馬少保
太子少保[1]馬公明がみずから言った。若い時、廬州城外の仏寺で勉強していたが、ある晩、窓に臨み、燭下で読書していると、扇のように大きな手が窓から公の前に伸び、探るものがあるかのようにした。公はそれを見ず、あいかわらず読書していた。このように毎晩来た。公が人に語ると、ある道士が言った。「平素、幽鬼は雄黄[2]を恐れると聞くが、これで退けてみるとよかろう。」そこで公は雄黄を研いで水に浸し、ひそかに案頭に置いた。その晩、大きな手がふたたび来たので、公はにわかに筆に雄黄をつけ、「草」の字を大書した。書きおわると、窓の外で、大声で叫ぶのが聞こえた。「はやく洗い落としてくれ。さもなければ、禍がおまえに及ぼう。」公はまったく聴かず、燭を消して寝た。まもなく、たいへん怒り、洗うのを求めることはいよいよ急であったが、公は答えなかった。夜明けになると、さらに悲しみ泣いて縮められず、さらに言った。「公はたいへん貴くなられますので、わたしは他に怪しいことをせず、冗談で公にご無礼しただけですのに、どうしてにわかにわたしを死地に送られるのです。わたしはもとよりご無礼をしましたが、幽冥のことが公によって世に明らかにされましても、公の利益にはなりません。公は温嶠[3]の犀が牛渚[4]を照らしたことをご覧になっていないのですか。」公は大いに悟り、すぐに水で「草」の字を洗いさり、後日ふたたび人を騒がさないように戒めると、怪は謝罪して去った。進士魏泰は馬公がかれの祖父に語ったと言った。
潘郎中[5]
潘郎中嗣宗は、清河[6]の人で、明経で合格し、吏才があった。天聖[7]年間、国子博士から乾寧軍[8]の通判となった。その母は亡くなって十余年であった。ある日、堂前に家人を呼び、その子を召させたが、容貌衣服は昔さながらであった。潘が再拝号哭すると、母はいそいでとどめて言った。「堂の西側を帟幕[9]で隔て、前に一つの簾を下し、中に二つの榻を置け。わたしはわたしに伴っている二人の婦人と休息しよう。」その後、語った。「わたしは死んでも大過がなく、陰官はひたすらわたしを一つの部屋にゆかせ、よそへゆかせなかった。おまえが登朝し、わたしを県太君[10]に封じると、陰官はわたしを自由にして出たり入ったりさせるようになった。おまえが前年尋江県[11]を治めた時、わたしはかの地に様子を見にゆき、水晶柱斧[12]を逆さまに扉の後ろに立てたことがあった。わたしは生まれかわる日が決まっていなかったので、ながくおまえに厄介をかけることを恐れ、ひとまず目印にしたのだ[13]。今、わたしは冀州[14]北門內街の西の粉屋某人の嫁のところにゆき、娘として生まれるので、こちらに来られたのだ。」家人は朝晩飲食を供えたが、匕箸[15]の音が聞こえるだけで、見れば相変わらずであった。一月あまりとどまって別れを告げ、家を挙げて郊外に送ると、空中で泣く声がし、しばらくして聞こえなくなった。潘が交代し、信都[16]を出、尋ねると、すべて言った通りであった。潘は後につねに緡帛[17]をその家に遺した。潘の子士龍は、今、正郎[18]となっている。胡訥はかつて『孝行録』を著し、潘夫人の事も記している。
楽大卿[19]
光禄卿[20]楽公滋は、性質は重厚であった。少年で修学していた時、祖母の寝台の前に就き、燈下で読書していたことがあった。ある晩、二鼓過ぎ、燈架が揺れ動き、人が持っているかのように、部屋を巡り、またもとのところに留まったが、楽は恐れなかった。翌日、食客に言ったが、客は信じなかった。その夜、檠を執って学舎に置き、燈を明るくして坐した。二鼓になるとすぐ、またゆくこと初めのようであったので、客は大声で叫んで走った。そして斧で砕くように命じたが、とりたてて変わったことはなかった。
徐郎中
徐郎中は、莱州[21]の人で、その名は忘れられている。弱冠の時、父が嶺外[22]で仮の太守となるのに侍していた。乾興[23]年間、仁宗[24]が登極し、部で祝賀する時に宮闕に赴き、武陵のある駅にゆき、母屋に泊まろうとした。駅卒は言った。「その中には物怪が往来しており、住もうとするものはございませんので、ほかの宿に換えられることを願います。」そう思わなかったが、広間の屏の後に出て寝た。夜半になろうとし、夢みると神がいた。ありさまはたいへん立派で、手に竹籃を携えていたが、その中味はすべて人の鼻であった。そこで怒鳴った。「おまえは何者だ。こちらに住み、わたしの路を妨げようとするとは。」徐は恐れ恥じて謝した。神はそこでじっくり見た。「顔は貧相ではないが、鼻は曲がって垂れているから、易えてやろう。」そして籃から一つの鼻を選び、さきに徐の鼻を削いで投げさり、選んだ鼻を嵌め、さらに手の指で四隅をすべて固めた。夢の中でも痛みを覚えた。神は笑って言った。「きちんと鼻を直してやった。」徐の鼻はもともと高く真っすぐではなかったが、夢で換えた後は、自然に真っすぐになった。官職を歴任し、駕部[25]郎中で致仕し、その子の秘書丞朔に従い、維揚の簽判[26]にあり、治平[27]四年に物故した。
劉太博
興州[28]では山沿いに太守の住居が造られており、層疊[29]として上り、母屋はもっとも高かった。さらに楼を上に構えており、俯いて儀門[30]を見れば掌を指すかのようであった。宝元年間、太常博士劉公中達はその郡の仮の太守となった。ある日、家人と楼に登り、見ると、白衣のものが客舎に入ってきたが、挙人のありさまのようであった。劉はにわかに言った。「客が来たから、迎えよう。」そして楼を下り、登庁した。ほんとうに挙人が名刺を投じ、劉は受けとった。坐してしばらくすると、それぞれ語らなかった。別れを告げ、東の回廊を巡って下った。側近が告げた。「西の回廊からになさるべきでございます。」挙人は答えず、まっすぐ東の回廊の井戸端に赴き、身を投じて入った。劉はたいへん驚き、にわかに井戸の中を探したが、見つからず、挙人がどこから来たかをきわめることもできなかった。一月あまりして劉は亡くなった。前の進士程覚が言った。
刁左蔵[31]
刁左蔵允昇は、かつて大名府の左廂[32]の馬監[33]を掌り、在職すること一年あまりで亡くなった。その家はさきに大名[34]の朝城県に寓していた。熙寧[35]二年秋、刁が捐館して半年、次子総がふと見ると、父が城門の傍らに坐していた。荷物従者は、昔と異ならなかったが、従者はすべて白衣を着ていた。驚き恐れていると、父が手で招き、すぐ前にきて拝して泣いたので、刁はにわかにそれを止めた。総は尋ねた。「お父さまは今、何事を掌っているのでしょう。」刁は言った。「わたしはかつて范希文に仕えていた。かれは今冥府を司り、わたしに疫病を流行させることを掌管させている。今回、許州[36]以南にいって巡按し、こちらを出ようとしているので、しばらくおまえに会いにきたのだ。」そして言った。「お母さんは来年八月に亡くなるはずだが、あらかじめ備えをするだけにし、知らせるな。憂え悲しむだろうから。孫の某も来年五月に亡くなる。これはみな冥籍が先に定めていることだから、おまえはみずからを慰めるべきだ。」孫は総の愛児であった。さらに言った。「市中の仇某は半年足らずで、かならず刑死しよう。」そこで懐から鴉青紙[37]一幅を取りだしたが、金で七十余字が書かれており、総に授けた。「よく保持し、なくすな。」そして馬に乗り、先触れして南門を出て去った。閭巷ではすべてそれを見た。ゆくこと数里、商人の張五というものが、路傍に避けて立っているのに会うと、刁は言った。「おまえに頼もうと思うが、よいか。」張は言った。「はい。」そこで言った。「しばらくわたしの家にゆき、倅に言え。来月、南市で災があるはずだ、ひとまず用心しろ。わたしはすでに留守する者五人に番をさせているから、かならず火災を免れよう。」張も幽鬼であることに気づかず、刁宅にゆき、その言葉を伝えようとした。すると邸内で大声で泣くのが聞こえ、まもなく総が出てきたので、尋ねたところ、刁がとっくに亡くなっていたことが分かった。かれの妻及び孫は期日通りに死んだ。県内の官吏は火災があることを知り、朝晩住民を戒め、水を貯え、火に用心した。一月あまりして、火が空き家から起こった。刁の住居と近く、四隣はすべて焼けたが、刁の宅だけは無事であった。仇某は刑死するはずだということを聞くと、門を閉ざして出なかった。ある日、客と家の入り口で碁を打ちていると、仏書を唱えて乞食するものがきた。仇は何度も断ったが去らず、言葉はすこぶる不遜であった。仇は刁の言葉を忘れ、殴るとすぐ死んだので、結局枯木[38]に死んだ。金字の書のことを人はみな読めず、字書にもなかった。事は借職[39]の刁綽が言うのを聞いた。
呂郎中
呂郎中元規は、治平初年に広南東路[40]の提点刑獄[41]をしていた。官署は韶州[42]にあり、宅堂の裏に園亭があり、亭の下には荔枝数株が植えられていた。夏五月、ほんとうにすべて丹となった。翌日、賓客幕僚を召し、樽を開いて鑑賞しようとした。その亭は晩には閉ざされ、人迹はいたらなかった。朝、戸を開けば、一つの実も枝になく、殼と核が地に満ちているばかり、板の壁に詩一絶が題せられていた。「我曹今日家親に会ひ、手に洪鍾[43]を執り飲むこと数廵。満地の狼藉暁を知らず、荔枝またこれ一番新たなり。」一年あまりして、呂は事情があって官職を去った。その姪子[44]邈が言った。
銭斎郎
治平年間、銭斎郎というものがおり、吏部で転任し、その妻を連れ、京師に住んだ。ある日、その妻は夫の衣冠を被り、言葉はまったく男子となり、ありさまは心を病んでいるかのようになった。符禁[45]するものを召して見させたが、術はまったく効かなかった。聞けば孔監丞は道術[46]を知っており、人の病苦を抑えられ、その家にゆき、妻のすることを告げ、孔はその家にゆくことを承知した。翌日来、銭と対坐した。その妻は冠幘束帯で、側近くに往来し、罵った。「おまえは誰だ。わたしの家のことに関わるとは。」しばらくしても、孔はまったくかれと語らなかった。にわかにひとり言った。「去らせようとしているのだろうか。」孔はそこで言った。「おまえは誰なのだ。かってに人の家に憑くことは、できるのか。」すると言った。「わたしは罪を負わされて死んだこともあるし、進士に挙げられてすこぶる釈老の書を探求したこともあった。昨日、京師にゆき、寄宿するところがないので、しばらくこの人に憑いていたのだ。」孔は言った。「三教を涉猟したことがあるなら、理を知る人だ。おまえは世にあって仕官していた時、おまえの家に他人を憑かせようとしたか。」幽鬼は黙然とした。さらに言った。「おまえはかつて釈老を探求したと言ったが、かくも大きな虚空があり、どこにでもいられるのに、寄宿する所がないというのか。」そう言うと、銭の妻は瞢然[47]として倒れ、半日して目ざめ、その前のことを尋ねても、まったく覚えていなかった。張稚圭が言った。
邢文済
華陰県雲台観[48]の道士邢文済は、つねに華陰の道司[49]の仕事を掌り、その服を紫にすることができ[50]、虚寂大師と号していた。道職[51]を辞めると、もっぱら金天南祠[52]を司っていた。郷人は折々に金帛を献納することがたいへん多かったが、邢はことごとくそれらを集めて私物にし、時折酒色の費用に充てていた。巡検[53]の某人はそのことを知り、ひそかに人に命じて意向を示させたので、邢はしばしば得たものをかれに賄した。ある晩、邢が夢みると、人がかれを金天殿下に連れていった。見れば巡検も法廷におり、胥吏のようなものが、二人が神の物を盗んで用いたことを質した。いずれも罪に服したので、それぞれ背を鞭うつこと十二で、帰らせた。邢は目ざめると、背が痛むのを覚え、巡検のもとにゆき、昨日の夢を話した。巡検は驚いた。「わたしの夢もそうだった。」一月あまりして、邢は背瘡を病んで死に、巡検も疽を患い、相ついで死んだ。これは董職方『経臣録』から得た。
蒿店の巡検
渭州[54]の蒿店[55]に巡検の官舎があり、命を受け、集団で行動し、兵卒数百を率いて防衛していた[56]。慶暦[57]年間、羌人が入寇し、巡検の張殿直は外で応援し、その家族はすべて蕃賊に俘虜とされた。賊地に入ると、骨肉はすべて奴隷となっていた。その妻は分けられて一人の酋長に仕えており、水汲みと火起こしの仕事を司らされていた。水汲みの道具を担いで水辺にゆくたびに、かならず南を望んで大いに嘆いて帰った。その家に一匹の犬がおり、やはり掠奪されたものであったが、つねに妻に従って出入りし、しばしばその衣を銜え、呦呦として吠え、尾を振って進んでゆくこと十数步、振り向いて鳴き、そのようにすること半年であった。妻は泣きながら犬に言った。「わたしを導いて漢[58]に帰られるか。」犬はすぐに跳ねて鳴いた。妻はそこで考えた。「こちらに住んで生きるより、逃げて死んだほうがましだ。もしかしたら漢に達せられるかもしれない。」計略は決まった。夜を待ち、犬に従って南に馳せた。夜が明けようとすると、犬はかならず草木の茂みを選び、妻を潜ませた。犬はすぐ高い丘に登って振り返り、様子を探るもののようであった。しばしば雉兔を捕らえ、銜えて妻の前にもたらし、空腹を充たさせた。およそ十日で漢の地に達した。巡邏はそのことを報せ、その夫を探すとまだいたので、元通り睦まじくした。それから朝晩の食事はかならず三つの器に分け、一つで犬を養った。このことは蛮人がくわしく知っている。
評にいう。犬は、六畜[59]であり、養ってくれたものをひたすら慕う。夷狄の域に陥っても、なお漢を思い、さらに俘虜の妻を導き、関を隔てて帰れたのは、獣の貌で人の心であったといえる。ある衣冠を被って父母の国に叛するのは、この犬にとっては罪人である。
王廷評[60]
王廷評俊民は、莱州の人であった。嘉祐[61]六年進士で、状元[62]に合格し、釈褐[63]して廷尉評[64]簽書[65]徐州節度判官となった。翌年、南京の考試官にあたった。試験前、突然、監試官に言った。「門の外で、挙人が騒いでわたしを罵ったが、なぜ取り締まらない。」人に見させたが、いなかった。このようにすること三四たびであった。まもなく、さらに言った。「人が令状を持ち、わたしを捕らえにきた。」顔色は恐れているかのようで、案頭の小さい刀を執ってみずからを刺したが、側近が救ったので、さほど傷つかなかった。すぐもとの職場に帰って治療すると、十日を越えて創は癒えたが、精神はぼんやりし、気が狂ったもののようであった。家人は嵩山[66]の道士梁宗朴がよく幽鬼を制することをきいたので、迎えてき、符で祟りをなすものを召した。夢みると、一人の娘が来、みずから言った。「王に害され、すでに天に訴え、わたしに補償を得させることになりました。簽判とともに去ります。」道士は術を施せないことを悟り、去った。十日あまりして、王も亡くなった。あるひとが聞いたが、王が及第する前、家に水汲みと炊事をする下女がおり、反抗的で命令に従わなかったので、怒りが積もり、隙を見て井戸の中に落としたそうであった。さらに言うには、王は以前郷里である娼妓と親密となり、合格するのを待って娶ることをひそかに約していたが、状元に合格すると、他家と結婚し、妓はそれを聞くと、怒って自殺したそうであった。そのため女の悪鬼に苦しめられ、夭折して終わったのであった。
樊預
樊預は、眉州[67]の人で、進士に及第し、杭州観察の推官となった。もともと異相があり、胸に四つの乳があった。ある日、突然、広間の堂扉に題して言った。「三声の鼓角雲中に見え、一簇の楼台海上に高し。」人々はその趣旨が分からなかった。数日後、牙兵[68]数百人が来、呉山大王から遣わされてお迎えすると言っているかのようであった。預が数日延ばし、家事を処理させてくれと頼むと、迎えのものは去った。すぐに同僚を召し、事をくわしく告げ、みずから「郷里は遠いので、妻子に資金援助することを期待する」意向を訴えた。同僚はかれが病気でないのににわかにこうしたことを言うのを見ると、病んで狂ったと思った。あるひとがそのことの詳細を尋ねたが、結局答えなかった。さらに二三日して、亡くなったが、亡くなった時はまさに厳鼓[69]の時であった。呉山はまさに子胥[70]の祠で、州の高い丘に倚り、楼殿[71]亭宇[72]の景勝があった。「鼓角楼台」の句は、みずから予言していたのであった。後に州民には甲馬[73]が巡察する音を聞いたり、樊総督を見たりするものがいた。州民がかれの塑像を神の傍らに造ると、それから二度と見えなくなった。かれの子祖安がみずから言った。
最終更新日:2012年8月7日
[1]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/950315.htm&sa=U&ei=z4AgUMnlBciSiAetr4CYDQ&ved=0CB8QFjAA&usg=AFQjCNGSLfDp0Dwxncrm2ftsdQ2XSHcdgQ
[2]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/82978.htm&sa=U&ei=4YAgUJb5B8iuiQfNsIDABA&ved=0CB8QFjAA&usg=AFQjCNG36LfjxObJplKwT74HVZVG4-tiDw薬名
[3]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/98081.htm&sa=U&ei=iIEgUMHGNY65iAeU2IHgBg&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNFPlkTtViXuLWi-QH1C_xPyS1jqSQ
[4]http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE7Zdic8AZdic80135326.htm『晋書·温嶠伝』「﹝温嶠﹞至牛渚磯、水深不可測、世云其下多怪物、嶠遂燬犀角而照之。須臾、見水族覆火、奇形異状、或乗馬車著赤衣者。嶠其夜夢人謂己曰、与君幽明道别、何意相照也。意甚悪之。嶠先有歯疾、至是拔之、因中風、至鎮未旬而卒。」
[6]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/71169.htm&sa=U&ei=I4IgUKerK6-SiQer94DgDw&ved=0CB8QFjAA&usg=AFQjCNFBNirsCxnV9bimSkbRUHzucWEBCQ
[7]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E5%25A4%25A9%25E5%259C%25A3&sa=U&ei=P4IgUOHLOuiWiQfU5YGgCg&ved=0CBgQFjAA&usg=AFQjCNESBFS80B9GRO45U586AON4hvPlZg
[8]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1034399.htm&sa=U&ei=VYIgUMD9Cs6uiQf3p4DYCg&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNGs02XPBnWf7m0ZW81Bui5kbMP5-A
[11]未詳。
[13]原文「汝前歲知尋江縣、我嘗至彼相視、以水晶柱斧倒置植扉後。吾亦未有生期、恐久溷汝、聊以為識也。」。未詳。とりあえずこう訳す。
[14]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/97021.htm&sa=U&ei=XfIJUKHwEMeHmQXJlc2RCg&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNEuL9oQGqKzb-5OOVXVB9yC9DGtEQ
[15]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/2/ZdicE5Zdic8CZdic9592163.htm&sa=U&ei=5t8IULOpHKX2mAWewsH_CQ&ved=0CBUQFjAB&usg=AFQjCNHLF3mS_jCETUzu6XcrMEZgKuGgSw食器。また、飲食すること。
[16]冀州の属県。http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/3406610.htm&sa=U&ei=1oMgUIrLB8qziQfV-YHIDw&ved=0CCcQFjAD&usg=AFQjCNFodfvi755fKzu_gWoOqDE0AKjgtQ
[18]地位を表す言葉と思われるが辞書に出てこない。正史には多数出てくる。一例を示す。『宋史』選舉志・銓法下・補蔭「淳熙九年、始詔、減任子員數。自宰相、執政、侍從、卿監、 正郎、員外郎、分為五等、每等降殺、以兩酌中定為止數、武臣如之。宰相十人、執政八人、侍從六人、中散大夫至中大夫四人、帶職朝奉郎至朝議大夫三人、通減三分之一。」
[19]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/3/ZdicE5ZdicA4ZdicA7107001.htm&sa=U&ei=HIwgUL_kJOyziQeFhYHgBQ&ved=0CBoQFjAA&usg=AFQjCNHR-q1Dd2tep_Uw6AGSplf-M5V9Lw宋代、俗に中央各寺の正職長官を称して大卿とした。
[20]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/1085314.htm&sa=U&ei=bZogUJqjNdCSiQf12YFg&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNE5nkY_49-LBuxsV45lbr6OMxRQBQ
[21]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/9494.htm&sa=U&ei=FI0gUOmjH-yViQfY7IDYAg&ved=0CCcQFjAB&usg=AFQjCNFN69Od8uYrvnKjZJqcWchFVtbpHw
[22]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE5ZdicB2ZdicAD118905.htm五嶺(湖南、江西南部和広西、広東北部が境を接する越城嶺、都龐嶺、萌渚嶺、騎田嶺、大庾嶺)以南の地区。
[23]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E4%25B9%25BE%25E5%2585%25B4&sa=U&ei=no0gUL7xKeWdiAedkYCQCQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNHlAUc5qP9pTQ0zLrBVGfkBwv3Pug
[24]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E5%25AE%258B%25E4%25BB%2581%25E5%25AE%2597&sa=U&ei=rI0gUNaWCISViAfpjoGYBg&ved=0CB8QFjAA&usg=AFQjCNEp8Ig1snpIrfhttMGbOEB2LhbxMw
[25]http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE9ZdicA9ZdicBE92750.htm官職名。輿輦、伝乗、郵駅、厩牧の事を掌る。
[26]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE7ZdicADZdicBE229307.htm&sa=U&ei=dDYGUOuPIMTSmAWIwJGQAQ&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNHctj4t4KkQMxKz4jUq-ScSlrd6iQ宋代各州、府が京官を選派して判官に充当した時、簽書判官厅公事と称し、「簽判」と简称した。
[27]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E6%25B2%25BB%25E5%25B9%25B3_(%25E5%258C%2597%25E5%25AE%258B)&sa=U&ei=q44gUKWjGtChiAfGg4GICA&ved=0CB8QFjAA&usg=AFQjCNFMpVvrreIwTeEY_Dc0Blv6HwpMyQ
[28]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/807055.htm&sa=U&ei=vI4gULfgNJCXiQeUx4BY&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNEpWe7XG2zUph4AdrwVB2LcZhpErg
[29]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE5ZdicB1Zdic82281665.htm&sa=U&ei=0DYGUKjFFKrjmAXYvIWTAQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNEAxMk21XaCdsXeAxq_B48pu1huBw重なるさま。
[35]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E7%2586%2599%25E5%25AE%2581&sa=U&ei=E5AgUK3xJc-PiAetqICgAQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNGGE5qFHNDRa0nLLnPz4HLcu5-hrA
[36]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E8%25A8%25B1%25E5%25B7%259E&sa=U&ei=LpAgUMY9z5aJB6CZgbgO&ved=0CCAQFjAA&usg=AFQjCNEww1X5yGgGCEkU_nzZVWtOrbmT7g
[37]http://www.zdic.net/cd/ci/9/ZdicE9ZdicB8ZdicA672247.htm紙名。色は暗青でカラスの羽のようなので、称する。
[39]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/10/ZdicE5Zdic80Zdic9F96573.htm&sa=U&ei=zv8AUMHbGKXamAWMw_3qCQ&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNFVvH-o6_oj8ubh0BLdO3knCZYS3w肩書きだけの官職。
[40]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E5%25B9%25BF%25E5%258D%2597%25E4%25B8%259C%25E8%25B7%25AF&sa=U&ei=0JAgUIKRGsmyiQfevoD4Bg&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNFJAjLvwOgBkvc8SZCI3PVhXUmjyw
[41]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/689169.htm&sa=U&ei=yJsgUKX_LqqtiAfOsoDYCQ&ved=0CBsQFjAA&usg=AFQjCNEILctklmajgq5sPce8jnW1ax9SLw
[42]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E9%259F%25B6%25E5%25B7%259E&sa=U&ei=CJEgUKbaOqaUiQeBmoDgAg&ved=0CB4QFjAA&usg=AFQjCNG1P8x3J9da_Ia0m6fT-J-oVcc1kw
[44]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE4ZdicBEZdic8419369.htm&sa=U&ei=F0IGUIGAD6r3mAWDnIGPAQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNEeMEWHosXyMxiPZ8C0ElPuzZjjcA兄弟あるいは同輩男性親族の息子
[46]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE9Zdic81Zdic9350972.htm&sa=U&ei=wAABUJK6MsjZmAWj5YHrCQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNFUVb7fH6baaMzFFBK00CS-Ctxpvg道家の法術
[47]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/18/ZdicE6Zdic87ZdicB5148171.htm&sa=U&ei=TEkGUPq2B-TxmAXo1dyOAQ&ved=0CBUQFjAA&usg=AFQjCNEetioqLBufIgIryPzJ9RA1qh9CcQ不明のさま。
[50]原文「故得紫其服」。未詳。とりあえずこう訳す。「紫」は動詞であろう。
[52]未詳
[53]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5ZdicB7ZdicA1243701.htm&sa=U&ei=h5IgUP6-M7CUiQfenIDYBw&ved=0CBoQFjAA&usg=AFQjCNFrQwnVr1ruaEUahzcE_BcvPL79Cg官署名巡検司、官名巡検使、略称巡検。
[54]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/802880.htm&sa=U&ei=4koGUNuLMbHvmAXBneyQAQ&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNF4oTK6uguT-IIPeZm_nDgvVd72yw
[55]未詳
[56]原文「率命班行領卒數百戍焉。」。未詳。とりあえずこう訳す。
[57]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E6%2585%25B6%25E6%259B%2586&sa=U&ei=PZMgUOfcFYeZiAf984F4&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNFQkSUIoG4Il-k45YNgD1kUHYWgNg
[58]ここでは国内の意味として使っていよう。
[60]http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5ZdicBBZdicB729963.htm廷尉平http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5ZdicBBZdicB7103230.htm官名
[61]http://www.google.com/url?q=http://zh.wikipedia.org/zh/%25E5%2598%2589%25E7%25A5%2590&sa=U&ei=CJQgUI6cDa6SiAeJ0IGwBg&ved=0CBgQFjAA&usg=AFQjCNEynKo2Etvev9mzILLoG5S5D2ffVA
[63]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/12/ZdicE9Zdic87Zdic8A249107.htm&sa=U&ei=9EcJUKxG6_KYBfGw_ZQK&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNHjhGylTR3Vh6sF47Yq-f_I1RWxgg進士及第して官を授かること。
[64]http://www.zdic.net/cd/ci/6/ZdicE5ZdicBBZdicB729961.htm廷尉平http://www.zdic.net/search/?q=%E5%BB%B7%E5%B0%89%E5%B9%B3官名
[65]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE7ZdicADZdicBE196240.htm&sa=U&ei=G0gJUP34HqWhmQXa0aCACg&ved=0CBMQFjAA&usg=AFQjCNEwhWj1VdZ-H9-_w1KXtt5ypthlJg官名。枢密使の副官。
[66]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/4314.htm&sa=U&ei=lZQgUJ-NGMjUigf9o4GYDA&ved=0CB8QFjAA&usg=AFQjCNHGx4KTDxFaOkJvDzzPXWItdiCj7Q
[67]http://www.google.com/url?q=http://baike.baidu.com/view/862839.htm&sa=U&ei=7ZQgUK-yOajYigfUtYDQAw&ved=0CB8QFjAA&usg=AFQjCNGeBStMmjFO7s6-gHYW3SbWf2XGSA
[68]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/4/ZdicE7Zdic89Zdic99329736.htm&sa=U&ei=08sAUJelI5OgiQfr1_2qCA&ved=0CBsQFjAB&usg=AFQjCNGNYQep0k8vtkL3NwsY4W1ohW37mg衛兵;親兵。
[69]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/7/ZdicE4ZdicB8ZdicA5115945.htm&sa=U&ei=zVsJUMaZNKKGmQWWjKmPCg&ved=0CBgQFjAC&usg=AFQjCNE6Ahr3mPA0BE9E_6-kk8o3nxDLeA戒厳の太鼓
[71]http://www.google.com/url?q=http://www.zdic.net/cd/ci/13/ZdicE6ZdicA5ZdicBC153537.htm&sa=U&ei=hV0JUPPhHu3rmAXs8dmOCg&ved=0CBQQFjAA&usg=AFQjCNG7UEWcfQSZIuySACU0UAZYyLfylA高大な宮殿。