第五十四回

管貽安が人を罵って侮辱を受けること

譚紹聞が物を買って盗品を掴むこと

 

 さて、王中は、趙大児に考えを述べました。彼は、若さまの心には、少しもしっかりした所がなく、毎日、狐や犬のような連中とともに、賭博と女に溺れている、将来、必ず飢えて凍えるだろうということを見抜いていました。そして、城の南の菜園、城内の靴屋で貯蓄をし、若さまが老いた親を養い、坊ちゃんに勉強をさせるための費用にしようと考えました。これは、まさに忠臣が君主に仕えるのと同じ心でした。しかし、趙大児は鈍感な女でしたから、王中の考えを理解できませんでした。彼女は、話しを聞いても耳に入らず、眠りの虫が瞼の上におりてきますと、さっさと南柯の夢の国に行ってしまったのでした。

 王中は、女がすでに寝てしまったのを見ますと、心の中であれこれ考え、一晩寝ませんでした。明け方になりますと、考えが決まりました。起き上がりますと、空はすっかり明るくなっていましたので、まっすぐ裏門に入り、一階に行き、ご隠居さまと若さまに報告しました。

「私は失礼なことを致しました。きれいさっぱり出ていき、自分で落ち着き先を探そうと思いますので、叩頭しに参りました」

譚紹聞は言いました。

「そんなことは言わなくてもいい。親父が死んだ時、お前に靴屋と菜園をやると言ったが、僕が今日お前にやらなければ、父親の命令に背くことになる。ちょっと立っていてくれ。お前に書き付けをやろう。お前が一人で仕事に励むことができるようにな」

そして、東の楼に行くと譲渡書を書き、持ってきて、王中に渡すと言いました。「お前は字を知らないが、人に読んでもらえば、疑いも晴れるだろう」

すると、王中は言いました。

「私はそのために参ったのではありません」

譚紹聞は怒りました。

「親父が死ぬ時の遺言に、僕が従わないとでも思っているのか」

そして、譲渡書を地面に投げると

「持っていけ」

と言いました。王中は譲渡書を手にとりますと、跪いて叩頭し、泣きながら言いました。

「若さまは、お父さまのご遺言に従われればいいということをご存じです。お父さまは、お亡くなりになる時、『熱心に勉強し。正しい人間と付き合え』とおっしゃっていました。お父さまは心からそうおっしゃっていたのです。若さまが、今日、何かをなさる時に、常に遺言をお忘れにならないようにされれば、私は死んでも本望です」

譚紹聞は、すぐに返事をすることができませんでした。すると、王氏が言いました。

「王中、お前は出ていけばそれでいいのだよ。天子がかわれば大臣もかわるものさ。昔のことを話してどうしようというんだい。諺にも、『息子が大きくなれば親には従わぬ』という。それに、この子の父親はもう死んだのだ。お前の話には、いつも棘があるから、若さまはお前をおいてはおけないのだよ」

王中は、王氏が何も分かっていないのをみますと、どうしようもなく、譲渡書を手に取りますと、去って行きました。そして、一家で城の南に身を落ち着けました。

 ちょうど二十畝の菜園を、二軒の家が分けて耕していました。東の家は馮といいましたが、夫が疫病で死に、妻は子づれで再婚し、一か所の邸宅が残されておりましたので、王中は、女房と娘を連れてそこに住みました。それからは、朱という小作人とともに、甕をかかえて苦労して水やりをし、韮を刈り、白菜を栽培して、生計を立てましたが、若さまが今まで通り財産を浪費するのを毎日心配しておりましたので、心の中はいつも不安でした。詩がございます。  

見れば下男は城の南で野菜売り、

主の恩に報ゆることはかなはずに、悲しみは胸に満ちたり。

忠臣の辺境に左遷せられて、

夢路にて宮城に入れるがごとし。

 さて、王中が城の南に引っ越しますと、譚紹聞は、自由に遊ぶことができると思い、とても愉快になり、毎日、夏逢若の家に入りびたりました。王中は、新しい野菜ができる頃になっても、最初に食べようとはせず、必ず譚孝移の霊前に初物を供えていましたが、心の中で幾粒もの涙を流しました。王氏も譚紹聞も彼に構おうとはしませんでしたが、時々趙大児のためにわずかな布や糸を贈り物として送ってきたり、油条や麺の類いをやって、王中と娘に食わせることもありました。王中は悲しい気持ちになりましたが、城内で話しをすることができませんでしたし、城の南に行って、趙大児に話すこともできませんでした。そして、道で野菜の荷物を担ぎながら、祈りました。「先代さまは正人君子でした。神さま、若さまの品行が損なわれないようにお守りください。私王中が、若さまを少しでもお救いできる時がくれば、たとえ湯の中、火の中にでも赴き、先代さまの亡くなった時のご遺言に背かないように致します」

これは、王中が心の中で考えたことでした。彼は誠に忠義な下男でした。

 さて、譚紹聞は、夏逢若の家で馬鹿騒ぎをし、管貽安、鮑旭、賁浩波などの金持ちのどら息子も仲間に加わりました。夏家の賭博と女遊びの場は、まことに賑やかになり、城内、城外、他の州、他の県のごろつきたちにも噂がすっかり広まりました。ごろつきの中には、幾人かの有名な者がいて、趙大胡子[1]、王二胖子[2]、楊三瞎子[3]、閻四黒子[4]、孫五禿子[5]と呼ばれていました。金持ちが落ちぶれたものもあり、泥棒やスリをして、金を手に入れ、派手に賭けをしている者もありました。彼らは、毎日、どこの郷紳の子弟、金持の息子が下品な振る舞いをしているか、どれだけの財産があるか、父兄の仕付けは厳しいか厳しくないかを聞きだし、竹籠を担いで、子弟という名の魚をとらえたり、とり餅をつけた竿を持ち、子弟という名の鳥をひっかけようとしたりしていたのでした。さらに、細皮鰱、小貂鼠、白鴿嘴などと呼ばれる、女郎屋の幇閑たちがいました。彼らは、銅銭を入れた褡褳を背負ったり、賭博道具を持ってきたり、女郎の送り迎えをしたり、灯りをつけたり、毛氈を敷いたりしていました。そして、普段は貧乏で味わうことのできない酒や料理を食べ、幾らかの金を稼ぎ、貧乏な家を養っていました。当時、夏逢若は賭場を開帳し、金持ちたちを一か所に集め、有名になっていました。これら二種類の人間たちは、蝶が花に群れ、ごきぶりが汚穢に集まるように、招かなくてもやってきて、手で払っても去っていかないものなのです。

 譚紹聞は、初めはこれら二種類の人間と仲良くしていましたが、やがて自分でも彼らとは仲間にはなれないと思いました。しかし、賭けをやめようと思っても、珍珠串児、蘭蘂、さらに素馨、瑶仙など幾人かの名妓のために心をとろかされておりましたので、別れることができませんでした。女郎遊びをやめようと思っても、色盆、宝盒が手元にあったので、負ければ元をとりかえそうと思い、勝てば隴を得て蜀を望むという有様で、手を切ることができませんでした。しばらくたちますと、乾物屋に入ったときに、臭みを忘れてしまうように、これらの人間と一緒にいるのに慣れてしまいました。

 ある日、管貽安、譚紹聞と楊三瞎子、孫五禿子は、一緒にサイコロ賭博を始めました。ところが、管貽安が、一文のびた銭を、楊三麻子の物だと言いました。楊三麻子は言いました。

「俺のじゃないぞ」

管貽安は言いました。

「さっきお前が俺に払った賭け金は、まだ動かしてない。お前のでない筈がないだろう」

楊三麻子はよい銅銭に取り替え、びた銭を中庭に投げつけますと、誓いを立てて言いました。

「これは馬鹿野郎の金だ」

管貽安は、ずっと甘やかされていましたから、このように怒鳴られますと、我慢できよう筈がありませんでした。そこで、テ─ブルを蹴りますと、口を開きました。

「何という無礼者だ。俺と同席できただけでも、お前が前世で積んだ功徳のお陰だというものなのに、勝手なことを言いおって。誰が馬鹿者なんだ」

楊三瞎子は有名な「独眼龍」[6]でしたから、立ち上がると言いました。

「管九宅だよ。管の野郎だよ。管家の九ちゃんだよ。今、お前は誰にむかって話をしたんだ。賭場では王様の坊ちゃんだろうが関係ないぜ。死んだお前の親父が進士だろうが怖くはねえぞ」

管貽安は、母親のお腹から出てきたとき以来、人々からお世辞を言われつづけてきて、こんな悪口雑言を受けるのは初めてでしたので、罵りました。

「この馬鹿者が。何をする積もりだ」

楊三麻子は

「お前を殴ってやるよ」

といいますと、早くも手で一押ししたので、管貽安は椅子ごと倒れてしまいました。夏逢若、譚紹聞は、楊三麻子の手を引っ張って抑えました。譚紹聞は言いました。

「仲間同士なのに、何をするんだ。みんなが笑うじゃないか」

管貽安は、立ち上がって、楊三麻子の顔を平手打ちにしました。楊三麻子は怒りましたが、二人に引き止められたので、罵りました。

「犬畜生どもめ。みんなで俺の手を封じやがって。管九宅に殴られちまったじゃねえか」

腕をのばすと、夏逢若のみぞおちを拳でつきましたので、夏逢若はすぐに倒れてしまいました。譚紹聞もそのままひっくり返り、腰掛けの角にぶつかって、顔に血の痕が一筋できてしまいました。

 孫五禿子は、楊三麻子を引っ張って、南の部屋へ行きますと、小声で言いました。

「おい、気でも狂ったのかい。ようやく虫けらどもに網をかけたのに、みんな飛んで逃げてしまうぜ。そうしたら、俺たちは何を食ったらいいんだい」楊三麻子は言いました。

「兄貴、知らねえのか。あいつらに手加減すれば、俺たちは奴等にさんざんひどいことを言われるぜ。一遍殴って脅かせば、奴等はこの次からは俺たちに対してうやうやしくするんだよ。安心しろよ。坊ちゃんというものは、みんな鼠のような肝っ玉をしているから、すぐに仲良くなって、俺たちのことを兄さんと呼んでくれるよ。俺は堪忍袋の緒が切れたんだよ」

そう言いながら、すぐに笑い出しました。

 白鴿嘴が趙大胡子、王二胖子、閻四黒子に報告したので、彼らはすぐにやってきて、仲裁に入りました。人々は金を集め、細皮鰱に渡して、買い物をさせました。間もなく、細皮鰱は犬の脚四本、干し牛肉三斤、鶏四羽、豚の頭一つを持ってきました。小貂鼠は料理を作ることができました。仲裁が終わりますと、肉料理ができあがったので、ふたたび街へ行き、二十壺の焼刀子[7]を買ってきて、二つの四角いテ─ブルを合わせ、瑶仙、素馨を出し、並んで座りました。そして、兄弟と呼び合い、大いに食らい、たらふく飲んで楽しみ、殴り合い、罵り合ったことは、東海の彼方に投げ捨ててしまいました。晩になりますと、瑶仙、素馨は、それぞれ素敵な相手を得ましたが、このことについてははっきりとはお話し致しません。

 次の日、王二胖子、楊三麻子、閻四黒子は、賭博仲間の父親の誕生日でしたので、城外へ誕生祝いに行きました。管貽安は、昨日、平手打ちを食らい、面白くありませんでしたので、行ってしまいました。譚紹聞だけは顔に紫色の痕が残っていましたので、街へいく気がしませんでしたし、賭けもしたかったので、出掛けませんでした。そこで、ふたたび賭場が準備され、趙大胡子、孫五禿子、それに夏逢若の四人が、賭けをすることにしました。趙大胡子が言いました。「俺には金はないが、二つの腕輪がある。先祖が残したものなんだ。持ってきて銭にして、賭けをすることにしよう」

夏逢若は言いました。

「今、所場代があるから、勝負すればいいじゃないか」

趙大胡子は言いました。

「宿屋がすぐそこだから、すぐに戻ってくるよ」

そして、行ってから一時もたたないうちに戻ってきて、銅銭を入れる褡褳の中から、目を奪わんばかりに輝く、一対の赤金の腕輪を取り出しました。譚紹聞が受け取ってじっと見てみますと、小さな字が彫り込まれていました。一つは「百年好合」で、もう一つは「万載珍蔵」でした。譚紹聞は言いました。

「立派なものだね」

趙大胡子は言いました。

「ああ。俺の先祖は大金持ちだったんだ。これは祖母さんのものだ。最近負けが込んでいるから、こんな物を持っていても、いずれ破産してしまうだろう。こんな物はいらない。きれいさっぱり金に換えて、何回か賭けをし、家で何日か暮らすことにするよ。俺は二十両で十分だ」

譚紹聞は、腕輪は五、六十両の値打ちがある、物の割りには安く売っていると思いましたので、思わず欲しくなって、尋ねました。

「ご先祖の本籍はどちらですか」

趙大胡子

「陝西だと聞いているよ」

夏逢若

「陝西のどこだい」

趙大胡子

「潞安府のようだ」

孫五禿子

「潞安は山西だぞ」

趙大胡子

「記憶違いだったよ」

 譚紹聞は、連日外にいて、金を儲けた振りをして、母親や妻をだまそうと思っていましたので、この金の腕輪を買おうと言いました。人々が間に立ち、十六両で話をつけ、夏逢若が代わりに銀を量りとりました。双方が手続きを終えますと、人々は賭けを始めました。すると、うまい具合に、譚紹聞だけが二十両勝ち、すぐに夏逢若に金を返しました。日はすでに暮れ、街も歩くことができるようになっていました。紹聞は、金の腕輪を一対手に入れたので、母親に贈って、孝行をしようと思いました。素馨が出てきましたが、彼を引き止めることはできませんでした。

 家に戻りますと、一階に腰を掛けました。王氏は言いました。

「お前は本当に人でなしだよ。毎日、夏家にいたんだね。あの人の家に、魚のうきぶくろや皮の膠があって、お前にくっついたわけでもあるまいに。人を交替で何度も呼びにいかせても、全然戻ってこなかったね。それでも人間かい」

譚紹聞はハハと笑って、

「母さん、僕が賭博をしたといって怒りますが、見て下さい、僕が母さんのために何を勝ち取ってきたか」

と言い、袖から金の腕輪を取り出して、母親に渡しました。金の腕輪は、灯りの下で、目を奪わんばかりに輝き、とても素晴らしい物に思われました。王氏は言いました。

「これは誰のものだい」

譚紹聞は言いました。

「僕が勝ち取ってきたのです。母さん、受け取ってください。この金の腕輪は、たった一つで百両の値打ちがありますよ」

巫翠姐は東の楼で、金の腕輪という言葉を聞きますと、早くも堂楼にやってきました。そして、きらきらと光るものを見ますと、言いました。

「私に下さい。お母さまにはもう一つ勝ち取ってこられてください」

王氏は巫翠姐に金の腕輪を渡しました。譚紹聞は笑いながら言いました。

「もう一対の銀の腕輪を勝ち取ってきて、明日、お前にやるというのはどうだい」

巫翠姐は言いました。

「金しか欲しくありません。明日、どんなにいい物を勝ち取ってきても、私はいりませんよ」

譚紹聞は

「よく分かったよ」

と言いますと、ふたたび袖の中から一つ取り出し、王氏に渡すと、

「母さん、これをあげましょう」

と言いました。すると王氏が言いました。

「興官児、おいで、これをお母さんにおあげ」

興官児は受け取りますと、乳母に送りました。冰梅は言いました。

「若奥さまにお上げ、対になるから」

巫翠姐が言いました。

「私がもらいますわ。いずれ興官児がお嫁さんをとったら、その娘に持たせてあげましょう」

一家は笑いさざめき、とても喜びました。

 次の日になりますと、夏逢若が白鴿嘴を遣わして、譚紹聞を呼びにきました。巫翠姐は銀の腕輪を取ってくるように唆しました。譚紹聞は、ますます堂々と出掛けるようになりました。そして、賭場に行くとふたたび勝ったので、すぐに細皮鰱に言い付けました。

「四両の銀子をやるから、沈銀匠の店へ行って、銀の腕輪を作らせてくれ。費用は、後日、腕輪ができてから、まとめて清算すると言ってくれ」

細皮鰱は命令を受けますと、行こうとしました。譚紹聞は、さらに言い付けました。

「急いで作らせてくれ。費用は向こうの言う通りにしてくれ。すぐにできないと言ったら、汪さんの店へ行ってくれ」

細皮鰱

「畏まりました」

 三日続けて賭けをし、銀の腕輪ができ上がりますと、細皮鰱に命じて裏門に送らせました。双慶児は、それを受け取りますと、楼に送り、王氏に渡しました。

 さて、その日、譚紹聞は、趙大胡子、孫五禿子、閻四黒子と午後まで賭けをし、一だの六だのと叫んで騒いでいました。すると、どういうわけか、後ろに四人の捕り手が立ち、趙大胡子を見付けますと、鉄尺[8]の峰でめった打ちにし、両腕を引っ張って押さえ付け、鉄鎖と手錠を掛けました。捕り手は、テ─ブルの上の銭をすべて奪いました。夏逢若は、全身をぶるぶる震わせました。譚紹聞は、びっくりして、体中の力が抜け、一歩も歩けなくなってしまいました。

 実は、趙大胡子は、陝西の臨潼県で、大事件を引き起こしていましたが、その時の泥棒たちが捕まって、泥棒仲間に祥符の趙天洪がいるということを自白したのでした。そこで、(臨潼県から)捕り手が遣わされ、批文を役所に提出し、(祥符の)役所ではそれを号簿に書き込み、押印し、祥符の下役(健役)を密かに遣わして捕縛させることにしたのでした。そして、夏逢若の家で賭博をしていることを確かめますと、すぐに彼を捕縛して役所に連れていき、監獄に入れ、次の日、護送することにしました。

 捕り手が、賭場を開帳していた夏逢若、一緒に賭けをしていた譚紹聞を脅して、こっそり金を送らせたことは、ご想像できることでしょう。それ以来、夏逢若は、門を閉ざして客と会わず、譚紹聞も家に閉じ籠って、外に出なくなりましたが、そのこともお話しする必要はございますまい。

 半月が過ぎました。譚紹聞は、東の楼で、巫翠姐、樊婆と三人で紙牌をして遊んでいました。徳喜児が窓の下で言いました。

「胡同の入り口に人がいて、若さまと話をしたいと言っています」

譚紹聞は言いました。

「僕は家にいないと言ってくれ」

間もなく、徳喜児が戻ってきて、言いました。

「胡同の入り口にいる人は、若さまが家にいることを知っていて、大事な話があるから、どうしてもお会いしたいと言っています」

譚紹聞は言いました。

「行って追い払ってこよう。すぐ戻ってくる」

 裏門を出ますと、胡同の入り口に着きました。男は

「県知事さまがお呼びだぞ」

と言いながら雷簽[9]を取りだしました。上には朱筆で二行、

「譚福児を呼び、役所で尋問を行う。至急仕事をするように。少しでも遅れれば罰する。すみやかに引き渡しをするように」

と書いてありました。譚紹聞は、とても驚いて、言いました。

「着替えをしてきます」

男は言いました。

「駄目だ。知事さまが二堂でお待ちかねだぞ。さあ行け」

譚紹聞は仕方なく、彼らについていき、胸をどきどきさせ、乱れた足取りで役所に入りました。

 下役は、宅門に譚紹聞をつれていきました。知事は、二堂に端座していました。皀隷は一声叫びました。

「連れてまいれ」

見れば上座には新しい知事が座っていました。この新しい知事は、姓は辺、名は玉森といい、四川の進士でした。実は前任の董公は、賄賂を貪ったために弾劾され、今は蟄居して審問を待つ身になっていたのでした。この辺公は、着任して十日足らずでした。譚紹聞が軒先に跪きますと、辺公は尋ねました。

「お前が譚福児か」

「福児は私の幼名で、学名は譚紹聞です」

「お前の家に金の腕輪が一対あるか」

「ございます」

「先祖伝来のものか。最近作らせたものか」

「先祖伝来のものです。買ったものか、作らせたものかは存じません」

辺公はうなずきますと、すぐに下役を呼んで言い付けました。

「もう一度、譚福児を家に連れていき、金の腕輪を持ってこさせることにしよう」

下役は、譚紹聞を連れて家に戻りますと、金の腕輪を取ってきました。胡同の入り口に着きましたが、譚紹聞は、中に入ることができませんでした。王氏、翠姐、冰梅は、慌てて金の腕輪を持ってきますと、徳喜児に命じて、下役に渡しましたが、このことについては、くどくどと申し上げる必要はございますまい。

 さて、譚紹聞と下役は、ふたたび二堂に行き、下役は、金の腕輪を公案の上に置きました。辺公は、臨潼県の関文[10]0を取ってこさせますと、それを読みました。刑房が文書を提出しますと、辺公はそれを一通り見て、尋ねました。

「この金の腕輪の上には、何と書いてあるか」

譚紹聞は言いました。

「一つは『百年好合』、もう一つは記憶しておりません」

すると、辺公は、臨潼県から送られてきた文書を譚紹聞に投げ付けました。受け取ってみてみますと、上には赤い印が押され、朱筆でこう書いてありました。

臨潼県では盗難事件を追及しています。趙天洪─趙大胡子です─の供述によれば、「北関の貢生宋遵訓の家の財物を盗み、半分に分けた、自分は銀百五十両、図書一箱、金の腕輪一対を得た、図書一箱は、すぐに麦畑に埋めたが、もう埋めた場所を忘れてしまった、銀子はすべて使ってしまった、残りの金の腕輪一対は、本県の譚福児によって、夏鼎の家で賭けをしたときに、脅しとられてしまった」とのことです。自供をつぶさに記録しましたので、貴県の夏鼎並びに譚福児を法廷に呼び、証拠品を持参させ、尋問を行って下さい。右お知らせまで。

譚紹聞は目で見、口で読んでいるうちに、体が震えてきました。そして、買った金の腕輪が、盗賊の盗品だったことが初めて分かったので、ひたすら叩頭しますと、

「知事さま、どうか私をお助けください」

といいました。辺公は目もくれずに、言い付けました。

「夏鼎はもう逃げてしまったが、今日中に捕縛し、共犯者とともに護送することにしよう。金の腕輪は、とりあえず倉庫に収める。譚福児は監獄に引き渡そう」

雲板が響き、辺公は、食事のため退出しました。

 譚紹聞が監獄で辱めを受け、金をせびられたことはいうまでもありません。さて、王氏は慌てて、徳喜児を呼ぶと、

「城の南の王中を呼んできておくれ」

と言いましたが、徳喜児が去って幾らもしないうちに、双慶児を呼ぶと、

「あれにすぐ来るように催促しておくれ」

と言いました。

 王中は、菜園で籃に梨を摘んで、孝移に初物を供える積もりでした。そして、ちょうど南門の甕城[11]の中で徳喜児に出くわしました。徳喜児は言いました。

「王さん、まだ知らないだろう。若さまが泥棒の巻き添えにされて、今、役所につれていかれて取り調べを受けているんだ」

王中はそれを聞きますと、体がぶるっと震えました。梨が五六個、道の掃き溜めに転がりました。王中は、拾おうともせず、飛ぶように走り、一階に来た時には、先代の霊前に初物を供えることさえ忘れていました。王氏は言いました。

「お前が半年家にいなかった間に、大事件が起こったんだよ」

「どうなさったのですか」

王氏は声をあげて泣き出しました。

「とにかく、若さまを連れてきておくれ」

王中は言いました。

「そうするためには、銀子を持っていかなければいけません」

巫翠姐は、それを聞きますと、

「樊さん、東の楼に来ておくれ」

と言い、箱を開けますと、十二両を取り出して、

「王中に渡しておくれ」

といいました。

 王中は、銀を受け取りますと、財布をもらって中に詰め、飛ぶように役所に走っていきました。捕り手、監獄を尋ねますと、金を出して面会をしました。譚紹聞は、泣いて事情を告げました。

 王中は、半日かけて、孔耘軒、張類村、程嵩淑、婁樸、蘇霖臣に知らせました。ちょうど恵養民も城内におりましたので、彼も呼びました。そして、孔耘軒の家に集まり、連名の上申書を書きました。譚紹聞の祖父は官位についたことがある、譚紹聞は若年で学問に励み、少しも悪いことはしていない、罪もないのに誣告をうけたので、護送を免除してほしい、というものでした。晩の二鼓の頃、紳士たちは一斉に大堂に行き、挙人、拔貢、生員たちは、晩生の全帖、門生の手本を、上申書とともに提出しました。

 辺公は、上申書に目を通すと、すぐに人々を二堂に案内しました。挨拶をして腰を掛け、茶を飲み終わりますと、辺公は姓名を尋ね、

「私は着任して日も浅いので、いろいろとご教示願います」

と言いました。人々も

「ようこそご赴任下さいました。心楽しくお過ごし下さい」

ということを話しました。辺公は言いました。

「先程は、皆さま方から、譚福児の護送、尋問を免除するようにとのご指示を受けましたが、盗難事件で、明らかに物証もありますから、夏鼎だけを護送する訳にも参りません。それに、金の腕輪を臨潼に送ることもできなくなります」

程嵩淑は言いました。

「譚紹聞は霊宝公の曾孫で、孝廉忠弼の子、この孔さんの婿でもあります。子供の時、神童に挙げられ、普段も勉強に励んでいます。県試の首席になったこともあります。金の腕輪は知らずに誤って買ってしまったものです。知事さま、読書人の旧家であることに免じて、大目に見てやってください」

辺公は言いました。

「後進を立派に育て上げることは、わたしの望むところです。しかし、私が疑っているのは、旧家の子弟が、どうして強盗にまで幼名を知られているのかということです。これでも強盗と関係がないということができますか」孔耘軒は言いました。

「婿は財産をかなり持っています。精巧な金の腕輪を見て、掘り出し物だと思い、間違って買ってしまったのでしょう。年若い本の虫で、盗品であることに気が付かなかったのです。知事さま、どうか宜しくお取計らいください」辺公は言いました。

「金の腕輪の売買をしたのですから、きっと引き渡しを行った所があり、仲立ちをした者がいるはずです。譚福児がおとなしく勉強に励んでいたのなら、どうして趙天洪などと会ったのですか。臨潼県の関文には、趙天洪の自供が記録されています。夏鼎の家で賭けをして金の腕輪を騙しとられたというのです。譚福児が勉強をしていなかったことが分かります」

恵養民は言いました。

「譚紹聞は、私に勉強を教わっていた時、誠実なことを話していました。知事さま、『衆(にく)むも必ず察する』[12]ようにお願い致します」

辺公は微笑んで、

「ご老人も、『その退(あと)(あづか)らず』[13]ということですか」

と言い、婁樸に向かって、

「婁さんは近々地方官になられるそうですが、この件はどう処置したらいいでしょうか」

と言いました。

すると、婁樸は言いました。

「愚見では、自供を抜き書きして、臨潼に送られるべきです。臨潼県がふたたび関文をよこしてから、護送して尋問を受けさせても遅くはないでしょう。知事さまのご裁下をお願い致します」

辺公も承知しようとしました。人々が一斉に立ち上がり、跪いてお願いしますと、辺公は言いました。

「婁さんのおっしゃった通りに処理致しましょう」

人々は、護送を免除してくれたご恩に感謝し、役所を出ました。

 辺公は、その晩の法廷で、譚紹聞を呼び、「事情を知らず、間違って盗品を買ってしまったので、無償で物件を返そうと思います」という供述をとりました。さらに、夏鼎を捕らえ、やはり「普段面識はなく、賭場を開帳したことはございません」という供述をとりました。次の日、一纏まりの文書にし、金の腕輪を包み、朱筆で書き込みをし、臨潼県からきた下役に手渡しました。その後、臨潼県からはふたたび音沙汰はありませんでしたので、趙天洪が臨潼で処刑されたことが分かりました。この事に関しては、脇道にそれる必要もございますまい。

 さて、今回のお話しでは、不可解な点がございましたので、詳しくご説明申し上げる必要があるでしょう。譚紹聞は名門の子弟であり、若くして聡明でしたので、誰でも譚紹聞のことを知っていましたが、賭博場にいたのは、言葉遣いが悪く、がさつな人間ばかりで、譚紹聞の正式な名が何というのかも知らず、譚福児、管九児と称していたにすぎませんでした。趙大胡子は、管貽安、譚紹聞の名を聞いておらず、どこかの家の何とかいう坊ちゃんと称していたにすぎませんでした。ああ。譚紹聞が年若くして、賭場に流れ、粗忽な行いをしたことは、まことに恥ずべきことでした。その上、彼は物を買うことによって、負けを隠そうとしました。忠実な下男、数人の父の友人が、一生懸命救ってくれなければ、彼は臨潼県にいって、強盗とともに尋問を受けていたでしょうし、死刑にならないとしても、監獄に鎖で繋がれることを、免れることはできなかったでしょう。恐ろしいことではありませんか。これぞまさに、

書生と強盗 別のもの、

香草と臭草を混ぜんとするは難きこと。

しかれども、烏曹[14]が学問授くれば、

零陵[15]と阿魏[16]とはともに一丸となる。

 

最終更新日:2010114

岐路灯

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[1] 「髭を生やした趙家の長男」の意。

[2] 「デブの王家の次男」の意。

[3] 「片目の楊家の三男」の意。

[4] 「黒子の閻家の四男」の意。

[5] 「禿の孫家の五男」の意。

[6]独眼龍とは、『唐書』李克用伝に出てくる言葉で、片目の将軍李克用をさしたが、ここでは片目の楊三瞎子をいう。

[7] コ─リャンから作る焼酎。

[8]兵器の名。短い鉄の棒。

[9]令箭の一種で、至急の命令を記したものと思われるが未詳。

[10]同級の官庁の間でやり取りされる文書。

[11]二重になった城門と城門の間の部分。ここに外敵を閉じこめて、殲滅する。

[12] 「人々がある人を憎んでいても、よく調べてみる」。『論語』衛霊公。

[13] 「彼が退歩することには賛成しない」。『論語』述而。

[14]賭博の神。『文選』博奕論李善注引『系本』「烏曹作博」。

[15]零陵香のこと。湖広永州府零陵県に産する香草。

[16] インド・ペルシャに産する臭草の名。

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