第百三回 

王象藎が京師にいって若主人に会うこと

譚紹衣が召見されて兵権を授かること

 

 紹聞、希瑗が鼎興客寓で希僑と一晩話しをし、翌朝、国子監に戻ったことはお話しいたしません。さて、盛希瑗は宿屋の騒がしさにたえられず、朝になりますと、下男に命じて、都の中の別の借家を探させました。下男が街に出て、壁を見てみますと、「借家あり、家具完備」という広告が目に入りました。広告に書かれていた胡同に訪ねていきますと、縄匠胡同[1]の厳府花園の南側の道を東に行った所に、趙という姓の家が見付かりました。中庭は広く、東屋は綺麗で、台所や馬屋が完備し、露台、照壁は真新しいものでした。そこで、一か月の家賃を交渉し、宿屋に戻って報せました。盛希瑗はすぐに引っ越しを命じました。車を呼び、荷物を積み、車に積み込めないものは、下男たちが肩に担いだり、手に持ったりして、その日のうちに新居に移りました。

 新居に落ち着きますと、車を雇い、客を訪ねて劇を見ました。先祖の同年の子孫や父親の同僚の子や甥、以前から文通があって、今、都で役人をしている人々に、帖子を送って会い、先祖の遺著を数種類送り、中州の土産を幾つか贈りました。出迎えて会う者もあり、役所へ行って戻らず、訪問の機を失する者もありました。その後、返礼として宴会に招いたりして、たがいに行き来しました。街で劇場の広告を見ますと、何日の朝にどこの劇団が演技をし、何日にどこの新しい劇団が初公開をする、何日にどこの劇団が昼の劇を上演し、講談をし、雑技、楽器演奏を行う、何日に、どこそこの楼で、刀を飲み込んだり、火を吹いたり、対叉[2]をしたりすると書いてありました。その後、宴席を設けて、同年の誼のある人、同郷の諸先生を呼びました。さらに天壇[3]、地壇[4]、観象台[5]、金鰲玉蝀[6]、白塔寺[7]、および古刹、道観、廟を見、遊覧できる所は、その大半を回りました。ある日、たまたま正覚寺[8]に行き、中に入りましたが、突然、尼僧がやってくるのが見えたので、すぐに戻ってきました。盛希僑は、大いに見識がついていたということができましょう。譚紹聞、盛希瑗は、しばしば宿屋にきて、一緒に遊んだり、国子監に戻ったりしました。

 二か月泊まりますと、盛希僑は、急に故郷が懐かしくなったので、家への贈り物にする品物を買い、下男を国子監に遣わして、弟の友人を外城に呼びました。紹聞は手紙を書き、母親への贈り物を買い、簣初のために、重要な書籍を買いました。そして、希僑に持ち帰ってもらうことにしました。盛希僑はさらに京師で不必要になった下男、故郷が懐かしくて京師にはいたくないという下男を、ついでに幾人か連れ帰ることにしました。また、旅費以外の銀子と、金はすべて置いていくことにしました。そして、帰る日を定め、車を雇いました。

 帰る日になり、荷物を積みおわりますと、弟と友人の二人は、門の外で見送りました。口では気をつけてと言いましたが、心の中ではとても悲しい気分でした。車が動きだすと、二人は車について送りましたが、希僑は車の中にいたのでまったく気が付きませんでした。下男が言いました。

「お二人がずっとついて来てらっしゃいますよ」

希僑は急いで車から降りてきますと、車をとめ、東を向いて言いました。

「帰ってくれ」

三人は思わず頭を下げました。希僑は車に乗りました。譚紹聞、盛希瑗も悲しい気分で帰りました。二三日が過ぎますと、ようやく気持ちが楽になりました。

 希僑は彰儀門を出て、良郷県に行き、泊まりました。店員は、前と同じように客を誘いましたが、盛希僑に怒鳴られて、引き下がりました。欒城[9]、清風店[10]、邯鄲[11]、宜溝[12]などの所でも、店員が同じようなことをしたので、下男たちは怒鳴りつけて引き下がらせました。もしも十年前なら、上の者の行いを下の者がまねたり、上の者が賢くても下の者は愚かだということがあったでしょう。しかし、二度目の旅では、上の者も下の者も賢くなっていました。

 黄河を過ぎますと、省城に入り、家に着きますと、母親のご機嫌伺いをしました。夫婦で仲違いがあったことは、長いこと別れて忘れていましたので、ふたたび仲の良い夫婦になりました。翌日になりますと、京師から持ってきた親友たちの手紙やお土産をあちこちに届けました。

 希僑は宝剣児に命じて譚家に手紙を送らせた時、ちょうど王象藎が料理を城内に運んできました。王象藎は、若主人の京師での消息を得ますと、心の中でとても喜びました。しかし、遠くから来た手紙では、良いことを言って、悪いことは言っていないのではないかと心配でしたので、若主人の簣初に向かって言いました。

「盛様は遠くから手紙を持ってきて下さったのですから、坊ちゃまは、盛家に出向いてお礼を言われなければなりません。私も一緒に参りましょう」

王氏「王中のいう通りだよ。私たちも盛家に行くべきだ。あの家の若さまを呼んでお酒をふるまうべきだよ」

 簣初は王象藎とともに盛家に行きました。面会して挨拶をしますと、簣初は手紙への感謝を述べ、旅の苦労をねぎらおうとしました。盛公子は簣初が話しをしないうちに、言いました。

「婁さんは進士に合格され、兵部に配属されました。報せは省城に届きましたから、すべてご存じでしょう。うちの弟は元気で、何ごともなく、お話しをするまでもありません。あなたのお父さまは食事をしてとても太られ、平素の田舎臭さが、少しもなくなりました。本をたくさん読んで、今度の試験ではきっと合格されるでしょう。家に戻ったら、ご隠居さまに、私が少しも心配することはないと言っていたとおっしゃってください。あなたの家で私をよんで旅の苦労をねぎらってくださる必要はありません。私は一二日して暇になったら、あなたの家に行って、ご隠居さまに面会し、詳しくお話を致しましょう」

簣初は、年が若く、盛公子から何もかも話されますと、何も言うことがなくなりました。王象藎が横から尋ねました。

「若さまのおっしゃる通りならば、うちのご隠居さまも心配はしないでしょう。しかし、世の中には、良いことの中にもしばしば悪いことがあり、何もかもが思い通りであるとは限りません。付き添っていった者たちはどうでしょうか」

希僑「お前がいわなければ忘れているところだった。お前の主人は、いつも僕に、付き添いの者たちが少し言うことをきかないと言っていた。僕は、田舎の子供は京師に入れば、性格が変わるものだと言った。毎日、都の役人の従者が、身に絹の服をつけているのを見れば、うちで湯をわかしたり茶を差し出していたりした子供だって、もっとましになりたいと思うものさ。内閣や三省の大臣が行き来しているを見れば、自分の主人の身分が低いと思い、口答えをすることもあるんだよ。僕は、彼らが憎たらしいときは、彼らを何回か鞭でぶてばいいと言った。しかし、お前の家の主人は、慈悲深く、気が弱い人で、情け深さをすてることができないんだ。これは、唯一の悪い報せだが、大したことはないさ」

王象藎「京師には人がいるのですから、別の下男を雇ってはいかがでしょう」

盛希僑は大笑いして、

「京師の人間は使い物にならないよ。彼らは、朝に李さんに仕えたかと思うと、晩には王さんに仕えるんだ。連れていった下男たちの方が、とんずらする心配がなくていいよ」

暫くしますと、簣初は拱手して礼を言い、主人と下男は一緒に帰りました。

 家に着いて、ご隠居さまに逐一報告しますと、王氏はとても喜びました。しかし、年をとって子供を思う気持ちも強かったため、なかなか心が晴れずに、こう言いました。

「私はどうしても安心できないよ。福児は小さかった頃から今まで、こんなに長いこと私からはなれたことはなかった。盛さんの家では、実のお兄さんが上京したが、うちには行くことのできる姉や妹がいない。お前たち二人が盛家にいった時、私は半日考え事をしていたよ。簣初は幼いし、世間のこともよく知らない、旅をさせては私も心配だ。王中に行かせようと思うのだが、いけるかい。もしも良ければ、すぐに出発して、あれに夏物の衣服を届けておくれ。旅費はどのくらいいるのだろう」

王象藎は少し考えますと、言いました

「行かないはずがありません。私も普段から行こうと思っていましたが、お話しするきっかけがなかったのです。旅費を準備される必要はありません。私は菜園の仕事をしてから、三日後に出発いたします。家からもっていくものや、坊っちゃまが書かれた手紙などを、包みにしてくだされば、明後日の晩にとりに参ります。ご隠居さまから何かおことづてがあれば、記憶しておきますので、明後日、包みをとりにくるときにおっしゃってください」

時間が迫っていましたので、王象藎は、すぐに城の南の菜園に戻ることにしました。冰梅は布包みをくるんで、全姑に渡すようにいいました。王氏も小さな玩具を与え、子供のおもちゃにするようにと言いました。王象藎は、

「あれはまだあまり遊びを知りません」

と言い、玩具を受け取ると持っていきました。

 出発の一日前の晩、王象藎がやってきました。王氏が包みを手渡すと、簣初

「手紙は全部中に入っています」

王氏、簣初は、言伝てをし、道中気を付けるようにと言いました。王氏は旅路で食べる物を与えました。王象藎は城の南の菜園に帰りますと、隣家の老婆を趙大児母子に付き添わせました。

 翌朝、人夫が大きな騾馬をおってやってきました。王象藎は余っていた、井戸の敷石の下から出てきた銀子を包み、荷物を積んで騾馬に跨がり、南門から入り、北門を出て、駅路に沿って行ってしまいました。

 さて、王象藎は、今回の旅の途中で、幾つかのびっくりする事件に出遭いました。

 宜溝駅に着いて宿に泊まりますと、向かいの宿屋から真夜中に火が出ました。風は強く、火は激しく、炎は強く、街には叫び声が沸き起こっていました。宿屋の客は、先を争って門を抜けて逃げようとしましたが、店の主人は承知せず、門を開けませんでした。そして、こう言いました。

「お客様の荷物が大事です。もし門を開けたら、火消しが店に入り、荷物を奪い、火が消えてから、うちの店が荷物を別の所に運んで、隠してしまったというでしょう。今日は火は風上にはありませんから、静かに待機していましょう。本当に火が私たちの宿屋にきたら、その時は裏門を開けて、みんなで逃げ、荷物は丸焼けということにしましょう。これが『天が崩れればみんな下敷き』[13]ということです。皆さんは今は旅費を身近に持っていてください」

客たちにも異論はありませんでした。間もなく、風は少しおさまり、駅丞官が兵卒を連れて火を消しにきました。人も多く、水もたくさんありましたので、天を焦がさんばかりの炎も消し止められ、向かいの宿屋の通りに面した草屋根の建物三間が燃えただけでした。裏の瓦屋根の建物には火がつきませんでした。宿屋の中の宿泊客は、一晩中安眠できませんでした。四鼓になりますと、王象藎は、人々とともに宿泊費を払い、騾馬を引き出し、荷物を積み、店を出て、水溜まりと泥や灰の上を歩きましたが、誰一人として「阿弥陀仏」の四文字を唱えない者はありませんでした。

 一路北に向かい、豊楽鎮[14]に泊まりました。そこには泥棒がおり、塀の上から飛び下り、瓦にぶつかって音をたてたので、店の主人はびっくりして逃げていきました。泥棒は何もしませんでしたが、一晩安眠する事ができませんでした。

 さらに、搭連店[15]に着きました。その南側には竜王廟がありました。王象藎と四人の連れは、飯屋で休み、食事を終え、休んで話しをしているときに、尋ねました。

「これは何の廟だろう」

店の主人の老人が言いました。

「額血竜王廟です」

さらに質問しました。

「どうしてそんな珍しい名前なのですか」

老人は笑って

「この竜王は治水はせず、人々の様子を見てばかりいます。心に疚しいところのある人が、廟の入り口を通りますと、必ず病気になります。話せば長くなりますが。この竜王はもともと上京して官職についた武挙人で、ある晩、邯鄲県の南関に泊まったのです。宿屋の隣には気性の激しい婦人がおり、夜に夫の母親を苛める声が、塀を隔ててはっきりと聞こえました。宿屋にいた人々は皆怒りましたが、彼らは旅人でしたので、自分とは関係のないことは放っておくしかありませんでした。人々は耳を塞ぎ、安眠することができませんでした。翌日の午後になりますと、武挙人は私たちの搭連店に来ました。すると、空いっぱいの黒雲が、南の邯鄲県からやってきました。すると、お役人は下男に言いました。『わしがもし龍だったら、必ず昨晩の不孝者の嫁をひっつかまえてやる』。話していますと、下男は主人が空へ昇っていき、黒雲の中にもぐっていくのを見ました。その黒雲は、ふたたび南へ引き返していきました。下男は慌ててなす術もありませんでした。一時たちますと、その武挙人は、空から落ちて来て、言いました。『いい気味だ。いい気味だ。あの気性の激しい女をひっつかまえてやったぞ』。手を伸ばすと、五本の指が、五本の龍の爪にかわっていました。下男は主人の顔を見ましたが、すべて金の鱗になっていました。すると、突然、武挙人が言いました『腹が痛い』。下男『私が揉んでさしあげましょう』。急いで胸をはだけさせますと、全身が金の鱗になっていました。まもなく、武挙人は一匹の龍にかわり、ふたたび天にのぼって行きました。廟の後ろには衣冠墓があり、墓前には石碑があります。お客様、廟の中の神像を御覧ください。武挙人のもとの姿の通りに造ったものです」

話し終わるとハハと大笑いしました。旅人には好事家が多いので、ちょっと見てみようといいました。三人が先に行き、王象藎が四番目に続きました。すると、一人が言いました。

「あなた方は見にいってください。私は荷物を見ていましょう」

四人は廟に入って叩頭しました。神像を見ますと、顔を怒らせ、目は真ん丸、矛のような髭で、恐ろしげでした。片方の手は、前を真っ直ぐに指差しており、前に立っている札には、飛白[16]で「来たな」という四つの大文字が書かれていました。両脇の雷公、風婆、雲童、霓母[17]は、怒っているものは恐ろしく、笑っているものもそれ以上に恐ろしげでした。四人は見終わると廟を出て、飯屋へ行き、騾馬に腹一杯食べさせますと、鞍に乗りました。朝に発ち、夜には泊まって、一緒に北へむかいました。

 内丘県[18]に着いたときには、昼近くでしたので、南関にいって食事をしようとしました。ところが、気候がとても蒸し暑く、騾馬は疲れ、人は汗をかきました。人々は我慢できなくなり、急いで宿に泊まろうとしましたが、十里先で着くことができませんでした。すると、突然、雷鳴が響き、東北の空の端を黒雲が覆いました。雲は遠くから近付き、雷の音はだんだんと大きくなりました。田で働いていた人は言いました。

「東北から海がやってきたぞ」

間もなく、日は覆われ、風は吹きすさび、黄色い山が並んだようになりました。人々は鞭を当てて先へ急ぎました。しかし、あっという間に、風が砂を空一杯に吹き上げました。稲妻は光る赤い綾子のよう、雷鳴は何ものにも例えようがないほどでした。人々は、内丘県に着くことは絶対にできないと思いました。そして、農民は鋤を担ぎ、旅人は荷物を担ぎ、五人で鞭をあてて、二里離れた所にある古廟に向かって急ぎました。古廟まで二箭ほどの所に来たとき、辺りがぱっと明るくなり、天地が真っ赤になりました。光ったのは雷で、音は天地を揺るがさんばかり、雨粒は湯飲みほどの大きさでした。騾馬は風を受けながら前進しましたが、担いでいた竹籠は斜めに吹き飛んでいきました。鋤を担いでいる者だけがびしょ濡れになって、先に廟に入りました。五人は山門に着き、鞍から降りました。その廟は、すでに古くなっており、塀も壁もなく、裏に五間の大きな建物があるだけでした。瓦は落ち、垂木は折れ、空が見えていました。表の三間の山門は、あちこちが歪んでおり、何本かの杉の木の太い柱で支えられていました。五頭の騾馬を引き入れましたが、フェルトの房飾りからはポトポトと水が流れていました。騾馬が驚いて柱にぶつかる恐れがありましたので、五人はここで雨宿りをしようとは思わず、簾のように落ちる水をくぐって楼閣にやってきました。楼閣には、すでに神像はありませんでした。両脇には注ぐように雨が漏っていましたが、東側はややましでした。すでに十七八人の人が先に来ていました。半分は服の乾いている人、半分は服の濡れている人でしたが、同じ場所で固まっていました。急に雷が鳴りましたが、天から落ちてきたものか、地から沸き上がってきたものか分かりませんでした。九節虹霓大砲[19]も、雷と比べれば爆竹のようなものでしょう。それに虹霓砲の響きは、一発、もう一発と響きますが、雷は続けざまになるので、まるで天が崩れるかのようです。建物の上では龍が馬のように鳴き、建物の中ではぷうんと硫黄の臭いがしました。見ますと、あの搭連店で額血竜王を見なかった男が、地面にはいつくばっていました。彼は、急いで人の足をつかみますと、息も絶え絶えに叫びました。

「改心致します。改心致します。二度とこんな事は致しません。二度とこんな事は致しません」

彼は、王象藎の足元に潜り込んできますと、ふくらはぎを抱きかかえて離しませんでした。汗はそそぐように流れ、全身は震えていました。雷はさらに五六回なりますと、だんだんと西南に向かって去っていきましたが、余韻は消えませんでした。唐詩にいう、「楼外の残雷怒り未だ平らかならず」[20]とは、まさにこのことでした。

 さて、空が晴れますと、鋤や荷物を担いでいた者たちは、去っていきました。騾馬に乗った旅人たちは、廟の入り口の倒れた石の獅子を踏み台にして騾馬に乗りましたが、竜王を見なかった者だけは、どうしても乗ろうとしませんでした。彼はすっかり体が萎えてしまったようでした。仕方なく、二人の馬丁が彼を騾馬の背中に乗せますと、鞍に俯せになりました。内丘の南関の宿屋に着きますと、王象藎と仲間の三人は食事をとりましたが、その男は椅子に横になって食事をしませんでした。どうしたのかと尋ねますと、その男は

「吐き気がするんだ」

と言いました。数日たって良郷に着きましたが、その男は毎日何口かの水を飲むだけで、少しも食事をとりませんでした。真夜中になりますと、ついに梁のように、「自ら亡ぶを以て文と為す」[21]という有様になってしまいました。彼の仲間は、彼のために棺を買い、とりあえず路傍に埋めました。墓碑を書くとき、王象藎は初めて彼が読書人の秀才だった事を知りました。

 額血竜王を見なかった男が良郷で死んだ事はお話いたしません。さて、王象藎は旅路で出会った連れと別れ、一人で先を急ぎました。京師に入り、河南の同郷人を訪ねますと、江米巷の中州会館に行って荷物を置きました。そして、車を雇って国子監に入り、主人と盛家の二番目の坊っちゃんに会い、二人に叩頭して安否を尋ねました。盛希僑兄弟は、別れてからあまりたっていませんでしたから、家からの手紙はありませんでした。王象藎が包みを渡すと、紹聞はこっそり開けましたが、優しい王氏がよこした小遣い銭があらわれたので、思わず悲しくなりました。しかし、巫氏がよこした文袋、扇袋、冰梅のよこした文履[22]一対、簣初のよこした帖子をみますと、今度は嬉しくなりました。中には、道台が自ら書いた、京師で買うべき書物の目録が一枚入っていましたので、購入することにしました。王象藎は両家の下男とも時候の挨拶をしました。下男たちは料理を用意して王象藎をもてなしました。譚紹聞が出した慰労の料理が、盛家の二番目の若さまがふるまった食事よりも、さらに立派だったことは、いうまでもありません。

 王象藎は、国子監に十数日おりましたが、万事真心がこもっていたばかりでなく、見識も優れていましたので、盛家の二番目の坊っちゃんはとても喜び、彼を褒めて言いました。

「王中は下男の中で最高の者です。彼のために伝記を書けば、王子淵の便了[23]、杜子美の阿段[24]も、見劣りがするでしょう。将来、彼の子孫のことを、絶対に奴隷と思ってはいけません。もしも代々仕えている奴隷と見做したら、それは我々に良い心がないということです。譚さんは僕のいった通りにしなければいけませんよ」

紹聞

「私もそう思っていました。彼には一男一女があり、男の子はようやく話せるようになったばかりです。娘はしとやかで、まるで一束の青菜のようです。私は彼女を嫁にしようと思っているのですが、この事を話すことができず、あれこれ考えたものの方法がありません。その娘は、幼い頃から簣初と一緒に遊んでいましたから、簣初も嫌がることはないと思いますし、母親も承知するでしょう。母親はいつもあの娘がどこの嫁になるのだろうかねえといって、私の考えを探っているのです。私たち母子は、あの娘を嫁にしたいと思っているのですが、口には出さず、嫁にとろうという話しをしたことはありません。それに、結婚が成立しても、人々から良家の者が下賤なものと結婚するのは、法律違反だといわれるのが心配です。あなたはどうしたらいいと思いますか」

盛希瑗

「今、その娘は家にいるのですか。簣初君も年頃になったのだから、行き来するのもまずいでしょう」

紹聞

「まさにその通りです。王中は、今、城の南の菜園に住んでいます。家では彼が必要で、彼を呼び戻そうと思っているのですが、このことが気掛かりなので、心の中では彼を呼び戻そうと思っても、口では彼を呼び戻そうとはいえないのです。母親の気持ちは、私と同じです」

「婦人を選ぶときは賢い者を選ばなければいけません。立派な家の娘でも賢くない者おり、立派な家の娘が賢くないと、どうしようもありません。譚さん、僕たちは、今では、兄弟のようなものですから、うちのことをお話ししましょう。あなたも知っているでしょう。女房は、名門の出で、彼女の一族や実家には進士が山ほどいますが、彼女はひどい分からず屋なのです。もしも兄が身内を重んじていなければ、とっくに分家していますよ」

「貧乏人の家にもいい娘はいます」

「いい娘はいますが、悪い娘もいます。例えば二人の従兄は、どちらも貧乏人の家から後妻をとりました。二番目の従兄の嫁は真面目な人で、従兄の家にくると、田舎者が城に入ったときのように、いつもいろいろ気を使っています。ところが、三番目の従兄の嫁は賢い人で、自分の家のおかしな決まりを、聖賢の金科玉条と見做しているのです。そして、うちのおじの話すのをみますと、狂っていないものを狂っているといい、いつも気に入ってくれません。生まれた子供は、今では丁酉の挙人になり、将来は大成するでしょう。彼はおじに似ており、外祖父の血を受け継いで、頑固な性格です。従兄弟は年をとって子供をかわいがり、ほったらかしにしているのです」

「もう一つお話ししたいことがあるのです。道台様は丹徒の族兄ですが、先日、簣初のために縁談をもちかけてきたのです。娘は役所にいますが、丹徒の姪なのか、丹徒の従兄弟の娘なのか、そうでなければ道台様の奥さんの姪なのか、道台さまは話してくれないのです。排行はきっと同じはずです。この縁談はいいものでしょうか」

「道台さまとあなたの家が仲良くしていることは、省城中の者が知っています。道台さまは何ごとにも謹厳ですから、妻や姪を役所に連れてきているはずがありません。道台さまは話されていませんが、あなたが先にはっきりと尋ねてみてはどうですか。こういうことなら、王中の娘は簣初の妾にするしかありませんね。君が人から良家と下賤な家との結婚は法律を犯すものだといわれるのを恐れているのであれば、道台さまの縁談を受け入れるのもいいでしょう」

「王中がどうしても承知しないと思うのですが」

「王中が娘を妾にさせないだろうということですか」

「そういう事ではありません。あの王中は下男の中ではお堅い人間です。あれの娘を僕の嫁にすれば、彼は、自分と先代が対等の姻戚同士になってしまうと思うでしょう。結婚が嫌だというわけではなく、彼の心が落ち着かないでしょう。このことを考えると、僕は彼に辛い思いをさせたくないのです」

盛希瑗は笑って

「兄がいなくてよかったですね。あなたが道台様の縁談を受入れたら、兄はきっとあなたを怒鳴りつけ、『結婚のときには問名[25]の儀式をするものだ。ところが君ときたら姓も尋ねず、問名もしようとしない。これは、六礼[26]のうち一つが欠けているということだ。道台様は君を弟と思っているが、君は道台様を役人だと思っている。道台さまが丹徒県の譚家の族譜のことを誠実に考えているのに、君は瑠璃廠で印刷された『縉紳全書』に唯々諾々としているんだ[27]』と言うでしょう。譚さんは王中が心が落ち着かないだろうといわれますが、僕は他にも心配なことがあります。縁談が成立して、王中が娘を轎にのせるとき、彼が涙を流さなければ、そのまま娶って来るべきです。しかし、王中が別れを惜しむ涙を流したら、あなたは『轎から降りてお帰り。お父さんはお前と別れたくないのだ。僕は人に辛い思いはさせない』といわなければいけませんよ」

紹聞は思わず大笑いしました。盛希瑗も大笑いをしました。

 突然、盛希瑗が言いました

「道台様といえば、思い出しました。譚さんは昨日の官報をご覧になりましたか」

「見ておりませんが」

「東の書斎の、広東の蘇年兄の所へ行って、とってきて見せてあげましょう」

「その必要はありません。何なのか話してください」

「昨日の官報に『「河南の開、帰駅塩糧道譚紹衣は昼夜兼行で都に来るように。謁見を賜り、話しをきくことにする」これを欽め(つつし)り』という、陛下の勅命がのっていたのです。兵部の塘差[28]は、もう河南に着いているでしょう。勅旨には『昼夜兼行で』という文字があるから、届くのは速いでしょうからね。官報は、少なくとも十五日で印刷できますし、道台さまが上京するときは、どんなに遅くても五日はかかりませんから、もう都について、陛下に謁見し、命令を受けているかも知れませんよ。どんな大事な用事なのかは分かりませんがね」

「道台さまを訪ね、面会して、結婚の件について尋ねてみましょう」

「野暮なことを。道台さまは勅旨を奉じて上京するんですよ。きっと朝廷ではとても重大なことがあるに違いありません。あなたが面会して簣初君の結婚について相談するなど、天宮で奏でられる黄鍾大呂[29]の楽に、蟻の言葉をまぜるようなものですよ。少しでも会うことができるのなら、道台様は人を国子監に遣わしてあなたを呼んでいることでしょう。しかし、大事な仕事がある場合は、もう都を出ているかも知れないし、仕事が機密を要するものなので、同郷の親族をさけているのかも知れません。あなたは静かに待機されるべきで、少しもここから離れられてはいけません」

 話しをしていますと、国子監の下役が、一人の男を案内してきて、言いました。

「こちらが譚さまです」

紹聞が見ますと、梅克仁でした。梅克仁は言いました。

「道台様が会館で立って旦那さまを待っています。入り口に車がございます。急いで車に乗られてください。仕事が終わったら、道台様はすぐに兵部に行かなければなりません」

盛希瑗

「すぐに行かれてください。身なりをととのえる必要はありません。僕が送りましょう」

 彜倫堂の表門から送り出しました。紹聞は車に乗りました。梅克仁は轅に跨がり、走れと声を掛けますと、車輪の音は、大成坊を出て、前門外の江南会館へと向かいました。

 どんな相談があったのかは、次回で申し上げましょう。

 

最終更新日:2010114

岐路灯

中国文学

トップページ

 



[1]朱一新等撰『京師坊巷志』巻十「外城北城、騾馬市大街、縄匠胡同」「或作丞相、井一。北有伏魔寺、有中州休寧潮州諸会館、小胡同井曰小井胡同、井一、東曰口袋胡同」。現在の北京市宣武区菜市口付近。

[2]両方に歯のついたフォーク状のものを向かい合った二人の人間が押し合う芸。

[3]北京市崇文区にある。

[4]北京市朝陽区にある。

[5]北京市朝陽区にある。

[6]橋の名、北京の西城区、北海と中海の中間にある。

[7]北京市西城区にある妙応寺のこと。遼の寿昌二(一〇九六)年の創建。元代の白塔がある。

[8]北京市西城区にある寺。明の成化三(一四六七)年の創建。

[9]直隷の県名。

[10]直隷定州の店名。

[11]直隷の県名。

[12]河南省の県名。

[13] 「死なばもろとも」の意。

[14]河南省彰徳府の北のはずれにある鎮名。

[15]搭連を売る店か、村名と思われるが未詳。

[16]書体の一つ。

[17]雷、風、雲、虹の神。それぞれ老人、老婆、童子、婦人の姿をしている。

[18]直隷順徳府。

[19]未詳。

[20]陳與義『雨晴』。陳與義は宋の詩人なので、ここで「唐詩にいう」とあるのは誤り。

[21]孔子は、梁が秦に滅ぼされたとき、『春秋』に、「梁亡ぶ」と記した。晋の杜預は『春秋』の「梁亡ぶ」という記述に「自ら亡ぶを以て文と為すなり、取者の罪に非ざればなり、梁を悪む所以なり」と注釈を施した。『岐路灯』の本文は、「男が梁のように自業自得で死んでしまった」という意味。

[22]装飾を施した履物。

[23]王褒の下男の名。『僮約』にその名が見える。

[24]杜甫の下男の名。『示獠奴阿段』にその名が見える。

[25]主人が書を備え、使者を遣わして女の生母の姓氏を問わせる礼。

[26]納采、問名、納吉、納徴、請期、親迎。

[27] 「道台さまは君を親戚だと思っているのに、君は道台さまの事をお役人だと思って遠慮をしている」の意。

[28]官報を届ける役人。

[29]黄鍾とは中国古代の音楽十二律の中の六種の陽律の第一律。大呂とは十二律の中の六種の陰律の第四律。黄鍾、大呂はしばしば連用され、荘厳、正大な音楽の代名詞とされる。

inserted by FC2 system