第五回

選抜を慎重にし心を尽くして人士を品評すること

文書を引き受け巧みな言葉で金銭を要求すること

 

 さて、朝廷の詔が各役所の壁に貼り出されますと、出世の機会を狙っていた読書人達が、推挙されることを望んだのは、いうまでもありませんでした。学校の幕僚は手厚い臨時収入を得、学校の斎長[1]は口達者な学生から「新茶を用意してご光臨をお待ちしております」という帖子を受け、手厚いもてなしを受けました。うまい話は尽きることがありませんでした。学校に情報を流す者もあり、付け届けの相談をする者もあり、世論を操作する者もありました。ですから、模様眺めが続き、推挙は遅れ、翌年の正月になっても、まだ誰を推薦するかは決まりませんでした。

 周東宿は、ある日、陳喬齡に向かって言いました。

「詔勅に書かれていた、賢人の推挙は、学校で行わなければなりません。いい加減な人を推挙するくらいなら、推挙を行わないほうがよいのですが、開封府は省府ですから、やはり推挙なしでは済まされません。しかし、あの人達が推挙する者たちは、人望のありそうな人間には見えません、どうしたものでしょうか」

「いっそのこと丁祭[2]のときに、学生たちと相談しましょう」

「こちらに長くいらっしゃるのですから、立派な人物を幾人かご存じでしょう。私達がまずじっくり相談し、丁祭の日に公開で推挙を行わせることにすれば、彼らの意見を安心して聞くことができますし、人々も納得しようというものです。先日のように、誰がいいという推挙が行われた後に、誰かがその人の悪行を口にするようなことが起これば、聞こえが悪いというものです。どうか、よくお考えください、貢生、監生、学生を問わず、まず私達が誰を推挙するか決めておくことにしましょう。そうすれば、陛下の賢人を得ようというお心に沿うことができるでしょう」

「読書人の中で、申し分のない人はとても少ないものです。十年間人々から良いと言い続けられる人など、幾人もいません。少し考えさせて下さい」

そして少し考えますと、こう言いました。

「学生の中に張維城、号は類村という者がおります。廩生[3]で、今年貢生になるはずです。あの人は平素から橋や道を補修し、老人貧民をいたわっていますから、善人と申せましょう。先日、あの人は私たちに二冊の『陰隲文注釈』を送ってきました。あの人のことを悪人だという人はおりません」

「先日あの人が『陰隲文』を送ってきたとき、あの人の顔には善良さが満ち溢れていました。しかし、少し年をとっていたのではないでしょうか。どうかもう幾人か考えてみて下さい」

喬齡はさらにしばらく考えますと、言いました。

「もう一人、程希明という者がおり、大変学問があります。詩や、対句を作る時、人々はみなあの人を呼びます。彼はお金を貯め込んだりはせず、人々から学問のある善人だと言われていますが、酒好きで、会うときはいつも酒気を帯びています」

「人柄はいいのですね。しかし、酒好きなら完璧というわけではありませんね」

「東の城外に林問礼という学生がいます。あの人はもともと結膜炎だったのですが、母親が病気で死にますと、泣いて盲目になってしまいました」

「それは孝行な息子ですが、眼が見えないのでは、陛下に謁見することはできません。後日、この人の孝行を上奏し、金一封と建坊[4]のご恩を受けさせることに致しましょう」

「学生の中には、すべての人が褒めたたえている人など、もうおりません」

「もう少し考えて下さい」

喬齡は指を一回また一回と折り曲げ、口の中でぶつぶつ言いながら考えますと、突然言いました。

「そうだ、忘れていました。この城内の東北、黄河の堤防のほとりに、黄師勉という学生がいます。この人は兄弟二人で、一頃数十畝の土地をもっておりましたが、兄が分家をしようとしました。黄師勉は嫌がったのですが、兄嫁はどうしても分家しようと言い、兄は堤防の中の六十畝の土地をとり、弟は名も知らぬ村の土地─先日人々が私に話していたのですが忘れてしまいました─を分け与えられました。ところが、五、六年前、黄河の南側が決壊したとき、黄師勉の兄の土地は全部水に漬かってしまい、兄は怒りのあまり病死してしまいました。すると黄師勉は、兄嫁と二人の甥を引き取り、まるで別れたことがなかったかのように養いました。先日、私が誕生日の祝いをしたとき、列席した人々はみんなあの人が立派だと言っていました。黄師勉は、人格が大変優れているということができましょう」

東宿は溜息をついて

「今の世の中では、なくてはならないものはお金です。黄師勉が貧しいにも拘らず、兄嫁親子を養っているのは、人の道に沿った行いということができましょう。しかし、たった五六十畝の土地しかないのでは、推挙するには不適当です[5]

「まったくその通りです。しかし、ほかにはもう推挙するに値する人物はいません」

「私がみたところでは、先日の譚忠弼さんの宴席にいた婁何とかさんが適当だと思うのですが」

「あんな腹立たしい男はいません。あの男はもともと北の城門の内側に住んでいた百姓で、学校に入って、何度か一番になったことがありました。東の城外に李瞻岱という書生がいて、あの男を先生として招こうとしました。ところが、あの男は勿体をつけて行こうとしませんでした。そこで、李瞻岱が学校にきて付け届けをし、先任の正学[6]と私に『二人の先生のお言葉が、九つの鼎ほどの重みを持つことでしょう』と頼み込みました。ところが、婁昭は、李瞻岱の家庭教師になろうとしなかったのはまだ許せますが、兄のことで嘘をつき、兄が自分を行かせようとしないと言ったのです。家から出て教師をすることができないのなら、どうして譚さんの家の先生になったのでしょうか。ですから、先日の酒席で、私はあの男とはあまり喋りませんでした。あなたは気が付かれませんでしたか。私は正直な人でしたら文句はないのですがね」

「婁何とかさんは、李瞻岱の教師になるのが嫌だったのかも知れませんし、外にも口にはできない理由があったのでしょう。そんなにあの人を咎めてはいけません。それはそうとして、この推挙の勅命の件は、どう処理したものでしょう。上は君に背かず、下は見る目のある人に背かぬようにすることが肝要です。監生、貢生の中からも、推挙すべき人を考えて頂けませんか」

「監生たちはみんな役所に出入りしています、学校では彼らのことをよく知りませんが。貢生では、拔貢となった者に沈文焯、譚忠弼があり、一人は府学の学生、もう一人は県学の学生でした。副榜貢生[7]には孔述経がおり、この前の試験では、新たに趙珺が合格しました。譚さん、孔さんはあなたも会われたのでご存じのはずです。沈文焯も大変良い人です。あの人の子の沈桧も、学校に入りました。彼は十七、八歳になったばかりでしたが、不摂生だったために病気となり、送学[8]の時も欠席していました。十数日して、病死の報せがとどきました。沈文焯は、今、子供のことで胸が張り裂けんばかりでしょうから、やはり推挙するわけにはゆきません。趙珺は副榜貢生になったとき、十八歳になったばかりで、家から出ずに、一日中読書しているとのことですが、若すぎますから、やはり駄目ですね」

「どうやら譚忠弼、孔述経ということになりますね」

「丁祭のとき、学生たちがどの様に言うかをみてから、私達で草稿について相談をすることに致しましょう」

 さて、暫くしますと、丁祭になりました。夜明け方、県知事、周、陳両名、汪典史[9]は、早くから学校に行きました。学校中の学生が集まって、儀式を行いました。正献[10]、分献[11]が終わりますと、周、陳両名は、県知事を明倫堂にお迎えして茶を出しました。県知事

「本来ならば、先生方のお教えを承るべきでしょう。私は、大勢の皆さんと、黄河からの飛沙を防ぐための植林について相談をしたいと思っていたのです。ところが、思いがけなく、西の城外から調査しなければならないことがあるという報せが入りましたので、役所に戻ってすぐに出発しなければなりません。また改めてお教えを承りましょう」

櫺星門[12]まで行きますと、県知事は轎に乗って去ってゆきました。汪典史も拱手しますと、馬に乗ってついてゆきました。

 二人の先生が明倫堂に戻りますと、燭台には灯が点されており、大勢の学生が上座に向かって挨拶を行いました。二人の先生は並んで席に着きました。書吏は点呼して、胙帖[13]を配るため、学生の芳名録を目の前におこうとしました。すると、東宿が

「しばしお待ちください」

と言い、大勢の学生に向かってこう言いました。

「今日は皆さんが揃われたので、とても大切なことを相談しようと思います。昨年の詔勅に、賢人を推挙するようにという一件がありましたが、これは学校の仕事です。もう随分時間がたったのですが、まだ推挙は行われておりません。昨日、県知事さまが直筆の手紙で催促してきました。これ以上ぐずぐずするわけにはまいりません。今日は賢い方々がすべて集まっているのですから、まさに『言うところ公なれば公言すべし』[14]というものです」

大勢の学生はみな満面に笑みをたたえましたが、一人として口を開く者はいませんでした。東宿はさらに

「開封は河南の省都で、祥符は開封に隣接する第一の都市ですから、絶対に推挙を行わない訳にはまいりません。全県の体面、全学校の名誉がかかっているのですから、皆さんも気兼ねなく知っている人を推挙して下さい」

と言いました。大勢の学生はがやがやとしていましたが、声を小さくし、遠慮ばかりして、言葉を抑えていました。喬齡

「詔勅が下った当初は、賑やかにしていたのに、時間がたつにしたがって静かになってしまうとはどういう事でしょうか。学生は、真面目ならば役所に行ってつまらない事に拘ったりせず、利口ならば役所に出向いてよく喋ったりはしないものです。普段よく喋る者ほど、私的な議論ばかりして公的な議論をせず、公の事を論じる時は自分を隠して他人に譲り、付和雷同してしまうのです」

さて、程希明は、雰囲気が穏やかでないのを見ますと、学生の中から前に進み出てお辞儀して、こう言いました。

「この件について、学生達に議論させても、意見がたくさん出て纏まりがなくなるだけです。先生お二人が意見を述べられるのが一番宜しいでしょう。先生が公平無私であることは、皆が知っていますから、承服しない者はいないでしょう」

周東宿は後に知府にまでなった、果断な人でしたので、立ち上がりますと

「私は着任して日も浅く、人々の人品、行動を熟知しているわけではなく、顔を合わせた人もまだ多くはありません。しかし、着任してからというもの、譚忠弼殿の善行を、人々が口にしているのを聞いています。そこで、先日陳さんとともに、額を贈ってあの人を褒めました。あの人なら推挙できるのではないでしょうか。それから孔述経さんがいます。あの人は私の同年で、私はあの人の平素の行いを知っています。皆さんもご存じでしょう。あの人も推挙できるのではないでしょうか」

喬齡

「二人とも家が裕福ですから、推挙することができるでしょう。推挙にはお金がかかりますからね」

すると、学生たちは声を揃えて

「先生の仰ることはご尤もです。これで決まりということに致しましょう」

東宿

「やはり皆さんに判断して頂かなければ」

程希明

「私どもが決めるとすれば、八月の丁祭の時に、ご返答することになりますが」

東宿は笑って、書吏に言い付けました。

「まず四人の斎長、増生[15]、附生[16]の長を呼んでくれ」

そこで書吏が声を出して

「四人の斎長さまをお呼び致します。張維城、余炳、鄭足法、程希明さま」

四人の斎長は

「はい」

と返事をしました。書吏はさらに言いました。

「増首、附首さまをお呼び致します。増生の蘇霈様、附生の恵養民様」

二人は

「はい」

と返事をしました。

東宿

「六人の方々、賢人推挙は、あなた方六名にお任せ致します。申請書は駢文で書いて下さい。事実清冊[17]には、重要なことだけを書いていただければ結構です」

六名は承知しました。張類村は五人に向かって、

「賢人の推挙は、朝廷の恩典、先生のご命令ですから、すぐに行わなければなりません。後日集まることにすると、城内にいる者もおり、城外にいる者もいるわけですから、今日、私の家で話し合うことに致しましょう」

喬齡が笑って

「ご尤もです。皆さんが受けとる胙肉(ひもろぎ)の外にも、門番に豚足、羊の首を持っていかせ、張さんに五人の方々のおもてなしをして頂くことに致しましょう。これは私の特別の処置です」

程嵩淑がさらに言いました。

「胙肉が得られるのなら、さらに酒の恵みに与かりたいものです」

喬齡

「昨日準備したお神酒は、まだ使いきっていないはずですから、門番に一甕持っていかせましょう」

程嵩淑

「先生が『一罐の伝』を賜られるのなら[18]、心から神の恵みをお受けしましょう」

東宿は思わず笑って

「口がうまいからには、筆鋒も鋭いのでしょうね。推挙の上奏文は、きっと優れたものになるでしょうね」

「恐れ入ります」

話をしていますと空が明るくなり、日が東に昇り、点呼と胙肉の分配が行われました。林問礼、黄師勉の名が呼ばれますと、東宿は、口を極めて彼らを労い、褒めたたえました。

 丁祭が終わりますと、張類村は五名を家に招き、上奏文と事実清冊を作りました。

 さて、婁潜斎は、その年も譚孝移の家で家庭教師をしていましたが、この日、明倫堂で耘軒、孝移が推挙されることを聞きますと、正しい人が官職を得、君子の運が開けたことを喜びました。そして、碧草軒に戻りますと、このことを孝移に伝えようとしました。しかし、孝移が淡白な性格であることを知っておりましたので、孝移はきっと固辞し、辞退が受け入れられなければ、理由を設けて避けてしまうだろうと考えました。そこで、孝移には事実を知らせないことにしました。しかし、推挙の文書を出しても、賄賂を送らなければ、申請したのに却下されるという不愉快なことが起こります。又、早目に賄賂を送らなければ、孝移が推挙の知らせを知り、賄賂を贈ることを許さず、推挙することができなくなってしまうだろうと思いました。孝移は行いが正しいのに名前を知られないことになってしまうのは、友人として面目ないことでした。そこであれこれ考え、ある方法を思い付きました。

 次の日、潜斎は蔡湘を呼び、

「前の母屋へ行って王中を呼んでくれ。それから会計の閻相公も呼んでくれ。相談することがあるのだ。だが、ご主人には報せないように」

と言いました。蔡湘は承知しました。程無く、王中が裏門から、閻相公が胡同からやってきました。二人がやってきますと、潜斎は彼らを廂房に迎え入れました。王中は入口に立ちました。閻相公

「先日、先生にお会いしに伺ったのですが、お留守でしたね」

潜斎

「つまらぬ用事で留守にしていたのです」

「今日は婁さまが私のような者を呼ばれて、何のご用でしょうか」

「昨年の詔勅は賢人の推挙を命じたものでした。昨日の祭礼のとき、二人の先生が学校中の皆さんと賢人推挙の件について相談したのですが、あなたのご主人と文昌巷の孔さんの二人を推挙することに決めました。この件について相談があるのです」

「孔さんを推挙することはできないでしょう」

「どうしてですか」

「数日前、孔さんのお宅に行き、店のために『文昌陰隲文』印刷の件について相談しましたが、お母さまがご病気だとのことでした」

「天が人の意に背くとは、まさにこのことですな。ところで、あなたのご主人推挙の件については、どうでしょうか」

閻相公

「これはお目出度いことです。しかし、何か面倒なことがございましょうか」

「面倒なことはたくさんあります。この間、額が送られてきましたが、他の人ならどれだけ喜ぶことか知れません。しかし、先日宴席を設けてお祝儀を出したとき、ご主人は不機嫌そうなご様子でした。今回の件では、お役人に申請をしなければならず、そのときは賄賂を送る必要があります。賄賂を送らなければ、ちょっとした不備でも、文書が却下されてしまいます。王中さん、あなたのご主人はもともと気前のいい方です。しかし、書吏に賄賂を送るようにいえば、あの人は真正直な人間ですから、絶対にそんなことをしようとはしないでしょう」

王中

「主人はそういう性格なのです」

「今は閻さんも来ていますから、私達で相談しましょう。とにかくしっかりと賄賂を贈った後で、学校から文書を送れば、後はすべて順調に行き、何の面倒もありません。そうしてしまえば、ご主人が推挙を辞退しようと思っても、もう後の祭りというわけです」

王中

「それはいいですね。しかし、どう手を打ったら良いでしょうか。先生に今考えがおありなら、仰ってください。私たちは仰る通りに致します」

潜斎は閻相公に質問しました。

「今、帳房にお金はありますか」

「ございます。昨晩、山貨街の絹物屋から、家賃を八十両届けてきました。まだ帳簿につけてはおりません」

「帳簿につける必要はありません。閻さん。王中さんと一緒にまず五十両を分け、役所に行き、手続きをして下さい。後日、決算を行うときには、金を支払ったのは、私の一存でしたことだと言って下さい」

「先生が良いと仰るのでしたら、すぐに支払いをすることに致しましょう」

「二人でうまくやって下さい」

「私は話し言葉が違いますから、うまくゆかないでしょう」

実は、閻相公は名を楷といい、関中の武功[19]の人で、親戚と一所に河南に来て商売をしていたのでした。彼は、最初は宝興質店で質札を書いていましたが、後に譚家の会計に推薦され、毎年十二両の給料を貰っており、一年に四回衣服を支給されていました[20]。人柄は忠実で気が利き、孝移ととても気が合いました。ですから、彼は自分の話し言葉が違うなどと言ったのでした。

王中

「今はお金が物をいうんだ。お金さえあれば、陝西人が話そうと、福建人が話そうと問題はない」

潜斎は大笑いして

「これはうまくいきますね」

閻相公も笑って

「一体どうするのですか。文書は幾つの役所に送るのですか」

潜斎は指を折りながら

「学校、県知事、開封府役所、都の役所、学政官、巡撫、各役所の礼房の書吏[21]、全員に賄賂を送らなければなりません。私もどの位かかるのかは分かりませんが、六十両前後あれば、大丈夫でしょう。お二人とも臨機応変に対処してください」

王中

「大事を成すときには、つまらぬお金を惜しんではいけません。しかし、うちの主人が気分を害した時は、先生から一言仰って下さい。そうすれば、主人は何も言うことがなくなってしまうでしょう」

「勿論そう致しましょう」

 二人は立ち上がって表の帳房へ行き、五十両の封を開きますと、一両、二両、三両、五両、十両の包みを作り、翌日、祥符の学署[22]へ行き、書吏と会い、来意を告げ、二両の包みを一つ贈りました。書吏は言いました。

「推薦文はまだ来ていません。これはめでたいことですし、学校にとっても名誉なことです。推薦文が今晩届けば、明日の朝には県知事さまのところへお届けましょう。私は注意しておきますから、心配なさらないで下さい」

さらに胡という門番に袋を与えました。門番は言いました。

「程さんは酒を飲んで、もたもたしているのでしょう。この話は丁祭の日に出たのです。もう何日もたっていますが、推薦文は送られてきません。私は南馬道へ行って張さんに催促してきましょう」

 二人は県庁に着きますと、礼房の下役を探し、こっそり贈り物をしました。すると、この書吏は言いました。

「これは、わが県にとってめでたいことですし、私達にとっても名誉なことです。しかし、学校からは、まだ文書がとどいていません。文書が届き、礼房に命令が下れば、私たちはすぐに原稿を渡し、申告書を添え、審査の言葉を貰い、その夜のうちにきちんと書き写し、一日で府知事さまの所へ持ってゆきましょう」

二人は、府役所の礼房へ行きますと、こっそり贈り物をしました。礼房は、最初は少ないと言っていましたが、たっぷり付け足しをしますと、府役所の礼房も、県の礼房と、まったく同じことを言いました。王中は府役所を出ますと、途中で笑って

「閻さん、あなたは話し言葉が違うと言っていたが、府と県の礼房の言うことは、まったく同じで、一字と違わなかったね」

閻相公も思わず大笑いしました。

 翌日、二人は布政司のところへ行きました。二人が受付けへ行き、立っていますと、呼び出し係が、身動ぎもせず、手も動かさず、ゆっくりとした口調でたずねました。

「何の用だ」

閻楷

「文書のことで相談があるのですが」

「いつ送ってきた文書だ」

「まだ送ってきておりません。賢人推挙の文書です」

呼び出し係はすぐに立ち上がりますと

「どこの県のものだ」

「祥符のものです」

「城内のものか、城外のものか」

「蕭墻街の譚さんのものです」

「お前には関中の訛りがあるな」

「私は譚さんの帳房の者なのです」

呼び出し係は、推挙の文書について相談があると言われ、譚家が金持ちで、やってきたのが会計であることが分かりますと、甘い汁を吸うことができると考え、笑みを浮かべて

「これは失礼しました。それは凳子[23]ではありませんか。お二人とも、どうか座ってお話し下さい。お尋ねしますが、文書は府役所に送られたのでしょうか」

閻楷

「まだ送られていません。私達は前もってお願いをしにきたのです」

「ここにはしばしば偉い方々が来られますので、話をするにはよくありません。ボ─イ、お茶を二つ差し上げろ。お客さまだぞ」

話をしておりますと、男が一人名刺を持ってきて、

「汝寧[24]のケさまが来られました」

と言いました。

呼び出し係

「お二人はとりあえずお帰り下さい。明日、家でお待ちしております。ここでは話がしにくいですからね。私は銭と申します。どうかお見知りおきを」

そこで、二人は帰りました。

 翌日になりますと、相国寺[25]の裏の五道廟[26]の前へ行き、銭書吏の家を探しました。五道廟の前には水屋が居りましたので、二人は尋ねました。

「銭先生のお宅はどちらですか」

「あの廟の東側の門の中に窯洞[27]がございますが、あそこです」

二人は門のところへ行きました。銭書吏は中庭で革靴を磨いていました。そして、二人を見ますと、はけを放り出して

「お待ち申し上げておりました」

と言い、部屋に案内しました。その客間は二間の古びた草葺き屋根の建物で、上は紙が貼られた頂格[28]で、正面のテ─ブルの上には蕭何、曹参の泥人形[29]が置いてありました。部屋には古い文書、証書が一杯貼りつけてありました。東の壁には一枚の絵が貼ってありました。それは『東方曼倩桃を偸む』の絵[30]でした。西の壁にはおめでたい掛け軸が掛けてあり、漆塗りのテ─ブル、四つの竹椅子が置かれていました。銭書吏が、王中にも席を勧め、茶を持ってこいと叫びますと、少年が急須に熱湯を入れて持ってきました。書吏は古い文書入れを取り出しますと、茶葉を出し、蓋つきの湯のみで三杯の懶茶[31]をわかし、二名に差し出しました。そして、自分は一椀を手にとりますと、言いました。

「先日は失礼致しました」

閻楷

「どう致しまして」

「昨日の話は、まだはっきりと伺っていませんが、詳しくお話しいただけないでしょうか」

「私の主人の譚は、名を忠弼といい、当地の学校から賢人として推挙されました。しかし、文書が役所に送られるものの、どの方が文書を扱われるのか分かりません。そこで前もって、先生にお願いをしにきたのです」

銭書吏は少し考えますと、

「文書は礼科[32]の竇さんの管轄です。しかし、お二人があの人に会うことはできません。あの人は三か月交替で仕事をしていまするので、役所に入るとなかなか出てこないのです。あの人とお話しなさりたいのでしたら、私どもが文書、名刺を届けるときに、報せを持ってゆくことにいたしましょう。譚さんを推挙しようとされるのなら、彼らを疎略にせず、しっかりと頼まなければなりません。先日、[33]で推挙の文書が出されましたが、役所内への付け届けが少し足りませんでしたので、文書はすぐに却下され、すでに三四か月たったのに、まだ送られてきません」

王中

「どうして却下されたのですか」

「役所内では書吏たちが一番幅をきかせているのです。彼らは文書に付箋を貼り、誓約書の一部が書式に合っていないと言ったのです。県知事さまは、彼らの言うことに従って、文書を却下しました。また、すべて書式にかなっている場合でも、証書[34]の紙がざらざらだ、字が一か所削って直してあるから、礼部に送付できないなどと言って、やはり却下してしまいます。これらの証書は、一つの役所が出すものではなく、割り印を押しながら、複数の役所を、少なくとも一二か月かけて、送られてくるものなのです。しかし、書吏たちも苦しいもので、受けとる手間賃は、原稿用紙代と、徒弟たちの筆、墨代程度です。上は礼部に金を払わねばなりませんし、巡撫の役所の礼科にも賄賂を贈らねばなりません。私たちは文書をつくる時に、いつもお金を頂いているわけではないのです。ですから、こんなおめでたいことがありますと、何両かのお祝儀を頂くことになるのです」

「あなたにはどの位差し上げれば宜しいのですか」

「他の州や県で賢人の推挙が行われたことはありませんが、費用は官吏の選任が行われる時よりは少なく、節孝を推挙する時よりは高いでしょう。恐らく三十両ぐらいでしょう。しかし、請け負い人に頼めば、撫院[35]へも、学院へも、手を回してくれます、彼らには顔なじみがいたり、うまいつてがあったりしますから、各部署に贈る金も少なくてすみます。彼らは、多分、五十両ぐらいで仕事をしてくれるでしょう。お二人はとても真面目な方ですから、付け届けをする部署をお間違えになるかもしれません。これでは、多くの金をかけても、間違いが起こるかもしれません」

王中は、彼が言った金額が、婁潜斎の言っていた額とあまり違っていませんでしたし、ここ数日、外を歩き回っていて、主人に気付かれる恐れもありましたので、立ち上がりますと、

「複数の人に頼むよりも、銭さんにすべてをお任せしたいのですが、いかがでしょうか。私たちは今、三十両を持っておりますが、あなたにお渡し致しましょう。足りなければ、あなたが自腹を切られてください。後日、現金が手にはいりましたら、さらに二十両を持って参りますから」

「昨日、役所で、あなた方は蕭墻街の譚さんと仰っていましたが、あの方は二十年ほど前、私の父と付き合いがあった方ですから、私はお二人が来る場所を間違われているのではないかと思いました。今日は、うちにお二人が来られたので、あなた方が本気であることは分かりましたが、請け負いの件について切り出すことはできませんでした。しかし、お頼みとあれば、有り体に申し上げましょう。巡撫の役所の写本房[36]へは、さらに五両贈らなければなりません。私はピンはねしようとしているわけではありません。私は名字を銭、名は銭鵬、号は銭万里といい、どこの役所で聞いても、やり手で通っています」

閻楷は、昼も過ぎたので、主人が帳房へ話しをしにくるのではないかと思いました。そこで、腰から三十両の金を取り出し、テ─ブルの上に置きますと、言いました。

「これは三十両の足紋[37]です。量る必要はありません。後日、さらに二十両をお送り致します。あなたは主人と代々付き合いがある間柄だそうですから、すべてをお任せ致します」

「父が譚さまと交際があったなどと言われますと、面映ゆい気分です。まあいいでしょう。私がお役に立ちましょう」

そこで、二人は立ち上がりました。銭鵬は入口まで見送り、さらに二人に頼み込みました。

「役所でのことは、絶対にお話にならないでください」

二人は

「分かりました」

と答え、拱手して別れました。

 その後は、果たして水が溝に集まるように、刀が竹を割るように事が運びました。王中はさらに二十両の金を贈りました。しかし、銭万里が実際にどれだけ使ったのかは分かりません。これぞまさに、  

重病を癒さば名医と称へられ、

要人に通じなば神さまと称せらる。

医者は借る岐黄[38]の力、

十万の金あればぐづぐづとする者はなし。

 

最終更新日:2010113

岐路灯

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[1]生員の頭目。

[2]孔子をまつる祭。仲春、仲夏、仲秋、仲冬の四仲月、または仲春二月、仲秋八月の上丁の日に行う。

[3]第一回注参照。

[4]忠義、節孝等の善行を奨励するため、善行者の住んでいる所に標坊を立てて表彰すること。

[5]推挙を受けた者は、関係官庁に付け届けをしなければならないから。

[6]学正官のこと。学校に置かれ、生員の教育をつかさどる。

[7]郷試の成績に及第の価値があるが、定額に限りがあるため、挙人になれないものを、貢生として国子監に送ったもの。俗に半個挙人といわれる。

[8]未詳。地方の学校を巡回している学政官を見送ることをいうか。

[9]知県の属官。書き役。

[10]祭祀のとき、主位の神に幣帛を献ずること。

[11]祭祀のとき、従位の神に幣帛を献ずること。

[12]学校の孔子廟の前の、牌坊に似た形の大きな門。櫺星とは士を得る吉事を司る星。

[13]祭祀の時の酒と肉を胙という。

[14] 「いうことが正しければ公にいうべきである」。『史記』文帝紀に、宋昌の言葉として「所言公公言之。所言私王者不受之」。とある。

[15]明、清代、定員より増やした生員をいう。

[16]府州県学の学生の一つ。廩生、増生の下。

[17]賢人についての事実を記した台帳。

[18] 「先生が酒を一罐下さるのなら」というのが文字通りの意味。原文は、「老師既賜以一罐之伝」。「一罐之伝」は、「一貫之伝」。にかけたもの。「罐」と「貫」は同音。「一貫之伝」は『論語』里仁の「吾道一以貫之」(「吾が道は一を以て貫く」)にちなむ言葉。孔子の教えを指す。

[19]陝西省西安府。

[20]原文「四季衣服」。一年に四回衣服を支給される待遇。ほかにも年に二回衣服を支給される「両季衣服」という待遇もある。『緑野仙踪』第六十回「已面訂在下月初二日上館、学金毎一年百六十両、外送両季衣服」。

[21]中央官庁の礼部に相当する部署。地方の儀式および人事、教育等をつかさどる。

[22]学校の、職員がいるところ。

[23]背凭れのない椅子。

[24]河南省汝寧府。

[25]開封にある寺。写真はその門前。

[26]五道将軍、判官、小鬼をまつった廟。

[27]洞窟型の住居。

[28] きびがらを組んで紙を貼った天井、天花板。

[29]蕭何、曹参は前漢のときの立法者。書吏は彼等を祖師と崇める。

[30]東方曼倩とは漢の武帝のときの廷臣、東方朔のこと。東郡の短人が、武帝の前で東方朔を指差し、三千年に一度実をつける桃を、東方朔がすでに三度盗んでいるといった『漢武故事』の物語に因む図案。

[31]未詳。長時間湯に浸けた濃い茶のことか。

[32]地方の役所で役人の選挙を行う部署。

[33]河南省帰徳府。

[34]原文「印結」。清代、漢人は上京して試験に応じ、または金を出して官職を得る際に、自己と同省の先輩で各部の司官の任にあるものに身元保証を依頼したが、その保証書に、捺印したものを印結という。

[35]巡撫の役所。

[36]文書の謄写を行う部署と思われるが未詳。

[37]純良最上の銀。

[38]岐伯、黄帝のこと。医書『黄帝内経』の作者とされる。

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