第七十九回

淡如菊は役人の話をして恥をかくこと

張類村は仲間と打ち解けて冗談をいうこと

 

 さて、次の日になりますと、昨日呼ばれた陪賓の盛希僑、王隆吉たちは、朝からやってきました。夏鼎は行きませんでしたが、そのことは申し上げるまでもございますまい。また、銭万里、淡如菊もやってきました。周家の小さなおじさんも続いてやってきました。程、蘇と孔纉経は、碧草軒にやってきました。王象藎は、宴席に出て茶を出し、とても慇懃に振る舞いました。彼は心の中には言いたいことが山ほどありましたが、仕事が忙しかったので、舌で言いたいことを目で示し、目で心を表すしかありませんでした。しかし、程公は、昔、王象藎と話しをしていましたので、王象藎が言おうとしていることが理解できました。このこともふたたび述べる必要はございますまい。

 王象藎は一言、

「張さまと張の若さまが来られました。小さな南の中庭にいらっしゃいます」

程嵩淑

「呼んできてくれ」

王象藎はすぐに言われた通りにしました。間もなく張類村がやってきました。程嵩淑は笑いながら拱手して、

「桃葉渡から来られたのですね」[1]

張類村も笑って、

「ちょうど杏花村から来られましたね」[2]

程嵩淑

「類村兄さんは年をとられたのですから、いつも『衣を沾し湿らんと欲す杏花の雨』ということになってはいけませんぞ」[3]

張類村はさらに言い返して、

「一回だけでも大変なのに、『重重畳畳として瑶台にのぼる』ことなどできません」[4]

部屋中の人々はどっと笑いました。

 蘇霖臣

「類村兄さん、あなたはこんなに連句することができるのに、あなたに衝立の文章を書くように頼んだときには、どうして謙遜して、八股文しか知らないとおっしゃったのですか」

張類村

「私はもともと学問もありませんでしたが、二人の女が諍いを起こし、塩と梅とを調和させ[5]、陰と陽とを和合させたお陰で、多くの知識を積むことができました。もし試験官が『(あるひと)()を乞ふ』という問題を出せば、私は年を取ったとはいえ、必ず一位合格するでしょう」[6]

程公はハハと大笑いして、

「その問題は引用された後の部分が大事なのです。『隣に乞う』の二字を犯せば、まずいことになりますよ」[7]

笑っておりますと、張正心が門の前にやってきて、後輩の礼を行いました。人々は旧友同士で冗談を言うのをやめました。

 間もなく、譚紹聞が観劇に誘いにきました。人々は立ち上がって歩いてゆきました。裏門に着きますと、紹聞は近道だから女達がいるところを通ってゆくようにと言いました。

蘇霖臣

「まずくはないのか」

紹聞

「家の中には女の客が招かれておりますが、彼女たちに門を全部閉めさせましたから、通り過ぎても構いません」

 そもそも呼ばれた女の親戚たちには、あらためて帖子を出して呼んだ者や、祝いの品をもって自分からやってきた者があり、来ていない者は一人もありませんでした。また、東隣の芹姐が里帰りしており、観劇に呼ばれておりました。

 客たちが楼のある中庭に行きますと、入り口はすべて閉まっていました。張類村は立ち止まって言いました。

「お母さまを呼んできてくれ。会ってお祝いの挨拶をするから」

紹聞は身をかがめて言いました。

「みなさまに挨拶をして頂くなどとんでもございません。それに女たちがいる場所で、差し障りがございますから、劇を御覧になって下さい」

程嵩淑

「表では劇がもう始まっています。女の方々はきっとお忙しいのでしょう。劇を見た方がいいでしょう」

人々は衝立の裏に行き、徳喜児は堂簾を開き、一緒に建物を出て客間に行きました。劇はすでに半幕が上演されておりましたので、人々は拱手をするとばらばらに腰を掛け、茶を手にとって演技を見ました。

 実は盛公子が選んだのは、すべて端幕で、文官がきらきらした蟒袍、武官がぴかぴかの鎧をつけ、女役がしなをつくって人の魂をとろけさせ、道化役がぺらぺらとまくしたてて人を笑わせるものに過ぎませんでした。昼近くなりますと、銅鑼と太鼓がやみました。客たちはそれぞれ退席し、帳房に行って用を足しますと、閑談しました。

 一時たちますと、小者たちがテーブルを並べ、椅子を置き、肴と小皿を並べました。劇団は笛を演奏しました。紹聞は客たちに着席するよう懇ろに勧め、杯を捧げましたが、誰も受けようとはしませんでしたので、仕方なく略式の挨拶を行いました。人々は言われた通りにしたり、席を譲ったり、互いにしばらく遠慮しあったりしましたが、劇の山場を見過ごしてしまう恐れがありましたので、全員で無作法を詫びる拱手を行い、

「勝手に座りましょう。失礼致します」

と言いました。上座には三つの席が設けられ、真ん中の席が正面に置かれていました。

張類村

「少し斜めになっていた方がいい」

紹聞は進みでてやんわりと言いました。

「後ろの女子供達が劇を見られなくなってしまうかも知れません。おじさんたちはご年配なのですから、正面に座られるのが宜しいでしょう」

張類村は、

「それでは失礼しよう」

と言い、首座に座りました。程嵩淑は次座に座りました。東側では周無咎が末席に座り、西側では王隆吉が末席に座り。東側の席は、首座に蘇霖臣、次座に孔纉経、末席には張正心、夏鼎が着きました。西側の席には、首座に淡如菊、次座に銭万里、末席は盛希僑で、紹聞が主人の席に着きました。その他の大勢の客は、二列になった席に腰を掛けました。

 徳喜児たち小者は、冷たくなった酒を取り換え、熱燗を注ぎました。紹聞は立上がり、身をかがめて、小者たちと一緒に酒を勧めました。劇団は宴席も終わりだと察しをつけ、『指日』[8]を舞い、客たちは赤いお祝儀袋を出しました。彼らが演目をもって客がいるところを歩き、劇を選んでもらう必要はありませんでした。すでに盛公子が『長生殿』の演目を選んでいたからでした。

 大勢の客が杯を手にして観劇したことはお話しいたしません。その中で淡如菊の事だけをお話いたしましょう。彼はとても不愉快な思いをしていました。彼は、溜め息をつきながら、黙ってこう考えていたのでした。

「あちこちの州、府、県では、刺史[9]、令長[10]はもちろん、二千石の役人[11]でさえも、俺たちと会って話しをするときは、必ず俺たちのことを先生と呼ぶものだ。彼らは俺たちを上座に座らせたり、俺たちがたくさん食べることができないのを心配したりし、ろくでもない生員や貧乏書生をありがたがったりすることはない。生員や貧乏書生どもは口の上に黒い髭をはやしてはいるが、出世する日などあるものか。あいつらが身につけているのは粗末な木綿の着物で、絹の袍を着た奴はいない。ところが、あいつらは他省から来た客だと一言いうと、席を譲る素振りもみせず、僣越にも上座に座っていやがる。俺が身分を話さなければ、あいつらは、目の前にいる俺さまが誰だか分からないだろう」

そして、心の中で、顔魯公[12]の『争座位帖』を臨書しましたが[13]、話しをするきっかけがありませんでした。やがて、何杯か飲みますと、銭万里にむかって言いました。

「銭さん、ここ二三日役所にいたのかい」

「明日になれば俺は当番ではなくなるよ。昨日は尉氏[14]の秦さんが来た。あの人が明日出勤して、俺と交替するんだ」

「汝寧府からは来たかい」

「あの人は春に一回省城にきたが、今までずっと来ていなかった。昨日十五日に、受付けの帳簿にあの人の上申書を記録しておいたよ」

「あの人は西平県[15]の事件で大変だね」

「何のことだい」

「大変なんだよ。西平で大事件が起きたんだ。強盗傷害事件だ。西平には若い進士が赴任したが、彼は、着任して日も浅いので何も分からず、強盗が良民を事件に連座させると、良民を夾棍にかけて事件を終わらせたんだ。人々は承知せず、府に訴え、府知事さまは、先日、俺の上役に審理を頼んだので、俺はついていったんだ。ひどい事だと思わないか、年若い進士の面倒を、俺たちがみてやらなければならないんだよ。読書人というものは、何も分からないのがほとんどで、仕事を間違えると、取り返しのつかない間違いをしでかすんだよ。俺たちは心の中では、騒ぎを起こしてあの人をやめさせたくてたまらないんだ。だが、あの人だって十年間苦学し、九年間灯油を費やしてきたのだろうから、俺たちも簡単に騒ぎを起こしてやめさせるわけにはゆかないんだ。まったく辛いことだよ」

「ひどいことを言うようだが、西平県知事はとんでもない人さ。あの人は、六月に布政司の役所に来て[16]、手本を提出して謁見を求め、話しをしたいことがあると言って、広間にやってきて腰を掛けたが、門番への礼金と奥のお茶汲み、奥の受付け係への分配金の件では、あの人に腹が立つ思いをさせられた。あの人は、お役人の銀子は白鳥の肉のようなもので、みんながそれを分けあおうとしているということがまったく分かっていなかったよ。俺たちは大きな肉の塊を食べることはできなくても、小さな肉の切れ端にして食べようとしていたんだ。ところが、あの人は俺たちが大きな敷居であることなどまったくお構いなしだったよ。うちのような大きな役所が、あの人の家の堂楼と同じだというわけでもないだろうにな」

 盛希僑は、銭師傅と淡如菊の話を聞いていましたが、とても嫌な気分がしましたので、言いました。

「布政司の堂楼の門前など、しょっちゅう通っているどころか、俺は堂楼に住んでさえいるのだから、少しも珍しいとは思わないぞ。おまえは俺を知らないのか、俺は娘娘廟街の北に住んでいる盛という者だ。さあ、みなさん、劇を見ましょう」

銭万里は雲行きが怪しいと思いましたので、銅鑼や太鼓が鳴り響き、喇叭や鐃鉢が響いたのをいいことに、口をつぐんで劇を見はじめました。

 まもなく料理が出てきて、海山の物が並べられました。スープや御飯が出されますと、二人の旦が、軽やかに絨毯の上で劇を演じました。盛希僑は、瞬ぎもせずに彼らを眺めながら、席上の人々が喝采すれば、執事に命じてお祝儀を与えようと考えていました。しかし、野暮な老人たちがまったく面白そうにしていませんでしたので、ひどく不満な気分になりました。すると、急に淡如菊が言いました。

「家を離れて十年になるが、綺麗な衣装や旦を一人も見たことがないな」

紹聞

「彼らは山東から迎えたものです」

淡如菊

「みんな私の郷里で捨てられた、値打ちのないものですよ」

この「値打ちのないもの」という一言が、盛公子の心をぐさりと突き刺し、彼の胸の中に雷を轟かせました。盛公子は、振り向くと声を荒げて言いました。

「淡師爺[17]、淡老先生、劇を見るのは構わないが、勝手にけなさないでくれよ。あんたみたいな人は、家に財産があるわけでもないし、地位があるわけでもない。あんたは、郷里で劇を見るときは、城隍廟の舞台の隅で、空いているところに割り込み、両足を踏ん張り、顔を天に向けているだけだろう。とてもいい旦が出てきても、あんたは目をじいんとさせて、唾を飲み込みながら、うらやましがっているだけだろう。宴席であれこれ言うのはやめてくれ」

紹聞は盛希僑が乱暴なことを言ったので、急いで口を挾みました。

「盛兄さん、どうされたのです、劇を見ましょう」

盛希僑は役者を怒鳴りつけて、

「値打ちのない者ども、引っ込め。人様に胸糞の悪い思いをさせないようにしろ。[18]馬鹿坊ちゃんの俺につまらない思いをさせないでくれ」

 淡如菊は「布政司の堂楼の門前云々」という話を聞き、盛希僑が立派な旧家であることを知りました。彼は城隍廟の舞台の隅で観劇した経験もありましたので、劇がその場でとりやめになってしまいますと、大いに興ざめだと思いました。そこで、小便すると称して、煙のように去ってしまいました。

 徳喜児が淡如菊が帰ったと告げたので、紹聞は急いで追い掛けました。張類村たちは、少し腹を立てていました。しかし、程嵩淑だけは笑って、

「すばらしい、すばらしい。劇を続けてくれ」

盛希僑

「程さまのご命令だ。劇を続けろ」

そこで、銅鑼や太鼓がふたたび響き、二人の旦が舞台に上がりました。

盛希僑

「先ほど、私は軽はずみなことをしたのではありません。淡如菊の言葉が、本当に我慢ならなかったのです。進士が、すべてあいつらの手に握られているのなら、人々が進士にお祝いをするということは聞かれるのに、幕僚にお祝いをするということが聞かれないのはどうしてでしょうか、二人の旦は、あまり綺麗ではありませんが、それは仕方ないことです。山東、河南に来るのは、あいつの住んでいた南方でやっていけなくなった値打ちのないものなのです。まったく腹が立ちます」

程嵩淑

「あなたはご存じないのです。彼らこそ南方からきた値打ちのない者たちなのです。彼らの故郷はいい所なのに、彼らは家で豊かな暮らしをせず、外で役人になっているのです。彼らは値打ちのない者ですから山東、河南で、あちこちをまわっているのです」

盛公子

「先生方が怒っていないことを知っていれば、私は乱暴なことは言いませんでしたよ」

 皆さん、この回は、わざと醜悪なことを描いたわけではありません。正論は以下の部分にあるのです。古人は「文人の相軽んずるは、古より然り」[19]といっています。幕僚には、地位があり、学問のある人間がないわけではありませんが、そのような者はあまり見受けられません。彼らは、試験に合格できず、学問が十分でありませんから、上官の下で公文書を取り扱っている生員がいれば、「草野笑うべし、律例通ぜず」[20]ということを心に刻み付けてしまうのです。そして、このような気持ちをもてば、筆を手にとるのは簡単で、判決を書けば、蘇東坡の喜笑怒罵の文章[21]になることを免れません[22]。「以、准、皆、各、其、及、即、若」の学問[23]と「之、乎、者、也、耳、矣、焉、哉」の学問[24]は、両方ともよくできるというわけにはゆかないものです。ですから、本当に見識のある人は、決して軽々しく役所に文書を提出したりはしないものです。自重自愛せずに、嘲笑され、下役たちの評判が固まり、県で笑いの種になってしまいますと、あなたが登聞鼓[25]を叩いても、このとんでもない冤罪を雪ぐことはできなくなってしまうのです。ですから、このようなことをわざわざなさることはないのです。

 さらにもう一つ話がございます。およそ世の中では官を主といい、幕僚を客といわないものはありません。しかし、李謫仙[26]の二句を借りていえば、実際は「夫れ幕友は、官長の逆旅。官長は、幕友の過客なり」[27]なのです。彼らは利によって友となった者たちですから、一生一人の人間に付き従うことはあまりないのです。ですから、役人で見識のある人は、あらゆることを自分でとりしきろうとし、法律や経理のことを彼らに相談するだけなのです。自分が心を空しくして彼らの言うことをよく聞けば、幕僚たちは親し気にしますが、彼らを疎略に扱えば、彼らは利を同じくすることはあっても害をともにすることはないでしょう。

 無駄話はこのくらいにして、ふたたび劇の話を致しましょう。紹聞は淡如菊に追い付くことができませんでしたので、急いで戻ってきて客の相手をしました。その時、食事は終わっており、首座の張類村は、すでに席を立とうとしていました。人々はそれを見ますと、一斉に立ち上がり、役者たちは銅鑼や太鼓を鳴らすのをやめました。銭万里は紹聞に別れを告げました。王隆吉は女達が一斉に奥の楼に戻るのを見ますと、伯母に会うとも言いませんでした。孔纉経も、家に誰もいないので帰りますと言いました。周無咎は奥に人がたくさんいるのを知っていましたので、小者に、轎かきに轎を担いでくるように促すように命じ、新婦と一緒に帰ろうとしました。紹聞は贈り物と来訪への感謝を述べ、役者が太鼓や笛を吹く中を、一緒に門の外まで送りだしました。

 張類村

「正心、裏へ行って車が来ているかどうか見てくれ」

張正心は伯父の命令を受けますと、一緒に大通りに出て、胡同を曲がって車を見にゆきました。紹聞は客を送って戻ってきますと、言いました。

「おじさんたちはお泊まりになり、夜の劇を御覧下さい。どうかお帰りにならないで下さい」

張類村

「わしは座っておれん。腰がとても痛いのだ。劇は見られないし、控えていることもできん」

紹聞

「寝ていても座っていても構いませんから、どうか泊まってください。お泊りにならないのなら、劇を見終わってから、私がおじさんを胡同の入り口の小さな南の中庭までお送りしましょう」

程嵩淑は笑って

「類村兄さん、紹聞が泊まってくれと言っているのだから、今晩はとりあえず『外』を演じることにしてはいかがですか、[28]

張類村は笑って

「『外』を演じるのは勿論、『末』でも、『吾これを如何ともする()きのみ』です[29]

程嵩淑は笑って

「それは『旦復た旦』[30]を困らせることになるではありませんか」

張類村は笑って

「明日、『一旦溝壑に填まる』ことになったら[31]、私もどうしようもありません」

蘇霖臣

「『旦旦(あさなさな)之を伐る』[32]ことになれば、恐ろしいことですからね」

張類村

「旦ではありません。一人は白丑で、もう一人は黒丑です[33]。老生は彼らを管理することができません[34]

黒い髭を生やした旧友たちは、女たちに関する冗談を言い始め、一座の人は思わず笑いました。

 間もなく、徳喜児がやってきて言いました。

「張正心さまが、裏門で、張類村さまに車に乗るようにと仰っています。張類村さまは裏庭を通っておゆきください」

張類村

「譚紹聞がわしに菓子を一包みくれた。わしはいい年をして恥をかいてしまった」

紹聞

「ありあわせの物ですよ」

程嵩淑

「如君[35]を細君にしたのですね」

張類村は

「盧仝の下女[36]のようなもので、及ばざること甚だしいというものですよ」

と言い、笑いながら別れました。紹聞は彼らの案内をして奥の中庭を通って行きました。

 の客では、程、蘇、盛、夏が夜の劇を見ました。女の客にも幾人か泊まる者がいました。王氏は、周家の若い舅通[37]を引き止めて放しませんでしたので、周無咎は、仕方なくおもての広間に戻って劇を見ました。他は、王隆吉の女房韓氏、馬九方の女房姜氏、地蔵庵の慧照、巫守敬の女房卜氏、巴庚の女房宋氏でした。巫氏の母親は、もちろん帰っていませんでした。男の客五人、女の客七人は、晩の劇を見る準備をしました。

 実は、程公は毎月版木の校正をしていましたが、彫られた批語がよくないと思ったので、ふたたび批語を彫らせたり、付け加えた批語をさらに補刻させたりしていたのでした。そして、今まで神経を使ってきたので、劇と酒で気晴らしをしようと思い、蘇霖臣を引き止めて晩酌をすることにしたのでした。

 劇が四五幕上演されますと、巫氏と姜氏は簾の中から劇の話を始め、笑い声が簾の外にまで聞こえました。程公は自分がいては差し障りがあると考え、蘇霖臣と一緒に行こうとしました。盛希僑は数日間ぶっ続けで騒いでいましたので、さすがに元気がなくなっていました。夏鼎は、人々が帰ろうとしているのを見ますと、家に人がいないのに、女房に一人でお通夜をさせては、寂しいだろうと思い、帰ろうとしました。そこで、盛希僑と一緒に帰ることになりました。紹聞は彼らを引き止める事もできず、表門から送りだしました。人々は月影を踏んで帰りました。

 劇も終りましたが、巫氏だけは承知をせず、紹聞にさらに三幕を選ばせました。役者は歌うのが嫌でしたが、通りでは賑やかに歌っていましたので、仕方なく命令に従いました。しかし、丁寧に演技をする気はありませんでした。巫氏はどうしても『尼姑』の一幕を歌わせ、新しく契りを結んだ慧照をからかおうとしました[38]。簾の中では人々が笑い、ようやく劇がおわりました。

 ここ二回では、街の人々が衝立を贈ったときの華やかな様子、広間の前で劇を演じる歌声の美しい様子を述べました。これは、読書人の家にとっては、豪華の極み、楽しみの極みであると申せましょう。ここで、ふたたび冷や水を背中に浴びせるような話しを致しましょう。まさに灯は尽きる前に輝き、木は倒れてから強い芽を出すというものです。盛家の九十両は─満相公がお祝いの後に借金の書き付けを送りましたが─使われたお金を差し引きますと、幾らも残っていなかったのでした。実にひどい話しではありませんか。

 

最終更新日:2010114

岐路灯

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[1]桃葉渡とは晋の王献之が愛妾桃葉を送った渡し場のこと。この台詞でいいたいことは「妾と別れてこられたのですね」ということ。

[2]杏花村とは、杜牧の『清明詩』「清明時節雨紛紛、路上行人欲断魂。借問酒家何処有、牧童遥指杏花村」に因む言葉で、「酒場があるところ」という意味。この台詞でいいたいことは「酒を飲んでこられたのですね」という意味。

[3]詩の表面上の意味は、「杏の花に降る雨は衣を濡らす」という意味だが、「雲雨」という言葉が男女の情交を示すように、「雨」とは男女の性行為の陰喩。したがって、台詞は「しょっちゅう雲雨を行ってはいけませんぞ」という意味。

[4] 「瑶台」とは仙宮、楽園のこと。台詞は「何度も何度も楽園にのぼることなどできません」という意味。

[5]塩は塩辛いものの、梅は酸っぱいものの代表。ここでは杜氏と杏花児をいう。

[6] 「或るひと醯を乞う」は、『論語』公冶長「子曰『孰謂微生高直。或乞醯焉、乞諸其隣而与之」(先生がいわれた「微生高が正直だなどと誰がいうのか。ある人が酢をもらおうとしたら、隣の人に頼んでこれを与えた)にちなんだ言葉。「醯」は「醋」と同義であり、「乞醯」と「吃醋」(嫉妬する)は字形が似る。台詞で言いたいことは「もし試験官が『或るひと()を乞う』─『或るひと嫉妬す』について論ぜよという問題を出せば、嫉妬深い妻に酷い目にあわされている自分は、つぶさに論述をすることができるから、必ず一位合格するだろう」という意味。

*「隣に迷惑を掛けては、まずいことになりますよ」という意味。「隣に乞う」も『論語』公冶長の「子曰『孰謂微生高直。或乞醯焉、乞諸其隣而与之』(先生がいわれた「微生高が正直だなどと誰がいうのか。ある人が酢をもらおうとしたら、隣の人に頼んでこれを与えた」に因む言葉。

[7] 「隣に迷惑を掛けては、まずいことになりますよ」という意味。「隣に乞う」も『論語』公冶長「子曰『孰謂微生高直。或乞醯焉、乞諸其隣而与之』(先生がいわれた「微生高が正直だなどと誰がいうのか。ある人が酢をもらおうとしたら、隣の人に頼んでこれを与えた」に因む言葉。

[8]第二十一回で出てきた『指日高升』のこと。

[9]知州の雅称。

[10]県の長官。

[11]知府。

[12]顔真卿。唐の将軍、書家。

[13] 『争座位帖』は顔真卿が郭英乂に送った書状。郭英乂が宮中に置ける席次を乱したことを非難する内容。書道の法帖とされた。本文にいう「『争座位帖』を臨書しましたが」とは「席次を争う気持ちを抱きましたが」ということ。

[14]河南省の県名。

[15]河南省の県名。

[16]原文「六月上司来」。銭万里は布政司の書吏。第五回参照。

[17] 師爺は幕僚に対する呼びかけ。

[18]原文では、この部分に「這些話、嚇馬牌子罷」とあるが何を意味するか未詳。

[19] 「文人が軽蔑しあうのは昔からのことだ」。曹丕『典論』論文。

[20] 「まったく無知だなあ、法律も分からないなんて」。典故がありそうだが未詳。

[21]日常生活の喜笑怒罵を美しい詩文にしたもの。

[22]日常生活のありふれたことを文章にするように、簡単に判決文を書いてしまうということ。

[23]法律知識のこと。「以、准、皆、各、其、及、即、若」は法律文書などでよく使われる字。

[24]経書の学問のこと。「之、乎、者、也、耳、矣、焉、哉」は経書などでよく使われる字。

[25]朝廷に訴えをするときに叩く太鼓。

[26]李白。

[27] 「幕僚は、役人の宿屋、役人は幕僚の旅人である」。『春夜宴桃李園序』の一節「夫れ天地は、万物に逆旅にして、光陰は百代の過客なり」のパロディー。

[28] 「外」とは劇の老け役のこと。ここでは、「『外』を演じてはどうか」ということと、「外泊してはどうか」ということを掛けてある。

[29] 「末」とは劇の中年男役。『吾これを如何ともする()きのみ』は『論語』子罕の言葉。「外泊してはどうか」という程嵩淑の勧めに対して、「末」という字を使った『論語』の一句を利用して「どうしても外泊することはできない」といったもの。

[30] 『尚書大伝』虞夏伝、卿雲歌に出てくる言葉。「旦」は演劇用語としては女役をさす。ここで、「旦復た旦」というのは、張類村の妾杜氏と杏花児をさす。

[31] 「杜氏と杏花児のどちらかが殺されたら」という含意がある。

[32] 『孟子』告子上。ここでは「杜氏と杏花児が争う」という裏の意味を持たせている。

[33] 「丑」は演劇用語としては道化役をさすが、「醜い」という意味もある。「白丑」「黒丑」は「色白の醜い女」「色黒の醜い女」という意味で、杜氏、杏花児をさす。

[34] 「老生」は老けた男役のこと。ここでは張類村自身をさす。

[35]妾のこと。如夫人ともいう。『春秋左氏伝』僖公十七年「齊侯好内、多内寵、内嬖如夫人者六人」にちなむ言葉。

[36]盧仝は唐代の詩人。年老いて醜い下女を使っていたことで有名。「盧仝婢」は醜い女の代名詞。

[37]祖母の兄弟の妻。

[38] 『尼姑』は尼が俗界への思いを断ち切れず寺から抜け出す物語であろう。傅惜華編『北京伝統曲芸総録』には、俗曲の題目として『尼姑思凡』『尼姑下山』『尼姑自嘆』『尼姑思春』『尼姑嘆』が著録される。

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