46]原文「他搖鈴子權」。鈴などの擬音語は「當當(タンタン)」だが、それと引っ掛けた発言。

[47]原文「唱挽呵也是他一遭一運」。未詳。とりあえずこう訳す。

[48] 「影神」は肖像画。使者の肖像画を安置した厨子のようなものであろう。

[49]原文「他面前稱大漢、只待背後立高門」。まったく未詳。「大漢」「高門」は明器の一つか。

[50]原文「休説褥子、破蓆頭也沒一塊」。鄭府尹が「馬鹿息子−辱子」といったのを、「敷物−褥子」と聞き間違えたことによる発言。

[51] いばらとはしばみ。それらが繁った場所ということであろう。

[52]原文「有則怕傍人奪了你箇俊郎君」。未詳。

[53]原文「則是箇悶番子弟粗桑棍」。「悶番」が未詳。「桑棍」は「黄桑棍」「黄桑棒」とも。『漢語大詞典』黄桑棒条にいわく「硬木棍」と。

[54] ともに妓楼をいう。

[55]原文「則為這虔婆上梁不正」。晋の楊泉『物理論』に「上梁不正下梁歪」という言葉があり、これに基づく句。「上梁不正下梁歪」は上に立つ者が不正だと、下のものも不正になるということ。

[56]恋人同士をいう。

[57] 「風月所」「雨雲郷」「煙花寨」すべて妓館のこと。

[58]原文「人問道亞仙的今世今生、則俺那鄭元和可甚麼了身達命」。まったく未詳。人から亜仙のことをたずねられたら、鄭元和は心穏やかではいられまいという方向か。

[59]雪の美称。

[60]雪をいう。

[61]原文「不曾虧負了蕭娘的性命、雖同姓你又不同名」。まったく未詳。

[62]原文「俺娘那茅茨火熬煎殺紙湯瓶」。未詳だが、因業なやり手婆が鄭元和をひどい目に遭わせるということの暗喩であろう。湯瓶は湯を沸かすのに使う瓶子。

[63]馬の伝染病。ここでは、やり手婆がおしなべて因業であることを卑しめていう。

[64]原文「死去罷、好好先生」。未詳。「好好先生」は鄭元和を指したもので、ここではよい人という方向であると解す。「好好先生」は、本来は、人と談論するのを避け、何を問われても「佳」といっていたという司馬徽のこと。

[65]原文「你實拿住風月所和姦罪名、檢著這樂章集依法施行」。未詳。とりあえず、こう訳す。『楽章集』は宋の柳永の詞集。花柳の巷に題材をとった詞が多い。この句の趣旨、未詳だが、『楽章集』を調べれば、わたしたちがしているようなことは幾らでも唱われておりますよということか。

[66]名妓蘇小卿を娶った双漸のこと。臨川県知事となる。第一折【醉中天】の注を参照。

[67]原文「一家兒簇捧做胸前肉」。「胸前肉」未詳だが、目の前のうまそうな物、いいかもの意であろう。特に典故はなさそう。

[68]原文「則他這瓦罐兒早打破在你胭脂井」。未詳。「胭脂井」は本来、陳の後主が妃とともに跳びこんだ井戸。ここでは妓楼のことであろう。この句の含意も未詳だが、妓楼で、鄭元和をひどい目にあわせたという方向であろう。「瓦罐」は素焼きの甕。

[69]筝の美称。

[70]原文「海誓山盟」。「山盟海誓」というのが普通。海や山のように変わらない誓い。

[71]元雑劇『銭大尹智寵謝天香』の登場人物で、劇中、柳永と結婚する。

[72]原文「我比那謝天香名字真」。未詳。とりあえず、こう訳す。

[73]柳永のこと。『曲江池』は唐代伝奇『李娃伝』に取材した劇なので、そこに北宋の文人の柳永が出てくるのは極めておかしい。

[74]原文「這都是我大秤稱過的」。未詳。大雑把に品評をしたという方向か。

[75]柳耆卿と鄭元和を秤に掛ける際、秤が柳耆卿のほうに傾くように、目盛をずらすことであろう。句は、柳耆卿をどんなに贔屓目に見ても、鄭元和のほうがましだという趣旨であろう。

[76]原文「獨對千言日未晡」。「千言」が未詳。人々の訴訟を聞くということか。

[77] 『洛神賦』「揚輕褂之猗靡兮、翳脩袖以延佇。體迅飛鳧、飄忽若神。陵波微歩、羅襪生塵。

[78] 枯木死灰」に同じ。ここでは再起不能の境遇にあるものというぐらいの意味であろう。

[79]原文「你箇卑田院老教頭」。「卑田院老教頭」が未詳。乞食の親分というほどの意味か。

[80]趙牛筋をさす。

[81]鄭元和をさす。

[82]原文「這般樣村呵、你道是不快俺風塵過」。未詳。とりあえず、こう訳す。なお、「風塵」には「色街」という意味のほかに「官場」という意味もあるらしいのだが、はたしてここでそういう意味合いを持たせているかどうかは未詳。

[83]原文「休波、倚仗著門前桃李多」。未詳。弟子が多いことを恃むのはおやめなさいという方向か。「桃李」は弟子のこと。ここでは、趙牛筋が女郎買いの手引きをした鄭元和をさすか。

[84]原文「原來是攪肚蛆腸的老虔婆、將瓦罐都打破」。「瓦罐不離井上破、將軍難免陣中亡」という諺があり、それを踏まえた句。諺の意味は、井戸の水を酌む素焼きの罐が井戸で割れてしまうように、危険なことをする者は、悲惨な最期をまぬかれないということ。ここでは、悪事をしていたやり手婆がひどい報いを受けたことをいう。

[85]原文「燒地眠炙地臥」。家がない、貧乏な境遇をあらわす元曲の常套句。

[86] 「顧復」は何度も見返り、手厚くすること。『詩経』蓼莪に典故のある言葉。

[87]朝晩父母の世話をすること。

[88]死者に着せる衣と棺。

[89]原文「丈夫人之餘生」。「餘生」が未詳。そのまま訳す。

[90]金花羅紙に書かれた誥命。

[91] いずれも夫婦の縁を切ることの暗喩。「並頭」は「並頭蓮」で、一つの茎から二つの花が咲いた蓮。「同心」は「同心結」のこと。固く解けない帯の結び方。

[92]原文「這的是萬古綱常、眾口評駁」。未詳。とりあえずこう訳す。

[93] ともに科挙に合格することの暗喩。

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