第四十五回

義僕が河陽駅で情報を探ること

博徒が蕭牆街で狼藉を働くこと

 

 さて、譚紹聞は、満相公とともに、開封城に入りました。盛家の門口に着きますと、下男たちは急いで出迎えました。

「お帰りなさい。ご苦労さまでした」

満相公は、車から飛び下りますと、すぐに礼を言いました。

「心配をかけたな」

二人の崑曲の師匠も、車から降りました。譚紹聞も、下車しました。下男たちは、二人の男が師匠で、後から下車した人は、若くて美貌でしたので、満相公が連れてきた蘇州の女形だと思いました。しかし、よく見てみますと譚紹聞でしたので、みんな驚きました。

 満相公は、一同を家の中に案内し、盛公子に知らせました。盛公子は、風のようにとんできますと、言いました。

「車の荷物をおろしてくれ」

二番目の門に着きますと、譚紹聞に出会いました。盛公子は、来意を尋ねようともせず、一言

「譚くん、東の書斎にいてくれ。僕は、車を見にいくから」

譚紹聞は、満相公について、東の書斎に行きました。満相公は、洗顔水をもってくるようにと命じました。すると、盛公子が、外で早口で言い付けているのが聞こえました。

「はやく車の荷物をおろしてくれ。蟒衣、鎧、女袴がどんなものか見るから」

命令しおわりますと、東の書斎にやってきました。盛公子が入ってきたので、譚紹聞は、挨拶をしました。満相公も拱手をしました。盛公子は、何度も「ご苦労、ご苦労」と言いました。満相公は、その場に立っていました。二人の師匠が叩頭しますと、盛公子は、劇のことを尋ね始めました。まもなく、宝剣児、瑤琴児らの下男が、革鞄を運んできました。盛公子は、すぐに革鞄を開けさせ、舞台衣装を見ました。さらに、満相公と、絹の打紐の模様について話しをし、値段、品質について話しを始めました。譚紹聞は、二杯の茶を飲みますと、言いました。

「私は帰ります」

「ちょっといてくれ」

譚紹聞は、もともとつまらないと思っていましたが、盛公子が役者や衣装に気を取られ、どこから来たかと尋ねてもくれませんでしたので、ますますつまらなく思ったのでした。さらにしばらく座りますと、言いました。

「早く家に帰らないといけないのです」

「何を急いでいるんだ。しばらくいろよ。君に聞きたいことがあるんだから」

そして、顔をそむけますと、二人の師匠に、全幕演じることができる劇は幾つあるか、端幕は幾つ演じることができるのかということを尋ねました。二人の師匠は数え始めました。譚紹聞は、恥ずかしいうえに腹が立ってきて、立ち上がりますと、帰ろうとしました。盛公子

「仕方がないな。君を送るよ。数日後、最初の上演をする時は、君を呼んで、劇を見せてあげるから、絶対に来てくれよ」

満相公は、盛公子と一緒に客を送りました。盛公子は、表門まで送りますと、拱手して戻ってゆきました。譚紹聞は、さらに満相公としばらく話しをし、旅路をともにしてくれたことへの礼を言いました。すると、宝剣児が走ってきて、満相公に、早く戻ってきて話しをするようにと促しました。実は、盛公子は、譚紹聞が旅に出て、今日、満相公と一緒の車で帰ってきたということを知らず、客が帰って、劇の話がしやすくなったと思ったのでした。まさに、

顔を挙げ鳥を見て

振り返り間違った対応をする[1]1

 さて、譚紹聞は、盛家を出ますと、一人で回り道をして、歩いてゆきました。細い路地を幾つも歩き、野菜畑を幾つも越え、あちこちを回って、路地の入り口に着きました。そして、二三歩あるいて、自分の家の裏門に入りました。

 王氏は、一階で、泣きながら息子のことを思っていましたが、突然、紹聞が入ってきましたので、驚き慌てて、言いました。

「ああ、お前なんだね」

涙を擦り、じっと見てみますと、果たして息子でした。王氏は、更に言いました。

「今までどこへ行っていたんだい。お父さんが亡くなったから、私を避けようとしたのかい」

袖を掴みますと、また大声を上げて泣きだしました。譚紹聞も、数十日の苦労の末に、今日、我が家に帰ってきたので、泣きだしました。冰梅、趙大児、樊婆は、声を聞いてやってきました。双慶児、徳喜児、ケ祥、蔡湘も、主人が戻ってきたのを喜んで、楼の庭に、様子を見にきました。

 やがて、孔慧娘が東の楼から出てきましたので、人々は、道を開けました。堂楼にやってきますと、王氏は泣きやんでおらず、何度も

寡婦(やもめ)というのは本当に辛いものだよ」

と言っていました。趙大児、樊婆もしきりに袖で涙を拭っていました。冰梅は、興官児を王氏の方に押しやりますと、

「おばあさまが泣かないようにしてさしあげなさい」

しかし、孔慧娘だけは、まるでおしのように黙っていました。これは孔慧娘が、涙もろくなかったからではありません。彼女は、識見が高かったのです。彼女は、自分の身と自分の家が、安穏な結末を迎えることができないことをすでに悟っていたのでした。

 王氏は、少し泣くのをやめますと、

「趙大児、樊さん、若さまの食事を用意しておくれ」

譚紹聞は、一月半ちかく、うまいものを食べていませんでしたが、今晩、家について、ようやく真当なものを食べました。夕方になりますと、王氏は、とりとめのないお説教をし、半更になりますと、部屋に戻って眠りました。

 次の日、太陽が高くのぼってから、譚紹聞は、ようやく起きました。家の中には、怖いものはありませんでしたが、王中に会うのは、恐ろしい気がしました。ところが、家に着いて半日たったのに、王中の姿は見えませんでした。そこで、心の中で訝かりましたが、慧娘、冰梅に向かって、尋ねるわけにもゆきませんでした。そこで、趙大児が、東の楼に、湯のみをとりにきた時に、こう尋ねました。

「お前たちの家の王中はどうした」

「河北に、若さまを探しにいったのです」

紹聞は返す言葉がありませんでした。

 なぜ王中は河北へ紹聞を探しにいったのでしょうか。これには理由があったのです。実は、紹聞が旅に出てから、王氏は、ケ祥を南の城外へ行かせ、王中を呼び戻させたのでした。王中は、范師傅が募縁疏の序を書かせたことを詳しく尋ね、范師傅を県知事の程公に訴えました。程公は、尋問を行いましたが、范師傅は、紹聞が張縄祖に呼ばれていった事実を、死んでも喋ろうとしませんでした。彼女は、夏逢若から銀子を四両渡されていましたので、収賄で重く罰せられるのを恐れたのでした。これは、范師傅のずるいところでした。やがて、程公は、南陽に出張し、事件はほったらかしにされてしまいました。王中は、慌てましたが、手のほどこしようがありませんでした。地蔵庵へ行って、確かな情報を得ようと思いましたが、范師傅は、裁判所でひどい目にあったので、恨みを抱き、尼寺の入り口を石で塞いで、開かないようにしました。王氏は、貼り紙を書かせ、あちこちに貼ろうとしました。王中は、じっくり考え、主人が失踪したことを、下男が貼り紙に書いて、通りに貼ることはできない、失踪の噂が広まれば、主人の面子に傷がつき、これからまともに生きていけなくなる、貼り紙を貼るのは絶対に駄目だ、と思いました。王中は、若主人は賭けと女に溺れているに違いない、絶対に城を出てはいまいと思い、疑わしい所を、毎日、注意深く調べることにしました。

 ある日、王中は、一計を案じ、双慶児を呼んで、計画を話しました。双慶児は、張縄祖の家へ行きますと、言いました。

「うちの主人が、ここで汗巾を落としたので、とりに参りました」

これは、意表を突く良い方法でした。しかし、張縄祖は、賭博で追い詰められて逃げた譚紹聞が、程公によって童生の首席にされた人でしたので、人命事件に関わり合いになるのを恐れ、すでに假李逵や手下に「ここ半年、譚さんはこちらには来ていませんよ」と言い張るように命じていました。ですから、彼らは、判で押したかのような返事をするばかりでした。双慶児への返事は、上の者も下の者もみな同じでした。双慶児は、家に戻って報告しました。そこで、王中は、これ以上張縄祖を疑わないことにしました。

 王中は、譚紹聞が、盛家に隠れているのかもしれないと考え、王隆吉に知らせて、何回か様子を探りにゆかせました。しかし、希僑は、この半年、生、旦、丑、末を集めたり、選んだりすることに係りきりで、客を家に引き止めている様には見えませんでした。王中は、双慶児に、夏鼎の様子を探らせました。しかし、夏鼎は、毎日、街をうろついていましたし、夏鼎の家も、人が隠れることができるような所ではありませんでした。王中は、あれこれ考えましたが、譚紹聞が亳州に行っているとは夢にも思いませんでした。そして、この大きな城の中は、どこもいかがわしい場所であると考え、普段相手にしない貧乏人や市井のごろつきに、やんわりと巧みに質問をし、様子を探りました。しかし、少しの情報も得ることはできませんでした。

 ある日、宗師が河北から省城に戻ってきて、開封で、院試を行うことになりました。王中は、主人が必ず出てきて、受験をするだろうと思いました。ところが、開封で院試が行われても、紹聞は、戻ってきませんでした。王中は、ひどく慌てて、若主人の生死を、昼夜案じ始めました。しかし、どうしようもなく、毎日、街角や、場末の茶屋や、酒屋で、元旦の撥勺聴静[2]の儀式の時の様に、ひたすら押し黙って、噂話を聞きました。

 ある日、府役所の通りを通りますと、酒屋の中で、二三組の人々が酒を飲んでいました。王中は、胸騒ぎを覚え、中に入りますと、急須一杯の酒を頼み、杯を手にとって、人が話すのを聞いていました。そこへ、風呂敷包を背負った男が一人入ってきました。すると、酒を飲んでいた一組の人々は、立ち上がって拱手をし、席を勧め、一緒に腰掛けました。彼らは、しばらく世間話しをしていましたが、その男が急に、

「この前、河陽駅[3]で、誘拐と人命事件があったよ」

この「誘拐と人命事件」という言葉をききますと、王中は驚き、ぞっとして、そばへ行って尋ねようとしました。しかし、きっかけがありませんでしたので、仕方なく、耳を傾けて聞いていました。その男は、身振り手振りを交え、酒を飲みながら、

「この人命事件は、二人の人さらいが女を誘拐したものだ。彼らのうち、一人は年配で、もう一人は若者だった。河陽駅で、年配の方が、若者の首を締めて殺し、桑の木に吊し、失意の旅人が自殺したように見せ掛けた。しかし『天網恢恢疏にして漏らさず』で、郷保に見られてしまい、捕まって、県知事さまに報告されてしまった。知事さまが検屍を行うと、黒山の人だかりができた。人々は、若い方の人さらいとさらわれた女が関係をもったと言っていたよ」

王中は、それを聞きますと、ますます疑いをもちました。そして、急須を手にもって、テーブルの前に行きますと、言いました。

「皆さまは、豪傑とお見受けいたします。一杯さしあげましょう」

「申し訳ありません」

酒屋のほろ酔いの人々は、とても気さくで、一斉に席を勧めました。王中は、席をテーブルに移し、酒屋に酒を付け足させました。ふたたび酒が注がれますと、王中は、笑いながら言いました。

「昔から、女をさらうのは、若者が多いものです。あなたがさっき話されていた、木に吊り下げられた人は、どのくらいの年でしたか」

その男は、二本の指をのばして、言いました。

「二十ぐらいでしたよ」

王中は

「どこの人だか聞いてらっしゃいませんか」

「誘拐された女は、黄河の南の出で、この辺の県の人だったそうです。人が多くて、込み合っていましたので、はっきりとは聞こえませんでしたが」

「検屍場で、木に吊された人がどんな服を来ていたか、御覧になりませんでしたか」

「服も帽子もきちんとしていました。下役が、革の鞭をふりまわしていましたので、細かくは見ませんでしたが」

王中は心配で、針の筵に座っているような気分になり、更に尋ねました。

「それはいつのことでししたか」

男は、少し考えますと

「十三日に河陽駅を通ったのですから、十三日のことです」

と言いました。

「もう幾杯かお酒を差し上げたいのですが、あいにくちょっと急用があるので、失礼致します」

人々は、王中を放そうとせず、酒を注いでやろうしました。しかし、王中はそれ以上とどまろうとせず、言いました。

「私は城内の者ですから、旅の方をおもてなしするのが筋というもの、御馳走になるわけには参りません」

男が姓を尋ねますと、

「私は姓を王と申します」

更に

「どこに住んでらっしゃるのですか」

と聞かれたので、

「東門外の泰山廟の裏に住んでいます」

「明日、ご挨拶に伺います。鼓詞[4]を語ってさしあげましょう。どうかあなたの家で、鼓詞を語らせていただきたいのです」

「家でお待ちしております」

王中は、別れを告げて家に帰りましたが、落ち着きませんでした。更に、凶報を主人の母親に告げる気にもなりませんでした。そこで、曖昧に、

「若さまが、河北にいらっしゃるという情報がありました」

と言いました。王氏は、すぐに河北に調べにゆかせることにしました。王中が

「明朝、出発致します」

と言いますと、王氏は旅費を渡しました。

 王中は、翌朝、おもての広間の譚孝移の霊前に行き、祈りました。

「私は、街で情報を得ました。旦那さまは、生前、真面目で、正直で、少しも陰徳を損なうようなことはなさいませんでしたから、絶対にこの様なことはないでしょう。しかし、私は不安ですので、河陽駅へ行って、様子を探ることに致します。旦那さまの魂のご加護によって、若さまを早く家にお戻しくださいますように」

家の人達は、王中が祈りを捧げたことを、誰も知りませんでした。王中は、厩へ行き、蔡湘に馬を用意させ、路地の入り口まで引いてゆかせ、旅嚢を積みますと、正門から出てゆきました。正門を出たところで、野辺の送りに出くわしました。粗末な棺を載せた車の後ろに、老婦人が付き従い、泣きながら、

「私の子は帰ってこないよ」

と叫んでしました。王中は気落ちし、憂欝になってしまい、馬を走らせて、すぐに通り過ぎました。

 二三日旅をして、滎陽の渡しから、黄河を越えようとしましたが、あいにく強い北風が吹いたため、船は動きませんでしたので、仕方なく南関へ戻り、宿泊しました。馬にまぐさをやりましたが、心は落ち着きませんでした。部屋のドアに鍵を掛けますと、宿の主人に向かって、

「城内に行ってくる」

「どうぞ」

王中は、城内に行き、街の様子を見ましたが、祥符と比べてずっと見劣りがしました。県衙の入り口に行きますと、占い師がおり、上には「大六壬」[5]の三字が書かれていました。王中はあまり字を知りませんでしたが、この三文字は知っていました。そこで、外に出て、葬列にあい、面白くない気分でしたので、店に入り、吉凶を尋ねました。店の中の老人は、王中を見ますと、

「どうぞお座りください」

と言い、暖めた急須に一杯の茶をついでもってきますと、尋ねました。

「起課[6]をされますか。測字[7]をされますか。起課は百大銭、測字は一字につき十文です」

「測字をお願いします」

老人は、一本の太い筆と白い札を手にとりますと、言いました。

「お書きください」

王中は、筆を受け取りますと、王の字を書きました。

「何をお尋ねでしょうか」

「人を探しているのです」

老人は、王中の顔色をじっと見ますと、言いました。

「とてもよくないですね。王の字の上の部分は『干』の字で、下は土の字です。多分、何か事件をしでかして[8]、今頃は土の中です。真ん中を御覧なさい。十の字です。横をみると三の字です。多分十三日に事件があったのでしょう」

この十三という言葉は、酒屋で聞いた日付とぴったり符合したので、王中はとても驚き、急いで尋ねました。

「私が聞いた話しでは十三日に事件があったそうです。悪いことがあったのかも知れません」

「私の占いは、とてもよく当たります。ですから、城内の人は、みな私のことを甘半仙[9]と呼んでいます。始めて店に入った時、あなたは『測字をお願いします[10]』とおっしゃったが、ここには『央』の字があります。今はもう夕方ですから、夕という字を加えましょう。夕の字に、央の字を加えれば、明らかに『(わざわい)』の字です。多分、もう災いに遭われたことでしょう。私は、筋道にそって判断をし、大変よくない兆しだと言っているのです。もしそうでなければ、調子のいいことを言って、ご機嫌取りをしていますよ」

王中は、譚紹聞を探して心が落ち着きませんでしたし、黄河に阻まれもしたので、測字をしてもらい、調子のいい話を聞いて、心を落ち着かせ、夜、よく眠ることができるようにしようと思っていたのでした。ところが、老人が、災いにあって土の中にいるしるしだと言い、さらに、十三日と言いましたので、七八割慌てて、言いました。

「もう一つ字を言います、先生、慎重に判断して、救う手立てはあるかどうか見てください」

甘紫峰

「いいでしょう」

「あまり字を知らないので、自分の名前しか書けません」

そして、中の字を書きました。

「『もう一つ字を言います[11]』とおっしゃいましたが、一、个という字は、合わせると『不』の字で、更に中の字を書きますと、明らかに『不中[12]』となります」

王中は、心中悶々として、二十文かぞえますと、テーブルに置き、憂欝な気もちで宿に帰りますと、一人ごちました

「気持ちを落ち着けようと思っていたのに、かえってつまらない思いをしてしまった。若さまに良くないことが起こったのかもしれない」

まさに、

嫌といふほど奔走し塵にまみれり

義僕と忠臣とは同じ

屈原が占ひ乞ひ[13]

杜甫が弊履をはきたるに[14]違ふことなし

 王中は一夜を過すと、翌朝、風と波がおさまったので、黄河を越えました。更に、急いで一日歩き、翌朝は半日歩きました。路傍には牌坊があり、通行人がそれを読んで、

「韓文公の故郷か[15]」と言っていました。北側に「河陽駅は西に五里」と書かれていました。王中は、心の中で、もうすぐだと思いました。そして、時間がまだ早かったので、人に会って、話をして、消息を探ろうとしました。

 さらに三四里歩きますと、河陽駅に近付きました。道の北側には、野菜畑があり、遠くで若者が井戸水をくみ、一人の老人が野菜に水をやっていました。王中は、野菜畑の入り口に着きますと、馬から降り、古い柳の木に繋ぎました。そして鞭をもって、井戸の所へ行きますと、言いました。

「一杯水をください。喉が乾いているのです」

老人

「お掛けください。茶を沸かしてまいりますから」

「その必要はありません。水だけで結構です」

老人は、碗を手にとりますと、桶に水を汲み、両手で王中に捧げました。王中は、無理に二口飲みますと、言いました

「これで十分です」

そして、言いました、

「畑のお野菜は立派ですね。よく働いてらっしゃるのでしょう」

「先日、県知事さまが死体を検分された時、野次馬がたくさん野菜畑に入り、半畝の韮を踏み付けてしまいました。御覧ください。東の一帯が、あんなに踏み付けられてしまっています」

王中は、まさにこのことについて聞こうとしており、ちょうどきっかけがつかめたので、尋ねました。

「どんな事件だったのですか」

「誘拐犯が首を括ったのです」

そして、野菜畑の外の桑の木を指差して、

「あの木で死んでいたのです」

「どういうことでしょうか。首を吊った人はどのくらいの年でしたか」

「邵家荘の邵三麻子で、四十数歳でした。彼は人売りの専門家で、人を売る店を開いていたのです。その日、邵三麻子は、男が一人の女を誘拐してきたのを見付けました。邵三麻子は、もともとその道の人間でしたから、すぐに男が人さらいだと分かり、二言三言声を掛け、家に誘いこみ、女を売ってもらおうとしました。邵三麻子の家には、他にも二人の女が隠されていましたので、新しい女も含めて、女は全部で三人になりました。ところが、女の家の者が邵家荘まで後をつけてきて、知らせを受けた、河陽駅の郷約[16]、地保[17]、青年団長とともに、二更に、彼の家へ行って、捜索をしました。彼は、まず、来たばかりの人さらいと女を、壁を越えて逃がしました。更に、売り物にしていた二人の女をつれて、壁を越えて逃げようとしました。しかし、年貢のおさめ時だったのでしょう、脚を折ってしまいました。そして、逃げることができないと思い、真夜中に、この桑の木の所へきて、首を吊ったのです。人さらいは、河陽駅の西に行きましたが、捕まりました。先日、役所が検屍をした時、駅中の老若男女が検屍場にきて、尋問の様子を見物しましたが、私は運悪く、半畝の韮を踏み付けられてしまったというわけです」

「それはいつのことでしょうか」

老人は、若者に向かって、

「いつだったか忘れてしまったな」

若者

「僕が義母さんの誕生日にいった日だったから、十三日でしょう」

王中

「他には、人命事件はありませんでしたか」

老人はハハと笑って、

「人命事件が、これ以上起こってはたまりませんよ」

王中は、この事件は譚紹聞と関係がないことを知りました。そして、老人に礼を述べますと、まだ時間も早かったので、馬に乗り、もときた道を戻りました。おかしくもあり、腹立たしくもあり、嬉しくもあり、悔しくもありました。おかしかったのは、酒屋で会った男が、少しは事実に近いとはいえ、うまいでたらめを述べていたこと、腹立たしかったのは、測字をした占い師が、頑なに不吉なことを述べたてたこと、嬉しかったのは、『三里離れれば真の消息なし』で、噂が自分の主人と関係なかったこと、悔しかったのは、自分が浅はかだったということでした。しかし、主人が結局どこにいったのかは、まだ分かりませんでした。

 昼間は歩き、夜は泊まって、省城に入りました。この時は、譚紹聞が家に戻ってからすでに四日がたっていました。

 裏の路地へ行き、馬を繋ぎ、楼のある中庭に入りました、主人の母親に報告しようとしましたが、庭には誰もおらず、表の通りから、騒がしい音が聞こえてきました。王氏と趙大児、樊婆が二番目の門の前で騒いでいたのでした。

 王中がおもての中庭に行きますと、趙大児

「早く行ってください。若さまがぶたれています」

王中は、びっくりし、馬の鞭も放りだして、すぐに表門を出ました。すると、假李逵が、譚紹聞の袖を引っ張ってわめいていました。

「役所へ行って話をしよう。金を借りて返さず、逃げ隠れていたとはな。祥興号の楊相公はかんかんだぞ」

近くにいた姚杏庵も、仲裁しきれませんでした。街中の人々は、取り囲んで見ていました。王中は、訳が分からず、走っていって、譚紹聞を抱きかかえますと、尋ねました。

「これはどういうことですか。何の金が欲しいというのですか」

譚紹聞は、人から怒鳴られたことはまったくありませんでしたし、思いがけなく王中がやってきましたので、恥ずかしくて答えることができませんでした。白興吾

「譚さんが、假李逵兄さんから五百両を借りたんだ。俺が証人だ」

王中

「お前たちは、きっとぐるになって若さまを騙したのだろう」

假李逵は、譚紹聞をつかんでいましたが、乱暴なことをするつもりはありませんでした。彼は、心の中では怒っておらず、相手の体面を傷付けて、譚紹聞を脅し、銀子を早く払わせようと思っていただけでした。しかし、王中の話を聞き、王中が譚家の下男だとわかりますと、ぶっても大したことはないだろうと思い、手をのばして袖をつかみ、いきなりビンタを食らわせました。王中は、口から血を流しました。

 すると、蕭牆街の見物人は、怒って叫びだしました。

「真っ昼間から、金の取り立てをするのは構わないが、なぜ人をぶった」

王中は街で尊敬されていましたので、人々は、腹を立てたのでした。假李逵は、雲行きが怪しくなったのを見ますと、言葉を少し和らげました。白興吾は、假李逵をたしなめました。

「あんたは証文をもっているんだから、いずれ金を返して貰えるだろうに、どうして乱暴なことをしたんだ」

假李逵は、そのまま東へ逃げながら、なおも言いました。

「お前は花押を書いただろう。お偉いさんだからといって、ただで銀子を使うつもりか。俺たちは、お前のせいで怒られているんだぞ」

白興吾は假李逵を推しました。假李逵は、わめきながら歩いていってしまいました。

 譚紹聞は、恥ずかしい気持ちで、家に入りました。王中は下男でしたが、幼いときから譚孝移に仕え、読書人やきちんとした人ばかりを相手にしてきましたので、このようなひどい目に遭ったことはありませんでした。おもての中庭に入りますと、先代の棺を見て、思わず泣きたくなりました。地面にひれ伏しますと、一回叩頭しましたが、言葉は出ませんでした。すると、趙大児が、裏庭から、飛ぶように走ってきて、言いました。

「ああ、大変です。若奥さまが気絶されました」

人々は慌てました。王中も假李逵にぶたれたことを忘れて、一緒に裏庭に行きました。これぞまさに、

良き(ひと)は良き男へと嫁ぐべし

鴛鴦のごと寄り添ひて羨まる

悪人と男とが仲間になれば

人々は好逑の詩を誦ふることもなかるべし

 

最終更新日:2010114

岐路灯

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[1]原文「仰面貪看鳥、回頭錯応人」。「鳥」は綺麗なものの隠喩。ここでは役者のこと。「人」はここでは譚紹聞のこと。盛希僑が役者に夢中になっていて、譚紹聞が遠出から帰ったことに気がつかなかったことをいっている。

[2]元旦に息を潜めて、聞こえてくる音によって吉凶を占うこと。

[3]河南省孟県の西。

[4]明清期の北方中国で流行した謡い物の一種。太鼓を伴奏に用いる。

[5]易占いの一つ。六壬卜ともいう。

[6]銅貨を幾つか投げて裏表の数を見たり、指で十二支を数えて吉凶を占うこと。筮竹などを用いることもある。

[7]文字占い。

[8]中国語で「干」は「する」という意味。

[9] 「半分仙人の甘さん」の意。

[10]原文「个測字」。

[11]原文「再説一个字児」。

[12] 「よくない」の意。

[13]楚の忠臣屈原が、追放され、心が乱れて、占い師にどうしたらいいかと尋ねた故事。その過程は『楚辞』卜居に述べられている。

[14]安史の乱のとき、鄜州で杜甫が粛宗にまみえたときのことをさす。杜甫の『述懐』に「麻鞋見天子、衣袖露両肘」(麻の草鞋で天子に謁見したとき、袖は破けて両肘が露になっていた)という句があるのを踏まえる。

[15]韓愈のこと、彼は河南省孟県出身。

[16]知県によって任命された村の小役人。命令の伝達をつかさどる。

[17]城外の治安を司る民間人。

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