第三十七回

盛希僑が奢った態度で盟友を疎んじること

譚紹聞が正しい言葉で悪人を拒むこと

 

 さて、夏逢若は張縄祖、王紫泥の前で大口を叩いて、譚紹聞を招こうとしましたが、これは自分の能力を示そうとしたからではなく、十両の銀子に励まされたからでした。彼はまっすぐ蕭牆街にやってきて、裏の路地口に着きますと、少し歩きました。すると、王中が一本の棍棒を持って、荒々しく言いました。

「犬畜生め。あっちへ行け」

夏鼎は内心忸怩たるものがありましたので、飛び上がってびっくりし、思わず立ち止まってしまいました。しかし、南の塀の下に小さな茶色の犬が、ぶたれてワンワンと鳴きながら東の方へ走ってゆくのを見て、ようやく王中が犬をぶっていたことが分かりました。実際、王中は何の気なしに「犬畜生め」と言ったのであって、夏鼎を見てもいなかったのです。しかし、夏鼎は胸がどきどきしてきました。

 そろそろと譚家の裏庭に入りますと、碧草軒の格子には鍵が掛かっていました。そこで、ケ祥を訪ねようとしましたが、姿が見えませんでした。仕方なくこっそり後戻りして、ふたたび表の通りに行きました。しかし、表門も閉まっていましたので、姚杏庵の薬屋の帳場に座りますと、言いました。

「薬をおくれ」

姚杏庵は一杯茶を出しますと、

「処方箋をお出し下さい」

と言いました。夏鼎

「金銀花*[1]が五銭欲しい」

「ほかの薬はよろしいのですか」

「女房の腕に無名腫毒[2]ができた。金銀花を煎じて飲ませれば、腫れがとれるだろう」

「無名腫毒なら、これは効かないでしょう[3]。外科にでき合いの処方箋がございます。一服処方なされば、腫れ物が形をなしていようがいまいが、良くなること請け合いです」

「女房は、昔、この病気になるたびに、これを飲むだけで良くなった。今度もこれだけでいい」

姚杏庵は金銀花の包みを開いて、一掴み取りだすと、

「五銭より多めにしておきました」

と言い、紙で包んで、夏鼎に渡しました。夏鼎は受け取りますと、ハハと笑いながら、

「俺はとんでもない客だな。金を持ってきていなかった。帳簿につけておいてくれ。後日、金を届けるから」

「一二両の品物なぞ、差し上げても構いません。帳簿にはつけません。ご夫人のご病気がよくなりますように」

夏鼎は立ち上がりますと拱手して笑いながら

「お言葉ありがとう」

と言い、ふたたび腰掛けますと

「もう一杯茶を貰えないか」

そこで、姚杏庵はまた一杯出しました。夏鼎は茶を受け取りますと、譚家の表門を指さしながら言いました。

「譚さんは家にいるのかい」

「どこにも出掛けていらっしゃいません。家にいらっしゃいます」

「家にいるなら、どうして表門が閉まっているんだ」

「もう何日も閉まっていて、全然開かないのです」

「あの人に大事なことを知らせたいんだ。お宅の店員さんが一声掛けてくれると有り難いんだが」

「私たちは向かい同士ですが、あまり付き合いがございません。大旦那さまがご病気の時、董橘泉が間違って強壮剤を投与したため、私が大承気湯を用いたときに、下しきることができませんでした。すると、あの犬畜生はでたらめをぬかして、私が先代を殺したと言ったのです。もし私が先代を殺したなら、私は良心の呵責にたえきれず、向かいで店など開けませんよ。私は心に疚しいところがありませんでしたので、波風がたっても、噂に耳を貸しませんでした。そうしているうちに、事は収まりました。ここ数年は互いに付き合いもなく、正月になっても挨拶状も出しません。急用がおありでしたら、ご自分で声をお掛けになってください。それに、あなたが譚家にしょっちゅう行き来してらっしゃるのを、私はちゃんと見ていますよ。ご自分で声を掛けられてはいかがですか」

実は、夏鼎は、王中が犬を叩いていた時の言葉を聞いて肝を潰し、門の所で叫ぶ気がしなくなっていました。そこで、

「ただの冗談だよ。日を改めて来るとしよう」

と言い、立ち上がると去っていきました。そして、拱手して、

「後日、お金を送るよ」

と言いますと、

「お構いなく。ではさようなら」

 夏鼎は、別れて去っていきましたが、心の中ではひどくがっかりしていました。街を通り、路地に入りますと、よその家の壁に穴が開いているのが目に入りましたので、手を挙げて、金銀花の包みを、穴の中に押し込みました。そして、まっすぐ張家にやってきました。張縄祖と王紫泥の二人は、将棋をして待っていました。夏鼎は、中に入りますと、手を広げて、言いました。

「あいにく、蕭牆街へ行ったら、譚家の裏門に車が止まっていて、譚君が車で外出するところだった。譚君は俺を見ると、俺を裏の書斎に迎え、座らせてくれた。そして、俺が『忙しそうだから、帰るよ』と言ったら、何度も引き止めて、『夏兄さんが来られたのには、訳がおありでしょう』と言っていた。俺が外出してどうするんだと聞いたら、先生の婁進士がもうすぐ山東の武城県[4]に赴任するから、送別をしにいくのだと言っていた。俺が『忙しいなら、行ってくれ。まじめな用事なんだからな』と言ったら、譚くんは、車から馬を外させて、行かないと言ったよ。しかし、俺がそれはいけないと何度も言ったので、日を改めて話をしようと約束したんだ」

王紫泥

「フン。みんなでたらめだろう。俺は、昨日、文昌巷の董君の家の宴会に行ったが、婁進士は孔副榜のところへ挨拶をしにいった。席にいた人々は、婁進士は館陶[5]知県だと言っていたぞ。譚さんがあんたに武城と言うはずないじゃないか」

夏鼎は慌てて言いました。

「館陶、館陶だったよ。ちょっと記憶違いだった」

張縄祖

「婁進士が挨拶回りをするのなら、俺にも帖子を出すはずだが、俺たち旧家の子弟が、門生や旧友に挨拶をしてもらえないとは思わなかったよ」

王紫泥

「董君もこの前そう言っていたよ。席上の人々も文句を言っていた。婁進士は数人に挨拶をしただけだ。自分は進士に、息子は郷試に合格して、いっぱしの家になったんだから、大様になってもいいはずなのに、百姓臭さが抜けずに、まだこせこせとしたことをしているんだ」

張縄祖

「いずれにしても、俺たち旧家にとって帖子は必需品だよ。今、祖父さんが蔚県知事をしていたときの門生耿世升が、東昌府で知府をしているんだが、貧乏人は、合格しても、官界で大事なこと─気脈を通じ、官界のあちこちに人脈を作って、初めて役人になれるということ─を知らないのだ。まあこれは余計な話だ。譚さん どうする。夏君、この十両を捨てちゃいかんぜ。十両以上払ってやってもいいんだからな」

夏鼎

「簡単さ。いずれあいつを引っ掛けてみせるよ。だが、いつになるかは分からないぜ。もう昼過ぎだし、飯を食ってからゆっくり考えよう」

「功績のない奴に、飯は出せないよ。お開きにしようぜ」

「紫泥さんは御馳走してくれるよね」

王紫泥

「張さんが料理を並べても、俺は御馳走にはならない。俺たちは毎日一緒だが、何の理由もないのに食事をするのは、尋常ではないよ。賭けをする時は、三日か五日、鶏を殺し、魚を買い、肉を切り、酒を買っても、全然構わないがな。さあ、行こうぜ」

夏鼎は王紫泥について去っていきました。まさに、

小人は利害が合はば友となり、

一日中、臭きものをば追ひ求む。

しかれども、ひとたび物がなくならば、

たちまちに浮き草のごと別れゆく。

 さて、夏鼎は譚紹聞を呼んでくることができず、張縄祖に食事を食べさせてもらえませんでしたので、ひどく不愉快な気分になりました。紹聞がやってきさえすれば、銀十両を手に入れることができるのですから、この鴨をやすやすと放っておくわけにはゆきませんでした。それからというもの、毎日、何度も蕭牆街に行きました。しかし、紹聞は表の中庭で読書していて、裏門から出ませんでした。そして、表門は堅く閉じられていましたので、何度も行けば、姚杏庵にも怪しまれると思われました。

 ある日、裏門で双慶児と会いましたので、尋ねました。

「お宅の若さまは長いこと外出していないが、毎日、家で何をしているんだい。俺がここで、大事な話しをするために待っていると伝えてくれ」

「今朝、文昌巷の孔さまの家へ行かれました。帰ってきたらお知らせします」

夏鼎はそれを聞きますと、すぐに文昌巷へ行きました。しかし、孔耘軒の家に入る勇気はありませんでした。そこで、路地の入り口の酒屋で、一瓶の酒を飲み、さらに肴を幾つか注文して、昼飯にし、譚紹聞が戻ってくるのを、待ち伏せすることにしました。

 間もなく、孔耘軒兄弟が婿を送って出てきました。耘軒は紹聞が車に乗るのを見送ろうとしましたが、紹聞は辞退しました。車に乗りますと、紗のカ─テンを垂らしました。夏鼎は急いで酒代を払いますと、食堂を出ましたが、王中が横に従っているのが目に入ったので、後退りしました。所詮、邪は正の敵ではなく、夏鼎は思わず怖じ気付いてしまったのでした。

 夏鼎は悶々としながら帰りますと、夜、じっくり考えました。

「別の方法を考えて、あいつを呼んで話しをし、後日会う約束をしよう」

そして、ふと盛希僑のことを思い出しました。

「盛公子を唆して、俺たちみんなで会うことにし、その席で譚紹聞に直接話しをすれば、あいつはきっと断ることができないだろう」

次の日、朝早く起きて、朝食をとりますと、すぐに盛公子を訪ねました。

 盛家の門に着きました。門番は主人の義弟を見ますと、先日、彼が刑を受けた時、盛公子が彼を慰めるために酒を出したこともあったので、今日は丁重にしないわけにはいきませんでした。そして、夏鼎を東の門番小屋に案内し、腰掛けさせ、一杯の茶を置きますと、言いました。

「しばらくお待ちください。私が奥へ行って話して参りますから」

「急いでくれ。大事な用事なんだから」

「承知致しました」

夏鼎はうまくいったと思いました。

 ところが、馬鹿な若さまの性格というものは、喜んだり怒ったり定めがないもので、気に入ったときは、ひどく疎遠で下賤な人でも、上座にまつりあげ、水が乳と溶け合うように親しくしますが、一旦嫌いになれば、親友でも顔を合わせようとしないのです。この時、盛公子は義兄弟の契りを結んだことを、すでに空の彼方に忘れてしまっていました。譚紹聞がこの時訪ねてきたとしても、打ち解けたかどうかは分かりません。まして、夏鼎はなおさらのことでした。

 門番は大広間に行きますと、その日の宿直の使用人に尋ねました。

「若さまは」

「東の門番小屋にいらっしゃいます」

門番は東の中庭に着きますと、そっと門簾をめくりました。若さまは華櫟木[6]の羅漢床[7]の上で横になり、まどろんでいるようでした。宝剣児が横に立っていて手を振りました。盛公子は簾の音をききますと、ぼんやりとした目を開いて尋ねました。

「誰だ」

門番は小声で答えました。

「瘟神廟邪街の夏さまが若さまとお話ししたいとのことです」

公子は罵りました。

「大馬鹿野郎が。人が寝て、静かにしているときに、よりによってお前が昼寝の邪魔をするとはな」

門番はびっくりして後退りしますと、門簾を開けて行ってしまいました。そして、東の門番小屋に着くと夏鼎に向かって言いました。

「夏さん、お帰りください」

そして、そのまま西の門番小屋に行ってしまいました。口の中ではぶつぶつと、何やら罵っておりました。そして、三弦を手にとりますと、ひとりで「工、工、四、上、合、四、上」[8]を弾きながら去っていきました。

 夏鼎はすっかり恥ずかしくなり、仕方なく立ち上がりますと、去っていきました。娘娘廟街の入口に着きますと、一人の占い師が店を出していました。占い師は夏鼎が頭を振り、ぶつぶつと言いながら、目の前をよろよろと歩いていくのを見ますと、卦盒[9]を振りながら言いました。

「偉い人に会って財産を求めることについて、分からないことがあればすぐに占います。理に従って判断致しますので、少しも間違いはございません。─若さま、どんなご心配ですか。お掛けになってご相談ください」

夏鼎は行く当てもなく、休む場所を探していましたので、拱手しますと、東側の腰掛けに座りました。先生が尋ねました。

「ご姓は」

「夏といいます─夏鼎です。先生のご名字は」

占い師は後ろを向いて看板を指差しながら言いました、

「この通りです」

夏鼎が見てみますと、「呉雲鶴周易神卜(うらない)、家相墓相判断ならびに婚礼葬儀の日取りを決めます」と書いてありました。夏鼎

「呉先生、お名前はかねがね承っておりました」

「私には呉半仙という渾名があり、城内の者なら誰でも知っております。若さまの心配ごとは、おっしゃってくださらなくて結構です。字を書くか、指差していただければ、すぐに分かりますから。判断が間違っていたら占いは致しません。判断が当たっていたら、占いを致しましょう。謝礼は十文で結構です。外れることはございません」

「お願い致します」

そして、手で布の看板の上の「両」の字を指差しました。呉雲鶴

「両の字は、上が一で、下が内で、さらに人の字が一つありますから、ある人が内に籠って外に出てこない相です。あなたがお尋ねになりたいのはこのことではありませんか」

「その通りです。私は偉い人に会って財産を求めることについて尋ねようとしていたのです」

「それでしたら、卦を並べて吉凶を判断致しましょう」

そして、両手で卦盒を取り上げますと、天に向かって祈りました。

「伏羲[10]、文王[11]老先生、われ至誠を述べて教えを乞わん。三文の開元[12]もて卦を並ぶれば、蓍草[13]五十本にも勝るらん」

三回揺すりますと、テ─ブルに向かって一振りしました。全部で六回振り、天火同人[14]の卦を並べ、世応[15]を調べ、さらに卯、丑、亥、午、申、戌や、父子、官兄、才子などの六親[16]を調べ、こう判断しました

「今は申の月、今日は丁卯の日、貴人に謁見して財産を求めることを占いました。官星[17]は室の中で空の状態にありますが[18]、亥の日になると空の状態から抜け出るので[19]、貴人に会い、金を手に入れることができます。この卦は今は駄目だが、亥の日に空の状態から抜け出るはずだというものです」

夏鼎は今は駄目だということを聞きますと、ますますがっかりして、さらに何時なのかを尋ねました。呉雲鶴は指を折り、指の皺を触りながら[20]、口の中で

「長生、沐浴、冠帯、臨官[21]、子、丑、寅、卯」

と唱え続けました。夏鼎はしびれをきらし、腰から八つの銭を取りだしてテ─ブルの上に置きますと

「日を改めて伺いますよ」

と言いました。

「卦はすぐに出ます。焦らないでください」

夏鼎は

「本当に忙しいのです。お付き合いできません」

といういますと、手して、行ってしまいました。四五歩歩くきますと、─ブルの上で銭がなる音がし、ぶつぶつと、

「銭が二つ足りん」

という声が聞こえましたが、夏鼎は返事をしませんでした。

 街の入口に出ましたが、ひどく不愉快な気分でした。そして、ふと王隆吉のことを思い出しましたので、心を決めて、王隆吉の店にやってきました。入り口に着きますと、ちょうど王隆吉が帳場の中に座っておりましたので、帳場を隔てて拱手をし、言いました。

「商売繁盛だね」

王隆吉は身を屈めて挨拶しますと、答えました。

「お陰さまで」

挨拶が終わりますと、隆吉は奥へ案内しました。夏鼎は帳場を飛び越えて、王隆吉とともに奥の広間へ行って腰を掛けました。台所のコックが茶を持ってきました。夏鼎は茶を受けとり、一口飲みますと、言いました。

「僕たち義兄弟は、しばらく会っていなかったね」

王隆吉

「僕は忙しいのですよ。父は商売を僕に任せきりなので、僕は外に出ることもできません。最近、盛兄さんの所へは行かれましたか」

「僕たちは義兄弟だが、盛兄さんは大地主だ。あなたの従弟なら釣り合いがとれるが、僕たち二人では見劣りがするよ。だから、数か月、あの人の家には行っていないんだ。今日は暇を見付けて君に会いにきたんだ。しばらく会わなかったから、ずいぶん心配していたよ」

「こちらも同じです。しかし、僕はこの半日も暇さえないのですよ」

「譚君はよくここに来るのかい」

「あれは最近勉強する決心をして、なかなか外出しようとないのです。しかし、これは良くないことです。千両以上の借金を抱えているんですからね。先日、伯母に会いにいったのですが、あれは不在で、岳父の孔さんの家へ行っていました。僕もあれには会っていないのです。しかし、あれはここ数日のうちにはきっと来るでしょう」

夏鼎は「ここ数日のうちにきっと来る」ということを聞きますと、尋ねました。

「どうしてきっと来るというのだい」

王隆吉は笑いながら

「来ないはずありませんよ」

夏鼎は頭のいい男でしたから、誕生祝いだと察しをつけました、そして、溜め息をつきますと、

「僕たちは結義して兄弟になったのに、毎年のご老人の誕生日にも、まったく行き来をしない。これでは義兄弟とはいえないよ。おじさんの誕生日がここ数日中にあるのなら、僕も必ず挨拶をしにくるよ」

王隆吉は笑いながら何も言いませんでした。夏鼎は自分の想像が当たったと思い、真面目な顔をして言いました。

「僕たちは義兄弟なのに、どうしてお父さんやお母さんの誕生日を隠して、言ってくれなかったんだい。お袋は十二月八日だから、僕は君に来るようにお願いするよ。ここ数日のうちに君のお父さんの誕生日があることは、君が話してくれなくても、僕が街に出れば、すぐに聞きだすことができるよ。しかし、そんなことをすれば君が友人を無視しているようにみえてしまうし─」

王隆吉も商売人の中のきれ者でしたから、夏鼎に最後まで喋られることを恐れ、すぐに笑いながら、

「父の誕生日は十五日なのですが、あなたをお騒がせするのではないかと思ったのですよ」

「義兄弟の契りを結んだ友達同士なのだからどうということはないよ。役人の世界でも、誕生日には行き来するのが礼儀なんだからな」

「盛兄さんに知らせてはいけませんよ」

「もちろんあの人は呼ばないよ。あの人は一人で何人も下男を連れてくるから、満座の客は気圧されてしまうんだよ。僕たちのささやかな宴会には、あの人は呼べないよ」

「本当にそうですよ」

さらに、無駄話をして、午後になりますと、王隆吉は台所に肉料理を幾つか作るように言いつけました。昼食をとりますと、夏鼎は別れをつげて去っていきました。

 数日が過ぎ、十五日になりました。王春宇父子が庭や径を掃除し、あわただしく宴席を設けたことはお話し致しません。さて、夏鼎が来る前に、客の大半がやってきました。譚紹聞は奥にいて、誕生祝いを述べ、席に着いていました。新しい帽子と服には、秦[22]のもの、晋[23]のもの、呉[24]のもの、楚[25]のものがすべて揃っており、絹の聯には、黒のもの、赤のもの、青のもの、緑のものがすべて揃っていました。夏鼎が中に入りますと、人々は一斉に挨拶をし、祝い品を差し出し、王春宇に叩頭しようとしました。しかし、王春宇は受けようとしませんでした。長いこと譲り合った挙句、一回の叩頭、一回の答礼をし、来訪の挨拶を終えますと、それぞれ席に着きました。

 夏鼎は心の中で、紹聞と会うことばかり考えていました。それに、客商たちの話しは、鄚州[26]の薬や、繞州[27]の磁器や、洋船の蘇木[28]、塞外の皮製品の話しばかりでしたので、まったく耳に入りませんでした。夏鼎は王隆吉に尋ねました。

「譚さんはどうしたんだい」

「奥の帳場に座ってますよ」

「案内してくれ」

「どうぞ」

夏鼎が王隆吉について帳場に行きますと、そこには譚紹聞と、もう一人の若い見知らぬ客がいました。夏鼎は尋ねました

「こちらはどなたですか」

「義弟です」

実は王隆吉は、結婚してから三四年たっていたのでした。客は彼の義弟の韓荃でした。二人は姻戚同士でしたので、奥に席を設けていたのでした。夏鼎は挨拶をしますと、紹聞に向かって言いました。

「全然会えなかったね。何度も君に会おうとしたんだが、『偉いお方にあうのは難しい』とは本当だな」

「まったく知りませんでした」

「要するに、君が最近友達を疎んじていたということだろう」

「本当に知らなかったのです」

「僕たちは義兄弟だから、どうということはない。しかし、張さんは、君が毎日あの人の厄介になっていたから、僕たちのことを友達だとみなして、招待状をくれたんだ。ところが、茶を沸かす間もなく、すぐに辞退の手紙がきた。張さんはつまらなそうにしていたぞ。君は他人に失礼なことをしても何とも思っていないんだな。あの人の宴会に行くことができないのなら、自分で断りにいったり、それがだめなら、後から詫びを入れたりするべきだ。それをただただ放っておくとはどういうことだい。張さんの家にいって、みんなの前に顔を出せば、格好がつくと思うのだが」

「張さんの家には本当にいく気がしないのです。あの人の家では、賭博でなければ女遊びをしていますから、僕のような若者が出入りしていては、どうせろくなことが起こりません。父親は死んでしまいましたし、僕には何の肩書きもありません。それに、家にある棺を、これからどうやって埋葬したらいいかも分かりません。僕は今まで考えもなく、勝手なことをしていました。あなたも知っているでしょう。義兄弟だったら、僕を戒めてくれるべきなのに、勉強をしようと決心した僕を水に突き落とすようなことをするとは、どういうことですか」

そう言われますと、夏鼎は口を閉じて黙ってしまいました。そして、無理に答えました。

「勉強の決心をしたのは、もちろんいいことさ」

王隆吉は二人の会話がうまくいっていないのを見ますと、夏鼎に

「もう午後ですから、表にお掛け下さい」

と勧めました。

「君も話しに加わってくれ。二人は姻戚だから、ここに座っているべきだ。僕だって他人だというわけでもあるまい」

王隆吉は笑いながら、

「ここにいたいとおっしゃるのでしたら、私も無理強いは致しません」

 間もなく、料理が出てきました。王春宇父子が、あちこちに酒や料理を置いたことは、詳しく述べる必要はございますまい。しかし、夏鼎は、みすみす十両の銀子を逃してしまったので不満でした。そこで、うまい方策を考えて、譚紹聞を必ず手玉にとってやろうと思いました。しかし、宴席ではつまらない話しばかりで、宴会が終わりますと、人々は外に出、拱手して去っていきました。夏鼎はがっかりして帰りました。譚紹聞は、叔母と世間話をし、韓荃も姉と里帰りの相談をし、二人は、灯ともし頃になると帰りました。

 これぞ、  

幇間は昔から金のため、

ありとあらゆる謀りごとをし、絡みつく。

人々が砂のごと散りゆくも、

兎絲(ねなしかづら)は纏ひつくなり。

 

最終更新日:2010114

岐路灯

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[1]忍冬(スイカズラ)の花のこと。

[2]頭・顔・手・足・胸・腹などにできる腫瘍。赤くて硬く、痛みがあるという。謝観等編著「中国医学大詞典」百七十八頁。

[3] 『本草綱目』には、無名腫毒に効く薬として、「翻白草」があげられている。

[4]山東省の県名。

[5]山東省の県名。

[6] 「華櫟」は櫟の一種と思われるが未詳。

[7]榻の一種。羅漢床といわれるものにはさまざまな種類があるが、三方に囲いがあり、覆いの部分がない寝台をいうようである。図:阮長江編絵「中国歴代家具図録大全」 団花三囲屏羅漢床)。

[8] 「工」は、現在の「ミ」、「四」は「ラ」、「上」は「ド」、「合」は「ソ」の音に相当する。

[9]筮竹をいれた盒子。

[10]八卦をつくった神話上の人物。

[11]周の王。六十四卦を作った。

[12]開元通宝。

[13] めどぎ。占いの筮竹に用いる

[14]同人は、六十四卦の第十三卦の名。上が乾で天を表し、下が離で火を表す。

[15]一つの卦の中の世爻(もっとも主要とされる爻)と応爻(世爻に対応しているとされる爻)の間の呼応関係。

[16]父母・兄弟・子孫・妻財・官鬼の五つをさす(六親というが実際は五つ)。本文に「父子・官兄・才子などの」とある理由は未詳。

[17]六親のうちの官鬼のことと思われるが未詳。

[18]官星が十二宮のうちの一つに宿り、同じ場所に別の星はない。

[19]官星のいる室に別の星が入ってきて官星を助ける。

[20]原文「掐指尋紋」。親指を曲げ、残りの指の節にある十二の皺を触る動作。十二の皺は、十二宮を表している。

[21]十二宮のうちの四つ。十二宮は絶・胎・養・長生・沐浴・冠帯・臨官・帝旺・衰・病・死・墓。

[22]陝西省。

[23]山西省。

[24]江蘇省。

[25]湖広(湖北・湖南省)。

[26]河北省。

[27]江西省。

[28] スオウ。インドに産し、紅の染料とする。

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