第六回

婁潜斎が正しい議論をして友を諫めること

譚介軒が要をえた言葉で妻に頼みごとをすること

 

 さて、閻楷、王中が推挙の文書を調えるために、朝に家を出て昼に帰るということが毎日続きましたが、譚孝移は少しも気が付きませんでした。

 ところがある日、孔家から訃報が届きました。孝移は悲しくてたまりませんでした。一つには、孔耘軒とは仲の良い友達だったから、また、姻戚で、住んでいる城も同じだったからです。孝移は、すぐに徳喜児を連れて、孔家へお悔やみに行き、忙しい耘軒を手伝おうとしました。

 開弔の日になりますと、孝移は犠牲を供える準備をするため、婁潜斎とともに孔家へ行きました。すでに学校の友達が来ていました。張類村、程嵩淑もその中にいました。人々は拱手しますと、年齢順に席に着きました。しばらくしますと、張、程が孝移、潜斎を招いて向かいにある書斎に行きました。席に着きますと、類村

「おめでとうございます」

孝移

「何がめでたいのですか」

嵩淑が笑って言いました。

「駢文の申請書はとっくに作ってしまいましたのに、孝移さんはまだご存じないのですか。私が執筆料として酒を欲しがるのを恐れてらっしゃるのでしょう」

孝移は話がおかしいと思いましたが、何を言っているのか分からず、茫然として

「一体何のことでしょうか」

と尋ねました。嵩淑

「天子さまの恩典により、賢人を推挙することになったのです。譚さんは不求聞達科[1]を受けられるお方ですがね」

孝移は潜斎に尋ねました。

「一体どういうことでしょうか」

「先日の詔勅に、賢人推挙を命じるくだりがあったのを、ご存じですか」

「もちろん知っております」

「祥符からは誰が推挙されたと思いますか」

「知りません」

「一人は孔耘軒さんで、もう一人はあなたですよ」

「いつそのような話しが出たのですか」

嵩淑

「丁祭の日です。先生と学生全員で相談をし、推薦書は、私が張類村さんの家で書きましたが、文章が固く、くどくどしていて、あなたの立派な徳を十分称えることができなかったのが残念です」

孝移は潜斎に尋ねました。

「それは本当でしょうか」

潜斎

「嵩淑さんは、執筆されたので、先生から一甕の酒を貰い、執筆料にしようとしているのです」

「どうして今まで、一言も仰って下さらなかったのですか」

「平らなところでは水が流れないように、みんなが賛成しているときは議論も起こらないからですよ」

嵩淑

「私は酒の事だけが気掛かりです」

一同は笑いました。孝移は少し慌てて

「私には推挙を受ける資格はありませんから、辞退しようと思います」

張類村

「ご先祖の陰徳と、あなたの善心が天に通じたため、陛下の恩典に巡り合うことができたのですよ」

「ますます恥ずかしいことです。みんなで相談して、本当に品行方正な人を推挙なされば宜しいのに」

嵩淑

「みんなが孝移さんと孔さんを推挙しているのです。耘軒さんは母上を亡くされましたが、あなたはもう何も言えませんよ」

孝移は葬儀の場で話しをするべきではないと思いましたので、仕方なく

「この事については、いろいろ相談しなければなりません」

 程なく、孔家の人が食事を勧めにきました。客間に案内されますと、精進料理が出されました。お通夜をしていた近親者が、耘軒に代わって茶と食物を出しました。暫くしますと、食事は終わりました。

 孝移と潜斎は一緒に家へ帰り、裏庭の廂房に行きますと、腰を下ろしました。孝移は恨み言を言いました。

「私とあなたは親友同士なのに、どうして一言も報せて下さらなかったのですか。あなたは丁祭の日には明倫堂にいらっしゃったではありませんか」

「丁祭から帰ってから数日間、あなたが勉強部屋に来なかったので、お報せすることができなかったのですよ」

「孔耘軒さんの所へお見舞い、弔問に行っていたので、暇がなかったのです。しかし、推挙の件は、どうしても辞退させていただきます」

「辞退だけは、絶対になさってはいけません。これは朝廷の恩典であり、学校の皆が決めたことです。それに辞退などなされようものなら、無欲で淡白な人という評判が高まり、ますます辞退するのが難しくなるでしょう。あなたの事をよく知らない人は、あなたが勿体ぶって、奥ゆかしさを売り物にしているのだと言うことでしょう」

「人様がどう思おうと問題ではありません。私の心が落ち着かないのです。私は、天地にみなぎる天子さまのご恩を受けることができるような人間ではありません。『賢良方正』の四字は、どれも私には当てはまりません。私の平生の生活を見てみますと、邪な事をしたことこそありませんが、実際は自分勝手な考えを、心の中にたくさん持っているのです。その事を思うと、先祖代々の清廉な家風を汚してしまうのではないか、子供達に悪い見本を残してしまうのではないかと心配になるのですが、あえて気にしないようにしているのです。自分の心の中の、さまざまな私欲は、それを抑えていさえすればよいのです。しかし、私が今回の推挙に応じるとなれば、天子さまを欺くことになります。これは私の良心が絶対に許しません。私は本気でこう言っているのです。お分かりいただけますでしょう」

「推挙された時にすぐにご先祖の事を考えられたのは、あなたが孝行者だからです。子供のことを考えられたのは、あなたが慈悲深いからです。自分勝手な心をまったくもたないということは、無欲な聖人にしかできないことです。あなたが仰ったことは、まことに賢良方正というべきです」

「どうして潜斎さんまでしつこくからんでこられるのですか」

「私は少しもしつこくからんだりしていません。お尋ねしますが、古人も『其の人を知らんと欲すれば、当に其の偶を観るべし』[2]と言っているではありませんか。この言葉は尤もなことだと思われませんか」

「尤もなことです」

「今回、みんなが推挙しようとしているのは、あなた方お二人です。今、孔耘軒さんの家ではお葬式をしています。孔さんは家柄も良く、財産もあります。孔さんがいいかげんな人であれば、数郡から人が集まり、祥符の人のためだけでも、たくさんの席が必要になるでしょう。しかし、席を見てみますと、近親者以外は、数人の立派な人達がいるだけです。孔さんが清らかだから、家にろくでもない客が来ないのです。あなたは、帰り道で、私に、孔耘軒さんがここ数日でげっそり痩せて、顔が変わってしまったと仰ったでしょう。これこそ『哀毀して骨立す』[3]ということです。テ─ブルに粗末な料理と、ほんの少しの安酒を並べれば、十分なのです。あの人が吝嗇なら、先日、問名[4]の儀式を行ったときに、山海の珍味を取り揃えたりすることはなかったでしょう。あの人を賢良方正に推挙するのがふさわしいかどうか、まず仰って下さい」

「耘軒さんは本当にふさわしいでしょう」

「耘軒さんがふさわしいのなら、一緒に推挙された人も当然ふさわしいでしょう。それに、周先生が着任されたときも、周先生はあなたと顔も合わせていなかったのに、額を送ってきたではありませんか。その後、あなたはごく僅かなお礼しかなさいませんでした。あの周先生が謝礼目当てで額を送っていたとすれば、あなたは失礼なことをしたことになるのに、あの方はあなたを推挙すると仰っています。あの方が公正無私であることが分かろうというものです」

「私は心が落ち着かないので、どうしても承服致しかねます」

「どうしていいかわからず、考えが浮かばないときは、ご先祖の気持ちになって考えれば、すぐに考えが浮かぶものです。これが正しい対応の仕方というものです。お宅のご先祖には、朝廷の大臣をされた方、最近では地方官をされた方がいらっしゃいます。ご先祖さまになりかわって考えてみてください。あなたは、ご先祖さまが田畑を守って暮らすことを望むと思われますか。それとも陛下に仕えることを望むと思われますか」

孝移は何も答えませんでした。潜斎は更に言いました。

「あなたは今の安らかで豊かな生活が、役人になるよりも良いと仰るのですか」

「違います。古の人々が貧しくても仕えたのは、孝行するためでした。豊かなのに仕えないのは、忠義とはいえません。私は決して金持ちではありませんし、仕官する必要もないのです。一つには心が落ち着かず、二つには妻が愚かで子は幼いなど、多くの支障があるからです」

潜斎はここらが潮時であると考え、こう言いました。

「あなたが都に上られる時は、私があなたのご家族の面倒を見、あなたが晴れて帰郷されたときに仕事を引き渡すことにしてはいかがでしょう」

「また相談することにしましょう。今はお話しだけうかがっておきます」

そして、取り止めのない話をしますと、別れを告げて帰ってゆきました。

 さて、学校では張維城らの申請文を受けとりますと、それを認め、書吏はその晩のうちに文書を県庁に送りました。県庁では孔述経が服喪中であることを記した文書を受けとっておりましたので、仕方なく一つをそのままにし、譚忠弼の文書だけを府役所に持ってゆきました。果たして「船頭は少しも力を使わず、風に吹かれて竹節灘をすぎる」という有様で事が運びました[5]。府、布政司、巡撫の役所、学院[6]では、銭万里が、文書への記録、押印、通知などをするように指図したことはいうまでもありません。数か月しますと、他の府、州、県から、推挙を受けた者たちが、続々と文書を携えて省の役所にやってきました。そこまで来るためには、それぞれ工夫があったのですが、大雑把にいえば、やったことはすべて同じでした。布政司の選抜に通った六名は、文書を作って巡撫に申請しました。巡撫は書類を審査しますと、布政司に礼部への通知を行ってもらいました。

 報告人は、字が書かれた公用の大きな赤紙を、すぐに譚家の入口に貼りました。そこには「合格通知。勅命を奉じ、譚忠弼殿を、賢良方正に推挙し、礼部の引率で陛下に謁見せしめ、府知事が選抜、任用を行ふ」と書かれており、下には小さな字で「報告人高升、劉部」とありました。これは、もちろんお祝儀をもらうためでした。王中が帳房へ行って閻相公から金一封を貰い、彼らに与えますと、彼らは喜んで去っていきました。

 一日後、一緒に推挙された者達が、年家眷弟[7]の帖子をもって挨拶にきましたので、孝移は茶を出して歓待しました。次の日になりますと、孝移は彼らのいる旅館へ答礼に行き、帖子を送って彼らを家に招待しました。約束の日になりますと、孝移は子供達をおもての中庭の客間に移して勉強させ、碧草軒を綺麗に掃除し、二つの酒席を用意して、速帖[8]を送りました。すると、五人の客が下僕を連れてやってきました。彼らが年齢順に席に着きますと、潜斎、孝移がお相伴し、酒が酌みかわされました。もうすぐ天下のために役に立つことができるのだという者もあり、都に人脈を持っているという者もあり、先祖が皆仕官の経験を持っているという者もあり、旅費は沢山持っていかなければいけないという者もあり、みんなでひねもす愉快に飲みました。下僕達の相手は、王中がつとめました。日が暮れて、宴会がおわりますと、人々は宿屋へと帰ってゆきました。

 その日、王中は表門の所で、村の小作人が取れたての麦を運んでくるのを見ていました。すると、銭万里が新しい絹の服を着、足には黒い靴を履き、下男に黄色い包みを持たせ、悠然とやってきました。そして、王中に拱手しますと、

「おめでとうございます。お話しがあるのですが」

王中が銭万里を帳房に案内しますと、閻相公は立ち上がって銭万里を迎え、挨拶がすむと着席しました。銭万里は口を開くと言いました。

「今日、礼部から咨文[9]が送られてきました。先日私が申し上げた通りでしょう」

王中

「あなたのお陰です」

「譚さんも呼んでいただけませんか。お祝いを申し上げたいのです」

「外へ挨拶しにゆきました。主人が帰ってきたらお話しをなさって下さい」

銭万里は下僕に包みを持ってこさせますと、開きながら言いました。

「咨文は昨日の晩に送られてきたのです。礼部の役人達がよってたかってお祝儀をねだるのではないかと思ったので、箱の中に入れ、今日、友人に頼んで号房[10]に提出するために、自分で運んできたのです」

そして、うやうやしく咨文をテ─ブルの上に置きました。

「もちろんお礼をさしあげます。日を改めてお届けしましょう」

「とんでもございません。あなたもお忙しいでしょう。私も用事があるのです。今日の正午に、三千銭を払ってちょっとした宴会に出席するのです。ただ、納める金がないので、工面しなければなりませんがね」

王中は事情をわきまえておりましたから、言いました。

「よそで工面される必要はありません」

そして閻相公にむかって

「帳房に金はあるか」

「奥の部屋の抽き出しの中にあります」

王中は奥の部屋へ行き、三千銭を取りだしますと、言いました。

「これで十分でしょうか」

「十分です。ぴったりです。後日、必ずお返しいたします」

「お返しになる必要はありませんよ」

「必ずお返しします」

下僕に金を受けとらせ、別れを告げて立ちあがりますと、言いました。

「私はこの五つの咨文を届けてきます」

「あの方たち[11]が泊まっているところはご存じですか」

「受付けの帳簿に書き写して、袋の中に入れてあります」

表門まで送りますと、銭万里は大笑いして

「後日、立派なお役人になられたら、私はおねだりしにあがります。その時は、どうか貧乏人だといって知らん振りをされないでください」

王中は笑って

「そんなことは致しません」

二人は拱手して別れました。銭万里は、来た時の様に、悠然と東へ歩いてゆきました。王中は麦を見おわりますと、小作人達を一人一人帳房に連れてゆき、報告をさせました。閻相公が帳簿をつけますと、王中は彼を食事をしにやらせました。そして、咨文を手にして、裏に話しをしにゆきました。孝移が封筒を見ますと、年月日の上に赤い印鑑が押してあり、「礼部宛文書」と書いてありました。また、小さな赤い付箋があり、小さな字で一行、「祥符県賢良方正拔貢生譚忠弼を推挙する文書」と書いてありました。孝移は

「帳房の閻相公に渡して、箱の中に入れておいてくれ」

と命じました。

 さて、銭鵬は五つの咨文を五人の郷紳達にそれぞれ送りました。五人は咨文を受けますと、皆で報せあって、次の日、譚家に行くことにしました。一つには別れを告げて家に帰るため、二つには上京の日を決めるためでした。次の日の朝食の後、彼らは碧草軒にやってきました。婁潜斎は身を低くして席を勧め、三人の子供も礼をしました。孝移は客が来たことを知りますと、慌てて顔を合わせにきました。そして、徳喜児に命じて、裏から十二枚の小皿を持ってきて、お客の為に酒の燗をつけさせました。五人は上京の日の事を話し合いましたが、ある者は今すぐ出発するべきだ、都に行ったら私の家に泊まれば良いといい、ある者は気候がとても暑いと言い、ある者は旅館では南京虫[12]がひどいと言い、ある者は熱中[13]の時は外が熱くても構わないだろうと言い、ある者は南京虫は天が名利をむさぼる人間の為に作ったものだと言い、ある者は秋になったら出発しようと言い、ある者は秋は雨が多いだろうから、川の水のことが心配だと言い、ある者は冬が良いと言い、ある者は冷たい腰掛には座りなれている[14]、今日はせっかく景気の良い話をしているのに、景気を冷ます様な事はいうべきではないと言いました。話したり、笑ったりして、大勢でがやがや騒ぎましたが、上京の日にちは、結局はっきりと決まりませんでした。潜斎

「私には考えがあります。必ずしも良い考えではないかもしれませんが。河南では、詔勅が下されてから半年余りで、推挙される人が決まりましたが、雲南、貴州、福建、広東では、こんなに早くは決まっていないでしょう。推挙される人と推挙の文書が調えられたとしても、彼らが上京するには、我々河南人よりも二三か月多くかかります。礼部は天下の各省の人間と文書を礼部に集め、その後で上奏、引見を行うのです。ある省の人が来るたびに上奏が行われるとはかぎりません。各省ごとに上奏を行うとしても、人々が上京して、一斉に文書を提出すれば、順番待ちする事もないでしょう。皆さんは、それぞれ家に帰られ、正月になってから省城に来られても問題はないでしょう。元宵節をすぎてから上京する事にすれば、暑くも寒くもありませんし、川も安全ですし、南京虫の心配もありません。皆さんはどう思われますか」

そもそも読書人には、主張をもっている人は大変少なく、横から誰かが一声かけて決めますと、みんなその考えになってしまうのです。ですから、人々は揃って

「婁さんの意見はご尤もです。これで決まりということにいたしましょう」

と言いました。酒を飲みおわりますと、一同は立ち上がりました。婁、譚の二人は入り口まで人々を送りますと

「明朝、お見送りいたしましょう」

人々は言いました。

「みんなそれぞれ宿が違うのですから、お気遣いはご無用です。いずれまたお会いできるでしょうから、ここでお別れといたしましょう」

そして、深々とお辞儀をしますと、去ってゆきました

 さて、月日は矢の様に速いといいますが、実際は矢よりもはやく、月日は梭の様に速いといいますが、本当は梭よりも速いものです。夏も終わりと思えば、もう秋の初めになり、秋になったと思えばら、もう冬の気配でした。孝移は王中に命じて、左官屋を呼び、東の楼の裏の三間の部屋を分けさせ、過道[15]を造らせました。その三間の部屋は、もともと王中夫婦が住んでいたところで、壁が造られ、小さな中庭になっていました。裏門から入りますと、過道を通って真直ぐおもての客間に行くことができ、楼のある中庭を通りぬける必要がないのでした。改装が終わった頃には、寒くなり、雪が降りだしましたので、仕事は中止になりました。孝移は一階に腰掛け、趙大児に命じて、酒を暖めさせました。又、王氏に果物や、海産物をつまみとして持ってくるように命じ、こう言いました。

「寒くなってきたから、お前も一杯飲むがいい」

「普段家ではあまり召しあがらないのに、どうして今日は私にお相伴させるのですか」

孝移は笑って

「とても寒いから、いっしょに酒を飲むのだ。それに話す事があるのだ」

「どうか仰ってください。お話しを伺いますから。お酒は結構です」

「お前に頼みがある。お前が一杯飲んだら、話してやろう」

王氏が火鉢の横に座っていますと、趙大児が杯に酒を注ぎ、まず主人に、次に王氏に渡しました。孝移は笑って

「私が酒を注ごう」

「いつからそんなに親切になられたのです。大児達に笑われますよ」

「構うものか」

二人はそれぞれ一杯飲みました。

「お前は私が東の楼の裏に過道を造ったのが、何故なのか知っているか」

「改築は、あなたが決められた事ですから、私には分かりませんわ」

「来年も婁先生にとどまって頂き、私が都から戻ってきたら、帰って頂こうと思うのだ」

「婁先生は良い先生ですから、とどまって頂くのはとても良いことです」

孝移は喜んで

「そうか」

「先生にとどまっていただくことに関して、何か私に仰ることがおありですか」

「来年は私は家を留守にする。そこで、ほかでもないお前に話しがあるのだ。東の過道は、婁先生がやってきて食事をするためのもので、客間に通じているのだ」

「ケ祥が勉強部屋で食事を作り、よく先生方の面倒をみているのに、どうして婁先生に私たちの家で食事をして頂くのですか」

「一つにはわしがケ祥をつれて上京したいと思っているから、二つには先生が家で食事をされれば、端福児が婁家の坊っちゃんと同じテ─ブルで食事ができるからだ、先生には勉強が終われば家に来て、食事をしたら勉強部屋に戻って頂く。夜は先生に客間の東の套房にとどまって、少し勉強を教えて頂いてから、端福児が楼の二階にきてお前と寝ることができるようにしようと思うのだ。どうだ、良い考えだろう」

「子供達は一日中本を読んでいますが、勉強が終わって、暇があったら外に出たいといつも思っているのです。それなのに、あなたは子供達に先生をずっと付きそわせています。これでは、子供達は挙人、進士になれないどころか、病気になってしまいます」

「お前は私の言う通りにすれば良いのだ。そうすれば、端福児は病気にはならない。それから、もう一つ話す事がある。親戚に用がある時は、近い親戚だったら端福児に行かせるのだ。しかし、親戚の家に泊まらせてはいけない。遠い親戚だったら王中に閻相公から帖子をもらい、礼物を包んでいくように命じればいい。私がいない時は、子供がいるだけだから、世間も大目にみてくださるだろう」

「東街の弟や弟の嫁の誕生日の時に、王中を行かせたら、世間は私達が親戚を親戚とも思わない人間だということでしょう」

「同じ城内に住んでいるのだから、福児に行かせるべきだろう」

「他は問題ありません。誰が行こうと、世間が文句をいうことはないでしょうから」

「もう一つ話す事がある。夜になったら、福児をお前のそばから離さないようにしてくれ。先生が家に数日間帰られる時は、毎朝毎晩、福児から決して目を離さないようにしてくれ。ここは都会だから、とんでもないことが起こる。おまえはよく分からなくても、私の言った通りにしてくれ」

「江南から帰って来られた時の一件で、よく分かっております。お言葉はよく覚えておきましょう」

「そうしてくれ」

「他にもお話はありますか」

「今度上京するのは、朝廷で陛下に謁見するためだ。何か月かしたら帰ってくるかもしれないし、一二年しないと帰ってこられないかもしれない。とにかくいつもの通りにし、あの子が先生から離れているときは、お前がそばにいてやるようにしてくれ」

王氏は笑って

「あの子は私の子ですもの。少しでも姿が見えなくなったら、私は慌てるでしょうから、あなたに頼まれるまでもありません。酔われましたね。お酒を片付けましょう」

 すると、端福児が夜の勉強を終え、何冊かの本を抱えて戻ってきました。王氏は呼び掛けました。

「福児や。お父さまは来年上京されるが、私がお前にいつも付き添っているようにと仰った。よく覚えておくのだよ」

福児は賢い子でしたから、言いました。

「用事がなければ外に出たりは致しません」

「お父さんは、おまえが叔母さんの家にいくのは良いことだと仰ったよ。他の親戚の家には、王中が行くからね。ところで、あなたは王中を都へ連れて行かれないのですか」

孝移

「考えたのだが、王中まで連れてゆく事はできないだろう」

「王中は都へ行くのには、不適当でしょう。あの男は頑固者ですから。家にいて、おもての中庭の番をしていれば良いのです。おもての中庭に客が来なくても、あの男は閻相公と仲が良いので、一日中外へ出ません。あの性格では、遠くへ行くことはできません。五六年前、裏の横丁でおもちゃ売りが銅鑼を鳴らしたとき、福児が見にゆきたがったので、私はあの子を連れて裏門まで行きました。おもちゃ売りはお面、泥の虎、泥の人や馬を担いでいました。端福児がお面をほしがりますと、王中が通りの入口までやってきました。私は言いました。『王中、この子に二三銭をやって、お面を買わせてやりなさい』。ところが、王中はおもちゃ売りに四銭与えて水差しを買い、お面で遊んではいけないと言いました。それでも、端福児がお面をほしがりますと、王中はおもちゃ売りにむかって『四銭の物を売らないで、鬼の面を売れば、お前は二銭しか儲からないぞ、はやく行け』と言いました。おもちゃ売りは荷を担いで行ってしまいました。福児は怒って大声で叫び、私も王中をとても憎たらしく思いました。王中が都にいけば、頑固さを発揮し、あなたに同行するお役人達の笑い者になることはうけあいです」

孝移は思わず笑いますと、溜息をついて

「私もそう思っていたから、あの男を都へつれていかないのだ」

 話が終わりますと、端福児に十遍ほど本を読ませ、床に着きました。これぞまさに、

万里の霞と青き峰をぞ隔てたる、

良友とながく隔たり夢の中にて相まみゆ。

夫と妻は同じ床にて山を隔てて住むがごと、

愚かなる人は知恵者の心を知らず。

 

 

最終更新日:2010113

岐路灯

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[1] 「不求聞達」は有名になろうとしないということ。賢良方正科で推挙される孝移にむかっていった冗談。

[2]唐馬総『意林』鄒氏一巻「欲知其人、視其朋友」。

[3] 「悲しみで体が損なわれ、骨張ってしまった」。『後漢書』韋彪伝「彪孝行純至、父母卒、哀毀三年、不出盧寝。服竟、羸瘠骨立異形」。

[4]婚礼に関する儀式の一つ。主人が書をそなえ、使者をつかわして女の生母の姓氏を問わせる儀式。

[5]原文「舟子不費絲毫力、順風過了竹節灘」。「何の滞りもなく事が運びました」という意味。竹節灘は湖北省阮帰県にある三峡の難所。『方輿勝覧』巻五十八参照。

[6]清代、一省の教育事務を司る官。学政官の役所。

[7]科挙の試験に同年に合格した者が互いによびあう称。

[8] はやくくることをうながす招待状。

[9]清代、対等の地位にあって往復する公文書。一に移文ともいう。多くは起首に「為咨呈事」、或いは「為咨復事」などの文字を用い、結末には「此咨」の文字を用いる。

[10]官署の受付及び文書の伝達を掌る所。

[11]後出の五人の郷紳をさす。

[12]原文「壁蟲」。南京虫のことを「壁虱」ともいう。

[13]病名。飲食や疲労などによって胃腸が損なわれる病気。明李時珍『本草綱目』草七・牽牛子[集解]「況飲食失節、労役所傷、是胃気不行、以火乗之、腸胃受火邪、名曰熱中」。

[14]原文「有説冷板喫是坐慣了」。「冷板喫」は、「冷たい腰掛け」という事を意味すると同時に、「村塾の教師」ということを意味する嘲笑的な言葉。

[15]旧式家屋で、中庭と中庭をつなぐ通路。

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