第四十四回

鼎興店で書生が苦しい目に遭うこと

度厄寺で高僧が行く道を示すこと

 

 さて、譚紹聞は、友人たちに別れを告げますと、張家を出ましたが、昨夜の酔った後の歓楽、喜悦、快感は、すべてジャワの国へと去ってしまっていました。そして、後悔をはじめ、羞恥、忿怒、悔恨、恐慌、心配、恐怖、哀愁、苦悶、怨恨、焦燥がよりあつまって、小さな辞典ができるほどでした。彼はまったく辛い気分でした。

 突然、逃げる計画を思い付きました。府役所の近くにきますと、一人の男が言いました。

「若さま、驢馬に乗られますか」

「ちょうど運送屋を雇おうとしていたんだ」

運送屋は、走りよってきますと、尋ねました。

「若さまは、どちらへ行かれるのですか」

譚紹聞は、答えることができず、しばらく考えてから、急に言いました。

「亳州に行くんだ」

「遠距離はお断りしております」

しかし、しばらくしますと言いました。

「たくさん出していただければ、お送りしますが」

二人は、運賃を交渉しました。運送屋は、出任せの値段を言い、譚紹聞もいい加減な受け答えをしながら、守衛が立っている所を通り過ぎました。そして、二人は立ち止まって、値段の折り合いをつけました。

「若さまのために、荷物を宿屋からとってきましょう」

「荷物はないよ。宿屋にも泊まっていないよ」

 この運送屋は、姓を白、渾名を白日晃という、省城の世故にたけた運送屋でした。諺に、「、皀、店、脚、牙」といいます。─「」は船頭、「皀」は役所の下役、「店」とは店番、「脚」は運送屋、「牙」は牛馬の仲買人のことです。これらの人々は、大変頭がきれ、極めて経験豊富で、金を目にすれば、ずるがしこさ、きかん気を、十二分に発揮するものなのです。譚紹聞は、若い学生でしたから、そんなことは知りませんでした。

 白日晃は、譚紹聞をじろじろ見回すと、言いました。

「若さまは、何のために亳州に行かれるのですか」

「叔父に会いに行くんだ」

「若さまの叔父さまとは、どなたですか」

「東門里の春盛号の、王という人だ」

「王春宇さんですか。私はいつもあの方を亳州に送っているんですよ。叔父さんが泊まっているのは、南門内の丁字街の周小川の家です。王さんは、大変よくしてくださいます。あなたをお送りしましょう。ただ、荷物がないと、寒くはありませんが、宿屋では辛いですよ。若さまと一緒にまいりますが、布団袋と服の包みを持っていきましょう。今日、すぐに出発しましょう」

「もう一度考えてみる。まだ行くことはできないよ」

「何を仰います。今日の商売について、朝に話をつけたのに、行かないと仰るなんて。こんなひどいことには承服できませんよ」

譚紹聞は、賭けに負けて、心が乱れ、賭けの借金から逃れようとして、深く考えもせずに、運送屋に返事をしましたが、考え直してみますと、とんでもないことだと思ったので、すぐに行くのをやめようとしたのでした。ところが、運送屋にからまれてしまいました。彼は、白日晃の様子を見ますと、仕方なくこう言いました。

「明日、出発するのはどうだい」

「今日の商売はどうしてくださるのです。手付金をください。それから、一日分の旅費をください」

横からも金を払うように勧める者がいましたので、譚紹聞は、手元にあった包みの中から、銀塊を一つ与えました。

「明日、ここでお待ちしています。運送費は、亳州についたら、王さんと一緒に計算して、まとめて清算することにしましょう」

譚紹聞は、ようやくその場から抜け出すことができました。碧草軒に戻りますと、廂房の寝台の上に横たわりましたが、まるで二日酔いになったような気分でした。

 譚紹聞は、ここのところ、ずっと書斎で勉強していましたが、昼間は、書斎で食事し、晩には廂房で眠りました。ですから、一晩外出しても、家の人は、少しも気にかけませんでした。母親や蔡湘は、紹聞が書斎にいるのだと思っていましたし、ケ祥は、紹聞が家の中で寝ているのだと思っていました。王中は、城内の家が売れないこと、利息つきの借金があることが心配でしたので、ずっと城外に土地を売りにいっていました。ですから、家の人々は普段と変わらず、紹聞が賭博で金をすったことを知りませんでした。紹聞は、一晩瞬ぎもせず、苦しい思いをし、夕方まで眠りますと、起き出して、少し食事をし、晩になりますと、また眠りました。あれこれ考えましたが、いい方法はありませんでした。そして、五百両の銀子は、假李逵が大騒ぎをして、取り立てにくるだろう、あいつの乱暴さは、まったく耐え難いものだと考えました。すると、急に後悔と恐怖の気持ちが生じて、ひどくそわそわしてきました。

 真夜中になりますと、突然、寝台から起き上がって、言いました。

「仕方ない、亳州へ、叔父さんを尋ねていこう。逃げれば、道が開けるものかもしれない。思いきってそうしてしまおう」

そして、眠るための薄布団を手にとり、シーツでつつみ、財布を腰に結び付け、假李逵から借りた銀子を持ちました。東の空が少し明るくなりますと、こっそり碧草軒を出て、府役所のある通りに行きました。そこへ、白日晃が、驢馬を追いながらやってきましたので、何もいわずに、驢馬に乗り、東門を出ずに─王隆吉に見られると困るからでした─南門を出て、亳州にいきました。

 家では、譚紹聞がいなくなりましたので、王氏がとても驚き、あちこちの寺や廟で、おみくじを引いたり、願をかけたりしました。更にケ祥、宋禄らの下男に命じ、北門を出て、黄河まで行かせ、消息を探らせ、あちこちの菜園の井戸をさらわせたり、方々の郊外の墓地を探したりしました。しかし、何の手掛かりもありませんでした。王氏は仕方なく、徳喜児を南の城外へ行かせ、王中を呼び戻しました。王中は、数日間の事情を詳しく尋ねますと、すぐに言いました。

「これは、范師傅が事情を知っているはずです」

王氏は、范師傅を呼んでこさせ、募縁疏の序文を書いたときのことを尋ねました。范師傅

「あの次の日、寺に来られ、書き終えられますと、茶をお飲みになり、帰られました」

王氏は、それを信じましたが、王中は、納得しませんでした。王中は、主人の母親の訴状を書き、程公に抱告[1]しました。程公は、范師傅を役所で尋問しましたが、范師傅は、幼いときから、裁判には慣れておりましたから、紹聞が茶を飲んだら帰った、譚家が生活に困って、自分を誣告したのだと言い張りました。程公は、証拠がありませんでしたので、厳しく尋問することはできませんでした。更に、譚家の下男のケ祥を呼んで尋ねましたが、ケ祥は

「主人はいなくなる一日前、書斎で食事をしました。私は、主人が晩に眠るときに、伺候しておりました」

と言いました。程公は、すぐに女と賭けにかかわる事件だと悟りました。そして、追究しようとしましたが、急に巡撫から、南陽へいって、被災した家を調査するようにとの文書がきましたので、譚紹聞の事件を審理しないこととしました。

 さて、譚紹聞は白日晃の驢馬に乗り、一日旅をしますと、心の中で後悔し、また戻ろうとしました。ところが、白日晃は、城の客商が亳州に送る手紙を二通もっており、送料三百文をもらっておりましたので、決して承知しませんでした。譚紹聞も、自分の思い通りになりませんでしたが、假李逵にからまれずにすむのが嬉しくもありましたので、そのまま旅を続けることにしました。

 朝には歩き、夜には泊まって、亳州の城内に入りました。白日晃は、周小川の店の入り口まで送りました。運賃のお釣りを払いおえますと、白日晃は、驢馬をひいて、他の所へ手紙を届けにいきました。譚紹聞が店に入りますと、周小川が帳場に迎え入れ、訛りを聞きますと、祥符の人でしたので、姓名を尋ねました。譚紹聞が王春宇を探していると言いますと、周小川

「あなたの叔父さんの王さんは、昨日、蘇州へ出発されました。二百疋の絹を渡して、染物屋で染めさせていたが、年よりの染物屋が死に、彼の息子は、債務を認めず、ごまかそうとしている、という手紙が蘇州からきたのです。そこで、店員は、王さん自身が二百疋の絹を渡した時に、立ち会っていた人もいましたので、手紙をよこしたのです。王さんは、昨日、出発されました。これから元和県[2]で裁判があるかも知れません」

譚紹聞は、それを聞きますと、冷水の入った盥に落ちたような気分になりました。周小川は、料理人を呼んできますと、何か言い付けました。間もなく、洗顔水、茶、飯が出てきました。四つの盆にのった料理には、生臭物、精進物、白米の御飯、徳利の酒がありました。食べ終わりますと、譚紹聞は、店に泊まって、叔父を待ちたいと言いました。周小川

「譚さん、それはいけません。王春宇さんの甥ごさんと仰った時、私は、あなたが私と同じ祥符訛りなので、引き止めておもてなしし、王さんが蘇州から戻ってきた時に、あの人と会うことができるようにしようと思いました。しかし、実際のところ、あなたがたが叔父甥かどうかは、私にはわかりません。もしも店で待つと仰るなら、身の程知らずなことを申し上げるようですが、当店は銀子を扱う店ですので、あなたの面倒を見てさしあげることはできません。この街の入り口に宿屋があります。門に『鼎興老店』という看板がかかっています。四十の部屋がありますから、綺麗な部屋を選んで泊まって、叔父さんを待たれてはいかがですか」

そう言いますと、台所の炊事係を呼んで、

「譚さまは店がうるさいので、他の宿屋に泊まられる。譚さんの荷物を背負って、鼎興店へ持っていってくれ。私も譚さんを案内してすぐいくから」

炊事係は、早くも荷物を纏め、背負いますと、門を出て、運んでいってしまいました。

 譚紹聞は、がっかりして、門を出るしかありませんでした。周小川は、鼎興店までついていきました。ボーイは、紹聞を案内し、第十七号の小部屋を選び、荷物を置きました。周小川

「宿泊費はなみにしてくれ。毎日十文で、多めに請求する必要はないぞ」

ボーイは笑って、

「周さんの仰る通りに致します」

譚紹聞が部屋に入りますと、周小川は、拱手して、

「店の仕事が忙しいので、お供することはできません。失礼致します」

譚紹聞は、引き止めることもできず、拱手して別れました。周小川は、譚紹聞と別れますと、ボーイに向かって言いました。

「あの男は、うちの店の王春宇さんの甥だといっているが、本当かどうかは分からないぜ。あの男が帰ろうとしたら、好きなようにさせればいい。多分詐欺師だと思うんだ。君も注意した方がいいぜ」

「あれは学者馬鹿だよ」

「そういう振りをしているのかもしれない。ただ、本当に甥だとすると、王春宇が戻ってきたとき、俺の面子がたたないから、みんなで丁重にしてやってくれ」

「分かったよ」

周小川は家に帰りました。

 譚紹聞は、金持ちの家に生まれ、甘やかされて育ち、やわでぬくぬくと育った体でしたので、連日の、風を食らい、露を飲むような生活に、すっかり耐えられなくなっていました。その晩、鼎興店に落ちつきましたが、そこには、白木の寝台、竹の籠、藁のカバー、葦のござ、木の腰掛けが、うやうやしく用意されていただけでした。ボーイが蝋燭をもってきたので、壁を照らしてみますと、詩が書かれていました。新しいもの、古いもの、上手なもの、下手なものいろいろありましたが、すべて旅の憂いを歌ったものでした。しばらくじっとしていましたが、ひどく暇で面白くありませんでしたので、褡褳を開き、布団を敷き、寝ることにしました。そして、普段の家での楽しい暮らし、最近の読書の楽しさを思い出しますと、思わず胸が熱くなってきて、眼から涙を流し、こっそり泣きました。泣きながら眠りますと、夢には母親が現れ、家にいるかのような気持ちになりましたが、「母さん」と叫びますと、母親は消えてしまい、目を覚ませば、ちょうど五更でした。両眼はさえており、やがて、夜が明けました。その晩は、まるで一年のように思われました。

 起きますと、ボーイが洗顔水を持ってきていました。そこで、顔を洗い、街へ行こうとしました。すると、ボ^イが鍵をもってきて、いいました。

「ドアに鍵を掛けて、鍵をもって、街で散歩してきても構いませんよ」

譚紹聞は、小銭と、残りの四両を全部財布にいれますと、街の飯屋に行き、茶を飲み、点心を食べました。街を見てみますと、道路は横に通じ、至る所に路地が通じ、わいわいがやがやと、とても賑やかでした。旅空の苦しさを述べた、二つの句がございます。

目の前に麗しき景色はあれど、

肉親のなきことをいかんせん。

譚紹聞は、省城に住み慣れた人でしたから、街の賑わいを眼にしても、何とも思いませんでした。しばらくぶらぶらしますと、宿に戻りました。夕方まで部屋にこもった後、周小川の店へいき、叔父の消息をたずねました。炊事係は笑って、

「まあ辛抱して二か月待たれるんですね。叔父さんはまだ半分も旅をされていないでしょうよ」

そこで、ふたたび鼎興店に戻るしかありませんでした。晩になりますと、昨日と同じ様に、冷たい寝床で、一夜を過ごしました。

 もしも、紹聞が、このとき叔父に会えていたら、財布に旅費もあったので、周小川に頼んで、馬を探し、開封に戻ることができ、宗師の試験に遅れることもなかったはずでした。しかし、紹聞は若く、経験も浅かったので、家に戻れば恥の上塗りになる、しばらく時間を潰そうと考え、ひたすら亳州で王春宇を待ちました。最初の二日間は、街にいきましたが、何度もいくうちに、おもしろくなくなりました。金もなく暇でしたので、店の中で、滄州[3]の曲芸師孫海仙と知り合いました。この孫海仙は、耕さずして食い、織らずして着、全国を回り、芸で生計を立てていくことについて話しました。譚紹聞は孫海仙に心ひかれ、「仙人瓜を植える」「神女豆を摘む」「手巾鬼に変わる」「靴下紐が蛇に変わる」等の武芸を習おうとし、僅かばかりのお金を使ってしまいました。

 数日たちますと、孫海仙は去っていってしまいましたが、譚紹聞は、相変わらず街をうろうろしました。ある日、城隍廟の入り口にいきますと、二人の男が喧嘩をして、頭から血を流し、互いに手を引っ張りあいながら、廟で誓いを立てようとしていました。多くの人が、押し合いながら、にぎやかに見物していました。譚紹聞も、人込みに紛れて見てみました。すると、切り裂きすりが、人込みの中で、紹聞の財布に大穴を開け、銀子をさらっていってしまいました。人々は、巻棚に入り、譚紹聞は、人込みから抜け出て、宿に戻ろうとしました。歩いていますと、腰がひどく軽くなっていました。そこで、手を延ばして触ってみますと、どきっとしました。そして、服を捲って財布を見ますと、叫びました。

「大変だ」

腰は「空空如たり」[4]となっていました。譚紹聞は、学者馬鹿ぶりを丸出しにして、城隍廟の月台[5]の上へ行きますと、しばらく叫びましたが、人々は、聞こうとせず、聞いても、口を覆って笑いました。紹聞は、仕方なく廟を出て、周小川の店に駆け込み、周小川に会いますと、両膝をついて、言いました。

「助けてください。銀子を誰かに取られてしまったのです」

周小川は笑って、

「立ってください。騒がれても困ります。あなたが銀子をもっていたかどうかは、私には分かりませんからね」

「どうか叔父の顔に免じて、助けてください」

周小川はわざと尋ねました。

「あなたの叔父さんはどなたですか」

「王春宇ですよ」

「あなたが王さんの甥ごさんかどうかは、私には分かりません。あなたの様子を見ますと、ただ飲んで、食べて、金を使っているだけの人のようにみえます。私たち商売人は、物を売り買いして食っている人間ですから、よけいなことには関わらないのです。行ってください。忙しいのです。私は帳簿の計算をしなければなりません」

立ち上がりますと、いってしまいました。さらに、料理人に「戸締まりに注意しろよ」といい付けました。商売人というものは、店の中で客商の大金を預かっているので、素性の知れないよそ者とかかわりあおうとはしないのです。ですから、周小川は、ひたすら譚紹聞を助けるのを断ったのでした。

 譚紹聞は、両目に涙をためながら、鼎興店にいきました。ボーイに会うと服を捲り、財布の穴を指さして言いました。

「僕の銀子が、城隍廟の入り口で、すられてしまったんだよ」

ボーイは笑いながら、

「それは、あなたの不注意ですよ」

譚紹聞は、自分の部屋のドアを開けにいきましたが、鍵まですられてしまっていました。ボーイは、厳しい顔付きになりました。すると、周小川の店の炊事係が、ボーイを門の前に呼び、ひそひそと話をしました。ボーイは戻ってきますと、

「若さま、慌てないでください。周さんが、あなたが開封に帰るための二百銭の旅費をもってきてくれましたよ」

譚紹聞は、目を見開いて、言葉もありませんでした。ボーイは、銭を窓台に置きますと、街へいき、いかけ屋をよんできて、鍵を開け、ドアを開き、譚紹聞に、荷物を纏めて出発するように促しました。譚紹聞

「明日、出発します」

すると、ボーイは服をはしょって、ズボンを脱ぎ、尻を見せますと、譚紹聞に向かって

「去年、十四号室で、若い旅人が一人、首を吊ったのですよ。店で棺を買って、人をやとって、埋葬したのはまだよかったのですが、州知事の王さまに、ボーイが注意していなかったからだといって、二十回棒で打たれてしまいました。若さま、この傷痕を見てください。私は若さまの宿泊費はいりません。あなたは旅費まで送られたのですから、お一人で出発されてください」

ズボンをはきますと、譚紹聞のために、さっさと布団を畳み始めました。譚紹聞は、ぽろぽろ涙を流し、褡褳を身につけました。ボーイは、窓台の上の、周小川が送った二百銭を、褡褳の中に押し込みますと、譚紹聞の代わりに担ぎ、宿屋の門を出ますと、譚紹聞の肩に、褡褳をかけてやりました。そして、身を翻すと、南の店の前へ、二人の男が、板で作った台の上で、将棋をしているのを見にいってしまいました。人情とはこの様なもので、周小川やボーイを憎むわけには参りません。まさに、

越人が太っていようと痩せていようと、

関中の秦の人には関わりもなし。

 譚紹聞は、どうにもしようがなく、褡褳を背負って、街角を曲がりますと、西に行き、別の宿屋を探して泊まりました。次の日、宿泊費を払って、西門を出、河南への帰途につきました。

 皆さん、考えてもみてください。譚紹聞は、家にいたときは、ちょっと移動するにも、馬か車に乗っていました。衣服は厚く、背骨が圧迫されて痛いくらい、茶は熱く、唇が火傷をしてしまうほどでした。肩の上に褡褳をかけながら、てくてくと歩くのに、どうして耐えることができましょう。十五里も歩かないうちに、肩は褡褳の重みで疲れ、足にはたこができたので、仕方なく、荒れた廟の門の下で、休むことにしました。すると、一人の男が、天秤棒を担いで、東からやってきて、荒れた廟の門の前につきますと、足を休めました。二人は、しばらく一緒に座っていました。その男は、じっと紹聞の顔を眺めていましたが、口を開きますと、

「若さま、歩くことができないようですね。そうじゃありませんか」

「足にたこができて、我慢できないのだよ」

「私が若さまのために荷物をもち、飯屋にいったら、若さまが私に飯代を払ってくださるというのは、いかがですか」

譚紹聞は、旅路で運送夫、車、船を雇う時は、波止場にいる商人に、荷物を運ぶ人を探す時は、飯屋や茶屋に立ち会ってもらえば間違いがないということを知りませんでした。そして、荷物がひどく重く、歩いて足が痛み、誰かに荷物を担いでもらいたいと思っていましたので、喜んで承諾してしまいました。男は、荷物を持ち、天秤棒の先にくくり付けて担ぎ上げますと、譚紹聞とともに、西へと出発しました。男は、初めはあまり離れていませんでしたが、だんだんと見えなくなってしまい、譚紹聞が叫んでも返事をしませんでした。峰を一つ越えますと、男は、風のように去っていき、譚紹聞が喘ぎながら峰の上についた時には、もはや影も形もありませんでした。さらに、しばらく追い掛け、飯屋へいって尋ねましたが、飯屋の人々は、見なかったといいました。西からきた旅人で、人とすれちがった人々に「髭もじゃの、荷物を担いでいる人を見ませんでしたか」と尋ねましたが、異口同音に「見なかったね」と言うだけでした。更に、先へ行きますと、飯屋があったので、年寄りの主人に尋ねました。主人は、譚紹聞がうぶで、世の中のことを知らないと文句を言い、きっとだまされたのだと言いました。さらに「どうしようもないな」と付け加えました。譚紹聞は、布団や幾つかの服はまだしも、周小川がくれた二百銭の旅費までも、すべて奪われてしまったので、こらえきれず、西に向かって大声で泣きだしました。大通りに住んでいる人々は、この様なことは見慣れているので、誰も構ってはくれませんでした。西へ旅を続けろと勧める者や、我慢して家に帰れと勧める者もありましたが、それぞれ自分の仕事がありましたから、誰も譚紹聞の面倒をみようとはしませんでした。

 譚紹聞は、涙を目にためたまま、西へ旅するしかありませんでした。二三里歩きますと、荒寺が見え、かすかに本を読む声が聞こえました。譚紹聞は、腹がひどく減り、飯を恵んでもらいたいと思っていましたので、寺にむかっていきました。すると、水陸正殿[6]の中に、初老の先生が座っており、顔に眼鏡をくくり付け、テーブルの上で本を読んでいました。譚紹聞が拱手をしますと、先生は、手に本を持ったまま、略式の拱手を返しました。譚紹聞は、顔を赤らめて、言いました。

「私は、譚という者です。名は譚紹聞といい、河南開封府の者です。父は抜貢で、孝廉に推挙されたこともあります。私は、亳州へ行き、叔父を尋ねましたが、会うことはできず、帰り道で、荷物を奪われてしまいました。どうか先生、同じ読書人であることに免じて、食事をお恵みください。ご恩は忘れは致しません」

「ごらん、お堂の中は、村の子供ばかりだろう。私は、ここで飯を食わせてもらっている者にすぎないから、自分勝手なことをするわけにはいかないのだ。農家が教師を雇うときは、毎度の食事は、すべて前もって決められている。私は自分のことだけで精一杯で、他人に食事を出すことはできないのだ。それに、先月の十五日、一人の旅人を泊めたことがある。秀才だといっていたが、勉強を教えた後、勉強部屋にあった、本を包む手巾や帙入りの本を担いでいってしまった。私のような薄情者には構わずに、行き先を探すのだね。もしも行く当てがなければ、私が行き先を教えてあげよう。ここから十里ばかりのところに、度厄寺という寺がある。鐘と雲板があって、飯を食わせてくれる、衆生を受け入れてくれる大寺院だ。そこへいって、二三日食事をしてから、ゆっくり家に帰るといい」

「どうして寺が俗人を迎え入れるのですか」

「北京の八大寺院[7]は、天下に名を知られている。あなたがたの河南にも、寺がある。開封府の相国寺、登封[8]の少林寺、汝州の風穴寺、淅川[9]の香岩寺、裕州[10]の大乗寺は、みな鐘と雲板がある大寺院だ。私は、若い頃、これらの寺をすべて訪れたよ」

「知らない人に、どうして食事を出すのですか」

「知っている人にしか食事を出さないなら、俗人を迎え入れることはできないだろう。鐘と雲板のある寺院というものは、和尚だろうが道士だろうが、遊行僧だろうが托鉢僧だろうが、寺に投宿させ、お堂[11]で食事を食べさせるのだ。三日食事を出すと、執事僧がとどまるかでていくかと尋ねる。出ていきたければ自由にいかせてくれるし、止まりたい者には役職が与えられる、農業ができる者は作物を作り、炊事ができる者は台所番になり、針仕事ができる者は服を縫い、本を読むことができる者は小坊主に経をよんでやるのだ。だが、ただ飯を食べるのは許されない」

「我々俗人も食事をとることができるのですか」

「技能をもっていることが必要だ。そうでない場合は、水汲み、薪割り、家畜の世話をしてやればいい。出家したいときは、師匠にお願いして、法名をつけてもらい、寺の和尚になるのだ。客あしらいができれば、接待僧になれるし、計算ができれば、経理僧になることができる。あなたが徳行深く、学問にすぐれ、詩文を作り、経をよみ、説法をすることができれば、住職に推挙されるだろう。とりあえず度厄寺に行くがいい。三日飯を食べてから、泊まるか出ていくか、考えればいい。

 譚紹聞は、老先生に別れを告げ、度厄寺にやってきました。空腹を我慢して、寺の門につきますと、果たして立派な大寺院でした。紹聞は、山門の石の腰掛けに座って、寺に入るのをためらっていました。間もなく、一人の僧が出てきたので、紹聞が、拱手をしますと、僧は、どこからきたのかと尋ねました、

「河南の開封の者で、亳州へ叔父を尋ねにいきましたが、途中、悪者に荷物を奪われ、進退極まってしまいました。そこで、とりあえずこのお寺に泊まらせていただこうと思ったのです。明日の朝、家に帰ろうと思っております」

僧はじろじろ見回すと、嘘ではないと思い、接待僧に告げました。接待僧が出てきますと、紹聞は同じことを言いました。すると、寺の中から鐘の音が聞え、接待僧が紹聞を隨堂に迎え入れて、食事を摂らせました。紹聞は、腹一杯食べ、住職に会いたいと言いました。他にも一人の道士がいて、大和尚に会いたいと言いました。接待僧

「大和尚は、座禅をくんでらっしゃいます。明日、座禅がおわったら、お会いください」

譚紹聞は、本をよむ声が聞こえたので、見にいこうとしました。

「御覧になりたければ、案内致しましょう」

譚紹聞は、小坊主が読経をしているところへついていきました。そこは、五間の大広間で、中庭には、花卉竹石があふれ、とても静かないい場所でした。大広間に入りますと、小坊主がいました。七八歳から十四五歳で、八九人で、一人の男について、経をよんだり、字を直してもらったりしていました。挨拶がすみますと、小坊主は、茶を捧げもってきました。紹聞が、茶を飲み終わりますと、十歳ぐらいの小坊主が、字を質問しにきました。譚紹聞が受け取って見てみますと、『楞厳経』の抄本でした。紹聞は、字を教えました。他にも『法華経』の抄本をもってくる者、『波羅蜜多心経』の抄本をもってくる者がおり、紹聞を取り囲んで文字を尋ねました。紹聞が一つ一つ丁寧に教えてやりますと、小坊主は、とびあがって喜びました。経を教えていた和尚は言いました。

「あなたの学問が深いのには、恐れ入ります」

「経文の字は、儒書と同じですが、口偏の─」

そして「[口奄]」「陳」「色」を指差しながら、

「こうした字はまったく知りません」

「儒学と同じ字は、翻訳したものですから、あなたにも分かるのです。しかし、この口偏の字は仏教の呪文で、翻訳されておりません。我々も意味を考えずに伝授しており、あまりよく分かりません。あなたが寺に泊まられ、勉強の間違いを正してくだされば、善い果報があることでしょう」

日暮れまで話をしますと、紹聞は、大広間の寝台で眠りました。次の日は、隨堂で食事を摂らされることはなく、客殿に行き、住職、接客僧とテーブルをともにしました。食事は同じものでしたが、大勢の人と同じ机ではありませんでした。次の日、譚紹聞は、家へ帰ろうとしました。僧たちも引きとめようとはせず、紹聞の好きなようにさせました。

 譚紹聞は、赤ん坊の頃から、飢えというものが、こんなに辛いものとは知りませんでした。寺を出ますと、ふたたび深く後悔しはじめました。半日歩きますと、腹もだんだん空いてきて、とても辛くなりました。帯をきつく締め、体をひきずりながら、空腹を我慢して歩きました。やがて、日はみるみる西の山に落ち、空は暗くなり、空腹と恐怖を感じました。すると、前方に灯りが見えましたので、人家があるのだと思いました。ところが、行ってみますと、そこは廟で、中では、二人の乞食が火に当たっていました。譚紹聞は中をのぞきますと、真っ裸の、獰猛そうな乞食がいましたので、とても驚き、急いで外へ出ました。二人の乞食は、やさ男が中を覗いたのをみますと、村の若者が通り掛かったのだと思い、悪い心を起こしませんでした。もしも遠くから来た一人の旅人だということを知れば、紹聞が身につけた服は、もちろんはぎ取られていたでしょうし、命も危なかったことでしょう。

 譚紹聞はさいわい危険を免れますと、もう怖いものもなくなり、ふたたび西へと歩き続けました。真夜中になりますと、犬のなき声が聞こえましたので、村が近いことが分かりました。しかし、この頃になりますと、まったく歩けなくなりました。大きな門楼に着きましたが、門はすでに閉じられていました。譚紹聞は、一日中食事をしておりませんでしたので、身動きもできなくなり、地面に倒れ、門の土台石にもたれて眠りました。まことに辛いことでありました。まさに、

あらゆることは自分のせい、

他人にまったく責任はない。

 翌朝、門の扉が音を立てて、中から五十数歳の老人が出てきました。手には大きな銅鑼をさげていました。譚紹聞をみますと、びっくりして、尋ねました。

「お若い方、どこからこられたのです。どうしてそんな格好をされているのです」

譚紹聞が目を開いてみますと、一人の老人がいました。譚紹聞は、急いで立ち上がろうとしましたが、立ち上がることができませんでした。そして、老人に助け起こされて、しっかりと立ち、やっとの思いで拱手をしますと、いいました。

「私は譚という姓で、河南の者です。旅の途中で、人に荷物を奪われて、一日食事をしていません。夜中にここについたのです」

「ああ、とてもおなかが空いているでしょう。ついてきてください」

譚紹聞は老人について、藁屋にいきました。老人は、背を向けますと、奥へ食事を作るように命令しにいきました。間もなく、一人の少年が、老人のあとから、食べ物をもってきて、テーブルの上に置きますと、老人は食べるように勧めました。譚紹聞は、空腹でしたので、腹一杯食べたくてたまりませんでしたが、たくさん食べてはよくないと思いましたので、七八割りを食べますと、箸をおきました。

 老人の姓名を尋ねようとしますと、突然、門の前で、大声で叫ぶ声がしました

「韓さん、橋の所へ行こう。今日は橋げたの石をかえるのに、人が少なくては移動できないよ。早く銅鑼を叩いて、人を集めておくれ」

老人

「遠くからきたお客さまがいらっしゃるんだ。銅鑼をもっていって、わしのかわりに叩いてくれれば、人はすぐ来る。わしは、昨晩、家々にはっきり話しをしておいたからな」

男は、銅鑼をとりにきて、譚紹聞を見ますと、人を集めにいきました。譚紹聞が建物を見てみますと、「善を楽しみて倦まず」という額が掛かっていました。村の人々が、みんなで贈ったものでした。譚紹聞は、立ち上がって拱手し、食事を出してくれたことに感謝しました。老人「私は、韓という姓で、希美といいます。字は韓仁山です。廟や寺を建て、橋や道を補修しています。村の西に石橋があります。元の大徳二年に、私の先祖が作ったもので、韓家橋と呼ばれていますが、最近、壊れたので、私が施主になり、二百数両の銀を募って、再建したのです。私は、全額を預かっています。今日は橋げたをくむので、朝から人を集めようとしていたのです。あなたは、葱か筍のような指をしてらっしゃるから、きっと字をご存じでしょう。私どものために、布施を帳簿につけ、金額、食糧、人夫の数を書いてください。仕事を終えられたら、家までお送り致しましょう。こんな大きな村なのに、字を知っている人は少なく、一人科挙を受験した者がいますが、今では房科[12]12をしているのですよ。私は、その男以上に字を知りませんし、布施を帳簿にどうつけるかも分かりません。泊まってくださいませんか。駄目な場合は、三百銭の旅費をさし上げますから、お一人でお帰りになってください」

譚紹聞は、今までずっとひどい目に遭ってきましたし、空腹で気力が萎えておりましたので、二つ返事で請け負いました。仕事が終われば、馬に乗って帰ることができるかもしれない、それもいいことだろうと思ったのでした。

 話が決まりますと、銅鑼をさげた男が入ってきて、

「韓さん、石屋が、大事な話しがあると言って、待っているよ」

韓仁山は、譚紹聞に、ついてくるように言いました。村の西の橋のたもとにいきますと、たくさんの人々が、賑やかに、橋げたの大石をおろしていました。石屋も韓仁山に話しをする暇がありませんでした。そこで、韓仁山は、橋の北側の観音堂に、譚紹聞を案内し、テーブルの上の帳簿を指さし、紹聞の手にとらせました。そこへ、東の村から布施、穀物が送られてきました。譚紹聞は、帳簿を開きますと、筆をとって、字を書き込みましたが、綺麗な字でしたので、韓仁山は、とても喜びました。譚紹聞は、韓仁山の家に泊まり、橋をかけるのを手伝うことになりました。

 七八日たちますと、橋は完成しました。韓仁山と譚紹聞は、橋のたもとで、土を埋めるのを見ていました。すると、東から一台の大きな車がやってきました。新しい橋のたもとにつきますと、車から三人の男が飛び下りてきて、言いました。

「新しい橋で、土が固まっていないから、ゆっくり車を動かそう」

譚紹聞がその男を見てみますと、一人は盛家の食客の満相公、二人は見知らぬ男でしたので、進み出て、尋ねました。

「満さんじゃありませんか」

二人は、向かい合って、拱手をしました。満相公は、譚紹聞がここにいるとは思いませんでしたので、すぐには思い出せませんでした。譚紹聞

「どうしたのです。僕を忘れてしまったのですか」

満相公は、ようやく思い出しました。そして、とても驚いて

「おや驚いた。どうしてここにいらっしゃるのです」

譚紹聞は、叔父を尋ねて亳州へ行ったこと、帰途、荷物を奪われたこと、韓善人の世話になっていることを、話しました。満相公

「あなたがたのような学者馬鹿は、外に出る時に、車か轎に乗っていれば、世間から尊敬されますが、宿屋に泊まったり、道を歩いたりすれば、世間から弄ばれるだけです」

韓仁山は、譚紹聞の同郷人であると分かりますと、進み出て拱手をしました。

譚紹聞

「こちらが韓さんだよ」

満相公は、急いで礼をいいました。

「ご老人から、大変なおもてなしをうけました。後日、かならず手厚くお礼をさせていただきます」

韓仁山は、橋も完成したので、譚紹聞を家に帰そうと思いましたが、ついていく人が誰もいないのを気に掛けていました。しかし、今日、折よく譚紹聞と一緒に旅をすることができる同郷人があらわれたので、大いに安心しました。そして、自分の意向を告げ、三人を家に招き、車を村に戻らせ、門口につきますと、拱手して招き入れました。

 さて、満相公は、どうしてここに来たのでしょうか。彼は、主人の盛希僑の命令で、蘇州へ行き、舞台衣装を買い、ついでに二人の崑曲の師匠を呼んできたのでした。そして、亳州を通って、街の賑わいを見物し、ここを通ったのでした。譚紹聞は、主人の義弟で、ずっと仲良くしていましたから、一緒に旅をしないはずがありませんでした。二人とももとより一緒に旅をしたいと思っていましたので、韓仁山が話しをしますと、すぐに承知しました。韓仁山は、一日もてなすと、それ以上引きとめようとはしませんでした。そして、譚紹聞に二千銭の大金を送り、車屋にまぐさをやり、客人が出発するのを見送りました。満相公は、別れを告げ、崑曲の師匠は、廂房から出てきて、食事の礼を言い、譚紹聞は、何度も礼を言いました。韓仁山は、譚紹聞に向かって、

「橋をかけるのを手伝われたのは、大きな功徳です。家に戻って、しっかり勉強されれば、きっと出世される筈です」

言い終わりますと悲しい気持ちになりました。譚紹聞も目がうるんできました。門を出て、車に乗り、車屋が口笛を吹きますと、車は飛ぶように去っていきました。

 その後は、朝に歩き、夜に宿りました。一日足らずで繁塔が見えました。譚紹聞は、人に見られたくありませんでしたので、車の後ろに隠れました。車は開封の宋門を通り、娘娘廟街の盛家の入り口にとまりました。まさに、  

荒海に船出して狂風は逆巻くも、

やうやく岸にたどり着きたり。

船尾に舵のなき故に、

魚の腹に収まらんとす。

 

最終更新日:2010114

岐路灯

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[1]清代の制度で、婦人が訴訟を提起するとき、下男が訴状を提出すること。

[2]江蘇省蘇州府。

[3]直隷河間府。

[4] 「すっからかん」の意。

[5]月見台。

[6]水陸斎(施餓鬼)を行うお堂。

[7]現北京市石景山区西山にある八寺院。西山八大処。長安寺、霊光寺、三山庵、大悲寺、竜王堂、香界寺、宝珠洞、証果寺。

[8]河南省河南府。

[9]河南省南陽府。

[10]河南省南陽府。

[11]原文「随堂」。食堂か客室と思われるが未詳。

[12] 役所の下役。

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