第十五回

盛希僑が市場で良友と遇うこと

王隆吉が酒席で結義を約すること

 

 さて、王隆吉は、勉強するのをやめてからは、商売に従事しましたが、聡明で、一を聞いて十を知ることができましたので、十五六歳になったとき、番頭になりました。王春宇は、息子が商売して金儲けする才能を持っているのを見ますと、安心して彼を家にとどめ、自分は外に出て、力仕事用の店員とともに、専ら蘇州、杭州で商品を買い、汴城へ運んで売りました。その後は、家も栄え、ついに春盛号という立派な屋号を称するようになりました。

 ある日、隆吉が帳場に座っていますと、二十歳にもならない、ふっくらとした綺麗な青年が、新品の鞍や轡を着けた駿馬に跨がり、馬に乗った三四人の男、二羽の鷹を掛け、二匹のすらりとした犬を引張っている二三人の徒歩の者を引き連れ、街中に埃を立てて、賑やかに東門を出てきました。春盛号の店の前に来ますと、若者は馬を止めて、尋ねました。

「店に良い鞭はないか」

王隆吉

「赤い通草(あけび)の蔓製の物[1]が幾本かございますが、お気に召しますかどうか」

「持ってきて見せてくれ」

隆吉は若い店員に、馬上の人に手渡すように命じました。

「良いものではないが、まあ仕方がない。幾らだ」

「どうかお納めください。値段を交渉すれば、お仕事が遅れてしまうでしょうから、お金はいりません」

「実は僕も忙しいのだ。代金は戻ってから払おう」

そして、旧い鞭を地面に捨てて、人に拾わせ、自分は新しい鞭を手にとり、馬の尻を一打ちしますと、主従七八人で、がやがやと行ってしまいました

 未の刻になりますと、ふたたびがやがやと城内に入ってきました。人々は顔中埃をかぶり、馬は体中に汗をかいていました。鷹は羽を広げ、犬は舌を出していました。従者の棍棒には、何匹かの兎が下がっていました。店の入口に着きますと、若者は馬から跳び降り、従者たちも一斉に馬から降りました。馬を繋ぐと、若者は、従者に鞭の代金を払わせました。隆吉は、帳場から跳び出して、何度も言いました。

「結構です。結構です。若さま、喉がお乾きでしょう。まずは奥へ行ってお茶を一杯どうぞ」

「ひどく喉が乾いた。よかろう。厄介になろう」

 隆吉は若者を奥へ連れて行きました。ここは七八年前、婁潜斎、譚孝移が腰を掛けたあの部屋ではなく、商売で儲けた金で増築した二三間の建物でした。窓格子、部屋の仕切りは一新され、雪の洞窟のように壁紙が貼られていました。書画は、商人が、蘇州、杭州から持ってきたものでした。小さな中庭には、鉢植えの花や奇怪な形をした石があり、大変優雅でした。若者はとても喜びました。下男が茶をいれ、隆吉が両手で捧げもってきますと、若者はお辞儀し、受け取って飲みました。茶を飲み終わらないうちに、小者が洗顔用の水、石鹸箱、手巾を持ってやってきました。若者は顔を洗い、別れを告げようとしますと、果物や酒、料理が、テ─ブル一杯に並べられました。若者は言いました。

「御馳走になるわけにはゆかないよ」

「若さまが城を出られるとき、もう準備してあったのです」

燗をした酒が出てきますと、隆吉は三杯を捧げました。従者が入ってきて出発を促しましたが、隆吉は行かせようとせず、さらに大杯を差し出してから、別れることにしました。若者は何度も礼を述べ、入り口を出ますと、馬に乗って去ってゆきました。鞭の値段のことは、話す暇がありませんでした。

 実は、これが隆吉の商売の優れたところなのでした。彼は、普段若さまが豪勢にお金を使うことを聞いていましたので、このお客を店に招待したいと思っていました。そして、今日、若さまが自分からやって来て、鞭を買いたいと言いましたので、ただで鞭をあげたのでした。そして、若さまが帰ってくる頃には、喉が乾いているだろうと思い、洗顔用の水や茶、酒をあらかじめ備え、若さまに会うとすぐに迎えいれ、お付き合いをしようとしたのでした。

 次の日の朝になりますと、一人の使いが、拝匣を持って、店の入り口にやってきました。彼は拝匣を開けますと、封筒に入った帖子を取り出しました。そこには「明日、料理を用意し、ご来訪をお待ち申し上げております。盛希僑拝」と書かれていました。横には小さな字で一行、「改めて速帖は送りませんのでお許しください。辞退の帖子はお受けいたしかねます」と書かれていました。隆吉

「忙しいので、御馳走になるわけには参りませんと、ご主人さまに宜しくお伝えください」

「こちらに参りますとき、主人から、王さんの辞退の帖子はお受けしないようにと言いつかってまいりました。明日の朝、さっそくおいで下さい」

王隆吉も断るわけにはゆきませんでした。

 次の日になりますと、早くも迎えの男がやってきました。王隆吉は、綺麗な服と帽子を着け、一人の下男を連れて盛家へ食事しにゆきました。そもそも盛家の祖父は、雲南の布政司、父親は江西の武州の州判[2]をしたことがありましたが、ともに世を去っており、希僑ら兄弟二人が残されていたのでした。弟の希瑗は、まだ幼く、先生について勉強していました。希僑は十九歳で、妻を娶ったばかりでしたが、四五十万両の財産を持っており、気儘に浪費しておりました。王隆吉が盛家へ行きますと、そこには三間の門楼があり、真ん中には、八人がきの轎が通れるような大きな門がありました。内側の照壁[3]は三四丈の長さがあり、入り口の前には三四人の下男が立っておりましたが、みな街をよく歩いている者でしたので、隆吉も顔を知っていました。下男たちは、隆吉を見ますと言いました。

「王さまが来られました」

中の一人が言いました。

「ご案内致しましょう」

五間の客間の前を過ぎますと、東側に側門が一つあり、さらに一つの中庭がありました。門楼には、「盛氏先祠」と書かれており、横には年月と落款があり、「成化丙申、吉水羅倫書す[4]」と書かれていました。もう一つ中庭を過ぎますと、そこにはつがいの鵝鳥が飼われており、三間の母屋には、入口の上に紅の毛氈のカ─テンが掛けられていました。案内の男が一声

「お客様です」

と言いました。小さな童僕がカ─テンを掲げますと、盛公子が迎えに出てきて

「お迎えにも上がらず、失礼、失礼」

と言いました。

 建物に入りますと、挨拶して腰を掛けました。若さまは来訪に感謝しました。壁に掛けられた新旧の書画は、あまりよく分かりませんでしたが、おおむね良いものばかりでした。条几(ながづくえ)の上の骨董や器は、見たことがないような物ばかりでした。鼻をつく変わった香りがしましたが、香りがどこからくるのかは分かりませんでした。隆吉は密かに思いました。

「人の世のお金持ちの家だが、まるで天上の神仙の屋敷のようだ」

 二人で茶を飲みますと、隆吉が言いました。

「昨日は失礼いたしました」

盛希僑

「昨日は大変お世話になりました。そのようなご挨拶はお受けしかねます。同年輩なのですから、兄弟と称することにしましょう。あなたは私より年下のようですから、私が年上ということにして、あなたを弟ということにしましょう」

「兄弟などとは、恐れ多いことです」

「店にはどの位の資金がありますか」

隆吉は面子を失うのを恐れ、思い切って言いました。

「七八千両ほどございますが、手元にはございません、毎日、蘇州、杭州に行ったり来たりしております」

「あまりお金をお持ちではないのですね」

隆吉はすぐに言いました。

「ですから、資金繰りがうまくゆかないのです」

 さらにしばらく腰掛けていますと、希僑が言いました。

「何か遊びでもしましょう」

「私は何もできません」

「お店では骨牌[5]をしないのですか」

「暇な時はよくいたしますが」

すると、希僑が叫びました。

「骨牌を持って来てくれ。二階へ行って二千銭を出してくれ。王さんと骨牌をするから」

すると一人の童僕が、骨牌を入れた箱を持ってきて、絨毯を敷きました。もう一人は、奥から二千銭を持ってきました。さらに二人の小者が立って伺候しました。一回快[6]を組み立て、一回天九[7]を組み立て、隆吉は千四五百銭を勝ち取りました。料理と酒が並ぶと、骨牌はしまわれ、遊びはやめになりました。

 まもなく、ス─プ、御飯、酒肴、料理が続々と出てきました。隆吉は変わった味だと思いましたが、何なのかは分かりませんでした。店にも幾つか味の似たものがあったが、料理の仕方はこんなではなかったなと思いました。食事が終わりますと、さらに何種類かの酒を飲みました。ほろ酔いのとき、希僑は言いました。

「一つ話があります。どうか聞いて下さい。私は心の中であなたと兄弟になりたいと思っているのです」

「何を仰います。あなたは貴いお方ですが、私はただのしがない商人です。どうして月とすっぽんが一緒になれましょう」

「私がお嫌ですか」

「いえ、そういうわけではございませんが」

「あなたはよその人ともお親しいから、あと二人、義兄弟になる人を考えてくださるとよいのですが」

「私は年も若く、よその人のことも知りません。どのような人と義兄弟になりたいのですか」

「私が義兄弟になりたいというのには理由があるのです。私の親戚は、皆よその省にいます。母の実家、叔父の家、舅の家さえも、河南にはありません。私は、この地に誰も親戚がいないので、とても寂しいのです。あなたのような意気投合できる人に、何度も来て頂きたいと思っているのです」

「私もあまりたくさんの人のことは知りません。ろくでもない者のことは、お話しする必要もないでしょう。ただ、私には二人の同窓生がいます。一人は私の先生の婁孝廉の息子で、今度学校に入った、婁樸という者です。もう一人は譚姑父[8]の息子の譚紹聞という者で、年は十七八歳です。もしお嫌でなければ、二人を呼んでまいりますが」

「それは素晴らしい。四人で十分です」

 食事が終わりますと、酒席が片付けられました。隆吉は立ち上がって別れようとしましたが、希僑は承知せず、骨牌で遊ぼうとしました。隆吉は言いました。

「店に人がいないものですから」

そして、何としても行こうとしました。希僑は叫びました。

「馬を用意して、王さんをお送りしてくれ」

隆吉はどうしても馬に乗ろうとはせず、茶を飲み終わりますと、立ち上がりました。希僑は、表門まで見送りますと、尋ねました。

「王さん、勝ち取ったお金はどうしましたか」

「何を仰います。ただの遊びではありませんか」

「お金を王さんに渡してくれ」

しかし、下男も受けようとはしませんでした。希僑が言いました。

「とりあえず置いておきましょう」

そして言いました。

「約束の人には、あなたから速帖[9]を送って下さい」

隆吉は

「分かりました」

と言い、拱手しますと別れました。

 店の入り口に着きますと、盛家の下男が、すでに骨牌遊びの勝ち金を送ってきていました。隆吉はやはり受けようとはしませんでした。下男は言いました。

「王さまがお受けにならないと、私が帰ったときに、二十回竹の笞で打たれます」

隆吉は仕方なく受け取りますと、言いました。

「おうちに着いたら、ご主人に私が御馳走さまと申していたとお伝えください」

下男は

「畏まりました」

と言いますと、すぐに走り去ってゆきました。

 王隆吉が盛公子のご機嫌取りをしたのは、もともと商売でお客を増やそうとしたからに過ぎませんでしたが、思いもかけず目を掛けられ、義兄弟になりたいとまで言われました。そもそも若者は、道理をわきまえず、義兄弟になると言われますと、すぐに喜んでしまうものです。しかも、会ったのは金持ちの若さまでしたから、ますます嬉しくなり、その晩は喜びのあまり眠れませんでした。翌日になりますと、急いで朝食をとり、騾馬に乗り、まっすぐ蕭墻街の胡同の入り口にやってきて、騾馬を碧草軒の前の柘榴の木に繋ぎました。そもそも碧草軒は、孝移が亡くなってからというもの、花壇や薬欄は、「緑は窓前に満ち草は除かれず」[10]という有様になっており、家畜が碧草軒の前の木に繋がれるのも、この日に限ったことではありませんでしたが、このことはお話し致しません。

 隆吉は鞭を持ち、まっすぐ楼の下へ行きました。そこでは王氏が紹聞と一緒に朝食をとっており、冰梅が付き添っていました。王氏は甥を見ますと、言いました。

「冰梅、片付けをして、別にご飯を出して、王さんに食べさせておあげ」

隆吉

「食事はとったばかりです」

そして、伯母に最近のご機嫌を尋ねました。紹聞も伯父が蘇州へ物を売りに行った事について尋ねました。隆吉は話したいことがありましたので、程なく盛希僑のことに話しを移しました。盛希僑が方伯[11]の家柄であることは周知の事実でしたので、詳しく話す必要はありませんでした。隆吉は盛公子の豪毅で洒脱なこと、風流で親切なことを褒めたたえました。また、家の豪壮なこと、食事の美味なことを、口を極めて褒めました。そして、だんだんと「盛公子が帖子を交換して、義兄弟になりたがっており、自分に紹聞を招きに来させたのだ」という話しを始めました。王氏は言いました。

「地主の家の坊っちゃんが、紹聞と義兄弟になれば、ひどい目に遭わされることもあるまい。すぐに義兄弟ということにしてもらおう」

「それは大変結構なことです」

紹聞

「どこで義兄弟になるのですか」

隆吉

「どこでということは決めていない。きちんと約束をしてから、場所を決めるんだ。多分盛家になると思う」

「あの人は立派な郷紳ですから、最初はあの人の家ですることになるのでしょうが、行くのが恥ずかしいですね。公の場所に集まり、みんなでお金を出しあって宴会を開くのがよいでしょう。きちんと義兄弟の契りを交わしてから、互いに招待をしあえば、付き合いがしやすいのですが」

「そうだね。僕の考えでは、東街の関帝廟がよいと思う。関羽さまは義兄弟の契りを交わした最初の方だから。宋道官に宴席を作らせ、僕たちが神前で香を焚くことにしてはどうだろう」

「あそこは人が多いですよ」

王氏

「地蔵庵の中に、関羽さまの廟がなかったかね」

隆吉

「あそこには小さな伽藍がありますが、あれが関羽さまの廟です」

「地蔵庵がよいだろう。范師傅の所が静かだよ。あの人に席を作らせ、おまえたちで金を出しあうとよい」

紹聞

「あの人は戒律を守っているのではありませんか。生臭物を並べさせるのはよくないでしょう」

隆吉

「戒律を守っているとは、表向き言っていることさ。僕たちの家ではよく、母とあの人が焼き鳥を買って食べているよ」

王氏、紹聞は思わず笑いました。王氏

「あそこで契りを交わすことにしよう。お金は幾ら出すんだい」

隆吉

「盛公子と一緒ですから、少ないのは恰好がよくありません。一人二両ということにしましょう」

王氏

「そんなに多くないね。一人ずつお供がついているから、二席で十分だね」

「師傅にもお金を払わなければいけません、大した額ではありませんが」

「あの人は出家しているから、おまえたちからお金をとる筈はないよ」

「伯母さんはご存じないのです。廟に住んでいる人々は、一つの事をするたびに、初めから実入りを計算しているものなのです」

人々はふたたび笑いました。

 相談が終わりますと、隆吉が言いました。

「一緒に婁樸を迎えにゆこう」

紹聞

「その必要はありません。あの人はしっかりしつけられた人ですから、行っても無駄です、あの人は仲間にはなりませんよ」

「昨日、僕は盛公子におまえたち二人を招くと言ってしまったんだ。婁樸を招かなければ、義兄弟に嘘をついたことになる。これはまずいことだ」

「僕は行きません。自分で行って下さい。僕は昨日婁樸の家に贈り物を届けました。今日また行って、婁先生に会っても、何も話すことがありません。一人で行ってください」

隆吉は商売をしなれた人でしたから、すぐに一計を思い付いて、言いました。

「婁樸が学校へ入ったが、僕はまだ先生にお祝いをしていない。端福児、祝い品を貸してくれ。僕が出掛けて、話をしてくるよ。承知するかしないかは向こう次第だ」

紹聞は双慶児に言いました。

「王中を呼んできてくれ」

王氏

「このことを王中が知ったら、邪魔するだろう。私が礼物を買おう。どのくらい必要なんだい」

隆吉

「一両に、絹を一匹つけましょう」

「どちらも手元にあるよ」

双慶児は拝匣[12]を取りにゆきました。紹聞

「帖子は必要ですか」

隆吉

「僕は商売人だから、帖子はいらない。双慶児に一緒に来るように言ってくれ」

 紹聞は礼物を揃え、双慶児にお供をさせました。隆吉は騾馬に跨がり、北門にやってきました。婁家に入りますと、まっすぐ客間へ行きました。そこでは婁潜斎が婁樸とともに、客を相手に話をしていました。隆吉は、まず客に挨拶をし、その後、礼物を出し、先生に叩頭してお祝いを言い、婁樸には普通の挨拶を行いました。腰を掛けて茶を飲みますと、婁潜斎が言いました。

「おまえは最近は商売をしているが、お前ほどの資質がある者にはもったいないことだ。しかし、まあよい。私はお前が仕事を変えたことを悪く思ってはいない。商人がいるから、国家の良民も、生活に必要な物を手に入れることができるのだ。おまえは賢い男なのだから、万事着実にするように務めるのだぞ」

隆吉

「仰る通りです」

隆吉は婁樸を義兄弟にしようと思ってやってきたのですが、先生に会って、早くも出鼻を挫かれ、話を切り出すことができなくなりました。しばらく腰掛けた後、婁樸にむかって言いました。

「外を散歩しないか」

婁樸は連れ立って外に出、崇有軒に行き、腰を掛けました。そして、また無駄話をしましたが、心の中では盛公子が義兄弟になろうとしていることを話そうとしていました。幾度か切り出そうとしましたが、どういうわけか、喉元まで出て話し出せないのでした。このことから、正しい気が人を抑えれば、邪説は自ずと退くことが分かります。また、邪な言葉は、自らが招くものだということが分かります。

 婁潜斎親子は、王隆吉が師弟の情に感じ、今日、お祝いを届けてきたのだと思いました。そして、有り難い気持ちで一杯になり、手厚く持て成し、午後になって宴会が終わりますと、贈り物をそのまま返しました。隆吉は心中悶々とし、帰途、双慶児に贈り物を持ち帰らせますと、自分は騾馬に乗って帰りました。

 娘娘廟大街に差し掛かりますと、盛公子がちょうど門楼の下に立ち、馬売りと馬を買う話をしていました。下男が通りで馬に試乗していました。そして、王隆吉を見ますと、すぐに叫びました。

「王くんじゃないか」

王隆吉は騾馬を降りますと、下男が彼のところに迎えに走ってきました。盛公子は階段を降りますと、手を握りしめて言いました。

「隆吉くん、どこへ行っていたんだ」

「蕭墻街です」

盛公子は下男に言いました。

「馬の値段が決まったら、店へ行って銀子を貰ってきてくれ。お客が話しをしていて、手が回らないといったら、馬売りに帳面をつけさせればよい」

これぞまさに

新しき友より楽しきものはなし、

結義する人ならば言ふもさらなり。

 盛希僑は王隆吉を引っ張って、奥の書斎に入って腰を掛けますと、尋ねました。

「約束はどうなった」

「蕭墻街の従弟は、仲間に入りました」

「もう一人は」

隆吉は、話を切り出せなかったとは言えませんでしたので

「婁さんは、仲間にはなりたくないということです」

と言いました。希僑

「僕が嫌なのかな。あの人は孝廉の子供で、学校に入ったばかりで、なるほど身分の高い人だ。しかし、僕だって、先祖が地方の大官をしているのだから、あの人にとってそんなに不名誉なことではないと思うが」

隆吉は慌てて言いました。

「あの人はいつも学校にいるので、返事の挨拶が遅れたりすれば、義兄弟に不愉快な思いをさせるのではないかと心配しているのです。他意はありませんよ」

「そうだろう。まあ、我々三人で、十分だろう。後になって気の合う人が見付かれば、仲間にしても遅くない。さて、義兄弟になるのはいつにしようか。私は帖子を送ってみんなを招待しようと思うが」

「最初から、お宅に集まるわけにはゆきません。従弟は、まず公の場所で集まって、その後、互いに招待しあうことにすれば、行き来しやすいと言っていましたが」

「適当な場所はないだろう」

「従弟と地蔵庵の范師傅のところで、皆が二両ずつ出し合い、宴席を作らせることに決めたのですが」

「二両では少なすぎる。出家した人が、金を貰わずに、ただで我々の世話をする筈がない。それに二両の銀から、范師傅にやる金をひいたら、ろくな宴会は開けないぞ。僕は、酒一甕と何種類かの料理を送ろうと思う。それに、尼さんが、生臭物を料理して、まずかったりしたら大変だ」

「お考えの通りです。日が暮れてきましたから、私は帰ります。店には人がいませんし、真っ暗になれば、街を歩きにくいですから」

希僑は笑って

「心配ない。今晩は泊まってゆくとよい。兄弟同士で話をしよう。真夜中に帰るとしても、うちの提灯をぶら下げていけば、柵欄[13]のところで邪魔する者はいないよ。柵欄が閉まっていても、開けてくれるよ」

 言い終わりますと、すぐに叫びました。

「酒を並べるんだ。馬鹿者ども。盲にでもなったか。真っ暗なのだから、灯りをつけるんだ。今日お客さまのお持て成しをすることになっているのは誰だ。明日、馬鹿者をぶってやるぞ」

叫び終わらないうちに、二人の童僕が、二本の大きな蝋燭を手に持って、テ─ブルの上に置き、酒と料理がすぐに運ばれました。希僑はまだ罵り続けていました。王隆吉は断るわけにもゆかず、そのまま座っていました。酒が注がれますと、希僑はちょっと飲んで、罵りました。

「これは、この間、東街の奴が送ってきた紹興酒だな。俺は飲めないと言ったのに、よりによって持ってくるとは、お客さまに対して失礼だぞ。この馬鹿者どもが。人を怒らせてばかりいる。家で今度作った『石凍春』[14]に代えるんだ」

そこで、酒が代えられました。希僑

「明日の地蔵庵のことだが、君が準備してくれ。明朝、僕が金を送ろう。日は三日ということに決めよう。他の日は暇がないから」

「三日で決まりですね」

「もちろん変えないよ」

 しばらく食事しますと、王隆吉は帰ろうとしました。希僑が言いました。

「君、それはおかしいぜ。何もせずに酒を飲むわけにはゆかないというのなら、僕にも考えがあるぞ」

そして、一声叫びました。

「宝剣、おもての中庭から満相公を呼んできてくれ。琵琶も持ってくるように言ってくれ」

暫くしますと、満相公がやってきました。隆吉が立ち上がって、拱手しようとしますと、希僑

「構わないよ。満相公、おまえはここに座ってくれ」

下僕が酒を注ぎにきますと、希僑

「お客様のために歌ってくれ」

「申し訳ありません」

満相公は一くさり歌い、歌い終わりますと、言いました。

「お粗末さまでした」

隆吉

「お上手ですね」

希僑

「本当にお粗末で聞くに耐えないな。大杯を持ってこい。猜拳[15]をしよう」

隆吉

「猜拳はできません」

「それなら、酒牌[16]をしよう」

宝剣は酒牌を持ってきますと、大杯を手に執り、真ん中に置きました。希僑

「この瀬戸物のお碗でお客さまをもてなすつもりか。二階へ行って私の升を持ってきてくれ。三つ必要だ。注意してくれ。もし割ったりしたら、お前の一家の命でも、俺の升一つ償うことはできないぞ」

宝剣は三つの錦の盒子を持ってきて、三つの玉の升を取り出しました。升は灯りの下で、眩く光りました。希僑

「酒を注ぐ必要はない。牌を捲って、誰が飲むことになるかを見ることにしよう」

隆吉

「どうするか分からないのです」

満相公

「図があり、解説がついています。捲ったら、絶対にその通りにしなければなりません」

希僑は牌を掻き混ぜ、盆に入れますと、言いました。

「君がお客だから、最初に捲ってくれ」

隆吉

「どうするか分からないのですが」

「じゃあ僕がまず一枚捲ってみよう」

捲ってみますと、上には孔雀の衝立が描かれていました、後ろには幾人かの娘が立っており、一人の男が弓矢を持って、その孔雀を射ていました[17]。横には二句の詩が書かれており、さらに一行「新婚者は一大杯」と書かれていました。希僑

「君は結婚していたかな」

「いいえ」

満相公

「若さまがお飲みください」

宝剣が玉の升に酒を注ぎ、主人の前に置きますと、希僑はそれを飲み干しました。満相公の番になり、彼が一枚捲りますと、花の咲いた樹と、一人の男が燭台を手に、夜、花を見ている様子が描かれていました。横の注には「燭に近い者は一杯」と書かれていました。

満相公

「若さま、また一杯です」

希僑は自分が燭台に一番近いのを見ますと、

「この牌は僕ばかり狙っているようだな」

と言い、玉の升で一杯飲みました。隆吉の番になり、一枚捲りますと、上には一隻の船、三束の髭をはやした貴人と一人の美人が描かれ、横に「行商は一小杯」と書かれていました。希僑

「これは范蠡だ。西施もついている。商人で金持ちということは、君が大杯一杯だな」

隆吉

「酒令は軍令と同じです。小杯と書いてあるのに、どうして大杯に変えるのですか」

希僑は構わず宝剣に一斗注がせようとしました。隆吉は飲みますと、言いました。

「本当に失礼します。酒を飲むことを、家に報せてあれば、一更二更になってもよいのですが、今朝、家を出るとき、何も報せてきませんでしたので、母が心配しています。失礼させてください」

この時、空は半ば暮れていました。満相公も言いました。

「若さま、行かせておあげなさい」

希僑は酒興が足りず、素面のままで、面白くありませんでしたので、言いました。

「今晩はまったく面白くなかった。だが、お母さんが心配しているのなら、すぐに帰るとよい。しかし、今度はそんな口実は通らないぞ。ろくに酒も飲まないで、牌も三枚捲っただけだ。覚えておけよ。宝剣、提灯を準備して、弟たちを家に送ってやれ」

一緒に立ち上がりますと、表門まで見送りました。

 隆吉は騾馬に跨がりました。一対の灯籠が前を照らし、春盛号の店へ送ってゆきました。

 王氏の愚かさを歌った詩がございます。

片時も曲米街を忘るることなし、

譚紹聞、王隆吉を手助けす。

田舎女はよき家の嫁となれども、

禄、産と虢、秦[18]を思ふてばかり。

 

最終更新日:2010114

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[1]原文「紅毛通藤」。「通草」は「木通藤」ともいう。とりあえずこのように訳す。

[2]清代の官。州の第二事務官。

[3]表門を入ってすぐのところに立てられた目隠し塀。

[4] 「成化丙申」は一四七六年。吉水は、江西省吉安府の県名。羅倫は『明史』巻百七十九に伝がある。

[5]三十二枚の骨牌を使った遊び。牌は象牙で作られ、サイコロのような点が彫られており、二から十二まである。清金二雅『牧猪閑話』参照。

[6]骨牌の組み合わせと思われるが未詳。

[7]骨牌の十二(天牌)と九の牌を組み合わせたもの。清金二雅『牧猪閑話』骨牌「天牌重六也……配以三六与四五各九点為天九」。

[8] おじ。

[9]第六回注参照。

[10]周敦頤が窓の前の草刈りをしなかったという故事をふまえる。『程子遺書』「周茂叔窗前草不除去、問之、云、與自家意思一般」。

[11]布政司の雅称。

[12]礼物を入れる箱。

[13]街路の入り口に設けた木戸。番人がいる。

[14]陝西省の名酒。元宋伯仁『酒小史』「富平石凍春」 。富平は陝西省西安府の県名。

[15]酒席で行われる遊戯の一。手に瓜の種や碁石などの小さいものを握り、その単数か複数かあるいは個数・色などをあてる。

[16]他の文献によって確認できないが、本文の記述から察するに、罰杯を命ずる文が書かれた牌を使う遊戯と思われる。

[17]唐の竇皇后の父、毅常が、衝立に二羽の孔雀をかき、その娘に求婚する者に射させたが、高祖がその目を射て后を得た故事に因む図案。『唐書』竇皇后伝。

[18]禄・産は、漢の呂后の甥呂禄・呂産のこと。虢・秦は楊貴妃の姉妹虢国夫人・秦国夫人のこと。句全体の意味は「身内のことばかり考えている」ということ。

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