巻五

李参政

李参政至[1]は、性格は高尚恬淡で、年は強壮に近かったが、なお布衣であった。開宝[2]年間、ある省郎[3]が斉安郡[4]を治めていた時、至は門下に身を寄せて学び、書を読み、文を著し、夜も寝なかった。ある晩、二人の娘が冠服で盛装し、珮璫を鳴らし、李に揖して坐した。容態はことに麗しく、風度は婉約[5]であった。李は恍然としてかれらがどこから来たか分からず、心を静め、顔を正し、じっくり見て尋ねた。「幽鬼でしょうか。仙人でしょうか。」「幽鬼ではなく、仙人の亜流です。」まもなく、外に出て見えなくなった。それから月に三たび来、酒を飲ませたり、茶を啜らせたりして去った。幽明のことを談ずれば、言葉は簡素、論理は明快であった。守将が交代すると、二人の娘はまた来、李に言った。「こちらで三年誠実にお仕えしました。見ればあなたはふだんは礼によってみずからを保たれ、一度も淫猥なことに言及なさらず、器量才識は厚うございますから、きっと大成なさるはずでございます。ただ、あなたは前世で商人となられたことがあり、人に利息を負うことがたいへん多うございました。貧しいために償えませんでしたので、今世であなたを壮年で不遇にさせているのでございます。」そこで手紙一通を出して至に与えると言った。「太平と改元するのを待って開きなさい。さもなければ禍がございましょう。」その後、太宗が践祚し、太平興国[6]と改元した。その封を開くと、「太平興国二年、李至が第二位で及第する[7]」とあり、その後、ほんとうにそうなった。後に清顕[8]大政に参与し、巨鎮[9](はた)を擁して[10]終わった。楽京著作[11]がかつて言った。

 

梅侍読[12]

侍読の梅公詢[13]は、端拱[14]二年に進士に合格し、清裕[15]で才があり、はやく文館[16]に入ったが、人の下に坐してくすぶること数十年であった。景徳年間、夢みると、一人の士人、年はたいへん若いものが、いっしょに石の牛を射た。梅は脇に中て、少年は首に中てた。祥符年間になり、真宗が東封すると[17]、詢は選ばれて太平頂[18]に出張し、その上で宿斎[19]した。その晩、香を焚いて再拝し、将来の通塞[20]を黙祷した。寝ると、牛、馬、羊が野に満ち、二頭の牛が前で闘っているのを夢みた。一人の男が官服を着、進みでて牛に言った。「呂公がふたたび中書に入るのを待って、闘っても遅くない。」牛はすると離れて去った。その後、尚書郎から兼職して濠州を治め、呂申公[21]は太常博士で郡の通守[22]となり、風采は、以前夢の中で見たものとたいへん似ていた。通守と副官の住居の花畑の中にそれぞれ一つの小さい石牛があった。梅はそこで前の夢を思い出し、申公とふかく交わった。宝元[23]年間、呂公が宰相となり、梅を選び、天章閣[24]待制[25]にした。その後、申公が北都[26]からふたたび政柄を持つと、梅は枢密直学士となり、審官院[27]で裁定し、さらに転任して侍読学士、郡牧使[28]となった。その年の十二月に病になり、地方に出て許州の太守となり、捐館するに至った。夢の中で牛馬を見たのは、群牧使のことだったのであった。二頭の牛が闘っていたのは、その年丑の歳にあたり、十二月も丑の月であった。二頭の牛は、二つの丑にあって病が起こることであり、神が先に告げたのであった。

 

評にいう。「君子易きに居りて以て命を俟つべし。」[29]論語にいう。「富にして求むべくんば、執鞭の士といへども、吾もまたこれをなさん。」[30]は、富貴貧賎は時運によってもたらされるもので、求めて得られないことを明らかにしている。梅公ははやく俊選[31]にあずかったが、不遇で振るわず、年が七十になって[32]、はじめて知己に遇った。官職は両省を経、職は禁[33]居り、巨鎮に旄を擁し、長寿を享けられた。始めは否、終わりは泰であったのは[34]、もしや命ではないか。

 

韓宗緒[35]

韓宗緒は、龍図贄[36]の子で、父n任により将作監主簿[37]に補せられ[38]、皇祐[39]の秋に鎮庁で[40]、科挙に参加した[41]。たまたま相国寺[42]資聖閣[43]の前で、かれの家が昔使っていた老僕に会ったので、呼んで言った。「某乙ではないか。死んでひさしいのに、なぜここにいる。」「わたしは今、春榜[44]を送る使者に従っているのです。」さらに尋ねた。「榜は見られるか。」「有司の管理[45]はたいへん厳密でございますので、見られません。」さらに言った。「わたしの姓名があるかをこっそりと尋ねられるか。なければ、直すことができるか。」しもべは力を尽くしてみることを許諾した。さらに尋ねた。「今度はどこで会おう。」僕は言った。「またこちらでお会いしましょう。ほかのところではわたしの足取りを隠すのは難しゅうございます。この地は雑踏しておりますので、人と幽鬼が雑居できます。」後日、期日通りにゆくと、僕はほんとうにいた。そして掌を開くと、自分の名が紙切れの上に記されており、その下を捲ると、田宝隣であった。僕は言った。「このものは来年合格しますが、官位はたいへん低うございます。若さまももとより合格なさいますが、やや遅いだけでございます。それからご自身がすでに官位を持たれていますので、易えられるのでございます。平民であれば、できません。」そして突然見えなくなった。翌年、韓は合格し、このことを親戚に語ったことがあった。治平年間、韓玉汝[46]龍図[47]は供備庫使段継文とともに契丹に使いし、雄州[48]にゆき、段はかつて雄州の監軍をしていたので、雄州の挙人はみな目通りしたが、田宝隣が名刺に雑じっていた。韓はそれを見てたいへん驚き、段に事情をすべて言い、段はまた韓のことの顛末を語った。そして斎戒夜醮[49]し、上奏文を作り、帝に訴えた。木炎[50]は、かつて父が瓦橋[51]で官となるのに侍し、くわしく知っていった。熙寧年間、炎は合格し、岳州巴陵の簿となった。県令王沢はかつて怪異を談じた。王は言った。「受験の時、聞いたのだが、州の東に一人の男がおり、つねに冥土に入り、人の吉凶を語ればたいへん験があるということだったので、仲間数人を連れ、近づいて尋ねた。その人は、小さい邸宅の暗い部屋にいた。会うと、将来の吉凶を再三尋ねたが、語らなかった。にわかにさらに面壁して坐し、言った。『田宝隣は、公務が今になっても終わっておらないから、科場のことなどとんでもない[52]。』田宝隣とは誰なのか分からなかった。」炎ははじめて以前の韓、段の話を思い出した。宝隣は試験を重ねたが特奏名[53]で、その後、官位はたいへん低かった。

 

南州壬子

虞部[54]員外郎杜公彬は、滁州[55]の副官をやめ、闕下(みやこ)にゆき、奉朝請した[56]。ある日、景徳寺[57]に遊び、朝客を尋ねたが会わず、筆と紙を借り、門に記していると、狂僧厳法華が廡下からまっすぐ杜君に揖した。杜は法華が物事を語れば中たることが多いことをよく聞いていたので、平生と将来のことを尋ねた。僧は筆を奪い、紙を求めた。杜が名刺の余りを授けると[58]、「南州王子」[59]と大書した。杜はその趣旨が分からなかった。数ヶ月後、漳州[60]の知事を授けられた。州にゆき、図経[61]すれば、陳氏が不当に占拠していた時[62]、漳を南州と目していたので、杜は嘆いた。みずから思うに、「王子」[63]は土があることを称しており[64]、もしやその州を治める意が隠されているかと思った。一年あまり後、杜は在任中に亡くなった。その子Uは浮屠[65]の法を用いて七斎[66]を行った。僧に飯を出した時、Uは法華のことに言及し、その書を持って僧たちに示した。そこで見ると、その「壬」の字の中の一画がやや長く、「壬子」のようであり、杜君が亡くなった日の干支を推算すると、まさに壬子であった。かれの子Uは魏泰に言い、ならびにその書を出した。

 

李侍禁[67]

李侍禁斉は袁許[68]の術をよくし、士大夫にはかれを気に入っているものが多かった。別荘を華陰の東郊に持っていた。かれの妻は先に亡くなり、一人の妾を買い、二人の子を生み、一男一女であった。李が死んだ時、二人の子はまだ髫齔[69]であった。長男は年が二十余で、正妻の子で、その妻と謀った。「二人の子が成長すれば、婚嫁の費用がいるはずで、わたしの資分けることにもなる。死地にいたすことができれば、家産はすべてわたしのものだ。」それからは、二人の子は、衣は完全なものを得られず、食は満腹を得られず、鞭うち、罵り、凌辱し、それがない日はなかった。まもなく疫病となったが、その薬膳を絶ち、一杯の水も与えず、あいついで物故した。妾は憤懣に堪えず、日々斉の墓に走っていって伏し、号哭して訴えたが、数ヶ月すると妾も死んだ。隣家の子が人気のない巷で見ると、斉が手ずから二人の子を連れ、妾も傍らに侍し、振りかえり、隣家の子に言った。「わたしの長男は不幸にして兄弟愛がなく、弟と妹を虐殺し、さらにこの妾が怨みを含んで死ぬことを致した。語れば、わたしも冥府に訴え、おまえを放っておかない。」隣家の子は幽鬼だと悟り、走って避けようとすると、突然見えなくなった。隣家の子はにわかに告げに来、やはり信じなかった。ある日、妻は酒肴を調え、親戚の女たちを中堂[70]に集め、夫はひとり書閣に坐していた[71]。すると父が外から来、かれの罪を責め、杖で打った。座客はかれが叫ぶのを聞き、みな見にゆくと、地に倒れ、叩頭して罪に服し、二人の子を虐殺したありさまを語っていた。数日して死んだ。妻は数ヶ月後にやはり死に、田宅家産はすべて没収された。ああ。李斉のことは嘘ではない。世の人には、父親が死んだ時に幼児を謀殺し、財貨を狙うものが多い。幾つかの家族を見たところ、李の幽鬼が霊妙であるのに及ばないが、現在その[72]身は夭折し、子孫は没落し、立錐の地もなくなるに至っている。李斉のことは、凶悪な子、凡庸な妻が聞けば、いささかその心を戒めるに足りる。董職方経臣はこのことをみずから見たと言った。

 

李氏の下女

賈国傅[73]大冲がかつて言った。李某はしばしば郡の知事となり、亡くなると、家人は京師の旧居に帰った。老いた下女がおり、およそ京城の巷陌で知らないものはなく、家庭での売買、飲食、衣服、及び親戚との伝達、往来は、すべて頼っていた。邑君[74]は愛すること子や甥のようであった。明道年間の春[75]、溝を浚っていると、親戚に挨拶しにゆかせたが、晩になっても帰らず、数日探したが足跡がなかった。邑君は言った。「この媼は癲癇に苦しんでいたから、発作が起こり、溝に落ちて死んだのだ。」すぐ下女たちに命じ、霊座[76]を設けて祭らせた。家の吉凶も知らせにきた。邑君は泣いて言った。「この媼は死んでもわたしの家を忘れないのだ。」翌春、外から来たので、家人はみな幽鬼だと思った。媼は拝して言った。「去年、某人に伝言するように命ぜられ、某の家にゆこうとしました時、癲癇が起こり、(どぶ)に落ちました。某人宅の女主人はそれを見[77]、人に掬い出させ、汚穢を洗いさり、薬餌を加えましたので、死ななかったのでございます。わたしは一年間傭工となって報いることを誓い、今回、期限となりましたので、すぐ辞して帰りましたのでございます。」某家を尋ねてゆくと、ほんとうにそうであった。その晩、青い頭巾の男子が邑君の夢に現れて言った。「わたしは清衛[78]の兵卒で、以前、巷の近くで死にました。昨日、貴宅で下女がいなくなり、位牌を設けて祭っていられることを聞き、その名を借りてひそかに享けたのでございます。今、帰ってきたことを聞きましたので、お別れして去るのです。」

 

李比部

李比部従周は、景祐四年、郷試に合格して京師に来、数人の仲間とともに麻稭巷[79]に宿を借りた。以前、五鼓に起き、遠い親戚に目通りしようとした[80]。寝室の開くと、すぐ後ろに倒れた。奴僕が扶けて見ると、気息はほとんど絶えていたが己午の間[81]になり、初めて惺然として言った。「閂をけるとすぐに、幽鬼が短い頭巾を戴き、緑のェ衫[82]を着、(あおぐろ)い顔に(ひよめき)[83]ありさまは祠廟のいわゆる判官のようでした。息を吹けば、寒風が骨を切るかのようで、昏然とし、地に倒れたのにも気づきませんでした。」翌年、試験があったが、南宮[84]で合格しなかった。

 

胡殿丞[85]

胡殿丞偃は、潭州[86]の人であった。至和年間、峡州[87]の簽判[88]を授かり、荊州で官職の空きを待ち、公安門[89]に仮住まいし、暇であれば広間の前に坐していた。刀鑷[90]を持つものがおり、毎日訪ねてき、足を止めて注視し、しばらくすると去っていたので、胡は訝っていた。ある日、呼んで子供の髪を剃らせ、尋ねた。「いつもわたしの家の門の中振り返るのは、どうしてだ。」「親戚で、姓を某というものが、峡州で吏をし、冥府を兼務しておりますが、事務が多く、体は疲れ、公が庇護を垂れてくださることを望んでいました。ですから、日々お家を訪ねて言おうとしなかったのでございます。」胡は信じなかった。着任すると、下役たちを集め、姓名を出し、尋ねると、一人が進み出て言った。「刀鑷の男が余計なことを言いました。」胡はしばしば冥司での職分を尋ねたが、かるがるしく漏らすことはできませんと言った。まもなく、胡は亡父の忌日となったので、僧に飯をやり、経を読み、疏[91]を調え、紙銭を焼かせた。翌日になると、その吏が案頭に来、手を懐に入れ、昨日焼いた疏を探って示したが、あらたに書かれたもののようで、その後、灰のように消えた。そして言った。「殿丞さまが迫られましたので、隠そうといたしません。しかし、わたしはすでに罪を得ており、殿丞さまも禄筭[92]を減ぜられることを免れません。」数日して吏はにわかに亡くなり、一年して、胡は病のために家で廃人となった。李林秘校がいった。

 

謝判官

謝判官は、平原の人であった。宝元年間、曹州観察推官となったことがあった。赴任してまもなく、ある晩、夢みると、老人が大邸宅にかれを引き入れた。家はすこぶる豪盛で、乳母が嬰児を抱き、文繍で飾っていた。老人は指して謝に言った。「これはあなたの後身だ。」謝は尋ねた。「ここはどこの郡です。誰の家です。」老人は言った。「成都府の陳郎中の邸宅だ。資産はたいへん豊かだが、心が楽しいか。」謝も頷いた。目ざめると、たいへん不愉快で、妻子に言った。「わたしはもしや死ぬのか。」日々葬式を準備した。その後、任期満了し、さらに棣州[93]の判官に転任した。着任して数ヶ月、ふたたび夢みると、以前の老人がまた昔の邸宅に引いていったが、子供が紈綺[94]を着て階下で戯れていた。指して[95]謝に言った。「これは先日の嬰児で、今ようやく五だが、まだ語らない。」目ざめると、家人に言った。「今日のことは、免れられまい。」つねに戚戚として楽しまなかった。任期満了するとさらに転任しようとした。するとふたたび夢み、老人によって門に導き入れられたが、昔日の子が緋帽をかぶり、紫袍銀帯で、堂前に立っていた。振り返り[96]、謝に言った。「この子はすでに読書している。わたしに感謝しろ。」目ざめると、たいへん嫌に思い、一月あまりして病んで亡くなった。その子訥は、慶暦[97]六年進士に及第し、みずからこのように言った

 

劉観察の邸宅

京師の保康門[98]に劉観察の別邸があり、つねに人に貸していた。翰林学士曽布[99]は、嘉祐[100]丙申の冬、[101]によって礼部で受験することになり、この邸宅を借りて住んだ。ある晩、寝ないでいると、広間で人が呼んだ。「太尉[102]がいる。」その後、さらに往来して尋ねるものがいるかのように、切切と小声で語り、あるいは指令を伝えているかのようであったが、みな太尉と称しており、はっきり聞こえたので、たいへん訝った。翌日、その邸宅のある坊曲[103]土地について調べると、韓通[104]の旧宅であった。通はかつて王[105]のためにこの邸宅の下で族滅せられていた。進士魏泰が曽子宣から聞いた。

 

柴氏の枯れた棗

邢州の城東十余里は、周の世宗の祖先の荘園であった。門の傍らに井戸があり、ほとりに大きな棗一株があったが、世宗の時に枝葉が茂り、蔭を落とすこと一畝であった。恭帝が禅譲すると、棗は枯死した。明道年間、枯井戸に一本の枝が生き返ったが、長さは一丈あまり、蔚然として愛すべきで、井戸の中は水が錦綉で覆われたかのようであった。柴氏は恐れ、井戸を塞ぎ、木を伐った。翌年、詔して五代の帝王の後裔を探し、柴氏は邢、蔡、虢等の州の諸族から選別任用されて官となったものは三十余人であった。井戸の棗の瑞祥も、虚しいものでなかった。

 

縁新

武陵郡の西には、仏廟があり、栗園といい、院主の僧が一匹の犬を飼い、十年になろうとしていた。ある晩、犬を夢みると、犬は語った。「年を重ねて飼育の恩を受けましたが、今度、堤のほとりの杜翁の家の男子になりますので、お仕えしにきましょう。」僧は目ざめても、意に介さなかった。夜明け、侍者は犬が死んだことを聞き、たいへん驚き、杖をつき、堤のほとりにゆくと、杜は門で迎えて言った。「なんとはやいお出ましでございましょう。」僧を招いて坐させた。僧は言った。「昨晩、檀越[106]の家でもしやご子孫がお生まれになりましたか。」翁は嫁が夜に一男を生んだことを答えた。どうして知ったかと尋ねると、僧は夢のことを告げた。翁も驚き、浮屠[107]を造ることを約束し、緇衣を着せ、髪を切り、法名を新とした。鼎州[108]の人々はみなそれを知った。

 

最終更新日:201288

括異志

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[1]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/217332.htm&sa=U&ei=rlsPUOb0JYHWmAXYtYGICw&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNEOGhJGcn4jHHxJljClDDcdw4qLig

[2]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E5%25BC%2580%25E5%25AE%259D&sa=U&ei=5_whUJfmC-eViQeOroGICw&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNGUaKMDXD3TkiyK1b2MMg3q167G1Q

[3]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE7Zdic9CZdic81154608.htm&sa=U&ei=RZwKUJO5F-j7mAXItcj-CQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNFgL8rwhv6tXaw5LYzUy1wCMhOohA中枢省の官吏。

[4]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/4972400.htm&sa=U&ei=Kv0hUOTSCcWjiQfbr4CgAw&ved=0CB4QFjAA&usg=AFQjCNFHunH75gXqwVLWOp3AA0e48nC3bA

[5]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE5ZdicA9Zdic89301484.htm&sa=U&ei=kpwKUKCQCqaemQXv3OGGCg&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNEWhixGElbIfY4BicBa7HPHyY1FNA柔美。

[6]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/719696.htm&sa=U&ei=if0hUKfED8aSiAffr4GoBQ&ved=0CBcQFjAA&usg=AFQjCNF7-tXCM2BNJDpJIwvBGmFkhBPRRw

[7]原文「李至第二人及第」。「第二人」が未詳。とりあえずこう訳す。

[8]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE6ZdicB8Zdic85299839.htm&sa=U&ei=Z6IKUNL4HIiOmQXHl4n8CQ&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNHNxxXjLIqVLDKl-hj8PRNs4g2PMA清要顕達の官位。

[9]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE5ZdicB7ZdicA8296890.htm&sa=U&ei=yaIKUKyNF4fsmAWNroD-CQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNGH5c5sVLtwb810_wKX_CxwpUFN4Q強大な藩鎮。李至は武信軍節度になっている。

[10]原文「擁旄」。http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic8BZdicA5139376.htm&sa=U&ei=7lsPUJGGMfDRmAWGy4CYBg&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNG5ixxg3T_HCdI9UQkOjXlE934XBw「擁旄」は軍隊統率すること。

[11]著作郎のこと。官名。

[12]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE4ZdicBEZdic8D19238.htm官名。帝王、皇子のために講学する官。侍学士とほぼ同じだが、階級はそれより低い。

[13]http://baike.baidu.com/view/1092483.htm

[14]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E7%25AB%25AF%25E6%258B%25B1&sa=U&ei=1v8hUJKONIzBiQeJmICIAQ&ved=0CBYQFjAA&usg=AFQjCNHE5z3Op0HDAOB5MDCyWwWiM-vJXQ

[15]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE6ZdicB8Zdic85325219.htm&sa=U&ei=PrEKUP7qMMXSmAXLwLiMCg&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNESZ8VaHSlfkZaq3gPUpeBgEIRZVQ清正厚。

[16]昭文館大学士のことか。に「仁宗天聖六年(一○二八)直昭文」とある。ただし、これは梅詢が六十五歳の時のこと。

[17]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE4ZdicB8Zdic9C58865.htm&sa=U&ei=tLEKUICWGoXimAXTkdiGCg&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNHuaoOmyiEPEHAthuRQ8AqhQnBEiQ帝王が封禅を行うこと。

[18]http://baike.baidu.com/view/488768.htm#2画像検索結果

[19]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/11/ZdicE5ZdicAEZdicBF124818.htm&sa=U&ei=87EKUMzlAa_KmQW6r8mGCg&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNH6eeJuMMDylqkVY7G4hrmtmXVhgw祭祀等礼行する前の戒。

[20]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9Zdic80Zdic9A230026.htm&sa=U&ei=D7IKUP6DDaX8mAX75KSRCg&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNGqW1kM0YVAr_yHwm1UwSTFrgQoOQ境遇の逆。ここでは「順」のみをあらわす偏義詞ととらえるべきか。

[21]http://baike.baidu.com/view/53373.htm申国公

[22]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9Zdic80Zdic9A40308.htm&sa=U&ei=G18PUIOECcn0mAXxs4GwAQ&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNHronrVcKouyVQYEvJN2IGg30NG3A官名。

[23]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/883616.htm&sa=U&ei=CQEiULHTLcWjiAes9oHwDg&ved=0CBkQFjAA&usg=AFQjCNEkzn_LILmrB4Fv8EKXuSZlkqXqOQ

[24]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/648820.htm&sa=U&ei=JgEiUOm-H4W9iAfZgIHQBw&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNH-RGQ6o4zrt5GIdjAvQqk4xSpVkg宋朝の名。宋の仁宗天聖八年(一〇三〇)天章待制を置いた

[25]http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE5ZdicBEZdic85109495.htm官名。

[26]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE5Zdic8CZdic9724926.htm&sa=U&ei=-bIKUJGTMqrgmAXF8LmQCg&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNHTLxqX5HmlFLpcQe0MWnPF-VItlA北京。

[27]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicAEZdicA1126709.htm&sa=U&ei=NbMKUObIIaL5mAXq0JmECg&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNEcMhpYE7Uxp-lRynUdDvoSYwAQWQ宋代京朝官を選抜する機関。

[28]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1096579.htm&sa=U&ei=yVwcUNqoFcfZige1ioBg&ved=0CBwQFjAC&usg=AFQjCNHSY5HQyCzvY0pHKRgrgKltJSTCow官名。

[29]http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E5%90%9B%E5%AD%90%E5%B1%85%E6%98%93%E4%BB%A5%E4%BF%9F%E5%91%BD

[30]http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E5%AF%8C%E8%80%8C%E5%8F%AF%E6%B1%82%E4%B9%9F%EF%BC%8C%E9%9B%96%E5%9F%B7%E9%9E%AD%E4%B9%8B%E5%A3%AB%EF%BC%8C%E5%90%BE%E4%BA%A6%E7%82%BA%E4%B9%8B%E3%80%82

[31]漢典に適当な語釈なし。ここでは科挙に合格したことを指していよう。梅詢は端拱二年(九八九)二十六歳で進士に合格。

[32]原文「年始從欲」。未詳。とりあえずこう訳す。http://ctext.org/pre-qin-and-han/zh?searchu=%E5%BE%9E%E5%BF%83%E6%89%80%E6%AC%B2

[33]http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE7ZdicA6Zdic81184512.htm禁中の帝王の身

[34]原文「始否終泰」。「否極泰来」に同じ。厄運がわって好運が来ること。

[35]未詳。

[36]http://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%A9%E8%B4%BD

[37]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/177855.htm&sa=U&ei=gH4cUK3PK8qviQfjo4CQAQ&ved=0CBwQFjAC&usg=AFQjCNE77U_M8Y010uxGsU3L_aVX7mvxSQ主簿二人、従七品下。掌官吏糧料、俸食、假使必由之。司供署物有焉。

[38]原文「以父任補將作監主簿」。いわゆる蔭補について述べたもの。父が任官していたことによって子が官職を得ること。

[39]http://zh.wikipedia.org/zh/%E7%9A%87%E7%A5%90

[40]原文「皇祐秋鎮廳預薦」。「鎮廳」がまったく未詳。衍字か。

[41]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE9ZdicA2Zdic84280776.htm&sa=U&ei=5bQKUMHPCoedmQX2w8iCCg&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNEOt-31fkbsJ6t9cu84UcGAp8PV0Q参加すること

[42]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/21521.htm&sa=U&ei=gQUiUIv9MMytiQey9IDIAw&ved=0CB8QFjAA&usg=AFQjCNH9rCCpyIXrjNEnoKlZPkyZ78jN4w画像検索結果

[43]『東京夢華録』に見える。

[44]http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE6Zdic98ZdicA5314480.htm会試の合格掲示板。

[45]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE6Zdic94ZdicB6326992.htm&sa=U&ei=Y7UKUIyzOs3PmAXGvqn6CQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNExWPLGDwYMsawKdXY8lpLI-5K1RQ收存掌管。

[46]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/122496.htm&sa=U&ei=SHccUJWkGs2eiAekmIGoCA&ved=0CBcQFjAA&usg=AFQjCNFHbg7YTuDyZIil46yH-ckX9nY95A

[47]龍図閣学士省称。http://www.zdic.net/cd/ci/5/ZdicE9ZdicBEZdic99345163.htm

[48]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/802865.htm&sa=U&ei=rwYiUPyBOsaciAfz6YEY&ved=0CB8QFjAA&usg=AFQjCNGC8QcmF06magbabZsTz12F0h_lEQ

[49]グーグル検索結果未詳だが、夜に行われる道教の祭祀であろう。

[50]人名と思われるが未詳。前との脈絡がなくいきなり出てくる。脱文があるか。

[51]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E7%2593%25A6%25E6%25A9%258B%25E9%2597%259C&sa=U&ei=FA0iUNWVBOeUiAeSr4G4BQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNH2iOFHG3RMbQ0vViyd11ysVMPe6g

[52]原文「田寶鄰公事至今未了、安敢有他科場事。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[53]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE7Zdic89ZdicB9147191.htm&sa=U&ei=frgKUMbGOcbQmAX_srCQCg&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNHes7wbBKJgFKMqMGTyqX-gKz1-Pw宋代科制度の特別定。進士を受験して何度も合格しない者を「特奏名」として合格させ、「正奏名」と区したもの

[54]http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE8Zdic99Zdic9E196022.htm工部の下部組織。

[55]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/62373.htm&sa=U&ei=Kg4iUPrAMqeRigery4FY&ved=0CCcQFjAB&usg=AFQjCNHhQJsmtwjDhZlZGZS87fR0_063Zg

[56]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicA5Zdic89107908.htm&sa=U&ei=n7gKUNLlEu7omAWW4fX4CQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNEJBG5s-HqEKXbaadLqEYr7zSF65A定期的に朝会参加すること

[57]未詳

[58]原文「杜以刺字之餘授之」。「刺字之餘」が未詳。名刺の切れ端か。「刺字」は名刺。

[59]原文「南州壬子」。この話の結末から考えて、ここの「壬子」は「王子」の誤りであろう。

[60]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/13823.htm&sa=U&ei=Pg8iULeDD62XiAeD34CQDA&ved=0CB8QFjAA&usg=AFQjCNGrWDfcp2RWFHsxQApBHXgpmsCMjA

[61]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5Zdic9BZdicBE113209.htm&sa=U&ei=WrkKUJIQz_KYBcCe1P8J&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNHm7sOhOA3CXRLDrj1YU36VpIgr3Aを付した籍あるいは地理志。

[62]原文「則陳氏偽據日」。まったく未詳。とりあえずこう訳す。

[63]ここも原文は「壬子」だが、話の結末から考えて「王子」の誤りであろう。

[64]原文「自揆以為『壬子』者、有土之號」。「壬」の中に「土」という部分があるからこういうのであろう。「有土」は知事になること。

[65]http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE6ZdicB5ZdicAE71839.htm仏陀。仏教。

[66]未詳だが、斎七に同じいであろう。人の死後、七日ごとに僧を招いて佛事をし、七七になって止めること。

[67]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE4ZdicBEZdic8D95154.htm官名

[68]許負唐の袁天綱の併称。二人はいずれも相術に優れていたhttp://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE8ZdicA2Zdic81105677.htm

[69]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/15/ZdicE9ZdicABZdicAB60349.htm&sa=U&ei=fboKUP_BJc-gmQXM7Mn-CQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNE-AHbHH1k76hjVNyDdd6M1dilcKg幼年。

[70]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE4ZdicB8ZdicAD333039.htm&sa=U&ei=cOIUUPabNc6ViQe5mIHgDg&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNHygUGKrzW9Q8racvkVqf6bJ3gdYw真中の広間。

[71]原文「厥良獨坐書閣下。」。未詳。とりあえずこう訳す。

[72]父親が死んだ時に幼児を謀殺し、財貨を狙うもの

[73]官職名と思われるが未詳。

[74]http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE9Zdic82Zdic91245018.htm県君、女子の封号。

[75]原文「明道春」。未詳。とりあえずこう訳す。http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6Zdic98Zdic8E67580.htm

[76]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE7Zdic81ZdicB5264902.htm&sa=U&ei=tXsPUM6eJeXemAWDlICgDA&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNFhEXVUF6bS1tiMNZ0rNzCIpiO6wQ供神主的几筵。

[77]原文「某人宅主姥見之」。未詳。とりあえずこう訳す。

[78]正史に見える。『宋史』兵志・禁軍「八年、置禁軍左右清衞二指揮、在雄武弩手之上、散卒月給鐵錢五百、以奉宮觀。」

[79]未詳

[80]原文「將謁親知於遠坊者」。未詳。とりあえずこう訳す。

[81]己の刻と午の刻。

[82]原文同じ。未詳。大きい上着か。

[83]原文「黝面於囟」。まったく未詳。とりあえずこう訳すが明白に間違いである。「於囟」は衍字か。

[84]原文「明年校藝不利於南宮。」。「校藝」が未詳。とりあえずこう訳す。「南宮」は礼部会進士

[85]官名と思われるが未詳。殿中か。宋代にも存続。

[86]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/802756.htm&sa=U&ei=7xYiUImgKoS6iQfE14CgDw&ved=0CBoQFjAA&usg=AFQjCNGZR3RrYII5zxrcIPj0vAJbjgEKuQ

[87]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/5261184.htm&sa=U&ei=XhciUJzjBeipiAeCkIDgCQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNESUL1MqOZRet583FwBlnbstjYDjg

[88]http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE7ZdicADZdicBE229307.htm宋代各州、府中央官を派遣し、判官に充てたものを判」称した

[89]荊州城の東南角にあり、小東門とも称する水門。http://tw.027.cn/%E5%85%AC%E5%AE%89%E9%97%A8画像検索結果

[90]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/2/ZdicE5Zdic88Zdic8026146.htm&sa=U&ei=nC8HUM6bC4jYigeFoY3dCA&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNFyjquppOGD9K06uJKG9URHSnuWfA「刀」とも。剃刀と毛抜き

[91]http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE7Zdic96Zdic8F.htm祈祷文

[92]http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7ZdicA6Zdic84184594.htm人生で定められた福禄気数。

[93]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/802848.htm&sa=U&ei=YhoiUKKKMsiRiQfK-4G4DA&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNFWgrN9IZJvUHMHMPKG0aI2TgO5WA

[94]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE7ZdicBAZdicA8236439.htm&sa=U&ei=9zUHUJebMtGjiAfn0cXBCA&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNGDCOy5Oe-ZL5kIYRlG3_T9OgT6Kw精美な絹織物

[95]主語は老人。

[96]主語は老人。

[97]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E6%2585%25B6%25E6%259B%2586&sa=U&ei=wRoiUOTrK_GdiAePj4GoDg&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNG2gfdFXnaha8uLF8WwXykQyXRpAQ

[98]開封の城門。『東京夢華録』にも出てくる。

[99]http://baike.baidu.com/view/47181.htm

[100]http://baike.baidu.com/view/1867712.htm

[101]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE4ZdicB9ZdicA137852.htm&sa=U&ei=6cMKUNGANZCbmQX6_sikCg&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNFZarsm_EVnQl8TDIpH3Rn0Wx5p5Q郷試に合格すること。

[102]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E5%25A4%25AA%25E5%25B0%2589&sa=U&ei=hhsiUKWtHIaPiAftuIDYCg&ved=0CB8QFjAA&usg=AFQjCNGP8nn0zhYOwq447zv1QhdfBsNmug官名

[103]http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5Zdic9DZdic8A27940.htm街巷。

[104]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E9%259F%2593%25E9%2580%259A_(%25E5%25BE%258C%25E5%2591%25A8)&sa=U&ei=UsUKUJjyC6LomAWcjo2GCg&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNHj-p9ac0CICkGvfQbbUSOisqxs-g

[105]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/786951.htm&sa=U&ei=chwiUMO_FMy5iAfzsYGoDQ&ved=0CCAQFjAA&usg=AFQjCNHsu7jh1yRh0MfBjEeflyf4zLD8cg

[106]http://www.zdic.net/cd/ci/17/ZdicE6ZdicAAZdic80327536.htm施主。

[107]http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE6ZdicB5ZdicAE71839.htm仏塔

[108]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/3021620.htm&sa=U&ei=DXwiUNr1OcqyiQea2IGIAg&ved=0CBcQFjAA&usg=AFQjCNFyAt5vtH3633HRKErsLuEWfQ_CuQ 

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