第四十五齣 泛湖(范蠡、西施が太湖に浮かぶ)

(二人の漁師が漁歌を歌いながら登場)われら二人は太湖の漁翁。昨日は范さまが漁船を数艘、胥口に泊めておくように仰った。湖上へ遊びにゆかれるとのこと。どうして今になっても来られないのだろう。こちらで待っているとしよう。

(范蠡が登場)功は成れども上将軍の位は受けず、一艘の船もて帰る笠沢[1]の雲。西施を載せて国を離れん。傾国を留むればさらに主君を惑はさん。

わしは范蠡、わが弱越の補佐をして、かの強呉をぞ破りたる。功名を遂げ、国は安泰 民は楽しみ、平生の願ひはここに果たされぬ。禍の起こるに先立ちそれを予測し、塵埃の外にしぞ抜け出でん。少しでも留まらば、今日の范蠡は、昔日の伍子胥とならん。すでに主君にその旨を告げたれば、今まさに遠く()ぐべし。昨日は漁船に命じ、湖口に停泊せしめたり。西施が来なば、すぐさまともに旅立たん。

(西施が登場)両の(まよね)を顰めつつ、慌ただしきを恨むなり。興亡は一顰の内。扁舟に乗り湖上に去らば、館娃宮をぞ再訪するは難からん。范蠡さま、ご機嫌よう。

(范蠡)西施よ、挨拶は抜きにせん。西施よ、われはもともと楚のものなれど、久しく越に客となりたり。その昔、渓谷で傾城に会ひ、隣国で艱難に遭ひたりき。この世にて会ふことは難しと思ひたりしかば、また会ふことは思ひもよらぬことなりき。船中に華燭をそなへ、とりあへず湖上にて結婚すべし。急なれど、慌ただしきをな厭ひそね。

(西施)わたくしは白屋[2]の寒娥[3]、黄茅[4]の下妾[5]なり。ただ願はくは、君子に嫁がん。思はざりき、呉王と仮の(えにし)を結び、風雨に砕かれ[6]、豆蔲の梢[7]を破られ、若き日を葬りさられ、芙蓉の蔕を折られやうとは。中饋を奉る[8]に堪へず。君が下陳を満たすべからず[9]

(范蠡)われはまことに霄殿[10]の金童にして、おんみはすなはち天宮の玉女なり。二人は些細な咎に遭ひ、人の世に謫せられたり。このわれが石室で奴僕となりしは、もとより宿世の(えにし)なり。おんみが呉宮で妾となりしは、その実俗世の禍によりしものなり。今、百世のすでに断たれし(えにし)を結び、三生のいまだ遂げざる(えにし)をぞ結ばんとせる。今や迷途[11]は開かれたれば、正道に帰るべきなり。

(西施)すでにご恩を蒙れば、敢へて受けざることもなからん。ただ姉妹とは、音信が久しく途絶え、老いたる椿萱(ちち)は、杳として消息(たより)なし。とりあへず山中に帰らんがため、湖上の舟に従はん。君が心はいかならん。

(范蠡)われははや人を諸曁へと遣はせり。父上さまと母上さまは、舟に載せ、東施北威は、金帛を賜はられたり。

(西施)范蠡さま、おんみはすべての恨みと恩義に報いましたが、まだ報いない友がおります。なぜお忘れになったのでしょう。

(范蠡)話しておくれ。

(西施)その昔、渓紗がなければ、今日(こんにち)のことはございませんでした。

(范蠡)その紗はどこにある。

(西施)われは朝夕それを守りて、胸に帯びたり。試みにそれをご覧あれ。

(范蠡)われの紗もここにあり。千叢万結、乱るるさまは(つちやま)のごと、かつて呉宮に合杯を結びたり。本日は二人して渓水の(ほとり)に帰り、一縷はすなはち良媒なるをまさに知りたり。西施よ。もろともにとくとく舟へ乗るとせん。漁翁はいづこぞ。

(漁師たち)ご用は何でございましょう。

(范蠡)舟に乗り、湖中を通って海の畔に行きたいのだ。

(漁師たち)海の畔の何れの場所に行かれるのです。海に出て北風ならば広東に、西風ならば日本に、南風ならば斉国に参ります。今日はちょうど南風にございます。

(范蠡)南風なら斉国へ行こう。

(漁師たち)若さま、ご夫人さま、舟に乗られよ。

(范蠡)

問ふ 扁舟はいづれの所に帰りゆく

漂流し 万重の波間にあるを嘆きたり

昔日は 千丈の波 翻れども

今日は 風は止み 帆こそ遅けれ

遠景は模糊として

太湖の水こそ果てなけれ

(西施)

憶へばそのかみ 紗をもちて(たにがは)(ほとり)に洗へり

時まさに春の初めの晴れの日なれば

芳心[12]を抑ふることは難かりき

誰かおもはん多才の人に

忽然として相逢はんとは

立ち止まり

あたふたと佳き連れ合ひとなるを約せり

(范蠡)

謝す、(なれ)の男女の縁を結びしを

恥づかしや、

(せのきみ)とならざるうちに

国に苦難は(さは)にあり

戦のために妨げられぬ

(西施)

君がため 家は朝晩寥寥として

淹淹と憔悴し

いかんせん (いぬ)ることなく 心痛を患ひたるを

いかんせん 寝ることなく 心痛を患ひたるを

日は高けれど起くることなし

数行の涙をぞむなしくとどめし

山深き僻地にて

花は飛び 鳥は鳴き

傷心の激しきときは 翠の眉を顰めたり

(范蠡)

ああ

冷たくしたるわけにはあらず

馬鹿にせしわけにはあらず

主君が恥辱を受けしため

お妃さまが囚はれしため

奔走せしなり

千里を隔てたりしかば相逢ふことは難かりき

ぐづぐづとして

三年(みとせ)たてども帰ることなし

(西施)

他郷を流浪し いまだ帰らず

我は寂しく 深山(みやま)に頼る人ぞなき

鶯に燕

眺むれば つがひとなりたり

誰か知るべき、おのが身のさすらはんとは

誰か知るべき、おのが身のさすらはんとは

君が帰れば

わらはもゆきて

浮花浪蕊(うきくさのみ)[13]と相成らん

(范蠡)

国家のために別離せり

国家のために別離せり

主君のために妻を棄て

母に背きて胸を傷ます

姑蘇に向かへば 涙は胸を潤せり

姑蘇に向かへば 涙は胸を潤せり

(西施)

分かれ道

城郭の半ばは昔と異なれり

故国を去りて雲山千里

残んの(くれなゐ)、破れし玉[14]

顔厚けれど忸怩たることぞあるなる

計略を胸に秘むれば

呉王は酒と女に迷ひ

沈酔し

蘇台に廃墟を残したるのみ

(范蠡)

この会稽は昔と今と異なれど

この会稽は昔と今と異なれど

范蠡は昔も今も変はることなし

誰か知るべき 戈もて斜暉を挽きたるを[15]

龍は春雷をば起こし

風は潮を巻き返す

地が変ずれば 天は従ひ

たちまちに軍を駆り 敵を敗れり

それゆゑに おんみの北より帰るを喜ぶ

(西施)

謝す 王さまの昔の(えにし)をふたたび結びたまひしを

謝す かの人の初めの心を変へざるを

謝す お互いに結びたる一縷の渓紗は

二人を結ぶ良き(なかだち)となりたりき

二人を結ぶ良き(なかだち)となりたりき

(范蠡)

すでに濁世を離れたり

空しく回首す (いしゆみ)に脅へしを

水の()の鴎を友とし (たにがは)の畔の砂嘴にありたれど

高く飛ぶ(おほとり)のごと 仲間を逐はん

この我は

これよりは 車や馬や

人々にしぞ別れを告げん

いざ風に乗り 海の果てへと赴かん

(西施)

烟波の中で

汀の浮草

岸辺の蘆に依りそへり

飄ふに任す 海北天西

飄ふに任す 海北天西

人の世に賢愚是非あり[16]

鯨に跨り 鶴にぞ乗らん

鯨に跨り 鶴にぞ乗らん

(范蠡)

燕、秦、楚、斉を笑ひたり

燕、秦、楚、斉を笑ひたり

干戈をば輝かし 旌旗を調へ

軍と馬 露水に(なづ)

兵と将 釜で食らへり[17]

酒席の間も 剣戟は森然として[18]

廟堂[19]の中 刀筆は坐す[20]

たちまちに吉凶は明らかとなる

(西施)

見よ 荊榛に覆はるる館娃宮

靴音響きし回廊は苔むしぬ

惜しむべし 剰水残山[21]

断崖の高きところに寺があり

百花の深きところには一僧帰れり

空しく残る旧跡は

走狗闘鶏[22]

憶へば昔 僭越に祭祀をなせり[23]

郊台[24]を眺むれば雲樹[25]は寂しく

香水[26]の鴛鴦は去り

酒城[27]は傾き

茫々たる練涜[28]

はてしなき秋の水あり

(范蠡)

ああ

見よ 目に満つる興亡のありさまは まことに悲し

笑へかし 呉は何人ぞ 越は誰そ

功名は手に至り 遅きを厭はず

これよりは子皮と号せん

これよりは子皮と号せん

時が流れば

人に知らるることもなからん

(西施)

採蓮に紅芳[29]はことごとく死し

越来渓に呉歌ぞ悲しき

宮中に鹿は走りて 草は萋萋

黍離の茂れる旧跡に

過客は悲しむ

離宮は廃せられしかば

誰か暑さを避くべけん

瓊姫[30]の墓は冷んやりと 蒼烟にしぞ蔽はるる

空園に滴れる

空園に滴れる

梧桐の夜雨(よさめ)

台城[31]()

台城の上に

夜烏(よがらす)が鳴く

(范蠡)

人生の聚散はかくこそありけれ

興と廃をな論ぜそね

富貴は浮雲

世事は児戯にぞ相似たる

ただ願はくは 天が下なる夫と妻の みなわれとおんみの如くせんことを

 

みな言へり 梁郎[32]に識見なしと

しかれども 勾践の姑蘇を破りし芝居を編めり

大明は 今日 一統に帰す

そのかみの越と呉を、などてかは問ふべけん[33]

 

最終更新日:2010119

浣紗記

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[1]松江の別名。『春秋左氏伝』哀公十七年「越子伐呉、呉子禦之笠沢」。

[2]貧乏な家。

[3]貧乏な娘。

[4]黄色い茅で作った粗末な家。

[5]下賤な女。

[6]呉王に陵辱されたことを喩える。

[7]後に出てくる、芙蓉の蔕とともに、女性器を喩えているものと思われるが未詳。

[8]中饋は酒食のこと。酒食を奉る、すなわち妻になること。

[9]下陳は後宮、夫人の部屋。夫人の部屋を満たすべからず、すなわちあなたの妻になるにはふさわしくない。

[10]天宮に同じ。

[11]迷い道。

[12]女の心をいう。

[13]水に浮かぶ花蕊。花蕊はおしべとめしべ。

[14]残紅は損なわれた花、破玉は毀たれた玉。呉王に凌辱された我が身をいう。

[15] 『淮南子』覧冥に見える、魯陽公が戦闘中、戈で夕陽を引き留め、日が沈むのを遅らせたという故事にちなむ句。ここでは、滅んだ国家を元に戻したことを喩える。

[16]原文「趁人間賢愚是非」。とりあえず、このように訳す。

[17]原文「兵和将釜中食」。未詳。とりあえず、このように訳す。

[18]鋭いさま。

[19]朝廷。

[20]刀筆は刀筆吏のこと。文書をつかさどる官吏。刀筆は古代の筆記用具。

[21]国は滅ぼされても残った山河。

[22]走狗塘、闘鶏坡。第十四齣に既出。

[23]原文「想当年僭祭」。「僭祭」という言葉については未詳。この句も何を指しているのか分からぬが、とりあえず、このように訳す

[24]郊外にある楼台。ここでは姑蘇台のこと。

[25]雲の掛かった樹木。

[26]呉の宮殿の中にあった川。西施が水浴をした場所と伝える。

[27]苦酒城とも。魚城の西南にある城の名。

[28]太湖にある谷川の名。

[29]赤い蓮の花。

[30]瓊姫は呉王の娘。その墓は陽山にある。

[31]城の名。呉の後苑城。

[32]作者梁辰魚。

[33]明の国は今統一されているから、昔の越と呉のように国が分かれていることはなくなってしまった。

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