第八十九回

譚観察の(おじおい)の真情のこと

張秀才の兄弟の至情のこと

 

 さて、梅克仁は役所の簽押処に戻りますと、主人に会いました。譚道台

「戻ってきたな。大旦那さまには会えたか」

梅克仁は目でみたこと、耳できいたことを、一部始終詳しく話しました。譚道台はとても悲しんで、尋ねました。

「ご隠居さまはどうしてらっしゃった」

「ご隠居さまは母屋にいらっしゃいました」

さらに尋ねました。

「書斎で本をよむ子供の声がしたというが、大旦那さまの晩年の子供か。それとも大旦那さまの孫か。一人だったか。二人だったか」

「はっきり聞きました。大旦那さまのお孫さんで、最近の県試で、とても良い成績だったそうです。年は十四歳になります。書斎には他には人がおらず、父子二人が大声で本を読んでいました。門には外から鍵が掛けられていました」

譚道台は思わず声を失って感嘆して

「それなら大丈夫だ」

 梅克仁は退出しました。譚道台は赤い単帖を取り出し、筆をとりますと、こう書きました。

叔父さまはあまりにも早く亡くなられ、私が河南にくるのはあまりにも遅すぎました。私は、四知を畏れず、敢えて暮夜にお金をお送りすることにいたします。どうか早朝に心を奮いたたせ、常に三畏[1]を謹まれてください。先祖の徳をつぐことができれば、喜んで一族の情を締ぶことにいたしましょう。しかし、ふたたび以前のように悪いことをすれば、すみやかに厳罰に処するでありましょう。

叔母上に美味しい物を食べていただくための銀五百両を一緒にお送り致します。紹衣は涙を流しつつ手紙を書きました。

書き終わりますと、すぐに梅克仁を呼びました。そして、銀子を両替させ、翌日に送ることにしましたが、突然首をふって、

「ちょっと待て。ちょっと待て」

と言いました。

 道台は部屋の中を行ったり来たりしますと、机の上に腰を掛けました。日がすでに暮れていましたので、明りを点けました。幾つか公文書を読み、文書の草案に花押を書きました。用事を言いつけ、腹の足しに幾つかの点心を取り、二三杯の茶を飲みますと、更鼓の音がはっきりと聞こえたので、あくびをして、簽押房で眠りました。彼は、布団を拡げ、靴と靴下を脱ぎ、上着を羽織り、枕にもたれながら、心の中で考え始めました。そして、口では黙ったまま、心の中でこう言いました。

「この族弟は、譚孝移さんが丹徒の族譜に、譚紹聞と書いていたように記憶している。譚紹聞の子供は、どういう名前なのか分からない。試験で上位合格したのは、別に珍しいことではないが、勉強好きで、いい子供なのだろう。しかし、譚紹聞は、三十すぎなのに、まだ学校にも入らず、さらに家を破産させた。彼は一族の中でとびぬけてけしからん奴だ。今は門に鍵を掛け、中で本を読んでいるが、ひょっとしたら、ひどく貧乏になって、進退極まって、真面目な道を歩みだしたのかもしれん。きっと悪党から恥ずかしめを受け、妻や妾に罵られたのだろう。私が五百両の銀子を送ろうとするのは、やむにやまれぬ親戚の誼があるからだが、彼は以前しっかりした考えをもっていなかったのだから、今後も、勉強をする意志を失うことがあるかもしれない。それに銀子というものは、君子の手にはいれば、『恭者は侮らず、倹者は奪わず』[2]で、たくさんの良いことがあるが、凡人の手にはいれば、贅沢の元手になってしまう。たとえ大した贅沢をしなくても、『水が漲れば船は高くなる』[3]といい、一尺水が漲れば、船は九寸高くなる。水がどんどん漲れば、船はどんどん高くなる。急に水かさが低くなれば、船は岸にうちあげられて、もとに戻ることができなくなり、風や日に晒されて、やがては船もなくなってしまうものだ。今の彼は、船を岸までひっぱっていき、行き詰まりの小さな川で雨を待っているようなもので、まあいい状態だといえるだろう。しかし、五百両の銀子を送れば、彼はまた駄目になってしまうのではないだろうか。それに、私が梅克仁に銀を送らせれば、内密に送ったとしても─飛ぶ鳥にだって影があるのだから─役所の動きなど、必ず世間にしられてしまう。そして、一人の人間に知られれば、すぐに城中に知れ渡ってしまう。人々は彼が新しい道台の族弟だといい、彼の旧友たちは、きっと彼と一緒に悪いことをし、私の部下の小役人も、彼と行き来するだろう。役人の宴席におもむき、役人の世界のことを話せば、若者の心は最も損われるだろうし、子供も勉強をおろそかにするだろう。さらに心配なのは、学台がこられて、彼ら親子が万一ともに学校に入れば、人々は譚道台が口利きをしたとか、学台が道台の面子をたてたから、誰それの父子が学校に入ったのだというかもしれない。大蟻が大樹を傷付ける事はないというが[4]、積み重なった羽が船を沈めるともいう[5]。とりあえず一族の誼はないものとして、父子に自立の心を固めさせるのがいいだろう」

そして更に考えました。

「昔、譚孝移さんは私の一通の手紙を読んで、鎮江に来られた。一族はとても仲良くうちとけていた。私は役人として今日河南にやってきたが、譚孝移さんや譚紹聞とは、すっかり疎遠になってしまっている。これでは、冥土で譚孝移さんに合わせる顔がない。……」

あれこれ考えましたが、よい手立てはありませんでした。そして、急に観風[6]のことを思いついて、言いました。

「そうだ、そうだ」

更にしばらく考えごとをしてから、上着を脱ぎ、布団の中に入り込んで眠りました。控えていた人は、蝋燭をかえ、ドアを閉めて、それぞれ退出しました。二人の宿直の小者だけがそこに残り、静かに控えていました。

 次の日の朝、道台は手洗いと洗顔を終えますと、点心を食べ、礼房を呼んで報告をさせました。そして、礼房の書吏がやってきたので、観風をしたいということを話しました。礼房は報告しました。

「駢文で書かれた、観風の告示の原稿が、書吏のところにございます」

道台

「それは必要ない。告示を出して、日を決めればいい。今度の観風では、祥符が省城に隣接する第一の県なので、祥符の一等の秀才だけを試験することにする。二三等の秀才、及び各属県の書院で学業に励んでいる者、省城で勉強を教えている者で、試験に応じたい者があれば、一緒に観風に参加することを許す。祥符の童生の上位二十名は、一名たりとも来ない事は許さぬ。二十位以下の者は、試験に応じたい者があれば、一緒に試験を受けることを許す。府州の童生に関しては、各府の教授[7]、学正[8]、教諭[9]、訓導[10]等の官に文書を送り、問題を郵送し、役所で開封させ、問題に即した文を作らせ、本官に送り、予備試験の記録と表彰を待つようにせよ。祥符の童生は、当県に通牒を出し、本件の試験の答案、及び各童生の三代前までの記録の台帳を送るように、試験が終わったら台帳は返還する。祥符の生員は、学校に通牒を出し、院試の答案、及び各生員の戸籍の台帳を、一緒に提出するように、試験が終わったらもとの台帳は返還する。観風の二日前に、工房は役所にテ─ブルと腰掛けを用意するように。礼房は試験をうける童生の人数を、三日前に報告し、役所で食事の用意をしやすいようにせよ。違反や遅滞があれば免職にする。心して仕事をするように」

書吏は命令をうけると退出しました。

 観風のことはとりあえずお話し致しません。道台の役所の礼房は謹んで仕事を行いました。さて、譚道台が赴任してきますと、彼が出した告示には丹徒の二字があり、挨拶の帖子にも、譚の字の下に紹の字がありましたので、どこから話が起こったものか、城内の者はみな、新しい道台は譚紹聞と族兄族弟の間柄だと言いました。さらに、新しい道台は譚紹聞を道台の役所によんで一晩泊めたという者や、譚紹聞が役所に行きますと、新しい道台は学費百両を贈ったという者もありました。実際は、根も葉もないことでしたが、噂をするものはなぜか尤もらしいことを言いました。しかし、根拠のない話しは、時間がたつと自然におさまるもので、当座は噂がひろまったものの、一二か月しますと、ひとりでに消えました。譚道台の昨夜の考えには、まことに先見の明があったというべきでした。

 譚紹聞が、毎日勉強部屋から戻ってきますと、裏門に石灰で、「張縄祖、叩頭してお祝い申し上げます」と一行書かれていました。さらに「王紫泥拝す」と一行。さらに「銭克縄拝賀」と一行、下に「父は銭万里、字は鵬久です」と注がつけてありました。土で書いたものもあり、風で吹き消され、誰が書いたのか分からないものもありました。彼らは、譚紹聞が新しく買った家で本を読んでいることを知らなかったのでした。そうでなければ譚紹聞は、山陰道上、細々(こまごま)とした応対に暇あらずという状態になっていたことでしょう。

 ある日、紹聞父子は書斎で本を読んでいました。すると、門を叩く音がきこえ、なりやみませんでした。紹聞はそれを聞きますと、門の所へ歩いて行って、尋ねました。

「どなたですか」

すると、外から一声

「夏だよ」

という声がしました。紹聞

「鍵は母が持っています。食事ができたら、人が来て門を開け、家に戻ることができるのです。あなたを中に入れることはできませんよ」

「これは王中の仕業だな。君をこんなところに閉じ込めるなんて─」

そして、口を噤んで黙ってしまいました。

「本当に母が鍵をもっているのです」

「ご隠居さまは鍵をくれないよ。だが、僕は話があるんだ。門の外からする話しではないんだ。僕は、今道台の役所の下役になっているんだ」

「ずっと外に出ていないので、全然知りませんでした」

「君が知っていようといまいと、君に一言だけ話しをするから、覚えておいてくれ」

「何をしているのですか」

夏鼎は、

「買弁[11]をしているんだよ」

と言い、振り向くと行ってしまいました。紹聞は何のことか分からず、ふたたび部屋に戻って本を読みました。

 簣初に文字を教えていますと、ふたたび声が聞こえました。

「門を開けてください」

紹聞が耳をすましますと、張正心の声でしたので、すぐに門のところへ歩いて行き、鍵を塀の向こうに投げました。張正心は門を開け、書斎に入ってきました。二人が挨拶をしますと、簣初も拱手をしました。互いに席を勧めあいますと、張正心

「道台さまからは、何の報せも届いていないのですか」

「何の報せもありません」

「道台さまが謹厳な方なのは、あなたにとって幸せなことです。昨日、人々が、道台さまが譚おばさんに二つの毛氈に包んだ礼物を、あなたの奥さんに一箱の真珠や翡翠のかんざし、腕輪を送ったといっていました。あなたが一千両の銀子をもらったという人もいました。あなたに墓の修理をさせ、道台さまがあなたの家の墓にいって祭祀をするといっている人もいました。これは、まったくのでたらめでしょう」

「そのようなことはまったくありません」

「宮中で腰の細い娘をほしがると、世の中の娘は十日食事をしなくなるものです。無知な人間が、でたらめばかり言うのは、よくあることですから、咎め立てする必要はありません。しかし、人々があれこれ言うのは、やはり恐ろしいことです。私は、道台さまが二十日に観風をするという告示が出されていることを報せにきたのです」

 話をしておりますと、県庁から礼房がやってきました。張正心、譚紹聞は答案を提出した時に、礼房と会っていました。礼房は、書斎に入ってくるとお辞儀をし、時候の挨拶を述べ、一枚の朱筆を入れた名簿を取り出しました。そこには「県試童生上位者名簿」と書かれており、第一名は譚紹聞、第二名は某某、第三名は某某、全部で二十名の名がありました。礼房は、さらに全帖を一つ取り出しました。全帖の表には横に名前が書いてあり、配列は名簿と同じでした。通知を行った者の名前の下には「知」の字が書かれていました。張正心

「昨日、学校の先生が、やはりこのやり方をしていました。府学の名刺には二人の先生の名があり、県学の名刺にも二人の先生の名があります。私も知単[12]に知の字を書きました」

紹聞はすぐに簣初を呼んで同じように字を書かせました。簣初は自分の父親の名前の下に、丁寧に知の字を書きました。礼房はすぐに帰ろうとしました。紹聞

「ちょっと座って話しを致しましょう」

「とても忙しいのです。晩には帳簿をつくり、明日は道台さまの役所に報告をしなければなりません」

「何のおもてなしも致しませんで」

礼房は笑って

「院試の時に、私が二枚の大きな報単をもってきたら、旗を立てるための礼金[13]を三十両頂きましょう」

張正心

「あげますとも。あげますとも」

 表門の外まで送りますと、胡同に小者がいて、子供を背負っていました。彼は、張正心を見ますと、言いました。

「あの方がどなたか分かりますか」

子供は笑いながら、一声

「兄さん」

と叫びました。これは誰でしょうか。これこそ張類村老先生の三号の杏花児が産んだ子供張正名で、すでに三四歳になっていたのでした。この正名坊ちゃんは小者の肩から降りますと、正心の前に走ってきました。

張正心

名児(ミンアル)、譚兄さんにご挨拶するんだ」

紹聞

「部屋の中に入って、挨拶をおし」

張正心は子供を抱き上げ、一緒に書斎に入りました。

 そして、子供を抱きおろすと、言いました。

「挨拶をするんだ」

名相公は紹聞に言われた通り拱手をしましたが、躓いて、転びそうになりました。正心は急いで引き起こすと、簣初のテ─ブルの前にも引っ張って行き、いいました。

「拱手をするんだ」

簣初は「人を揖するに必ず其の位を()る」という[14]礼に従い、席を離れて、深々と拱手をしました。正心

「この子に返礼などいりませんよ」

紹聞

「あなたの弟さんも、可愛い先輩です[15]

 紹聞は部屋の四方を見回すと、言いました。

「この子にあげるものが何もありませんが、どうしたらいいでしょう」

名相公はテ─ブルの上の筆立ての筆を指差して、

「あれがほしい」

と言いました。簣初はすぐに一本の古い筆を取って与えました。紹聞は名相公を椅子の上に抱き上げ、小者にささえさせ、白い紙を一枚与えました。名相公は筆を硯で湿らせますと、縦横に書きなぐり、すぐに口のすみや鼻が、真っ黒になりました。正心は、

「もうおしまいだ。書くのはおやめ」

と言い、筆をそっと奪いました。ところが、名相公は水差しの縄を引っ張って、引き寄せますと、手にもって放そうとしませんでした。正心

「壊れてしまうぞ。放すんだ」

名相公は承知しませんでした。紹聞

「この子にやりましょう」

名相公は水差しを手にして、小者と一緒に中庭で遊びました。

 正心は、簣初の新しい試験の答案をみますと、いいました。

「しっかり勉強していますね」

紹聞

「そんなに褒められなくても」

「本物の虎には、幼い時の泣き声にも、牛を食らう気迫があります。私たちは代々お付き合いをしている間柄、私には何もわかりませんが、それでも人間の質は分かります。面と向かって諂うことは、面と向かって罵るよりも、隠徳を損なうものです」

正心は、さらに、二十日の朝に点心を食べ、夜明けに道台の役所の東の轅門にいき、点呼を待つことを約束し、話が終わると帰ろうとしました。紹聞は引き止めることができず、一緒に中庭に行きました。小者は名相公の頭に小さな花を挿していました。まげには花が飾られ、鼻には墨がついていました。正心はそれを見ますと、ますますかわいくて仕方なくなり、抱き上げて頬擦りしますと、そっと名相公の唇を噛みました。名相公は泣き出しました。紹聞が水差しを拾いあげ、手に持たせますと、名相公はふたたび笑いました。正心

「手を放すんだ」

紹聞

「これは私が小さい時、王中が三銭で買ってくれたものです。ここ二十年ほど、どこかへいってしまっていましたが、先日、興官児が持ってきてテ─ブルの上に置いたのです。私はまだこの水差しのことを覚えていました」

張正心は、

「三銭の物でも、二十年たてば伝家の宝ですよ」

と言い、名相公の手から奪い取ろうとしましたが、名相公は放そうとしませんでした。紹聞はどうしても与えようとしました。正心

「日を改めてあなたに玉の筆床を贈りましょう。そうすれば釣り合うでしょう」

二人は一緒に門を出ました。張正心は、名相公を抱きながら、振り向いてお辞儀をすると去って行きました。

 紹聞

「門に鍵を掛けて下さい。家からはまだ食事をしらせにきませんから」

張家の小者が鍵を掛けますと、紹聞は、今まで通り書斎に入り、声をあげて勉強をしました。

 皆さん、この回では、夏鼎が来た後に、張正心が来ました。譚紹聞は片方を拒み、片方を迎えましたが、その違いは、鍵を部屋に隠すか、塀の外に投げるかの違いにすぎませんでした。人を拒むのも迎えるのも、決めるのは自分自身であり、他人ではないのです。

 

最終更新日:2010114

岐路灯

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[1]君子の恐れ慎むべき三つのもの。天命、大人、聖人の言。

[2] 「恭しくしている人は人を侮らないし、倹約家は他人から貪り取ろうとしない」。『孟子』離婁上「恭者不侮人、倹者不奪人」。

[3] 「金持ちになれば出費もかさむ」の意。

[4]原文「蚍蜉無傷于大樹」。韓愈の『張籍を調(あざけ)る』の「蜉撼大樹」(大蟻が大樹を揺り動かす)─「つまらぬ者が立派な者に関してあれこれ批評する」に因む言葉。ここでいいたいのは、「つまらぬものにあれこれ噂されても害はないというが」。

[5]原文「積羽沈舟」『史記』張儀伝にある言葉。つまらぬ噂でも人に害をもたらすことがある。

[6]風俗視察。

[7]府学の教官。

[8]州学の教官。

[9]県学の教官。

[10]教諭の副官。

[11]用度係。

[12]通知書。

[13]原文「竪旗礼」。秀才が貢生になると、宗祠や家の前に旗を立てた。

[14] 『礼記』曲礼上。「人に揖をするときはかならず座席から立つ」。

[15]張正名は、譚簣初にとっては、祖父の友人の子供にあたり、世代は譚簣初より上ということになる。

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