第五十五回
義僕を褒め王象藎が平伏して字に感謝すること
亡友に報い程嵩淑が気前良く先生を招くこと
この回では、王中が紳士たちに頼んで、役所に上申書を出し、恩情を求めて譚紹聞の護送を免れさせたことを、まずお話し致しましょう。彼は、役所の入り口で、人々が出てくるのを一人で待っていました。やがて、それぞれの家の下男が提灯を持って迎えにきました。間もなく、雲板が鳴る音が聞こえ、暖閣の儀門が開きました。辺公は、紳士たちを送って堂の入り口にやってきて、三回拱手をして別れました。王中は、儀門の外で、彼らを迎えますと、地面に這いつくばって叩頭し、
「皆さま、ありがとうございました」
と言いました。人々は立ち止まりました。程嵩淑
「今、お前の家の若さまには会うのは難しいが、辺知事さまは、どうやら許して下さるようだから、お前も安心していいぞ」
王中
「事件が落着したのでしたら、皆さま、蕭墻街においでください。どうか、私の面子を立てて、必ず来られてください。私から申し上げたいことがございます」
張類村
「期日になったら、みんなで行くよ」
程嵩淑
「王中が話があるというなら、まだ暗くなったばかりだし、いっそのこと城隍廟に行くことにしよう。期日になっても人が揃わなかったり、互いに待ったりするかもしれませんからね」
婁樸
「程さんの言う通りです」
そこで、提灯の先導をうけながら、一緒に城隍廟に行きました。人々は、煉瓦で造られた炕の上に、車座になって腰を掛けました。提灯の覆いをとりますと、辺りは明るくなりました。王中が、ふたたび叩頭しますと、程嵩淑
「最近、王中は城の南で菜園を耕しているそうだが、おまえが希望して出ていったのか。若さまがおまえを追い出したのか」
「私がとんでもないことを言ったので、若さまがお怒りになり、いづらくなったので、城の南で、野菜を栽培して暮らしているのです」
「やはり戻ってくるべきだろう。お前が出ていったから、今度のように泥棒の巻き添えを食らうことになったのだ。お前が家にいれば、こんなことにはならなかったかも知れん」
「私は帰りたくはありません」
「今回のことを、お前はどうやって知って、私たちの所へ頼みにきたのだ」
「ご隠居さまが、人を遣わして、私を呼ばれたのです」
「お前はその仕事を終えたのだから、戻ってもいいだろう。明日になって、私たちが一言話しをしてから戻れば格好もつく」
「先代は亡くなる時、私に靴屋を一軒、菜園を一か所下さいました。旦那さま方もご存じでしょう。私は家で働いて、貯蓄をしていますが、これは決して自分の衣食のためにしているのではございません」
この意味深な言葉は、孔耘軒の心を打ちました。孔耘軒は、昔から、娘を愛する気持ちを持っていましたので、譚紹聞が必ず飢えて凍えるようになることをとっくに見抜いていました。彼は、王中の話を聞きますと、王中の見識に感服し、さらに、王中の忠実さに感動し、思わず心の中で感嘆しました。
「譚孝移は、本当に忠実な下男をもったものだ」
恵養民
「昔、譚紹聞を教えていた時、王中は、譚紹聞に、悪い行いを改め、善い行いをするように勧めていました。まさに賢人でありながら下位に隠れている者というべきです」
張類村
「人に善を勧めるのは、大きな功徳ですから、将来きっといいことがあるでしょう」
程嵩淑
「王中がこんなに立派なのに、私たちはいつも彼の実名をよんでいます。実名は言いにくいし、もう年配でもあります。私たちが彼に字を送ってやるのがいいと思いますが、どうでしょう」
婁樸
「おっしゃる通りです。私は、今まで彼を実名で呼ぶ気にはなれず、心の中でその賢さを尊敬していました。字を贈るのでしたら、私も助かります」
程嵩淑
「彼の長所には、昔の忠臣も、及ばないだろう。私は彼に王象藎という字をつけようと思いますが、どうでしょう」
王中は跪いて
「とんでもございません」
蘇霖臣は助け起こして、
「名は実に伴うものだ。お前のような立派な人間を、誰も軽んじようとはしないだろう」
程嵩淑
「これからは、面と向かってでも、影に隠れてでも、王中と呼ぶ者がいたら、罰として起立させて、懲らしめることにしましょう」
恵養民
「私は譚さんの家にいた時も、王中と呼んだことはあまりありませんでした」
「約束違反です。立って下さい」
「『犯されて校いず』[1]といいますから、罰しても意味がありません」
人々は微笑し、それぞれ家に帰りました。─これからは本の中では王象藎と呼び、王中とは申しませんが、これも賢い者を称える深い考えなのです。
さて、王象藎が、郷紳たちを送りだすと、二堂から呼び出しがありました。譚福児、夏鼎は、供述書をとられ、法廷で保証人を立てるように命じられました。夏鼎は、小貂鼠が保証人となって、刁卓という本名を書き「夏鼎を保証します。呼び出しがあれば、遅れはいたしません」という書状を書き、夏鼎を引き取りました。王象藎も「下男王中、主人の譚紹聞─すなわち譚福児─を引き取ります。呼び出しがあれば法廷に引き渡します」という書状を書き、譚紹聞をつれ帰りました。
譚紹聞は、家に戻りました。中庭に着いたときは、もう真夜中でしたが、家中の人々が喜びました。譚紹聞は言いました。
「体を南京虫に噛まれてしまった。服の中にもまだ隠れているだろう。家にうつるかもしれない」
王氏
「中庭でお脱ぎ。明日、ゆっくり掴まえればいい。他の服に着替えなさい」
譚紹聞は、服を脱ぎますと、東の楼で着替えました。巫翠姐
「一人前の男のくせに、腕輪を買って、裁判になるなんて。私は娘だった頃、かんざし屋の女の手から、数十串銭の物を買いましたけれど、何もありませんでしたわ。明日、かんざし屋の女の孟玉楼を呼んで、私のために、二つの釵と釧を(かんざしうでわ)持ってきてもらっては、いかがでしょう」
王氏
「私たちは作らせることだってできる。かんざし屋の女のことは、今までうちに来たことがないから、私は知らない。その人に持ってこさせる必要はないよ」
巫翠姐
「私は先日家にいた時、孟玉楼に蜚翠の鳳凰の髪飾りを注文しました。彼女は、店員の姚二姐と一緒に、数日したら送ってくると言っていました」
譚紹聞
「僕が銀子を勝ち取らず、彼がただでくれたとしても、僕は彼のものはいらなかったよ。金を勝ち取ったばっかりにひどい目に遭ってしまった」
冰梅
「金を勝ち取っても悪いことが起こるのなら、勝ち取らなければよかったのです」
譚紹聞
「僕に説教をするつもりか」
冰梅は、顔を真っ赤にし、興官児をつれて寝にいきました。人々は、それぞれ寝にいきました。王象藎は、厩屋へいってケ祥と一緒に寝ました。
その晩が過ぎ、次の日になりますと、王象藎は、執り成しをしてくれた人々を招待するようにと言いました。譚紹聞は、もともとこれらの老人たちには会いたくありませんでしたが、恩を受けたばかりのときに、河を渡って橋を壊すようなことをするわけにもいきませんでしたので、帖子を書きますと、王象藎に命じて、一軒一軒に届けさせました。王象藎は帖子を送り終わりますと、言いました。
「ご老人方は、明日の食事の後、すぐに来られると言っていました。ただ、恵先生は、明日、滑荘に弔問にいかなければならないそうです。あの方の岳叔[2]が亡くなったので、忙しくてこられないそうです」
譚家で酒席を調えたことは、お話し致しません。
次の日の巳の刻になりますと、果たして程、婁、蘇の諸公が、次々にやってきました。孔耘軒は遅れてきました。彼は贈り物をもってきて、後妻の巫翠姐に会いたがりました。少し話しをしていますと、譚紹聞も碧草軒にやってきたので、年齢順に腰を掛けました。すると、程嵩淑は「王象藎」と叫びました。譚紹聞は王中が目の前にきたのを見ますと、茫然として訳が分からず、少し驚きの表情を浮かべました。程嵩淑
「わしはお前の下男に字をおくったのだ。彼は今まで忠臣にも劣らず主人に仕えてきたので、王中に字を送って、王象藎と呼ぶことにしたのだ。昨日、土地祠[3]で話しをし、彼を今まで通り本名で呼ぶ者があれば、罰として立ってもらうことにしたのだ。お前の先生は、昨日、早速違反されたので、今日は来ようとしないのだ。貧乏書生が宴席を恐れているというわけだ」
紹聞はようやく「象藎」の二文字の来歴を知りました。
張類村
「譚さんの字を、私は存じませんが」
譚紹聞
「父は私に、念修という字を付けています」
程嵩淑
「お父さまが紹聞と命名されたのは、『聞を紹ぎ徳を衣ふ』[4]の趣旨を取ったものに違いありません。字の念修は、きっと『祖を念じ徳を修む』[5]という趣旨でしょう。あなたにお聞きしますが、最近の行いの、どこが『祖を念じ』、『徳を修』めるものなのでしょうか」
譚紹聞は、顔を真っ赤にし、うつむいて返事をしませんでした。蘇霖臣は、程嵩淑がずけずけと物を言い過ぎ、譚紹聞が辛そうにしているのをみますと、慌てて言いました。
「過ぎたことは咎めるべきではありません。これからのことを話すことにしましょう」
譚紹聞「私は、今まで悪いことをしてきましたが、さいわい皆さま方と婁兄さんのご厚情を受けることができました。彼は牛馬ではありませんので、恥を知っていますが、勉強を教えて下さる先生がいないため、心にいつも締まりがないのです。書斎で一二日本を読んでも、悶々として、とりとめのない心が起こります。そして、人が誘いにきたりすれば、知らず知らずのうちに、下賤な所へ抜け出してしまうのです。今日、婁兄さんと対面しましたが、昔は一緒に勉強をしていたのに、今では雲泥の差がついてしまったことを、大変恥ずかしく思っております。どうか皆さま方と婁兄さんには、私のために先生を見付けて頂きたいと思います。そして、私は天に誓いをたて、今までの非を改め、正しい道を歩もうと思います」
そう言いながら、早くも目に涙を浮かべました。張類村
「念修の言葉は、心の底から出てきたことだ。今日、すぐに彼のために先生を探し、呼んで勉強をさせることにしよう。念修は、まだ年若いのだから、雄飛するのは難しくないだろうし、今までの罪をあがなうことができるだろう」
程嵩淑は孔耘軒に向かって言いました。
「昨日、あなたの家で会った同年の智周万さんは、古今のことに通じ、年は五十歳を越えており、政治に関する識見も豊かで、誠に婿どのの手本とすべき人でした」
「智さんは、家の外で家庭教師をすることはできないかもしれません。あの人は、父親の詩稿が印刷されていないので、今、省城に来て、刻工と値段を交渉しているのです。昨日は版式、字形、圏点について相談しました。間もなく、霊宝に戻りますから、引き止めることはできないでしょう」
「耘軒さん、あなたは断ろうとしているのではないですか」
「そんなことはありません」
「あの方は、昨日会った時は、省城に止まりたいと言っていました、字の校正をするのに便利だと言うのです。どうしてあの人が今日必ず帰るなどということが分かるのですか。今日、念修のために先生を呼ぶのは、念修のためではなく、孝移さんのためです。先生を呼ぶことを耘軒さんに任せたのも、親戚だからということではなく、孝移さんとの昔のよしみがあったからです。この城内はおちこぼれの子弟ばかりですから、私は一軒一軒構ってやることはできません。象藎、来るのだ。すぐに食事を用意させ、食事が終わったら、孔さんの家に行き、先生を呼ぶことについて相談しましょう」
婁樸
「譚くんは、程さんが思いやって下さっているのだから、この深い配慮を決して無にしてはいけないよ」
譚紹聞
「とても感激いたしました」
程嵩淑
「背すじを真っ直ぐにし、不撓不屈の志を立ててこそ、お父さまの立派な息子であるといえるし、わしらもお父さまの友人であるということになるのだ。おまえは感激したというが、これは正しい言葉に従ったというだけのことなのだぞ」
話をしていますと、王象藎が徳喜児、双慶児、ケ祥らを連れてきて、テ─ブルや、酒肴を並べました。間もなく、食事は終わりました。程嵩淑は、更に一人で三杯の酒を飲みました。そして、一緒に立ち上がりますと、孔耘軒の家にやってきました。程嵩淑は、王象藎を付き従わせ、(譚紹聞の)行動について尋ねました。
孔耘軒の書斎に着きますと、智周万は、顔に近視用の眼鏡を掛け、序文を並べていました。そして、衣冠を着けた友人たちを見ますと、急いで本を畳み、挨拶をして、腰を掛けました。程嵩淑と張類村は、先日会っていました。智周万が尋ねようとしますと、程嵩淑
「こちらは、私の友人蘇霖臣さんです。大きな草書も小さな楷書も、とても上手です。詩稿の序文は、後日、蘇霖臣さんに書いていただきましょう」
智周万
「後日、お宅に伺って、お願い申し上げましょう」
蘇霖臣
「烏の絵のようなもので、見られたものではありません。仏さまの頭から汚穢をかけるようなものです」
程嵩淑
「ご謙遜を。この人は、館陶公の息子さんで、今度の試験で孝廉になられた方です」
智周万
「まだご挨拶にも伺いませんで」
婁樸も謝意を述べました。
「とんでもございません」
茶が出されますと、程嵩淑
「昔、宣徳年間、譚公という方が、あなたの県におられました。その徳のある政治は、県志に詳しく記載されていることでしょう」
智周万
「私は、譚公祠の左隣に住んでいるのです。譚公の祠の中で、幼い頃、勉強をし、年をとってからは弟子を教えています。この丹徒公は私の太高祖父[6]と同年の進士でしたから、私は家で、元旦の日、必ず香と紙銭を供え、丹徒公の祠の中で、礼拝をしています。一つには先祖と同年のつきあいがあった方だから、二つには昔善政を行われた方だから、三つには私が幼い頃勉強を教えてくださった方だからです。今日まで四十年間、丹徒公の墳墓の地をお慕い申し上げておりました」
程嵩淑は、手を叩いてとても喜びますと、
「素晴らしいことです」
と言いました。人々も微笑みを浮かべながら黙っていました。智周万は、びっくりして訳が分からず、その理由を尋ねました。程嵩淑
「耘軒さんのお婿さんは、譚孝廉の息子さんで、若いのに並外れて聡明ですが、お父さまを早くに亡くし、悪者に誘われたため、ここ数年、素行が良くなく、私どもはとても心配しています。賢明な先生をお招きして、勉強の面倒を見ていただき、先祖の徳沢を継がせようとしているのですが、すぐには先生が見付かりません。今日は、失礼にも夕方にお伺いしましたが、是非先生にこの大任に当たって頂きたいと思います。ご承知頂けないのではないかと心配していましたが、先生が同年の間柄で、丹徒公の墳墓の地をいつも慕ってらっしゃったとは思いませんでした。今日、私たちがこのような考えを起こしたのも、天にいる丹徒公の霊のお導きでしょう。先生がもし承知されれば、譚孝廉が建てた、碧草軒というとても静かな書斎で、勉強を教えたり、校正をしたりすることができます。先生、どうか決心をされてください」
智周万
「丹徒公の本籍は鎮江なのに、どうして子孫の方が中州にいらっしゃるのですか」
張類村
「霊宝公が役人をされていた時に亡くなったため、幕僚が世話をして、祥符にとりあえず埋葬し、後に土地家産を買い、河南に家を構えて、すでに五代目になっているということです。これは、すべて孝移さんから、常日頃聞かされていたことです」
智周万
「明日、譚さんに会い、同年であることを話しましょう」
程嵩淑
「先生が先に行かれる必要はありません。譚紹聞を先に挨拶に行かせましょう」
「それはとんでもないことです」
「王象藎、すぐ家に戻って、私が若さまと話をしたいと言っていると伝えてくれ」
蘇霖臣は、程嵩淑を引っ張りますと、こっそり言いました。
「事はゆっくり運ぶべきです。うまくいかなかったら、面子が潰れてしまいます」
「事がうまくいけば、師弟となりますし、うまくいかなければ、同年の挨拶をするのです。そうすれば、面子が潰れることはありません。それに、私は、明日、安陽の親戚を尋ねます。私が行ってしまったら、あなたがたは本ばかり読んでおられる方々ですから、事はうまくいかないでしょう」
蘇霖臣はうなずいて、
「そうですね」
といいますと、ふたたび座席に戻りました。
まもなく、王象藎は、譚紹聞を連れてきました。そして、上座に向かって挨拶をしますと、程嵩淑が
「これが丹徒公の子孫の方です」
と言いました。智周万は、すぐに挨拶を返し、腰掛けて、年齢によって席次を決めました。智周万は、譚紹聞の世叔[7]でしたので、互いにとても打ち解けました。程嵩淑
「譚念修、お前は最近、あまりここに来ないが、お岳母さんにもあまり会っていないに違いない。耘軒さん、弟さんを念修につけて、ご夫人の所へご機嫌伺いにいかせてください。私たちは智先生と相談ごとがありますから」
そこで、孔纉経が譚紹聞を連れて、奥へ行きました。程嵩淑
「智先生、御覧ください。譚紹聞は、若年なのに立派ですが、悪人と付き合ったために、素行に謹みがなくなったのです。先生が同年の誼と代々の交際を思われ、譚紹聞が北面するのを許していただければ、私たちは感謝いたします。承知されなければ、先生はあの美玉を彫琢せず、瓦や煉瓦と同じようなものにしてしまわれることになります。謝礼金の額については、別に相談しましょう。印刷費の半分位は出せるかも知れません。躊躇される必要はございません」
「おっしゃることは結構ですが、私は家庭教師の任に堪えられません」
程嵩淑はハハと笑って、
「故人になりかわり、ご承諾をいただいたことに対して、お礼を申し上げます」
張類村、蘇霖臣は、立ち上がって挨拶しました。智周万は、慌てて礼を返しました。婁樸は、自分が若輩なので、三人が挨拶をおえてから、上座に向かって挨拶をしましたが、智周万は彼にも挨拶を返しました。そこへ、孔纉経が、譚紹聞とともに戻ってきました。
「お前の世叔が、先生になってくれるぞ。謹んで弟子の挨拶をするべきだ。後日、教えを受けるときに、改めて礼物をもってご挨拶することにしよう」譚紹聞は、命令を受けますと、上座に向かって、叩頭をしましたが、智周万は、受けようとしませんでした。程嵩淑は笑って、
「同年で、代々付き合いがあった家の息子さんで、勉強を教える弟子なのですから、謙遜される必要はありません」
智周万は、仕方なく略式の挨拶を受けました。
日が暮れかかりますと、孔耘軒が晩酌の席を設けましたので、程嵩淑は、さらに一しきり楽しく飲み、各家から、下男が提灯をもって迎えにきますと、別れ際に、勉強を始める日を決めました。張類村
「吉日を選びましょう」
程嵩淑
「古人は『文星の在る所みな吉』[8]と言っています。子弟が師に入門の礼をするのは、もとより大吉ですから、日を選ばれる必要はありません。明日、譚念修に碧草軒をきれいに掃除させ、智先生が、机の上に積まれている書籍を整理されれば、次の日は吉日です。そうすることに決めましょう。私は、明日、安陽に行きますが、道中の気掛かりがなくなります」
人々は、それがいいと言い、門を出ますと、拱手して別れました。文昌巷の入り口を出ますと、人々は、別々に去っていきました。
今回は、地方官に関する話しをたくさん致しました。役人としての行いが善くないと、後の世の子孫は、その地へ行くことはできません。名声を得られず、人民にその姓名を忘れられるのは、まだよい方で、その名を口にしますと、人民が嘲り罵り、子孫の代まで耳を塞いだり、怨んだりする場合があるのです。しかし、深い恩徳を施していれば、人民たちは、代々恩に感じ、筆と墨で記録にとどめ、廟に香華を供えるものです。上は君に背かず、下は民を虐げず、心は学んだことに背かないのは、まことにめでたく、あらまほしきことではありませんか。丹徒の譚公が霊宝にいた時は、このような有様だったのでした。詩がございます。
昔からよき役人は尊ばる、
恩沢が民を覆へば永久に忘らるることはなし。
山東の棠蔭[9]は昔のことといふなかれ、
桐郷で朱邑[10]は今も敬はる。
最終更新日:2010年11月4日