杜蕊娘智賞金綫池
関漢卿
楔子
(外が石府尹に扮して張千を連れて登場、詩)年若くして名を知られ、礼闈[1]に合格、白頭となるもなほ朝衣を解かず。年来、しばしば陳情すれど、いかんせん聖上はわたしを帰らしめたまふことぞなき。
老いぼれは、姓は石、名は敏、字は好問といい、幼年にして進士に及第、朝廷にあること数年、いくたびも抜擢を蒙って、ありがたい聖恩により、済南府尹の官職を授かった。わたしには同窓の旧友があり、姓は韓、名は輔臣という。今、弟は功名を得にいっただろうか、それともひたすら四方に遊学しているだろうか。今に至るも音信は杳としてなく、老いぼれはたえず心配している。本日は何事もなく、私宅にて閑坐している。張千、入り口で、見張りして、客人が来たときは、わたしに報せよ。
(張千)かしこまりました。
(末が韓輔臣に扮して登場、詩)天涯に流落し、また幾春ぞ、辛苦せる客中の身は憐れむべきなり。怪しめり喜鵲の行く手に噪ぐを[2]。済上[3]に、今、友のあるなり。
わたしは姓は韓、名は輔臣、洛陽の人。幼くして経史を習い、すこぶる詩書を読み、満腹の文章を学んだが、いかんせん功名を遂げてはおらぬ。このたびは、上京、受験しようとし、済南府を通りかかった。わたしには、結義した兄じゃの石好問があり、こちらで知事をしているから、ひとまず兄じゃに会いにゆき、そのあとで、長の旅路につくとしよう。話していると、はやくも府庁の入り口に到着だ。左右のものよ、取り次いでくれ。友人の韓輔臣がわざわざ訪ねてまいりましたと。
(張千が報せる)知事さまに申し上げます。韓輔臣さまが入り口にいらっしゃいます。
(府尹)老いぼれが話すや否や、弟がはやくも来たわい。はやく通せ。
(張千)どうぞ。(見える)
(韓輔臣)兄じゃ、数年間、お会いせず、ご機嫌伺いしませんでした。上座に着かれ、わたくしの両拝をお受けください。(拝する)
(府尹)京師で別れ、幾たびか寒暑を経たが、はからずも、今日、訪問を受け、ことのほかわたしの心は慰められた。賢弟、掛けよ。張千、酒をもて。
(張千)お酒はこちらにございます。(お酌する)
(府尹)弟よ、一杯干せ。(返杯する)
(韓輔臣)兄じゃも一杯どうぞ。
(府尹)宴には楽がなければ、楽しくないわい。張千。上庁行首の杜蕊娘を呼んできて、弟に侍らせて、幾杯か酒を飲ませろ。
(張千)かしこまりました。この門を出てきたら、杜蕊娘の家の入り口。杜ねえさんは居られますか。
(正旦が杜蕊娘に扮して登場)誰かが門で呼んでいる。この門を開けてみよう、(見る)
(張千)府庁で官妓を呼んでおります。
(正旦)官衫が必要でしょうか。
(張千)ささやかな酒宴ですから、官衫はいりません。(行く)
(張千)おねえさん、こちらに立っていてください。取り次ぎましょう。(報せる)
(府尹)通せ。
(正旦が見える)知事さま、わらわを呼ばれましたのは、いかなるご用にございましょう。(府尹)そなたを呼んだはほかでもない。こちらの白衣の卿相は、わが同窓の旧友だから、礼儀正しく相見えるのだ。
(正旦が拝する)
(韓輔臣があわてて礼を返す)嫂嫂、立たれませ。
(府尹)弟よ、これは上庁行首杜蕊娘だ。
(韓輔臣)兄じゃ。嫂嫂かと思いました。(背を向ける)すばらしい美人だ。
(正旦)すばらしい秀才だ。
(府尹)酒をもて。蕊娘、お酌せよ。
(正旦が韓につづけて三杯斟ぐ)
(府尹)待て、待て。弟よ、わたしも一杯飲むとしよう。
(韓輔臣)ああ。兄じゃにお斟ぎするのを忘れてしまいました。
(正旦が府尹に酒を斟ぎ、飲ませる)
(正旦)秀才さまのご姓とお名は。
(韓輔臣)わたしは洛陽の人、姓は韓、名は輔臣ともうします。娘さんはどちらのお方で。ご姓とお名は。
(正旦)わらわは姓は杜、字は蕊娘ともうします。
(韓輔臣)お顔を見るのはお名を聞くのに勝ります。
(正旦)やはり才子だ。顔が良くないはずがない[4]。
(府尹)蕊娘、そなたは秀才どのに珠玉の詩文を作っていただけ。
(韓輔臣)弟は兄じゃの前で、筆を執ろうとは思いませぬ。「班門に斧を弄ぶ」[5]とはまさにこのこと、いたずらに笑われるのみでしょう。
(府尹)弟よ、謙遜するな。
(韓輔臣)それならば、わたくしは醜態を晒しましょう。(書く)書き上げました。蕊娘さん、ご覧なさい。
(正旦が念じる)詞は『南郷子』に寄せる。
(詞)「裊娜また軽盈、みな翠屏に描くべし。語は鶯、声は燕のごとくして、丹青も、などかは燕語鶯声を画くべき。心に掛からぬことのあらめや。語らんとしたれども、なほも羞づるは相も変はらず[6]。楚城[7]の歌舞の地を占めて、娉婷は、天上人間第一名なり」まことにすぐれた才能にございます。
(韓輔臣)今回、旅をしておりますのは、もともとは上京、受験するためですが、兄じゃとひさしく隔たっていたために、寄り道し、お訪ねしたのでございます。さいわいに尊顔を拝見し、さらに嘉宴を賜わりました。いかんせん、試験の期日は近づいて、長逗留はできませぬ。酒宴が果てたら、お別れいたすべきでしょう。
(府尹)賢弟、とりあえず、行かないで、三日か五日留まって、老いぼれがおんみに旅路の鞍馬の費用を援助するのを待ったとて、遅くはあるまい。張千、後花園を掃除し、秀才どのに書斎に泊まっていただこう。
(韓輔臣)花園は物寂しいので、良くないのではございませぬか。
(府尹)それならば、蕊娘の家に泊まられてはいかがか。
(韓輔臣)鞭と鐙に隨いましょう[8]。
(府尹)おやおや、すぐに承知したわい。蕊娘よ、こちらはわたしの親友だ。そなたに二錠の銀子をやるから、持ってゆき、お母さんのお茶代にして、秀才どのを粗略にさせるな。
(正旦)知事さまに大いに感謝いたしましょう。
(韓輔臣)わたくしは兄じゃに感謝いたします。おねえさん、お家へ行って、お母さんにご挨拶いたしましょう。
(正旦)秀才さま、わたしの母は、ひどくお金を愛しております。
(韓輔臣)おねえさん、構いませぬ。たくさんのお金を上げれば良いでしょう。
(正旦が唱う)
【仙呂】【端正好】鄭六[9]は妖狐に遇ひて、崔韜[10]は雌虎に逢ひたり。大曲はことごとく寒儒のことを述ぶるなり[11]。古今のことに通暁したる家の女は、おしなべて秀才たちと夫婦となるを願ふらん。
【幺篇】しからずば、一片の俏しき心はなどか命令するに得堪ふべき。かの蘇小卿[12]は賢愚を弁ぜず、たとふれば、われは五十年双通叔に会ふことはなく、蘇媽媽[13]はもちろん、酔驢驢[14]でもなし。わたしはかれの実の女。買はれたる婢にあらざれば、たとひ拷たれて皮肉が爛れ、煉かれて骨の髓が枯るとも、かの茶を売れる馮魁[15]に従ひゆくをがへんぜず。(韓とともに退場)
(府尹)おやおやわたしの弟は、秀才心性で、酒が入ったものだから、別れも告げず、そのまま杜蕊娘を連れていってしまった。ひとまず三日か五日待ち、人を遣わし、弟を尋ねてゆかせることにしよう。古語に「楽しみは、新たに相知ることよりも楽しきはなし」と申すが、本当にその通りだわい。
(詩)華省[16]にて芳筵の終はるを待たず、紅袖をいそぎ携へ、行くこと匆匆。旧友の情は密なりとはいへど、新歓[17]の興の多きにいかで勝らん。(退場)
第一折
(搽旦が卜児に扮して登場、詩)絲麻を紡がず、田を種ゑず、一生の衣食は天に頼るなり。人はみなわが家は皮解庫[18]なりと言へども、これもまた人間でお金をぞ稼ぎたるなる。
老いぼれは済南府の人。わたしは姓は李、夫は姓は杜。生んだのは一人の娘、上庁行首の杜蕊娘。近頃は、石府尹さまが送ってこられた、韓輔臣という秀才がおり、わたしの娘と付き合っている。わたしの娘は、一心にあのものに嫁ごうとして、あのものもわたしの娘を娶ろうとしたが、わたしは承知することはなく、あのものを追い出したのだ。どうして今、わたしの娘が見えないのだろう。あのものをまた追っていったのだろうか。呼んでみよう。蕊娘、どこにいるのだえ。
(正旦が梅香を連れて登場、古門に向かって言う)韓秀才さま、部屋に隠れて、腰掛けて、出てこられないでください、わたしは虔婆と言い争いにゆきましょう。
(韓輔臣が応える)分かりました。
(正旦)韓輔臣さまと付き合ってから、はやくも半年。わたくしは、一心に、あのかたに嫁ごうとして、あのかたは、一心に、わたくしを娶ろうとなされたが、母は邪魔をし、結婚を許そうとせぬ。わたしが思うに、百二十の生業は、みな衣を着、飯を食べるのに良いのだが、われわれの商売は、誰が作ったものなのか、ひどく賤しい。(唱う)
【仙呂】【点絳唇】われらが不義の商売は、買売や経営をすることはなく[19]、資本なく、まつたく五つの文字に頼りて、金銀を稼ぎたるなり。
(言う)いかなる五文字かといえば、
(唱う)「悪、劣、乖、毒、狠」[20]にぞ過ぎざる。
【混江龍】銭なきものが睦まんとせば、驢が角を生じ、甕が根を生ずるよりほかなかるべし。佛は四百八門の衣飯[21]を留めたまひしが、われわれは七十二位の凶神を占む[22]。やうやく脚を停むれば謝館[23]はあらたに客を迎へて、振り向けば霸陵に誰かはそのかみの将軍を識るべけん[24]。わがもとに来るものはみな爺娘に災ひし、妻を凍えしめ、子を餓ゑしめ、屋を失ひ、田を売り、瓦罐、爻槌[25]を提ぐる運なり。慈愛を旨とすることはなく、板障をもたらすことを旨と為すのみ[26]。
(言う)梅香。奶奶はどうしているかえ。
(梅香)看経をしていらっしゃいます。
(正旦)わが母は口を用いて罪作り。おんみのような心では、いかほどのお経を読んでも懺悔しきれぬことでしょう。むざむざ深い罪業を積まれたものです。(唱う)
【油葫蘆】炕の頭で焼埋を司る顕道神[27]、何事もないのに怒り、檾麻の頭[28]、斜な皮臉をした老魔君。持ちたる数珠は、遊客を脅かす降魔の印[29]、回せる柱杖は、鸂鶒を打つ無情の棍。茶屋に居る一群の因業な老人たちは、酒席にて多くのつまらぬことを言ひ、しきりに邪魔し、昵懇となさしめず、三夜にてはやくも門より追ひ出す。
(梅香)ねえさん、それは間違っています。われら娼家は、遊客を迎え、銭龍[30]が門に入るのを待ち望み、あれこれとご機嫌を取り、そのものを引きとめられぬことを常々恐れております。なにゆえにわずか三日で、そのものを追い出すことがございましょう。このような道理は決してございませぬ。
(正旦)梅香、そなたは知らないのです。(唱う)
【天下楽】かれ[31]は夜夜人を留めて、夜夜新たなる客を求めて、殷勤にして、恩愛を顧みず[32]。従はずんば娘は不孝なりと言ふ。本日は、人の頭を摔ちて、熱き血を含みつつ噴き、わが心上人を選ぶなり[33]。
(見える、正旦)母上、どのような食事を召されているのでしょうか。
(卜児)竈で幾つか灯盞[34]を焼いたのだ。ご飯など食べていないよ。
(正旦が唱う)
【酔扶帰】いくたびも、年老いし母上に苦言を呈し、しばしば親しき人に頼まん[35]。「一片の花は飛び、春は逝きたり」[36]、われは今、老いざるも嫩にはあらず、年若ければ見栄えはよきも、年老いば問ふ人はなかるべし。
(言う)母上。わたしを嫁がせてくださいまし。わたしは年をとりましたから。
(卜児)丫頭め、毛抜きを持ってきて、鬢の白髪を抜きとって、さらにおまえにお金を稼がせるとしよう。
(正旦)母上、ひたすらわたしに意地悪するのはどうしてですか。
(卜児)年寄りのわたしは今では、性が穏やかになったが、おまえがあばずれるのならば、筋まで敲ききるだろう。
(正旦が唱う)
【金盞児】おんみは、性は善しと言はれど、われは、おんみの意は悪しと言ひつべし。人情と交際を話題にするに、鈍なるさまを装へり[37]。
(言う)客旅の輩が、いささかの刷牙と掠頭を棄て、奶奶に、家に行く路銀を求めば[38]、
(唱う)おんみはたちまち耳は閉ぢ、眼は昏くなるべくも、前門に金持の客、後門に大尽の客あらば、泪眼を揉み開けて、老いし精神を奮ひ起こせり。
(言う)母上。わたしを嫁がせてくださいまし。
(卜児)わたしが嫁ぐのを許さなければ、誰も嫁ごうとはしないのに、おまえのように不孝な娘がいるとはね。
(正旦が唱う)
【酔中天】このわれが不孝なるにはあらずして、おんみに思ひやりのなきなり。このわれを淡抹、濃妝にて市門[39]に倚らしめ、金銀を貯へしめり。
(卜児が怒る)この小賤人、今年ようやく二十歳を過ぎたばかりなのに、わたしのためにお金を稼がず、だれにお金を稼がせるのだえ。
(正旦が唱う)われは二旬を過ぎしばかりとおんみは言へど、いつの日か粉は消え、香は褪すべき。風塵に老いて死ぬとはこのことぞかし。
(言う)母上。わたしを嫁がせてください。
(卜児)小賤人、おまえはだれに嫁ごうとしているのだえ。
(正旦が唱う)
【寄生草】鳴珂巷[40]に別れを告げて、かの韓輔臣に嫁がんとせり。この紙の湯瓶[41]はふたたび紅炉[42]に向かひて置かず、鉄の煎盤はふたたび清油に混はらしめず、銅の磨笴はまた頑石を運ぶことなし[43]。
(卜児)貧乏な秀才の韓輔臣に嫁ごうとするのなら、わたしはおまえを許さないよ。
(正旦が唱う)なにゆゑぞ、われの良き姻縁を、むざむざと折りて断頭香となす[44]。溌烟花の、迷魂陣[45]にふたたび入るとな思ひそね。
(卜児)あの韓輔臣にどのような取り柄があって、嫁ごうとするのだえ。
(正旦が唱う)
【賺煞】落籍を十度願へど、つねに九度は承知せず。これもまた、わたしの八字は結婚を主る人のなきなり[46]。むなしく望むは、かのひとの七歩の才華[47]の遠近に聞こえわたりて、六親に喜ばざるなく、家門を改めて、五花誥の夫人となりて[48]、駟馬、高車、錦繍の裀あり、このわれに三生の福分ありて、まさに二人で良き運を歩めりと言はれんことぞ。
(卜児)良い運か。良い運か。卑田院に押しかけることだろうよ[49]。おまえは、千年たっても出世できない韓輔臣に嫁ごうとしているが、蓮花落を唱うことになるだろう。
(正旦が唱う)かのひとは教へんとすることはなかるべし。「一年の春は尽き、また一年の春」[50]。(退場)
(卜児)わたしの娘はものを思うたび、韓秀才に嫁ごうとしてばかりいる。わたしはどのみち娘を嫁にゆかせない。わたしが思うに、韓秀才は気位が高い人だから、つまらぬことを言われれば、かならずや腹を立て、出てゆくだろう。わたしはふたたび娘の前であのものをからかって、かれら二人を不和にさせ、腹を立てさせ、ほかに金持ちのぼんぼんを迎えれば、はじめてわたしの願いが叶うことだろう。まさに、「小娘が愛するものは俏、老鴇が愛するものは鈔」。あれの心上人に冷たくすれば、はじめてわが家に銭龍が入ってくるだろう。(退場)
第二折
(韓輔臣が登場、詩)一生花柳の巷に在りて、さいはひに縁は多く、おのづと嫦娥[51]の少年を愛することあり。身のたけに等しき黄金を貯へて、かならずや麗春園[52]を買ひしめん。
わたしは韓輔臣、もともとは功名を得ようとし、済南府を通り掛かった。おりしも兄じゃの石好問はこちらで知事をしていられ、わたしを杜蕊娘の家に送って泊まらせた。半年以上留まって、二人の心は投合し、わたしがかれを娶ろうとしているばかりか、さいわいに、かれもわたしに嫁ごうと思っているのだ。いかんせん、虔婆はあれやこれやと邪魔をした。わたしは思った。虔婆はわが嚢中のお金が尽きて、石府尹が勤務評定を受けるため、上京するのを目にすると、きっと復任しないだろうと考えて、ますますわたしを虐げて、物言うたびに、ひたすらわたしを追い出してゆこうとしているのであろう。わたしは天を頂いて、地に立つ男子漢。辱しめに耐えられようか。かれの家を出、気がつけば、もう二十数日になる。なにゆえ去らず、今もなお、済南府に留まっているのだと思われる。兄じゃが復任されるのを待ち、杜蕊娘を告げようとしているのではない。杜蕊娘は真心をもってわたしに接した。つねにあの虔婆と喧嘩して、命懸けになっていたのは、すべてわたしのためなのだ。わたしが気高いのはもちろんだが、蕊娘はわたしよりさらに気高い。かれはわたしが今日門を出るときに、悻悻然として、一言もかれと話さなかったので、きっとわたしを咎めていよう。咎められても仕方がない。もともとわたしが悪いのだから。そのために、わたしは考え事をして、寝返りを打ち、すぐにこちらを離れようとはしないのだ。さらにみずから蕊娘に会い、事情をはっきりさせねばならない。蕊娘も虔婆の料簡で、わたしに嫁ぐ心がないなら、わたしがこちらに居ても望みがないということだから、はやく上京、受験して、みずからの功名を求めにゆくにしくはあるまい。蕊娘がすすんでわたしに嫁ごうとして、すこしもわたしを咎めていないのであれば、たといあの虔婆に苛められ尽くそうと、裏切るに忍びない。今日は虔婆とその年老いた姉妹たちが茶房でお茶を飲んでいるとのことだから、羞じいる顔を懐に押し込めて、また蕊娘の家に行こう。
(詞)わたしはまさに読書人、雲をも凌ぐ豪気あり、この溌虔婆に遇はんともまつたく憚ることぞなき。天が石好問をして済南に復任せしめば、かならずやあいつ[53]を訴へ、流罪にせしめん。(退場)
(正旦が梅香を連れて登場)わたしは杜蕊娘。韓輔臣さまをすっかり気に入って、嫁ごうと思ったが、いかんせん、わが母は承知せず、たくさんのことを言い、あのかたを家から追い出してしまった。わたしはあのかたを怒らせることはすこしも言っていないのに、なぜ行ったきり二十数日、ふたたび会いにこられぬのだろう。わたしはどうして安心できよう。母上の話しによれば、あのかたは爛黄齏で、今はまた、わたしよりずっと勝れた粉頭に纏わりつかれているとのことだ。このことをわたしはまったく信じない。わたしが思うに、この済南府の教坊の人々は、すべてわたしが教えた娘だ。わたしより勝れたものはないだろう。あのかたがわが家を離れ、他の家の門を踏むなら、やがてわたしがこの街を歩くとき、どうして人と顔を合わせることができよう。(唱う)
【南呂】【一枝花】東洋の海は顔上の羞を洗ひ尽くさず、西華の山は身辺の醜を蔽ひ尽くさず、大力鬼[54]は眉上の鎖を開き得ず、巨霊神[55]は腹中の愁を断ち得ず。わたしは棄てられ国はあれども身を寄せ難く、南浦に別れを傷しむ時のごときなり[56]。殺才のおんみを愛して為すすべもなく、雨は歇み、雲は収まりたることを明らかに知りたれど、天の長く、地の久しきをなほも望めり[57]。
【梁州第七】かのひとは隔てられ、わが眼の前を離れたれども、忔憎はなほも心の中に在り[58]。門を出できて、歩みに任せ、閑歩せり。はるかに遠き岫を瞻て、近くには清流を俯して、行き行きて厮趁ひて、歩み歩みて相逐はんとす。かのひとは、いづこにて綢繆を続がれたるにや[59]。かのひとはいかにして冤仇を結ばれたるにや[60]。俏れたる哥哥がよそものと暮に雨、朝に雲となるならば、劣しき奶奶はよそものと閑茶浪酒を飲む分あり[61]。良きねえさんは、いづれの時にか舞榭と歌楼を離るるを得ん。わたくしは醜態を晒すにあらず。落籍はわが命の裏にかならずあるべし。命の裏にもしなくば、苦しみを受けたることは空しかるべし。ひたすらに、地を撲ち、天を掀し[62]、止むことなきは、なにゆゑぞ。
(梅香)ねえさん、悲しまれますな。韓輔臣さまはかならず家に来られます。
(正旦)梅香や、琵琶を持ってきておくれ。わたしは気晴らしするとしよう。
(梅香が小道具を取る)ねえさん、琵琶はこちらにございます。
(正旦が弾く)(韓輔臣が登場)こちらは杜ねえさんの家の入り口。わたしが去って半月になるが、なぜ門前の地を掃う人もなく、一面に青苔が生え、このように寂れているのか。
(正旦が聴く)あいつが来た。わたしは見ない振りをしよう。
(韓輔臣が入って見える)おねえさん、祗揖。
(正旦が弾き、唱う)
【牧羊関】かのひとに会はざれば旧を思ひ、二人の心はかへつていささか投じたるなり。かのひとに見えなば、撲ケケたる火の上に油を澆ぎ、鈎の魚の腮に引つかかり、箭の雁の口を穿つが似くなるべし。
(韓輔臣)旧の性を改めず、いまでも弾いて唱っていたのか。
(正旦が起拝する)
(唱う)なはわれが楽をふたたび奏づることを咎められ、なが錯雑たる觥籌を勧むるを許すのみとや[63]。なは杯中の物を空しくすることをがえんぜず、このわれは弦上の手をなおざりにすることをがえんぜず。
(韓輔臣)そのかみは、おんみの家の媽媽が追いたてるのに耐えられず、やむなく怒りを忍びつつ、おんみの家を出たのです。おねえさんに別れを告げなかったのは、申し訳ないことでした。
(正旦が唱う)
【罵玉郎】これこそは、母上のことさらに鴛鴦の偶を引き裂きたるなれ。わたしが悪しき機謀を設けたるにはあらざるに、なにゆゑわれをむざむざと他人の後に棄てられし。本日はおみ足のふたたびわが家に到るを労せず。
(韓輔臣)なにゆえかようなことを仰る。おんみはもともと嫁ぐのを約束されていられましたに。
(正旦が唱う)
【感皇恩】われはもともと賤しき娼優、などてかは俊れたる儒流のおんみに嫁ぐべき。
(韓輔臣)盟約が先にございましたのに。
(正旦が唱う)枕畔、花下の盟約を、虚謬とせん。
(韓輔臣)わたしがおんみの家を出て、わずか半月あまりですのに、なぜ虚謬と思われる。
(正旦が唱う)なれは別れは半月あまりのみならずやと言ひたれど、われは寂しく三秋に勝るを覚えり。
(韓輔臣が跪く)おねえさん、韓輔臣が間違っていました。わたしはおんみに跪き、罪を請うことにしましょう。
(正旦が相手にしない)跪かれることは望んでおりませぬ。
(唱う)おんみはますます、口甜く、膝軟らかく、情厚きことを示さん。
(韓輔臣)わたしはおんみと生きては衾を同じうし、死ねば墓穴を同じうしましょう。
(正旦が唱う)
【采花歌】そのむかし、衾裯に侍したることを、みな東流に付すとせん[64]。これこそ娼門水局の行き着く先なれ[65]。
(韓輔臣)おねえさん、とにかくわたしに嫁いでください。卓文君さえ壚のもとで酒を沽ることを願ったのです。
(正旦が唱う)みづから酒沽る肆を番せし、卓氏の女をふたたび語ることなかれ。おんみ双通叔により、玩江楼ははやくも掘りて倒されり[66]。
(韓輔臣が跪く)おねえさん、このようにわたしに怒ってらっしゃるのなら、幾たびか打ってください。
(正旦が唱う)
【三煞】おんみは無情なるなれば、わが爪がおんみの皮肉に触るると思ふことなかれ。むかしのごとく気性があらば、おんみを打ちて骨を見しめん。年が経ぬれば、事態をもとに戻すことこそ難からめ。かへつてはやく別れなば、ひとり苦しむことをしぞ免れん。
(韓輔臣)わたしに立てと仰らぬなら、明日までも、ひたすら跪きましょう。
(正旦が唱う)涎は昔のままなれど[67]、わたしはおんみと「鶯燕蜂蝶」四友と為る福分はなく[68]、弾に撃たれし斑鳩となるに甘んじん[69]。
【二煞】狎れあふ処はゆつたりと狎れあひて、密通をする処はゆつたりと密通すれば、一つの家にしつこく留まることを須ゐず。誓ひを立てて香を拈みしことにも構はず、到る処で妓女と寝ね、良心を瞞く謊と、良心を昧ます咒を語りたり。なが手はなどか傍の人の是非の口をば掩ふべき[70]。話し疲れば言ふをやむべし[71]。
【尾煞】わたくしに勝ること三板の人物も手を出だし得ず[72]。わたくしに勝ること十倍の名声は到る処にありといふ[73]。いささかの虚脾を掛け、いささかの機彀を使ひ、いささかの工夫を用ゐ、また妓女を追ひ求む。わがために、酒に淹りし春衫の袖をたかく捲りて、なが蟾に攀ぢ、桂を折れる指を伸ばされたまへかし[74]。請ふらくは、先生の別に一枝の章台路傍の柳をば挽かれんことを[75]。(退場)
(韓輔臣が嘆く)ああ、杜蕊娘はほんとうにわたしに知らん振りしている。虔婆がお金を求め、わたしを追い出したのだとばかり思っていたが、杜蕊娘の心も変わってしまっていたとは思わなかった。かれらにかように虐げられて、どうして耐えることができよう。幾日か、さらに停まり、兄じゃの消息を待つよりほかにないだろう。来ようと来まいと、さらに手を打つことにしよう。
(詩)紅粉[76]の初心を変ふるを怪しめり。虔婆がひどく逼るのみにはあらざりき。本日は床頭に壮士を見るも、顔色は黄金によるものなるをはじめて知れり[77]。(退場)
第三折
(石府尹が登場)老いぼれは石好問。三年の任期が満ちて上京すると、聖上はわたしは賢明清廉なので、済南に復任させると仰った。わが弟の韓輔臣は功名を得にいったのだろうか、それとも杜蕊娘の家に留まっているのだろうか。老いぼれはつねに心配している。人を遣わし、あのものの行迹を探らせたのだが、報告がない。張千、入り口で見張りせよ。韓秀才を探ったものが来たときは、わたしに報せよ。
(韓輔臣が登場)聞けば兄じゃは済南に復任したとか。わたしはこれを待っていたのだ[78]。こちらに着いたが、まさに済南府庁の入り口。張千、取り次げ。韓輔臣がわざわざお訪ねしにきましたと。
(張千が報せる)
(石府尹)通せ。(見える)
(韓輔臣)兄じゃが名のある土地に復任されたのをお祝いしましょう[79]。弟はながく旅して懐が乏しいために、兄じゃの旅路の労をねぎらう、一杯の酒も用意せず、ほんとうに恥かしゅうございます。
(石府尹が笑う)賢弟は万里に雄飛し、功名を得にいったのだと思っていたが、いまだに妓館に留まっていたとはな。その志が知れようというものだ。
(韓輔臣)このたび、わたしは人に虐げられたため、怒りで死なんばかりでした、功名のことを言われてどうなさいます。
(石府尹)賢弟、そなたはこちらで路銀が不足しているために、不愉快な思いをしているのであろう。だれがそなたを虐げたのだ。
(韓輔臣)兄じゃはご存じないのです。あの杜家の鴇母は、わたしを虐げたのはまだしも、蕊娘をも虐げたのです。兄じゃ、わたしにお味方ください。
(石府尹)それはそなたの布団の中の事だから、わたしがどうして裁けよう[80]。
(韓輔臣)わたしは喏を唱えましょう。
(石府尹が挨拶しない)わたしも喏を唱えられる。
(韓輔臣)わたしは跪きましょう。
(石府尹がまた挨拶しない)わたしも跪ける。
(韓輔臣)兄じゃ、ほんとうに裁こうとなさらないなら、わたしはどこへ訴えにゆきましょう。この済南府でわたしが兄じゃのお力に頼っているのは、だれしもが知っております。このたびはむざむざとかれら母娘に虐げられて、もうこれ以上、人の上に立つ人となることはできません[81]。すぐに府庁の階にぶつかって死にましょう。(跳ぶ)
(石府尹がいそいで引きとめる)どうしてかように早まった考えを起こすのだ。どのようにわたしに裁いてもらいたいのだ。
(韓輔臣)兄じゃが人を遣わされ、かれら母娘を捕まえてきて、扣庁で四十回お責めになれば、わたしの怒りは雪がれましょう。
(石府尹)それは難しくはないが、あの杜蕊娘がそなたに嫁ごうとした時、そなたはなおもあのものを妻にしようと思うのか。
(韓輔臣)妻にしようと思わぬはずがございませぬ。
(石府尹)賢弟は知らぬだろうが、楽戸らは一たび懲罰を受けると、罪を受けた人となり、士人の妻妾にはなれぬ。わたしが思うに、こちらには金綫池という場所があり、景色が優れた所なのだが、おまえに二錠の銀子をやるから、持ってゆき、羊を殺し、酒を漉し、筵席を催し、かれら姉妹を池に招いて宴させ、かれらがそなたに成り代わり、詫びるよう頼むとしよう。そのときは、かならずやそなたを家に泊めるから、まことに良かろう。
(韓輔臣が揖する)兄じゃの厚意に大いに感謝いたします。今日、すぐに金綫池へ、酒、果物を調えにゆきましょう。(退場)
(石府尹)弟は行ってしまった。こたびはかならずかれら二人を結婚させて、老いぼれに報告させよう。
(詩)銭は心の愛したるもの、酒は色の媒ぞ。鴛鴦の羽の、ふたつ並んで池に帰るを見るべけん。(退場)
(外旦三人が登場)わらわは張嬤嬤、こちらは李妗妗、こちらは閔大嫂。わたしたちはみな杜蕊娘姨姨の親戚だ。本日は金綫池にて、韓輔臣、杜蕊娘の二人を宥め、仲直りさせようとしている。この宴席はわれらが設けたものではない。蕊娘姨姨は韓姨夫がお金を出して、酒、果物を調えたことを知ったら、きっと来るのを承知せぬから、ねえさんを呼んだのはわれらなのだと言ってある。酒席の合間に、ゆっくりとあのひとに考えを改めるように勧めて、結婚を成就させよう。話が終わらないうちに、蕊娘姨姨がもうやってきた。
(正旦が登場、相見える)わらわにいかなる取り柄があって、奶奶たちは酒を買い、宴を設けられたのでしょう。勿体のうございます。(唱う)
【中呂】【粉蝶児】明らかに知る、書生らは負心の短命なり。かのものを海角に飄零せしめん[82]。ゆゑなくむりやり風情し、はじめて男女の婚姻を喜ばん[83]。そのかみわれは千戦千勝、風聞が漏れたる處は機転を利かせり[84]。
【酔春風】よく眼前の坑を顧み、脳後の井を防ぐことなし。人前でかやうに虐げられずんば、呆賤人はいづれの時にか醒むるを得んや、醒むるを得んや。こたびとて、宿世に関はることにして、事は前世の定めにぞ関はりたるなる[85]。
(衆旦)こちらは首席にございますから、姨姨がお掛けください。
(正旦)この金綫池を目にすれば、まことに悲しい。(唱う)
【石榴花】藕絲[86]の断たれて鏡花[87]の破るるがごと[88]。われはただ一派[89]の碧く澄みたるを見る。東関はなほ経しことはなく[90]、今までちやうど半年ぞ。眼の前は兜率神仙境[91]、かのひとが居るならば、門庭を出でんと言ふをがえんぜず。その時は、かのひとと眼札毛をば縛り付け[92]、狭き部屋にて、憂へに結ぼれたる胸を相撲たん[93]。
【闘鵪鶉】むなしく麗日和風を度り、むなしく良辰美景を誤る[94]。そのかみ、われは脚を運べば苛立たれ、振り向けば食つてかかられ、束縛せられ、両の眼をわづかに回すのみなりき。今ではおのおの転生し[95]、われはなほ、家で業に安んじて、かのひとはなほ、故郷を離れたまふたり。
(衆旦)わたしたちは姨姨に一杯のお酒を奉りましょう。
(正旦が唱う)
【普天楽】小妹子は愛蓮児、おんみらはみなわたしを敬ふ。茶児は妹子、おんみはわれをしかと世話せり。小妹子は玉伴哥、かねてよりすこし偏屈。
(衆旦)姨姨、なぜ溜息をつかれるのでしょう。今日はかように良い天気、さらにかように良い景色なのでございますから、ぜひとも楽しくお酒を飲んで、喜びの宴になさればようございましょう。
(正旦が唱う)人は喜び、鴛鴦は頚を交へて和鳴するなどと言ひたり。にはかに見れば、チみて面は赤くなり、たちまちに心は疼けり[96]。
(衆旦)姨姨、このようにお酒を飲んでばかりでは、まことに淋しゅうございます。
(正旦)わたしは酒令を行いましょう。行えるなら酒を飲み、行えないなら金綫池の冷水を罰としましょう。
(衆旦)わたしたちはみな姨姨の令に従うことにしましょう。
(正旦)酒席では「韓輔臣」の三文字を口にされてはなりませぬ。もし言えば、一大觥の罰杯です[97]。
(衆旦)分かりました。
(正旦が唱う)
【酔高歌】曲中に幾つかの花の名を唱ひこむべし。
(衆旦)できませぬ。
(正旦が唱う)詩句には尾声を含むべし[98]、
(衆旦)できませぬ。
(正旦が唱う)頂針続麻、拆白道字するとせん[99]、
(衆旦)できませぬ。
(正旦が唱う)題目を決め、筵にて即興で詩を作るべし[100]。
(衆旦)できませぬ。罰杯を飲ませてください。
(正旦)拆白道字[101]、頂針続麻[102]、筝、阮咸[103]を弾くことを、あなたがたはまったくご存じないのですね。韓輔臣さまに及びませんね。
(衆旦)ああ。姨姨、酒令を犯されましたね。お酒を持ってきておくれ。一大觥の罰杯です。
(正旦が飲む、唱う)
【十二月】思ふにあいつは人をして賛えしめたり。生まれつき、うるはしき才をもち、心は誠ならざれど、そのほかのなすことは、優れなるなり。本分にて、かねてより老成し、聡明なれども、つまるところは雑情なり。
【堯民歌】麗春園に俏はしき蘇卿を思ひ、双生に嫁げぬことを明らかに知り、金山の壁上に名を留め、画船は追ひて豫章の城に到りたり。上品な振りをすることはなし。秀才のおんみらが、いと薄情となる前に、馮魁をしかと迎へん[104]。
(正旦が溜息をつく)「韓輔臣」と言うべきではなかった。罰杯を飲まされた。
(衆旦)姨姨、またも酒令を犯されましたね。もう一度、一大觥の罰杯です。
(正旦が飲む、唱う)
【上小楼】わたしは棄てられ孤孤另另[105]、話す言葉は涎涎ケケ[106]、わたしもかつてそつと呼び、躬躬[107]として進みきて、喏喏[108]として声を連ねき。酒が醒むればつとめて堪へ、強がりを言ふ[109]。酔ふ時に酒もて真性を淘ぐほかなし[110]。
(正旦が酔い、転び、衆旦が扶ける)
(韓輔臣が登場、換わる)
(衆旦が退場)
(正旦が唱う)
【幺篇】あきらめず、旧き誼を思ふなり。かのひとはわれを世話して、重んじて、敬へり。このわれは、しつかりとせず、記憶力なく、言葉は多く、品行を傷へるにはあらず[111]。われを扶くる小哥はいかなるお名ぞ。
(韓輔臣)韓輔臣です。
(正旦)韓輔臣さまですか。下がられませ。(唱う)
【耍孩児】おんみのために楽籍を抜け出て[112]、
(言う)大尹さまは忝くも、
(唱う)烟花簿[113]の姓名を抹消せられたまふたり。怪友と狂朋に絶交し、戸は浄く、門こそ清けれ。試金石に子弟のおんみらをみな擦りつけ、分両の等もて郎君子をじつくり秤らん[114]。われが身を正しく立てて、花の枝に似たわが顔をもつてせば、錦片にも似た前途を愁ふることはなからん。
【二煞】このわれは、塀を穿てる賊の蝎が螫すとも忍ぶがごとく、このわれは、俏しき郎君に触らるるとも口を噤むがごときなり[115]。大騒ぎして諍ひを尋むることのあらめやは。もっとも厭はしきものは、人を掻きたる七八筋の猫の爪、人を抓れる三十駄の鬼の痣[116]。なが伝槽病を見破りて、手を掴ちて雲雨を掻き分け、綫の断たれし凧のごとくに舞ひ上がるべし[117]。
【尾煞】われはおんみと半年余りの衾枕の恩、一片の繾綣たる情あり、明春になりなば歳は三十ちやうど。
(言う)わたしは年老いましたのに、どうしろとおっしゃるのでしょう。
(唱う)とりあへず、不誠実なる心を持ちつつゆつくりと待ちねかし。(振り払って、退場)
(韓輔臣)ああ、あのひとはほんとうにわたしを愛さなくなった。ただでは済まさぬ。兄じゃのところへあのひとを訴えにゆこう。(退場)
第四折
(石府尹が張千を連れて登場、詩)官と為ること三載にて、臥して治めり[118]。心窩に懸かるはただ一つ、旧友の鴛鴦の会ぞ。金綫池畔はいかならん。
老いぼれは石好問。弟の韓輔臣と杜蕊娘を、金綫池にて結婚させようとしている。今になっても報告がないのだが、いつになったら仲直りするのやら。張千、放告牌[119]を担いで出てゆけ。
(韓輔臣が登場)門番よ、取り次いでくれ、韓輔臣が訴えごとをするために、お会いしようとしておりますと。
(張千が報せ、韓輔臣が入って見える)兄じゃ、拝揖。
(石府尹)弟よ、そなたら二人は結婚したか。
(韓輔臣)結婚いたしましたなら、今は寝ている真っ最中で、おんみの役所に来ることもございませぬ。あの杜蕊娘はどうしてもわたくしを泊めようといたしませぬので、今日はわざわざあのものを訴えにきたのです。
(石府尹)あのものがほんとうに承知せぬならそれまでのこと、わたしがどうして裁けよう。
(韓輔臣)兄じゃ、裁かれようとなさらぬならば、喏を唱えましょう。(揖する)
(石府尹は挨拶しない)わしとて喏を唱えられるわい。
(韓輔臣)跪きましょう。(跪く)
(石府尹は挨拶しない)わしとて跪けるわい。
(韓輔臣)どうしても裁かれようとなさらぬならば、わたしはおんみの府庁で死んで、役人をしていられなくさせましょう。(階にぶつかろうとする)
(石府尹がいそいで引きとめる)女娘を愛するもので、そなたのように無茶苦茶なものはおらぬわい。仕方ない。そなたら二人を結婚させよう。張千。杜蕊娘を連れてきてくれ。
(張千)かしこまりました。(呼ぶ)杜蕊娘、お役所でお呼びだぞ。
(正旦が登場)おにいさん、わたしを呼ばれましたのは、なにゆえにございましょう。
(張千)そなたが仕事をおろそかにしたために、知事さまはお役所でまことに怒っていらっしゃる。
(正旦)どういたしましょう。(唱う)
【双調】【新水令】命令はわが麗春園にたちまちに伝へられたり。舞裙歌扇を除かるるかと思ひきや、節朔[120]に逢ひ、冬年[121]に遇ふごとに、一盞の茶代を得たり。兄さん、憐れと思し召されよ。
(言う)はやくも府庁の入り口だ。おにいさん、おんみはわたしの衝立になってください。わたしは盗み見ることにいたしましょう。
(張千)よかろう。
(正旦が盗み見る、内が怒鳴る、旦が唱う)
【沈酔東風】喜孜孜に宴席を設けたるかと思ひしに、なにゆゑぞ怒哄哄に杖を列ねて鞭をフぐる。足は移さず、心はさきに戦けり。一歩一歩は毛氈の毛を抜くにぞ似たる[122]。もともとは、胆を大にし、身を挺し、進み寄らんとしたれども、あたふたと倒偃となる。
(張千が報せる)知事さまに申し上げます。杜蕊娘を呼んでまいりました。
(石府尹)通せ。
(韓輔臣)兄じゃ、すこし厳しくしてください。
(石府尹)分かっておる。
(張千)面を上げよ。
(正旦)杜蕊娘が参りました。
(石府尹)張千、大きな棍棒を準備せよ。枷を持ってきて、司房に送り、供述を取れ。
(正旦)誰に救ってもらったものか。(振り向いて見る)韓輔臣さまではございませぬか。羞じ入る顔を押し隠し、あのひとに哀願しにゆくことにしよう。(唱う)
【沽美酒】恥ぢらふさまをするは叶はず[123]、誰に仗りてか方便を施さるべき。われはやむなく耻を忍びて、放免せられんことを求めり。
(言う)韓輔臣さま、わたしのためにお取り成しくださいますよう。
(韓輔臣)なにゆえに仕事をおろそかにするのだ。知事さまはとても怒っていらっしゃる。
(正旦が唱う)わたしのためにいささかの巧みな言葉を捜し出して、かの役人を宥めたまへかし。
(韓輔臣)今日はわたしを利用しようというわけか。わたしに嫁がれるのならば、取り成しにゆこう。
(正旦)わたしはおんみに嫁ぎましょう。(唱う)
【太平令】これよりわれはほんたうの姻眷と為るを願はん。すみやかに、わがために、お取り成したまへかし。
(韓輔臣)おんみのために取り成しをしにゆくが、知事さまが許そうとなさらなければ、どうなさる。
(正旦が唱う)思へばむかし、羅の帳の裏に、さまざまなことをほしいままにし、本日は紙の褙子もてふたたびわれを虐げり[124]。おんみより万千の冷遇を受け、体面を失へり。ああ、誰か浪短命なるおんみの臨機応変なるに勝るべき。
(石府尹)張千、大きな棒を持ってこい。
(韓輔臣)兄じゃ、わたしのしがない顔を立て、杜蕊娘の初犯をお許しくださいまし。
(石府尹)張千。杜蕊娘を連れてこい。
(正旦が跪く)
(石府尹)そなたはわたしの役所にて長年仕え、年を重ねているというのに、なにゆえに役所の掟を弁えず、仕事をおろそかにしたのだ。本来ならば、扣庁で四十回責め打って、不応の罪に問うべきだ[125]。韓解元がこちらにて、そなたのために哀願したから、四十の板打ちは許そうが、不応の罪は許せぬぞ。
(韓輔臣)あの杜蕊娘はわたくしに嫁ぐのを約束しました。どうか兄じゃはこの公罪[126]もお許しくださいますように。(跪く)
(石府尹がいそいで引き起こす)杜蕊娘よ、そなたは韓解元に嫁ぐか。
(正旦)ほんとうに韓輔臣さまに嫁ぎとうございます。
(石府尹)それならば、老いぼれは花銀百両を出し、そなたの母上に与えて結納としよう、本日は花燭酒筵を整えて、韓解元に嫁ぐのだ。
(韓輔臣)わたくしの結婚を成就していただきまして、大いに感謝いたします。
(正旦)知事さまのご厚意に大いに感謝いたします。(唱う)
【川撥棹】このやうに良き姻縁は、人はみな天によるものなりと言ふ。わたくしの福が去り、災が纏ひたるなら、むなしく意を惹かれつつ、遥かなる山河を隔て、いづれの時にか人月の圓かなることを得ん。
【七弟兄】はや対面し、肩を並めたる、緑窓の前。これよりは、平生の願ひに称はん。一人は青灯黄巻に向かひつつ詩篇を賦して、一人は紅綃翠錦を剪り、針綫をぞ学ぶべき。
【梅花酒】憶へば去年離別してより、文鴛[127]は打ち散らされて、芳蓮は折り破られて、頑涎を咽み込まんとせり。老母のために隔てられ、夫妻は纏綿たるを得ず[128]、双方はまさに苛立ちたりしかば、公相[129]の矜れみたまひたることに感謝せん。
【収江南】ああ、一春つねに花を買ふ銭を費やしたることはあだにはならず[130]、くはふるに佳人才子は孤眠を免れしなり。官位を得、相守りつつ臨川に赴かん。わが解元に隨はば、ふたたび哭啼啼として茶を売る船に介添へされつつ乗るを須ゐず[131]。
(韓輔臣が正旦とともに拝謝する)兄じゃは上座に着かれませ。わたしは拝謝いたしましょう。
(石府尹が答拝する)賢弟、そなたら二人が仲直りしたことを寿ごう。ただ、法廷は裁判をする場所であり、そなたらが結婚をする場所ではない。張千、近う寄り、わが命を聴け。そなたはわたしの俸給二十両を取り、教坊司の色長[132]にやり、楽隊を整えさせて、役所の入り口から韓解元を杜蕊娘の家に送ってゆき、盛大な宴を設けよ。あのもの[133]の親戚で、先日、金綫池で結婚を勧めたものは、みな呼んできて宴させ、韓解元、杜蕊娘を寿がせるのだ。宴がおわったら、報告をしにこさせるのだ。
(詞)韓解元は雲霄の貴客、杜蕊娘は花月の妖姫。もともとは一対の天生の連理なりしも、虔婆にことさらに虐げられぬ。邪魔せられたる男はよその郡に遊びて、置き去りにせられし女は深閨にしぞ怨みたる。黄堂に巧計を施すことのなかりせば、などかよく青楼にはやくも佳期を遂げぬべき。
題目 韓解元軽負花月約、老虔婆故阻燕鶯期
正名 石好問復任済南府、杜蕊娘智賞金綫池
最終更新日:2010年11月10日
[1] 科挙の会試をさす。
[2] 鵲が鳴くのは吉兆とされる。
[3] 済水のほとり。ここでは済南のこと。
[4] 原文「果然才子、豈能無貌」。未詳。とりあえずこのように訳す。
[5]「班」は魯の名工公孫班のこと。「弄」はひけらかすこと。「班門に斧を弄ぶ」は公孫班の家で木工の腕を披露するということで、身の程知らずなこと。
[6]原文「欲語還羞便似曾」。「便似曾」が未詳。とりあえずこのように訳す。
[7] 楚の城邑をいうが、済南の妓女を謳うのに、なぜ「占斷楚城歌舞地」というのかが未詳。
[8]相手の指示に従うことをいう常套句。
[9] 唐代伝奇『任氏伝』の登場人物。狐の化けた任氏と結婚する。
[10] 『集異記』の登場人物。虎と結婚し、一子をもうけるが、子とともに虎に食べられる。
[11] 原文「那大曲内儘是寒儒」。戯曲はすべて寒儒のことを題材にしているということ。あるいは、鄭六や崔韜を題材にした戯曲があったのかも知れない。
[12]王実甫『蘇小卿月夜販茶船』、庾吉甫『蘇小卿詩酒麗春園』、紀君祥『信安王断復販茶船』、楊景賢『豫章城人月両団円』などの戯曲の主人公。上に挙げた戯曲のうち、後三者は題目のみ残り、逸している。『永楽大典』戯文十一に一部が収録されている『蘇小卿月夜泛茶船』は、双通叔と廬州麗春園の妓女蘇小卿が恋に落ちるが、蘇小卿の母を買収した茶商馮魁に蘇を奪われる、後に双は臨川県の知事として赴任する際、蘇と金山寺で再会し、夫婦となるというもの。
[16] 役所の美称。
[17] 新しい知り合い。ここでは杜蕊娘のこと。
[18] 妓院のこと。「解庫」は質屋のこと。「皮」は「肉」と同じであろう。妓女の身を質入れされた物品に喩えた表現であろう。
[19] 原文「則俺這不義之門、那裏有買賣營運」。「買賣營運」はここでは物品を仕入れたり店に並べたりすることであろう。
[20]悪:悪いこと、劣:恐ろしいこと、乖:ずるいこと、毒:残忍なこと、狠:凶暴なこと。
[21] 生業。
[22] 原文「俺占著七十二位凶神」。「七十二位凶神」は未詳だが、七十二地煞のことであろう。胡孚琛主編『中華道教大辞典』千四百七十三頁参照。
[23] 秦楼謝館と熟し、妓楼のこと。
[24] 原文「轉回頭霸陵誰識舊將軍」。漢の将軍李広が罪を得て隠居している際、郊外で狩猟をして夜になったため、門番に怒鳴られ、昔の将軍だと言っても入れてもらえなかったという『史記』李将軍列伝「廣家與故潁陰侯孫屏野居藍田南山中射獵。嘗夜從一騎出、從人田闊。還至霸陵亭、霸陵尉醉、呵止廣。廣騎曰、故李將軍。尉曰、今將軍尚不得夜行、何乃故也。止廣宿亭下」の故事を踏まえた句。ここでは妓女が古い客を相手にしなくなることの喩えとして用いられている。
[25] 揺槌、爻槌とも。乞食が蓮花落を歌うとき、瓦罐を敲くための棒。
[26] 原文「那些個慈悲為本、多則是板障為門」。未詳。とりあえずこのように訳す。
[27] 原文「炕頭上主燒埋的顯道神」。なぜ「炕頭上」という言葉がでてくるのか未詳。「燒埋」は火葬、土葬のこと。ここでは人を葬り去ることの喩え。「顯道神」は葬儀のとき、先払いをする神。巨大で、印と戟を持っている。
[28]原文「檾麻頭」。未詳。
[29] 悪魔降伏の印相で、左手を膝の上におき、右手を下に垂らして地をさす。
[30] 銭龍は本来繋ぎとめた銅銭の束のこと。転じて福の神のこと。
[31] 遣り手婆をさしていると解す。
[32] 娘と前の客との恩愛を問題にしないということであろう。
[33] 原文「今日個漾人頭廝摔、含熱血廝噴、定奪俺心上人」。「漾人頭廝摔、含熱血廝噴」は、普通は激戦の場面を描写する際の常套句。ここでは懸命なさまを描写したものと解す。
[34] 『元曲選校注』は、現在河北の食品に同名のものがあるとし、詳しい製法を載せるが、元代のそれと同じかどうかは未詳。
[35] 原文「有句話多多的苦告你老年尊、累累的囑託近比鄰」。「近比鄰」が未詳。これも鴇母のことか。
[36]原文「一片花飛減却春」。杜甫『曲江二首』の句。「一片」は一面の意。
[37] 原文「提起那人情來往佯裝鈍」。「人情來往」が未詳。ただ、文脈上結婚のことであろう。
[38] 原文「有幾個打踅客旅輩、丟下些刷牙掠頭、問奶奶要盤纏家去」。「丟下些刷牙掠頭」が未詳。
[39] 妓院の代称。
[40]花柳の巷をいう。鳴珂曲とも。白行簡『李娃伝』に出てくる地名。
[41] 原文「紙湯瓶」。『漢語大詞典』はこの例を引き、「紙做的暖水瓶。舊時以嘲諷妓女輕易和別人親昵」と語釈し、紙で作った魔法瓶で、惚れっぽい妓女の喩えなりとする。角川書店『中国語大辞典』は「瀬戸引きで片側に取っ手がついている、湯を入れる器」「(すぐ熱くなることから)惚れっぽい妓女をいう」とする。『漢語大詞典』の「紙做的暖水瓶」とはどのようなものか未詳。陶磁器や琺瑯引きの器の外側に紙を貼って保温性を高めたものをいうのか。『中国語大辞典』の語釈は、もっともらしいが、なぜ瀬戸引きの器を「紙湯瓶」というのかに関しては説明がない。待考。
[42]紅炉は酒爐。皮日休『酒壚』「紅壚高幾尺、頗稱幽人意。火作縹醪香、灰為冬氣。有槍盡龍頭、有主皆犢鼻。倘得作杜根、傭保何足愧」。
[43]原文「這紙湯瓶再不向紅爐頓、鐵煎盤再不使清油混、銅磨笴再不把頑石運」。「紙湯瓶」「鐵煎盤」「銅磨笴」は杜蕊娘を、「紅爐」「清油」「頑石」は嫖客を喩え、杜蕊娘が嫖客をこれ以上相手にしないことを謳った句。
[44]「断頭香」は折れた香をいう。ここではたたれた姻縁の喩え。
[45] 魂を惑わす陣。妓院の喩え。
[46]原文「也是我八個字無人主婚」。「八個字」は「八字」のこと。人の生年月日それぞれの干支。自分が他人に結婚を仲立ちしてもらえない、縁遠い星回りであることを謳った句。
[47] 七歩で詩を作るほどの才能。いうまでもなく、七歩で『豆萁詩』を作った曹植の故事に因む言葉。
[48]原文「做的個五花誥夫人」。「五花誥」は五色の模様が記された、天子が与える任命書。「夫人」は宋代、執政以上の官の夫人に与えられた称号。「五花誥夫人」は五花誥によって称号を与えられた夫人のことであろう。
[49]卑田院は救貧施設。悲田院とも。
[50] 「一年春盡又是一年春」は乞食歌の文句。
[51] 月宮の仙女。ここでは妓女の喩え。
[53] 遣り手婆をさす。
[54] 典故があるかもしれないが未詳。
[55]黄河の神。巨大な手で川の流れをきりひらいたという。張衡『西京賦』「巨霊贔屓、高掌遠蹠、以流河曲」。
[56] 楚辞『東君』「送美人兮南浦」。
[57] 原文「愛你個殺才沒去就、明知道雨歇雲收、還指望待天長地久」。「雨歇雲收」は『高唐賦』を踏まえた句で、ここでは男女の情交が果てたことの喩え。「還指望待天長地久」は情交が果ててもなお、それが天地のように永遠に続くことを望むということ。
[58] 原文「這廝懶散了雖離我眼底、忔憎著又在心頭」。「懶散」が未詳。とりあえずこのように訳す。「忔憎」はここでは逆の意味。愛情の極みをいう。
[59] 原文「知他在那搭兒裏續上綢繆」。「續上綢繆」はここでは韓輔臣が杜蕊娘に代わって他の妓女と恋愛関係を結ぶこと。
[60] 原文「知他是怎生來結做冤仇」。「冤仇」は本来怨みのことだが、ここでは逆の意味。恋愛関係。
[61] 「閑茶浪酒」に関し、角川書店『中国語大辞典』は『気英布』第三折の用例を引き、「無為徒食。仕事もせずぶらぶらして飲み食いばかりしていること」と解するが、『気英布』の用例は、「(相手を誑し込むために)みだりに出される茶や酒」ということ、『黒旋風』にも用例があり、やはりその意味である。『金綫池』の用例もそれで通じる。
[62] 原文「撲地掀天」。大騒ぎすることの喩え。
[63] 原文「則許你交錯勸觥籌」。「觥」はさかずき、「籌」は点棒。「交錯觥籌」は欧陽脩「酔翁亭記」に見える言葉。盛んな宴の描写として用いられる。
[64] 原文「往常個侍衾裯、都做了付東流」。「付東流」は帳消しにすること。
[65] 原文「這的是娼門水局下場頭」。「水局」が未詳。ただ、妓院のことであろう。
[67] 原文「頑涎兒卻依舊」。「頑涎兒」はよだれ。強い欲望の喩え。
[68] 原文「我沒福和你那鶯燕蜂蝶為四友」。「鶯燕蜂蝶」は恋人同士の喩え。「鶯儔燕侶」は恋人同士や夫婦の喩え。「蜂狂蝶乱」は放蕩な男女の喩え。
[69] 原文「甘分做跌了彈的斑鳩」。「跌了彈的斑鳩」は恋に破れたものの喩え。
[70] 原文「你那手怎掩旁人是非口」。「是非口」はあれこれと取り沙汰する世間の人々の口。
[71] 原文「説的困須休」。未詳。とりあえずこのように訳す。
[72] 原文「高如我三板兒的人物也出不得手」。「板」は塀を築く時の長さの単位。具体的な長さは諸説ある。この句の趣旨は未詳。とりあえず「わたしよりずっとすぐれたものもあなたには手を出せない」という趣旨に訳す。
[73] 原文「強如我十倍兒的聲名道著處有」。未詳。とりあえずこのように訳す。杜蕊娘よりはるかに優れた女性がいたるところにいると韓輔臣が考えていると述べた句であると解す。
[74] 原文「舒你那攀蟾折桂的指頭」。「折桂」は月宮の桂樹を折ることで、科挙に合格することの喩え。
[75] 原文「請先生別挽一枝章台路旁柳」。「章台」は長安にあった歓楽街。転じて妓館のこと。「章台路旁柳」は妓女の喩え。「別挽一枝章台路旁柳」は、ここでは韓輔臣が杜蕊娘以外の妓女に浮気することの喩え。
[76] べにおしろい。それをつける妓女。ここでは杜蕊娘をさす。
[77] 原文「今日床頭看壯士、始知顏色在黄金」。壮士も金がなくなれば元気がなくなってしまうことが分かったという趣旨。張籍『行路難』「君不見床頭黄金盡、壯士無顏色」を踏まえた句。
[78] 原文「聞得哥哥複任濟南、被我等著了也」。「被我等著了也」が未詳。とりあえずこのように訳す。
[79] 原文「恭喜哥哥複任名邦」。未詳。とりあえずこのように訳す。
[80] 原文「這是你被窩兒裏的事、教我怎麼整理」。「被窩兒裏的事」は男女の愛情に関わることをいうのであろう。
[81] 原文「今日白白的吃他娘兒兩個一場欺負、怎麼還在人頭上做人」。未詳。とりあえずこのように訳す。
[82] 原文「盡教他海角飄零」。未詳。とりあえずこのように訳す。「盡〜」は「〜に任せる」ということ。
[83] 原文「沒來由強風情、剛可喜男婚女聘」。未詳。とりあえずこのように訳す。
[84] 原文「往常我千戰千贏、透風處使心作幸」。未詳。とりあえずこのように訳す。
[85] 原文「雖是今番、系幹宿世、事關前定」。未詳。とりあえずこのように訳す。
[86] 男女の綿綿たる関係の喩え。
[87] ここでは鏡のこと。
[88] 原文「恰便似藕絲兒分破鏡花明」。「破鏡花明」が未詳。とりあえずこのように訳す。
[89] 「派」はまとまった水を数える量詞。
[90] 原文「東關裏猶自不曾經」。未詳。
[91] 兜率天のこと。欲界の六欲天の第四天。須弥山の頂上二四万由旬の高所にある天で、歓楽に満たされているという。
[92] 原文「那時節眼扎毛和他廝拴定」。韓輔臣にぴたりと寄り添うことをたとえたものであろう。
[93] 原文「矮房裏相撲著悶懷縈」。未詳。
[94] 原文「虚度了麗日和風、枉誤了良辰美景」。よい時をあたら空しく過ごしていることを謳った句。
[95] 原文「到如今各自托生」。「各自托生」はそれぞれが離れ離れになったことの喩えであろう。
[96] 鴛鴦の睦まじげなさまを見、自分と韓輔臣の関係に引き比べ、嫉妬する気持ちを唱った句。
[98]「尾声」は一まとまりの曲の最後の部分。
[99] 原文「續麻道字針針頂」。未詳、とりあえず、こう訳す。「頂針続麻」は言葉遊びの一つ。前の句の末尾で使った語を、次の句の冒頭に用いること。「拆白道字」も言葉遊びの一つ。具体例は『竹葉舟』を見よ。
[100] 原文「正題目當筵合笙」。「合笙」は「合生」に同じ。『夷堅志』乙集卷六・合生詩詞「江浙間、路岐伶女、慧黠知文墨、能于席上指物題咏応命輒成者、謂之合生」。
[105] 孤独なさま。
[106] 遅鈍なさま。
[107] 「躬躬」という言葉は未詳だが、鞠躬如たるさまであろう。
[108] 応諾するさま。
[109] 原文「但酒醒硬打掙、強詞奪正」。未詳。とりあえずこう訳す。
[110] 原文「則除是醉時節酒淘真性」。未詳。とりあえずこう訳す。
[111] 原文「不是我把不定、無記性、言多傷行」。「把不定」が未詳。とりあえずこう訳す。
[112] 原文「我為你逼綽了當官令」。未詳。とりあえずこう訳す。
[113] 官妓の名を記した冊籍。
[114] 「分兩等」は分兩の単位まで計ることができる竿ばかり。
[115] 原文「我比那[貢刀」牆賊蠍螫索自忍、我比那俏郎君掏摸須噤聲」。含意未詳。愛しい韓輔臣と会ったがわざと相手にしないさまを謳った句か。
[116] 原文「最不愛打揉人七八道貓煞爪、掐扭的三十馱鬼捏青」。前後とのつながりが未詳。とりあえずこう訳す。「鬼捏青」は寝ている間にできる痣という。「馱」は、文脈上、痣を数える量詞に違いないと思われるが未詳。
[117] 原文「看破你傳槽病、摑著手分開雲雨、騰的似線斷風箏」。これも前後とのつながりが未詳。大まかな方向は、韓輔臣との関係が切れたということを謳った句であろう。傳槽病は馬の伝染病。相手の病気を卑しめていう。ここでは相手の破綻の意か。
[118] 『漢書』汲黯伝「黯多病、臥閤内不出。歳餘、東海大治、稱之」。
[119]訴状を受け付けることを告知する札。
[120] 節句のこと。
[121] 冬年節。冬至のこと。
[122] 原文「一歩歩似毛裏拖氈」。「毛裏拖氈」はぐずぐずしたさまの喩え。
[123] 原文「使不著撒靦腆」。未詳。とりあえずこう訳す。
[125]原文「本該扣廳責打四十、問你一個不應罪名」。「不應罪名」は過失による罪。
[126] 公務上の罪。
[127] 鴛鴦に同じ。
[128] 原文「為老母相間阻、使夫妻死纏綿」。「死纏綿」が未詳。とりあえずこう訳す。
[129] 役人のこと。ここでは石好問をさす。
[130] 原文「不枉了一春常費買花錢」。「買花錢」は妓女を買う金。「一春常費買花錢」という句は兪国宝『風入松』詞に見える。
[132] 『宋史』楽志十七・教坊「教坊本隸宣徽院、有使、副使、判官、都色長、色長、高班、大小都知」。
[133] 杜蕊娘をさす。