第三回
王春宇が立派な料理で客を接待すること
宋隆吉が派手な着物で師に挨拶をすること
そもそも祥符の宋門[1]の外には吹台がありましたが、これは師曠[2]の頃にできたものでした。
その後、漢の時代に梁孝王建[3]が造築を行い、唐の時代には詩人李白、杜甫、高適がそこで詩を詠み[4]、名勝となりました。そこには禹が祀られており、禹王台といいならわされていました。毎年三月三日にお祭りがあり、食堂や酒屋が、数百軒以上も出ました。天気が晴れれば、街や田舎から、身分の高い者も、農民も、貧乏人も、金持ちも、美しい者も、醜い者も、みなやってくるのでした。女たちも数百台の車で繰り出しました。そこでは綾絹や緞子の布や端切れ、新旧の机、椅子、様々な農機具、家具などが何でも売られていました。他にも子供のおもちゃ、小さな銅鑼や太鼓、小さな槍や刀、お面、響棒槌[5]など、数十種類の物がありました。また、棗餅、餅、酥餅[6]、ちまきなど、語り尽くせないほどの物がありました。
そこで、王氏は譚孝移に向かって
「今度の吹台の三月三日のお祭りのときに、子供を連れていきましょう。二か月も本を読んでいるのですもの。歩いて気晴らしをさせて、また勉強をさせればよいでしょう」
と言いましたが、孝移はこう言いました。
「子供が縁日に出掛けても、何もいいことはないから、行かせることはない」
「あれも駄目、これも駄目と仰るのですね。あなたみたいな方はいませんわ。私が娘で家にいた頃、父はとても厳格でしたが、三月三日になると、母親に私を祭りに連れていかせました。私は車に乗ってお祭りを見て回ったものです」
譚孝移は思わず笑って
「女に祭り見物をさせるとは、端福児のお外祖父さんもひどい教育をしたものだな。このことは端福児に話してはいかんぞ」
「あなたのお家ではさぞかし立派な教育をなさっていたのでしょうね。巡撫[7]、布政司[8]、按察司[9]の方々も、この日だけは祭見物に出掛けますのに」
孝移は笑って
「あの方々が行かれるのには、他に訳があるのだ。あれは行香[10]の儀式を行っているのだよ」
「行香ですって。それなら、どうして一日に行かないで、わざわざ賑やかなこの日に出掛けるのですか。お聞き下さい、三月三日になったら、あなたも先生と一緒に来られれば宜しいのです。二人の子供も連れていきましょう。宋禄に車を準備させ、一緒に行かせ、お昼になったら戻ってくるのです。何でもないことですよ。本だってこんなに馬鹿みたいに読むためのものではありません。そうでしょう。先生と相談なさって下さい」
「わしは、立派な読書人がお祭りを見にきているのを見たことがないし、正しい躾を受けた子弟がきているのも見たことがない。無頼漢や博徒、屠殺業者や酒浸り、それに愚かな子弟が騒いでいるだけではないか。だから、子供を連れていきたくないといっているのだ」
「あなたは祭りへ行ったことがないのに、どうしてそんなことを知ってらっしゃるのですか」
「小さいときに、一度行ったことがあるのだ」
「小さいときにお祭り見物をされたのですね。端福児は、今、七八十歳ですか。先生と相談なさってください。先生が行かないと仰ればそれまでなのですから」
譚孝移は、王氏がしつこくからむので、思わず笑って
「仕方ない。先生と相談してみよう。先生が行くと言われたら行くが、行かないと言われたら、それまでだぞ」
「みていてごらんなさい。婁先生は絶対に行かれますから。あの方はあなたみたいに、胡麻粒みたいな小さな肝っ玉で、何かといえば躾に関わると仰ったりはしませんから」
「ちょっと庭へ行って先生と相談してくる」
「相談をなさるときは、端福児もそばにいさせなければいけませんよ。本当は相談していないのに、先生がお許しにならなかったなどと仰るといけませんからね」
孝移は笑って
「仕方ないな」
といいましたが、心の中では、婁潜斎が祭見物に出掛けることは絶対にあるまいと思っていましたから、王氏の言う通りにしました。これぞまさに、
家が平穏無事の日に、
夫婦は笑ひ語らえり。
午後になりますと、孝移は庭へ散歩をしにいきました。彼は、婁潜斎と会いますと、碧草軒に座って、あれこれ話しをし、王氏の言っていたことを思い出しますと、こう言いました。
「明日の三月三日に、二人の子供を連れて、吹台のお祭りを見にいきませんか」
婁潜斎は品行方正な人でしたが、融通のきかない性格ではありませんでしたので、こう言いました。
「天気さえよければ、まいりましょう」
孝移は、潜斎が端福児に駄目だと言うだろうと思っており、行くというとは思ってもいませんでした。端福児は、母親からもう話を聞いていましたので、思わずうれしそうにしました。孝移は、王氏が「先生はきっと行って下さいます」と言っていたことを思いだしますと、笑い出しそうになりました。潜斎は孝移の様子を見ますと、すぐに
「何かおかしいのですか」
孝移は二人の子供が近くにいるので、はっきりと話そうとはしませんでした。そして笑いながら
「今、先生が家内が思っていた通りのことを仰ったものですから」
潜斎が事情を尋ねますと、孝移は王氏にからまれたことを、笑いながら話しました。潜斎も大笑いして言いました。
「私はご夫人の思った通りのことをいったわけではありません。あなたは考えが堅いのです。二人の子供が奥さんと一緒にお祭りに出掛けるのは、いけないことですが、私とあなたが彼らにつきそって、お祭りをちょっと見て帰ってくるのでしたら、いいではありませんか。昔から『息子を教育するときは、父親から離れさせてはいけない。娘を教育するときは母親から離れさせてはいけない』と言います。子供を部屋にばかり閉じ込め、正しくまともな話ばかりしていたら、頭の鈍い質の子供は、木偶の坊のようになってしまいます。賢い質の子は、大きくなれば、書房から出て、本を棄て、建て前ばかりの話はきれいさっぱり忘れてしまうものです。この話は、少し極端かも知れませんが、子供の教育は、ゆっくりではいけませんが、急ぐのもよくなく、放任してはいけませんが、締め付けるのもよくありません。一言でいえば、難しいものなのです」
「先生は北の城門の近くの静かな家に住んでいらっしゃいますが、私はこの街の大通りに住み、沢山の繁栄していた家が、あっという間に零落してゆく様を見聞きしてきました。ですから、心の中では、常にそのようなことが起こるのを恐れているのです」
「子供のためにあれこれ考えるのは、いいことでしょうが、家の盛衰は、上はご先祖さまから、下は子孫までの、努力や幸運に関わっていることですから、一人の人間がどうこうできるものではありません、今できることをきちんとするのが良いのです」
「それは、まことに優れたお考えです」
更にあれこれ話しますと、孝移は去っていきました。孝移が母屋に戻りますと、
「明日の事は、相談なさいましたか」
孝移は笑いながら
「先生は行くと言っていたよ」
「どうです。これからは、あの子を箱の中に閉じ込めて、隙間が開いたら紙で塞いでしまうようなまねはなさらないで下さいね」
その晩のことはお話し致しません。次の日になりますと、王氏は端福児を新しい服に着替えさせ、まず徳喜児に命じて、宋禄に車を準備させました。孝移が朝食の後に命令をしたときには、王氏はもうすっかり手筈を整えていました。王氏は、端福児に命じて、婁家の子供を母屋に連れてこさせ、端福児の新しい服を着せようとしました。婁樸は着ようとはせずに、こういいました。
「僕のこの服は、今年になってから、ほどいて洗ったばかりですから」
宋禄らの小者たちは、お祭りに行きたがり、車を通りの入り口にとめて待っていました。徳喜児は着替えて、嬉しそうにあれこれ命令をしていました。婁潜斎、譚孝移は、二人の子供を引き連れて一緒に車に乗り、南門を出て東へ行き、繁塔[11]にさしかかりました。すると、もう黒山の人だかりができており、七八里にわたって一面の人で、大変賑やかでした。その様はといえば、
劇を演ずる人々と、飾り付けられたる舞台、銅鑼と太鼓が鳴り響き、文官は笏を持ち、武官は剣の舞ひをせり。物語をば演ずる者は、ぞろぞろと列をなし、旗と幟は翻る、仙女は払子をうち払ひ、悪鬼は戈を背に負へり。酒屋の暖簾は風に揺れ、描かれたるは呂洞賓[12]。「つけ買ひは駄目」と記したり。薬屋の看板は道路におかれ、そばにあるのは孫真人[13]。「廉価で奉仕」と書かれたり。飯屋には山海の珍味あり、ボーイは肩からおしぼり放さず。茶屋には綺麗な草花並び、かまどを炊く人団扇が放せず。綱渡りは太陽を追ふ二郎のごとく[14]。馬乗りが見せるのは「童児拝観音」。いとも見事な身のこなし。手品師は費長房の壺入り[15]を演じ、講談師は張天師[16]の悪魔退治を語りたり。まことに褒めても褒めきれぬ見事な武術。絹物屋では、太つたお客が鷹揚に腰を掛け、家畜屋では、狡猾な仲買人が駆け回り、飴屋と炊餅屋、子供を見れば甘くてうまいよと叫び、簪売りにボタン売り、女を見れば負けておきますよと言へり。田舎のよぼよぼ婆さんは、瓣香[17]
つまんでブツブツブツブツ。ひたすら唱ふる阿弥陀仏。放蕩息子は、新しい蘭を握りて[18]、押し合ひへし合ひ。目に映るのは麗しき仙女たち。つんぼは目をば頼りにし、目くらは耳を頼りにし、祭りの雰囲気味わひにくる。人いきれ霧となり、人の声雷のよう、まことに賑やかなりといふべし。
宋禄が車を人込みの外れにひいていきますと、孝移は
「止まってくれ」
と言いました。一同は車から降り、辺りを見回しました。すると、一人の若者が車のところへやってきて、譚孝移に向かって挨拶をし、小声で潜斎に尋ねました。
「叔父さんは今日はお散歩ですか」
「そうだ」
孝移
「こちらはどなたですか」
「甥です」
「先日はお会いできませんでしたね」
婁樗
「あの日、私は村へ行っていたのです」
潜斎
「お前はお祭りで何をしているのだ」
「父に農機具を幾つかと綿打ち弓を一つ買ってくるようにと言われたのです」
孝移
「これは『敬姜糸つむぎをやめず』[19]ですね」
潜斎は笑って
「一般人の家では『一婦織らざれば、或いは寒を受けん』[20]ですが、私の家では『必ず寒を受けん』なのです。『或いは』などとは言っていられないのです」
孝移はうなずきました。潜斎
「もう買ったのか」
「買って帰ろうとしていたところです。譚さまと叔父さんがここにいらっしゃったので、挨拶をしにきたのです」
「仕事がすんだのなら、あの子たち二人を台の上に連れていってくれないか。私と譚さんはここで待っていよう。すぐに帰るから、遠くへいく必要はないぞ」
婁樗は二人の子供を引き連れて、禹王台に登っていきました。孝移は命令しました。
「徳喜児もついていきなさい。人が多くて離れ離れになるかもしれないから、しっかり手をつないでいってくれ」
婁樗
「注意致します」
四人は揃ってその場を離れました。
すると、一人の男が北の方から、潜斎と孝移の前にやってきて、挨拶をしました。
「お義兄さん、御機嫌よう」
見れば、妻の弟の王春宇でした。孝移
「ずっと会っていませんでしたね。今日はお祭り見物ですか」
「お祭り見物をする暇はございません。商売の関係で、祭りの場で人と会って話をすることになっているのです。しかし、二日探したのですが、人出が多く、その人と会うこともできませんでした。もうどうにでもなれですよ。お義兄さんから、去年丹徒のお土産をいただいたのに、お礼も致しませんで。あの日、お義兄さんを尋ねていったのですが、ご不在でした。毎日、訳が分からないほど忙しくて、親戚にはまったく不人情なことをしております」
「あなたはきっとお金持ちになりますよ」
「すべては天のみぞ知るですよ」
そして、更に尋ねて
「こちらはどなたですか」
「端福児の先生で、北門の婁さんです」
「ご挨拶もせず、失礼致しました」
潜斎
「とんでもございません」
「端福児は来ているのでしょう」
孝移
「さっき台に登っていきました」
「人が多くて押し潰されてしまうかもしれませんよ」
「人がついています」
「それでは失礼します。また人込みを見てきます」
「お仕事、頑張って下さい」
暫くしますと、婁樗が二人の子供と徳喜児を引き連れて戻ってきました。彼らは口々に
「人がすごく多かった」
と言いました。
孝移
「帰ってこれてよかった」
婁樗
「叔父さん、家に伝えることはありませんか」
潜斎
「帰りなさい。特にいうことはないから」
すると、王春宇が籃に品物を入れてやってきました。それは飴、ちまき、油条[21]の類いでした。彼は笑いながらいいました。
「端福児は戻ってきましたか」
端福児が前に進んで拱手しますと、春宇
「叔母さんからの贈り物だよ」
更にたずねて
「この子はどなたですか」
孝移
「婁さんのご子息ですよ」
潜斎は挨拶を返させました。春宇は品物を車の上におきますと、言いました。
「子供たち二人で先に少し食べなさい。おなかが減っただろう」
彼は更に孝移に向かって
「今日は義兄さんに少し話があるのです。義兄さんは普段のように堅いことを仰らないで下さい。今日は先生、先生のお子さん、義兄さん、端福児に、私の家で昼御飯を召し上がっていただこうと思うのですが」
孝移
「午前中に帰ると言ってありますから、ご馳走していただくわけにはまいりません」
「午前中に帰るというのは、お家の方に言われたのでしょう。兄さんが私の家で昼を過ごしたことを知れば、姉も喜びますよ」
潜斎
「私は帰りますよ」
春宇
「私の家はここから東の城門を入ったところで、帰るときは道なりですから、いずれにしても日帰りできますよ」
孝移
「人が多いですから、ご馳走して頂くわけにはいきません」
春宇は笑って
「端福児が叔父の家にきたのに、ご馳走さえ出さなければ、貧乏な叔父さんということになってしまいます。さきほど人込みの中へ行ったとき、下男に妻への手紙を届けさせました。お客が来ないなどということになれば、女房にも顔がたたなくなってしまいますよ」
孝移は笑って
「それは厄介ですね。仕方ありません。ご馳走になりましょう」
一同は笑いました。王春宇は、宋禄に車の準備をさせました。孝移
「一緒に乗りましょう」
春宇
「車も人でいっぱいですね。あの木に繋いであるのは私の騾馬ですが、皆さんよりも私の方がきっと先に家に着きますよ。
程無く、車は宋門に入り、曲米街につきました。王春宇は、すでに門の前で待っていました。車から降りて門を入り、店屋を通って更に中に入りますと、三間の廂房がありました。雪洞のように真白な壁で、前には福の神[22]の像が置かれ、抽き出しのついたテーブルの上には天秤が置いてありました。算盤の下には幾つかの帳面が置かれており、壁には腰刀、書画が掛けられ、先祖が読書人であった時の雰囲気をとどめていました。一同が礼をして、腰掛けますと、春宇が端福児にむかって
「叔母さんがお前を待っているよ。こちらのお子さんと一緒に奥へ行きなさい。一緒に遊ぶ子がいるから」
潜斎は腰掛けますと
「初めまして」
といいました。春宇は
「どう致しまして」
といいました。そして、溜め息をつきますと
「父は、府学の生員だったのですが、私の代になるとできが悪くなり、書物を棄て、商人に落ちぶれてしまったのは恥ずかしいことです。私が人前に顔を出さないのもそういうわけなのです。特に義兄さんの家は、恥ずかしくて、訪ねにくいのです。今日は義兄さんのお陰で、婁先生のご光臨まで賜り、勿体ないことです」
孝移
「何を仰るのですか」
潜斎
「士農工商は、全て立派な仕事です。商人だからといって悪いことはありません」
春宇
「私はほんの何冊かの本を読みましたが、結局自分の無学が恥ずかしくなっただけでした。他人には言えないことですがね」
すると、裏の方で
「お前も表へ出て、譚さんにご挨拶なさい」
という女の声がし、二人の子供と、もう一人の子供が、客間の前に現れました。春宇
「まず婁先生にご挨拶なさい。次に伯父さんに拱手をなさい」
婁潜斎がその子供を見ますと、薄紅色の顔、紅い唇をしており、聡明な雰囲気が漲っていました。そこで婁潜斎は褒めました。
「利発そうなお子さんですね」
孝移
「この子は小さい頃からいい子でした。義父は、この子を抱きながら、将来自分の後を継ぐ者だといつも言っていました」
春宇
「この子は愚かではなさそうなのですが、教育をしてくれる人がいないのです」
譚孝移は、義父が文章のうまい名士であったことを思い出し、預かって勉強をさせてやりたいと思いました。潜斎も、この様な良い子を見て、立派な人物にしてやりたいと考えました。しかし、二人とも、そのことを口には出しませんでした。
暫くしますと、食事の席が調いました。食器は清潔で、海のもの、山のものが揃えられていました。孝移
「不意の来客なのに、随分立派な食事ですね」
「実は、家内の料理をお客に出すわけにもいきませんから、お祭りでちまきを買ったときに、城内に人を遣わし、蓬壺館に、この料理を注文させたのです」
潜斎
「ご散財をして頂き、申し訳ありません」
「お恥ずかしいことです」
三人の子供は、食事の最中に、箸をおいてしまいました。春宇
「食べないのなら、裏へ行ってお茶を飲んできなさい」
三人は裏へ行きました。暫くして食事を終えますと、孝移
「子供の教育はどうなさいますか」
春宇
「この街の三官廟[23]には、いろいろな家の子供が集まって勉強をしています。家内は、よその家の子が息子をいじめるかもしれないといって、勉強をしにやらせません。そこで、仕方なく、私が勉強を教えています。しかし、私は学問が浅く、暇もありませんので、『千字文』のお手本[24]を買ってきて、習字をさせています。将来、帳面をつけることができるようになれば、それでいいですよ」
潜斎
「それではあの子がかわいそうです」
孝移
「それはまずいですね」
王春宇は利口な商人でした。彼は二人の様子を見ますと、溜め息をついて
「兄さんの家から離れているのが残念です。もし近くに住んでいれば、手の打ちようもあるのですが」
孝移
「又相談しましょう」
宋禄、徳喜児は食事を終えますと、出発しましょうと言いにきました。孝移は、二人の子供を車に乗せました。すると、奥から
「まだ早いのに、急がれることもないでしょう」
という女の声がしましたので、さらに少し過ごしてから、ごちそうさまをいい、二人の子供と一緒に車に乗りました。王春宇は表門まで送り、戻ってきますと、妻の曹氏に向かってこう言いました。
「今日、譚さんは隆吉の勉強の面倒をみようと仰っていたようだね」
「私はさっき端福児に質問したのですが、譚さんのところで勉強しているのは、子供二人だけなのですって。あの子にも勉強をさせてやりたいものですわ。明日、水礼[25]を調えて、お義姉さんに会い、相談してみましょう。お義姉さんは物分かりのいい方ですし、あちらは大金持ちですから、うちの子が一年ただ飯を食べても、どうということはないでしょう。お義姉さんが賛成されれば、譚さんだって承知して下さいますよ[26]」
春宇は笑って
「譚さんは俺みたいに、おまえのいう事にはいはいと従うような方ではないぞ」
「そんなことはありませんよ。私のいう通りにすれば、きっとうまくいきますよ」
「譚さんは、うちの親父が立派な生員だったから、岳父と婿のよしみで、親父の孫の面倒をみようというのだよ」
「明日、私が水礼を調え、二人かきの轎に乗って、お義姉さんの家へまいりますわ」
次の日、春宇は準備をととのえました。曹氏は朝飯をとりますと、下男に盒子を担がせました。隆吉は曹氏について、譚家へ行きました。王氏は義妹がきたと聞きますと、大変喜び、轎かきに盒子を持ちかえらせ、曹氏を泊まらせようとしました。曹氏は子供の勉強のことを相談しようと思っていましたので、すぐにはいと答えますと、こういいました。
「とまることはできません。夜になったらお義姉さんの車に乗って帰りましょう」
女房同士は、くだくだと家のこと、親戚付き合いのことなどを話し、やがて、隆吉を婁先生につけて勉強させたいのだがという話になりました。
「お義姉さんに一年食事を作っていただくことになってしまいますが」
「みんながご飯を食べるのに、あの子にだけ食べさせないわけにもいかないでしょう。三人の子が一緒に付き合えば、寂しくもないでしょう」
曹氏は、王氏が承知したと思い、いいました。
「譚さんはどう仰るでしょう」
「私が相談してみましょう」
そして、徳喜児に、おもての中庭の客間に客がいるか見てくるように命じました。すると徳喜児
「お客さまはいらっしゃいません。旦那さまと王さんのお子さんが話をしてらっしゃいます」
王氏はおもての中庭にいき、曹氏が話しにきたことを相談しようとしました。孝移は王氏に会いますと
「あの子はとても賢いから、お義父さんより何倍も優れた人物になるだろう」
王氏はちょうどいい機会だと考え、曹氏が来たわけを話しますと、譚孝移は
「それはいい」
といいました。
「あなたがいいと仰るなら、婁先生に勉強をみていただくことを、弟に伝えてください」
「先日、先生は、お祭りから戻ってくると、しきりに『あの子に勉強をさせないのは惜しいことだ』と仰っていたよ。私が話しをすればすぐに承知されるだろう。あの子の母親にこのことを伝えておくれ」
王氏は喜んで戻ってきますと、曹氏に向かって話しをしました。曹氏は隆吉を呼びますと
「伯母さんがここで勉強をさせてくださるそうだよ。おまえは腕白なことをしたり、端福児と従兄弟どうしで喧嘩をしたりしてはいけないよ」
更に王氏に向かって
「この子が腕白なことをしたら、どうかぶって下さい。悪いものは悪いのですから。隆吉や、家が恋しくなったら、徳喜児に頼んで、二三日ごとに家に送り返してもらえばいい。もう日も暮れましたから、私たちは帰ります。二三日したら、勉強を始めさせましょう」
王氏はひきとめることもできず、宋禄に車の準備をさせ、送り返しました。
数日後、王春宇の家の下男が布団を運んできますと、こう言いました。
「明日から、隆吉坊っちゃんが勉強を始められます。まずは譚さまにご挨拶申し上げます」
次の日になりますと、王春宇が隆吉を連れてやってきました。そして、姉と義兄に向かって言いました。
「お義兄さんのお心遣いで、息子が立派な先生の教えを受けることができるようになりました。その上、食事までつけていただき、本当に有り難いことです」
孝移
「私たちはもともと親しい親戚なのです。そんなことは仰らないで下さい」
王氏
「心配しなくていいのだよ。あの子は私の息子も同然なのだから」
「しかし、私も姉さんに迷惑をかけたくはないのです」
譚孝移は、徳喜児に命じて、皿を台所から庭へ運ばせ、王さんの坊っちゃんが今日から勉強を始められるからすぐに来て下さいと先生に報告させました。譚孝移はさらに王春宇のために酒席を設け、隆吉を連れて碧草軒にいきました。
王春宇が先生に会って、挨拶をしますと、潜斎
「先日はご馳走になりました」
春宇
「お粗末さまでした」
そして、更に言いました。
「私は本を読まぬ人間ですから、何も分かりませんが、義兄のお陰で、息子が立派な先生につくことができました。私は挨拶も知りませんので、ただただ叩頭するばかりです」
そして、懐から大きな赤い袋に入った贈り物を取り出し、先生に向かって叩頭しましたが、潜斎は受けようとしませんでした。挨拶が終わりますと、春宇は大声で、
「宋隆吉、こちらへきて先生に叩頭するのだ」
隆吉は挨拶を行い、婁樸、譚紹聞と同じテーブルに座りました。
孝移は、徳喜児に、酒や皿を廂房に運ぶように命じ、潜斎、春宇を廂房に案内し、着席させました。三人が一緒に廂房へいきますと、徳喜児が酒をつぎにきました。孝移
「先ほどあの子が挨拶をしたときに、どうして『宋隆吉』と呼ばれたのですか」
「子供はよく死ぬものです。この子が生まれた時、妻がこの子のために干大[27]を求めたのです。この街には宋裁縫[28]がおり、彼に干大になってもらいました。干大が名前をつけたので、宋隆吉というのです。来年十二歳になって、鎖紙[29]を焼いたら、家に戻ってきます」
「お義父さんの立派な家風を、あなたは台無しにされましたね。今頃、お義父さまは、干大をとったことをきっとお怒りになっているはずです。大体、子供の姓が今年は宋で、来年は王になるなどという道理があるでしょうか。私は今までこのことを全然知りませんでした。干大という言葉を、人々は気軽に口にしますが、これは本当はとんでもないことなのですよ」
「少しも本を読んでおりませんので、こんなでたらめなことをしてしまいました」
潜斎
「実は昨今の読書人にも、こういうでたらめなことをする者が少なくないのです」
そして、更に言いました。
「あの子は今日から勉強を始めます。あの子は私の弟子になるわけです。先ほどお子さんの服を拝見しましたが、あまり上品とはいえませんでしたね」
「話せば恥ずかしいことなのですが、女房がここ数日間、まるで息子が出仕でもするかのように考え、私に数尺の絹を買い、服を作るようにと言ってきかなかったのです。私はそんな必要はないと言ったのですが、女房は『一粒種の子なのです。この子のほかに誰に服を着せろと言うのです。』といい、私に古着を買わせ、息子の干大の宋裁縫に二三日がかりで繕わせ、それを息子にそれを着せ、勉強をしにこさせたのです。私は本を読んだことのない人間で、毎日商売でろくでもない人間と付き合い、立派な人々とは交際しませんから、正しいことも耳に入ってきませんし、道理などというものは分からないのです。妻は自分に従えと言います。私も、妻が言うことは間違っていると思うのですが、抑えつけることもできません。今日、私がお教えを被ることができたのも、先父の恩徳というものです。立派な親戚がいたおかげで、このような正しい話を聞くことができたのです。私は、明日、あの子の普段着を送ることにしましょう」
春宇は言いおわりますと、家に戻ろうとしました。すると、孝移がひきとめました。
「あなたは、今日、これから先生にお酌をしなければなりませんよ」
「私は昼に隆泰号から清算を頼まれているので、遅れるわけにはいきません。義兄さんが私の代わりをなさってください」
春宇は更に隆吉に言い含めました。
「今晩、お前の普段着を送るからな。新しい服はもって帰る。しっかり勉強するのだぞ。わしは二三日したら会いにくるからな」
そして、拱手をしますと去っていきました。まさに
服は飾りで体が中身
堯桀は雅俗の違ひがあるのみぞ
街の若者 この理を知らず
時流を追ひて身を飾りたり
最終更新日:2010年11月3日
[1]開封には昔、東の門が二つあり、北のものを曹門、南のものを宋門と称した。
[2]春秋時代の晋の楽士。
[3]漢の梁孝王は、劉武。劉建は燕王。
[4]杜甫『遺懐』に「昔我遊宋中、惟梁孝王都。…憶与高李輩、論交入酒桷…」(「昔私は宋中─河南省商丘県の南─に旅した、ここは梁の孝王の都であった。…思えば高適、李白たちと、語り合いながら酒屋に入ったものであった…」)とある。
[5]棒槌は洗濯棒。音をたてる洗濯棒。がらがらのようなものか。
[6]小麦粉に油、砂糖を加え、こねて焼いたパイ状の食品。
[7]明代中期以降、各省に置かれ、一省の民政軍事を掌握した官。
[8]地方官。一省に一人置かれ、行政、司法をつかさどる。巡撫の監督を受ける。
[9]地方の行政、司法を監察する官。
[10]清代に、地方の省の文武の官が、毎月朔望(一日と十五日)に、文武廟(孔子廟と関帝廟)で、香を焚き、拝礼を行うこと。
[12]呂祖ともいう。道教で尊崇される。八仙の一。
[13]孫思邈のこと、唐の京兆華原の人。医学者。著書に『千金要方』がある。道教でも崇拝される。
[14]二郎神、楊二郎、灌口二郎神ともいう。玉皇大帝の外甥で火の神。
[16]後漢の張道陵のこと。道教で崇拝される。
[17]香の形が瓜の瓣に似ているので、この名がある。
[18]原文「握新蘭」。蘭は香草。香草を身につけること。
[19]敬姜は、春秋時代魯の文伯の母親である。文伯が魯の宰相となっても、糸つむぎをして働くのをやめなかったという。『列女伝』に記載がある。
[20] 『漢書』食貨志上に「一夫不耕、或受之飢。一女不織、或受之寒」とある。
[21]練って発酵させ塩味を加えた小麦粉を、長さ三十センチ程度の紐状または縄状にして油で揚げた食品。揚げパン。
[22]原文は「増福財神」。「増福神」、「財神」、「財神爺」ともいう。道教で崇められる。もともとは、秦代に鍾南山で得道した趙公明。「趙公元帥」とも呼ばれる。
[23]道教の廟。天官、地官、水官を祀る。
[24]原文「影格児」。文字が書いてある、習字用の下敷。上から字をなぞる。
[25]食事の礼物。乾礼(金銭の礼物)の逆。
[26]原文「内軸子転了、不怕外輪児不動」。(車軸が回れば車輪も回る)。
[27]義理の父親。
[28]裁縫屋の宋。
[29]義理の父になると、義理の母が「鎖」と呼ばれる赤い布の首掛けを一本送る。その後、一歳年をとるごとに布を一枚増やし、十二歳になると、義母が首掛けを取り去り、祈祷を行いながら紙銭と共に焼く。