第六十七回

杜氏が南北の屋敷で騒ぐこと

張正心が兄弟の情誼を守ること

 

 さて、譚紹聞は、たくさんの負債を抱えて、財産をだんだんとすり減らし、毎日借金取りに押し掛けられたため、屋敷や土地を売って、すべての借金を返済しなければならなくなりました。返済をした客商は、借金をすべて帳消しにし、銀子を包んで持ってゆき、とても喜びました。しかし、返済を受けなかった客商は、帳簿を手にとって承服しようとしませんでした。少しも返済をされなかった者は、騒ぐのをやめませんでした。それからというもの、譚家の暮らし向きは、夏から冬、泰から否[1]になりました。現在は、まさに、夏が過ぎ去り、冬がだんだんとやってくる、晩秋の時期でした。蒲の穂は茶色くなり、柳の葉は落ち、こおろぎやひぐらしは悲しげに泣き、まさに「悲しいかな、秋の気たるや」[2]という有様でした。

 譚紹聞は、一日中家にいましたが、憂えはおさまらず、なす術もありませんでした。ある日、楼の一階で、母親の王氏と、街の屋敷を質入れすることを相談していますと、急に徳喜児が言いました。

「南馬道の張さまが、裏の書斎で大事な話をしたいと言って、待ってらっしゃいます」

譚紹聞は碧草軒に行きました。すると、張類村老人が書斎に立っていて、言いました。

「紹聞、はやく来てくれ。相談したいことがあるのだ」

譚紹聞は、急いで進み出て、拱手をしますと、言いました。

「張おじさん、御機嫌よう」

「災いを避けるため忙しくしておる。御機嫌ようなどと言うことはない」

「座って話しをしましょう」

「立ちながら話をしよう。お前に聞くが、恵先生が住んでいた屋敷は、空いているか」

「はい」

「さっききた時、門に鍵が掛かっていて、鐶に赤い封印がしてあったから、空き家なのだろう。わしはあの家を借りて、家族を住ませたいのだが、承知してくれるか」

「どなたが住まれるのかおっしゃってください。そうすれば相談にのりましょう」

「話せば長くなるが、実は三号の家にしたいのだ。家で争いが起こって、わしもどうしようもないのだ。お前の屋敷が広いことを思い出して、院子を一つ借り、わしの息子の命を守ってもらいたいのだ。老僕と老婆を付き添わせて食事を作らせ、わしが米と薪を出すから、お前にはまったく迷惑はかけない。家賃は、幾らでも構わないから、お前の好きなように決めてくれ」

譚紹聞は、ちょうど焦っていましたので、この話を聞きますと、言いました。

「おじさんにお売りしましょう」

「『陰隲文』に『人の財産を図ること勿れ』とある。わしは絶対にその様なことはせぬ。昔、わしはお前のお父上と、大変親しい付き合いがあった。今日、わしがお前の手から屋敷を買えば、冥途でお前のお父さんに会わせる顔がないし、文昌廟で香をたむけることもできなくなる」

「おじさんが買ってくださらないのなら、この屋敷を質入れしても結構です。実を言いますと、私は最近手元不如意で、借金取りに押し掛けられているのですが、少しも金を払ってやることができません。おじさんが世交の誼[3]を思ってくださるのなら、売り値を質契約書に書き、私の暮らしが上向いたら、請け戻すことにいたしましょう。そうすれば、おじさんも私も、両方が得をします」

「それなら相談に乗ろう。恵人也さんが住んでいた屋敷に連れていってくれ」

紹聞は、鍵を持ってこさせますと、門を開け、張類村と一緒に屋敷に行って見てみました。部屋はなかなかしっかりしていましたが、烟でいぶされて壁は真っ黒でした。庭には不愉快な煉瓦が重なりあっていました。これは、昔、茅拔茹の衣装箱を守るために、入り口に積み重ねた古い煉瓦でした。張類村は、過道[4]を指差して言いました。

「ここを便所にしよう。この煉瓦で壁を作って、体が隠せるようにすればいい。すぐに甥を呼んでお前と相談させよう。今、万事頼りになるのはこの甥だ。甥は先日一等の第三位[5]になった。廩生に空きがあったが、廩生になれなかった。そこで、わしはあれのために銀子を出して廩生にしてやった。甥はわしに小さな息子が産まれたのをみて、一番目の妾の手にかけられるのではないかと心配して、毎日、見回りのようにしている。東の中庭の宋得明の甥が、叔父に年をとってから子供が生まれて、相続ができなくなるのではないかと心配しているのとは大違いだ。宋得明の甥は、自分の陰徳を損なっていることにはまったく気が付いていないのだ。将来、幸せになれるとでも思っているのかのう」

 話をしていますと、一人のボ─イがあたふたと、馬の鞭を持ちながら、走り込んできて言いました。

「旦那さま、はやくお戻りになってください。家で大喧嘩がおこっています。南の中庭の若旦那さまが杜大姐を殴ろうとしているのです。さあ、ゆきましょう。馬は外の敷居に繋いであります。あちこちお探ししましたよ」

張類村は、外に出ますと、行ってしまいました。譚紹聞

「まだお茶もお出ししておりませんのに」

張類村は、返事もしませんでした。ボ─イは

「旦那さま、馬にお乗りください」

といい、張類村を助けて馬に乗せますと、飛ぶように胡同を出ていってしまいました。

 一時もたたないうちに、通りや路地を、曲がったり通り過ぎたりして、家の入り口につきました。馬から降りますと、屋敷の塀のむこうから、甥の声がしました。

「本当に俺にお前を殴る勇気がないと思っているのか」

中に入りますと、一番目の妾が顔中に涙を流していました。彼女は、顔の紅が流されて筋になり、目を擦りながら叫んでいました。張類村は、

「泣くんじゃない」

といいますと、甥に向かって言いました。

「お前も少し落ち着け」

 そもそも張類村と正妻の梁氏とは、幼い頃からの夫婦でした。彼らには数人の息子が生まれましたが、成人することはありませんでした。また、順姑娘という女の子が一人ありましたが、鄭雨若の息子の妻になっていました。老夫婦には、四十すぎになっても、男子が生まれませんでした。そこで、梁夫人の考えで、妾の杜氏を迎えました。梁氏は、賢くて徳がある人で、妾の杜氏は、容姿が綺麗でした。張類村は野暮でお堅い性格でしたが、「情の(あつ)まるところ、正に我が輩にあり」となるのを免れることはできませんでした。杜氏は張類村の寵愛を一身に集め、のちに一人の娘を生みました。乳離れした後は、梁氏は娘を自分が生んだ子供のように育てたので、娘は、楼の上で、梁氏と肌をよせあい、母と子のように眠りました。この娘は温姑娘といい、すでに七八歳になり、実の母親よりも嫡母になついていました。毎日、下女の杏花児が─すでに十七八歳でした─娘の世話をしました。この三人は、同じ棟に、張類村と杜氏はもう一つの棟に住みました。張類村は、楼に上がったことはありませんでしたが、梁氏は少しも気にしませんでした。杜氏は温姑娘が世話を掛けないので彼女を愛し、自分は夫の愛情を独占していました。そして、一家は毎日穏やかに過ごしていました。

 ところが、杜氏は、一人娘を生んでからというもの、熊羆や虺蛇が夢の中に現れることはありませんでした[6]。梁氏は息子がほしくてたまりませんでしたので、仕方なく妾をもう一人とり、杏花児に子供を産ませようと考えました。しかし、杏花児は、すが目であばた面で、ちびで腰がずんぐりしていて、とても大きな足をしていました。こっそり張類村と何度か相談しますと、張類村は一言、

「わしも年をとった。よそ様の若い娘を、わしのもとにおいても仕方がない。陰徳をつむためにもそのようなことはできん」

さらに一年たちますと、梁氏は言いました。

「あなたも頑固なことをおっしゃるのはおやめください。私たち二人は六十近いのですよ。これから誰に頼るのですか。東の廂房では、何のおめでたもないじゃありませんか。『不孝に三あり、後なきを大と為す』[7]といいますが、将来甥が相続をしたら、南の中庭には、張正心が一人しかいません。私たちが正心のために妾をとってやり、孫を跡継ぎに望むのは、難しいでしょう。あなたが我慢をして、杏花児に男の子か女の子を生ませるのが、万世の良策ではありませんか」

この一言が、張類村の『下手な鉄砲数うちゃあたる』という心を動かしました。ある日、梁氏は暇を見付けて、こっそり張類村と杏花児を結婚させました。そして、張類村が平素から善行を積み、天が彼の血筋を絶やそうとしなかったため、春風が吹いて、おめでたとなりました。杏花児はつわりをおこし、「一日を胚といい、三月を胎という」兆しが現れました。梁氏は心の中で喜び、こっそり張類村におめでたを告げました。張類村は文昌帝君に黙祷を捧げ、橋を掛け、道を造り、橋を修理し、道を舗装し、提灯を掛けるという願をかけました。

 しかし、杜氏だけは、老夫婦二人が、こっそりとんでもないことをしていることに気が付きませんでした。彼女は、杏花児の顔立ちが醜いので、少しも用心をしていませんでした。それに、普段から愛情を独り占めしていましたので、何も注意をしていませんでした。ある日、もともとずんぐりしていた杏花児の腰が、ますますずんぐりし、杏花児が今までのように慇懃ではなくなったのに気が付きました。そこで、さらに何日か観察をしますと、心の中で急に叫びました。

「分かった。分かった」

杜氏は通りで屎瓶を売るのを許さない[8]性分でしたから、一旦事情を知りますと、怒って発奮第十一章という有様になりました。

 ある日、杜氏は杏花児を呼ぶと、

「お前、私のために東の廂房を掃除しておくれ」

杏花児は怠けるわけにもゆかず、箒を持ちますと、東の廂房に掃除をしにゆきました。しばらく掃除をしますと、杜氏が部屋に入ってきて、言いました。

「どうして私の鏡箱をずらしたんだい」

杏花児は何もいうことができませんでした。すると杜氏はさらに、

「口応えするのかえ」

と言い、東の廂房で杏花児を殴り始めました。梁氏は廂房の騒ぎを聞きますと、はっと思い当たるものがあったので、すぐに楼を降りてきて、叱り付けました。杜氏は杏花児の腹をぶっていました。梁氏は慌てて罵りますと、杏花児を引っ張って、

「二階へお行き。私の小間使いをぶつなんて、とんでもないことだよ。お前の身分なんて、この娘と幾らも違わないんだ。お前が人をぶつことなんてできないよ。妾のくせに正妻の真似をして、人をぶつとはね。しかも天地がひっくり返るかのように騒ぐなんて」

 さて、杜氏は、今まで正妻に従い、上下の身分はよくわきまえていましたので、このようにひどく罵られますと、乱暴なことをする勇気はなくなってしまいました。しかし、杏花児が妊娠し、怒りが極まり、死に物狂いになっておりましたので、すぐに言い返しました。

「奥さま、『人をぶつときでも顔はぶつな。人を罵るときでも欠点をあげつらうな』といいます。私があなたの家の妾であることは、誰でも知っています。一人の小間使いに味方して、私を糞味噌に罵っていいはずがございませんでしょう」

「お前の性格が良くないからだよ」

「私の性格がなぜ良くないのですか」

杜氏は続け様にわめきました。梁氏は、普段からおとなしい性格でしたので、杜氏は、だんだんと無礼なことを言いだしました。杏花児は二階に上り、びっくりしてぶるぶる震えながら、温姑娘を一階へ仲裁に行かせました。しかし、八九歳の娘に何が分かりましょう。娘は一言、

「おばさん、釵が曲がっているわ」

杜氏は、頭の上の釵をとって、床に投げつけますと、

「こんな物をつけていても、何にもならないよ」

 そこへ、張類村が甥の張正心とともに庭に入ってきました。伯父と甥の二人は、今までこの様な騒ぎを経験したことがありませんでしたので、杜氏を叱り付けて黙らせました。張類村は怒ってすぐにおもての広間に行きました。張正心は広間についてゆきました。腰を掛けますと、張正心は尋ねました。

「先ほどの騒ぎは何ですか」

「わしは前世から子供を授からない運命だったのだから、あきらめればそれでよかったのだ。ところが、お前の伯母さんが知恵を働かせて、わしに恥をかかせようとしたのだ。わしは友人に会わす顔もなくなってしまった」

張正心は声をひそめて、

「先日、妻が伯父さんの屋敷でおめでたがあった、杏花児が身籠もった、と言っていました。とてもおめでたいことではありませんか」

「杜大姐はここ数年おめでたがなかった」

「伯父さん、それは間違いです。杜大姐だろうが杏花児だろうが、私のために弟を生んでくれさえすればいいのです。伯父さんももう年なのですから、私が養育をし、勉強を教えてやりましょう。私たちは祥符には同族もなく、私はよその家の、兄弟やおじおいがたくさんいる様子を見るたびに、羨ましくてたまらなかったのです。しかし、自分たちを見てみますと、同族もありませんし、伯父さんもご高齢ですし、最近は世間とも係わりませんから、私はとても寂しく思っていたのです。それに、私たちの本家は、今では別の省にいます。私は無事に子供が生まれることだけを願っております」

「杜大姐の奴は、女の子しか生まず、お前の伯母さんもわしをやたらと唆したので、わしは年甲斐もないことをしてしまった。杜大姐は、この前、わしを一晩責めたが、わしは返事をする勇気がなかった。杜大姐は、その次の夜も、ずっとわしを問い詰めた。そこで、わしはありのままを話した。今朝、わしが寝ているうちに、杜大姐は起き出した。わしは杜大姐が髪梳きに行くのだと思っていた。ところが、あれは涙を流していた。わしは尋ねた。『夜が明けたのか。』。あれは『私は眼が見えません。私に尋ねてどうなさるのですか。』と答え、ぷんぷんしていた。わしはまずいと思った。昼間はさらに騒ぎ出した。これからはよそさまに噂され、笑い者になってしまうだろう」

「人様から笑われるのは大したことではありません。私たちの先祖の血を絶やさないことが大事です。決して不慮の災難を起こしてはなりません。私は若造ですが、城内のよその家で、女が嫉妬をして、しばしばか弱い男の子の命をあやめるのを見ています。今日は杏花児を南の中庭に連れてゆき、私の妻に世話させるのがいいでしょう。男の子が生まれれば、この家にとってすばらしいことです」

「お前のいう通りだ」

 伯父と甥は裏庭に行きました。張正心

「杏花児は」

梁氏

「二階にいます」

「彼女をおろしてください。南の中庭に連れていって説教をして、尊卑の違いについて教えてやりましょう」

梁氏は甥が善人であることを知っていましたから、すぐに叫びました。

「杏花児、おりてきなさい。正心兄さんと南の中庭にいって、正心兄さんの奥さんに会ってきなさい」

杏花児も張正心の妻が賢いことを知っていましたから、声を掛けられるとすぐに、楼から降りてきて、張正心と一緒に行ってしまいました。

 張類村は何もかも分かっていましたので、言葉をはさみませんでした。晩になりますと、張正心は杏花児の布団、化粧道具を取りにこさせました。そして、それからは二度と北の中庭には行かせませんでした。杜氏は目の中の釘が抜かれたのを喜び、梁氏は一日おきに杏花児に会いにゆき、張正心夫婦はとても用心をし、あとは十か月後のお産を待つばかりでした。

 月日はあっという間にたち、お産の日になりましたが、果たして「天上の麒麟の子を抱来して、人間の積善の家に送与す」というものでした。張類村と張正心の家では、みんな喜びました。温姑娘は、一日に七八回も見にゆきましたが、杜氏だけは、敵国が一つ増えたかのような気分になり、まことに恐ろしいことに『漢賊は両立せず』[9]という気持ちを抱きました。大体、婦人が嫉妬すれば必ず強暴になり、強暴になれば必ず凶悪になるのは、「純如なり」、「繹如なり」[10]、「累々乎として端なること貫珠の如き」[11]ことなのです。杜氏は、毎日、占い女、巫女とつきあい、呪具や、毒虫を用いようとしましたが、張類村は三姑六婆を家にいれるのを許さない人でしたから、どうしようもありませんでした。そこで、何かにかこつけて南の中庭に怒鳴り込みにいこうと思いましたが、きっかけがありませんでしたし、張正心が恐くもありました。

 ある日、杜氏は張類村と張正心が文昌廟に行ったのを知りますと、一計を案じ、部屋の衣装箱の中の赤い絹物がなくなったといい、杏花児の所へ問いただしにいこうとしました。梁氏は引き止めることができず、小刀を隠し持って、南の中庭にやってきました。張正心の女房は、注意深い人でしたので、杜大姐の声を聞きますと、すぐに杏花児に言いました。

「はやく若さまを抱いて部屋の中につれておゆき。ドアをしっかり閉めて、絶対に開けては駄目だよ」

杜大姐はドアの外に立って、絹が盗まれたと言いました。しかし、部屋の中から返事はありませんでしたので、どうしようもありませんでした。そして、子供の泣き声をききますと、まさに不倶戴天の敵でしたので、しばらく怒鳴りました。張正心の女房は、すげない話しをし、杜氏を冷たくあしらいました。杜氏は仕方なく北の中庭に帰りました。

 張正心が文昌廟から戻ってきますと、彼の女房は、事情をつぶさに話しました。女房が「小刀を持っていた」ということを話すと、張正心はぞっと身震いをしました。そして、一晩考えますと、次の日、北の中庭に行きました。張類村に離れた家を借りて住まわせることにしました。

「うっかりして手に掛かるようなことがあれば、妾は何ということはありませんが、私たちはひどい目に遭うではありませんか」

張類村は答えました。

「あれはそんなことはしない。人殺しをすれば死刑になるからな」

張正心は伯父が呑気なことをいっているのを見ますと、ひたすら家を借りるように促しました。そこで、張類村は蕭墻街にいって、譚紹聞を訪ねたのでした。

 張正心は、怒りがおさまりませんでしたので、北の中庭に行きますと、昨日、杜氏が、杏花児が絹物を盗んだと言ったことを持ちだして、言いました。

「杜姉さん、二度と私のいる南の中庭にきてはいけませんよ。何度も来たら、私は怒りますからね。もし無礼があっても、悪く思われないで下さい」

「うちの下女をお前の家に囲って、子供が生まれたら、お前はどうするつもりだい」

張正心は若くて血気が盛んでしたから、このような悪口にはたえられませんでした。怒りが火のように込みあげ、手をひろげてびんたを食らわせようとしました。梁氏は張正心が、廩生になったばかりなのに、伯母を殴ったりすれば、たとえそれが正しい怒りだったとしても、名誉に傷が付くと思ったので、引き止めて叱り付けました。

「駄目だよ」

張正心は、仕方なく引っ込みました。杜氏は「駄目だよ」という一言を聞きますと、ますます大騒ぎをし、髪を振り乱し、泣きながら罵り始めました。そこへ、小者が張類村を探しに戻ってきました。張正心は、伯父に気が付きませんでしたので、ぷんぷんと怒りながら、

「本当に俺がお前をぶつ勇気がないとでも思っているのか」

と言いました。杜氏は泣きながらわめいて

「お前が私をぶったんだよ。お前が私をぶったんだよ」

そこで、張類村は張正心に向かって

「お前も少し落ち着け」

と言ったのでした。一人が嫉妬の心を起こすと、夫婦、伯父と甥、妻妾など家中の人々が、「今同室の人闘ふ者有り」、「髪を纓冠に披る」という有様になり[12]、救いようがなくなってしまうのです。

 さて、その日の夕方、虎鎮邦は、ふたたび借金の催促にきました。虎鎮邦は、おもての広間に座って、去ろうとしませんでした。譚紹聞は、家を質入れし、銀子が手に入ったら、すぐに清算して手渡すことを承知するしかありませんでした。虎鎮邦は日が落ちてから、ようやく帰ってゆきました。

 譚紹聞は楼に戻りますと、心の中で、張類村さんに家を質入れしようとしても、承知するかどうか分からないと考えました。彼は、しばらくくさくさした気分でいましたが、やがて、さっさと寝てしまえ、夢の中で、焦りをなくそう、と思いました。すると、突然、徳喜児が走ってきて言いました。

「胡同の入り口に車が一台来ました。中に二人の婦人がいて、一人の子供を抱いています。昔、恵先生が住んでいた屋敷はどこかと尋ねています。若さま、見にゆかれてください」

紹聞はとても喜び、急いで走り出ますと、胡同に行きました。彼は、南の中庭の止め金を開け、門を開きますと、言いました。

「こちらです、こちらです」

すると、二人の女は車から降りました。一人の男がまず布団を運びました。門口に来ますと、紹聞

「運び込んでください」

男は車に戻ると小さな衣装箱、さらに銅銭を運んできて、こう尋ねました。

「車にはまだ物がございますか」

女が答えました。

「全部運んだよ」

「皆さま、こちらへいらっしゃってください」

紹聞は、門の所から離れて、女を中に入らせました。

 すると、一人の男が慌ててやってきました。彼は、小者を連れ、右手に蝋燭のついていない提灯を持ち、左脇には包みを挟んでいました。辺りは暗くなり始めていましたが、どうやら張正心のようでした。男は、紹聞を見ますと、腰を曲げて言いました。

「家で恥ずかしいことが起こっていますが、私たちにはどうしようもないのです。どうか譚さん、世交の誼で、あれこれ面倒をみてやってくだされば、大変有り難く存じます」

紹聞「先ほど屋敷に入られたのは、どなたですか」

張正心「一人は私の母で、一人は飯炊きの老婆、一人は下男です。私は車についてきたのですが、街で食べ物と蝋燭一斤を買ってきたため、遅れてきたのです。申し訳ありませんが、お宅の下男に火をもってくるようにおっしゃってください。燭台に火をつけますから」

徳喜児はすぐに楼のある中庭に行き、灯りを一皿持ってきますと、ボ─イと一緒に、提灯に火をつけました。張正心は

「屋敷を拝見させてください」

と言い、拱手して中に入りましたが、まもなく出てきて言いました。

「長いこと人が住んでいませんでしたので、部屋には家具がまったくありません。譚さん、どうか家具を用意されください」

紹聞

「テ─ブル、腰掛け、寝台などは、今晩何とか揃えて差し上げましょう。明日になったら掃除をし、紙を貼りましょう。朝とおっしゃっていたから、今晩来られるとは思っていませんでした。私の書斎に行ってお掛けください。雑務は、私とあなたの下男にやらせることにしましょう」

張正心は、譚紹聞と一緒に碧草軒にやってきました。

 さて、婦人というものは、他人の家族を見たがるものです。王氏、巫翠姐、冰梅、樊婆は、張類村の家が嫉妬によって分家したことを聞くと、きっと趙飛燕の妹、觸国夫人の姉のような娘だと思い、綺麗な娘を見たくてたまらず、裏門の入り口で、お客が裏の書斎に行くのを見るため、そろって南の中庭にやってきました。張家の下男は道をあけ、徳喜児から燭台をもらおうとしました。譚家の婦人たちは杏花児を見ますと、翔母の子供のようでしたので、大いに失望しました。そして、心の中で密かに笑いました。飯炊きの老婆が燭台を受け取り、さらに二本の蝋燭をつけますと、部屋の中は明るくなりました。王氏は尋ねました。

「これが三号さんですか」

飯炊きの老婆

「はい」

王氏はさらに言いました。

「抱かれているのは若さまですか」

「はい」

王氏は尋ねました。

「あなたはどなたですか」

飯炊きの老婆「私は張家の飯炊き女です。若さまのお世話をするためについてきたのです」

王氏は杏花児から若さまを受けとって見てみますと、尋ねました。

「この子はあなたが生んだのですか」

杏花児は返事をすることができませんでした。飯炊きの老婆

「もちろんですとも」

王氏たちは、杏花児を見て、さらに若さまを見ましたが、四角い顔に大きな耳、澄んだ目に高い鼻をしていました。王氏は思わず

「何て可愛い子でしょう」

すると、来客をつげる声がしたので、女達は、急いで戻っていってしまいました。楼の下に行きますと、巫翠姐

「お母さま、張さんの三号さんにくらべれば、私は賢くて美しいといえるでしょう」

王氏はじろりと見ますと言いました。

「お前は若くて、まったく軽はずみだよ。下品なことをいって」

樊婆

「ぼろぼろの蛹から綺麗な蛾が出てきたということですよ。茶色の毛をしたあまっちょが、玉のような子供をうんだというものです」

彼女たちは、張類村が今まで慈愛の心をもって人に接してきたので、このようないい子がうまれたのだ、善を積めば栄えるとはこのことだ、ということが分からなかったのでした。

 張正心は、譚紹聞と別れ、南の中庭にとりあえず杏花児を落ち着け、彼女を慰めました。そして、提灯を持って、車にのって帰ってゆきました。

 杜氏はすぐにその事を知りました。その晩、張類村に向かって

「あなた、私の部屋に来てください」

張類村は、仕方なく寝室に行きました。杜氏は騒ぎ、口数は多くありませんでしたが、ひどい大声で怒り出し、張類村をぶとうとしました。張類村は劉寄奴がしこたま殴られたのに倣うしかありませんでした[13]。杜氏は勝手なことをしすぎる勇気はありませんでしたから、顔に唾を吐き掛けました。張類村は婁師徳の「面に唾せられても自ずから乾く」[14]という度量に倣うしかありませんでした。杜氏はしばらく騒ぐと、敵が近くにいないのをさいわい、こう言いました。

「あなた、どうか私にちんちんのついた子供を生ませてください。そうすれば、私だって人前で、意地を見せることができますから」

そして、床につきました。

 さて、翌朝、梁氏は杏花児がよその家に仮住まいしたことを知りますと、とても不愉快な気分になりました。そして、楼の下で腹を立てて言いました。

「あの子は、この屋敷の正当な主人なんだよ。正心はあの子をどこかへやって、ほかの人間に彼の食事をとらせている。今日は誰も食事を作ろうとしないよ」

そう言っておりますと、張正心がやってきました。梁氏

「正心、杏花児をどこにやってしまったんだい」

「昨日、伯父さんと相談して、譚さんの家を借り、晩に私が彼女を送って、置いてきました。今日、私はもう一度、人を連れて庭を掃除し、鍋を据え、竈を造り、寝台を置きに行きます。万事きちんと取り計らいましたから、伯母さんは心配なさることはありません」

「正心、何をいっているんだい。この楼や広間は、みんなあの子のものなのに、あの子をここに住まわせず、人様の家の店子にしてしまうなんて。お前はよくも落ち着いていられるね。お前は伯父さんと相談して考えたことだというつもりかえ。伯父さんは省城で、みんなから尊敬されている。お前は廩生になったばかりで、将来の出世を期待されている。妾をよそに移すべきじゃないか。正当な跡取りを遠い所へ送ってしまうなんて。百姓だってそんなことはしないよ。以前、杏花児が南の中庭に住んでいたときは、私たちの家の下女が私たちの家に住んでいるということだから、私は何も言わなかった。今日、譚さんの家に送ったが、譚さんの老先生が生きていたら、彼らを家に泊めようとはせずに、必ずしかるべき取り計らいをしただろう。今日、彼らをあの人の家に住ませたということは、きっと譚家のあの若さまが、先代ほど立派な人ではないからだろう」

張正心は慌てて、伯母の耳元で小刀の話をしました。梁氏はしばらく言葉もありませんでしたが、突然言い付けました。

「車を準備しておくれ。見にいくから」

雇われ人や御者は、すぐに車を用意しました。梁氏は外套に着替えますと、外に出ようとしました。張正心は楼から一万銭を取ってきて、車に置きました。張類村は急いで寝室から出てきますと、

「それは印刷屋が預けている銅銭だぞ」

梁氏は

「後で返します」

と言いますと、門を出てゆきました。温姑娘

「私も一緒に行くわ」

梁氏

「お前も弟に会いにお行き」

杜氏は、自分が生んだ娘が行こうとしているのを見ますと、指差して、

「お前も行く気なのかえ」

梁氏

「私についておいで」

そして、振り向いて

「勝手なことはしないでおくれ」

杜氏は言い返そうとしましたが、張正心が銅銭を運んできたので、怖くて、口を閉じてしまいました。張正心は、伯母と妹を連れて、ふたたび蕭墻街に行きました。

 杜氏は嫡母が出ていったのをみますと、中庭に行って、張類村と喧嘩を始めました。張類村

「やめないか」

「あなたは年寄りでも、私はまだ若くて、先が長いんですからね。こっそりと恥知らずなことをして。あんたの子かどうかも分からないのに、家中の者が急にあいつを若さま扱いしだして。あんたは分かっているのですか。本心に背いてでたらめなことをするのはやめてください」

「黙るんだ」

「私は余計なことなど言っていませんよ。あなたが年寄りのくせに若者のようなことをすることぐらい、ちゃんと予想はついていましたよ。堂楼で話されていることを聞いてください。聞くに堪えません。二三か月の子供を、家の主にして、他の人は出てゆかなければならないなんて。あなたをどこへ行かせるつもりなのでしょう。まるであなたがいないかのようですよ。それなのに何も言おうとしないなんて、まったく恐妻家の都龍王[15]ですよ」

「少し黙らないか」

「生まれて二三か月たらずの子供が、百歳まで長生きするのなど見たこともありませんよ。三種類のできものも、まだ一度もあらわれていないし、下痢、赤痢が、子供の命を奪うことだってあるのですよ。水に溺れたり火に焼かれたりする関門、蛇に噛まれる関門、鶏がとんで井戸に落ちる関門、関門は他にもたくさんあります。明日になれば、どんな関門に遮られるともかぎりませんよ。そうなれば堂楼のあいつは蛇を失った乞食のようなものです。あの南の中庭の張正心は、まるで三本の糸でも吊り下げられるくらい軽々しく、うわべは実の兄弟が生まれたかのように振る舞っていますが、あなたをだまして喜ばせているだけなのですよ。あいつの家は貧乏で、うちは裕福ですから、どうにかして跡継ぎになりたくてたまらないのですよ」

「陰徳を損なうようなことを言うものではない。お前は自分が正しいとでも思っているのか」

杜氏は

「私には何の希望もありませんよ」

といい、鼻をつまんでおいおいと、しゃくりあげながら泣きだしました。そして、部屋に戻って寝台に倒れますと、頭から布団をかぶって寝てしまいました。張類村はどうしようもなく、部屋に入りますと、ねんごろに慰めました。杜氏は奥に向かって寝返りをうちますと、一声叫びました。

「あっちへいって寝てください。あなたなんか邪魔ですよ」

張類村は何度も溜め息をつき、独り言をいいました。

「これも陰徳のなせるわざか」

 まさに、

男と女が健やかなれば大いなる造作がなされ、

太和の元気は形となれる。

妾が家を乱すのは何故ぞ、

二十一日酉の刻[16]生まれなる故。

 さらに、張正心が幼い弟を庇うのは、君子が肉親を愛する道であること、その心遣いがまことに懸命で、その手のうち方はきわめて周到であったことを褒めた詩がございます。張正心のような者は、世の中の、財産目当てに跡目を争い、大事件を引き起こす者たちを恥じいらせることでしょう。諺にこのように申します。

世の中の肉親同士の、

同族に子なきがゆゑに財産を取らんとするは嘆かはし。

手をこまねきて息子を置いてきぼりにし、

子を失ふも喜びし伯道[17]を見るがよし。

 

最終更新日:2010114

岐路灯

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[1]泰も否も易の卦の名。泰は万事うまくいくこと、否は万事うまくいかないこと。

[2] 「何と悲しいのだろう、秋の風景は」。『楚辞』九弁に典故をもつ言葉。

[3]代々交際がある間柄。

[4]家と塀の間の細い道。

[5]歳試の成績。五等まである。歳試に関しては第三十八回の注を参照。

[6]子供が生まれることがなかったということ。熊羆が夢に現れるのは男の子が、魍蛇が現れるのは女の子が生まれる兆しとされる。いずれも『詩経』小雅斯干に典故のある言葉。

[7]不孝には三種類あるが、子孫を残さないのが最大の不孝である。『孟子』離婁上に典故のある言葉。

[8] 「些細なことでも許さない」の意。

[9] 『前出師表』。

[10]「純如」は本来は音楽が調和するさまをいうが、ここでは、当然のことという意味で使われている。繹如は連なりあっている様。いずれも『論語』八佾に典故のある言葉。

[11] 「音が繋がる有様は。連なりあった珠のようである」。ここでは、「連なりあった珠のような当然の結果である」ということ。

[12] 『孟子』離婁下「今有同室之人闘者、救之、雖披髪纓冠而救之、可也」(今、同じ部屋の人が争っている場合、これを救うときには、髪をざんばらにし、帽子の紐を結ばずに救いにいっても宜しい)に典故のある言葉。ここでは、「同じ家の者同士が争い、髪の毛をざんばらにする有様になる」ということ。

[13]劉寄奴は南朝宋の武帝劉裕のことだが、ここでは五代の武将劉知遠をさす。劉知遠を主人公とする元劉唐卿の戯曲『劉知遠白兎記』の古本は、劉裕と劉知遠を混同し、題名を『劉寄奴』としており、『岐路灯』の作者李海観も劉寄奴とは劉知遠のことだと思っている。『白兎記』では、劉知遠は兄夫婦から虐待を受ける。

[14]婁師徳は唐代の政治家。顔に唾を吐き掛けられても拭きとってはいけない、唾は自然に乾くのだから、と言ったことで有名。『大唐新語』寛恕。

[15]未詳。

[16] 「二十一日酉」とは「醋」の字をくずしたもの。「醋」は「吃醋」(嫉妬する)に通じる。

[17]晋のケ攸の字。戦乱の中で自分の子を棄て、弟の子を生かした話は『世説新語』徳行に見える。

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