第六十二回

程嵩淑が反論して改葬をやめさせること

盛希僑が援助のため俳優を送ること

 

 さて、譚紹聞は胡其所をよんで、新しい墓穴を指定し、墓の位置をかえ、葬儀の吉日を選ぶことに決めましたが、家の使用人が少なかったので、準備をすることができませんでした。そこで、仕方なく双慶児を城の南に行かせ、ふたたび王象藎と趙大児を呼び戻しました。そして、昔の怨みはすっかり忘れ、一切のことを、王象藎と相談することにしました。しかし、王象藎は、今まで菜園にいて、家のことを心配していましたし、真夜中になっても寝ず、心もむしゃくしゃしておりましたので、攀睛[1]になってしまいました。

 ある日、譚紹聞は彼に大工の店へゆくように命じ、大工を呼んできて、棺を作らせることにしました。大工の馬師班がやってきますと、譚紹聞

「あなたは城内で有名な大工だ。私は今、椁を一つ、死体をいれる棺を三つ造ろうと思う。檜にしてくれ。手元に材木はあるかね」

「ございます。今、材木屋に、山西の客商が檜の角材を売りに来ていますが、質は大変いいものです」

「その四つの物の値段はどのくらいだ」

「工房に行って、自分の眼で見なければなりません。材木が気に入られたら、値段を交渉しましょう。私は、間に立って品定めをして、どちらにも損をさせなければそれでいいのです。しかし、今日、材木商は、神祭りをしていますから、私は、彼に祝い品を贈らなければなりません。明日の朝、あなたが自分で見に行くか、お宅の下男を見にゆかせるかされるのなら、私は店でお待ちしております」

馬師班は、そう言いますと行こうとし、明日、材木を見る約束をしました。

 王象藎は馬師班を送りましたが、三つの棺を、何のために使うのか分かりませんでしたので、戻りますと、こう尋ねました。

「椁板は必要ですが、さらに三つの死体をいれる棺を買われるのは、何のためですか」

「王中、お前は知らないだろう。僕は、最近、僕たちの家で思い通りにならないことが多いので、昨日、風水の先生をよんで、墓を見にいったら、昔埋葬をしたときの墓の位置が間違っているといわれたんだ。先代を埋葬する時に位置を変えなければいけないんだ。お祖父さまの墓も掘り返して、向きを変えなければならないそうだ。お祖母さまのものもいれて、全部で三つの棺を準備しなければならない。墓を発掘して、昔の棺が腐っていなかったら、そのまま新しい墓穴に移せばいい。三尺しか離れていないのだからね。しかし、昔の棺が腐っていたら、新しい棺に移さなければいけない─普通世間でいう骨箱というものさ。僕たちが造るのは、最上の漆塗りのものにするのが、一番いいだろう」

王象藎は、それを聞きますと、心の中で嫌な気持になりましたが、気持ちを変えて考えました。

「私は家にきたばかりの頃、口を開けば主人がすることは良くないといっていたが、少し無礼だったというほかない。また悪い癖がぶりかえしたわい」

そこで、うなずきますと、

「明日、まず椁板を見てみましょう。改葬の時、棺が壊れていなければ、三つの新しい棺は必要ございません。もし旧い棺が壊れてしまっていれば、城内の大工の店にも、最上の棺があるでしょうから、その時になって買うことにしても遅くはないでしょう。あらかじめ準備される必要はありますまい。三つの棺が必要ない時は、この三つの棺を置く場所がございませんからね」

譚紹聞は喜んで、

「王中、お前の考えている通りだ。その通りにしよう」

譚紹聞は、王象藎が改葬を中止させようとしているとは知りませんでした。三つの棺が作られれば、改葬を中止させることは難しくなります。ですから、王中は、遠回しに忠告をし、主人が椁板に気を取られ、三つの新しい棺のことをとりあえず忘れている間に、他に方法を考え、改葬を阻止しようとしたのでした。

 さて、次の日の朝になりますと、譚紹聞は、王象藎をつれて大工の店に行き、椁板を見ました。椁板は、果たして石のように堅く、たっぷりと漆が塗ってありました。そこで、値段を交渉し、馬師班と徒弟に木を切らせ、ケ祥に渡して管理させました。

 王象藎は、心の中で画策をし、改葬の阻止は、先代の友人でなければできないと思い、譚紹聞に向かって言いました。

「改葬の時の礼相には、どなたを呼ぶべきでしょうか」

「城内の新しい生員の多くは我々と親交がある。近所の人を数名選んで呼べばいい」

「先代さまが昔付きあわれていたお友達を呼ばれるのが宜しいでしょう」

「ご老人に面倒をかける必要はないよ」

「先代さまを今日埋葬しますが、昔のお友達に送ってもらわなければ、先代さまの霊も喜ばれないでしょう。それに、程さまたちも、普通の付きあいではなかったのですから、面倒を嫌がる筈がありません」

「お前のいうことも尤もだ。ご老人たちも呼ぼう。帖子を書くから、一軒一軒に届けてくれ」

このことは王象藎の考えていたこととぴったりと合っていましたので、彼は言いました。

「善は急げです。私が帖子屋へ行って、上等の帖子を買ってまいります。若さまが今日中に書かれて、私が明日に届けるのはいかがでしょう」

譚紹聞はうなずいて、

「そうしよう」

そして、帖子を買ってこさせますと、譚紹聞はすぐに書き上げました。副榜孔耘軒が点主[2]を行い、新たに拔貢生になった程嵩淑が祀土[3]をすることになりました。張類村、蘇霖臣、恵人也は、みな高齢で老成していました。位牌を書いたのは婁樸でした。礼相[4]は、同じ街の若い英才で、新しく学校に入った袁勤学、韓好問、畢守正、常自謙でした。譚紹聞は、帖子を書きますと、王象藎に渡し、次の日、それぞれの家に届けさせました。

 王象藎が孔耘軒の家に帖子を届けにゆきますと、ちょうど程嵩淑がいるのに出会いました。王象藎は、叩頭して挨拶をしますと、帖子をテ─ブルの上に拡げました。孔耘軒はそれを見ますと、

「お宅のご主人は長いこと塗殯(かりもがり)の状態で、普段は埋葬するとは言っていなかったのに、今日、このような重要なことを行うとは、急ではございませんか」

「私はずっと城の南に住んでいましたが、昨日、私が家に呼ばれたのです。私が家に行ってみますと、主人が、埋葬は大切な事で、人が少なくては行うことができないから、私をよんで事務処理をさせるのだと言いました。実は急にこのような重要なことを行うことになったのです。さらに先々代の遺骨を移し、墓の位置をかえなければなりませんが、私はどうしていいか分かりません」

程嵩淑

「何だって。もっと詳しく話してくれ」

「先代を埋葬するときに、若奥さまの霊柩も一緒に埋葬するのです。さらに陰陽師の胡先生をよんで、先々代の墓の向きが間違っているので、旧い墓を掘り返し、改葬して位置をかえるということです。祀土も、程さまにお願いしなければなりませんが、ここは程さまのおうちではございませんから、帖子をさし上げるわけには参りません」

「私への帖子を見せてくれ。私が欲しいといっているのだから、お前が私の家に送る必要はあるまい」

王象藎は言われるままに、礼匣の中から帖子を取り出し、程嵩淑に捧げました。程嵩淑は、受け取って見てみますと、テ─ブルの上に置き、言いました。

「耘軒さん、婿殿が自ら家の財産を減らし、黄泉路に行った祖先の骨をもいじろうとしているのは、遺憾で、けしからんことです。私たちは手をこまねいて、あれが正しくない道に墜ちてゆくのを見ているわけにはまいりません」

「あれとは舅と婿の関係ですが、私はどうしようもありません。それに、娘が一緒に葬られるので、私に点主をしてくれというのですが、私も辛い気分です」

「点主になったりしてはいけません。当惑されることはありません。あの人が私たちを呼んでいるのですから、耘軒さんは必ず出席され、婿の譚紹聞のためではなく、死んだ友人譚孝移のためだといえばいいのです。今回の改葬は、譚孝移さんのお父さまの改葬です。私たちが流れに押されて、世間でいういい人になるのは、簡単なことですが、譚孝移さんとの生前の付きあいを棄てることはできません。心の中はとても不安です」

「今回は娘が埋葬されるので、私が呼ばれたのでしょう。しかし、私は行きたくないので、弟を私の代わりにゆかせます」

「呼ばれたのはいいことですよ。あれがでたらめに人を呼ぼうとすれば─ここは省城ですから─点主、祀土を呼ぶことができないというわけでもありますまい。あれがあなたを呼んだのは心の中に何か考えがあるからでしょう。耘軒さんもあれを責めつづけてはいけません」

王象藎は跪いて叩頭しますと、言いました。

「お二人に正直に申し上げます。改葬の時に、お二人を呼ぶように主人に唆したのは、この私なのです」

程嵩淑

「いかがですか。あれがわれわれ老いぼれを嫌わず、私たちをあれの家に呼んだのですから、私たちはあれに説教をすることにいたしましょう。そうすれば、あれは生前の不孝を免れ、亡くなった孝移さんへの孝を尽くすことができるでしょう。耘軒さん、考えてください。私たちを賓客として呼ばれなくても、私たちはこの話を聞けば、あれのすることに従いはしないでしょう。ただ、あれの家に行ってあれを正すよりは、あれが私たちを自分の家に呼んだ時にたしなめてやる方がいいでしょう。象藎、お前は他に誰を呼ぶのだ」

王象藎が逐一説明しますと、程嵩淑

「お前はほかの所へ帖子を届けてきてくれ。わしはあれが改葬を行わないようにしてやろう。点主のことはさらに相談しなければならん」

「先代の霊もお二人に感謝していることでしょう」

孔耘軒

「今回お前は戻ってきたが、また出てゆくのではないのか」

「私が他にどこへ行くとおっしゃるのですか。主人が若く、考えがしっかりしていませんので、少々たてついてはおりますが、すべては先代さまが亡くなられたとき、私に頼まれたからなのです。私は心を変えてはおりません」

程嵩淑

「耘軒さん、象藎は忠臣が君主に仕える道にかなっていますよ。ただの人が親を失った息子を世話するという荷を担っているのです。彼に『象藎』の二字を送ったのは、間違いではありませんでした[5]

王象藎

「皆さまは私を賞賛してくださいますが、もったいないことでございます。先代さまは、二つのことを私に言い付けてお亡くなりになりました。私は、今でもそのことを忘れることはできず、誠意を尽くしているだけなのです」

言い終わりますと、王象藎は、他の所に帖子を届けにゆきました。程嵩淑はさらにしばらく話をし、酒を汲み交わし、夕方になりますと帰りました。

 さて、約束の日になりますと、賓客が続々と碧草軒に集まりました。五人の老先生は、模範的な名望家、五人の美少年は、優れた俊才で、とても立派でした。譚紹聞は、親を埋葬する儀式を行うために、広間を綺麗に掃除し、皿や杯を綺麗に磨き、上等の茶を沸かし、上等の香を炊き、とても恭しくしました。挨拶がすみますと、五人の少年が恭しく年少者の挨拶をし、五人の老人が、彼らを褒め、励ましました。これでこそ高雅な集いというものです。俗物が集まる時は、老人は、角がとれていることが世情に通じていることだと考え、若者は勝手な振るまいをし、なれなれしくすることが、細かい礼節に拘らないことであると考えますが、それとは大違いでした。

 昼食のことは、詳しくお話し致しません。食事が終わりますと、ふたたび酒が出されました。人々が、帖子で招いた意図を尋ねますと、譚紹聞は儀式の手伝いを頼んだ事情を説明しました。人々が埋葬の期日を尋ねますと、譚紹聞

「選ばれた吉日は、来月の二十九日です。申の刻に埋葬することに致します」

程嵩淑

「お前はお祖父さんお祖母さんを改葬し、墓の位置を変えるそうだが、本当か」

譚紹聞は、計画をしっかり立てていましたが、いかめしい老人たちに一言質問されますと、どうしたらいいか分からず、もぐもぐとして返事をすることができませんでした。そして、やっとの思いで言いました。

「彼らが、先祖を埋葬したときの墓の向きが違っていると言ったので、今回、改めなければならないのです。移すのはたった二歩離れた所です。そこが正しい墓穴なのです」

「お前がいう彼らとはどのような人間だ。本当にそんなことをいった人がいたのか」

「胡先生です」

程嵩淑は厳しい顔をして、

「今日、酒を用意してわしらを呼んだのは、このことが重大で、軽々に事を運ぶわけにゆかなかったからだろう。しかし、我々を呼んだ以上は─我々は、お前のお父さんやお祖父さんと普段親しくしていたのだから─このことについてみんなで考えなければならないぞ。わしは、お前のことを、目に一丁字ない片田舎の農夫とは違うし、経書を読まない、辺鄙な田舎の、頭が空っぽの学生でもないと思っている。お前は昔、学院の前で五経を暗唱した。私が五経をお前に尋ねると、お前は覚えていないということはなかった。お前の今の考えは、吉を求め凶を避けようということに過ぎない。吉凶を説いたものでは『周易』より詳しいものはない。その中で、吉というのは、大体、恐れ慎しむことによってもたらされ、凶というのは、多くは奢り高ぶり、邪であることによってもたらされるものだ。全部で四人の聖人の手を経ているが、墓の向きをかえれば吉とか、かえなければ凶とかいった言葉があるか。『書経』に『(みち)(したが)ふは吉、逆に従ふは凶』[6]とある。お前は今まで『(みち)(したが)』ってきたか。それとも『逆に従』ってきたか。『咸有一徳』[7]に『徳()れ一、動きて不吉なし。徳二三、動きて不凶なし』[8]という。お前は今日お父さんが埋葬をしたお祖父さんを改葬するが、これは『一』か。それとも『二三』か。風水家はしばしば墓穴のことを『太極圏』というが、周夫子の『太極図』に、『君子これを修めれば吉、小人これに悖れば凶』とある。『修める』とは徳を修めることで、墓を修理することではない。『悖る』とは理に違うことで、方向を違えることではない。太公[9]の『丹書』[10]に、『敬の怠に勝つは吉、怠の敬に勝つは滅。義の欲に勝つは従、欲の義に勝つは凶』とある。これは、吉凶というものはすべて自分の心によって定まるもので、墓の向きをかえることとは関係がないということだ。『礼記』の中で、喪礼に関して述べた部分は半分で、細かいところまで、すべて揃っている。しかし、風水先生をよんで墓を見せることについて載せていないのはどうしてだ。『檀弓』には闕文があるが、『喪大記』には闕文はあるまい。『曾子問』には闕文があるが、『問喪』『礼運』『間伝』『三年問』の四五篇、喪服に関しても二篇[11]があり、喪に関することには、少しも遺漏がない。どうして分金[12]や改葬に関する記述を欠いているということがあろうか。『周礼』春官の職に、冢人[13]、墓大夫[14]があるが、昭穆の左右を分け[15]、爵秩の貴賤を分ける[16]といっているだけで、龍沙、虎沙[17]、神山[18]、鬼山[19]、牛角[20]、蝉翼[21]、蝦鬚[22]、蟹眼[23]について説いていないのはどうしてだ。周公は多芸多才で、京師を決め、王畿[24]を定めることができたのに、墓を見ることだけはできず、この特殊な技能は、袁天綱[25]、李淳風[26]、郭景純[27]、頼布衣[28]のために残したとでもいうのか」

恵養民は、弟子が口を閉じて黙ってしまったのを見ますと、一言口をはさみました。

「私は、勉強部屋で紹聞と『孝経』を読みましたが、そこに『その宅兆を卜してこれを安厝す』とあります。こうした学問も欠くことはできないように思われますが」

程嵩淑「人也さん、あなたはでたらめをおっしゃっています。これは将来道路になったり、城郭になったり、どぶになったり、暴徒に侵入されたり、すきで耕されたりしないようにするという意味です。山を見て、筆が天をついているから、挙人、進士を出すはずだといったり、土の出っ張りを見て、蔵が連なっているから、大金持ちが出るはずだといったりするのとは違います。人也さんにお聞きしますが、紹聞は、今、お祖父さんを改葬しようとしていますが、これは安厝といえますか。経書のことはとりあえずおきましょう。一人の人間が死んで、地下に埋められれば、血や肉は必ず腐りますが、骨は簡単には腐りません。改葬する時、骨だけは拾うことができますが、血や肉が溶けて土になったものは、拾い集めることはできないでしょう。骨をとって肉を残せば、明らかに黄泉路にいるお祖父さん、お父さんの血と肉を、故もなく分けてしまうということになります。そんなことはするに忍びません。遠隔の地で亡くなった人を合葬するのであれば、そうするのも、仕方ありません。しかし、子孫が富貴になることだけを考え─自分自身は読書、倹約せず、先祖は黄泉の国におり、この世にやってきて子孫を尋ねることはできないのに─この世で、地下に先祖を尋ねようとするとは、とんでもないことではないでしょうか。それに、お祖父さんやお父さんがご存命の頃、子孫が平安に暮らせるように画策し、口では子孫のために進むべき道を指し示し、手に鞭をもって子孫を厳しくしつけられたのに、子孫はあいにく豊かになれず、貴くなれません。死後になって、魂が天に昇り、肉体は土に返る時に、棺を東に半寸動かせば、龍水口[29]に合うから、子孫は富貴になれるだとか、棺を西に半寸動かせば、龍水口に合わなくなり、先祖の霊が家に帰り、長男の家を栄えさせ、次男の家を栄えさせず、子供二人を絞め殺し、本家に子供を殺させ、子孫に賭博をするように唆し、妓女に溺れ、土地財産を売り、体面を汚すなどという道理があっていいものでしょうか」

ここまで話すと、数人の老先生は、思わず笑い出しました。数人の若者も、後輩の礼儀を守っていましたが、思わず笑い出しました。譚紹聞も思わず笑いました。程嵩淑は、うなずくと大声で、

「笑わなければ、話しをしても意味がない。わしはちょっと紹聞にきいてみよう。お前は、さっき、埋葬の吉日は来月の二十九日だといった。風水家が埋葬の日を吉というのなら、結婚の日のことはどういうつもりなのだろう。陰陽師は人の家に葬式があると、いつも喪式[30]を書くが、各行の下には、必ず『大吉』と書いてある。これは絶世の奇文というものではないか。それに、日取りの選定に関していえば、古人が結婚をするのはすべて二月であった。『夏小正』[31]に、『二月、冠子、娘を嫁せしむ』[32]とある。『周礼、地官、媒氏』の職に、『中春の月、男女を会わしむ』[33]とあり、『詩経』の中の結婚の時期も、考証すれば、すべて二月だ。おそらく仲春は陰陽が調和し、天の運行にかなっているからだろう。喪に服している者は、二月をもちいないことができるが、理由もなく仲春を用いなければ、罪が加えられる。三代以前には、結婚の吉日が、すべて二月にあったというわけでもあるまい。建築に関しては、古人は多くは十月を用いている。農閑期だからだ。だから、天上の北方の玄武七宿の、中に室星があるのだ─この星が夕方南中する季節になると、家をたてることができる。だから営室星と名付けたのだ。『詩経』にいう「定の(まさ)に中する」[34]というのがこれだ。まさか古人が建築、土掘りをしたり、柱を立てたり、梁を渡したりする吉日が、すべて十月にあったというわけでもあるまい。古人の葬期[35]に関しては、天子は七か月、諸侯は五か月、大夫は三か月、士は一か月余りだ。古人は臨終の時、まず立派な陰陽師を呼んで、埋葬の吉日を選び、その後で死ぬ時期を相談し、病気で死んでいったのだろうか。そうしなければ安心して死ぬことはできず、子孫が貧しくなった時に、祖先が死んだ時間がよくないことを恨む恐れがあるからな。私が言ったことは、すべて聖人の教訓で、帝王の法典に従ったものだ。聖者が無法だから、下にいる者が背くということもあるまい。孔子が従ったことに、後の人がどうして従うことができないのだろう。帝王は、民が使用する暦を頒布するが、その中には結婚や葬式、および読書人の入学、農民の耕作、職人の建築、商人の開店などの項目について、すべて吉日が定められている。ところが、陰陽家は別のことをいう。これらのでたらめは、単に聖訓や、王法にもとるものにすぎないのだ。紹聞、どうしたらいいか、自由に考えてみろ」

蘇霖臣

「人は禍福によって惑わされるので、こうした陰陽師たちが、そのようなことを行うのです」

程嵩淑

「福を求め、禍いを避けるのは、人情の常です。人は禍いに近付き、幸福から遠ざかろうとは絶対にしないものです。しかし、禍福の源について、古人ははっきりといっています─幸福は自分で求めるもの、禍いは自分が作ったものだというのです。十万年後でも、この通りのことがいわれているでしょう。田を耕す者が肥やしを一杯やり、熱心に耕せば、収穫も少なくはないはずです。火を乾いた薪や草の中に置けば、必ず自分から消えるということはないでしょう。ですから、聖人がいう『自ら』というのは、『永く(ここ)に命に配せば、自ら多福を求む』[36]『自ら孼を為せば、活きるべからず』[37]ということであって、『永く(ここ)に地を看れば、自ら多福を求む』[38]とか、『向を調へずんば、活くべからず』[39]ということではないのです」

張類村

「風水の説は、すべて陰徳にかかっています。要するに陰徳を積めば、子孫は必ず繁栄し、陰徳を損なえば、子孫は必ず悪くなります。たとえ牛眠の地[40]に葬っても、決して繁栄することはできないでしょう。要は人が世の中に生きて、天理と良心を守っていれば、決して間違いはないのです」

孔耘軒

「まず昔話をしましょう。私は婿どのには話すつもりはないのですがね。昔、ある人がありました。もともとは貧しい家の人でしたが、後に進士に合格し、湖広の布政司にまでなりました。臨終の時、子孫は病床に並んで遺言を聞こうとしました。すると、老人は、『お前たちは、わしを葬るときは、浅く埋めてくれればいい』と言いました。子孫はその理由が分からずに、『どういうことでしょうか。』と尋ねました。その老人はこういいました。『わしが貧乏な書生から、布政司にまでなったのは、若いときに苦労し、仕事に励んだことによるものだ。今、お前たちは、わしのこのささやかなお蔭を受ければ、きっと勉強をしようとはせず、贅沢な暮らしをし、やがて、必ず没落するだろう。その時に、不幸の原因が見付からないので、墓が良くないといい、改葬をしようとするだろう。わしがお前たちに浅く埋めてくれというのは、後に墓掘りたちに苦労をさせないためなのだ』」

ここまで言いますと、孔耘軒は口を噤みました。程嵩淑が続けて言いました。

「紹聞、お前は、今日、お祖父さんを改葬するそうだが、お父さんはその様なことは予想もしていなかっただろうから、きっと深く埋められたはずだ。今日は墓堀りも苦労することと思うが」

譚紹聞は不愉快そうな顔付きをしました。程嵩淑は、それを見ますと、言いました。

「譚紹聞、譚紹聞。お前はわしらがいったことが気にくわないようだな。わしははっきりお前にいおう。お前がもし勝手に改葬をしたら、わしは、お前が父親の遺訓を無視し、お祖父さんの骨をいじくったことをすぐに公にするぞ。わしは、お前のお父さんとは親しい付きあいをしていた。お前の前でお前の気に入るような話しをすることはできんから、よくおぼえておくがよい」

そう言いながら、大勢の賓客に向かって拱手をし、席を離れて、さっさと去ってゆきました。大勢の人は、引き止めることもできず、胸を張って庭の門を出て、胡同の入り口に歩いてゆきました。

 張類村

「程嵩淑さんはきっぱりした性格だが、酒を飲んでいない時もあの調子なのですね。いずれにしても、譚紹聞に、改葬や、軽々しいふるまいをしてもらいたくないということですね。紹聞、お前は何も改葬にこだわることはあるまい。『陰隲文』はうまいことをいっておる。『福田を広げんと欲さば、まさに心地によるべし』[41]とな。わしもお前に勧める、改葬はやめにするのだ」

譚紹聞

「私も拘りは致しません。必ず改葬をしようなどとは思いません。老先生方のご指示もありましたので、改葬はやめにしようと思います。私はご指示に従います」

蘇霖臣

「それでいいのだ」

婁樸と四五人の若者たちも言いました。

「老先生方のご高論には、従わなければならないよ」

しかし、孔耘軒だけは、婿が怒るのではないかと心配して、黙ってしまい、『游夏は敢えて一詞を賛せず』[42]という有様でした。ああ。氷は清くても玉に潤いがないときは[43]、舅たるものはひどく辛いものです。

 夕方になりますと、客たちは帰りました。譚紹聞は、胡同の入り口まで送り、拱手して、立って別れました。

 次の日、譚紹聞は、ふたたび帖子を書きますと、双慶児に届けさせました。呼ばれたのは、盛希僑、夏逢若、王隆吉の三人の義兄弟でした。

 盛希僑は帖子を見ますと、すぐに馬に乗ってやってきました。そして、碧草軒に入りますと、譚紹聞に会い、こう言いました。

「君が送ってきた帖子をみたが、お父さんの埋葬をするんだってね」

「そうです」

「一つには君に呼ばれた日には、僕はくることはできないし、二つには僕たちは義兄弟で、何かがあれば他の人よりも先にくるべきだ。まず君に聞こう。片が付いていないのはどんなことなのか、僕に話してくれ」

「急にすることになったので、あれこれ忙しいのですが、していないことを思い付くことができません。行状[44]を版木に刻み、墓誌を彫ることを、今、思い出しました」

「そのことは僕に言わなくていい。君から話しがあっても、僕は引き受けられないからな。僕は君に数両の銀子を援助するべきだろうと思うんだ。弟が最近大きくなって、僕が家の財産を浪費していると言い張るし、僕も最近やや手元不如意だから、百両しか援助できないが、すぐに送るよ。儀式を行う時には、テ─ブル、椅子、腰掛け、テ─ブル掛け、座布団、銀杯、象牙の箸、急須、燗徳利、碗、小皿、大皿、匙、君が数百必要なら数百、十必要なら十貸すことにしよう。満相公に書き付けを与えれば、あいつは人に命じて数通り送らせるだろう。小屋掛けや飾りに関しては、小屋掛けの布、柱の脚、竿、衝立が数百必要なら、何なりと僕にいってくれ。すぐに満相公に組み立てさせよう。僕が弔問にきた時に、組み立て方がうまくないのを見たら、あいつを怒鳴りつけてやろう。使える人間がいなければ、宝剣児に何人か連れてこさせるから使ってくれ。葬式の時は、君は何日か儀式を行うだろう。十日半月でも、八九日でも、うちの劇を、君の家の前に伺候させよう─劇の全幕でも、端幕でも、十数日上演することができるよ。食事の心配もいらないよ。彼らにお祝儀をやる必要もない。僕たちの大切な儀式のために、僕たちの劇団を使うんだ。彼らに劇の上演以外に何をさせるというんだい。僕は戻って陳留[45]に人をやって、彼らを呼んでこよう」

譚紹聞は、眉を潜めていいました。

「劇を上演してはいけません。数人の頑固爺さんたちがいて、あれこれ文句をいうのです」

「とんでもないなあ。君の家で埋葬をするのであって、そいつらの家で埋葬するのではないのだろう。僕が劇団を送るのは、彼らのために上演をするためではないんだ。昔、君のこの書斎で、頑固爺さんに会って、つまらない話を聞かされて、嫌な思いをしたが、僕はあの人達に反抗しなかったのを後悔したものだよ。今度、あの人達が勝手なことを言って反対しても、僕は絶対に言いなりにはならんぞ」

「それは絶対に駄目ですよ」

「うちは進士の家柄で、布政司にもなったが、あいつらは所詮ただのつまらん秀才や貢生のかしらじゃないか。何の力があるというんだ。僕は帰るよ。すべて決まりだ。当日は、人が来て席に着いたら、僕を待たないでくれ。僕は行かないからな。僕はもう帰るよ。すぐに陳留に行きたいんだ。宝剣児、馬の縄をほどいてくれ」

譚紹聞は、ふたたび何か言おうとしましたが、盛希僑は、さっさと庭の門を出ていってしまいました。宝剣児は、馬を引き、鞭をわたし、振り向いて拱手しますと、すぐに馬に乗っていってしまいました。

 紹聞は、書斎に戻り、心の中で行状、墓誌のことについて考えました。そして、岳父が点主になってくれないので、二つの原稿を頼むことにし、日も迫っておりましたので、すぐに石板、木板を買いました。

 客を呼ぶ日、王隆吉と夏鼎は、前後してやってきますと、杯を手にとって仕事を依頼しました。王隆吉は身内でしたので、奥にある銀子や銅銭の管理、台所での買い出しなどの雑事を担当しました。夏逢若は義兄弟でしたので、表で客の座席や酒に関する雑務を行いましたが、このことはお話し致しません。

 その後、穴を堀ったり、墓を築いたりするために、左官屋が、木を切り、椁を造るために、大工が、明器[46]、楼庫[47]を作るために、葬具屋が、孝幔[48]、衣衾[49]を作るために、針子が、墓碑[50]、墓誌[51]を造るために、石屋が、版木彫りのために、刻工がやってきました。酒は酒屋が、小麦は粉屋が持ってきました。棺の塗装は、漆職人がしました。物を購入したり、儀式の指図をしたりで、てんてこ舞いでした。

 啓柩の日が近付きますと、双慶児が言いました。

「門の外に標営の兵士がいます。虎鎮邦という名で、大事な話しがあるから、若さまに会いたいとのことです」

譚紹聞はびっくりしました。そして、虎鎮邦が、先日の賭けの借金のことで、葬式が終わるのを待ち切れずにやってきたのだと思い、とても慌てました。心の中では、少し恐ろしかったのですが、会わないわけにもゆかず、会わない勇気もありませんでした。そこで、葬式を行うので忙しい、儀式がすんだ後でもう一度考えようと言って、虎鎮邦をあしらうことにし、書斎に招きました。虎鎮邦は、書斎に入ってきますと、何と拱手をし、一言いいました。

「譚さま、すっかり私を忘れてしまわれて」

譚紹聞は顔色を変えました。まさに、

人生はすべて平穏、

正大な気が充満し、天地に盈てり。

借金取りに出くはさば、

八公山にて風の音、鶴の()に怯ゆるがごと。

 

最終更新日:2010114

岐路灯

中国文学

トップページ

 



[1]涙腺部が化膿する病気。

[2]位牌に名前を書く儀式。

[3]葬儀のときに、土の神を祭る儀式。

[4]儀式の進行役。

[5]「檻」は忠愛の心が篤いことをさす。『詩経』大雅・文王「王之檻臣、無念爾祖」朱熹注「檻、進也、言其忠愛之篤、進進無已也」。

[6] 『書』大禹謨「善に従うのは吉、悪に従うのは凶」。

[7] 『尚書』の篇名。

[8] 「純一な徳を持っている人は行動しても吉でないことはないが、純一な徳をもっていない人は、行動すると凶でないことはない」。

[9]太公望呂尚のこと。

[10]古の道を記したといわれる書。

[11] 『喪服小記』『喪服四制』。

[12]堪輿家の用語。羅経に六十龍納音図があって、六十の甲子を五行にあてはめ、さらに分かって百二十方位を定める。この分け方をいう。金は五行の始であるから取って名付けたもの。

[13]周代の官名。公の墓地を管理する。

[14]周代の官名。万民の墓を管理する。

[15]昭は二代目以降の偶数の世代の人をいい、始祖の墓の左に、穆は三代目以降の奇数の世代の人をいい、始祖の墓の左に葬られる。「冢人掌公墓之地、辧其兆域而為之図先王之葬居中、以昭穆為左右」。

[16] 『周礼』春官・冢人「以爵等為丘封之度、与其樹数」(爵位によって墓の高さ、墓に植える木の数を決める)。

[17]墓の左右の山のこと。左を青龍・右を白虎という。

[18]未詳。

[19]墓の後ろにある丘。

[20]未詳。

[21]墓の前左右に少し盛り上がったところ。

[22]墓の後ろから墓の脇を通って墓の前で合わさる窪み。

[23]墓の周りの窪み。

[24]王城を中心とした方千里の地。

[25]唐代の術数家。『唐書』巻二百四に伝がある。著書に『六壬課』『五行相書』。

[26]唐代の術数家。『唐書』巻二百四に伝がある。著書に『法象書』『己巳占』。

[27]晋の郭璞のこと。文学者として知られているが、占卜家としても有名であった。

[28]宋の頼文俊をいう。堪輿家。

[29]未詳。

[30]葬儀の日取りについて記したもの。

[31]書名。上代、四時の行事を民に指示したもの。

[32] 「二月、男子を元服させ、娘を嫁に行かせる」。

[33] 「中春の月(二月)に、男女を結婚させる」。

[34] 「営室星がちょうど南中する」。『鄘風』の篇名。衛の文公が宮室を造るときの詩。

[35]死んだ日と葬儀までの間隔。

[36] 『詩経』大雅・文王「常に天命に沿えば、幸福を得ることができる」。

[37] 『孟子』離婁上「悪いことをすれば、生きていくことはできない」。

[38] 「埋葬をする土地を吟味すれば、幸福が得られる」。出典未詳。

[39] 「墓の向きを調えなければ生きることはできない」。出典未詳。

[40]陶侃が、牛の眠る土地に人を埋葬すれば、位は人臣を極めるという仙人の言葉にしたがって、牛の眠る土地を得て、父親を葬った故事に因む言葉。『晋書』周訪伝参照。縁起のいい埋葬の地。

[41] 「幸福を広げようとするなら、心を頼りにするべきである」。

[42] 「游夏は一言も話をしようとはしなかった」。『史記』孔子世家。

[43]原文「氷清而玉不潤」。「氷清玉潤」は、『世説新語』言語の「妻夫有氷清之資、壻有璧潤之望」に因む言葉で、舅と婿がどちらも優れていること。したがって、「氷清而玉不潤」とは、「舅が優れていても婿が優れていないときは」という意味。

[44]死者の生前の事跡を文章にしたもの。

[45]河南省開封府。

[46]死者が生前用いたものを模作して墓に収めるもの。

[47]使者のために焼く紙製の楼。

[48]霊柩の前に掛ける幔幕。

[49]死体を覆う衣装。

[50]墓標。

[51]死者の事跡を伝えるために金石に記して墓に埋めるもの。

inserted by FC2 system