看銭奴買寃家債主雑劇

楔子

(正末が周栄祖に扮し、旦の張氏、子役とともに登場)わしは汴梁曹州[1]の人、姓は周、名は栄祖、字は伯成。妻は張氏、子は長寿。父祖は多くの財産を持ち、祖父周奉記は、仏の教えを尊んで、寺を建て、毎日看経(かんきん)念仏し、平安を祈願していた。だが、父の代になると、金を儲けることばかり考えていた。屋敷を修理しようとしたが、木や石や(せん)や瓦を得られなかったため、ことごとく寺院を壊した。屋敷が完成する頃に、父上は病気になったが、あらゆる薬が効かなかったため、人々は、仏の教えを信じていなかったからだと考えた。父上が身まかった後、このわしは全財産を管理して、多くの詩書を学んでいる。今、黄榜[2]が掲げられ、賢者を招き、試験が行われているので、妻よ、試験を受けにゆきたいのだが、どう思う。

(旦)秀才さま、長寿を連れて一緒にお行きなさいまし。

(正末)それもよかろう。妻よ、ご先祖さまの財産を持っていくことはできぬから、とりあえず裏手の塀の下に(うず)めて、屋敷は下男に守らせよ。わしとおまえは息子を連れて受験に赴くことにしよう。官職を得ることができ、出世することができさえすれば、まことによかろう。

(旦)それならば、荷物を調え、ご一緒に参りましょう。

(正末)妻よ、ご先祖さまは、仏の教えを信じていたが、父上は仏の教えを信じてはいなかったから、今は、報いを受けているのだ。(歌う)

【仙呂賞花時】

そのかみは仏典をつぶさに講ぜしこともあり

積善と修身を第一となす

富は先祖の積みたまひしもの

仁徳を施すは

孝行息子と賢妻を得んがためなり

【幺篇】

澄みわたりたる青天は瞞くことなし

あらかじめ用心せずば後悔すとも遅からん

天には神がましませば

(言う)我が父は

(歌う)

ことさらに仏寺をば毀つべきにはあらざりき

本日は旅路にて誰をか恨まん

(ともに退場)

第一折

(外が霊派侯に扮し、鬼卒を引き連れて登場。詩)

鮮やかな()と青に、(たまや)の姿は堂々たり

天は五岳に東西を鎮めしめたり

世の人は、陰徳の大なるを悟ることなく

香しき煙の空に満つるを見るのみ

わしは東岳殿[3]前の霊派侯。思ふに東岳泰山は、諸仙の祖、万峰の尊、天地の孫、神霊の(たまもの)にして、兗州の地にぞある。古に金輪皇帝、その妻に瀰輪仙女といふものありき。夜、夢に二つの日を呑み、身ごもれり、生みたる二子は、上を金虹氏、下を金蝉氏といへり。金虹氏は東岳聖帝。聖帝は長白山で功を立て、古歳泰岳真人に封ぜられ、漢明帝の時に泰山元帥に封ぜられ、十八地獄、七十四司、生死の期日を掌りたり。唐虞三代、秦漢を経て、都天府君の位にあり。唐の武后の垂拱三年七月一日、東岳の神に封ぜられ、開元十三年に至りて、天斉王を加へられたり。宋真宗は東岳天斉大生神聖帝に封ぜり。まことに天地は「循環し、巡りて元に戻る[4]」ものなり。「孝ならずんば千束の紙銭を焼くも(あだ)にして、心に疚しきことあらば、万爐の香を焚けども空し。神霊は正直なれば、人の世の法を枉げたる賄賂を受けず」とはよくぞ言ひたる。今、人の世に賈仁てふ男あり。この者はわが神廟で天地を恨み、神明に告げ、憐れまるることなしとぞいへる。今日も必ず訴へにくべければ、姿をぞ現さん。そろそろ来らん。

(浄が賈仁に扮して登場、詩)

屋敷もなければ田畑(でんぱた)もなく

日々城南の(あなぐら)()

ともに眼と眉のある男児なれども

何ゆゑぞ手中に銭なき

それがしは、曹州の人、賈仁という。幼い時に父母は没して、親族はほかになく、我が身一つがあるのみだ。人々はいとも苦しいわが暮らしを見、窮賈児[5]と呼びなしている。この世には、富貴豪奢で、よい物を食べ、よい物を着て、よい物を使う者たちがいるのだが、彼らは同じ世の人だ。それがしは(あした)に食らえば、(ゆうべ)には食らうものなく、毎日地面を炙って眠り、着る物は体を掩わず、食べ物は口を満たさぬが、これもまたこの世の人だ。天よ、おんみもお眼をお開きください。それがしはひどく貧乏しております。毎日何の商売をすることもかなわず、人のため、ひたすらに土を運んで塀を()き、泥を捏ね、煉瓦を手にし、水を挑いで、漿を運んで、力仕事で日々を過ごして、夕には壊れた(あなぐら)で休んでいるのでございます。本日は人のため塀を築いた。半分造れば、気力は続かず、半分はまだ造っておらぬ。もう疲れたから、しばらく休むこととしよう。こちらには東岳霊派侯廟がある。あの廟の中へ行き、苦しみを訴えよう。天よ、わたしはひどく貧乏に苦しんでおりまする。(廟に行き、跪く)香も持ってはおらぬから、土を撮んで香となし、神さまに祈り、憐れみを請うとしよう。わたしは賈仁。鞍つきの馬に乗り、羅と錦を着、よい物を食べ、よい物を用いているのは、同じ世の人間にございます。わたくしも同じ世の人間ですが、着る物は体を掩わず、食べ物は口を満たさず、朝に食らえば、夕には食らうものなく、地を焼いて臥し、まことに貧しくしておりまする。神さま、わずかな富貴がありさえすれば、わたくしも僧にお布施し、寺塔を建てて、橋や道路を修築し、孤児(みなしご)寡婦(やもめ)を救い、老人と貧者を憐れみましょう。どうか憐れと思われて下さいまし。話していると、体が少し疲れてきたから、とりあえず、人のいない軒下で休むとしよう。(倒れて眠る)

(霊派侯が言う)鬼卒よ、賈仁を捕まえてまいるのだ。(尋ねる)賈仁よ、何ゆえに神廟で天地を恨むか。神霊を咎めるは、何ゆえぞ。

(賈仁が拝礼をする)憐れと思うてくださいまし。天地を恨んだりはいたしませぬ。わたくしは人の世に生まれましたが、着る物は身を掩わず、食べ物は口を満たさず、朝に食らえば、夕には食らうものなく、地を焼いて臥し、まことに貧しくしておりまする。神さまはどうか憐れと思し召し、わたくしにわずかな衣禄と食禄を下されば、わたくしも僧に布施をし、寺塔を建てて、橋と道路を修築し、孤児(みなしご)寡婦(やもめ)を憐れみ、老人と貧民を救いましょう。神さま、どうか憐れと思し召されまし。

(霊派侯)この件は増福神の管轄じゃ。鬼卒よ、増福神を呼んでまいれ。

(正末が増福神に扮して登場。言う)わたくしは増福神。人の世の生死貴賎、高下六科長短の事、十八地獄、七十四司を掌管している。思うに俗世の人々は頑迷で、善をなすことを知らない。見れば奈河(ないか)[6]は潺潺として、金橋の上には一人の人さえ居らぬ。(唱う)

【仙呂点絳唇】

人々はかやうに貧しき者を軽視し

鰥寡(やもをやもめ)を憐れまず

天は狡猾なる者を生み

彼らは鬼神を欺けり

(正末)諺に「人の世の内緒話を、天は聞くこと雷のごと。暗き部屋での疚しき行為を、神は見ること稲妻のごと」といわれるが、本当にその通りだわい。(唱う)

【混江龍】

誉れをむなしく貪るなかれ

一寸の心田の芽をひとへに守れ

貧しきに甘んじ、分に安んじて

ひたすら家をなすことを待て

陰険なことをせば子孫に害をもたらして

良き子女をいかでか残すことを得ん

人の世の事どもは

冥界(よみぢ)と違ふことはなく

あらはに人を損なはば

ひそかに衰ふることあらん

かやうな人は、ともすれば、恩義を忘れ、仁義に背き、良心を蔑ろにし

風俗を損ふも意に介するなし

とこしへに肥えたる羊と旨き酒とを楽しみて

異錦軽紗を着ることあたはず

(見える)神さまに召されましたが、何の御諚にございましょう。

(霊派侯)今、人の世に賈仁が居り、日々わが廟で天地を恨み、われわれ神を恨んでおるが、わしにかわって尋ねてきてくれ。

(正末)かしこまりました。(尋ねる)賈仁よ、神を怨んでおるのか。

(賈仁)神さま、憐れと思し召されまし。神さまをお恨みしてはおりませぬ。世には富貴な人がいる、着る服があり、口にする物があり、使うお金も持っている、かれらも同じ人間であると申しただけでございます。わたくしは身を掩う衣服もなければ、口を満たす食物もなく、朝に食らえば、夕には食らうものなく、地を焼いて臥し、貧乏にひどく苦しんでおりまする。運がないことこそ怨め、天地を恨みはいたしませぬ。どうか憐れと思し召し、わずかな衣禄と食禄を賜われば、僧にお布施し、寺塔を建てて、橋と道路を修築し、孤児(みなしご)寡婦(やもめ)を憐れみ、老人と貧民を救いましょう。神さま、どうか憐れと思し召されまし。

(正末)黙れ。

(報告する)神さま、この者は、平素より、天と地を敬わず、父母には不孝、僧と仏を誹謗して、生き物を殺しているので、餓死凍死するべきであります。構われてどうなさいます。

(霊派侯)増福神どの、定められている衣禄と食禄は間違いではあるまいか。

(正末)

【油葫蘆】

赤顔の閻魔はふざけたるにはあらず

胎児(はらご)を作るに正しき決まりに従ひて

運命を定むるに過ちしことはなかりき

かやうな者を官員や富豪にするは難ければ

驢馬、騾馬、犬馬に生まれしむべし

油の鍋で揚ぐることなく

剣の木で殺すことなし

天に似て大いなる阿鼻地獄にし比ぶれば

人の体となりしのみにて

御の字ならずや

(霊派侯)増福神どの、かような者は世にあって、財を貪り、賄賂を好み、いかばかり人々を害しましたか。

(正末)

【天下楽】

かやうな者は人の世で歯牙に掛くるに足らぬもの

前世では贅沢をして

財を貪る心は曇り

油の鍋のお金をも拾はんとせり

かやうな者が豊かにならば

数百(すひゃく)の家は貧しくならん

今の世で貧窮を受けしめて報いとすべし

(賈仁が言う)神さま、増福神の言うことを信じられてはなりませぬ。わたくしはさような者ではございませぬ。経を読み、念仏し、精進物を口にして、善事をなしている者でございますから、どうか憐れと思し召し、わずかな富を与えていただけませぬでしょうか。

(正末)お前は昔、曲がったものを直いとし、五穀を棄てて、生類を損なって、人々を害したのだから、富豪になれるはずがあるまい。

(霊派侯)増福神どの、この者が前世では浄水を棄て、五穀を粗末にしたならば、この世で凍死餓死しても、間違いではございませぬ。

(正末)

【那令】

前世では罪を為し

現世では罰を受けたり

前世では狡猾にして

現世では乞食したるなり

前世では穀物を棄て

現世ではひどく飢ゑたり

(賈仁)昔も天地を敬って、法を尊び、兄弟と仲良くし、六親と睦まじくして、仏法を奉り、三公を礼拝し、父母に孝、盗みはなさず、慈悲深く、善を好んで、今ではずっと精進物を食べております。神さまがささやかな富を与えてくだされば、まじめに商売することといたしましょう。

(正末が唱う)

悪を為す心をほしいままにして

良心に背くことを言ひ

真面目な暮らしをしやうとはせず

(霊派侯)その通りだ。良心に背けば平素の幸福をすっかり損ない、過ちをなせば一生貧しいだろう。神さまはおのずから御覧になっていらっしゃるから、欺くことはできないぞ。

(正末)

【鵲踏枝】

良心に背くのは勝手なれども

悪事を為さば、我らをいかで欺かん

上には澄みたる青天あり

下には果てなき黄沙あり

神さまの来臨を請ひ

不当に救ひを求むるも

その者の貧富に構ふことぞなき

(賈仁)神さま、父母が生きておりましたとき、きちんと世話しておりましたが、身まかった後、どうしたわけか、だんだん貧しくなりました。それでもわたしは父母(ちちはは)の墓で紙銭を焼き、茶酒を供えて、涙は今にいたるまで乾くことなく、いたって孝行ものなのでございます。

(正末)黙れ。

(唱う)

【寄生草】

父母在りしとき飢ゑに耐へしめ

死にし後には、お茶など供へず

流すはすべてそら涙

いささかの漿水を供へてすぐにやめたることは言はんともせず

紙銭を焼けばきれいさつぱり忘れ去る

百壺の漿を傾けたとて、墓門の前には染みとほることぞなき

注ぎたる千鍾の茶は黄泉路になどか流れゆくべき

(霊派侯)増福神どの、このような貧乏人をにわかに富ませば、良心に背き、天地を欺き、ひたすらに他人を損ない、自らを安んじることでしょう。これぞまさしく、一生富豪になるには足らぬ輩です。

(正末が唱う)

【六幺序】

この者は金がなければ何も言はねど

あれば自慢し

大金持ちのなりをせり

見よ肩を聳やかし

小鼻をば強ばらせ

穏やかで控えめな雰囲気はいささかもなし

毎日通りで青驄(あをうま)に跨りて

柳や花を手折らんとせり

馬上にて格好を付け、体を揺らし

さまざまな身振りをするも

いづれも野暮なるものぞかし

【幺篇】

通りは狭く

人ごみは厭はしく

玉の手綱をしつかり握り

玉の鞭をばせはしく加へ

めちやめちやに駆け回り

わいわいがやがや

先輩を訪ぬとも

馬を止め、下りんともせず

貧民とみなして威張り散らしたり

(賈仁が言う)神さま、わたくしはかような者ではございませぬ。すこしでも富を与えてくだされば、わたしも街の人たちと仲良くし、隣近所を敬って、尊卑上下をわきまえましょう。どうか神さま、憐れと思し召されまし。

(正末が唱う)

貧しき人も

やはり()が隣人なれば

礼節をもて付き合ふべきなり

驕りて高下をなみするは

()に井の中の蛙なり

貧しき人に対しては、度量をさやうに大きく保て

なんぢの貧しきさまにては

富貴栄華を受くべくもなし

(霊派侯)増福神どの、賈仁は天地を恨みましたから、飢え、凍え死にするべきですが、「天は禄なき人を生まず、地は名なき草を生やさず」ともうします。上帝さまの好生の徳を体して、ひとまず福を与えましょう。

(正末)それならば、わたくしが見に行きましょう。(見る)神さま、この者は飢え凍え死にするべきですが、聖旨を奉じ、ひとまず福を与えましょう。わが曹州曹南の周家荘には、福を積み、三代の陰徳があるものの、一念を過ったため、罰を受けるべき家があります。今、かの家の(さいわい)をとりあえず二十年貸し与え、二十年後に、元の持ち主に返させましょう。

(霊派侯)それはいい。

(正末)賈仁よ。

(賈仁が返事をする)

(正末)そのほうは、本当は飢え、凍え死にするべきなのだが、神さまはそのほうを憐れと思われ、福を授けてくだされた。今、曹州曹南の周家荘には、三代の陰徳を積みながら、一念を過ったため、罰を受けるべき者がいる。今、福を二十年貸し与えるから、二十年後に、もとの持ち主に返すのだ。覚えておけ、お前が行けば金を欲しがる人々が待っていようぞ。

(賈仁が拝礼して感謝する)神さまのご恩に感謝いたします。わたくしは金持ちになれるのですね。

(正末)黙れ。(唱う)

【賺殺】

()を金持ちにする前に

貧しき人をひとり作らん

(賈仁)金持ちになったなら、良い服を着て、良い馬に乗り、三山骨[7]に一鞭をくれ、ぱかぱかと…

(正末)何をするのだ。

(賈仁)何もしはいたしませぬ。ちょっと申してみただけです。

(正末が笑い、唱う)

お金をお前に貸すのみなり

日数に限りはあれど

とりあへず管理せよかし

(賈仁)神さまは憐れと思し召されましたが、何十年貸してくださるのでしょうか。

(正末)二十年、貸し与え、また返させよう。

(賈仁)神さま、憐れと思し召されましたに、なにゆえに二十年しか貸してくださらぬのでしょう。どうせ小さな字なのですから、高いところに一画を添え、三十年貸して下されば、よろしくはございませぬか。

(正末)黙れ。こ奴はいまだに満足してはおらぬわい(唱う)

もつと増やしてくれと言ひ

禍福の過たざるを知るなし

貧と富は前世の縁によるものにして、みだりに定めしものにはあらず

三月に桃花が開き

九月に菊花が開けるは何ゆゑぞ

(言う)なぜだと思う。(唱う)

天公が花を一時に開かしめざればなり

(霊派侯)賈仁よ、そなたは凍死餓死するべきなのだが、上帝さまの徳を体して、とりあえず二十年(はたとせ)(さち)を授けて、二十年後(はたとせのち)に、元の持ち主に返させようぞ。「善には善の報いあり、悪には悪の報いあり。悪が報いを受けざるは、時間がいまだ来ねばなり」とはよく言ったもの。天がもし厳しい霜を降らさなければ、松柏は蒿草にさえ及ぶまい。神明が報いをせねば、善を積むのは悪を為すにも及ぶまい。天地を欺き良心を欺くな。良心を欺かなければ禍は至らぬだろう。十二時中善事をなせば、災星は福星となって臨もう。(手を振る)賈仁よ、記憶にないとごまかすなよ。(一緒に退場)

(賈仁が目覚める)おや、ぐっすりと寝ていたものだ。南柯の夢か。今、神さまははっきりと曹州曹南周家荘の幸福を二十年貸し与えるとおっしゃった。今から富豪になれようぞ。富豪はどこにいるのだろう。「夢は心に思うもの、それを信じて何になろ」とはよく言ったもの。壁はまだ半分ができてはおらぬ。天よ、わたくしはまことに貧しゅうございます。(退場)

第二折

(外が陳徳甫に扮して登場、詩)

耕す牛に宵越しの食べものはなく

倉の鼠にありあまる食べものがあり[8]

万事はすでに定められ

浮生はむなしく忙がはし

わたしは姓は陳、名は徳甫、曹州は曹南の者。幼いときに史書を学んで、文墨に親しんでいたが、不孝にも父母は亡くなり、生活が苦しいために、学業を棄て、家塾の師となり、日々を過ごしている。この地に賈老員外がおり、万貫の財産と、鴉も飛んで渡れぬほどの田畑と、油屋、質屋を所有している。金銀財宝、綾羅緞子は、数をも知れぬ。あの方は大金持ちだ。ここには誰もおらぬわい。あの方はかねてから赤貧は洗うがごとく、他人のために土を運び、塀を()き、泥を捏ね、煉瓦を運び、水を挑ぎ、漿を運んでらっしゃった。土方の仕事は、(あした)に食らえば、(ゆうべ)に食らうものはなく、人々はあの方を窮賈児と呼びなしていた。ところがいかなる福分によるものか、ここ数年でたちまちに金持ちとなり、天にも迫る財産を築かれた。だが、あの方は富豪となっても、一文も使うことなく、半文も使うことがない。他人の物こそ奪わんとすれ、自分の物は他人に与えようとせず、人に与えれば、ひどく悲しむ。わしは今、あの方のお屋敷の教師となってはいるものの、勉強は教えておらず、質屋で記帳するばかり。かの員外は財はあっても、子供は少しもいないから、しばしばわたしに、街で子を売る者に会ったら、男だろうが女だろうが、一人買い、夫婦を楽しませてくれと仰っている。すでに店員に言いつけて、様子を探らせ、子を売るものがいたときはわしに知らせるようにしてある。本日は何事もない。質屋に様子を見にゆこう。(退場)

(浄が店員に扮して登場、詩)

酒屋の門に三尺の布

行き来する人々に客を捜せり

美酒(うまざけ)を百甕造りたりしかど

九十九(くじふく)の甕は酢にこそ似たりけれ

わたしは店員。われらの酒屋は賈員外さまのもの。員外さまのお家には陳徳甫という教師がおり、四日前後に一回帳簿をつけにくる。今日はかように大雪が降っている。一甕新酒を造ったが、お供えをしていないので売ろうとはせず、三杯の酒をお供えするとしよう。(酒を供える)財をもたらす土地神さま、われらの酒は一甕ごとにおいしくなってきましたよ。酒簾を掲げると、誰かが来たぞ。

(正末周栄祖が旦、子役を連れて登場)周栄祖じゃ。三人の家族がいる。妻は張氏、倅は長寿。受験をしたが、運は開けず、功名は遂げられなかった。これは詮ないことではあるが、故郷に来ても、あらゆることは侭ならず、先祖の遺した財産さえも、塀の下に埋めていたのを、みな盗まれてしまったわい。その後は衣食に事欠いて、三人で洛陽に親戚を訪問し、援助を当てにしていたが、あいにくかような運勢なので、会えずに帰ることとなった。折しも季節は晩冬で、連日の大雪が降り、ほんとうに苦しい旅路だ。

(旦)秀才どの、かような大風大雪に、旅なさるとは。

(子役)父さん、寒くてたまりませぬ。

(正末が唱う)

【正宮端正好】

道はまつたく通ずることなく

わが故郷はいづくにかある

天地も山も白くなり

凍ゆる雲は万里にわたり窮みなし

われら三人(みたり)は異郷にぞある

(言う)妻よ、ひどい雪だなあ。(唱う)

【滾繍球】

何人(なんぴと)ぞ瓊瑶を碾き降らしむる

誰か氷花(こほり)を剪りて視界を惑はする

六街と三陌は玉を刻めるごとくにて

殿閣と楼台は(おしろい)で装ひたるがごときなり

(言う)かような雪は、(唱う)

韓退之[9]藍関の寒ささへこれには及ばず

孟浩然さへも驢馬より転げ落つべし[10]

(言う)かような雪は、

(唱う)

剡渓の子猶でさへも戴を(おとな)ふことをやむべし[11]

われら三人(みたり)は塵埃に凍えて倒れん

(震える)ああ。

(唱う)

一家はあらゆる苦しみを受け

朱門を()たび訪ぬるも九たび開かず

まことに苦し

(旦)秀才どの、かように激しい風雪を、どこで避ければ、よろしいのでしょう。

(正末)酒屋で雪を避けるとしよう。(会う)店員さん、こんにちは。

(店員)中に入ってお飲み下さい。秀才さま、どちらのお方で。

(正末)店員さん、酒代はございませぬ。貧乏な秀才で、三人(みたり)して親戚を訪ねましたが、大雪に遭い、身に着る物も、口にする物もございませねば、こちらへ難を避けてきたのでございます。店員さん、憐れと思し召されまし。

(店員)家を挑いで逃げる者などございませねば、中にお入りくださいませ。

(正末が中に入る)妻よ、雪はますます激しくなったぞ。(唱う)

【倘秀才】

腹は減り魂は失せ

わが身は凍えて生気なし

この雪はあやにくに貧しき人にぞ降りかかる

(言う)妻よ、

(唱う)

雪深く脚は(うづ)もれ

風強く懐に染みとほりたり

忙しく子の手を懐にぞ入るる

(店員が嘆く)三人は身には着る物もなく、お腹には食べ物もなく、このような風雪の中、わたしの店に避難してきた。善行はどこであっても積むべきものだ。明け方に酒三杯をお供えしたが、あの秀才に飲ませよう。秀才どの、お酒を飲ませてあげましょう。

(正末)店員さん、お酒を買うお金などございませぬ。

(店員)お金は必要ございませぬ。寒そうにしていらっしゃるので、お酒を一杯差し上げるのでございます。

(正末)お金は要らぬと仰いますが、お酒を飲ませてくださるのですね。本当に有り難うございます。(酒を飲む)おいしいお酒でございます。(唱う)

【滾繍球】

磁器の杯に酒を斟ぎ

濃き()は琥珀にぞ勝る

店員どのは、金を見て多くのものを売りつくる輩にあらず

茅柴[12]の新酒なりともお構ひなし

(言う)この酒は(唱う)

中山の古酒(ふるざけ)を開くに勝り

蘭陵の値の高き酒を笑はん

鳳城の春色と呼びなすも虚言(そらごと)ならず

(言う)一杯飲めば、(唱う)

あたかも錦を添ふるがごとし

(言う)この雪は(唱う)

千団の柳絮の風に隨ひて舞へるがごとし

(言う)この酒を飲み込めば、

(唱う)

二朶の桃花は頬に上りて

和気に心は晴れ晴れとせり

(旦)秀才どの、どなたが酒を飲ませてくださったのでしょう。

(正末)あの酒売りの兄さんが、寒そうにしているのを見、憐れと思い、酒を飲ませてくださったのだ。

(旦)わたくしは今、寒くて我慢できませぬので、酒売りに酒を飲ませてくれるよう、頼んでは下さいませぬか。

(正末)妻よ、恥ずかしいことだ。どうして酒をねだれよう。(店員に揖をする)店員さん、女房がわたくしにどこで酒を飲んだのかと尋ねましたので、「飲み屋の店員さんが寒そうにしているのを見て、酒を飲ませてくださったのだ」と言いました。女房は「わたしも寒くてたまりませぬから、どうかあと半鍾のお酒を恵んでもらっては下さいませぬか」と言いました。

(店員)奥さまもお酒をご所望なのですね。どうぞ、どうぞ、お酒を飲ませて差し上げましょう。

(正末)本当に有り難うございます。妻よ、一鍾の酒を貰ってきたぞ。飲むのだ。飲むのだ。

(子役)お父さま、わたしも一杯飲みたいのですが。

(正末)お前、わしにお願いさせるのか。(ふたたび揖をする)店員さん、うちの息子が「お父さま、どこからお酒をもらってきてお母さまに飲ませたのです」と尋ねました。わたくしは「飲み屋の店員さんが一杯飲ませてくださったのだ」と答えました。息子は「どうかもう一杯もらい、飲ませては下さいませぬか」と申しました。

(店員)それならば、わたくしの家にお泊まりください。

(正末)店員さんは、どこでも善を積まれるのですね。

(店員)どうぞ、どうぞ、もう一杯差し上げましょう。

(正末)本当に有り難うございます。息子よ、飲め、飲め。

(店員)かように貧しいのでしたら、お子さんを人に差し上げれば宜しいのでは。

(正末)わたくしは構いませぬが、妻がどう思うかは分かりませぬ。

(店員)奥さまとご相談なさってください。

(正末)妻よ、飲み屋の店員さんが「このように飢えて凍えていらっしゃるなら、あの子を人に差し上げれば宜しいのでは」と仰っていた。

(旦)人に渡せば、飢え凍えるよりましでしょう。養い育てることさえできれば、引き渡しましょう。

(正末が店員に会う)店員さん、妻は息子を他の人に渡すのを承知しました。

(店員)秀才どの、本当に他人に渡されるのですか。

(正末)はい。そうすることにいたしましょう。

(店員)この土地で金持ちが子を欲しがっていますので、これからご案内しましょう。

(正末)その方は子供をお持ちなのですか。

(店員)一人もおりませぬ。

(正末が唱う)

【倘秀才】

子をもてる人に売りなば子の運は衰ふべきも

子をもたぬ人に売りなば子の運は盛んなるべし

物分かりよき父母に出会はば息子にとりては幸ひならん

(言う)店員さん、(唱う)

おんみが息子の苦しみを救ひたまふは

万人(まんにん)の和尚にお布施したまふことに勝るべし

お客を大事にしたまへることをますます示すべし

(店員)それではここにいらしてください。お子さんを買う人を呼んできましょう。(叫ぶ)陳先生はいらっしゃいますか。

(陳徳甫が登場)店員どの、何の用かな。

(店員)この間、言いつけられた件ですが、今、秀才が子供を売ろうとしておりますから、行ってご覧になってください。

(陳徳甫)どちらにいますか。

(店員)こちらです。

(陳徳甫が見る)幸せな子だ。

(正末)先生、こんにちは。

(陳徳甫)秀才どの、こんにちは。秀才どのはどちらのお方でございましょうか。ご姓とお名は。何ゆえにこの子を売ろうとなされるのでしょう。

(正末)曹州のもの、姓は周、名は栄祖、字は伯成にございます。没落し、お金がないため、実の子を他の人の養子にしようと思っております。先生、どうかお世話して下さいまし。

(陳徳甫)秀才どの、わたしはこの子はいりませぬ。この土地の賈老員外は、すこしも子供がございませんので、この子を所望されたなら、天にも迫る財産は、やがてみなこの子のものとなりましょう。ついてきなされ。

(正末)どちらにお住まいなのでしょう、ついてゆきましょう。

(旦が子役とともに退場)

(店員)三人は陳先生に従っていってしまった。店を閉め、員外さまのお宅に様子を見にゆこう。(退場)

(賈仁が卜児とともに登場)このわしはまことに富貴。諺に「人に七貧八富あり」というのはまことにこのことじゃ。このわしは賈老員外。ここには人がおらぬわい。このわしは人のため、塀を造って、石槽の金銀を掘り出した。主人にも気付かれず、こっそりと家に運んで、屋敷に質屋、粉屋に臼屋、油屋に酒屋を建てて、する商売は水のごとくに盛んとなった。今や、陸には田あり、水には船あり、人には貸した金があり、何人(なんぴと)も窮賈児と呼ぼうとはせず、員外さまと呼んでいる。そうはいっても、財産を手に入れてから、妻を娶って数年たつのに、子供をすこしも授からぬ。鴉も飛んで渡れぬほどの田地を持っているものの、誰に継がせたものだろう。

(嘆く)平素から一文も使うことなく、半文も使うことがない。なにゆえかようにけちなのか。他人が一貫くれといったら、ああ、一本の筋を引き抜かれるかのようだ。人々は今度はわしを慳賈児[13]と呼んでおる。これはまあいい。わが質屋には、陳徳甫という教師がおり、わしに代わって取り立てと貸し付けをおこなっている。わしは何度も、男の子でも女の子でも探してこいと言いつけた。

(卜児)員外さま、ご命令したのでしたら、必ず探してくるはずでございます。

(賈仁)今日はかような大雪が降り、いささか寒い。下郎ども、熱燗を斟ぎ、蛙の脚をちぎって持ってまいるのだ。女房と一杯飲むから。

(陳徳甫が正末、旦、子役とともに登場)秀才どの、入り口で待ってらっしゃい。まずは員外さまにお知らせいたしましょう。

(見える。賈仁)陳徳甫よ、子供を探してくるように何度も言ったに、何ゆえかように仕事ができぬ。

(陳徳甫)員外さま、子供がおりました。

(賈仁)どこにいるのじゃ。

(陳徳甫)入り口におりまする。

(賈仁)どのような人間じゃ。

(陳徳甫)貧しい秀才にございます。

(賈仁)秀才ならよいが、何が貧しい秀才だ。

(陳徳甫)員外さま、金持ちが子を売るはずがございますまい。

(賈仁)呼んできてくれ。

(陳徳甫が出る)秀才どの、身なりを整え、員外さまにお会いなされ。

(正末が揖をする)先生、多めにお金を下さいまし。

(陳徳甫)幾らになるかは、みなわたくしに掛かっております。

(正末)妻よ、子供を見ていてくれ。員外さまに会いにゆくから。(中に入って見える)員外さま、ごきげんよう。

(賈仁)秀才どの、いずこのお方か。ご姓とお名は何と仰る。

(正末)曹州の者、姓は周、名は栄祖、字は伯成にございます。

(賈仁)もうよいわい。わしの両目はこのような貧乏人を見ることはできぬわい。陳徳甫、そいつをさげよ。飢えた虱が部屋中を飛んでおるわい。

(陳徳甫)秀才どの、員外さまの仰せに従い、下がられよ。金持ちの性格はこのようなものなのじゃ。

(正末が出る)妻よ、貧しい我らはまことに情けないありさまだ。

(賈仁)陳徳甫よ、子を買うのなら、証文を書かねばなるまい。

(陳徳甫)下書きをお書き下さい。

(賈仁)おまえに話して書かせよう。「契約書作成者周秀才は、使う金、食べ物がなく、生活が困難なれば、実の子□、年は□歳を、富豪の賈老員外の子息とせり」。

(陳徳甫)金持ちであることはみんなが知っていますから、「員外」で十分で、「富豪」の二字はいりませぬ。

(賈仁)陳徳甫よ、おまえがわしを世話しているのか。富豪ではなく、貧乏人と呼ぶつもりか。

(陳徳甫)分かりました。富豪とお書きいたしましょう。

(賈仁)証文の後ろには、「証人をたて、その日のうちに金額を決め、証文を作りし後は、破約を許さず。破約者に、千貫の罰金を課すこととする。証拠がなくなることを恐れ、この証文を作成し、末永く証とす」と書け。

(陳徳甫)かしこまりました。「破約者に罰金一千貫を課す」と。約定金は、幾らでしょうか。

(賈仁)心配するな。わしは金持ちなのだから、いくら要求されようと、爪の中から弾きだし、奴らは使いきれまいぞ。

(陳徳甫)分かりました。話してきましょう。(外に出る)秀才どの、員外さまが証文を書くようにとの仰せです。

(正末)、どのように書くのでしょうか。

(陳徳甫)原稿がございます。「通りがかりの周秀才は、金なきがため、実の子、年まさに□歳を、富豪の賈老員外の子息とせり」。

(正末)先生、「富豪」の二文字を証文に書く必要はございますまい。

(陳徳甫)あの方がこう書けと仰っているのですから、その通りお書きなさい。

(正末)ならばそういたしましょう。

(陳徳甫)証文に問題はございませんが、大事なことがございます。あの方は後ろにこう書けと仰いました。「破約する者あらば、千貫の罰金を破約されたる人に払ふ」と。

(正末)先生、違約金が千貫なら、約定金はいかほどでございましょうか。

(陳徳甫)幾らかはわかりませぬが、秀才どの、安心めされよ。あの方は先ほどこう言いました。「わしは大金持ちだから、幾ら要求されようと、爪の中から弾きだすことができる」と。あなたは使いきれまいと仰っていました。

(正末)先生の仰る通りです。紙と筆とを持ってきてくださいまし。

(旦)秀才どの、子の養育費は幾らに決まったのでしょう。ゆっくりお書きくださいまし。

(正末)妻よ、今、先生が仰っていただろう。あの方は大金持ち、爪の中から弾きだし、わしらは使いきれまいと。金額を尋ねてどうする。(唱う)

【滾繍球】

いそいそと濃き墨をすり

すらすらと筆を動かす

(子役)お父さま、何を書かれているのです。

(正末)息子よ、借金の証文を書いているのだ。

(子役)どなたから借りられるのです。

(正末)息子よ、書いたらおまえに話すとしよう。

(子役)分かっております。酒屋にて相談をされ、わたしをお売りになるつもりなのでしょう。

(正末)ああ。息子よ、やむを得ずこうするのだ。

(子役が哭く)なすすべもないことは分かっております。ともに生き、ともに死ぬのみでございますのに、何ゆえにわたしをお売りになるのでしょう。

(正末が哭く)ああ。息子よ、われら親子の情を思えば

(唱う)

まことに筆を執り難し

この子は賢く

母親は(はらわた)をもぎ取られたり

本日は親子の情を九霄の雲外に棄て

われら三人(みたり)はむごたらしくも生き別るべし

(旦)どうして実の子を棄てられよう。本当に悲しいことだ。

(正末が哭く)

母は心を傷ましめ 刀で腹を裂かるるがごと

父は血の涙を頬に滴らせ

子を(うづ)めたる郭巨に似たり

(書く)証文を書きあげました。

(陳徳甫)周さま、悲しむのはおやめなさい。この証文を員外さまに見せにゆきましょう。(中に入る)員外さま、証文を書きましたので、ご覧下さい。

(賈仁)見せてみよ。「証文作成者 周秀才は、金がなく、食物もなく、生活が困難なため、実子の長寿、年七歳を、富豪の賈老員外に売る」。しっかりと書いてあるわい。陳徳甫よ、子供を呼んで、わしに見せよ。

(陳徳甫)子を連れてきてお見せしましょう。(正末に見える)秀才どの、員外さまがお子さんを見たいと仰っていますぞ。

(正末)息子よ、行って、苗字を尋ねられたら、賈だというのだ。

(子役)苗字は周にございます。

(正末)苗字は賈だ。

(子役)打ち殺されても周にございます。

(正末が哭く)息子よ。

(陳徳甫)この子を連れてゆきましょう。員外さま、ご覧下さい。まことによい子にございます。

(賈仁)素晴らしい子じゃ。わが子よ、本日、おまえはわが家に来たから、通りで苗字を尋ねられたら、賈だというのじゃ。

(子役)周にございます。

(賈仁)賈じゃ。

(子役)周にございます。

(殴る)この餓鬼はよく世話をしてやったとて頼りにはなるまいぞ。妻よ、おまえが尋ねてみよ。

(卜児)いい子だね。明日はきれいな袷を着せてやるからね。人から苗字を尋ねられたら、賈だとお言いよ。

(子役)大紅の袍を着せられたとて、周にございます。

(卜児が殴る)この餓鬼はよく世話をしてやったとて頼りにはなるまいよ。

(陳徳甫)この子の親がまだおりますから、殴ってはなりませぬ。

(子役が呼ぶ)お父さま、こいつらはわたくしを打ち殺そうとしています。

(正末が聞きつける)あの子がどうして呼んでいるのだ。奴らが我が子を殴っているぞ。(唱う)

【倘秀才】

一字を言ひ間違へしため、ありとあらゆる責め苦を受けたり

(言う)かの員外はまことに凶暴。(唱う)

かの員外は五指を伸ばして手荒に殴り

子供は打たれて片頬が耳まで真赤

話すにも大声を得出ださず

哭くにも声を得放たず

ひそかに涙を拭ふほかなし

(呼ぶ)陳さん、陳さん、はやくお金を払って下さい。

(陳徳甫が出てくる)はい、員外さまにお金を払っていただきましょう。

(正末)先生、時間が遅くなってきて、旅が遅れてしまいます。

(陳徳甫が見える)員外さま、おめでとうございます、お子さんを授かりましたね。

(賈仁)陳徳甫、あの秀才は去っていったか。日を改めておまえにお茶を飲ませよう。

(陳徳甫)おやおや、去るはずがございませぬ。員外さま、まだ養育費を払ってはおりませぬ。

(賈仁)養育費とは何のことだ。奴らがわしにくれればよかろう。

(陳徳甫)員外さま。お金がないので子を売りましたに、養育費を逆に要求なさるとは。

(賈仁)陳徳甫よ、おまえは物が分かっておらぬな。奴らは子供を養えぬから売ったのだ。これからはわが家で食事するというのに、奴らに養育費を求めず、奴らに養育費を払うのか。

(陳徳甫)よくもまあ。苦労して子を育て上げ、員外さまのお子さんにしたのですから、養育費を支払われ、故郷へ帰る旅費にしておやりなさいまし。

(賈仁)陳徳甫、奴らが承知しないなら、それは破約ということだから、この子を奴らに送り返して、一千貫を払わせるのだ。

(陳徳甫)一千貫を払わせろですと。員外さま、養育費をおやりください。

(賈仁)陳徳甫よ、あの秀才はお金を求めていないのに、そのほうが嘘を申しているのであろう。

(陳徳甫)嘘など申しておりませぬ。

(賈仁)陳徳甫、そのほうの顔を立て、奴らに金を与えよう。下郎ども、倉庫を開け。

(陳徳甫)よかった。員外さまが倉庫を開いてくださった。周さん、お金をたくさんいただけますよ。

(賈仁)持ってきたから、さあ包め。

(陳徳甫)私が包みましょう。いかほど与えられますので。

(賈仁)一貫を与えよう。

(陳徳甫)このような子に、なぜ一貫しか与えぬのです。少なすぎます。

(賈仁)一貫のお札にはたくさんの「宝」の字が書いてあるから、馬鹿にはならぬぞ。お前は何とも思わぬだろうが、わしにとっては筋を一本抜かれるようなものなのじゃ。筋を一本抜かれるならば我慢することもできようが、お札を一貫払うのはもっと辛いぞ。与えても、あいつは読書人なのだから、いらないと言うかも知れんぞ。

(陳徳甫)仰る通りにいたしましょう。ひとまず持ってゆきましょう。(出てきて会う)秀才どの、慌てられてはなりませぬ。お茶とお食事を用意しました。こちらは員外さまよりお札一貫にございます。

(旦)何回も湯浴みをさせて子供をここまで育てましたに、どうしてお札一貫なのでございましょう。泥人形すら、買えはしませぬ。

(正末)思えばあの子は、(唱う)

【滾繍球】

三年(みとせ)養ひ十月(とつき)孕みて

掌上の(しゆ)のごとくせり

ここまで育て上ぐるのに、いかほど時を費やしし

旅路で拾ひたるにはあらず

(嘆き、唱う)

貧乏な秀才なれど

馬鹿にしすぎぞ

取引は公正ならず

一貫のお札は何の価値もなし

(言う)員外め、考えが分かったぞ。

(陳徳甫)どういうことでございましょう。

(正末が唱う)

あの者はこのわしが釣り針をかならず呑むと思ひたるなり

青き山さへあるならば薪に困ることはなからん

筆を手に街を巡らん。

(旦)子供を返していただいて、去ることといたしましょう。

(陳徳甫)しばし待たれよ。員外さまに会ってきましょう。

(正末)もう遅いのですから、戯れ事はおやめ下さい。

(陳徳甫が中に入る)員外さま、このお金はお返ししましょう。

(賈仁)陳徳甫、奴らは金がいらないのか。

(陳徳甫)少ないことが嫌だと申しておりまする。泥人形も買えぬと申しておりまする。

(賈仁)泥人形は飯を食うのか。

(陳徳甫)員外さま、そうではございませぬ。子供を養子にする者が飯代を要求したりはいたしませぬ。

(賈仁)陳徳甫、わしはこれでもお前の顔を立てているのだ。諺にこう言うぞ。「金があっても物を食うものは買うな」と。奴らは育てられぬから、息子を人に売ったのだ。このわしが飯代を求めぬだけで十分なのに、わしにお金を要求するとは。おまえが陰で唆しているのであろう。尋ねるが、どうして奴らに金をやるのだ。

(陳徳甫)わたくしは員外さまがお金を払うと申しました。

(賈仁)彼らがいらぬと申すのは、お前がお札を軽く見ているからじゃ。教えてやろう。お札を高々と掲げて、貧乏な秀才よ、賈老員外さまがお札を一貫下さったぞと申すのだ。

(陳徳甫)どんなに高く掲げても、一貫のお札にすぎませぬ。員外さま、はやくお金をおやり下さい。

(賈仁)もうよい。下郎ども、倉庫を開けて、もう一貫与えるのだ。(お札を与える)

(陳徳甫)員外さま、一貫一貫増やされたとて、彼らに何が買えましょう。

(賈仁)二貫だけだ。もうこれ以上は加えんぞ。

(陳徳甫)とりあえず持ってゆきましょう。秀才どの、ご安心あれ。員外さまがお茶と食事を用意してくださいました。秀才どの、一貫のお札でしたが、さらに一貫増やしましたよ。

(正末)先生、なぜ二貫しか下さらぬのです。何回も湯浴みをさせて子供をここまで育てましたに。おふざけになりませぬよう。

(陳徳甫)ああ。持ってきたのがまずかった。また員外さまに会いにゆこう。(中に入る)員外さま、彼らは承知いたしませぬ。

(賈仁)馬鹿を申すな。紙の上には黒い字で、「破約者には、一千貫の罰金を課す」とある。これはあいつが後悔をしているということだ。一千貫を持ってこさせよ。

(陳徳甫)一千貫を持っているなら、子を売ったりはいたしませぬ。

(賈仁)おう、陳徳甫、お前は金を持っているから、お前が買うか。はやく子供を連れてゆき、一千貫の罰金を払わせるのだ。

(陳徳甫)員外さま、額を増やされないのでしょうか。

(賈仁)増やさんぞ。

(陳徳甫)本当に増やされないので。

(賈仁)本当に増やさんぞ。

(陳徳甫)員外さま、あなたはお金を増やされず、秀才は行こうとはせず。間に立ったわたくしは苦しい思いをしております。「君子は人の美を成して、人の悪を成さず[14]」とはよく言ったもの。ええい、仕方がございませぬ。員外さま、お宅に二月(ふたつき)おりましたが、わたしの二貫の給料を、員外さまに払っていただき、員外さまの二貫と合わせ、計四貫を、あの秀才に払いましょう。

(賈仁)おう。給料をお前に払い、四貫にして、あの貧乏な秀才に払ったら、子供はわしのものになるのか。陳徳甫、お前は善人だったのだな。ただ帳簿にははっきりと「陳徳甫は二ヶ月の給料二貫を前借りしました」と書くのだぞ。

(陳徳甫)はっきりと書きましょう。(出てきて会う)さあ、秀才どの、どうかお咎めなさいませぬよう。員外さまはしわん坊、一貫も増やさぬと言いましたので、わたくしは二ヶ月分の給料を払ってもらい、四貫にして、秀才どのにお送りしましょう。こちらがわたしの払った二貫にございます。秀才どの、お咎めめさるな。

(正末)それならばあなたを咎めることはできませぬ。

(陳徳甫)秀才どの、忘れてはなりませぬぞ。

(正末)賈員外は二貫を払い、こちらの二貫は先生が出されたもの、それならば、先生がわたしのために旅費を出されたことになります。(唱う)

【倘秀才】

昨今の金持ちの度量は三江四海に及ばず

十年五年も楽な暮らしはなし得まじ

貧乏人から搾取する悪員外め

緞子や鐶釵[15]を質入れすとも

倍の利息をつけぬべし

(賈仁が出てきてみる)この貧乏人はまだいたのか。

(正末が唱う)

【賽鴻秋】

はやくこいつを公孫弘の東閣[16]の外に追ひ出せ

(旦)秀才どの、今日は子を棄てましたが、いつになったらまた会えるやら。

(正末)妻よ、行こう。(唱う)

これ以上、漢の孔融北海[17]の樽を開きてもてなすことをな望みそね

(陳徳甫)秀才どの、こちらの二貫はわたくしが差し上げたもの。

(正末)先生のご恩には、後日かならず手篤く報いることにしましょう。

(唱う)

船中の麦を与へし范堯夫[18]にぞ感謝せる

(言う)員外は、

(唱う)

何ゆゑに龐居士[19]のあらかじめ来世の貸しを棄てたることに学ばざる

(賈仁がつかんで怒る)こ奴のわしを罵るは、まことに無礼。

(正末が唱う)

この者はわが胸を傷つけんとし

(賈仁が正末を推す)貧乏人め、まだ行かぬのか。

(正末が唱う)

脳天を破らんとせり

(賈仁)下郎たちよ、犬を呼び、こ奴を咬ませよ。

(正末が恐れる)妻よ、一緒に行くとしよう。(唱う)

いざ、行かん

はや孫臏[20]の連環寨[21]を飛び出でつ。

(陳徳甫)秀才どの、咎むるなかれ。気を付けてお行きなされ。争われてはなりませぬ。

(旦)秀才どの、まいりましょう。

(正末)

【隨煞】

ほかの人なら一年で質請けを許すといふに

(言う)この員外は、

(唱う)

五ヶ月で元本と利息を取り立て

利をとれば初めからまた請求し

金を返せば証文にでたらめを書く

かやうに仁義なき者が金を持ち

徳があり賢きものが菜を噛めるとは

窮するものと通ずるものの八字[22]はいかに並べられしや

天が日をさかさまに回さぬかぎり

お前たち金持ちの背に疔瘡を生ぜしめ

お前たち金持ちを禁口[23]と傷寒にせん

いづれ盗賊が侵入し、家を焼き

いづれ事件に係はりて、貸し金を没収せられん

そのときは鍋を閉ぢ、米や(たきぎ)を買ふ金もなく

飢ゑに堪へ、街頭で乞食して

家は破産し、人は散り失せ、滅ぶべし

(賈仁)貧乏人め、まだ行かぬか。

(正末)員外どの、

(唱う)

かやうにひどく罵らば

法に触れ、刑に処せられん

今すぐに改められよ

(旦とともに退場)

(賈仁)陳徳甫、あの者は去っていったぞ。去ってはいったが、不敵にもこのわしを責めておったぞ。

(陳徳甫)当然ですよ。

(賈仁)陳徳甫、世話になったな。一杯の酒でお礼したいが、本当に忙しく、時間がないのだ。奥の間の盒子の中に焼餅(シャオピン)があるから、茶を飲むがよい。(ともに退場)

 

第三折

(小末が賈長寿に扮し登場。詩)

一生衣食を愁ふることなく

賈半州[24]とぞ呼ばれたる

老いたる親は病みがちにして

人をして日がな眉根を顰めしむ

わたしは賈長寿。父親は賈老員外で、賈仁と呼ばれる。母親はすでに亡くなった。ご先祖さまの福徳により、天にも迫る財産を所有している。父親はわたし一人を産んだだけ。人々はわたしを銭舎と呼びなしている。だが、父親は一文も使われたことはなく、半文も使われたことはなく、まことに吝嗇。銭舎[25]と呼ばれているものの、金を手にすることはかなわず、心ゆくまで使われたこともない。近ごろ、父は病となって、動けなくなってしまった。興児、東岳泰安神州[26]へお参りにゆくことを神さまに約束したから、父上にお知らせし、たくさんのお金をもらって、お礼参りをするとしよう。興児、わたしと一緒に父上に会いにゆこうぞ。(退場)

(小末が興児とともに賈仁を介助して登場)ああ。ひどいことだ。(嘆く)日月の過ぐるはまことに速きなり。この子を買ひて、はやくも二十年(はたとせ)をぞ経たる。このわしは一文も使ひしことなく、半文さへも使ふことなかりしに、子は愚鈍にして、ひたすらに衣食を求め、金銭を土くれのごとく思ひなし、大切にせしことぞなき。一銭を使はばわれが胸を傷ましむることをいかで知るべき。

(小末)お父さま、何をお食べになりますか。

(賈仁)我が子よ、お前にはわしの病が怒りからきたことが分かっておらぬ。わしはとある日、焼き鴨を食いたくなって、街に出かけた。店の中ではてらてらとした鴨を焼いている最中だった。このわしは鴨を買う振りをして[27]、しっかりと一回掴んだ。五本の指すべてで掴んだ。家に着き、一碗の飯につき一本の指をしゃぶって、四碗の飯を食べ、四本の指をしゃぶった。しばらくすると眠くなり、この腰掛けで、眠ってしまい、一本の指を犬めに嘗められてしまったのだ。そのために怒りを発して、かような病になったのだ。ああ。平素より一文も使うことなく、半文も使わなかったに、今や病は重くなり、いずれ死ぬべき身の上だから、けちであることを改め、金を使おう。我が子よ、わしは豆腐が食べたいのだ。

(小末)何百銭で買いましょう。

(賈仁)一銭の豆腐を買うのだ。

(小末)一銭では半かけらしか買えませぬから、食べられませぬ。興児よ、一貫の豆腐を買うのだ。

(興児)五文の豆腐がございますから、帳簿につけて、明日返してもらいましょう。[28]

(賈仁)我が子よ、とにかくわしの言う通りにせよ。

(小末)仰る通りにしたとしても、十銭のものしか買えませぬ。

(賈仁)我が子よ、今十銭を豆腐屋に渡していたろう。

(小末)あの者はわたしに五文を借りております。明日請求をいたしましょう。

(賈仁)五文を貸したなら、あいつの苗字と、左隣と右隣が誰であるかを尋ねるのだ。

(小末)お父さま、隣人の名前を尋ねてどうなさるのです。

(賈仁)引っ越されたら、五文を誰に請求するのだ。

(小末)そうですか。お父さま、お元気なうちに、一幅の肖像を()き、子孫に祀らせたいのですが。

(賈仁)我が子よ、肖像を描くときは前から描いてはならぬ。後姿を描くのだ。

(小末)お父さま、それは違います。前から描けばよろしいのに、何ゆえに後姿を描かれるのです。

(賈仁)分かっておらぬな。絵師は眼を入れるとき、お祝儀を要求するのだ。

(小末)お父さま、考えすぎでございます。

(賈仁)我が子よ、わしの病は、「天を見るに遠くして、地に入るに近」いから[29]、恐らくは死んでしまおう。我が子よ、どのようにわしを葬るつもりなのだ。

(小末)もしものことがございましたら、杉の木の上等な棺を買います。

(賈仁)我が子よ、買ってはならぬ、杉の木は値段が高い。どうせ死人なのだから、杉であろうが柳だろうが分かりはせぬ。裏門にある飼葉桶で十分じゃ。

(小末)飼葉桶は短くて、父上はこんなに大きいのですから、入れることなどできませぬ。

(賈仁)おう、桶は短いか。わしの体が短ければ、問題あるまい。斧を持ってきてわしの体を腰のところで二つに切って、折り曲げれば、中に入るではないか。我が子よ、お前に言うが、そのときはわが家の斧を使わずに、よその斧を使うのだぞ。

(小末)お父さま、うちには斧がございますのに、どうしてよそから借りるのでございましょう。

(賈仁)分かっておらぬな。わしの骨は硬いのじゃ。わが家の斧を使っては、刃が曲がるから、刃をつけるのに数文掛かってしまうだろう。

(小末)そうですか。お父さま、廟に行き、お参りをしたいのですが、お金を下さい。

(賈仁)我が子よ、お参りはやめるのだ。

(小末)かねてから願掛けをしておりましたので、行かないわけにはまいりませぬ。

(賈仁)おう、願を掛けていたのか。それならば、一貫を与えよう。

(小末)足りませぬ。

(賈仁)それでは二貫だ。

(小末)足りませぬ。

(賈仁)では仕方ない。三貫を与えるが、多すぎるな。我が子よ、大事なことだが、このわしが死んだ後、豆腐の五文を取り立てるのを忘れるな。(退場)

(興児)若さま、老旦那さまの仰ることに従われてはなりませぬ。ご自分で蔵を開けられ、十個の金、十個の銀、一千貫を取り出して、一緒にお参りにゆきましょう。

(小末)興児、お前の言う通りだ。倉庫を開けて十個の金、十個の銀、一千貫を取り出して、廟にお参りしにゆこう。(興児とともに退場)

(浄が廟祝[30]に扮して登場。詩)

役人も下役も清廉なれど

廟祝は肥え太りたり

人がお参りしにくれば

大いなる雄鶏が手に入らん

わしは東岳泰安州の廟祝じゃ。明日三月二十八日は東岳大帝の誕生日、遠方から多くの人がお参りにくる。廟を綺麗に掃除して、誰かが来るのを待つとしよう。

(正末が旦とともに登場)お恵みを。お恵みを。寄る辺なき身をどうか哀れと思し召せ。実の子を売りましたので、世話してくれる人もござらぬ。大通りには貧民を救ってくださる旦那さま、奥方さまがおわしましょうや。(唱う)

【商調集賢賓】

苦労して汴梁を後にして

(言う)旅路はまことに長いもの。

(唱う)

山の隠隠[31]たるを越え

川の茫茫たるを経にけり

州城や県鎮[32]を幾つも望み

店道や村坊[33]を経て

はるか彼方に東岳の万丈の頂を見る

泰安州を取り囲む城壁が目に入らざるや

(言う)婆さんや、前方が東岳さまの廟ではないか。

(唱う)

仁安殿は天にも届き

紫気紅光に覆はれり

春も穏やか弥生の頃ほひ

(言う)婆さんや。

(唱う)

早くも仙闕[34]五雲の郷に至りたり

【逍遥楽】

これぞまさしく、人の世の天上ならん

焚くは恩賜の名香にして

建てるは詔にて建てし廟堂(たまや)なり

旅人や商人(あきうど)は絶ゆることなく

お礼参りをする者は百二十行

父親の長寿を願ふ声を聞き

母親を校椅[35]に乗する人を見る

あれこれとびつくりし

をちこちをさ迷ひて

とつおひつ考へり

(言う)廟祝どの、わしら二人はお礼参りに来たのです。最初に香を焚きたいと思いますので、休ませてくださいませ。

(廟祝)この老人は本当に苦しんでいる。お礼参りに来られたのなら、わたくしも良いことをせねばなりますまい。お二人ともきれいな場所で休まれて、明日の朝起き、最初に香をお焚きなされ。

(正末)有り難う。婆さんや、ここで休んで、明日お参りにゆくとしよう。

(旦)神さま、わたくしたちの長寿児が。

(小末が興児とともに登場)興児、廟にはたくさん人がいるぞ。

(興児)若さま、遅れてまいりましたので、前方は人でいっぱいです。

(小末)もう遅いから、きれいな場所で休むとしよう。興児、きれいな場所に二人の乞食が倒れているぞ。乞食を起こせ。

(興児)乞食よ、ちょっとどいてくれ。

(正末)お前は誰じゃ。

(興児)こいつめ、銭舎さまを知らんのか。(殴る)

(正末)ああ、銭舎さまに殴られた。

(廟祝)無礼な奴め。何が銭舎だ。家には家の主がいようが、廟には廟の主がいるのだ。父親が役人になったわけでもあるまいに、銭舎というとは。弟子たちよ、縄で縛って役所に送れ。

(興児)廟祝どの、騒がれてはなりませぬ。銀子を一つ差し上げますから、この場所で休ませてくださいませ。

(廟祝)おや。この銀子を下さるのですね。この場所にお座りください。わたくしは老いぼれどもを罵っていたのです。銭舎さまに座るところをお譲りするのだ。ぶたれるぞ。

(正末)貧乏人は本当に情けなきもの。

(旦)お爺さんや、言われた通り、向こうで休むことにしましょう。

(正末が唱う)

【金菊香】

この場所は雕梁画棟[36]の聖堂にして

錦帳羅幃[37]寝室(ねや)にはあらず

何ゆゑぞ、かやうに押し合ひ、片隅に追ひやられたる

(興児)この老いぼれめ、ぶつぶつぶつぶつ、何をしゃべっているのだ。

(正末)お、お、お前は白髪頭のこのわしを何とも思っておらぬのか。

(言う)これ以上誰を打つのだ。婆さんや、お前が前に行ってくれ。わしは信じぬ。

(唱う)

八十歳の婆さんをおまへが殴りつくることなど

(言う)廟祝どの、銭舎とやらが、わしら二人を追い出しました。

(廟祝)あの方は銭舎なのだから、譲ればよかろう。明日早く起きねばなるまい。眠るがよいぞ。(退場)

(小末)この老いぼれめ、廟祝に言いつけてどうするのだ。金持ちが貧乏人を打ち殺すのは、青蝿を打ち殺すようなものだぞ。(正末が唱う)

【醋葫蘆】

お金がなければ虐げられて

お金があればまことに強し

お前はわしと同じ村、隣近所に違ひあるまい

(興児)乞食め、まだつべこべ言うか。

(正末が唱う)

このわしも富豪の家に生まれ育ちし者なるに

方向を知り得ざるほど殴るとはいかなる事ぞ

祭りの場所を取り締まる泰安州のお役人にもあらざるに

(興児)役人ではないが、銭舎と呼ばれているのだ。

(正末)金がないことはまことに情けない。

(旦)お爺さんや、何を争ってらっしゃる。向こうで休むことにしましょう。

(正末が唱う)

【梧葉児】

これはみな、先つ世の業の報いを

今の世で受くるなるべし

折れたお香を焚きたることもなかりしに[38]

頬の涙は拭ひきれず

胸の疼きは抑へきれず

子への(なさけ)は断ちきれず

(言う)ああ。

(唱う)

長寿児は

眼を閉ぢたればたちまちに夢に思へり

(賈仁が魂に扮して登場)わしは賈仁じゃ。本当の両親がやってきた。本日は父子をして団円せしめ、財産をそっくり返そう。(嘆き、言う)子供は自分の親とは知らず、親は自分の子だとは知らぬ。わしが話して知らせよう。ご老人、あちらはおんみのご子息です。

(正末が見る)長寿だ。

(小末が殴る)

(賈仁がふたたび登場)若者よ、あちらはお前の親父どのだぞ。

(小末が呼ぶ)お父さま。お父さま。

(正末が返事をする)ああ。ああ。ああ。

(小末)興児、この老いぼれを殴るのだ。

(興児)この乞食はまことに無礼でございます。

(正末)三たび父と呼んだので、三たび返事をしたまでじゃ。どうしてわしを殴るのだ。

(唱う)

【後庭花】

冬には暖かき部屋を開かんとせず

夏には無償の漿(のみもの)を施さんとせず

悪しき心は身中の病根にして

平らな心は海上の仙方[39]ぞかし

汝が父の安らぎを得ることなきはいふまでもなし

かならずや埋葬をする人もなく

涙をためて孝堂[40]の番をして

実父のためにいそがしく香を捧ぐる者はなからん

寄る辺なき我が身こそ悲しけれ

あの者は、くだくだと、神に誓ひを立てたれどすべて(そらごと)

【柳葉児】

人の姿をしたれども

不埒なる心に満ちたり

いづれ頭上に(かみ)が落つべし

神さまは目を開かれて、やすやすと逃がしたまはじ

神さまは禍を報いとなさり

かならずや家は破れて人は滅びん

(小末)夜が明けたぞ。興児、わしといっしょにお参りしよう。(香を捧げる)東岳さま、わが父の病の床に臥しているのを憐れと思われ、神のご加護をたまわって、近日中に本復させてくだされば、賈長寿は三年間お参りしようと思います。東岳さま、ご照覧あれ。

(正末が旦とともにくしゃみをする)くしゃん。

(小末)わが父に病や痛みのなきことを願うのみ。

(正末がふたたびくしゃみをする)くしゃん。

(小末)わが父に災厄なきを願うのみ。

(正末がふたたびくしゃみをする)くしゃん。

(旦)お爺さんや、はやくお参りをいたしましょう。

(正末が拝礼をする)東岳さま、わが長寿児が病になりませぬように。

(小末がくしゃみをする)くしゃん。

(正末)長寿児に禍がございませぬよう。

(小末がふたたびくしゃみをする)くしゃん。

(正末)長寿児にはやく会うことができますように。

(小末がふたたびくしゃみをする)くしゃん。

(興児が登場)くしゃん、くしゃん。

(廟祝が登場)くしゃん、くしゃん。

(小末)興児よ、あの老いぼれを打て。

(興児)この乞食め、今すぐに向こうへゆくのだ。

(正末が哭く)わたしの長寿児。

(唱う)

【高過浪来里煞】

実の子に会へさへすれば、かばかりに悲しみはせじ

この方は、養ふ者の居らぬ我らを明らかに苛められたり

(哭く)わたしの長寿児。

(唱う)

わしらの長寿は今ごろはあの方と同じくらいの青年だろうな

(言う)婆さんや。

(唱う)

苦しみに耐へし糟糠のわが妻よ

子を売りしとき、おんみはわしを引きとどむべきなりしなり

わしら二人は

子を育て、老後に備へ

木を植ゑ、蔭を作るを得ざりき

不孝な息子は

人と成るとも父母(ちちはは)に気付かざるべし

神さまはいづれ怒られ

かならずや三綱五常を整へて[41]

五六月の雷がごろごろと空に響かん

(旦とともに退場)

(小末)興児、お参りは終わったから、わしと一緒に家に帰ろう。(ともに退場)

 

第四折

(店員が登場。詩)

お客はなきにあらねども

いかんせん酒の酸く、酢にも似たるを

このたびまたも酢の香りせば

看板を下ろして豆腐を作るにしかず

わたしは店員。店を開け、看板を出し、客が来るのを待つとしよう。

(正末が旦とともに登場)婆さんや、お参りも終わったから、家に帰ろう。

(旦)お爺さんや、さあまいりましょう。

(正末)

【越調闘鵪鶉】

五岳の神をお祀りするは
東岳さまが慈悲深き方なればこそ

四海(よものうみ)神州を総べ

千年の祭祀を受けて

百二の山と河[42]とを守り

七十四司を掌りたり

お香と紙銭をお供へし

醮紙[43]を焼けり

善行を積む者は長生きし

悪行を成す者はたちまちに死す

【紫花児序】

かの顔回は命短く

かの盗跖は長生きし

かの伯道[44]は子を失へり

人はみな神々の霊験はあらたかにして

私心なく正直なりと申したり

今、東岱岳の神祠には速報司[45]をばあらたに加へり

いづれにしても禍は故もなく至ることなきものなれば

悪しき事をば行はず

善きことに従ふべきなり

(旦が悲しむ。正末)婆さんや、何をしているのだ。

(旦)お爺さんや、急に胸が痛くなりましたので、お酒を貰ってきてください。

(正末)胸が痛くなったのなら、酒屋に酒を一杯貰いにゆくとしよう。店員さん、女房が胸の痛みを訴えました。お酒があったら、お恵み下され。

(店員)ご老人、奥さんが胸の痛みを訴えたのですね。向かいの家には胸の痛みの薬があって、人々に施していますから、一服貰いにおゆきなさい。

(正末)本当ですか。向かいの家で、胸の痛みの薬を貰ってまいりましょう。(旦とともに退場)

(店員)朝っぱらから、儲けはないのに、老人たちが酒を恵んでくれと言い、わしの指図で向かいの家へ薬を恵んでもらいにいった。胸がひどく痛かろうと、このわしと関わりはない。このわしは店の仕度をするまでさ。(退場)

(陳徳甫が登場)陳徳甫じゃ。日月の過ぎるのはまことに速い。賈老員外が子を買ってから、はや二十年。老員外は一生けちで通したが、今はもう亡くなった。あの子は生い立ち、父親がいたときよりも財を増やした。父親は生きていたとき、銭舎と呼ばれた。今では子供は義を重んじて財を疎んじ、老員外とは大違い、人はみな小員外と叫びなしている。わしは今まで員外さまの家で帳簿をつけておったが、ここ数年で耄碌したので、教師をやめて、ささやかな薬屋を開業し、胸の痛みの薬を施し、貧民たちを救うておるのだ。病が癒えた人々が代金をくれたときには、拒むことなく、薬の元手にしておるのだ。本日は店にぼんやり座っているが、誰が来るやら。

(正末が旦とともに登場。見える)先生憐れと思うてくださいまし。女房が胸の痛みを訴えました。先生がよいお薬を施してらっしゃることを聞きましたので、どうか一服下さいますよう。(揖をする)

(陳徳甫)挨拶は抜きにしましょう。ございますとも。奥さんに飲ませれば、あっという間によくなりましょう。わたくしの名を宣伝なさりさえすればそれで結構。わたしは陳徳甫ともうします。

(正末)どうもありがとうございます。先生は陳徳甫さんと仰るのですね。陳徳甫か。婆さんや、陳徳甫という名は存じておるな。

(旦)お爺さんや、子を売ったとき、保証人となられたお方が陳徳甫さまではございませんでしたか。

(正末)本当だ。見にいってみよう。(見る)陳徳甫先生、あなたもこんなに老けられて。

(陳徳甫)この老人は知り合いである振りをしている。

(正末が唱う)

【小桃紅】

白髪頭に鬢の毛は糸のごと

(陳徳甫)いつの話をなさっているので。

(正末)二十年前のことでございます。

(陳徳甫)ご老人、どちらの方です。ご姓とお名は。

(正末)姓名と出身地をお尋ねですな。

(陳徳甫)何ゆえにわたくしをご存知なのです。

(正末)話せば悲しゅうございます。諺にこう申します。「鐘を聞き、始めて山に寺あるを知る」と。以前こちらで子を売りました。

(陳徳甫)子を売った周秀才さまではございますまいか。

(正末が唱う)わたくしは恩人の名前をいつも覚えております。

(陳徳甫)二貫を差し上げましたのを今でも覚えてらっしゃいますか。

(正末)急場を救っていただいたのを忘れたりいたしましょうや。

(陳徳甫)秀才どの、お喜びください、賈長寿は今では大人になりました。

(正末)賈員外は健在ですか。

(陳徳甫)亡くなりました。

(正末)死んでよかった。子供を殴ったあの女は生きていますか。

(陳徳甫)あの婆さんはもっと早くに死にました。

(正末)死んでよかった。

(唱う)

【鬼三台】

かの龐居士[46]

代々悪しき事をなし

貧しき民より搾り取りたくてたまらず

慈悲深き振りをして

半文の布施さへもせしことはなし

(言う)二貫で無理やり子を買った時、飯代をわしらに払わせようとした。(唱う)

百万の財産を持つも空しく

一人も後を継ぐものはなし

郭巨が子を埋め[47]

明達[48]が子を売りしことにもしかず。

(言う)陳先生、長寿児は元気でしょうか。

(陳徳甫)賈員外の財産はみな賈長寿が管理して、若さまと呼ばれています。

(正末)陳先生、どうか憐れと思し召せ。あの子と一目会えたなら、いかばかり良いことでございましょう。

(陳徳甫)会われたいなら、訪ねてゆきましょう。

(小末が登場)賈長寿だ。泰安山にお参りをして戻ったが、父上は亡くなっていた。葬儀も終わり、何事もなくなったから、陳徳甫おじさんに会いにゆこう。(出くわす)おじさん、会いにきましたよ。

(陳徳甫)若さま、お喜びくださいまし。

(小末)何がおめでたいのでしょう。

(陳徳甫)本当のことをお話ししましょう。若さまは、本当は、賈老員外さまのお子ではございません。お父さまは周秀才で、たまたま員外さまのお屋敷を通られたとき、わたくしが証人となり、員外さまにお子としてお売りしたのでございます。今や大人になられましたが、ご両親がこちらに来られて、お会いしようとしてらっしゃいます。わたくしがお話しするのは何ゆえでしょう。二十年来、隠してまいりましたので、話せば心は悲しくなります。本当のご両親がひどく飢え、凍えていても、まるで他人と同じであるのは悲しいことでございます。(見える)二人はあなたのご両親です。拝礼なさい。

(小末が見る)彼らがわたしの両親ですか。やめてください。わたしが泰安神州で、打ったのはあなたではございませんか。

(正末)婆さんや、わしらを泰安神州で打ったのは、奴ではないか。

(旦)覚えております。あいつは銭舎と呼ばれていました。

(正末)

【調笑令】

わしはこ奴と

つかみ合ひ、役所にゆかんとしたるなり

まことの父を殴るとはいかなる存念

金を恃んでわしらをこけにしくさつて

(小末)本当に知らなかったのです。

(正末)黙れ。今日になり、

(唱う)

家族の一つになるを知りたり

父と子の相会ふことは易からず

(言う)婆さんや、

(唱う)

こ奴は不孝な息子にすぎまい

(陳徳甫)いったいどういうことなのです。お怒りをお静め下さい。

(正末)わしは告訴をしにゆくぞ。

(陳徳甫)若さま、これはどうしたことでしょう。

(小末)おじさんはご存知ございますまいが、わたしは泰安神州であの人を殴ったのです。あの人はわたくしを告訴しようとしていますから、物を与えて、買収しましょう。

(陳徳甫)何を与えるのでしょうか。

(小末が指差す)一箱の金銀を与え、告訴させないことにしましょう。

(陳徳甫)どうすれば告訴されずにすみましょう。

(小末)告訴をせねば、一箱の金銀をみな与えよう。告訴をすれば、金銀を役所への賄賂にしよう。そうすれば負けはしまいぞ。

(陳徳甫)若さま、安心なさいまし。わたくしが話をしましょう。

(正末に会う)ご老人、一箱の金銀をご覧ください。あの若さまは告訴せぬようお願いをなさっています。

(正末)どのように告訴をさせぬつもりなのだ。

(陳徳甫)告訴されねば、この金銀を差し上げましょう。告訴なされば、金銀を役所への賄賂にしましょう。そうすれば何事も起こりませぬ。どちらかをお選びください。

(正末)婆さんや、息子が泰安神州で殴ったときは、わしらと気付かなかったのだ。

(旦)金の亡者の老いぼれめ。

(正末)錠前を鍵で開け、銀子をわしに見せてくれ。(びっくりする)この銀子には周奉記と書いてあるぞ。周奉記ということは、もともと我が家のものではないか。

(陳徳甫)どうしてお宅のものなのでしょう。

(正末)わたくしの祖父が周奉記というのです。(唱う)

【幺篇】

たちまちにこの字を見たり

この字は我らが証人ぞ

思ふに先祖が子や孫に使はせるため

今日まで残ししものならん

さなくば祖父の名を記したるはずがなし

(言う)賈員外さま、賈員外さま、

(唱う)

二十年間ねんごろに鍵を守りて

わたしの先祖の財産を保たれたりしや

(店員が登場)若さまの本当のご両親が見つかったとさ。見にゆこう。(見る)ご老人、お婆さんが胸の痛みを訴えてらっしゃいましたが、よくなりましたか。

(正末)店員さん、どうもありがとう、よくなりましたぞ。二十年前、あなたの店で、三杯のお酒を飲ませていただきましたな。

(店員)記憶にはございませぬ。昔のことはすっかり忘れてしまいました。

(正末)息子よ、わしの言うことを聞け。陳徳甫さまは二十年前お前のために二貫を払ってくださったのだ。二つの銀子でお礼しようぞ。

(陳徳甫)二貫だけでしたのに、銀子二個など滅相もございませぬ。賈老員外は一生お金を大切になさいましたが、かような利息は取られたことはございません。老いぼれのわたくしにはもったいないこと。

(正末が唱う)

【天浄紗】

陳先生が恩徳を施さざりせば

わたくしは雪の中にて屍を留めたりけん

二貫のお金は「(これ)を念ふは(ここ)に在り」[49]

ご恩に報い得ぬことをつねづね恐れたりければ

遠慮はご無用

(陳徳甫)どうもありがとうございます。老員外さま。

(正末)酒売りの店員さん、その昔、三杯の酒を飲みましたから、一つの銀子をお返ししましょう。

(店員)それもとんでもないことにございます。

【禿厮児】

元手少なき酒屋では

たいして施し得ぬものを

旅路に飢ゑ凍えしことを憐れと思しめされたり

今はこの銀一個もて

三杯の酒に報いて

志をぞ表はさん

(店員)それならば、お受けしましょう。どうもありがとうございます。老員外さま。

(正末)息子よ、余った銀子は、みな身寄りのない貧民に分け与えよう。なぜと申すに、二十年来、金持ちをずいぶんと罵ってきたからな。(唱う)

【聖薬王】

何ゆゑに罵りたりしや

貧しきものは結局は貧しきものぞ

富めるはかりのことにして貧しきもかりのこととは誰か知るべき

この財産はもともとはわが財産

相対すれば心はうきうき

(小末)お父さま、仰るとおりにいたしましょう。

(旦)一緒に泰安神州にお参りにゆきましょう。

(正末が唱う)

【収尾】

げにや貧富はまはりもの

(笑う)

(陳徳甫)老員外どの、何を笑ってらっしゃるのです。

(正末)ほかでもござらぬ、

(唱う)

賈員外は一文も使ふことなく

数文を口に含みて背に敷きしのみ[50]

喪に服する子をあやふく失はんとせり

(霊派侯が登場)周栄祖よ、分かったか。この二十年(はたとせ)を、なんじはすべて見たであろう。

(正末が人々とともに拝伏する)いずかたの神さまのご来臨にございましょう。わたしは存じ上げませぬので、お話し下さい。

(霊派侯)霊派侯じゃ。みな跪き、命令を聞くがよい。

(詞)

この世に生まれば

天と地を欺くべからず

貧と富はあらかじめ定められ、易へ得ざるものなるに

愚者はむなしく心を労せり

周秀才は子を売りて苦しみを受け

賈員外は吝嗇にして財貨をば貪りたりき

陳徳甫がつぶさに説くことなからましかば

周奉記父子はなどてかまた会ふを得ん

(ともに退場)

 

最終更新日:20101114

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[1]汴梁は河南省開封のこと。曹州は山東省の州名。本籍は開封で、住所は曹州ということ。

[2]皇帝の布告をいう。

[3]東岳大帝を祭る廟をいうのであろう。

[4]原文「循環周而復始」。『史記』高祖本紀賛「三王之道若循環周而復始」。

[5]「貧乏な賈」の意。

[6]地獄を流れる血の川。唐張読『宣室志』巻四「(董観)行十余里、至一水、広不数尺、流自西南。観問習、周曰、此俗所謂奈河、其源出於地府。観即視、其水皆血、而腥穢不可近」。

[7]恥骨。

[8]当時の諺。努力をする者は報いられず、努力をしない者がいい思いをするという趣旨。

[9]韓愈。『左遷至藍関示侄孫湘』に「雲横秦嶺家何在、雪擁藍関馬不前」の句がある。

[10]孟浩然が雪の日に驢馬に乗って外出したという話は典故未詳。『董西廂』巻一〔般渉調・耍孩児〕に「浩然何処凍騎驢」の句あり。

[11]子猶は晋の王徽之のこと。大雪を冒して剡渓に戴逵を訪ねたという話が、『世説新語』任誕に見える。

[12]安酒。『事物紺珠』「薄酒、世謂之茅柴」。

[13] 「慳」はしみったれのこと。

[14] 『論語』顔淵。

[15]鐶は耳輪。釵は二股のかんざし。

[16] 東閤に同じ。東閤は東向きの門。賢者を持て成す場所とされる。 『漢書』公孫弘伝「弘自見為挙首、起徒歩、数年至宰相封侯、開東閤以延賢人」。

[17]後漢の孔融は、北海国の相であり、客をもてなすことを好み、樽が空でないことを自らの愁えとしたという話が『蒙求』下・孔融坐満に見える。

[18]范仲淹の次子、范純仁のこと。麦を与えた云々という話の典故は未詳。

[19]唐の龐蘊のこと。彼は融資を好んでいたが、ある日、家で使っている牛馬が夢に現れ、前世で龐蘊に借金があったため現世では牛馬に生まれ変わったと告げた。龐蘊は財産を海に棄て来世では貸金を取り立てないといった。この話は『輟耕録』龐居士に見える。また、元曲に、『龐居士誤放来世債』がある。

[20]戦国時代、斉の人。軍師として名高い。

[21]幾重にも重なった砦のことだが、孫臏との関係は未詳。

[22]生まれた年月日時を、干支で表わしたもの。

[23] 破傷風。

[24]大金持ちの意。州の大半の財産を持っている人という趣旨。

[25] お金持ちの坊ちゃんの意。舎は舎人のこと。金持ちの子弟に対する呼称。

[26]泰山のこと。

[27]原文「我推買那鴨子」。「推買」が未詳。

[28] このせりふ、位置がおかしい。本来「十銭のものしか買えませぬ」の後にくるべきものであろう。伝写の過程での誤りと思われる。

[29]原文「我這病覷天遠、入地近」。まもなく死ぬことをいうときの元曲の常套句。言いたいことは、後半部の「入地近」。前半分の「覷天遠」は「入地近」を導くための枕であろう。

[30]廟の管理者。

[31]薄暗いさま。

[32]州城、県鎮ともに都市の意。

[33]店道、村坊ともに村里の意。

[34]仙宮。

[35]交椅とも。床几のこと。

[36]彫刻の施された梁に彩色の施された棟。

[37]錦や羅の帳。

[38]原文「莫不是曾焼着甚麼断頭香」。「断頭香」は折れた線香のこと。これを焚くのは忌むべきこととされた。

[39]東海の仙人の作った処方。仙薬。

[40]死体を置く部屋。

[41]原文「要整頓着綱常」。子が親に孝行をするように、調整をするということであろう。

[42]堅固な山河をいう。「百二」は二をもって百に当たるということ。『史記』高祖本紀「秦、形勝之國、帶河山之險、縣隔千里、持戟百萬、秦得百二焉」。

[43]醮は神を祭ること。紙は紙銭のことであろう。神祀りのための紙銭

[44]晋のケ攸の字。ケ攸は、乱賊に遭ったとき、実子を棄て、甥を守ったことで有名。『晋書』ケ攸伝参照。

[45]東岳大帝のもとで善悪の報いを掌るとされる機関。

[46]龐居士に関しては、第二折の注を参照。ここでは「金持ち」というくらいの意味で使っていよう。

[47]後漢の人。家が貧しく、母親が、郭巨の子に食物を分け与えているのを見て、子供を埋めて殺そうとしたところ、黄金を掘り当てたという話が、『孝子伝』に見える。

[48]未詳。王実甫の戯曲に『孝父母明達売子』(佚)がある。

[49] 『書経』大禹謨に見られる言葉。「人を思うのはその人に功績があるからだ」の意に解されている。ここでは、「あなたのご恩を忘れてはおりません」の意味で使っていよう。

[50]原文「単為這口銜墊背幾文銭」。「口銜」は死者の口に含ませる銅銭、「墊背」は棺に敷く銅銭。

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