宋上皇御断金鳳釵
楔子
(正末が旦、子役とともに登場)わたしは姓は趙、名は鄂、字は天翼といい、鄭州の人。三人家族で、妻は李氏、倅は福童、年は七歳。去年答案を提出したが、運が拙く、試験が終わると、状元店[1]で一年間勉強をした。本年は春の試験が行われるので、受験しにゆく。この宿にながく泊まって、宿銭はみな付けにしてあるが、どうしたらよいだろう。
(店員が登場、門で叫ぶ)開けてください。開けてください。
(旦)この門を開けるとしよう。おにいさん、どうしました。
(店員)秀才どの、かようなことではやはり出世はできますまい。奥さん、去り状をお求めなさい。官員、富豪をお選びになり、再婚なさるのであれば、仲立ちになってあげましょう。
(旦)おにいさん、わたしも心中そのように思っていました。趙鄂さま、聴かれましたか。店員は宿銭と飯代を求めていますが、何を与えたものでしょう。あなたはまったく、上京し、官位を求め、受験しようとなさいませぬ。あなたが官位を得られれば、わたしは夫人[2]でございますのに。
(子役)お父さん、お腹が空いたよ。
(旦)やはりわたしを養えますまい。去り状を持ってきてください。
(店員)宿銭を持ってきてください。
(正末)今日は官位を求めて受験しにゆこう。わたしが役人になれば、おまえは夫人だ。
(旦)夫人になるのを待っております。
(店員)秀才さん、官職を得られましたら、果盒とお酒を準備して、花飾りしてあげましょう[3]。
(正末)官職を得なければ、わたしも戻ってくることはない。(唱う)
【仙呂】【賞花時】三尺の蛍窓を守ること十数春、千丈の龍門[4]を一跳びせんとす。人として生ひ立ちたれど、狗さへも三升の糠を食む分があれば、人たるわれはなほさらのことならん。
【幺】わたしは信ぜず、男児が一生貧しきことを。なんぢは夫妻の百夜の恩を忘るるなかれ。わたしは知れり、卿相は寒門に出でなんことを。なんぢは夫人県君となり、食らふときには鼎を列ね、臥すときは茵を重ぬる備へせよ。(退場)
(店員)いかがです。発憤させねば、あのかたは受験しにゆこうとはしなかったでしょう。
(旦)秀才さまは行ってしまった。わたしは、
眼には見ん旌節旗、耳には聴かん良き消息[5]。(ともに退場)
第一折
(店員が旦とともに登場)(店員)さきほど街へ行ったが、趙秀才が状元になり、役人になったとのこと。わが家には、とりたてて何も金目のものがなく、嫁が穿く一本の裙子があるだけ。質入れし、一瓶の酒を買い、朝門の外に行って待ち、お祝いをしてあげよう。(退場)
(旦)今日、うちの秀才どのがほんとうに官位を得るとは思わなかった。倅を連れて秀才どのに会いにゆこう。(退場)
(殿頭官)龍楼鳳閣九重の城、新たに沙堤[6]は築かれて宰相は行く。わたしが貴く栄ゆとも羨むなかれ、十年前は一書生なりしかば[7]。
わたしは殿頭官。大人[8]の御諚を奉っている。今春、姓は趙、名は鄂、字は天翼という状元が、朝議のときに、失態を犯し、笏を落としたため、聖上の御諚を奉り、靴、笏、襴袍を剥奪し、追い出して庶民にすることにした。左右のものよ、趙鶚を呼んできてくれ。
(正末)わたしは趙鶚。一挙に状元に及第し、丹墀[9]で聖恩に謝していたとき、失態を犯し、笏を落とした。今日は待漏院[10]で待機しているが、大人がお呼びだ。どうしてだろう。行かねばならぬ。(唱う)
【仙呂】【点絳唇】冬されば柴の扉に風と雪、春されば破れし窓に細き雨、琴書は湿れり。このやうに、寒さを忍び、飢ゑに耐ふれば、妻の怒りをつねに受くべし。
【混江龍】遊街[11]することはや三日、寒窓に十年苦学せしことは徒ならざりき。頭上には一輪のp蓋[12]を戴きて、馬前には二列の朱衣[13]を列ねたり。わたしの七歩の才により、及第の策を作りて、五言詩は天へと上る梯となる。今日ははじめて教養は報いられたり。このたびは、白を脱ぎ、緑に換へて[14]、紫を掛け、緋を着たるなり[15]。
(言う)はやくも着いた。大人に会いにゆこう。張千よ、取り次げ。状元が来たと。(報せる)
(殿)通せ。
(張千)かしこまりました。行かれませ。
(正末が会う)
(殿)おまえは、朝、聖恩に謝したとき、失態を犯し、笏を落としたため、聖上の御諚によって、靴、笏、襴袍を返納させ、庶民にする。もとより寒儒で、官禄を得るに値せぬ。出てゆけ。
(正末)まことに運が拙いことだ。(唱う)
【油葫蘆】かれは言ひたり、わたしはもとより寒門の一布衣なれば、いかでかは官禄を享受すべけんと。十年にして身が鳳凰池[16]に到るまで、幾錠の烏龍墨をや磨りたりし。幾本の霜毫筆をや壊ひたりし。やうやくに役人になりたれど、はしなくも免職せられぬ。白衣で故郷に戻りゆきなば、同学や知己にいかでか見ゆべき。
(言う)人からは、趙鶚は官位を得たのに、なぜまた剥奪されたのだろうと言われよう。(唱う)
【天下楽】「金榜に名がなくば誓つて帰らじ[17]」とはゆかず、いかんせん「文才あれども福分はなし」。学ぶこと二十年にして、わづかに富貴を享けしのみ。功名を見ること荀指のごとくして[18]、栄華を見ること眼を瞬くより疾く、南柯の一夢より疾し。
(殿)これ趙鶚、おまえは失態を犯し、笏を落としたから、もとより咎められるべきだが、聖上はおまえの教養をご覧になって、死罪を許し、原籍で庶民とさせることとなされた。聴け。
教養は世に冠し高魁[19]にしぞ中たりたる、いかんせん文才あれども福分はなし。やうやく雨露[20]を蒙れど官位を奪はれ、また中原の一布衣となる。(退場)
(正末)朝門を出てきたが、なぜ悲しまないでいられよう。ああ、趙鶚よ、まことに運の拙いことだ。やっとのことで官位を得たのに、聖恩に謝しているとき、失態を犯し、笏を落としてしまったぞ。運が拙く、役人になるべきではないのだ。(唱う)
【哪吒令】かやうに志気を発するさまは、管寧[21]が席を割くがごときなり。書を読むさまは、匡衡[22]が壁を穿つがごときなり。貧しさに耐へたるさまは、韓信[23]が乞食するがごときなり。想へば小人、児曹たちは、誰か「賢を見て斉しからんと思ふ[24]」べき。
(言う)わが運命はかくも苦しい。(唱う)
【鵲踏枝】紫の羅衣を脱ぎ、また旧き羅衣を着けたり。はろばろと来て、くさくさとして帰るなり。げに江淹の夢筆のごとし[25]、
(言う)家に行けば、女房が尋ねるだろう。官位を得られましたかと。
(唱う)妻との離婚が心配ぞ。
【寄生草】天下の儒学を習ふ士や、勉学をするものたちは、七品八品官となり、功名を遂ぐるを望めり。千人万人、みな詩書に通ぜりと想ひたれども、十中九は、文運拙し。盤古[26]の世より、一人も富みたる書生なし。かの孔夫子に、貧しき徒弟は幾たりぞ。
(言う)ひとまず宿に戻ってゆこう。
(店員が酒を携えて登場)わたしは店員。趙秀才が官位を得たとか。女房の裙を質入れし、一瓶の酒を買い、一献勧めることにしよう。
(正末)ただいま。
(店員)おめでとうございます。官位を得られて。
(正末)話せば長くなるのだが、状元に合格し、聖恩に謝していたとき、殿中で失態を犯し、笏を落とした。押し出され、死を賜わるところであったが、わたしの優れた教養は、惜しむべきだということで、死を免じ、靴、笏、襴袍を返納させ、官位を剥奪し、庶民にしたのだ。
(店員)わが家には何もないから、女房の裙を質入れし、一瓶の酒を買い、祝おうとしていたのだぞ。今回も官位を得ないで、どうするつもりだ。宿銭を払え。
(正末)また宿銭を請求された。どうしよう。(唱う)
【金盞児】あなたは言へり、満身の衣を質入れしたりきと。わが身は酷き目に遭へり。想へばわが名が登科記[27]に上されたるも徒なりき。
(言う)店員どの、ほんとうにひどいお方だ。官位を得たと聴くと、酒を買って祝おうとし、官位を奪われたと聴くと、宿銭をお求めになるとは。
(唱う)あなたが貴人に取り入るは笑ふべきこと。店員さん。官位を得れば、祝へども、奪はれたれば、後に従ふことぞなき。まさに「世情は冷暖を見て、人面は高低を逐ふ[28]」ぞかし。
(旦が子役を連れて登場)趙鶚さまが官位を得たとか。見にいってみることにしよう。(見る)趙鶚さま、官位を得られたのですね。
(正末が言わない)
(旦)なぜ仰らない。及第なさったのですか。及第なさらなかったのですか。
(正末が唱う)
【酔中天】及第せしやせざりしやと言ふ、黙さんと思へどもいかで黙さん。顔を見ば知るを得べけん。心を解し得ぬことのなどかはあらめ。わたしの貧しき姿を見しに、何を言ひたる。金冠や霞帔もなければ[29]、一枚の去り状をいかで拒まん。
(旦)このような有様で、まだ去り状を下さらぬとは。はやく去り状を持ってきてください。
(子役)お父さん、お腹が空いたよ。僕も父さんと一緒にはいられないよ。
(店員)宿銭を払え。
(正末が唱う)
【後庭花】栄達をせば醜き婦は随はん、飢ゑ凍えなば親子は離れん。夫の貧しきことを嫌へる桑新婦をひとまず咎めず、父を恨める忤逆賊のみを殴らん。ひたすらに東と西に分かれんとして、家計をともにし、水魚のごとくするを望まず[30]。
(旦)人に頼って、衣食を求めないならば、どのようにして暮らすのです。
(正末が唱う)
【金盞児】今、人の衣を求めんとすることは、身の皮を剥ぐにぞ似たる[31]。誰か思はん四海の内はみな兄弟と。くはふるに朝廷は「枉がれるを挙げ諸を直きに錯き[32]」たるたり。雲中の雁を指し膳羞となし、水中の月を掬ひて衣食を求む[33]。呂先生のもとに行き旧友を訪ぬるかのやう、呉文政を尋ね相識を捜すかのやう[34]。
(言う)店員さん、ご存じございますまいが、貢院の試験官は、わたしを状元にしたのです[35]。状元店で勉強し、来年ふたたび受験して、官位を得たら、その時に宿銭をお払いしましょう。
(店員)それならば、紙、墨、筆、硯は、わたしがすべて面倒をみてさしあげましょう。
(旦)今はお金がございませんが、どうしましょう。
(正末)慌てるな。明日になったら、周橋[36]で筆を執り、詩を売って、いささかのお金を得たら、おまえを養い、売れなかったら、また計画を立てるとしよう。
(旦)それも良うございましょう。
(正末が唱う)
【賺煞】二文の銭を稼ぎなば、一升の米を買ひ、倅とおまへを養ふを得ん。端硯、文章、紙、墨、筆もて、淡飯と黄齏を食らふを得べけん。看板を掛け、万物を題目にして、「詩を吟ぜば寰中に第一を占めん」と記し、「丹墀に立ちて、金門に出入りせしことあり」とも書かば、人は言ふべし、貧しき書生はなほも兵機を語れりと[37]。(退場)
(旦)店員さん、大変ご迷惑をお掛けしました。明日、趙鶚がいささかのお金を稼ぎましたなら、まず宿銭をお払いいたしましょう。
(店員)奥さん、とりあえず宿に戻ってゆきましょう。(ともに退場)
第二折
(正末)わたしは趙鶚、周橋にやってきた。行き来する人は多く、数をも知れない。こちらで詩を売り、いささかのお金を得、女房に生活費をやれば、女房は何も言うまい。詩が売れず、お金が求められなかったら、女房は怒り、言い逃れすることはできないだろう。(唱う)
【中呂】【粉蝶児】他の人は青霄に平歩したれど[38]、わたしは身を翻しつつ禹門[39]を跳びて、すぐに靴、笏、襴袍をしぞ奪はるる[40]。丹墀に立ちて、いまだに歓呼せざるとき、塵を揚げ、舞ひ躍らんとし、君恩に謝し、拝礼せんとす。脅ゆれば手と脚の顛倒したることに気付かず。
【酔春風】功名のために二十載苦しみたりしかど、たちまち剥奪せられんものとは想はざりけり。官職を求めて受験するものは世に多かれど、及第をするものは少なし。わたしのごときは糞土の牆、斗筲の器にて、聖賢の道を学びしことも徒なりき。
(言う)周橋に来た。誰かが詩を買いにきたぞ。
(外が秀士に扮して登場、詩)黄巻青灯一介の腐儒、九経[41]三史[42]は腹中にあり。『学而』第一すべからく憶ゆべきなり、子を生まば書を読ましめざるべからず。
わたしは姓は劉、名は彦実、幼くして儒学を習った。周橋に詩を売る人がいるとか。二百銭を持ち、詩を買うとしよう。詩を売る秀才ではないか。(見る)
(正末)秀才さま、ご機嫌よう。詩を買われますか。
(外)あなたには才学はないだろう。
(正末が唱う)
【紅繍鞋】周公の礼楽に達せざれども、子夏の文学[43]に及ばざれども、書を読むことのみが貴しと思ひなしたり。花箋紙[44]、端溪硯、烏龍墨、紫霜毫を置き、貧しかれども卓に四宝を出したり[45]。
(外)詩を買いたいのだが、一首幾らだ。
(正末)一首二百銭でございます。
(外)二百銭をやろう。
(正末)何を題目になさいます。
(外)秀才を題目にしよう。
(正末が詩を題する)天子は英士を重んじたれば、文章を爾曹に教へたり。万般はみな下品にて、書を読むもののみが貴し。(唱う)
【迎仙客】字を書けば瑕はなく、詩を詠めばいと麗しく、げにげに文字は雑ならず[46]、平仄を違ふることなく、韻脚を違ふることなし。春豆と秋糕を売るに似ず[47]、さらに歌唱を学ぶを須ゐず。
(外)秀才どのにはうまく書いていただきました。またお会いすることもございましょう。わたしは戻ってゆきましょう。(退場)
(孤が張天覚に扮して登場)わたしは姓は張、名は天覚、字は商英。科挙に合格して以来、しばしば抜擢を蒙り、ありがたい聖恩により、諌議大夫の官職を授かった。今、汴梁城の人民は、法度に従わないことが多いから、老いぼれは今日、街を微行することにしよう。
(邦老)殺人放火を活計となし、闘ひを好みひたすら争ひ人を虐ぐ。
それがしは行くときは名を変えず、坐しては姓を改めぬ[48]。この土地の人で、姓は李、名は虎。とりたてて商いはしていない。周橋にいるあの爺さんは、農民だな。幾貫かのお金を脅し取るとしよう。(出会う)
(邦)ご機嫌よう。
(孤)礼を返す。
(邦が孤を引き止める)今日、ここで出くわすとはな。二百銭借りて、なぜ返さない。
(孤)おにいさん、老いぼれは百姓でございます。城に入ってきたばかりで、おにいさんに出くわしたのです。お咎めになりますな。
(邦)二百銭を借りたのに、返さないなら、いっしょに河に身投げしにゆくことにしよう。
(孤)おにいさん、お金は借りておりませぬ。勘違いでございましょう。
(邦)二百銭を借りたのを、返さないなら仕方ない。いっしょに河に身投げしにゆくことにしよう。(孤を引いて河に身投げしようとする)
(孤)おやめください。おにいさん、老いぼれをお許しください。なにゆえに老いぼれを引き、河に身投げをしようとなさる。人の命は天地のように大切なもの。お金をお求めならば、二百銭をお貸ししましょう。
(邦)金を返してもらいたいのだ。
(孤)老いぼれはこんなに年を取っているから、行き来する人が、ちょっと宥めてくれれば、良いのだが。
(正末)ようやく詩を買ってもらったが、かれらがこちらで争っている。宥めにゆこう。(唱う)
【石榴花】肩を押し、背を打ち、もみ合ひて、宥むれどすこしも取り合ふことぞなき。かのものはぷんぷんとして、手を揮ひ、怒りが消ゆることこそ難けれ、
(言う)ご機嫌よう。おにいさん、騒がれますな。
(邦)二百銭を借り、返さないから、いっしょに河に身投げしにゆくのだ。
(正末が唱う)人に宥めらるるほどに、いとど粗暴を逞しうせり。
(孤)おにいさん[49]、老いぼれをお放しください。おにいさんにいささかのお金を貸せば宜しいでしょう。(正末を見る)こんにちは。おにいさん[50]、宥めてくださり、有り難うございます。二百長銭をお持ちですね。どうか老いぼれに貸し与え、この人に返してください。元本利息をお返ししましょう。悪人に出くわして、どうすることもできないのです。
(邦)金を借りたのにまだでたらめを抜かすのか。
(正末が唱う)ああ、おんみ孟嘗君は、家の中なる盗人をみづから養ひたまへかし[51]。
(孤)おにいさんのご姓は。
(邦)李虎だ。
(正末が唱う)おんみはまさによく人と交はりし晏平仲[52]、函関を走るとき鶏鳴を真似やうとせず[53]、お金がなければかれを引き、周橋より跳ばんとしたりき。
【闘鵪鶉】こは剣客を養ひて危険に臨み、おんみ田文に報いたるなり[54]。おんみ李密に慌つるなかれと勧めてん[55]。伯父のおんみに放すべきなりと申さん[56]。
(邦)この金を返さないなら、ただでは済まさぬ。
(正末が唱う)ああ。おんみは魯粛に謁せし周瑜でまことに凶暴[57]、荒らかに系腰をしぞ掴みたる。宥めじとすることが利口なるべし。宥めんとせばかれは怒らん。
(孤)おにいさん、老いぼれにお金をお貸しくださいまし。
(正末)なぜこのように切羽詰まっていらっしゃる。
(孤)悪人に出くわしたのでございます。
(正末)二百銭しかございませぬ。ご入り用ならお持ちください。喩え話がございます。
(孤)どんな喩えでございましょう。
(正末が唱う)
【普天楽】おんみは悪しき人に遇ひ、わたしは貧しき星に当たれり。
(言う)二百銭をお貸しすれば、
(唱う)本日は飢ゑを忍びて、飢ゑに耐へつつ明日に到らん。
(孤)おにいさん、「義を見て為さざるは勇なきなり」です。
(正末が唱う)義を見て為さんとしたれども、財産の少なきことをいかんせん。
(孤)君子とは人の急場を救うもの[58]、お貸しください。
(正末が唱う)君子が急場を救ふものなることは存ぜり。いかんせん龐居士[59]は、陋巷に在りて箪瓢せり[60]。
(言う)君子とは人の急場を救うもの。二百銭しかございませぬが、持ってゆきなされ。
(孤)ありがとうございます。おにいさん[61]。おにいさん[62]、この二百銭を持ってゆかれよ。
(邦)返してくれたな。悪く思うな。わたしは酒を飲みにゆこう。(退場)
(孤)大変ありがとうございました。お救いくださいまして。
(正末)お金をお借りになったため、
(唱う)わたくしはいたく愁へて、幼子はいたく怒りて、多嬌はいたく凍えて飢うべけん。
(言う)君子とは人の急場を救うもの。お金をお貸ししましたが。どちらにお住まいなのでしょう。仰ってくださいまし。
(孤)おにいさん、お許し下さい。大変ご迷惑をお掛けしました。お金を貸してくださったため、わたしは一命を救われました。ご安心ください。老いぼれの宿は周橋にございます。南高門楼の張商英の屋敷でございます。老いぼれは元本利息をお返ししましょう。おにいさん、どちらにお住まいでございましょう。
(正末)わたしは姓は趙、名は鶚といい、状元店に泊まっております。
(孤)失態を犯し、笏を落としたお方でございましょう。
(正末)左様です。
(孤)老いぼれは、心に記憶しておいて、状元店に趙鶚秀才どのを尋ねて、お金を送り返すとしよう。おにいさん、許して下され。家に帰ってゆくときに、ごろつきに出くわしたのだが、趙鶚がお金を貸し与えてくれた。来年になり試験に赴き合格したら、その時は恩義に報いることにしよう[63]。(退場)
(旦が子役を連れて店員とともに登場)(店員)奥さん、趙秀才どのが二百長銭を稼がれたとか。いっしょに貰いにゆきましょう。
(旦)行きましょう。
(正末に会う)
(旦)秀才どの、二百銭を稼がれたそうですね。
(正末)二百文銭を稼いだのだが、強情な男が、老人を虐め、かれを引き、河に身投げをしようとし、二百銭を求めていたのだ。お金があればかれを許すが、お金がなければ河に身投げをするというので、人の命を救うため、貸し与えたのだ。明日になったら元本利息を返してくれることだろう。
(旦が罵る)ぺっ。この馬鹿。ようやく稼いだ二百銭を、貸してしまうなんて。晩飯もないのに、何を食べるんだい。他人の命を救ったが、誰があなたの命を救ってくれるんだい。
(子役)お父さん、焼餅を食べたいよ。
(正末が唱う)
【満庭芳】取り立つるお金がなくとも、
(旦)お金があるのに、米を買わず、柴を買わず、ほかの人に使わせるとは。
(正末が唱う)おまへは米を買ひて食べ、柴を買ひて焼かんとしたれど、大斎の時なれば鍋と竃は空しく、水米に触れざるべけん[64]。か弱き妻や子はおろか、たとひ鉄石ならんとも、餓うれば心が焦るもの。女房よ、ひとまず怒ることなかれ。なにゆゑ二百銭を貸したる[65]。昨今の人々は見識こそは浅きなれ。
(旦)あなたを待ってどうしましょう。ほかに嫁いでゆきましょう。
(店員)仲立ちとなってあげましょう。
(子役)お父さん、とてもお腹が空きました。
(正末が唱う)
【十二月】一方は冤家に引かれ、一方は悪婦に掴まる。子たるものは善悪を弁へず、母たるものは清濁を弁へず。
(子役)お父さん、饅頭麺糕[66]を買って食べさせてください。
(正末が唱う)いそいで饅頭麺糕を求めなば、なんぢの五臓を衰へしむべし[67]。
【堯民歌】家が富みなば子供は甘やかさるべきも、わたしは辛き月日を愁へり。柴がなく米がなく、えやは耐ふべき。粗衣淡飯を求めえず、ひとまず暮らせり。貧乏な秀才は、いささかの勉強をせん[68]。青霄は仰げば高きものなれど、路あらばかならず到るものにあらずや。
(旦)養えないなら、去り状を書いてください。ほかに嫁いでゆきまする。
(正末)家に行ったら、去り状をやろう。(唱う)
【耍孩児】ともすれば手を拍ちて街中で叫ばんとせり。ともに白髪となることを幾たび想ひしことのある。
(旦)そのような貧乏くさい顔をして、いつになったら出世できるやら。
(正末が唱う)貧乏くさき顔をして福分薄しと汝は言へり、
(子役)お父さん。わたしを世話することもおできにならないのですね。
(正末が唱う)この小冤家を情理において許すは難し。打たんとすれど、凶悪な妻と不孝な倅を管理しえずと人に言はれん。瓜に近づくことを得ざれば馬包を揉めり[69]と人に言はれん。諺に言ふ、「家を切り盛りするものははやく老い、火に近きものは焼け焦ぐ[70]」と。
【三煞】餓ゑたれば腹は火で焼かるるがごと、走れば総身は水を掛けられたるがごと。三魂は身に着くことなく、慌てて戻りゆきたれば心はなほどきどきとせり。「商ひをして帰りきたれば、汗はいまだに消ゆることなし[71]」にはあらず。高き声にて叫びかつ言ひ、秀才を捕まへて、多嬌はいとも恐ろしや。
(旦)十日に九たびは餓えております。連れ添ってどうします。
(正末が唱う)
【二煞】おまへは言へる、十日に九日は飢ゑて、三たびに一たび飽くるなしとぞ。
(旦)想えばむかし、運悪く、あなたのような貧乏人に嫁いでしまった。
(正末が唱う)むかし貧しき書生に嫁ぎ、楽しき時は楽しみて[72]、金がある時は喜び、金がなき時は叫べり。「貧しきときは愁ふることなく、富みたるときは驕らず[73]」といはざるや。わたしには天が報いん[74]。人の急場を救ふは寒さに耐ふる本、人情に従ふは餓ゑを忍ぶ苗[75]。
(店員)奥さん、家に戻ってゆきましょう。
(正末)わたしはあの借り主を尋ねてゆこう。(唱う)
【煞尾】千歩廊にてかれを待てども来ることはなく、五鳳楼にも見あたらず、九重宮を望めども消耗なくんば、わたしはむなしく二百の青蚨を失はん。(退場)
(旦)店員さん、家に戻ってゆきましょう。(ともに退場)
第三折
(楊衙内が祗候を連れて登場)第一の花花太歳、世に並ぶもののなき浪子喪門[76]。階下なる小民はわたしのことを聞かば恐れん、わたしは権勢ある楊衙内。
わたしは姓は楊、名は戩、字は茂柳といい、衙内の職に封ぜられている。代々の簪纓の子で、官位が低いのが嫌ならならず、馬が痩せているのが嫌なら騎らない。時は春、万の花は綻んで、緑の楊は煙のよう、郊外で遊覧するため、春盛担子[77]はみな出ていった。張千よ、六児を呼んでこい。
(張千)六児よ、旦那さまがお呼びだぞ。
(六児)わたしは楊衙内さまの六児[78]。旦那さまが郊外を遊覧なさりたいというので、春盛をみな準備した。旦那さまがお呼びだが、何事だろうか。旦那さまにお目通りしにゆこう。(見える)旦那さま、六児を呼ばれましたのは、何ゆえにございましょう。
(楊)六児よ、来たな。よその春盛はみな出ていった。十本の銀の箸を持ち、先に城外に行き、わたしが来るのを待っていてくれ。
(六児)旦那さま、おはやめにいらっしゃいまし。(退場)
(楊)下男よ、悦哉[79]と鷂[80]を架に乗せ、弾丸と矢を持ち、郊外へ遊覧をしにゆこう。(退場)
(孤が張商英に扮して登場)詩を誦へて国政を知り、『易』を講じて天心を見る[81]。筆は忠孝の字を題し、剣は不平[82]の人を斬るなり。
老いぼれは姓は張、名は天覚、字は商英。数日前に周橋に微行したとき、ごろつきに出くわして、金銭を要求されたが、趙鶚秀才どのに遇い、二百銭を貸していただき、ごろつきに与えてやった。今、老いぼれはこの金釵十本を返すとしよう。張千よ、状元店に持ってゆき、趙鶚秀才どのに渡して、二百銭をお返しするのだ。倅よ、気を付けろ。はやく行き、はやく戻れ。
(張千)かしこまりました。老旦那さまは二百銭をお借りになり、十本の金釵を返されますが、たいへん多うございます。
(孤)倅よ。あのひとは運が通ぜず、今は貧しく、詩詞を売り、時を待ち、分を守っている。金釵を送り、寒儒を助け、「言ひて信ある[83]」ことを示そう。(退場)
(張千)老旦那さまのお言葉を奉り、十本の金釵を持って、すぐに状元店に行き、趙秀才さまにお送りしよう。(退場)
(六児)楊衙内さまのお言葉を奉り、先に城外へ行き、衙内さまをお待ちすることになった。城外に来たが、時間は早い。十本の銀の箸を持ち、柳の木陰でひとまず休もう。(六児が眠る)
(邦が李虎に扮して追い掛けてくる)一人の男が、手に重たいものを持っていたぞ。何だろう。柳の樹の下に追い掛けてきたが、こちらで眠っているぞ。懐に十本の銀の箸を持っているわい。こいつを殺し、このものを手に入れて、逃げろや逃げろ。(退場)
(楊衙内が祗候を連れて歩く)
(祗候)大人、誰かが六児を殺しました。
(楊が見る)ああ、ほんとうだ。実におかしい。誰かが六児を殺し、銀の箸を奪っていった。城を出てきたとき、一人の男があたふたと走っていたが、あの男だろう。巡坊に話をし、捕まえさせて、報せさせてくれ。どこであろうと、捜しにいってくれ。(退場)
(店員、旦、子役が正末とともに登場)
(旦)秀才どの、去り状を下さい。このような貧しさには耐えられませぬ。
(店員)宿銭を借りているのだから、頭房[84]に泊まるな。梢間[85]に泊まれ。
(正末)店員さん、梢間に泊まれと仰るのなら、泊まりましょう。これもやむを得ないことです。
(旦)はやく去り状を書いてください。
(正末)女房よ、明日お金を送ってこなかったら、去り状を書こう。このようなありさまで、いつになったら出世するやら。(唱う)
【南呂】【一枝花】春の驟雨に耐へられず、夏の斜陽に耐へられず。秋霜の寒さの屋に沁みいるに耐へられず、冬雪の冷やす書斎に住むを得ず。この四季の苦しみはほんたうに耐へ難し。「否が極まれば泰を生ず[86]」と言はれども、わたしにおいては、苦は尽くれども甘は来らず。ぼろぼろの三間のあばら屋に住み、十載わびしき寒窓にむなしく耐へたり。
【梁州】箪瓢巷の顔回の暗き宿のごと[87]、あたかも首陽山にある伯夷の清き斎のごと、糧を絶たれし陳蔡の孔子の居のごときなり。いたく飢うれど、口からは珠玉を吐きて、いと凍ゆれど、胸には江淮をぞ巻ける[88]。昨日は金殿で失態を犯したりしかば、本日は大通りにて詩を売れるなり。粗暴な男が、英才を引き止めたるを見しときに、思はずはつきり尋ぬべきにはあらざりき[89]。龐居士に遇ひたれば二百の青蚨を与へられ[90]、孟嘗君に遇ひたれば三千の剣客は養はれ、賽元達[91]に出くはせば十二金釵は列ねられたり。わたしは想へり、お金を貸すべきにはあらざりきと。わたしは知れり、范丹はいかでかは来生債を貸すべけん[92]。利子もなければ、元本もなし。他の人の災禍を救ひしこともむなしく、まことにわたしは言葉なきなり。
(店員)はやく宿銭を払え。
(旦)去り状を書いてください。
(店員)奥さん、去り状を求めてほかの人に嫁がれるなら、仲立ちになってあげましょう。
(子役)焼餅が食べたいよ。
(旦)はやく去り状を書いてください。
(正末)夜明けになったら、去り状を書き与えよう。
(張千)わたしは張千。旦那さまの御諚を奉り、十本の金釵を趙秀才に送りにゆく。この店の入り口に来た。門で叫ぼう。店員よ、門を開けろ。
(店員)どなたです。
(張千)こちらに趙秀才さまがいらっしゃいますか。
(店員)尋ねてどうする。
(張千)旦那さまの言葉を奉り、借金をお返ししにきたのです。
(店員)門を開けよう。
(張千が門に入る)
(店員)秀才どの、人が借金を返しにきました。
(張千)どなたが趙秀才さまでございましょう。
(正末)わたしです。
(張千)周橋の下で主人に二百銭を貸し与えた趙秀才さまでございましょうか。
(正末)左様です。
(張千)主人が申しますには、二百長銭をお借りしましたので、十本の金釵をお送りするとのことでございます。お収めください。
(正末が唱う)
【隔尾】金銭を貸し与へしは、かのひとを賢士を招く東の海より救ひ出さんがためなりき[93]。かのひとがお金を返すは、妻子を棄つる修羅場から救ひ出さんとすればなり。
(張千)金釵をお収めください。大人に報告をしにゆきましょう。
(正末)ありがとう。おにいさん。
(店員)お茶を飲みにゆきましょう。
(張千)結構でございます。(退場)
(旦)わたしは金釵を手に入れました。
(正末が唱う)これからは日々の費用を除いては、衣を作り[94]、鞋を作り、米を買ひ、柴を買ふべし、
(旦)わたしも衣服をすこし買うことにしましょう。
(正末が唱う)妻よ、「逢へば語らひ、見れば買ふ[95]」ことなかれかし。
(言う)一本の金釵を、店員さんに宿銭として与えよう。店員さんはどこだろう。
(店員)おにいさん、どうしてお呼びなのですか。
(正末)さきほど大人が十本の金釵を返してくれましたから、一本を差し上げて宿銭にいたしましょう。
(店員が受け取る)わたしはあなたが貧しい定めにある人でないものと思っていました。頭間を掃除してお泊まりいただくことにしましょう。お茶を入れ、お飲みいただくことにしましょう。すぐにお移りくださいまし。
(正末が唱う)
【賀新郎】梢房の入り口はまるで嚇魂台[96]のやう、あなたは今は小声で話せど、先ほどは大騒ぎせり。わたしはお金を持ちたれば、かのものをしていかでかは飯代と宿銭の二百銭をば請求せしめん[97]、
(店員)とりあえず請求しないことにしましょう。踏み倒されることはございませんでしょうから[98]。
(正末)店員さん、この金釵を差し上げましょう。
(唱う)炭火にも似た一本の金釵を与へん[99]。
(店員)あなたは礼節を弁えたお方です。約束を違えたりはなさいますまい。
(正末が唱う)金のなき時、かれは悪歆歆として嗔りは懐に満ちたりき。金を返せば、喜孜孜たる笑ひは頬に満つるなり。
(店員)いつもあれこれと申しましたが、お許し下さい。
(正末が唱う)店員どのは自分が悪しと言ひたればひとまず許さん、
(店員)大変ありがとうございます。おにいさん。
(正末が唱う)これこそは「天外の事を求めんとせば、世間の財を動かすべし[100]」なれ。
(店員)奥さん、おにいさんは今日、お食事を召されていませぬ。いささかの食事を調え、おにいさんに食べさせてあげましょう。
(旦)それは宜しゅうございます。
(店員があわてて退場)(食事を持って登場し、旦に与える)奥さん、食事を調えてまいりました。おにいさんにすこし食べさせておあげなさい。
(旦)ありがとうございました。
(店員)奥さん、何を仰います。わたくしたちは一家と同じでございます。奥さん、持ってゆき、おにいさんに食べさせて、敬意をお示しくださいまし。
(旦)はい、はい、持ってゆきましょう。
(旦が食事を捧げて正末に見える)
(正末)女房よ、どうしたのだ。
(旦)秀才さまが食事をなさっていなかったので、店員に食事を調えてこさせたのです。お食べください。
(店員)おにいさん、召し上がれ。
(正末)ほんとうに世知辛いわい。(唱う)
【罵玉郎】粗茶、淡飯、黄齏の菜ははやくも変はれり。げにも勘定高きなり。
(旦)秀才どの、お腹が空かれたことでしょう。お食べください。
(正末が唱う)孟光のごとくに挙案斉眉せり[101]。貧乏秀才、甲斐性なしとおまへがいへば、わたしはまことにせんすべなかりき。
(言う)昨日はこう言わなかったか。
(旦)わたしが何と申しましたか。
【感皇恩】おまへは言へり、おまへは杏顔桃頬なれば、布襖荊釵[102]に恋々とすることなしと。悪しきこと虺蛇のごと、毒のあること蝮蝎のごと、荒きこと狼豺のごと。
(旦)旧い話は仰いますな。
(正末が唱う)故郷を離れたることをまつたく想はず、近所を騒がせやうとせり[103]。おまへはいとも舌は鋭く、心は拗けたるものぞ。
(旦)一時道理を弁えなかったのでございます。恨みを抱かれないでください。
(正末が唱う)
【採茶歌】凶暴に罵倒して、執拗に指図せり。「去り状をすみやかに書けかし」と。
(店員)おにいさん、旧悪を思われますな。おにいさん、とりあえずお食事をなさいまし。
(正末が唱う)氷雪堂は敬賓宅に変はりたり。春風和気に画堂は開けり。
(店員)おにいさん、お食事をなさいまし。
(正末が食べる)
(店員)掃除をいたしました。おにいさん、お休みください。
(正末)日が暮れたから、休むとしよう。
(店員が灯を点す)おにいさん、お休みなさい。(退場)
(邦)わたしは李虎。日が暮れたが、泊まる場所がない。状元店にひとまず宿を求めにゆこう。(門で叫ぶ)店員よ、門を開けろ。泊めてくれ。
(店員)どんな品物をお持ちです。どんな商売をなさっています。どんな元手をお持ちです。一人のお客はお泊めしませぬ。
(正末)店員さん、宿を求める人がいるのに、どうして門をお開けにならない。
(店員)おにいさん。われわれ宿屋のことをご存じないのです。
(正末が唱う)
【闘蝦蟆】どのやうな品物を持ち、どのやうな商売をなし、どのやうな元手があるかを尋ねたり。旅人を泊むる店を開けど、いささかも寛容ならず。船に乗り海を渡るを尋ねめや。車を推して物を運ぶを尋ねめや。宿に一人の客を泊めずば、わたしが保証人となるべし。一更の三点頃は、千方と百計をもて耐ふべけん。寒き禁街[104]、侘びしき門外。語れどまつたく取りあはず、宥むれどいささかも速やかにせず[105]。ぐづぐづとするなかれ、もたもたとするなかれ。そのうちに巡軍[106]は朗朗[107]と、鈴を提げ来るべし。なにゆゑぞいそいで門を開かしめたる。わたしはまさに旅に慣るれば偏に客を憐れめるなり。
(店員)おにいさんのお顔に免じて、この門を開けましょう。
(邦が門に入る)一人の客を泊めるのか。
(店員)一人の客は泊めないと言いました。
(邦)誰が門を開けさせた。
(正末)わたしです。
(邦)ありがとう。おにいさん。
(正末が礼を返す)
(唱う)様子を見、顔色を見れば、七尺の身材なり。わたしはこなたで子細に見、幾度も訝る。
(背を向ける)ああ、朝、周橋で老人を引き、お金を求めていた悪者だ。
(邦)何だと。
(正末)おにいさん、わたしが門を開けさせなければ、おにいさんはこの宿に泊まれなかったことでしょう。おにいさん、宿で一晩お眠りなさい。お休みなさい。
(正末が旦を連れて部屋に入る)
(邦が聴く)わたしのことを何と言うかを聴くとしよう。
(旦)この九本の金釵はどこに置きましょう。
(正末が手で旦の口を押さえる)女房よ、馬鹿だなあ。この宿には悪人が泊まっているのに、何を言うのだ。
(邦が聴く)金釵を持っているのだな。さらに聴こう。
(正末)どこに置けばよいだろう。頭の下に枕して眠るのも、安全ではないだろう。懐に抱えるのも、安全ではないだろう。宿には悪人がいるから、門の裏手に埋めるのがよいだろう。(埋める)
(邦が眺める)
(正末)女房よ、夜が更けたから、眠るとしよう。(眠る)
(邦)ながいこと聴いていたが、ほんとうにおかしいぞ。一人の貧しい秀才が、どこであの九本の金釵を手に入れたのだろう。刀を手に持ち、敷居の下をほじくって、金釵を取り出し、この十本の銀の箸に換えるとしよう。人々が店を捜索しにきたら、かれが捕まり、わたしとは関わりない。手に入れたから、塀を掴んで、跳びこえて、逃げろや逃げろ。(退場)
(楊衙内が人々を連れて登場)ほかの所はすべて捜索したのだが、状元店だけは捜索していない。この宿へ行ったというから、左右のものよ、この宿を囲め。
(祗候が門で叫ぶ)
(店員)どなたです。(店員が門を開けて見る)
(楊)店員よ、おまえの宿には誰が泊まっている。
(店員)秀才の三人家族が泊まっています。
(楊)何か荷物を持っているか。その秀才を呼んでこい。
(店員)秀才さん、人が呼んでいます。
(正末が慌てる)人が呼んでいる。金釵を持ってきて、懐に入れるとしよう。(衙内に見える)
(楊)何者だ。
(正末)秀才でございます。
(楊)おい秀才、どんな商いをしている。どんな荷物がある。取り出して見せろ。
(正末)大人、わたしは貧しい秀才で、何の荷物もございませぬ。三人家族で、日々周橋で、詩を売りながら暮らしております。昨日の朝、一人の御仁が、人に引かれていましたが、わたしに向かって、二百文銭を貸してくれといいました。昨日の晩、その御仁は、人を遣わし、十本の金釵を送ってきて返済をしたのです。一本で店員に宿銭を払い、九本がこちらにございますが、とりたてて何の金品もございませぬ。
(楊)二百銭を借りて、十本の金釵を返したというのか。
(店員)本当でございます。嘘を申しはいたしませぬ。
(楊)その金釵を持ってきて見せろ。
(正末)はい、はい、はい、掘り出してきて大人にお見せしましょう。(掘る)
(正末が箸を見、驚いて叫ぶ)ああ。ああ。どうして変わってしまった。(唱う)
【牧羊関】昨日は金の鳳釵は棗瓤[108]の赤さなりしも、本日は銀の箸となり雪練[109]のごとくに白し。運は拙し。時が来れば鉄も光を争ひ、運が去りなば金も色を失はん[110]。誰か銀の箸を残せる。誰か鳳頭の釵を盗める。門を閉ざして部屋に坐したるまさにそのとき、禍は天より来れり。
(楊)捜していたぞ。人殺しはここにいた。おいおまえ、どうしてわが家の六児を殺し、銀の箸を盗み、財を狙い、人を殺めた。正直に言え。
(正末)存じませぬ。
(楊)わが家の六児を殺していないのであれば、この銀の箸はどのようにして手に入れた。
(正末)大人、憐れと思し召されまし。ほんとうに金釵だったのでございます。
(楊)まだ強弁するか。贓物はすでにあるのだ。白状しないで、どうするつもりだ。左右のものよ。服を剥ぎ、打て。(打つ)
(正末)ほんとうに埋めたのは金釵なのでございます。なぜこのものが掘り出されたのでございましょう。
(店員)なぜこの物に変わったのでございましょう。
(正末が唱う)
【紅芍薬】鳳頭の釵を手づから埋め、掘り出して懐にいそいで入れたり。想ふに戳包児賊漢は、不義の財貨を手に入れて、わたしはまさに慈悲ゆゑに患害をしぞ生じたるらん。鬼神の差配で、他の人のため湿つた肉を乾いた柴に伴はしめたり[111]。人情のなきお上の棒はほんたうに耐へ難きもの。
(楊)白状しようとせぬのだな。打て。
(正末が唱う)
【菩薩梁州】公吏らは心が拗け、悪少年はまことに凶悪。おんみは柳盗跖家の弔客ならずんば、貧秀才家の横禍非災[112]ぞ。いかなる年月日時にか、閻王に咎められにし。まじめさは所詮役には立たぬもの[113]。
(旦)大人、憐れと思し召されまし。
(正末が唱う)弁明すとも甲斐なかるべし。仕置場で死せんとすれば申し開きをするなかれ。まもなく命は泉台に消ゆべし。
(楊)白状せぬならさらに打て。(打つ)
(正末が悲しむ)状元店に来て泊まるべきではなかった。(唱う)
【二煞】ほんたうに敬客坊は、ぴたりと迷魂寨に寄りたり[114]。状元店は分界牌に連なりたるにや。おそらく鬼門関ならん[115]。春榜[116]は掲げられ、選場は開かれたるなり。太歳のゐる凶宅に住めるにや。なにゆゑぞ一歩進めば不幸に遇へる[117]。先に定められしことは、いかでかは改むべけん。寒さを忍び、飢ゑを堪へて十余年、さらにこの血の災あり。
(言う)このような苦しみには耐えられない。仕方ない。わたくしでございます。
(楊)左右のものよ、連れていってくれ。聖上に奏聞したら、処刑されよう。
(旦)亭主どの、どうしたらよいでしょう。
(正末)女房よ、他人の事に関わるな。すべてわたしの運命なのだ。(唱う)
【煞尾】喩ふれば天は覆はず、地は載せず。人の海にし居りたれど、食には飽きず、衣には蔽はれず、世界から葬りさられなんとせり。想へば昨晩吃剣才めを、人としてよく世話せしかど[118]、人を殺めしものなりき。贓物と取り換へられてわたしは捕らへられしなり。人を殺めて財を狙ひしことありと無実の自白をせざるを得ざりき。詩を売る貧しき秀才をいたく不当な目に遭はせたり。
(楊)人殺しが見付かったから、聖上にお会いしにゆくとしよう。(衆を率い、正末を擁して退場)
(店員)ああひどい。ようやくお金を手に入れたのに、また持ってゆかれてしまった。奥さん、わたしたち二人はあのひとに会いにゆきましょう。
(旦)亭主どの、あなたのせいでひどく悲しゅうございます。(ともに退場)
第四折
(浄が銀匠に扮して登場)わたしは銀匠。仕事はいとも巧みなり。人々が銀を送りきたらば、半分の銅を混ずるなり。
わたしは銀匠、朝にこの店を開くと、誰かが来たぞ。
(邦)わたしは李虎。昨日は十本の銀の箸を盗み、状元店で九本の金釵に換えた。生活費がなくなったから、銀匠の店に行き、生活費の銅銭に換えよう。はやくも着いた。おい銀匠、品物があるから、銅銭に換えてくれ。
(銀匠)どんなものです。持ってきて見せてください。
(邦が金釵を取る)九本の金釵だ。
(銀匠)持ってきて置いてください。ぶらぶらとされてから銅銭を取りにきてください。
(邦)すぐにくれ。
(銀匠)銅銭は手元にございませぬのです。
(邦)まあよかろう。しばらくしたら取りにこよう。(退場)
(店員)わたしは店員。ここ数日で、生活費がなくなった。趙鶚秀才がくれた一本の金釵を、銀匠の店に持ってゆき、いささかの銅銭に換えるとしよう。(見る)
(銀匠)おにいさん、どうしました。
(店員)一本の金釵があるから、いささかの銅銭に換えるのだ。
(銀匠)持ってきてください。
(店員)これだ。
(銀匠が見る)わたしの所にも九本ございますが、これと同じでございます。
(店員)どこにある。見てみよう。
(銀匠が店員に見せる)ご覧なさい。同じでしょう。
(店員が見る)ほんとうだ。この九本の金釵のために、人が不当に殺されるのだ。どこで手に入れた。
(銀匠)おにいさん、わたしのものではございませぬ。今しがた、一人の男が持ってきて、銅銭に換えようとしましたが、まだ銅銭を与えていませぬ。もうすぐやってくるでしょう。
(店員)そいつが来たら、われら二人はそいつを捕らえ、趙鶚秀才を救いにゆこう。捕まえないなら、訴えてやる。
(銀匠が慌てる)わたしとは関わりはございませぬ。来ましたら、いっしょにそいつを捕まえましょう。そろそろやってくるでしょう。とりあえず隠れましょう。
(邦)金釵を両替した銅銭を求めにゆこう。おい銀匠、銅銭を払え。
(二人が邦を捕らえる)結構なことだな。おまえが金釵を盗んだのだな。罪のない人を不当に死なせようとするとは。地方さん[119]、皆さん、こいつを捕らえて縛りあげ、趙鶚秀才さんを救いにゆきましょう。
(邦)わたしのものだぞ。
(店員)認めないなら、証拠が一本こちらにあるぞ。
(邦)どうしよう。
(店員)人殺しを捕まえたから、われら二人は趙秀才を救いにゆこう。(ともに退場)
(楊衙内)「殺人は恕さるべきも、情理には抗ひ難し[120]」。
わたしは楊衙内。わが家の六児を殺し、銀の箸を盗んだのが、趙鶚秀才だったとは思わなかった。状元店で捕まえて、取り調べたが、贓物はみな揃っていた。聖上に奏聞したら、わたしを監斬官[121]となされた。今日は仕置場を設けた。あいつを引き出してきてくれ。(首切り役人が卒子とともに正末を縛って登場)
(首切り役人)急げ。時間だ。
(正末)苦しい運命に任せるしかない。天よ、ひどい濡れ衣ではございませぬか。(唱う)
【双調】【新水令】弁明をせしむることなく、殺人を不当に自白せしめたり。愁雲は市井に迷り、殺気は京師に満つるなり。わたしは嗟いて言葉なく、一歩一歩、枉死の市に到るなり[122]。
(旦が慌てる)亭主どのではございませぬか。ああ。亭主どの。
(首切り役人)おい女よ、下がれ。
(正末)おにいさん、憐れと思し召されまし。これは女房でございます。
(首切り役人)おい秀才。おまえは書を読む人なのに、なぜこのようなことをした。財を狙い、人を殺めるとは。
(正末)おにいさん、ほんとうに濡れ衣でございます。
(首切り役人)濡れ衣とはどういうことだ。
(正末が唱う)
【駐馬聴】天のごとくに大いなる官司を押しつけられたり。処刑すべしとの罪名を推しつけられて、手のごとく大いなる斬の字を判決とせられたるなり。などかは死して怨みなき罪なるべけん。想ふに曹司の書状は辰の刻なれど、閻王は黄昏に死ぬることをぞ定めたるらん[123]。
(旦が見物人を指さす)みなさん、下がってください。見てどうします。
(正末)妻よ、おまえは知らぬのだ。
(唱う)かれらがいかなる存念なりと思ひたる。おそらくは玉堂金馬の三学士をば見しことのなきためならん[124]。
(旦)秀才さま、あなたが死んだら、どうしたらよいでしょう。
(正末)妻よ、わたしが死んだら、倅をしっかり世話してくれ。(唱う)
【沈酔東風】頑是なき子は父を失ひ、か弱き妻は残されぬべし。わたしがをらば、なんぢらを世話せんも、わたしがなくば、人々に侮らるべし。誰かなんぢらのために仕事すべけん。今冬の雪降る時に得耐へざるべし。なんぢら二人は凍え死なずば、飢ゑ死にすべけん。
(子役)わたしは大したものではございませぬ。お父さま、替わりにわたしが死にましょう。
(正末)倅は幼いのに、このようなことを言うとは。どうして悲しまれずにおれよう。(唱う)
【雁児落】わが家は子は孝ならず父は慈ならず、わが家は子は逆らひて父は正しきことをせざりき[125]。倅よ、いかでかおまへを替わりに死なしめん。父がなしたる事なれば、父がその責めを負ふべし[126]。
(旦が悲しむ)ひどく悲しゅうございます。
(正末が唱う)
【得勝令】幼き倅はいと憐れなり、
(旦を見て悲しむ)
(唱う)女嬌姿を見るに忍びず。命窘まれば賢婦に遭ひ、家貧しければ孝子現る。なんぢに言はん、節句、朔日、新年に至りなば[127]、わたしは死して陰司に居れば、いささかの紙銭を焼けかし[128]。
(楊)首切り役人よ、時間が来たのではないか。
(首切り役人)時間です。(枷を解く)(首切り役人が刀を執り、手を下そうとする)
(孤が張天覚に扮して登場)しばし待たれよ。
(楊)どうなされた。
(祗候)張大人がご到着です。
(孤)馬を繋げ。(見る)
(楊)大人、どうなさいました。
(孤)衙内どの、この趙秀才はいかなる罪で殺されるのか。
(楊)わが家の六児を殺し、十本の銀の箸を盗み、財を狙い、人を殺めたのでございます。聖上に奏聞いたしましたところ、わたしを監斬官にして、処刑させるのでございます。
(孤)老いぼれは聖上に奏聞しました。趙鶚は文才があり、義侠心にも富んでおり、人の危難を救いましたから、聖上は老いぼれにお命じになり、官位を加え、褒美を賜わせるのです。殺してはなりませぬ。
(旦)秀才さま、しっかりなさいまし。今、大人があなたを許しにこられましたよ。
(正末が唱う)
【川撥棹】ほんたうに、あやふく、あやふく横死せんところなり。死は目前にありたれば、命は懸けたる絲のやう。背後に首切り役人が立ち、長休飯を幾匙か掬ひあげ、永別酒をば一卮飲みたり[129]。
【七弟兄】巳の刻から午の刻まで、多くとも半炊の時はなきなり[130]。恩に報ゆる大人が宣使[131]なりとは想はざりけり。わたしの魂を求むる太尉[132]は階址に立ちたれど、わたしの命を救ふ赦状は天から来れり。
【梅花酒】かれは聖旨を奉ぜりと言ふ。わたくしは涙を拭ひ眵を擦り、言葉は絲のごときなり[133]。頚を断たれて屍を裂かれんとせり。青天は賄賂を受くることはなからん[134]。口中の言葉は語り尽くしえず。(看板を見る)
(唱う)この半枚の紙を見たれば、わたしの罪を並べたてたり。眼を開きしばらく見れば、わが罪を書き、五言詩にしぞ勝りたる[135]。
【収江南】ああ、犯由牌[136]に名を掲げられ[137]、状元店にて禍が並び来んとは想はざりけり。本日は枯樹に花はまた咲けり。わたしは横死せんものと思ひたりしが、病みたる龍も雲を吐く時がありけり。
(孤)趙秀才どのをこちらへ来させろ。あなたは才徳を抱いているため、聖上に奏聞し、本日は官位を加え、褒美を賜うことにする。
(楊)お待ちください。この趙秀才は大人により、命を許してもらえましたが、わが家の六児の命は、誰に償わせましょう[138]。
(孤)学問がある秀才が、そのような違法な事をするはずがない。
(楊)大人、かれではないと仰いますが、十本の銀の箸は、かれの懐から出てきたのです。どうしてかれでないことがございましょう。
(孤)趙秀才どの、おんみは貧しい秀才だったが、わたしはおんみに二百文銭を借り、十本の金釵を返した。あの宿で、どのようにしてこの十本の銀の箸を手に入れたのだ。
(正末)大人、憐れと思し召されまし。わが家は一貧洗うがごときありさまでしたが、大人が金釵を十本下さりました。わたしは宿屋に一本をやり、九本を残しました。包んだものの、置く場所がなかったために、敷居の下に浅く埋めたのでございます。わたしは人が呼んでいるのを聴きますと、いそいで走り、金釵を取り出し、懐に入れたのでございます。ところが衙内が見ようとしたとき、取り出しますと、誰かが銀の箸に換えていたのでございます。大人、憐れと思し召されまし。もともとは九本の金釵だったのでございます。
(楊)大人。このものがしまっておいたのですから、ほかのものがどうして換えることができましょう。
(孤)この件はどのように裁いたものか。
(店員が銀匠とともに邦を捕らえて登場)
(店員)濡れ衣でございます。
(孤)誰かが濡れ衣だと叫んでいる。
(祗候)かれら二人でございます。
(店員が跪く)大人、憐れと思し召されませ。わたくしは濡れ衣を着せられておりませぬが、趙秀才が濡れ衣を着せられているのでございます。
(孤)なぜかれが濡れ衣を着せられている。
(店員)こいつはわたしの宿で、九本の金釵をこっそりと十本の銀の箸に換えたのでございます。
(孤)どうしてそれを知ったのだ。
(店員)十本の金釵のうち、秀才は一本をわたしに与え、宿銭にしたのでございます。わたしは生活費がなくなりましたので、今日、銀匠の店に持ってゆき、銅銭に換えようとしましたところ、ちょうどこいつに出くわしたのでございます。こいつも九本の金釵を持ってきて、銅銭に換えようとしていましたので、捕まえたのでございます。
(孤)こいつは周橋でわたしを引いて河に身投げをしようとし、わたしから金品を脅し取った男ではないか。
(正末)大人、まさにこいつでございます。おいおまえ、正直に言え。おまえがやったのだろう。
(邦)事ここに到っては、仕方ない。大人、六児を殺したのもわたし、銀の箸を盗んだのもわたし、金釵を換えたのもわたし、周橋でお金を騙し取ったのもわたしです。許されないなら、すぐに哈剌[139]してくださいまし。
(楊)すべてこいつの仕業だったか。趙秀才を不当に殺すところであった。秀才どの、立たれよ。こいつがどのように周橋で悪事を行い、大人を引き止めてお金を脅し取ったのか、おんみがどうして大人にお金を貸し与えたのかを、お話しくだされ。
(正末が唱う)
【雁児落】この二百銭は大人の掌命司[140]なり。
(楊)大人はおんみに十本の金釵を返されたのか。
(正末が唱う)十本の釵は貧乏な秀才の追魂使なり[141]。
(楊)大人はおんみに二百銭を借り、十本の金釵を返されたのだから、元本に利息がついていたわけだ。
(正末が唱う)などかは元本利息のあるべき[142]、
(言う)最後まで、わたしが財を狙い、人を殺めたと言い、わたしに刑を受けさせました[143]。
(唱う)これこそは暗宣賜明宣賜なれ[144]。
(孤)趙秀才どの、むかしおんみが二百銭を貸してくださらなかったら、こいつに引かれて河に落ちるところでした。
(邦)大人、旧い話は仰いますな。
(正末が唱う)
【水仙子】河に身投げをせんとせし時、お金を借りて命を購ひたりしかど、大臣を殴れば処刑せられなん。
(孤)おんみにはお世話になりました。
(正末が唱う)二百銭にて、貧乏な秀才は、龐居士となり、妻と子を飢ゑ死にせしめなんとせり。
(孤)気前よく貸してくださり、難色を示されなかった。本当に有り難いことでした。
(正末が唱う)お金を貸す時、拒みしことなし。この行ひがあるのみで、今まで久しく敬はれたり。
(孤)わたしは今でも忘れませぬ。
(正末が唱う)物事はあらかじめ考ふることを要せり[145]。
(孤)人殺しが見付かった。皆のもの、わたしの裁きを聴くがよい。賊人李虎は、罪のない人の財産を狙い、生命を奪ったので、仕置場で処刑し、金釵は趙秀才に返還する。店員は冤罪で殺される人を救ったので、本戸の労役を免除する[146]。趙鶚よ、聴け。そなたは星斗の教養を持っているから[147]、身は琴堂[148]に坐することができる。わたしはそなたに危難を救ってもらったために、凶徒に遇ったが災難を免れることができた。ところがそなたは濡れ衣を着せられ、財を狙い、人を殺めたとされ、仕置場に送られるところであった。そなたは才徳を抱いているから、まずは霞帔朝章を賜い、開封府尹に封じよう。三人は、凶は変じて吉となった。今日は妻子に恩典をもたらそう。ともに君恩を受け、わが皇に拝謝するのだ。
半夜灯前学業の人、九重の宮居にて君恩を受く。十年の黄巻は酬はれ難きも、二百の青蚨によりて立身したるなり。(ともに退場)
題目 貧秀士暗宿状元店
張商英弘地叩御階
正名 楊太尉屈勘銀匙箸
宋上皇御断金鳳釵
最終更新日:2007年8月7日
[1]未詳だが、宿屋の名であろう。「店」は旅店。科挙の受験生を泊める宿なので、縁起の良い名前を付けてあるのであろう。
[2]婦人の封号。
[3]原文「我便準備着果盒酒児、与你掛紅」。「掛紅」は、祝祭のために紅い絹の布を掛けて飾りたてること。
[4]山西省の地名。ここを鯉がさかのぼると龍になることで有名。『後漢書』巻六十八李膺伝注引『辛氏三秦記』「河津一名龍門、水険不通、魚之属莫能上、江海大魚薄集龍門下数千、不得上、上則為龍」。
[5]原文「我眼観旌節旗、耳聴好消息」。明るい未来を予測しているときに唱われる、元曲の常套句。「旌節旗」は「旌捷旗」などとも表記される。「節」と「捷」は同音。「旌節旗」は節を表彰する旗、「旌捷旗」は勝利を表彰する旗。『凍蘇秦』、『漁樵記』、『望江亭』など、用例多数。
[6]沙堤は唐の京兆尹蕭Qが要路の人を迎えるとき、通り道に砂を敷き、こう称したもの。『唐国史補』巻下「凡拝相、礼絶班行、府県載沙填路、自私第至子城東街、名曰沙堤」。
[7]原文「龍楼鳳閣九重城、新築沙堤宰相行。我貴我栄君莫早A十年前是一書生」。元曲で、高官が登場するときの常套句。『薛仁貴』、『凍蘇秦』、『薦福碑』、『王粲登楼』、『小尉遅』、『范張鶏黍』、『玉鏡台』など、用例多数。
[8]天子であると解す。
[9]丹漆で塗り込めた庭。天子の庭。
[10]百官が、早朝、宮門が開くのを待つところ。『国史補』「元和初置待漏院、為朝臣晨集所」。
[11]進士及第者が行うパレード。
[12]黒い傘。
[13]貴顕の先導役。『玉堂雑記』「朝殿日、皇太子、宰相、親王、使相、参政、各有朱衣吏二人、自下馬処導至殿門、此外惟翰林学士有之」。
[14]原文「脱白換緑」。「脱白換緑」は「脱白掛緑」とも。「脱白」は白襴を脱ぎ捨てること。白襴は書生の衣服。「緑」は緑袍。緑袍が元代に官服として用いられたことは正史には見えないが、宋代は官服の色であった。『宋史』輿服志五・士庶人服「近年品官緑袍及挙子白襴下皆服紫色、亦請禁之」。
[15]原文「掛紫穿緋」。未詳。紫は紫綬か。「緋」は緋袍か。元代、六、七品官の公服。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』百九十八頁参照。
[16]禁苑の中にある池の名。傍らに中書省があるので、中書省、又、宰相をいう。
[18]原文「覷功名荀指般休」。「荀指」がまったく未詳。全体的な方向は功名のはかなさをいっているのであろう。
[19]科挙の首席合格者。
[20]天子の恩徳の喩え。
[21]管寧、華歆がともに勉学しているところへ、貴顕が来訪したところ、華歆は席を立って出迎えたが、管寧は勉強を続け、華歆と席を分かち「子は吾友に非ず」としたという故事に因む句。『世説新語』徳行「管寧、華歆共園中鋤菜、見地有片金、管揮鋤與瓦石不異、華捉而擲去之。又嘗同席讀書、有乘軒冕過門者、寧讀如故、歆廢書出看。寧割席分坐曰、子非吾友也」。なお『蒙求』の標題にも「管寧割席」あり。
[22]漢の人。『西京雑記』「匡衡。字稚圭。勤学而無燭。隣舍有燭而不逮。衡乃穿壁引其光。以書映光而読之」。『蒙求』の標題に「匡衡鑿壁」あり。
[23]『史記』淮陰侯列伝「淮陰侯韓信者、淮陰人也。始為布衣時、貧無行、不得推択為吏、又不能治生商賈、常従人寄食飲、人多厭之者、常数従其下郷南昌亭長寄食、数月、亭長妻患之、乃晨炊蓐食」。
[24]『論語』里仁。
[25]江淹が夢で郭璞と会い、筆を返せといわれ、返したところ、才が尽きてしまったという故事にちなむ句。『南史』江淹伝「又嘗宿於冶亭、夢一丈夫自称郭璞、謂淹曰吾有筆在卿処多年、可以見還。淹乃探懷中得五色筆一以授之。爾後為詩絶無美句、時人謂之才尽」。『蒙求』の標題に「江淹夢筆」あり。
[27]進士合格者の記録。
[28]原文「世情看冷暖、人面逐高低」。世の人が権勢に靡きやすいことをいう諺。元・劉塤『隠居通議』巻二十五「蓋趨時附勢、人情則然、古今所同也、何責于薄俗哉。諺曰世情看冷暖、人面逐高低」。
[29]原文「又没有金冠霞帔」。官吏の夫人の礼装。金冠は女子の束髪冠。周汛等編著『中国衣冠服飾大辞典』五十九頁参照。写真:周汛等著『中国歴代婦女妝飾』九十五頁所収の宋代の金冠。霞帔は婦人の礼服の一部で、肩掛け状のもの。写真:周汛等著『中国歴代婦女妝飾』二百四十一頁所収の清代の霞帔。
[30]主語は李氏と福童。
[31]原文「如今等討人衣、似剥了身上一張皮」。人から衣服を恵んで貰うことは、人の皮を剥がすよりも難しいことを述べた句であると解す。
[32]不正なものを正しいものの上に置くこと。『論語』為政「挙直錯諸枉、則民服、挙枉錯諸直、則民不服」。
[33]原文「指雲中雁為膳饌、撈水中月覓衣食」。訳はこれでよいのであろうが含意未詳。
[34]原文「如投呂先生訪故友、似尋呉文政搠相知」。「呂先生」「呉文政」ともに未詳。「搠」のここでの意味も未詳。この句全体の含意も未詳。
[35]原文「你不知那貢院裏試官、他則是寄着我那状元哩」。「貢院」は科挙の試験場。「寄着我那状元」が未詳。
[36]未詳。
[37]原文「教人道窮書生猶自説兵機」。「説兵機」は功名心を失っていないことの喩えであろう。
[38]原文「偏別人平歩青霄」。「平歩青霄」はやすやすと高位に登ることの喩え。
[39]山西省の地名。龍門に同じ。ここを鯉がさかのぼると龍になることで有名。『後漢書』巻六十八李膺伝注引『辛氏三秦記』「河津一名龍門、水険不通、魚之属莫能上、江海大魚薄集龍門下数千、不得上、上則為龍」。
[40]原文「好下番的疾靴笏襴袍」。「好下番的疾」が未詳。
[41]九種の経書。諸説ある。
[42]三種の史書。『史記』『漢書』『後漢書』。
[43]文章博学。文才があり博学であること。
[44]模様のついた詩箋であろう。
[45]原文「窮不的卓児出四宝」。未詳。とりあえず、このように訳す。
[46]原文「真真字児不帯草」。「帯草」が未詳。とりあえず、このように訳す。
[47]原文「又不似売春豆秋糕」。まったく未詳。
[49]李虎をさす。
[50]趙鄂をさす。
[51]原文「你個孟嘗君、自養著家中哨」。「家中哨」は罵語。家の中の泥棒の意。この句、張天覚に対して発せられたもので、「孟嘗君」は張天覚、「家中哨」は李虎を指しているものと解す。
[52]原文「你正是晏平仲善与人交」。晏平仲は晏嬰のこと。この句、『論語』「子曰、晏平仲善与人交、久而敬之」に基づく句。「你」は李虎を指していると思われるが、なぜ李虎を晏嬰に喩えるのかが未詳。「善与人交」は皮肉か。
[53]原文「走函関不肯学鶏叫」。『史記』孟嘗君伝に見える鶏鳴狗盗の故事に基づく句であること言うまでもないが、「不肯学鶏叫」が何を喩えているのか未詳。
[54]原文「則這是養剣客臨危、報答你田文下稍」。この前半部は張天覚に向かって発せられているものと解す。「田文」は孟嘗君のことで張天覚を、「剣客」は李虎を指しているものと解す。「下稍」は結果、結末の意。
[56]原文「請你個伯当放了」。相手を自分より一世代上の伯父と称することによって下手に出ているのであろう。
[57]原文「你個謁魯肅周瑜好躁暴」。未詳。『録鬼簿』に、高文秀の戯曲として『周瑜謁魯肅』という雑劇が著録されており、これと関係があるかもしれないが、『周瑜謁魯肅』が現存しないため未詳。
[58]原文「君子周人之急」。『論語』雍也「君子周急不継富」。
[60]原文「争奈龐居士、在陋巷箪瓢」。「在陋巷箪瓢」は、陋巷で、粗末な飲食をとっているということ。『論語』雍也「子曰、賢哉回也。一箪食、一瓢飲、在陋巷」。「争奈龐居士、在陋巷箪瓢」の句、張天覚に施しをした趙鄂が貧乏であることを述べたもの。
[61]趙鄂をさす。
[62]李虎をさす。
[63]このせりふはすべて独り言であろう。
[64]原文「大斎時合著空鍋竈、水米不曾湯著」。未詳。とりあえずこう訳す。「大斎」は未詳。字義からして物忌みのことか。水米は飲食物のこと。自分たちに飲食物がないことを物忌みに喩えているものと解す。
[65]「なぜわたしが二百銭を貸したか考えてみろ」という語気。
[66]未詳だが、小麦で作ったケーキ状のものであろう。
[67]原文「枉把你五臓神虚邀」。「神虚邀」が未詳。とりあえずこう訳す。
[68]原文「窮秀才工課覓分毫」。「工課覓分毫」が未詳。とりあえずこう解釈する。
[70]原文「常言道当家的疾老、近火的焼焦」。家を切り盛りすることの辛さをいう諺。
[72]原文「当日嫁這窮書生、你是楽者為之楽」。「楽者為之楽」が未詳。とりあえずこう訳す。
[74]原文「則為我不主才天教報」。まったく未詳。とりあえずこう解釈する。
[75]原文「救人急是耽寒之本。順人情是忍餓之苗」。人助けをして善因を積み、善果を得、寒さや飢えを逃れることを述べた句であろう。
[76]原文「花花太歳為第一、浪子喪門世無対」。悪漢が登場するときの常套句。太歳は凶星の名。陳永正主編『中国方術大辞典』三百二十三頁参照。喪門も凶星の名。『中国方術大辞典』二百九十頁参照。「花花」は「花花公子」で、プレイボーイのこと。「浪子」も遊蕩児のこと。
[77]春盛は春遊の食事。担子はそれを入れた岡持を天秤棒で担いだもの。
[78]童僕。
[81]原文「誦詩知国政、講易見天心」。張説「恩賜麗正殿書院賜宴応制得林字」に見える句。「恩賜麗正殿書院賜宴応制得林字」は『千家詩』にも収められている。
[82]不穏。不正。
[83]『論語』学而。
[84]宿屋で、前の部屋。
[85]宿屋で、後ろの部屋。
[86]原文「否極生泰」。否と泰はいずれも易の卦の名。否は凶、泰は吉で、「否極生泰」は不運が極まって幸運に転じるという意味で常用される。「否終生泰」とも。
[88]原文「胸巻江淮」。気宇が壮んなことをいっているのであろう。
[89]原文「我不合鬼擘口審問的明白」。「鬼擘口」は思わず話をしてしまうこと。
[91]まったく未詳。
[92]原文「情知這范丹、怎放来生債」。「范丹」は「范冉」とするのが普通。范丹にも作る。後漢の人、貧乏で、甑に塵が生じていたという、『蒙求』「范冉生塵」の故事で有名。ここでは趙鄂がみずからを喩えたもの。「放来生債」は「来世へ向けて金を貸す」という意味だが、来世へ向けて功徳を積むことの喩え。この句、自分は貧しく、功徳を積むことなどどうしてできようということ。
[93]原文「搭救出他招賢納士東洋海」。「招賢納士東洋海」が未詳。「賢士が沈もうとしている東の海」ということか。「他」は張天覚をさしていよう。この句、大まかな方向は、「水に沈もうとしている賢士張天覚を救った」ということであろう。
[94]原文「拴衣」。未詳。とりあえずこう訳す。
[95]原文「妻也你休逢著的商量、見了的買」。「逢著的商量、見了的買」は当時の諺らしく思われるが未詳。ここでは「見了的買」に重点があり、衝動買いを戒めているのであろう。
[96]嚇魂台は元曲の常用語で、冥府にあるとされる、鬼を苛める場所。
[97]原文「我有銭時、做甚教伊索打火房銭該二百」。宿泊客に金があると、宿屋が安心して、宿代の請求をしなくなることを述べたものであろう。
[98]原文「且由他。怕你少了我的」。「且由他」は「ひとまず(請求をせずに)放っておく」ということであろう。
[99]原文「我与你火炭也似一隻金釵」。「火炭也似一隻金釵」は「燃えている炭のようにきらきら輝く金釵」ということ。
[100]原文「可是欲求天外事、須動世間財」。「欲求天外事、須動世間財」は当時の諺と思われるが未詳。文脈から推定して「地獄の沙汰も金次第」といった方向であろう。
[101]原文「便似孟光挙案斎眉待」。孟光は後漢の人。夫を敬い、食前を眉の高さにまで捧げ持った挙案斎眉の故事で有名。『後漢書』梁鴻伝「妻為具食、不敢於鴻前仰視、挙案斎眉」。元雑劇にも『挙案斉眉』あり。
[102]木綿のあわせと荊のかんざし。婦人の粗末な服装。
[103]原文「全不想離郷背井、動不動拽巷攞街」。「拽巷攞街」は隣近所を騒がすこと。「全不想離郷背井、動不動拽巷攞街」、訳文はこれで正しいのであろうが、「全不想離郷背井」と「動不動拽巷攞街」にどういう論理的つながりがあるのかが分からない。「周囲は赤の他人ばかりなので、騒ぎ立ててもしかたないのに、騒ぎ立てようとする」ということか。
[104]原文「冷冷清清禁街」。禁街は京城の通りをいう。
[105]原文「道著全然不睬、勧著没些疾快」。主語は店員であろう。
[106]見回りの士卒。
[107]ここでは擬音。鈴の鳴る音。
[108]棗穣とも表記する。棗の種。金の色を喩える。
[109]雪のように白いねりぎぬ。
[110]原文「時来呵鉄也争光、運去後黄金失色」。当時の諺。時運に恵まれればつまらないものも羽振りが良くなり、時運に恵まれなければすぐれたものも落ち目になることを喩えるが、ここでは文字通り金のかんざしが銀の箸になってしまったことを述べたもの。「時来鉄也生光、運退黄金失色」とも。温端政主編『中国俗語大辞典』八百九頁に用例を多数載せるが、すべて明代のもの。『金鳳釵』のこの箇所は古い用例であろう。
[112]不慮の災厄。
[113]原文「不知怎生年月日時、我恰才快早閻王怪、使不著老実終須在」。未詳。とりあえずこう訳す。
[114]原文「赤緊的敬客坊、緊靠著迷魂寨」。含意未詳。「敬客坊」は状元店を「迷魂寨」は、役所あるいは牢獄の喩え、宿に泊まったばかりに囚われの身になったことを述べているか。「迷魂寨」を役所あるいは牢獄の喩えとして用いた例は『蝴蝶夢』に見える。
[115]原文「莫不状元店連著分界牌。多管是鬼門関」。「分界牌」は、字義からして境界線を示す札であろうと思われるが未詳。「鬼門関」は明界と幽界の境目。この句も、宿に泊まったばかりに囚われの身になったことを述べているのであろう。
[116]科挙の会試が行われることを告げる掲示板。
[117]原文「莫不住著太歳凶宅、可怎生行一歩衠踏著不快」。太歳は凶星の名。陳永正主編『中国方術大辞典』三百二十三頁参照。「衠踏著不快」は未詳。とりあえずこう訳す。
[118]原文「想昨宵吃剣才、人一般好客待」。未詳。とりあえずこう訳す。主語は趙鄂。店員に頼んで李虎を宿屋に泊めさせてやったことを歌っているものと解す。
[119]里甲長、地保。
[120]原文「殺人可恕、情理難当」。人は殺せても天の理に逆らうことはできないという趣旨であろう。
[121]斬首刑の立会人。
[122]原文「好教我無語嗟咨、一歩歩行来、到枉死市」。「枉死市」は濡れ衣を着せられた人が処刑される仕置場。
[123]原文「我想那曹司素状是辰時、便是那閻王註定黄昏死」。「素状」が未詳。この句全体の趣旨も未詳。
[124]原文「你道他看的主甚意児、大古是不曾見玉堂金馬三学士」。「玉堂金馬」は、本来、玉堂殿と金馬門のこと。漢代、学士が詔を待つた場所。後に翰林院の別称。「三学士」とは、唐代、翰林院、弘文館、集賢院の学士をいう。「玉堂金馬三学士」は翰林院に入るような優秀な人物ということで、ここでは状元であった趙鄂がみずからをいっているのであろう。
[125]原文「咱人家子不孝是父不慈、咱人家児忤逆是爺不是」。未詳。とりあえずこう訳す。
[126]原文「寧可爺做事、爺当事」。未詳。とりあえずこう訳す。
[127]原文「遭節朔年至」。未詳だが、訳文の意味であろう。
[128]原文「我死在陰司、你与我焼些銭烈陌児紙」。「陌児」は紙銭を数える量詞で、紙銭百枚。
[130]原文「自従巳時至午時、多不到半炊時」。「半炊時」は炊事に掛かる時間の半分、わずかな時間のことであろう。
[131]原文同じ。宣撫使のこと。ただ、宣撫使は災害地区を巡視するために派遣される朝臣のことなので、災害地区を巡視しているわけでもない張天覚がなぜ「宣使」と呼ばれるのか未詳。巡視する役人というくらいの意味で使っているか。
[132]楊茂柳のこと。この劇、正名を「楊太尉屈勘銀匙箸、宋上皇御断金鳳釵」という。
[133]原文「言語如絲」。声がか細いことをいっているか。
[134]原文「料青天不受私」。「青天」は清廉潔白な役人。情実の通じない役人。「受私」は賄賂を受けること。
[135]原文「睜開眼看我時、写著我罪名児、圧著五言詩」。「圧著五言詩」が未詳。
[136]罪状を記した札。
[137]原文「原来這犯由牌上金榜掛名時」。いいたいことは「原来這犯由牌上掛名時」ということ。「金榜」に実際上の意味はない。「掛名」の縁語。「金榜」自体は、科挙の合格掲示板。
[138]原文「我家六児的性命、可著誰認」。「認」が未詳。とりあえずこう訳す。
[139]蒙古語で「殺す」の意。
[140]生殺与奪の権を握っているもののこと。
[141]原文「那十隻釵是窮秀才追魂使」。十本のかんざしのせいで自分が死刑にされそうになったことを述べたもの。「追魂使」は人の命を奪う冥府の使者。
[142]原文「那得早有本銭有利銭」。「元本利息があったなどとはとんでもない」という語気であろう。
[143]主語は楊戩。
[144]原文「這的是暗宣賜明宣賜」。未詳。ただ、役所を通して天子が臣下に物品を賜うのを「明宣賜」、通さずに賜うのを「暗宣賜」という。『朝野類要』宣賜「俗謂経由閤門、有司出給関照之物為明宣賜、不経由有司、特旨賜之、則曰暗宣賜」。
[145]原文「想咱人事要前思」。未詳。
[146]原文「免本戸当差」。本戸は税制用語で、労役に服する義務を負った世帯のことであると思われるが詳細は未詳。歴代の正史に見えるが、金代は女真人の世帯を本戸、漢人、契丹人の世帯を雑戸と称した。『金史』食貨志一・戸口「今如分別戸民、則女直言本戸、漢戸及契丹、余謂之雑戸」。
[147]原文「為你有星斗文章」。「星斗文章」は優れた教養のこと。
[148]県庁。『書言故事』県宰類「称県治曰琴堂」。