第九十七回 

閻楷が家を買い求めて書店を開くこと

象藎が土を掘って埋蔵金を得ること

 

 さて、譚紹聞は道台の役所から戻りますと、母親にご機嫌伺いをしました。巫翠姐、冰梅の妻と妾、簣初、用威の兄弟は、晩に堂楼で一緒に話しをしました。

 王氏

「おまえは今度副榜に合格した。紹衣さんが私たちの家のために墓園を修理して下さるのだから、これを機会にお客を幾人か呼んで、お父さんのお墓にいって祭祀を行えば、お父さんの魂も少しは喜んで下さるだろう」

紹聞

「もちろんそうするべきです。しかし、街の者がまたお祝いに劇団を送ってくるかもしれません」

簣初

「お父さまは副車に合格されたのですから、ご先祖様に報告をするのが礼儀というものです。世間を恐れて、自分の家の大事を遅らせるわけにはいきません。今、城内には同案[1]の秀才がいます。幾人かを呼んで礼生[2]になってもらいましょう。料理人をよぶ必要もありません。自分で数テ─ブル分のお供え物を作り、一つの墓に一テ─ブルずつ供えるのです。すべての墓に祭文を一つ、お爺さまのお墓に祭文を一つ捧げましょう。王中に仕事をさせれば、三日たらずで儀式が行えます。よその人に知られても、私たちはすでに祭祀をしてしまっているのですから、よその人々がそれ以上何かをすることはできないでしょう。それに今の少ない収入では、街の人々も出費をしてはくれないでしょう。次の試験の時にお祝いをして頂きますから、お金を使わないでおいて下さいといって断われば、隣近所も笑って何もしないでしょう。お祖母さま、それで宜しいでしょう」

王氏は喜んで

「本当に譚孝移の孫だけあって、筋が通っている。お祖父さんと考え方がそっくりだ。まなじりや、口元が、話しをする時、そっくりだよ。すこし乳臭さがある所が似ていないだけだ」

巫氏

「悟果や、おまえもお祖母様にお話ししなさい」

悟果は目を見開いて紹聞をみているだけでした。

紹聞

「もう悟果と呼んではいけない。譚孝衣さんが名前をつけてくださったから、用威と呼ぶんだ」

冰梅は用威をひっぱると笑いました

「用相公、お祖母様にご挨拶と拱手をして、用威という名前に変えましたとお言いなさい」

王氏

「おまえは役に立つ[3]人間かい」

悟果

「役に立つ人間です」

王氏はとても喜びました。一家が安らかに眠ったことはお話しいたしません。

 翌朝、紹聞は起きますと、ケ祥に命じて城の南の菜園の王象藎を呼ぼうとしました。すると、折よく王象藎が人を雇い、野菜を担いでやってきました。九月も終わろうとしていましたので、一年の農作業も終わろうとしていました。一つの籠には、さいかちの若芽、瓢箪の蔓、干した莢豆、切った南瓜、干し胡瓜、干した眉豆[4]があり、籠の底には百合根がつまっていました。もう一つの籠には山芋、百合、蓮があり。さらに布で作った包みがありました。王氏が布包みが何なのか尋ねますと、

王象藎「全娃がご隠居さまのために持ってきたものです。私にも何かは分かりません」

王氏が冰梅に命じて糸を切り、包みを開かせると、中には女物の靴下三対、一つの扇袋、衣服に帯びる文袋[5]、小さな財布が入っていました。冰梅は女物の靴下を色によって分け、文袋を簣初に、財布を用威に与えました。扇袋に関しては、季節が初冬でしたので、

紹聞

「来年の暑い時期に扇を使うときもあるだろう。私がもっていよう」

ある者は模様がいいと言い。ある者はとてもうまくできていると言いました。

王氏

「あの娘は、ちょっと端切れを与えると、一つ一つ縫い上げて戻してくれるんだよ」

 紹聞は、王象藎を引き止め、先祖を祭ろうとしていることを話しました。

「一つの墓に供物を一テ─ブル備えよう。それから、四人の礼生に儀式を手伝ってもらおう。墓全体への祭文を一つ、先代の墓への祭文を一つ、各テ─ブルに二十四の器を並べ、テ─ブル掛け、香炉、燭台をすべて揃えよう。供物は、旬の野菜と新鮮な肉を使って、うちの台所で作ることにしよう。明後日に祭礼を行うから、明日一日で全部買い揃えてくれ」

王象藎もその通りのことを考えていましたので、

「テ─ブル掛けは、西門内のテ─ブル屋から借りましょう。借り賃は毎日異なります。各テ─ブルに十二の椀、三つの香炉、一つの杯は、全部家具屋から借りましょう。一日ごとに借り賃を払うのです。椀を一つ壊したら、賠償金は四十文です。五椀の果物、木の実は露店で、小麦の菓子は店で買いましょう。点心は今夜蒸し、米のご飯は明日掬いましょう。肉は羊、魚、豚、兎を用い、野菜は眉豆、ささげ、百合根、百合、蓮を用いましょう。これは、私たちの家の菜園でとれたものです。山海の珍味は用いずに、誠意を示すことにしましょう。酒は家で醸造したものを用い、香や紙銭や蝋燭は葬具屋で買いましょう。すべての物を買うには、一万銭払うだけですみます。二日で買い終わります。盒子を担ぐ人は、後日雇いましょう。儀式の手伝いをする礼生は、あと二日しかありませんが、あらかじめ呼んでいるわけでもなく、急に帖子を出して儀式を手伝ってくれというわけですから、若さまがよく頼んで、はっきりと伝えておかれることが必要です。後でその方たちに働いてもらいますから」

 朝食をとりますと、人々は手分けして買い物にいきました。王象藎は考えがありましたので、ある物はその日のうちに、買ったり借りたりしたりし、ある物は次の日になってから買いました。紹聞は外に出て、自ら礼生を依頼しました。蕭墻街の隣近所には、新しく生員になった者がいましたので、ちょうど四人の礼生の数を満たすことができました。新しい秀才たちは、才能をためす機会ができたのを喜びました。礼生に一回なったことがある者、二回なったことがある者がおり、号令の掛け方の練習をしたり、儀式の動作の話しをしました。それに、彼らは紹聞父子と同案の間柄であると同時に、簣初の年伯[6]にもあたりましたし、新しく合格した副榜は、優れた生員でもありましたので、承知しない者はありませんでした。紹聞が行って頼みますと、どこの家でも承諾しました。四人の礼生は、手紙で招いたり宴会を設けて頼む必要はない、期日になったら、朝に馬に乗っていこうと言いました。

 祭礼の日になりますと、王象藎は新しい墓園の中に、衝立や錦の帳を置いた大きな小屋掛けを組み立て、茶竈、酒炉を置いた小屋掛けを、門楼の中の東側に組み立てました。四人の礼相が到着しますと、すぐに奥の書斎に食物が並べられました。家を発つときは、十の盒子が先を行き、紹聞父子と礼生が、馬に乗って後に続き、楽隊が先導をし、西門を出て、墓園に向かいました。

 墓前に着きますと、人々は馬から降り、小者たちは馬を繋ぎました。門楼が開け放たれますと、主客はぞろぞろと中に入り、小屋に着くと並んで座りました。王象藎、双慶児と雇われた人々は、供物を並べました。一つの墓に一つのテ─ブルが設けられました。そして、全員が揃ったことを報告し、四人の礼生が先導をし、譚紹聞は貢生の礼服、譚簣初は襴衫と巾帯で、真ん中に立ちました。礼生は酒、幣帛を捧げるように、跪け、立てと高らかに唱え、ご先祖さまが子孫に豊かな財産を残して下さったという内容の祭文を丁寧に読みました。そして、儀式が終わるともとの席に戻りました。明の故孝廉方正、抜貢生譚公の墓前にいきますと、前と同じ儀式を行いました。紹聞は自分が作り、簣初が書いた祭文を読みました。その大要をかいつまんで申し上げれば、

「私は、お父さまが亡くなられるのが早すぎたため、若い時遺訓を守らず、学業を怠り、家は没落しました。さいわい天にましますお父さまの魂が、助けて下さったお陰で、後悔をし、良い下男と協力し、学業をおさめ、先輩に従って経書を研究し、学校に名を連ね、試験に合格することができました。家の名声はあまり墜ちてはいませんでしたが、お父さまが亡くなられる時、涙ながらに繰り返されたお言葉には、大いに背いてしまいました。その罪は重く、万死を以てしてもあがないきれません。ひたすら勉強をし、遺訓を忘れずに罪を償い、幼い息子が私の過ちを正すことを望んでいます。お父さま、どうか私たちを永遠にお守りください。これ以外に申し上げることはございません」

というものでした。紹聞はそれを読みながら泣き、悲しみが極まって声は咽び、後半部分は読むことができなくなりました。

 王象藎は傍らで跪いて爵を捧げもっていました。文章の意味は分かりませんでしたが、祭文の大意は分かったので、涙が流れ、頬は震えました。彼は堪えきれなくなり、我を忘れて急に一声泣くといいました

「大旦那さま」

紹聞は天性の純粋な心を動かされて、ますます声をあげて泣きました。簣初は最初涙を流していましたが、やがて大声で泣きはじめて、言いました

「お会いすることのできなかったお祖父さま」

四人の礼生の一人は、眼が潤んできて、式次第を述べることができなくなり、泣いて、儀式をおえることができなくなりました。

 ふたたび仮小屋に行きますと、茶が沸かされ、点心の皿が二つのテ─ブルの上に置かれていました。酒が注がれましたが、紹聞は客に食事をすすめることができませんでした。そして、椅子に座り、頭をもたせかけ、鼻水と涙をたくさん流しました。簣初は同案の友人たちに酒を飲むように勧めるばかりでした。ある者は一口飲み、ある者は何杯か飲みましたが、飲むことができない者もありました。人々は一斉に立上がり、墓園の表門を出ますと、ふたたび馬に乗り、楽隊に先導されて城内へ戻りました。

 城に入りますと、蕭墻街に行きました。胡同の入り口を曲がり、主客が書斎に近付きますと、楽隊の喇叭は、ますます高らかに鳴り、笛と太鼓は、ますます賑やかに響きました。人は心配事がなければ、楽を聞いて喜びを増すものですが、心配事がありますと、楽を聞いて悲しみを増すものです。楼の下で王氏はそれを聞きますと、

「あの人はこれを見ることができないのだねえ」

と言い、眼からぽろぽろと涙を零しました。冰梅は慌てて、急いで慰めました。

「ご隠居さま、とてもおめでたい時ですのに─」

王氏は涙を拭いて

「先代は生きている時に、しきりに心配していた。今では暮らしはまあよくなったといえるだろうが、先代は何年も前に死んでしまって、このことを知ることができないのだよ」

巫氏は用威を引っ張ってきて言いました

「用相公、お祖母さまに、舞台の上では、状元が金花[7]を挿し、封誥を受け、嫁を迎え、状元の父親や母親は紗帽や円領[8]、金冠や霞璧に着替えるが、あれは役者たちのお芝居に過ぎないのだとお言いなさい。この世で、孫が役人になるのを見ることができるお祖父さんなど幾らもいませんよ」

紹聞は、楼に来て、母親が悲しんでいるのを見ますと、急いで慰めました。

 すると、急にケ祥が楼の外にやってきて言いました

「若さまとお客様が出発されてすぐ、帳房の閻相公が来ました。彼は一人の男を連れ、十数帙の本を持ってきて、若さまにお送りすると言っていました。彼は、西蓬壺館でしばらく待っていたが、若さまに是非一目お会いしたいと言っていました。他にも車四五台分の本があり、書店街で馬に餌をやっています。今は裏門の外で、若さまと話しがしたいといって待っています」

 閻相公とは閻楷のことでした。彼は真面目な男でした。主人の譚孝移は彼を最も重んじ、王象藎は普段から仲良くしていました。彼は、昔、理由をつけて去ったのに、どうして理由もなく戻って来たのでしょうか。それには訳がございます。とりあえず時間を戻してお話いたしましょう。

 天には心はありませんが気があります。気というものは混沌として流転し、良い気と悪い気との区別はありません。しかし気と気が感じあいますと、分かれて良い気と悪い気の二つになるのです。書を読み、農業に勤め、篤実であれば、天上の良い気が彼の家にやってきます。しかし、女遊びをし、賭けをし、ずるい事をすれば、天上の悪い気が彼の家にやってきます。人間が野原で糞をするときは、下役を遣わして糞虫を呼んだりはしませんし、お知らせを出して蠅を呼んだりもしませんが、糞虫、蠅は群がってきます。ですから紹聞は昔、夏鼎や張縄祖と毎日つきあっていたのです。塀の影で花が咲いても、誰かが蝶や蜜蜂に手紙を送るということはありません。しかし、蜜蜂、蝶は自分からやってくるのです。ですから、譚紹聞が今日のような有様になりますと、譚観察は浙江の西で功名を得て河南に昇任し、閻楷は山西で財を築き、河南にやってきたのです。

 さて、閻楷は主人に別れて家に帰りますと、伯父から資本を受けとりました。この真面目な男は、正直な心をもち、節操をもって仕事をしましたので、財を築かないはずがなく、十年たらずで二万両以上の利益をあげました。そして、今回、伯父の命令で、河南の省城で、大きな書店を開くことにし、南京で数千両で古典の書を買い、書店街で雇った車の馬に餌を与えました。彼は、先代の徳に心から感激していましたので、本箱から『朱子綱目』を取り出し、湖筆二十封、徽墨二十箱をもって、昔の若主人に会いに来たのでした。昔、香典を持ってきたときは悲しかったのですが、今日は祝いの品を贈ることができるので嬉しい気持ちでした。

 譚紹聞が書斎に案内しますと、閻相公は帙入りの本、筆と墨をテ─ブルに置きました。そして、まず客たちに挨拶をし、つぎに紹聞に挨拶をし、簣初が呼ばれてやってきますと、さらに挨拶をして、言いました

「私は南京で本を買って戻り、祥符で店を開こうと思い、従兄の文房具屋の店員たちと仲間になって、蘇家の星黎閣に昔あった筆や墨を買ったのです。若さまは続けざまに合格され、坊っちゃまも学校に入られたとか。差し上げるものもございませんが、『綱目』一部と、筆や墨などを、とりあえずお祝いといたします」

 新しい秀才たちは、書斎の気が抜けていませんでしたので、本屋が来たと聞きますと、初対面なのに旧友に会った時のように、帙を開けて、読みはじめました。『漢書』や『史記』を開けた者は、東方朔を見ますと、桃を盗んだ仙人だが大臣になった、と言いました。『唐書』を開けた者は、李靖を見ますと、これは托塔天王[9]だが公に封ぜられたと言いました。さらに文章を書く時はそのようなことは書いてはいけないという者もありました。簣初は試験場で失敗したことがあり、心の中では、秀才たちの言うことは、史書に書いていないことだから間違っていると思いましたが、そのことをすぐに言おうとはしませんでした。

 間もなく、料理が出てきますと、人々は閻相公に勧めました

「遠く他省から来られたお客様なのですから、上座に座られるべきです」

閻楷は礼相たちに席を譲りますと、言いました

「とんでもございません。それに私は昔、この家の会計でした。お客様の上座に座ることなどできません」

人々は礼を言い、一方の席では、礼相が首座、閻楷は次座に着き、もう一方の席では三人の礼生が年齢順に腰掛けました。紹聞は一方のテ─ブルでお相伴をし、簣初はもう一方のテ─ブルに斜めに掛けてお相伴をしました。杯が置かれ、料理が出されたのは決まりきったことですから、省略いたします。礼生の席では、まだ酒や幣帛を捧げるときの動作、お辞儀や平伏の号令の掛け方について話しをしていました。新しい秀才はどうしてもこのような話しをしてしまうものなのです。

 宴会が終りになりますと、閻楷は帰ろうとして、言いました

「車屋が、私が家に戻って車から本をおろすのを待っていますので、長居をするわけには参りません」

紹聞

「明日、また会いにきてくれ」

「一つには申し訳ございませんし、二つには今はまだ家がまだ片付いていません。従兄は家に戻ってしまいましたが、まだきちんと話しをしていません。三日ほどたったら、お会いすることができるでしょう。四日目に、私を呼んでいただけないでしょうか」

人々はそれはいいと言いました。閻楷が帰る時、人々は家の入り口まで送りました。紹聞は書斎のある中庭の門まで送り、さらに送ろうとしました。閻楷はかたく断りました。

「お客様がいらっしゃいます。私たちは昔は同じ家の者だったのです。丁寧にされる必要はありません」

「一緒に来た人は」

「もう帰らせました」

「すまないことをしたな」

そして、たがいに拱手して別れました。

 紹聞は戻りますと、礼生が

「湖筆五本を持っていきます」

「徽墨を二つもっていきます」

と言いました。紹聞

「湖筆二封、徽墨二箱を、下男に命じて皆さんに送らせましょう」

秀才たちは言いました

「その必要はありません。うちの下男に持ち帰らせますから」

人々は思い掛けない贈り物を喜びました。主客は互いに礼を言いあって外にでました。それぞれの家の下男は、手に筆と墨と自分への祝儀袋を持ち、馬を引きました。秀才たちは馬に乗りますと、腰を曲げ頭をさげ、別れを告げていってしまいました。

 さて、閻楷が胡同の入り口を出ますと、ちょうど王象藎が墓の供物、帳、器物を片付けて戻ってきました。閻楷は王中に気がつきましたが、王象藎は閻楷がふたたびここにきたことに気が付きませんでした。閻楷は引き止めていいました。

「王さん、元気かい」

王象藎は閻楷を見てみました。そして、顔が老けて黒ずみ、服装もかわっていたものの、よく見れば、閻楷だと分かったので、言いました

「閻さん、どこから来たんだ」

この二人は、昔は譚孝移の部下で、真面目な者同士、互いに仲良くしておりましたが、長年離れていて再会しましたので、何を話していいか分かりませんでした。閻楷

「静かな所を捜して話しをしよう。俺はすぐに帰る。それでなければ、今、俺がいる飯屋に行って、一杯茶を飲むことにしよう」

「あそこには主人がかわってから、行ったことがないんだ」

「俺が戻ってきてから話しをしようか」

「俺はここに住んでいないんだ。城の南の菜園に住んで数年になるんだ」

「靴屋の南の菜園の事かい」

「そうなんだ。あなたが昔遊びにきた所だよ」

「三日後以降に、城の南の菜園へ会いに行くよ。奥さんもそこにいるのかい」

「三人はみんなむこうに住んでいるんだよ」

「俺は本当に忙しいから、帰るよ」

王象藎も引き止めることはできませんでした。閻楷は別れを告げて帰りました。

 王象藎は家に着くと供物をそなえ、食事が終わると帰っていきました。王氏はさらに供物の果物、点心、油で揚げた魚を二匹、鶏を丸ごと一羽与えました。王象藎はそれらを籃にいれて帰りました。

 閻楷が書店街に戻りますと、人々は待ちくたびれていました。閻楷が来ますと、彼らは、五台の車に積まれた本や竹籠を、文房具屋の裏に運びました。そして、楼の上や下に、二更までかかって荷物を並べますと、ようやく落ち着きました。閻楷は、暗くなってから床に就きましたが、従兄が養生のため故郷に戻ってしまったのに、家はまだ片付いていない、賃貸しするのか質入れするのか、まだ決めていない、と考えました。翌日になりますと、閻楷は、書店の同業者に挨拶をしに行かなければなりませんでした。また、各書店の本の行商人も、答礼をしなければなりませんでした。

 四日目になりますと、小者を一人連れ、二匹の江南の綾子、四両の江南の糸、四足の靴下、布靴、緞子の靴をそれぞれ一対もち、記憶している昔の道を通って、旧友に会うために城の南の菜園へ行きました。

 譚紹聞はこの日、餞別を贈るため、閻楷に会いにいきました。しかし、閻楷が外出していましたので、仕方なく家に戻ってきました。すると、途中で、双慶児がやってきて、孔さまが祝い品を送ってきたと言ったので、紹聞は慌てて家に戻りました。しかし、着いた時には、孔耘軒はすでに去っていました。

 さて、閻楷が城の南の菜園に行きますと、王象藎は菜園にいました。閻楷が絹、糸、靴、靴下を贈りますと、王象藎は受けとって礼を言いました。閻楷は、趙大児に会うと拱手をしましたが、全姑は身を隠しました。閻楷

「昔、帳房にいたときは、この娘や興相公はいなかったのに、今ではすっかり成長している。どうしてわしらは年をとらないんだろう」

 二人は小さな部屋の中に腰を掛けました。実は、王象藎は、隣家の老人と話しをする時、夏は井戸端に腰を掛け、冬は藁家を建てていました。藁家には、板の扉、煉瓦の窓を作り、テ─ブルを一つ、柳の椅子を四つ置き、隣家の老人が杖にすがって訪ねてくる場所としていました。これには、娘が子供なので、お客に近付けないようにするという意味もありました。二人が腰を掛けますと、趙大児は茶を持ってきました。王象藎は茶を注いで差し出しました。閻楷

「昔、お葬式のとき、俺たち二人は真夜中まで話しをし、福相公が将来とんでもない人間になるのではないかと心配した。しかし、今では副榜に合格された。興相公も学校に入り、いいことずくめだ。まずはめでたしだな」

「あんたは幸せ者だ。あんたは苦しい時になったら、帳房を離れてしまった。今では見ての通り、少し暮らしが上向いてきたが、今までの数年間は、苦しいことが、何度もあったよ。若主人が道を誤ったときは、俺は家来だから、どうしようもなかったよ。あんたがいれば、俺もあんたに相談したんだが、あんたは金儲けのために家に帰ってしまった。俺は、話したいことがあっても誰にも話すことができなかったが、今になってようやく安心したよ。ここ四五年は、今日のような日が来るとは夢にも思わなかったよ」

「王さんに聞くが、おもての街に面した家は、今はどうなったんだ。先日お客の接待をした所は、今まで呉さんが住んでいた小さな中庭だった。俺はとても不思議に思ったんだが、おもての中庭の大広間のことを尋ねることもできなかった。俺は街に面した家を借りて書店を開こうと思っているんだが、王さんはどう思う」

「いいじゃないか。『千貫で家を治め、万貫で隣人を得よ』という。書店と隣り合わせになることほど良いことはない。これは計り知れないほど良いことだよ。だが、あの家は一千数百両で抵当に入っているから、うけもどす事はできないよ」

「また相談しよう。俺は本当に忙しいんだ。帰らなけりゃ」

「俺はあんたに会いにいくわけにはいかないが、以心伝心ということにしよう。書店が開店したら、俺は野菜を送ろう。これは俺からの贈り物だよ」

菜園の外に送りますと、靴屋に行きました。

「まだ営業をしているのかい」

「家賃をとっているんだが、潰れる寸前だよ」

別れを告げて去りました。

 王象藎は菜園に戻りますと、龍道の中で─菜園の灌漑用の溝を、龍道といいます─ふたたび古銭を一枚拾いました。

 以前にも古銭を拾ったことがありましたが、あまり気にとめず、一年で十数個拾いますと、麻縄で繋ぎ、珍しくもないものだと思っていました。しかし、今日はたまたま注意していましたので、四五個拾いました。龍道は夏から秋になる頃は、毎日水が流れているので、水がひくと泥になるのでした。今は九月で轆轤は使われておらず、龍道は踏まれて道になっていました。銅銭は埃の中にあり、ちょっと探すとすぐに見付かりました。小さいものは「政和」「宣和」、大きいものは「崇寧」「大観」と書いてありました[10]0。王象藎はあまり字を知りませんでしたが、「大観」の「大」の字だけは、知っていました。そこで二十数個の銭を拾い、観音堂へ行き、先生を探し、いつの時代の古銭か見てもらいました。

先生「これは宋の徽宗の時の銅銭だ。その頃は、わが竓梁には、兵馬が入り乱れていた。多分百姓か金持ちが銅銭を隠し、月日がたって、現れ出たのだろう」

 王象藎は戻って注意して捜すと、ふたたび井戸と龍道で二三個を拾いました。そして、心の中で、銅を買う者のところに持っていけば、二つの古銭で一つの制銭が得られると考えました。そこで、銅銭を拾った井戸の所に行き、シャベルでほり始めました。銅銭は掘れば掘るほど多くなり、百になり千になりましたが、すべて井戸の石板の下にありました。また、菜園の鍬で掘ってみますと、大きな粒銀が出てきましたので、女達を呼びよせて、掘ったり拾ったりするのを手伝わせました。さらに石板の下から半分の小さな甕を掘り出しました。上には銅銭の層があり、下には大きい馬蹄銀や小さい馬蹄銀がぎっしりつまっていました。王象藎は、すべてを家に運びました。初冬でだんだんと寒くなってきており、菜園の井戸には人は来ませんでしたので、気兼ねなく掘ることができました。

 銀子を家に運ぶと、晩に明りのもとで、大根用の秤で測りました。全部で十三回半分ありました。そこで、二つの酒甕の中に入れ、床下に置きました。翌日、井戸の石板の下に土をしっかりとつめますと、半日で、風で吹かれて乾いて、何の痕跡もなくなりました。

 これは、王象藎が、屋敷の表半分をうけもどして書店を開き、若主人がしばしば本を買って、見聞を広めることができるようになることを一心に念じていましたので、北宋末年に埋められた銀子が、今になって土から出てきたものでした。忠臣が主人の家を復興させようとしたため、鬼神が陰で助けてくれたのでしょう。まさに、「天道は遠く、人道は(ちか)し」[11]というものです。天道については私が多言する必要もありますまい。

 最終更新日:2010114

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[1]同年に秀才に合格した者。

[2]儀式の進行役。

[3]原文「中用」。

[4] ササゲマメ。『直省志書』莱蕪県「眉豆有数種刀、豆形如刀」。

[5]文書を入れる袋。

[6]父と科挙の試験に同年に合格した人に対する呼称。

[7]生員に与えられる帽子の飾り。

[8]丸襟服。(等編著『中国衣冠服飾大辞典』

[9]托塔天王李靖は通俗小説『封神演義』の登場人物で、唐の将軍李靖とは別人物。

[10] いずれも宋の年号。

[11] 「天の道は遠く離れているが人の道は近くにある」。『左伝』昭公十八年「子産曰『天道遠、人道邇、非所及也』」。

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