第六十三回
譚孝移の霊柩が埋葬されること
婁潜斎が忠言で人をただすこと
さて、譚紹聞は、虎鎮邦が私をお忘れになりましたかというのを聞きますと、とてもびっくりしましたが、ゆっくり話しの続きをききますと、意外にも劇団を送るという話しでしたので、ほっとしました。虎鎮邦
「お宅では埋葬を行われるのですね。私はずっと高郵にいましたが、昨日戻ってきて、ようやくその事を知りました。私たちは同じ城内、しかも同じ街の者同士で、ずっと仲良くしてきたのに、どうして私には役目を与えてくださらないのですか」
「虎さんがお家にいらっしゃいませんでしたので、お知らせしなかったのです」
「手短かに申し上げましょう。私は、昨日、戻ってきましたが、この街には武当山にむかう劇団[1]がありました。彼らは、今、生、旦、浄、丑、副末などの演技をならって舞台に出ることができます。聞けば娘娘廟街の盛家から劇団を送ってくるということですが、私たちは今まで仲良くしてきたのに、儀式に参加しなければ、人々に笑われるではありませんか。彼らは、数日間、葬戯を上演しようとしていますが、譚さんがあれこれ面倒をみられる必要はありません。金を出すといえば、彼らを役者として扱うことになり、彼らは腹を立てます。人々が私に話しをするように頼んだのですから、譚さんも断ることはできないでしょう」
「彼らの好意を、あなたに伝えていただいたのですから、受けないわけにはまいりません。しかし、少し申しわけない気がします」
そもそも譚紹聞はこの時、一つには盛希僑の劇団を受け入れていたため、劇団を断るわけにもいきませんでしたので、二つには虎鎮邦の賭けの借金があったため、断るわけにもいきませんでしたので、いい加減な返事をしたのでした。
虎不久は話しを終えますと、立ち上がって去っていきました。譚紹聞は胡同の入り口まで送り、家に戻りました。そこでは、尼の法圓が、母親と、経をあげて葬送をする話しをしておりましたが、彼女は譚紹聞が入ってきたのを見ますと、急いで合掌して、言いました。
「阿弥陀仏。いいところへ旦那さまがいらっしゃいました。私は、お母さまと、お経をあげて葬送をし、先代さまを済度して仙界へ昇天させ、観音さまのご慈悲によって、金橋、銀橋を渡っていただくことについて話しをしていたところです」
「今、とりこんでいて、不行き届きが多く、すぐにはそこまでできません」
「若さま、よくもそんなことをおっしゃいますね。私の弟子は、今まで若さまのご贔屓をうけているのに、報いることができないので、どうしてもお母さまのために、二日間受生経[2]をよみ、ご霊前に幾つかの疏を送りたいと言っているのです。よそ者は呼んだりはいたしません。私たちは師弟ですし、南后街の白衣閣の妙智、妙通は兄弟です」
王氏
「あの二人の男を、呼ぶわけにはいきませんよ」
法圓は笑って
「あれまあ。奥さまは惚けてしまわれたのですか。あの二人は尼ですよ」
「あなたは兄弟といったじゃありませんか」
法圓は笑いながら、
「彼らは師兄師弟の間柄なのです。私たちは曹洞宗で、彼らは賈菩薩[3]の派で、私たちとは宗派が違います。しかし、一人は十数歳、もう一人は二十歳で、顔が綺麗です。私たちの経棚は、客間の軒下に作りましょう。昼間に来客があれば、私たちは、奥で奥さまのお手伝いを致します。晩に人が来なくなったら、女の方たちで紙銭を燃やし、私たちがお経をよみ、ご隠居さまのために、亡者の霊を済度してさしあげましょう。それから、普度庵の智老師がいます。あの人は臨済宗ですが、やはりやってきます。准提閣の恵師傅も来られますが、あの人は無宗派です。全部で六人です」
「随分賑やかですね」
「聞くところによりますと、城隍廟の王道官と鉄羅漢寺の雪和尚は、帖子を送って彼らの仲間を集め、譚家のために経をあげるといっているそうです」
譚紹聞
「少しも知らなかったよ。彼らに世話をかけるわけにはいかないよ」
「彼らは、もともと魚市の入り口の銭有光の家で、経をあげた時に争いを起こし、意地になって経文をあげるのを競おうといったのです。経をあげにくるとき、坊さんと道士で技を競おうとしているのです。私たちのような尼は、それぞれ宗派が違っても、とても仲良くし、話しが合わなかったり、とげのある話しをしたりすることはまったくありません。うやうやしく経をあげ、先代さまが十帝閻君の苦しみを受けないようにするだけです。そうすれば、ご隠居さまのお家の子孫が繁栄し、財産が豊富になること受け合いです。平安ホをするようなものです。すべて小さな楽器ですから、全然騒がしくはありません」
話しをしていますと、双慶児がやってきて言いました。
「葬具屋の王三麻子が、顕道神[4]が高すぎて、城門を通ることができないだろうと言っています」
譚紹聞
「城門に合わせて、数尺小さくするしかないな」
「それから二人の美女の服に、二疋の緑の綾子、四本の縮緬の汗巾を添えるようにとのことです」
譚紹聞が返事をしないうちに、蔡湘がやってきて、言いました。
「孔さまが墓誌の原稿を届けてきました。手紙も一通ございます」
紹聞が受け取って見てみますと、填諱[5]のことが書いてありましたので、言い付けました、
「王中に、お客をひきとめて、食事を出すようにいってくれ」
「王中は目を悪くして、痛くてたまらないそうです」
王氏
「よりによって忙しい時に眼が痛くなるなんてね」
さらに一人の老婆が入ってきて、王氏に向かって叩頭しますと、言いました。
「譚奥さま、ごきげんよう」
「どなたですか。どこの家から来られたのですか」
老婆は返事をしようともせず、笑いながら、
「ちょうどよかった、譚さんも家にいらっしゃる」
そして、王氏に向かって、
「巫のご隠居さまの遣いで、譚奥さまの御機嫌伺いに参りました。それから、相談したいことがございます。こちらが忙しくされているので、本当でしたらうちのお嬢様を家に帰らせるべきではないのですが、今晩、関帝廟で劇が上演され、夜には獅子舞いがあるそうです。これは珍しいことです。今晩、帰って劇を見て、明日、送り返します。譚奥さま、行かせて下さいませんか」
巫翠姐はそれをききますと、早くも堂楼にやってきて、尋ねました。
「謝さん、誰のお使いできたの」
老婆
「お母さまがお嬢様を迎えにいくようにとおっしゃったのです。昨日、孟玉楼が、お嬢様のために大きな翡翠でできた、百鳥が鳳凰に見えている様子を象ったかんざしを四つ、珊瑚に緑玉をあしらった、鯉が蓮に横たわっている様子を象ったかんざしを一対持ってきました。お母さまは、お嬢様が気に入れば買うし、気に入らなければ、孟玉楼に持っていかせればいいと言っています」
譚紹聞
「うちはこの通り忙しいのに、おまえの家ではおまえに劇を見せる積もりなのか」
巫翠姐
「劇を見るのは大したことではありません。私は、昨日、孟さんに、南の中庭の蘇大姐と一緒に、珊瑚のかんざしを一対もってくるようにいいましたが、彼女がもってきた物がどんな物なのか分からないので、見にいこうと思っていたのです。明日、戻ってきます」
法圓
「あなたがたは前世から功徳を積まれた方々です。家がどんなに忙しくても、若奥さまは仕事をされる必要はないのです。今日行って明日戻ってくるのですから、何が遅れるということもないでしょう」
王氏
「この人を家にいさせても何もしないのですよ」
巫翠姐は、母親が許してくれたのを見ますと、言いました。
「お母さま、三日泊まってきます」
王氏が返事をしないうちに、双慶児がまたやってきて、言いました。
「南馬道の張様が、去年『陰隲文』を版木に彫った刻工をつれてきて、人をふやし、急いで字を彫るとおっしゃっています」
紹聞は書斎にいって、張類村と話しをしなければなりませんでした。翠姐は晩の化粧をととのえ、王氏はケ祥に車の準備をさせ、謝婆さんは翠姐と車に腰掛け、法圓も同乗し、一緒に行ってしまいました。
次の日になりますと、貂鼠皮たちは竹馬児[6]を出して野辺の送りをしようと言いました。譚紹聞は今まで一緒に賭けをしていた仲でしたので、断るわけにもいかず、とりあえず承諾しました。その噂がひろまりますと、数日の間に、競馬や曲芸を行って、野辺の送りをしようという者、抬閣[7]を組み立てて野辺の送りをしようという者、旱船[8]をひいて野辺の送りをしようという者があらわれました─後でその姓と名を詳しく述べることにいたします。紹聞は彼らにいい加減な返事をしました。
啓柩の五日前になりますと、夏鼎が朝からやってきて、自ら葬儀委員長になりました。満相公は、小屋掛けを組み立て、提灯をさげ、テ─ブル、椅子、器などを整えました。王隆吉は姻戚でしたので、奥向きの仕事をし、銀子や銅銭を取り扱いました。さらに、二日たちますと、巫翠姐の弟が巫翠姐を送り返してきました。王氏は彼をひきとめて、孝帛を送る仕事をさせました。下男の双慶児、ケ祥らは、それぞれ仕事をしました。
かわいそうに、王象藎は、この時、心力を使い果たしたため、先代を埋葬しようと思っていたのに、よりによって病気の目が痛くなってしまいました。そして、慌てて、藪医者の目薬をさしたため、はやく直そうと思ったのに、かえって両目がはれあがってしまい、痛くて死にそうになりました。彼は、昔、衣装箱が置かれていた部屋に腰掛け、少しの光も見ることはできませんでした。ドアを閉じ、窓を閉めても、相変わらず痛みはやみませんでした。そこで、心まで悲しくなり、おいおいと密かに泣きましたが、泣けば泣くほど眼は腫れ、腫れれば腫れるほど痛くなりましたので、やむをえず埋葬には参加しないことにしました。王象藎が、ひどい眼の病気になったために、何も見えなかったのはさいわいでした。もしも霊前で、劇の上演や、競馬などの馬鹿騒ぎを見れば、若主人とまた口論になっていたかも知れないからです。
開弔の日になりますと、啓柩の儀式が行われました。紹聞は、もともと悪人ではなく、しっかりした考えをもたず、気が弱かったために、だんだんと下賤なことをするようになったのでした。今日、霊柩の前で儀式を行いますと、本心が刺激され、一しきり大声で泣きました。そして、儀式が終わりますと、蓆と土の枕の間に座り、杖にすがりながら弔問を受けました。
すると、一人の男が泣きながら入ってきて、供物をテ─ブルの上に並べました。その男は、香をつまみ、酒を地面にまいて敬礼をしますと、大声をあげて泣きましたが、とても悲しそうでした。紹聞も泣きやみませんでした。人々はびっくりして見にきました。この男は誰だと思われますか。昔、帳房をとりしきっていた閻楷でした。実は、閻相公は家に戻り、父親の埋葬を済ませますと、故郷の村のある金持ちからもらった資金を手にして、山西と鄭州で財産を築き、今日は省城に品物を送るついでに、昔の主人の家に様子を見にきたのでした。ところが、そこで、ちょうど先代を埋葬するのにでくわしたため、一テ─ブル分の手厚い礼物を買い、八両の香典を包み、霊前にやってきました。そして、先代が自分を養い教育してくれたご恩を思いだし、とても悲しくなって、大声をあげて泣いたのでした。
涙がおさまりますと、夏逢若は、客を小屋掛けに案内しました。閻楷
「私はこちらでは、お客になるわけにはまいりません。どうか仕事をさせてください。微力を尽くし、私の心を尽くしたいと思います。お棺をひいて墓穴の所へ行き、先代さまを埋葬してから、自分の仕事をしにいこうとおもいます」
譚紹聞は何度も感謝しました。夏逢若
「今は仕事は、それぞれ割り当てがきまっています。ただ、弔問客、供物、香典は、記入漏れがあることでしょうから、閻さん、あなたはその仕事をしてください」
閻楷
「帳簿の整理は、私が昔していたことです。その仕事をさせてください」
そして、東の軒先のテ─ブルに座り、弔問客が来ますと、供物や香典を清書しました。
まもなく、客が家をうずめました。宴席がはられて接待が行われたこと、孝帛が送られ、行状の拓本が配られたことは、細かくは申し上げません。数日間、毎日この調子でした。賑やかで、寂しくはありませんでしたが、代々蔵書をもち、いかがわしい客がきたことのなかった家には、悪人どもが集まり、様々な人間が入り込みました。
閻楷は、大勢の仕事をしている人の中を、注意して探してみましたが、王象藎一人がいませんでした。そこで、こっそり双慶児に尋ねますと、王中が眼の病気になって、裏の小部屋で光を避けているということがわかりました。晩になりますと、閻楷が帳簿をつけていた小机は、法圓が経をあげる有り難い場所となりました。通りでは二つの小屋掛けで劇団が、銅鑼が鳴り響かせ、二つの小屋掛けでは僧や道士が、楽器の音と歌声で地を満たしました。人々は好きな所を選んで、耳目を楽しませにいきました。閻楷は、双慶児に小さな提灯をさげさせ、裏の小部屋へ王象藎の様子を見にいきました。王象藎は、足音を聞きますと、尋ねました。
「誰ですか」
閻楷は、自分の名前を言いました。王象藎は、閻楷の袖を触りながら、何も言うことができず、ただ泣くばかりでした。閻楷も思わず涙を零して、言いました。
「ゆっくり話しをしよう」
王象藎は、ゆっくりと幾つかの話しをしました。閻楷は双慶児を呼び、
「小さな寝台を探してきてくれ。今晩はここで休むから」
王象藎
「荷物はどうした」
閻楷
「祥興行にある」
閻楷は昼間は仕事をし、晩になりますと、王象藎に心の中のことを詳しく話し、付き添いの下男に命じて、祥興行に、数日したら戻るという手紙を送らせました。
次の埋葬の日になりますと、王象藎は主人の厚いご恩を思い、無理をして閻楷に付き従い、双慶児に腕をささえられながら、胡同の入り口から表門に回り、広間の中につきました。譚紹聞は、王象藎の両目がはれあがって、まるで盲のようになっているのを見ますと、言いました。
「お前は目がその有様なのだから、奥にいればいいのに、なぜこんなところへ来たんだ」
王象藎は大声で泣きますと、一言いいました。
「先代さまを送りにきたのです」
この時は孝幔[9]は取り払われ、棺があるだけでした。棺は麻の紐で縛られ、黄泉路への旅をまつばかりでした。王象藎は、病気の目を見開き、その様子を見ましたが、刀で切られるかのように痛かったので、大声を上げて泣きました。
奥の遺族たちは、出棺を告げられますと、泣きながらおもての広間にやってきました。双慶児は、王象藎を引っぱって、彼を離れさせました。まもなく、棺を担ぐ墓掘りたちが、腰帯に草鞋の出で立ちでやってきました。とても恐ろしげな様子でした。二人の下男が、麻の冠と破れた服を着た譚紹聞の腕をとり、まるで拉麺を引っ張るときの様に、通りの真ん中に引きだすと、譚紹聞は門に向かって跪き、天を仰ぎ、地を打ちながら泣きました。徳喜児も興官児を抱きかかえました。興官児は、斬衰を着、小さな杖をつき、嫡母である孔慧娘の出棺を泣きながら待ちました。
人々はみな心を乱し、悲しみました。
程なく、
棺担ぎが一声叫び、黒塗りの棺おけは地を離る。遺族は二組に分かれて、おいおいと悲しげな泣き声は天を揺るがす。打路鬼の顔は恐ろしく、からくり動けば踊りをおどる。顕道神の頭は大きく、車が動けば衣がひらめく。竹馬を走らせる者、四方に掛けた鈴を響かせ、王昭君[10]が和睦のため塞外に出るやうな出で立ちをする。獅子舞ひをする者は、繍球を転がして、回回の天朝に宝物を献じるがごと。旱船を走らせる者、陳妙常[11]が船を走らせ、于叔夜[12]が船を追ふかのごときなり、速からず遅からず、あたかも水面を漂ふかのやう。抬閣は、戟の先には貂嬋[13]が立ち、扇の先には鶯鶯[14]が立ち、恐れず動かず、青空の果てを行くかのごときなり。崑曲の劇、演ずるは『満床笏』[15]、一人一人が縫い取りをした服を着け、象牙で作った笏をもつ。隴州の調べ、歌うのは『瓦崗寨』[16]、板の斧、鉄の鞭とが一対に並びたり。百人の僧、袈裟をはおりて、金銅の鐃鏺をうちならす。音は天地に響きたり。五十対の道士たち、羽衣を着け、葦管、竹笙吹き鳴らし、響きは雲をもとどめたり。張り子の八洞仙[17]、ある者は宝剣を負ひ、ある者は漁鼓[18]を叩きて、脱俗の風格あり。布製の小さな美人、ある者は急須を手にとり、ある者は杯を捧げて、桃の顔、柳の眉。馬上の下役、宝刀を持ち、彫刻をした弓を掛けたり。一見すれば、張り子とは思へない。担ぎ手は、金の箱、銀の大箱担ぎたり。よく見れば、初めて悟る髭の作りものなるを。色付きの傘五十対、女達の刺繍を施す。十二の挽聯[19]、郷紳たちの弔辞をしるす。二つの書案、琴棋書画、長短の軸が並べらる。一つの陰宅、楼閣と庁房に、四つの戸、八つの窓が描かれり。鹿に馬、羊に鶴も、それぞれそつくり。車馬や輿、すべて新品。香机、食卓の、配置はすべて『家礼』[20]に従う、方弼と方相[21]の矛と盾とは、みな『周官』に従へり[22]。三本の銀の傘、位牌を覆ひ、十丈の大幕は、葬送をする婦人を隠す。
沿道には路祭[23]のための小屋掛けや、阻道[24]の供え物の机が、押し合いへし合いして、大変賑やかでした。
霊柩車が通り過ぎますと、数人の老人が溜息をついて、
「譚さまは真面目な読書人で、心は穏やか、行いは正しかった。ところが、あの人の息子さんは、まったくだめになってしまっている」
門楼の中や、塀の上の婦人たちは、孔慧娘の霊柩車を見て、言いました。
「譚家のお嫁さんは、とても賢い方だった。惜しいことに、いい人は長生きできないものだ。譚さまもお可愛そうに」
街の噂や批評のことはお話し致しません。さて、霊柩車は正門を出て、墓につきました。胡其所は方位を定め、改葬を行い、顔中に汗を流し、手足を忙しく動かしました。礼相たちは程嵩淑が祀土を行い、婁樸が点主を行うのを助けました。冥器[25]を燃やし、墓誌を埋め、土饅頭を作り、城門が夕方閉まる時までには、何とか儀式を終え、人々は押し合いながら城内に戻りました。
次の日になりますと、閻楷は自分の仕事をするために出発しようとし、供物と香典を記した帳簿を渡しました。紹聞は引き止めることはできず、仕方なく帰らせることにしました。閻楷は、さらに奥の書斎にいって、王象藎と少し話しをしましたが、王象藎はいかせようとはしませんでした。そこで、閻楷はさらにしばらく止まってから、祥興号に戻り、荷物を整理しました。
三日過ぎますと、行事はすべておわりました。譚紹聞が帳簿を細かく見ますと、そこにはこう書いてありました。
閻楷、供物一卓分、香典八両。
盛家、豚一頭、羊一頭、供物テ─ブル一杯、香典五十両、喪劇。
夏逢若、鶏一羽、香典三銭。
泰隆号孟嵩齢、吉昌号ケ吉士景卿雲、質屋の宋紹祁、絹物屋丁丹叢、海鮮屋陸粛瞻、炭焼き郭懐玉、綾子の障子一つ、豚羊供物、香典二十両、路祭阻道用の小屋掛け七つ。王経千、香典二両。
張縄祖、王紫泥、それぞれ香典三銭。
王春宇、豚羊供物、香典十両。
満相公、香典二銭。
巫大爺、豚一頭、羊一頭、油蜜の楼一つ、油蜜の牌坊一つ、海産物二十四種、果物二十四種、惣菜二十四種、素錦[26]の帳一つ、弔辞一聨、香典二十四両。
巴庚、銭可仰、焦丹、それぞれ香典三銭。
地蔵庵の范師傅、疏二つ、紙礼[27]二分。
胡其所と弟子、香典あわせて二銭。
姚杏庵、香典二銭。
孔耘軒、豚一頭、羊一頭、供物一テ─ブル分、白い帳一つ、弔辞一聨、東廂房の霊前に羊一頭、テ─ブルいっぱいの供物、香典六両。
程嵩淑、張類村、蘇霖臣、それぞれ羊一頭、供物一テ─ブル分、香典六両、祭文一枚、弔辞それぞれ一聨。
虎鎮邦、香典三銭、喪劇。
保正王少湖、香典一銭。
受付係銭万里、香典二銭。
林騰雲、香典五銭。
假李逵、紙礼一分、抬閣四つを送る。
鮑旭、香典一両。
管九宅、香典三両。
劉守斎、香典一両。
刁卓、白鴿嘴、細皮鰱、それぞれ五十文ずつ、競馬、曲芸、綱渡りをする男女合わせて十二人を送る。
雪和尚、疏二つ、紙礼二分、経棚三日。
姚門番、香典二銭、旱船二隻。
城隍廟の王道官、疏二つ、紙礼二分、経棚三日。
賁浩波、香典五銭。
王二胖児、楊三麻子、閻四黒子、孫五禿子、ともに銭四百文、竹馬八人を送る。
薛媒婆、紙礼一分。 [木鬲]子眼、豚の首一つ、香典二百文、孔慧娘をまつる鶏一羽。
婁家、豚羊供物、追悼詩の書かれた綾子二幅、香典十二両。
周家の叔父さん、香典六両、供物一テ─ブル、周氏の墓への供物一テ─ブル。
恵先生、香典二銭、紙の挽聨[28]一そろい。
ケ汝和、香典三銭。
馮三朋、魏屠子、張金山、白興吾、ともに二百文を出し合い、獅子舞いをする回教徒十六人を送る。
談皀役、香典三百文、孝帛は自弁。
豆腐屋の劉、香典五銭。
袁勤学、韓好問、畢守正、常自謙、ともに香典四両。
その他、隣近所からの供物や香典が、漏れなく記載されていました。譚紹聞は逐一調べあげ、中には宴席を設けて返礼すべきもの、銀子を送るべきもの、家まで挨拶にいくべきものがあり、それぞれに懇ろに礼をしました。宴席では、いつも夏逢若が接待役をしました。最後の日には、刁卓が呼ばれ、夏逢若は顔を合わせるのはよくないと思ったので、理由をつけて隠れてしまいました。
客へのお礼は終わりましたが、点主、祀土をした来賓へのお礼はすんでいませんでした。そこで、新たに絹織物、衣服を買い、自ら謝礼をしにいきました。
程嵩淑の家に行きましたが、彼は、茶葉一封を受け取っただけで、あとはすべて返しました。
北門の婁家に謝礼に行きますと、婁家でも扇子を一つ受け取っただけで、あとはすべて返しました。そして、昼だったので丁重にひきとめられました。譚紹聞は、喪服を着ているから差し障りがあるといって何度も断りましたが、婁樸
「もともと代々お付き合いしている間柄なのですから、礼に拘りすぎることはありません。それに、あなたをお引き止めするのは、実は伯父に命じられたからなのです。伯父を呼んできますから、少し話しをされてはいかがですか」
紹聞
「しばらく伯父さんのお顔を拝見しておりませんから、お会いするのが筋でしょう。おっしゃる通り、会わせて頂きましょう。伯父さんが奥に戻られたら、私はまたすぐに戻って、残っているたくさんの雑務を処理しなければなりません」
話が終わらないうちに、衝立の裏から咳払いが聞こえましたので、婁樸は急いで奥へ迎えにいき、言いました。
「伯父が来ました」
譚紹聞は恭しく立ち上がって待機しました。すると、婁樸が婁樗とともによぼよぼの老人を支えて出てきました。譚紹聞が挨拶をしようとしますと、婁老人は言いました。
「結構です。結構です。老いぼれは答礼することができませんから」
譚紹聞が老人のいうことに従いますと、婁老人はぜえぜえと西側の席に腰掛けました。譚紹聞
「ご老人はお元気そうですね。ご機嫌伺いにも上がりませんで」
「譚さんは大きくなられて、お父さまと似てこられました。結構、結構。あなたが今日来られると聞いたので、婁樸に、あなたを引き止めるようにいい、あなたとお話しをしようと思ったのです。私は年をとっているので、話しが役に立つこともあろうかと思います」
「ご老人のお教えを、拝聴させて頂きましょう」
「私は、最近、あなたがあまり良くないことをしていると聞いています。私は大変嫌な気持ちです。あなたは弟から勉強を教わった、私たちの家の弟子ですし、私はあなたのお爺さんの教えを受け、初めて知恵がついたものです。あなたが真っ当な人間になっていないということを耳にしながら、あなたにまともな話をしなければ、私は良心のない人間ということになります。あなたは資産家ですから、我々のような農民とは比べ物にならないのです。あなたが向上心を持てば、他人よりも早く向上するでしょうが、下賤な道に踏み込めば、他人よりも悪い評判をたてられるでしょう。嫌がらずに聞いてください」
譚紹聞は顔中真っ赤にして答えました。
「ご老人のご好意から出た、心の篭ったお教えを、聞くのを嫌がりなど致しません」
「私は農民ですから、うまく話しをすることはできませんが、あなたのお爺さんが私に教えてくれた話を、いつも覚えています。今日あなたにお聞かせしましょう。私は、最初あなたが住んでいる蕭墻街で、小さな店を開いていました。若い頃は、はやりの服をきるのが好きでしたが、酒や賭博をしたことはありませんでした。あなたのお爺さんは私を見て、私がうわべをかざるのにつとめ、家計に注意をしていないといわれました。それから、日々の生活をすることを軽く見てはいけない、貧乏になれば、どんなことでもするようになる、乞食になるのはまだ上等な方だともいわれました。紹聞どの、あなたの豊富な財産が、銅や鉄でできた城壁のように、永遠に崩れないものだと思われてはいけません。今日少し壊れ、明日少し壊れ、いつかはがらがらと崩れて、あなたはお金を工面する術がなくなってしまうのです。私は七八十歳ですから、もう長くはありませんが、経験は豊富です。人は口先だけで物をいいますが、私はこの眼で見たことをいっているのです。世の中の下賤な者も、先祖を辿ればやはり立派な人達です。しかし、家が落ちぶれれば、どこの家も娘を嫁にさしだそうとはしなくなります。そうなれば家も断絶し、恥をかく人さえいなくなってしまうのです」
婁樸は、伯父の話が厳しくなってきたのを見ますと、言いました。
「伯父さん、奥へ戻りましょう」
ちょうど婁老人は咳込み始め、それ以上話せなくなったので、立ち上がって戻りました。しかし、婁樸兄弟に腕をとられながら、まだ低い声で一人言のように
「忠言なのです。忠言なのです。金の値打のある忠言なのですぞ」
といい、ゆっくりと奥に戻っていきました。
婁樸は戻ってきますと、
「伯父は年をとって、厳しいことをいうようになった。どうか伯父のいったことを理解してくれ」
「ああ。あのようなご老人がいて厳しい話をしてくだされば、僕は君と一緒に出世して、こんな箸にも棒にも掛からないようなことにはならなかったかもしれない。ただ、父親が早くなくなりすぎたので、正しい教えを聞くことができず、今では君と雲泥の差ができてしまった」
「伯父の厳しい言葉を嫌だと思わなかったのなら、改心するのは難しいことではないだろう。しかし、上辺だけ分かったふりをしていては駄目だよ」
「僕を何だと思っているんだい。僕は木偶の坊じゃないんだから、善悪の区別は弁えているよ。僕は、今日、あなたから御馳走になり、忠告もしてもらったが、これでこそ代々つきあいをしている間柄というべきだよ」
「父が館陶から手紙をよこしてくるが、いつも君に忠告するようにと書いてあるんだ。君にみせてあげよう。僕は君がふらふらしているのはわかっていたんだが、うるさいことを言いたくもなかったんだ。しかし、忠告を聞いてくれるというなら、意見をいわせてもらうことにしよう」
婁樗が出てきて、食事はもうでき上がっていましたので、三人は同じテ─ブルで食事をしました。婁樸はやんわりとした言葉で、日が暮れるまで話しをしました。紹聞
「離れて住んでいるのが残念です。近くに住んでいれば、麻の中に生える蓬のようにまっすぐ育つことができたでしょうに」
日が西に落ちますと、紹聞は別れを告げ、何度も改心するといいました。婁樸兄弟は、表門の外まで送り、紹聞は一人で家に帰りました。
婁潜斎父子と伯父が、紹聞を心配していることを述べた詩がございます。
代々の友情と同郷の誼には偽りはなし、
兄弟、父子はみな誠実。
引越せんとするときに、
なんぞ惜しまん大金で良き隣人を得ることを。
最終更新日:2010年11月4日
[1]原文「鑼鼓社」。
[2]死者がよい転生を遂げることを祈念して上げるお経と思われるが未詳。
[3]未詳。
[4]葬列の先頭を行く神像。凶悪な面相をしており、左手に玉印、右手に戟をもつ。
[5]行状を書くときに諱を他人に書き込んでもらう儀式。
[6]馬の形をした張り子。竹で作る。人がそこから上半身だけを出して歌い、踊る。
[7]木製の屋台に二三人の子が芝居や舞台の人物に扮して乗り、大人が数人で担いで練り歩く出し物。
[8]民間舞踊の一種、北方の演芸の一種、女子に扮した人が竹などと布で組み立てた底のない船の中に立ち、舷は体に結び付け、一人は船頭に扮し、手にかいを持って船を漕ぐ格好をする、船頭と船上の人は歌を歌いながら踊る。
[9]霊柩の前に掛けられる幔幕。
[10]漢の元帝の宮女。匈奴にとつがされそうになり、自害。
[11]戯曲『玉簪記』の女主人公。第二十三齣で恋人潘必正を船で追いかけるのが見せ場。
[12]戯曲『西楼記』の主人公。
[13]後漢の王允の歌姫。『三国志演義』に登場。
[14]崔鶯鶯。『西廂記』の主人公。
[15]清の康煕の初め、龔鼎孳の門客が作った戯曲。唐の郭子儀の富貴栄達を描いたもの。
[16]劉百章撰。唐の程咬金を主人公とする戯曲。すでに亡逸。荘一払編著『古典戯曲存目彙考』「此戯未見著録。『伝奇彙考標目』別本劉氏(劉百章。字景賢、浙江楽昌人、世居江蘇呉県。生平事蹟無考)名下有此目。『曲海総目提要』有此本。為裴元慶与華氏締姻、以程咬金聚瓦崗、串合関目、事本野乗。按史無程為瓦崗寨『混世魔王』事、亦無裴元慶其人。佚」
[17]八仙に同じ。八洞神仙ともいう。漢鍾離、張果老、鉄拐李、韓湘子、曹国舅、呂洞賓、藍采和、何仙姑。
[18]道士が用いる打楽器、六十五から百 センチで、長い竹筒の片方を豚や羊の薄皮で覆い、手で叩く。
[19]死者を哀悼するための対聯。
[20]書名。宋の朱熹撰。
[21] 葬儀のときに用いられる紙製の魔除けの巨人で、黒頭巾に金の鎧をつけ、中は空洞で横木が渡してあり、人が入って担ぐものという。蒲松齡『聊齋志異』金和尚「方弼、方相、以紙殻製巨人、p伝金鎧。空中而横以木架、納活人内負之行」。
[22] 『周官』は『周礼』のこと。ただし、『周礼』には方弼に関する記載はない。方相に関しては、夏官司馬に、以下のような記述がある。熊の皮を持ち、黄金の四つの目をつけ、戈で四方を突きながら、葬列を先導する人をいう。「方相氏掌蒙熊皮、黄金四目、玄衣朱裳、執戈揚盾、帥百隸而時難、以索室敺疫、大喪、先[匚舊]、及墓、入壙、以戈撃四隅、敺方良」。
[23]親戚、友人が出棺を道路脇で迎えて供え物をし、礼拝する儀式。
[24]路祭のこと。
[25]明器に同じ。
[26]白地の錦。棺覆いにつかう。
[27]葬送のときに折って燃やす紙。粗製の黄色い薄紙で、植物の茎から作る。焼くと冥府で金銭となると信じられているが、紙銭とは異なる。
[28]死者に送る対聨。