第百回 

王隆吉が親を喜ばせて父母の誕生日を祝うこと

夏逢若が罪を犯して辺境に流罪となること

 

 さて、譚紹聞は、張正心、婁樸とともに盛氏兄弟の下を辞し、車に乗って帰りました。その晩は何事もありませんでした。翌日の朝になりますと、履歴書を書き、盛家に送って礼部への咨文を準備し、上京の計画をたてようとしました。すると、まだ朝食をとらないうちに、従兄の王隆吉がやってきました。王隆吉は、伯母にあうと挨拶をして、言いました

「先日、伯母さんが家に来られた時、私は外で綿花を売っていました。家に戻りますと、母は伯母さんが行ってしまったと言っていました。私は伯母さんがしばらく家に戻られず、きっと泊まられるだろうと思っていたのですが、伯母さんは帰られてしまいました。昨日は、父が漢口[1]から帰ってきましたが、紹聞が会いにきました。そして、朝食をとりますと、急いで盛家に行きました。盛家に呼ばれたと言っていました。彼を引き止めることはできませんでした」

「盛家はお前は呼ばなかったのかい。お前は福児、夏さん、盛さんと兄弟の契りを交わしたんだろう。盛さんが福児しか呼ばないはずはあるまい」

隆吉は答えました。

「義兄弟などといっても、一時的な付き合いに過ぎません。三日会わないときは、互いのことを思いますが、時間がたてば、疎遠になり、あっても知らぬ振りをし、思いだしもしません。紹聞が副車に合格したので、郷紳や金持ちの坊っちゃんたちは、彼と付き合おうとしていますが、私は商売人ですから、仲間になることはできません。夏さんは役所に住んでいるので、ますますまともな場所に出入りしようとはしなくなりました」

「男達は、みんなこの調子だ。私たち女が義姉妹の契りを交わすときは、二年会わなくても懐かしくてたまらないのに」

「男達は義兄弟の契りを結ぶ必要はありません。しかし、女達が義姉妹の契りを結ぶのは、もっといけないことです」

「お前の伯父さんが生きていたときは、いつもそう言っていた。私はあの人の性格が偏屈だから、仲間を作る者をけなすのだと思っていた。まさかお前までが、そのようなことを言うとは思わなかったよ」

「私は伯父さんには及びもつきません。伯父さんは生前、婁、孔、程、張、蘇の諸老先生とつきあっておられました。あの人達は、伯父さんが生きていた時は親友の間柄でしたし、伯父さんが亡くなってからも友情は変わっていません。しかし、あの人達は義兄弟の契りを結んでいませんでしたよ」

「あの人達のことは私も知っている。あの人達は、伯父さんが死んでも、伯父さんが生きていた時と同じように私たち一家と付き合ってくれる。今になってあの人達が本当の友達だということが分かったよ」

王隆吉は笑って、

「伯母さんに笑い話を致しましょう。私が先日店に座っていたら─この省城の第三巷の丁さんは、都に行ったことがあります。彼は世の中で経験を積んで、至る所に友人がいるという話しです。彼は店に銀子を持ってきて銅銭にかえ、二万銭使おうとしたので、私は金を持ってきてやりました。彼の銀子は、二十両足りませんでしたが、腰の財布から小さな銀子の包みを取り出して付け足すと、ちょうど足りました。彼は銀子を袋ごと私に渡しました。包みを見ますと、字が書かれた赤い帖子でした。よく見ますと、彼が帖子の交換をしあった友人の先祖三代と子孫の名が書かれていました。京師にいた時は、仲良くし、親しくし、今日は酒、明日は料理、今日は劇場、明日は女に歌を歌わせたりしていたでしょう[2]。しかし、京師を出ますと、一か月もたたないうちに、友人の友人の先祖三代および子孫の忌み名を腰に入れ、他人に与えて、そのことに気が付かないのです」

譚紹聞は思わず笑いだし、簣初は溜め息をつきました。

 朝食ができ上がりますと、紹聞は隆吉をおもての広間に招きました。隆吉は書店、表門を見ますと、小声で言いました。

「これは王中が菜園で掘り出した銀子でうけもどしたのかい」

「その通りです」

「有り難いことだ。僕たちは実の従兄弟同士だが、僕がもし銀子を手に入れたら、僕はお前に黙っているだろうよ。お前に幾らかやろうにも、お前は少い方の金をもらえば、多い方の金も欲しいと思い、僕を告訴するだろうからな。王中はあっぱれな、得難い男だよ」

「一千両の銀子が有り難いのではなくて、あの心が有り難いのです。彼にこんな良いところがあるのですから、うちの興官児、用威相公も、以後ずっと彼を疎略に扱ったりはしないでしょう。良心が許しませんからね。今でももう下男扱いにはしていませんが、まだ彼の投詞[3]を返していないのです。時間がたてば、彼の家の子孫は、世間から罵られ、代々譚家の奴隷だと言われることでしょう。どうしたら彼らと縁結びをして、姻戚になり、世間に非難されるのを避けることができるでしょうか。これはもっとも難しいことですが、僕はまだ考えを決めていません。彼を他の省か府に行かせるにしても、彼がいなくなると困りますし、彼も行こうとはしないでしょう。彼の息子が遠くへ行くのを待つにしても、ようやく満月を過ぎたばかりです。ゆっくり考えましょう」

 「王中のことは、お前がゆっくり考えればいい。しかし、僕のことに関しては、すぐに良策を考えてくれ」

紹聞は笑って

「何か大事な用事があるのですか」

「この十三日がお前の叔父さんの誕生日だが、お前は来るかい」

「毎年行っています。外甥が叔父さんの誕生日を忘れるはずがないじゃありませんか」

「お前の叔母さんの誕生日は十五日だが、お前は来るかい」

「行かないはずがありませんよ。私が小さかった頃、いつも母と一緒に三日泊まり、十六日に帰りました。私はまだ覚えていますよ。兄さんだって覚えているはずです」

「誕生祝いの事で、叔父さん、叔母さんの二人は、今、ひどく仲違いしているんだ。どうしたらいいだろう」

「毎年行っていることなのに、何で仲違いしたのですか」

「今、曲米街の隣近所、街の商店が、劇を送ろうとしているんだ。十三日の朝に劇が来て、十五日まで上演する予定だ。夫婦二人の誕生日には、錦の帳、楽隊、爆竹を鳴らす人を送るんだ」

「叔父さんと叔母さんは、若い頃はあまり豊かではありませんでしたが、今では財産を築かれ、あなたと一緒に二つの市房、五頃あまりの土地、菜園一か所を買われ、孫や孫娘もおありです。街の人々から厚意を寄せられ、提灯や薬玉を掛けた小屋に腰掛け、近所の人々の祝い酒を飲み、おめでたい劇を何幕か見ることができるのも、叔父さんが世間を渡って金を稼ぎ、あなたが孝行を尽くしているからだというのに、何か問題があるのですか」

「親父がどうしても承知しないんだ。漢口から帰ったときに、街ではお祝いをしようといって騒いだが、親父は承知しようとしなかった。すると、街では招待状を出そうとした。親父はそれを知ると、晩に酒に燗をつけ、僕を帳場に呼んで、この話しをした。僕が酒を注ぐと、親父はそれを飲みながら、こう言った『そんな派手なことをしたら、たくさんの人と付き合わなければならなくなる。お前は一人で店を守っているのに、よそさまに返礼をしたり、よそさまが祝いごとをするのを探ったりしなければならなくなる。応対に追われれば、商売をすることもできなくなる。わしは年をとったから、お前が一軒一軒自分で挨拶に行かなければならない。それに、人様への挨拶が遅れれば、よそさまを怒らせ、将来ひどい目にあう恐れもある。わしは料理を一席分用意して、鍋で麺を煮て食えば満足だよ。わしはお前がよそさまのことであたふたすることは望まないよ』」

「叔父さんは息子のあなたが可愛いのです。あなたは『礼物を贈るのはこの城内の人々に過ぎず、城の外の人は多くはありません。誕生祝いの礼物の帳簿を残し、よそさまの家で冠婚葬祭があるときは、午の刻にいき、未の刻に戻れば、よそさまに失礼と思われませんし、こちらも時間をとられません。お父さん、どうかご安心下さい』と言うべきだったのです。交際は大事な礼儀です。門を閉ざして飯をたらふく食べることが、人生に一度しかないというわけでもないでしょう」

「僕もそう言ったのだが、親父はどうしても承知しなかった。親父は話しながら、目に涙を浮かべ、手には酒をもち、溜め息をついてこういった。『わしらの暮らしは楽ではない。若い時から、相続した財産は少なかったし、一年の衣食はいつも不足していた。街を通るときに、飯屋の酒や肉を見ると、心の中では食べたいと思ったが、手元の金が足りないので、生唾をのんで通り過ぎていた。このことはお前の母さんには話したことはなかった。小さな商売をすると、一日百文儲かるときもあったし、十数文のときもあったし、一日中利益が上がらなかったり、時には損をしたりすることもあった。少し儲かれば、嬉しい気分になり、お前の母さんに、僕と一緒に頑張ろうといった。損をすれば、辛い気分になり、お前の母さんにももう少し頑張ろうといった。よそさまが借金をしたときは、激しい口調で催促をしたりはしなかった。やがて天が望みを適え、商売はだんだんとよくなってきた。お前は伯父さんの家で勉強をし、先生、伯父さんはお前が家に戻るのを望まなかった。わしは先生、伯父さんが善意であることは分かっていたが、十両の給料のために、心を鬼にしてお前の勉強をやめさせたのだ。元手がだんだん増えると、わしはよその土地に出て商売をするようになった。江南へ行ったり、漢口へ行ったりし、船の上では風や賊を恐れた。都会ならば船が多くて心強いが、たまたま片田舎で船をとめたことがあった。あいにく岸では劇を上演していて、よその男達や女達が喜んで劇を見にきていた。わしは船の上で、人込みの中に賊がいるのではないかと心配していた。二三隻に荷物を積んで、船頭が賊ではないかと恐れ、一晩中寝ることができなかった。夜が明けた時に、わしは命があった。また、漢口から三里足らずのところで、急に大風が起こり、わしの船は河の上を漂い、目の前でよその船が三隻沈み、船頭も姿が見えなくなった。今ではうちの子供が肉を食い、綺麗な服を着ているのを見て、嬉しくてたまらない。心の中では、お前たちが幸せに暮らすことができたから、わしが今まで苦しみをうけたのも無駄ではなかったと思っているのだ。家の前に舞台をしつらえ、劇を上演して、誕生祝いをするなどといっても、わしは世間を渡っている人間で、いつ死ぬかも分からない。明日の十三日には、孫たちと同じテ─ブルで一緒に食事をしよう。お前がなまこ、燕の巣、猩々の唇、豹の胎児の料理を並べても、わしの稼ぎで子や孫や外甥たちが食べるのだから、わしは気が楽だ。しかし、劇を上演するのなら、劇はよその人向けのものだから、わしは望まない』とね」

「叔父さんがそのようにおっしゃるのなら、心からそうおっしゃっているのでしょう。その通りにすることにしましょう」

「お前の叔母さんが承知しないんだ。叔母さんは『今までつましい生活をして、一万両近く金儲けをしたのに、十三日の父さんの誕生日に、客がきて誕生祝いをし、二日後の私の誕生日のときは、すえた肉を食べ、口をつけられた酒を飲むのですね。私の実家の人達が礼物を包んでやってくるのですから、私は残り物の茶や水では我慢できません。一緒に誕生日をするのがいいでしょう。劇を上演し、十か二十の料理を並べ、お父さんとお母さん両方のためだということにしましょう。私の考えがいいでしょう』と言うんだ」

「それもその通りです。ゆっくり叔父さんを諫め、お祝いのために諍いが起きないようにするのがいいでしょう」

「親父を諫める訳にはいかないよ。これ以上諫めたら、お袋は僕のことさえ褒めだすからね。僕が父さんは世の中をわたって苦労したんだというと、お袋は途端にこう言ったんだ。『私は家で心配していたよ。私がいい息子を産んで教育しなかったら、あの人がよその土地にいる間、息子は家で、女遊びや賭けをして、あの人の苦労を台無しにし、あの人は怒って病気になっていただろうよ』とね」

「叔母さんのおっしゃることもご尤もです。どちらの言う通りにすればいいでしょう」

「どちらの言う通りにしたらいいのか、お前に教えてもらいたいんだ」

「伯父さんの言う通りにすればいいでしょう」

「親父のいう通りにするとまずいことになる。親父がいっているのは内心の悲しみだが、叔母さんのいっているのは外面の見栄えのことだ。親父がいっているのは自分一人のことだが、叔母さんがいっているのは大勢の人のことだ」

「他には誰がいるのですか」

隆吉は耳元で小声で言いました

「昔結義した干親や。親戚の女達が唆しているんだ。烏も雀も豊かな所を選んで飛んでいくものさ。僕の外祖父の曹家は、一族がたくさんいて、昔は全然面識のなかった遠縁のおじまでが、今では祝い金と、劇団を送ってこようとしている。僕は、うちの親父は劇団を送られることをあまり望んでいないといった。すると、遠縁のおじたちは、僕よりも年は下なのに、口を開くや僕を罵って、『あんな守銭奴の爺さんの言うことをきくのはやめるんだ』と言った。親戚のおじたちは、みんな賑やか好きだから、親父とは合わず、伯父さんにはなおさら構おうとはしなかった。親父はいつも『我々は貧乏な商売人だが、伯父さんは読書人の家柄だ。あの人の家とは、紙一重の隔たりしかないようだが、実は万重の山を隔てているようなものなのだ』と言っている。紹聞、お前が伯父さんのことを尋ねたとき、親父が口を挾んだことがあるだろう。今はうちは小人の家だが、舅の家はもっとひどい小人の家だ。彼らは一族が多い大家族だということだけを頼りにしているんだ。昔、小さな商売をしていた時は、誰も僕を外甥扱いしてくれなかったが、今では少し生活が安定したので、交際してくれるおじも増えたよ。紹聞、親父と相談して、親父の考えを変えさせてくれ。劇を上演させ、幾つかの綾子の布を掛け、二鉢の花を並べ、一匹の赤い絹布をひき、一対の紗灯をさげれば、親戚たちを喜ばせることができるのだ。百両たらずの銀子を使うだけのことだ。うまい料理にうまい酒があれば、彼らは、僕のことを、先祖を輝かし、子孫を豊かにする孝行息子だと言うだろう。今、親父はお前のことを気にいっている。だからお前に頼むのさ。お前が諫めればすぐにうまくいく。親父に辛い思いをさせ、誰からも理解されないようにしてはならない。僕は二人の年寄りを仲直りさせ、真の孝行をしたということになるよ」

 そこで、譚紹聞は隆吉とともに王春宇に会いますと、やんわりと諫めました。王春宇は考えを変え、喜んで言いました。

「私の心を知る者は、一人しかいない。劇を上演することにしよう。そうすれば、事情を知らない人々が、わしが金を惜しんでいるといって、大騒ぎしなくてすむ。わしが昔のように貧乏だったら、誰も誕生祝いをしてくれないだろう。まして芝居はなおさらだ。わしはもう何もいうことはない。夫婦で一緒に誕生祝いをし、よその人の目をごまかし、とやかく言われるのを防ぐことにしよう。わしは読書人の家ではなく、親戚はお前の家を除いて、学問のない者ばかりだ。さらに残念なことに、彼らは自分たちのことを一番賢いと思っている。まったく死ぬほど苛立たしいことではないか。劇を上演することにしよう。何も問題はない。紹聞、お前はお帰り。お祝いの日になったら、お前の母さんを早めに劇を見にこさせるのだ。わしは一つ大事な話しがある。興官児は学校に入ったばかりだから、あれを呼んできてはならん。あれを俗悪な場所に出入りさせてはいかん。わしはあれを咎めているのではなく、あれのことを愛しているのだ」

 果たして十三日になりますと、譚紹聞は祝いの品を買い、母親と一緒に車に乗ってやってきました。彼は、外甥と叔父の間の挨拶をし、叔父とともに客の相手をしました。晩になりますと、母親は泊まり、紹聞は帰りました。十五日になりますと、紹聞はさらに祝い品を買い、車に乗ってやってきました。外甥から叔母へのお祝いの挨拶をしますと、叔母の曹氏はとても喜びました。紹聞は、さらに一日客をもてなすと、晩に母親とともに車に乗って帰りました。

 三日間がすぎますと、隣近所の人々は、王春宇は気前がいい、酒もいい酒だったし、料理もよかった、王隆吉若さまの孝心が天地を感動させたので、天気は日ごとによくなり、風も雨もなく、三日三晩賑やかだった、譚念修さまは、郷紳とはいえ、世間のことはあまり知らず、貧富や貴賤を気にされない方なので、人を無視することがなかった、将来は状元、探花に合格するだろう、と言って褒めました。これらの人々は十日間褒めつづけますと、ようやく噂をするのをやめました。

 中に注意深い人がいて、譚家の新しい秀才が劇を見にきていないと言いましたが、

「新しい秀才が来たのを見た。十四五歳の子供で、家の中で女達と一緒にいた」

という者もありました。まさに、

憐れなり、街に集まる下種下郎[4]

勝手に褒めたり貶したり

街中に虎はありやと問ふなかれ[5]

杯中に(じや)のなきことを知るがよし[6]

海の楼 遥か彼方の仙三島[7]

平らな道に鬼車[8]

許由[9]は川辺に静座して

春風が耳に入るを妨げず

 王隆吉の両親の誕生祝いのお話しはやめにいたします。さて、譚紹聞は叔父の家で外甥としての情誼を尽くしますと、十五日の晩に車に乗って帰りました。胡同の入り口に着きますと、曲がって裏門に入ろうとしました。すると、とても明るい月の光の中で、二人の男が門の脇に立っているのが見えました。車が着きますと、一人の男が轅に叩頭して、音を響かせました。紹聞が急いで車から降りますと、その男は小声で呼び掛けました。

「お助け下さい」

よく見てみますと、夏鼎でした。横の男は、下役の様でしたが、何も言いませんでした。

 紹聞

「どうしたのですか」

夏鼎

「大事な話しがあります。人のいない所で詳しいことをお話しします」

紹聞は母親の介添えをして、奥の中庭に入りました。身につけていた鍵袋の中には、裏の書斎の鍵が一本ありました。紹聞が先を歩きますと、二人の男はついてきました。紹聞は、書斎を開けますと、二人を先に入らせようとしました。男

「旦那さまがお先にどうぞ。私が先に入るなど、とんでもございません」

紹聞が部屋に入りますと、二人も中に入り、叩頭をしました。紹聞は引き止めて、言いました。

「明りをとってきましょう」

夏鼎

「明りはいりません。急いでいるので、お話し致します」

「座って話しましょう」

「立ってお話し致します。私は道台さまの役所に住んでいるのですが、門番の梅二爺の引き立てで、用度係にして頂きました。私は本当に公正に売買をしました。役所の金を使ったことはありませんし、商店からは一銭もとりあげていません。ところが、どういうわけか、梅二爺が噂を聞いて帳簿を調べたところ、今月の、七両八銭四分の勘定が合いませんでした。譚さま、銀子は少しずつ使うもので、秤には、必ず間違いがあるものです。昔から金を集めれば多くなり、金を分ければ少なくなるといいます。今月の五七百両、まったく間違いがないということはないのです。ところが、門番の梅二爺はすぐに人を縛られる方でしたから、『縛れ』と言い、私をこの朱頭児に引き渡されました。私は、晩に庫官[10]の宋さまの所に護送され、二十回棒で打たれて免職になりました。私は自分が弁償しようといいましたが、梅二爺は窓口を閉じてしまい、返事をすることができませんでした。若さま、私を哀れと思しめしてください。用度係をやめたくはありません。どうか私を救って、二十回の棒打ちにならないようにしてください」

「どうやってあなたを救ったものでしょう」

「譚紹衣さまは、以前梅二爺を派遣して墓園を修理されました。譚さまが話しをされるか、手紙を書くかしてくだされば、助けて頂けるかも知れません」

「役所に手紙を送ることはできません」

夏鼎は跪き、下役も跪いて、言いました

「私はこの男を護送していますが、この男が私に頼んだのです。『上を欺いても下を欺くな』とも申しますから、私は暗くなってから街に出て、譚さまにお頼み申し上げているのです。若さまがちょっと役所に来て下されば、事はおさまり、私は友情を全うすることができます。若さま、情けを掛けてやって下さい」

夏鼎

「私の首にはまだ鎖がかかっています。大きな襟で隠してあるのです。夜なのですぐには見えません。鎖は懐の中に隠してあります。嘘だと思ったら御覧になって下さい」

手の力を緩めますと、鉄の鎖がガチャッとなり、目の前に積み重なりました。夏鼎は言いました

「若さまが役所にきてくださらなければ、私はここで跪いて死に、若さまの庭を汚すことに致します」

 譚紹聞は心が優しく気の弱い人でしたから、すぐに突き放すことができず、仕方なく承知しました。二人は叩頭して立ち上がりますと、言いました。

「二鼓になる前に、はやく来てください」

二人はいってしまいました。

 紹聞は困ってしまい、一更まで不愉快な気分でした。夏鼎を裏切ろうとしましたが、夏鼎が何度も跪いていましたので、可哀そうでもありました。約束を果たそうとしましたが、道台様が今まで目を掛けて下さっていたのに、下品な人間と見做されてしまうことになりますし、絶対に事がうまくいくはずもありませんでした。しかし、小人が焦って、他人の身分や体面に構わず、ひたすらへりくだって、どうしてもすることのできない難題を持ち掛けてくれば、明日、息子に合わす顔もなくなってしまうでしょう。

 困り果てた末、簣初をだまし、一人で馬に乗り、婁家へ上京の件について尋ねに行くと称して、道台の役所にやってきました。そこでは、下役たちが夏鼎をたすけて酒屋につれていき、彼が尻を叩かれたのを慰めるために酒を飲んでいました。紹聞はそれを見ますと、馬を走らせて戻り、心の中で思いました。

「古人が、『一日たりとも小人に近づいてはいけない』といっているが、まさに金石の言だ。家に戻ったら、簣初に、後日役人になったときには、このことを思うようにと言うことにしよう」

 さて、夏鼎は免職になった後、七両八銭四分の銀子を返済しました。彼は、他にも横領したり使い込んだりした銀子をもっていましたので、生活をすることができました。ところが、彼は、棒でぶたれた傷がなおりますと、ずるい心を改めることができず、印刷屋と交際し、葉子、紙牌の版木を彫り、印刷、表装、裁断して売り、違法なことをして利益を得ようとしました。後に祥符で人命に関わる賭博事件があったとき、夏鼎の家から紙牌の版木が発見されましたので、彼は法に照らして処罰されることになりました。賭博用具を私造した者は、四千里の流刑に処せられるのでした。こうして、夏鼎は一巻の終わりと相成りました。その様子を詳しく述べれば、皆さんの悪を憎まれる心をすっきりとさせることができるでしょうが、そのようなことをすれば筆が汚れることは免れず、著述家の善良な心も損なわれることになるでしょう。

 譚紹聞と婁樸、盛希瑗がどのように上京したかを知りたければ、次回を御覧下さい。

 

 最終更新日:2010114

岐路灯

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[1]湖北省。

[2] 「明日打擋子」。「擋子班」は歌をうたう女の班をいう。

[3]人が奴隷になるときに、奉公先に提出する文書。

[4]原文。「蓬麻」。微賎な事物の代名詞。

[5] 『淮南子』説山訓「三人成市虎」(三人の人が市場に虎がいると嘘を言えば聞いたものは初めは疑っていても信じてしまう─嘘も何度も言えば本当になる)に基づく句。「噂を信じてはいけない」という意味。

[6] 『風俗通』「応彬請杜宣酒、杯中如蛇、宣得疾。后于故所設酒、蛇乃弩影耳」の、杜宣が杯の酒に移った弓の影を蛇と勘違いして病気になった故事に基づく句。「ありもしないことを信じてはいけない」という意味。

[7]蓬莱、方丈、瀛州の三山。『史記』秦始皇記「海中有三神山、名曰蓬莱、方丈、瀛州、仙人居之」。ここではありもしないものの例として示されている。句の意味は「(街のものたちのうわさ話は)仙人の住む島(のように実際にはないことだ)」。

[8]原文「駅路寛平鬼一車」。この句もありもしないものの例を示したもの。句の意味は「(街のものたちのうわさ話は)鬼がいっぱい乗った車が道を(ゆくように実際にはないことだ)」。「鬼一車」は『易経』逎に典故のある言葉。

[9]堯から天下を譲りたいと言われたとき、潁水で耳を洗った人。『史記』索隱「堯讓天下於許由, 由遂逃箕山,洗耳於潁水」。

[10]倉庫を掌る役人。

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