第百二回 

書経房で冤罪で死んだ幽霊が試験の答案を拾うこと

国子監で実の兄が金を送ること

 

 さて、譚紹聞、盛希瑗と婁樸は、中州会館に行きました。会試の期日が近付いていましたので、河南省の挙人で、すでにいっぱいでしたが、ちょうど三間の空き部屋がありましたので、三人で泊まり、とりあえず荷物を預けました。下男は国子監の下役の空き部屋を探して泊まりました。

 試験が近付きますと、譚紹聞、盛希瑗は、婁樸が試験場に入るのを手伝おうとしました。挨拶すべき客、届けるべき手紙には、目もくれようとしませんでした。そして、試験が終わったら、国子監に咨文を送り、到着の手続きをすることにしました。婁樸の試験用具は、すべて譚、盛の二人が下男に命じて、買いととのえさせました。婁樸は普段からじっくり勉強をしていましたが、表[1]、判[2]、策[3]、論[4]に関しては、行李を開いて、見直しをする必要がありました。三人は同じ車に乗り、毎日、旅路の古跡について話しをしました。『人にとって最も楽しいのは友をもつこと、友をもって最も楽しいのは話しをするとき』とはまさにこのことでした。話しの楽しみは感動したり、自由に語ったり、真面目な話しや冗談、優雅な話や俗な話しが交じり合うところにあります。この楽しみは、長い間読書を続けてきた楽しみにも、替え難いものがあります。試験の日が近付きますと、試験規則にざっと目を通しました。寸暇を惜しんで勉強しますと、勉強にも慣れ、楽しくなりました。譚、盛の二人は、婁樸が試験場に入るための準備をし、まるで父兄が弟や甥の面倒を見るかのように、何くれとなく思いやり、奴隷が主人に仕えるかように、何もかも周到にしました。婁樸は勉強に専心し、一日の勉強量は、家にいた時の十日分に匹敵しました。夢の中の寝言も、経[5][6]や子[7][8]に関することばかりでした。

 点呼の日になりますと、下男が手に籠を持ち、小者が毛氈の包みを肩に担いで、貢院[9]の轅門に行きました。そして、空いた所を探し、毛氈を敷きました。三人は籠の中の物を、一つ一つ並べてじっくりと見ました。紙の切れ端も、一つの文字も、細かく検査し、まったく何もないと、ふたたび一つ一つを籠に入れました。

 急に、試験場内で持ち込みがあったという噂が流れました。東の轅門の者は西の轅門で、西の轅門の者は東の轅門で、持ち込みをした者が枷に掛けられていると言いました。さらに、順天府尹の役所に人が護送されたという者や、御史が試験場内の空き部屋に人を護送させ、点呼がおわったら取り調べが行われるという者もありました。人が多かったので噂が乱れとび、嘘が真として伝えられました。受験者は疑心暗鬼になり、試験場に持ち込んだ籠に経書が入っているような気がし、文字を書いた紙が中に入っており、除かれずに持ち込まれているのではないかと思いました。点呼を受けて轅門に入りますと、包みを開いて中を丁寧に点検しました。この時ばかりは、功名を得ようという気持ちは、空の彼方に忘れてしまい、試験場の規則を犯さず、枷をはめられたり学生の地位を剥奪されたりさえしなければ、状元に合格するのと同じくらい幸せだと思いました。ですから、貧乏書生が状元に合格しますと、彼はとても喜び、目の涙は、思わず自然に流れてくるのです。

 以上も余計なお話しです。婁樸が点呼を受けたことを話すべきです。さらに外監試[10]が点呼を行っている所へ行きますと、大声で、

「検査の結果、不正はありません」

解答用紙をわたす所へ行きますと、一人一人に解答用紙が配られました。龍門[11]を通り、号房[12]を見付け、東西に分かれ、部屋番号に従って部屋に入りますと、老軍[13]がカ─テンを釘で打ち付けたり、籠を掛けたりました。同じ号房の友人たちを見ますと、本籍は江蘇や、浙江や、山西や、陝西だと言っていました。郷試に合格した年を尋ねますと、先輩や、同年や、後輩がいました。ある者は先祖同士が同年だということを述べ、ある者は父親同士が同僚だったということを述べ、とても親しく、とても打ち解けました。日が落ちますと、毛氈を敷いて、腰掛けたり横になったりし、三寸の蝋燭のもとで語り合い、狭い部屋に七尺の体をおいて、鋭気を養い、翌日の試験を待つばかりでした。中には三更まで話しが弾んで寝ようとしない者もいました。

 五更に問題用紙が発表されますと、老軍が叫びました。

「皆さま、問題を御覧ください」

号門[14]には、蜂が群がるように、わいわいがやがやと人々が集まりました。問題を見た者は、鬢をなで、唸りながら戻り、問題を見ていない者は口を開けて息を切らしながらやってきました。日が東にのぼりますと、硯に水をさして筆を濡らし、それぞれ優れた考えを述べ、理を説きました。老学究は髭を扱きながら問題を解き、確固とした見識をもっているようにみえました。美少年は膝を揺らしながら筆をとりましたが、傍らに人がいないかのようでした。日が落ちる頃になりますと、雷のような鼾をかいて眠る者、茶を求めて歌をうたうような声を出す者、それぞれがその天性に従い、以前勉強して良く知っている事柄について述べました。答案を汚してやめてしまった者もあり、三年はあっという間だったと思う者もあり、答案をかえて清書する者もあり、一刻は千金だと嘆く者もありました。翌日の答案提出の時になりますと、選択した五経の問題に従って答案を提出し、証明書をもって退出しました。

 東西の轅門には、下男が迎えに来ましたが、その様は、母親を見付けた子羊のようでした。それぞれは旅館に泊まりましたが、その様は、鳥が林に帰るかのようでした。譚、盛の二人は、婁樸を見ましたが、その様は、将軍が陣に臨んで帰ってきたときに、兵卒が顔中に労いの表情を浮かべるときのようでした。婁樸は、譚、盛の二人を見ますと、長いこと隔たっていた友人が、道端で急に会った時のように、喜びにたえませんでした。旅館に着きますと、洗面器、喉を潤す湯のみが出されました。食事が並べられますと、婁樸は、どの問題はよく分かったが、どの問題はすぐにはよく分からなかった、どの文章はすぐに書けたが、どの文章はなかなか書けなかったと言いました。譚、盛の二人は、

「きっと合格ですよ」

と言いました。婁樸

「まったく望みはありませんよ」

 二回目の試験も、試験場の規則は前と同じでした。婁樸の論、表、判語は言葉遣いが優雅で、対句は巧みでした。三回目の試験になりますと、試験場の規則は前と同じでしたが、あまり厳しくありませんでした。受験生たちは互いに詳しく問答をしあい、優秀な成績なのに更に追い込みを掛ける者もあれば、最後のあがきで何とか答案を書き上げる者もありました。三回の試験が終り、三人は試験場の前の小さい宿屋を離れて、中州会館に戻りました。

 受験生の任務がおわりますと、試験場の中の人々の大仕事が始まりました。弥縫官[15]が名前を糊付けし、謄録所に送り、厳しく監督をして一字もいい加減にすることを許しませんでした。謄録官[16]が答案を対読処[17]に送りますと、対読処では、謹厳に、一字の誤りも許しませんでした。対読が終わりますと、至公堂から至明堂に移り、分房[18]が答案を見ました。「薦」[19]、「取」[20]、「中」[21]と評された者は、選ばれて合格した者でした。推薦されずに落とされたり、何度も推薦されながら落とされた者は、不合格だった者でした。

 さて、婁樸の貢の五号の答案は、書経二房の翰林院編修[22]邵思斉字は肩斉の部屋に送られました。この邵肩斉は江南徽州府歙県の名士で、嘉靖二年の進士で、散館[23]となったときに休暇を請うて墓を修理し、休暇が終わってから京師に行き、編修の地位を授けられたのでした。この人には大人の風格があり、心は穏やかで、学問は深く、仕事ぶりは謹厳でした。貢の五号の答案を見ますと、とても褒め、札をつけて、「薦」の字を書きました。三日目の試験の五番目の策を読みますと、包孝粛[24]の賢い所を説いて、「豈に関節必ず到るの区に非ざらんや」[25]といっていました。何度も読みましたが、よく分かりませんでした。三日目の試験はみな良いでき栄えでしたが、この一句だけは解釈に苦しみました。それに「関節」[26]の字があったため、心の中で嫌な感じだと思い、仕方なく総裁[27]に報告しました。

「どの答案も良いのですが、この一句だけはよく分かりませんので、すぐに推薦する訳にはまいりません。総裁さまに相談いたします」

総裁はちょっとみますと、言いました

「この答案は合格させてよいが、この句はどうしても解釈できん。天子さまは、先日、経筵[28]で『宋の大臣で、合肥の包拯だけは、孝の字を諡号にすることができたが、これは昔から謹厳な臣下には、親孝行でないのに硬骨であるという人物はいなかったからである』と仰っていた。天子さまのお心は分かりにくいが、多分宮門で哭泣した大臣たちが、孝をもって君主に仕えず、勇敢に諫言をしたという名声を得てことさらに自分の剛直さを示そうとしたということを言っているのだろう。これが策問の趣旨だ。挙人の答案の中で、この趣旨を理解している者は、文章が少しでもましに書けていれば、合格させて、陛下にお見せすることができる。しかし、この答案は『関節必ず到る』などということに言及している。それに天子さまは今、青詞[29]を起草して長寿を祈願されている。この答案の中には他にも『閻羅』の二字がある。もしも禁忌に触れ、厳しい勅旨が下されたら、試験官は申し開きができない。この答案は不合格にするしかない。三年後にまた鋭気をふるってもらう事にしよう」

邵肩斉は仕方なく答案を袖に入れて部屋に戻りましたが、可愛そうなことをしたと思いました。答案をテ─ブルの上に置き、袍の袖を振りますと、答案は地面に落ちました。邵肩斉は拾うのも面倒でした。そして、他の答案を見ました。

 三更を過ぎますと、ふたたびいい答案がありましたので、とても喜んで、「薦」の字をつけました。後は明日の上呈[30]を待つばかりでした。やがて、急に元気が出てきたので、答案を一つ取り出しました。しかし、貢の五号の答案でしたので、とても嫌な気分になりました。そして、下男が拾い上げてまちがって机の上においたのだと思い、床に放り投げてしまいました。

 やがて、喉が乾きましたので、一声

「茶をくれ」

と叫びました。下男は壁ぎわで眠っていました。肩斉はさらに一声、

「茶をついでくれ」

と言いました。台所のお茶酌みは、眠っているわけにもいきませんでしたので、急須を持ってきましたが、中に入りますと、急に一声

「ああっ。旦那さまの右側に若い女が立っています。女が─。答案を拾って、叩頭して、いなくなりました」

と叫び、持っていた急須を床に落としてしまいました。邵肩斉はぎくりとし、思わず左右を見回しましたが、影も形もありませんでした。蝋燭の光で、筆立てが右手の床に影を落とし、壁ぎわまで伸びていました。少したちますと、邵肩斉は言いました。

「ここをどこだと思っているのだ。勝手な事をいうのは許さん。茶をついでくれ」

壁ぎわで寝ていた下男も、びっくりして目を覚まし、茶を注ぎました。肩斉は一口飲みますと、ふたたび筆をとり、墨をつけて答案を読み始めました。筆立ての影は、蝋燭の火が揺れるのにしたがって揺らいでいました。

 翌日、各部屋の試験官は、それぞれ答案を手にしていました。邵肩斉は、手に三つの答案を持ち、昨夜の事を逐一説明しました。総裁

「あなたの仰る事は、ありえようもないことです。私はもう一度文章を見てみましょう」

そこで、邵肩斉は答案を提出しました。二人の総裁は、代わる代わる答案を見ましたが、賞賛してやみませんでした。副総裁は、

「『豈に関節の必ず到るの区に非ざらんや』とは、もとの答案を検査しても、やはりこの通りです。これは「不」の字を書き忘れただけのことです。幽霊の話しは、郷試、会試の試験場の外で話すことはできますが、試験場では話してはいけません。百数十位で合格させればいいでしょう」

と言いますと、筆をとって「取」の字をつけました。正総裁は「中」の字をつけ、答案を至明堂に残し、合格させることにしました。合格発表の時になりますと、婁樸は百九十二名に合格しました。そして、後に殿試[31]を受け、謁見をし、兵部職方司主事[32]に選ばれました。

 その後、婁樸が試験官に謁見したとき、邵肩斉は幽霊の事を話しました。婁樸はどうしてそのような事が起こったのかまったく分かりませんでした。ある人は、これは済南郡守の婁公が、青州府[33]で、冤罪をすすぎ、陰徳を積んだからだと言いました。後に婁樸が父親に尋ねますと、潜斎は考え込んで返事をしませんでしたが、一言、

「わしは地方官の職について、十五年になるが、人民に罪がないときは、良心を欺くようなことをするのは難しいと思っているだけで、お前たち子孫のことを考えたことはない。ただの蝋燭でできた影だろう」

 さて、盛、譚の二人は、礼部の合格発表の前に、自分で咨文を提出し、到着を報告しました。国子監では彜倫堂[34]に登録されて勉強に励みました。婁樸が殿試を受け、伝臚[35]を受け、配属が決められますと、彼ら二人は婁樸の手伝いをしようと思いました。しかし、それだけの力はありませんでした。そして、他人の手伝いができませんでしたので、自分の勉強に専念することになりました。婁樸は兵部に入りますと、しばしば国子監に会いにきました。婁樸は合格経験者でしたから、祭酒[36]が批評した文をもとにして、さらに討論を行いました。譚、盛はまじめに勉強をし、文芸に精進しました。

 少しでも暇があるときは、天下の英才と談論しました。初めに、貴州、四川の読書人と、藍廷瑞、朿本恕の二人の賊が乱を起こした[37]原因について話しをしました。さらに、浙江、福建の読書人と、日本国が漢奸に誘われて、武力を用いて抜扈し、沿海の群邑が蹂躙されているということを話しました。浙江の読書人は言いました。

「火攻めにすれば、破ることができるかもしれませんが、残念なことに中国にはまだこれを用いる者がいないのです」

譚紹聞

「中国の虹霓大砲は、火攻めではありませんか」

浙東の寧波の人は、兵書に詳しく、軍事について語るのが好きで、答えました。

「虹霓砲では彼らを防ぐことはできません。彼らの船は機敏で迅速なのに、大砲は数百斤の重さがあり、移動するにはたくさんの人と時間がかかります。行き来する船に狙いを定めて発射したときには、船はすでに去ってしまっているでしょう。私たちは島で防衛に当たるのです。島は動きませんが、彼らの船は動きます。彼らは機を得れば島を攻め、機を得られなければ通り過ぎていきます。そして、沿海の郡邑や村におしよせては、殺戮をほしいままにするのです。我々は、今、国子監で勉強をしていますが、心の中では故郷のことを心配していて、いつも忘れる事ができないのです」

紹聞

「お尋ねしますが、この火攻めの法とは、いったいどのようにするものですか」

浙江の読書人

「わが中国の元宵節の仕掛け花火などは、大変よいもので、金属の矢よりも威力があります。天下には万夫も太刀打ちできない勇者がいますが、蛇を見て驚かず、火にあって避けない者はありません。倭寇は胸をはだけ、腕を捲っていますから、火箭を受ければ体が焼けます。火箭が船に入ればその船を焼くことができ、船の苫に当たれば帆柱を焼くことができます。また、瞬時に数百千発を連発できます。虹霓砲では、船を砕くことはできますが、船を焼くことはできません」

譚紹聞は、元宵節に故郷の鉄塔寺で仕掛け花火を見たが、火箭が人がたくさんいる所に打ち込まれれば、たった一本でも、大勢の人が避けていた、人の衣服にあたりますと、火が着いてなかなか消えなかった、ということを思い出しました。昔、金兀朮[38]が黄天蕩[39]で、火箭で韓釐王[40]の戦艦を焼いて、逃げることができたというのは、多分このことだと思いました。話しがおわりますと、ふたたび書斎に戻って勉強をしました。一日勉強しますと、しばしの休息をとりました、勉強に専念したり友人と愉快に過ごしたりするのは、とても楽しいことでした。

 ある日、譚、盛の二人は、率性堂[41]の食堂に、昼食をとるために入ろうとしました。すると、急に一人の男が入ってきて、言いました。

「外城からここまで、十五里あったよ」

顔を挙げて見てみますと、盛希僑でした。二人は驚き喜び、じっとしていられず、急いで席を勧めて

「食事はとられましたか。また食事をとりましょう」

盛希僑はちらりと見ますと、言いました

「これは飯とはいえんな。君達は辛い思いをしているだろう」

 腰を掛けますと、盛希瑗

「母さんは元気ですか」

盛希僑

「最近とても元気で、杖もいらないが、心の中ではお前のことを思っているようだ。俺がお前が京師にいて熱心に勉強しているというと、母さんはとても喜んでいる。お前、すべてはお前に掛かっているぞ。俺に母さんへの嘘をつかせないでくれよ」

紹聞

「私の家はどうでしたか。手紙はありますか」

盛希僑

「俺が来るとき、蕭墻街にいったが、家の人達はみんな元気だったよ」

盛希瑗

「うちはみんな無事なのですか」

「うちの人達が無事だったら、俺がきたりはしないよ」

盛希瑗は立ち上がって尋ねました。

「何があったのです」

「お前の義姉さんが俺の目の前で取り乱したんだ」

「声を小さくしてください」

「身の程知らずは、どこの家にもいるものだ。何を恐れているんだ。きれいさっぱりお前に話そう。俺の義兄の銭二哥が、春に華州[42]からやって来た。妹に会いにきたんだ。俺は他省の遠い親戚が、大した用事もないのに、驢馬を引き、年をとった下男を従えて、往復二千数里の道を、何をしにきたんだろうと思った。それに、俺の舅は進士に合格したが、一回役人になっただけで、大して金をもっていない。義兄は譚君と同じで、副榜に合格したから、将来副官ぐらいにはなるだろう。今回、義兄が河南にやってきたのは何のためだったと思う。三日たった日の夜、晩酌をしたとき、銭二哥はこう言ったんだ。『私は今回、用もなく来たのではありません。私は希僑さんと希瑗さんに物を届けにきたのです』。そして、搭連を開きますと、ずっしりと重そうな物をとり出した。品物は、黒の首帕でくるまれ、赤い紐で縛ってあった。開いて見てみますと、六本の黄金、四対の金の腕輪だった。俺が『何でこんな物を』というと、義兄は言った『これはあなたの家のもので、妹がうちに置いていたのです。今年、私は出仕いたしますので、きちんと渡しておかなければ、なくなってしまうかも知れません。しかし、希瑗さんが家にいないので、立ち会いの下で引き渡しをすることができません』。俺が『こんな物があったとは知りませんでした』と言うと、義兄は言った『あなたがご存じなかったのなら、いっそのことあなたがお納めください。妹に知らせる必要はありません。そうすれば、争いが起きなくてすみますから』。義兄が懇ろに俺を説得したので、俺は仕方なく受けとった。一日たつと義兄は帰ろうとした。俺は馬車を一台借りてやり、旅費の銀子三十両を与え、義兄が華州に帰るのを送った。俺はこれはきっと母さんの十本の金の一部だろうと思ったが、腕輪は、俺にもどこの物だか分からなかった。お袋は自分の金が六本なくなったことを知らないから、この事は決して母さんに知らせてはならん。老人には嫌な思いをさせてはいけないからな。俺は思うんだ。諺に『老人は下の子供を可愛がる』というが、お前は母さんの末っ子だから、母さんはお前の方を愛しているはずだ[43]

「兄さん、何を仰います」

「ああ、俺のような人でなしが、家の財産を半分もっていても、母さんは当然俺のことを嫌だと思うだろうし、俺だって自分自身を嫌だと思っているんだ。お前はよく勉強するから、母さんもお前を贔屓している。ところが、今ではお前はひどい飯を食っている。俺は母さんの気持ちがよく分かるものだから、お前が使う金をもってきたんだ。よく勉強するんだぞ。婁君はもう進士に合格した。婁君とは昨日会ったよ。彼は済南府からはまだ誰もこない、数日内に必ず来るだろうが、ここ数日は手元不如意だ、と言っていた。俺は銀塊をもって外城を出て、百六七十両の銀子に換え、彼に百両与えて、使わせた。済南から銀子がきて、婁君が俺たちに金を返せば、彼に貸したということになるし、返さなかったら、あの人にお祝いをしたということにしよう。あの人の金が足りないときは、さらに百両を送り、俺たちの友達が都で辛い思いをしないようにしてあげよう。譚君には、腕輪を一対あげよう。─すぐに手にはめてごらん─俺は、装身具屋にいって、五十串銭を君達二人に届けようと思っているんだ。粗末な物を食って、腹を空かせて痩せたりしないでくれ。俺は家に戻って母親に、お前は太っていたといおう。譚おばさんには、譚君も太っていた、京師に入って会ったがまったく見違えていた、といおう。老人を喜ばせ、心配させないようにすればいい。勉強はお前たちのお得意だ。譚君は、はやく手紙を書いてくれ。俺は京師で、一二か月とまるかも知れないし、三四日で帰るかも知れないからな。俺が泊まっている宿屋は猪市巷の河陰石榴店の東にあって、鼎興客寓というんだ。会いにきておくれ。じゃあ俺は帰るよ」

「兄さんについていきますよ」

「先生が怖くないのか」

紹聞

「ここは州県の書院と同じです。学正[44]、学録[45]は書院[46]の山長[47]と同じで、故事に従って形式的な文を書くだけのことです。外に出て五六日泊まっても、何ともありません」

「それなら、今すぐに行こう。いっそのこと今夜は戻らず、みんなで話しをすることにしよう。だが、戸締まりはどうする」

盛希瑗

「門番に任せますから、心配ありません」

「小者たちも車に乗せて、外城へ行こう。この方家胡同[48]は、ありふれていて[49]、何も見るものがない。俺は、彼らの中で誰が帰りたいと思っているか尋ねて、僕と一緒に自由に帰らせることにしよう。ここに人が多くいても役に立たない。この金も一緒に持っていって、宿に置くといい」

 四台の車を呼ぼうとしますと、ちょうど三人の蘇州の貢生が客に挨拶をして戻ってきました。そこで、車を門の所に止め、値段を交渉しますと、一言で話しが決まりました。さらに、車一台を来させますと、主人と下僕はそれぞれ腰を掛け、海岱門から城を出て、鼎興客寓にやってきました。

 その晩の事はとばします。翌日のことでしたら、次回でお話しいたします。

 

最終更新日:2010114

岐路灯

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[1]文体の名、事理を明白にして君上に告げる文。

[2]文体の名。断罪理由書。

[3]管理登用試験に、題を設けて経義や政治上の意見を試問すること。また、その文体。

[4]文体の名。自家の意見を述べ主張する文。

[5]聖人の書。

[6]賢人の著作。

[7]諸子の書。

[8]史書。

[9]試験場。独房が並び、外部と遮断されている。(図:宮崎市貞『科挙』)

[10]会試の試験官。採点官である内監試 に対し、現場監督官をいう。

[11]科挙試験場の正門。

[12]試験の答案を書く独房。

[13]雑役をする兵卒。

[14]号房の入り口にある門。

[15]科挙の時、試験官が受験者に情実を加えないよう、試験の答案に書かれた受験者名を糊づけする官。

[16]科挙の試験の答案を謄写し、採点者に送る官。

[17]謄録官が謄写し終わった答案を読み合わせて誤りを正す場所。

[18]試験官。

[19]同考官が良い答案につける批語。

[20]副考官が良い答案につける批語。

[21]正考官が良い答案につける批語。

[22]国史編纂を司る官。

[23]清代、翰林院に庶常官があり、進士が庶吉士となって三年の後、試験を受けて各々その任に着くこと。優等者は留館して編修検討に任ぜられ、平凡な者は館を出で主事知県に任ぜられる。

[24]包拯のこと。宋、合肥の人。字は希仁。諡は孝粛。京師の人々は、彼のことを、「関節到らざるは、閻羅包老あり。」(賄賂が通じないのは、閻魔さまと包さまだけだ)と言った。

[25]原文「豈非関節必到之区哉」(わたりをつけることができない人ではない)。

[26]賄賂を渡して役人に渡りを付けること。

[27]会試の主司。

[28]天子が経書の講義をする席。

[29]道教の祭祀に用いる文章。胡孚主編『中華道教大辞典』五百五十九、千五百六十頁参照。

[30]同考官から正副考官に試験答案を上呈すること。

[31]科挙の最終試験。

[32]測量をおこなう正五品の官。

[33]山東省。

[34]国子監の堂名の一つ。 (写真を見る)

[35]科挙合格者の名を呼び上げること。

[36]国子監長官。

[37]正徳年間、四川、貴州で起こった農民反乱の指導者。

[38]完顔宗弼。金の太祖の第四子。岳飛と戦ったことで有名。

[39]南京の東北の地名。

[40]宋の将軍韓世忠のこと。釐王に封ぜられたので、韓釐王という。

[41]国子監の中にある堂の名。

[42]陝西省。

[43]原文「全当壑娘与低抬着哩」。「与〜抬着」は「〜を偏愛する」という河南語。

[44]国子監の官。学規を行う。

[45]国子監の官。

[46]旧中国の私設の教育機関。

[47]書院の長。

[48]国子監のすぐ南にある、東西にのびる道。現存。

[49]原文「鬆的很」。河南方言。

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