第九十九回 

王象藎が子を治療するときに変わった処方を得ること

盛希僑が弟を愛して良友に頼みごとをすること

 

 さて、閻仲端が客をもてなした次の日、紹聞は、息子の簣初をおもての中庭につれていき、もてなしへのお礼を言いました。閻仲端は受けようとしませんでした。茶を飲んでくださいと引き止められ、腰を掛けますと、簣初の目は、本棚の上の書籍ばかり見ていました。閻仲端は、

「私は坊っちゃまに、書名を記した付箋を書いて頂き、分野ごとにまとめ、本を読む者が本の名前を言った時に、本を売る者が付箋を見て、本を出すことができるようにしたいのです」

と言い、書目一冊を取り出すと、一寸ほどの幅の、赤い付箋を一束作って、テ─ブルの上に置きました。簣初は文字を書くのが好きでしたので、書目を見ながら付箋を書きました。

 すると、窓の向こうに王象藎が見えました。彼は、小者を雇い、赤い紙で封をされた大きな盒子、干した蔓草をかぶせた大きな籠を担いでいました。中身が何なのかは分かりませんでした。彼はその籠を裏の中庭に運びました。

 王中が籠を堂楼に運んできましたので、冰梅が蔓草をとって見てみますと、紅麹で煮た赤い鶏卵が百個入っていました。また、盒子を開けてみてみますと、真っ白な麺が十塊ほどあり、上には通草[1]の赤い花が挿されていました。そこで、冰梅は急いで叫びました。

「ご隠居さま、御覧下さい」

王氏は格子のカ─テンを開けて見てみますと、笑って

「王中、おめでただね。よかった。よかった」

王象藎

「私に子供が生まれたので、ご隠居さまのために喜蛋[2]を、皆さんのために喜麺[3]を持ってきたのです」

「何日になるんだい」

「今日もいれて三日になります」

「六日目になったら見にいくよ」

「満月になったら抱いてきてご隠居さまにお見せしましょう」

「私は全姑のことも懐かしいから、会いにいくよ」

「ご隠居さまをお引き止めして麺を食べて頂きましょう」

「昼には王春宇の家に行くのだよ」

 巫翠姐も楼にきて、言いました。

「これが本当の『老莱子』[4]ですね」

樊婆も走って来て、ハハと大笑いして

「王さん、おめでとう。生まれた子は私の乾児にしましょう。他の人の乾児にはしないでください」

王象藎

「樊婆さん、大きなお盆を持ってきておくれ。中には閻相公の二十個の喜蛋、二束の麺があるから、私が持っていきますよ」

樊婆が大きな皿を持ってきました。冰梅は鶏卵を数え、麺を持ちました。王象藎は表へ届けにいきました。

 紹聞は、老僕に子供が産まれたことを心の中で喜びました。ちょうど簣初が付箋を書き終わったので、閻仲端は礼を言い、父子はおもての庭から奥へ回りました。王象藎は閻相公と話しをしました。「相識は天下に満ちるも、知心は幾人か有る」[5]と申しますが、二人は心が通じあう古くからの友人でしたので、おのずと話しが合いました。

 裏の台所では、樊婆が鍋を温めて麺を煮ました。王氏は汁を持ってくるように命じましたが、すぐに手に入れることができませんでした。そこで、双慶児に制銭二百文を与え、西蓬壺館から麺のつゆを小さな盆に入れてもってきて、かけることにしました。そして、一家で湯麺を食べてお祝いをしました。王氏

「裏の料理屋で汁を買ったんだよ。お父さんが生きていた時は、このようなことは絶対に許さなかった。しかしもう昼近いのに、朝食もまだ食べていないし、王中も早めに帰らなければならないから、こうするしかなかったんだよ」

紹聞

「お父さまが生きていたら、西蓬壺館などはありませんでしたよ。すべては私の罪なのです」

簣初はこのとき祖父が家を厳しく保っていたことを知りました。

 この日、王象藎は主人におめでたを報告したことは、これ以上お話しいたしません。六日になりますと、王氏は盒子に物をつめました。一つには綾絹一匹、首飾り一つ、メッキをした寿老人一つ、茘枝の形をした銀の鈴一対、木魚、銀の鈴一対、腕輪一つ、足輪一つ、帽子用の緞子一尺、腹掛けを縫うための綾子三尺をつめました。さらにもう一つの盒子には粒の長いもち米がぎっしりつまっており、上には二十四個の鶏卵が並んでいました。王氏は、双慶児を呼んで担がせ、ケ祥は馬を用意して、車を運転しました。簣初

「双慶児は粗忽者ですから、向こうにいったら礼儀をわきまえず、口にまかせて勝手なことをいうかもしれません。街の轎屋で人を雇って担がせるのがいいでしょう」

王氏

「樊婆を私のお供につけることにしよう」

樊婆は急いで朝食を作りました。人々は食事を終えますと、自分の首飾り、布のあわせ、脚半、新しい靴を、すぐに身に着けました。巫氏、冰梅はそれを見て、笑いました。

「乾児を見にいくのかい」

樊婆

「今夜、いい夢を見ましたから、必ずいいことがあるでしょう」

巫氏

「どんないい夢だったんだい」

「覚えておりませんが、とにかくいい夢だったのです」

ケ祥は新しい馬を車に繋ぎ、敷物を敷きました。王氏は腰掛け、樊婆は前に座って用相公を抱きかかえました。街を曲がり、路地を通りますと、菜園の入り口に着きました。

 王象藎は急いで迎えにきました。しかし顔に喜びの色はなく、心配そうな顔をしていました。王氏

「お祝いを言いにきたんだよ」

「今まで何事もなかったのは良かったのですが、顔を合わせる時になって、急に心配事が起こりました。息子が破傷風になったのです」

王氏は急いで王象藎の部屋に行きますと、全姑が部屋の外まで出迎えにきました。

 部屋に入りますと、趙大児が涙を拭いていました。部屋の中には隣家の女が二人いて、王氏たちを見ますと道を開けました。王氏

「どうしたんだい」

趙大児

「昨日はちゃんと乳を飲んでいました。真夜中に口を閉じたときも、まだ泣くことはできました。しかし、今では口を閉じたきりです」

樊婆は慌てて、

「心配することはありません。私は治すことができます。鶏卵を一つ使うのです」

と言いますと、自分で盒子を開け、鶏卵を一つ取りだしました。そして、小さな穴を開け、白身を茶碗の中に流し、黄身は別の所において使いませんでした。彼女は子供を抱き上げますと、自分は腰を掛け、子供を膝の上に置き、子供の顔を下に向け、小さな背中を露わにしました。全姑は子供の頭を支えました。樊婆は、右手の食指を湯のみの中の卵の白身で濡らし、子供の心臓の裏側、生え際から指四本分以下、三寸以上のところに、指を使って刷り込み、外側を濡らしました。何かをひっぱっているかのようでした。十回ほど揉み、十回ほど濡らすと、風毛がでてきました。風毛は、太さが小豚のたてがみほどあり、揉んだり濡らしたりすればする程、ますます長くなり、半寸ばかりになりました。樊婆

「毛抜きを用意して、しっかりと抜かないと、風毛が中に入り込んでいってしまいます」

ちょうど王象藎が毛抜きをもっていて、全姑に渡しました。樊婆

「おまえは若くて目がよく見えるから、毛抜きで風毛の根っこをつまんで、一気に抜いておくれ。そうすれば根が残らないから」

全姑は、樊婆が濡らして外に出した風毛が、それ以上外に出ないのを見定めますと、根元をつまんで引き抜きました。風毛はすべて外に出ました。王氏が見ようとしますと、全姑は風毛をご隠居さまに渡しました。王氏は手にとって見てみますと、

「これは大人の髪の毛よりも太いね。色は紫だ。子供の背骨につきささっていれば、いいことがあるはずがないよ」

 話しをしていますと、子供が泣き出しました。趙大児が懐に抱きかかえ、乳房を口に含ませますと、子供はゆっくりとのみ始めました。王氏は趙大児を寝かしつけました。

「子供を抱いておやすみ」

 王象藎は王氏に向かって叩頭し、樊婆に向かって拱手しました。顔を見合わせて為す術もなかったのが、あっという間に喜びに変わりました。樊婆は寝台の脇に座り、子供を指差して笑いながら、

「この子ったら、巫女か、占い女か、乾娘の私に会わなかったら、どこかの家の犬の餌になっていたかもしれないよ」

王氏

「どうしてこんなにうまい治療ができるんだい」

「ご隠居さまはご存じないのです。話せば永くなりますが、私はもともと亳州の者で、昔、夫に従って、役所に仕えていたのです。知事さまは五十近くでしたが、まだ若さまがいませんでした。家には二人の妾がおり、どちらも二十三四歳で、男の子をうみました。知事さまはとても喜びました。ところが七日目に、一方の若さまは一か月間、もう一人の若さまは七日間、どちらも破傷風になってしまったのです。知事さまは慌てました。有名な医者たちが、役所に呼ばれましたが、不幸が起こるのを恐れて、みんな逃げてしまいました。知事さまは慌てましたがどうしようもありませんでした。待てばよくなる病気でもありませんでしたので、どうしようもなく、四つの馬蹄銀を役所の通りに面したところに並べて、一人を治せば馬蹄銀を二つ、二人を治せば馬蹄銀を四つもっていっていいと書きました。こうするよりほかにどうしようもなかったからです。すると、城内の年寄りの媒婆が、治すことができると言いました。知事さまが媒婆を役所に呼ぶと、媒婆はこの風毛を濡らす方法で子供を治しました。私は横にいてこの目で見ました。ですから私は治すことができるといったのです。知事さまは媒婆に四つの馬蹄銀を与えましたが、媒婆はうけとろうとはせずに、言いました。『私は息子や娘を亡くしましたが、二人の若さまを治しました。二人の若さまと一緒に暮らすことができ、衣食に不自由することがなければ結構です。知事さまのご褒美の四枚の馬蹄銀はいりません。知事さまはこの風毛を濡らして破傷風を治す方法を版木に彫り、一千、一万枚刷って人に送られれば、陰徳を積まれることになり、私も来世で人間になれることでしょう』その時に印刷した紙を、私はまだ持っています。今晩家に行って、もってきて若さまと坊っちゃまにお見せしましょう」

 さて、王氏は、今日は実家に行こうとしていたのですが、王象藎は王氏を強く引き止めました。一つは主人の母親がわざわざやってきたから、二つは樊婆が功績を立てたからでした。王氏も、王象藎が金を手に入れたことを隠しませんでしたので、好意を無視するわけにもいかないと思いました。そこで、曲米街の家に知らせるようケ祥に命じ、後日、王春宇が漢口から戻ってきたら、一緒に行こうと言いました。そして、昼食をとりますと、樊婆、用相公と一緒に車に乗って帰りました。

 家に着きますと、城の南の菜園で、樊婆が子供の臍風[6]を治したことを話しました。人々はみな驚きました。樊婆は自分の部屋に行き、ぼろぼろの布の巻物を取り出して来て、若さまに見せました。それは、二枚の質札で、正徳十三年[7]のものでした。さらに一枚効力を失った質札がありましたが、それは成化十年[8]のものでした。そこには朱印が一つ押され、真ん中には朱筆で「弁済済み」という文字が書かれており、中には新生児の臍風を治すための処方が巻かれていました。表には「小児の臍風を、医者は不治の病と見做すが、背中の風毛によって起こされることを知っていない」と印刷されていました。下には処方が書かれていて、内容は樊婆が言っていた通りでした。最後の所で「願わくは世の中の仁人君子が、広く印刷、配布をして、病に罹った子供を救わんことを。正徳十五年正月、春暉堂主人版木代を出して印刷し、広く世間に贈る」と書かれていました。人々はようやく樊婆の言ったことに、根拠があったことを知りました。

 皆さん、この風毛の話しは、程嵩淑、孔耘軒が知れば、きっと正しい知識ではないというでしょうし、医学の理論から考えても、信頼するべきものではなく、でたらめな話しに過ぎません。占い女や媒婆のいうことは、深く信じるべきではありません。

 王象藎が老年で子供を得た話しは、とりあえずおくことに致します。さて、譚紹聞は、閻仲端がおもての中庭を借りて住むようになってから、家事が増えましたので、上京し、国子監に入り、勉強をしようと思いました。そして、暇な時に、張正心と二度ほど相談をし、張正心と一緒に旅立とうとしました。ある日、張正心が小さな南の中庭に来ますと、紹聞は彼を書斎に迎え、以前の話しの続きをしました。正心

「先日、あなたは僕を呼んで、国子監で勉強をするという話しをされました。僕は何度も考えたのですが、上京する事はできません。一つには伯父が高齢で、動く時に介添えが必要だからです。家では女達が仲違いをしていますから、僕はあれこれ心配なのです。二つには正名が幼すぎるからです。伯母さんは面倒を見ることができませんし、正名の実母は少し頭が鈍いですから、やはりとても心配です。あなたのように、息子さんが学校に入られ、勉強をよくされ、世話がかからない方とは違うのです」

「息子は学校に入り、勉強嫌いでもありませんが、私が上京するときは、彼を教える先生が必要になります。私はあなたと相談したいことがあります。張おじさんは七十歳をこえられましたが、精神はまだしっかりしています。私は張おじさんを招き、昼間は息子に勉強を教えて頂き、暗くなったら東の中庭に泊まって頂きたいのです。一つには張おじさんが正名くんが愛しいために、何本もの通りを通って行き来して、不便な思いをされずにすみますし、二つには張おじさんが朝晩、杏花児に世話をしてもらえ、転んだり倒れたりせずにすみ、茶や水を飲まれるときも便利だからです」

「普通ならご主人が先生を頼むものですが、そうして頂けるのでしたら、先生の家の私が、ご主人へ先にお礼を申し上げなければなりません」

「母親に知らせ、孔耘軒さん、蘇霖臣さんにも、すぐに手紙を送りましょう。私が上京して勉強をすることはこれで決まりです」

 話しが終わりますと、張正心は立ち上がって別れを告げました。紹聞は西の書斎の外まで張正心を送りました。すると、宝剣児が手に拝匣を持って走ってきました。彼は、二人を見ますと、それぞれにむかって片膝をついてご機嫌伺いをしました。昔のような、賭博や観劇の誘いにきたときの様子とは違っていました。紹聞は箱を受け取りますと、全帖を拡げ、張正心と一緒に読みました。そこにはこう書かれていました。

十五日に豆觴[9]を用意し、貴殿をお迎えし、お教えを承りたいと思います。伏してご来臨をお願い申し上げ、お待ち申し上げております。

以上、念修賢弟先生大人玉台下

年家眷弟盛希僑頓首して拝す

宝剣児

「張さまへの帖子を、先ほどお家にお送り致しましたところ、張さまが蕭墻街にいかれたと言われました。帖子は三つだけです。一つは婁様の帖子ですが、まだ送っていません。他には誰にも出しません。お二人には十五日に来ていただきたく存じます」

譚紹聞は、客に茶を出すよう蔡湘に命じましたが、宝剣児は辞退して戻っていきました。

 紹聞は張正心の袖を引っ張っていいました

「しばらくここにいらっしゃってはいかがですか」

二人は父親が友人同士でしたし、副車の同年でもありましたから、親しくしないはずがありませんでした。張正心は書斎に戻りました。盛希僑の話しになりますと、張正心

「盛さんは最近、以前とはだいぶ変わりました。賭けもやめましたし、劇団も追い出しました。兄弟二人は、分家しましたが、また一緒になり、弟は勉強をし、盛さんは家事をきりもりしています。惜しいのは、兄弟仲はいいものの、夫婦仲が悪いということです。盛さんの奥さんが物の道理をわきまえないことを、隣近所の人々はみんな非難しています。盛さん兄弟は、昔、悪人のせいで仲違いをして訴訟を起こしました。辺明府[10]は『役職に就いて多年、純朴な良い風俗を作り上げることができず、兄弟の仲違いを引き起こしてしまった』という判決を下され、自分の徳が薄い罪を認められました。あの判決によって兄弟は王祥[11]、王覧のようになり、夫人が鶯のように甘く囁こうと、獅子のように凶暴に叫ぼうと、女房に『(おとうと)は牛を射殺せり』と言われた時に、『牛肉もて(ほじし)を作れ』といった牛弘[12]のように、兄弟の争いをやめてしまいました」

譚紹聞「僕と盛さんは帖子を交換しあった間柄ですが、最近は少し疎遠になったような気もします。明日はあの人に酒を御馳走になることにしましょう」

張正心はテ─ブルの上の帖子を指差して言いました。

「明日、盛さんは僕たち三人を呼びますが、『豆觴』と書いてあるだけです。数年前は『優觴』[13]だったではありませんか。それに、当時、客を呼んだときは、優觴とかいた帖子すら出さず、小者を遣わして人を女形を見にいかせるのを、盛公子の音樽[14]を報せる帖子としていたのですからね」

紹聞は張正心の話しが昔の実情とぴったりでしたので、思わず大笑いしはじめました。張正心

「盛さんが最近ご先祖の文集を印刷したのは、とてもいい心掛けです。おじと馴染みの刻工が幾人か、盛さんの家に呼ばれていきました。明日、あの人にお酒を御馳走になりましょう。あの人が本を送ってくる前に、あらかじめ二部ずつもらえばいいでしょう」

二人が話しているうちに日は傾きました。二人は一緒に胡同の入り口まで行き、別れて帰宅しました。

 さて、十四日になりますと、王春宇が漢口から戻り、姉、外甥に会いにきました。彼は、商売をして各地を回った時の土産物を持ってきて、姉から外甥、甥の妻、外孫[15]まで、一人一人に何が欲しいかと尋ねました。譚紹聞の家がだんだん栄えてきたのを見て、王春宇は満足し、晩になると家に戻りました。

 次の日の朝、紹聞は渭陽公に会いにいき、道台さまが縁談を持ち込んだことを詳しく述べました。朝食をとりますと、叔父の家から車に乗って盛家に行きました。

 入り口に着きますと、下男が門の所に立っており、双慶児が車を走らせてくるのを見て、譚家から人がきたのだと分かりますと、急いで奥に報告しました。譚紹聞は車を降りますと、ちょうど盛家の兄弟が迎えに出てきました。彼らは一緒に大広間に入りました。婁樸、張正心はすでに中庭におり、譚紹聞を拱手して迎えました。盛家の下男たちは、みな粛然としていました。これは、挙人、副榜が家にきたから、下男たちが態度を変えたわけではありません。賭博の場では、下男たちも八割方客を軽んじ、いわゆる「君子重からざれば即ち威有らず」[16]という有様になりますが、衣冠をつけた者が集まりますと、客も主人も恭しい心を持ち、いわゆる「上行えば下おのずからならう」[17]有様になるのです。要するに、人々が馴々しくする場所では、目の前に楽しみがあっても、将来は悪いことばかりが起こり、良いことは起こりません。これは、争いの発端は、馴々しくすることから生じ、闘いは談笑の中に隠れているからです。しかし、礼儀正しくしている場所では、目の前の景色は堅苦しくても、将来は良いことばかりが起こり、悪いことは起こらないのです。これは、恭しくすれば徳が蓄えられ、黙っていれば非難を免れることができるからです。主客五人は、この時、祥符城で、青年期から壮年期にさしかかっていました。今と昔とではわけが違っていました。

 盛希僑

「僕は昔から堅苦しいことを言うのが苦手ですが、今日は酒を用意し、皆さんに来ていただきました。弟のことを皆さんにお願いしたいからです。皆さんは今では試験に合格され、会試を受ける者は会試を受け、国子監に入る者は国子監に入ることになりました。北京城は、先祖が進士になり、引見を賜った所です。先祖は僕たち兄弟二人を生みましたが、僕たちは棺に片足を突っ込むような年になったのに、北京が北にあることしか知らず、彰儀門が南にあるのか西にあるのかも分かりません。僕たち兄弟はいっぱしの人間とはいえません。僕は若い頃は馬鹿坊っちゃんで、家の財産の半分をなくしてしまいました。弟は僕よりはまだましで、副車ではあるものの、今日までずっと副車のままで、科挙に合格することはできず、いつになったら会試をうけることができるかもわかりません。先祖たちがしばしば行っていた所に、子孫たちは行くことができないのは、まったく良くないことです。僕は、弟を皆さんと一緒に勉強のために上京させ、北稠の挙人に合格させ、ついでに会試を受けさせようと思っています。僕は一年半後、弟に会うために、京師に行くことにします。武当山に行くよりはいいでしょう」

婁樸

「お二人が年内に発たれるのでしたら、私も年内に出発します。春に出発されるのでしたら、春に出発します。古株の挙人は、どちらでも結構です」

譚紹聞

「あなたは合格するのがとても早かった。私たち二人は年が同じですが、あなたは副榜に合格したばかりの私とは大違いです」

張正心

「私は行きたいのですが、行くことはできません。伯父は年は七十をこえ、正名も幼なすぎ、二か所に分かれて住んでいます。私は家にいて、河南省の郷試が行われたときに試験を受ければ、学校で本を読んだことがあり、勉強をやめていないということになるのです」

盛希瑗

「私を連れて行ってくださるのなら、いっそのこと元旦すぎ、一月六日に出発して、会試に遅れないようにしてはどうでしょう」

譚紹聞

「僕たち二人は、文書を書き、証明書を手に入れ、礼部への咨文を得なければなりません[18]。書吏はぐずぐずして金を巻き上げようとしますから、長いこと待たされるでしょう」

盛希僑

「君が弟を連れていってくれるのなら、君の履歴書を僕に渡してくれ、君が金を払う必要はない。僕が一人で仕事をやり遂げるから、君は静かに出発を待っているがいいよ」

 相談が終わりますと、料理がでてきて、主客が交歓したことは、いうまでもありません。ある者が、席老先生はすでに・事府・事[19] に昇任したと言いました。また、ある者は尤先生は中央官から地方官に転任し、二千石[20]にまでになり、地方官から中央官に昇任し、さらに京府府尹[21]になり、すでに九卿[22]に列せられていると言いました。盛希僑

「山東にいる従兄の張さんは、今、刑部郎中になっており、息子さんも今度翰林院に入って、順城門大街[23]に住んでいるから、案内役になることができる。そうでなければ、従兄に近くの宿屋を探させよう」

更に河南に新たに着任した誰それは、誠実で堅実だから、将来大臣になれるだろう。誰それは頭がきれて有能だから、将来地方の名官僚になるだろう。などといったことを話しました。紹聞は、この広間には、昔、猥褻な言葉が満ち溢れていたが、今日と比べてみますと、天地の差、雲泥の隔たりがある、土地は人によって尊くなり、幸福は心によって作られることが分かる、と思いました。そして、後悔したり、愉快に思ったりし、思わず絶句を一首詠みました。

広い屋敷と旧き家、

昔とすっかり異なれる。

思えばかつてここにいて、

唇の紅色に照り輝くを喜べり。

 紹聞が心の中で感嘆していますと、急に裏の中庭で婦人が罵っている声が聞こえました。盛希僑は顔色を少し変え、衝立の裏に行くと言いました。

「お客様がいらっしゃるのだぞ」

暫くしますと、さらに言いました。

「俺の面子をたててくれ」

さらに、一言

「お前の弟が進士なのは分かっているよ」

と言いますと、ふたたび主人の席に戻ってきました。客たちは立ち上がってふたたび腰掛けました。希瑗はまだ立っていました。盛希僑

「お前、進士に合格するんだぞ。今度京師に行って、進士に合格しなかったら、お前が戻ってくることは許さず、俺が京師にお前たちに会いに行くことにしよう。よそから来た女が、俺たちの家のことを自分の実家とは不釣り合いだと思わないようにさせてやるんだ」

希瑗は腰掛けて言いました

「兄さん、お客様にお酒を差し上げてください」

盛希僑は笑って、

「これはおかしなことでもないぞ。先日、道台さまが俺たち兄弟を役所に呼んだときは、半日役所にいた。立派な公祖さまが、三回も拱手をして俺たちを迎えたが、俺たちに恭しくしても意味がないんだ。俺たちは科挙に合格してもいないければ、学問があるわけでもない。道台が俺たちの睾丸を触ろうとしていた訳でもない。道台は俺たちの祖父さんと親父が二代続けて進士であることと、俺たちの祖父さんに学問があり、版木を幾つか残したことに敬意を表しただけのことなんだ。俺は勉強ができず、何もわからない。希瑗、お前は副榜だ。もし合格できなかったら、俺のように下賤な人間になってしまうぞ─親父は死ぬのが早すぎたので、誰も俺をしつけたり、説教をしたりしなかったからな。俺はお前の兄さんだが、お前が進士に合格しなければ、おまえと大喧嘩をすることにするぞ。お前の家の嫁が穏やかで、理をわきまえていると思ってはならんぞ。お前の舅の家は湖広で有名な旧家だ。副榜のお前が舅の家に行っても、先方の執事は、府知事だって相手にしないんだ。下女や乳母だって、お前のような生半可な肩書きの人間を相手にしてはくれないぞ。俺たちは親父が恨めしい。どうして俺たち兄弟の舅に、この城の読書人を選んでくれなかったんだろう。そうすれば、秀才になっただけでも、婿として彼らの堂屋に腰を掛ければ、大官のように振る舞えたのに。よりによって遠いところから嫁を迎え、息子たちは舅の家にいっても、辱められるだけだ。人間は、下女や小者に無視されるようになりますと、向こうは口には出さなくても、こちらは心の中でそのことが分かり、お前がどんなに男らしくても、威張ることもできないのだ」

人々は盛公の痛快な議論が、経験に基づくものでしたので、心服し、うなずきました。

 夕方、宴会は終わりました。来年の正月の六日に出発することを約束しますと、婁、張、譚はそれぞれ馬に乗って帰りました。

 

最終更新日:2010114

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[1] あけび。 (図:『三才図会』)

[2]出産祝いに食べる卵。

[3] お祝いに食べるうどん。

[4] 「老莱子」と「老来子」(年をとってから生まれた子供)は、音が同じ。また、宋元戯文には『老莱子』という戯曲がある。この部分は、戯曲の知識の豊富な巫翠姐が、自分の知っている戯曲の名前を用いて、王中が年をとってから子供をもうけたことをからかったもの。

[5] 「知り合いはいっぱいいるが、親友は幾人あるだろうか」。

[6]小児性破傷風。

[7]一五一八年。

[8]一四七四年。

[9]酒器。 (図:『三才図会』)

[10]明府は県知事の雅称。

[11] 「王覧友弟」心の王覧が兄の祥が母の朱氏に虐待されるのを見て、常に兄を助け、弟としての道を尽くしたことをいう。『晋書』王覧伝。

[12]隋代の政治家。『隋書』巻四十九に伝がある。

[13]俳優と酒器。

[14]宴会の余興として行う音楽や芝居。

[15]姻戚で、孫の世代に当たる者。

[16] 『論語』学而。「君子は重々しくなければ威厳がない」。

[17] 『礼記』楽記「上行之則民従之」「上のもののすることには下のものも自然に従う」。

[18]順天府で行われる郷試。北京国子監の学生はこの試験を受けることができた。

[19]挙人が会試のために北京に赴くには、総督より、礼部に提出すべき身分証明書、咨文を受け、本籍の県より若干の旅費を給せられる。

[20]東宮官。

[21]府知事。

[22]六部の尚書と都察院都御史、通政司使、大理寺卿。

[23]順城門は、現在の宣武門のこと。『明宮史』巻二「宣武門即俗称順城門也」。

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