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呂蒙正風雪破窑記

第一折
(冲末が劉員外に扮して家童を連れて登場)僧侶は起くること早く、道士は起くること早し。三光[1]を礼拝すれど天は知るなし。城中のいかほどの富豪の家の、明星を知らずしてただちに老いに到るなる。

老いぼれは姓は劉、名は仲実、洛陽の人。万百貫の財産があるものの、倅がなく、娘があるのみ。かれは字を月娥ともうし、他人と婚約していない。わたしは今娘を結婚させようとしているが、優れた人を得られないのを恐れている。思うに姻縁は天の定めることであろう。本日は彩楼[2]を組み立てて、梅香に命じて娘を連れてゆき、彩楼の上に行かせて、繍球を抛たせ、天にまかせて縁結びさせるとしよう。繍球が人の身に落ちさえすれば、官員、庶民、商人、旅客を問うことなく、招いて婿にするとしよう。繍球がすなわち三媒六証[3]と同じ礼物なのだ。家童よ、梅香に言い、娘といっしょに彩楼に上らせて、繍球を抛たせたら、わたしに報告しにこさせるのだ。めでたいことを遅らせるな。娘が結婚を成就すれば、老いぼれの平生の願いに叶おう。老いぼれはとりあえず奥の間へ行き、筵席(うたげ)を調え、娘を祝うことにしよう。はやく行き、はやく来て、老いぼれを喜ばせてくれ。(退場)

(外が寇準に扮して呂蒙正とともに登場)(寇準)古の書を読みて、古今を笑ひ、流俗に従ひて浮沈を共にするを恥ぢたり。つねに期す、正しき道もて元化[4]を扶け、虚名のために片心を労せじと。

わたしは姓は寇、名は準、字は平仲という。この弟は姓は呂、名は蒙正、字は聖功。われら二人は同じ学堂で勉強し、筆を動かし、書を写していた。満腹の文章を学んだがそれもむなしく、一貧は洗うが如く、この洛陽の城外のぼろぼろの瓦窑の中に住んでいる。われら二人の教養をもってすれば、富貴を得るのは手のひらを返すかのようなもの。いかんせん文才はあるものの幸運は訪れないのだ。弟よ、城内の劉員外の家で彩楼を組み立てて、婿を招こうとしていることを聞いたから、われら二人は行くとしよう。かれの家が婿を招く時、われら二人が一篇の新郎を祝う詩を書けば、かれの家ではきっとそのままにしておかぬだろう。いささかのお金を得れば、一二日の路銀になろう。われら二人はともに行こうぞ。

(呂蒙正)仰ることはごもっとも、ぐずぐずせずに、兄じゃといっしょに行きましょう。

(寇準)いっしょに行こう。(ともに退場)

(正旦が梅香を連れて登場)わたしは姓は劉、字は月娥、年は十八。身分の高い家には応ぜず[5]、身分の低い家には就かず、結婚をしていない。今日、父上は彩楼を組み立てて、わたしに繍球を抛たせ、天に従い縁結びさせようとしている。梅香や、彩楼に上ったが、官員、庶民、商人、旅客、商いをするものたちがおり、ほんとうに人は多くて、物は豊かだ。

(梅香)お嬢さま、お父さまの厳命でございます。お嬢さまは繍球を抛って、天に従い、縁結びなさいませ。繍球を間違って抛たれてはなりませぬ。ついでにわたしに一人の男を招いてくだされば、まさに人助けになりましょう。

(正旦)わたしにはおのずから考えがある。

(二浄が左尋、右躱に扮して登場)

(左尋)柴もまた貴くはなく、米もまた貴くはなし。二人の馬鹿は、あたかも一対。われら二人は一人は左尋、一人は右躱。この劉員外の家の娘が婿を招こうとして、彩楼を組み立てて、繍球を抛つということを聴いたぞ。あのお嬢さまは器量が良いということだ。われら二人はこのように美しいから、繍球が狙うのはわれらであろう。奔走するのを避けることなく、行くとしよう。

(寇準が呂蒙正とともに登場)(寇準)弟よ、彩楼の下に到着したぞ。あのお嬢さまが繍球を投げるのを見るとしよう。

(正旦)梅香や、繍球を持ってきておくれ。

(梅香)お嬢さま、繍球はこちらにございます。

(正旦)わたしの父は、結婚で間違いがあることを恐れているため、彩楼を組み立てて、繍球を抛たせ、婿を選ばせているのだ。(唱う)

【仙呂】【点絳唇】勝れたるものを好めるわが両親は、花のごとくに、ことさらに甘やかし、新郎を招かんとしたるなり。翠簾[6]を巻き、妝楼[7]にしぞ上りたる。

【混江龍】(おばしま)に拠り、じつと望みて、たちまちに振り返り、梅香に問ふ。

(梅香)お嬢さま、何をお尋ねにございましょう。

(正旦が唱う)見れば二人は衣冠は整ひ、鞍馬は常のものならず。藍橋を守りし貧乏書生を償ひ[8]、桃源に誤りし聡明で(うるは)しき劉郎に勝るべし[9]。眉を顰めて目配せし、巧みな口で、貴き人に取り入りて、水に順ひ船を推し[10]、若かれどわれわれよりは年上ならん[11]。塵俗の容貌ならず、いささかの目もあやな衣裳を着けたり。

(浄が歩く)ほんとうに良いお嬢さまだ。繍球をわたしに抛ってください。

(梅香)お嬢さま、あの二人は、着けているのは錦繍の服、貧乏な書生よりましでございましょう。

(正旦)梅香や、おまえは知らないのです。(唱う)

【油葫蘆】剣を学びて書を読める折桂の郎[12]、いつの日か選場[13]が開かれば、半間の書斎は都堂に換はらん。韓信は瓜を盗めど元戎の将となり[14]、傅説は板もて牆を築けど頭庁相(おとど)となりき。そのかみの王鼎臣[15]、姜呂望[16]らのことを思へば、鼎臣は柴の荷を肩に負ひ、太公は八十歳で文王に遇ひたりき。

(梅香)お嬢さま、八十歳になるのを待っていましたら、年取ってしまいます。

(正旦)梅香や、君子は時を待ち、分を守ると言わぬかえ。(唱う)

【天下楽】「(さち)ある人は焦らず」といふを聞かずや。われはこなたでしかと見て、心にひそかに思ふなり。にはかに一声(かみ)が響けば[17]、朝には田舍の(をのこ)なれども、暮には天子の堂に登らん。寒門に将相が生まると言はずや。

(梅香)お嬢さま、好機にございます。これは繍球でございます。仰ることがございましたら、この繍球に言い含めなさいませ。

(正旦が繍球を手に受け取る)(唱う)

【金盞児】繍球よ、心の優しく、(さが)の良く、志気があり、教養のある人を捜せかし。一生の事はみななんぢ繍球次第なり。夫と妻となるときは、貧しからんとも豊かならんとも妨げはなし。貧しからんとも豊かならんともわたしは(しあわせ)。良きと悪しきを考ふべきなり。愛情のなき軽薄子にな当たりそね。尊敬を知る画眉郎[18]を捜せかし。

(正旦が繍球を抛つ)

(呂蒙正)兄じゃ、ご覧ください、あのお嬢さまは、繍球をわたしの前に抛ちました。

(寇準)弟よ、この繍球はまちがってそなたの懐に落ちたのだろう。われらはひとまずあちらに行って待機して、員外がどうするのかを見るとしよう。

(浄)繍球はほかの人に抛たれたぞ。わたしとあなたは用はない。われら二人はいっしょに唱って、去るとしよう。

(大浄が唱う)

【金字経】繍球は今日は一人の貧乏な秀才に当たりにき。

(二浄が唱う)われは怒れば、涙は(ほほ)に満つるなり、涙は(ほほ)に満つるなり。

(大浄が唱う)これもまた、かのひとの縁なれば、

(二浄が唱う)咎むるなかれ。

(大浄が唱う)われらは尻尾を曳きつつ帰らん。(ともに退場)

(梅香)お嬢さま、繍球を抛たれたなら、わたしたちはお父さまにご報告しにゆきましょう。(ともに退場)

(劉員外が雑当を連れて登場)鵲は檐前(のきば)(さは)ぎ、喜びは天より来れり。

あの梅香はほんとうに仕事ができぬな。娘を連れて繍球を抛たせにいったが、長いこと、どうして報告しにこないのか。

(正旦が梅香とともに登場、会う)(梅香)旦那さま。お嬢さまは婿どのをお招きになりました。

(劉員外)どこにいる。来させよ。

(梅香)繍球を得た方はいらっしゃいまし。

(寇準が呂蒙正とともに会う)(寇準)弟よ、われわれはこの入り口で待機しよう。おまえを呼んでいるではないか。

(梅香)秀才さま、舅を拝しにゆかれませ。

(呂蒙正が劉員外に見える)

(劉員外)そのものは誰か。

(梅香)このかたがあらたに招いた婿どのの呂蒙正さま。

(劉員外)娘よ、官員、富豪の子弟がいるのに招かないのか。この呂蒙正は城の南のぼろぼろの瓦窑[19]の中に住んでいるのだ。いささかのお金を与え、追い返せ。

(正旦)お父さまは間違っていらっしゃいます。今までは、繍球が当たったものは官員、庶民、貧窮、富貴に関わらず、婿にすると仰っていました。あのかたに中たったのなら、お父さま、わたしはあのかたに従ってゆくことを望みます。

(劉員外)娘よ、おまえは苦しみに耐えられぬだろう。

(正旦)耐えられます。いずれにしてもあのかたに嫁ぎます。

(雑当)員外さま。お嬢さまはあのひとに嫁ごうとされていますから、従われませ。お嬢さま、あのひとのぼろぼろの瓦窑には、住めないのではございませんか。

(正旦が唱う)
【酔中天】かのひとが地を焼きて(カン)と為し、壁を鑿ちて光を盗み、底のなき土鍋より飯湯(おもゆ)が漏るに一任せんとも物の数かは。蜘蛛の巣が張りめぐらされ、土の(カン)、蘆の(むしろ)草房(くさのや)に、(ぬひとり)(とばり)(うすぎぬ)(とばり)のなきも物の数かは。

(劉員外)もう一度考えろ。

(正旦が唱う)わたしは心に従ふ処がすなはち天堂。

(劉員外が怒る)小娘め、わたしの言葉が聴けぬのか。なぜ呂蒙正に嫁ぐのだ。梅香よ、あれの衣服と髪飾りをみな取ってきてくれ。嫁入り道具もやらないぞ。あれは苦しみに耐えきれず、かならず家に来るだろう。今日すぐに家を離れろ。あれを行かせろ。

(呂蒙正)われら二人は父上にお別れをしてゆきましょう。

(雑当)ご無用にございます[20]。(門を出て寇準に見える)弟さんが来ましたよ。

(寇準)どうだった。員外に会ったら、何と言っていた。

(呂蒙正)あのひとはわたしが貧しく、頼りないことを嫌われ、嫁入り道具も送らずに、お嬢さまの衣服、髪飾りをすべて残して、われら二人を追い出しました。

(寇準)それならば、お嬢さまは眼に珍珠(たま)がある[21]。おまえが官位を得られれば、お嬢さまは夫人県君だ。二人はさきに戻るのだ。わたしはすぐに行くとしよう。

(呂蒙正)お嬢さん、苦しみに耐えられぬでしょう。

(正旦)耐えられまする。耐えられまする。(唱う)

【尾声】晩に到れば月は射し、ぼろぼろの窑は明るく、風は吹き、蒲簾[22]は響かん。これこそはわが花燭洞房[23]。げにやげに家具財物は豊かにて、軽やかな羅錦は千箱[24]。才郎をお守りし、恭倹温良たるべけん。菱花の鏡の妝ひは憔悴すれども、(をしどり)(ふすま)(きさ)(とこ)[25](ぬひとり)(とばり)(うすぎぬ)(とばり)を恋はじ。ぼろぼろの窑、風と月との射しこめる漏星堂(あばらや)にしぞ住まひせん。(ともに退場)

(寇準)この家は「富を為して仁ならず[26]」、軽薄である。わたしが行かねば、わたしをどのように見なすだろう[27]。(寇準が劉員外に見える)

(劉員外)しもべたち、この乞食はわたしの家へ何しに来た。

(雑当)なぜまた来たのでございましょう[28]

(寇準)誰が乞食だ。おんみがあらたに招いた婿呂蒙正の兄、寇平仲ぞ。わたしはおんみの親家伯伯(チンチアポオポ)[29]だ。

(劉員外)こんな親家伯伯(チンチアポオポ)がいれば、生活に心配はない[30]

(雑当)何が親家伯伯(チンチアポオポ)だ。おまえもただの貧乏秀才なのだろう。

(寇準)今日、良い婿を得られたは、おめでたいことなのに、何を怒っていらっしゃる。

(劉員外)減らず口を叩きおって。あちらへ行け。

(寇準)何を言う。「硜硜として小人なるかな[31]」。おんみは貧富を基準にし、骨肉を棄てるのか。結婚のときに結納を問題にするのは、夷虜(えびす)のやり方。古の男女の(ならい)では、それぞれが徳のある者を選んで[32]、財物を礼品にすることはなかった。われらは今は貧しいが、後に富むやも知れないぞ。おんみらは今は富んでいるが、後に貧しくなるやも知れぬ。古語に言う。「貧しきを見るとも笑ふことなかれ。富むとも誇ることなかれ。誰かはつねに貧しかるべき。誰かはひさしく豊けかるべき。秋さればおのづと山に色のあり、春さればいづれの樹にか花のなからん」。ああ、わたしはおんみの親家伯伯(チンチアポオポ)ぞ。(門を出る)

(詩)状貌は堂堂として北辰に似て、(おも)は鏡の如くして、色は銀にぞ似たるなる。憐れなり、かやうなる無情の物は。ただ衣衫を識り、人を知るなし。ここより去らば、また言ふことは難ければ、また行かん。(また劉員外に見える)ああ、わたしはおんみの親家伯伯(チンチアポオポ)ぞ。

(劉員外)また来たわい。あいつは貧乏書生だから、話は聴かぬ。

(寇準)われらは白衣の卿相で[33]、今は不遇で、ひとまず道を楽しんで、貧しさに甘んじている。なぜ貧しいのを責めるのだ。聖人曰く。「富と貴とは、人の欲する所なり。その道を以てせずして之を得ば、処らず。貧と賎とは、人の悪む所なり。その道を以てせずして之を得ば、去らず[34]」とな。石に玉が隠され、(どぶがい)に珠が含まれていても、五色の光明(ひかり)大虚(おおぞら)を射ることであろうぞ。人は才義を抱いていればかならず貴くなり、腹に教養があれば志は余りあるものであろうぞ。君子は不本意なときは貧窮に耐え、男児は不遇であるときは長嘆息する。一朝にして疾風迅雷を得れば[35]、人の世にほんものの丈夫(ますらお)が表れることであろうぞ。ああ、わたしはおんみの親家伯伯(チンチアポオポ)ぞ。(門を出る)

(詩)貧しさに耐ふべき時にはとりあへず貧しさに耐へ、顔色をもて他人に告ぐることなかれ。梧桐(あをぎり)の葉は落ちたれど根はありて、枝梢(えだ)を留めて、また春を待つ。行かじと思へど、怒りに肚は裂けんとすれば、また行かん。(また会う)ああ、わたしはおんみの親家伯伯(チンチアポオポ)ぞ。

(雑当)どうしてまた来た。

(劉員外)こいつはまた来た。来ればくどくどやかましい。貧乏人の話しは聴かぬ。

(寇準)おんみの富は用い尽くせるものではないが、わたしの貧しさも侮り尽くせるものではないぞ。わたしが言葉を用いて説かねば、おんみは賢い嬌客(むこ)を無視することだろう[36]。わたしはもともと齏塩[37]に耐えている一介の寒儒だが、風雪に隠れている八員の宰相なのだ[38]。いつの日か青霄を歩み、蟾宮に桂を折り[39]、青鸞[40]に跨り、(おおがめ)を北海に釣り、臥すときは茵を重ね、天下に知られ、食らうときは鼎を列ね、家柄をすっかり改め、吟じつつ鞭を振れば馬には春風、牛皮の帯を締めれば衣襟には香わしい靄、雲が飛ぶように繖蓋(きぬがさ)はたかく張られて、(かりがね)(はね)のごとくに役人はずらりと並び、皇閣に十年にして功は顕われ、青史に万載名を記されることであろうぞ。そのときは富貴栄華…

(雑当)また親家伯伯(チンチアポオポ)だというのだろう。

(寇準が背を打ち、推す)わたしのせりふを横取りしたな。

(詩)なれは富みわれは貧しきものと定まりたるにはあらず、一朝にして時運が変じ、他年金榜に名を標しなば、なれをして寇準と蒙正をしぞ識らしめん。(退場)

(劉員外)あの貧乏人は行ったか。

(雑当)行きました。

(劉員外)することがないから、奥の間へ酒を飲みにゆこう。でたらめなことをしたのをみずから恨む。繍球を抛って、婿を招こうとして、ちょうど貧しい男に当たってしまうとは。貧乏な書生には我慢ができぬ。(退場)

第二折
(長老が行者を連れて登場)(長老)明心(みやうしん)するに優花を捻らず[41]、見性[42]するに貝葉[43]の伝を須ゐず。日が出でば氷は消ゆるももともとは水、日は巡り月は落つるも天を離れず。

拙僧はこの白馬寺の長老だ。拙僧は功徳を積んで、修行を重ね、大乗の三昧を悟り、この寺で住持をし、朝な夕なに礼拝している。本日は堂に上って、法事を終えて、こちらで閑坐しているところだ。行者よ、山門の前で見張りして、誰が来るかを見よ。

(行者)かしこまりました。

(劉員外が登場)閑事(あだごと)が心を悩ますことなくば、それがすなはち人の世の良き時ならん。

老いぼれは劉員外。娘が呂蒙正に嫁いでから、あいつは毎日大通りで詩文を売って暮らし[44]、白馬寺で、毎日お斎食を貰っている。老いぼれは心の中はとても不愉快。本日は仕事がないから、寺に行き、長老に一声言おう。方丈に到着したぞ。行者よ取り次げ。劉員外がわざわざ訪ねてまいりましたと。

(行者)かしこまりました。

(報せる)師父にお知らせいたします。員外さまがお越しです。

(長老)お通ししろ。

(行者)どうぞ。(会う)

(長老)員外さま、来られましたは何事にございましょうや。

(劉員外)師父さま、老いぼれは用事がなければ参りませぬ。わたしの婿の呂蒙正は、毎日おんみの寺に来て、お斎食を貰っておりまする。満腹の教養を持っているだけで、功名を得ようとはせず、鐘の音が響くのを聴きますと、すぐにお斎食を貰いにきます。長老さま、老いぼれはお願いします。今後はさきにお斎食を食べて、後から鐘を鳴らしてください。あれはお斎食に間に合わなければ、おのずから発憤し、かならずや生きる道を捜しましょう。

(長老)分かりました。おやすいご用です。員外さま、どうぞ戻ってゆかれませ。

(劉員外)師父さま、申し訳ございませぬ。わたしは私宅に戻ってゆこう。これからは食事の後に鐘を鳴らすから、斎堂に行ってもむなしく、怏怏として帰り、志を奮い、上京し、受験しようぞ。その時は、はじめて錦衣を着て戻ることであろうぞ。(退場)

(長老)小坊主よ、毎日斎食を食べおわった時、鐘を鳴らしてくれ。あの呂蒙正が来たときは、わたしはおのずと考えがある。

(呂蒙正が登場)わたしは呂蒙正。毎日大通りで、詩文を売って暮らしている。時は冬、このような大雪が降っている。寺の鐘が響いているから、寺にお斎食を貰いにいって、斎食を得て、わが女房に食べさせよう。到着だ。

(長老に見える)師父さま、お斎食を持ってきて食べさせてくださいまし。

(長老)お斎食はなくなりました。呂蒙正どの、来られよ。申しあげよう。わたしの寺では考えたのだ。満堂の僧たちは厭わぬが、一人の俗人は余計だと[45]。おんみは一日にわれらのお斎食の一部を食べるが、一年でどれほど食べるか。以前、先に鐘を撞き、後にお斎食を食べていたのは、斎糧[46]が多かったからなのだ。さきに斎食を食べ、後に鐘を撞くのは、斎後の鐘といわれている。おんみは孔子の門徒で、満腹の教養をお持ちだから、受験して官職を得られれば、寺でお斎食を貰うよりましであろう。男児でありながら、恥知らずな。戻ってゆかれよ。

(呂蒙正)門を出た。わたしは男子大丈夫でありながら、このような辱めを受けてしまった。わたし一人のために、斎後の鐘を鳴らすとは。家に戻って、女房に会わせる顔がない。あの和尚めは無礼だぞ。わたしは瓦罐[47]からこの筆を取り出して、この壁に四句の詩を書き、あの和尚を罵ろう。(詩を書く)男児は不遇にして(いかり)は冲冲、懊悩す闍黎[48]斎後の鐘、ああ、後が出てこない。とりあえずやめにしよう。斎食も貰えなかった。ああ、とりあえずわがぼろぼろの窑へ戻ってゆくとしよう。(退場)

(長老)呂蒙正は行ってしまった。わたしはこの山門を出た。遠くへ行ってしまったわい。あのものは心の中で拙僧を咎めておろう。(詩を見る)ああ、あのものがわが三門に二句の詩を書いてある。「男児は不遇にして(いかり)は冲冲、懊悩す闍黎斎後の鐘」か。小坊主たち、あの人の二句の詩を損なうな。あの人は大志を持っているから、後日かならず出世する日があるだろう。仕事がないから、方丈に戻ってゆこう。

両廊に事はなく僧は寺へと帰るなり。残灯をふたたび続ぎて旧きお経を念ずべし。(退場)

(正旦が登場)呂蒙正さまに嫁いでから、ぼろぼろの窑に住んでいる。あのかたは日々白馬寺でお斎食を貰ってらっしゃるが、なにゆえに今になっても戻られぬのか。(唱う)

【正宮】【端正好】夫婦(めをと)今生(このよ)のものなれど、縁分(えにし)は前世に関はれり。貧と富は裙帯(をんな)の衣食[49]。簾を掲げて柴門(しばのと)に寄り、斎食を貰ひにゆきし夫を待つなり。

【滾繍球】鐘声(かねのね)の響いて信息(たより)を報するを聴く。斎食はまもなく来らん。わたしはかれの情意(こころ)を知れり[50]。かれはわれらを持てなしたれど、われらは何をお返しにせん。今は貧しきものなれど、発憤する日はありつべし。そのときは恩徳にしぞ報ゆべき。今は戻りきたまはねど、熱き羹湯(スープ)を一碗作り、凍ゆらん賢夫(をつと)を待てり。凍えて酸えた餡を食らふも、拙婦(わたし)の飢ゑは満たされず[51]。こは珍しきことにはあらず。

(正旦)秀才さまはそろそろいらっしゃるだろう。

(劉員外が卜児とともに登場)老いぼれは劉員外、娘は呂蒙正に嫁いだ。思うに娘は豊かな家で生まれ、豊かな家で育ったから、あのような貧乏に耐えられまい。お婆さん、

(卜児)お爺さん、どうされましたか。

(劉員外)われら二人は娘に会いにゆくとしよう。おいしい食事を持ってゆき、娘に食べさせ、衣服を持ってゆき、娘に着せよう。到着だ。月娥よ、門を開けよ。

(卜児が門で叫ぶ)娘はいるかえ。

(正旦)どなたが門で叫んでいるのか。この門を開けてみよう。

(正旦が卜児に見える)父上と母上でしたか。(唱う)

【倘秀才】今日、霊鵲(かささぎ)はかちかちと吉報を寄す。いかなる風の吹き回しにてわが家に来たまふ。淡飯黄齏[52]、何を召さるる。

(劉員外)あの貧乏人はどこへ行った。

(正旦が唱う)酒に燗する処にて一碗の熱水を酌み、紙を漉く処にて石灰を求め[53]、勉強を教ふる処で旧き筆をぞ捜したる。

(劉員外)どのような商売をしているのかと思ったが、家を回って詩文を売って暮らしていたか。娘よ、おまえも人を見る眼があるな[54]。あんな乞食に嫁ぐとは。娘よ、わたしに従って家に行こう。母さんが衣服を持ってきたから、おまえはそれを着、旧い衣服は、あの貧乏人に着せてやれ。わたしは食事を持ってきたから、おまえはさきに良いものを食べ、残ったものをあの貧乏人に食べさせてやれ。

(正旦)父上は間違ったことを仰っています。(唱う)

【倘秀才】おんみはわれに新しきを着せ、かのひとに旧きを着させ、われに宜しきものを食べさせ、かのひとに悪しきものをば食らはしめんとしたまへり。諺に言ふ、夫妻は福を(とも)にす[55]と。われら二人は月日を過ぐすに、いかでかは、かのひとのみに損をさせ、夫妻の道を失ふべけん。

(劉員外)娘よ、おまえはあの貧乏な秀才を慕っているが、どのような良いことがある。三千年出世することはできまいぞ。娘よ、家に行こう。

(旦児)秀才さまにお尋ねしてはおりませぬから、行きませぬ。

(劉員外)ほんとうに行かぬのか。父親の言葉は聴くに値しないか。おまえはひたすらあの貧乏な秀才に味方するのか。壊れた土鍋を打ち砕き、二つのお碗をも叩き、匙、箸をへし折ってやる。娘よ、おまえは死んでもわが家に来るな。わたしにもおまえのような娘はいない。婆さん、衣服と食事を小者たちに持たせ、われらは家に行くとしよう。(退場)

(正旦が哭く)父上、おんみはまことに凶悪。

(呂蒙正が登場)わたしは呂蒙正。斎食にありつけず、日が暮れてきたから、わがぼろぼろの瓦窑に還ってゆくとしよう。(正旦に見える)妻よ、誰かが来たのか。片足を家に踏み込めば[56]、わたしの銅斗の財産は[57]、みなめちゃくちゃになっている。

(正旦が唱う)
【倘秀才】匙をへし折らるれば(こけ)のごと、碗を打ち砕かれたれば溜息をつく。

(呂蒙正)いったい誰が壊したのだ。

(正旦が唱う)土鍋は打ち破られたれば底まで罅が入りたり。わが母は飢ゑを充たさん(たべもの)を持ちきたり、わが父は寒さを防がん衣を抱へ、二人してこちらに来たりき。
(呂蒙正)お義父さま、お義母さまがいらっしゃったのか。お二人は行ってしまった。どうして今になっても兄じゃが来ないのか。

(寇準が登場)わたしは寇平仲。この幾日か弟に会いに行っていない。ぼろぼろの瓦窑の入り口に到着したぞ。弟は家にいるか。

(呂蒙正)ああ、兄じゃが来られた。

(寇準)弟よ、そなたら二人は争っただろう。

(呂蒙正)われら二人は争っておりませぬ。舅姑がこちらに来、妻が実家に行くことを求めましたが、妻は行こうとしなかったため、わたしの家具をすべて打ち砕いたのです。

(寇準)そうだったのか。老員外どのはけしからん。この家具は半分はわたしのものだが、どうしてわたしの家具を壊した。弟よ、悲しむな。さきほど街で古馴染みの役人に遇ったのだ。そのひとはわたしが貧しいのを見ると、わたしに二つの銀子を援助し、わたしを上京受験しにゆかせようとした。弟よ、この機に乗じ、われら二人は上京し、受験しようぞ。奥さまは何か頼みがあれば、弟に言い含められよ。

(呂蒙正)妻よ、そなたは操を守れ。わたしは官職を得た時に、戻ってこよう。

(正旦)呂蒙正さま、行かれるのなら行かれませ、早めに戻ってこられませ。わたしは家に居りますから、ご心配ご無用にございます。(唱う)
【尾声】この瓦窑をばすべての人がみな避けたり。金榜に名がなくば誓つて帰ることなかれ。

(言う)官職を得られましたら、おんみは義夫、わたしは節婦となりまする。

(唱う)一通[58]の賢達徳政碑[59]を立てん。あなたを支へ、蟾宮によぢのぼらしめ、桂の枝を折らしめば、金銀を帯び、家に還りて、あなたの妻に報ゆべし。あなたが瓦罐を(ひつさ)げて、家に還りきたまふとも、わたしはあなたを怨むことなし。(退場)
(寇準)弟よ、われらは旅装を調えて、上京し、受験しようぞ。

(呂蒙正)兄じゃ、今日は紙墨筆硯を調えて、行きましょう。胸中の七歩の才に頼りつつ、蟾宮に登り、天へと上る階をしっかりと歩みましょう。布衣(ふい)は黄金殿[60]に上って、鳳池にて状元を奪ってきましょう。(ともに退場)

第三折
(呂蒙正が張千を連れて登場)学ぶときには第一に記憶をすべし、子を養ふに(ふみ)を読ましめざるべからず。

わたしは呂蒙正。帝都闕下に到り、一挙に状元に及第し、当地の県令に除せられた。この城中に到着したが、わが妻はあのぼろぼろの瓦窑でどう過ごしているだろうか。張千よ、官媒婆[61]を呼んできてくれ。

(張千)かしこまりました。媒婆よ、門を開けよ。

(浄の媒婆が登場)口利きするにまづ千条の計を定めて、花紅[62]謝礼は十倍を要求したり。媒婆を喜ばせることなくば、両つの家を唆し一世にわたり乱れしむべし。

わたしは官媒婆。入り口で誰かが叫んでいる。この門を開けてみよう。おにいさんはどうしてわたしをお呼びです。

(張千)通りがかりのお役人があなたを呼んで話しをするのだ。

(媒婆)まいりましょう。

(呂蒙正に見える)お役人さまが呼ばれましたはなにゆえにございましょう。

(呂蒙正)媒婆よ、呂蒙正を存じているか。

(媒婆)お役人さまがお尋ねにならなければ、わたしもお話ししませんでした。わたしは忘れていましたが、あなたが話題になさいました。あいつは良い死に方はしませぬ。奥さんの劉月娥さんをぼろぼろの瓦窑に棄てて、去って十年、音信はまったくございませぬ。今ごろは死んでいましょう。

(呂蒙正)わたしが話をしなければ、いつまでわたしを罵るのやら。おまえは呂蒙正を存じているか。

(媒婆)存じませぬ。

(呂蒙正)頭を抬げ、眼を開け。わたしこそは呂蒙正だぞ。

(媒婆)あなたのことは何も申しておりませぬ。

(呂蒙正)おまえはわたしを十分に罵った。媒婆よ、わたしの妻は、まだぼろぼろの瓦窑にいるのか。真か嘘か。媒婆よ、おまえは一本の金釵、一揃の衣服を持って、今すぐに窑に行き、妻に会い、あなたの呂蒙正さまは亡くなりました、今通りがかりのお役人が、わたしに衣服と金釵を持たせて、あなたに届けさせていますと言い、妻に一杯の酒を注がせたらすぐに戻ってまいるのだ[63]。妻が何と言うかを見て、わたしに報告しにきてくれ。

(媒婆)かしこまりました。ぐずぐずしたりはいたしませぬ。今すぐにぼろぼろの瓦窑へと参りましょう。(退場)

(呂蒙正)媒婆は行ってしまったわい。わたしは衣服を改めて、やはりこちらを後にして、今すぐにぼろぼろの瓦窑へ行こう。(退場)

(正旦が登場)呂蒙正どのが都へ受験しにゆかれてから、音信はまったくなく、ほんとうに悲しいことだ。(唱う)

【中呂】【粉蝶児】甕牖桑枢[64]、世で貧しさを極むればみなここに在り。一千あれば侘びしと思ふことはなし[65]。范丹[66]も移るべく、原憲[67]も隠るべく、かの顔回も住み難からん。人は居るには堪へずといへども、蘭堂緑窓朱戸に勝るとわれは思へり。

【酔春風】買臣[68]の妻を恨みしや恨まざりしや。卓氏の(むすめ)[69]に学びしや学ばざりしや。ぼろぼろの窑にてわれは数年耐へて、いささかの苦しみを、苦しみを受けたりき。一飲一啄、事はみなあらかじめ定められたるものなれば[70]、これもわが一生の衣禄なるべし。
(言う)誰かが来たぞ。

(媒婆が登場)はやくも着いた。奥さまはいらっしゃいますか。

(正旦)誰かが門で叫んでいる。この門を開けてみよう。(会う)万福(ごきげんよう)。お婆さんはいかなるご用にございましょう、わたしのところに来られますとは。

(媒婆)奥さま、悲しいことが起こったのです。

(正旦)わたしにどんな悲しいことがございましょうか。

(媒婆)呂蒙正さまが亡くなったのをご存じないのでございましょうか。

(正旦)誰がそのように言ったのですか。

(媒婆)人が話すのを聴きましたので、まっすぐ申しにまいったのです。

(正旦)嘘をつかれますな。本当にひどく悲しい。

(媒婆)奥さま、悲しまれますな。「夫は南から来る(かりがね)、千羽去るとも万羽あり」とは申しませぬか。このようにお若いのです。今、通りがかりのお役人が−そのかたは奥さまを亡くされましたが[71]−わたしに一揃の衣服、一本の金釵を持たせ、奥さまをあちらに行かせ、そのかたのために一杯の酒を注がせるように、一言言ったらすぐに戻ってくるようにとお命じになったのでございます。

(正旦)お婆さん、何を仰る。(唱う)

【上小楼】なれは今、われが苦を受くるを知りて、われを侮る。われは近所を巻き添へにして、親戚に迷惑を掛け、風俗を損なふことはなかるべし。わたしはいたく凍ゆとも、あまんじて死に、つまらぬ財には目もくれじ[72]
(言う)本当なら、あなたを連れてお上に訴えるところですが、あなたはご老人ですから、お許ししましょう。出てゆかれませ。

(媒婆)門を出た。

(呂蒙正が突然登場、媒婆に見える)何と言っていた。

(媒婆)とりつく島もございません。あのかたは承知しようともなさらずに、わたしを罵り、わたしを門から突きだしました。

(呂蒙正)それならば、いささかの銀子をやるから、戻ってゆけ。

(媒婆)大変ありがとうございます。旦那さま、わたしは戻ってゆきまする。(退場)

(呂蒙正)わたしはこの窑に入った。妻はまさに悲しんでいる。話しもせずに、傍らに立ち、何を言うかを見るとしよう。

(正旦)どちらの家の男の方か。わが窑にいらっしゃるとは。「促風暴雨、寡婦の門に入らず[73]」とは申しませぬか。進み出てこいつの顔を引っ掻こう。

(呂蒙正)おまえのために千の山、万の(かわ)を経て、こちらに到着したというのに、かようにひどいことをするとは。妻よ、わたしだ。

(正旦が唱う)

【普天楽】わたしはこなたでにはかに見、頭を抬げて見たるなり。誰が家の奸夫なるやと思ひしが、受験せし夫なりしか。われらはもとより(えにし)があれば、腸肚(こころ)は通へり[74]

(呂蒙正)妻よ、わたしは今は落魄し、官職を得ていないのだ。

(正旦)落魄したのが何でしょう。

(唱う)身は安く家に還りてふたたび団円(まどゐ)するを得ば、官か否かは問題ではなし。

(言う)遇不遇には、喩えがあります。

(唱う)そのむかし張良は印を棄て、陶潜は職を罷め、范蠡は湖に帰りたりけり。
(呂蒙正)妻よ、わたしは官位も得ずに、家に来たのだ。日が暮れたから、わたしは休むぞ。夜が明けたら幾人かの知りあいを訪ねよう。いささかの路銀を得、また受験しにゆくとしよう。

(正旦)日が暮れました。蒙正さま、お休みなされ。(唱う)

【十二月】歩みきたれば朝の雲、暮の雨、水に似て、魚の如し。暖かき布団はあらず、すべては薄き衣服なり。きらきらとして腰にあるのはいかなる物ぞ。おみが身に隠したるとは思はざりけり。

【堯民歌】ああ、二三層の麻布の(うち)珍珠(またま)(つつ)み、万万丈の波涛の中に鰲魚を釣れり。官職を得て願ひを叶へし漢の相如[75]は、色を好みて荒淫な魯の秋胡[76]となりたまひしや。亭主どの、冤家(つま)は一言お尋ねせん。話しおはらばまた完聚(まどゐ)せん。

(呂蒙正)妻よ、正直に言おう。わたしはわざとおまえを探ってみたのだよ。あの媒婆もわたしが来させたものなのだ。おまえがまったく貞節な心を持っていようとは思わなかった。わたしは当地の県令を授かって、故郷に錦を飾ったのだ。明日になったら、三日誇官[77]し、おまえといっしょに富貴を楽しむことにしよう。

(正旦)とても嬉しゅうございます。今日があろうとは思っておりませんでした。(唱う)

【尾声】明日になりなばあの禿の院主(ゐんじゆ)はいたく慌てなん。わが一双の老いたる父母はいと乱れなん。今日はあなたの奪ひきたれる富を示して、かつて受けたる苦しみを埋め合はせたり。(呂蒙正とともに退場)

 

第四折

(寇準が張千を連れて登場)龍楼鳳閣九重の城、あらたに沙堤は築かれて宰相は行く。わたしは貴く栄ゆれど羨むなかれ、十年前は一書生なりしかば。

わたしは寇準。帝都闕下に行き、一挙状元に及第し、今は莱国公の職を拝している。ありがたい聖恩により、あちこちへお参りをさせられている。一つにはお参りのため、二つには賢士を訪問するためだ。今日は吉日、左右の者よ、どこにいるのだ。馬を牽け。お参りにゆかねばならぬ。(退場)

(長老が行者とともに登場)貪嗔痴妄の思ひを断ちて、かたく持戒し定慧(ぢやうゑ)[78]円明(ゑんみやう)[79]。無明火[80]を消してより、修練すれば身は軽く鶴の姿のごときなり。

拙僧はこの白馬寺の長老だ。人が言うには、呂蒙正は当地の官となったとか。この寺をきれいに掃除し、あのものの二句の詩を、この碧紗籠[81]で蔽わせよう。きっとこちらにお参りにくるだろう。行者よ、山門で見張りをし、来たときは、わたしに報せよ。

(行者)かしこまりました。

(呂蒙正が正旦とともに登場、立ち止まる)

(呂蒙正)儀仗を並べ、お参りにゆこう。

(正旦)今日があろうとは思っておりませんでした。(唱う)

【双調】【新水令】ぼろぼろの窑の節婦は轎に担がれ、満城の人々は大騒ぎせり。車に乗るは酒炉の番をし、土を包みて墳台を築きしものぞ[82]。わたしの夫は日に千階級昇進し、わたしはかれにいささかの品を作りていささかの嬌態をなす。

(行者)師父さま。知事さまが来ました。

(長老)来たのなら、わたしが接待しにゆこう。

(呂蒙正)馬を繋げ。この寺の門に入った。ああ、わたしがお斎食を貰いにきたとき吟じた二句の詩ではないか。なぜ碧紗籠で蔽われているのだろう。思うに和尚はまことに世故に長けているわい。(会う)長老どの、これにはきっとわけがあろう。

(長老が跪く)知事さまはご存じないのでございます。知事さまはこの二句の詩を書かれましたが、龍蛇の体[83]、金石の句でありました。行き来する人々はこの詩を見ようと、この地を踏んで苔蘚(こけ)が生えなくなりましたので、この紗で蔽ったのでございます。

(呂蒙正)そうだったのか、紗籠を掲げよ、筆硯を持て。(読みあげる)「男児は不遇にして(いかり)は冲冲、懊悩す闍黎斎後の鐘」。わたしは二句を続けよう。「十年前(ととせまへ)塵土(ちりひぢ)は暗かりしかど、今日ははじめて碧紗籠をぞ得たるなる」。

(長老)どうぞ仏殿に行かれて、お参りをなさってください。

(呂蒙正)左右の者よ、誰かが来たぞ。

(劉員外が卜児とともに登場)わたしの婿は呂蒙正、当地の県尹を得て、この白馬寺に居るとのことだ。隣近所のものたちは羊を牽き、酒を担ぎ、あのものを祝いにいった。わたしは寺に行き、わが婿と娘を認めにゆくとしよう。われらは寺の入り口に到着したぞ。

(正旦)どなたが大騒ぎしていらっしゃる。

(長老)隣近所の金持ちたちが、知事さまにお祝いをしにきたのです。

(正旦が唱う)
【川撥棹】われはこの老員外の、いささか不義の財を積みたることを嘆けり。わたしの夫は宣牌[84]を受け、嫁はいささか美しければ、百姓(たみくさ)たちはつつしんで持てなせるなり。そのかみは(なんぴと)か呂秀才さまを援助せし。
【七兄弟】あなたはかの時街に行き、算段し、枯柴を運びたまひき。厳寒の候、雪は冷たく耐へ難かりき。貧しき家に米は乏しく凍ゆるに耐へ難かりき。今日は願いは叶へば何の障りのあるべきや[85]
【梅花酒】簾をにはかに掲ぐれば、項垂れて頬を支へり。わたくしは耳を掻き(ほほ)を揉み、口はあれども開くは難し。かの時は一升の米を求め得ず、半本の柴を捜し得ず、お斎食に遅れたりしなり。麻鞋(あさぐつ)は裂け脚こそは抬げ難けれ。布衫は破れ手をしまふことこそ難けれ。歯は挫け口こそは開き難けれ。面皮は冷たく涙こそ拭ひ難けれ。
【収江南】ああ、満頭の風雪の中、戻りしことを記憶したまふや。今日は宜しき事が起これば人が馳せきたるなり。

(長老)行者よ、仏殿を開けるのだ。朝廷の大人がお参りにいらっしゃったぞ。

(正旦が唱う)朝廷の宰相がお参りにきたるといへば、百姓(たみくさ)は待機せり。これこそは「月明千里故人は来る[86]」ことならめ。

(劉員外)娘よ、婿よ、わたしを認めよ。

(呂蒙正)おんみの悪い処を思いだしましたから、わたしはおんみを認めませぬ。下役よ、追い出してくれ。

(劉員外)天よ、証人が来れば良いのだが。

(寇準が登場)錦韉[87]の駿馬三檐の傘[88]、これこそは男児(ますらを)の志を得る(とき)ならめ。

わたしは寇平仲。この白馬寺の入り口に到着したぞ。左右の者よ、わが馬を繋げ。寺の門に入ってきたぞ。(会う)

(劉員外)お役人さま、わたしにお味方してください。わたしの婿はわたしの恩を忘れたのです。

(寇準)書状を呈せられたのでとりあえず処理するが、情理において許し難ければどうすることもできないぞ。あなたは階の下でかれが岳父(しゅうと)を忘れたことを訴えているが、あなたが窑で土鍋を打ち砕いたことを憶えているぞ。あちらに居ろ。弟もこちらに居ろ。弟よ、寺の入り口におまえの舅どのがいる。おまえは認めよ。

(呂蒙正)兄じゃ。わたしの妻に尋ねにゆかれよ。

(寇準)弟の嫁よ、外におんみの父上さまと母上さまがいらっしゃる。おんみはかれらを認めるか。

(正旦)わたしに父母はおりませぬから、認めませぬ。

(寇準)弟の嫁よ、わたしの顔に免じて、かれらを認めよ。

(正旦)認めませぬ。おにいさま、おんみがかれらを認められませ。

(寇準)まことに無礼な。そなたの父母なのだから、そなたが認めよ。そなたは認めるなら認め、認めないならそれでよいのに、どうしてわたしに認めさせようとするのだ。かれらがわたしの両親だと。ただでは済まさぬ。本日は、書状を書いて、朝廷に告げ、そなたを許しはせぬからな。

(正旦)おにいさまのお顔に免じて、あのものたちを認めましょう。

(寇準)まさに「千求は一嚇に如かず[89]」だな。

(呂蒙正)わたしはかれらを認めない。追い出せ。

(劉員外)お役人さま[90]、どうして黙っていらっしゃる。

(寇準)弟よ、弟の嫁よ、こちらに来い。わたしは今日、ねんごろに打ち明けて、くわしいことをみな知らせよう。その昔、金持ちは婿を取ろうとしたが、志気ある書生を受け入れようとはしなかった。今日、貧乏人は合格したが、無情な岳父(しゅうと)を認めようとはしていない。老員外どのはおんみが富貴を貪って、功名を得ようとしないことを恐れて、いつわってぼろぼろの窑に追いやり、詩文を売らせ、さらに寺では斎食の後に鐘を鳴らしてもらったのだ。そのためおんみは発憤し、官職を求めにいった。貧しい陋巷箪瓢[91]を棄て、おんみは今日は気は昂昂と、金印紫綬を帯びている。わたしはお金はもらっておらぬ[92]。あれこそはおんみの舅の二錠の花銀[93]で、すべてわれらの一時の路銀となったのだ。おんみの舅はおんみがきっと雲路に登るだろうと考え[94]、あらかじめ屋敷からおんみらを追い出したのだ[95]。貧しい時に面倒を見てくれなければ[96]、おんみは「否が極まり泰を生じる[97]」ことはできなかったであろう。泰山(しゅうと)どのの人柄がひどく悪かったのではないのだ。婿どのは昂然として無視しているが、今日は事情を打ち明けたから、双方の怨みはいずれも解けたであろう。賢い夫婦は盞を執り、壺を捧げ、みずからの罪を悔い、春色[98]を取り戻すのだ。骨肉のおんみらをふたたび団円させたのは、朝廷の大臣のわたしのお陰だ。老員外どの、おんみは事を処理した官僚をご存じか。わたしはおんみの親家伯伯(チンチアポオポ)ぞ。

(呂蒙正)おんみにひどく騙されておりました。舅どの。

(劉員外)おんみにひどく傲慢にされました、婿どの。

(寇準)天下の喜事(よごと)は、夫婦父子(おやこ)団円(まどい)に勝るものはない。本日は羊を殺し、酒を造り、祝賀の筵席(うたげ)を設けよう。

(呂蒙正)しもべよ、果卓を担いでこい。

(正旦が唱う)

【水仙子】状元郎は恨みを心懐(むね)に記憶して、不孝な(むすめ)は両親を認むることなし。われはこなたで過ちを悔い、姿勢を正し、拝礼し、慈親の責めを免るることを望めり。塵埃にわれは埋没せんとせしかど、(むすめ)は金花[99]と官誥[100]を受け、婿は緋袍と玉帯を着く。これもまたわれらの苦の尽き、甘の来るなり。

(寇準)待たれよ。待たれよ。あなたがたは今日、父子(おやこ)で団円なさったが、わたしの裁きを聴かれるがよい。世間の人は儒学を棄つることなかれ。寒窓を守らば出世する日があらん。老ゆるまで貧窮に耐ふるはずなく、龍虎風雲に会ふことはかならずあるべし[101]。斎後の鐘の計を設けて、怒らせて詩を題せしめ、ただちに科場に赴かしめて、黄金殿にて状元を奪はしめ、帰らしめたり。貧乏な秀才は文章の力によりて、県尹となり、夫婦して栄華を享けたり。糟糠の妻は節を守りて活計(くらし)は貧しかりしかど、劉員外の雲錦百尺楼のため[102]、呂蒙正風雪破窑記をば終はらせり。

 

題目 劉員外雲錦百尺楼
正名 呂蒙正風雪破窑記

 

最終更新日:200778

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[1]日、月、星。

[2]絹の布で飾り立てた楼。

[3]媒酌人。三、六には意味がない。

[4]帝王の徳化。

[5]原文「高門不答」。未詳。とりあえずこう訳す。

[6]翠色の簾幕。

[7]婦人の部屋。

[8]原文「能償個守藍橋飽醋生」。「飽醋生」は窮措大の意。藍橋は唐代の伝奇小説「裴航」で、裴航が仙女雲英と逢った場所。「藍橋飽醋生」は呂蒙正を裴航に喩えたもの。「償」がやや分かりにくいが、呂蒙正の努力が報いられたことを述べたものであると解す

[9]原文「料強如誤桃源聡俊俏劉郎」。劉郎」は劉晨のこと。天台山の桃源で仙女に見えた話が『幽明録』に見える。元雑劇に『誤入桃源』あり。

[10]原文「順水推船」。成りゆきに従うことをいう常套句。現在では「順水推舟」。

[11]原文「小則小偏和咱厮強」。未詳。とりあえずこう訳す。

[12]折桂は月宮の桂の枝を折ることで、科挙に合格することの喩え。

[13]科挙の試験会場。

[14]原文「想韓信偸瓜手生扭做了元戎将」。韓信が瓜を盗んだという話の典拠は未詳。元戎は大勢の兵士。

[15]宋の人。王鼎。『宋史』巻三百などに伝がある。ただ、後ろにある「柴の荷を肩に負ひ」という話の典拠は未詳。

[16]太公望呂尚。

[17]原文「平地一声雷振响」。平地一声雷」は突然の大変化をいう常套句。ここでは科挙に合格することをいう。

[18]漢の張敞のこと。妻のために眉を描いてやっていたことで有名。

[19]瓦を焼く窯。

[20]原文「倒好了你也」。未詳。とりあえずこう訳す。

[21]原文「小姐眼里有珍珠」。人を見る目があるということ。

[22]未詳だが、蒲の茎で作った簾であろう。

[23]新婚夫婦の部屋。

[24]原文「実丕丕家私財物広、虚飄飄羅錦千箱」。未詳。とりあえずこう訳す。実際の情況とはかけ離れていると思われるのだが。

[25]象牙の敷物を敷いた牀。牙牀。象牙の敷物の写真は、西武美術館等編『北京故宮博物院展図録』。

[26]『孟子』滕文公上

[27] 原文「我若不過去、将我似甚麼人看成」。未詳。とりあえず、このように訳す。

[28]劉員外に向かって話している。

[29]親族呼称。文脈からして婿の兄ということに間違いないが、他の用例を知らない。親家は姻戚のこと。なお、寇準は呂蒙正と実の兄弟ではなく義兄弟であることはいうまでもない。

[30]原文「我有這等親家伯伯、愁甚麼過活」。これは皮肉であろう。

[31]『論語』子路。

[32]『佩文韻府』引『文中子』「古者男女之族必択徳焉」。

[33]「白衣卿相」は、科挙に合格していない書生をいう。

[34]『論語』里仁。

[35]原文「有朝但得風雷迅」。「風雷」は前注の「平地一声雷」に同じ。突然の大変化のことで、ここでは科挙に合格することを指す。

[36] 原文「非是我用言分劈、藐視俺賢哉嬌客」。未詳。とりあえず、このように訳す。

[37]漬け物と塩。粗食の喩え。

[38]原文「隠風雪八員宰相」。「八員宰相」はまったく未詳。

[39]原文「有一日歩青霄折桂蟾宮」。科挙に合格することの喩え。青霄は大空。「蟾宮」は月宮。「折桂蟾宮」は月宮の桂を折ること。

[40]青い鳳凰。

[41]原文「明心不把優花捻」。「優花」が未詳。この句、拈華微笑の故事に基づいていると思われるが、拈華微笑の故事に出てくる花は金波羅華。「明心」は心を明らかにすること。「明心見性」は心性の本源に徹見すること。

[42]前注参照。

[43]貝多羅樹の葉。インドで仏経を記すのに用いた。転じて仏経のこと。

[44]原文「那厮毎日長街市上搠筆為生」。『漢語大詞典』は「搠筆巡街」という項目を立て、「謂沿街売詩文」の意とする。とりあえずこれに従う。

[45]原文「満堂僧不厭、一個俗人多」。未詳。とりあえずこう訳す。

[46]お斎食にする米。

[47]素焼きの

[48]阿闍梨。

[49] 原文「貧和富是我裙帯頭衣食」。未詳。「裙帯」はスカートの帯、転じて女性のこと。妻のおかげで出世した役人を「裙帯官」「裙帯頭官」というが、それと関係があるか。この句、貧しくなるのも豊かになるのも妻次第という方向か。

[50]原文「俺知他的情意」。「他」は長老を指しているものと解す。

[51]原文「揣着個凍酸餡、未填還拙婦的飢」。未詳。とりあえずこう訳す。

[52]まずいご飯と黄ばんだ漬物。粗食。

[53]原文「抄紙処討了把石灰」。製紙の際、植物繊維を石灰とともに煮沸する。

[54]原文「你眼里也識人」。これは皮肉。

[55]原文「常言道夫妻是福斉」。「夫妻(fūqī)」と「福斉(fúqí)」は同音。

[56]原文「我一脚的不在家」。正確に訳せば「片足はまだ外にあるのに」。

[57]原文「把我銅斗児家縁」。「銅斗児」は本来量器。元雑劇で、しばしば「家縁」「家私」‐財産‐という言葉と連用して用いられ、「銅斗児家縁」は豊かな財産の意に解釈されている。

[58]通」は石碑を数える量詞。

[59]徳政碑」は官吏の徳政を頌美した碑。

[60]黄金で飾られた殿舎。ここでは天子の宮殿のこと。

[61]役所に認可された媒酌人。

[62]具体的にどのようなものなのかは未詳。婚礼のときに与える礼物。『東京夢華録』娶婦「迎客先回至児家門、従人及児家人乞覓利市銭物花紅等、謂之攔門」。

[63]原文「教小娘子逓一杯酒便回来」。未詳。とりあえずこう訳す。

[64]普通は「甕牖縄枢」。甕牖は甕の口のように円い窓。縄枢は縄の戸。貧しく粗末な家をいう。ただ、桑枢という言葉もあり、これは桑の戸。『蒙求』の標題に「原憲桑枢」がある。

[65]原文「有一千個不識消疏」。未詳。とりあえずこう訳す。

[66]「范冉」とするのが普通。范丹にも作る。後漢の人、貧乏で、甑に塵が生じていたという、『蒙求』「范冉生塵」の故事で有名。

[67]春秋、魯の人。孔子の弟子。『荘子』譲王「原憲居魯、環堵之室、茨以生草、蓬戸不完、桑以為枢而甕牖」。

[68]漢の朱買臣。『漢書』巻六十四に伝がある。貧しかったとき妻に離縁を迫られ、離縁したが、後に富貴になったため、妻が恥じて自殺したことで有名。元雑劇に『朱太守風雪漁樵記』あり。

[69]漢の卓文君。司馬相如との駆け落ちで名高い。

[70]原文「一飲一啄、事皆前定」。人が飲み食いするものはすべて運命によって定められているということをいう常套句。

[71]原文「他無人来」。未詳。とりあえずこう訳す。

[72]原文「則這個溌家私覷也那是不覷」。未詳。とりあえずこう訳す。

[73]原文「可不道促風暴雨、不入寡婦之門」。典故がありそうだが未詳。ただ「可不道〜」と言っているのだから、当時の諺であったのだろう。『薦福碑』『漁樵記』に用例あり。「促風」は「疾風」「卒風」となっている。

[74]原文「関連着親腸肚」。未詳。とりあえずこう訳す。

[75]司馬相如。『史記』巻百十七などに伝がある。ここでは呂蒙正の喩え。

[76]『列女伝』「魯秋潔婦」に見える人物。結婚して五日で赴任し、五年後に帰り、路傍で桑を採る婦人を見、金を与えようとしたが、婦人は金を受け取らずに去った。家に帰るとその婦人は自分の妻で、妻は夫の不義を責め、入水して死んだという。元雑劇に『秋胡戯妻』あり。

[77]状元及第者が街をパレードすること。

[78]仏教語。禅定と智慧。

[79]明らかに悟ること。

[80]無明は仏教語。真理にくらい無知のこと。無明火は無知から生じる激しい怒り。

[81]青い紗の覆い。

[82]原文「駕車当酒壚、包土筑墳台」。未詳。とりあえずこう訳す。「当酒壚」は司馬相如と駆け落ちをした卓文君が燗番をしていたという故事にちなむ言葉。『史記』司馬相如伝「相如与倶之臨邛、盡賣其車騎、買一酒舍酤酒、而令文君当鑪」。「包土筑墳台」は戯曲『琵琶記』の主人公趙五娘が舅が死んだ際に、裙で土を包んで塚を築いたという物語に基づく句。二つの句、劉月娥を卓文君や趙五娘に喩えたもの。

[83]勢いの良い草書体。

[84]宋元代、官吏の身分証として朝廷から支給された銅牌。

[85]原文「則今日趁了方何碍」。「趁了」が未詳。とりあえずこう訳す。

[86]元曲で、友人が来たときに述べられる常套句。『還牢末』『碧桃花』などに用例がある。

[87]錦の鞍敷き。

[88]三つのひさしのついた傘。

[89]千度頼むより一度脅す方が効果がある。典故のある言葉ではない。

[90]寇準に呼びかけている。

[91]『論語』雍也「子曰、賢哉回也。食、一飲、在陋巷」。

[92]原文「咱那得銭来」。第二折で寇準はさきほど街で古馴染みの役人に遇ったのだ。そのひとはわたしが貧しいのを見ると、わたしに二つの銀子を援助し、わたしを上京受験しにゆかせようとした」と言っているが、そのようなことはなかったのだと述べたもの。

[93]銀のこと。『元史』巻九十三・食貨一・鈔法「平準鈔法、毎花銀一両、入庫其価至元鈔二貫、出庫二貫五分」。

[94]原文「你丈人料你必登雲路」。「登雲路」は言うまでもなく科挙に合格することの喩え。

[95]原文「預先斉下高堂」。未詳。とりあえずこう訳す。

[96]原文「若不是貧里相看」。未詳。とりあえずこう訳す。

[97]原文「否極生泰」。否と泰はいずれも易の卦の名。否は凶、泰は吉で、「否極生泰」は不運が極まって幸運に転じるという意味で常用される。「否終生泰」とも。

[98]ここでは穏やかな心。和気のことであろう。

[99]金製の花形の髪飾り。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』五十七頁参照。

[100]辞令。

[101]原文「須有個龍虎風雲会」。「龍虎風雲」は英雄豪傑が時を得ること。

[102]原文「則為這劉員外雲錦百尺楼」。「雲錦百尺楼」が未詳。ただ、この句は、言いたいことは「金持ちの劉員外のおかげで」ということであろう。

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