第七十七回
賢い食客が祝賀の名目を代わりに考えること
老いた学究が学問の本質を自ら述べること
さて、巫氏が出産し、初めての男の子を得ましたので、一家はとても喜びました。しかし、道士が錬金術を行ったり、銅匠が銅銭を鋳造したりしましたので、上へ下への大騒ぎとなり、懸弧[1]のお祝いをすることができませんでした。三日たちますと、巫家からようやく喜盒[2]が送られてきました。まもなく、巫氏の母親の巴氏が、末っ子の巫守文を連れてやってきました。王春宇の家の喜盒も届き、王隆吉が母親とともにやってきました。巴庚、銭可仰、焦丹もみんなで一つの盒子[3]を担いでやってきました。そこで、来客を一度にもてなし、王象藎が置いていった二百文の新しい銅銭に、古い穴空き銭を混ぜて、お祝儀を出すことにしました。
徳喜児が下男たちへのお祝儀袋を配っておりますと、突然、宝剣児が大きな毛氈の包みを小脇にかかえてやってきました。徳喜児は主人に、盛家からお祝いをもってきたと告げました。紹聞は宝剣児を広間に呼びますと、尋ねました。
「先に戻ってきたのか」
宝剣児は叩頭しますと、言いました。
「一緒に戻って参りました」
「お前の若さまから手紙が来て、浙江にも行ってくると書いてあったが、どうしてこんなに早く帰ってきたのだ」
「主人はおじのために家族を送ろうとしましたが、おじは主人が杭州の西湖にいって金を使うのを心配し、行かせなかったのです。それに、河南のご隠居さまは高齢で、弟は若く、家には他に人がおらず、一年と半年心配することにもなるので、おじはどうしても主人を帰らせようとしたのです。ちょうど山東の省城の親戚たちが送別をした時、崑曲の劇団に、家で劇を上演させました。中に老旦[4]と、一人の副浄[5]がいました。彼らは、もともと私たちの劇団で演技をしていた者で、今、山東のこの劇団が衣装箱とともに売られようとしていると言いました。この二人が間にたって話をつけ、私たちは人と衣装箱を買ってきたのです」
「どうしてそんなにうまく、先方が売るのを承知したのだ」
「彼らは山東の郷紳が養っていた窩子班[6]なのです。戯主が病死し、その家のご隠居さまが、劇団を家に住まわせるのはよくないといったので、値段に構わず売ることにしたのです。主人は、二人の旦が若くて美しく、包頭[7]をとっても、女のようで、声がかれても笛のように良い声なのを見て、どうしても放っておこうとはしませんでした。そして、たったの五百両でしたので、その場で百両を渡し、残りは来年完済することにし、契約書をかき、衣装箱ごと全部買ってしまったのです。主人はがらくた─虎の面、竜の頭、亀の甲羅、蟹の殻、上帝の面、弥勒の面、古い兜、槍、刀、銅鑼、太鼓、喇叭それに古い蟒衣[8]、女ものの衣装、頭巾、破れた靴を四つの箱にわけ、歴城県[9]の快頭[10]に売ってしまいました。その快頭は、羽振りの良い下役で、二つの劇団を招き寄せていました。一つは山東の弦子劇[11]、もう一つは隴西の梆子腔[12]でした。彼は四十両の銀子を払って買っていきました。主人は綺麗で新しい物を、四つの箱に入れ、私たちの家にいた老旦、副浄に渡し、箱を管理させ、一緒に河南に戻ってきたのです。彼らには四十両を渡して旅費にさせました。人々は、五百両の値段は、昔の十分の三にも満たないと言いました。私がもってきたこの毛氈の包みの中身は、主人から譚さまへの贈り物です。沂州[13]の繭綢二疋、張秋鎮[14]の絨毯二つ、陽穀県の阿膠[15]一斤、曲阜県[16]の楷芽[17]一封です。まったくつまらないものですが、譚さまにとりあえずお納め頂き、遠出から帰った者の贈り物と致しましょう」
「ご苦労さま。ご苦労さま」
「それからもう一つ、主人が譚さまにお暇があれば、今日お会いしたいと申しておりますが」
「僕はとても忙しいんだ。子供が一人生まれて、親戚が喜盒を送ってきたので、ここ二日は、客をもてなすことを考えていたのだ」
宝剣児はふたたび叩頭してお祝いを言い、明日、娘娘廟街に行くことを取り決めました。宝剣児を引きとめて食事をとらせようとしますと、宝剣児はそれを断り、お祝儀を与えると行ってしまいました。盒子を担いできた者もお祝儀を貰って帰っていきました。
紹聞は楼の下に行き、客をもてなすことについて相談しました。王氏
「女の客たちはみんな帰ってしまって、お前のお義母さんが泊まっているだけだよ。今はとりあえず小麺[18]をさしあげている。満月[19]になったら上等の湯麺を食べて頂こう[20]」
「お母さんのお好きなようになさってください」
「とりあえず喜盒を届けてきた人達を呼ぼうと思うのだが、喜盒を贈ってこない女の親戚たちも呼ぶことにしよう。私はあの人達のことが気になっているんだよ。お祝いごとの場を借りて、会うことにしよう。ただ、うちは以前ほど裕福ではないから、金を払うのに一苦労しなけばならないよ。どうしたら良いだろうね」
「明日になったらもう一度考えましょう。盛兄さんがうちから百二十両借りているのです。僕は、明日、盛兄さんに会いにいきますから、金が手にはいれば、お母さんが招待したい人は誰でも、呼ぶことにいたしましょう」
「それは良い」
その晩のことはお話しいたしません。
次の日になりますと、紹聞は徳喜児を連れて盛家に行きました。ちょうど盛希僑、満相公が門口で衣装箱を卸すのを見ており、役者たちが群がっていました。盛希僑は譚紹聞を見ますと、彼を引っ張って、一言いいました。
「おめでとう。おめでとう。またお子さんが生まれたんだってね」
すぐに広間に行きました。紹聞が拱手をして、
「長旅お疲れさまでした。それにたくさんの贈り物をありがとうございました」
と言おうとしますと、盛希僑
「拱手はしなくて良いよ。僕の事はどうでも良い。いつ満月のお祝いをするのか教えてくれ。劇団を送るから」
「僕の近況を御存じないのですか。満月のお祝いをすることはできません」
盛希僑は笑って
「君、そんな景気の悪いことを言わないでくれ。昨日、宝剣児が戻ってきて、君におめでたがあったと言ったから、僕はもう計画を立ててしまったのだぞ。君に百二十両借りているが、今日はまず二十両払おう。持ち帰って、手元不如意の足しにしておくれ。君が満月のお祝いをするときにさらに百両を送れば、僕たち二人の借金はなしということになる。君が満月のお祝いをしなければ、君への借金はなく、僕が衣装箱を買うのを君が助けてくれたということにし、一切をご破算にしてしまうぞ」
盛希僑の話を聞きますと、紹聞はすっかり彼に従ってしまい、承知しようとしました。盛希僑は満相公を呼んでこさせました。満相公は広間の階段を上ってきますと、
「おめでとうございます。おめでとうございます」
と言い、
「先ほどはとりこんでおりまして、拱手致しませんでした」
そして、紹聞の前にきますと、拱手して跪きました。
「ご子息が誕生され、大変おめでとうございます。日を改めてお屋敷にお祝いに上がります」
「たまたま男が増えただけのこと、わざわざお越し頂く必要はございません」
「もったいぶった言葉を聞くと体がむずむずするよ。はやく本題に入ろう。僕は、今度、譚くんが満月のお祝いをするときに、新しい劇団に劇を上演させることにしたのだ。綾子の条子[21]、紙の対聯、絹の幛子[22]は必要はない。いっそのこと衝立を送ることにしよう。明日、舞台を飾ったり、中庭に小屋掛けをたてたり、提灯や薬玉を下げたりするのは、満相公の仕事だぞ」
満相公
「もちろんお役に立たせて頂きます。他の事は何もできませんからね」
盛希僑
「まず貼り札を書いてもらおう。巡撫、巡按[23]、布政司、按察司の照壁の裏に四枚、五つの役所に五枚、君は十枚ぐらい書いて、下男に貼りに行かせてくれ」
紹聞
「劇は上演して頂くとしても、衝立は頂きかねます。息子が一人生まれたくらいで、大騒ぎなさる必要はございません」
「遠慮する必要はないよ。君は何も損をしないんだからな。僕は七つか八つの衝立を持っていた。弟に四つを分けたが、僕はまだ四つ持っているんだ。鼈甲や漆塗りの衝立は君にはあげないが、他の物の中から君に一つを選んでもらい、絵を残し、古い文字をとりさって、新しい文字を貼り、当日届ければ、格好がつくじゃないか」
「満月のお祝いで劇を上演するにしても、衝立は絶対に頂けません。とりあえず衝立の上に何を書くのかおっしゃってください。人々が笑いの種にするではありませんか[24]」
満相公
「簡単ですよ。ご隠居さまのご誕生祝いの衝立にするのです」
紹聞
「母親の誕生日と、子供の満月は、半年も違うのに、どうして誕生祝いの話をされるのですか」
「ご隠居さまは七十近いのですから、ご老人にとってはいつでも吉日です。必ずしも誕生日にお祝いをされる必要はありません。誕生日の前にお祝いをし、人に文を書いてもらい、孫が生まれた事もついでに書いてもらえば、二重のおめでたで、先祖を輝かし、子孫を豊かにすることができるでしょう」
盛希僑はハハと大笑いして、
「満相公、お前はまったく話がうまいな。お前がいつもこんなに利口なら、たとえお前がぶらぶらしていたって、俺はお前を怒鳴ったりはしないんだがな」
満相公は笑って、
「やめてください。普段私を怒鳴ってらっしゃるじゃありませんか。譚さまの前で見栄を張るのはおやめください」
「まあそれはともかく、お前、東の中庭にいって二人の旦を呼んできてくれ。譚君が一目見たら、すぐに話がつくだろう。譚くんは玉花児、九娃の事も忘れてしまうぞ」
「宝剣児は何も仕事をしていませんが」
「譚くんたちが車から降りたとき、お前の目はどこを見ていたんだ。お前が呼びに行け。涼しい顔をしているんじゃない」
まもなく、満相公は二人の旦を連れて広間にやってきました。盛希僑
「譚さまに叩頭するんだ」
二人の若い旦は、譚紹聞が豪商や高官ではなさそうだと思ったので、腰を少し曲げますと、言いました。
「叩頭致しました」
紹聞は、二人を見てみましたが、真っ白な丸顔に、桃の花びらのような色が浮かんでおり、吹いたり弾いたりするのも本当に上手でした。そこで、満月に劇を上演することを、八九割承知して、こう言いました。
「とても綺麗だね」
盛希僑
「まだ歌を聞いていないだろう。この子の喉はまるで天然の簫の笛のようだぜ。譚くん、劇を上演させることにしようよ」
紹聞は少しうなりますと、言いました。
「まあ、上演してもらうことにしましょう」
公子は満相公に向かって、
「どうなんだ」
旦
「数日後にしてください。私たちは疲れています。数日休んでからそちらへ伺いましょう」
盛希僑
「馬鹿な子だな、誰がすぐに劇を上演しろと言った。この前、おじ上の宴席で、陳さんがお前たちに三つの劇をたてつづけに上演させていたが、席上の人々は、陳さんはお前たちを大事にしていないと言って怒っていたぞ。お前たちは一幕上演したときに、出てこようとしなければよかったんだ。そうすれば、陳さんも自分が野暮であることに気が付いただろうに。もう一度言うが、お前たちが来たばかりなので、僕はまだ料理人にお前たちのことを話していない。何か食べたくなったら、何でも宝剣児に言うが良い。馴染みがないために損な目に遭わないようにしろよ。二人とも休むが良い」
二人の旦はゆっくりと行ってしまいました。
紹聞
「あなたが熱心に勧めるので、僕は劇の上演を承知してしまいました。しかし、僕は、今、手元にお金がありません。『利口な嫁でも米なしの粥は炊けない』[25]といいます。どうしたら良いでしょう。今日はきちんと相談をし、後日、取り決め通りに事を運ぶことにしましょう」
盛希僑
「何が『取り決め』だ。銀子が『取り決め』なんだよ。『火が強ければ豚の頭もやわらかくなる。金がたくさんあればお役人を動かすこともできる』という。満相公、帳房に幾ら金があるんだ」
満相公
「先日、希瑗さまが土地税三十両を納められたので、他にはお金はありません」
盛希僑
「譚君、とりあえず持ち帰って使ってくれ。残りの九十両は、今度届けよう」
満相公
「銀子のことはそれで良いとして、衝立はどれを使われますか」
盛希僑
「西の廂房に置いてある衝立をあげよう。成化年間に沈石田[26]が書いた山水画だそうだ。彼のどこが良いのか僕には分からん。字をひきさいて丸め、緞子を買って、文章を書き、上に貼ることにしよう。満相公は、すぐに表装をし、錦で縁取りをし、金泥を買ってくれ。仕事が終わり、お祝いが近付いたら、今度は小屋掛けを買ってきてくれ」
満相公
「作文と金字を書くこと以外は、私がすべてやりましょう。しかし、私は他省の人間ですので、お客さまを呼んだり、宴席でお相手をしたりすることはできません」
盛希僑
「それは夏逢若の仕事だ。あいつは細かい所まで客の面倒をみる奴だから、全部あいつにさせれば良い」
紹聞は王象藎が夏逢若を殴ったことを知っていましたから、事件が起こるのを心配して、嘘をつきました。
「夏兄さんはお母さんが亡くなり、喪に服していて、祝い事などしませんよ」
盛希僑
「あいつにどんな事情があるにせよ。喪服を着替えさせてやるよ。着替えないなどと心配することはないよ」
「あの人は埋葬を行いたいから、盛さんに援助を求めてくれと僕に頼んだのです」
「おや、それはおかしい。僕はまだ弔問にもいっていないのにな。宝剣児、門番のところへ行って、夏さんを呼びにゆくようにいってくれ」
ちょうどその頃、夏鼎は、王象藎に殴られ、紹聞に頼み事をすることができなくなりましたので、毎日盛希僑が戻ってきたかどうかを探っていました。そして、ある日、山東から盛希僑が戻ってきたという知らせを得ましたので、娘娘廟街にやってきました。安否を尋ねにきたと言いながら、実際は援助を受けることが目当てでした。ですから、門番が呼びに行こうとしたときには、ちょうど門口にやってきていました。夏鼎は、門番と一緒に中に入ってきて、盛希僑に会うと叩頭しました。希僑は夏鼎を引っ張って言いました
「良いところへ来た。先日弔問に行かなかったが、その話しはなしにしよう。満相公、さっき相談していたことを、夏くんに話してくれ」
満相公は衝立を贈り誕生日を祝うこと、劇を上演して満月を祝うことを話しました。夏鼎
「私は二度とこの人のために仕事をしたくはありません。この人の下男がひどい奴なのです」
紹聞は殴られたという言葉が出てくるのを恐れて、すぐに言いました。
「王中があなたを罵っただけじゃありませんか。僕はあのとき謝りましたよ。そして、あなたがいなくなってから、あいつをふたたび客間に呼んで、跪かせ、十回竹の棒でぶったのですよ」
盛希僑
「謝ったのなら水に流すことだ。みみっちいことを言ってはいかん。夏くん、客を呼んで宴席の人々の面倒をみるのは、すべて君の仕事だぞ」
夏鼎
「母の葬儀をしなければなりませんから、そんな暇はございません」
盛希僑
「葬式は少し先に延ばすんだ。一つのことが済んだらもう一つのことをしろ。君は僕に援助をさせる積もりだそうだが、譚くんの家のお祝いが終わったら、考えることにするよ。年寄りが亡くなるのは、おめでたいことだから、劇は、欠くことができないな」
「ひどすぎますよ。劇を上演することなどできませんよ」
「安心してくれ。僕がついているから。とりあえず譚くんの家で何を上演するか相談をし、君の件については、改めて日を決めよう」
夏鼎は公子が援助を承知するつもりになったと思いましたので、言いました。
「何もかも兄さんにお任せしましょう。しかし、私はとにかく金がありませんので、どうしても心配になるのです」
「馬鹿なことを言わないでくれ。君達三人は、今現在のことを相談してくれ。僕は東の中庭にいってあの子たちが食事をしたか見てくる。満相公、銀子を渡してくれ。銀子は事を運ぶための元手だ。金がなくなれば、何をいっても、すべて無駄だからな」
言い終わりますと席を離れて、東の中庭に行ってしまいました。
三人は、張類村に衝立の文を作らせ、蘇霖臣に金字を書いてもらうことについて相談しました。そして、満相公が貼り札を書き、夏鼎が貼り札をはることになりました。貼り札にはこう書くことにしました。
来月十五日、譚家の王老太太[27]七十歳の誕生日、並びにお孫さんが生まれたことをお祝い致します。当日は親友と祝い主で、酒を用意し、長寿と男子を授かったことを祝うことに致します。
幹事盛希僑、夏鼎等ともに申す。
相談をしますと、大まかな式次第はすぐに決まりました。満相公は三十両を紹聞に渡し、さらに貼り札十枚を夏鼎に渡しました。満相公は、二人を食事に引き止めました。食事が終わりますと、二人は盛希僑に別れを告げて帰ろうとしました。
満相公
「坊ちゃんは、女形をからかう時は、冉蛇[28]が象を呑む時のように、どうしても腹の中に呑み込もうとします。楽しんでいるのを邪魔することはないでしょう。一人でからかわせておきましょう。私はお二人をお送りいたします」
そこで、二人は盛希僑に別れを告げずに去ることにしました。
さて、紹聞は徳喜児に三十両を持たせて家に戻りました。諺に、「酒を飲めば弱虫も怒り、金があれば馬鹿も利口になる」と申します。紹聞は、裕福な育ちでしたので、普段は三十両を気に掛けたことなどありませんでしたが、『襟を捉ふれば肘見はる』[29]というありさまになり、にっちもさっちもいかなくなっていましたので、びくびくしておりました。しかし、銀三十両が手に入りましたので、当面は少しは自由に金を使うことができると思いました。
家に着いて楼に上り、母親に会いますと言いました。
「母さん、母さんのために誕生祝いをしましょう。それから、孫が生まれたお祝いをすることにしましょう」
「私の誕生日までまだ半年あるのに、どうしてそんなに急ぐんだい」
「みんなが、母さんに孫が生まれたから、満月をするときに、衝立や劇団を送って誕生祝いもしようといっているのです」
「そんなことはできないよ。裕福だった今まで数年間とは違うんだから。今じゃ米、小麦粉、豚肉、羊肉、酒、野菜などは、すべて苦労して手に入れなければならないんだよ。その人達のご好意はお断りした方が良いよ。二三卓分の酒を買って、明日、贈物を届けてきた女のお客を呼び、他にもしばらく会っていない人達を呼んで、お祝いのうどんを食べよう。そして、満月になったらもう一度彼らを呼んで、おしまいということにしようよ」
「それならとても簡単ですね。すぐに帖子を書いて、明日、発送し、後日全員を呼ぶことにしてはいかがでしょう」
紹聞は、その晩、すぐに湯餅会[30]を報せる手紙を書き、次の日、人を遣わして送り届けました。そして、テ─ブルに並べる食物を買いますと、料理人を呼びました。
三日目になりますと、女の親戚たちがぞろぞろとやってきました。最初に巴庚の女房の宋氏、銭可仰の女房斉氏、焦丹の女房陳氏、巫守敬の新婦卜氏が、同じ車に乗ってやってきました。彼らは中に入りますと、王氏に挨拶をし、巫氏の楼へ行きました。二番目に、王春宇の女房曹氏、王隆吉の女房韓氏、儲対楼の雲氏がやってきました。三番目に、周おじさんの新夫人の呉氏がやってきました。─もともと譚孝移は周家から嫁をとったものの、周孝廉は早くに亡くなり、周氏は孝移に嫁いで半年で亡くなり、腹違いの弟はまだ幼なかったので、普段付き合いがなかったのでした。今、周無咎はすでに成長し、新婦を娶っておりました。彼は紹聞とおじ甥の関係で、先日喜盒を送ってきたため、今日は来ないわけにはいかなかったのでした。まもなく、孔纉経の夫人祝氏もやってきました。張類村の夫人梁氏は、小さな南の中庭で坊やに会うと言い、昼時にやってきました。さらにしばらくたちますと、夏鼎の女房が喪服を着換えて、姜氏と一緒にやってきました。姜氏は巫氏の楼の下に来ますと、こっそり寝台の上の帳や掛け布団、枕を見、しげしげと巫氏の顔や体を眺めました。そこには無限の言葉にはできない思いが込められていました。まもなく地蔵庵の慧照もやってきて、仏前の刺繍用の糸で制銭十二枚をつなぎ、長命富貴の鎖児[31]だと言いました。王氏はとても喜びました。─この三人は紹聞が母親の命令を受けていないのに自分で呼んだものでした。恵先生の女房の滑氏は、牛車に乗って、昼近くにようやく到着し、着席の時間が近くなりますと、梁氏が小さな南の中庭からやってきました。あとは盛家の親戚が来るのを待つばかりでした。ところが、まったくやってきませんでした。まもなく、宝剣児がやってきて言いました。
「ご隠居さまの体の具合が悪いので、日を改めてごちそうになります」
そこで、宴席が設けられ、山海の物が並べられました。
女の親戚たちは、客の世話をし、杯を捧げもち、気を利かせました。堂楼の二つのテ─ブルの、左の首座には梁氏と滑氏が、右側の次座には巴氏と祝氏が座り、後は順番に腰を掛け、樊婆が控えました。東の楼の二つのテ─ブルにはすべて若い夫人が着きました。南の首座には呉氏と姜氏、北側の首座には斉氏と陳氏、後は順番に腰を掛け、趙大児が控えました。さて、堂楼での会話は、誰かが
「ご隠居さま、おめでとうございます」
と言いますと、誰かが
「息子さんはずいぶん体が大きいですね」
と言い、誰かが
「お乳はたくさん飲まれますか」
と尋ねますと、誰かが
「明日は坊っちゃんにあげるものがないのです」
といって笑ったりするというものでした。また、四方山話しをする者もあれば、苦労話をする者もあり、ぺちゃくちゃと話は尽きませんでした。東の楼の上には、なよやかで綺麗な人々が集まっていました。ある者は柳の眉、星の瞳を眺め、ある者は蓮の顔、桃の頬を眺めました。席上では袖から玉の筍がのぞき、テ─ブルの下では蓮の花びらがスカ─トから見えていました。酒が少し唇を潤すと、白粉を塗ったうなじは早くも紅に染まり、食事に少し箸を下ろすと、薄絹の帯が早くも細い腰を締め付けました。まことに美しい光景ではありました。
日暮れ時になりますと、人々は席を立ちました。堂楼の上の客たちの有様は、あたかも烏の群れがねぐらへ飛んでゆこうとするかのようでした。東の楼の下の客たちの有様は、あたかも蝶の群れがそれぞれ花枝へ飛んでゆこうとするかのようでした。王氏は型通りのことをいって引きとめようとしましたが、客たちはそれぞれ断りました。しかし、巴氏は娘が可愛かったので、泊まることにしました。曹氏も泊まりました。他の者は、裏門を出、笑いさざめきながら、それぞれ車に乗って帰っていきました。しかし、姜氏だけは黙然として、夏鼎の女房と一緒に車に乗って帰りました。
この時、慧照は新しく生まれた男の子の師匠となり、法名を悟果と名付けてしまっていました。紹聞は、拱手をして礼を言い、茶と食事を出して、暗くなるまで引き止めました。王氏が引き止めますと、慧照
「師匠が亡くなり、庵には人がおりません。私には今年十五六歳になる弟子がいて、一人で留守番をしています。私は失礼いたします」
王氏は盆に一杯の精進物を与えますと、言いました。
「庵に持って帰ってお弟子さんと一緒にお食べ下さい」
「この子の満月の時に、もう一度参ります」
そして、別れを告げて去ってゆきました。その晩のことはお話しいたしません。
次の日の朝になりますと、紹聞は、張類村に文を、蘇霖臣に金字を書いてもらうことを決めたのを思いだし、料理を用意して、二人に仕事を頼もうとしました。そこで、帖子を書き、拝匣の中に入れ、食事が終わりますと、双慶児を連れて、二人の家まで届けにいき、期日が迫っているので、明日すぐに来ていただきたいと言いました。二人はどちらも承知しました。
約束の日になりますと、碧草軒に椅子とテ─ブルを置き、香を焚き、茶を沸かし、二人の父の友人がやってくるのを待ちました。張類村は杜氏を騙し、曹門外の人から衝立の文章を書くように頼まれたと言い、車に乗り、蕭墻街にやってきました。そして、胡同の入り口に着きますと、小さな南の中庭にいって杏花と息子に会い、飯炊きの老婆に命じて
「張さまはもう小さな南の中庭にいらっしゃいます。蘇さんが来られたら、一緒にくるようにとおっしゃっています」
と言わせました。まもなく、蘇霖臣が書斎にやってきました。紹聞は恭しく礼を尽くし、徳喜児に張類村を呼ばせました。二回呼びに行かせましたが、張類村は来ず、三回目になって、ようやく書斎にやってきました。蘇霖臣
「なかなか来てくれませんでしたね。ずいぶん待ちましたよ」
「老牛が子牛を嘗めていたので、どうしてもやめることができなかったのです」
「あなたの家には空いた中庭がたくさんあるのですから、お子さんを近くに移して、朝夕会うことにすれば、便利ではありませんか」
「ここの家だと、嫉妬をする奴がいないのです。息子には本当にかわいそうな思いをさせております。私の女房が愚かで、けじめがないばかりに、息子を可愛がりすぎたため、彼の身の置き所がなくなり、諍いが起こっているのです。そして、友人たちは内情を知らないので、私は人々から笑われているというわけです。霖臣さん、どうしたら良いと思われますか」
「このような住み方は、やはり尋常とはいえませんよ」
「私は、今まで人に悪いことをした事はないから、年をとってから腹が立つようなことがあってはならないはずだ、天の私への報いは、こんなものであってはならないと五更まで考えたことがあります。私は、多分、前世で罪を犯したのでしょう。ですから、若いうちではなく、年をとってから息子が生まれ、女房ではなく、下女が息子を生んだのです。孝移さんの二番目の孫が、私の息子より三、四か月しか年下でないというのは、まさにあの人の正直さ、誠実さの報いではございませんか」
二人が喋っておりますと、あっという間に昼近くになりました。紹聞は、肴や果物を出し、箸をとり、杯を捧げ、毛氈を敷いて挨拶をしました。二人は受けようとはせず、紹聞を引き止めましたが、紹聞は叩頭しました。そして、座席に着きますと言いました。
「母が六十歳近くなりましたので、親戚友人が衝立を用意して、お祝いをしてくれることになりました。私は何度も断りましたが、ちょうどまた子供が生まれましたので、彼らはどうしても承知しませんでした。母は古希となり、飴を口に含みながら孫と遊ぶ楽しみも生まれましたので、来月の十五日に劇を上演し、酒宴を開くことといたします。私はこの衝立の文章は、張さまでなければ書くことはできないと思います。金字は蘇おじさんに書いて頂こうと思います。ですから、薄酒を調え、叩頭してご出席をお願いしているのです。どうか父との昔の友情を思われ、私をお見捨てくださらなければさいわいです」
張類村
「文を書いてくれというが、それは的はずれというものだ。わしは嘘などついておらんぞ。わしはもともと八股文を学び、幼い頃から何編かの時文[32]を読んで、学校に入った。経書に基いた、聖人を称える文章は八十編読んだが、試験には赴かなかった。四経[33]は読んだことがないし、『通鑑綱目』[34]は五六冊読んだが、前五代[35]、後五代[36]のことはわしにはよく分からん。どうしてわしに古文[37]を作れなどというのだ。わしは二十年間、古文を作った事はないし、作ったとしても、かならず時文の気を帯びることだろう。それに、今では年をとったし、腹も立っているから、時文の気もなくなってしまっただろう。程おじさんに頼んでみてはどうだ。あの人は古学[38]に造詣が深い。あの人は古文は好きだが、時文を読むのが嫌いなので、科挙には合格しなかったのだ。婁先生は、経書、史書、古文に深く通じ、科挙の勉強を少しも絶やしたことがなかったので、親子して科挙に合格できたが、今は、済寧で役人をしている。遠い水では今の渇きは癒やせない。程おじさんを呼ぶが良い」
「私は今まで正しくないことをしてきました。程おじさんは剛直な性格です。正直に申し上げますが、私は程おじさんに近付くのが怖くて、今日も頼むことができないのです」
「私が呼んでやろう」
蘇霖臣
「紹聞があの人を呼んでいないのなら、張さんが書かれれば良いでしょう」
張類村
「あなたが金字を書けば、きっと衝立に良い文字を書くことができるでしょう。友人は他にも幾人かいますから、話しをすれば作文をしてもらえるでしょう。私は家にある老薬酒を一瓶もってきて、あの人が書かなければ、酒をあげないことにしましょう」
「衝立を書くのでしたら、相談がございます。私は字が下手ですが、どうやって書いたものでしょう」
「私が文をかけないというのは事実ですが、あなたが衝立を書けないというのは謙遜です。あなたは二人の書家の字が書けます。一つは王羲之[39]の書、もう一つは趙孟頫[40]の書です。このことはみんなが知っておりますよ。省城の役所の対聯、各商店の『経元』[41]『文魁』[42]の額は、お上があなたに書かせたものではありませんか。あなたは目がかすんで、字を書くときにはっきりと見ることができないので、書くのを嫌がってらっしゃるのでしょう」
「役所の対聯や額は、付き合いで書いた字に過ぎませんから、太くてぴかぴかしていさえすれば良いのです。昨年、欽差大臣[43]が西街の尤家に泊まった時、県知事は私に対聯を書かせました。そして、大臣が去り、尤家が客をもてなした時も、尤家ではこの対聯を使いました。その日、二つのテ─ブルに座った客は、みな対聯がうまく書けているといって褒めていましたが、私は体がむずむずしてしまいました。彼らは本気で褒めていたのでしょうが、私は心の中で嫌な感じがしていたというのが偽らざる気持ちです。私は自分の良心をごまかすことはできません」
「書道のことは私はよく知りませんが、みんなはあなたの王羲之の字が、あなたの趙孟頫の字よりも良いといっています」
「それはますます困った。趙松雪の字は、私は書けませんが、最近、彼の法帖を見たことがあります。しかし、王羲之の字は、法帖すら見たことがありません。王羲之やら王献之[44]やらの文字をでっち上げる訳にはまいりません」
「あなたの机に王羲之の法帖があるのを見たことがありますよ」
「あれは墨刻[45]の店で、一枚を八大銭で買い、五十文で表装をしたもので、法帖とはいえません。紹聞、衝立を書けといわれても、わしは困って汗が出てきてしまうぞ」
「ここには朱砂はなく、雄黄[46]も貴重品ですから、太く書きさえすれば、立派にみえるでしょう」
張類村はふたたび紹聞に向かって言いました。
「それから相談したいことがある。衝立の裏に誰の落款を押すかは、衝立の文章の口振りによって決めることにしよう」
「おじさんが筆を執られるのですから、おじさんの落款を押して下さい。程おじさんが文章を書かれるのでしたら、程おじさんが落款を押されても構いません。もともと代々のお付き合いなのですから、当然心のこもった文章が書けることでしょう」
「十二幅の衝立、緞子に描かれた絵、金粉で書かれた字の後ろに『祥符県の儒学生員某人頓首拝撰』などと書けば、この客間に衝立を掛けることはできなくなるし、誰かに衝立を借りていかれ、公館[47]や、お祝いの小屋掛けで、よそさまに見られれば、まるで虎の頭に鼠の尾がついているようだといって噂されてしまうことだろう」
「文昌巷の舅の落款を押してはどうでしょう」
「『何々科副榜』はもちろん、『何々科挙人』も使うことはできぬ。どちらも生半可な資格で、そのような肩書きでは人々は満足しないからだ。要するに、上には抬頭して、『進士を賜う』と書き、下には『年家[48]誰それの眷弟[49]』と書けば、落ち着くものなのだ。わしがこう言うのには理由がある。わしは、以前、先輩から、孝廉[50]から知県になった、ある老先生の話を聞いたことがある。晩年、老先生が隠居した時、ある人が衝立を贈り、この先生の肩書きを書くように頼もうとしたが、老先生はどうしても承知しなかった。子弟がその理由を尋ねると、老先生はこう言った。『わしは科挙で、進士に及第できなかったことを、終生遺憾としている。衝立の落款には、『中憲大夫[51]を誥授[52]せらる』としか書けず、『進士出身を賜う』の五文字は書くことができない。自分が遺憾としていることを書いて、他人にお祝いをすることはできない』。これはその老人の謙遜だが、挙人、副榜貢生、抜貢生[53]、歳貢生[54]の称号では、お祝いに参加することしかできず、撰文を行えないことが分かる。秀才などでは、ますます品が下るではないか」
蘇霖臣
「私は、婁潜斎さんに落款を書いていただけば、三つの利点があると思います。一つには、進士を賜った方ですし、二つには、いま済寧の刺史をされているので、奉直大夫[55]と書くことができますし、三つには孝移さんと親友だったからです。あの人の落款なら、結構ではありませんか」
張類村
「それは良い。そうすることにしましょう」
話をしていますと、食事が並べられました。人々は、酒肴を勧めあい、食事は終わりました。二人はそれぞれ仕事をすることを承諾して帰っていきました。
胡同に面した、小さな南の中庭の入り口に着きますと、張類村
「息子を抱いてまいりますから、皆さん、御覧になって下さい」
蘇霖臣、譚紹聞は門の外で待っていました。まもなく、飯炊きの老婆がふっくらとして澄んだ瞳の男の子を抱いてきました。男の子は、二人を見ますと、とびあがって笑いました。蘇霖臣は男の子を受けとって抱きかかえますと、言いました。
「本当に杜工部[56]の詩にいう、徐卿の麒麟の子[57]ですね」
張類村は、
「蘇おじさんにおしっこをするかも知れませんよ」
と言い、急いで男の子を受けとりましたが、蘇霖臣の紫の衣に杯半分ほどのおしっこが掛かってしまいました[58]。男の子は相変わらず嬉しそうに笑っていました。しかし、蘇霖臣はかえって喜びました。
飯炊きの老婆が男の子を抱きかかえて連れていきますと、三人は一緒に胡同の入り口に行って、別れました。張類村は譚紹聞と一緒に小さな南の中庭の入り口に戻り、紹聞は家に帰りました。張類村はふたたび小さな南の中庭に入り、日が暮れますと、ようやく家に戻りました。
この回では類村、霖臣が自分の字を博雅の人々の目にいれることはできないと思っていたことをお話ししましたが、これが謙虚にして利益を受ける道なのです。彼らを称えた詩がございます。
小さき取り柄を自慢すな
勉励し、一家を成すべし
昔より、眼の肥えたる人 世に多ければ
井の中の蛙と笑はるることなかれ
最終更新日:2010年11月4日
[1]男の子が生まれたときに、門の左に弓を掛ける儀式。
[2]祝い料理を詰めた岡持ち。
[3] ここでは岡持ちのこと。
[4]老けおやま。
[5]二番目の悪役。
[6]子供を集めて幼児期から養育を施した劇団。
[7]婦人用髪覆い。(周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』)
[8]皇族、大臣が来た礼服。金色の四つ爪の龍の縫い取りがある。
[9]山東省済南府の県名。
[10]捕り手の頭目。
[11]山東、河南、江蘇北部、河北南部、安徽北部一帯に流行した劇。柳子腔。
[12]拍子木で拍子をとる劇。秦腔、豫劇、晋劇、蒲劇、河北梆子、山東梆子、求劇絲腔、河劇弾戯などの種類がある。「隴西の梆子腔」とは秦腔のこと。
[13]山東省臨沂県。
[14]山東省東阿県西南。
[15] 『本草綱目』巻五十下獣一、清王応奎『柳南随筆』続筆二阿膠。山東省兗州府陽穀県(古の東阿県)の井戸からとれる水で煮て作った膠。服用すると痰をきるという。
[16]山東省兗州府の県名。
[17]黄連木の芽。楷は曲阜の孔子の墓に子貢が手ずから植えたといわれる木。
[18]素ウドン。
[19]子供が生まれて一か月目。
[20]普通は子供がうまれて三日目に湯麺を食べ、湯餅会と称する。
[21]細長い物。
[22]詞句を書いた絹の布、祝賀、弔問の礼物にする。
[23]巡按御史。明代の官名。各省を巡行して、政情民風を査察する。
[24] お祝いの屏風には、お祝いを受ける人を称える文章を書くが、譚紹聞は没落しているので、今の自分と不釣合なことを掛かれて、人々に笑われたくない。
[25] 「ない袖は振れない」の意。
[26]沈周。明代の画家。
[27]老太太は老女に対する敬称。
[28] 蚺蛇。ニシキヘビ。『楚辞』天問「一蛇呑蛇」に関する王逸注に、「『山海経』云、南方有霊蛇、呑象、三年然後出其骨。[補]曰、『山海経』、南海内有巴蛇、身長百尋、其色青黄赤黒、食象、三歳而出其骨。注云、今南方蚺蛇、亦呑鹿、消尽、乃自絞于樹、腹中骨皆穿鱗甲間出、亦此類也」とあり、巴蛇は象、蚺蛇は鹿を呑むとある。「冉蛇が象を呑む」は李海観の記憶違いであろう。
[29] 「襟を引き寄せると肘がむき出しになる」。『荘子』譲王に見える言葉。ぼろを着ていることをいう。
[30]子供が生まれて三日目のお祝い。
[31]子供が胸に掛ける魔除けのお守り。
[32]科挙の試験で課される文章および詩賦。
[33] 『易経』『書経』『詩経』『春秋』。
[34]宋の朱熹が撰した歴史書。
[35]梁、陳、斉、周、隋。
[36]後梁、後唐、後晋、後漢、後周。
[37]八股文でない文章。
[38]八股文以外の経解、史論、詩賦。
[39]晋代の書家。
[40]元代の書家。
[41]未詳。郷試の第一位合格者解元、第二位合格者亜元、三、四、五位合格者経魁の総称か。
[42]郷試に七位以下で合格したものをいう。
[43]天子によって派遣された大臣。
[44]王羲之の子。
[45]石摺本。
[46]砒素の硫化物。黄色の絵の具に用いる。
[47]国家が設けた宿泊所。
[48]科挙に同時に合格したものの家同士をいう。
[49]姻戚で同世代の人。
[50]清代の特別任用科目の一つに孝廉方正科があり、巡撫の推薦を受けた孝廉方正な者のうち、五十五歳以上の者には知州、他の者には知県を与えた。
[51]正四品の官の親に与えられる称号。
[52]官の親に称号を授けること。
[53]学政官の行う試験で選抜されて国子監に送られた生員。
[54]廩生になって十年以上経過した者の中から選ばれて国子監に送られた生員。
[55]従五品官の親に与えられる称号。
[56]杜甫。
[57]優れた男の子という意味。杜甫『徐卿二子歌』の「君不見徐卿二子生絶奇、感応吉夢相追随。孔子釈氏親抱送、并是天上麒麟児」に因む言葉。