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程咬金斧劈老君堂雑劇

鄭徳輝撰

楔子

(冲末が劉文静に扮し、卒子を率いて登場)昼も夜も憂心をもて国朝を助けまつりて、開基創業功績を建つ。太平の時なれば風光[1]は盛んにて、金魚[2]をば腰に掛け、錦袍を着く。

わたしは劉文静。大唐にお仕えし、数年間で、三たび晋陽を鎖して、帝業に帰せしめることができた[3]。ありがたい聖恩により、大司馬の職を加えられた。昨日は公文を天下に発布した。わが大唐が建国してから、各地はすべて帰順したが、洛陽の王世充は、わが大唐の使者を殺し、猛兵を集め、咸陽を虎視し、われらと戦おうとしている。本日の朝議では、御筆によって秦王唐元帥さまに印を掛けさせ、総兵にし、袁天罡、李淳風を諌議大夫にし、馬三宝、段志玄を前部先鋒になされた。日を選び、長征に出ることになる。左右のものよ、入り口で見張りせよ。みなさまが来たときは、わたしに報せよ。

(卒子)かしこまりました。

(袁天罡が李淳風とともに登場)(袁天罡)幼少にして周易をもて占ひて、坎離坤兌と乾天とあり[4]。雨を呼び風を呼ぶ(すべ)はなけれど、とこしへに華夷を保てば天下は安らか。

わたしは袁天罡、こちらは李淳風大人。唐帝を擁立し、司天台上大夫の職に封じられている。私宅で書物を読んでいると、劉文静大人がお呼びだが、何事だろうか、行かねばならぬ。はやくも着いた。門番よ、取り次いでくれ。われら二人が来ましたと。

(卒子)かしこまりました。(報せる)大人にお知らせ申し上げまする。袁天罡さま、李淳風さまが入り口にいらっしゃいます。

(劉文静)お通ししてくれ。

(卒子)お二方、どうぞ。

(袁天罡、李淳風が会う)

(劉文静)お二方はしばし待たれよ。諸将が来たとき、わたしに報せよ[5]

(馬三宝、段志玄が登場)匣の中なる宝剣の寒さは人に迫りたり、袋の内なる雕弓はつねに弦をぞ張れるなる[6]。みづからが(よろひ)を纏ふを苦しと思はず、驊騮はいかでか雕鞍を離るるを得ん。

それがしは馬三宝、こちらの将軍は段志玄どの。唐朝を立ててこのかた、われら二人は殿前金吾大将軍の職に封ぜられている。今、劉文静大人がお呼びだから、行かねばならぬ。はやくも着いた。門番よ、取り次いでくれ。われら二人が来ましたと。

(卒子)かしこまりました。(見える)大人にお知らせ申し上げまする。馬三宝さま、段志玄さまが入り口にいらっしゃいます。

(劉文静)お通ししてくれ。

(卒子)かしこまりました。お二方、どうぞ。(見える)

(劉文静)将軍どの、しばし待たれよ。唐元帥どのがいらっしゃるだろう。

(正末が秦王に扮して登場)それがしは秦王李世民。屋敷で坐っていたところ、門番が報せにきたが、劉文静どのがお呼びだということだから、行かねばならぬ。はやくも着いた。門番よ、取り次いでくれ。唐元帥が来ましたと。

(卒子)かしこまりました。大人にお知らせ申し上げまする。唐元帥さまがお越しです。

(劉文静)お通ししてくれ。

(卒子)かしこまりました。どうぞ。(見える)

(正末)劉文静どの、それがしを呼ばれましたは何事でございましょう。

(劉文静)元帥どの。聖上の御諚である。洛陽の王世充は、わが使者を殺し、人馬を選び、われらと交戦しにこようとしている。それがしは今、聖上の御諚を奉じ、元帥どのを総兵官にし、袁天罡、李淳風を諌議大夫にし、軍伍の仕事に従わせよう。馬三宝、段志玄は先鋒にする。ともに馬歩[7]の禁軍十万を率い、敵兵を勦討なされよ。いそいで行かれよ。勅命はこちらである。

(正末)つつしんで上命に従いましょう。従軍する将官は、それがしとともに人馬を選んでゆくとしようぞ。(唱う)

【仙呂】【賞花時】備へして馬にて行かば、(いさを)を成して太平を定めなん。雄兵(つはもの)()て遠征すれば、おのおのが才能を明らかにして、威名は耿耿、かならずや勝利を得、また神京(みやこ)にぞ赴かん。(諸将とともに退場)

(劉文静)諸将はすべて行ってしまった。わたくしは聖上にご報告しにゆくとしよう。

兵は動きて征旗を列ね、将軍は武威を示せり。兵を起こして戦して、ともに錦を飾りてん[8](退場)

 

第一折

(外が李密に扮し、卒子を連れて登場)幼きときより武経を見、対峙して戦闘し誉を得たり。攘攘[9]と刀兵の起こりしがため、金墉[10]の城を独占したるなり。

それがしは李密、原籍は京兆府の人、生まれながらに勇猛で、幼いときから豪毅であった。今、隋帝は政治を誤り、六十四か処で煙塵(いくさ)があり、豪傑はならび起こって、それがしは金墉城を築いている。配下には二士、三賢、五虎、七熊、八彪がおり[11]、兵は百万、将は千人あり、みずから魏王と号している。ところが李淵は三たび晋陽を封鎖し[12]、咸陽で君主となり、兵を調えてわが洛陽を征伐しにくると言っている。わが金墉城の地を侵犯することだろう。人を遣り、軍師徐懋功を呼びにゆかせた。来たときは、それがしに取り次げ。

(卒子)かしこまりました。

(外が徐懋功に扮して登場)すこぶる三略六韜の書を読みて、陣を布き、兵を並べて謀をば巡らせり。魏王を助けて宰相となり、国を治むる奇すしき(わざ)を示したり。

わたしは姓は徐、名は世勣、字は懋功、本貫は曹州離狐県の人。金墉の李密に仕え、軍師の職に封じられている。私宅で閑坐していると、魏公が人を遣わして、呼びにきたから、行かねばならぬ。はやくも着いた。門番よ、取り次いでくれ。徐懋功が来ましたと。

(卒子)かしこまりました。懋功さまがお越しです。

(李密)お通ししてくれ。

(卒子)かしこまりました。どうぞ。(見える)

(李密)懋功よ、来たな。呼んだのは、大事な軍務があるからだが、分かるか。

(徐懋功)殿さま、それならば、程咬金に三千の人馬を率いさせ、辺境を巡綽させれば、唐の小わっぱ[13]が来ても、困ることはございませぬ。

(李密)兵卒よ、程咬金を呼んでくるのだ。

(卒子)かしこまりました。程咬金さまはいずこにおわしましょうや。殿さまがお呼びです。

(程咬金が登場)髪は黒、鬚は黄で、眼は金のやう、凶悪な容貌は天蓬[14]に勝りたるなり。手には宣花の斧を持ち、勇ましく百万の兵を恐れず。

それがしは姓は程、名は咬金、字は知節、原籍は東阿県の人。それがしは幼くして韜略の書を習い、魏王に仕え、金墉を守っている。今、大王さまがお呼びだが、何事だろうか。行かねばならぬ。はやくも着いた。取り次ぎは必要ない。そのまま行こう。(見える)殿さまが程咬金(わたくし)を呼ばれましたは、何のご相談でございましょう。

(李密)こたび李淵は、唐の小わっぱを元帥にして、兵を調え、洛陽に攻めてきて、国境を侵すことだろう。軍師さまの命令を聴き、細心にするのだぞ。

(徐懋功)程咬金どの、今から三千の人馬を率い、国境に行き見張りせよ。ほかの所から偵察しにくる人がいれば、捕らえてきてくれ。

(程咬金)軍師さまの御諚を奉じ、それがしは今日人馬を選び、辺境を巡綽しにゆくことにしましょう。

雄兵を選り、金墉を出で、威風は赳赳、辺庭を鎮めてん。敵兵の来りて境を犯すに遇はば、生け捕りて、帰りきて、懋功さまに見えてん。

(李密)程咬金は人馬を選んで行ってしまった。軍師どの、わたしは後堂へ酒を飲みにゆこう。

二士、三賢は四方に散じ、七熊、五虎は関張にさへ勝るなり。いづれの時にか狼煙を掃蕩し、静かならしめ、大魏の王の英雄なるをはじめて示さん。(ともに退場)

(正末が諸将、天罡とともに登場)(正末)それがしは唐元帥。父王の命を奉じて、諸将とともに洛陽を取りにきた。はやくも北邙山麓に来て、大きな陣を布いている。聞けばこの山には歴代の名賢が葬られているとか。天罡先生、やはり嘘ではございませぬな。

(天罡)元帥さま、良い山の形でございます。

(正末が唱う)

【仙呂】【点絳唇】蕩蕩とした邙山を、望みつつ嗟嘆せり[15]。繞りつつ眺むれば、崩れたる塚ばかりなり。幾ばくの英雄漢(ますらを)を埋めたる。

【混江龍】ただ見れば、園は荒れ、碑は断たれ、松柏は漫漫として翠煙[16]寒し。明堂[17]瓦舍[18]は崩れおち、封壇[19]石器[20]は損はれたり。君臣と賢聖の塚は見分かず、蘚苔(こけ)の斑なす碑碣(いしぶみ)は見尽くせず。ただ見るは山花の簇簇、山水の潺潺たるなり。荊棘を生ずるのみにて、芝蘭は見えず。荒涼とした境界に行く人はなく、狐と兔の踪迹(あしあと)は縦横に乱れたるなり。世の人の百年にして土に帰し、名利を競ふもここに到れば同じなることを嘆けり。

(言う)将校たちは寨を見張れ、わたしは北邙山を見にいってみよう。

(天罡)元帥さま、絶対に陣を出てゆかれてはなりませぬ。百日の大災がお顔に表れていますから、絶対に行かれますな。

(正末)わたしを阻んではならぬ。どうしても見にゆきたいのだ。(唱う)

【油葫蘆】たちまち聴けり、先生が言葉を発し、わたしが顔に悪運を帯べりと言ふを。あなたは先天『周易』をじつくり吟味し[21]、わたしの五行と四柱をばすべて占ひ、年災月値を経書によりて調べたり[22]陰陽(うらなひ)は情に従ふことはなく、もし情に従はば禍難あるべし[23]。吉凶は天の定めしものにして、生死の事を論ずるになど難しきことあらん。

(天罡)元帥さまがわたしの言葉を聴かれなければ、かならずや囚われることでしょう。その時は悔いても遅うございます。

(正末)聖人はのたもうている。「占いなどをすべけめや。人を欺くものは(わざはひ)、人を豊かにするものは(さいはひ)[24]」なのだと。わたしの話を聴くがよい。(唱う)

【天下楽】諺にいふ、「禍福には門はなく、人がみづから引き寄するものなり[25]」と、邪悪なことをするなかれ、天数(さだめ)に関はることなれば[26]。先生の占ひをわたしは有り難しとは思はず。心を正しくして行かん[27]。ふたたび阻むことなかれ。わたしは愚鈍なれども懦弱にはあらず。

(天罡)元帥さま、どうしてわたしの言葉をお聴きにならないのでしょう。

(正末)大丈夫だ、それぞれ本陣に帰り、わたしに構うな。

(諸将が勧める)

(天罡)元帥さまが従ってくださらないなら、われら諸将はそれぞれ本陣に戻ってゆこう。

宝帳[28]に騰騰と殺気あり、中軍[29]の元帥に神機あり。とりあへず本陣に戻りゆけども、明日には禍福真実を見ん。

(正末)諸将は行ってしまった。左右のものよ、馬を引け。軽い弓、短い矢、善い馬と、優れた人の、百騎で北邙へと行こう。(唱う)

【哪令】雕弓[30]をゆつくりと引き、龍駒[31]には鞍を備へり。紫絲の(たづな)をかるく引き、白玉の帯をきつく締めたり。いそぎ身を躍らせて鞍に乗り、ゆるゆると鏌鋣[32]を叩けり。紅絨を引き、駿騮を走らせて、山の麓を巡りゆき、(たにがは)の岸に臨めり。しらぬまに、はや山の前に到れり。

(言う)兵卒たちよ、諸将が軍議しにきたら、わたしは眠っていると言え。

(卒子)かしこまりました。

(正末が唱う)

【鵲踏枝】門番よ、つつしんで番をして[33]、絶対に機密を漏らすことなかれ。わたしはこれより一つには賊情を見て、二つにはぶらぶらとせん。一時足らずで征塵を踏みて帰らん。なんぢらは軍中でしつかりと兵営を守れかし。

(卒子)元帥さまは金墉の城池を偵察しにいってしまった。わたしはしっかり寨を守れとのことだ。何事もないから、帳房へ戻ってゆこう。(退場)

(正末)山の(ほとり)に来たが、鳥獣はまったくいない。山の後ろへ見にゆこう。(唱う)

【寄生草】ああ。山の(ほとり)を回れば、今度は(ひろ)(たにがは)(ほとり)に来れり。青松と桧柏は霄漢(そら)を侵して、怪石と峻嶺は描くかたなし。四方をすべて見たれども、枯野の塚に倒れし石碑(いしぶみ)、荒涼とした古道には寒雁(かりがね)が飛ぶ。(見る)

(外が白鹿に扮して登場し、走る)(正末)ほんとうにおかしい。白鹿ではないか。追いかけてゆこう。わたしは弓を手に取った。当たれ。(唱う)

【幺篇】いそいで馬を走らせて辺塞にしぞ臨みたる。雕弓を引き、ゆるゆると身を翻せど、わたしの驊騮は心が逸り、蹄の遅きを嫌ひたり。白鹿を山の後ろに追ひゆきて、雕翎を射てあきらかに当てしかど、山を回りて、飛ぶがごとくに消えたりき。たちまちにして風のごとくに過ぎゆけど、驚き逃ぐることなかれ。(見て矢を射る)(白鹿が矢を帯びて退場)

(正末)白鹿はわたしの矢に当たり、見えなくなった。城ではないか。ほんとうに良い造りだ。(唱う)

【金盞児】柳の陰は繁くして、河の(ほとり)を掩ひたり。城池(しろ)の回りの一帯は平らかにして、戍楼(ものみやぐら)は高く聳えて雲間(くもま)に接せり。門に並ぶは金甲の兵、橋に立てるは赤き旗幡(はた)、金牌に「墉府魏都関」てふ大いなる文字を書きたり。

(程咬金が登場)馬は驊騮に跨りて疾風(はやて)のごとく、宣花月斧を手に揮ひたり。城外の軍情をたちまちに聴き、すみやかに城を出できて事情を探れり。

それがしは程咬金。魏王さまの御諚を奉じて、辺境を巡綽している。一人の男が遠くを走っているのが見える。どこから来たのか。行って捕らえて尋ねよう。

(正末)城内から一人の将軍が来たではないか。どうしたらよいだろう。わたしは馬を走らせて、難を逃れてゆくとしよう。(唱う)

【幺篇】一人の男は大声でいそいで叫び、馬を走らす。慌ててわたしは戦馬を返し、いそぎ戻れり。焦りつつ眺むれば、かの将軍は銀盔鳳翅[34]に威厳ある顔。かれはあちらで懸命にわたしをきびしく追ひかけり。わたしはこちらで手を拱きて助けを求めり。見れば古りたる神堂(たまや)があれば、ひとまずこなたに隠れてん。

(言う)老君堂か。入ってゆこう。これは老君さまの聖像だ。神さま、それがしを金の(べん)で導き、聖手(みて)で守ってくださりますよう[35]。門を閉じよう。神さま、それがしをお守りください。

(程咬金が追ってくる)老君堂廟だ。あの者はこの廟に隠れたぞ。逃げ出してゆくことはできないぞ。かならず廟から出てくるだろう。わたしはこの樹の辺に隠れ、出てきたときに、斧で殺そう。

(秦叔宝が登場)それがしは秦叔宝。程咬金が男を追って、この老君堂に行ってしまったが、追ってゆき、誰なのか見るとしよう。(見る)

(程咬金)叔宝将軍、男を追って、この老君堂に来たのです。今からこちらで生け捕りましょう。斧でこの廟の門を壊して開けて、誰なのかを見るとしましょう。

(正末)将軍さま、お助けください。

(程咬金が門を壊す)わたしもおまえが誰だか知らない。斧を食らえ。

(秦叔宝が[36]で斧を受け止める)程将軍、殺してはなりませぬ。手心をお加えなされ。

(程咬金)叔宝どのがお勧めるのなら、とりあえず許しましょう。兵卒よ、この者を縛り、金墉城に連れてゆけ。わが魏王さまにお会いしにゆくとしよう。

(秦叔宝が背を向ける)国境を侵した将軍どの、おんみはいったい誰なのだ。

(正末が唱う)

【尾声】唐国の一藩臣[37]にて、本日は誤りて金墉を犯しにき。「禍が身にし臨めば悔ゆとも手遅れ」とはよくぞまうしたる。天罡が言葉もて阻みしを聴かざることぞ恨めしき。鳳凰の雛[38]籠樊(かご)に落ち、愁煩(うれへ)を招けり。いづれの日にか兵を返さん。蓋世の英雄なりしもすべて帳消し。これもわが一時(いつとき)の心の緩みが、機謀に破綻をきたしたるなり。いづれの時にか難を逃れて辺関を離るるを得ん。(秦叔宝とともに退場)

 

第二折

(外が劉文静に扮し、卒子を連れて登場)わたしは劉文静。唐元帥さまは諸将とともに洛陽を征伐しにゆき、戻ってこられぬ。左右のものよ、入り口で見張りせよ。来たときは、わたしに報せよ。

(卒子)かしこまりました。

(袁天罡が諸将とともに登場)それがしは袁天罡。われら諸将は夜を徹して咸陽に来た。すみやかに朝廷に行き、まずは劉文静どのにお会いしよう。はやくも着いた。門番よ、取り次いでくれ。諸将が来ましたと。

(卒子が報せる)

(劉文静)通せ。

(卒子)入ってゆかれまし。(見える)

(劉文静)みなさま方、馬上ご苦労さまでした。なぜ元帥さまがいらっしゃいませぬ。

(天罡)兵が北邙山麓に着いたとき、元帥さまに百日の大災があることを占いもうしあげたのですが、元帥さまはお聴きにならず、ひそかに出てゆき、李密が遣わした程咬金に、捕らえられていってしまいました。

(劉文静)大人、ご安心ください。わたしは李密と縁故がございますから[39]、わたしは金墉城へ行き、李密に会い、元帥さまをみずから迎えにゆきましょう。左右のものよ、馬を牽け。

驊騮を走らせ外邦(とつくに)へ行かんとしたり、心は逸れば路の荒涼たるを憚ることぞなき。金墉の地に到りなば、かならずや元帥さまを咸陽に赴かしめん。(退場)

(袁天罡)大人、行かれてはなりませぬ。わたしが占いましたところ、あのかたも百日の大災がございます。あのかたも行かれるべきではございませぬ。(退場)

(李密が卒子を率いて登場)それがしは李密。唐の秦王はわが国を侵犯し、程咬金に捕らえられ、今南牢に下されている。門番よ、入り口で見張りせよ。誰かが来たぞ。

(劉文静が登場)わたしは劉文静。咸陽を離れてから、しらぬまに金墉に到着だ。城に入って魏王に会いにゆかねばならない。はやくも着いた。門番よ、取り次いでくれ。威陽の使者が来ましたと。

(卒子)(じゃ)。大王さまにお知らせします。咸陽の使者劉文静が来ました。

(李密)通せ。

(卒子)かしこまりました。行かれませ。

(劉文静が見える)

(李密)劉文静ではないか。

(劉文静)左様。勅諭がこちらにございます。

(劉文静が読み上げる)唐君は魏王の座前に勅諭す。今秦王は兵を率ゐ、天下の群雄を勦討し、誤ちて洛陽の境を犯して捕らへらるれば、使臣を遣はし、千金の資を以て罪を請はしめ、本国に還らしめんとす。願はくは王之を鑑みよ。

(李密が読み終わるのを聴き、怒る)こいつめ。おまえはわたしと縁故がありながら、唐王に従い、主君の命を受けている。敵国の臣なのに、大胆な。左右のものよ、こやつを捕らえ、南牢に下せ。

(卒子が捕らえる)(退場)

(李密)知恵のない大悪人めが、縁故を頼ってこちらに来てわたしを怒らせるとは。二人を南牢に下し、永遠に故郷へは帰らせぬ。(退場)

(外が徐懋功に扮して登場)鼎鼐を調へて庶民を治め、国を安んじ功を立てり。臣となり補弼して忠孝を行へば、凌煙閣の人となることを得ん。

わたしは姓は徐、名は世勣、字は懋功[40]。幼くして文を学び、すこぶる韜略の書を知っている。豪傑がならび起こると、それがしはまず翟譲[41]に従って、瓦崗[42]で起義し、翟譲が除かれると、魏王李密の配下に仕えた。今魏王の配下には、雄兵百万、武将千人があり、その中には二士、五虎、三熊、八彪がおり、金墉城に拠っている。こちらには糧秣がたくさんある。魏王の命を奉り、囚人を大赦することになったから、魏徴、秦叔宝とともに牢に行き罪人を釈放しよう。勅を受け、役所に赴き、かれら二人が来たときに、ともに詔書を開くとしよう。兵卒よ、入り口で見張りせよ。魏徴、秦叔宝の二人が来たとき、わたしに報せよ。

(卒子)かしこまりました。

(外が魏徴に扮して秦叔宝とともに登場)

(魏徴)わたしは姓は魏、名は徴、字は玄成という。幼くして儒学を習い、すこぶる詩書を読んでいる。天下には群雄がならび起こっているために、徐懋功らとともに今は魏王李密さまの麾下にお仕えしている。わが金墉城の魏王さまは、たくさん将兵を招き、ひろく英雄と結び、糧秣を蓄えている。わが魏王さまは兵を率い、孟海公と対峙しにゆき、わたしに命じて、徐懋功、秦叔宝両名とともに、固く城池を守らせていた。孟海公を殺し、滄州を得たために、このたび使者を遣わしてきて、金墉城の囚人を大赦せよとのお達しだ。われらはともに牢に行き、罪人を釈放しよう。こたび、勅書を受けたから、役所に行って、ともにこの詔書を開くことにしよう。はやくも着いた。兵卒よ、取り次いでくれ。それがしがまいりましたと。

(卒子)かしこまりました。(報せる)(じゃ)。大人にお知らせ申し上げまする。魏徴さま、秦叔宝さまがお越しです。

(徐懋功)お通ししてくれ。

(卒子)かしこまりました。どうぞ。

(衆が見える)

(秦叔宝)詔書を見ますと、この一句は唐元帥と劉文静のことを述べています。一言申したいのですが申せませぬ。

(徐懋功)将軍どのにお話がおありなら、仰って構いませぬ。

(秦叔宝)思いみますに、唐の国は咸陽にあり、人心は帰服しており、唐元帥は上は天命に従い、下は人心に叶い、兵が進めば勝利を得、馬が到れば功績を上げています。程咬金にかれが追われて、老君堂に行きましたとき、それがしが見ましたところ、人相は優れていました。わが魏王さまが行っている事を考えますに、賢門を閉ざし、功があっても褒めず、罪があっても罰せず、ひそかに賢士を誅しています。天が瑞祥を下さなければ、義と礼を弁えぬことになります[43]。みなさまとくとお考えあれ。

(徐懋功)仰ることは尤もだ。左右のものよ、牢から唐元帥と劉文静を出してこい。

(正末)それがしは唐元帥。咸陽を離れてから、袁天罡の言葉に従わなかったことを悔いていたが、はたして敵に囚われてしまった。劉文静よ、誰がおまえを来させた。

(劉文静)元帥さまが苦しんでいらっしゃるのに、死を避け、生を貪れば、どうして忠臣といえましょう。呼んでいますから、行きましょう。

(正末)誰がわれらを救ってくれよう。(唱う)

【中呂】【粉蝶児】わたしは今は一日を過ごすこと一年のやう。縲紲に遭ひたれば、心は嗟き怨みつつ、賢相の言葉に従はざりしを悔やめり。みづから思へり、金墉を見て、白鹿を捜ししのみにて、侵略せんとせしことなしと。かれはわたしを捕まへて、庁前に到らしめ、南牢に下して人に弁明をさすることなし。

(劉文静)元帥さま、お怒りになりますな。ひとまず我慢なさいまし。

(正末が唱う)

【酔春風】おもはず怒りの涙を落とせり。これもわが時運に苦しみたるならん。賢臣の言葉を信ぜざりしかば、つまらぬ目に遭ふ。悔ゆとも遅き、遅きなり。霧に乗り、雲に(のぼ)りて、(うで)に両つの(つばさ)を生じ、獄院(ひとや)を飛び出で得ぬことぞ恨めしき。(見える)

(徐懋功)このたび、魏王さまの大恩により、罪を赦すが、「南牢の二子は、帰郷せしめず」とある。おまえたち二人は帰郷できると思うな。

(正末が唱う)

【上小楼】聴きたれば、眉は愁へて眼は涙せり。おんみらの便宜を施したまはんことをひたすら望めり。わたしはこたび法を犯して、辺地を乱せば、罪せらるるはまことにご尤もなれど−今すぐに跪きてん−お三方、詔書をば変へたまへかし。

(徐懋功)わたしがおんみを救ったら、仇に報いにくるだろう。

(正末が唱う)わたしがふたたび兵を起こして交戦しにくることはあるまじ。

(魏徴)おんみは尋常の人物ではない。このたびはおんみをお救いいたしましょう。大いに期待しておりますぞ。

(秦叔宝)「良禽は木を見て棲まひ、賢臣は主を選んで仕ふ[44]」といいます。聞けば唐君は徳は堯舜に勝り、文武を敬っていらっしゃるとか。天下は乱れておりますが、有徳のものは不徳を伐ち、有仁のものは不仁のものを伐つものでございます。今お二方にはご判断なさるようにお願いします。

(正末が唱う)

【十二月】おんみらがわれらを憐れみたまはんことをひたすら望めり。われらを帰し、咸陽に到らしめたまひなば、ゆくゆくは明賢に拝謝すべけん。

(徐懋功)人馬を動かされてはなりませぬぞ[45]

(正末が唱う)

【堯民歌】ああ、われらはなどか怨みに報いん。明日になりなばつばらかに三賢にしぞ訴へん[46]。一命は黄泉(よみぢ)に喪はれんとせしかど、おんみらがわれらを救ひしことに大いに感謝せん。本年、本年凱旋をすることを得ば、日を改めておんみらに見えてん。

(魏徴)このことを絶対に漏らしてはなりませぬ。「不」の字に書き加えをして、「本」の字に改めましょう[47]

(徐懋功)それはよい。それはよい。一字が万金に値します。左右のものよ、枷と鎖を解け。お二人は途中ではお気を付けあれ。われらは詔書を改めて、帰国させてあげましょう。

(正末)お三方に感謝いたします。(唱う)

【耍孩児】今日は大いに賢士らの断ち難き恩を承けたり、わが倒懸の苦しみは救はれぬ。帰朝せば玉階にみづから奏せん。恩徳を施して詔書を改め、憐憫を垂れたまひたることは忘れじ。英魂は金墉の地に喪ぶるものと思ひしが、今日は帝輦(みやこ)に還るを得たり。行く途をいそいで踏めば、この恩とこの徳は、肺腑をばもてすとも言ひ難からん[48]

(徐懋功)元帥さまはわれら三人(みたり)をご記憶ください。

(正末)切切と心に刻み、忘れはしませぬ。(唱う)

【尾声】わたしは今はお別れし、ただちに還り、故郷に赴き、御前に朝せん。いづれの時にかおんみらの顔を見るべき。咸陽に帰るためには、路の遠きを避くることなし。(退場)

(秦叔宝)今日、詔を改めて秦王を救ったのは、魏徴大人の功績だ。魏王さまがお責めになったときは、われら三人(みたり)でいっしょに責めを受けましょう。それぞれ家に帰りましょう。

「公門で修行をすべし[49]」、三人(みたり)は詔書を改めて英雄を放ちたりにき。われらはこたび主君を欺き、恩徳を施したりき、「人はいづれの処にありてか相逢はざらん[50]」。(ともに退場)

 

楔子

(外が蕭銑[51]に扮して蕭虎、蕭彪とともに卒子を率いて登場)(蕭銑)泰山の頂をもて欠けし刀を磨きあげ、北海の波をもて渇ける馬に飲ましめり[52]。男子は三十(みそぢ)で身を立てずんば、堂堂とした大丈夫(ますらを)となるもあだなり。

それがしは大将蕭銑。隋が政治を誤ったため、天下の豪傑はならび起こり、それぞれが国を持っている。それがしは軍馬数万を集め、江南九郡の地を独占している。それがしの麾下には弟二人がいる。蕭虎、蕭彪だ。さらに一人の大将がおり、高熊という。この者はとても勇猛だ。ところが李密は金墉城を占領し、さらに李淵はかれら父子の兵を率いて天下を独占し[53]、この咸陽で[54]、大唐神堯高祖と自称している。かれは天下の豪傑の心を従わせ[55]、今や天下を併呑しようとし、今回、唐の小わっぱを元帥にし、大勢の人馬を率い、わが江南を征しにきている。それがしは思う。雄兵百万、武将千人がいるのだから、弟たちよ、唐の小わっぱは大したことはないだろう。

(蕭虎)兄上さま、唐元帥が兵を率いてわが江南を征するのなら、謀略を巡らせて敵に対抗しなければなりませぬ。われらがすぐに兵を発して、大唐を防ぐのに、何の良くないことがございましょう。

(蕭銑)弟よ、大唐の将兵は勇猛だから、細心に勦討せよ。

(蕭虎)大王さま、わが方の百万の雄兵は、みな好漢でございます。唐元帥は大したことはございますまい。

(蕭銑)二弟蕭彪よ、注意して唐の将軍と対峙せよ。気を付けるのだぞ。

(蕭彪)大王さま、われら二人は兄じゃにぴたりと従って馬を出しましょう。勝敗を決しますのはかならずや今日でしょう。

(蕭銑)おい兵卒よ、大将の高熊を呼んできてくれ。

(卒子)かしこまりました。高将軍さまはいずこにおわしましょうや。

(浄が高熊に扮して登場)将軍なれども奇妙なり、戦闘対峙し勝ちしことなし。つねに馬より落ちたれば、今も頭は破れたり。

それがしは大将高熊。十八般の武藝のなかで、一つもできるものはない。文才ならば、一気に「蒋沈韓楊[56]」までを読み上げて、武藝ならば、隊を調え、最後まで纏わりつく[57]。練兵場で蜻蜓を立てて遊んでいたら[58]、大王さまがお呼びだと巴都児(バトゥル)が報せにきたのだが、どのような軍令だろうか。僕ちゃんは行くとしよう[59]。はやくも着いた。兵卒よ、取り次いでくれ。大将の高熊が来ましたと。

(卒子が報せる)かしこまりました。(じゃ)。高将軍がお越しです。

(蕭銑)通せ。

(卒子)かしこまりました。行かれませ、(見える)老元帥さま、わたしは剣と(よろい)を着けていますので、跪けませぬ。わたくしを呼ばれましたは何事にございましょうや。

(蕭銑)高熊よ、おまえを呼んだはほかでもない。今大唐が大勢の軍馬を率い、われらと戦っているのだ、かれらはとても勇猛だそうだから、かれらと戦え。気を付けるのだぞ。

(高熊)かしこまりました。大王さまの軍令を奉り、十万の雄兵を率い、殿軍となり、唐軍と戦いにゆきましょう。大小の三軍よ、わたしがおならを放つのを聴け。馬に乗らずに、まずは酔え。鉄の(よろい)を纏わずに、錦の(ふすま)を着けるのだ。唐軍にでくわせば、かれらと対峙し、矢を射てくれば、大腿を伸ばすのだ。残された命を棄てて、黄泉(よみじ)で鬼となるがよい。十万の兵は刀と槍を並べて、一人一人が綿羊に乗れ。遭遇したら対峙して逃げる用意だ。挟撃されれば馬を返して良郷[60]に逃げてゆくのだ。(退場)

(蕭銑)高熊は唐軍と戦いにいってしまった。二人の弟よ、われらは大勢の軍兵を率い、人馬を調え、救援しにゆこう。唐軍と対峙戦闘しにゆこう。

百万の雄兵(つはもの)は槍と刀を列ねたり、みな威風あり殺気は高し。また唐軍にでくはさば、かならず斬首し許すまじ。(ともに退場)

(劉文静が登場)金墉の難を逃れて、唐朝の股肱の臣に復したり。

わたしは劉文静。殿さまをお救いしようとしたのだが、李密はそれがしをも南牢に入れた。さいわい魏徴が詔を改め、秦王さまとそれがしを帰国させた。今李密は戦に敗れ、勢は衰えている。大唐の聖上の御諚を奉じ、秦王はみずから元帥になり、兵十万を率い、南のかた蕭銑を討っている。それがしは前哨となり、さきにこちらの清風嶺で待っている。土埃が起っているが、唐元帥さまが来られたのだろう。

(正末が秦叔宝、段志玄とともに登場)

(正末)それがしは秦王の李世民、さいわい魏徴が詔書を改めてくれたため、帰郷した。今や李密は国を失い、それがしは父王の聖命を奉り、南のかた蕭銑を討ち、印を掛け、元帥になっている。それがしはこの三将軍、秦叔宝、段志玄らとともに、兵を率いて、金沙灘[61]に来た。それがしはさきに馬三宝を遣わして清風嶺[62]で賊兵を遮らせている。二将軍よ、わが唐軍を見よ。すばらしい勢いだ。

(秦叔宝)元帥さま、わが唐軍は人馬は強く、武威を輝かせ、ほんとうに将兵は勇猛でございます。

(段志玄)元帥さま、わが唐軍は旌旗は千里、殺気は(そら)を衝いております。蕭銑は大したことはございませぬ。

(正末)遠くからやってくるのは劉文静の旗ではないか。

(劉文静が正末を見て馬を下りる)元帥さま。劉文静でございます。前哨の軍馬はこちらでつつしんで待っております。

(正末)大小の三軍よ、陣を布け。蕭銑が来るだろう。

(蕭銑が蕭虎、蕭彪とともに登場)

(蕭銑)大小の三軍よ、きちんと並べ。

(蕭虎)元帥さま、かしこまりました。蕭彪、おまえは殿軍になれ。

(蕭彪)かしこまりました。

(正末)来たのは誰だ。

(蕭銑)それがしは大将蕭銑。来たのは誰だ。

(正末)それがしは大唐の元帥秦王。蕭銑よ、すみやかに馬を下り、投降するのだ。

(蕭銑)おまえは大したことはあるまい。

(正末)太鼓を鳴らせ。(諸将が一斉に戦う)(唱う)

【仙呂】【賞花時】わたしはおまへと馬を走らせ、刀を揮ひて戦へり。殺気は騰騰、日を覆ひ、陣鼓は春の(かみ)と響けり。

(秦叔宝が鐗で蕭虎を打ち倒す)蕭虎よ、わたしの鐗を食らえ。

(蕭虎が鐗に当たる)(退場)

(正末が唱う)あたかも(べん)もて盗跖を倒すがごとし。

(段志玄)蕭彪よ、わたしの剣を食らえ。(剣に当たる)(退場)

(正末が唱う)龍泉[63]の下、鮮血は錦の征衣を染むるなり。

(蕭銑)二人の弟を殺したな。ただでは済まさぬ。わたしはおまえと九千合決戦しよう。

(正末)二将よ、下がれ。それがしはひとりで蕭銑と戦おう。

(蕭銑)太鼓を鳴らせ。

(正末が唱う)

【幺篇】ふたたび馬を交はらせ、刀もて画杆の戟を迎へたり。猿臂をば軽く伸ばして逆賊を斬る[64]

(蕭銑)唐の小わっぱは勇猛だから、近づけぬ。逃げるとしよう。

(正末が唱う)かれを殺して七魄を散ぜしめ五魂をば飛ばしめん。

(言う)蕭銑よ、わたしの刀を食らえ。

(蕭銑が刀に当たる)(退場)

(卒子が報せる)わが元帥さまは刀で蕭銑を斬り、勝利を得ました。

(正末が唱う)兵卒は、吉報をたちまち伝へり。本日は、金の鐙を敲きつつ、ともに凱歌を唱ひて戻らん。(ともに退場)

(浄が高熊に扮して登場)それがしは高熊。それがしは十万の雄兵を率い、大唐と交戦し、ことさらに唐元帥の帰路を断つ。大小の巴都児(バトゥル)よ、陣を布け。来たのは誰だ。

(馬三宝が卒子を率いて登場)それがしは唐の将軍馬三宝。唐元帥さまの軍令を奉り、三万の精兵を率い、この清風嶺で救援をする。聞けば元帥さまは勝利を得て帰陣なさるが、蕭銑配下の残党は退かず、わが唐軍の帰路を断とうとしているとか。はるかに土埃が起こっているが、賊兵が来たのではないか。

(浄の高熊)それがしは江南の大将高熊、おまえの帰路を断ちにきた。わたしの手にある鉞斧(まさかり)が見えるか。わたしはおまえと九千七百六十四合半決戦し、熟練の手並みを示そう。来たのは誰だ。

(馬三宝)それがしは唐の将軍馬三宝。(二将が戦う)

(高熊)花腔鼓のへりは敲かれ[65]、雑彩[66]の繍旗は揺れり。諸将はすべて吶喊し、二騎の馬は交はれり。

(高熊)この馬将軍はとても勇猛。わたしは敵わぬ。斧で斬る振りをして逃げるとしよう[67]

(馬三宝が槍で刺す)

(高熊が倒れる)死ぬ。(退場)

(馬三宝)高熊がわが唐軍の帰路を断つとは思わなかったが、それがしは槍で高熊を刺し、賊兵と敗将を勦討したぞ。軍を返して、元帥さまにご報告しにゆこう。

高熊は戦を求め、ことさらに路を断ち、唐軍を阻みたりにき。わたしが槍もて刺したれば賊兵は死にたりき。勝利を得、帰朝して、聖君にしぞ奏してん。(退場)

 

第三折

(外が李靖に扮して登場)勝利を得れば、軍を返して、(かち)を報せん、秦王さまは国を立て、兵略を施したまへり。陣頭で一戦し、蕭銑を誅したまひき。青史には名を記されて、万代(よろづよ)に伝へられなん。

それがしは軍師李靖。聞けば唐元帥さまは南のかた蕭銑を討ち、たちまち勝利し、軍を返してご帰国あそばされるとか。吉報を伝える斥候を遣わしたが[68]、そろそろやってくるだろう。

(正末)すばらしい戦いだった。(唱う)

【黄鍾】【酔花陰】百万の天兵の喊声はとよもせり。昔よりこたびのごとき戦ひはなし。虎略に従ひ、龍韜に拠り、命を奉じて兵を起こして、有道は無道を伐ちて、ただ一陣で唐朝を定めたりにき。わたくしが、始めから、

(見える)お知らせにございます。お知らせにございます。(じゃ)

(唱う)こたびのことを語るのを聴きたまへかし。

(李靖)斥候よ。どこの陣地から来た。見れば喜色を浮かべて元気で、

錦襖[69]は錦戦裙[70]によく似合ひ、金環双つは滲青巾[71]に添へられり。陣頭で軍情を探りしや。来し者がつばらかに語るを聴かん。

わが唐軍が蕭銑と対陣したとき、どのように対峙戦闘したか、息をするのが楽になったら、ゆっくり話せ。

(正末が唱う)

【喜遷鶯】将校はびつしり並び、剣、戟、槍、刀、きらきらとして、勇ましや。征塵は籠め、ひらひらと雑彩の旅旗[72]は揺れたり。殺気は漂ひ、虎豹のごとく征人は勇ましく、蛟龍のごとく戦馬は鳴けり。

(李靖)すばらしい戦闘だ。あちらでは蕭銑、蕭虎、蕭彪が馬を出し、こちらでは唐元帥、秦叔宝、段志玄の三将が陣に臨み、しっかりと対峙したのか。六人は剣を振り、六頭の馬たちは蹴り、跳び、曲がり、犇めいて、六軍[73]は勇ましく囲みを衝き、陣を破ったか。六人は戦って、胆を戦かせ、心を寒くしたか。六種の恐ろしい兵器を持って[74]、六人の天兵が天関[75]を降り、六本の重い槍、(ふと)い剣、巨きな斧で、六丁神[76]が人の世で混戦しているようであったか。六人の大将たちがどのように馬を交えて武威を輝かせたのかを、斥候よ、さらにゆっくり話すのだ。

(正末が唱う)

【出隊子】六人の将軍たちは勇ましきこと虎豹のごとく、秦叔宝は英雄を逞しうせり。皮楞鉄鐗を逃がれ得ず[77]、蕭虎はたちまち若死にしたりき。

(言う)われらが段志玄さまは、

(唱う)剣もて斬れば蕭彪は陣に倒れり。

(李靖)われらが秦叔宝は唐元帥さまの威風によって、鐗で蕭虎を打ち殺し、段志玄は大将の威力を示し、剣で蕭彪を斬ったのか。すばらしい戦いだ。

叔宝は英雄にして当たるべからず、鉄鐗により国を保ちて、蕭虎を倒して逃げ難からしむ。くはふるに将軍段志玄ありて、剣をもて蕭彪を斬り、魂魄を散ぜしめたり。蕭銑は陣頭で大言し、秦王のみを出馬させ、二人して戦闘せんとしたれども、今江山は定まりぬ。

われらの秦叔宝、段志玄が蕭虎、蕭彪を殺したとき、蕭銑は陣頭で声を励まし、高く叫んだか。われらの元帥さまは、どのように対峙したのか、斥候よ、さらにゆっくり話すのだ。

(正末が唱う)

【刮地風】荒らかな蕭銑は軍前で粗暴をほしいままにしき。元帥さまを誘ひ出し、優劣を比べんとしき。秦王さまはそれを聴き、呷呷[78]と笑ひたまひて、馬を走らせ、刀を揮ひ、戦場で英豪を示したまひき。陣頭でおたがひに譲ることなく、画戟は来、鋼刀は行き、怒気は交はり、百十合闘ひて決着はつかざりしかど、清濁を弁ぜんとして、元帥さまは刀を挙げて首を落としき。あなや。錦の戦袍は血に濡れたりき。

(李靖)元帥さまが蕭銑と百十合闘うと、蕭銑は力尽き、人馬は疲れたのだな。方天画杆戟[79]で元帥さまを刺す振りをしたところ、元帥さまは雁翎刀[80]を挙げ、蕭銑をたちまちに誅したのだな。金の(かぶと)は仰向けになり、両脚を空に向け、馬の下に倒れたのだな。

元帥さまは英雄にして四方に知られ、文武に長けて世に並ぶものこそなけれ。(みんなみ)に蕭銑を討ち、大いなる(いさをし)を立て、刀もて賊徒を殺し、万邦を定めたまひき。天下(あめがした)なる豪傑はみな上表し、威力もて乾坤を鎮むれば刀槍(いくさ)は止めり。天を支ふる白玉(しらたま)の柱、海に掛けたる黄金(こがね)の梁となりぬべし。

唐元帥さまは蕭銑をたちまちに誅したが、どのように敗残兵を殺したのかを、さらにゆっくり話すのだ。

(正末が唱う)

【四門子】元帥さまは将軍を斬り、将校を駆り、残兵を殺し、逃ぐる路なからしめたまひにき。城郭を収め、軍士を招き、江南に遠征し、一掃し、府庫を閉ぢ[81]、臣子らを朝せしめ、をちこちを(くだ)らしめ、従はしめき。

(李靖)わが唐元帥さまは蕭銑を誅したが、賊将配下の残党が、秦王さまを囲んだのだな。わが元帥さまは聖上の洪福により、敗残兵を勦討し、まことに勇ましかったのだな。

文武両全将相の才、気は牛斗を衝き江淮を巻く。江南の地は唐に属して、天下の諸侯は上表をせり。

その後、高熊はわが元帥さまの帰路を断ったが、馬三宝が戦って、槍で高熊を刺し殺し、やすやすと一国を手に入れた[82]。今や四海はことごとく安らかになり、万民は生業を楽しんで、ほんとうに太平の世となっている。斥候よ、さらに話せ。

(正末が唱う)

【古水仙子】ああ、ああ、ああ、万方は安らかになり、聖朝を仰ぎまつりて、地を納め、臣と称してことごとく上表したり。美はしや、美はしや、雨風(あめかぜ)は穏やかにして、軍民は楽しくしたり。見よや見よ、四夷(よものえびす)は来りて宝を献じたり。太平の年にして五穀豊饒、十八か処の、年号をみだりに改めたるものはことごとく勦討せられり[83]。わが秦王はつつしみて尊君の詔勅を奉り、蕭銑を平らげて唐朝を定めたまへり。

(李靖)わが唐元帥さまは江南を平定なさったのだな。斥候よ、用は済んだから、本陣に戻ってゆけ。

(正末が唱う)

【尾声】四海は臣と称して万民(たみ)は楽しめり。蓋世の功績(いさをし)はうち立てられり。願はくは万万載(よろづとせ)わが(きみ)の大宝[84]に登らんことを。(退場)

(李靖)斥候は行ってしまった。わが聖朝の兵馬は勝利を得たのだな。これこそは真の天子を百霊[85]がみな助け、大いなる将軍が八面の威を示したということだ。(退場)

 

第四折

(冲末が殿頭官に扮し、卒子を連れて登場)五夜の漏声[86][87]を促し、九重の春色仙桃[88]に酔ふ。旌旗は(ひび)に暖かく龍蛇[89]は動き、宮殿に風は微かに燕雀高し[90]

わたくしは殿頭官。今朝、朝廷に軍情を急報してきた。われらが唐元帥さまが北邙山を見ていたときに、魏王李密に捕らえられたため、聖上は劉文静どのを使者にし、勅書を持たせ、李密と媾和しにゆかせたが、李密は二人を、南牢に下したということだった。今、聞いたところでは、李密は滄州[91]を手に入れて、孟海公[92]を殺したため、城じゅうの罪人を赦すことにし、詔書ですべての囚人を釈放したが、われらが唐元帥さまたちだけは釈放されなかったとか。劉文静は魏徴らに頼み、詔書を改めさせたため、われらが唐元帥さまたちは釈放された。このたびはまた命を奉じて江南を征伐し、蕭銑たちを勦討し、さらに無数の人馬と糧秣を得た。このたびは功績を立て、勝利を得たので、聖上の御諚を奉り、担当の役所に伝えて、宴席を調えさせて、大小の諸将を労い、使者を遣わし、官位を加え、褒美を賜うことになった。わたしはこの帥府で待っている。兵卒よ、入り口で見張りせよ。唐元帥さまたちが来たときは、わたしに報せよ。

(本子)かしこまりました。

(正末が秦叔宝、段志玄とともに登場)

(正末)それがしは唐元帥。江南を平定してすでに戻った。本日は軍を返そう。秦将軍よ、われらは入朝して聖上にお会いしよう。

(秦叔宝)はるかに京師を望みしも近づきぬ。今は勝利を得て帰朝せり。

大小の将軍は、ほんとうに威風があるな。

(正末が唱う)

【双調】【新水令】蕭銑をただちに誅し、辺庭を安んじたりき。めでたき天子のおかげにて[93]、軍を返して帝輦(みやこ)に戻らん。将を率ゐて神京(みやこ)に到らば、幾たびも勝利を報せ、帥府に臨み、宣命を聴くべけん。

(言う)はやくも帥府の入り口に来た。兵卒よ、取り次いでくれ。秦王さまたちがご到着だ。

(卒子)かしこまりました。(じゃ)。大人にお知らせ申し上げまする。唐元帥さまたちがご到着され、今は役所の入り口にいらっしゃいます。

(殿頭官)お通ししてくれ。

(卒子)かしこまりました。大人がお呼びです。(見える)

(殿頭官)唐元帥さまは国家のために功績を上げられました。将軍さまたちもたいへんご苦労さまでした。

(正末)老宰相さまは朝廷をお治めになり、大変でございました。

(殿頭官)元帥さまは、かような智勇妙算を持ち、名声は天下に揚がり、まことに国家は盤石にございます。

(正末)大人、それがしの能力ではなく、父上の洪福、ならびに二人の将軍の能力のお陰です。

(秦叔宝)老宰相さま、こたびのことはわれら二将の能力によるものではなく、元帥さまの虎威によるものでございます。

(段志玄)老大人、われら二将が蕭虎、蕭彪を殺しましたのは、元帥さまが賊魁と戦って、蕭銑をたちまちに誅したのには及びませぬ。今日(こんにち)は太平が定められました。

(殿頭官)元帥さまは、一つには尊君の洪福のため、二つには元帥さまの謀略が人より勝っていたために、今日勝利を得られたのです。

(正末が唱う)

【沈酔東風】勅を奉じてはろばろと南へ征けば、奸邪なる蕭銑は兵を並べり。無徒(ならずもの)蕭虎は強きも、いかでかは秦瓊に勝るべき。ただ鐗の一打ちのみで残んの命を失へり。蕭彪のやつは戦を挑めども、

(言う)わたし段志玄は、

(唱う)宝剣で斬り、辺境を安んじたりき。

(殿頭官)元帥さまの能力は、諸葛武侯に劣りませぬ。蕭銑は大したことはございますまい。

(正末が唱う)

【掛玉鈎】蕭銑は英雄にして武藝は優れ、方天戟[94]を横ざまに握りしめたり。馬を出し、旗を並べて吶喊の声はあれども、わたしの刀が過ぎぬれば振り向く頚はなくなりて、かの蔡陽[95]のごとく斬られぬ。讒佞をたちまち誅し、かのものの百万の貔貅らを、ことごとく一掃したりき。

(殿頭官)元帥どの、しばし待たれよ。兵卒よ、李靖軍師どのを呼び、捕まえた李密配下の将官たちを、連れてきてくれ。

(卒子)かしこまりました。李靖軍師さま。大人がお呼びです。

(李靖が卒子とともに程咬金を捕らえて登場)わたしは李靖。今魏王李密配下の大小の諸将は、わが大唐に投降したが、中に一人、程咬金というものがいる。この者はそのかみ、わが秦王さまを捕らえて金墉城に連行した。さいわいに魏徴が詔書を改めて、わが元帥さまを帰国させた。今日程咬金は投降したが、秦王さまは、どのようなお裁きをするお考えだろう。わたしは程咬金を縛って、秦王さまに会わせにゆこう。はやくも帥府の入り口に来た。兵卒よ、取り次いでくれ。李靖軍師が来ましたと。

(卒子)かしこまりました。大人にお知らせ申し上げまする。李靖軍師さまたちがお越しです。

(殿頭官)お通ししてくれ。(見える)

(李靖)大人、われらが元帥さまは江南を平定し、ほんとうに汗馬の功がございます。

(正末)軍師どのはほんとうに社稷を扶ける股肱の臣でいらっしゃる。

(李靖)滅相もございませぬ。滅相もございませぬ。わたくしがこのたび参りましたのは元帥さまに一つお知らせすることがあるからでございます。

(正末)軍師どの、何事でございましょう。

(李靖)今、李密配下の大小の諸将は、わが大唐に降りましたが、その中に程咬金という将軍がおりまする。思えばこの者は手に宣花斧を持ち、元帥さまを追いかけて、金墉城に連行したのでございます。ところがこたびは程咬金が投降したため、この者を縛り、連れてきて、元帥さまにお目通りさせるのでございます。今帥府の入り口におりまする。(連れてきて会わせる)

(正末)通せ。

(卒子)かしこまりました。左右のものよ、連れてゆけ。

(李靖)元帥さま、このものが程咬金でございます。

(程咬金)大王さま、わたくしは亡国の臣でございます。以前大王さまを追いかけるべきではございませんでした。わたくしは天に漲る罪がございます。今日は投降いたします。わたくしは頭を下げて大王さまの斧鉞の下で殺されたいと思います。

(正末)軍師どのよ、大臣の皆さまよ、聴かれよ。人臣たる者は、忠を尽くして国に報いるべきである。程咬金はそれがしを老君堂まで追い掛けたが、この者は当時魏王に忠を尽くしており、それがしを知らなかったのだ。このたび唐に降ったが、それがしは以前の怨みは忘れよう。「桀の犬の堯に吠ゆるは、堯が仁ならざるにはあらず」というではないか[96]。それぞれにそれぞれの主君があるのだ。それがしは今、程咬金将軍を推挙して朝廷に入れ、かならずや重用しよう。わたしはみずからその縛めを解くとしよう。(正末が程咬金の縄を解く)

(程咬金)大王さまには臣の万死をお赦しくださり、ありがとうございます。大王さまが微臣(わたし)を将となさいますなら、一腔の熱血を捨て、忠を尽くし、力を尽くし、大王さまの不殺のご恩に報いましょう。

(正末)程将軍よ、安心なされよ。それがしが尊君(ちちうえ)に上奏すれば、かならずや重用せられ、官職に封ぜられ、褒美を賜わることであろう。

(程咬金が拝謝する)

(殿頭宮)左右のものよ、果卓を担いでまいるのだ。(酒を斟ぐ)

(殿頭官)元帥さま、この杯を干されませ。

(正末)それがしも酒を飲みましょう。老宰相さまと軍師どのと諸将たちが、今日それがしとともにするのは、まさに龍虎が風雲に会するかのよう。

(殿頭官)宴を賜わり、(いさお)を祝して酒を飲むのは、まさに礼儀に叶ったことです。

(正末が唱う)

【川撥棹】玳[97]を開きつつ成功(いさを)を祝し、金杯を勧めつつ醁醽(りよくれい)[98]を飲む。文武の公卿(おとど)は談笑し、歓声を上げ、楽しみて醄醄[99]として画庭[100]に帰り、烹炰[101]と佳饌[102]を献ぜり。

(殿頭官)群雄は勦討せられ、天下は太平。今や四海は安泰でございます。

(正末が唱う)

【梅花酒】今は太平、戦はすべて収まりぬ。千万(ちよろづ)の国は来朝し、玉葉金枝[103]は齢を延ばし、雨風は穏やかにして実りは豊けし。

(李靖)すべては文武官たちの能力によるものでございます。

(正末が唱う)

【七弟兄】ああ。文臣らはことごとく鼎を調へ[104]、武将らは兵を操り、こなたでは(みな)(とほ)[105](のり)は正しく(つかさ)は清し。わが(きみ)の聖寿の安らかならんこと、万万歳の遐齢を願はん。三辺[106]は穏やかにして、四海は清く、霊芝は現れ、醴泉[107]は湧き、慶雲は燦きて、景星[108]は明らけきなり。

(殿頭官)聖天子さまの天に等しい洪福により、文武官らは社稷を保ち、おしなべて豊年の世となった。

(正末が唱う)

【収江南】ああ。聖朝の天子(すめろぎ)は群英を重んじたまへば、賢臣と良将は朝廷を助けまつれり。中原に清らかに宴して昇平を賀す。さいはひに倉廒(くら)は満ちたり。皇図[109]を保ちて一統し、万年(よろづとせ)栄えしむべし。

(外が使者に扮して突然登場)号令は雷霆と駆け、文章は星斗と(かがや)く。

わたしは天朝の使者。聖上の御諚を奉じ、ただちに元帥府に行って、官位を加え、褒美を与える。はやくも着いた。唐元帥どの、香を焚かれよ。大小の諸将らよ、宮居を望んで跪き、聖上の御諚を聴くのだ。官位を加え、褒美を与える。

(正末が諸将とともに跪く)大小の諸将よ、つつしんで勅旨を聴くのだ。

(使者)聴け。李密は朝廷を侮り、金墉城に糧秣を蓄えた。唐元帥が偵察のために入境すると、程咬金は主君に仕えていたために、秦王を追いかけた。老君堂で、斧で斬ろうとしたときに、秦叔宝は鐗で受け止め、ほんとうに忠良であることを示した。袁天罡は百日の災禍を占い、魏徴は詔書を改めて、唐元帥を釈放し、帰郷させた。王世充は李密を破ったが[110]、蕭銑は大唐に従わなかった。聖勅により、秦王を元帥に封じ、雄師を率いて南方を征討し、洪福により蕭銑をたちまち誅し、奸邪を破り、国土を広げた。聖命を奉り、官位を加え、褒美を与え、御宴を設け、英雄たちを労おう。秦王に位を継がせ、秦瓊たちは都堂の位に至らせよう。社稷を扶け、万年にわたり一統せしめ、皇図を保ち、帝道をながく昌んにするとしようぞ。

 

題目 唐秦王誤看金墉府
正名 程咬金斧劈老君堂

最終更新日:2007428

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[1]風物。雰囲気。

[2]金製の魚の形をした装飾品。高位高官の持ち物。『朝野類要』巻三「本朝之制、文臣自入仕著緑、満二十年、換賜緋、及銀魚袋。又満二十年、換賜紫、及金魚袋。又有雖未及年、而推恩特賜者、又有未及、而所任職不宜緋緑、而借紫借緋者、即無魚袋也若三公三少則玉帯金魚矣、惟東官魚亦玉為之」。

[3]原文「自従隨侍大唐、数載之間、三鎖晋陽、得帰帝業」。「三鎖晋陽」がまったく未詳。劉文静が隋末、晋陽の令であり、そのとき李淵と親しくなったことは正史に見える。『旧唐書』劉文静伝「及高祖鎮太原、文静察高祖有四方之志、深自結託」。また、李淵が隋末に挙兵したのは劉文静と李世民の勧めによるものである。『旧唐書』高祖本紀「群賊蜂起、江都阻絶、太宗与晋陽令劉文静首謀、勧挙義兵」。

[4]原文「坎離坤兌匹乾天」。「匹」が未詳。とりあえず「and」の意味に解す。坎、離、坤、兌、乾(乾天)、いずれも易の卦。この五つで易の卦を代表させているのであろう。

[5]卒子に呼びかけたもの。

[6]原文「袋内雕弓毎上弦」。「上弦」が未詳。とりあえずこう訳す。

[7]騎兵と歩兵。

[8]原文「共立錦華夷」。「錦華夷」が未詳。とりあえずこう訳す。

[9]ごたごた乱れるさま。

[10]洛陽の東にある城の名。『旧唐書』李密伝「密乗勝陥偃師、於是修金墉城居之、有卒三十餘万」。

[11]二士、三賢、五虎、七熊、八彪は李密の部下と思われるがまったく未詳。

[12] 原文「誰想李淵三鎖晋陽」。未詳。前注参照。

[13]原文「唐童」。ここでは唐元帥李世民を指す。

[14]天蓬神君。胡孚琛主編『中華道教大辞典』千四百六十六頁参照。

[15]原文「望中嗟嘆」。「中」が未詳。とりあえずこう訳す。

[16]緑樹にかかる靄。

[17]普通は天子の廟をいうが、ここでは神廟を指していよう。

[18]瓦葺きの殿舎。

[19]未詳だが、土盛りした祭壇であろう。

[20]石製の祭具であろう。

[21]原文「你把那先天周易細循環」。「循環」が未詳。とりあえずこう訳す。「先天周易」は伏羲の作った易。先天易。張其成主編『易学大辞典』四百五十八頁参照。

[22]原文「年災月値依經按」。「年災月値」が未詳。おおざっぱな方向としては星回りということであろう

[23]原文「陰陽不順情、若順情有禍難」。占いの結果が人の感情と合わないときに、人の感情を押し通そうとすると、禍が起こるということであろう。

[24]原文「算甚麼命、問甚麼卜。欺人是禍、饒人是福」。「聖人道」といっているが、典籍に出所のある言葉ではなさそうである。出典未詳。

[25]原文「禍福無門人自攀」。本来は「禍福無門、唯人自召」といい、『左伝』襄公二十三年に出典のある言葉。

[26]原文「休也波奸、天数関」。未詳。とりあえずこう訳す。「也波」は襯字で無意味。

[27]原文「把一心放正行」。未詳。とりあえずこう訳す。

[28]美しい帳。ここでは李世民の居所をいう。

[29]本陣。将軍のいる場所。

[30]彫刻を施した弓。

[31]駿馬。

[32]莫耶、莫邪、鏌邪とも。古の呉の名剣の名として名高いが、ここでは大きな戟のこと。『漢書』揚雄伝「杖鏌邪而羅者以万計」注「師古曰、鏌邪、大戟也」。

[33]原文「把門人謹牢[手・戸・環の右]」。「牢[手・戸・環の右]」は未詳。とりあえずこう訳す。

[34]銀盔は銀のかぶと。鳳翅は鳳凰の羽のような飾りで、それがかぶとについているのであろう。鳳翅幞頭というものがある。鳳翅幞頭の:周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』百二十六頁。

[35]原文「尊神与某金鞭指路、聖手遮攔」。「金鞭指路」、太上老君と金鞭の関係が未詳。

[36]武器の名。簡とも。:『三才図会』。

[37]王室を守護する家来。

[38]原文「鳳凰雛」。「鳳雛」のこと。将来大人物となる若者。ここでは李世民が自分自身を指していっている。

[39] 『唐書』劉文静伝「文静俄坐李密姻属繫獄」。

[40]唐の功臣李勣のこと。本姓は徐。『唐書』巻九十三などに伝がある。

[41]『唐書』李勣伝「隋大業末、韋城翟譲為盜、勣年十七、往従之」

[42]河南省の滑県の地名。

[43]原文「天不降祥、乃義礼不辨」。唐元帥らに恩徳を施さなければ正義にもとるという趣旨に解す。

[44]原文「良禽相木而棲、賢臣択主而佐」。出典がありそうだが未詳。

[45]原文「快休動人馬也」。「快」が未詳。衍字か。

[46]原文「到來朝一一訴三賢」。訳文はこれでよいと思われるのだが、何を訴えるのかが未詳。

[47]詔書に「南牢二子、不放還郷(南牢の二子は、帰郷せしめず)」とあったが、「不放還郷」を「本放還郷(もとより帰郷せしめよ)」に改めるということ。

[48]原文「肺腑難言」。未詳。とりあえずこう訳す。「肺腑之言」は衷心からの言葉をいうから、「肺腑難言」は真心を尽くしてもお礼を十分言いきれないといった方向であろう。

[49]原文「公門之処好修行」。「公門好修行」という諺がある。役所で公正に振る舞えばそれは功徳に等しい、役所では公正にするべきだという趣旨。

[50]原文「人生何処不相逢」。世間は狭いものだということ。出典は欧陽修『帰田録』巻一「若見雷州寇司戸、人生何処不相逢」だが、俗文学で広く慣用句として用いられた。

[51]唐の人。『唐書』巻八十七などに伝がある。

[52]原文「泰山頂上刀磨缺、北海波中馬飲枯」。未詳。とりあえずこう訳す。自分が気宇壮大であることを歌ったものか。

[53]原文「又聞的李淵領著他子父兵独占天下」。前の部分の「李密は金墉城を占領し(李密占了金墉城)」と矛盾する。

[54]原文「在此咸陽」。蕭銑は江南にいるのに「此」という指示詞を使っているのはおかしい。

[55]原文「他不忿天下豪傑之心」。「不忿」は命令に従わせること。『礼記』坊記「子云、従命不忿、微諫不倦、勞而不怨、可謂孝矣」。

[56]童蒙の教科書である『百家姓』の第四句。

[57]原文「論武調隊子歪纏到底」。「歪纏」が未詳。とりあえずこう訳す。

[58]原文「在教場裏豎蜻蜓耍子」。「豎蜻蜓」は遊戯の名と思われるが未詳。「耍子」は動詞、「あそぶ」。

[59]原文「小學生跑一遭去」。「小學生」は学童のことで、ここでは高熊がみずからを称して用いている。

[60]河北省の県名。

[61]未詳。正史に記載なし。

[62]安徽省の嶺の名。

[63]宝剣の名。龍淵。唐の高祖の諱を避けて龍泉という。『越絶書』越絶外伝記宝剣「欧冶子、干将鑿茨山、洩其溪、取鉄英、作為鉄剣三枚、一曰龍淵、二曰泰阿、三曰工布」。

[64]原文「軽展猿猱斬逆賊」。「猿猱」はサルのことだがここでは「猿臂」のことで間違いなかろう。

[65]原文「花腔辺鼓擂」。「花腔」は「花腔鼓」のこと。胴の部分に模様が描かれた太鼓。「辺鼓」は太鼓のへりの金具を叩くこと。

[66]諸種のあやぎぬ。

[67]原文「我虚劈一斧逃命走了罷」。「虚劈」は斬りかかる振りをすることであろう。

[68]原文「我使的一個報喜的探子去了也」。「報喜的探子」が未詳。李靖のところから届ける吉報はないと思われるのだが。李世民のところから吉報をもたらす斥候という趣旨か。

[69]錦のあわせ。

[70]錦の軍用のもすそ。乗馬のために、二枚で構成されているという。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』二百八十五頁参照。

[71]未詳。頭巾には違いないが、滲青が未詳。滲んだ青、薄い青のことか。『李逵負荊』『趙礼譲肥』『還牢末』にも出てくる。

[72]未詳だが、征旗、軍旗であろう。

[73]天子の軍をいう。

[74]原文「六般児滲人兵器」。「滲人」は人をぞっとさせること。

[75]北斗星をいうが、ここでは漠然と天界というぐらいの意味で使っていよう。『天官星占』「北辰、一名天関」。

[76]道教の神名。六丁六甲神、六甲神、六丁玉女。胡孚琛主編『中華道教大辞典』千四百五十七頁参照。

[77]原文「皮楞鉄鐗将難逃」。「皮楞」はまったく未詳。「鐗」については前注参照。

[78]声が大きいさま。

[79]武器名。方天画戟元雑劇『三戦呂布』第二折、『智勇定斉』楔子などに用例があるが、具体的にどのようなものなのかは未詳。

[80]『玉海』「乾道元年命軍器所造雁翎刀、以三千柄為一料」。

[81]原文「府庫又封」。「府庫」は倉庫。倉庫に封印して掠奪をしなかったということであろう。

[82]原文「平收一國」。「平」が未詳。とりあえずこう訳す。

[83]原文「将十八処擅改皆尽剿」。舌足らずな句だが、『単鞭奪槊』第二折【随煞尾】に「十八処改年号的出尽了醜」とあり、これと同趣旨であろう。『単鞭奪槊』にいう「十八処改年号的」は隋末に割拠した群雄を指しているのであろうが、具体的に誰なのかは未詳。

[84]天子の位。『易』繫辭下「聖人之大宝曰位」。

[85]人民。

[86]漏刻の水が滴る音。

[87]夜明けの時刻を示す漏刻の矢。また、暁の時刻。漏刻の写真:画像元頁

[88]原文「九重春色醉仙桃」。『酉陽雑俎』広動植・木篇「仙桃出郴州蘇耽仙壇、有人至心祈之、輒落壇上、至五六顆、形似石塊赤黄色、破之如有核、研飲之愈衆疾、尤治邪気」

[89]ここでは矛、戟などの兵器をいう。

[90]原文「宮殿風微燕雀高」。含意があるかもしれないが未詳。表面上の意味は風が穏やかなので、燕雀のようなか弱い鳥も高く飛んでいるということであろう。

[91]河北省の州名。ただ、李密と滄州の関係は未詳。

[92]濟北の人。孟海公が李密に殺されたという記述は正史にはない。『新唐書』高祖本紀武徳四年二月、竇建徳陥曹州、執孟海公」。

[93]原文「托頼著一人有慶」。『孝経』天子章「一人有慶、兆民頼之」。

[94]方天画戟に同じ。前注参照。

[95]未詳。

[96]原文「豈不聞桀犬吠堯、非堯不仁」。『史記』淮陰侯伝「蹠之狗吠堯、堯非不仁、狗因吠非其主」。

[97]玳瑁で飾ったむしろ。豪華な宴席。玳瑁筵。

[98]美酒。

[99]酔うさま。

[100]未詳。彩色を施した広間か。

[101]煮たものと焼いたもの。

[102]美食。

[103]皇族をいう。

[104]原文「文臣毎尽調鼎」。「調鼎」は天下を治めること。「調和鼐鼎」に同じ。

[105]原文「是処咸亨」。「是処」が未詳。とりあえずこう解釈する。「咸亨」はすべてが滞りなく行われること。『易』坤「品物咸亨」。

[106]三つの辺地、匈奴、南越、朝鮮。

[107]甘い味のある泉。『列子』湯問「景風翔、慶雲浮、甘露降、醴泉涌」。

[108]大きな星。徳星、瑞星。

[109]皇国の版図。

[110]原文「王世充兵敗李密」。『旧唐書』李密伝「煬帝遣王世充率勁卒五万撃之、密与戦不利、孝和溺死於洛水、密哭之甚慟」。

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